帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
22 | 玉鬘 |
22 | 1 | 89 | 61 | 第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語 |
22 | 1.1 | 90 | 62 | 第一段 源氏と右近、夕顔を回想 |
22 | 1.1.1 | 91 | 63 |
年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れたまはず、心々なる人のありさまどもを、見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ。 |
としつきへだたりぬれど、あかざりしゆふがほを、つゆわすれたまはず、こころごころなるひとのありさまどもを、みたまひかさぬるにつけても、"あらましかば。"と、あはれにくちをしくのみおぼしいづ。 |
22 | 1.1.2 | 92 | 64 |
右近は、何の人数ならねど、なほ、その形見と見たまひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり馴れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人びと聞こえ渡したまひしほどより、そなたにさぶらふ。心よくかいひそめたるものに、女君も思したれど、心のうちには、 |
うこんは、なにのひとかずならねど、なほ、そのかたみとみたまひて、らうたきものにおぼしたれば、ふるひとのかずにつかうまつりなれたり。すまのおほんうつろひのほどに、たいのうへのおほんかたに、みなひとびときこえわたしたまひしほどより、そなたにさぶらふ。こころよくかいひそめたるものに、をんなぎみもおぼしたれど、こころのうちには、 |
22 | 1.1.3 | 93 | 65 |
「故君ものしたまはましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣りたまはざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落としあぶさず、取りしたためたまふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数のうちには交じらひたまひなまし」 |
"こぎみものしたまはましかば、あかしのおほんかたばかりのおぼえにはおとりたまはざらまし。さしもふかきみこころざしなかりけるをだに、おとしあぶさず、とりしたためたまふみこころながさなりければ、まいて、やんごとなきつらにこそあらざらめ、このおほんとのうつりのかずのうちにはまじらひたまひなまし。" |
22 | 1.1.4 | 94 | 66 |
と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。 |
とおもふに、あかずかなしくなんおもひける。 |
22 | 1.1.5 | 95 | 67 |
かの西の京にとまりし若君をだに行方も知らず、ひとへにものを思ひつつみ、また、「今さらにかひなきことによりて、我が名漏らすな」と、口がためたまひしを憚りきこえて、尋ねても訪づれきこえざりしほどに、その御乳母の男、少弐になりて、行きければ、下りにけり。かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。 |
かのにしのきゃうにとまりしわかぎみをだにゆくへもしらず、ひとへにものをおもひつつみ、また、"いまさらにかひなきことによりて、わがなもらすな。"と、くちがためたまひしをはばかりきこえて、たづねてもおとづれきこえざりしほどに、そのおほんめのとのをとこ、せうにになりて、いきければ、くだりにけり。かのわかぎみのよつになるとしぞ、つくしへはいきける。 |
22 | 1.2 | 96 | 68 | 第二段 玉鬘一行、筑紫へ下向 |
22 | 1.2.1 | 97 | 69 |
母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。 |
ははぎみのおほんゆくへをしらんと、よろづのかみほとけにまうして、よるひるなきこひて、さるべきところどころをたづねきこえけれど、つひにえききいでず。 |
22 | 1.2.2 | 98 | 70 |
「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ。あやしき道に添へたてまつりて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと。なほ、父君にほのめかさむ」 |
"さらばいかがはせん。わかぎみをだにこそは、おほんかたみにみたてまつらめ。あやしきみちにそへたてまつりて、はるかなるほどにおはせんことのかなしきこと。なほ、ちちぎみにほのめかさん。" |
22 | 1.2.3 | 99 | 71 |
と思ひけれど、さるべきたよりもなきうちに、 |
とおもひけれど、さるべきたよりもなきうちに、 |
22 | 1.2.4 | 100 | 72 |
「母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひたまはば、いかが聞こえむ」 |
"ははぎみのおはしけんかたもしらず、たづねとひたまはば、いかがきこえん。" |
22 | 1.2.5 | 101 | 73 |
「まだ、よくも見なれたまはぬに、幼き人をとどめたてまつりたまはむも、うしろめたかるべし」 |
"まだ、よくもみなれたまはぬに、をさなきひとをとどめたてまつりたまはんも、うしろめたかるべし。" |
22 | 1.2.6 | 102 | 74 |
「知りながら、はた、率て下りねと許したまふべきにもあらず」 |
"しりながら、はた、ゐてくだりねとゆるしたまふべきにもあらず。" |
22 | 1.2.7 | 103 | 75 |
など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき舟に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。 |
など、おのがじしかたらひあはせて、いとうつくしう、ただいまからけだかくきよらなるおほんさまを、ことなるしつらひなきふねにのせてこぎいづるほどは、いとあはれになんおぼえける。 |
22 | 1.2.8 | 104 | 76 |
幼き心地に、母君を忘れず、折々に、 |
をさなきここちに、ははぎみをわすれず、をりをりに、 |
22 | 1.2.9 | 105 | 77 |
「母の御もとへ行くか」 |
"ははのおほんもとへゆくか。" |
22 | 1.2.10 | 106 | 78 |
と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、娘どもも思ひこがるるを、「舟路ゆゆし」と、かつは諌めけり。 |
ととひたまふにつけて、なみだたゆるときなく、むすめどももおもひこがるるを、"ふなみちゆゆし。"と、かつはいさめけり。 |
22 | 1.2.11 | 107 | 79 |
おもしろき所々を見つつ、 |
おもしろきところどころをみつつ、 |
22 | 1.2.12 | 108 | 80 |
「心若うおはせしものを、かかる路をも見せたてまつるものにもがな」 |
"こころわかうおはせしものを、かかるみちをもみせたてまつるものにもがな。" |
22 | 1.2.13 | 109 | 81 |
「おはせましかば、われらは下らざらまし」 |
"おはせましかば、われらはくだらざらまし。" |
22 | 1.2.14 | 110 | 82 |
と、京の方を思ひやらるるに、帰る浪もうらやましく、心細きに、舟子どもの荒々しき声にて、 |
と、きょうのかたをおもひやらるるに、かへるなみもうらやましく、こころぼそきに、ふなこどものあらあらしきこゑにて、 |
22 | 1.2.15 | 111 | 83 |
「うらがなしくも、遠く来にけるかな」 |
"うらがなしくも、とほくきにけるかな。" |
22 | 1.2.16 | 112 | 84 |
と、歌ふを聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。 |
と、うたふをきくままに、ふたりさしむかひてなきけり。 |
22 | 1.2.17 | 113 | 85 |
「舟人もたれを恋ふとか大島の<BR/>うらがなしげに声の聞こゆる」 |
"〔ふなびともたれをこふとかおほしまの<BR/>うらがなしげにこゑのきこゆる〕 |
22 | 1.2.18 | 114 | 86 |
「来し方も行方も知らぬ沖に出でて<BR/>あはれいづくに君を恋ふらむ」 |
"〔こしかたもゆくへもしらぬおきにいでて<BR/>あはれいづくにきみをこふらん〕 |
22 | 1.2.19 | 115 | 87 |
鄙の別れに、おのがじし心をやりて言ひける。 |
ひなのわかれに、おのがじしこころをやりていひける。 |
22 | 1.2.20 | 116 | 88 |
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。 |
かねのみさきすぎて、"われはわすれず。"など、よととものことぐさになりて、かしこにいたりつきては、まいてはるかなるほどをおもひやりて、こひなきて、このきみをかしづきものにて、あかしくらす。 |
22 | 1.2.21 | 117 | 89 |
夢などに、いとたまさかに見えたまふ時などもあり。同じさまなる女など、添ひたまうて見えたまへば、名残心地悪しく悩みなどしければ、 |
ゆめなどに、いとたまさかにみえたまふときなどもあり。おなじさまなるをんななど、そひたまうてみえたまへば、なごりここちあしくなやみなどしければ、 |
22 | 1.2.22 | 118 | 90 |
「なほ、世に亡くなりたまひにけるなめり」 |
"なほ、よになくなりたまひにけるなめり。" |
22 | 1.2.23 | 119 | 91 |
と思ひなるも、いみじくのみなむ。 |
とおもひなるも、いみじくのみなん。 |
22 | 1.3 | 120 | 92 | 第三段 乳母の夫の遺言 |
22 | 1.3.1 | 121 | 93 |
少弐、任果てて上りなどするに、遥けきほどに、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとする心地にも、この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、 |
せうに、にんはててのぼりなどするに、はるけきほどに、ことなるいきほひなきひとは、たゆたひつつ、すがすがしくもいでたたぬほどに、おもきやまひして、しなんとするここちにも、このきみのとをばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるをみたてまつりて、 |
22 | 1.3.2 | 122 | 94 |
「我さへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。あやしき所に生ひ出でたまふも、かたじけなく思ひきこゆれど、いつしかも京に率てたてまつりて、さるべき人にも知らせたてまつりて、御宿世にまかせて見たてまつらむにも、都は広き所なれば、いと心やすかるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命堪へずなりぬること」 |
"われさへうちすてたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはんとすらん。あやしきところにおひいでたまふも、かたじけなくおもひきこゆれど、いつしかもきょうにゐてたてまつりて、さるべきひとにもしらせたてまつりて、おほんすくせにまかせてみたてまつらんにも、みやこはひろきところなれば、いとこころやすかるべしと、おもひいそぎつるを、ここながらいのちたへずなりぬること。" |
22 | 1.3.3 | 123 | 95 |
と、うしろめたがる。男子三人あるに、 |
と、うしろめたがる。をのこごみたりあるに、 |
22 | 1.3.4 | 124 | 96 |
「ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」 |
"ただこのひめぎみ、きゃうにゐてたてまつるべきことをおもへ。わがみのけうをば、なおもひそ。" |
22 | 1.3.5 | 125 | 97 |
となむ言ひ置きける。 |
となんいひおきける。 |
22 | 1.3.6 | 126 | 98 |
その人の御子とは、館の人にも知らせず、ただ「孫のかしづくべきゆゑある」とぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづききこゆるほどに、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。 |
そのひとのみことは、たちのひとにもしらせず、ただ"むまごのかしづくべきゆゑある。"とぞいひなしければ、ひとにみせず、かぎりなくかしづききこゆるほどに、にはかにうせぬれば、あはれにこころぼそくて、ただきゃうのいでたちをすれど、このせうにのなかあしかりけるくにのひとおほくなどして、とざまかうざまに、おぢはばかりて、われにもあらでとしをすぐすに、このきみ、ねびととのひたまふままに、ははぎみよりもまさりてきよらに、ちちおとどのすぢさへくははればにや、しなたかくうつくしげなり。こころばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。 |
22 | 1.4 | 127 | 99 | 第四段 玉鬘への求婚 |
22 | 1.4.1 | 128 | 100 |
聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。 |
ききついつつ、すいたるゐなかびとども、こころかけせうそこがる、いとおほかり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、たれもたれもききいれず。 |
22 | 1.4.2 | 129 | 101 |
「容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」 |
"かたちなどは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、ひとにもみせであまになして、わがよのかぎりはもたらん。" |
22 | 1.4.3 | 130 | 102 |
と言ひ散らしたれば、 |
といひちらしたれば、 |
22 | 1.4.4 | 131 | 103 |
「故少弐の孫は、かたはなむあんなる」 |
"こせうにのむまごは、かたはなんあんなる。" |
22 | 1.4.5 | 132 | 104 |
「あたらものを」 |
"あたらものを。" |
22 | 1.4.6 | 133 | 105 |
と、言ふなるを聞くもゆゆしく、 |
と、いふなるをきくもゆゆしく、 |
22 | 1.4.7 | 134 | 106 |
「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」 |
"いかさまにして、みやこにゐてたてまつりて、ちちおとどにしらせたてまつらん。いときなきほどを、いとらうたしとおもひきこえたまへりしかば、さりともおろかにはおもひすてきこえたまはじ。" |
22 | 1.4.8 | 135 | 107 |
など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。 |
などいひなげくほど、ほとけかみにがんをたててなんねんじける。 |
22 | 1.4.9 | 136 | 108 |
娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、年三などしたまふ。二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。 |
むすめどももをのこどもも、ところにつけたるよすがどもいできて、すみつきにたり。こころのうちにこそいそぎおもへど、きゃうのことはいやとほざかるやうにへだたりゆく。ものおぼししるままに、よをいとうきものにおぼして、ねんさうなどしたまふ。はたちばかりになりたまふままに、おひととのほりて、いとあたらしくめでたし。 |
22 | 1.4.10 | 137 | 109 |
この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。 |
このすむところは、ひぜんのくにとぞいひける。そのわたりにもいささかよしあるひとは、まづこのせうにのむまごのありさまをききつたへて、なほ、たえずおとづれくるも、いといみじう、みみかしかましきまでなん。 |
22 | 2 | 138 | 110 | 第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出 |
22 | 2.1 | 139 | 111 | 第一段 大夫の監の求婚 |
22 | 2.1.1 | 140 | 112 |
大夫監とて、肥後国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき兵ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心混じりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、 |
たいふのげんとて、ひごのくににぞうひろくて、かしこにつけてはおぼえあり、いきほひいかめしきつはものありけり。むくつけきこころのなかに、いささかすきたるこころまじりて、かたちあるをんなをあつめてみむとおもひける。このひめぎみをききつけて、 |
22 | 2.1.2 | 141 | 113 |
「いみじきかたはありとも、我は見隠して持たらむ」 |
"いみじきかたはありとも、われはみかくしてもたらん。" |
22 | 2.1.3 | 142 | 114 |
と、いとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、 |
と、いとねんごろにいひかかるを、いとむくつけくおもひて、 |
22 | 2.1.4 | 143 | 115 |
「いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」 |
"いかで、かかることをきかで、あまになりなんとす。" |
22 | 2.1.5 | 144 | 116 |
と、言はせたれば、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。 |
と、いはせたれば、いよいよあやふがりて、おしてこのくににこえきぬ。 |
22 | 2.1.6 | 145 | 117 |
この男子どもを呼びとりて、語らふことは、 |
このをのこどもをよびとりて、かたらふことは、 |
22 | 2.1.7 | 146 | 118 |
「思ふさまになりなば、同じ心に勢ひを交はすべきこと」 |
"おもふさまになりなば、おなじこころにいきほひをかはすべきこと。" |
22 | 2.1.8 | 147 | 119 |
など語らふに、二人は赴きにけり。 |
などかたらふに、ふたりはおもむきにけり。 |
22 | 2.1.9 | 148 | 120 |
「しばしこそ、似げなくあはれと思ひきこえけれ、おのおの我が身のよるべと頼まむに、いと頼もしき人なり。これに悪しくせられては、この近き世界にはめぐらひなむや」 |
"しばしこそ、にげなくあはれとおもひきこえけれ、おのおのわがみのよるべとたのまんに、いとたのもしきひとなり。これにあしくせられては、このちかきせかいにはめぐらひなんや。" |
22 | 2.1.10 | 149 | 121 |
「よき人の御筋といふとも、親に数まへられたてまつらず、世に知らでは、何のかひかはあらむ。この人のかくねむごろに思ひきこえたまへるこそ、今は御幸ひなれ」 |
"よきひとのすぢといふとも、おやにかずまへられたてまつらず、よにしらでは、なにのかひかはあらん。このひとのかくねんごろにおもひきこえたまへるこそ、いまはおほんさいはひなれ。" |
22 | 2.1.11 | 150 | 122 |
「さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしけめ。逃げ隠れたまふとも、何のたけきことかはあらむ」 |
"さるべきにてこそは、かかるせかいにもおはしけめ。にげかくれたまふとも、なにのたけきことかはあらん。" |
22 | 2.1.12 | 151 | 123 |
「負けじ魂に、怒りなば、せぬことどもしてむ」 |
"まけじだなしひに、いかりなば、せぬことどもしてん。" |
22 | 2.1.13 | 152 | 124 |
と言ひ脅せば、「いといみじ」と聞きて、中の兄なる豊後介なむ、 |
といひおどせば、"いといみじ。"とききて、なかのこのかみなるぶんごのすけなん、 |
22 | 2.1.14 | 153 | 125 |
「なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。故少弐ののたまひしこともあり。とかく構へて、京に上げたてまつりてむ」 |
"なほ、いとたいだいしく、あたらしきことなり。こせうにののたまひしこともあり。とかくかまへて、きゃうにあげたてまつりてん。" |
22 | 2.1.15 | 154 | 126 |
と言ふ。娘どもも泣きまどひて、 |
といふ。むすめどももなきまどひて、 |
22 | 2.1.16 | 155 | 127 |
「母君のかひなくてさすらへたまひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見たてまつらむとこそ思ふに」 |
"ははぎみのかひなくてさすらへたまひて、ゆくへをだにしらぬかはりに、ひとなみなみにてみたてまつらんとこそおもふに。" |
22 | 2.1.17 | 156 | 128 |
「さるものの中に混じりたまひなむこと」 |
"さるもののなかにまじりたまひなんこと。" |
22 | 2.1.18 | 157 | 129 |
と思ひ嘆くをも知らで、「我はいとおぼえ高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙、香ばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたりと思ひたる言葉ぞ、いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うち連れて来たり。 |
とおもひなげくをもしらで、"われはいとおぼえたかきみ。"とおもひて、ふみなどかきておこす。てなどきたなげなうかきて、からのしきし、かうばしきかにいれしめつつ、をかしくかきたりとおもひたることばぞ、いとたみたりける。みづからも、このいへのじろうをかたらひとりて、うちつれてきたり。 |
22 | 2.2 | 158 | 130 | 第二段 大夫の監の訪問 |
22 | 2.2.1 | 159 | 131 |
三十ばかりなる男の、丈高くものものしく太りて、きたなげなけれど、思ひなし疎ましく、荒らかなる振る舞ひなど、見るもゆゆしくおぼゆ。色あひ心地よげに、声いたう嗄れてさへづりゐたり。懸想人は夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、さまかへたる春の夕暮なり。秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。 |
みそぢばかりなるをのこの、たけたかくものものしくふとりて、きたなげなけれど、おもひなしうとましく、あららかなるふるまひなど、みるもゆゆしくおぼゆ。いろあひここちよげに、こゑいたうかれてさへづりゐたり。けさうびとはよにかくれたるをこそ、よばひとはいひけれ、さまかへたるはるのゆふぐれなり。あきならねども、あやしかりけりとみゆ。 |
22 | 2.2.2 | 160 | 132 |
心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。 |
こころをやぶらじとて、おばおとどいであふ。 |
22 | 2.2.3 | 161 | 133 |
「故少弐のいと情けび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひ語らひ申さむと思ひたまへしかども、さる心ざしをも見せ聞こえずはべりしほどに、いと悲しくて、隠れたまひにしを、その代はりに、一向に仕うまつるべくなむ、心ざしを励まして、今日は、いとひたぶるに、強ひてさぶらひつる。 |
"こせうにのいとなさけび、きらきらしくものしたまひしを、いかでかあひかたらひまうさんとおもひたまへしかども、さるこころざしをもみせきこえずはべりしほどに、いとかなしくて、かくれたまひにしを、そのかはりに、いっかうにつかうまつるべくなん、こころざしをはげまして、けふは、いとひたぶるに、しひてさぶらひつる。 |
22 | 2.2.4 | 162 | 134 |
このおはしますらむ女君、筋ことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらが私の君と思ひ申して、いただきになむささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りてはべるを聞こしめし疎むななり。さりとも、すやつばらを、人並みにはしはべりなむや。わが君をば、后の位に落としたてまつらじものをや」 |
このおはしますらんをんなぎみ、すぢことにうけたまはれば、いとかたじけなし。ただ、なにがしらがわたくしのきみとおもひまうして、いただきになんささげたてまつるべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬをんなどもあまたあひしりてはべるをきこしめしうとむななり。さりとも、すやつばらを、ひとなみにはしはべりなんや。わがきみをば、きさきのくらゐにおとしたてまつらじものをや。" |
22 | 2.2.5 | 163 | 135 |
など、いとよげに言ひ続く。 |
など、いとよげにいひつづく。 |
22 | 2.2.6 | 164 | 136 |
「いかがは。かくのたまふを、いと幸ひありと思ひたまふるを、宿世つたなき人にやはべらむ、思ひ憚ることはべりて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆きはべるめれば、心苦しう見たまへわづらひぬる」 |
"いかがは。かくのたまふを、いとさいはひありとおもひたまふるを、すくせつたなきひとにやはべらん、おもひはばかることはべりて、いかでかひとにごらんぜられんと、ひとしれずなげきはべるめれば、こころぐるしうみたまへわづらひぬる。" |
22 | 2.2.7 | 165 | 137 |
と言ふ。 |
といふ。 |
22 | 2.2.8 | 166 | 138 |
「さらに、な思し憚りそ。天下に、目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」 |
"さらに、なおぼしはばかりそ。てんかに、めつぶれ、あしをれたまへりとも、なにがしはつかうまつりやめてん。くにのうちのほとけかみは、おのれになんなびきたまへる。" |
22 | 2.2.9 | 167 | 139 |
など、誇りゐたり。 |
など、ほこりゐたり。 |
22 | 2.2.10 | 168 | 140 |
「その日ばかり」と言ふに、「この月は季の果てなり」など、田舎びたることを言ひ逃る。 |
"そのひばかり"といふに、"このつきはきのはてなり。"など、ゐなかびたることをいひのがる。 |
22 | 2.3 | 169 | 141 | 第三段 大夫の監、和歌を詠み贈る |
22 | 2.3.1 | 170 | 142 |
下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、 |
おりていくきはに、うたよままほしかりければ、ややひさしうおもひめぐらして、 |
22 | 2.3.2 | 171 | 143 |
「君にもし心違はば松浦なる<BR/>鏡の神をかけて誓はむ |
"〔きみにもしこころたがはばまつらなる<BR/>かがみのかみをかけてちかはん |
22 | 2.3.3 | 172 | 144 |
この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」 |
このわかは、つかうまつりたりとなんおもひたまふる。" |
22 | 2.3.4 | 173 | 145 |
と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、 |
と、うちゑみたるも、よづかずうひうひしや。あれにもあらねば、かへしすべくもおもはねど、むすめどもによますれど、 |
22 | 2.3.5 | 174 | 146 |
「まろは、ましてものもおぼえず」 |
"まろは、ましてものもおぼえず。" |
22 | 2.3.6 | 175 | 147 |
とてゐたれば、いと久しきに思ひわびて、うち思ひけるままに、 |
とてゐたれば、いとひさしきにおもひわびて、うちおもひけるままに、 |
22 | 2.3.7 | 176 | 148 |
「年を経て祈る心の違ひなば<BR/>鏡の神をつらしとや見む」 |
"〔としをへていのるこころのたがひなば<BR/>かがみのかみをつらしとやみん〕 |
22 | 2.3.8 | 177 | 149 |
とわななかし出でたるを、 |
とわななかしいでたるを、 |
22 | 2.3.9 | 178 | 150 |
「待てや。こはいかに仰せらるる」 |
"まてや。こはいかにおほせらるる。" |
22 | 2.3.10 | 179 | 151 |
と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、 |
と、ゆくりかによりきたるけはひに、おびえて、おとど、いろもなくなりぬ。むすめたち、さはいへど、こころづよくわらひて、 |
22 | 2.3.11 | 180 | 152 |
「この人の、さまことにものしたまふを、引き違へ、いづらは思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」 |
"このひとの、さまことにものしたまふを、ひきたがへ、いづらはおもはれんを、なほ、ほけほけしきひとの、かみかけて、きこえひがめたまふなめりや。" |
22 | 2.3.12 | 181 | 153 |
と解き聞かす。 |
ととききかす。 |
22 | 2.3.13 | 182 | 154 |
「おい、さり、さり」とうなづきて、 |
"おい、さり、さり。"とうなづきて、 |
22 | 2.3.14 | 183 | 155 |
「をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」 |
"をかしきおほんくちつきかな。なにがしら、ゐなかびたりといふなこそはべれ、くちをしきたみにははべらず。みやこのひととても、なにばかりかあらん。みなしりてはべり。なおぼしあなづりそ。" |
22 | 2.3.15 | 184 | 156 |
とて、また、詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、往ぬめり。 |
とて、また、よまんとおもへれども、たへずやありけん、いぬめり。 |
22 | 2.4 | 185 | 157 | 第四段 玉鬘、筑紫を脱出 |
22 | 2.4.1 | 186 | 158 |
次郎が語らひ取られたるも、いと恐ろしく心憂くて、この豊後介を責むれば、 |
じらうがかたらひとられたるも、いとおそろしくこころうくて、このぶんごのすけをせむれば、 |
22 | 2.4.2 | 187 | 159 |
「いかがは仕まつるべからむ。語らひあはすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」 |
"いかがはつかまつるべからん。かたらひあはすべきひともなし。まれまれのはらからは、このげんにおなじこころならずとて、なかたがひにたり。このげんにあたまれては、いささかのみじろきせんも、ところせくなんあるべき。なかなかなるめをやみん。" |
22 | 2.4.3 | 188 | 160 |
と、思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたるさまの、いと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。 |
と、おもひわづらひにたれど、ひめぎみのひとしれずおぼいたるさまの、いとくるしくて、いきたらじとおもひしづみたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことをおもひかまへていでたつ。いもうとたちも、としごろへぬるよるべをすてて、このおほんともにいでたつ。 |
22 | 2.4.4 | 189 | 161 |
あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて舟に乗りける。大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むとするほどに、かくて逃ぐるなりけり。 |
あてきといひしは、いまはひゃうぶのきみといふぞ、そひて、よにげいでてふねにのりける。たいふのげんは、ひごにかへりいきて、うづきのはつかのほどに、ひとりてこんとするほどに、かくてにぐるなりけり。 |
22 | 2.4.5 | 190 | 162 |
姉のおもとは、類広くなりて、え出で立たず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる故里とて、ことに見捨てがたきこともなし。ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。 |
あねのおもとは、るいひろくなりて、えいでたたず。かたみにわかれをしみて、あひみんことのかたきをおもふに、としへつるふるさととて、ことにみすてがたきこともなし。ただ、まつらのみやのまへのなぎさと、かのあねおもとのわかるるをなん、かへりみせられて、かなしかりける。 |
22 | 2.4.6 | 191 | 163 |
「浮島を漕ぎ離れても行く方や<BR/>いづく泊りと知らずもあるかな」 |
"〔うきしまをこぎはなれてもゆくかたや<BR/>いづくとまりとしらずもあるかな〕 |
22 | 2.4.7 | 192 | 164 |
「行く先も見えぬ波路に舟出して<BR/>風にまかする身こそ浮きたれ」 |
"〔ゆくさきもみえぬなみぢにふなでして<BR/>かぜにまかするみこそうきたれ〕 |
22 | 2.4.8 | 193 | 165 |
いとあとはかなき心地して、うつぶし臥したまへり。 |
いとあとはかなきここちして、うつぶしふしたまへり。 |
22 | 2.5 | 194 | 166 | 第五段 都に帰着 |
22 | 2.5.1 | 195 | 168 |
「かく、逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて、追ひ来なむ」と思ふに、心も惑ひて、早舟といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、危ふきまで走り上りぬ。響の灘もなだらかに過ぎぬ。 |
"かく、にげぬるよし、おのづからいひいでつたへば、まけじだましひにて、おひきなん。"とおもふに、こころもまどひて、はやぶねといひて、さまことになんかまへたりければ、おもふかたのかぜさへすすみて、あやふきまではしりのぼりぬ。ひびきのなだもなだらかにすぎぬ。 |
22 | 2.5.2 | 196 | 169 |
「海賊の舟にやあらむ。小さき舟の、飛ぶやうにて来る」 |
"かいぞくのふねにやあらん。ちひさきふねの、とぶやうにてくる。" |
22 | 2.5.3 | 197 | 170 |
など言ふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。 |
などいふものあり。かいぞくのひたぶるならんよりも、かのおそろしきひとのおひくるにやとおもふに、せんかたなし。 |
22 | 2.5.4 | 198 | 171 |
「憂きことに胸のみ騒ぐ響きには<BR/>響の灘もさはらざりけり」 |
"〔うきことにむねのみさわぐひびきには<BR/>ひびきのなだもさはらざりけり〕 |
22 | 2.5.5 | 199 | 172 |
「川尻といふ所、近づきぬ」 |
"かはじりといふところ、ちかづきぬ。" |
22 | 2.5.6 | 200 | 173 |
と言ふにぞ、すこし生き出づる心地する。例の、舟子ども、 |
といふにぞ、すこしいきいづるここちする。れいの、ふなこども、 |
22 | 2.5.7 | 201 | 174 |
「唐泊より、川尻おすほどは」 |
"からどまりより、かはじりおすほどは。" |
22 | 2.5.8 | 202 | 175 |
と歌ふ声の、情けなきも、あはれに聞こゆ。 |
とうたふこゑの、なさけなきも、あはれにきこゆ。 |
22 | 2.5.9 | 203 | 176 |
豊後介、あはれになつかしう歌ひすさみて、 |
ぶんごのすけ、あはれになつかしううたひすさみて、 |
22 | 2.5.10 | 204 | 177 |
「いとかなしき妻子も忘れぬ」 |
"いとかなしきめこもわすれぬ。" |
22 | 2.5.11 | 205 | 178 |
とて、思へば、 |
とて、おもへば、 |
22 | 2.5.12 | 206 | 179 |
「げにぞ、皆うち捨ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。我を悪しと思ひて、追ひまどはして、いかがしなすらむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで、出でにけるかな」 |
"げにぞ、みなうちすててける。いかがなりぬらん。はかばかしくみのたすけとおもふらうどうどもは、みなゐてきにけり。われをあしとおもひて、おひまどはして、いかがしなすらん。"とおもふに、"こころをさなくも、かへりみせで、いでにけるかな。" |
22 | 2.5.13 | 207 | 180 |
と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。 |
と、すこしこころのどまりてぞ、あさましきことをおもひつづくるに、こころよわくうちなかれぬ。 |
22 | 2.5.14 | 208 | 181 |
「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」 |
"〔このちのせいじをばむなしくすてすてつ〕 |
22 | 2.5.15 | 209 | 182 |
と誦ずるを、兵部の君聞きて、 |
とずずるを、ひゃうぶのきみききて、 |
22 | 2.5.16 | 210 | 183 |
「げに、あやしのわざや。年ごろ従ひ来つる人の心にも、にはかに違ひて逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」 |
"げに、あやしのわざや。としごろしたがひきつるひとのこころにも、にはかにたがひてにげいでにしを、いかにおもふらん。" |
22 | 2.5.17 | 211 | 184 |
と、さまざま思ひ続けらるる。 |
と、さまざまおもひつづけらるる。 |
22 | 2.5.18 | 212 | 185 |
「帰る方とても、そこ所と行き着くべき故里もなし。知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人もおぼえず。ただ一所の御ためにより、ここらの年つき住み馴れつる世界を離れて、浮べる波風にただよひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにしたてまつらむとするぞ」 |
"かへるかたとても、そこところといきつくべきふるさともなし。しれるひとといひよるべきたのもしきひともおぼえず。ただひとところのおほんためにより、ここらのとしつきすみなれつるせかいをはなれて、うかべるなみかぜにただよひて、おもひめぐらすかたなし。このひとをも、いかにしたてまつらんとするぞ。" |
22 | 2.5.19 | 213 | 186 |
と、あきれておぼゆれど、「いかがはせむ」とて、急ぎ入りぬ。 |
と、あきれておぼゆれど、"いかがはせん。"とて、いそぎいりぬ。 |
22 | 3 | 214 | 187 | 第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅 |
22 | 3.1 | 215 | 188 | 第一段 岩清水八幡宮へ参詣 |
22 | 3.1.1 | 216 | 189 |
九条に、昔知れりける人の残りたりけるを訪らひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女、商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先、悲しきこと多かり。 |
くでうに、むかししれりけるひとののこりたりけるをとぶらひいでて、そのやどりをしめおきて、みやこのうちといへど、はかばかしきひとのすみたるわたりにもあらず、あやしきいちめ、あきびとのなかにて、いぶせくよのなかをおもひつつ、あきにもなりゆくままに、きしかたゆくさき、かなしきことおほかり。 |
22 | 3.1.2 | 217 | 190 |
豊後介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれにならはぬありさまのたづきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。 |
ぶんごのすけといふたのもしびとも、ただみづとりのくがにまどへるここちして、つれづれにならはぬありさまのたづきなきをおもふに、かへらんにもはしたなく、こころをさなくいでたちにけるをおもふに、したがひきたりしものどもも、るいにふれてにげさり、もとのくににかへりちりぬ。 |
22 | 3.1.3 | 218 | 191 |
住みつくべきやうもなきを、母おとど、明け暮れ嘆きいとほしがれば、 |
すみつくべきやうもなきを、ははおとど、あけくれなげきいとほしがれば、 |
22 | 3.1.4 | 219 | 192 |
「何か。この身は、いとやすくはべり。人一人の御身に代へたてまつりて、いづちもいづちもまかり失せなむに咎あるまじ。我らいみじき勢ひになりても、若君をさるものの中にはふらしたてまつりては、何心地かせまし」 |
"なにか。このみは、いとやすくはべり。ひとひとりのおほんみにかへたてまつりて、いづちもいづちもまかりうせなんにとがあるまじ。われらいみじきいきほひになりても、わかぎみをさるもののなかにはふらしたてまつりては、なにごこちかせまし。" |
22 | 3.1.5 | 220 | 193 |
と語らひ慰めて、 |
とかたらひなぐさめて、 |
22 | 3.1.6 | 221 | 194 |
「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ。近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。かの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき。今、都に帰りて、かくなむ御験を得てまかり上りたると、早く申したまへ」 |
"かみほとけこそは、さるべきかたにもみちびきしらせたてまつりたまはめ。ちかきほどに、やはたのみやとまうすは、かしこにてもまゐりいのりまうしたまひしまつら、はこざき、おなじやしろなり。かのくにをはなれたまふとても、おほくのがんたてまうしたまひき。いま、みやこにかへりて、かくなんおほんしるしをえてまかりのぼりたると、はやくまうしたまへ。" |
22 | 3.1.7 | 222 | 195 |
とて、八幡に詣でさせたてまつる。それのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五師とて、早く親の語らひし大徳残れるを呼びとりて、詣でさせたてまつる。 |
とて、やはたにまうでさせたてまつる。それのわたりしれるひとにいひたづねて、ごしとて、はやくおやのかたらひしだいとくのこれるをよびとりて、まうでさせたてまつる。 |
22 | 3.2 | 223 | 196 | 第二段 初瀬の観音へ参詣 |
22 | 3.2.1 | 224 | 197 |
「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」 |
"うちつぎては、ほとけのおほんなかには、はつせなん、ひのもとのうちには、あらたなるしるしあらはしたまふと、もろこしにだにきこえあんなり。まして、わがくにのうちにこそ、とほきくにのさかひとても、としへたまへれば、わかぎみをば、ましてめぐみたまひてん。" |
22 | 3.2.2 | 225 | 198 |
とて、出だし立てたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。 |
とて、いだしたてたてまつる。ことさらにかちよりとさだめたり。ならはぬここちに、いとわびしくくるしけれど、ひとのいふままに、ものもおぼえであゆみたまふ。 |
22 | 3.2.3 | 226 | 199 |
「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」 |
"いかなるつみふかきみにて、かかるよにさすらふらん。わがおや、よになくなりたまへりとも、われをあはれとおぼさば、おはすらんところにさそひたまへ。もし、よにおはせば、おほんかほみせたまへ。" |
22 | 3.2.4 | 227 | 200 |
と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。 |
と、ほとけをねんじつつ、ありけんさまをだにおぼえねば、ただ、"おやおはせましかば。"と、ばかりのかなしさを、なげきわたりたまへるに、かくさしあたりて、みのわりなきままに、とりかへしいみじくおぼえつつ、からうして、つばいちといふところに、よかといふみのときばかりに、いけるここちもせで、いきつきたまへり。 |
22 | 3.2.5 | 228 | 201 |
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壺装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。 |
あゆむともなく、とかくつくろひたれど、あしのうらうごかれず、わびしければ、せんかたなくてやすみたまふ。このたのもしびとなるすけ、ゆみやもちたるひとふたり、さてはしもなるもの、わらはなどみたり、よたり、をんなばらあるかぎりみたり、つぼさうぞくして、ひすましめくもの、ふるきげすをんなふたりばかりとぞある。 |
22 | 3.2.6 | 229 | 202 |
いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、 |
いとかすかにしのびたり。おほみあかしのことなど、ここにてしくはへなどするほどにひくれぬ。いへあるじのほふし、 |
22 | 3.2.7 | 230 | 203 |
「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」 |
"ひとやどしたてまつらんとするところに、なにびとのものしたまふぞ。あやしきをんなどもの、こころにまかせて。" |
22 | 3.2.8 | 231 | 204 |
とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人びと来ぬ。 |
とむつかるを、めざましくきくほどに、げに、ひとびときぬ。 |
22 | 3.3 | 232 | 205 | 第三段 右近も初瀬へ参詣 |
22 | 3.3.1 | 233 | 206 |
これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女、数多かむめる。馬四つ、五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、きよげなる男どもなどあり。 |
これもかちよりなめり。よろしきをんなふたり、しもびとどもぞ、をとこをんな、かずおほかんめる。むまよつ、いつつひかせて、いみじくしのびやつしたれど、きよげなるをとこどもなどあり。 |
22 | 3.3.2 | 234 | 207 |
法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻きありく。いとほしけれど、また、宿り替へむもさま悪しくわづらはしければ、人びとは奥に入り、他に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障などひき隔てておはします。 |
ほふしは、せめてここにやどさまほしくして、かしらかきありく。いとほしけれど、また、やどりかへんもさまあしくわづらはしければ、ひとびとはおくにいり、ほかにかくしなどして、かたへはかたつかたによりぬ。ぜじゃうなどひきへだてておはします。 |
22 | 3.3.3 | 235 | 208 |
この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心づかひしたり。 |
このくるひともはづかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみにこころづかひしたり。 |
22 | 3.3.4 | 236 | 209 |
さるは、かの世とともに恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなき交じらひのつきなくなりゆく身を思ひなやみて、この御寺になむたびたび詣でける。 |
さるは、かのよとともにこひなくうこんなりけり。としつきにそへて、はしたなきまじらひのつきなくなりゆくみをおもひなやみて、このみてらになんたびたびまうでける。 |
22 | 3.3.5 | 237 | 210 |
例ならひにければ、かやすく構へたりけれど、徒歩より歩み堪へがたくて、寄り臥したるに、この豊後介、隣の軟障のもとに寄り来て、参り物なるべし、折敷手づから取りて、 |
れいならひにければ、かやすくかまへたりけれど、かちよりあゆみたへがたくて、よりふしたるに、このぶんごのすけ、となりのぜじゃうのもとによりきて、まゐりものなるべし、をしきてづからとりて、 |
22 | 3.3.6 | 238 | 211 |
「これは、御前に参らせたまへ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」 |
"これは、おまへにまゐらせたまへ。みだいなどうちあはで、いとかたはらいたしや。" |
22 | 3.3.7 | 239 | 212 |
と言ふを聞くに、「わが並の人にはあらじ」と思ひて、物のはさまより覗けば、この男の顔、見し心地す。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。 |
といふをきくに、"わがなみのひとにはあらじ。"とおもひて、もののはさまよりのぞけば、このをとこのかほ、みしここちす。たれとはえおぼえず。いとわかかりしほどをみしに、ふとりくろみてやつれたれば、おほくのとしへだてたるめには、ふとしもみわかぬなりけり。 |
22 | 3.3.8 | 240 | 213 |
「三条、ここに召す」 |
"さんでう、ここにめす。" |
22 | 3.3.9 | 241 | 214 |
と呼び寄する女を見れば、また見し人なり。 |
とよびよするをんなをみれば、またみしひとなり。 |
22 | 3.3.10 | 242 | 215 |
「故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れたまへりし御住みかまでありし者なりけり」 |
"こおほんかたに、しもびとなれど、ひさしくつかうまつりなれて、かのかくれたまへりしおほんすみかまでありしものなりけり。" |
22 | 3.3.11 | 243 | 216 |
と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、 |
とみなして、いみじくゆめのやうなり。しうとおぼしきひとは、いとゆかしけれど、みゆべくもかまへず。おもひわびて、 |
22 | 3.3.12 | 244 | 217 |
「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」 |
"このをんなにとはん。ひゃうとうたといひしひとも、これにこそあらめ。ひめぎみのおはするにや。" |
22 | 3.3.13 | 245 | 218 |
と思ひ寄るに、いと心もとなくて、この中隔てなる三条を呼ばすれど、食ひ物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎しとおぼゆるも、うちつけなりや。 |
とおもひよるに、いとこころもとなくて、このなかへだてなるさんでうをよばすれど、くひものにこころいれて、とみにもこぬ、いとにくしとおぼゆるも、うちつけなりや。 |
22 | 3.4 | 246 | 219 | 第四段 右近、玉鬘に再会す |
22 | 3.4.1 | 247 | 220 |
からうして、 |
からうして、 |
22 | 3.4.2 | 248 | 221 |
「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」 |
"おぼえずこそはべれ。つくしのくにに、はたとせばかりへにけるげすのみを、しらせたまふべききゃうびとよ。ひとたがへにやはべらん。" |
22 | 3.4.3 | 249 | 222 |
とて、寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとどおぼえて恥づかしけれど、 |
とて、よりきたり。ゐなかびたるかいねりにきぬなどきて、いといたうふとりにけり。わがよはひもいとどおぼえてはづかしけれど、 |
22 | 3.4.4 | 250 | 224 |
「なほ、さし覗け。われをば見知りたりや」 |
"なほ、さしのぞけ。われをばみしりたりや。" |
22 | 3.4.5 | 251 | 225 |
とて、顔さし出でたり。この女の手を打ちて、 |
とて、かほさしいでたり。このをんなのてをうちて、 |
22 | 3.4.6 | 252 | 226 |
「あが御許にこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくより参りたまひたるぞ。上はおはしますや」 |
"あがおもとにこそおはしましけれ。あな、うれしともうれし。いづくよりまゐりたまひたるぞ。うへはおはしますや。" |
22 | 3.4.7 | 253 | 227 |
と、いとおどろおどろしく泣く。若き者にて見なれし世を思ひ出づるに、隔て来にける年月数へられて、いとあはれなり。 |
と、いとおどろおどろしくなく。わかきものにてみなれしよをおもひいづるに、へだてきにけるとしつきかぞへられて、いとあはれなり。 |
22 | 3.4.8 | 254 | 228 |
「まづ、おとどはおはすや。若君は、いかがなりたまひにし。あてきと聞こえしは」 |
"まづ、おとどはおはすや。わかぎみは、いかがなりたまひにし。あてきときこえしは。" |
22 | 3.4.9 | 255 | 229 |
とて、君の御ことは、言ひ出でず。 |
とて、きみのおほんことは、いひいでず。 |
22 | 3.4.10 | 256 | 230 |
「皆おはします。姫君も大人になりておはします。まづ、おとどに、かくなむと聞こえむ」 |
"みなおはします。ひめぎみもおとなになりておはします。まづ、おとどに、かくなんときこえん。" |
22 | 3.4.11 | 257 | 231 |
とて入りぬ。 |
とていりぬ。 |
22 | 3.4.12 | 258 | 232 |
皆、驚きて、 |
みな、おどろきて、 |
22 | 3.4.13 | 259 | 233 |
「夢の心地もするかな」 |
"ゆめのここちもするかな。" |
22 | 3.4.14 | 260 | 234 |
「いとつらく、言はむかたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよ」 |
"いとつらく、いはんかたなくおもひきこゆるひとに、たいめんしぬべきことよ。" |
22 | 3.4.15 | 261 | 235 |
とて、この隔てに寄り来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおし開けて、まづ言ひやるべき方なく泣き交はす。老い人は、ただ、 |
とて、このへだてによりきたり。けどほくへだてつるびゃうぶだつもの、なごりなくおしあけて、まづいひやるべきかたなくなきかはす。おいびとは、ただ、 |
22 | 3.4.16 | 262 | 236 |
「わが君は、いかがなりたまひにし。ここらの年ごろ、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にてもえ聞き伝へたてまつらぬを、いみじく悲しと思ふに、老いの身の残りとどまりたるも、いと心憂けれど、うち捨てたてまつりたまへる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途のほだしにもてわづらひきこえてなむ、またたきはべる」 |
"わがきみは、いかがなりたまひにし。ここらのとしごろ、ゆめにてもおはしまさんところをみんと、たいがんをたつれど、はるかなるせかいにて、かぜのおとにてもえききつたへたてまつらぬを、いみじくかなしとおもふに、おいのみののこりとどまりたるも、いとこころうけれど、うちすてたてまつりたまへるわかぎみの、らうたくあはれにておはしますを、よみぢのほだしにもてわづらひきこえてなん、またたきはべる。" |
22 | 3.4.17 | 263 | 237 |
と言ひ続くれば、昔その折、いふかひなかりしことよりも、応へむ方なくわづらはしと思へども、 |
といひつづくれば、むかしそのをり、いふかひなかりしことよりも、いらへんかたなくわづらはしとおもへども、 |
22 | 3.4.18 | 264 | 238 |
「いでや、聞こえてもかひなし。御方は、はや亡せたまひにき」 |
"いでや、きこえてもかひなし。おほんかたは、はやうせたまひにき。" |
22 | 3.4.19 | 265 | 239 |
と言ふままに、二、三人ながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。 |
といふままに、ふたり、みたりながらむせかへり、いとむつかしく、せきかねたり。 |
22 | 3.5 | 266 | 240 | 第五段 右近、初瀬観音に感謝 |
22 | 3.5.1 | 267 | 241 |
日暮れぬと、急ぎたちて、御燈明の事どもしたため果てて、急がせば、なかなかいと心あわたたしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも、ことのさまだに言ひ知らせあへず。われも人もことに恥づかしくはあらで、皆下り立ちぬ。 |
ひくれぬと、いそぎたちて、みあかしのことどもしたためはてて、いそがせば、なかなかいとこころあわたたしくてたちわかる。"もろともにや。"といへど、かたみにとものひとのあやしとおもふべければ、このすけにも、ことのさまだにいひしらせあへず。われもひともことにはづかしくはあらで、みなおりたちぬ。 |
22 | 3.5.2 | 268 | 242 |
右近は、人知れず目とどめて見るに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月の単衣めくものに着こめたまへる髪の透影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見たてまつる。 |
うこんは、ひとしれずめとどめてみるに、なかにうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、うづきのひとへめくものにきこめたまへるかみのすきかげ、いとあたらしくめでたくみゆ。こころぐるしうかなしとみたてまつる。 |
22 | 3.5.3 | 269 | 243 |
すこし足なれたる人は、とく御堂に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜行なふほどにぞ上りたまへる。いと騒がしく人詣で混みてののしる。右近が局は、仏の右の方に近き間にしたり。この御師は、まだ深からねばにや、西の間に遠かりけるを、 |
すこしあしなれたるひとは、とくみだうにつきにけり。このきみをもてわづらひきこえつつ、そやおこなふほどにぞのぼりたまへる。いとさわがしくひとまうでこみてののしる。うこんがつぼねは、ほとけのみぎのかたにちかきまにしたり。このおほんしは、まだふかからねばにや、にしのまにとほかりけるを、 |
22 | 3.5.4 | 270 | 244 |
「なほ、ここにおはしませ」 |
"なほ、ここにおはしませ。" |
22 | 3.5.5 | 271 | 245 |
と、尋ね交はし言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひあはせて、こなたに移したてまつる。 |
と、たづねかはしいひたれば、をとこどもをばとどめて、すけにかうかうといひあはせて、こなたにうつしたてまつる。 |
22 | 3.5.6 | 272 | 246 |
「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじと頼みはべる。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり」 |
"かくあやしきみなれど、ただいまのおほとのになんさぶらひはべれば、かくかすかなるみちにても、らうがはしきことははべらじとたのみはべる。ゐなかびたるひとをば、かやうのところには、よからぬなまものどもの、あなづらはしうするも、かたじけなきことなり。" |
22 | 3.5.7 | 273 | 247 |
とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行なひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心のうちに、 |
とて、ものがたりいとせまほしけれど、おどろおどろしきおこなひのまぎれ、さわがしきにもよほされて、ほとけをがみたてまつる。うこんはこころのうちに、 |
22 | 3.5.8 | 274 | 248 |
「この人を、いかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつ、かくて見たてまつれば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」 |
"このひとを、いかでたづねきこえんとまうしわたりつるに、かつがつ、かくてみたてまつれば、いまはおもひのごと、おとどのきみの、たづねたてまつらんのみこころざしふかかめるに、しらせたてまつりて、さいはひあらせたてまつりたまへ。" |
22 | 3.5.9 | 275 | 249 |
など申しけり。 |
などまうしけり。 |
22 | 3.6 | 276 | 250 | 第六段 三条、初瀬観音に祈願 |
22 | 3.6.1 | 277 | 251 |
国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国の守の北の方も、詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、 |
くにぐにより、ゐなかびとおほくまうでたりけり。このくにのかみのきたのかたも、まうでたりけり。いかめしくいきほひたるをうらやみて、このさんでうがいふやう、 |
22 | 3.6.2 | 278 | 253 |
「大悲者には、異事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方、ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分に栄えて、返り申しは仕うまつらむ」 |
"だいひさには、ことごともまうさじ。あがひめぎみ、だいにのきたのかた、ならずは、たうごくのずりゃうのきたのかたになしたてまつらん。さんでうらも、ずいぶんにさかえて、かへりまうしはつかうまつらん。" |
22 | 3.6.3 | 279 | 254 |
と、額に手を当てて念じ入りてをり。右近、「いとゆゆしくも言ふかな」と聞きて、 |
と、ひたひにてをあててねんじいりてをり。うこん、"いとゆゆしくもいふかな。"とききて、 |
22 | 3.6.4 | 280 | 255 |
「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は、天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」 |
"いと、いたくこそゐなかびにけれな。ちゅうじゃうどのは、むかしのおほんおぼえだにいかがおはしましし。まして、いまは、あめのしたをみこころにかけたまへるおとどにて、いかばかりいつかしきおほんなかに、おほんかたしも、ずりゃうのめにて、しなさだまりておはしまさんよ。" |
22 | 3.6.5 | 281 | 256 |
と言へば、 |
といへば、 |
22 | 3.6.6 | 282 | 257 |
「あなかま。たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺、観世音寺に参りたまひし勢ひは、帝の行幸にやは劣れる。あな、むくつけ」 |
"あなかま。たまへ。おとどたちもしばしまて。だいにのみたちのうへの、しみづのみてら、かんぜおんじにまゐりたまひしいきほひは、みかどのみゆきにやはおとれる。あな、むくつけ。" |
22 | 3.6.7 | 283 | 258 |
とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りてをり。 |
とて、なほさらにてをひきはなたず、をがみいりてをり。 |
22 | 3.6.8 | 284 | 259 |
筑紫人は、三日籠もらむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠もるべきよし、大徳呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばへなど、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、 |
つくしびとは、みかこもらんとこころざしたまへり。うこんは、さしもおもはざりけれど、かかるついで、のどかにきこえんとて、こもるべきよし、だいとこよびていふ。みあかしぶみなどかきたるこころばへなど、さやうのひとはくだくだしうわきまへければ、つねのことにて、 |
22 | 3.6.9 | 285 | 260 |
「例の藤原の瑠璃君といふが御ためにたてまつる。よく祈り申したまへ。その人、このころなむ見たてまつり出でたる。その願も果たしたてまつるべし」 |
"れいのふぢはらのるりきみといふがおほんためにたてまつる。よくいのりまうしたまへ。そのひと、このころなんみたてまつりいでたる。そのがんもはたしたてまつるべし。" |
22 | 3.6.10 | 286 | 261 |
と言ふを聞くも、あはれなり。法師、 |
といふをきくも、あはれなり。ほふし、 |
22 | 3.6.11 | 287 | 262 |
「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しはべる験にこそはべれ」 |
"いとかしこきことかな。たゆみなくいのりまうしはべるしるしにこそはべれ。" |
22 | 3.6.12 | 288 | 263 |
と言ふ。いと騒がしう、夜一夜行なふなり。 |
といふ。いとさわがしう、よひとよおこなふなり。 |
22 | 3.7 | 289 | 264 | 第七段 右近、主人の光る源氏について語る |
22 | 3.7.1 | 290 | 265 |
明けぬれば、知れる大徳の坊に下りぬ。物語、心やすくとなるべし。姫君のいたくやつれたまへる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。 |
あけぬれば、しれるだいとこのばうにおりぬ。ものがたり、こころやすくとなるべし。ひめぎみのいたくやつれたまへる、はづかしげにおぼしたるさま、いとめでたくみゆ。 |
22 | 3.7.2 | 291 | 266 |
「おぼえぬ高き交じらひをして、多くの人をなむ見集むれど、殿の上の御容貌に似る人おはせじとなむ、年ごろ見たてまつるを、また、生ひ出でたまふ姫君の御さま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたてまつりたまふさまも、並びなかめるに、かうやつれたまへる御さまの、劣りたまふまじく見えたまふは、ありがたうなむ。 |
"おぼえぬたかきまじらひをして、おほくのひとをなんみあつむれど、とののうへのおほんかたちににるひとおはせじとなん、としごろみたてまつるを、また、おひいでたまふひめぎみのおほんさま、いとことわりにめでたくおはします。かしづきたてまつりたまふさまも、ならびなかめるに、かうやつれたまへるおほんさまの、おとりたまふまじくみえたまふは、ありがたうなん。 |
22 | 3.7.3 | 292 | 267 |
大臣の君、父帝の御時より、そこらの女御、后、それより下は残るなく見たてまつり集めたまへる御目にも、当代の御母后と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、『よき人とはこれを言ふにやあらむとおぼゆる』と聞こえたまふ。 |
おとどのきみ、ちちみかどのおほんときより、そこらのにょうご、きさき、それよりしもはのこるなくみたてまつりあつめたまへるおほんめにも、たうだいのおほんははぎさきときこえしと、このひめぎみのおほんかたちとをなん、'よきひととはこれをいふにやあらんとおぼゆる。'ときこえたまふ。 |
22 | 3.7.4 | 293 | 268 |
見たてまつり並ぶるに、かの后の宮をば知りきこえず、姫君はきよらにおはしませど、まだ、片なりにて、生ひ先ぞ推し量られたまふ。 |
みたてまつりならぶるに、かのきさきのみやをばしりきこえず、ひめぎみはきよらにおはしませど、まだ、かたなりにて、おひさきぞおしはかられたまふ。 |
22 | 3.7.5 | 294 | 269 |
上の御容貌は、なほ誰か並びたまはむと、なむ見えたまふ。殿も、すぐれたりと思しためるを、言に出でては、何かは数へのうちには聞こえたまはむ。『我に並びたまへるこそ、君はおほけなけれ』となむ、戯れきこえたまふ。 |
うへのおほんかたちは、なほたれかならびたまはんと、なんみえたまふ。とのも、すぐれたりとおぼしためるを、ことにいでては、なにかはかずへのうちにはきこえたまはん。'われにならびたまへるこそ、きみはおほけなけれ。'となん、たはぶれきこえたまふ。 |
22 | 3.7.6 | 295 | 270 |
見たてまつるに、命延ぶる御ありさまどもを、またさるたぐひおはしましなむやとなむ思ひはべるに、いづくか劣りたまはむ。ものは限りあるものなれば、すぐれたまへりとて、頂きを離れたる光やはおはする。ただ、これを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」 |
みたてまつるに、いのちのぶるおほんありさまどもを、またさるたぐひおはしましなんやとなんおもひはべるに、いづくかおとりたまはん。ものはかぎりあるものなれば、すぐれたまへりとて、いただきをはなれたるひかりやはおはする。ただ、これを、すぐれたりとはきこゆべきなめりかし。" |
22 | 3.7.7 | 296 | 271 |
と、うち笑みて見たてまつれば、老い人もうれしと思ふ。 |
と、うちゑみてみたてまつれば、おいびともうれしとおもふ。 |
22 | 3.8 | 297 | 272 | 第八段 乳母、右近に依頼 |
22 | 3.8.1 | 298 | 273 |
「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈めたてまつりぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも捨て、男女の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京にまうで来し。 |
"かかるおほんさまを、ほとほとあやしきところにしづめたてまつりぬべかりしに、あたらしくかなしうて、いへかまどをもすて、をとこをんなのたのむべきこどもにもひきわかれてなん、かへりてしらぬよのここちするきゃうにまうでこし。 |
22 | 3.8.2 | 299 | 274 |
あが御許、はやくよきさまに導ききこえたまへ。高き宮仕へしたまふ人は、おのづから行き交じりたるたよりものしたまふらむ。父大臣に聞こしめされ、数まへられたまふべきたばかり、思し構へよ」 |
あがおもと、はやくよきさまにみちびききこえたまへ。たかきみやづかへしたまふひとは、おのづからゆきまじりたるたよりものしたまふらん。ちちおとどにきこしめされ、かずまへられたまふべきたばかり、おぼしかまへよ。" |
22 | 3.8.3 | 300 | 275 |
と言ふ。恥づかしう思いて、うしろ向きたまへり。 |
といふ。はづかしうおぼいて、うしろむきたまへり。 |
22 | 3.8.4 | 301 | 276 |
「いでや、身こそ数ならねど、殿も御前近く召し使ひたまへば、ものの折ごとに、『いかにならせたまひにけむ』と聞こえ出づるを、聞こしめし置きて、『われいかで尋ねきこえむと思ふを、聞き出でたてまつりたらば』となむ、のたまはする」 |
"いでや、みこそかずならねど、とのもおまへちかくめしつかひたまへば、もののをりごとに、'いかにならせたまひにけん。'ときこえいづるを、きこしめしおきて、'われいかでたづねきこえんとおもふを、ききいでたてまつりたらば。'となん、のたまはする。" |
22 | 3.8.5 | 302 | 277 |
と言へば、 |
といへば、 |
22 | 3.8.6 | 303 | 278 |
「大臣の君は、めでたくおはしますとも、さるやむごとなき妻どもおはしますなり。まづまことの親とおはする大臣にを知らせたてまつりたまへ」 |
"おとどのきみは、めでたくおはしますとも、さるやんごとなきめどもおはしますなり。まづまことのおやとおはするおとどにをしらせたてまつりたまへ。" |
22 | 3.8.7 | 304 | 279 |
など言ふに、ありしさまなど語り出でて、 |
などいふに、ありしさまなどかたりいでて、 |
22 | 3.8.8 | 305 | 280 |
「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、『かの御代はりに見たてまつらむ。子も少なきがさうざうしきに、わが子を尋ね出でたると人には知らせて』と、そのかみよりのたまふなり。 |
"よにわすれがたくかなしきことになんおぼして、'かのおほんかはりにみたてまつらん。こもすくなきがさうざうしきに、わがこをたづねいでたるとひとにはしらせて。'と、そのかみよりのたまふなり。 |
22 | 3.8.9 | 306 | 281 |
心の幼かりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、え尋ねても聞こえで過ごししほどに、少弐になりたまへるよしは、御名にて知りにき。まかり申しに、殿に参りたまへりし日、ほの見たてまつりしかども、え聞こえで止みにき。 |
こころのをさなかりけることは、よろづにものつつましかりしほどにて、えたづねてもきこえですごししほどに、せうにになりたまへるよしは、おほんなにてしりにき。まかりまうしに、とのにまゐりたまへりしひ、ほのみたてまつりしかども、えきこえでやみにき。 |
22 | 3.8.10 | 307 | 282 |
さりとも、姫君をば、かのありし夕顔の五条にぞとどめたてまつりたまへらむとぞ思ひし。あな、いみじや。田舎人にておはしまさましよ」 |
さりとも、ひめぎみをば、かのありしゆふがほのごでうにぞとどめたてまつりたまへらんとぞおもひし。あな、いみじや。ゐなかびとにておはしまさましよ。" |
22 | 3.8.11 | 308 | 283 |
など、うち語らひつつ、日一日、昔物語、念誦などしつつ。 |
など、うちかたらひつつ、ひひとい、ものがたり、ねんずなどしつつ。 |
22 | 3.9 | 309 | 284 | 第九段 右近、玉鬘一行と約束して別れる |
22 | 3.9.1 | 310 | 285 |
参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、 |
まゐりつどふひとのありさまども、みくださるるかたなり。まへよりゆくみづをば、はつせがはといふなりけり。うこん、 |
22 | 3.9.2 | 311 | 286 |
「二本の杉のたちどを尋ねずは<BR/>古川野辺に君を見ましや |
"〔ふたもとのすぎのたちどをたづねずは<BR/>ふるかはのべにきみをみましや |
22 | 3.9.3 | 312 | 287 |
うれしき瀬にも」 |
うれしきせにも。" |
22 | 3.9.4 | 313 | 288 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
22 | 3.9.5 | 314 | 289 |
「初瀬川はやくのことは知らねども<BR/>今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ」 |
"〔はつせがははやくのことはしらねども<BR/>けふのあふせにみさへながれぬ〕 |
22 | 3.9.6 | 315 | 290 |
と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。 |
と、うちなきておはするさま、いとめやすし。 |
22 | 3.9.7 | 316 | 291 |
「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」 |
"かたちはいとかくめでたくきよげながら、ゐなかび、こちこちしうおはせましかば、いかにたまのきずならまし。いで、あはれ、いかでかくおひいでたまひけん。" |
22 | 3.9.8 | 317 | 292 |
と、おとどをうれしく思ふ。 |
と、おとどをうれしくおもふ。 |
22 | 3.9.9 | 318 | 293 |
母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ。 |
ははぎみは、ただいとわかやかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これはけだかく、もてなしなどはづかしげに、よしめきたまへり。つくしをこころにくくおもひなすに、みな、みしひとはさとびにたるに、こころえがたくなん。 |
22 | 3.9.10 | 319 | 294 |
暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。 |
くるれば、みだうにのぼりて、またのひもおこなひくらしたまふ。 |
22 | 3.9.11 | 320 | 295 |
秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもには、よろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。 |
あきかぜ、たによりはるかにふきのぼりて、いとはださむきに、ものいとあはれなるこころどもには、よろづおもひつづけられて、ひとなみなみならんこともありがたきこととおもひしづみつるを、このひとのものがたりのついでに、ちちおとどのおほんありさま、はらばらのなにともあるまじきみこども、みなものめかしなしたてたまふをきけば、かかるしたくさたのもしくぞおぼしなりぬる。 |
22 | 3.9.12 | 321 | 296 |
出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。 |
いづとても、かたみにやどるところもとひかはして、もしまたおひまどはしたらんときと、あやふくおもひけり。うこんがいへは、ろくでうのゐんちかきわたりなりければ、ほどとほからで、いひかはすもたつきいできぬるここちしけり。 |
22 | 4 | 322 | 297 | 第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語 |
22 | 4.1 | 323 | 298 | 第一段 右近、六条院に帰参する |
22 | 4.1.1 | 324 | 299 |
右近は、大殿に参りぬ。このことをかすめ聞こゆるついでもやとて、急ぐなりけり。御門引き入るるより、けはひことに広々として、まかで参りする車多くまよふ。数ならで立ち出づるも、まばゆき心地する玉の台なり。その夜は御前にも参らで、思ひ臥したり。 |
うこんは、おほとのにまゐりぬ。このことをかすめきこゆるついでもやとて、いそぐなりけり。みかどひきいるるより、けはひことにひろびろとして、まかでまゐりするくるまおほくまよふ。かずならでたちいづるも、まばゆきここちするたまのうてななり。そのよはおまへにもまゐらで、おもひふしたり。 |
22 | 4.1.2 | 325 | 300 |
またの日、昨夜里より参れる上臈、若人どものなかに、取り分きて右近を召し出づれば、おもだたしくおぼゆ。大臣も御覧じて、 |
またのひ、よべさとよりまゐれるじゃうらふ、わかうどどものなかに、とりわきてうこんをめしいづれば、おもだたしくおぼゆ。おとどもごらんじて、 |
22 | 4.1.3 | 326 | 301 |
「などか、里居は久しくしつるぞ。例ならず、やまめ人の、引き違へ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらむかし」 |
"などか、さとゐはひさしくしつるぞ。れいならず、やまめびとの、ひきたがへ、こまがへるやうもありかし。をかしきことなどありつらんかし。" |
22 | 4.1.4 | 327 | 302 |
など、例の、むつかしう、戯れ事などのたまふ。 |
など、れいの、むつかしう、たはぶれごとなどのたまふ。 |
22 | 4.1.5 | 328 | 303 |
「まかでて、七日に過ぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなむ。山踏しはべりて、あはれなる人をなむ見たまへつけたりし」 |
"まかでて、なぬかにすぎはべりぬれど、をかしきことははべりがたくなん。やまぶみしはべりて、あはれなるひとをなんみたまへつけたりし。" |
22 | 4.1.6 | 329 | 304 |
「何人ぞ」 |
"なにびとぞ。" |
22 | 4.1.7 | 330 | 305 |
と問ひたまふ。「ふと聞こえ出でむも、まだ上に聞かせたてまつらで、取り分き申したらむを、のちに聞きたまうては、隔てきこえけりとや思さむ」など、思ひ乱れて、 |
ととひたまふ。"ふときこえいでんも、まだうへにきかせたてまつらで、とりわきまうしたらんを、のちにききたまうては、へだてきこえけりとやおぼさん。"など、おもひみだれて、 |
22 | 4.1.8 | 331 | 306 |
「今聞こえさせはべらむ」 |
"いまきこえさせはべらん。" |
22 | 4.1.9 | 332 | 307 |
とて、人びと参れば、聞こえさしつ。 |
とて、ひとびとまゐれば、きこえさしつ。 |
22 | 4.1.10 | 333 | 308 |
大殿油など参りて、うちとけ並びおはします御ありさまども、いと見るかひ多かり。女君は、二十七、八にはなりたまひぬらむかし、盛りにきよらにねびまさりたまへり。すこしほど経て見たてまつるは、「また、このほどにこそ、にほひ加はりたまひにけれ」と見えたまふ。 |
おほとなぶらなどまゐりて、うちとけならびおはしますおほんありさまども、いとみるかひおほかり。をんなぎみは、にじふしちはちにはなりたまひぬらんかし、さかりにきよらにねびまさりたまへり。すこしほどへてみたてまつるは、"また、このほどにこそ、にほひくははりたまひにけれ。"とみえたまふ。 |
22 | 4.1.11 | 334 | 309 |
かの人をいとめでたし、劣らじと見たてまつりしかど、思ひなしにや、なほこよなきに、「幸ひのなきとあるとは、隔てあるべきわざかな」と見合はせらる。 |
かのひとをいとめでたし、おとらじとみたてまつりしかど、おもひなしにや、なほこよなきに、"さいはひのなきとあるとは、へだてあるべきわざかな。"とみあはせらる。 |
22 | 4.2 | 335 | 310 | 第二段 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る |
22 | 4.2.1 | 336 | 311 |
大殿籠もるとて、右近を御脚参りに召す。 |
おほとのごもるとて、うこんをみあしまゐりにめす。 |
22 | 4.2.2 | 337 | 312 |
「若き人は、苦しとてむつかるめり。なほ年経ぬるどちこそ、心交はして睦びよかりけれ」 |
"わかきひとは、くるしとてむつかるめり。なほとしへぬるどちこそ、こころかはしてむつびよかりけれ。" |
22 | 4.2.3 | 338 | 313 |
とのたまへば、人びと忍びて笑ふ。 |
とのたまへば、ひとびとしのびてわらふ。 |
22 | 4.2.4 | 339 | 314 |
「さりや。誰か、その使ひならいたまはむをば、むつからむ」 |
"さりや。たれか、そのつかひならいたまはんをば、むつからん。" |
22 | 4.2.5 | 340 | 315 |
「うるさき戯れ事言ひかかりたまふを、わづらはしきに」 |
"うるさきたはぶれごといひかかりたまふを、わづらはしきに。" |
22 | 4.2.6 | 341 | 316 |
など言ひあへり。 |
などいひあへり。 |
22 | 4.2.7 | 342 | 317 |
「上も、年経ぬるどちうちとけ過ぎ、はた、むつかりたまはむとや。さるまじき心と見ねば、危ふし」 |
"うへも、としへぬるどちうちとけすぎ、はた、むつかりたまはんとや。さるまじきこころとみねば、あやふし。" |
22 | 4.2.8 | 343 | 318 |
など、右近に語らひて笑ひたまふ。いと愛敬づき、をかしきけさへ添ひたまへり。 |
など、うこんにかたらひてわらひたまふ。いとあいぎゃうづき、をかしきけさへそひたまへり。 |
22 | 4.2.9 | 344 | 319 |
今は朝廷に仕へ、忙しき御ありさまにもあらぬ御身にて、世の中のどやかに思さるるままに、ただはかなき御戯れ事をのたまひ、をかしく人の心を見たまふあまりに、かかる古人をさへぞ戯れたまふ。 |
いまはおほやけにつかへ、いそがしきおほんありさまにもあらぬおほんみにて、よのなかのどやかにおぼさるるままに、ただはかなきおほんたはぶれごとをのたまひ、をかしくひとのこころをみたまふあまりに、かかるふるびとをさへぞたはぶれたまふ。 |
22 | 4.2.10 | 345 | 320 |
「かの尋ね出でたりけむや、何ざまの人ぞ。尊き修行者語らひて、率て来たるか」 |
"かのたづねいでたりけんや、なにざまのひとぞ。たふときすぎゃうざかたらひて、ゐてきたるか。" |
22 | 4.2.11 | 346 | 321 |
と問ひたまへば、 |
ととひたまへば、 |
22 | 4.2.12 | 347 | 322 |
「あな、見苦しや。はかなく消えたまひにし夕顔の露の御ゆかりをなむ、見たまへつけたりし」 |
"あな、みぐるしや。はかなくきえたまひにしゆふがほのつゆのおほんゆかりをなん、みたまへつけたりし。" |
22 | 4.2.13 | 348 | 323 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
22 | 4.2.14 | 349 | 324 |
「げに、あはれなりけることかな。年ごろはいづくにか」 |
"げに、あはれなりけることかな。としごろはいづくにか。" |
22 | 4.2.15 | 350 | 325 |
とのたまへば、ありのままには聞こえにくくて、 |
とのたまへば、ありのままにはきこえにくくて、 |
22 | 4.2.16 | 351 | 326 |
「あやしき山里になむ。昔人もかたへは変はらではべりければ、その世の物語し出ではべりて、堪へがたく思ひたまへりし」 |
"あやしきやまざとになん。むかしびともかたへはかはらではべりければ、そのよのものがたりしいではべりて、たへがたくおもひたまへりし。" |
22 | 4.2.17 | 352 | 327 |
など聞こえゐたり。 |
などきこえゐたり。 |
22 | 4.2.18 | 353 | 328 |
「よし、心知りたまはぬ御あたりに」 |
"よし、こころしりたまはぬおほんあたりに。" |
22 | 4.2.19 | 354 | 329 |
と、隠しきこえたまへば、上、 |
と、かくしきこえたまへば、うへ、 |
22 | 4.2.20 | 355 | 330 |
「あな、わづらはし。ねぶたきに、聞き入るべくもあらぬものを」 |
"あな、わづらはし。ねぶたきに、ききいるべくもあらぬものを。" |
22 | 4.2.21 | 356 | 331 |
とて、御袖して御耳塞ぎたまひつ。 |
とて、おほんそでしておほんみみふたぎたまひつ。 |
22 | 4.2.22 | 357 | 332 |
「容貌などは、かの昔の夕顔と劣らじや」 |
"かたちなどは、かのむかしのゆふがほとおとらじや。" |
22 | 4.2.23 | 358 | 333 |
などのたまへば、 |
などのたまへば、 |
22 | 4.2.24 | 359 | 334 |
「かならずさしもいかでかものしたまはむと思ひたまへりしを、こよなうこそ生ひまさりて見えたまひしか」 |
"かならずさしもいかでかものしたまはんとおもひたまへりしを、こよなうこそおひまさりてみえたまひしか。" |
22 | 4.2.25 | 360 | 335 |
と聞こゆれば、 |
ときこゆれば、 |
22 | 4.2.26 | 361 | 336 |
「をかしのことや。誰ばかりとおぼゆ。この君と」 |
"をかしのことや。たればかりとおぼゆ。このきみと。" |
22 | 4.2.27 | 362 | 337 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
22 | 4.2.28 | 363 | 338 |
「いかでか、さまでは」 |
"いかでか、さまでは。" |
22 | 4.2.29 | 364 | 339 |
と聞こゆれば、 |
ときこゆれば、 |
22 | 4.2.30 | 365 | 340 |
「したり顔にこそ思ふべけれ。我に似たらばしも、うしろやすしかし」 |
"したりがほにこそおもふべけれ。われににたらばしも、うしろやすしかし。" |
22 | 4.2.31 | 366 | 341 |
と、親めきてのたまふ。 |
と、おやめきてのたまふ。 |
22 | 4.3 | 367 | 342 | 第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える |
22 | 4.3.1 | 368 | 343 |
かく聞きそめてのちは、召し放ちつつ、 |
かくききそめてのちは、めしはなちつつ、 |
22 | 4.3.2 | 369 | 344 |
「さらば、かの人、このわたりに渡いたてまつらむ。年ごろ、もののついでごとに、口惜しう惑はしつることを思ひ出でつるに、いとうれしく聞き出でながら、今までおぼつかなきも、かひなきことになむ。 |
"さらば、かのひと、このわたりにわたいたてまつらん。としごろ、もののついでごとに、くちをしうまどはしつることをおもひいでつるに、いとうれしくききいでながら、いままでおぼつかなきも、かひなきことになん。 |
22 | 4.3.3 | 370 | 345 |
父大臣には、何か知られむ。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ち交じりたらむが、なかなかなることこそあらめ。我は、かうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出だしたるとも言はむかし。好き者どもの心尽くさするくさはひにて、いといたうもてなさむ」 |
ちちおとどには、なにかしられん。いとあまたもてさわがるめるが、かずならで、いまはじめたちまじりたらんが、なかなかなることこそあらめ。われは、かうさうざうしきに、おぼえぬところよりたづねいだしたるともいはんかし。すきものどものこころつくさするくさはひにて、いといたうもてなさん。" |
22 | 4.3.4 | 371 | 346 |
など語らひたまへば、かつがついとうれしく思ひつつ、 |
などかたらひたまへば、かつがついとうれしくおもひつつ、 |
22 | 4.3.5 | 372 | 347 |
「ただ御心になむ。大臣に知らせたてまつらむとも、誰れかは伝へほのめかしたまはむ。いたづらに過ぎものしたまひし代はりには、ともかくも引き助けさせたまはむことこそは、罪軽ませたまはめ」 |
"ただみこころになん。おとどにしらせたてまつらんとも、たれかはつたへほのめかしたまはん。いたづらにすぎものしたまひしかはりには、ともかくもひきたすけさせたまはんことこそは、つみかろませたまはめ。" |
22 | 4.3.6 | 373 | 348 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
22 | 4.3.7 | 374 | 349 |
「いたうもかこちなすかな」 |
"いたうもかこちなすかな。" |
22 | 4.3.8 | 375 | 350 |
と、ほほ笑みながら、涙ぐみたまへり。 |
と、ほほゑみながら、なみだぐみたまへり。 |
22 | 4.3.9 | 376 | 351 |
「あはれに、はかなかりける契りとなむ、年ごろ思ひわたる。かくて集へる方々のなかに、かの折の心ざしばかり思ひとどむる人なかりしを、命長くて、わが心長さをも見はべるたぐひ多かめるなかに、いふかひなくて、右近ばかりを形見に見るは、口惜しくなむ。思ひ忘るる時なきに、さてものしたまはば、いとこそ本意かなふ心地すべけれ」 |
"あはれに、はかなかりけるちぎりとなん、としごろおもひわたる。かくてつどへるかたがたのなかに、かのをりのこころざしばかりおもひとどむるひとなかりしを、いのちながくて、わがこころながさをもみはべるたぐひおほかめるなかに、いふかひなくて、うこんばかりをかたみにみるは、くちをしくなん。おもひわするるときなきに、さてものしたまはば、いとこそほいかなふここちすべけれ。" |
22 | 4.3.10 | 377 | 352 |
とて、御消息たてまつれたまふ。かの末摘花のいふかひなかりしを思し出づれば、さやうに沈みて生ひ出でたらむ人のありさまうしろめたくて、まづ、文のけしきゆかしく思さるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしく書きたまひて、端に、 |
とて、おほんせうそこたてまつれたまふ。かのすゑつむはなのいふかひなかりしをおぼしいづれば、さやうにしづみておひいでたらんひとのありさまうしろめたくて、まづ、ふみのけしきゆかしくおぼさるるなりけり。ものまめやかに、あるべかしくかきたまひて、はしに、 |
22 | 4.3.11 | 378 | 353 |
「かく聞こゆるを、 |
"かくきこゆるを、 |
22 | 4.3.12 | 379 | 354 |
知らずとも尋ねて知らむ三島江に<BR/>生ふる三稜の筋は絶えじを」 |
しらずともたづねてしらんみしまえに<BR/>おふるみくりのすぢはたえじを〕 |
22 | 4.3.13 | 380 | 355 |
となむありける。 |
となんありける。 |
22 | 4.3.14 | 381 | 356 |
御文、みづからまかでて、のたまふさまなど聞こゆ。御装束、人びとの料などさまざまあり。上にも語らひきこえたまへるなるべし、御匣殿などにも、設けの物召し集めて、色あひ、しざまなど、ことなるをと、選らせたまへれば、田舎びたる目どもには、まして珍らしきまでなむ思ひける。 |
おほんふみ、みづからまかでて、のたまふさまなどきこゆ。おほんさうぞく、ひとびとのれうなどさまざまあり。うへにもかたらひきこえたまへるなるべし、みくしげどのなどにも、まうけのものめしあつめて、いろあひ、しざまなど、ことなるをと、えらせたまへれば、ゐなかびたるめどもには、ましてめづらしきまでなんおもひける。 |
22 | 4.4 | 382 | 357 | 第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す |
22 | 4.4.1 | 383 | 358 |
正身は、 |
さうじみは、 |
22 | 4.4.2 | 384 | 359 |
「ただかことばかりにても、まことの親の御けはひならばこそうれしからめ、いかでか知らぬ人の御あたりには交じらはむ」 |
"ただかことばかりにても、まことのおやのおほんけはひならばこそうれしからめ、いかでかしらぬひとのおほんあたりにはまじらはん。" |
22 | 4.4.3 | 385 | 360 |
と、おもむけて、苦しげに思したれど、あるべきさまを、右近聞こえ知らせ、人びとも、 |
と、おもむけて、くるしげにおぼしたれど、あるべきさまを、うこんきこえしらせ、ひとびとも、 |
22 | 4.4.4 | 386 | 361 |
「おのづから、さて人だちたまひなば、大臣の君も尋ね知りきこえたまひなむ。親子の御契りは、絶えて止まぬものなり」 |
"おのづから、さてひとだちたまひなば、おとどのきみもたづねしりきこえたまひなん。おやこのおほんちぎりは、たえてやまぬものなり。" |
22 | 4.4.5 | 387 | 362 |
「右近が、数にもはべらず、いかでか御覧じつけられむと思ひたまへしだに、仏神の御導きはべらざりけりや。まして、誰れも誰れもたひらかにだにおはしまさば」 |
"うこんが、かずにもはべらず、いかでかごらんじつけられんとおもひたまへしだに、ほとけかみのおほんみちびきはべらざりけりや。まして、たれもたれもたひらかにだにおはしまさば。" |
22 | 4.4.6 | 388 | 363 |
と、皆聞こえ慰む。 |
と、みなきこえなぐさむ。 |
22 | 4.4.7 | 389 | 364 |
「まづ御返りを」と、責めて書かせたてまつる。 |
"まづおほんかへりを。"と、せめてかかせたてまつる。 |
22 | 4.4.8 | 390 | 365 |
「いとこよなく田舎びたらむものを」 |
"いとこよなくゐなかびたらんものを。" |
22 | 4.4.9 | 391 | 366 |
と恥づかしく思いたり。唐の紙のいと香ばしきを取り出でて、書かせたてまつる。 |
とはづかしくおぼいたり。からのかみのいとかうばしきをとりいでて、かかせたてまつる。 |
22 | 4.4.10 | 392 | 367 |
「数ならぬ三稜や何の筋なれば<BR/>憂きにしもかく根をとどめけむ」 |
"〔かずならぬみくりやなにのすぢなれば<BR/>うきにしもかくねをとどめけん〕 |
22 | 4.4.11 | 393 | 368 |
とのみ、ほのかなり。手は、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにて口惜しからねば、御心落ちゐにけり。 |
とのみ、ほのかなり。ては、はかなだち、よろぼはしけれど、あてはかにてくちをしからねば、みこころおちゐにけり。 |
22 | 4.4.12 | 394 | 369 |
住みたまふべき御かた御覧ずるに、 |
すみたまふべきおほんかたごらんずるに、 |
22 | 4.4.13 | 395 | 370 |
「南の町には、いたづらなる対どもなどなし。勢ひことに住み満ちたまへれば、顕証に人しげくもあるべし。中宮おはします町は、かやうの人も住みぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふ人の列にや聞きなさむ」と思して、「すこし埋れたれど、丑寅の町の西の対、文殿にてあるを、異方へ移して」と思す。 |
"みなみのまちには、いたづらなるたいどもなどなし。いきほひことにすみみちたまへれば、けせうにひとしげくもあるべし。ちゅうぐうおはしますまちは、かやうのひともすみぬべく、のどやかなれど、さてさぶらふひとのつらにやききなさん。"とおぼして、"すこしむもれたれど、うしとらのまちのにしのたい、ふどのにてあるを、ことかたへうつして。"とおぼす。 |
22 | 4.4.14 | 396 | 371 |
「あひ住みにも、忍びやかに心よくものしたまふ御方なれば、うち語らひてもありなむ」 |
"あひずみにも、しのびやかにこころよくものしたまふおほんかたなれば、うちかたらひてもありなん。" |
22 | 4.4.15 | 397 | 372 |
と思しおきつ。 |
とおぼしおきつ。 |
22 | 4.5 | 398 | 373 | 第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る |
22 | 4.5.1 | 399 | 374 |
上にも、今ぞ、かのありし昔の世の物語聞こえ出でたまひける。かく御心に籠めたまふことありけるを、恨みきこえたまふ。 |
うへにも、いまぞ、かのありしむかしのよのものがたりきこえいでたまひける。かくみこころにこめたまふことありけるを、うらみきこえたまふ。 |
22 | 4.5.2 | 400 | 375 |
「わりなしや。世にある人の上とてや、問はず語りは聞こえ出でむ。かかるついでに隔てぬこそは、人にはことには思ひきこゆれ」 |
"わりなしや。よにあるひとのうへとてや、とはずがたりはきこえいでん。かかるついでにへだてぬこそは、ひとにはことにはおもひきこゆれ。" |
22 | 4.5.3 | 401 | 376 |
とて、いとあはれげに思し出でたり。 |
とて、いとあはれげにおぼしいでたり。 |
22 | 4.5.4 | 402 | 377 |
「人の上にてもあまた見しに、いと思はぬなかも、女といふものの心深きをあまた見聞きしかば、さらに好き好きしき心はつかはじとなむ思ひしを、おのづからさるまじきをもあまた見しなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなむ思ひ出でらるる。世にあらましかば、北の町にものする人の列には、などか見ざらまし。人のありさま、とりどりになむありける。かどかどしう、をかしき筋などはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな」 |
"ひとのうへにてもあまたみしに、いとおもはぬなかも、をんなといふもののこころふかきをあまたみききしかば、さらにすきずきしきこころはつかはじとなんおもひしを、おのづからさるまじきをもあまたみしなかに、あはれとひたぶるにらうたきかたは、またたぐひなくなんおもひいでらるる。よにあらましかば、きたのまちにものするひとのなみには、などかみざらまし。ひとのありさま、とりどりになんありける。かどかどしう、をかしきすぢなどはおくれたりしかども、あてはかにらうたくもありしかな。" |
22 | 4.5.5 | 403 | 378 |
などのたまふ。 |
などのたまふ。 |
22 | 4.5.6 | 404 | 379 |
「さりとも、明石の列には、立ち並べたまはざらまし」 |
"さりとも、あかしのなみには、たちならべたまはざらまし。" |
22 | 4.5.7 | 405 | 380 |
とのたまふ。なほ北の御殿をば、めざましと心置きたまへり。姫君の、いとうつくしげにて、何心もなく聞きたまふが、らうたければ、また、「ことわりぞかし」と思し返さる。 |
とのたまふ。なほきたのおとどをば、めざましとこころおきたまへり。ひめぎみの、いとうつくしげにて、なにごころもなくききたまふが、らうたければ、また、"ことわりぞかし。"とおぼしかへさる。 |
22 | 4.6 | 406 | 381 | 第六段 玉鬘、六条院に入る |
22 | 4.6.1 | 407 | 382 |
かくいふは、九月のことなりけり。渡りたまはむこと、すがすがしくもいかでかはあらむ。よろしき童女、若人など求めさす。筑紫にては、口惜しからぬ人びとも、京より散りぼひ来たるなどを、たよりにつけて呼び集めなどしてさぶらはせしも、にはかに惑ひ出でたまひし騷ぎに、皆おくらしてければ、また人もなし。京はおのづから広き所なれば、市女などやうのもの、いとよく求めつつ、率て来。その人の御子などは知らせざりけり。 |
かくいふは、ながつきのことなりけり。わたりたまはんこと、すがすがしくもいかでかはあらん。よろしきわらは、わかうどなどもとめさす。つくしにては、くちをしからぬひとびとも、きゃうよりちりぼひきたるなどを、たよりにつけてよびあつめなどしてさぶらはせしも、にはかにまどひいでたまひしさわぎに、みなおくらしてければ、またひともなし。きゃうはおのづからひろきところなれば、いちめなどやうのもの、いとよくもとめつつ、ゐてく。そのひとのみこなどはしらせざりけり。 |
22 | 4.6.2 | 408 | 383 |
右近が里の五条に、まづ忍びて渡したてまつりて、人びと選りととのへ、装束ととのへなどして、十月にぞ渡りたまふ。 |
うこんがさとのごでうに、まづしのびてわたしたてまつりて、ひとびとえりととのへ、さうぞくととのへなどして、かんなづきにぞわたりたまふ。 |
22 | 4.6.3 | 409 | 384 |
大臣、東の御方に聞こえつけたてまつりたまふ。 |
おとど、ひんがしのおほんかたにきこえつけたてまつりたまふ。 |
22 | 4.6.4 | 410 | 385 |
「あはれと思ひし人の、ものうじして、はかなき山里に隠れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはべりしかども、え聞き出ででなむ、女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時にだにとて、移ろはしはべるなり」とて、「母も亡くなりにけり。中将を聞こえつけたるに、悪しくやはある。同じごと後見たまへ。山賤めきて生ひ出でたれば、鄙びたること多からむ。さるべく、ことにふれて教へたまへ」 |
"あはれとおもひしひとの、ものうじして、はかなきやまざとにかくれゐにけるを、をさなきひとのありしかば、としごろもひとしれずたづねはべりしかども、えききいででなん、をうなになるまですぎにけるを、おぼえぬかたよりなん、ききつけたるときにだにとて、うつろはしはべるなり。"とて、"ははもなくなりにけり。ちゅうじゃうをきこえつけたるに、あしくやはある。おなじごとうしろみたまへ。やまがつめきておひいでたれば、ひなびたることおほからん。さるべく、ことにふれてをしへたまへ。" |
22 | 4.6.5 | 411 | 386 |
と、いとこまやかに聞こえたまふ。 |
と、いとこまやかにきこえたまふ。 |
22 | 4.6.6 | 412 | 387 |
「げに、かかる人のおはしけるを、知りきこえざりけるよ。姫君の一所ものしたまふがさうざうしきに、よきことかな」 |
"げに、かかるひとのおはしけるを、しりきこえざりけるよ。ひめぎみのひとところものしたまふがさうざうしきに、よきことかな。" |
22 | 4.6.7 | 413 | 388 |
と、おいらかにのたまふ。 |
と、おいらかにのたまふ。 |
22 | 4.6.8 | 414 | 389 |
「かの親なりし人は、心なむありがたきまでよかりし。御心もうしろやすく思ひきこゆれば」 |
"かのおやなりしひとは、こころなんありがたきまでよかりし。みこころもうしろやすくおもひきこゆれば。" |
22 | 4.6.9 | 415 | 390 |
などのたまふ。 |
などのたまふ。 |
22 | 4.6.10 | 416 | 391 |
「つきづきしく後む人なども、こと多からで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと」 |
"つきづきしくうしろむひとなども、ことおほからで、つれづれにはべるを、うれしかるべきこと。" |
22 | 4.6.11 | 417 | 392 |
になむのたまふ。 |
になんのたまふ。 |
22 | 4.6.12 | 418 | 393 |
殿のうちの人は、御女とも知らで、 |
とののうちのひとは、おほんむすめともしらで、 |
22 | 4.6.13 | 419 | 394 |
「何人、また尋ね出でたまへるならむ」 |
"なにびと、またたづねいでたまへるならん。" |
22 | 4.6.14 | 420 | 395 |
「むつかしき古者扱ひかな」 |
"むつかしきふるものあつかひかな。" |
22 | 4.6.15 | 421 | 396 |
と言ひけり。 |
といひけり。 |
22 | 4.6.16 | 422 | 397 |
御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びず仕立てたり。殿よりぞ、綾、何くれとたてまつれたまへる。 |
みくるまみつばかりして、ひとのすがたどもなど、うこんあれば、ゐなかびずしたてたり。とのよりぞ、あや、なにくれとたてまつれたまへる。 |
22 | 4.7 | 423 | 398 | 第七段 源氏、玉鬘に対面する |
22 | 4.7.1 | 424 | 399 |
その夜、やがて大臣の君渡りたまへり。昔、光る源氏などいふ御名は、聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳のほころびよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。 |
そのよ、やがておとどのきみわたりたまへり。むかし、ひかるげんじなどいふおほんなは、ききわたりたてまつりしかど、としごろのうひうひしさに、さしもおもひきこえざりけるを、ほのかなるおほとなぶらに、みきちゃうのほころびよりはつかにみたてまつる、いとどおそろしくさへぞおぼゆるや。 |
22 | 4.7.2 | 425 | 400 |
渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、 |
わたりたまふかたのとを、うこんかいはなてば、 |
22 | 4.7.3 | 426 | 401 |
「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」 |
"このとぐちにいるべきひとは、こころことにこそ。" |
22 | 4.7.4 | 427 | 402 |
と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、 |
とわらひたまひて、ひさしなるおましについゐたまひて、 |
22 | 4.7.5 | 428 | 403 |
「燈こそ、いと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」 |
"ひこそ、いとけさうびたるここちすれ。おやのかほはゆかしきものとこそきけ。さもおぼさぬか。" |
22 | 4.7.6 | 429 | 404 |
とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、 |
とて、きちゃうすこしおしやりたまふ。わりなくはづかしければ、そばみておはするやうだいなど、いとめやすくみゆれば、うれしくて、 |
22 | 4.7.7 | 430 | 405 |
「今すこし、光見せむや。あまり心にくし」 |
"いますこし、ひかりみせんや。あまりこころにくし。" |
22 | 4.7.8 | 431 | 406 |
とのたまへば、右近、かかげてすこし寄す。 |
とのたまへば、うこん、かかげてすこしよす。 |
22 | 4.7.9 | 432 | 407 |
「おもなの人や」 |
"おもなのひとや。" |
22 | 4.7.10 | 433 | 408 |
とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、 |
とすこしわらひたまふ。げにとおぼゆるおほんまみのはづかしげさなり。いささかもことびととへだてあるさまにものたまひなさず、いみじくおやめきて、 |
22 | 4.7.11 | 434 | 410 |
「年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」 |
"としごろおほんゆくへをしらで、こころにかけぬひまなくなげきはべるを、かうてみたてまつるにつけても、ゆめのここちして、すぎにしかたのことどもとりそへ、しのびがたきに、えなんきこえられざりける。" |
22 | 4.7.12 | 435 | 411 |
とて、御目おし拭ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど、数へたまひて、 |
とて、おほんめおしのごひたまふ。まことにかなしうおぼしいでらる。おほんとしのほど、かぞへたまひて、 |
22 | 4.7.13 | 436 | 412 |
「親子の仲の、かく年経たるたぐひあらじものを。契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく、若びたまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語など聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」 |
"おやこのなかの、かくとしへたるたぐひあらじものを。ちぎりつらくもありけるかな。いまは、ものうひうひしく、わかびたまふべきおほんほどにもあらじを、としごろのおほんものがたりなどきこえまほしきに、などかおぼつかなくは。" |
22 | 4.7.14 | 437 | 413 |
と恨みたまふに、聞こえむこともなく、恥づかしければ、 |
とうらみたまふに、きこえんこともなく、はづかしければ、 |
22 | 4.7.15 | 438 | 414 |
「脚立たず沈みそめはべりにけるのち、何ごともあるかなきかになむ」 |
"あしたたずしづみそめはべりにけるのち、なにごともあるかなきかになん。" |
22 | 4.7.16 | 439 | 415 |
と、ほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、 |
と、ほのかにきこえたまふこゑぞ、むかしびとにいとよくおぼえてわかびたりける。ほほゑみて、 |
22 | 4.7.17 | 440 | 416 |
「沈みたまひけるを、あはれとも、今は、また誰れかは」 |
"しづみたまひけるを、あはれとも、いまは、またたれかは。" |
22 | 4.7.18 | 441 | 417 |
とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御応へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。 |
とて、こころばへいふかひなくはあらぬおほんいらへとおぼす。うこんに、あるべきことのたまはせて、わたりたまひぬ。 |
22 | 4.8 | 442 | 418 | 第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する |
22 | 4.8.1 | 443 | 419 |
めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。 |
めやすくものしたまふを、うれしくおぼして、うへにもかたりきこえたまふ。 |
22 | 4.8.2 | 444 | 420 |
「さる山賤のなかに年経たれば、いかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかる者ありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬のうち好ましうしたまふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかる者のくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人のけしき見集めむ」 |
"さるやまがつのなかにとしへたれば、いかにいとほしげならんとあなづりしを、かへりてこころはづかしきまでなんみゆる。かかるものありと、いかでひとにしらせて、ひゃうぶきゃうのみやなどの、このまがきのうちこのましうしたまふこころみだりにしがな。すきものどもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりにみゆるも、かかるもののくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬひとのけしきみあつめん。" |
22 | 4.8.3 | 445 | 421 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
22 | 4.8.4 | 446 | 422 |
「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」 |
"あやしのひとのおやや。まづひとのこころはげまさんことをさきにおぼすよ。けしからず。" |
22 | 4.8.5 | 447 | 423 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
22 | 4.8.6 | 448 | 424 |
「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」 |
"まことにきみをこそ、いまのこころならましかば、さやうにもてなしてみつべかりけれ。いとむじんにしなしてしわざぞかし。" |
22 | 4.8.7 | 449 | 425 |
とて、笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯引き寄せたまうて、手習に、 |
とて、わらひたまふに、おもてあかみておはする、いとわかくをかしげなり。すずりひきよせたまうて、てならひに、 |
22 | 4.8.8 | 450 | 426 |
「恋ひわたる身はそれなれど玉かづら<BR/>いかなる筋を尋ね来つらむ |
"〔こひわたるみはそれなれどたまかづら<BR/>いかなるすぢをたづねきつらん |
22 | 4.8.9 | 451 | 427 |
あはれ」 |
あはれ。" |
22 | 4.8.10 | 452 | 428 |
と、やがて独りごちたまへば、「げに、深く思しける人の名残なめり」と見たまふ。 |
と、やがてひとりごちたまへば、"げに、ふかくおぼしけるひとのなごりなめり。"とみたまふ。 |
22 | 4.9 | 453 | 429 | 第九段 玉鬘の六条院生活始まる |
22 | 4.9.1 | 454 | 430 |
中将の君にも、 |
ちうじゃうのきみにも、 |
22 | 4.9.2 | 455 | 431 |
「かかる人を尋ね出でたるを、用意して睦び訪らへ」 |
"かかるひとをたづねいでたるを、よういしてむつびとぶらへ。" |
22 | 4.9.3 | 456 | 432 |
とのたまひければ、こなたに参うでたまひて、 |
とのたまひければ、こなたにまうでたまひて、 |
22 | 4.9.4 | 457 | 433 |
「人数ならずとも、かかる者さぶらふと、まづ召し寄すべくなむはべりける。御渡りのほどにも、参り仕うまつらざりけること」 |
"ひとかずならずとも、かかるものさぶらふと、まづめしよすべくなんはべりける。おほんわたりのほどにも、まゐりつかうまつらざりけること。" |
22 | 4.9.5 | 458 | 434 |
と、いとまめまめしう聞こえたまへば、かたはらいたきまで、心知れる人は思ふ。 |
と、いとまめまめしうきこえたまへば、かたはらいたきまで、こころしれるひとはおもふ。 |
22 | 4.9.6 | 459 | 435 |
心の限り尽くしたりし御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひ比べらるるや。御しつらひよりはじめ、今めかしう気高くて、親、はらからと睦びきこえたまふ御さま、容貌よりはじめ、目もあやにおぼゆるに、今ぞ、三条も大弐をあなづらはしく思ひける。まして、監が息ざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしきこと限りなし。 |
こころのかぎりつくしたりしおほんすまひなりしかど、あさましうゐなかびたりしも、たとしへなくぞおもひくらべらるるや。おほんしつらひよりはじめ、いまめかしうけだかくて、おや、はらからとむつびきこえたまふおほんさま、かたちよりはじめ、めもあやにおぼゆるに、いまぞ、さんでうもだいにをあなづらはしくおもひける。まして、げんがいきざしけはひ、おもひいづるもゆゆしきことかぎりなし。 |
22 | 4.9.7 | 460 | 436 |
豊後介の心ばへをありがたきものに君も思し知り、右近も思ひ言ふ。「おほぞうなるは、ことも怠りぬべし」とて、こなたの家司ども定め、あるべきことどもおきてさせたまふ。豊後介もなりぬ。 |
ぶんごのすけのこころばへをありがたきものにきみもおぼししり、うこんもおもひいふ。"おほぞうなるは、こともおこたりぬべし。"とて、こなたのけいしどもさだめ、あるべきことどもおきてさせたまふ。ぶんごのすけもなりぬ。 |
22 | 4.9.8 | 461 | 437 |
年ごろ田舎び沈みたりし心地に、にはかに名残もなく、いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがなくおぼえし大殿のうちを、朝夕に出で入りならし、人を従へ、事行なふ身となれば、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心おきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。 |
としごろゐなかびしずみたりしここちに、にはかになごりもなく、いかでか、かりにてもたちいでみるべきよすがなくおぼえしおほとののうちを、あさゆふにいでいりならし、ひとをしたがへ、ことおこなふみとなれば、いみじきめいぼくとおもひけり。おとどのきみのみこころおきての、こまかにありがたうおはしますこと、いとかたじけなし。 |
22 | 5 | 462 | 438 | 第五章 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論 |
22 | 5.1 | 463 | 439 | 第一段 歳末の衣配り |
22 | 5.1.1 | 464 | 440 |
年の暮に、御しつらひのこと、人びとの装束など、やむごとなき御列に思しおきてたる、「かかりとも、田舎びたることや」と、山賤の方にあなづり推し量りきこえたまひて調じたるも、たてまつりたまふついでに、織物どもの、我も我もと、手を尽くして織りつつ持て参れる細長、小袿の、色々さまざまなるを御覧ずるに、 |
としのくれに、おほんしつらひのこと、ひとびとのさうぞくなど、やんごとなきおほんつらにおぼしおきてたる、"かかりとも、ゐなかびたることや。"と、やまがつのかたにあなづりおしはかりきこえたまひててうじたるも、たてまつりたまふついでに、おりものどもの、われもわれもと、てをつくしておりつつもてまゐれるほそなが、こうちきの、いろいろさまざまなるをごらんずるに、 |
22 | 5.1.2 | 465 | 441 |
「いと多かりけるものどもかな。方々に、うらやみなくこそものすべかりけれ」 |
"いとおほかりけるものどもかな。かたがたに、うらやみなくこそものすべかりけれ。" |
22 | 5.1.3 | 466 | 442 |
と、上に聞こえたまへば、御匣殿に仕うまつれるも、こなたにせさせたまへるも、皆取う出させたまへり。 |
と、うへにきこえたまへば、みくしげどのにつかうまつれるも、こなたにせさせたまへるも、みなとうでさせたまへり。 |
22 | 5.1.4 | 467 | 443 |
かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひ、匂ひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。 |
かかるすぢはた、いとすぐれて、よになきいろあひ、にほひをそめつけたまへば、ありがたしとおもひきこえたまふ。 |
22 | 5.1.5 | 468 | 444 |
ここかしこの擣殿より参らせたる擣物ども御覧じ比べて、濃き赤きなど、さまざまを選らせたまひつつ、御衣櫃、衣筥どもに入れさせたまうて、おとなびたる上臈どもさぶらひて、「これは、かれは」と取り具しつつ入る。上も見たまひて、 |
ここかしこのうちどのよりまゐらせたるうちものどもごらんじくらべて、こきあかきなど、さまざまをえらせたまひつつ、みぞびつ、ころもばこどもにいれさせたまうて、おとなびたるじゃうらふどもさぶらひて、"これは、かれは。"ととりぐしつついる。うへもみたまひて、 |
22 | 5.1.6 | 469 | 445 |
「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着たまはむ人の御容貌に思ひよそへつつたてまつれたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」 |
"いづれも、おとりまさるけぢめもみえぬものどもなめるを、きたまはんひとのおほんかたちにおもひよそへつつたてまつれたまへかし。きたるもののさまににぬは、ひがひがしくもありかし。" |
22 | 5.1.7 | 470 | 446 |
とのたまへば、大臣うち笑ひて、 |
とのたまへば、おとどうちわらひて、 |
22 | 5.1.8 | 471 | 447 |
「つれなくて、人の御容貌推し量らむの御心なめりな。さては、いづれをとか思す」 |
"つれなくて、ひとのおほんかたちおしはからんのみこころなめりな。さては、いづれをとかおぼす。" |
22 | 5.1.9 | 472 | 448 |
と聞こえたまへば、 |
ときこえたまへば、 |
22 | 5.1.10 | 473 | 449 |
「それも鏡にては、いかでか」 |
"それもかがみにては、いかでか。" |
22 | 5.1.11 | 474 | 450 |
と、さすが恥ぢらひておはす。 |
と、さすがはぢらひておはす。 |
22 | 5.1.12 | 475 | 451 |
紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとは、かの御料。桜の細長に、つややかなる掻練取り添へては、姫君の御料なり。 |
こうばいのいともんうきたるえびぞめのおほんこうちき、いまやういろのいとすぐれたるとは、かのごれう。さくらのほそながに、つややかなるかいねりとりそへては、ひめぎみのごれうなり。 |
22 | 5.1.13 | 476 | 452 |
浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、匂ひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に。 |
あさはなだのかいふのおりもの、おりざまなまめきたれど、にほひやかならぬに、いとこきかいねりぐして、なつのおほんかたに。 |
22 | 5.1.14 | 477 | 453 |
曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対にたてまつれたまふを、上は見ぬやうにて思しあはす。「内の大臣の、はなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と、げに推し量らるるを、色には出だしたまはねど、殿見やりたまへるに、ただならず。 |
くもりなくあかきに、やまぶきのはなのほそながは、かのにしのたいにたてまつれたまふを、うへはみぬやうにておぼしあはす。"うちのおとどの、はなやかに、あなきよげとはみえながら、なまめかしうみえたるかたのまじらぬににたるなめり。"と、げにおしはからるるを、いろにはいだしたまはねど、とのみやりたまへるに、ただならず。 |
22 | 5.1.15 | 478 | 454 |
「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても、物の色は限りあり、人の容貌は、おくれたるも、またなほ底ひあるものを」 |
"いで、このかたちのよそへは、ひとはらだちぬべきことなり。よきとても、もののいろはかぎりあり、ひとのかたちは、おくれたるも、またなほそこひあるものを。" |
22 | 5.1.16 | 479 | 455 |
とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほ笑まれたまふ。 |
とて、かのすゑつむはなのごれうに、やなぎのおりものの、よしあるからくさをみだれおれるも、いとなまめきたれば、ひとしれずほほゑまれたまふ。 |
22 | 5.1.17 | 480 | 456 |
梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやり気高きを、上はめざましと見たまふ。 |
むめのをりえだ、てふ、とり、とびちがひ、からめいたるしろきこうちきに、こきがつややかなるかさねて、あかしのおほんかたに。おもひやりけだかきを、うへはめざましとみたまふ。 |
22 | 5.1.18 | 481 | 457 |
空蝉の尼君に、青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴し色なる添へたまひて、同じ日着たまふべき御消息聞こえめぐらしたまふ。げに、似ついたる見むの御心なりけり。 |
うつせみのあまぎみに、あをにびのおりもの、いとこころばせあるをみつけたまひて、ごれうにあるくちなしのおほんぞ、ゆるしいろなるそへたまひて、おなじひきたまふべきおほんせうそこきこえめぐらしたまふ。げに、についたるみんのみこころなりけり。 |
22 | 5.2 | 482 | 458 | 第二段 末摘花の返歌 |
22 | 5.2.1 | 483 | 459 |
皆、御返りどもただならず。御使の禄、心々なるに、末摘、東の院におはすれば、今すこしさし離れ、艶なるべきを、うるはしくものしたまふ人にて、あるべきことは違へたまはず、山吹の袿の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうち掛けたまへり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、すこし年経、厚きが黄ばみたるに、 |
みな、おほんかへりどもただならず。おほんつかひのろく、こころごころなるに、すゑつむ、ひんがしのゐんにおはすれば、いますこしさしはなれ、えんなるべきを、うるはしくものしたまふひとにて、あるべきことはたがへたまはず、やまぶきのうちきの、そでぐちいたくすすけたるを、うつほにてうちかけたまへり。おほんふみには、いとかうばしきみちのくにがみの、すこしとしへ、あつきがきばみたるに、 |
22 | 5.2.2 | 484 | 460 |
「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。 |
"いでや、たまへるは、なかなかにこそ。 |
22 | 5.2.3 | 485 | 461 |
着てみれば恨みられけり唐衣<BR/>返しやりてむ袖を濡らして」 |
きてみればうらみられけりからごろも<BR/>かへしやりてんそでをぬらして〕 |
22 | 5.2.4 | 486 | 462 |
御手の筋、ことに奥よりにたり。いといたくほほ笑みたまひて、とみにもうち置きたまはねば、上、何ごとならむと見おこせたまへり。 |
おほんてのすぢ、ことにあうよりにたり。いといたくほほゑみたまひて、とみにもうちおきたまはねば、うへ、なにごとならんとみおこせたまへり。 |
22 | 5.2.5 | 487 | 463 |
御使にかづけたる物を、いと侘しくかたはらいたしと思して、御けしき悪しければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうにわりなう古めかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべう思す。恥づかしきまみなり。 |
おほんつかひにかづけたるものを、いとわびしくかたはらいたしとおぼして、みけしきあしければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめきわらひけり。かやうにわりなうふるめかしう、かたはらいたきところのつきたまへるさかしらに、もてわづらひぬべうおぼす。はづかしきまみなり。 |
22 | 5.3 | 488 | 464 | 第三段 源氏の和歌論 |
22 | 5.3.1 | 489 | 465 |
「古代の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろも、その列ぞかし。さらに一筋にまつはれて、今めきたる言の葉にゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。人の中なることを、をりふし、御前などのわざとある歌詠みのなかにては、『円居』離れぬ三文字ぞかし。昔の懸想のをかしき挑みには、『あだ人』といふ五文字を、やすめどころにうち置きて、言の葉の続きたよりある心地すべかめり」 |
"こたいのうたよみは、〔からころも〕、〔たもとぬるる〕かことこそはなれねな。まろも、そのつらぞかし。さらにひとすぢにまつはれて、いまめきたることのはにゆるぎたまはぬこそ、ねたきことは、はたあれ。ひとのなかなることを、をりふし、おまへなどのわざとあるうたよみのなかにては、〔まどゐ〕はなれぬみもじぞかし。むかしのけさうのをかしきいどみには、〔あだびと〕といふいつもじを、やすめどころにうちおきて、ことのはのつづきたよりあるここちすべかめり。" |
22 | 5.3.2 | 490 | 466 |
など笑ひたまふ。 |
などわらひたまふ。 |
22 | 5.3.3 | 491 | 467 |
「よろづの草子、歌枕、よく案内知り見尽くして、そのうちの言葉を取り出づるに、詠みつきたる筋こそ、強うは変はらざるべけれ。 |
"よろづのさうし、うたまくら、よくあないしりみつくして、そのうちのことばをとりいづるに、よみつきたるすぢこそ、つようはかはらざるべけれ。 |
22 | 5.3.4 | 492 | 468 |
常陸の親王の書き置きたまへりける紙屋紙の草子をこそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべきところ多かりしかば、もとよりおくれたる方の、いとどなかなか動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知りたまへる人の口つきにては、目馴れてこそあれ」 |
ひたちのみこのかきおきたまへりけるかうやがみのさうしをこそ、みよとておこせたりしか。わかのずいなういとところせう、やまひさるべきところおほかりしかば、もとよりおくれたるかたの、いとどなかなかうごきすべくもみえざりしかば、むつかしくてかへしてき。よくあないしりたまへるひとのくちつきにては、めなれてこそあれ。" |
22 | 5.3.5 | 493 | 469 |
とて、をかしく思いたるさまぞ、いとほしきや。 |
とて、をかしくおぼいたるさまぞ、いとほしきや。 |
22 | 5.3.6 | 494 | 470 |
上、いとまめやかにて、 |
うへ、いとまめやかにて、 |
22 | 5.3.7 | 495 | 471 |
「などて、返したまひけむ。書きとどめて、姫君にも見せたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、虫みな損なひてければ。見ぬ人はた、心ことにこそは遠かりけれ」 |
"などて、かへしたまひけん。かきとどめて、ひめぎみにもみせたてまつりたまふべかりけるものを。ここにも、もののなかなりしも、むしみなそこなひてければ。みぬひとはた、こころことにこそはとほかりけれ。" |
22 | 5.3.8 | 496 | 472 |
とのたまふ。 |
とのたまふ。 |
22 | 5.3.9 | 497 | 473 |
「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、立てて好めることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごとも、いとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける」 |
"ひめぎみのおほんがくもんに、いとようなからん。すべてをんなは、たててこのめることまうけてしみぬるは、さまよからぬことなり。なにごとも、いとつきなからんはくちをしからん。ただこころのすぢを、ただよはしからずもてしづめおきて、なだらかならんのみなん、めやすかるべかりける。" |
22 | 5.3.10 | 498 | 474 |
などのたまひて、返しは思しもかけねば、 |
などのたまひて、かへしはおぼしもかけねば、 |
22 | 5.3.11 | 499 | 475 |
「返しやりてむ、とあめるに、これよりおし返したまはざらむも、ひがひがしからむ」 |
"かへしやりてん、とあめるに、これよりおしかへしたまはざらんも、ひがひがしからん。" |
22 | 5.3.12 | 500 | 476 |
と、そそのかしきこえたまふ。情け捨てぬ御心にて、書きたまふ。いと心やすげなり。 |
と、そそのかしきこえたまふ。なさけすてぬみこころにて、かきたまふ。いとこころやすげなり。 |
22 | 5.3.13 | 501 | 477 |
「返さむと言ふにつけても片敷の<BR/>夜の衣を思ひこそやれ |
"〔かへさんといふにつけてもかたしきの<BR/>よるのころもをおもひこそやれ |
22 | 5.3.14 | 502 | 478 |
ことわりなりや」 |
ことわりなりや。" |
22 | 5.3.15 | 503 | 479 |
とぞあめる。 |
とぞあめる。 |