帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
24 | 胡蝶 |
24 | 1 | 60 | 40 | 第一章 光る源氏の物語 春の町の船楽と季の御読経 |
24 | 1.1 | 61 | 41 | 第一段 三月二十日頃の春の町の船楽 |
24 | 1.1.1 | 62 | 42 |
弥生の二十日あまりのころほひ、春の御前のありさま、常よりことに尽くして匂ふ花の色、鳥の声、ほかの里には、まだ古りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人びとのはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせたまひける、急ぎ装束かせたまひて、下ろし始めさせたまふ日は、雅楽寮の人召して、舟の楽せらる。親王たち上達部など、あまた参りたまへり。 |
やよひのはつかあまりのころほひ、はるのおまへのありさま、つねよりことにつくしてにほふはなのいろ、とりのこゑ、ほかのさとには、まだふりぬにやと、めづらしうみえきこゆ。やまのこだち、なかじまのわたり、いろまさるこけのけしきなど、わかきひとびとのはつかにこころもとなくおもふべかめるに、からめいたるふねつくらせたまひける、いそぎさうぞかせたまひて、おろしはじめさせたまふひは、うたづかさのひとめして、ふねのがくせらる。みこたちかんだちめなど、あまたまゐりたまへり。 |
24 | 1.1.2 | 63 | 43 |
中宮、このころ里におはします。かの「春待つ園は」と励ましきこえたまへりし御返りもこのころやと思し、大臣の君も、いかでこの花の折、御覧ぜさせむと思しのたまへど、ついでなくて軽らかにはひわたり、花をももてあそびたまふべきならねば、若き女房たちの、ものめでしぬべきを舟に乗せたまうて、南の池の、こなたに通しかよはしなさせたまへるを、小さき山を隔ての関に見せたれど、その山の崎より漕ぎまひて、東の釣殿に、こなたの若き人びと集めさせたまふ。 |
ちゅうぐう、このころさとにおはします。かの〔はるまつそのは"とはげましきこえたまへりしおほんかへりもこのころやとおぼし、おとどのきみも、いかでこのはなのをり、ごらんぜさせんとおぼしのたまへど、ついでなくてかるらかにはひわたり、はなをももてあそびたまふべきならねば、わかきにょうばうたちの、ものめでしぬべきをふねにのせたまうて、みなみのいけの、こなたにとほしかよはしなさせたまへるを、ちひさきやまをへだてのせきにみせたれど、そのやまのさきよりこぎまひて、ひんがしのつりどのに、こなたのわかきひとびとあつめさせたまふ。 |
24 | 1.1.3 | 64 | 44 |
龍頭鷁首を、唐のよそひにことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池の中にさし出でたれば、まことの知らぬ国に来たらむ心地して、あはれにおもしろく、見ならはぬ女房などは思ふ。 |
りょうとうげきすを、からのよそひにことことしうしつらひて、かぢとりのさをさすわらはべ、みなみづらゆひて、もろこしだたせて、さるおほきなるいけのなかにさしいでたれば、まことのしらぬくににきたらんここちして、あはれにおもしろく、みならはぬにょうばうなどはおもふ。 |
24 | 1.1.4 | 65 | 46 |
中島の入江の岩蔭にさし寄せて見れば、はかなき石のたたずまひも、ただ絵に描いたらむやうなり。こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬ匂ひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほ笑み、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。まして池の水に影を写したる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもを食ひて飛びちがふ、鴛鴦の波の綾に紋を交じへたるなど、ものの絵やうにも描き取らまほしき、まことに斧の柄も朽たいつべう思ひつつ、日を暮らす。 |
なかじまのいりえのいはかげにさしよせてみれば、はかなきいしのたたずまひも、ただゑにかいたらんやうなり。こなたかなたかすみあひたるこずゑども、にしきをひきわたせるに、おまへのかたははるばるとみやられて、いろをましたるやなぎ、えだをたれたる、はなもえもいはぬにほひをちらしたり。ほかにはさかりすぎたるさくらも、いまさかりにほほゑみ、らうをめぐれるふぢのいろも、こまやかにひらけゆきにけり。ましていけのみづにかげをうつしたるやまぶき、きしよりこぼれていみじきさかりなり。みづとりどもの、つがひをはなれずあそびつつ、ほそきえだどもをくひてとびちがふ、をしのなみのあやにもんをまじへたるなど、もののゑやうにもかきとらまほしき、まことにをののえもくたいつべうおもひつつ、ひをくらす。 |
24 | 1.1.5 | 66 | 47 |
「風吹けば波の花さへ色見えて<BR/>こや名に立てる山吹の崎」 |
"〔かぜふけばなみのはなさへいろみえて<BR/>こやなにたてるやまぶきのさき〕" |
24 | 1.1.6 | 67 | 48 |
「春の池や井手の川瀬にかよふらむ<BR/>岸の山吹そこも匂へり」 |
"〔はるのいけやゐでのかはせにかよふらん<BR/>きしのやまぶきそこもにほへり〕 |
24 | 1.1.7 | 68 | 49 |
「亀の上の山も尋ねじ舟のうちに<BR/>老いせぬ名をばここに残さむ」 |
"〔かめのうへのやまもたづねじふねのうちに<BR/>おいせぬなをばここにのこさん〕 |
24 | 1.1.8 | 69 | 50 |
「春の日のうららにさしてゆく舟は<BR/>棹のしづくも花ぞ散りける」 |
"〔はるのひのうららにさしてゆくふねは<BR/>さをのしづくもはなぞちりける〕 |
24 | 1.1.9 | 70 | 51 |
などやうの、はかなごとどもを、心々に言ひ交はしつつ、行く方も帰らむ里も忘れぬべう、若き人びとの心を移すに、ことわりなる水の面になむ。 |
などやうの、はかなごとどもを、こころごころにいひかはしつつ、ゆくかたもかへらんさともわすれぬべう、わかきひとびとのこころをうつすに、ことわりなるみづのおもになん。 |
24 | 1.2 | 71 | 52 | 第二段 船楽、夜もすがら催される |
24 | 1.2.1 | 72 | 53 |
暮れかかるほどに、「皇麞」といふ楽、いとおもしろく聞こゆるに、心にもあらず、釣殿にさし寄せられて下りぬ。ここのしつらひ、いとこと削ぎたるさまに、なまめかしきに、御方々の若き人どもの、われ劣らじと尽くしたる装束、容貌、花をこき交ぜたる錦に劣らず見えわたる。世に目馴れずめづらかなる楽ども仕うまつる。舞人など、心ことに選ばせたまひて。 |
くれかかるほどに、〔わうじゃう〕といふがく、いとおもしろくきこゆるに、こころにもあらず、つりどのにさしよせられておりぬ。ここのしつらひ、いとことそぎたるさまに、なまめかしきに、おほんかたがたのわかきひとどもの、われおとらじとつくしたるさうぞく、かたち、はなをこきまぜたるにしきにおとらずみえわたる。よにめなれずめづらかなるがくどもつかうまつる。まひびとなど、こころことにえらばせたまひて。 |
24 | 1.2.2 | 73 | 54 |
夜に入りぬれば、いと飽かぬ心地して、御前の庭に篝火ともして、御階のもとの苔の上に、楽人召して、上達部、親王たちも、皆おのおの弾きもの、吹きものとりどりにしたまふ。 |
よるにいりぬれば、いとあかぬここちして、おまへのにはにかがりびともして、みはしのもとのこけのうへに、がくにんめして、かんだちめ、みこたちも、みなおのおのひきもの、ふきものとりどりにしたまふ。 |
24 | 1.2.3 | 74 | 55 |
物の師ども、ことにすぐれたる限り、双調吹きて、上に待ちとる御琴どもの調べ、いとはなやかにかき立てて、「安名尊」遊びたまふほど、「生けるかひあり」と、何のあやめも知らぬ賤の男も、御門のわたり隙なき馬、車の立処に混じりて、笑みさかえ聞きにけり。 |
もののしども、ことにすぐれたるかぎり、そうでうふきて、うへにまちとるおほんことどものしらべ、いとはなやかにかきたてて、〔あなたふと〕あそびたまふほど、"いけるかひあり"と、なにのあやめもしらぬしづのをも、みかどのわたりひまなきむま、くるまのたちどにまじりて、ゑみさかえききにけり。 |
24 | 1.2.4 | 75 | 56 |
空の色、物の音も、春の調べ、響きは、いとことにまさりけるけぢめを、人びと思し分くらむかし。夜もすがら遊び明かしたまふ。返り声に「喜春楽」立ちそひて、兵部卿宮、「青柳」折り返しおもしろく歌ひたまふ。主人の大臣も言加へたまふ。 |
そらのいろ、もののねも、はるのしらべ、ひびきは、いとことにまさりけるけぢめを、ひとびとおぼしわくらんかし。よもすがらあそびあかしたまふ。かへりごゑに〔きしゅんらく〕たちそひて、ひゃうぶきゃうのみや、〔あをやぎ〕をりかへしおもしろくうたひたまふ。あるじのおとどもことくはへたまふ。 |
24 | 1.3 | 76 | 57 | 第三段 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う |
24 | 1.3.1 | 77 | 58 |
夜も明けぬ。朝ぼらけの鳥のさへづりを、中宮はもの隔てて、ねたう聞こし召しけり。いつも春の光を籠めたまへる大殿なれど、心をつくるよすがのまたなきを、飽かぬことに思す人びともありけるに、西の対の姫君、こともなき御ありさま、大臣の君も、わざと思しあがめきこえたまふ御けしきなど、皆世に聞こえ出でて、思ししもしるく、心なびかしたまふ人多かるべし。 |
よもあけぬ。あさぼらけのとりのさへづりを、ちゅうぐうはものへだてて、ねたうきこしめしけり。いつもはるのひかりをこめたまへるおほとのなれど、こころをつくるよすがのまたなきを、あかぬことにおぼすひとびともありけるに、にしのたいのひめぎみ、こともなきおほんありさま、おとどのきみも、わざとおぼしあがめきこえたまふみけしきなど、みなよにきこえいでて、おぼししもしるく、こころなびかしたまふひとおほかるべし。 |
24 | 1.3.2 | 78 | 59 |
わが身さばかりと思ひ上がりたまふ際の人こそ、便りにつけつつ、けしきばみ、言出で聞こえたまふもありけれ、えしもうち出でぬ中の思ひに燃えぬべき若君達などもあるべし。そのうちに、ことの心を知らで、内の大殿の中将などは、好きぬべかめり。 |
わがみさばかりとおもひあがりたまふきはのひとこそ、たよりにつけつつ、けしきばみ、こといできこえたまふもありけれ、えしもうちいでぬなかのおもひにもえぬべきわかきんだちなどもあるべし。そのうちに、ことのこころをしらで、うちのおほいどののちゅうじゃうなどは、すきぬべかめり。 |
24 | 1.3.3 | 79 | 60 |
兵部卿宮はた、年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり、独り住みにてわびたまへば、うけばりて今はけしきばみたまふ。 |
ひゃうぶきゃうのみやはた、としごろおはしけるきたのかたもうせたまひて、このみとせばかり、ひとりずみにてわびたまへば、うけばりていまはけしきばみたまふ。 |
24 | 1.3.4 | 80 | 61 |
今朝も、いといたうそら乱れして、藤の花をかざして、なよびさうどきたまへる御さま、いとをかし。大臣も、思ししさまかなふと、下には思せど、せめて知らず顔をつくりたまふ。 |
けさも、いといたうそらみだれして、ふぢのはなをかざして、なよびさうどきたまへるおほんさま、いとをかし。おとども、おぼししさまかなふと、したにはおぼせど、せめてしらずがほをつくりたまふ。 |
24 | 1.3.5 | 81 | 62 |
御土器のついでに、いみじうもて悩みたまうて、 |
おほんかはらけのついでに、いみじうもてなやみたまうて、 |
24 | 1.3.6 | 82 | 63 |
「思ふ心はべらずは、まかり逃げはべりなまし。いと堪へがたしや」 |
"おもふこころはべらずは、まかりにげはべりなまし。いとたへがたしや。" |
24 | 1.3.7 | 83 | 64 |
とすまひたまふ。 |
とすまひたまふ。 |
24 | 1.3.8 | 84 | 65 |
「紫のゆゑに心をしめたれば<BR/>淵に身投げむ名やは惜しけき」 |
"〔むらさきのゆゑにこころをしめたれば<BR/>ふちにみなげんなやはをしけき〕 |
24 | 1.3.9 | 85 | 66 |
とて、大臣の君に、同じかざしを参りたまふ。いといたうほほ笑みたまひて、 |
とて、おとどのきみに、おなじかざしをまゐりたまふ。いといたうほほゑみたまひて、 |
24 | 1.3.10 | 86 | 67 |
「淵に身を投げつべしやとこの春は<BR/>花のあたりを立ち去らで見よ」 |
"〔ふちにみをなげつべしやとこのはるは<BR/>はなのあたりをたちさらでみよ〕 |
24 | 1.3.11 | 87 | 68 |
と切にとどめたまへば、え立ちあかれたまはで、今朝の御遊び、ましていとおもしろし。 |
とせちにとどめたまへば、えたちあかれたまはで、けさのおほんあそび、ましていとおもしろし。 |
24 | 1.4 | 88 | 69 | 第四段 中宮、春の季の御読経主催す |
24 | 1.4.1 | 89 | 70 |
今日は、中宮の御読経の初めなりけり。やがてまかでたまはで、休み所とりつつ、日の御よそひに替へたまふ人びとも多かり。障りあるは、まかでなどもしたまふ。 |
けふは、ちゅうぐうのみどきゃうのはじめなりけり。やがてまかでたまはで、やすみどころとりつつ、ひのおほんよそひにかへたまふひとびともおほかり。さはりあるは、まかでなどもしたまふ。 |
24 | 1.4.2 | 90 | 71 |
午の時ばかりに、皆あなたに参りたまふ。大臣の君をはじめたてまつりて、皆着きわたりたまふ。殿上人なども、残るなく参る。多くは、大臣の御勢ひにもてなされたまひて、やむごとなく、いつくしき御ありさまなり。 |
むまのときばかりに、みなあなたにまゐりたまふ。おとどのきみをはじめたてまつりて、みなつきわたりたまふ。てんじゃうびとなども、のこるなくまゐる。おほくは、おとどのおほんいきほひにもてなされたまひて、やんごとなく、いつくしきおほんありさまなり。 |
24 | 1.4.3 | 91 | 72 |
春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。鳥蝶に装束き分けたる童べ八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。 |
はるのうへのみこころざしに、ほとけにはなたてまつらせたまふ。とりてふにさうぞきわけたるわらはべはちにん、かたちなどことにととのへさせたまひて、とりには、しろがねのはながめにさくらをさし、てふは、こがねのかめにやまぶきを、おなじきはなのふさいかめしう、よになきにほひをつくさせたまへり。 |
24 | 1.4.4 | 92 | 73 |
南の御前の山際より漕ぎ出でて、御前に出づるほど、風吹きて、瓶の桜すこしうち散りまがふ。いとうららかに晴れて、霞の間より立ち出でたるは、いとあはれになまめきて見ゆ。わざと平張なども移されず、御前に渡れる廊を、楽屋のさまにして、仮に胡床どもを召したり。 |
みなみのおまへのやまぎはよりこぎいでて、おまへにいづるほど、かぜふきて、かめのさくらすこしうちちりまがふ。いとうららかにはれて、かすみのまよりたちいでたるは、いとあはれになまめきてみゆ。わざとひらばりなどもうつされず、おまへにわたれるらうを、がくやのさまにして、かりにあぐらどもをめしたり。 |
24 | 1.4.5 | 93 | 74 |
童べども、御階のもとに寄りて、花どもたてまつる。行香の人びと取り次ぎて、閼伽に加へさせたまふ。 |
わらはべども、みはしのもとによりて、はなどもたてまつる。ぎゃうがうのひとびととりつぎて、あかにくはへさせたまふ。 |
24 | 1.5 | 94 | 75 | 第五段 紫の上と中宮和歌を贈答 |
24 | 1.5.1 | 95 | 76 |
御消息、殿の中将の君して聞こえたまへり。 |
おほんせうそこ、とののちゅうじゃうのきみしてきこえたまへり。 |
24 | 1.5.2 | 96 | 77 |
「花園の胡蝶をさへや下草に<BR/>秋待つ虫はうとく見るらむ」 |
"〔はなぞののこてふをさへやしたくさに<BR/>あきまつむしはうとくみるらん〕 |
24 | 1.5.3 | 97 | 78 |
宮、「かの紅葉の御返りなりけり」と、ほほ笑みて御覧ず。昨日の女房たちも、 |
みや、"かのもみぢのおほんかへりなりけり。"と、ほほゑみてごらんず。きのふのにょうばうたちも、 |
24 | 1.5.4 | 98 | 79 |
「げに、春の色は、え落とさせたまふまじかりけり」 |
"げに、はるのいろは、えおとさせたまふまじかりけり。" |
24 | 1.5.5 | 99 | 81 |
と、花におれつつ聞こえあへり。鴬のうららかなる音に、「鳥の楽」はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなくさへづりわたるに、「急」になり果つるほど、飽かずおもしろし。「蝶」は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の蔭に舞ひ出づる。 |
と、はなにおれつつきこえあへり。うぐひすのうららかなるねに、〔とりのがく〕はなやかにききわたされて、いけのみづとりもそこはかとなくさへづりわたるに、"きふ"になりはつるほど、あかずおもしろし。"てふ"は、ましてはかなきさまにとびたちて、やまぶきのませのもとに、さきこぼれたるはなのかげにまひいづる。 |
24 | 1.5.6 | 100 | 82 |
宮の亮をはじめて、さるべき上人ども、禄取り続きて、童べに賜ぶ。鳥には桜の細長、蝶には山吹襲賜はる。かねてしも取りあへたるやうなり。物の師どもは、白き一襲、腰差など、次ぎ次ぎに賜ふ。中将の君には、藤の細長添へて、女の装束かづけたまふ。御返り、 |
みやのすけをはじめて、さるべきうへびとども、ろくとりつづきて、わらはべにたぶ。とりにはさくらのほそなが、てふにはやまぶきがさねたまはる。かねてしもとりあへたるやうなり。もののしどもは、しろきひとかさね、こしざしなど、つぎつぎにたまふ。ちゅうじゃうのきみには、ふぢのほそながそへて、をんなのさうぞくかづけたまふ。おほんかへり、 |
24 | 1.5.7 | 101 | 83 |
「昨日は音に泣きぬべくこそは。 |
"きのふはねになきぬべくこそは。 |
24 | 1.5.8 | 102 | 84 |
胡蝶にも誘はれなまし心ありて<BR/>八重山吹を隔てざりせば」 |
こてふにもさそはれなましこころありて<BR/>やへやまぶきをへだてざりせば〕 |
24 | 1.5.9 | 103 | 85 |
とぞありける。すぐれたる御労どもに、かやうのことは堪へぬにやありけむ、思ふやうにこそ見えぬ御口つきどもなめれ。 |
とぞありける。すぐれたるおほんらうどもに、かやうのことはたへぬにやありけん、おもふやうにこそみえぬおほんくちつきどもなめれ。 |
24 | 1.5.10 | 104 | 86 |
まことや、かの見物の女房たち、宮のには、皆けしきある贈り物どもせさせたまうけり。さやうのこと、くはしければむつかし。 |
まことや、かのみもののにょうばうたち、みやのには、みなけしきあるおくりものどもせさせたまうけり。さやうのこと、くはしければむつかし。 |
24 | 1.5.11 | 105 | 87 |
明け暮れにつけても、かやうのはかなき御遊びしげく、心をやりて過ぐしたまへば、さぶらふ人も、おのづからもの思ひなき心地してなむ、こなたかなたにも聞こえ交はしたまふ。 |
あけくれにつけても、かやうのはかなきおほんあそびしげく、こころをやりてすぐしたまへば、さぶらふひとも、おのづからものおもひなきここちしてなん、こなたかなたにもきこえかはしたまふ。 |
24 | 2 | 106 | 88 | 第二章 玉鬘の物語 初夏の六条院に求婚者たち多く集まる |
24 | 2.1 | 107 | 89 | 第一段 玉鬘に恋人多く集まる |
24 | 2.1.1 | 108 | 90 |
西の対の御方は、かの踏歌の折の御対面の後は、こなたにも聞こえ交はしたまふ。深き御心もちゐや、浅くもいかにもあらむ、けしきいと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ人ざまなれば、いづ方にも皆心寄せきこえたまへり。 |
にしのたいのおほんかたは、かのたふかのをりのおほんたいめんののちは、こなたにもきこえかはしたまふ。ふかきみこころもちゐや、あさくもいかにもあらん、けしきいとらうあり、なつかしきこころばへとみえて、ひとのこころへだつべくもものしたまはぬひとざまなれば、いづかたにもみなこころよせきこえたまへり。 |
24 | 2.1.2 | 109 | 91 |
聞こえたまふ人いとあまたものしたまふ。されど、大臣、おぼろけに思し定むべくもあらず、わが御心にも、すくよかに親がり果つまじき御心や添ふらむ、「父大臣にも知らせやしてまし」など、思し寄る折々もあり。 |
きこえたまふひといとあまたものしたまふ。されど、おとど、おぼろけにおぼしさだむべくもあらず、わがみこころにも、すくよかにおやがりはつまじきみこころやそふらん、"ちちおとどにもしらせやしてまし。"など、おぼしよるをりをりもあり。 |
24 | 2.1.3 | 110 | 92 |
殿の中将は、すこし気近く、御簾のもとなどにも寄りて、御応へみづからなどするも、女はつつましう思せど、さるべきほどと人びとも知りきこえたれば、中将はすくすくしくて思ひも寄らず。 |
とののちゅうじゃうは、すこしけぢかく、みすのもとなどにもよりて、おほんいらへみづからなどするも、をんなはつつましうおぼせど、さるべきほどとひとびともしりきこえたれば、ちゅうじゃうはすくすくしくておもひもよらず。 |
24 | 2.1.4 | 111 | 93 |
内の大殿の君たちは、この君に引かれて、よろづにけしきばみ、わびありくを、その方のあはれにはあらで、下に心苦しう、「まことの親にさも知られたてまつりにしがな」と、人知れぬ心にかけたまへれど、さやうにも漏らしきこえたまはず、ひとへにうちとけ頼みきこえたまふ心むけなど、らうたげに若やかなり。似るとはなけれど、なほ母君のけはひにいとよくおぼえて、これはかどめいたるところぞ添ひたる。 |
うちのおほいどののきみたちは、このきみにひかれて、よろづにけしきばみ、わびありくを、そのかたのあはれにはあらで、したにこころぐるしう、"まことのおやにさもしられたてまつりにしがな。"と、ひとしれぬこころにかけたまへれど、さやうにももらしきこえたまはず、ひとへにうちとけたのみきこえたまふこころむけなど、らうたげにわかやかなり。にるとはなけれど、なほははぎみのけはひにいとよくおぼえて、これはかどめいたるところぞそひたる。 |
24 | 2.2 | 112 | 94 | 第二段 玉鬘へ求婚者たちの恋文 |
24 | 2.2.1 | 113 | 95 |
更衣の今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐしたまふに、対の御方に、人びとの御文しげくなりゆくを、「思ひしこと」とをかしう思いて、ともすれば渡りたまひつつ御覧じ、さるべきには御返りそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。 |
ころもがへのいまめかしうあらたまれるころほひ、そらのけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづのおほんあそびにてすぐしたまふに、たいのおほんかたに、ひとびとのおほんふみしげくなりゆくを、"おもひしこと。"とをかしうおぼいて、ともすればわたりたまひつつごらんじ、さるべきにはおほんかへりそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけずくるしいことにおぼいたり。 |
24 | 2.2.2 | 114 | 96 |
兵部卿宮の、ほどなく焦られがましきわびごとどもを書き集めたまへる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひたまふ。 |
ひゃうぶきゃうのみやの、ほどなくいられがましきわびごとどもをかきあつめたまへるおほんふみをごらんじつけて、こまやかにわらひたまふ。 |
24 | 2.2.3 | 115 | 97 |
「はやうより隔つることなう、あまたの親王たちの御中に、この君をなむ、かたみに取り分きて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思うたまひてやみにしを、世の末に、かく好きたまへる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ、御返りなど聞こえたまへ。すこしもゆゑあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交はすべき人こそ世におぼえね。いとけしきある人の御さまぞや」 |
"はやうよりへだつることなう、あまたのみこたちのおほんなかに、このきみをなん、かたみにとりわきておもひしに、ただかやうのすぢのことなん、いみじうへだておもうたまひてやみにしを、よのすゑに、かくすきたまへるこころばへをみるが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ、おほんかへりなどきこえたまへ。すこしもゆゑあらんをんなの、かのみこよりほかに、またことのはをかはすべきひとこそよにおぼえね。いとけしきあるひとのおほんさまぞや。" |
24 | 2.2.4 | 116 | 98 |
と、若き人はめでたまひぬべく聞こえ知らせたまへど、つつましくのみ思いたり。 |
と、わかきひとはめでたまひぬべくきこえしらせたまへど、つつましくのみおぼいたり。 |
24 | 2.2.5 | 117 | 99 |
右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも、さる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。 |
うだいしゃうの、いとまめやかに、ことことしきさましたるひとの、"こひのやまにはくじのたふれ"まねびつべきけしきにうれへたるも、さるかたにをかしと、みなみくらべたまふなかに、からのはなだのかみの、いとなつかしう、しみふかうにほへるを、いとほそくちひさくむすびたるあり。 |
24 | 2.2.6 | 118 | 100 |
「これは、いかなれば、かく結ぼほれたるにか」 |
"これは、いかなれば、かくむすぼほれたるにか。" |
24 | 2.2.7 | 119 | 101 |
とて、引き開けたまへり。手いとをかしうて、 |
とて、ひきあけたまへり。ていとをかしうて、 |
24 | 2.2.8 | 120 | 102 |
「思ふとも君は知らじなわきかへり<BR/>岩漏る水に色し見えねば」 |
"〔おもふともきみはしらじなわきかへり<BR/>いはもるみづにいろしみえねば〕 |
24 | 2.2.9 | 121 | 103 |
書きざま今めかしうそぼれたり。 |
かきざまいまめかしうそぼれたり。 |
24 | 2.2.10 | 122 | 104 |
「これはいかなるぞ」 |
"これはいかなるぞ。" |
24 | 2.2.11 | 123 | 105 |
と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。 |
ととひきこえたまへど、はかばかしうもきこえたまはず。 |
24 | 2.3 | 124 | 106 | 第三段 源氏、玉鬘の女房に教訓す |
24 | 2.3.1 | 125 | 107 |
右近を召し出でて、 |
うこんをめしいでて、 |
24 | 2.3.2 | 126 | 108 |
「かやうに訪づれきこえむ人をば、人選りして、応へなどはせさせよ。好き好きしうあざれがましき今やうの人の、便ないことし出でなどする、男の咎にしもあらぬことなり。 |
"かやうにおとづれきこえんひとをば、ひとえりして、いらへなどはせさせよ。すきずきしうあざれがましきいまやうのひとの、びんないことしいでなどする、をのこのとがにしもあらぬことなり。 |
24 | 2.3.3 | 127 | 109 |
我にて思ひしにも、あな情けな、恨めしうもと、その折にこそ、無心なるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたる、なかなか心立つやうにもあり。また、さて忘れぬるは、何の咎かはあらむ。 |
われにておもひしにも、あななさけな、うらめしうもと、そのをりにこそ、むじんなるにや、もしはめざましかるべききはは、けやけうなどもおぼえけれ、わざとふかからで、はなてふにつけたるたよりごとは、こころねたうもてないたる、なかなかこころたつやうにもあり。また、さてわすれぬるは、なにのとがかはあらん。 |
24 | 2.3.4 | 128 | 110 |
ものの便りばかりのなほざりごとに、口疾う心得たるも、さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。すべて、女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしきことをも見知らむなむ、その積もりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならむも、御ありさまに違へり。 |
もののたよりばかりのなほざりごとに、くちとうこころえたるも、さらでありぬべかりける、のちのなんとありぬべきわざなり。すべて、をんなのものづつみせず、こころのままに、もののあはれもしりがほつくり、をかしきことをもみしらんなん、そのつもりあぢきなかるべきを、みや、だいしゃうは、おほなおほななほざりごとをうちいでたまふべきにもあらず、またあまりもののほどしらぬやうならんも、おほんありさまにたがへり。 |
24 | 2.3.5 | 129 | 111 |
その際より下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。労をも数へたまへ」 |
そのきはよりしもは、こころざしのおもむきにしたがひて、あはれをもわきたまへ。らうをもかぞへたまへ。" |
24 | 2.3.6 | 130 | 112 |
など聞こえたまへば、君はうち背きておはする、側目いとをかしげなり。撫子の細長に、このころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりし名残こそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまをも見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧なども、心してもてつけたまへれば、いとど飽かぬところなく、はなやかにうつくしげなり。他人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。 |
などきこえたまへば、きみはうちそむきておはする、そばめいとをかしげなり。なでしこのほそながに、このころのはなのいろなるおほんこうちき、あはひけぢかういまめきて、もてなしなども、さはいへど、ゐなかびたまへりしなごりこそ、ただありに、おほどかなるかたにのみはみえたまひけれ、ひとのありさまをもみしりたまふままに、いとさまよう、なよびかに、けさうなども、こころしてもてつけたまへれば、いとどあかぬところなく、はなやかにうつくしげなり。ことびととみなさんは、いとくちをしかべうおぼさる。 |
24 | 2.4 | 131 | 113 | 第四段 右近の感想 |
24 | 2.4.1 | 132 | 114 |
右近も、うち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえむには、似げなう若くおはしますめり。さし並びたまへらむはしも、あはひめでたしかし」と、思ひゐたり。 |
うこんも、うちゑみつつみたてまつりて、"おやときこえんには、にげなうわかくおはしますめり。さしならびたまへらんはしも、あはひめでたしかし。"と、おもひゐたり。 |
24 | 2.4.2 | 133 | 115 |
「さらに人の御消息などは、聞こえ伝ふることはべらず。先々も知ろしめし御覧じたる三つ、四つは、引き返し、はしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りは、さらに。聞こえさせたまふ折ばかりなむ。それをだに、苦しいことに思いたる」 |
"さらにひとのおほんせうそこなどは、きこえつたふることはべらず。さきざきもしろしめしごらんじたるみつ、よつは、ひきかへし、はしたなめきこえんもいかがとて、おほんふみばかりとりいれなどしはべるめれど、おほんかへりは、さらに。きこえさせたまふをりばかりなん。それをだに、くるしいことにおぼいたる。" |
24 | 2.4.3 | 134 | 116 |
と聞こゆ。 |
ときこゆ。 |
24 | 2.4.4 | 135 | 117 |
「さて、この若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」 |
"さて、このわかやかにむすぼほれたるはたがぞ。いといたうかいたるけしきかな。" |
24 | 2.4.5 | 136 | 118 |
と、ほほ笑みて御覧ずれば、 |
と、ほほゑみてごらんずれば、 |
24 | 2.4.6 | 137 | 119 |
「かれは、執念うとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける、伝へにてはべりける。また見入るる人もはべらざりしにこそ」 |
"かれは、しふねうとどめてまかりにけるにこそ。うちのおほいどののちゅうじゃうの、このさぶらふみるこをぞ、もとよりみしりたまへりける、つたへにてはべりける。またみいるるひともはべらざりしにこそ。" |
24 | 2.4.7 | 138 | 120 |
と聞こゆれば、 |
ときこゆれば、 |
24 | 2.4.8 | 139 | 121 |
「いとらうたきことかな。下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さるなかにも、いとしづまりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉にはあらでこそ、言ひ紛らはさめ。見所ある文書きかな」 |
"いとらうたきことかな。げらうなりとも、かのぬしたちをば、いかがいとさははしたなめん。くぎゃうといへど、このひとのおぼえに、かならずしもならぶまじきこそおほかれ。さるなかにも、いとしづまりたるひとなり。おのづからおもひあはするよもこそあれ。けちえんにはあらでこそ、いひまぎらはさめ。みどころあるふみがきかな。" |
24 | 2.4.9 | 140 | 122 |
など、とみにもうち置きたまはず。 |
など、とみにもうちおきたまはず。 |
24 | 2.5 | 141 | 123 | 第五段 源氏、求婚者たちを批評 |
24 | 2.5.1 | 142 | 124 |
「かう何やかやと聞こゆるをも、思すところやあらむと、ややましきを、かの大臣に知られたてまつりたまはむことも、まだ若々しう何となきほどに、ここら年経たまへる御仲にさし出でたまはむことは、いかがと思ひめぐらしはべる。なほ世の人のあめる方に定まりてこそは、人びとしう、さるべきついでもものしたまはめと思ふを。 |
"かうなにやかやときこゆるをも、おぼすところやあらんと、ややましきを、かのおとどにしられたてまつりたまはんことも、まだわかわかしうなにとなきほどに、ここらとしへたまへるおほんなかにさしいでたまはんことは、いかがとおもひめぐらしはべる。なほよのひとのあめるかたにさだまりてこそは、ひとびとしう、さるべきついでもものしたまはめとおもふを。 |
24 | 2.5.2 | 143 | 125 |
宮は、独りものしたまふやうなれど、人柄いといたうあだめいて、通ひたまふ所あまた聞こえ、召人とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる。 |
みやは、ひとりものしたまふやうなれど、ひとがらいといたうあだめいて、かよひたまふところあまたきこえ、めしうどとか、にくげなるなのりするひとどもなん、かずあまたきこゆる。 |
24 | 2.5.3 | 144 | 126 |
さやうならむことは、憎げなうて見直いたまはむ人は、いとようなだらかにもて消ちてむ。すこし心に癖ありては、人に飽かれぬべきことなむ、おのづから出で来ぬべきを、その御心づかひなむあべき。 |
さやうならんことは、にくげなうてみなほいたまはんひとは、いとようなだらかにもてけちてん。すこしこころにくせありては、ひとにあかれぬべきことなん、おのづからいできぬべきを、そのみこころづかひなんあべき。 |
24 | 2.5.4 | 145 | 127 |
大将は、年経たる人の、いたうねび過ぎたるを、厭ひがてにと求むなれど、それも人びとわづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになむ、人知れず思ひ定めかねはべる。 |
だいしゃうは、としへたるひとの、いたうねびすぎたるを、いとひがてにともとむなれど、それもひとびとわづらはしがるなり。さもあべいことなれば、さまざまになん、ひとしれずおもひさだめかねはべる。 |
24 | 2.5.5 | 146 | 128 |
かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがたきことなれど、さばかりの御齢にもあらず。今は、などか何ごとをも御心に分いたまはざらむ。まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひないたまへ。御心に飽かざらむことは、心苦しく」 |
かうざまのことは、おやなどにも、さはやかに、わがおもふさまとて、かたりいでがたきことなれど、さばかりのおほんよはひにもあらず。いまは、などかなにごとをもみこころにわいたまはざらん。まろを、むかしざまになずらへて、ははぎみとおもひないたまへ。みこころにあかざらんことは、こころぐるしく。" |
24 | 2.5.6 | 147 | 129 |
など、いとまめやかにて聞こえたまへば、苦しうて、御応へ聞こえむともおぼえたまはず。いと若々しきもうたておぼえて、 |
など、いとまめやかにてきこえたまへば、くるしうて、おほんいらへきこえんともおぼえたまはず。いとわかわかしきもうたておぼえて、 |
24 | 2.5.7 | 148 | 130 |
「何ごとも思ひ知りはべらざりけるほどより、親などは見ぬものにならひはべりて、ともかくも思うたまへられずなむ」 |
"なにごともおもひしりはべらざりけるほどより、おやなどはみぬものにならひはべりて、ともかくもおもうたまへられずなん。" |
24 | 2.5.8 | 149 | 131 |
と、聞こえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、 |
と、きこえたまふさまのいとおいらかなれば、げにとおぼいて、 |
24 | 2.5.9 | 150 | 132 |
「さらば世のたとひの、後の親をそれと思いて、おろかならぬ心ざしのほども、見あらはし果てたまひてむや」 |
"さらばよのたとひの、のちのおやをそれとおぼいて、おろかならぬこころざしのほども、みあらはしはてたまひてんや。" |
24 | 2.5.10 | 151 | 133 |
など、うち語らひたまふ。思すさまのことは、まばゆければ、えうち出でたまはず。けしきある言葉は時々混ぜたまへど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡りたまふ。 |
など、うちかたらひたまふ。おぼすさまのことは、まばゆければ、えうちいでたまはず。けしきあることばはときどきまぜたまへど、みしらぬさまなれば、すずろにうちなげかれてわたりたまふ。 |
24 | 3 | 152 | 134 | 第三章 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語 |
24 | 3.1 | 153 | 135 | 第一段 源氏、玉鬘と和歌を贈答 |
24 | 3.1.1 | 154 | 136 |
御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、 |
おまへちかきくれたけの、いとわかやかにおひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、たちとまりたまうて、 |
24 | 3.1.2 | 155 | 137 |
「ませのうちに根深く植ゑし竹の子の<BR/>おのが世々にや生ひわかるべき |
"〔ませのうちにねぶかくうゑしたけのこの<BR/>おのがよよにやおひわかるべき |
24 | 3.1.3 | 156 | 138 |
思へば恨めしかべいことぞかし」 |
おもへばうらめしかべいことぞかし。" |
24 | 3.1.4 | 157 | 139 |
と、御簾を引き上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、 |
と、みすをひきあげてきこえたまへば、ゐざりいでて、 |
24 | 3.1.5 | 158 | 140 |
「今さらにいかならむ世か若竹の<BR/>生ひ始めけむ根をば尋ねむ |
"〔いまさらにいかならんよかわかたけの<BR/>おひはじめけんねをばたづねん |
24 | 3.1.6 | 159 | 141 |
なかなかにこそはべらめ」 |
なかなかにこそはべらめ。" |
24 | 3.1.7 | 160 | 142 |
と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。さるは、心のうちにはさも思はずかし。いかならむ折聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、この大臣の御心ばへのいとありがたきを、 |
ときこえたまふを、いとあはれとおぼしけり。さるは、こころのうちにはさもおもはずかし。いかならんをりきこえいでんとすらんと、こころもとなくあはれなれど、このおとどのみこころばへのいとありがたきを、 |
24 | 3.1.8 | 161 | 143 |
「親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」 |
"おやときこゆとも、もとよりみなれたまはぬは、えかうしもこまやかならずや。" |
24 | 3.1.9 | 162 | 144 |
と、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す。 |
と、むかしものがたりをみたまふにも、やうやうひとのありさま、よのなかのあるやうをみしりたまへば、いとつつましう、こころとしられたてまつらんことはかたかるべう、おぼす。 |
24 | 3.2 | 163 | 145 | 第二段 源氏、紫の上に玉鬘を語る |
24 | 3.2.1 | 164 | 146 |
殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。上にも語り申したまふ。 |
とのは、いとどらうたしとおもひきこえたまふ。うへにもかたりまうしたまふ。 |
24 | 3.2.2 | 165 | 147 |
「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。この君は、もののありさまも見知りぬべく、気近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」 |
"あやしうなつかしきひとのありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。このきみは、もののありさまもみしりぬべく、けぢかきこころざまそひて、うしろめたからずこそみゆれ。" |
24 | 3.2.3 | 166 | 148 |
など、ほめたまふ。ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば、思し寄りて、 |
など、ほめたまふ。ただにしもおぼすまじきみこころざまをみしりたまへれば、おぼしよりて、 |
24 | 3.2.4 | 167 | 149 |
「ものの心得つべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ、心苦しけれ」 |
"もののこころえつべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、たのみきこえたまふらんこそ、こころぐるしけれ。" |
24 | 3.2.5 | 168 | 150 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
24 | 3.2.6 | 169 | 151 |
「など、頼もしげなくやはあるべき」 |
"など、たのもしげなくやはあるべき。" |
24 | 3.2.7 | 170 | 152 |
と聞こえたまへば、 |
ときこえたまへば、 |
24 | 3.2.8 | 171 | 153 |
「いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」 |
"いでや、われにても、またしのびがたう、ものおもはしきをりをりありしみこころざまの、おもひいでらるるふしぶしなくやは。" |
24 | 3.2.9 | 172 | 154 |
と、ほほ笑みて聞こえたまへば、「あな、心疾」とおぼいて、 |
と、ほほゑみてきこえたまへば、"あな、こころと'。"とおぼいて、 |
24 | 3.2.10 | 173 | 155 |
「うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ」 |
"うたてもおぼしよるかな。いとみしらずしもあらじ。" |
24 | 3.2.11 | 174 | 156 |
とて、わづらはしければ、のたまひさして、心のうちに、「人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と思し乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我が心のほども、思ひ知られたまうけり。 |
とて、わづらはしければ、のたまひさして、こころのうちに、"ひとのかうおしはかりたまふにも、いかがはあべからん。"とおぼしみだれ、かつは、ひがひがしう、けしからぬわがこころのほども、おもひしられたまうけり。 |
24 | 3.2.12 | 175 | 157 |
心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。 |
こころにかかれるままに、しばしばわたりたまひつつみたてまつりたまふ。 |
24 | 3.3 | 176 | 158 | 第三段 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える |
24 | 3.3.1 | 177 | 159 |
雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見い出したまひて、 |
あめのうちふりたるなごりの、いとものしめやかなるゆふつかた、おまへのわかかえで、かしはぎなどの、あをやかにしげりあひたるが、なにとなくここちよげなるそらをみいだしたまひて、 |
24 | 3.3.2 | 178 | 160 |
「和してまた清し」 |
"〔わしてまたきよし〕 |
24 | 3.3.3 | 179 | 161 |
とうち誦じたまうて、まづ、この姫君の御さまの、匂ひやかげさを思し出でられて、例の、忍びやかに渡りたまへり。 |
とうちじゅじたまうて、まづ、このひめぎみのおほんさまの、にほひやかげさをおぼしいでられて、れいの、しのびやかにわたりたまへり。 |
24 | 3.3.4 | 180 | 162 |
手習などして、うちとけたまへりけるを、起き上がりたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、 |
てならひなどして、うちとけたまへりけるを、おきあがりたまひて、はぢらひたまへるかほのいろあひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふとむかしおぼしいでらるるにも、しのびがたくて、 |
24 | 3.3.5 | 181 | 163 |
「見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」 |
"みそめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずとおもひしを、あやしう、ただそれかとおもひまがへらるるをりをりこそあれ。あはれなるわざなりけり。ちゅうじゃうの、さらにむかしざまのにほひにもみえぬならひに、さしもにぬものとおもふに、かかるひともものしたまうけるよ。" |
24 | 3.3.6 | 182 | 164 |
とて、涙ぐみたまへり。箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、 |
とて、なみだぐみたまへり。はこのふたなるおほんくだもののなかに、たちばなのあるをまさぐりて、 |
24 | 3.3.7 | 183 | 165 |
「橘の薫りし袖によそふれば<BR/>変はれる身とも思ほえぬかな |
"〔たちばなのかをりしそでによそふれば<BR/>かはれるみともおもほえぬかな |
24 | 3.3.8 | 184 | 166 |
世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思し疎むなよ」 |
よととものこころにかけてわすれがたきに、なぐさむことなくてすぎつるとしごろを、かくてみたてまつるは、ゆめにやとのみおもひなすを、なほえこそしのぶまじけれ。おぼしうとむなよ。" |
24 | 3.3.9 | 185 | 167 |
とて、御手をとらへたまへれば、女、かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。 |
とて、おほんてをとらへたまへれば、をんな、かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。 |
24 | 3.3.10 | 186 | 168 |
「袖の香をよそふるからに橘の<BR/>身さへはかなくなりもこそすれ」 |
"〔そでのかをよそふるからにたちばなの<BR/>みさへはかなくなりもこそすれ〕 |
24 | 3.3.11 | 187 | 169 |
むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。 |
むつかしとおもひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、てつきのつぶつぶとこえたまへる、みなり、はだつきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるものおもひそふここちしたまて、けふはすこしおもふこときこえしらせたまひける。 |
24 | 3.3.12 | 188 | 170 |
女は、心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、 |
をんなは、こころうく、いかにせんとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、 |
24 | 3.3.13 | 189 | 171 |
「何か、かく疎ましとは思いたる。いとよくも隠して、人に咎めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。さりげなくてをもて隠したまへ。浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを、この訪づれきこゆる人びとには、思し落とすべくやはある。いとかう深き心ある人は、世にありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」 |
"なにか、かくうとましとはおぼいたる。いとよくもかくして、ひとにとがめらるべくもあらぬこころのほどぞよ。さりげなくてをもてかくしたまへ。あさくもおもひきこえさせぬこころざしに、またそふべければ、よにたぐひあるまじきここちなんするを、このおとづれきこゆるひとびとには、おぼしおとすべくやはある。いとかうふかきこころあるひとは、よにありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ。" |
24 | 3.3.14 | 190 | 172 |
とのたまふ。いとさかしらなる御親心なりかし。 |
とのたまふ。いとさかしらなるおほんおやごころなりかし。 |
24 | 3.4 | 191 | 173 | 第四段 源氏、自制して帰る |
24 | 3.4.1 | 192 | 174 |
雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人びとは、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、気近くもさぶらはず。 |
あめはやみて、かぜのたけになるほど、はなやかにさしいでたるつきかげ、をかしきよのさまもしめやかなるに、ひとびとは、こまやかなるおほんものがたりにかしこまりおきて、けぢかくもさぶらはず。 |
24 | 3.4.2 | 193 | 175 |
常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよき折しもありがたければ、言に出でたまへるついでの、御ひたぶる心にや、なつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば、いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ。 |
つねにみたてまつりたまふおほんなかなれど、かくよきをりしもありがたければ、ことにいでたまへるついでの、おほんひたぶるこころにや、なつかしいほどなるおほんぞどものけはひは、いとようまぎらはしすべしたまひて、ちかやかにふしたまへば、いとこころうく、ひとのおもはんこともめづらかに、いみじうおぼゆ。 |
24 | 3.4.3 | 194 | 176 |
「まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや」と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、 |
"まことのおやのおほんあたりならましかば、おろかにはみはなちたまふとも、かくざまのうきことはあらましや。"とかなしきに、つつむとすれどこぼれいでつつ、いとこころぐるしきみけしきなれば、 |
24 | 3.4.4 | 195 | 177 |
「かう思すこそつらけれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年経ぬる睦ましさに、かばかり見えたてまつるや、何の疎ましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」 |
"かうおぼすこそつらけれ。もてはなれしらぬひとだに、よのことわりにて、みなゆるすわざなめるを、かくとしへぬるむつましさに、かばかりみえたてまつるや、なにのうとましかるべきぞ。これよりあながちなるこころは、よもみせたてまつらじ。おぼろけにしのぶるにあまるほどを、なぐさむるぞや。" |
24 | 3.4.5 | 196 | 178 |
とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。 |
とて、あはれげになつかしうきこえたまふことおほかり。まして、かやうなるけはひは、ただむかしのここちして、いみじうあはれなり。 |
24 | 3.4.6 | 197 | 179 |
わが御心ながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜も更かさで出でたまひぬ。 |
わがみこころながらも、"ゆくりかにあはつけきこと"とおぼししらるれば、いとよくおぼしかへしつつ、ひともあやしとおもふべければ、いたうよもふかさでいでたまひぬ。 |
24 | 3.4.7 | 198 | 180 |
「思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく、そこひ知らぬ心ざしなれば、人の咎むべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえむ。同じ心に応へなどしたまへ」 |
"おもひうとみたまはば、いとこころうくこそあるべけれ。よそのひとは、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。かぎりなく、そこひしらぬこころざしなれば、ひとのとがむべきさまにはよもあらじ。ただむかしこひしきなぐさめに、はかなきことをもきこえん。おなじこころにいらへなどしたまへ。" |
24 | 3.4.8 | 199 | 181 |
と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、 |
と、いとこまかにきこえたまへど、われにもあらぬさまして、いといとうしとおぼいたれば、 |
24 | 3.4.9 | 200 | 182 |
「いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを、いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」 |
"いとさばかりにはみたてまつらぬみこころばへを、いとこよなくもにくみたまふべかめるかな。" |
24 | 3.4.10 | 201 | 183 |
と嘆きたまひて、 |
となげきたまひて、 |
24 | 3.4.11 | 202 | 184 |
「ゆめ、けしきなくてを」 |
"ゆめ、けしきなくてを。" |
24 | 3.4.12 | 203 | 185 |
とて、出でたまひぬ。 |
とて、いでたまひぬ。 |
24 | 3.4.13 | 204 | 186 |
女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬなかにも、すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば、これより気近きさまにも思し寄らず、「思ひの外にもありける世かな」と、嘆かしきに、いとけしきも悪しければ、人びと、御心地悩ましげに見えたまふと、もて悩みきこゆ。 |
をんなぎみも、おほんとしこそすぐしたまひにたるほどなれ、よのなかをしりたまはぬなかにも、すこしうちよなれたるひとのありさまをだにみしりたまはねば、これよりけぢかきさまにもおぼしよらず、"おもひのほかにもありけるよかな。"と、なげかしきに、いとけしきもあしければ、ひとびと、みここちなやましげにみえたまふと、もてなやみきこゆ。 |
24 | 3.4.14 | 205 | 187 |
「殿の御けしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことの御親と聞こゆとも、さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」 |
"とののみけしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。まことのおほんおやときこゆとも、さらにかばかりおぼしよらぬことなくは、もてなしきこえたまはじ。" |
24 | 3.4.15 | 206 | 188 |
など、兵部なども、忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、疎ましう思ひ果てたまふにも、身ぞ心憂かりける。 |
など、ひゃうぶなども、しのびてきこゆるにつけて、いとどおもはずに、こころづきなきみこころのありさまを、うとましうおもひはてたまふにも、みぞこころうかりける。 |
24 | 3.5 | 207 | 189 | 第五段 苦悩する玉鬘 |
24 | 3.5.1 | 208 | 190 |
またの朝、御文とくあり。悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。 |
またのあした、おほんふみとくあり。なやましがりてふしたまへれど、ひとびとおほんすずりなどまゐりて、"おほんかへりとく。"ときこゆれば、しぶしぶにみたまふ。しろきかみの、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたうかいたまへり。 |
24 | 3.5.2 | 209 | 191 |
「たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見たてまつりけむ。 |
"たぐひなかりしみけしきこそ、つらきしもわすれがたう。いかにひとみたてまつりけん。 |
24 | 3.5.3 | 210 | 192 |
うちとけて寝も見ぬものを若草の<BR/>ことあり顔にむすぼほるらむ |
うちとけてねもみぬものをわかくさの<BR/>ことありがほにむすぼほるらん |
24 | 3.5.4 | 211 | 193 |
幼くこそものしたまひけれ」 |
をさなくこそものしたまひけれ。" |
24 | 3.5.5 | 212 | 194 |
と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ、 |
と、さすがにおやがりたるおほんことばも、いとにくしとみたまひて、おほんかへりごときこえざらんも、ひとめあやしければ、ふくよかなるみちのくにがみに、ただ、 |
24 | 3.5.6 | 213 | 195 |
「うけたまはりぬ。乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」 |
"うけたまはりぬ。みだりごこちのあしうはべれば、きこえさせぬ。" |
24 | 3.5.7 | 214 | 196 |
とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな。 |
とのみあるに、"かやうのけしきは、さすがにすくよかなり。"とほほゑみて、うらみどころあるここちしたまふ、うたてあるこころかな。 |
24 | 3.5.8 | 215 | 197 |
色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。 |
いろにいでたまひてのちは、〔おほたのまつの〕とおもはせたることなく、むつかしうきこえたまふことおほかれば、いとどところせきここちして、おきどころなきものおもひつきて、いとなやましうさへしたまふ。 |
24 | 3.5.9 | 216 | 198 |
かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを、 |
かくて、ことのこころしるひとはすくなうて、うときもしたしきも、むげのおやざまにおもひきこえたるを、 |
24 | 3.5.10 | 217 | 199 |
「かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」 |
"かうやうのけしきのもりいでば、いみじうひとわらはれに、うきなにもあるべきかな。ちちおとどなどのたづねしりたまふにても、まめまめしきみこころばへにもあらざらんものから、ましていとあはつけう、まちききおぼさんこと。" |
24 | 3.5.11 | 218 | 200 |
と、よろづにやすげなう思し乱る。 |
と、よろづにやすげなうおぼしみだる。 |
24 | 3.5.12 | 219 | 201 |
宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。この岩漏る中将も、大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。 |
みや、だいしゃうなどは、とののみけしき、もてはなれぬさまにつたへききたまうて、いとねんごろにきこえたまふ。このいはもるちゅうじゃうも、おとどのおほんゆるしをみてこそ、かたよりにほのききて、まことのすぢをばしらず、ただひとへにうれしくて、おりたちうらみきこえまどひありくめり。 |