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13明石
1317654第一章 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語
131.17755第一段 須磨の嵐続く
131.1.17856 なほ雨風(あめかぜ)やまず、雷鳴(かみな)(しづ)まらで、()ごろになりぬ。いとどものわびしきこと、数知(かずし)らず、()方行(かたゆ)(さき)(かな)しき(おほん)ありさまに、心強(こころづよ)うしもえ(おぼ)しなさず、「いかにせまし。かかりとて、(みやこ)(かへ)らむことも、まだ()(ゆる)されもなくては、人笑(ひとわら)はれなることこそまさらめ。なほ、これより(ふか)(やま)(もと)めてや、あと()えなまし」と(おぼ)すにも、「波風(なみかぜ)(さわ)がれてなど、(ひと)()(つた)へむこと、(のち)()まで、いと軽々(かろがろ)しき()(なが)()てむ」と(おぼ)(みだ)る。 なほあめかぜやまず、かみなしづまらで、ごろになりぬ。いとどものわびしきこと、かずしらず、かたゆさきかなしきおほんありさまに、こころづようしもえおぼしなさず、"いかにせまし。かかりとて、みやこかへらんことも、まだゆるされもなくては、ひとわらはれなることこそまさらめ。なほ、これよりふかやまもとめてや、あとえなまし。"とおぼすにも、"なみかぜさわがれてなど、ひとつたへんこと、のちまで、いとかろがろしきながてん。"とおぼみだる。
131.1.27957 (ゆめ)にも、ただ(おな)じさまなる(もの)のみ()つつ、まつはしきこゆと()たまふ。雲間(くもま)なくて、()()るる日数(ひかず)()へて、(きゃう)(かた)もいとどおぼつかなく、「かくながら()をはふらかしつるにや」と、心細(こころぼそ)(おぼ)せど、(かしら)さし()づべくもあらぬ(そら)(みだ)れに、()()(まゐ)(ひと)もなし。 ゆめにも、ただおなじさまなるもののみつつ、まつはしきこゆとたまふ。くもまなくて、るるひかずへて、きゃうかたもいとどおぼつかなく、"かくながらをはふらかしつるにや。"と、こころぼそおぼせど、かしらさしづべくもあらぬそらみだれに、まゐひともなし。
131.1.38058 二条院(にでうのゐん)よりぞ、あながちにあやしき姿(すがた)にて、そほち(まゐ)れる。(みち)かひにてだに、(ひと)(なに)ぞとだに御覧(ごらん)じわくべくもあらず、まづ()(はら)ひつべき(しづ)()の、むつましうあはれに(おぼ)さるるも、(われ)ながらかたじけなく、()しにける(こころ)のほど(おも)()らる。御文(おほんふみ)に、 にでうのゐんよりぞ、あながちにあやしきすがたにて、そほちまゐれる。みちかひにてだに、ひとなにぞとだにごらんじわくべくもあらず、まづはらひつべきしづの、むつましうあはれにおぼさるるも、われながらかたじけなく、しにけるこころのほどおもらる。おほんふみに、
131.1.48159 「あさましくを()みなきころのけしきに、いとど(そら)さへ()づる心地(ここち)して、(なが)めやる(かた)なくなむ。 "あさましくをみなきころのけしきに、いとどそらさへづるここちして、ながめやるかたなくなん。
131.1.58260 浦風(うらかぜ)やいかに()くらむ(おも)ひやる<BR/>(そで)うち()らし波間(なみま)なきころ」 うらかぜやいかにくらんおもひやる<BR/>そでうちらしなみまなきころ〕
131.1.68361 あはれに(かな)しきことども()(あつ)めたまへり。いとど(みぎは)まさりぬべく、かきくらす心地(ここち)したまふ。 あはれにかなしきことどもあつめたまへり。いとどみぎはまさりぬべく、かきくらすここちしたまふ。
131.1.78462 (きゃう)にも、この雨風(あめかぜ)、あやしき(もの)のさとしなりとて、仁王会(にんわうゑ)など(おこな)はるべしとなむ()こえはべりし。内裏(うち)(まゐ)りたまふ上達部(かんだちめ)なども、すべて道閉(みちと)ぢて、政事(まつりごと)()えてなむはべる」 "きゃうにも、このあめかぜ、あやしきもののさとしなりとて、にんわうゑなどおこなはるべしとなんこえはべりし。うちまゐりたまふかんだちめなども、すべてみちとぢて、まつりごとえてなんはべる。"
131.1.88563 など、はかばかしうもあらず、かたくなしう(かた)りなせど、(きゃう)(かた)のことと(おぼ)せばいぶかしうて、御前(おまへ)()()でて、()はせたまふ。 など、はかばかしうもあらず、かたくなしうかたりなせど、きゃうかたのこととおぼせばいぶかしうて、おまへでて、はせたまふ。
131.1.98664 「ただ、(れい)(あめ)のを()みなく()りて、(かぜ)時々吹(ときどきふ)()でて、()ごろになりはべるを、(れい)ならぬことに(おどろ)きはべるなり。いとかく、()底徹(そことほ)るばかりの氷降(ひふ)り、(いかづち)(しづ)まらぬことははべらざりき」 "ただ、れいあめのをみなくりて、かぜときどきふでて、ごろになりはべるを、れいならぬことにおどろきはべるなり。いとかく、そことほるばかりのひふり、いかづちしづまらぬことははべらざりき。"
131.1.108765 など、いみじきさまに(おどろ)()ぢてをる(かほ)のいとからきにも、心細(こころぼそ)さまさりける。 など、いみじきさまにおどろぢてをるかほのいとからきにも、こころぼそさまさりける。
131.28866第二段 光る源氏の祈り
131.2.18967 「かくしつつ()()きぬべきにや」と(おぼ)さるるに、そのまたの()(あかつき)より、(かぜ)いみじう()き、潮高(しほたか)()ちて、(なみ)音荒(おとあら)きこと、(いはほ)(やま)(のこ)るまじきけしきなり。(かみ)()りひらめくさま、さらに()はむ(かた)なくて、「()ちかかりぬ」とおぼゆるに、ある(かぎ)りさかしき(ひと)なし。 "かくしつつきぬべきにや。"とおぼさるるに、そのまたのあかつきより、かぜいみじうき、しほたかちて、なみおとあらきこと、いはほやまのこるまじきけしきなり。かみりひらめくさま、さらにはんかたなくて、"ちかかりぬ。"とおぼゆるに、あるかぎりさかしきひとなし。
131.2.29068 (われ)はいかなる(つみ)(をか)して、かく(かな)しき()()るらむ。父母(ちちはは)にもあひ()ず、かなしき妻子(めこ)(かほ)をも()で、()ぬべきこと」 "われはいかなるつみをかして、かくかなしきるらん。ちちははにもあひず、かなしきめこかほをもで、ぬべきこと。"
131.2.39169 (なげ)く。(きみ)御心(みこころ)(しづ)めて、「(なに)ばかりのあやまちにてか、この(なぎさ)(いのち)をば(きは)めむ」と、(つよ)(おぼ)しなせど、いともの(さわ)がしければ、色々(いろいろ)幣帛(みてぐら)ささげさせたまひて、 なげく。きみみこころしづめて、"なにばかりのあやまちにてか、このなぎさいのちをばきはめん。"と、つよおぼしなせど、いとものさわがしければ、いろいろみてぐらささげさせたまひて、
131.2.49270 住吉(すみよし)(かみ)(ちか)(さかひ)(しづ)(まも)りたまふ。まことに(あと)()れたまふ(かみ)ならば、(たす)けたまへ」 "すみよしかみちかさかひしづまもりたまふ。まことにあとれたまふかみならば、たすけたまへ。"
131.2.59371 と、(おほ)くの大願(だいがん)()てたまふ。おのおのみづからの(いのち)をば、さるものにて、かかる御身(おほんみ)のまたなき(れい)(しづ)みたまひぬべきことのいみじう(かな)しき、(こころ)()こして、すこしものおぼゆる(かぎ)りは、「()()へてこの御身一(おほんみひと)つを(すく)ひたてまつらむ」と、とよみて、諸声(もろごゑ)(ほとけ)(かみ)(ねん)じたてまつる。 と、おほくのだいがんてたまふ。おのおのみづからのいのちをば、さるものにて、かかるおほんみのまたなきれいしづみたまひぬべきことのいみじうかなしき、こころこして、すこしものおぼゆるかぎりは、"へてこのおほんみひとつをすくひたてまつらん。"と、とよみて、もろごゑほとけかみねんじたてまつる。
131.2.69472 帝王(ていわう)(ふか)(みや)(やしな)はれたまひて、いろいろの(たの)しみにおごりたまひしかど、(ふか)御慈(おほんうつく)しみ、大八洲(おほやしま)にあまねく、(しづ)める(ともがら)をこそ(おほ)()かべたまひしか。(いま)(なに)(むく)いにか、ここら横様(よこさま)なる波風(なみかぜ)には(おぼ)ほれたまはむ。天地(あめつち)、ことわりたまへ。(つみ)なくて(つみ)()たり、(つかさ)(くらゐ)()られ、(いへ)(はな)れ、(さかひ)()りて、()()(やす)(そら)なく、(なげ)きたまふに、かく(かな)しき()をさへ()命尽(いのちつ)きなむとするは、(さき)()(むく)いか、この()(をか)しか、(かみ)(ほとけ)(あき)らかにましまさば、この(うれ)へやすめたまへ」 "ていわうふかみややしなはれたまひて、いろいろのたのしみにおごりたまひしかど、ふかおほんうつくしみ、おほやしまにあまねく、しづめるともがらをこそおほかべたまひしか。いまなにむくいにか、ここらよこさまなるなみかぜにはおぼほれたまはん。あめつち、ことわりたまへ。つみなくてつみたり、つかさくらゐられ、いへはなれ、さかひりて、やすそらなく、なげきたまふに、かくかなしきをさへいのちつきなんとするは、さきむくいか、このをかしか、かみほとけあきらかにましまさば、このうれへやすめたまへ。"
131.2.79573 と、御社(みやしろ)(かた)()きて、さまざまの(がん)()てたまふ。 と、みやしろかたきて、さまざまのがんてたまふ。
131.2.89675 また、(うみ)(なか)龍王(りうわう)、よろづの(かみ)たちに(がん)()てさせたまふに、いよいよ()りとどろきて、おはしますに(つづ)きたる(らう)()ちかかりぬ。炎燃(ほのほも)()がりて、(らう)()けぬ。心魂(こころたましひ)なくて、ある(かぎ)(まど)ふ。(うしろ)(かた)なる大炊殿(おほひどの)とおぼしき()(うつ)したてまつりて、上下(かみしも)となく()()みて、いとらうがはしく()きとよむ(こゑ)(いかづち)にも(おと)らず。(そら)(すみ)をすりたるやうにて、()()れにけり。 また、うみなかりうわう、よろづのかみたちにがんてさせたまふに、いよいよりとどろきて、おはしますにつづきたるらうちかかりぬ。ほのほもがりて、らうけぬ。こころたましひなくて、あるかぎまどふ。うしろかたなるおほひどのとおぼしきうつしたてまつりて、かみしもとなくみて、いとらうがはしくきとよむこゑいかづちにもおとらず。そらすみをすりたるやうにて、れにけり。
131.39776第三段 嵐収まる
131.3.19877 やうやう(かぜ)なほり、(あめ)(あし)しめり、(ほし)(ひかり)()ゆるに、この御座所(おましどころ)のいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、寝殿(しんでん)(かへ)(うつ)したてまつらむとするに、 やうやうかぜなほり、あめあししめり、ほしひかりゆるに、このおましどころのいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、しんでんかへうつしたてまつらんとするに、
131.3.29978 ()(のこ)りたる(かた)(うと)ましげに、そこらの(ひと)()みとどろかし(まど)へるに、御簾(みす)などもみな()()らしてけり」 "のこりたるかたうとましげに、そこらのひとみとどろかしまどへるに、みすなどもみならしてけり。"
131.3.310079 ()(あか)してこそは」 "あかしてこそは。"
131.3.410180 とたどりあへるに、(きみ)御念誦(おほんねんず)したまひて、(おぼ)しめぐらすに、いと(こころ)あわたたし。 とたどりあへるに、きみおほんねんずしたまひて、おぼしめぐらすに、いとこころあわたたし。
131.3.510281 (つき)さし()でて、(しほ)(ちか)()()ける(あと)もあらはに、名残(なごり)なほ()(かへ)波荒(なみあら)きを、(しば)戸押(とお)()けて、(なが)めおはします。(ちか)世界(せかい)に、ものの(こころ)()り、()方行(かたゆ)(さき)のことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしう(さと)(ひと)もなし。あやしき海人(あま)どもなどの、(たか)(ひと)おはする(ところ)とて、(あつま)(まゐ)りて、()きも()りたまはぬことどもをさへづりあへるも、いとめづらかなれど、え()ひも(はら)はず。 つきさしでて、しほちかけるあともあらはに、なごりなほかへなみあらきを、しばとおけて、ながめおはします。ちかせかいに、もののこころり、かたゆさきのことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしうさとひともなし。あやしきあまどもなどの、たかひとおはするところとて、あつままゐりて、きもりたまはぬことどもをさへづりあへるも、いとめづらかなれど、えひもはらはず。
131.3.610382 「この(かぜ)(いま)しばし()まざらましかば、潮上(しほのぼ)りて(のこ)(ところ)なからまし。(かみ)(たす)けおろかならざりけり」 "このかぜいましばしまざらましかば、しほのぼりてのこところなからまし。かみたすけおろかならざりけり。"
131.3.710483 ()ふを()きたまふも、いと心細(こころぼそ)しといへばおろかなり。 ふをきたまふも、いとこころぼそしといへばおろかなり。
131.3.810584 (うみ)にます(かみ)(たす)けにかからずは<BR/>(しほ)八百会(やほあひ)にさすらへなまし」 "〔うみにますかみたすけにかからずは<BR/>しほやほあひにさすらへなまし〕
131.3.910685 ひねもすにいりもみつる(かみ)(さわ)ぎに、さこそいへ、いたう(こう)じたまひにければ、(こころ)にもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所(おましどころ)なれば、ただ()りゐたまへるに、故院(こゐん)、ただおはしまししさまながら()ちたまひて、 ひねもすにいりもみつるかみさわぎに、さこそいへ、いたうこうじたまひにければ、こころにもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなきおましどころなれば、ただりゐたまへるに、こゐん、ただおはしまししさまながらちたまひて、
131.3.1010786 「など、かくあやしき(ところ)にものするぞ」 "など、かくあやしきところにものするぞ。"
131.3.1110887 とて、御手(おほんて)()りて()()てたまふ。 とて、おほんてりててたまふ。
131.3.1210988 住吉(すみよし)(かみ)(みちび)きたまふままには、はや舟出(ふなで)して、この(うら)()りね」 "すみよしかみみちびきたまふままには、はやふなでして、このうらりね。"
131.3.1311089 とのたまはす。いとうれしくて、 とのたまはす。いとうれしくて、
131.3.1411190 「かしこき御影(みかげ)(わか)れたてまつりにしこなた、さまざま(かな)しきことのみ(おほ)くはべれば、(いま)はこの(なぎさ)()をや()てはべりなまし」 "かしこきみかげわかれたてまつりにしこなた、さまざまかなしきことのみおほくはべれば、いまはこのなぎさをやてはべりなまし。"
131.3.1511291 ()こえたまへば、 こえたまへば、
131.3.1611392 「いとあるまじきこと。これは、ただいささかなる(もの)(むく)いなり。(われ)は、(くらゐ)()りし(とき)、あやまつことなかりしかど、おのづから(をか)しありければ、その(つみ)()ふるほど(いとま)なくて、この()(かへり)みざりつれど、いみじき(うれ)へに(しづ)むを()るに、()へがたくて、(うみ)()り、(なぎさ)(のぼ)り、いたく(こう)じにたれど、かかるついでに内裏(うち)(そう)すべきことのあるによりなむ、(いそ)(のぼ)りぬる」 "いとあるまじきこと。これは、ただいささかなるものむくいなり。われは、くらゐりしとき、あやまつことなかりしかど、おのづからをかしありければ、そのつみふるほどいとまなくて、このかへりみざりつれど、いみじきうれへにしづむをるに、へがたくて、うみり、なぎさのぼり、いたくこうじにたれど、かかるついでにうちそうすべきことのあるによりなん、いそのぼりぬる。"
131.3.1711493 とて、()()りたまひぬ。 とて、りたまひぬ。
131.3.1811594 ()かず(かな)しくて、「御供(おほんとも)(まゐ)りなむ」と()()りたまひて、見上(みあ)げたまへれば、(ひと)もなく、(つき)(かほ)のみきらきらとして、(ゆめ)心地(ここち)もせず、(おほん)けはひ()まれる心地(ここち)して、(そら)(くも)あはれにたなびけり。 かずかなしくて、"おほんともまゐりなん。"とりたまひて、みあげたまへれば、ひともなく、つきかほのみきらきらとして、ゆめここちもせず、おほんけはひまれるここちして、そらくもあはれにたなびけり。
131.3.1911695 (とし)ごろ、(ゆめ)のうちにも()たてまつらで、(こひ)しうおぼつかなき(おほん)さまを、ほのかなれど、さだかに()たてまつりつるのみ、面影(おもかげ)におぼえたまひて、「(わが)かく(かな)しびを(きは)め、命尽(いのちつ)きなむとしつるを、(たす)けに(かけ)りたまへる」と、あはれに(おぼ)すに、「よくぞかかる(さわ)ぎもありける」と、名残頼(なごりたの)もしう、うれしうおぼえたまふこと、(かぎ)りなし。 としごろ、ゆめのうちにもたてまつらで、こひしうおぼつかなきおほんさまを、ほのかなれど、さだかにたてまつりつるのみ、おもかげにおぼえたまひて、"わがかくかなしびをきはめ、いのちつきなんとしつるを、たすけにかけりたまへる。"と、あはれにおぼすに、"よくぞかかるさわぎもありける。"と、なごりたのもしう、うれしうおぼえたまふこと、かぎりなし。
131.3.2011796 (むね)つとふたがりて、なかなかなる御心惑(みこころまど)ひに、うつつの(かな)しきこともうち(わす)れ、「(ゆめ)にも御応(おほんいら)へを(いま)すこし()こえずなりぬること」といぶせさに、「またや()えたまふ」と、ことさらに寝入(ねい)りたまへど、さらに御目(おほんめ)()はで、暁方(あかつきがた)になりにけり。 むねつとふたがりて、なかなかなるみこころまどひに、うつつのかなしきこともうちわすれ、"ゆめにもおほんいらへをいますこしこえずなりぬること。"といぶせさに、"またやえたまふ。"と、ことさらにねいりたまへど、さらにおほんめはで、あかつきがたになりにけり。
131.411897第四段 明石入道の迎えの舟
131.4.111998 (なぎさ)(ちひ)さやかなる舟寄(ふねよ)せて、人二(ひとに)三人(さんにん)ばかり、この(たび)御宿(おほんやど)りをさして(まゐ)る。何人(なにびと)ならむと()へば、 なぎさちひさやかなるふねよせて、ひとにさんにんばかり、このたびおほんやどりをさしてまゐる。なにびとならんとへば、
131.4.212099 明石(あかし)(うら)より、(さき)守新発意(かみしぼち)の、御舟装(みふねよそ)ひて(まゐ)れるなり。源少納言(げんせうなごん)、さぶらひたまはば、対面(たいめん)してことの(こころ)とり(まう)さむ」 "あかしうらより、さきかみしぼちの、みふねよそひてまゐれるなり。げんせうなごん、さぶらひたまはば、たいめんしてことのこころとりまうさん。"
131.4.3121100 ()ふ。良清(よしきよ)、おどろきて、 ふ。よしきよ、おどろきて、
131.4.4122101 入道(にふだう)は、かの(くに)得意(とくい)にて、(とし)ごろあひ(かた)らひはべりつれど、(わたくし)に、いささかあひ(うら)むることはべりて、ことなる消息(せうそこ)をだに(かよ)はさで、(ひさ)しうなりはべりぬるを、(なみ)(まぎ)れに、いかなることかあらむ」 "にふだうは、かのくにとくいにて、としごろあひかたらひはべりつれど、わたくしに、いささかあひうらむることはべりて、ことなるせうそこをだにかよはさで、ひさしうなりはべりぬるを、なみまぎれに、いかなることかあらん。"
131.4.5123102 と、おぼめく。(きみ)の、御夢(おほんゆめ)なども(おぼ)()はすることもありて、「はや()へ」とのたまへば、(ふね)()きて()ひたり。「さばかり(はげ)しかりつる波風(なみかぜ)に、いつの()にか舟出(ふなで)しつらむ」と、心得(こころえ)がたく(おも)へり。 と、おぼめく。きみの、おほんゆめなどもおぼはすることもありて、"はやへ。"とのたまへば、ふねきてひたり。"さばかりはげしかりつるなみかぜに、いつのにかふなでしつらん。"と、こころえがたくおもへり。
131.4.6124103 ()ぬる朔日(ついたち)()(ゆめ)にさま(こと)なるものの()()らすることはべりしかば、(しん)じがたきことと(おも)うたまへしかど、『十三日(じふさんにち)にあらたなるしるし()せむ。舟装(ふねよそ)ひまうけて、かならず、雨風止(あめかぜや)まば、この(うら)にを()せよ』と、かねて(しめ)すことのはべりしかば、 "ぬるついたちゆめにさまことなるもののらすることはべりしかば、しんじがたきこととおもうたまへしかど、'じふさんにちにあらたなるしるしせん。ふねよそひまうけて、かならず、あめかぜやまば、このうらにをせよ。'と、かねてしめすことのはべりしかば、
131.4.7125104 (こころ)みに(ふね)(よそ)ひをまうけて()ちはべりしに、いかめしき(あめ)(かぜ)(いかづち)のおどろかしはべりつれば、(ひと)朝廷(みかど)にも、(ゆめ)(しん)じて(くに)(たす)くるたぐひ(おほ)うはべりけるを、(もち)ゐさせたまはぬまでも、このいましめの()()ぐさず、このよしを()(まう)しはべらむとて、舟出(ふねい)だしはべりつるに、あやしき風細(かぜほそ)()きて、この(うら)()きはべること、まことに(かみ)のしるべ(たが)はずなむ。ここにも、もししろしめすことやはべりつらむ、とてなむ。いと(はばか)(おほ)くはべれど、このよし、(まう)したまへ」 こころみにふねよそひをまうけてちはべりしに、いかめしきあめかぜいかづちのおどろかしはべりつれば、ひとみかどにも、ゆめしんじてくにたすくるたぐひおほうはべりけるを、もちゐさせたまはぬまでも、このいましめのぐさず、このよしをまうしはべらんとて、ふねいだしはべりつるに、あやしきかぜほそきて、このうらきはべること、まことにかみのしるべたがはずなん。ここにも、もししろしめすことやはべりつらん、とてなん。いとはばかおほくはべれど、このよし、まうしたまへ。"
131.4.8126105 ()ふ。良清(よしきよ)(しの)びやかに(つた)(まう)す。 ふ。よしきよしのびやかにつたまうす。
131.4.9127106 (きみ)(おぼ)しまはすに、(ゆめ)うつつさまざま(しづ)かならず、さとしのやうなることどもを、()方行(かたゆ)末思(すゑおぼ)()はせて、 きみおぼしまはすに、ゆめうつつさまざましづかならず、さとしのやうなることどもを、かたゆすゑおぼはせて、
131.4.10128107 ()(ひと)()(つた)へむ(のち)のそしりもやすからざるべきを(はばか)りて、まことの(かみ)(たす)けにもあらむを、(そむ)くものならば、またこれよりまさりて、人笑(ひとわら)はれなる()をや()む。うつつざまの(ひと)(こころ)だになほ(くる)し。はかなきことをもつつみて、(われ)より(よはひ)まさり、もしは位高(くらゐたか)く、時世(ときよ)()今一際(いまひときは)まさる(ひと)には、なびき(したが)ひて、その(こころ)むけをたどるべきものなりけり。退(しりぞ)きて(とが)なしとこそ、(むかし)、さかしき(ひと)()()きけれ。 "ひとつたへんのちのそしりもやすからざるべきをはばかりて、まことのかみたすけにもあらんを、そむくものならば、またこれよりまさりて、ひとわらはれなるをやん。うつつざまのひとこころだになほくるし。はかなきことをもつつみて、われよりよはひまさり、もしはくらゐたかく、ときよいまひときはまさるひとには、なびきしたがひて、そのこころむけをたどるべきものなりけり。しりぞきてとがなしとこそ、むかし、さかしきひときけれ。
131.4.11129108 げに、かく(いのち)(きは)め、()にまたなき()(かぎ)りを見尽(みつ)くしつ。さらに(のち)のあとの()をはぶくとても、たけきこともあらじ。(ゆめ)(なか)にも父帝(ちちみかど)御教(おほんをし)へありつれば、また(なに)ごとか(うたが)はむ」 げに、かくいのちきはめ、にまたなきかぎりをみつくしつ。さらにのちのあとのをはぶくとても、たけきこともあらじ。ゆめなかにもちちみかどおほんをしへありつれば、またなにごとかうたがはん。"
131.4.12130109 (おぼ)して、御返(おほんかへ)りのたまふ。 おぼして、おほんかへりのたまふ。
131.4.13131110 ()らぬ世界(せかい)に、めづらしき(うれ)への(かぎ)()つれど、(みやこ)(かた)よりとて、言問(ことと)ひおこする(ひと)もなし。ただ行方(ゆくへ)なき(そら)月日(つきひ)(ひかり)ばかりを、故郷(ふるさと)(とも)(なが)めはべるに、うれしき釣舟(つりぶね)をなむ。かの(うら)に、(しづ)やかに(かく)ろふべき(くま)はべりなむや」 "らぬせかいに、めづらしきうれへのかぎつれど、みやこかたよりとて、こととひおこするひともなし。ただゆくへなきそらつきひひかりばかりを、ふるさとともながめはべるに、うれしきつりぶねをなん。かのうらに、しづやかにかくろふべきくまはべりなんや。"
131.4.14132111 とのたまふ。(かぎ)りなくよろこび、かしこまり(まう)す。 とのたまふ。かぎりなくよろこび、かしこまりまうす。
131.4.15133113 「ともあれ、かくもあれ、()()()てぬ(さき)御舟(おほんふね)にたてまつれ」 "ともあれ、かくもあれ、てぬさきおほんふねにたてまつれ。"
131.4.16134114 とて、(れい)(した)しき(かぎ)り、()五人(ごにん)ばかりして、たてまつりぬ。 とて、れいしたしきかぎり、ごにんばかりして、たてまつりぬ。
131.4.17135115 (れい)風出(かぜい)()て、()ぶやうに明石(あかし)()きたまひぬ。ただはひ(わた)るほどに片時(かたとき)()といへど、なほあやしきまで()ゆる(かぜ)(こころ)なり。 れいかぜいて、ぶやうにあかしきたまひぬ。ただはひわたるほどにかたときといへど、なほあやしきまでゆるかぜこころなり。
132136116第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語
132.1137117第一段 明石入道の浜の館
132.1.1138118 (はま)のさま、げにいと(こころ)ことなり。(ひと)しげう()ゆるのみなむ、御願(おほんねが)ひに(そむ)きける。入道(にふだう)領占(りゃうじ)めたる所々(ところどころ)(うみ)のつらにも山隠(やまがく)れにも、時々(ときどき)につけて、(きょう)をさかすべき(なぎさ)苫屋(とまや)(おこ)なひをして(のち)()のことを(おも)()ましつべき山水(やまみづ)のつらに、いかめしき(だう)()てて三昧(さんまい)(おこ)なひ、この()のまうけに、(あき)()()()(をさ)め、(のこ)りの齢積(よはひつ)むべき(いね)倉町(くらまち)どもなど、折々(をりをり)(ところ)につけたる()どころありてし(あつ)めたり。 はまのさま、げにいとこころことなり。ひとしげうゆるのみなん、おほんねがひにそむきける。にふだうりゃうじめたるところどころうみのつらにもやまがくれにも、ときどきにつけて、きょうをさかすべきなぎさとまやおこなひをしてのちのことをおもましつべきやまみづのつらに、いかめしきだうててさんまいおこなひ、こののまうけに、あきをさめ、のこりのよはひつむべきいねくらまちどもなど、をりをりところにつけたるどころありてしあつめたり。
132.1.2139119 高潮(たかしほ)()ぢて、このころ、(むすめ)などは岡辺(をかべ)宿(やど)(うつ)して()ませければ、この(はま)(たち)(こころ)やすくおはします。 たかしほぢて、このころ、むすめなどはをかべやどうつしてませければ、このはまたちこころやすくおはします。
132.1.3140120 (ふね)より御車(おほんくるま)にたてまつり(うつ)るほど、()やうやうさし()がりて、ほのかに()たてまつるより、老忘(おいわす)れ、齢延(よはひの)ぶる心地(ここち)して、()みさかえて、まづ住吉(すみよし)(かみ)を、かつがつ(をが)みたてまつる。月日(つきひ)(ひかり)()()たてまつりたる心地(ここち)して、いとなみ(つか)うまつること、ことわりなり。 ふねよりおほんくるまにたてまつりうつるほど、やうやうさしがりて、ほのかにたてまつるより、おいわすれ、よはひのぶるここちして、みさかえて、まづすみよしかみを、かつがつをがみたてまつる。つきひひかりたてまつりたるここちして、いとなみつかうまつること、ことわりなり。
132.1.4141121 (ところ)のさまをばさらにも()はず、(つく)りなしたる(こころ)ばへ、木立(こだち)立石(たていし)前栽(せんさい)などのありさま、えも()はぬ入江(いりえ)(みづ)など、()()かば、(こころ)のいたり(すく)なからむ絵師(ゑし)()(およ)ぶまじと()ゆ。(つき)ごろの御住(おほんす)まひよりは、こよなくあきらかに、なつかしき。(おほん)しつらひなど、えならずして、()まひけるさまなど、げに(みやこ)のやむごとなき所々(ところどころ)(こと)ならず、(えん)にまばゆきさまは、まさりざまにぞ()ゆる。 ところのさまをばさらにもはず、つくりなしたるこころばへ、こだちたていしせんさいなどのありさま、えもはぬいりえみづなど、かば、こころのいたりすくなからんゑしおよぶまじとゆ。つきごろのおほんすまひよりは、こよなくあきらかに、なつかしき。おほんしつらひなど、えならずして、まひけるさまなど、げにみやこのやんごとなきところどころことならず、えんにまばゆきさまは、まさりざまにぞゆる。
132.2142122第二段 京への手紙
132.2.1143123 すこし御心静(みこころしづ)まりては、(きゃう)御文(おほんふみ)ども()こえたまふ。(まゐ)れりし使(つかひ)は、(いま)は、 すこしみこころしづまりては、きゃうおほんふみどもこえたまふ。まゐれりしつかひは、いまは、
132.2.2144124 「いみじき(みち)()()ちて(かな)しき()()る」 "いみじきみちちてかなしきる。"
132.2.3145125 ()(しづ)みて、あの須磨(すま)()まりたるを()して、()にあまれる(もの)ども(おほ)くたまひて(つか)はす。むつましき御祈(おほんいの)りの()ども、さるべき所々(ところどころ)には、このほどの(おほん)ありさま、(くは)しく()(つか)はすべし。 しづみて、あのすままりたるをして、にあまれるものどもおほくたまひてつかはす。むつましきおほんいのりのども、さるべきところどころには、このほどのおほんありさま、くはしくつかはすべし。
132.2.4146126 入道(にふだう)(みや)ばかりには、めづらかにてよみがへるさまなど()こえたまふ。二条院(にでうのゐん)のあはれなりしほどの御返(おほんかへ)りは、()きもやりたまはず、うち()きうち()き、おしのごひつつ()こえたまふ()けしき、なほことなり。 にふだうみやばかりには、めづらかにてよみがへるさまなどこえたまふ。にでうのゐんのあはれなりしほどのおほんかへりは、きもやりたまはず、うちきうちき、おしのごひつつこえたまふけしき、なほことなり。
132.2.5147127 (かへ)(がへ)すいみじき()(かぎ)りを()くし()てつるありさまなれば、(いま)はと()(おも)(はな)るる(こころ)のみまさりはべれど、『(かがみ)()ても』とのたまひし面影(おもかげ)(はな)るる()なきを、かくおぼつかなながらやと、ここら(かな)しきさまざまのうれはしさは、さしおかれて、 "かへがへすいみじきかぎりをくしてつるありさまなれば、いまはとおもはなるるこころのみまさりはべれど、'かがみても'とのたまひしおもかげはなるるなきを、かくおぼつかなながらやと、ここらかなしきさまざまのうれはしさは、さしおかれて、
132.2.6148128 (はる)かにも(おも)ひやるかな()らざりし<BR/>(うら)よりをちに浦伝(うらづた)ひして はるかにもおもひやるかならざりし<BR/>うらよりをちにうらづたひして
132.2.7149129 (ゆめ)のうちなる心地(ここち)のみして、()()てぬほど、いかにひがこと(おほ)からむ」 ゆめのうちなるここちのみして、てぬほど、いかにひがことおほからん。"
132.2.8150130 と、げに、そこはかとなく()(みだ)りたまへるしもぞ、いと()まほしき側目(そばめ)なるを、「いとこよなき御心(みこころ)ざしのほど」と、(ひと)びと()たてまつる。 と、げに、そこはかとなくみだりたまへるしもぞ、いとまほしきそばめなるを、"いとこよなきみこころざしのほど。"と、ひとびとたてまつる。
132.2.9151131 おのおの、故郷(ふるさと)心細(こころぼそ)げなる言伝(ことづ)てすべかめり。 おのおの、ふるさとこころぼそげなることづてすべかめり。
132.2.10152132 ()みなかりし(そら)のけしき、名残(なごり)なく()みわたりて、(あさり)する海人(あま)ども(ほこ)らしげなり。須磨(すま)はいと心細(こころぼそ)く、海人(あま)岩屋(いはや)もまれなりしを、(ひと)しげき(いと)ひはしたまひしかど、ここはまた、さまことにあはれなること(おほ)くて、よろづに(おぼ)(なぐさ)まる。 みなかりしそらのけしき、なごりなくみわたりて、あさりするあまどもほこらしげなり。すまはいとこころぼそく、あまいはやもまれなりしを、ひとしげきいとひはしたまひしかど、ここはまた、さまことにあはれなることおほくて、よろづにおぼなぐさまる。
132.3153133第三段 明石の入道とその娘
132.3.1154134 明石(あかし)入道(にふだう)(おこ)なひ(つと)めたるさま、いみじう(おも)()ましたるを、ただこの娘一人(むすめひとり)をもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、時々漏(ときどきも)らし(うれ)へきこゆ。 あかしにふだうおこなひつとめたるさま、いみじうおもましたるを、ただこのむすめひとりをもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、ときどきもらしうれへきこゆ。
132.3.2155135 御心地(みここち)にも、をかしと()きおきたまひし(ひと)なれば、「かくおぼえなくてめぐりおはしたるも、さるべき(ちぎ)りあるにや」と(おぼ)しながら、「なほ、かう()(しづ)めたるほどは、(おこ)なひより(ほか)のことは(おも)はじ。(みやこ)(ひと)も、ただなるよりは、()ひしに(たが)ふと(おぼ)さむも、心恥(こころは)づかしう」(おぼ)さるれば、けしきだちたまふことなし。 みここちにも、をかしときおきたまひしひとなれば、"かくおぼえなくてめぐりおはしたるも、さるべきちぎりあるにや。"とおぼしながら、"なほ、かうしづめたるほどは、おこなひよりほかのことはおもはじ。みやこひとも、ただなるよりは、ひしにたがふとおぼさんも、こころはづかしう"おぼさるれば、けしきだちたまふことなし。
132.3.3156136 ことに()れて、「(こころ)ばせ、ありさま、なべてならずもありけるかな」と、ゆかしう(おぼ)されぬにしもあらず。 ことにれて、"こころばせ、ありさま、なべてならずもありけるかな。"と、ゆかしうおぼされぬにしもあらず。
132.3.4157137 ここにはかしこまりて、みづからもをさをさ(まゐ)らず、もの(へだ)たりたる(しも)()にさぶらふ。さるは、()()()たてまつらまほしう、()かず(おも)ひきこえて、「(おも)(こころ)(かな)へむ」と、(ほとけ)(かみ)をいよいよ(ねん)じたてまつる。 ここにはかしこまりて、みづからもをさをさまゐらず、ものへだたりたるしもにさぶらふ。さるは、たてまつらまほしう、かずおもひきこえて、"おもこころかなへん。"と、ほとけかみをいよいよねんじたてまつる。
132.3.5158138 (とし)六十(ろくじふ)ばかりになりたれど、いときよげにあらまほしう、(おこ)なひさらぼひて、(ひと)のほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへのことをも()りて、ものきたなからず、よしづきたることも(まじ)れれば、昔物語(むかしものがたり)などせさせて()きたまふに、すこしつれづれの(まぎ)れなり。 としろくじふばかりになりたれど、いときよげにあらまほしう、おこなひさらぼひて、ひとのほどのあてはかなればにやあらん、うちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへのことをもりて、ものきたなからず、よしづきたることもまじれれば、むかしものがたりなどせさせてきたまふに、すこしつれづれのまぎれなり。
132.3.6159139 (とし)ごろ、公私御暇(おほやけわたくしおほんいとま)なくて、さしも()()きたまはぬ()古事(ふること)どもくづし()でて、「かかる(ところ)をも(ひと)をも、()ざらましかば、さうざうしくや」とまで、(きょう)ありと(おぼ)すことも(まじ)る。 としごろ、おほやけわたくしおほんいとまなくて、さしもきたまはぬふることどもくづしでて、"かかるところをもひとをも、ざらましかば、さうざうしくや。"とまで、きょうありとおぼすこともまじる。
132.3.7160140 かうは()れきこゆれど、いと気高(けだか)心恥(こころは)づかしき(おほん)ありさまに、さこそ()ひしか、つつましうなりて、わが(おも)ふことは(こころ)のままにもえうち()できこえぬを、「(こころ)もとなう、口惜(くちを)し」と、母君(ははぎみ)()()はせて(なげ)く。 かうはれきこゆれど、いとけだかこころはづかしきおほんありさまに、さこそひしか、つつましうなりて、わがおもふことはこころのままにもえうちできこえぬを、"こころもとなう、くちをし。"と、ははぎみはせてなげく。
132.3.8161141 正身(さうじみ)は、「おしなべての(ひと)だに、めやすきは()えぬ世界(せかい)に、()にはかかる(ひと)もおはしけり」と()たてまつりしにつけて、()のほど()られて、いと(はる)かにぞ(おも)ひきこえける。(おや)たちのかく(おも)ひあつかふを()くにも、「()げなきことかな」と(おも)ふに、ただなるよりはものあはれなり。 さうじみは、"おしなべてのひとだに、めやすきはえぬせかいに、にはかかるひともおはしけり。"とたてまつりしにつけて、のほどられて、いとはるかにぞおもひきこえける。おやたちのかくおもひあつかふをくにも、"げなきことかな。"とおもふに、ただなるよりはものあはれなり。
132.4162142第四段 夏四月となる
132.4.1163143 四月(しがち)になりぬ。更衣(ころもがへ)御装束(おほんさうぞく)御帳(みちゃう)帷子(かたびら)など、よしあるさまにし()でつつ、よろづに(つか)うまつりいとなむを、「いとほしう、すずろなり」と(おぼ)せど、(ひと)ざまのあくまで(おも)()がりたるさまのあてなるに、(おぼ)しゆるして()たまふ。 しがちになりぬ。ころもがへおほんさうぞくみちゃうかたびらなど、よしあるさまにしでつつ、よろづにつかうまつりいとなむを、"いとほしう、すずろなり"とおぼせど、ひとざまのあくまでおもがりたるさまのあてなるに、おぼしゆるしてたまふ。
132.4.2164144 (きゃう)よりも、うちしきりたる(おほん)とぶらひども、たゆみなく(おほ)かり。のどやかなる夕月夜(ゆふづくよ)に、(うみ)上曇(うへくも)りなく()えわたれるも、()()れたまひし故郷(ふるさと)池水(いけみづ)(おも)ひまがへられたまふに、()はむかたなく(こひ)しきこと、何方(いづかた)となく行方(ゆくへ)なき心地(ここち)したまひて、ただ()(まへ)()やらるるは、淡路島(あはぢしま)なりけり。 きゃうよりも、うちしきりたるおほんとぶらひども、たゆみなくおほかり。のどやかなるゆふづくよに、うみうへくもりなくえわたれるも、れたまひしふるさといけみづおもひまがへられたまふに、はんかたなくこひしきこと、いづかたとなくゆくへなきここちしたまひて、ただまへやらるるは、あはぢしまなりけり。
132.4.3165145 「あはと、(はる)かに」などのたまひて、 "あはと、はるかに"などのたまひて、
132.4.4166146 「あはと()淡路(あはぢ)(しま)のあはれさへ<BR/>(のこ)るくまなく()める()(つき) "〔あはとあはぢしまのあはれさへ<BR/>のこるくまなくめるつき〕"
132.4.5167147 (ひさ)しう手触(てふ)れたまはぬ(きん)を、(ふくろ)より()()でたまひて、はかなくかき()らしたまへる(おほん)さまを、()たてまつる(ひと)もやすからず、あはれに(かな)しう(おも)ひあへり。 ひさしうてふれたまはぬきんを、ふくろよりでたまひて、はかなくかきらしたまへるおほんさまを、たてまつるひともやすからず、あはれにかなしうおもひあへり。
132.4.6168148 広陵(かうりゃう)」といふ()を、ある(かぎ)()きすましたまへるに、かの岡辺(をかべ)(いへ)も、(まつ)(ひび)(なみ)(おと)()ひて、(こころ)ばせある若人(わかうど)()にしみて(おも)ふべかめり。(なに)とも()きわくまじきこのもかのものしはふる(ひと)どもも、すずろはしくて、浜風(はまかぜ)をひきありく。 かうりゃう〕といふを、あるかぎきすましたまへるに、かのをかべいへも、まつひびなみおとひて、こころばせあるわかうどにしみておもふべかめり。なにともきわくまじきこのもかのものしはふるひとどもも、すずろはしくて、はまかぜをひきありく。
132.5169149第五段 源氏、入道と琴を合奏
132.5.1170150 入道(にふだう)もえ()へで、供養法(くやうほふ)たゆみて、(いそ)(まゐ)れり。 にふだうもえへで、くやうほふたゆみて、いそまゐれり。
132.5.2171151 「さらに、(そむ)きにし()(なか)()(かへ)(おも)()でぬべくはべり。(のち)()(ねが)ひはべる(ところ)のありさまも、(おも)うたまへやらるる()の、さまかな」 "さらに、そむきにしなかかへおもでぬべくはべり。のちねがひはべるところのありさまも、おもうたまへやらるるの、さまかな。"
132.5.3172152 ()()く、めできこゆ。 く、めできこゆ。
132.5.4173153 わが御心(みこころ)にも、折々(をりをり)御遊(おほんあそ)び、その(ひと)かの(ひと)琴笛(ことふえ)、もしは(こゑ)()でしさまに、時々(ときどき)につけて、()にめでられたまひしありさま、(みかど)よりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、(ひと)(うへ)もわが御身(おほんみ)のありさまも、(おぼ)()でられて、(ゆめ)心地(ここち)したまふままに、かき()らしたまへる(こゑ)も、(こころ)すごく()こゆ。 わがみこころにも、をりをりおほんあそび、そのひとかのひとことふえ、もしはこゑでしさまに、ときどきにつけて、にめでられたまひしありさま、みかどよりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを、ひとうへもわがおほんみのありさまも、おぼでられて、ゆめここちしたまふままに、かきらしたまへるこゑも、こころすごくこゆ。
132.5.5174154 古人(ふるひと)(なみだ)もとどめあへず、岡辺(をかべ)に、琵琶(びわ)(しゃう)琴取(ことと)りにやりて、入道(にふだう)琵琶(びわ)法師(ほふし)になりて、いとをかしう(めづら)しき手一(てひと)(ふた)()きたり。 ふるひとなみだもとどめあへず、をかべに、びわしゃうこととりにやりて、にふだうびわほふしになりて、いとをかしうめづらしきてひとふたきたり。
132.5.6175155 (しゃう)御琴参(おほんことまゐ)りたれば、(すこ)()きたまふも、さまざまいみじうのみ(おも)ひきこえたり。いと、さしも()こえぬ(もの)()だに、(をり)からこそはまさるものなるを、はるばると(もの)のとどこほりなき(うみ)づらなるに、なかなか、春秋(はるあき)花紅葉(はなもみぢ)(さか)りなるよりは、ただそこはかとなう(しげ)れる(かげ)ども、なまめかしきに、水鶏(くひな)のうちたたきたるは、「()(かど)さして」と、あはれにおぼゆ。 しゃうおほんことまゐりたれば、すこきたまふも、さまざまいみじうのみおもひきこえたり。いと、さしもこえぬものだに、をりからこそはまさるものなるを、はるばるともののとどこほりなきうみづらなるに、なかなか、はるあきはなもみぢさかりなるよりは、ただそこはかとなうしげれるかげども、なまめかしきに、くひなのうちたたきたるは、"かどさして"と、あはれにおぼゆ。
132.5.7176156 ()もいと()なう()づる(こと)どもを、いとなつかしう()()らしたるも、御心(みこころ)とまりて、 もいとなうづることどもを、いとなつかしうらしたるも、みこころとまりて、
132.5.8177157 「これは、(をんな)のなつかしきさまにてしどけなう()きたるこそ、をかしけれ」 "これは、をんなのなつかしきさまにてしどけなうきたるこそ、をかしけれ。"
132.5.9178158 と、おほかたにのたまふを、入道(にふだう)はあいなくうち()みて、 と、おほかたにのたまふを、にふだうはあいなくうちみて、
132.5.10179159 「あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらむ。なにがし、延喜(えんぎ)御手(おほんて)より()(つた)へたること、四代(しだい)になむなりはべりぬるを、かうつたなき()にて、この()のことは()(わす)れはべりぬるを、もののせちにいぶせき折々(をりをり)は、かき()らしはべりしを、あやしう、まねぶ(もの)のはべるこそ、自然(じねん)にかの先大王(せんだいわう)御手(おほんて)(かよ)ひてはべれ。山伏(やまぶし)のひが(みみ)に、松風(まつかぜ)()きわたしはべるにやあらむ。いかで、これも(しの)びて()こしめさせてしがな」 "あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらん。なにがし、えんぎおほんてよりつたへたること、しだいになんなりはべりぬるを、かうつたなきにて、こののことはわすれはべりぬるを、もののせちにいぶせきをりをりは、かきらしはべりしを、あやしう、まねぶもののはべるこそ、じねんにかのせんだいわうおほんてかよひてはべれ。やまぶしのひがみみに、まつかぜきわたしはべるにやあらん。いかで、これもしのびてこしめさせてしがな。"
132.5.11180160 ()こゆるままに、うちわななきて、涙落(なみだお)とすべかめり。 こゆるままに、うちわななきて、なみだおとすべかめり。
132.5.12181161 (きみ) きみ
132.5.13182162 (こと)(こと)とも()きたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな」 "ことことともきたまふまじかりけるあたりに、ねたきわざかな。"
132.5.14183163 とて、()しやりたまふに、 とて、しやりたまふに、
132.5.15184164 「あやしう、(むかし)より(しゃう)は、(をんな)なむ()()るものなりける。嵯峨(さが)御伝(おほんつた)へにて、女五(をんなご)(みや)、さる()(なか)上手(じゃうず)にものしたまひけるを、その御筋(おほんすぢ)にて、()()てて(つた)ふる(ひと)なし。すべて、ただ今世(いま)()()れる(ひと)びと、()()での(こころ)やりばかりにのみあるを、ここにかう()きこめたまへりける、いと(きょう)ありけることかな。いかでかは、()くべき」 "あやしう、むかしよりしゃうは、をんななんるものなりける。さがおほんつたへにて、をんなごみや、さるなかじゃうずにものしたまひけるを、そのおほんすぢにて、ててつたふるひとなし。すべて、ただいまれるひとびと、でのこころやりばかりにのみあるを、ここにかうきこめたまへりける、いときょうありけることかな。いかでかは、くべき。"
132.5.16185165 とのたまふ。 とのたまふ。
132.5.17186166 ()こしめさむには、(なに)(はばか)りかはべらむ。御前(おまへ)()しても。商人(あきうど)(なか)にてだにこそ、古琴聞(ふることき)きはやす(ひと)は、はべりけれ。琵琶(びわ)なむ、まことの()()きしづむる(ひと)、いにしへも(かた)うはべりしを、をさをさとどこほることなうなつかしき()など、(すぢ)ことになむ。いかでたどるにかはべらむ。(あら)(なみ)(こゑ)(まじ)るは、(かな)しくも(おも)うたまへられながら、かき()むるもの(なげ)かしさ、(まぎ)るる折々(をりをり)もはべり」 "こしめさんには、なにはばかりかはべらん。おまへしても。あきうどなかにてだにこそ、ふることききはやすひとは、はべりけれ。びわなん、まことのきしづむるひと、いにしへもかたうはべりしを、をさをさとどこほることなうなつかしきなど、すぢことになん。いかでたどるにかはべらん。あらなみこゑまじるは、かなしくもおもうたまへられながら、かきむるものなげかしさ、まぎるるをりをりもはべり。"
132.5.18187167 など()きゐたれば、をかしと(おぼ)して、(しゃう)琴取(ことと)()へて(たま)はせたり。 などきゐたれば、をかしとおぼして、しゃうこととへてたまはせたり。
132.5.19188168 げに、いとすぐしてかい()きたり。(いま)()()こえぬ筋弾(すぢひ)きつけて、()づかひいといたう(から)めき、ゆの音深(ねふか)()ましたり。「伊勢(いせ)(うみ)」ならねど、「(きよ)(なぎさ)(かひ)(ひろ)はむ」など、(こゑ)よき(ひと)(うた)はせて、(われ)時々拍子(ときどきひゃうし)とりて、(こゑ)うち()へたまふを、琴弾(ことひ)きさしつつ、めできこゆ。(おほん)くだものなど、めづらしきさまにて(まゐ)らせ、(ひと)びとに酒強(さけし)ひそしなどして、おのづからもの(わす)れしぬべき()のさまなり。 げに、いとすぐしてかいきたり。いまこえぬすぢひきつけて、づかひいといたうからめき、ゆのねふかましたり。"いせうみ"ならねど、"きよなぎさかひひろはん"など、こゑよきひとうたはせて、われときどきひゃうしとりて、こゑうちへたまふを、ことひきさしつつ、めできこゆ。おほんくだものなど、めづらしきさまにてまゐらせ、ひとびとにさけしひそしなどして、おのづからものわすれしぬべきのさまなり。
132.6189169第六段 入道の問わず語り
132.6.1190170 いたく()けゆくままに、浜風涼(はまかぜすず)しうて、(つき)()(がた)になるままに、()みまさり、(しづ)かなるほどに、御物語残(おほんものがたりのこ)りなく()こえて、この(うら)()みはじめしほどの(こころ)づかひ、(のち)()(つと)むるさま、かきくづし()こえて、この(むすめ)のありさま、()はず(がた)りに()こゆ。をかしきものの、さすがにあはれと()きたまふ(ふし)もあり。 いたくけゆくままに、はまかぜすずしうて、つきがたになるままに、みまさり、しづかなるほどに、おほんものがたりのこりなくこえて、このうらみはじめしほどのこころづかひ、のちつとむるさま、かきくづしこえて、このむすめのありさま、はずがたりにこゆ。をかしきものの、さすがにあはれときたまふふしもあり。
132.6.2191171 「いと()(まう)しがたきことなれど、わが(きみ)、かうおぼえなき世界(せかい)に、(かり)にても、(うつ)ろひおはしましたるは、もし、(とし)ごろ老法師(おいほふし)(いの)(まう)しはべる神仏(かみほとけ)のあはれびおはしまして、しばしのほど、御心(みこころ)をも(なや)ましたてまつるにやとなむ(おも)うたまふる。 "いとまうしがたきことなれど、わがきみ、かうおぼえなきせかいに、かりにても、うつろひおはしましたるは、もし、としごろおいほふしいのまうしはべるかみほとけのあはれびおはしまして、しばしのほど、みこころをもなやましたてまつるにやとなんおもうたまふる。
132.6.3192172 その(ゆゑ)は、住吉(すみよし)(かみ)(たの)みはじめたてまつりて、この十八年(じふはちねん)になりはべりぬ。()(わらは)いときなうはべりしより、(おも)(こころ)はべりて、(とし)ごとの春秋(はるあき)ごとに、かならずかの御社(みやしろ)(まゐ)ることなむはべる。昼夜(ひるよる)六時(ろくじ)(つと)めに、みづからの(はちす)(うへ)(ねが)ひをば、さるものにて、ただこの(ひと)(たか)本意叶(ほいかな)へたまへと、なむ(ねん)じはべる。 そのゆゑは、すみよしかみたのみはじめたてまつりて、このじふはちねんになりはべりぬ。わらはいときなうはべりしより、おもこころはべりて、としごとのはるあきごとに、かならずかのみやしろまゐることなんはべる。ひるよるろくじつとめに、みづからのはちすうへねがひをば、さるものにて、ただこのひとたかほいかなへたまへと、なんねんじはべる。
132.6.4193173 (さき)()(ちぎ)りつたなくてこそ、かく口惜(くちを)しき山賤(やまがつ)となりはべりけめ、(おや)大臣(だいじん)(くらゐ)(たも)ちたまへりき。みづからかく田舎(ゐなか)(たみ)となりにてはべり。次々(つぎつぎ)、さのみ(おと)りまからば、(なに)()にかなりはべらむと、(かな)しく(おも)ひはべるを、これは、(むま)れし(とき)より(たの)むところなむはべる。いかにして(みやこ)(たか)(ひと)にたてまつらむと(おも)(こころ)(ふか)きにより、ほどほどにつけて、あまたの(ひと)(そね)みを()ひ、()のためからき()()折々(をりをり)(おほ)くはべれど、さらに(くる)しみと(おも)ひはべらず。(いのち)(かぎ)りは(せば)(ころも)にもはぐくみはべりなむ。かくながら見捨(みす)てはべりなば、(なみ)のなかにも(まじ)()せね、となむ(おき)てはべる」 さきちぎりつたなくてこそ、かくくちをしきやまがつとなりはべりけめ、おやだいじんくらゐたもちたまへりき。みづからかくゐなかたみとなりにてはべり。つぎつぎ、さのみおとりまからば、なににかなりはべらんと、かなしくおもひはべるを、これは、むまれしときよりたのむところなんはべる。いかにしてみやこたかひとにたてまつらんとおもこころふかきにより、ほどほどにつけて、あまたのひとそねみをひ、のためからきをりをりおほくはべれど、さらにくるしみとおもひはべらず。いのちかぎりはせばころもにもはぐくみはべりなん。かくながらみすてはべりなば、なみのなかにもまじせね、となんおきてはべる。"
132.6.5194174 など、すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うち()きうち()()こゆ。 など、すべてまねぶべくもあらぬことどもを、うちきうちこゆ。
132.6.6195175 (きみ)も、ものをさまざま(おぼ)(つづ)くる(をり)からは、うち(なみだ)ぐみつつ()こしめす。 きみも、ものをさまざまおぼつづくるをりからは、うちなみだぐみつつこしめす。
132.6.7196176 (よこ)さまの(つみ)()たりて、(おも)ひかけぬ世界(せかい)にただよふも、(なに)(つみ)にかとおぼつかなく(おも)ひつる、今宵(こよひ)御物語(おほんものがたり)()()はすれば、げに(あさ)からぬ(さき)()(ちぎ)りにこそはと、あはれになむ。などかは、かくさだかに(おも)()りたまひけることを、(いま)までは()げたまはざりつらむ。都離(みやこはな)れし(とき)より、()(つね)なきもあぢきなう、(おこ)なひより(ほか)のことなくて月日(つきひ)()るに、(こころ)(みな)くづほれにけり。かかる(ひと)ものしたまふとは、ほの()きながら、いたづら(びと)をばゆゆしきものにこそ(おも)()てたまふらめと、(おも)()しつるを、さらば(みちび)きたまふべきにこそあなれ。心細(こころぼそ)一人寝(ひとりね)(なぐさ)めにも」 "よこさまのつみたりて、おもひかけぬせかいにただよふも、なにつみにかとおぼつかなくおもひつる、こよひおほんものがたりはすれば、げにあさからぬさきちぎりにこそはと、あはれになん。などかは、かくさだかにおもりたまひけることを、いままではげたまはざりつらん。みやこはなれしときより、つねなきもあぢきなう、おこなひよりほかのことなくてつきひるに、こころみなくづほれにけり。かかるひとものしたまふとは、ほのきながら、いたづらびとをばゆゆしきものにこそおもてたまふらめと、おもしつるを、さらばみちびきたまふべきにこそあなれ。こころぼそひとりねなぐさめにも。"
132.6.8197178 などのたまふを、(かぎ)りなくうれしと(おも)へり。 などのたまふを、かぎりなくうれしとおもへり。
132.6.9198179 一人寝(ひとりね)(きみ)()りぬやつれづれと<BR/>(おも)()かしの(うら)さびしさを "〔ひとりねきみりぬやつれづれと<BR/>おもかしのうらさびしさを
132.6.10199180 まして年月思(としつきおも)ひたまへわたるいぶせさを、()(はか)らせたまへ」 ましてとしつきおもひたまへわたるいぶせさを、はからせたまへ。"
132.6.11200181 ()こゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆゑなからず。 こゆるけはひ、うちわななきたれど、さすがにゆゑなからず。
132.6.12201182 「されど、(うら)なれたまへらむ(ひと)は」とて、 "されど、うらなれたまへらんひとは。"とて、
132.6.13202183 旅衣(たびごろも)うら(がな)しさに()かしかね<BR/>(くさ)(まくら)(ゆめ)(むす)ばず」 "〔たびごろもうらがなしさにかしかね<BR/>くさまくらゆめむすばず〕
132.6.14203184 と、うち(みだ)れたまへる(おほん)さまは、いとぞ愛敬(あいぎゃう)づき、()ふよしなき(おほん)けはひなる。数知(かずし)らぬことども()こえ()くしたれど、うるさしや。ひがことどもに()きなしたれば、いとど、をこにかたくなしき入道(にふだう)(こころ)ばへも、あらはれぬべかめり。 と、うちみだれたまへるおほんさまは、いとぞあいぎゃうづき、ふよしなきおほんけはひなる。かずしらぬことどもこえくしたれど、うるさしや。ひがことどもにきなしたれば、いとど、をこにかたくなしきにふだうこころばへも、あらはれぬべかめり。
132.7204185第七段 明石の娘へ懸想文
132.7.1205186 (おも)ふこと、かつがつ(かな)ひぬる心地(ここち)して、(すず)しう(おも)ひゐたるに、またの()(ひる)(かた)岡辺(をかべ)御文(おほんふみ)つかはす。心恥(こころは)づかしきさまなめるも、なかなか、かかるものの(くま)にぞ、(おも)ひの(ほか)なることも()もるべかめると、(こころ)づかひしたまひて、高麗(こま)胡桃色(くるみいろ)(かみ)に、えならずひきつくろひて、 おもふこと、かつがつかなひぬるここちして、すずしうおもひゐたるに、またのひるかたをかべおほんふみつかはす。こころはづかしきさまなめるも、なかなか、かかるもののくまにぞ、おもひのほかなることももるべかめると、こころづかひしたまひて、こまくるみいろかみに、えならずひきつくろひて、
132.7.2206187 「をちこちも()らぬ雲居(くもゐ)(なが)めわび<BR/>かすめし宿(やど)(こずゑ)をぞ() "〔をちこちもらぬくもゐながめわび<BR/>かすめしやどこずゑをぞ
132.7.3207188 (おも)ふには』」 'おもふには'。"
132.7.4208189 とばかりやありけむ。 とばかりやありけん。
132.7.5209190 入道(にふだう)も、人知(ひとし)れず()ちきこゆとて、かの(いへ)()ゐたりけるもしるければ、御使(おほんつかひ)いとまばゆきまで()はす。 にふだうも、ひとしれずちきこゆとて、かのいへゐたりけるもしるければ、おほんつかひいとまばゆきまではす。
132.7.6210191 御返(おほんかへ)り、いと(ひさ)し。(うち)()りてそそのかせど、(むすめ)はさらに()かず。()づかしげなる御文(おほんふみ)のさまに、さし()でむ()つきも、()づかしうつつまし。(ひと)(おほん)ほど、わが()のほど(おも)ふに、こよなくて、心地悪(ここちあ)しとて()()しぬ。 おほんかへり、いとひさし。うちりてそそのかせど、むすめはさらにかず。づかしげなるおほんふみのさまに、さしでんつきも、づかしうつつまし。ひとおほんほど、わがのほどおもふに、こよなくて、ここちあしとてしぬ。
132.7.7211192 ()ひわびて、入道(にふだう)()く。 ひわびて、にふだうく。
132.7.8212193 「いとかしこきは、田舎(ゐなか)びてはべる(たもと)に、つつみあまりぬるにや。さらに()たまへも、(およ)びはべらぬかしこさになむ。さるは、 "いとかしこきは、ゐなかびてはべるたもとに、つつみあまりぬるにや。さらにたまへも、およびはべらぬかしこさになん。さるは、
132.7.9213194 (なが)むらむ(おな)雲居(くもゐ)(なが)むるは<BR/>(おも)ひも(おな)(おも)ひなるらむ ながむらんおなくもゐながむるは<BR/>おもひもおなおもひなるらん
132.7.10214195 となむ()たまふる。いと()()きしや」 となんたまふる。いときしや。"
132.7.11215196 ()こえたり。陸奥紙(みちのくがみ)に、いたう(ふる)めきたれど、()きざまよしばみたり。「げにも、()きたるかな」と、めざましう()たまふ。御使(おほんつかひ)に、なべてならぬ玉裳(たまも)などかづけたり。 こえたり。みちのくがみに、いたうふるめきたれど、きざまよしばみたり。"げにも、きたるかな。"と、めざましうたまふ。おほんつかひに、なべてならぬたまもなどかづけたり。
132.7.12216197 またの() またの
132.7.13217198 宣旨書(せんじが)きは、見知(みし)らずなむ」とて、 "せんじがきは、みしらずなん。"とて、
132.7.14218199 「いぶせくも(こころ)にものを(なや)むかな<BR/>やよやいかにと()(ひと)もなみ "〔いぶせくもこころにものをなやむかな<BR/>やよやいかにとひともなみ
132.7.15219200 ()ひがたみ』」 'ひがたみ'。"
132.7.16220201 と、このたびは、いといたうなよびたる薄様(うすやう)に、いとうつくしげに()きたまへり。(わか)(ひと)のめでざらむも、いとあまり(むも)れいたからむ。めでたしとは()れど、なずらひならぬ()のほどの、いみじうかひなければ、なかなか、()にあるものと、(たづ)()りたまふにつけて、(なみだ)ぐまれて、さらに(れい)(どう)なきを、せめて()はれて、(あさ)からず()めたる(むらさき)(かみ)に、(すみ)つき()(うす)(まぎ)らはして、 と、このたびは、いといたうなよびたるうすやうに、いとうつくしげにきたまへり。わかひとのめでざらんも、いとあまりむもれいたからん。めでたしとはれど、なずらひならぬのほどの、いみじうかひなければ、なかなか、にあるものと、たづりたまふにつけて、なみだぐまれて、さらにれいどうなきを、せめてはれて、あさからずめたるむらさきかみに、すみつきうすまぎらはして、
132.7.17221202 (おも)ふらむ(こころ)のほどややよいかに<BR/>まだ()(ひと)()きか(なや)まむ」 "〔おもふらんこころのほどややよいかに<BR/>まだひときかなやまん〕
132.7.18222203 ()のさま、()きたるさまなど、やむごとなき(ひと)にいたう(おと)るまじう、上衆(じゃうず)めきたり。 のさま、きたるさまなど、やんごとなきひとにいたうおとるまじう、じゃうずめきたり。
132.7.19223204 (きゃう)のことおぼえて、をかしと()たまへど、うちしきりて(つか)はさむも、人目(ひとめ)つつましければ、(ふつか)三日隔(みかへだ)てつつ、つれづれなる夕暮(ゆふぐ)れ、もしは、ものあはれなる(あけぼの)などやうに(まぎ)らはして、折々(をりをり)(おな)(こころ)見知(みし)りぬべきほど()(はか)りて、()()はしたまふに、()げなからず。 きゃうのことおぼえて、をかしとたまへど、うちしきりてつかはさんも、ひとめつつましければ、ふつかみかへだてつつ、つれづれなるゆふぐれ、もしは、ものあはれなるあけぼのなどやうにまぎらはして、をりをりおなこころみしりぬべきほどはかりて、はしたまふに、げなからず。
132.7.20224205 心深(こころふか)(おも)()がりたるけしきも、()ではやまじと(おぼ)すものから、良清(よしきよ)(らう)じて()ひしけしきもめざましう、(とし)ごろ(こころ)つけてあらむを、()(まへ)(おも)(たが)へむもいとほしう(おぼ)しめぐらされて、「人進(ひとすす)(まゐ)らば、さる(かた)にても、(まぎ)らはしてむ」と(おぼ)せど、(をんな)はた、なかなかやむごとなき(きは)(ひと)よりも、いたう(おも)()がりて、ねたげにもてなしきこえたれば、心比(こころくら)べにてぞ()ぎける。 こころふかおもがりたるけしきも、ではやまじとおぼすものから、よしきよらうじてひしけしきもめざましう、としごろこころつけてあらんを、まへおもたがへんもいとほしうおぼしめぐらされて、"ひとすすまゐらば、さるかたにても、まぎらはしてん。"とおぼせど、をんなはた、なかなかやんごとなききはひとよりも、いたうおもがりて、ねたげにもてなしきこえたれば、こころくらべにてぞぎける。
132.7.21225206 (きゃう)のことを、かく関隔(せきへだ)たりては、いよいよおぼつかなく(おも)ひきこえたまひて、「いかにせまし。たはぶれにくくもあるかな。(しの)びてや、(むか)へたてまつりてまし」と、(おぼ)(よわ)折々(をりをり)あれど、「さりとも、かくてやは、(とし)(かさ)ねむと、(いま)さらに人悪(ひとわ)ろきことをば」と、(おぼ)(しづ)めたり。 きゃうのことを、かくせきへだたりては、いよいよおぼつかなくおもひきこえたまひて、"いかにせまし。たはぶれにくくもあるかな。しのびてや、むかへたてまつりてまし。"と、おぼよわをりをりあれど、"さりとも、かくてやは、としかさねんと、いまさらにひとわろきことをば。"と、おぼしづめたり。
132.8226207第八段 都の天変地異
132.8.1227208 その(とし)朝廷(おほやけ)に、もののさとししきりて、もの(さわ)がしきこと(おほ)かり。三月十三日(やよひのじふさんにち)雷鳴(かみな)りひらめき、雨風騒(あめかぜさわ)がしき(よる)(みかど)御夢(おほんゆめ)に、(ゐん)(みかど)御前(おまへ)御階(みはし)のもとに()たせたまひて、()けしきいと()しうて、にらみきこえさせたまふを、かしこまりておはします。()こえさせたまふことも(おほ)かり。源氏(げんじ)御事(おほんこと)なりけむかし。 そのとしおほやけに、もののさとししきりて、ものさわがしきことおほかり。やよひのじふさんにちかみなりひらめき、あめかぜさわがしきよるみかどおほんゆめに、ゐんみかどおまへみはしのもとにたせたまひて、けしきいとしうて、にらみきこえさせたまふを、かしこまりておはします。こえさせたまふこともおほかり。げんじおほんことなりけんかし。
132.8.2228210 いと(おそ)ろしう、いとほしと(おぼ)して、(きさき)()こえさせたまひければ、 いとおそろしう、いとほしとおぼして、きさきこえさせたまひければ、
132.8.3229211 (あめ)など()り、空乱(そらみだ)れたる(よる)は、(おも)ひなしなることはさぞはべる。軽々(かろがろ)しきやうに、(おぼ)(おどろ)くまじきこと」 "あめなどり、そらみだれたるよるは、おもひなしなることはさぞはべる。かろがろしきやうに、おぼおどろくまじきこと。"
132.8.4230212 ()こえたまふ。 こえたまふ。
132.8.5231213 にらみたまひしに、目見合(めみあ)はせたまふと()しけにや、御目患(おほんめわづら)ひたまひて、()へがたう(なや)みたまふ。(おほん)つつしみ、内裏(うち)にも(みや)にも(かぎ)りなくせさせたまふ。 にらみたまひしに、めみあはせたまふとしけにや、おほんめわづらひたまひて、へがたうなやみたまふ。おほんつつしみ、うちにもみやにもかぎりなくせさせたまふ。
132.8.6232214 太政大臣亡(おほきおとどう)せたまひぬ。ことわりの御齢(おほんよはひ)なれど、次々(つぎつぎ)におのづから(さわ)がしきことあるに、大宮(おほみや)もそこはかとなう(わづら)ひたまひて、ほど()れば(よわ)りたまふやうなる、内裏(うち)(おぼ)(なげ)くこと、さまざまなり。 おほきおとどうせたまひぬ。ことわりのおほんよはひなれど、つぎつぎにおのづからさわがしきことあるに、おほみやもそこはかとなうわづらひたまひて、ほどればよわりたまふやうなる、うちおぼなげくこと、さまざまなり。
132.8.7233215 「なほ、この源氏(げんじ)(きみ)、まことに(をか)しなきにてかく(しづ)むならば、かならずこの(むく)いありなむとなむおぼえはべる。(いま)は、なほもとの(くらゐ)をも(たま)ひてむ」 "なほ、このげんじきみ、まことにをかしなきにてかくしづむならば、かならずこのむくいありなんとなんおぼえはべる。いまは、なほもとのくらゐをもたまひてん。"
132.8.8234216 とたびたび(おぼ)しのたまふを、 とたびたびおぼしのたまふを、
132.8.9235217 ()のもどき、軽々(かろがろ)しきやうなるべし。(つみ)()ぢて(みやこ)()りし(ひと)を、三年(さんねん)をだに()ぐさず(ゆる)されむことは、()(ひと)もいかが()(つた)へはべらむ」 "のもどき、かろがろしきやうなるべし。つみぢてみやこりしひとを、さんねんをだにぐさずゆるされんことは、ひともいかがつたへはべらん。"
132.8.10236218 など、(きさき)かたく(いさ)めたまふに、(おぼ)(はばか)るほどに月日(つきひ)かさなりて、御悩(おほんなや)みども、さまざまに(おも)りまさらせたまふ。 など、きさきかたくいさめたまふに、おぼはばかるほどにつきひかさなりて、おほんなやみども、さまざまにおもりまさらせたまふ。
133237219第三章 明石の君の物語 結婚の喜びと嘆きの物語
133.1238220第一段 明石の侘び住まい
133.1.1239221 明石(あかし)には、(れい)の、(あき)浜風(はまかぜ)のことなるに、一人寝(ひとりね)もまめやかにものわびしうて、入道(にふだう)にも折々語(をりをりかた)らはせたまふ。 あかしには、れいの、あきはまかぜのことなるに、ひとりねもまめやかにものわびしうて、にふだうにもをりをりかたらはせたまふ。
133.1.2240222 「とかく(まぎ)らはして、こち(まゐ)らせよ」 "とかくまぎらはして、こちまゐらせよ。"
133.1.3241223 とのたまひて、(わた)りたまはむことをばあるまじう(おぼ)したるを、正身(さうじみ)はた、さらに(おも)()つべくもあらず。 とのたまひて、わたりたまはんことをばあるまじうおぼしたるを、さうじみはた、さらにおもつべくもあらず。
133.1.4242224 「いと口惜(くちを)しき(きは)田舎人(ゐなかびと)こそ、(かり)(くだ)りたる(ひと)のうちとけ(ごと)につきて、さやうに(かろ)らかに(かた)らふわざをもすなれ、人数(ひとかず)にも(おぼ)されざらむものゆゑ、(われ)はいみじきもの(おも)ひをや()へむ。 "いとくちをしききはゐなかびとこそ、かりくだりたるひとのうちとけごとにつきて、さやうにかろらかにかたらふわざをもすなれ、ひとかずにもおぼされざらんものゆゑ、われはいみじきものおもひをやへん。
133.1.5243225 かく(およ)びなき(こころ)(おも)へる(おや)たちも、世籠(よご)もりて()ぐす年月(としつき)こそ、あいな(だの)みに、()末心(すゑこころ)にくく(おも)ふらめ、なかなかなる(こころ)をや()くさむ」と(おも)ひて、「ただこの(うら)におはせむほど、かかる御文(おほんふみ)ばかりを()こえかはさむこそ、おろかならね。(とし)ごろ(おと)にのみ()きて、いつかはさる(ひと)(おほん)ありさまをほのかにも()たてまつらむなど、(おも)ひかけざりし御住(おほんす)まひにて、まほならねどほのかにも()たてまつり、()になきものと()(つた)へし御琴(おほんこと)()をも(かぜ)につけて()き、()()れの(おほん)ありさまおぼつかなからで、かくまで()にあるものと(おぼ)(たづ)ぬるなどこそ、かかる海人(あま)のなかに()ちぬる()にあまることなれ」 かくおよびなきこころおもへるおやたちも、よごもりてぐすとしつきこそ、あいなだのみに、すゑこころにくくおもふらめ、なかなかなるこころをやくさん。"とおもひて、"ただこのうらにおはせんほど、かかるおほんふみばかりをこえかはさんこそ、おろかならね。としごろおとにのみきて、いつかはさるひとおほんありさまをほのかにもたてまつらんなど、おもひかけざりしおほんすまひにて、まほならねどほのかにもたてまつり、になきものとつたへしおほんことをもかぜにつけてき、れのおほんありさまおぼつかなからで、かくまでにあるものとおぼたづぬるなどこそ、かかるあまのなかにちぬるにあまることなれ。"
133.1.6244226 など(おも)ふに、いよいよ()づかしうて、つゆも気近(けぢか)きことは(おも)()らず。 などおもふに、いよいよづかしうて、つゆもけぢかきことはおもらず。
133.1.7245227 (おや)たちは、ここらの(とし)ごろの(いの)りの(かな)ふべきを(おも)ひながら、 おやたちは、ここらのとしごろのいのりのかなふべきをおもひながら、
133.1.8246228 「ゆくりかに()せたてまつりて、(おぼ)(かず)まへざらむ(とき)、いかなる(なげ)きをかせむ」 "ゆくりかにせたてまつりて、おぼかずまへざらんとき、いかなるなげきをかせん。"
133.1.9247229 (おも)ひやるに、ゆゆしくて、 おもひやるに、ゆゆしくて、
133.1.10248230 「めでたき(ひと)()こゆとも、つらういみじうもあるべきかな。()にも()えぬ(ほとけ)(かみ)(たの)みたてまつりて、(ひと)御心(みこころ)をも、宿世(すくせ)をも()らで」 "めでたきひとこゆとも、つらういみじうもあるべきかな。にもえぬほとけかみたのみたてまつりて、ひとみこころをも、すくせをもらで。"
133.1.11249231 など、うち(かへ)(おも)(みだ)れたり。(きみ)は、 など、うちかへおもみだれたり。きみは、
133.1.12250232 「このころの(なみ)(おと)に、かの(もの)()()かばや。さらずは、かひなくこそ」 "このころのなみおとに、かのものかばや。さらずは、かひなくこそ。"
133.1.13251233 など、(つね)はのたまふ。 など、つねはのたまふ。
133.2252234第二段 明石の君を初めて訪ねる
133.2.1253235 (しの)びて(よろ)しき日見(ひみ)て、母君(ははぎみ)のとかく(おも)ひわづらふを()()れず、弟子(でし)どもなどにだに()らせず、心一(こころひと)つに()ちゐ、かかやくばかりしつらひて、十三日(じふさんにち)(つき)のはなやかにさし()でたるに、ただ「あたら()の」と()こえたり。 しのびてよろしきひみて、ははぎみのとかくおもひわづらふをれず、でしどもなどにだにらせず、こころひとつにちゐ、かかやくばかりしつらひて、じふさんにちつきのはなやかにさしでたるに、ただ"あたらの"とこえたり。
133.2.2254237 (きみ)は、「()きのさまや」と(おぼ)せど、御直衣(おほんなほし)たてまつりひきつくろひて、夜更(よふ)かして()でたまふ。御車(みくるま)()なく(つく)りたれど、所狭(ところせ)しとて、御馬(おほんむま)にて()でたまふ。惟光(これみつ)などばかりをさぶらはせたまふ。やや(とほ)()(ところ)なりけり。(みち)のほども、四方(よも)浦々見(うらうらみ)わたしたまひて、(おも)ふどち()まほしき入江(いりえ)月影(つきかげ)にも、まづ(こひ)しき(ひと)(おほん)ことを(おも)()できこえたまふに、やがて馬引(むまひ)()ぎて、(おもむ)きぬべく(おぼ)す。 きみは、"きのさまや。"とおぼせど、おほんなほしたてまつりひきつくろひて、よふかしてでたまふ。みくるまなくつくりたれど、ところせしとて、おほんむまにてでたまふ。これみつなどばかりをさぶらはせたまふ。ややとほところなりけり。みちのほども、よもうらうらみわたしたまひて、おもふどちまほしきいりえつきかげにも、まづこひしきひとおほんことをおもできこえたまふに、やがてむまひぎて、おもむきぬべくおぼす。
133.2.3255238 (あき)()月毛(つきげ)(こま)()()ふる<BR/>雲居(くもゐ)(かけ)(とき)()()む」 "〔あきつきげこまふる<BR/>くもゐかけときん〕
133.2.4256239 と、うちひとりごたれたまふ。 と、うちひとりごたれたまふ。
133.2.5257240 (つく)れるさま、木深(こぶか)く、いたき(ところ)まさりて、()どころある()まひなり。(うみ)のつらはいかめしうおもしろく、これは心細(こころぼそ)()みたるさま、「ここにゐて、(おも)(のこ)すことはあらじ」と、(おぼ)しやらるるに、ものあはれなり。三昧堂近(さんまいだうちか)くて、(かね)(こゑ)松風(まつかぜ)(ひび)きあひて、もの(かな)しう、(いは)()ひたる(まつ)()ざしも、(こころ)ばへあるさまなり。前栽(せんさい)どもに(むし)(こゑ)()くしたり。ここかしこのありさまなど御覧(ごらん)ず。 つくれるさま、こぶかく、いたきところまさりて、どころあるまひなり。うみのつらはいかめしうおもしろく、これはこころぼそみたるさま、"ここにゐて、おものこすことはあらじ。"と、おぼしやらるるに、ものあはれなり。さんまいだうちかくて、かねこゑまつかぜひびきあひて、ものかなしう、いはひたるまつざしも、こころばへあるさまなり。せんさいどもにむしこゑくしたり。ここかしこのありさまなどごらんず。
133.2.6258241 娘住(むすめす)ませたる(かた)は、(こころ)ことに(みが)きて、月入(つきい)れたる真木(まき)戸口(とぐち)、けしきばかり()()けたり。 むすめすませたるかたは、こころことにみがきて、つきいれたるまきとぐち、けしきばかりけたり。
133.2.7259242 うちやすらひ、(なに)かとのたまふにも、「かうまでは()えたてまつらじ」と(ふか)(おも)ふに、もの(なげ)かしうて、うちとけぬ(こころ)ざまを、「こよなうも(ひと)めきたるかな。さしもあるまじき(きは)(ひと)だに、かばかり()()りぬれば、心強(こころづよ)うしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるに、あなづらはしきにや」とねたう、さまざまに(おぼ)(なや)めり。「(なさ)けなうおし()たむも、ことのさまに(たが)へり。心比(こころくら)べに()けむこそ、人悪(ひとわ)ろけれ」など、(みだ)(うら)みたまふさま、げにもの(おも)()らむ(ひと)にこそ()せまほしけれ。 うちやすらひ、なにかとのたまふにも、"かうまではえたてまつらじ。"とふかおもふに、ものなげかしうて、うちとけぬこころざまを、"こよなうもひとめきたるかな。さしもあるまじききはひとだに、かばかりりぬれば、こころづようしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるに、あなづらはしきにや。"とねたう、さまざまにおぼなやめり。"なさけなうおしたんも、ことのさまにたがへり。こころくらべにけんこそ、ひとわろけれ。"など、みだうらみたまふさま、げにものおもらんひとにこそせまほしけれ。
133.2.8260243 (ちか)几帳(きちゃう)(ひも)に、(さう)(こと)()()らされたるも、けはひしどけなく、うちとけながら()きまさぐりけるほど()えてをかしければ、 ちかきちゃうひもに、さうことらされたるも、けはひしどけなく、うちとけながらきまさぐりけるほどえてをかしければ、
133.2.9261244 「この、()きならしたる(こと)をさへや」 "この、きならしたることをさへや。"
133.2.10262245 など、よろづにのたまふ。 など、よろづにのたまふ。
133.2.11263246 「むつごとを(かた)りあはせむ(ひと)もがな<BR/>()()(ゆめ)もなかば()むやと」 "〔むつごとをかたりあはせんひともがな<BR/>ゆめもなかばむやと〕
133.2.12264247 ()けぬ()にやがて(まど)へる(こころ)には<BR/>いづれを(ゆめ)とわきて(かた)らむ」 "〔けぬにやがてまどへるこころには<BR/>いづれをゆめとわきてかたらん〕
133.2.13265248 ほのかなるけはひ、伊勢(いせ)御息所(みやすんどころ)にいとようおぼえたり。何心(なにごころ)もなくうちとけてゐたりけるを、かうものおぼえぬに、いとわりなくて、(ちか)かりける曹司(ざうし)(うち)()りて、いかで(かた)めけるにか、いと(つよ)きを、しひてもおし()ちたまはぬさまなり。されど、さのみもいかでかあらむ。 ほのかなるけはひ、いせみやすんどころにいとようおぼえたり。なにごころもなくうちとけてゐたりけるを、かうものおぼえぬに、いとわりなくて、ちかかりけるざうしうちりて、いかでかためけるにか、いとつよきを、しひてもおしちたまはぬさまなり。されど、さのみもいかでかあらん。
133.2.14266249 (ひと)ざま、いとあてに、そびえて、心恥(こころは)づかしきけはひぞしたる。かうあながちなりける(ちぎ)りを(おぼ)すにも、(あさ)からずあはれなり。御心(みこころ)ざしの、(ちか)まさりするなるべし、(つね)(いと)はしき(よる)(なが)さも、とく()けぬる心地(ここち)すれば、「(ひと)()られじ」と(おぼ)すも、(こころ)あわたたしうて、こまかに(かた)らひ()きて、()でたまひぬ。 ひとざま、いとあてに、そびえて、こころはづかしきけはひぞしたる。かうあながちなりけるちぎりをおぼすにも、あさからずあはれなり。みこころざしの、ちかまさりするなるべし、つねいとはしきよるながさも、とくけぬるここちすれば、"ひとられじ。"とおぼすも、こころあわたたしうて、こまかにかたらひきて、でたまひぬ。
133.2.15267250 御文(おほんふみ)、いと(しの)びてぞ今日(けふ)はある。あいなき御心(みこころ)(おに)なりや。ここにも、かかることいかで()らさじとつつみて、御使(おほんつかひ)ことことしうももてなさぬを、(むね)いたく(おも)へり。 おほんふみ、いとしのびてぞけふはある。あいなきみこころおになりや。ここにも、かかることいかでらさじとつつみて、おほんつかひことことしうももてなさぬを、むねいたくおもへり。
133.2.16268251 かくて(のち)は、(しの)びつつ時々(ときどき)おはす。「ほどもすこし(はな)れたるに、おのづからもの()ひさがなき海人(あま)()もや()ちまじらむ」と(おぼ)(はばか)るほどを、「さればよ」と(おも)(なげ)きたるを、「げに、いかならむ」と、入道(にふだう)極楽(ごくらく)(ねが)ひをば(わす)れて、ただこの()けしきを()つことにはす。(いま)さらに(こころ)(みだ)るも、いといとほしげなり。 かくてのちは、しのびつつときどきおはす。"ほどもすこしはなれたるに、おのづからものひさがなきあまもやちまじらん。"とおぼはばかるほどを、"さればよ。"とおもなげきたるを、"げに、いかならん。"と、にふだうごくらくねがひをばわすれて、ただこのけしきをつことにはす。いまさらにこころみだるも、いといとほしげなり。
133.3269252第三段 紫の君に手紙
133.3.1270253 二条(にでう)(きみ)の、(かぜ)のつてにも()()きたまはむことは、「たはぶれにても、(こころ)(へだ)てありけると、(おも)(うと)まれたてまつらむ、心苦(こころぐる)しう()づかしう」(おぼ)さるるも、あながちなる御心(みこころ)ざしのほどなりかし。「かかる(かた)のことをば、さすがに、(こころ)とどめて(うら)みたまへりし折々(をりをり)、などて、あやなきすさびごとにつけても、さ(おも)はれたてまつりけむ」など、()(かへ)さまほしう、(ひと)のありさまを()たまふにつけても、(こひ)しさの(なぐさ)(かた)なければ、(れい)よりも御文(おほんふみ)こまやかに()きたまひて、 にでうきみの、かぜのつてにもきたまはんことは、"たはぶれにても、こころへだてありけると、おもうとまれたてまつらん、こころぐるしうづかしう"おぼさるるも、あながちなるみこころざしのほどなりかし。"かかるかたのことをば、さすがに、こころとどめてうらみたまへりしをりをり、などて、あやなきすさびごとにつけても、さおもはれたてまつりけん。"など、かへさまほしう、ひとのありさまをたまふにつけても、こひしさのなぐさかたなければ、れいよりもおほんふみこまやかにきたまひて、
133.3.2271254 「まことや、(われ)ながら(こころ)より(ほか)なるなほざりごとにて、(うと)まれたてまつりし節々(ふしぶし)を、(おも)()づるさへ(むね)いたきに、また、あやしうものはかなき(ゆめ)をこそ()はべりしか。かう()こゆる()はず(がた)りに、(へだ)てなき(こころ)のほどは(おぼ)()はせよ。『(ちか)ひしことも』」など()きて、 "まことや、われながらこころよりほかなるなほざりごとにて、うとまれたてまつりしふしぶしを、おもづるさへむねいたきに、また、あやしうものはかなきゆめをこそはべりしか。かうこゆるはずがたりに、へだてなきこころのほどはおぼはせよ。'ちかひしことも'。"などきて、
133.3.3272255 何事(なにごと)につけても、 "なにごとにつけても、
133.3.4273256 しほしほとまづぞ()かるるかりそめの<BR/>みるめは海人(あま)のすさびなれども」 しほしほとまづぞかるるかりそめの<BR/>みるめはあまのすさびなれども〕
133.3.5274257 とある御返(おほんかへ)り、何心(なにごころ)なくらうたげに()きて、 とあるおほんかへり、なにごころなくらうたげにきて、
133.3.6275258 (しの)びかねたる御夢語(おほんゆめがた)りにつけても、(おも)()はせらるること(おほ)かるを、 "しのびかねたるおほんゆめがたりにつけても、おもはせらるることおほかるを、
133.3.7276259 うらなくも(おも)ひけるかな(ちぎ)りしを<BR/>(まつ)より(なみ)()えじものぞと」 うらなくもおもひけるかなちぎりしを<BR/>まつよりなみえじものぞと〕
133.3.8277260 おいらかなるものから、ただならずかすめたまへるを、いとあはれに、うち()きがたく()たまひて、名残久(なごりひさ)しう、(しの)びの旅寝(たびね)もしたまはず。 おいらかなるものから、ただならずかすめたまへるを、いとあはれに、うちきがたくたまひて、なごりひさしう、しのびのたびねもしたまはず。
133.4278261第四段 明石の君の嘆き
133.4.1279262 (をんな)(おも)ひしもしるきに、(いま)ぞまことに()()げつべき心地(ここち)する。 をんなおもひしもしるきに、いまぞまことにげつべきここちする。
133.4.2280263 ()末短(すゑみじか)げなる(おや)ばかりを(たの)もしきものにて、いつの()人並々(ひとなみなみ)になるべき()(おも)はざりしかど、ただそこはかとなくて()ぐしつる年月(としつき)は、(なに)ごとをか(こころ)をも(なや)ましけむ、かういみじうもの(おも)はしき()にこそありけれ」 "すゑみじかげなるおやばかりをたのもしきものにて、いつのひとなみなみになるべきおもはざりしかど、ただそこはかとなくてぐしつるとしつきは、なにごとをかこころをもなやましけん、かういみじうものおもはしきにこそありけれ。"
133.4.3281264 と、かねて()(はか)(おも)ひしよりも、よろづに(かな)しけれど、なだらかにもてなして、(にく)からぬさまに()えたてまつる。 と、かねてはかおもひしよりも、よろづにかなしけれど、なだらかにもてなして、にくからぬさまにえたてまつる。
133.4.4282265 あはれとは月日(つきひ)()へて(おぼ)しませど、やむごとなき(かた)の、おぼつかなくて年月(としつき)()ぐしたまひ、ただならずうち(おも)ひおこせたまふらむが、いと心苦(くる)しければ、(ひと)()しがちにて()ぐしたまふ。 あはれとはつきひへておぼしませど、やんごとなきかたの、おぼつかなくてとしつきぐしたまひ、ただならずうちおもひおこせたまふらんが、いとくるしければ、ひとしがちにてぐしたまふ。
133.4.5283266 ()をさまざま()(あつ)めて、(おも)ふことどもを()きつけ、(かへ)りこと()くべきさまにしなしたまへり。()(ひと)(こころ)()みぬべきもののさまなり。いかでか、(そら)(かよ)御心(みこころ)ならむ、二条(にでう)(きみ)も、ものあはれに(なぐさ)(かた)なくおぼえたまふ折々(をりをり)(おな)じやうに()()(あつ)めたまひつつ、やがて()(おほん)ありさま、日記(にき)のやうに()きたまへり。いかなるべき(おほん)さまどもにかあらむ。 をさまざまあつめて、おもふことどもをきつけ、かへりことくべきさまにしなしたまへり。ひとこころみぬべきもののさまなり。いかでか、そらかよみこころならん、にでうきみも、ものあはれになぐさかたなくおぼえたまふをりをりおなじやうにあつめたまひつつ、やがておほんありさま、にきのやうにきたまへり。いかなるべきおほんさまどもにかあらん。
134284267第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語
134.1285268第一段 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る
134.1.1286269 年変(としか)はりぬ。内裏(うち)御薬(おほんくすり)のことありて、()(なか)さまざまにののしる。当代(たうだい)御子(みこ)は、右大臣(うだいじん)(むすめ)承香殿(しょうきゃうでん)女御(にょうご)御腹(おほんはら)男御子生(をとこみこむ)まれたまへる、(ふた)つになりたまへば、いといはけなし。春宮(とうぐう)にこそは(ゆづ)りきこえたまはめ。朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)をし、()をまつりごつべき(ひと)(おぼ)しめぐらすに、この源氏(げんじ)のかく(しづ)みたまふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、つひに(きさき)御諌(おほんいさ)めを(そむ)きて、(ゆる)されたまふべき(さだ)()()ぬ。 としかはりぬ。うちおほんくすりのことありて、なかさまざまにののしる。たうだいみこは、うだいじんむすめしょうきゃうでんにょうごおほんはらをとこみこむまれたまへる、ふたつになりたまへば、いといはけなし。とうぐうにこそはゆづりきこえたまはめ。おほやけおほんうしろみをし、をまつりごつべきひとおぼしめぐらすに、このげんじのかくしづみたまふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、つひにきさきおほんいさめをそむきて、ゆるされたまふべきさだぬ。
134.1.2287270 去年(こぞ)より、(きさき)(おほん)もののけ(なや)みたまひ、さまざまのもののさとししきり、(さわ)がしきを、いみじき(おほん)つつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目(おほんめ)(なや)みさへ、このころ(おも)くならせたまひて、もの心細(こころぼそ)(おぼ)されければ、七月二十余日(しちがちにじふよにち)のほどに、また(かさ)ねて、(きゃう)(かへ)りたまふべき宣旨下(せんじくだ)る。 こぞより、きさきおほんもののけなやみたまひ、さまざまのもののさとししきり、さわがしきを、いみじきおほんつつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましけるおほんめなやみさへ、このころおもくならせたまひて、ものこころぼそおぼされければ、しちがちにじふよにちのほどに、またかさねて、きゃうかへりたまふべきせんじくだる。
134.1.3288271 つひのことと(おも)ひしかど、()(つね)なきにつけても、「いかになり()つべきにか」と(なげ)きたまふを、かうにはかなれば、うれしきに()へても、また、この(うら)(いま)はと(おも)(はな)れむことを(おぼ)(なげ)くに、入道(にふだう)、さるべきことと(おも)ひながら、うち()くより(むね)ふたがりておぼゆれど、「(おも)ひのごと(さか)えたまはばこそは、()(おも)ひの(かな)ふにはあらめ」など、(おも)(なほ)す。 つひのこととおもひしかど、つねなきにつけても、"いかになりつべきにか。"となげきたまふを、かうにはかなれば、うれしきにへても、また、このうらいまはとおもはなれんことをおぼなげくに、にふだう、さるべきこととおもひながら、うちくよりむねふたがりておぼゆれど、"おもひのごとさかえたまはばこそは、おもひのかなふにはあらめ。"など、おもなほす。
134.2289272第二段 明石の君の懐妊
134.2.1290273 そのころは、夜離(よが)れなく(かた)らひたまふ。六月(ろくがち)ばかりより心苦(こころぐる)しきけしきありて(なや)みけり。かく(わか)れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれに(おぼ)して、「あやしうもの(おも)ふべき()にもありけるかな」と(おぼ)(みだ)る。 そのころは、よがれなくかたらひたまふ。ろくがちばかりよりこころぐるしきけしきありてなやみけり。かくわかれたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけん、ありしよりもあはれにおぼして、"あやしうものおもふべきにもありけるかな。"とおぼみだる。
134.2.2291274 (をんな)は、さらにも()はず(おも)(しづ)みたり。いとことわりなりや。(おも)ひの(ほか)(かな)しき(みち)()()ちたまひしかど、「つひには()きめぐり()なむ」と、かつは(おぼ)(なぐさ)めき。 をんなは、さらにもはずおもしづみたり。いとことわりなりや。おもひのほかかなしきみちちたまひしかど、"つひにはきめぐりなん。"と、かつはおぼなぐさめき。
134.2.3292275 このたびはうれしき(かた)御出(おほんい)()ちの、「またやは(かへ)()るべき」と(おぼ)すに、あはれなり。 このたびはうれしきかたおほんいちの、"またやはかへるべき。"とおぼすに、あはれなり。
134.2.4293276 さぶらふ(ひと)びと、ほどほどにつけてはよろこび(おも)ふ。(きゃう)よりも御迎(おほんむか)へに(ひと)びと(まゐ)り、心地(ここち)よげなるを、主人(あるじ)入道(にふだう)(なみだ)にくれて、(つき)()ちぬ。 さぶらふひとびと、ほどほどにつけてはよろこびおもふ。きゃうよりもおほんむかへにひとびとまゐり、ここちよげなるを、あるじにふだうなみだにくれて、つきちぬ。
134.2.5294277 ほどさへあはれなる(そら)のけしきに、「なぞや、(こころ)づから(いま)(むかし)も、すずろなることにて()をはふらかすらむ」と、さまざまに(おぼ)(みだ)れたるを、心知(こころし)れる(ひと)びとは、 ほどさへあはれなるそらのけしきに、"なぞや、こころづからいまむかしも、すずろなることにてをはふらかすらん。"と、さまざまにおぼみだれたるを、こころしれるひとびとは、
134.2.6295278 「あな(にく)(れい)御癖(おほんくせ)ぞ」 "あなにくれいおほんくせぞ。"
134.2.7296279 と、()たてまつりむつかるめり。 と、たてまつりむつかるめり。
134.2.8297280 (つき)ごろは、つゆ(ひと)にけしき()せず、時々(ときどき)はひ(まぎ)れなどしたまへるつれなさを」 "つきごろは、つゆひとにけしきせず、ときどきはひまぎれなどしたまへるつれなさを。"
134.2.9298281 「このころ、あやにくに、なかなかの、(ひと)(こころ)づくしにか」 "このころ、あやにくに、なかなかの、ひとこころづくしにか。"
134.2.10299282 と、つきしろふ。少納言(せうなごん)、しるべして()こえ()でし(はじ)めのことなど、ささめきあへるを、ただならず(おも)へり。 と、つきしろふ。せうなごん、しるべしてこえでしはじめのことなど、ささめきあへるを、ただならずおもへり。
134.3300283第三段 離別間近の日
134.3.1301284 明後日(あさて)ばかりになりて、(れい)のやうにいたくも()かさで(わた)りたまへり。さやかにもまだ()たまはぬ容貌(かたち)など、「いとよしよししう、気高(けだか)きさまして、めざましうもありけるかな」と、見捨(みす)てがたく口惜(くちを)しう(おぼ)さる。「さるべきさまにして(むか)へむ」と(おぼ)しなりぬ。さやうにぞ(かた)らひ(なぐさ)めたまふ。 あさてばかりになりて、れいのやうにいたくもかさでわたりたまへり。さやかにもまだたまはぬかたちなど、"いとよしよししう、けだかきさまして、めざましうもありけるかな。"と、みすてがたくくちをしうおぼさる。"さるべきさまにしてむかへん。"とおぼしなりぬ。さやうにぞかたらひなぐさめたまふ。
134.3.2302285 (をとこ)御容貌(おほんかたち)、ありさまはた、さらにも()はず。(とし)ごろの御行(おほんおこ)なひにいたく面痩(おもや)せたまへるしも、()(かた)なくめでたき(おほん)ありさまにて、心苦(こころぐる)しげなるけしきにうち(なみだ)ぐみつつ、あはれ(ふか)(ちぎ)りたまへるは、「ただかばかりを、(さいは)ひにても、などか()まざらむ」とまでぞ()ゆめれど、めでたきにしも、()()のほどを(おも)ふも、()きせず。(なみ)(こゑ)(あき)(かぜ)には、なほ(ひび)きことなり。塩焼(しほや)(けぶり)かすかにたなびきて、とりあつめたる(ところ)のさまなり。 をとこおほんかたち、ありさまはた、さらにもはず。としごろのおほんおこなひにいたくおもやせたまへるしも、かたなくめでたきおほんありさまにて、こころぐるしげなるけしきにうちなみだぐみつつ、あはれふかちぎりたまへるは、"ただかばかりを、さいはひにても、などかまざらん。"とまでぞゆめれど、めでたきにしも、のほどをおもふも、きせず。なみこゑあきかぜには、なほひびきことなり。しほやけぶりかすかにたなびきて、とりあつめたるところのさまなり。
134.3.3303286 「このたびは()(わか)るとも藻塩焼(もしほや)く<BR/>(けぶり)(おな)(かた)になびかむ」 "〔このたびはわかるとももしほやく<BR/>けぶりおなかたになびかん〕
134.3.4304287 とのたまへば、 とのたまへば、
134.3.5305288 「かきつめて海人(あま)のたく()(おも)ひにも<BR/>(いま)はかひなき(うら)みだにせじ」 "〔かきつめてあまのたくおもひにも<BR/>いまはかひなきうらみだにせじ〕
134.3.6306289 あはれにうち()きて、言少(ことずく)ななるものから、さるべき(ふし)御応(おほんいら)へなど(あさ)からず()こゆ。この、(つね)にゆかしがりたまふ(もの)()など、さらに()かせたてまつらざりつるを、いみじう(うら)みたまふ。 あはれにうちきて、ことずくななるものから、さるべきふしおほんいらへなどあさからずこゆ。この、つねにゆかしがりたまふものなど、さらにかせたてまつらざりつるを、いみじううらみたまふ。
134.3.7307290 「さらば、形見(かたみ)にも(しの)ぶばかりの一琴(ひとこと)をだに」 "さらば、かたみにもしのぶばかりのひとことをだに。"
134.3.8308291 とのたまひて、(きゃう)より()ておはしたりし(きん)御琴取(おほんことと)りに(つか)はして、(こころ)ことなる調(しら)べをほのかにかき()らしたまへる、(ふか)(よる)()めるは、たとへむ(かた)なし。 とのたまひて、きゃうよりておはしたりしきんおほんこととりにつかはして、こころことなるしらべをほのかにかきらしたまへる、ふかよるめるは、たとへんかたなし。
134.3.9309292 入道(にふだう)、え()へで(さう)琴取(ことと)りてさし()れたり。みづからも、いとど(なみだ)さへそそのかされて、とどむべき(かた)なきに、(さそ)はるるなるべし、(しの)びやかに調(しら)べたるほど、いと上衆(じゃうず)めきたり。入道(にふだう)(みや)御琴(おほんこと)()を、ただ(いま)のまたなきものに(おも)ひきこえたるは、「(いま)めかしう、あなめでた」と、()(ひと)(こころ)ゆきて、容貌(かたち)さへ(おも)ひやらるることは、げに、いと(かぎ)りなき御琴(おほんこと)()なり。 にふだう、えへでさうこととりてさしれたり。みづからも、いとどなみださへそそのかされて、とどむべきかたなきに、さそはるるなるべし、しのびやかにしらべたるほど、いとじゃうずめきたり。にふだうみやおほんことを、ただいまのまたなきものにおもひきこえたるは、"いまめかしう、あなめでた。"と、ひとこころゆきて、かたちさへおもひやらるることは、げに、いとかぎりなきおほんことなり。
134.3.10310293 これはあくまで()()まし、(こころ)にくくねたき()ぞまされる。この御心(みこころ)にだに、(はじ)めてあはれになつかしう、まだ(みみ)なれたまはぬ()など、(こころ)やましきほどに()きさしつつ、()かず(おぼ)さるるにも、「(つき)ごろ、など()ひても、()きならさざりつらむ」と、(くや)しう(おぼ)さる。(こころ)(かぎ)()(さき)(ちぎ)りをのみしたまふ。 これはあくまでまし、こころにくくねたきぞまされる。このみこころにだに、はじめてあはれになつかしう、まだみみなれたまはぬなど、こころやましきほどにきさしつつ、かずおぼさるるにも、"つきごろ、などひても、きならさざりつらん。"と、くやしうおぼさる。こころかぎさきちぎりをのみしたまふ。
134.3.11311294 (きん)は、また()()はするまでの形見(かたみ)に」 "きんは、またはするまでのかたみに。"
134.3.12312295 とのたまふ。(をんな) とのたまふ。をんな
134.3.13313296 「なほざりに(たの)()くめる(ひと)ことを<BR/>()きせぬ()にやかけて(しの)ばむ」 "〔なほざりにたのくめるひとことを<BR/>きせぬにやかけてしのばん〕
134.3.14314297 ()ふともなき(くち)すさびを、(うら)みたまひて、 ふともなきくちすさびを、うらみたまひて、
134.3.15315298 ()ふまでのかたみに(ちぎ)(なか)()の<BR/>調(しら)べはことに()はらざらなむ "〔ふまでのかたみにちぎなかの<BR/>しらべはことにはらざらなん
134.3.16316299 この音違(ねたが)はぬさきにかならずあひ()む」 このねたがはぬさきにかならずあひん。"
134.3.17317300 (たの)めたまふめり。されど、ただ(わか)れむほどのわりなさを(おも)()せたるも、いとことわりなり。 たのめたまふめり。されど、ただわかれんほどのわりなさをおもせたるも、いとことわりなり。
134.4318301第四段 離別の朝
134.4.1319302 ()ちたまふ(あかつき)は、夜深(よぶか)()でたまひて、御迎(おほんむか)への(ひと)びとも(さわ)がしければ、(こころ)(そら)なれど、(ひと)まをはからひて、 ちたまふあかつきは、よぶかでたまひて、おほんむかへのひとびともさわがしければ、こころそらなれど、ひとまをはからひて、
134.4.2320303 「うち()てて()つも(かな)しき浦波(うらなみ)の<BR/>名残(なごり)いかにと(おも)ひやるかな」 "〔うちててつもかなしきうらなみの<BR/>なごりいかにとおもひやるかな〕
134.4.3321304 御返(おほんかへ)り、 おほんかへり、
134.4.4322305 年経(としへ)つる苫屋(とまや)()れて()(なみ)の<BR/>(かへ)(かた)にや()をたぐへまし」 "〔としへつるとまやれてなみの<BR/>かへかたにやをたぐへまし〕
134.4.5323306 と、うち(おも)ひけるままなるを()たまふに、(しの)びたまへど、ほろほろとこぼれぬ。心知(こころし)らぬ(ひと)びとは、 と、うちおもひけるままなるをたまふに、しのびたまへど、ほろほろとこぼれぬ。こころしらぬひとびとは、
134.4.6324307 「なほかかる御住(おほんす)まひなれど、(とし)ごろといふばかり()れたまへるを、(いま)はと(おぼ)すは、さもあることぞかし」 "なほかかるおほんすまひなれど、としごろといふばかりれたまへるを、いまはとおぼすは、さもあることぞかし。"
134.4.7325308 など()たてまつる。 などたてまつる。
134.4.8326309 良清(よしきよ)などは、「おろかならず(おぼ)すなめりかし」と、(にく)くぞ(おも)ふ。 よしきよなどは、"おろかならずおぼすなめりかし。"と、にくくぞおもふ。
134.4.9327310 うれしきにも、「げに、今日(けふ)(かぎ)りに、この(なぎさ)(わか)るること」などあはれがりて、口々(くちぐち)しほたれ()ひあへることどもあめり。されど、(なに)かはとてなむ。 うれしきにも、"げに、けふかぎりに、このなぎさわかるること"などあはれがりて、くちぐちしほたれひあへることどもあめり。されど、なにかはとてなん。
134.4.10328311 入道(にふだう)今日(けふ)(おほん)まうけ、いといかめしう(つか)うまつれり。(ひと)びと、(しも)(しな)まで、(たび)装束(さうぞく)めづらしきさまなり。いつの()にかしあへけむと()えたり。(おほん)よそひは()ふべくもあらず。御衣櫃(みぞびつ)あまたかけさぶらはす。まことの(みやこ)(つと)にしつべき御贈(おほんおく)(もの)ども、ゆゑづきて、(おも)()らぬ(くま)なし。今日(けふ)たてまつるべき(かり)御装束(おほんさうぞく)に、 にふだうけふおほんまうけ、いといかめしうつかうまつれり。ひとびと、しもしなまで、たびさうぞくめづらしきさまなり。いつのにかしあへけんとえたり。おほんよそひはふべくもあらず。みぞびつあまたかけさぶらはす。まことのみやこつとにしつべきおほんおくものども、ゆゑづきて、おもらぬくまなし。けふたてまつるべきかりおほんさうぞくに、
134.4.11329312 ()(なみ)()ちかさねたる旅衣(たびごろも)<BR/>しほどけしとや(ひと)(いと)はむ」 "〔なみちかさねたるたびごろも<BR/>しほどけしとやひといとはん〕
134.4.12330313 とあるを御覧(ごらん)じつけて、(さわ)がしけれど、 とあるをごらんじつけて、さわがしけれど、
134.4.13331314 「かたみにぞ()ふべかりける()ふことの<BR/>日数隔(ひかずへだ)てむ(なか)(ころも)を」 "〔かたみにぞふべかりけるふことの<BR/>ひかずへだてんなかころもを〕
134.4.14332315 とて、「(こころ)ざしあるを」とて、たてまつり()ふ。御身(おほんみ)になれたるどもを(つか)はす。げに、今一重偲(いまひとへしの)ばれたまふべきことを()ふる形見(かたみ)なめり。えならぬ御衣(おほんぞ)(にほ)ひの(うつ)りたるを、いかが(ひと)(こころ)にも()めざらむ。 とて、"こころざしあるを"とて、たてまつりふ。おほんみになれたるどもをつかはす。げに、いまひとへしのばれたまふべきことをふるかたみなめり。えならぬおほんぞにほひのうつりたるを、いかがひとこころにもめざらん。
134.4.15333316 入道(にふだう) にふだう
134.4.16334317 (いま)はと()(はな)れはべりにし()なれども、今日(けふ)御送(おほんおく)りに(つか)うまつらぬこと」 "いまはとはなれはべりにしなれども、けふおほんおくりにつかうまつらぬこと。"
134.4.17335318 など(まう)して、かひをつくるもいとほしながら、(わか)(ひと)(わら)ひぬべし。 などまうして、かひをつくるもいとほしながら、わかひとわらひぬべし。
134.4.18336319 ()をうみにここらしほじむ()となりて<BR/>なほこの(きし)をえこそ(はな)れね "〔をうみにここらしほじむとなりて<BR/>なほこのきしをえこそはなれね
134.4.19337320 (こころ)(やみ)は、いとど(まど)ひぬべくはべれば、(さかひ)までだに」と()こえて、 こころやみは、いとどまどひぬべくはべれば、さかひまでだに。"とこえて、
134.4.20338321 ()()きしきさまなれど、(おぼ)()でさせたまふ(をり)はべらば」 "きしきさまなれど、おぼでさせたまふをりはべらば。"
134.4.21339322 など、()けしき(たま)はる。いみじうものをあはれと(おぼ)して、所々(ところどころ)うち(あか)みたまへる(おほん)まみのわたりなど、()はむかたなく()えたまふ。 など、けしきたまはる。いみじうものをあはれとおぼして、ところどころうちあかみたまへるおほんまみのわたりなど、はんかたなくえたまふ。
134.4.22340323 (おも)()てがたき(すぢ)もあめれば、(いま)いととく見直(みなほ)したまひてむ。ただこの()みかこそ見捨(みす)てがたけれ。いかがすべき」とて、 "おもてがたきすぢもあめれば、いまいととくみなほしたまひてん。ただこのみかこそみすてがたけれ。いかがすべき。"とて、
134.4.23341324 都出(みやこい)でし(はる)(なげ)きに(おと)らめや<BR/>年経(としふ)(うら)(わか)れぬる(あき) "〔みやこいでしはるなげきにおとらめや<BR/>としふうらわかれぬるあき〕"
134.4.24342325 とて、おし(のご)ひたまへるに、いとどものおぼえず、しほたれまさる。()ちゐもあさましうよろぼふ。 とて、おしのごひたまへるに、いとどものおぼえず、しほたれまさる。ちゐもあさましうよろぼふ。
134.5343326第五段 残された明石の君の嘆き
134.5.1344327 正身(さうじみ)心地(ここち)、たとふべき(かた)なくて、かうしも(ひと)()えじと(おも)(しづ)むれど、()()きをもとにて、わりなきことなれど、うち()てたまへる(うら)みのやる(かた)なきに、たけきこととは、ただ(なみだ)(しづ)めり。母君(ははぎみ)(なぐさ)めわびては、 さうじみここち、たとふべきかたなくて、かうしもひとえじとおもしづむれど、きをもとにて、わりなきことなれど、うちてたまへるうらみのやるかたなきに、たけきこととは、ただなみだしづめり。ははぎみなぐさめわびては、
134.5.2345328 (なに)に、かく心尽(こころづ)くしなることを(おも)ひそめけむ。すべて、ひがひがしき(ひと)(したが)ひける(こころ)のおこたりぞ」 "なにに、かくこころづくしなることをおもひそめけん。すべて、ひがひがしきひとしたがひけるこころのおこたりぞ。"
134.5.3346329 ()ふ。 ふ。
134.5.4347330 「あなかまや。(おぼ)()つまじきこともものしたまふめれば、さりとも、(おぼ)すところあらむ。(おも)(なぐさ)めて、御湯(おほんゆ)などをだに(まゐ)れ。あな、ゆゆしや」 "あなかまや。おぼつまじきこともものしたまふめれば、さりとも、おぼすところあらん。おもなぐさめて、おほんゆなどをだにまゐれ。あな、ゆゆしや。"
134.5.5348331 とて、片隅(かたすみ)()りゐたり。乳母(めのと)母君(ははぎみ)など、ひがめる(こころ)()()はせつつ、 とて、かたすみりゐたり。めのとははぎみなど、ひがめるこころはせつつ、
134.5.6349332 「いつしか、いかで(おも)ふさまにて()たてまつらむと、年月(としつき)(たの)()ぐし、(いま)や、(おも)(かな)ふとこそ(たの)みきこえつれ、心苦(こころぐる)しきことをも、もののはじめに()るかな」 "いつしか、いかでおもふさまにてたてまつらんと、としつきたのぐし、いまや、おもかなふとこそたのみきこえつれ、こころぐるしきことをも、もののはじめにるかな。"
134.5.7350334 (なげ)くを()るにも、いとほしければ、いとどほけられて、(ひる)日一日(ひひとひ)()をのみ寝暮(ねく)らし、(よる)はすくよかに()きゐて、「数珠(ずず)行方(ゆくへ)()らずなりにけり」とて、()をおしすりて(あふ)ぎゐたり。 なげくをるにも、いとほしければ、いとどほけられて、ひるひひとひをのみねくらし、よるはすくよかにきゐて、"ずずゆくへらずなりにけり。"とて、をおしすりてあふぎゐたり。
134.5.8351335 弟子(でし)どもにあはめられて、月夜(つきよ)()でて行道(ぎゃうだう)するものは、遣水(やりみづ)(たふ)()りにけり。よしある(いは)片側(かたそば)(こし)もつきそこなひて、()()したるほどになむ、すこしもの(まぎ)れける。 でしどもにあはめられて、つきよでてぎゃうだうするものは、やりみづたふりにけり。よしあるいはかたそばこしもつきそこなひて、したるほどになん、すこしものまぎれける。
135352336第五章 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語
135.1353337第一段 難波の御祓い
135.1.1354338 (きみ)は、難波(なには)(かた)(わた)りて御祓(おほんはら)へしたまひて、住吉(すみよし)にも、(たひ)らかにて、いろいろの願果(がんは)たし(まう)すべきよし、御使(おほんつかひ)して(まう)させたまふ。にはかに所狭(ところせ)うて、みづからはこのたびえ(まう)でたまはず、ことなる御逍遥(おほんせうえう)などなくて、(いそ)()りたまひぬ。 きみは、なにはかたわたりておほんはらへしたまひて、すみよしにも、たひらかにて、いろいろのがんはたしまうすべきよし、おほんつかひしてまうさせたまふ。にはかにところせうて、みづからはこのたびえまうでたまはず、ことなるおほんせうえうなどなくて、いそりたまひぬ。
135.1.2355339 二条院(にでうのゐん)におはしまし()きて、(みやこ)(ひと)も、御供(おほんとも)(ひと)も、(ゆめ)心地(ここち)して()()ひ、(よろこ)()きどもゆゆしきまで()(さわ)ぎたり。 にでうのゐんにおはしましきて、みやこひとも、おほんともひとも、ゆめここちしてひ、よろこきどもゆゆしきまでさわぎたり。
135.1.3356340 女君(をんなぎみ)も、かひなきものに(おぼ)()てつる(いのち)、うれしう(おぼ)さるらむかし。いとうつくしげにねびととのほりて、(おほん)もの(おも)ひのほどに、所狭(ところせ)かりし御髪(みぐし)のすこしへがれたるしも、いみじうめでたきを、「(いま)はかくて()るべきぞかし」と、御心落(みこころお)ちゐるにつけては、また、かの()かず(わか)れし(ひと)(おも)へりしさま、心苦(こころぐる)しう(おぼ)しやらる。なほ()とともに、かかる(かた)にて御心(みこころ)(いとま)ぞなきや。 をんなぎみも、かひなきものにおぼてつるいのち、うれしうおぼさるらんかし。いとうつくしげにねびととのほりて、おほんものおもひのほどに、ところせかりしみぐしのすこしへがれたるしも、いみじうめでたきを、"いまはかくてるべきぞかし。"と、みこころおちゐるにつけては、また、かのかずわかれしひとおもへりしさま、こころぐるしうおぼしやらる。なほとともに、かかるかたにてみこころいとまぞなきや。
135.1.4357341 その(ひと)のことどもなど()こえ()でたまへり。(おぼ)()でたる()けしき(あさ)からず()ゆるを、ただならずや()たてまつりたまふらむ、わざとならず、「()をば(おも)はず」など、ほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく(おも)ひきこえたまふ。かつ、「()るにだに()かぬ(おほん)さまを、いかで(へだ)てつる年月(としつき)ぞ」と、あさましきまで(おも)ほすに、()(かへ)し、()(なか)もいと(うら)めしうなむ。 そのひとのことどもなどこえでたまへり。おぼでたるけしきあさからずゆるを、ただならずやたてまつりたまふらん、わざとならず、"をばおもはず"など、ほのめかしたまふぞ、をかしうらうたくおもひきこえたまふ。かつ、"るにだにかぬおほんさまを、いかでへだてつるとしつきぞ。"と、あさましきまでおもほすに、かへし、なかもいとうらめしうなん。
135.1.5358342 ほどもなく、(もと)御位(おほんくらゐ)あらたまりて、(かず)より(ほか)権大納言(ごんのだいなごん)になりたまふ。次々(つぎつぎ)(ひと)も、さるべき(かぎ)りは(もと)官返(つかさかへ)(たま)はり、()(ゆる)さるるほど、()れたりし()(はる)にあへる心地(ここち)して、いとめでたげなり。 ほどもなく、もとおほんくらゐあらたまりて、かずよりほかごんのだいなごんになりたまふ。つぎつぎひとも、さるべきかぎりはもとつかさかへたまはり、ゆるさるるほど、れたりしはるにあへるここちして、いとめでたげなり。
135.2359343第二段 源氏、参内
135.2.1360344 ()しありて、内裏(うち)(まゐ)りたまふ。御前(おまへ)にさぶらひたまふに、ねびまさりて、「いかで、さるものむつかしき()まひに年経(としへ)たまひつらむ」と()たてまつる。女房(にょうばう)などの、(ゐん)御時(おほんとき)さぶらひて、()いしらへるどもは、(かな)しくて、(いま)さらに()(さわ)ぎめできこゆ。 しありて、うちまゐりたまふ。おまへにさぶらひたまふに、ねびまさりて、"いかで、さるものむつかしきまひにとしへたまひつらん。"とたてまつる。にょうばうなどの、ゐんおほんときさぶらひて、いしらへるどもは、かなしくて、いまさらにさわぎめできこゆ。
135.2.2361345 主上(うへ)も、()づかしうさへ(おぼ)()されて、(おほん)よそひなどことに()きつくろひて()でおはします。御心地(みここち)(れい)ならで、()ごろ()させたまひければ、いたう(おとろ)へさせたまへるを、昨日今日(きのふけふ)ぞ、すこしよろしう(おぼ)されける。御物語(おほんものがたり)しめやかにありて、(よる)()りぬ。 うへも、づかしうさへおぼされて、おほんよそひなどことにきつくろひてでおはします。みここちれいならで、ごろさせたまひければ、いたうおとろへさせたまへるを、きのふけふぞ、すこしよろしうおぼされける。おほんものがたりしめやかにありて、よるりぬ。
135.2.3362346 十五夜(じふごや)(つき)おもしろう(しづ)かなるに、(むかし)のこと、かき()くし(おぼ)()でられて、しほたれさせたまふ。もの心細(こころぼそ)(おぼ)さるるなるべし。 じふごやつきおもしろうしづかなるに、むかしのこと、かきくしおぼでられて、しほたれさせたまふ。ものこころぼそおぼさるるなるべし。
135.2.4363347 (あそ)びなどもせず、昔聞(むかしき)きし(もの)()なども()かで、(ひさ)しうなりにけるかな」 "あそびなどもせず、むかしききしものなどもかで、ひさしうなりにけるかな。"
135.2.5364348 とのたまはするに、 とのたまはするに、
135.2.6365349 「わたつ()にしなえうらぶれ(ひる)()の<BR/>脚立(あした)たざりし(とし)()にけり」 "〔わたつにしなえうらぶれひるの<BR/>あしたたざりしとしにけり〕
135.2.7366350 ()こえたまへり。いとあはれに心恥(こころは)づかしう(おぼ)されて、 こえたまへり。いとあはれにこころはづかしうおぼされて、
135.2.8367351 宮柱(みやばしら)めぐりあひける(とき)しあれば<BR/>(わか)れし(はる)(うら)(のこ)すな」 "〔みやばしらめぐりあひけるときしあれば<BR/>わかれしはるうらのこすな〕
135.2.9368352 いとなまめかしき(おほん)ありさまなり。 いとなまめかしきおほんありさまなり。
135.2.10369353 (ゐん)(おほん)ために、八講行(はかうおこな)はるべきこと、まづ(いそ)がせたまふ。春宮(とうぐう)()たてまつりたまふに、こよなくおよすげさせたまひて、めづらしう(おぼ)しよろこびたるを、(かぎ)りなくあはれと()たてまつりたまふ。御才(おほんざえ)もこよなくまさらせたまひて、()をたもたせたまはむに、(はばか)りあるまじく、かしこく()えさせたまふ。 ゐんおほんために、はかうおこなはるべきこと、まづいそがせたまふ。とうぐうたてまつりたまふに、こよなくおよすげさせたまひて、めづらしうおぼしよろこびたるを、かぎりなくあはれとたてまつりたまふ。おほんざえもこよなくまさらせたまひて、をたもたせたまはんに、はばかりあるまじく、かしこくえさせたまふ。
135.2.11370354 入道(にふだう)(みや)にも、御心(みこころ)すこし(しづ)めて、御対面(おほんたいめん)のほどにも、あはれなることどもあらむかし。 にふだうみやにも、みこころすこししづめて、おほんたいめんのほどにも、あはれなることどもあらんかし。
135.3371355第三段 明石の君への手紙、他
135.3.1372356 まことや、かの明石(あかし)には、(かへ)(なみ)御文遣(おほんふみつか)はす。ひき(かく)してこまやかに()きたまふめり。 まことや、かのあかしには、かへなみおほんふみつかはす。ひきかくしてこまやかにきたまふめり。
135.3.2373357 (なみ)のよるよるいかに、 "なみのよるよるいかに。
135.3.3374358 (なげ)きつつ明石(あかし)(うら)朝霧(あさぎり)の<BR/>()つやと(ひと)(おも)ひやるかな」 なげきつつあかしうらあさぎりの<BR/>つやとひとおもひやるかな〕
135.3.4375359 かの(そち)娘五節(むすめごせち)、あいなく、人知(ひとし)れぬもの(おも)ひさめぬる心地(ここち)して、まくなぎつくらせてさし()かせけり。 かのそちむすめごせち、あいなく、ひとしれぬものおもひさめぬるここちして、まくなぎつくらせてさしかせけり。
135.3.5376360 須磨(すま)(うら)(こころ)()せし舟人(ふなびと)の<BR/>やがて()たせる(そで)()せばや」 "〔すまうらこころせしふなびとの<BR/>やがてたせるそでせばや〕
135.3.6377361 ()などこよなくまさりにけり」と、()おほせたまひて、(つか)はす。 "などこよなくまさりにけり。"と、おほせたまひて、つかはす。
135.3.7378362 (かへ)りてはかことやせまし()せたりし<BR/>名残(なごり)(そで)()がたかりしを」 "〔かへりてはかことやせましせたりし<BR/>なごりそでがたかりしを〕
135.3.8379363 ()かずをかし」と(おぼ)しし名残(なごり)なれば、おどろかされたまひて、いとど(おぼ)()づれど、このごろは、さやうの御振(おほんふ)()ひ、さらにつつみたまふめり。 "かずをかし"とおぼししなごりなれば、おどろかされたまひて、いとどおぼづれど、このごろは、さやうのおほんふひ、さらにつつみたまふめり。
135.3.9380364 花散里(はなちるさと)などにも、ただ御消息(おほんせうそこ)などばかりにて、おぼつかなく、なかなか(うら)めしげなり。 はなちるさとなどにも、ただおほんせうそこなどばかりにて、おぼつかなく、なかなかうらめしげなり。