帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
29 | 行幸 |
29 | 1 | 74 | 43 | 第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸 |
29 | 1.1 | 75 | 44 | 第一段 大原野行幸 |
29 | 1.1.1 | 76 | 45 |
かく思しいたらぬことなく、いかでよからむことはと、思し扱ひたまへど、この音無の滝こそ、うたていとほしく、南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。 |
かくおぼしいたらぬことなく、いかでよからんことはと、おぼしあつかひたまへど、このおとなしのたきこそ、うたていとほしく、みなみのうへのおほんおしはかりごとにかなひて、かるがるしかるべきおほんななれ。かのおとど、なにごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、おぼししのばずなどものしたまふみこころざまを、"さておもひぐまなく、けざやかなるおほんもてなしなどのあらんにつけては、をこがましうもや。"など、おぼしかへさふ。 |
29 | 1.1.2 | 77 | 46 |
その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。桂川のもとまで、物見車隙なし。 |
そのしはすに、おほはらののぎゃうがうとて、よにのこるひとなくみさわぐを、ろくでうのゐんよりも、おほんかたがたひきいでつつみたまふ。うのときにいでたまうて、すじゃくよりごでうのおほぢを、にしざまにをれたまふ。かつらがはのもとまで、ものみぐるまひまなし。 |
29 | 1.1.3 | 78 | 47 |
行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。 |
ぎゃうがうといへど、かならずかうしもあらぬを、けふはみこたち、かんだちめも、みなこころことに、おほんむまくらをととのへ、ずいじん、むまぞひのかたちたけだち、さうぞくをかざりたまうつつ、めづらかにをかし。さいうのおとど、うちのおとど、なふごんよりしもはた、ましてのこらずつかうまつりたまへり。あをいろのうへのきぬ、えびぞめのしたがさねを、てんじゃうびと、ごゐろくゐまできたり。 |
29 | 1.1.4 | 79 | 48 |
雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ摺衣を乱れ着つつ、けしきことなり。 |
ゆきただいささかづつうちちりて、みちのそらさへえんなり。みこたち、かんだちめなども、たかにかかづらひたまへるは、めづらしきかりのおほんよそひどもをまうけたまふ。このゑのたかがひどもは、ましてよにめなれぬすりごろもをみだれきつつ、けしきことなり。 |
29 | 1.1.5 | 80 | 49 |
めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。 |
めづらしうをかしきことにきほひいでつつ、そのひとともなく、かすかなるあしよわきくるまなど、わをおしひしがれ、あはれげなるもあり。うきはしのもとなどにも、このましうたちさまよふよきくるまおほかり。 |
29 | 1.2 | 81 | 50 | 第二段 玉鬘、行幸を見物 |
29 | 1.2.1 | 82 | 51 |
西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。 |
にしのたいのひめぎみもたちいでたまへり。そこばくいどみつくしたまへるひとのおほんかたちありさまをみたまふに、みかどの、あかいろのおほんぞたてまつりて、うるはしううごきなきおほんかたはらめに、なずらひきこゆべきひとなし。 |
29 | 1.2.2 | 83 | 52 |
わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。 |
わがちちおとどを、ひとしれずめをつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、さかりにはものしたまへど、かぎりありかし。いとひとにすぐれたるただうどとみえて、みこしのうちよりほかに、めうつるべくもあらず。 |
29 | 1.2.3 | 84 | 54 |
まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、さらに類ひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。 |
まして、かたちありや、をかしやなど、わかきごたちのきえかへりこころうつすちゅうせうしゃう、なにくれのてんじゃうびとやうのひとは、なににもあらずきえわたれるは、さらにたぐひなうおはしますなりけり。げんじのおとどのおほんかほざまは、ことものともみえたまはぬを、おもひなしのいますこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。 |
29 | 1.2.4 | 85 | 55 |
さは、かかる類ひはおはしがたかりけり。あてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。 |
さは、かかるたぐひはおはしがたかりけり。あてなるひとは、みなものきよげにけはひことなべいものとのみ、おとど、ちゅうじゃうなどのおほんにほひにめなれたまへるを、いでぎえどものかたはなるにやあらん、おなじめはなともみえず、くちをしうぞおされたるや。 |
29 | 1.2.5 | 86 | 56 |
兵部卿宮もおはす。右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。色黒く鬚がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは、女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。 |
ひゃうぶきゃうのみやもおはす。うだいしゃうの、さばかりおもりかによしめくも、けふのよそひいとなまめきて、やなぐひなどおひて、つかうまつりたまへり。いろくろくひげがちにみえて、いとこころづきなし。いかでかは、をんなのつくろひたてたるかほのいろあひにはにたらん。いとわりなきことを、わかきみここちには、みおとしたまうてけり。 |
29 | 1.2.6 | 87 | 57 |
大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。 |
おとどのきみのおぼしよりてのたまふことを、"いかがはあらん、みやづかへは、こころにもあらで、みぐるしきありさまにや。"とおもひつつみたまふを、"なれなれしきすぢなどをばもてはなれて、おほかたにつかうまつりごらんぜられんは、をかしうもありなんかし。"とぞ、おもひよりたまうける。 |
29 | 1.3 | 88 | 58 | 第三段 行幸、大原野に到着 |
29 | 1.3.1 | 89 | 59 |
かうて、野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。今日仕うまつりたまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。 |
かうて、のにおはしましつきて、みこしとどめ、かんだちめのひらばりにものまゐり、おほんさうぞくども、なほし、かりのよそひなどにあらためたまふほどに、ろくでうのゐんより、おほんみき、おほんくだものなどたてまつらせたまへり。けふつかうまつりたまふべく、かねてみけしきありけれど、おほんものいみのよしをそうせさせたまへりけるなりけり。 |
29 | 1.3.2 | 90 | 60 |
蔵人の左衛門尉を御使にて、雉一枝たてまつらせたまふ。仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ。 |
くらうどのさゑもんのぜうをおほんつかひにて、きじひとえだたてまつらせたまふ。おほせごとにはなにとかや、さやうのをりのことまねぶに、わづらはしくなん。 |
29 | 1.3.3 | 91 | 61 |
「雪深き小塩山にたつ雉の<BR/>古き跡をも今日は尋ねよ」 |
"〔ゆきふかきをしほのやまにたつきじの<BR/>ふるきあとをもけふはたづねよ〕 |
29 | 1.3.4 | 92 | 62 |
太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。 |
おほきおとどの、かかるののぎゃうがうにつかうまつりたまへるためしなどやありけん。おとど、おほんつかひをかしこまりもてなさせたまふ。 |
29 | 1.3.5 | 93 | 63 |
「小塩山深雪積もれる松原に<BR/>今日ばかりなる跡やなからむ」 |
"〔をしほやまみゆきつもれるまつばらに<BR/>けふばかりなるあとやなからん〕 |
29 | 1.3.6 | 94 | 64 |
と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ。 |
と、そのころほひききしことの、そばそばおもひいでらるるは、ひがことにやあらん。 |
29 | 1.4 | 95 | 65 | 第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める |
29 | 1.4.1 | 96 | 66 |
またの日、大臣、西の対に、 |
またのひ、おとど、にしのたいに、 |
29 | 1.4.2 | 97 | 67 |
「昨日、主上は見たてまつりたまひきや。かのことは、思しなびきぬらむや」 |
"きのふ、うへはみたてまつりたまひきや。かのことは、おぼしなびきぬらんや。" |
29 | 1.4.3 | 98 | 68 |
と聞こえたまへり。白き色紙に、いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、 |
ときこえたまへり。しろきしきしに、いとうちとけたるふみ、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきをみたまうて、 |
29 | 1.4.4 | 99 | 69 |
「あいなのことや」 |
"あいなのことや。" |
29 | 1.4.5 | 100 | 70 |
と笑ひたまふものから、「よくも推し量らせたまふものかな」と思す。御返りに、 |
とわらひたまふものから、"よくもおしはからせたまふものかな。"とおぼす。おほんかへりに、 |
29 | 1.4.6 | 101 | 71 |
「昨日は、 |
"きのふは、 |
29 | 1.4.7 | 102 | 72 |
うちきらし朝ぐもりせし行幸には<BR/>さやかに空の光やは見し |
うちきらしあさぐもりせしみゆきには<BR/>さやかにそらのひかりやはみし |
29 | 1.4.8 | 103 | 73 |
おぼつかなき御ことどもになむ」 |
おぼつかなきおほんことどもになん。" |
29 | 1.4.9 | 104 | 74 |
とあるを、上も見たまふ。 |
とあるを、うへもみたまふ。 |
29 | 1.4.10 | 105 | 75 |
「ささのことをそそのかししかど、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。かの大臣に知られても、女御かくてまたさぶらひたまへばなど、思ひ乱るめりし筋なり。若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」 |
"ささのことをそそのかししかど、ちゅうぐうかくておはす、ここながらのおぼえには、びんなかるべし。かのおとどにしられても、にょうごかくてまたさぶらひたまへばなど、おもひみだるめりしすぢなり。わかうどの、さもなれつかうまつらんに、はばかるおもひなからんは、うへをほのみたてまつりて、えかけはなれておもふはあらじ。" |
29 | 1.4.11 | 106 | 76 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
29 | 1.4.12 | 107 | 77 |
「あな、うたて。めでたしと見たてまつるとも、心もて宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」 |
"あな、うたて。めでたしとみたてまつるとも、こころもてみやづかひおもひたたんこそ、いとさしすぎたるこころならめ。" |
29 | 1.4.13 | 108 | 78 |
とて、笑ひたまふ。 |
とて、わらひたまふ。 |
29 | 1.4.14 | 109 | 79 |
「いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ」 |
"いで、そこにしもぞ、めできこえたまはん。" |
29 | 1.4.15 | 110 | 80 |
などのたまうて、また御返り、 |
などのたまうて、またおほんかへり、 |
29 | 1.4.16 | 111 | 81 |
「あかねさす光は空に曇らぬを<BR/>などて行幸に目をきらしけむ |
"〔あかねさすひかりはそらにくもらぬを<BR/>などてみゆきにめをきらしけん |
29 | 1.4.17 | 112 | 82 |
なほ、思し立て」 |
なほ、おぼしたて。" |
29 | 1.4.18 | 113 | 83 |
など、絶えず勧めたまふ。 |
など、たえずすすめたまふ。 |
29 | 1.5 | 114 | 84 | 第五段 玉鬘、裳着の準備 |
29 | 1.5.1 | 115 | 85 |
「とてもかうても、まづ御裳着のことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも思ほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「内の大臣にも、やがてこのついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、いとめでたくなむ。「年返りて、二月に」と思す。 |
"とてもかうても、まづおほんもぎのことをこそは。"とおぼして、そのおほんまうけのおほんてうどの、こまかなるきよらどもくはへさせたまひ、なにくれのぎしきを、みこころにはいともおもほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、"うちのおとどにも、やがてこのついでにやしらせたてまつりてまし。"とおぼしよれば、いとめでたくなん。"としかへりて、きさらぎに。"とおぼす。 |
29 | 1.5.2 | 116 | 86 |
「女は、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも、人の御女とて、籠もりおはするほどは、かならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなればこそ、年月はまぎれ過ぐしたまへ、この、もし思し寄ることもあらむには、春日の神の御心違ひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべし。なほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「親子の御契り、絶ゆべきやうなし。同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」 |
"をんなは、きこえたかく、なかくしたまふべきほどならぬも、ひとのおほんむすめとて、こもりおはするほどは、かならずしも、うぢがみのおほんつとめなど、あらはならぬほどなればこそ、としつきはまぎれすぐしたまへ、この、もしおぼしよることもあらんには、かすがのかみのみこころたがひぬべきも、つひにはかくれてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましきのちのなまで、うたたあるべし。なほなほしきひとのきはこそ、いまやうとては、うぢあらたむることのたはやすきもあれ。"などおぼしめぐらすに、"おやこのおほんちぎり、たゆべきやうなし。おなじくは、わがこころゆるしてを、しらせたてまつらん。" |
29 | 1.5.3 | 117 | 87 |
など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。 |
などおぼしさだめて、このおほんこしゆひには、かのおとどをなん、おほんせうそこきこえたまうければ、おほみや、こぞのふゆつかたよりなやみたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるにあはせて、びんなかるべきよし、きこえたまへり。 |
29 | 1.5.4 | 118 | 88 |
中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、いかにせましと思す。 |
ちゅうじゃうのきみも、よるひる、さんでうにぞさぶらひたまひて、こころのひまなくものしたまうて、をりあしきを、いかにせましとおぼす。 |
29 | 1.5.5 | 119 | 89 |
「世も、いと定めなし。宮も亡せさせたまはば、御服あるべきを、知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。おはする世に、このこと表はしてむ」 |
"よも、いとさだめなし。みやもうせさせたまはば、おほんぶくあるべきを、しらずがほにてものしたまはん、つみふかきことおほからん。おはするよに、このことあらはしてん。" |
29 | 1.5.6 | 120 | 90 |
と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。 |
とおぼしとりて、さんでうのみやに、おほんとぶらひがてらわたりたまふ。 |
29 | 2 | 121 | 91 | 第二章 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る |
29 | 2.1 | 122 | 92 | 第一段 源氏、三条宮を訪問 |
29 | 2.1.1 | 123 | 93 |
今はまして、忍びやかにふるまひたまへど、行幸に劣らずよそほしく、いよいよ光をのみ添へたまふ御容貌などの、この世に見えぬ心地して、めづらしう見たてまつりたまふには、いとど御心地の悩ましさも、取り捨てらるる心地して、起きゐたまへり。御脇息にかかりて、弱げなれど、ものなどいとよく聞こえたまふ。 |
いまはまして、しのびやかにふるまひたまへど、みゆきにおとらずよそほしく、いよいよひかりをのみそへたまふおほんかたちなどの、このよにみえぬここちして、めづらしうみたてまつりたまふには、いとどみここちのなやましさも、とりすてらるるここちして、おきゐたまへり。おほんけふそくにかかりて、よわげなれど、ものなどいとよくきこえたまふ。 |
29 | 2.1.2 | 124 | 94 |
「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心惑はして、おどろおどろしう嘆ききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなむ、おぼつかながりきこえさせつる。内裏などにも、ことなるついでなき限りは参らず、朝廷に仕ふる人ともなくて籠もりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。齢など、これよりまさる人、腰堪へぬまで屈まりありく例、昔も今もはべめれど、あやしくおれおれしき本性に、添ふもの憂さになむはべるべき」 |
"けしうはおはしまさざりけるを、なにがしのあそんのこころまどはして、おどろおどろしうなげききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなん、おぼつかながりきこえさせつる。うちなどにも、ことなるついでなきかぎりはまゐらず、おほやけにつかふるひとともなくてこもりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。よはひなど、これよりまさるひと、こしたへぬまでかがまりありくためし、むかしもいまもはべめれど、あやしくおれおれしきほんじゃうに、そふものうさになんはべるべき。" |
29 | 2.1.3 | 125 | 95 |
など聞こえたまふ。 |
などきこえたまふ。 |
29 | 2.1.4 | 126 | 96 |
「年の積もりの悩みと思うたまへつつ、月ごろになりぬるを、今年となりては、頼み少なきやうにおぼえはべれば、今一度、かく見たてまつりきこえさすることもなくてやと、心細く思ひたまへつるを、今日こそ、またすこし延びぬる心地しはべれ。今は惜しみとむべきほどにもはべらず。さべき人びとにも立ち後れ、世の末に残りとまれる類ひを、人の上にて、いと心づきなしと見はべりしかば、出で立ちいそぎをなむ、思ひもよほされはべるに、この中将の、いとあはれにあやしきまで思ひあつかひ、心を騒がいたまふ見はべるになむ、さまざまにかけとめられて、今まで長びきはべる」 |
"としのつもりのなやみとおもうたまへつつ、つきごろになりぬるを、ことしとなりては、たのみすくなきやうにおぼえはべれば、いまひとたび、かくみたてまつりきこえさすることもなくてやと、こころぼそくおもひたまへつるを、けふこそ、またすこしのびぬるここちしはべれ。いまはをしみとむべきほどにもはべらず。さべきひとびとにもたちおくれ、よのすゑにのこりとまれるたぐひを、ひとのうへにて、いとこころづきなしとみはべりしかば、いでたちいそぎをなん、おもひもよほされはべるに、このちゅうじゃうの、いとあはれにあやしきまでおもひあつかひ、こころをさわがいたまふみはべるになん、さまざまにかけとめられて、いままでながびきはべる。" |
29 | 2.1.5 | 127 | 97 |
と、ただ泣きに泣きて、御声のわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。 |
と、ただなきになきて、おほんこゑのわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。 |
29 | 2.2 | 128 | 98 | 第二段 源氏と大宮との対話 |
29 | 2.2.1 | 129 | 99 |
御物語ども、昔今のとり集め聞こえたまふついでに、 |
おほんものがたりども、むかしいまのとりあつめきこえたまふついでに、 |
29 | 2.2.2 | 130 | 100 |
「内の大臣は、日隔てず参りたまふことしげからむを、かかるついでに対面のあらば、いかにうれしからむ。いかで聞こえ知らせむと思ふことのはべるを、さるべきついでなくては、対面もありがたければ、おぼつかなくてなむ」 |
"うちのおとどは、ひへだてずまゐりたまふことしげからんを、かかるついでにたいめんのあらば、いかにうれしからん。いかできこえしらせんとおもふことのはべるを、さるべきついでなくては、たいめんもありがたければ、おぼつかなくてなん。" |
29 | 2.2.3 | 131 | 101 |
と聞こえたまふ。 |
ときこえたまふ。 |
29 | 2.2.4 | 132 | 102 |
「公事のしげきにや、私の心ざしの深からぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。のたまはすべからむことは、何さまのことにかは。中将の恨めしげに思はれたることもはべるを、『初めのことは知らねど、今はけに聞きにくくもてなすにつけて、立ちそめにし名の、取り返さるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人も言ひ漏らすなるを』などものしはべれば、立てたるところ、昔よりいと解けがたき人の本性にて、心得ずなむ見たまふる」 |
"おほやけごとのしげきにや、わたくしのこころざしのふかからぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。のたまはすべからんことは、なにさまのことにかは。ちゅうじゃうのうらめしげにおもはれたることもはべるを、'はじめのことはしらねど、いまはけにききにくくもてなすにつけて、たちそめにしなの、とりかへさるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりてはよひともいひもらすなるを。'などものしはべれば、たてたるところ、むかしよりいととけがたきひとのほんじゃうにて、こころえずなんみたまふる。" |
29 | 2.2.5 | 133 | 103 |
と、この中将の御ことと思してのたまへば、うち笑ひたまひて、 |
と、このちゅうじゃうのおほんこととおぼしてのたまへば、うちわらひたまひて、 |
29 | 2.2.6 | 134 | 104 |
「いふかひなきに、許し捨てたまふこともやと聞きはべりて、ここにさへなむかすめ申すやうありしかど、いと厳しう諌めたまふよしを見はべりし後、何にさまで言をもまぜはべりけむと、人悪う悔い思うたまへてなむ。 |
"いふかひなきに、ゆるしすてたまふこともやとききはべりて、ここにさへなんかすめまうすやうありしかど、いときびしういさめたまふよしをみはべりしのち、なににさまでことをもまぜはべりけんと、ひとわるうくいおもうたまへてなん。 |
29 | 2.2.7 | 135 | 105 |
よろづのことにつけて、清めといふことはべれば、いかがは、さもとり返しすすいたまはざらむとは思うたまへながら、かう口惜しき濁りの末に、待ちとり深う住むべき水こそ出で来がたかべい世なれ。何ごとにつけても、末になれば、落ちゆくけぢめこそやすくはべめれ。いとほしう聞きたまふる」 |
よろづのことにつけて、きよめといふことはべれば、いかがは、さもとりかへしすすいたまはざらんとはおもうたまへながら、かうくちをしきにごりのすゑに、まちとりふかうすむべきみづこそいできがたかべいよなれ。なにごとにつけても、すゑになれば、おちゆくけぢめこそやすくはべめれ。いとほしうききたまふる。" |
29 | 2.2.8 | 136 | 106 |
など申したまうて、 |
などまうしたまうて、 |
29 | 2.3 | 137 | 107 | 第三段 源氏、大宮に玉鬘を語る |
29 | 2.3.1 | 138 | 108 |
「さるは、かの知りたまふべき人をなむ、思ひまがふることはべりて、不意に尋ね取りてはべるを、その折は、さるひがわざとも明かしはべらずありしかば、あながちにことの心を尋ね返さふこともはべらで、たださるものの種の少なきを、かことにても、何かはと思うたまへ許して、をさをさ睦びも見はべらずして、年月はべりつるを、いかでか聞こしめしけむ、内裏に仰せらるるやうなむある。 |
"さるは、かのしりたまふべきひとをなん、おもひまがふることはべりて、ふいにたづねとりてはべるを、そのをりは、さるひがわざともあかしはべらずありしかば、あながちにことのこころをたづねかへさふこともはべらで、たださるもののくさのすくなきを、かことにても、なにかはとおもうたまへゆるして、をさをさむつびもみはべらずして、としつきはべりつるを、いかでかきこしめしけん、うちにおほせらるるやうなんある。 |
29 | 2.3.2 | 139 | 109 |
尚侍、宮仕へする人なくては、かの所のまつりごとしどけなく、女官なども公事を仕うまつるに、たづきなく、こと乱るるやうになむありけるを、ただ今、主上にさぶらふ古老の典侍二人、またさるべき人びと、さまざまに申さするを、はかばかしう選ばせたまはむ尋ねに、類ふべき人なむなき。 |
ないしのかみ、みやづかへするひとなくては、かのところのまつりごとしどけなく、にょかんなどもおほやけごとをつかうまつるに、たづきなく、ことみだるるやうになんありけるを、ただいま、うへにさぶらふこらうのすけふたり、またさるべきひとびと、さまざまにまうさするを、はかばかしうえらばせたまはんたづねに、たぐふべきひとなんなき。 |
29 | 2.3.3 | 140 | 110 |
なほ、家高う、人のおぼえ軽からで、家のいとなみたてたらぬ人なむ、いにしへよりなり来にける。したたかにかしこきかたの選びにては、その人ならでも、年月の労になりのぼる類ひあれど、しか類ふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだに選らせたまはむとなむ、うちうちに仰せられたりしを、似げなきこととしも、何かは思ひたまはむ。 |
なほ、いへたかう、ひとのおぼえかろからで、いへのいとなみたてたらぬひとなん、いにしへよりなりきにける。したたかにかしこきかたのえらびにては、そのひとならでも、としつきのらふになりのぼるたぐひあれど、しかたぐふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだにえらせたまはんとなん、うちうちにおほせられたりしを、にげなきこととしも、なにかはおもひたまはん。 |
29 | 2.3.4 | 141 | 111 |
宮仕へは、さるべき筋にて、上も下も思ひ及び、出で立つこそ心高きことなれ。公様にて、さる所のことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたため知らむことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらむ。ただ、わが身のありさまからこそ、よろづのことはべめれと、思ひ弱りはべりしついでになむ。 |
みやづかへは、さるべきすぢにて、かみもしももおもひおよび、いでたつこそこころたかきことなれ。おほやけざまにて、さるところのことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたためしらんことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらん。ただ、わがみのありさまからこそ、よろづのことはべめれと、おもひよわりはべりしついでになん。 |
29 | 2.3.5 | 142 | 112 |
齢のほどなど問ひ聞きはべれば、かの御尋ねあべいことになむありけるを、いかなべいことぞとも、申しあきらめまほしうはべる。ついでなくては対面はべるべきにもはべらず。やがてかかることなむと、あらはし申すべきやうを思ひめぐらして、消息申ししを、御悩みにことづけて、もの憂げにすまひたまへりし。 |
よはひのほどなどとひききはべれば、かのおほんたづねあべいことになんありけるを、いかなべいことぞとも、まうしあきらめまほしうはべる。ついでなくてはたいめんはべるべきにもはべらず。やがてかかることなんと、あらはしまうすべきやうをおもひめぐらして、せうそこまうししを、おほんなやみにことづけて、ものうげにすまひたまへりし。 |
29 | 2.3.6 | 143 | 113 |
げに、折しも便なう思ひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければ、なほ、かう思ひおこせるついでにとなむ思うたまふる。さやうに伝へものせさせたまへ」 |
げに、をりしもびんなうおもひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければ、なほ、かうおもひおこせるついでにとなんおもうたまふる。さやうにつたへものせさせたまへ。" |
29 | 2.3.7 | 144 | 114 |
と聞こえたまふ。宮、 |
ときこえたまふ。みや、 |
29 | 2.3.8 | 145 | 115 |
「いかに、いかに、はべりけることにか。かしこには、さまざまにかかる名のりする人を、厭ふことなく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひき違へかこちきこえらるらむ。この年ごろ、うけたまはりて、なりぬるにや」 |
"いかに、いかに、はべりけることにか。かしこには、さまざまにかかるなのりするひとを、いとふことなくひろひあつめらるめるに、いかなるこころにて、かくひきたがへかこちきこえらるらん。このとしごろ、うけたまはりて、なりぬるにや。" |
29 | 2.3.9 | 146 | 116 |
と、聞こえたまへば、 |
と、きこえたまへば、 |
29 | 2.3.10 | 147 | 117 |
「さるやうはべることなり。詳しきさまは、かの大臣もおのづから尋ね聞きたまうてむ。くだくだしき直人の仲らひに似たることにはべれば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へはべらむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせはべらず。人にも漏らさせたまふまじ」 |
"さるやうはべることなり。くはしきさまは、かのおとどもおのづからたづねききたまうてん。くだくだしきなほびとのなからひににたることにはべれば、あかさんにつけても、らうがはしうひといひつたへはべらんを、ちゅうじゃうのあそんにだに、まだわきまへしらせはべらず。ひとにももらさせたまふまじ。" |
29 | 2.3.11 | 148 | 118 |
と、御口かためきこえたまふ。 |
と、おほんくちかためきこえたまふ。 |
29 | 2.4 | 149 | 119 | 第四段 大宮、内大臣を招く |
29 | 2.4.1 | 150 | 120 |
内の大殿、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたるよし、聞きたまひて、 |
うちのおほいどの、かくさんでうのみやにおほきおとどわたりおはしまいたるよし、ききたまひて、 |
29 | 2.4.2 | 151 | 121 |
「いかに寂しげにて、いつかしき御さまを待ちうけきこえたまふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は、御供にこそものせられつらめ」 |
"いかにさびしげにて、いつかしきおほんさまをまちうけきこえたまふらん。ごぜんどももてはやし、おましひきつくろふひとも、はかばかしうあらじかし。ちゅうじゃうは、おほんともにこそものせられつらめ。" |
29 | 2.4.3 | 152 | 122 |
など、おどろきたまうて、御子どもの君達、睦ましうさるべきまうち君たち、たてまつれたまふ。 |
など、おどろきたまうて、おほんこどものきみたち、むつましうさるべきまうちぎみたち、たてまつれたまふ。 |
29 | 2.4.4 | 153 | 123 |
「御くだもの、御酒など、さりぬべく参らせよ。みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」 |
"おほんくだもの、おほんみきなど、さりぬべくまゐらせよ。みづからもまゐるべきを、かへりてものさわがしきやうならん。" |
29 | 2.4.5 | 154 | 124 |
などのたまふほどに、大宮の御文あり。 |
などのたまふほどに、おほみやのおほんふみあり。 |
29 | 2.4.6 | 155 | 125 |
「六条の大臣の訪らひに渡りたまへるを、もの寂しげにはべれば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡りたまひなむや。対面に聞こえまほしげなることもあなり」 |
"ろくでうのおとどのとぶらひにわたりたまへるを、ものさびしげにはべれば、ひとめのいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かうきこえたるやうにはあらで、わたりたまひなんや。たいめんにきこえまほしげなることもあなり。" |
29 | 2.4.7 | 156 | 126 |
と聞こえたまへり。 |
ときこえたまへり。 |
29 | 2.4.8 | 157 | 127 |
「何ごとにかはあらむ。この姫君の御こと、中将の愁へにや」と思しまはすに、「宮もかう御世残りなげにて、このことと切にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言うち出で恨みたまはむに、とかく申しかへさふことえあらじかし。つれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔にて許してむ」と思す。 |
"なにごとにかはあらん。このひめぎみのおほんこと、ちゅうじゃうのうれへにや。"とおぼしまはすに、"みやもかうみよのこりなげにて、このこととせちにのたまひ、おとどもにくからぬさまにひとことうちいでうらみたまはんに、とかくまうしかへさふことえあらじかし。つれなくておもひいれぬをみるにはやすからず、さるべきついであらば、ひとのおほんことになびきがほにてゆるしてん。"とおぼす。 |
29 | 2.4.9 | 158 | 128 |
「御心をさしあはせてのたまはむこと」と思ひ寄りたまふに、「いとど否びどころなからむが、また、などかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されど、宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや、かたがたにかたじけなし。参りてこそは、御けしきに従はめ」 |
"みこころをさしあはせてのたまはんこと。"とおもひよりたまふに、"いとどいなびどころなからんが、また、などかさしもあらん。"とやすらはるる、いとけしからぬおほんあやにくごころなりかし。"されど、みやかくのたまひ、おとどもたいめんすべくまちおはするにや、かたがたにかたじけなし。まゐりてこそは、みけしきにしたがはめ。" |
29 | 2.4.10 | 159 | 129 |
など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前などもことことしきさまにはあらで渡りたまふ。 |
などおもほしなりて、おほんさうぞくこころことにひきつくろひて、ごぜんなどもことことしきさまにはあらでわたりたまふ。 |
29 | 2.5 | 160 | 130 | 第五段 内大臣、三条宮邸に参上 |
29 | 2.5.1 | 161 | 131 |
君達いとあまた引きつれて入りたまふさま、ものものしう頼もしげなり。丈だちそぞろかにものしたまふに、太さもあひて、いと宿徳に、面もち、歩まひ、大臣といはむに足らひたまへり。 |
きみたちいとあまたひきつれていりたまふさま、ものものしうたのもしげなり。たけだちそぞろかにものしたまふに、ふとさもあひて、いとしうとくに、おももち、あゆまひ、おとどといはんにたらひたまへり。 |
29 | 2.5.2 | 162 | 132 |
葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長うは裾引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見えたまへるに、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、なずらへても見えたまはざりけり。 |
えびぞめのおほんさしぬき、さくらのしたがさね、いとながうはしりひきて、ゆるゆるとことさらびたるおほんもてなし、あなきらきらしとみえたまへるに、ろくでうどのは、さくらのからのきのおほんなほし、いまやういろのおほんぞひきかさねて、しどけなきおほきみすがた、いよいよたとへんものなし。ひかりこそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへるおほんありさまに、なずらへてもみえたまはざりけり。 |
29 | 2.5.3 | 163 | 133 |
君達次々に、いとものきよげなる御仲らひにて、集ひたまへり。藤大納言、春宮大夫など、今は聞こゆる子どもも、皆なり出でつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえ高くやむごとなき殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官など、人柄はなやかにあるべかしき、十余人集ひたまへれば、いかめしう、次々のただ人も多くて、土器あまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸ひ人にすぐれたまへる御ありさまを物語にしけり。 |
きみたちつぎつぎに、いとものきよげなるおほんなからひにて、つどひたまへり。とうだいなごん、とうぐうのだいぶなど、いまはきこゆるこどもも、みななりいでつつものしたまふ。おのづから、わざともなきに、おぼえたかくやんごとなきてんじゃうびと、くらひとのとう、ごゐのくらうど、このゑのちゅう、せうしゃう、べんかんなど、ひとがらはなやかにあるべかしき、じふよにんつどひたまへれば、いかめしう、つぎつぎのただふどもおほくて、かはらけあまたたびながれ、みなゑひになりて、おのおのかうさいはひひとにすぐれたまへるおほんありさまをものがたりにしけり。 |
29 | 2.6 | 164 | 134 | 第六段 源氏、内大臣と対面 |
29 | 2.6.1 | 165 | 135 |
大臣も、めづらしき御対面に、昔のこと思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑ましき御心も添ふべかめれ、さし向かひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々思し出でつつ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。御土器など勧め参りたまふ。 |
おとども、めづらしきおほんたいめんに、むかしのことおぼしいでられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、いどましきみこころもそふべかめれ、さしむかひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることのかずかずおぼしいでつつ、れいの、へだてなく、むかしいまのことども、としごろのおほんものがたりに、ひくれゆく。おほんかはらけなどすすめまゐりたまふ。 |
29 | 2.6.2 | 166 | 136 |
「さぶらはでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて。うけたまはり過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」 |
"さぶらはではあしかりぬべかりけるを、めしなきにはばかりて。うけたまはりすぐしてましかば、おほんかうじやそはまし。" |
29 | 2.6.3 | 167 | 137 |
と申したまふに、 |
とまうしたまふに、 |
29 | 2.6.4 | 168 | 138 |
「勘当は、こなたざまになむ。勘事と思ふこと多くはべる」 |
"かんだうは、こなたざまになん。かうじとおもふことおほくはべる。" |
29 | 2.6.5 | 169 | 139 |
など、けしきばみたまふに、このことにやと思せば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。 |
など、けしきばみたまふに、このことにやとおぼせば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。 |
29 | 2.6.6 | 170 | 140 |
「昔より、公私のことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえうけたまはり、羽翼を並ぶるやうにて、朝廷の御後見をも仕うまつるとなむ思うたまへしを、末の世となりて、そのかみ思うたまへし本意なきやうなること、うち交りはべれど、うちうちの私事にこそは。 |
"むかしより、おほやけわたくしのことにつけて、こころのへだてなく、だいせうのこときこえうけたまはり、はねをならぶるやうにて、おほやけのおほんうしろみをもつかうまつるとなんおもうたまへしを、すゑのよとなりて、そのかみおもうたまへしほいなきやうなること、うちまじりはべれど、うちうちのわたくしごとにこそは。 |
29 | 2.6.7 | 171 | 141 |
おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。何ともなくて積もりはべる年齢に添へて、いにしへのことなむ恋しかりけるを、対面賜はることもいとまれにのみはべれば、こと限りありて、世だけき御ふるまひとは思うたまへながら、親しきほどには、その御勢ひをも、引きしじめたまひてこそは、訪らひものしたまはめとなむ、恨めしき折々はべる」 |
おほかたのこころざしは、さらにうつろふことなくなん。なにともなくてつもりはべるとしよはひにそへて、いにしへのことなんこひしかりけるを、たいめんたまはることもいとまれにのみはべれば、ことかぎりありて、よだけきおほんふるまひとはおもうたまへながら、したしきほどには、そのおほんいきほひをも、ひきしじめたまひてこそは、とぶらひものしたまはめとなん、うらめしきをりをりはべる。" |
29 | 2.6.8 | 172 | 142 |
と聞こえたまへば、 |
ときこえたまへば、 |
29 | 2.6.9 | 173 | 143 |
「いにしへは、げに面馴れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷に仕うまつりし際は、羽翼を並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にて、かかる位に及びはべりて、朝廷に仕うまつりはべることに添へても、思うたまへ知らぬにははべらぬを、齢の積もりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多くはべりける」 |
"いにしへは、げにおもなれて、あやしくたいだいしきまでなれさぶらひ、こころにへだつることなくごらんぜられしを、おほやけにつかうまつりしきはは、はねをならべたるかずにもおもひはべらで、うれしきおほんかへりみをこそ、はかばかしからぬみにて、かかるくらゐにおよびはべりて、おほやけにつかうまつりはべることにそへても、おもうたまへしらぬにははべらぬを、よはひのつもりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなん、おほくはべりける。" |
29 | 2.6.10 | 174 | 144 |
などかしこまり申したまふ。 |
などかしこまりまうしたまふ。 |
29 | 2.6.11 | 175 | 145 |
そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。大臣、 |
そのついでに、ほのめかしいでたまひてけり。おとど、 |
29 | 2.6.12 | 176 | 146 |
「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣きたまひて、「そのかみより、いかになりにけむと尋ね思うたまへしさまは、何のついでにかはべりけむ、愁へに堪へず、漏らし聞こしめさせし心地なむしはべる。今かく、すこし人数にもなりはべるにつけて、はかばかしからぬ者どもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、見苦しと見はべるにつけても、またさるさまにて、数々に連ねては、あはれに思うたまへらるる折に添へても、まづなむ思ひたまへ出でらるる」 |
"いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな。"と、まづうちなきたまひて、"そのかみより、いかになりにけんとたづねおもうたまへしさまは、なにのついでにかはべりけん、うれへにたへず、もらしきこしめさせしここちなんしはべる。いまかく、すこしひとかずにもなりはべるにつけて、はかばかしからぬものどもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、みぐるしとみはべるにつけても、またさるさまにて、かずかずにつらねては、あはれにおもうたまへらるるをりにそへても、まづなんおもひたまへいでらるる。" |
29 | 2.6.13 | 177 | 148 |
とのたまふついでに、かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れたまひぬ。 |
とのたまふついでに、かのいにしへのあまよのものがたりに、いろいろなりしおほんむつごとのさだめをおぼしいでて、なきみわらひみ、みなうちみだれたまひぬ。 |
29 | 2.7 | 178 | 149 | 第七段 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去 |
29 | 2.7.1 | 179 | 150 |
夜いたう更けて、おのおのあかれたまふ。 |
よいたうふけて、おのおのあかれたまふ。 |
29 | 2.7.2 | 180 | 151 |
「かく参り来あひては、さらに、久しくなりぬる世の古事、思うたまへ出でられ、恋しきことの忍びがたきに、立ち出でむ心地もしはべらず」 |
"かくまゐりきあひては、さらに、ひさしくなりぬるよのふること、おもうたまへいでられ、こひしきことのしのびがたきに、たちいでんここちもしはべらず。" |
29 | 2.7.3 | 181 | 152 |
とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほれたまふ。宮はたまいて、姫君の御ことを思し出づるに、ありしにまさる御ありさま、勢ひを見たてまつりたまふに、飽かず悲しくて、とどめがたく、しほしほと泣きたまふ尼衣は、げに心ことなりけり。 |
とて、をさをさこころよわくおはしまさぬろくでうどのも、ゑひなきにや、うちしほれたまふ。みやはたまいて、ひめぎみのおほんことをおぼしいづるに、ありしにまさるおほんありさま、いきほひをみたてまつりたまふに、あかずかなしくて、とどめがたく、しほしほとなきたまふあまごろもは、げにこころことなりけり。 |
29 | 2.7.4 | 182 | 153 |
かかるついでなれど、中将の御ことをば、うち出でたまはずなりぬ。ひとふし用意なしと思しおきてければ、口入れむことも人悪く思しとどめ、かの大臣はた、人の御けしきなきに、さし過ぐしがたくて、さすがにむすぼほれたる心地したまうけり。 |
かかるついでなれど、ちゅうじゃうのおほんことをば、うちいでたまはずなりぬ。ひとふしよういなしとおぼしおきてければ、くちいれんこともひとわるくおぼしとどめ、かのおとどはた、ひとのみけしきなきに、さしすぐしがたくて、さすがにむすぼほれたるここちしたまうけり。 |
29 | 2.7.5 | 183 | 154 |
「今宵も御供にさぶらふべきを、うちつけに騒がしくもやとてなむ。今日のかしこまりは、ことさらになむ参るべくはべる」 |
"こよひもおほんともにさぶらふべきを、うちつけにさわがしくもやとてなん。けふのかしこまりは、ことさらになんまゐるべくはべる。" |
29 | 2.7.6 | 184 | 155 |
と申したまへば、 |
とまうしたまへば、 |
29 | 2.7.7 | 185 | 156 |
「さらば、この御悩みもよろしう見えたまふを、かならず聞こえし日違へさせたまはず、渡りたまふべき」よし、聞こえ契りたまふ。 |
"さらば、このおほんなやみもよろしうみえたまふを、かならずきこえしひたがへさせたまはず、わたりたまふべき。"よし、きこえちぎりたまふ。 |
29 | 2.7.8 | 186 | 157 |
御けしきどもようて、おのおの出でたまふ響き、いといかめし。君達の御供の人びと、 |
みけしきどもようて、おのおのいでたまふひびき、いといかめし。きみたちのおほんとものひとびと、 |
29 | 2.7.9 | 187 | 158 |
「何ごとありつるならむ。めづらしき御対面に、いと御けしきよげなりつるは」 |
"なにごとありつるならん。めづらしきおほんたいめんに、いとみけしきよげなりつるは。" |
29 | 2.7.10 | 188 | 159 |
「また、いかなる御譲りあるべきにか」 |
"また、いかなるおほんゆづりあるべきにか。" |
29 | 2.7.11 | 189 | 160 |
など、ひが心を得つつ、かかる筋とは思ひ寄らざりけり。 |
など、ひがこころをえつつ、かかるすぢとはおもひよらざりけり。 |
29 | 3 | 190 | 161 | 第三章 玉鬘の物語 裳着の物語 |
29 | 3.1 | 191 | 162 | 第一段 内大臣、源氏の意向に従う |
29 | 3.1.1 | 192 | 163 |
大臣、うちつけにいといぶかしう、心もとなうおぼえたまへど、 |
おとど、うちつけにいといぶかしう、こころもとなうおぼえたまへど、 |
29 | 3.1.2 | 193 | 164 |
「ふと、しか受けとり、親がらむも便なからむ。尋ね得たまへらむ初めを思ふに、定めて心きよう見放ちたまはじ。やむごとなき方々を憚りて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞こえを思ひて、かく明かしたまふなめり」 |
"ふと、しかうけとり、おやがらんもびんなからん。たづねえたまへらんはじめをおもふに、さだめてこころきようみはなちたまはじ。やんごとなきかたがたをはばかりて、うけばりてそのきはにはもてなさず、さすがにわづらはしう、もののきこえをおもひて、かくあかしたまふなめり。" |
29 | 3.1.3 | 194 | 165 |
と思すは、口惜しけれど、 |
とおぼすは、くちをしけれど、 |
29 | 3.1.4 | 195 | 166 |
「それを疵とすべきことかは。ことさらにも、かの御あたりに触ればはせむに、などかおぼえの劣らむ。宮仕へざまにおもむきたまへらば、女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「ともかくも、思ひ寄りのたまはむおきてを違ふべきことかは」 |
"それをきずとすべきことかは。ことさらにも、かのおほんあたりにふればはせんに、などかおぼえのおとらん。みやづかへざまにおもむきたまへらば、にょうごなどのおぼさんこともあぢきなし。"とおぼせど、"ともかくも、おもひよりのたまはんおきてをたがふべきことかは。" |
29 | 3.1.5 | 196 | 167 |
と、よろづに思しけり。 |
と、よろづにおぼしけり。 |
29 | 3.1.6 | 197 | 168 |
かくのたまふは、二月朔日ころなりけり。十六日、彼岸の初めにて、いと吉き日なりけり。近うまた吉き日なしと勘へ申しけるうちに、宮よろしうおはしませば、いそぎ立ちたまうて、例の渡りたまうても、大臣に申しあらはししさまなど、いとこまかにあべきことども教へきこえたまへば、 |
かくのたまふは、きさらぎのついたちころなりけり。じふろくにち、ひがんのはじめにて、いとよきひなりけり。ちかうまたよきひなしとかんがへまうしけるうちに、みやよろしうおはしませば、いそぎたちたまうて、れいのわたりたまうても、おとどにまうしあらはししさまなど、いとこまかにあべきことどもをしへきこえたまへば、 |
29 | 3.1.7 | 198 | 169 |
「あはれなる御心は、親と聞こえながらも、ありがたからむを」 |
"あはれなるみこころは、おやときこえながらも、ありがたからんを。" |
29 | 3.1.8 | 199 | 170 |
と思すものから、いとなむうれしかりける。 |
とおぼすものから、いとなんうれしかりける。 |
29 | 3.1.9 | 200 | 171 |
かくて後は、中将の君にも、忍びてかかることの心のたまひ知らせけり。 |
かくてのちは、ちゅうじゃうのきみにも、しのびてかかることのこころのたまひしらせけり。 |
29 | 3.1.10 | 201 | 172 |
「あやしのことどもや。むべなりけり」 |
"あやしのことどもや。むべなりけり。" |
29 | 3.1.11 | 202 | 173 |
と、思ひあはすることどもあるに、かのつれなき人の御ありさまよりも、なほもあらず思ひ出でられて、「思ひ寄らざりけることよ」と、しれじれしき心地す。されど、「あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり」と、思ひ返すことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。 |
と、おもひあはすることどもあるに、かのつれなきひとのおほんありさまよりも、なほもあらずおもひいでられて、"おもひよらざりけることよ。"と、しれじれしきここちす。されど、"あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり。"と、おもひかへすことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。 |
29 | 3.2 | 203 | 174 | 第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀 |
29 | 3.2.1 | 204 | 175 |
かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。御櫛の筥など、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文には、 |
かくてそのひになりて、さんでうのみやより、しのびやかにおほんつかひあり。みくしのはこなど、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、おほんふみには、 |
29 | 3.2.2 | 205 | 176 |
「聞こえむにも、いまいましきありさまを、今日は忍びこめはべれど、さるかたにても、長き例ばかりを思し許すべうや、とてなむ。あはれにうけたまはり、あきらめたる筋をかけきこえむも、いかが。御けしきに従ひてなむ。 |
"きこえんにも、いまいましきありさまを、けふはしのびこめはべれど、さるかたにても、ながきためしばかりをおぼしゆるすべうや、とてなん。あはれにうけたまはり、あきらめたるすぢをかけきこえんも、いかが。みけしきにしたがひてなん。 |
29 | 3.2.3 | 206 | 177 |
ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥<BR/>わが身はなれぬ懸子なりけり」 |
ふたかたにいひもてゆけばたまくしげ<BR/>わがみはなれぬかけごなりけり〕 |
29 | 3.2.4 | 207 | 178 |
と、いと古めかしうわななきたまへるを、殿もこなたにおはしまして、ことども御覧じ定むるほどなれば、見たまうて、 |
と、いとふるめかしうわななきたまへるを、とのもこなたにおはしまして、ことどもごらんじさだむるほどなれば、みたまうて、 |
29 | 3.2.5 | 208 | 179 |
「古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。昔は上手にものしたまひけるを、年に添へて、あやしく老いゆくものにこそありけれ。いとからく御手ふるひにけり」 |
"こたいなるおほんふみがきなれど、いたしや、このおほんてよ。むかしはじゃうずにものしたまひけるを、としにそへて、あやしくおいゆくものにこそありけれ。いとからくおほんてふるひにけり。" |
29 | 3.2.6 | 209 | 180 |
など、うち返し見たまうて、 |
など、うちかへしみたまうて、 |
29 | 3.2.7 | 210 | 181 |
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」 |
"よくもたまくしげにまつはれたるかな。みそひともじのなかに、こともじはすくなくそへたることのかたきなり。" |
29 | 3.2.8 | 211 | 182 |
と、忍びて笑ひたまふ。 |
と、しのびてわらひたまふ。 |
29 | 3.3 | 212 | 183 | 第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々 |
29 | 3.3.1 | 213 | 184 |
中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに香り深くてたてまつりたまへり。 |
ちゅうぐうより、しろきおほんも、からぎぬ、おほんさうぞく、みぐしあげのぐなど、いとになくて、れいの、つぼどもに、からのたきもの、こころことにかをりふかくてたてまつりたまへり。 |
29 | 3.3.2 | 214 | 185 |
御方々、皆心々に、御装束、人びとの料に、櫛扇まで、とりどりにし出でたまへるありさま、劣りまさらず、さまざまにつけて、かばかりの御心ばせどもに、挑み尽くしたまへれば、をかしう見ゆるを、東の院の人びとも、かかる御いそぎは聞きたまうけれども、訪らひきこえたまふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、さるべきことの折過ぐさぬ古代の御心にて、いかでかこの御いそぎを、よそのこととは聞き過ぐさむ、と思して、形のごとなむし出でたまうける。 |
おほんかたがた、みなこころごころに、おほんさうぞく、ひとびとのれうに、くしあふぎまで、とりどりにしいでたまへるありさま、おとりまさらず、さまざまにつけて、かばかりのみこころばせどもに、いどみつくしたまへれば、をかしうみゆるを、ひんがしのゐんのひとびとも、かかるおほんいそぎはききたまうけれども、とぶらひきこえたまふべきかずならねば、ただききすぐしたるに、ひたちのみやのおほんかた、あやしうものうるはしう、さるべきことのをりすぐさぬこたいのみこころにて、いかでかこのおほんいそぎを、よそのこととはききすぐさん、とおぼして、かたのごとなんしいでたまうける。 |
29 | 3.3.3 | 215 | 186 |
あはれなる御心ざしなりかし。青鈍の細長一襲、落栗とかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、紫のしらきり見ゆる霰地の御小袿と、よき衣筥に入れて、包いとうるはしうて、たてまつれたまへり。 |
あはれなるみこころざしなりかし。あをにびのほそながひとかさね、おちぐりとかや、なにとかや、むかしのひとのめでたうしけるあはせのはかまいちぐ、むらさきのしらきりみゆるあられぢのおほんこうちきと、よきころもばこにいれて、つつみいとうるはしうて、たてまつれたまへり。 |
29 | 3.3.4 | 216 | 187 |
御文には、 |
おほんふみには、 |
29 | 3.3.5 | 217 | 188 |
「知らせたまふべき数にもはべらねば、つつましけれど、かかる折は思たまへ忍びがたくなむ。これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」 |
"しらせたまふべきかずにもはべらねば、つつましけれど、かかるをりはおもたまへしのびがたくなん。これ、いとあやしけれど、ひとにもたまはせよ。" |
29 | 3.3.6 | 218 | 189 |
と、おいらかなり。殿、御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。 |
と、おいらかなり。との、ごらんじつけて、いとあさましう、れいの、とおぼすに、おほんかほあかみぬ。 |
29 | 3.3.7 | 219 | 190 |
「あやしき古人にこそあれ。かくものづつみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそよけれ。さすがに恥ぢがましや」とて、「返りことはつかはせ。はしたなく思ひなむ。父親王の、いとかなしうしたまひける、思ひ出づれば、人に落さむはいと心苦しき人なり」 |
"あやしきふるびとにこそあれ。かくものづつみしたるひとは、ひきいりしづみいりたるこそよけれ。さすがにはぢがましや。"とて、"かへりことはつかはせ。はしたなくおもひなん。ちちみこの、いとかなしうしたまひける、おもひいづれば、ひとにおとさんはいとこころぐるしきひとなり。" |
29 | 3.3.8 | 220 | 191 |
と聞こえたまふ。御小袿の袂に、例の、同じ筋の歌ありけり。 |
ときこえたまふ。おほんこうちきのたもとに、れいの、おなじすぢのうたありけり。 |
29 | 3.3.9 | 221 | 192 |
「わが身こそ恨みられけれ唐衣<BR/>君が袂に馴れずと思へば」 |
"〔わがみこそうらみられけれからごろも<BR/>きみがたもとになれずとおもへば〕 |
29 | 3.3.10 | 222 | 193 |
御手は、昔だにありしを、いとわりなうしじかみ、彫深う、強う、堅う書きたまへり。大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じたまはで、 |
おほんては、むかしだにありしを、いとわりなうしじかみ、ゑりふかう、つよう、かたうかきたまへり。おとど、にくきものの、をかしさをばえねんじたまはで、 |
29 | 3.3.11 | 223 | 194 |
「この歌詠みつらむほどこそ。まして今は力なくて、所狭かりけむ」 |
"このうたよみつらんほどこそ。ましていまはちからなくて、ところせかりけん。" |
29 | 3.3.12 | 224 | 195 |
と、いとほしがりたまふ。 |
と、いとほしがりたまふ。 |
29 | 3.3.13 | 225 | 196 |
「いで、この返りこと、騒がしうとも、われせむ」 |
"いで、このかへりこと、さわがしうとも、われせん。" |
29 | 3.3.14 | 226 | 197 |
とのたまひて、 |
とのたまひて、 |
29 | 3.3.15 | 227 | 198 |
「あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」 |
"あやしう、ひとのおもひよるまじきみこころばへこそ、あらでもありぬべけれ。" |
29 | 3.3.16 | 228 | 199 |
と、憎さに書きたまうて、 |
と、にくさにかきたまうて、 |
29 | 3.3.17 | 229 | 200 |
「唐衣また唐衣唐衣<BR/>かへすがへすも唐衣なる」 |
"〔からごろもまたからごろもからごろも<BR/>かへすがへすもからごろもなる〕 |
29 | 3.3.18 | 230 | 201 |
とて、 |
とて、 |
29 | 3.3.19 | 231 | 202 |
「いとまめやかに、かの人の立てて好む筋なれば、ものしてはべるなり」 |
"いとまめやかに、かのひとのたててこのむすぢなれば、ものしてはべるなり。" |
29 | 3.3.20 | 232 | 203 |
とて、見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、 |
とて、みせたてまつりたまへば、きみ、いとにほひやかにわらひたまひて、 |
29 | 3.3.21 | 233 | 204 |
「あな、いとほし。弄じたるやうにもはべるかな」 |
"あな、いとほし。ろうじたるやうにもはべるかな。" |
29 | 3.3.22 | 234 | 205 |
と、苦しがりたまふ。ようなしごといと多かりや。 |
と、くるしがりたまふ。ようなしごといとおほかりや。 |
29 | 3.4 | 235 | 206 | 第四段 内大臣、腰結に役を勤める |
29 | 3.4.1 | 236 | 207 |
内大臣は、さしも急がれたまふまじき御心なれど、めづらかに聞きたまうし後は、いつしかと御心にかかりたれば、疾く参りたまへり。 |
うちのおとどは、さしもいそがれたまふまじきみこころなれど、めづらかにききたまうしのちは、いつしかとみこころにかかりたれば、とくまゐりたまへり。 |
29 | 3.4.2 | 237 | 208 |
儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。「げにわざと御心とどめたまうけること」と見たまふも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる。 |
ぎしきなど、あべいかぎりにまたすぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。"げにわざとみこころとどめたまうけること。"とみたまふも、かたじけなきものから、やうかはりておぼさる。 |
29 | 3.4.3 | 238 | 209 |
亥の時にて、入れたてまつりたまふ。例の御まうけをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせたまうて、御肴参らせたまふ。御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。 |
ゐのときにて、いれたてまつりたまふ。れいのおほんまうけをばさるものにて、うちのおましいとになくしつらはせたまうて、みさかなまゐらせたまふ。おほんとのあぶら、れいのかかるところよりは、すこしひかりみせて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。 |
29 | 3.4.4 | 239 | 210 |
いみじうゆかしう思ひきこえたまへど、今宵はいとゆくりかなべければ、引き結びたまふほど、え忍びたまはぬけしきなり。 |
いみじうゆかしうおもひきこえたまへど、こよひはいとゆくりかなべければ、ひきむすびたまふほど、えしのびたまはぬけしきなり。 |
29 | 3.4.5 | 240 | 211 |
主人の大臣、 |
あるじのおとど、 |
29 | 3.4.6 | 241 | 212 |
「今宵は、いにしへざまのことはかけはべらねば、何のあやめも分かせたまふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」 |
"こよひは、いにしへざまのことはかけはべらねば、なにのあやめもわかせたまふまじくなん。こころしらぬひとめをかざりて、なほよのつねのさほふに。" |
29 | 3.4.7 | 242 | 213 |
と聞こえたまふ。 |
ときこえたまふ。 |
29 | 3.4.8 | 243 | 214 |
「げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ」 |
"げに、さらにきこえさせやるべきかたはべらずなん。" |
29 | 3.4.9 | 244 | 215 |
御土器参るほどに、 |
おほんかはらけまゐるほどに、 |
29 | 3.4.10 | 245 | 216 |
「限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」 |
"かぎりなきかしこまりをば、よにためしなきことときこえさせながら、いままでかくしのびこめさせたまひけるうらみも、いかがそへはべらざらん。" |
29 | 3.4.11 | 246 | 217 |
と聞こえたまふ。 |
ときこえたまふ。 |
29 | 3.4.12 | 247 | 218 |
「恨めしや沖つ玉藻をかづくまで<BR/>磯がくれける海人の心よ」 |
"〔うらめしやおきつたまもをかづくまで<BR/>いそがくれけるあまのこころよ〕 |
29 | 3.4.13 | 248 | 219 |
とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。姫君は、いと恥づかしき御さまどものさし集ひ、つつましさに、え聞こえたまはねば、殿、 |
とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。ひめぎみは、いとはづかしきおほんさまどものさしつどひ、つつましさに、えきこえたまはねば、との、 |
29 | 3.4.14 | 249 | 220 |
「よるべなみかかる渚にうち寄せて<BR/>海人も尋ねぬ藻屑とぞ見し |
"〔よるべなみかかるなぎさにうちよせて<BR/>あまもたづねぬもくずとぞみし |
29 | 3.4.15 | 250 | 221 |
いとわりなき御うちつけごとになむ」 |
いとわりなきおほんうちつけごとになん。" |
29 | 3.4.16 | 251 | 222 |
と聞こえたまへば、 |
ときこえたまへば、 |
29 | 3.4.17 | 252 | 223 |
「いとことわりになむ」 |
"いとことわりになん。" |
29 | 3.4.18 | 253 | 224 |
と、聞こえやる方なくて、出でたまひぬ。 |
と、きこえやるかたなくて、いでたまひぬ。 |
29 | 3.5 | 254 | 225 | 第五段 祝賀者、多数参上 |
29 | 3.5.1 | 255 | 226 |
親王たち、次々、人びと残るなく集ひたまへり。御懸想人もあまた混じりたまへれば、この大臣、かく入りおはしてほど経るを、いかなることにかと疑ひたまへり。 |
みこたち、つぎつぎ、ひとびとのこるなくつどひたまへり。おほんけさうびともあまたまじりたまへれば、このおとど、かくいりおはしてほどふるを、いかなることにかとうたがひたまへり。 |
29 | 3.5.2 | 256 | 227 |
かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞ、ほの知りたまへりける。人知れず思ひしことを、からうも、うれしうも思ひなりたまふ。弁は、 |
かのとののきんだち、ちゅうじゃう、べんのきみばかりぞ、ほのしりたまへりける。ひとしれずおもひしことを、からうも、うれしうもおもひなりたまふ。べんは、 |
29 | 3.5.3 | 257 | 228 |
「よくぞうち出でざりける」とささめきて、「さま異なる大臣の御好みどもなめり。中宮の御類ひに仕立てたまはむとや思すらむ」 |
"よくぞうちいでざりける。"とささめきて、"さまことなるおとどのおほんこのみどもなめり。ちゅうぐうのおほんたぐひにしたてたまはんとやおぼすらん。" |
29 | 3.5.4 | 258 | 229 |
など、おのおの言ふよしを聞きたまへど、 |
など、おのおのいふよしをききたまへど、 |
29 | 3.5.5 | 259 | 230 |
「なほ、しばしは御心づかひしたまうて、世にそしりなきさまにもてなさせたまへ。何ごとも、心やすきほどの人こそ、乱りがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、さまざま人の聞こえ悩まさむ、ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやう人目をも馴らすなむ、よきことにははべるべき」 |
"なほ、しばしはみこころづかひしたまうて、よにそしりなきさまにもてなさせたまへ。なにごとも、こころやすきほどのひとこそ、みだりがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、さまざまひとのきこえなやまさん、ただならんよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやうひとめをもならすなん、よきことにははべるべき。" |
29 | 3.5.6 | 260 | 231 |
と申したまへば、 |
とまうしたまへば、 |
29 | 3.5.7 | 261 | 232 |
「ただ御もてなしになむ従ひはべるべき。かうまで御覧ぜられ、ありがたき御育みに隠ろへはべりけるも、前の世の契りおろかならじ」 |
"ただおほんもてなしになんしたがひはべるべき。かうまでごらんぜられ、ありがたきおほんはぐくみにかくろへはべりけるも、さきのよのちぎりおろかならじ。" |
29 | 3.5.8 | 262 | 233 |
と申したまふ。 |
とまうしたまふ。 |
29 | 3.5.9 | 263 | 234 |
御贈物など、さらにもいはず、すべて引出物、禄ども、品々につけて、例あること限りあれど、またこと加へ、二なくせさせたまへり。大宮の御悩みにことづけたまうし名残もあれば、ことことしき御遊びなどはなし。 |
おほんおくりものなど、さらにもいはず、すべてひきいでもの、ろくども、しなじなにつけて、れいあることかぎりあれど、またことくはへ、になくせさせたまへり。おほみやのおほんなやみにことづけたまうしなごりもあれば、ことことしきおほんあそびなどはなし。 |
29 | 3.5.10 | 264 | 235 |
兵部卿宮、 |
ひゃうぶきゃうのみや、 |
29 | 3.5.11 | 265 | 236 |
「今はことづけやりたまふべき滞りもなきを」 |
"いまはことづけやりたまふべきとどこほりもなきを。" |
29 | 3.5.12 | 266 | 237 |
と、おりたち聞こえたまへど、 |
と、おりたちきこえたまへど、 |
29 | 3.5.13 | 267 | 238 |
「内裏より御けしきあること、かへさひ奏し、またまた仰せ言に従ひてなむ、異ざまのことは、ともかくも思ひ定むべき」 |
"うちよりみけしきあること、かへさひそうし、またまたおほせごとにしたがひてなん、ことざまのことは、ともかくもおもひさだむべき。" |
29 | 3.5.14 | 268 | 239 |
とぞ聞こえさせたまひける。 |
とぞきこえさせたまひける。 |
29 | 3.5.15 | 269 | 240 |
父大臣は、 |
ちちおとどは、 |
29 | 3.5.16 | 270 | 241 |
「ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む。なまかたほなること見えたまはば、かうまでことことしうもてなし思さじ」 |
"ほのかなりしさまを、いかでさやかにまたみん。なまかたほなることみえたまはば、かうまでことことしうもてなしおぼさじ。" |
29 | 3.5.17 | 271 | 242 |
など、なかなか心もとなう恋しう思ひきこえたまふ。 |
など、なかなかこころもとなうこひしうおもひきこえたまふ。 |
29 | 3.5.18 | 272 | 243 |
今ぞ、かの御夢も、まことに思しあはせける。女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり。 |
いまぞ、かのおほんゆめも、まことにおぼしあはせける。にょうごばかりには、さだかなることのさまをきこえたまうけり。 |
29 | 3.6 | 273 | 244 | 第六段 近江の君、玉鬘を羨む |
29 | 3.6.1 | 274 | 245 |
世の人聞きに、「しばしこのこと出ださじ」と、切に籠めたまへど、口さがなきものは世の人なりけり。自然に言ひ漏らしつつ、やうやう聞こえ出で来るを、かのさがな者の君聞きて、女御の御前に、中将、少将さぶらひたまふに出で来て、 |
よのひとぎきに、"しばしこのこといださじ。"と、せちにこめたまへど、くちさがなきものはよのひとなりけり。じねんにいひもらしつつ、やうやうきこえいでくるを、かのさがなもののきみききて、にょうごのおまへに、ちゅうじゃう、せうしゃうさぶらひたまふにいできて、 |
29 | 3.6.2 | 275 | 246 |
「殿は、御女まうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなる人、二方にもてなさるらむ。聞けば、かれも劣り腹なり」 |
"とのは、おほんむすめまうけたまふべかなり。あな、めでたや。いかなるひと、ふたかたにもてなさるらん。きけば、かれもおとりばらなり。" |
29 | 3.6.3 | 276 | 247 |
と、あふなげにのたまへば、女御、かたはらいたしと思して、ものものたまはず。中将、 |
と、あふなげにのたまへば、にょうご、かたはらいたしとおぼして、ものものたまはず。ちゅうじゃう、 |
29 | 3.6.4 | 277 | 248 |
「しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、誰が言ひしことを、かくゆくりなくうち出でたまふぞ。もの言ひただならぬ女房などこそ、耳とどむれ」 |
"しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。さても、たがいひしことを、かくゆくりなくうちいでたまふぞ。ものいひただならぬにょうばうなどこそ、みみとどむれ。" |
29 | 3.6.5 | 278 | 249 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
29 | 3.6.6 | 279 | 250 |
「あなかま。皆聞きてはべり。尚侍になるべかなり。宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことは、さやうの御かへりみもやとてこそ、なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。御前のつらくおはしますなり」 |
"あなかま。みなききてはべり。ないしのかみになるべかなり。みやづかへにといそぎいでたちはべりしことは、さやうのおほんかへりみもやとてこそ、なべてのにょうばうたちだにつかうまつらぬことまで、おりたちつかうまつれ。おまへのつらくおはしますなり。" |
29 | 3.6.7 | 280 | 251 |
と、恨みかくれば、皆ほほ笑みて、 |
と、うらみかくれば、みなほほゑみて、 |
29 | 3.6.8 | 281 | 252 |
「尚侍あかば、なにがしこそ望まむと思ふを、非道にも思しかけけるかな」 |
"ないしのかみあかば、なにがしこそのぞまんとおもふを、ひだうにもおぼしかけけるかな。" |
29 | 3.6.9 | 282 | 253 |
などのたまふに、腹立ちて、 |
などのたまふに、はらだちて、 |
29 | 3.6.10 | 283 | 254 |
「めでたき御仲に、数ならぬ人は、混じるまじかりけり。中将の君ぞつらくおはする。さかしらに迎へたまひて、軽めあざけりたまふ。せうせうの人は、え立てるまじき殿の内かな。あな、かしこ。あな、かしこ」 |
"めでたきおほんなかに、かずならぬひとは、まじるまじかりけり。ちゅうじゃうのきみぞつらくおはする。さかしらにむかへたまひて、かろめあざけりたまふ。せうせうのひとは、えたてるまじきとののうちかな。あな、かしこ。あな、かしこ。" |
29 | 3.6.11 | 284 | 255 |
と、後へざまにゐざり退きて、見おこせたまふ。憎げもなけれど、いと腹悪しげに目尻引き上げたり。 |
と、しりへざまにゐざりしぞきて、みおこせたまふ。にくげもなけれど、いとはらあしげにまじりひきあげたり。 |
29 | 3.6.12 | 285 | 256 |
中将は、かく言ふにつけても、「げにし過ちたること」と思へば、まめやかにてものしたまふ。少将は、 |
ちゅうじゃうは、かくいふにつけても、"げにしあやまちたること。"とおもへば、まめやかにてものしたまふ。せうしゃうは、 |
29 | 3.6.13 | 286 | 257 |
「かかる方にても、類ひなき御ありさまを、おろかにはよも思さじ。御心しづめたまうてこそ。堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば、いとよう思ひかなひたまふ時もありなむ」 |
"かかるかたにても、たぐひなきおほんありさまを、おろかにはよもおぼさじ。みこころしづめたまうてこそ。かたきいはほもあわゆきになしたまうつべきおほんけしきなれば、いとようおもひかなひたまふときもありなん。" |
29 | 3.6.14 | 287 | 258 |
と、ほほ笑みて言ひゐたまへり。中将も、 |
と、ほほゑみていひゐたまへり。ちゅうじゃうも、 |
29 | 3.6.15 | 288 | 259 |
「天の岩門鎖し籠もりたまひなむや、めやすく」 |
"あまのいはとさしこもりたまひなんや、めやすく。" |
29 | 3.6.16 | 289 | 260 |
とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、 |
とて、たちぬれば、ほろほろとなきて、 |
29 | 3.6.17 | 290 | 261 |
「この君達さへ、皆すげなくしたまふに、ただ御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」 |
"このきみたちさへ、みなすげなくしたまふに、ただおまへのみこころのあはれにおはしませば、さぶらふなり。" |
29 | 3.6.18 | 291 | 262 |
とて、いとかやすく、いそしく、下臈童女などの仕うまつりたらぬ雑役をも、立ち走り、やすく惑ひありきつつ、心ざしを尽くして宮仕へしありきて、 |
とて、いとかやすく、いそしく、げらふわらはべなどのつかうまつりたらぬざふやくをも、たちはしり、やすくまどひありきつつ、こころざしをつくしてみやづかへしありきて、 |
29 | 3.6.19 | 292 | 263 |
「尚侍に、おれを、申しなしたまへ」 |
"ないしのかみに、おれを、まうしなしたまへ。" |
29 | 3.6.20 | 293 | 264 |
と責めきこゆれば、あさましう、「いかに思ひて言ふことならむ」と思すに、ものも言はれたまはず。 |
とせめきこゆれば、あさましう、"いかにおもひていふことならん。"とおぼすに、ものもいはれたまはず。 |
29 | 3.7 | 294 | 265 | 第七段 内大臣、近江の君を愚弄 |
29 | 3.7.1 | 295 | 266 |
大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、 |
おとど、こののぞみをききたまひて、いとはなやかにうちわらひたまひて、にょうごのおほんかたにまゐりたまへるついでに、 |
29 | 3.7.2 | 296 | 267 |
「いづら、この、近江の君。こなたに」 |
"いづら、この、あふみのきみ。こなたに。" |
29 | 3.7.3 | 297 | 268 |
と召せば、 |
とめせば、 |
29 | 3.7.4 | 298 | 269 |
「を」 |
"を。" |
29 | 3.7.5 | 299 | 270 |
と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。 |
と、いとけざやかにきこえて、いできたり。 |
29 | 3.7.6 | 300 | 271 |
「いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」 |
"いと、つかへたるおほんけはひ、おほやけびとにて、げにいかにあひたらん。ないしのかみのことは、などか、おのれにとくはものせざりし。" |
29 | 3.7.7 | 301 | 272 |
と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、 |
と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしとおもひて、 |
29 | 3.7.8 | 302 | 273 |
「さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせたまひてむと、頼みふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに聞きたまふれば、夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる」 |
"さも、みけしきたまはらまほしうはべりしかど、このにょうごどのなど、おのづからつたへきこえさせたまひてんと、たのみふくれてなんさぶらひつるを、なるべきひとものしたまふやうにききたまふれば、ゆめにとみしたるここちしはべりてなん、むねにてをおきたるやうにはべる。" |
29 | 3.7.9 | 303 | 274 |
と申したまふ。舌ぶりいとものさはやかなり。笑みたまひぬべきを念じて、 |
とまうしたまふ。したぶりいとものさはやかなり。ゑみたまひぬべきをねんじて、 |
29 | 3.7.10 | 304 | 275 |
「いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。さも思しのたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こし召さぬやうあらざらまし。今にても、申し文を取り作りて、びびしう書き出だされよ。長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」 |
"いとあやしう、おぼつかなきおほんくせなりや。さもおぼしのたまはましかば、まづひとのさきにそうしてまし。おほきおとどのおほんむすめ、やんごとなくとも、ここにせちにまうさんことは、きこしめさぬやうあらざらまし。いまにても、まうしぶみをとりつくりて、びびしうかきいだされよ。ながうたなどのこころばへあらんをごらんぜんには、すてさせたまはじ。うへは、そのうちになさけすてずおはしませば。" |
29 | 3.7.11 | 305 | 276 |
など、いとようすかしたまふ。人の親げなく、かたはなりや。 |
など、いとようすかしたまふ。ひとのおやげなく、かたはなりや。 |
29 | 3.7.12 | 306 | 277 |
「大和歌は、悪し悪しも続けはべりなむ。むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」 |
"やまとうたは、あしあしもつづけはべりなん。むねむねしきかたのことはた、とのよりまうさせたまはば、つまごゑのやうにて、おほんとくをもかうぶりはべらん。" |
29 | 3.7.13 | 307 | 278 |
とて、手を押しすりて聞こえゐたり。御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。殿も、 |
とて、てをおしすりてきこえゐたり。みきちゃうのうしろなどにてきくにょうばう、しぬべくおぼゆ。ものわらひにたへぬは、すべりいでてなん、なぐさめける。にょうごもおほんおもてあかみて、わりなうみぐるしとおぼしたり。とのも、 |
29 | 3.7.14 | 308 | 279 |
「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」 |
"ものむつかしきをりは、あふみのきみみるこそ、よろづまぎるれ。" |
29 | 3.7.15 | 309 | 280 |
とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、 |
とて、ただわらひぐさにつくりたまへど、よひとは、 |
29 | 3.7.16 | 310 | 281 |
「恥ぢがてら、はしたなめたまふ」 |
"はぢがてら、はしたなめたまふ。" |
29 | 3.7.17 | 311 | 282 |
など、さまざま言ひけり。 |
など、さまざまいひけり。 |