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26常夏
2616236第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語
261.16337第一段 六条院釣殿の納涼
261.1.16438 いと(あつ)()(ひんがし)釣殿(つりどの)()でたまひて(すず)みたまふ。中将(ちゅうじゃう)(きみ)もさぶらひたまふ。(した)しき殿上人(てんじゃうびと)あまたさぶらひて、西川(にしかは)よりたてまつれる(あゆ)(ちか)(かは)のいしぶしやうのもの、御前(おまへ)にて調(てう)じて(まゐ)らす。(れい)大殿(おほとの)君達(きんだち)中将(ちゅうじゃう)(おほん)あたり(たづ)ねて(まゐ)りたまへり。 いとあつひんがしつりどのでたまひてすずみたまふ。ちゅうじゃうきみもさぶらひたまふ。したしきてんじゃうびとあまたさぶらひて、にしかはよりたてまつれるあゆちかかはのいしぶしやうのもの、おまへにててうじてまゐらす。れいおほとのきんだちちゅうじゃうおほんあたりたづねてまゐりたまへり。
261.1.26539 「さうざうしくねぶたかりつる、(をり)よくものしたまへるかな」 "さうざうしくねぶたかりつる、をりよくものしたまへるかな。"
261.1.36640 とて、大御酒参(おほみきまゐ)り、氷水召(ひみづめ)して、水飯(すいはん)など、とりどりにさうどきつつ()ふ。 とて、おほみきまゐり、ひみづめして、すいはんなど、とりどりにさうどきつつふ。
261.1.46742 (かぜ)はいとよく()けども、()のどかに(くも)りなき(そら)の、西日(にしび)になるほど、(せみ)(こゑ)などもいと(くる)しげに()こゆれば、 かぜはいとよくけども、のどかにくもりなきそらの、にしびになるほど、せみこゑなどもいとくるしげにこゆれば、
261.1.56843 (みづ)上無徳(うへむとく)なる今日(けふ)(あつ)かはしさかな。無礼(むらい)(つみ)(ゆる)されなむや」 "みづうへむとくなるけふあつかはしさかな。むらいつみゆるされなんや。"
261.1.66944 とて、()()したまへり。 とて、したまへり。
261.1.77045 「いとかかるころは、(あそ)びなどもすさまじく、さすがに、()らしがたきこそ(くる)しけれ。宮仕(みやづか)へする(わか)(ひと)びと()へがたからむな。(おび)(ほど)かぬほどよ。ここにてだにうち(みだ)れ、このころ()にあらむことの、すこし(めづら)しく、ねぶたさ()めぬべからむ、(かた)りて()かせたまへ。(なに)となく(おきな)びたる心地(ここち)して、世間(せけん)のこともおぼつかなしや」 "いとかかるころは、あそびなどもすさまじく、さすがに、らしがたきこそくるしけれ。みやづかへするわかひとびとへがたからんな。おびほどかぬほどよ。ここにてだにうちみだれ、このころにあらんことの、すこしめづらしく、ねぶたさめぬべからん、かたりてかせたまへ。なにとなくおきなびたるここちして、せけんのこともおぼつかなしや。"
261.1.87146 などのたまへど、(めづら)しきこととて、うち()()こえむ物語(ものがたり)もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、(みな)いと(すず)しき高欄(かうらん)に、背中押(せなかお)しつつさぶらひたまふ。 などのたまへど、めづらしきこととて、うちこえんものがたりもおぼえねば、かしこまりたるやうにて、みないとすずしきかうらんに、せなかおしつつさぶらひたまふ。
261.27247第二段 近江君の噂
261.2.17348 「いかで()きしことぞや、大臣(おとど)のほか(ばら)娘尋(むすめたづ)()でて、かしづきたまふなるとまねぶ(ひと)ありしかば、まことにや」 "いかできしことぞや、おとどのほかばらむすめたづでて、かしづきたまふなるとまねぶひとありしかば、まことにや。"
261.2.27449 と、弁少将(べんのせうしゃう)()ひたまへば、 と、べんのせうしゃうひたまへば、
261.2.37550 「ことことしく、さまで()ひなすべきことにもはべらざりけるを。この(はる)のころほひ、夢語(ゆめがた)りしたまひけるを、ほの()(つた)へはべりける(をんな)の、『われなむかこつべきことある』と、()のり()ではべりけるを、中将(ちゅうじゃう)朝臣(あそん)なむ()きつけて、『まことにさやうに()ればひぬべきしるしやある』と、(たづ)ねとぶらひはべりける。(くは)しきさまは、え()りはべらず。げに、このころ(めづら)しき世語(よがた)りになむ、(ひと)びともしはべるなる。かやうのことにぞ、(ひと)のため、おのづから家損(けそん)なるわざにはべりけれ」 "ことことしく、さまでひなすべきことにもはべらざりけるを。このはるのころほひ、ゆめがたりしたまひけるを、ほのつたへはべりけるをんなの、'われなんかこつべきことある。'と、のりではべりけるを、ちゅうじゃうあそんなんきつけて、'まことにさやうにればひぬべきしるしやある。'と、たづねとぶらひはべりける。くはしきさまは、えりはべらず。げに、このころめづらしきよがたりになん、ひとびともしはべるなる。かやうのことにぞ、ひとのため、おのづからけそんなるわざにはべりけれ。"
261.2.47651 ()こゆ。「まことなりけり」と(おぼ)して、 こゆ。"まことなりけり。"とおぼして、
261.2.57752 「いと(おほ)かめる(つら)に、(はな)れたらむ(おく)るる(かり)を、()ひて(たづ)ねたまふが、ふくつけきぞ。いとともしきに、さやうならむもののくさはひ、見出(みい)でまほしけれど、()のりももの()(きは)とや(おも)ふらむ、さらにこそ()こえね。さても、もて(はな)れたることにはあらじ。らうがはしくとかく(まぎ)れたまふめりしほどに、底清(そこきよ)()まぬ(みづ)にやどる(つき)は、(くも)りなきやうのいかでかあらむ」 "いとおほかめるつらに、はなれたらんおくるるかりを、ひてたづねたまふが、ふくつけきぞ。いとともしきに、さやうならんもののくさはひ、みいでまほしけれど、のりもものきはとやおもふらん、さらにこそこえね。さても、もてはなれたることにはあらじ。らうがはしくとかくまぎれたまふめりしほどに、そこきよまぬみづにやどるつきは、くもりなきやうのいかでかあらん。"
261.2.67853 と、ほほ()みてのたまふ。中将(ちゅうじゃう)(きみ)も、(くは)しく()きたまふことなれば、えしもまめだたず。少将(せうしゃう)藤侍従(とうじじゅ)とは、いとからしと(おも)ひたり。 と、ほほみてのたまふ。ちゅうじゃうきみも、くはしくきたまふことなれば、えしもまめだたず。せうしゃうとうじじゅとは、いとからしとおもひたり。
261.2.77954 朝臣(あそん)や、さやうの落葉(おちば)をだに(ひろ)へ。人悪(ひとわ)ろき()(のち)()(のこ)らむよりは、(おな)じかざしにて(なぐさ)めむに、なでふことかあらむ」 "あそんや、さやうのおちばをだにひろへ。ひとわろきのちのこらんよりは、おなじかざしにてなぐさめんに、なでふことかあらん。"
261.2.88055 と、(ろう)じたまふやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲(おほんなか)の、(むかし)よりさすがに(ひま)ありける。まいて、中将(ちゅうじゃう)をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさを(おぼ)しあまりて、「なまねたしとも、()()きたまへかし」と(おぼ)すなりけり。 と、ろうじたまふやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよきおほんなかの、むかしよりさすがにひまありける。まいて、ちゅうじゃうをいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさをおぼしあまりて、"なまねたしとも、きたまへかし。"とおぼすなりけり。
261.2.98156 かく()きたまふにつけても、 かくきたまふにつけても、
261.2.108257 (たい)姫君(ひめぎみ)()せたらむ(とき)、またあなづらはしからぬ(かた)にもてなされなむはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる(ひと)にて、()()しきけぢめも、けざやかにもてはやし、またもて()(かろ)むることも、(ひと)(こと)なる大臣(おとど)なれば、いかにものしと(おも)ふらむ。おぼえぬさまにて、この(きみ)をさし()でたらむに、え(かろ)くは(おぼ)さじ。いときびしくもてなしてむ」など(おぼ)す。 "たいひめぎみせたらんとき、またあなづらはしからぬかたにもてなされなんはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへるひとにて、しきけぢめも、けざやかにもてはやし、またもてかろむることも、ひとことなるおとどなれば、いかにものしとおもふらん。おぼえぬさまにて、このきみをさしでたらんに、えかろくはおぼさじ。いときびしくもてなしてん。"などおぼす。
261.38358第三段 源氏、玉鬘を訪う
261.3.18459 (ゆふ)つけゆく(かぜ)、いと(すず)しくて、(かへ)()(わか)(ひと)びとは(おも)ひたり。 ゆふつけゆくかぜ、いとすずしくて、かへわかひとびとはおもひたり。
261.3.28560 (こころ)やすくうち(やす)(すず)まむや。やうやうかやうの(なか)に、(いと)はれぬべき(よはひ)にもなりにけりや」 "こころやすくうちやすすずまんや。やうやうかやうのなかに、いとはれぬべきよはひにもなりにけりや。"
261.3.38661 とて、西(にし)(たい)(わた)りたまへば、君達(きんだち)皆御送(みなおほんおく)りに(まゐ)りたまふ。 とて、にしたいわたりたまへば、きんだちみなおほんおくりにまゐりたまふ。
261.3.48762 たそかれ(どき)のおぼおぼしきに、(おな)直衣(なほし)どもなれば、(なに)ともわきまへられぬに、大臣(おとど)姫君(ひめぎみ)を、 たそかれどきのおぼおぼしきに、おななほしどもなれば、なにともわきまへられぬに、おとどひめぎみを、
261.3.58863 「すこし外出(とい)でたまへ」 "すこしといでたまへ。"
261.3.68964 とて、(しの)びて、 とて、しのびて、
261.3.79065 少将(せうしゃう)侍従(じじゅ)など()てまうで()たり。いと()けり()まほしげに(おも)へるを、中将(ちゅうじゃう)の、いと実法(じほふ)(ひと)にて()()ぬ、無心(むじん)なめりかし。 "せうしゃうじじゅなどてまうでたり。いとけりまほしげにおもへるを、ちゅうじゃうの、いとじほふひとにてぬ、むじんなめりかし。
261.3.89166 この(ひと)びとは、皆思(みなおも)(こころ)なきならじ。なほなほしき(きは)をだに、(まど)(うち)なるほどは、ほどに(したが)ひて、ゆかしく(おも)ふべかめるわざなれば、この(いへ)のおぼえ、うちうちのくだくだしきほどよりは、いと()()ぎて、ことことしくなむ()(おも)ひなすべかめる。かたがたものすめれど、さすがに(ひと)()きごと()()らむにつきなしかし。 このひとびとは、みなおもこころなきならじ。なほなほしききはをだに、まどうちなるほどは、ほどにしたがひて、ゆかしくおもふべかめるわざなれば、このいへのおぼえ、うちうちのくだくだしきほどよりは、いとぎて、ことことしくなんおもひなすべかめる。かたがたものすめれど、さすがにひときごとらんにつきなしかし。
261.3.99267 かくてものしたまふは、いかでさやうならむ(ひと)のけしきの、(ふか)(あさ)さをも()むなど、さうざうしきままに(ねが)(おも)ひしを、本意(ほい)なむ(かな)心地(ここち)しける」 かくてものしたまふは、いかでさやうならんひとのけしきの、ふかあささをもんなど、さうざうしきままにねがおもひしを、ほいなんかなここちしける。"
261.3.109368 など、ささめきつつ()こえたまふ。 など、ささめきつつこえたまふ。
261.3.119469 御前(おまへ)に、(みだ)れがはしき前栽(せんさい)なども()ゑさせたまはず、撫子(なでしこ)(いろ)をととのへたる、(から)の、大和(やまと)の、(ませ)いとなつかしく()ひなして、()(みだ)れたる(ゆふ)ばえ、いみじく()ゆ。(みな)()()りて、(こころ)のままにも()()らぬを、()かず(おも)ひつつやすらふ。 おまへに、みだれがはしきせんさいなどもゑさせたまはず、なでしこいろをととのへたる、からの、やまとの、ませいとなつかしくひなして、みだれたるゆふばえ、いみじくゆ。みなりて、こころのままにもらぬを、かずおもひつつやすらふ。
261.3.129570 有職(いうそく)どもなりな。(こころ)もちゐなども、とりどりにつけてこそめやすけれ。(みぎ)中将(ちゅうじゃう)は、ましてすこし(しづ)まりて、心恥(こころは)づかしき()まさりたり。いかにぞや、おとづれ()こゆや。はしたなくも、なさし(はな)ちたまひそ」 "いうそくどもなりな。こころもちゐなども、とりどりにつけてこそめやすけれ。みぎちゅうじゃうは、ましてすこししづまりて、こころはづかしきまさりたり。いかにぞや、おとづれこゆや。はしたなくも、なさしはなちたまひそ。"
261.3.139671 などのたまふ。 などのたまふ。
261.3.149772 中将(ちゅうじゃう)(きみ)は、かくよきなかに、すぐれてをかしげになまめきたまへり。 ちゅうじゃうきみは、かくよきなかに、すぐれてをかしげになまめきたまへり。
261.3.159873 中将(ちゅうじゃう)(いと)ひたまふこそ、大臣(おとど)本意(ほい)なけれ。()じりものなく、きらきらしかめるなかに、大君(おほきみ)だつ(すぢ)にて、かたくななりとにや」 "ちゅうじゃういとひたまふこそ、おとどほいなけれ。じりものなく、きらきらしかめるなかに、おほきみだつすぢにて、かたくななりとにや。"
261.3.169974 とのたまへば、 とのたまへば、
261.3.1710075 ()まさば、といふ(ひと)もはべりけるを」 "まさば、といふひともはべりけるを。"
261.3.1810176 ()こえたまふ。 こえたまふ。
261.3.1910277 「いで、その御肴(みさかな)もてはやされむさまは(ねが)はしからず。ただ、(をさな)きどちの(むす)びおきけむ(こころ)()けず、年月(としつき)(へだ)てたまふ(こころ)むけのつらきなり。まだ下臈(げらふ)なり、()()耳軽(みみかろ)しと(おも)はれば、()らず(がほ)にて、ここに(まか)せたまへらむに、うしろめたくはありなましや」 "いで、そのみさかなもてはやされんさまはねがはしからず。ただ、をさなきどちのむすびおきけんこころけず、としつきへだてたまふこころむけのつらきなり。まだげらふなり、みみかろしとおもはれば、らずがほにて、ここにまかせたまへらんに、うしろめたくはありなましや。"
261.3.2010378 など、うめきたまふ。「さは、かかる御心(みこころ)(へだ)てある御仲(おほんなか)なりけり」と()きたまふにも、(おや)()られたてまつらむことのいつとなきは、あはれにいぶせく(おぼ)す。 など、うめきたまふ。"さは、かかるみこころへだてあるおほんなかなりけり。"ときたまふにも、おやられたてまつらんことのいつとなきは、あはれにいぶせくおぼす。
261.410479第四段 源氏、玉鬘と和琴について語る
261.4.110580 (つき)もなきころなれば、燈籠(とうろ)御殿油参(おほとなぶらまゐ)れり。 つきもなきころなれば、とうろおほとなぶらまゐれり。
261.4.210681 「なほ、気近(けぢか)くて(あつ)かはしや。篝火(かがりび)こそよけれ」 "なほ、けぢかくてあつかはしや。かがりびこそよけれ。"
261.4.310782 とて、人召(ひとめ)して、 とて、ひとめして、
261.4.410883 篝火(かがりび)台一(だいひと)つ、こなたに」 "かがりびだいひとつ、こなたに。"
261.4.510984 ()す。をかしげなる和琴(わごん)のある、()()せたまひて、()()らしたまへば、(りち)にいとよく調(しら)べられたり。()もいとよく()れば、すこし()きたまひて、 す。をかしげなるわごんのある、せたまひて、らしたまへば、りちにいとよくしらべられたり。もいとよくれば、すこしきたまひて、
261.4.611085 「かやうのことは御心(みこころ)()らぬ(すぢ)にやと、(つき)ごろ(おも)ひおとしきこえけるかな。(あき)()月影涼(つきかげすず)しきほど、いと奥深(おくぶか)くはあらで、(むし)(こゑ)()()らし()はせたるほど、気近(けぢか)(いま)めかしきものの()なり。ことことしき調(しら)べ、もてなししどけなしや。 "かやうのことはみこころらぬすぢにやと、つきごろおもひおとしきこえけるかな。あきつきかげすずしきほど、いとおくぶかくはあらで、むしこゑらしはせたるほど、けぢかいまめかしきもののなり。ことことしきしらべ、もてなししどけなしや。
261.4.711186 このものよ、さながら(おほ)くの(あそ)(もの)()拍子(はうし)調(ととの)へとりたるなむいとかしこき。大和琴(やまとごと)とはかなく()せて、(きは)もなくしおきたることなり。(ひろ)異国(ことくに)のことを()らぬ(をんな)のためとなむおぼゆる。 このものよ、さながらおほくのあそものはうしととのへとりたるなんいとかしこき。やまとごととはかなくせて、きはもなくしおきたることなり。ひろことくにのことをらぬをんなのためとなんおぼゆる。
261.4.811287 (おな)じくは、(こころ)とどめて(もの)などに()()はせて(なら)ひたまへ。(ふか)(こころ)とて、(なに)ばかりもあらずながら、またまことに()()ることはかたきにやあらむ、ただ(いま)は、この内大臣(うちのおとど)になずらふ(ひと)なしかし。 おなじくは、こころとどめてものなどにはせてならひたまへ。ふかこころとて、なにばかりもあらずながら、またまことにることはかたきにやあらん、ただいまは、このうちのおとどになずらふひとなしかし。
261.4.911388 ただはかなき(おな)菅掻(すがが)きの()に、よろづのものの()()もり(かよ)ひて、いふかたもなくこそ、(ひび)きのぼれ」 ただはかなきおなすががきのに、よろづのもののもりかよひて、いふかたもなくこそ、ひびきのぼれ。"
261.4.1011489 (かた)りたまへば、ほのぼの心得(こころえ)て、いかでと(おぼ)すことなれば、いとどいぶかしくて、 かたりたまへば、ほのぼのこころえて、いかでとおぼすことなれば、いとどいぶかしくて、
261.4.1111590 「このわたりにて、さりぬべき御遊(おほんあそ)びの(をり)など、()きはべりなむや。あやしき山賤(やまがつ)などのなかにも、まねぶものあまたはべるなることなれば、おしなべて(こころ)やすくやとこそ(おも)ひたまへつれ。さは、すぐれたるは、さまことにやはべらむ」 "このわたりにて、さりぬべきおほんあそびのをりなど、きはべりなんや。あやしきやまがつなどのなかにも、まねぶものあまたはべるなることなれば、おしなべてこころやすくやとこそおもひたまへつれ。さは、すぐれたるは、さまことにやはべらん。"
261.4.1211691 と、ゆかしげに、(せち)(こころ)()れて(おも)ひたまへれば、 と、ゆかしげに、せちこころれておもひたまへれば、
261.4.1311792 「さかし。あづまとぞ()()(くだ)りたるやうなれど、御前(ごぜん)御遊(おほんあそ)びにも、まづ書司(ふみのつかさ)()すは、(ひと)(くに)()らず、ここにはこれをものの(おや)としたるにこそあめれ。 "さかし。あづまとぞくだりたるやうなれど、ごぜんおほんあそびにも、まづふみのつかさすは、ひとくにらず、ここにはこれをもののおやとしたるにこそあめれ。
261.4.1411893 そのなかにも、(おや)としつべき御手(おほんて)より()()りたまへらむは、(こころ)ことなりなむかし。ここになども、さるべからむ(をり)にはものしたまひなむを、この(こと)に、手惜(てを)しまずなど、あきらかに()()らしたまはむことやかたからむ。ものの上手(じゃうず)は、いづれの(みち)(こころ)やすからずのみぞあめる。 そのなかにも、おやとしつべきおほんてよりりたまへらんは、こころことなりなんかし。ここになども、さるべからんをりにはものしたまひなんを、このことに、てをしまずなど、あきらかにらしたまはんことやかたからん。もののじゃうずは、いづれのみちこころやすからずのみぞあめる。
261.4.1511994 さりとも、つひには()きたまひてむかし」 さりとも、つひにはきたまひてんかし。"
261.4.1612095 とて、調(しら)べすこし()きたまふ。ことつひいと()なく、(いま)めかしくをかし。「これにもまされる()()づらむ」と、(おや)(おほん)ゆかしさたち()ひて、このことにてさへ、「いかならむ()に、さてうちとけ()きたまはむを()かむ」など、(おも)ひゐたまへり。 とて、しらべすこしきたまふ。ことつひいとなく、いまめかしくをかし。"これにもまされるづらん。"と、おやおほんゆかしさたちひて、このことにてさへ、"いかならんに、さてうちとけきたまはんをかん。"など、おもひゐたまへり。
261.4.1712196 貫河(ぬきかは)瀬々(せぜ)のやはらた」と、いとなつかしく(うた)ひたまふ。「親避(おやさ)くるつま」は、すこしうち(わら)ひつつ、わざともなく()きなしたまひたる菅掻(すがが)きのほど、いひ()らずおもしろく()こゆ。 ぬきかはせぜのやはらた〕と、いとなつかしくうたひたまふ。〔おやさくるつま〕は、すこしうちわらひつつ、わざともなくきなしたまひたるすががきのほど、いひらずおもしろくこゆ。
261.4.1812297 「いで、()きたまへ。(ざえ)(ひと)になむ()ぢぬ。「想夫恋(さうふれん)」ばかりこそ、(こころ)のうちに(おも)ひて、(まぎ)らはす(ひと)もありけめ、おもなくて、かれこれに()はせつるなむよき」 "いで、きたまへ。ざえひとになんぢぬ。〔さうふれん〕ばかりこそ、こころのうちにおもひて、まぎらはすひともありけめ、おもなくて、かれこれにはせつるなんよき。"
261.4.1912398 と、(せち)()こえたまへど、さる田舎(ゐなか)(くま)にて、ほのかに京人(きゃうひと)()のりける、古大君女教(ふるおほぎみをんなをし)へきこえければ、ひがことにもやとつつましくて、手触(てふ)れたまはず。 と、せちこえたまへど、さるゐなかくまにて、ほのかにきゃうひとのりける、ふるおほぎみをんなをしへきこえければ、ひがことにもやとつつましくて、てふれたまはず。
261.4.2012499 「しばしも()きたまはなむ。()()ることもや」と(こころ)もとなきに、この御琴(おほんこと)によりぞ、(ちか)くゐざり()りて、 "しばしもきたまはなん。ることもや。"とこころもとなきに、このおほんことによりぞ、ちかくゐざりりて、
261.4.21125100 「いかなる(かぜ)()()ひて、かくは(ひび)きはべるぞとよ」 "いかなるかぜひて、かくはひびきはべるぞとよ。"
261.4.22126101 とて、うち(かたぶ)きたまへるさま、火影(ほかげ)にいとうつくしげなり。(わら)ひたまひて、 とて、うちかたぶきたまへるさま、ほかげにいとうつくしげなり。わらひたまひて、
261.4.23127102 耳固(みみかた)からぬ(ひと)のためには、()にしむ(かぜ)()()ふかし」 "みみかたからぬひとのためには、にしむかぜふかし。"
261.4.24128103 とて、()しやりたまふ。いと(こころ)やまし。 とて、しやりたまふ。いとこころやまし。
261.5129104第五段 源氏、玉鬘と和歌を唱和
261.5.1130105 (ひと)びと(ちか)くさぶらへば、(れい)(たはぶ)れごともえ()こえたまはで、 ひとびとちかくさぶらへば、れいたはぶれごともえこえたまはで、
261.5.2131106 撫子(なでしこ)()かでも、この(ひと)びとの()()りぬるかな。いかで、大臣(おとど)にも、この花園見(はなぞのみ)せたてまつらむ。()もいと(つね)なきをと(おも)ふに、いにしへも、もののついでに(かた)()でたまへりしも、ただ(いま)のこととぞおぼゆる」 "なでしこかでも、このひとびとのりぬるかな。いかで、おとどにも、このはなぞのみせたてまつらん。もいとつねなきをとおもふに、いにしへも、もののついでにかたでたまへりしも、ただいまのこととぞおぼゆる。"
261.5.3132107 とて、すこしのたまひ()でたるにも、いとあはれなり。 とて、すこしのたまひでたるにも、いとあはれなり。
261.5.4133108 撫子(なでしこ)のとこなつかしき(いろ)()ば<BR/>もとの垣根(かきね)(ひと)(たづ)ねむ "〔なでしこのとこなつかしきいろば<BR/>もとのかきねひとたづねん
261.5.5134109 このことのわづらはしさにこそ、(まゆ)ごもりも心苦(こころぐる)しう(おも)ひきこゆれ」 このことのわづらはしさにこそ、まゆごもりもこころぐるしうおもひきこゆれ。"
261.5.6135110 とのたまふ。(きみ)、うち()きて、 とのたまふ。きみ、うちきて、
261.5.7136111 山賤(やまがつ)(かき)ほに()ひし撫子(なでしこ)の<BR/>もとの()ざしを()れか(たづ)ねむ」 "〔やまがつかきほにひしなでしこの<BR/>もとのざしをれかたづねん〕
261.5.8137112 はかなげに()こえないたまへるさま、げにいとなつかしく(わか)やかなり。 はかなげにこえないたまへるさま、げにいとなつかしくわかやかなり。
261.5.9138113 ()ざらましかば」 "〔ざらましかば〕
261.5.10139114 とうち()じたまひて、いとどしき御心(みこころ)は、(くる)しきまで、なほえ(しの)()つまじく(おぼ)さる。 とうちじたまひて、いとどしきみこころは、くるしきまで、なほえしのつまじくおぼさる。
261.6140115第六段 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩
261.6.1141116 (わた)りたまふことも、あまりうちしきり、(ひと)()たてまつり(とが)むべきほどは、(こころ)(おに)(おぼ)しとどめて、さるべきことをし()でて、御文(おほんふみ)(かよ)はぬ(をり)なし。ただこの(おほん)ことのみ、()()御心(みこころ)にはかかりたり。 わたりたまふことも、あまりうちしきり、ひとたてまつりとがむべきほどは、こころおにおぼしとどめて、さるべきことをしでて、おほんふみかよはぬをりなし。ただこのおほんことのみ、みこころにはかかりたり。
261.6.2142117 「なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの(おも)ひをすらむ。さ(おも)はじとて、(こころ)のままにもあらば、()(ひと)のそしり()はむことの軽々(かるがる)しさ、わがためをばさるものにて、この(ひと)(おほん)ためいとほしかるべし。(かぎ)りなき(こころ)ざしといふとも、(はる)(うへ)(おほん)おぼえに(なら)ぶばかりは、わが(こころ)ながらえあるまじく」(おぼ)()りたり。「さて、その(おと)りの(つら)にては、(なに)ばかりかはあらむ。わが()ひとつこそ、(ひと)よりは(こと)なれ、()(ひと)のあまたが(なか)に、かかづらはむ(すゑ)にては、(なに)のおぼえかはたけからむ。(こと)なることなき納言(なふごん)(きは)の、二心(ふたごころ)なくて(おも)はむには、(おと)りぬべきことぞ」 "なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬものおもひをすらん。さおもはじとて、こころのままにもあらば、ひとのそしりはんことのかるがるしさ、わがためをばさるものにて、このひとおほんためいとほしかるべし。かぎりなきこころざしといふとも、はるうへおほんおぼえにならぶばかりは、わがこころながらえあるまじく。"おぼりたり。"さて、そのおとりのつらにては、なにばかりかはあらん。わがひとつこそ、ひとよりはことなれ、ひとのあまたがなかに、かかづらはんすゑにては、なにのおぼえかはたけからん。ことなることなきなふごんきはの、ふたごころなくておもはんには、おとりぬべきことぞ。"
261.6.3143118 と、みづから(おぼ)()るに、いといとほしくて、「(みや)大将(だいしゃう)などにや(ゆる)してまし。さてもて(はな)れ、いざなひ()りては、(おも)ひも()えなむや。いふかひなきにて、さもしてむ」と(おぼ)(をり)もあり。 と、みづからおぼるに、いといとほしくて、"みやだいしゃうなどにやゆるしてまし。さてもてはなれ、いざなひりては、おもひもえなんや。いふかひなきにて、さもしてん。"とおぼをりもあり。
261.6.4144119 されど、(わた)りたまひて、御容貌(おほんかたち)()たまひ、(いま)御琴教(おほんことをし)へたてまつりたまふにさへことづけて、(ちか)やかに()()りたまふ。 されど、わたりたまひて、おほんかたちたまひ、いまおほんことをしへたてまつりたまふにさへことづけて、ちかやかにりたまふ。
261.6.5145120 姫君(ひめぎみ)も、(はじ)めこそむくつけく、うたてとも(おも)ひたまひしか、「かくても、なだらかに、うしろめたき御心(みこころ)はあらざりけり」と、やうやう目馴(めな)れて、いとしも(うと)みきこえたまはず、さるべき御応(おほんいら)へも、()()れしからぬほどに()こえかはしなどして、()るままにいと愛敬(あいぎゃう)づき、(かを)りまさりたまへれば、なほさてもえ()ぐしやるまじく(おぼ)(かへ)す。 ひめぎみも、はじめこそむくつけく、うたてともおもひたまひしか、"かくても、なだらかに、うしろめたきみこころはあらざりけり。"と、やうやうめなれて、いとしもうとみきこえたまはず、さるべきおほんいらへも、れしからぬほどにこえかはしなどして、るままにいとあいぎゃうづき、かをりまさりたまへれば、なほさてもえぐしやるまじくおぼかへす。
261.6.6146121 「さはまた、さて、ここながらかしづき()ゑて、さるべき折々(をりをり)に、はかなくうち(しの)び、ものをも()こえて(なぐさ)みなむや。かくまだ世馴(よな)れぬほどの、わづらはしさにこそ、心苦(こころぐる)しくはありけれ、おのづから関守強(せきもりつよ)くとも、ものの心知(こころし)りそめ、いとほしき(おも)ひなくて、わが(こころ)(おも)()りなば、しげくとも()はらじかし」と(おぼ)()る、いとけしからぬことなりや。 "さはまた、さて、ここながらかしづきゑて、さるべきをりをりに、はかなくうちしのび、ものをもこえてなぐさみなんや。かくまだよなれぬほどの、わづらはしさにこそ、こころぐるしくはありけれ、おのづからせきもりつよくとも、もののこころしりそめ、いとほしきおもひなくて、わがこころおもりなば、しげくともはらじかし。"とおぼる、いとけしからぬことなりや。
261.6.7147122 いよいよ(こころ)やすからず、(おも)ひわたらむ(くる)しからむ。なのめに(おも)()ぐさむことの、とざまかくざまにもかたきぞ、()づかずむつかしき御語(おほんかた)らひなりける。 いよいよこころやすからず、おもひわたらんくるしからん。なのめにおもぐさんことの、とざまかくざまにもかたきぞ、づかずむつかしきおほんかたらひなりける。
261.7148123第七段 玉鬘の噂
261.7.1149124 (うち)大殿(おほとの)は、この(いま)御女(おほんむすめ)のことを、「殿(との)(ひと)(ゆる)さず、(かろ)()ひ、()にもほきたることと(そし)りきこゆ」と、()きたまふに、少将(せうしゃう)の、ことのついでに、太政大臣(おほきおとど)の「さることや」ととぶらひたまひしこと、(かた)りきこゆれば、 うちおほとのは、このいまおほんむすめのことを、"とのひとゆるさず、かろひ、にもほきたることとそしりきこゆ。"と、きたまふに、せうしゃうの、ことのついでに、おほきおとどの"さることや。"ととぶらひたまひしこと、かたりきこゆれば、
261.7.2150125 「さかし。そこにこそは、(とし)ごろ、(おと)にも()こえぬ山賤(やまがつ)子迎(こむか)()りて、ものめかしたつれ。をさをさ(ひと)(うへ)もどきたまはぬ大臣(おとど)の、このわたりのことは、(みみ)とどめてぞおとしめたまふや。これぞ、おぼえある心地(ここち)しける」 "さかし。そこにこそは、としごろ、おとにもこえぬやまがつこむかりて、ものめかしたつれ。をさをさひとうへもどきたまはぬおとどの、このわたりのことは、みみとどめてぞおとしめたまふや。これぞ、おぼえあるここちしける。"
261.7.3151126 とのたまふ。少将(せうしゃう)の、 とのたまふ。せうしゃうの、
261.7.4152127 「かの西(にし)(たい)()ゑたまへる(ひと)は、いとこともなきけはひ()ゆるわたりになむはべるなる。兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)など、いたう(こころ)とどめてのたまひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなむ、(ひと)びと()(はか)りはべめる」 "かのにしたいゑたまへるひとは、いとこともなきけはひゆるわたりになんはべるなる。ひゃうぶきゃうのみやなど、いたうこころとどめてのたまひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなん、ひとびとはかりはべめる。"
261.7.5153128 (まう)したまへば、 まうしたまへば、
261.7.6154129 「いで、それは、かの大臣(おとど)御女(おほんむすめ)(おも)ふばかりのおぼえのいといみじきぞ。(ひと)(こころ)(みな)さこそある()なめれ。かならずさしもすぐれじ。(ひと)びとしきほどならば、(とし)ごろ()こえなまし。 "いで、それは、かのおとどおほんむすめおもふばかりのおぼえのいといみじきぞ。ひとこころみなさこそあるなめれ。かならずさしもすぐれじ。ひとびとしきほどならば、としごろこえなまし。
261.7.7155130 あたら、大臣(おとど)の、(ちり)もつかず、この()には()ぎたまへる御身(おほんみ)のおぼえありさまに、おもだたしき(はら)に、(むすめ)かしづきて、げに(きず)なからむと、(おも)ひやりめでたきがものしたまはぬは。 あたら、おとどの、ちりもつかず、このにはぎたまへるおほんみのおぼえありさまに、おもだたしきはらに、むすめかしづきて、げにきずなからんと、おもひやりめでたきがものしたまはぬは。
261.7.8156131 おほかたの、()(すく)なくて、(こころ)もとなきなめりかし。(おと)(ばら)なれど、明石(あかし)御許(おもと)()()でたるはしも、さる()になき宿世(すくせ)にて、あるやうあらむとおぼゆかし。 おほかたの、すくなくて、こころもとなきなめりかし。おとばらなれど、あかしおもとでたるはしも、さるになきすくせにて、あるやうあらんとおぼゆかし。
261.7.9157132 その今姫君(いまひめぎみ)は、ようせずは、(じち)御子(おほんこ)にもあらじかし。さすがにいとけしきあるところつきたまへる(ひと)にて、もてないたまふならむ」 そのいまひめぎみは、ようせずは、じちおほんこにもあらじかし。さすがにいとけしきあるところつきたまへるひとにて、もてないたまふならん。"
261.7.10158133 と、()ひおとしたまふ。 と、ひおとしたまふ。
261.7.11159134 「さて、いかが(さだ)めらるなる。親王(みこ)こそまつはし()たまはむ。もとより()()きて御仲(おほんなか)よし、人柄(ひとがら)警策(きゃうざく)なる(おほん)あはひどもならむかし」 "さて、いかがさだめらるなる。みここそまつはしたまはん。もとよりきておほんなかよし、ひとがらきゃうざくなるおほんあはひどもならんかし。"
261.7.12160135 などのたまひては、なほ、姫君(ひめぎみ)(おほん)こと、()かず口惜(くちを)し。「かやうに、(こころ)にくくもてなして、いかにしなさむなど、やすからずいぶかしがらせましものを」とねたければ、(くらゐ)さばかりと()ざらむ(かぎ)りは、(ゆる)しがたく(おぼ)すなりけり。 などのたまひては、なほ、ひめぎみおほんこと、かずくちをし。"かやうに、こころにくくもてなして、いかにしなさんなど、やすからずいぶかしがらせましものを。"とねたければ、くらゐさばかりとざらんかぎりは、ゆるしがたくおぼすなりけり。
261.7.13161136 大臣(おとど)なども、ねむごろに口入(くちい)れかへさひたまはむにこそは、()くるやうにてもなびかめと(おぼ)すに、男方(をとこがた)は、さらに()られきこえたまはず、(こころ)やましくなむ。 おとどなども、ねんごろにくちいれかへさひたまはんにこそは、くるやうにてもなびかめとおぼすに、をとこがたは、さらにられきこえたまはず、こころやましくなん。
261.8162137第八段 内大臣、雲井雁を訪う
261.8.1163138 とかく(おぼ)しめぐらすままに、ゆくりもなく(かる)らかにはひ(わた)りたまへり。少将(せうしゃう)御供(おほんとも)(まゐ)りたまふ。 とかくおぼしめぐらすままに、ゆくりもなくかるらかにはひわたりたまへり。せうしゃうおほんともまゐりたまふ。
261.8.2164140 姫君(ひめぎみ)は、昼寝(ひるね)したまへるほどなり。(うすもの)単衣(ひとへ)()たまひて()したまへるさま、(あつ)かはしくは()えず、いとらうたげにささやかなり。()きたまへる(はだ)つきなど、いとうつくしげなる()つきして、(あふぎ)()たまへりけるながら、かひなを(まくら)にて、うちやられたる御髪(みぐし)のほど、いと(なが)くこちたくはあらねど、いとをかしき(すゑ)つきなり。 ひめぎみは、ひるねしたまへるほどなり。うすものひとへたまひてしたまへるさま、あつかはしくはえず、いとらうたげにささやかなり。きたまへるはだつきなど、いとうつくしげなるつきして、あふぎたまへりけるながら、かひなをまくらにて、うちやられたるみぐしのほど、いとながくこちたくはあらねど、いとをかしきすゑつきなり。
261.8.3165141 (ひと)びとものの(うしろ)()()しつつうち(やす)みたれば、ふともおどろいたまはず。(あふぎ)()らしたまへるに、何心(なにごころ)もなく見上(みあ)げたまへるまみ、らうたげにて、つらつき(あか)めるも、(おや)御目(おほんめ)にはうつくしくのみ()ゆ。 ひとびともののうしろしつつうちやすみたれば、ふともおどろいたまはず。あふぎらしたまへるに、なにごころもなくみあげたまへるまみ、らうたげにて、つらつきあかめるも、おやおほんめにはうつくしくのみゆ。
261.8.4166142 「うたた()はいさめきこゆるものを。などか、いとものはかなきさまにては大殿籠(おほとのご)もりける。(ひと)びとも(ちか)くさぶらはで、あやしや。 "うたたはいさめきこゆるものを。などか、いとものはかなきさまにてはおほとのごもりける。ひとびともちかくさぶらはで、あやしや。
261.8.5167143 (をんな)は、()(つね)(こころ)づかひして(まも)りたらむなむよかるべき。(こころ)やすくうち()てざまにもてなしたる、(しな)なきことなり。 をんなは、つねこころづかひしてまもりたらんなんよかるべき。こころやすくうちてざまにもてなしたる、しななきことなり。
261.8.6168144 さりとて、いとさかしく()かためて、不動(ふどう)陀羅尼誦(だらによ)みて、(いん)つくりてゐたらむも(にく)し。うつつの(ひと)にもあまり気遠(けどほ)く、もの(へだ)てがましきなど、気高(けだか)きやうとても、(ひと)にくく、(こころ)うつくしくはあらぬわざなり。 さりとて、いとさかしくかためて、ふどうだらによみて、いんつくりてゐたらんもにくし。うつつのひとにもあまりけどほく、ものへだてがましきなど、けだかきやうとても、ひとにくく、こころうつくしくはあらぬわざなり。
261.8.7169145 太政大臣(おほきおとど)の、(きさき)がねの姫君(ひめぎみ)ならはしたまふなる(をし)へは、よろづのことに(かよ)はしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそ(おき)てたまふなれ。 おほきおとどの、きさきがねのひめぎみならはしたまふなるをしへは、よろづのことにかよはしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそおきてたまふなれ。
261.8.8170146 げに、さもあることなれど、(ひと)として、(こころ)にもするわざにも、()ててなびく(かた)(かた)とあるものなれば、()()でたまふさまあらむかし。この(きみ)(ひと)となり、宮仕(みやづか)へに()だし()てたまはむ()のけしきこそ、いとゆかしけれ」 げに、さもあることなれど、ひととして、こころにもするわざにも、ててなびくかたかたとあるものなれば、でたまふさまあらんかし。このきみひととなり、みやづかへにだしてたまはんのけしきこそ、いとゆかしけれ。"
261.8.9171147 などのたまひて、 などのたまひて、
261.8.10172148 (おも)ふやうに()たてまつらむと(おも)ひし(すぢ)は、(かた)うなりにたる御身(おほんみ)なれど、いかで人笑(ひとわら)はれならずしなしたてまつらむとなむ、(ひと)(うへ)のさまざまなるを()くごとに、(おも)(みだ)れはべる。 "おもふやうにたてまつらんとおもひしすぢは、かたうなりにたるおほんみなれど、いかでひとわらはれならずしなしたてまつらんとなん、ひとうへのさまざまなるをくごとに、おもみだれはべる。
261.8.11173149 (こころ)(ごと)にねむごろがらむ(ひと)のねぎごとに、なしばしなびきたまひそ。(おも)ふさまはべり」 こころごとにねんごろがらんひとのねぎごとに、なしばしなびきたまひそ。おもふさまはべり。"
261.8.12174150 など、いとらうたしと(おも)ひつつ()こえたまふ。 など、いとらうたしとおもひつつこえたまふ。
261.8.13175151 (むかし)は、(なに)ごとも(ふか)くも(おも)()らで、なかなか、さしあたりていとほしかりしことの(さわ)ぎにも、おもなくて()えたてまつりけるよ」と、(いま)(おも)()づるに、(むね)ふたがりて、いみじく()づかしき。 "むかしは、なにごともふかくもおもらで、なかなか、さしあたりていとほしかりしことのさわぎにも、おもなくてえたてまつりけるよ。"と、いまおもづるに、むねふたがりて、いみじくづかしき。
261.8.14176152 大宮(おほみや)よりも、(つね)におぼつかなきことを(うら)みきこえたまへど、かくのたまふるがつつましくて、え(わた)()たてまつりたまはず。 おほみやよりも、つねにおぼつかなきことをうらみきこえたまへど、かくのたまふるがつつましくて、えわたたてまつりたまはず。
262177153第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語
262.1178154第一段 内大臣、近江君の処遇に苦慮
262.1.1179155 大臣(おとど)、この(きた)(たい)今姫君(いまひめぎみ)を、 おとど、このきたたいいまひめぎみを、
262.1.2180156 「いかにせむ。さかしらに(むか)()()て。(ひと)かく(そし)るとて、(かへ)(おく)らむも、いと軽々(かるがる)しく、もの(ぐる)ほしきやうなり。かくて()めおきたれば、まことにかしづくべき(こころ)あるかと、(ひと)()ひなすなるもねたし。女御(にょうご)御方(おほんかた)などに()じらはせて、さるをこのものにしないてむ。(ひと)のいとかたはなるものに()ひおとすなる容貌(かたち)、はた、いとさ()ふばかりにやはある」 "いかにせん。さかしらにむかて。ひとかくそしるとて、かへおくらんも、いとかるがるしく、ものぐるほしきやうなり。かくてめおきたれば、まことにかしづくべきこころあるかと、ひとひなすなるもねたし。にょうごおほんかたなどにじらはせて、さるをこのものにしないてん。ひとのいとかたはなるものにひおとすなるかたち、はた、いとさふばかりにやはある。"
262.1.3181157 など(おぼ)して、女御(にょうご)(きみ)に、 などおぼして、にょうごきみに、
262.1.4182158 「かの人参(ひとまゐ)らせむ。見苦(みぐる)しからむことなどは、()いしらへる女房(にょうばう)などして、つつまず()(をし)へさせたまひて御覧(ごらん)ぜよ。(わか)(ひと)びとの言種(ことぐさ)には、な(わら)はせさせたまひそ。うたてあはつけきやうなり」 "かのひとまゐらせん。みぐるしからんことなどは、いしらへるにょうばうなどして、つつまずをしへさせたまひてごらんぜよ。わかひとびとのことぐさには、なわらはせさせたまひそ。うたてあはつけきやうなり。"
262.1.5183159 と、(わら)ひつつ()こえたまふ。 と、わらひつつこえたまふ。
262.1.6184160 「などか、いとさことのほかにははべらむ。中将(ちゅうじゃう)などの、いと()なく(おも)ひはべりけむかね(ごと)()らずといふばかりにこそははべらめ。かくのたまひ(さわ)ぐを、はしたなう(おも)はるるにも、かたへはかかやかしきにや」 "などか、いとさことのほかにははべらん。ちゅうじゃうなどの、いとなくおもひはべりけんかねごとらずといふばかりにこそははべらめ。かくのたまひさわぐを、はしたなうおもはるるにも、かたへはかかやかしきにや。"
262.1.7185161 と、いと()づかしげにて()こえさせたまふ。この(おほん)ありさまは、こまかにをかしげさはなくて、いとあてに()みたるものの、なつかしきさま()ひて、おもしろき(むめ)(はな)(ひら)けさしたる(あさ)ぼらけおぼえて、(のこ)(おほ)かりげにほほ()みたまへるぞ、(ひと)(こと)なりける、と()たてまつりたまふ。 と、いとづかしげにてこえさせたまふ。このおほんありさまは、こまかにをかしげさはなくて、いとあてにみたるものの、なつかしきさまひて、おもしろきむめはなひらけさしたるあさぼらけおぼえて、のこおほかりげにほほみたまへるぞ、ひとことなりける、とたてまつりたまふ。
262.1.8186162 中将(ちゅうじゃう)の、いとさ()へど、心若(こころわか)きたどり(すく)なさに」 "ちゅうじゃうの、いとさへど、こころわかきたどりすくなさに。"
262.1.9187163 など(まう)したまふも、いとほしげなる(ひと)(おほん)おぼえかな。 などまうしたまふも、いとほしげなるひとおほんおぼえかな。
262.2188164第二段 内大臣、近江君を訪う
262.2.1189165 やがて、この御方(おほんかた)のたよりに、たたずみおはして、のぞきたまへば、簾高(すだれたか)くおし()りて、五節(ごせち)(きみ)とて、されたる若人(わかうど)のあると、双六(すぐろく)をぞ()ちたまふ。()をいと(せち)におしもみて、 やがて、このおほんかたのたよりに、たたずみおはして、のぞきたまへば、すだれたかくおしりて、ごせちきみとて、されたるわかうどのあると、すぐろくをぞちたまふ。をいとせちにおしもみて、
262.2.2190166 「せうさい、せうさい」 "せうさい、せうさい。"
262.2.3191167 とこふ(こゑ)ぞ、いと舌疾(したど)きや。「あな、うたて」と(おぼ)して、御供(おほんとも)(ひと)前駆追(さきお)ふをも、()かき(せい)したまうて、なほ、妻戸(つまど)細目(ほそめ)なるより、障子(さうじ)()きあひたるを見入(みい)れたまふ。 とこふこゑぞ、いとしたどきや。"あな、うたて。"とおぼして、おほんともひとさきおふをも、かきせいしたまうて、なほ、つまどほそめなるより、さうじきあひたるをみいれたまふ。
262.2.4192169 この従姉妹(いとこ)も、はた、けしきはやれる、 このいとこも、はた、けしきはやれる、
262.2.5193170 御返(おほんかへ)しや、御返(おほんかへ)しや」 "おほんかへしや、おほんかへしや。"
262.2.6194171 と、(とう)をひねりて、とみに()()でず。(なか)(おも)ひはありやすらむ、いとあさへたるさまどもしたり。 と、とうをひねりて、とみにでず。なかおもひはありやすらん、いとあさへたるさまどもしたり。
262.2.7195172 容貌(かたち)はひちちかに、愛敬(あいぎゃう)づきたるさまして、(かみ)うるはしく、罪軽(つみかろ)げなるを、(ひたひ)のいと(ちか)やかなると、(こゑ)のあはつけさとにそこなはれたるなめり。()りたててよしとはなけれど、異人(ことびと)とあらがふべくもあらず、(かがみ)(おも)ひあはせられたまふに、いと宿世心(すくせこころ)づきなし。 かたちはひちちかに、あいぎゃうづきたるさまして、かみうるはしく、つみかろげなるを、ひたひのいとちかやかなると、こゑのあはつけさとにそこなはれたるなめり。りたててよしとはなけれど、ことびととあらがふべくもあらず、かがみおもひあはせられたまふに、いとすくせこころづきなし。
262.2.8196173 「かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどやある。ことしげくのみありて、(とぶ)らひまうでずや」 "かくてものしたまふは、つきなくうひうひしくなどやある。ことしげくのみありて、とぶらひまうでずや。"
262.2.9197174 とのたまへば、(れい)の、いと舌疾(したど)にて、 とのたまへば、れいの、いとしたどにて、
262.2.10198175 「かくてさぶらふは、(なに)のもの(おも)ひかはべらむ。(とし)ごろ、おぼつかなく、ゆかしく(おも)ひきこえさせし御顔(おほんかほ)(つね)にえ()たてまつらぬばかりこそ、手打(てう)たぬ心地(ここち)しはべれ」 "かくてさぶらふは、なにのものおもひかはべらん。としごろ、おぼつかなく、ゆかしくおもひきこえさせしおほんかほつねにえたてまつらぬばかりこそ、てうたぬここちしはべれ。"
262.2.11199176 ()こえたまふ。 こえたまふ。
262.2.12200177 「げに、()(ちか)使(つか)(ひと)もをさをさなきに、さやうにても()ならしたてまつらむと、かねては(おも)ひしかど、えさしもあるまじきわざなりけり。なべての(つか)うまつり(びと)こそ、とあるもかかるも、おのづから()(まじ)らひて、(ひと)(みみ)をも()をも、かならずしもとどめぬものなれば、(こころ)やすかべかめれ。それだに、その(ひと)(むすめ)、かの(ひと)()()らるる(きは)になれば、親兄弟(おやはらから)面伏(おもてぶ)せなる(たぐ)(おほ)かめり。まして」 "げに、ちかつかひともをさをさなきに、さやうにてもならしたてまつらんと、かねてはおもひしかど、えさしもあるまじきわざなりけり。なべてのつかうまつりびとこそ、とあるもかかるも、おのづからまじらひて、ひとみみをもをも、かならずしもとどめぬものなれば、こころやすかべかめれ。それだに、そのひとむすめ、かのひとらるるきはになれば、おやはらからおもてぶせなるたぐおほかめり。まして。"
262.2.13201178 とのたまひさしつる、()けしきの()づかしきも()らず、 とのたまひさしつる、けしきのづかしきもらず、
262.2.14202179 (なに)か、そは、ことことしく(おも)ひたまひて(まじ)らひはべらばこそ、所狭(ところせ)からめ。大御大壺取(おほみおほつぼと)りにも、(つか)うまつりなむ」 "なにか、そは、ことことしくおもひたまひてまじらひはべらばこそ、ところせからめ。おほみおほつぼとりにも、つかうまつりなん。"
262.2.15203180 ()こえたまへば、え(ねん)じたまはで、うち(わら)ひたまひて、 こえたまへば、えねんじたまはで、うちわらひたまひて、
262.2.16204181 ()つかはしからぬ(やく)ななり。かくたまさかに()へる(おや)(けう)せむの(こころ)あらば、このもののたまふ(こゑ)を、すこしのどめて()かせたまへ。さらば、(いのち)()びなむかし」 "つかはしからぬやくななり。かくたまさかにへるおやけうせんのこころあらば、このもののたまふこゑを、すこしのどめてかせたまへ。さらば、いのちびなんかし。"
262.2.17205182 と、をこめいたまへる大臣(おとど)にて、ほほ()みてのたまふ。 と、をこめいたまへるおとどにて、ほほみてのたまふ。
262.3206183第三段 近江君の性情
262.3.1207184 (した)本性(ほんじゃう)にこそははべらめ。(をさな)くはべりし(とき)だに、故母(こはは)(つね)(くる)しがり(をし)へはべりし。妙法寺(みゃうほふじ)別当大徳(べたうだいとこ)の、産屋(うぶや)にはべりける、あえものとなむ(なげ)きはべりたうびし。いかでこの舌疾(したど)さやめはべらむ」 "したほんじゃうにこそははべらめ。をさなくはべりしときだに、こははつねくるしがりをしへはべりし。みゃうほふじべたうだいとこの、うぶやにはべりける、あえものとなんなげきはべりたうびし。いかでこのしたどさやめはべらん。"
262.3.2208185 (おも)(さわ)ぎたるも、いと孝養(けうやう)心深(こころふか)く、あはれなりと()たまふ。 おもさわぎたるも、いとけうやうこころふかく、あはれなりとたまふ。
262.3.3209186 「その、気近(けぢか)()()ちたりけむ大徳(だいとこ)こそは、あぢきなかりけれ。ただその(つみ)(むく)いななり。(おし)言吃(ことどもり)とぞ、大乗誹(だいじょうそし)りたる(つみ)にも、(かず)へたるかし」 "その、けぢかちたりけんだいとここそは、あぢきなかりけれ。ただそのつみむくいななり。おしことどもりとぞ、だいじょうそしりたるつみにも、かずへたるかし。"
262.3.4210187 とのたまひて、「()ながら()づかしくおはする(おほん)さまに、()えたてまつらむこそ()づかしけれ。いかに(さだ)めて、かくあやしきけはひも(たづ)ねず(むか)()せけむ」と(おぼ)し、「(ひと)びともあまた()つぎ、()()らさむこと」と、(おも)(かへ)したまふものから、 とのたまひて、"ながらづかしくおはするおほんさまに、えたてまつらんこそづかしけれ。いかにさだめて、かくあやしきけはひもたづねずむかせけん。"とおぼし、"ひとびともあまたつぎ、らさんこと。"と、おもかへしたまふものから、
262.3.5211188 女御里(にょうごさと)にものしたまふ時々(ときどき)(わた)(まゐ)りて、(ひと)のありさまなども()ならひたまへかし。ことなることなき(ひと)も、おのづから(ひと)()じらひ、さる(かた)になれば、さてもありぬかし。さる(こころ)して、()えたてまつりたまひなむや」 "にょうごさとにものしたまふときどきわたまゐりて、ひとのありさまなどもならひたまへかし。ことなることなきひとも、おのづからひとじらひ、さるかたになれば、さてもありぬかし。さるこころして、えたてまつりたまひなんや。"
262.3.6212189 とのたまへば、 とのたまへば、
262.3.7213190 「いとうれしきことにこそはべるなれ。ただ、いかでもいかでも、御方々(おほんかたがた)(かず)まへしろしめされむことをなむ、()ても()めても、(とし)ごろ(なに)ごとを(おも)ひたまへつるにもあらず。御許(おほんゆる)しだにはべらば、(みづ)()みいただきても、(つか)うまつりなむ」 "いとうれしきことにこそはべるなれ。ただ、いかでもいかでも、おほんかたがたかずまへしろしめされんことをなん、てもめても、としごろなにごとをおもひたまへつるにもあらず。おほんゆるしだにはべらば、みづみいただきても、つかうまつりなん。"
262.3.8214191 と、いとよげに、(いま)すこしさへづれば、いふかひなしと(おぼ)して、 と、いとよげに、いますこしさへづれば、いふかひなしとおぼして、
262.3.9215192 「いとしか、おりたちて薪拾(たきぎひろ)ひたまはずとも、(まゐ)りたまひなむ。ただかのあえものにしけむ(のり)()だに(とほ)くは」 "いとしか、おりたちてたきぎひろひたまはずとも、まゐりたまひなん。ただかのあえものにしけんのりだにとほくは。"
262.3.10216193 と、をこごとにのたまひなすをも()らず、(おな)じき大臣(おとど)()こゆるなかにも、いときよげにものものしく、はなやかなるさまして、おぼろけの人見(ひとみ)えにくき()けしきをも見知(みし)らず、 と、をこごとにのたまひなすをもらず、おなじきおとどこゆるなかにも、いときよげにものものしく、はなやかなるさまして、おぼろけのひとみえにくきけしきをもみしらず、
262.3.11217194 「さて、いつか女御殿(にょうごどの)には(まゐ)りはべらむずる」 "さて、いつかにょうごどのにはまゐりはべらんずる。"
262.3.12218195 ()こゆれば、 こゆれば、
262.3.13219196 「よろしき()などやいふべからむ。よし、ことことしくは(なに)かは。さ(おも)はれば、今日(けふ)にても」 "よろしきなどやいふべからん。よし、ことことしくはなにかは。さおもはれば、けふにても。"
262.3.14220197 とのたまひ()てて(わた)りたまひぬ。 とのたまひててわたりたまひぬ。
262.4221198第四段 近江君、血筋を誇りに思う
262.4.1222199 よき四位五位(しゐごゐ)たちの、いつききこえて、うち()じろきたまふにも、いといかめしき御勢(おほんいきほ)ひなるを見送(みおく)りきこえて、 よきしゐごゐたちの、いつききこえて、うちじろきたまふにも、いといかめしきおほんいきほひなるをみおくりきこえて、
262.4.2223200 「いで、あな、めでたのわが(おや)や。かかりける(たね)ながら、あやしき小家(こいへ)()()でけること」 "いで、あな、めでたのわがおやや。かかりけるたねながら、あやしきこいへでけること。"
262.4.3224201 とのたまふ。五節(ごせち) とのたまふ。ごせち
262.4.4225202 「あまりことことしく、()づかしげにぞおはする。よろしき(おや)の、(おも)ひかしづかむにぞ、(たづ)()でられたまはまし」 "あまりことことしく、づかしげにぞおはする。よろしきおやの、おもひかしづかんにぞ、たづでられたまはまし。"
262.4.5226203 ()ふも、わりなし。 ふも、わりなし。
262.4.6227204 (れい)の、(きみ)の、(ひと)()ふこと(やぶ)りたまひて、めざまし。(いま)は、ひとつ(くち)言葉(ことば)()ぜられそ。あるやうあるべき()にこそあめれ」 "れいの、きみの、ひとふことやぶりたまひて、めざまし。いまは、ひとつくちことばぜられそ。あるやうあるべきにこそあめれ。"
262.4.7228205 と、腹立(はらだ)ちたまふ(かほ)やう、気近(けぢか)く、愛敬(あいぎゃう)づきて、うちそぼれたるは、さる(かた)にをかしく罪許(つみゆる)されたり。 と、はらだちたまふかほやう、けぢかく、あいぎゃうづきて、うちそぼれたるは、さるかたにをかしくつみゆるされたり。
262.4.8229206 ただ、いと(いなか)び、あやしき下人(しもびと)(なか)()()でたまへれば、もの()ふさまも()らず。ことなるゆゑなき言葉(ことば)をも、(こゑ)のどやかに()ししづめて()()だしたるは、()()き、耳異(みみこと)におぼえ、をかしからぬ歌語(うたがた)りをするも、(こゑ)づかひつきづきしくて、(のこ)(おも)はせ、本末惜(もとすゑを)しみたるさまにてうち()じたるは、(ふか)筋思(すぢおも)()ぬほどの()()きには、をかしかなりと、(みみ)もとまるかし。 ただ、いといなかび、あやしきしもびとなかでたまへれば、ものふさまもらず。ことなるゆゑなきことばをも、こゑのどやかにししづめてだしたるは、き、みみことにおぼえ、をかしからぬうたがたりをするも、こゑづかひつきづきしくて、のこおもはせ、もとすゑをしみたるさまにてうちじたるは、ふかすぢおもぬほどのきには、をかしかなりと、みみもとまるかし。
262.4.9230207 いと心深(こころふか)くよしあることを()ひゐたりとも、よろしき心地(ここち)あらむと()こゆべくもあらず、あはつけき(こわ)ざまにのたまひ()づる言葉(ことば)こはごはしく、言葉(ことば)たみて、わがままに(ほこ)りならひたる乳母(めのと)(ふところ)にならひたるさまに、もてなしいとあやしきに、やつるるなりけり。 いとこころふかくよしあることをひゐたりとも、よろしきここちあらんとこゆべくもあらず、あはつけきこわざまにのたまひづることばこはごはしく、ことばたみて、わがままにほこりならひたるめのとふところにならひたるさまに、もてなしいとあやしきに、やつるるなりけり。
262.4.10231208 いといふかひなくはあらず、三十文字(みそもじ)あまり、本末(もとすゑ)あはぬ(うた)口疾(くちと)くうち(つづ)けなどしたまふ。 いといふかひなくはあらず、みそもじあまり、もとすゑあはぬうたくちとくうちつづけなどしたまふ。
262.5232209第五段 近江君の手紙
262.5.1233210 「さて、女御殿(にょうごどの)(まゐ)れとのたまひつるを、しぶしぶなるさまならば、ものしくもこそ(おぼ)せ。()さりまうでむ。大臣(おとど)(きみ)天下(てんが)(おぼ)すとも、この御方々(おほんかたがた)のすげなくしたまはむには、殿(との)のうちには()てりなむはや」 "さて、にょうごどのまゐれとのたまひつるを、しぶしぶなるさまならば、ものしくもこそおぼせ。さりまうでん。おとどきみてんがおぼすとも、このおほんかたがたのすげなくしたまはんには、とののうちにはてりなんはや。"
262.5.2234211 とのたまふ。(おほん)おぼえのほど、いと(かろ)らかなりや。 とのたまふ。おほんおぼえのほど、いとかろらかなりや。
262.5.3235212 まづ御文(おほんふみ)たてまつりたまふ。 まづおほんふみたてまつりたまふ。
262.5.4236213 葦垣(あしがき)のま(ぢか)きほどにはさぶらひながら、(いま)まで影踏(かげふ)むばかりのしるしもはべらぬは、勿来(なこそ)(せき)をや()ゑさせたまへらむとなむ。()らねども、武蔵野(むさしの)といへばかしこけれども。あなかしこや、あなかしこや」 "あしがきのまぢかきほどにはさぶらひながら、いままでかげふむばかりのしるしもはべらぬは、なこそせきをやゑさせたまへらんとなん。らねども、むさしのといへばかしこけれども。あなかしこや、あなかしこや。"
262.5.5237214 と、(てん)がちにて、(うら)には、 と、てんがちにて、うらには、
262.5.6238215 「まことや、(くれ)にも(まゐ)()むと(おも)うたまへ()つは、(いと)ふにはゆるにや。いでや、いでや、あやしきは水無川(みなせがは)にを」 "まことや、くれにもまゐんとおもうたまへつは、いとふにはゆるにや。いでや、いでや、あやしきはみなせがはにを。"
262.5.7239216 とて、また(はし)に、かくぞ、 とて、またはしに、かくぞ、
262.5.8240217 草若(くさわか)常陸(ひたち)(うら)のいかが(さき)<BR/>いかであひ()田子(たご)浦波(うらなみ) "〔くさわかひたちうらのいかがさき<BR/>いかであひたごうらなみ
262.5.9241218 大川水(おほかはみづ)の」 おほかはみづの。"
262.5.10242219 と、(あを)色紙一重(しきしひとかさ)ねに、いと(さう)がちに、いかれる()の、その(すぢ)とも()えず、ただよひたる()きざまも下長(しもなが)に、わりなくゆゑばめり。(くだり)のほど、(はし)ざまに筋交(すぢか)ひて、(たふ)れぬべく()ゆるを、うち()みつつ()て、さすがにいと(ほそ)(ちひ)さく()(むす)びて、撫子(なでしこ)(はな)につけたり。 と、あをしきしひとかさねに、いとさうがちに、いかれるの、そのすぢともえず、ただよひたるきざまもしもながに、わりなくゆゑばめり。くだりのほど、はしざまにすぢかひて、たふれぬべくゆるを、うちみつつて、さすがにいとほそちひさくむすびて、なでしこはなにつけたり。
262.6243220第六段 女御の返事
262.6.1244221 樋洗童(ひすましわらは)しも、いと()れてきよげなる、今参(いままゐ)りなりけり。女御(にょうご)御方(おほんかた)台盤所(だいばんどころ)()りて、 ひすましわらはしも、いとれてきよげなる、いままゐりなりけり。にょうごおほんかただいばんどころりて、
262.6.2245222 「これ、(まゐ)らせたまへ」 "これ、まゐらせたまへ。"
262.6.3246223 ()ふ。下仕(しもづか)見知(みし)りて、 ふ。しもづかみしりて、
262.6.4247224 (きた)(たい)にさぶらふ(わらは)なりけり」 "きたたいにさぶらふわらはなりけり。"
262.6.5248225 とて、御文取(おほんふみと)()る。大輔(たいふ)(きみ)といふ、()(まゐ)りて、()()きて御覧(ごらん)ぜさす。 とて、おほんふみとる。たいふきみといふ、まゐりて、きてごらんぜさす。
262.6.6249226 女御(にょうご)、ほほ()みてうち()かせたまへるを、中納言(ちゅうなごん)(きみ)といふ、(ちか)くゐて、そばそば()けり。 にょうご、ほほみてうちかせたまへるを、ちゅうなごんきみといふ、ちかくゐて、そばそばけり。
262.6.7250227 「いと(いま)めかしき御文(おほんふみ)のけしきにもはべめるかな」 "いといまめかしきおほんふみのけしきにもはべめるかな。"
262.6.8251228 と、ゆかしげに(おも)ひたれば、 と、ゆかしげにおもひたれば、
262.6.9252229 (さう)文字(もじ)は、え見知(みし)らねばにやあらむ、本末(もとすゑ)なくも()ゆるかな」 "さうもじは、えみしらねばにやあらん、もとすゑなくもゆるかな。"
262.6.10253230 とて、(たま)へり。 とて、たまへり。
262.6.11254231 (かへ)りこと、かくゆゑゆゑしく()かずは、()ろしとや(おも)ひおとされむ。やがて()きたまへ」 "かへりこと、かくゆゑゆゑしくかずは、ろしとやおもひおとされん。やがてきたまへ。"
262.6.12255232 と、(ゆづ)りたまふ。もて()でてこそあらね、(わか)(ひと)は、ものをかしくて、(みな)うち(わら)ひぬ。御返(おほんかへ)()へば、 と、ゆづりたまふ。もてでてこそあらね、わかひとは、ものをかしくて、みなうちわらひぬ。おほんかへへば、
262.6.13256233 「をかしきことの(すぢ)にのみまつはれてはべめれば、()こえさせにくくこそ。宣旨書(せんじが)きめきては、いとほしからむ」 "をかしきことのすぢにのみまつはれてはべめれば、こえさせにくくこそ。せんじがきめきては、いとほしからん。"
262.6.14257234 とて、ただ、御文(おほんふみ)めきて()く。 とて、ただ、おほんふみめきてく。
262.6.15258235 (ちか)きしるしなき、おぼつかなさは、(うら)めしく、 "ちかきしるしなき、おぼつかなさは、うらめしく、
262.6.16259236 常陸(ひたち)なる駿河(するが)(うみ)須磨(すま)(うら)に<BR/>波立(なみた)()でよ筥崎(はこざき)(まつ) ひたちなるするがうみすまうらに<BR/>なみたでよはこざきまつ〕"
262.6.17260237 ()きて、()みきこゆれば、 きて、みきこゆれば、
262.6.18261238 「あな、うたて。まことにみづからのにもこそ()ひなせ」 "あな、うたて。まことにみづからのにもこそひなせ。"
262.6.19262239 と、かたはらいたげに(おぼ)したれど、 と、かたはらいたげにおぼしたれど、
262.6.20263240 「それは()かむ(ひと)わきまへはべりなむ」 "それはかんひとわきまへはべりなん。"
262.6.21264241 とて、おし(つつ)みて()だしつ。 とて、おしつつみてだしつ。
262.6.22265242 御方見(おほんかたみ)て、 おほんかたみて、
262.6.23266243 「をかしの御口(おほんくち)つきや。()つとのたまへるを」 "をかしのおほんくちつきや。つとのたまへるを。"
262.6.24267244 とて、いとあまえたる薫物(たきもの)()を、(かへ)(がへ)()きしめゐたまへり。(べに)といふもの、いと(あか)らかにかいつけて、(かみ)けづりつくろひたまへる、さる(かた)ににぎははしく、愛敬(あいぎゃう)づきたり。御対面(おほんたいめん)のほど、さし()ぐしたることもあらむかし。 とて、いとあまえたるたきものを、かへがへきしめゐたまへり。べにといふもの、いとあからかにかいつけて、かみけづりつくろひたまへる、さるかたににぎははしく、あいぎゃうづきたり。おほんたいめんのほど、さしぐしたることもあらんかし。