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32梅枝
3216538第一章 光る源氏の物語 薫物合せ
321.16639第一段 六条院の薫物合せの準備
321.1.16740 御裳着(おほんもぎ)のこと、(おぼ)しいそぐ御心(みこころ)おきて、()(つね)ならず。春宮(とうぐう)(おな)二月(きさらぎ)に、(おほん)かうぶりのことあるべければ、やがて御参(おほんまゐ)りもうち(つづ)くべきにや。 おほんもぎのこと、おぼしいそぐみこころおきて、つねならず。とうぐうおなきさらぎに、おほんかうぶりのことあるべければ、やがておほんまゐりもうちつづくべきにや。
321.1.26841 正月(しゃうがつ)晦日(つごもり)なれば、公私(おほやけわたくし)のどやかなるころほひに、薫物合(たきものあ)はせたまふ。大弐(だいに)(たてまつ)れる(かう)ども御覧(ごらん)ずるに、「なほ、いにしへのには(おと)りてやあらむ」と(おぼ)して、二条院(にでうのゐん)御倉開(みくらあ)けさせたまひて、(から)(もの)ども()(わた)させたまひて、御覧(ごらん)(くら)ぶるに、 しゃうがつつごもりなれば、おほやけわたくしのどやかなるころほひに、たきものあはせたまふ。だいにたてまつれるかうどもごらんずるに、"なほ、いにしへのにはおとりてやあらん。"とおぼして、にでうのゐんみくらあけさせたまひて、からものどもわたさせたまひて、ごらんくらぶるに、
321.1.36942 (にしき)(あや)なども、なほ(ふる)きものこそなつかしうこまやかにはありけれ」 "にしきあやなども、なほふるきものこそなつかしうこまやかにはありけれ。"
321.1.47043 とて、(ちか)(おほん)しつらひの、(もの)(おほ)ひ、敷物(しきもの)(しとね)などの(はし)どもに、故院(こゐん)御世(みよ)(はじ)めつ(かた)高麗人(こまうど)のたてまつれりける(あや)緋金錦(ひごんき)どもなど、(いま)()のものに()ず、なほさまざま御覧(ごらん)じあてつつせさせたまひて、このたびの(あや)(うすもの)などは、(ひと)びとに(たま)はす。 とて、ちかおほんしつらひの、ものおほひ、しきものしとねなどのはしどもに、こゐんみよはじめつかたこまうどのたてまつれりけるあやひごんきどもなど、いまのものにず、なほさまざまごらんじあてつつせさせたまひて、このたびのあやうすものなどは、ひとびとにたまはす。
321.1.57144 (かう)どもは、昔今(むかしいま)の、()(なら)べさせたまひて、御方々(おほんかたがた)(くば)りたてまつらせたまふ。 かうどもは、むかしいまの、ならべさせたまひて、おほんかたがたくばりたてまつらせたまふ。
321.1.67245 二種(ふたくさ)づつ()はせさせたまへ」 "ふたくさづつはせさせたまへ。"
321.1.77346 と、()こえさせたまへり。(おく)(もの)上達部(かんだちめ)(ろく)など、()になきさまに、(うち)にも()にも、ことしげくいとなみたまふに()へて、方々(かたがた)()りととのへて、鉄臼(かなうす)音耳(おとみみ)かしかましきころなり。 と、こえさせたまへり。おくものかんだちめろくなど、になきさまに、うちにもにも、ことしげくいとなみたまふにへて、かたがたりととのへて、かなうすおとみみかしかましきころなり。
321.1.87447 大臣(おとど)は、寝殿(しんでん)(はな)れおはしまして、承和(じょうわ)(おほん)いましめの(ふた)つの(はう)を、いかでか御耳(おほんみみ)には(つた)へたまひけむ、(こころ)にしめて()はせたまふ。 おとどは、しんでんはなれおはしまして、じょうわおほんいましめのふたつのはうを、いかでかおほんみみにはつたへたまひけん、こころにしめてはせたまふ。
321.1.97548 (うへ)は、(ひんがし)(なか)放出(はなちいで)に、(おほん)しつらひことに(ふか)うしなさせたまひて、八条(はちでう)式部卿(しきぶきゃう)御方(おほんはう)(つた)へて、かたみに(いど)()はせたまふほど、いみじう()したまへば、 うへは、ひんがしなかはなちいでに、おほんしつらひことにふかうしなさせたまひて、はちでうしきぶきゃうおほんはうつたへて、かたみにいどはせたまふほど、いみじうしたまへば、
321.1.107649 (にほ)ひの(ふか)(あさ)さも、()()けの(さだ)めあるべし」 "にほひのふかあささも、けのさだめあるべし。"
321.1.117750 大臣(おとど)のたまふ。(ひと)御親(おほんおや)げなき(おほん)あらそひ(ごころ)なり。 おとどのたまふ。ひとおほんおやげなきおほんあらそひごころなり。
321.1.127851 いづ(かた)にも、御前(おまへ)にさぶらふ(ひと)あまたならず。御調度(おほんてうど)どもも、そこらのきよらを()くしたまへるなかにも、香壺(かうご)御筥(おほんはこ)どものやう、(つぼ)姿(すがた)火取(ひと)りの(こころ)ばへも、目馴(めな)れぬさまに、(いま)めかしう、やう()へさせたまへるに、所々(ところどころ)(こころ)()くしたまへらむ(にほ)ひどもの、すぐれたらむどもを、かぎあはせて()れむと(おぼ)すなりけり。 いづかたにも、おまへにさぶらふひとあまたならず。おほんてうどどもも、そこらのきよらをくしたまへるなかにも、かうごおほんはこどものやう、つぼすがたひとりのこころばへも、めなれぬさまに、いまめかしう、やうへさせたまへるに、ところどころこころくしたまへらんにほひどもの、すぐれたらんどもを、かぎあはせてれんとおぼすなりけり。
321.27952第二段 二月十日、薫物合せ
321.2.18053 二月(きさらぎ)十日(とをか)(あめ)すこし()りて、御前近(おまへちか)紅梅盛(こうばいさか)りに、(いろ)()()るものなきほどに、兵部卿宮渡(ひゃうぶきゃうのみやわた)りたまへり。(おほん)いそぎの今日明日(けふあす)になりにけることども、(とぶ)らひきこえたまふ。(むかし)より()()きたる御仲(おほんなか)なれば、(へだ)てなく、そのことかのこと、と()こえあはせたまひて、(はな)をめでつつおはするほどに、前斎院(さきのさいゐん)よりとて、()りすきたる(むめ)(えだ)につけたる御文持(おほんふみも)(まゐ)れり。(みや)()こしめすこともあれば、 きさらぎとをかあめすこしりて、おまへちかこうばいさかりに、いろるものなきほどに、ひゃうぶきゃうのみやわたりたまへり。おほんいそぎのけふあすになりにけることども、とぶらひきこえたまふ。むかしよりきたるおほんなかなれば、へだてなく、そのことかのこと、とこえあはせたまひて、はなをめでつつおはするほどに、さきのさいゐんよりとて、りすきたるむめえだにつけたるおほんふみもまゐれり。みやこしめすこともあれば、
321.2.28155 「いかなる御消息(おほんせうそこ)のすすみ(まゐ)れるにか」 "いかなるおほんせうそこのすすみまゐれるにか。"
321.2.38256 とて、をかしと(おぼ)したれば、ほほ()みて、 とて、をかしとおぼしたれば、ほほみて、
321.2.48357 「いと()()れしきこと()こえつけたりしを、まめやかに(いそ)ぎものしたまへるなめり」 "いとれしきことこえつけたりしを、まめやかにいそぎものしたまへるなめり。"
321.2.58458 とて、御文(おほんふみ)()(かく)したまひつ。 とて、おほんふみかくしたまひつ。
321.2.68559 (ぢん)(はこ)に、瑠璃(るり)坏二(つきふた)()ゑて、(おほ)きにまろがしつつ()れたまへり。心葉(こころば)紺瑠璃(こんるり)には五葉(ごえふ)(えだ)(しろ)きには(むめ)()りて、(おな)じくひき(むす)びたる(いと)のさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。 ぢんはこに、るりつきふたゑて、おほきにまろがしつつれたまへり。こころばこんるりにはごえふえだしろきにはむめりて、おなじくひきむすびたるいとのさまも、なよびやかになまめかしうぞしたまへる。
321.2.78660 (えん)あるもののさまかな」 "えんあるもののさまかな。"
321.2.88761 とて、御目止(おほんめと)めたまへるに、 とて、おほんめとめたまへるに、
321.2.98862 (はな)()()りにし(えだ)にとまらねど<BR/>うつらむ(そで)(あさ)くしまめや」 "〔はなりにしえだにとまらねど<BR/>うつらんそであさくしまめや〕
321.2.108963 ほのかなるを御覧(ごらん)じつけて、(みや)はことことしう()じたまふ。 ほのかなるをごらんじつけて、みやはことことしうじたまふ。
321.2.119064 宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)御使尋(おほんつかひたづ)ねとどめさせたまひて、いたう()はしたまふ。紅梅襲(こうばいがさね)(から)細長添(ほそながそ)へたる(をんな)装束(さうぞく)かづけたまふ。御返(おほんかへ)りもその(いろ)(かみ)にて、御前(おまへ)(はな)()らせてつけさせたまふ。 さいしゃうのちゅうじゃうおほんつかひたづねとどめさせたまひて、いたうはしたまふ。こうばいがさねからほそながそへたるをんなさうぞくかづけたまふ。おほんかへりもそのいろかみにて、おまへはならせてつけさせたまふ。
321.2.129165 (みや) みや
321.2.139266 「うちのこと(おも)ひやらるる御文(おほんふみ)かな。(なに)ごとの(かく)ろへあるにか、(ふか)(かく)したまふ」 "うちのことおもひやらるるおほんふみかな。なにごとのかくろへあるにか、ふかかくしたまふ。"
321.2.149367 (うら)みて、いとゆかしと(おぼ)したり。 うらみて、いとゆかしとおぼしたり。
321.2.159468 (なに)ごとかはべらむ。隈々(くまぐま)しく(おぼ)したるこそ、(くる)しけれ」 "なにごとかはべらん。くまぐましくおぼしたるこそ、くるしけれ。"
321.2.169569 とて、御硯(おほんすずり)のついでに、 とて、おほんすずりのついでに、
321.2.179670 (はな)()にいとど(こころ)をしむるかな<BR/>(ひと)のとがめむ()をばつつめど」 "〔はなにいとどこころをしむるかな<BR/>ひとのとがめんをばつつめど〕
321.2.189771 とやありつらむ。 とやありつらん。
321.2.199872 「まめやかには、()()きしきやうなれど、またもなかめる(ひと)(うへ)にて、これこそはことわりのいとなみなめれと、(おも)ひたまへなしてなむ。いと(みにく)ければ、(うと)(ひと)はかたはらいたさに、中宮(ちゅうぐう)まかでさせたてまつりてと(おも)ひたまふる。(した)しきほどに()れきこえかよへど、()づかしきところの(ふか)うおはする(みや)なれば、(なに)ごとも()(つね)にて()せたてまつらむ、かたじけなくてなむ」 "まめやかには、きしきやうなれど、またもなかめるひとうへにて、これこそはことわりのいとなみなめれと、おもひたまへなしてなん。いとみにくければ、うとひとはかたはらいたさに、ちゅうぐうまかでさせたてまつりてとおもひたまふる。したしきほどにれきこえかよへど、づかしきところのふかうおはするみやなれば、なにごともつねにてせたてまつらん、かたじけなくてなん。"
321.2.209973 など、()こえたまふ。 など、こえたまふ。
321.2.2110074 「あえものも、げに、かならず(おぼ)()るべきことなりけり」 "あえものも、げに、かならずおぼるべきことなりけり。"
321.2.2210175 と、ことわり(まう)したまふ。 と、ことわりまうしたまふ。
321.310276第三段 御方々の薫物
321.3.110377 このついでに、御方々(おほんかたがた)()はせたまふども、おのおの御使(おほんつかひ)して、 このついでに、おほんかたがたはせたまふども、おのおのおほんつかひして、
321.3.210478 「この夕暮(ゆふぐ)れのしめりにこころみむ」 "このゆふぐれのしめりにこころみん。"
321.3.310579 ()こえたまへれば、さまざまをかしうしなして(たてまつ)りたまへり。 こえたまへれば、さまざまをかしうしなしてたてまつりたまへり。
321.3.410680 「これ()かせたまへ。()れにか()せむ」 "これかせたまへ。れにかせん。"
321.3.510781 ()こえたまひて、御火取(おほんひと)りども()して、こころみさせたまふ。 こえたまひて、おほんひとりどもして、こころみさせたまふ。
321.3.610882 ()(ひと)にもあらずや」 "ひとにもあらずや。"
321.3.710983 卑下(ひげ)したまへど、()()らぬ(にほ)ひどもの、(すす)(おく)れたる香一種(かうひとくさ)などが、いささかの(とが)()きて、あながちに(おと)りまさりのけぢめをおきたまふ。かのわが御二種(おほんふたくさ)のは、(いま)()()させたまふ。 ひげしたまへど、らぬにほひどもの、すすおくれたるかうひとくさなどが、いささかのとがきて、あながちにおとりまさりのけぢめをおきたまふ。かのわがおほんふたくさのは、いまさせたまふ。
321.3.811084 右近(うこん)(ぢん)御溝水(みかはみづ)のほとりになずらへて、西(にし)渡殿(わたどの)(した)より()づる汀近(みぎはちか)(うづ)ませたまへるを、惟光(これみつ)宰相(さいしゃう)()兵衛尉(ひゃうゑのじょう)()りて(まゐ)れり。宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)()りて(つた)(まゐ)らせたまふ。(みや) うこんぢんみかはみづのほとりになずらへて、にしわたどのしたよりづるみぎはちかうづませたまへるを、これみつさいしゃうひゃうゑのじょうりてまゐれり。さいしゃうのちゅうじゃうりてつたまゐらせたまふ。みや
321.3.911185 「いと(くる)しき判者(はんざ)にも()たりてはべるかな。いと(けぶ)たしや」 "いとくるしきはんざにもたりてはべるかな。いとけぶたしや。"
321.3.1011286 と、(なや)みたまふ。(おな)じうこそは、いづくにも()りつつ(ひろ)ごるべかめるを、(ひと)びとの心々(こころごころ)()はせたまへる、(ふか)(あさ)さを、かぎあはせたまへるに、いと(きょう)あること(おほ)かり。 と、なやみたまふ。おなじうこそは、いづくにもりつつひろごるべかめるを、ひとびとのこころごころはせたまへる、ふかあささを、かぎあはせたまへるに、いときょうあることおほかり。
321.3.1111387 さらにいづれともなき(なか)に、斎院(さいゐん)御黒方(おほんくろばう)、さいへども、(こころ)にくくしづやかなる(にほ)ひ、ことなり。侍従(じじゅう)は、大臣(おとど)(おほん)は、すぐれてなまめかしうなつかしき()なりと(さだ)めたまふ。 さらにいづれともなきなかに、さいゐんおほんくろばう、さいへども、こころにくくしづやかなるにほひ、ことなり。じじゅうは、おとどおほんは、すぐれてなまめかしうなつかしきなりとさだめたまふ。
321.3.1211488 (たい)(うへ)(おほん)は、三種(みくさ)ある(なか)に、梅花(ばいか)、はなやかに(いま)めかしう、すこしはやき(こころ)しつらひを()へて、めづらしき(かを)(くは)はれり。 たいうへおほんは、みくさあるなかに、ばいか、はなやかにいまめかしう、すこしはやきこころしつらひをへて、めづらしきかをくははれり。
321.3.1311589 「このころの(かぜ)にたぐへむには、さらにこれにまさる(にほ)ひあらじ」 "このころのかぜにたぐへんには、さらにこれにまさるにほひあらじ。"
321.3.1411690 とめでたまふ。 とめでたまふ。
321.3.1511791 (なつ)御方(おほんかた)には、(ひと)びとの、かう心々(こころごころ)(いど)みたまふなる(なか)に、数々(かずかず)にも()()でずやと、(けぶり)をさへ(おも)()えたまへる御心(おほんこころ)にて、ただ荷葉(かえふ)一種合(ひとくさあ)はせたまへり。さま()はりしめやかなる()して、あはれになつかし。 なつおほんかたには、ひとびとの、かうこころごころいどみたまふなるなかに、かずかずにもでずやと、けぶりをさへおもえたまへるおほんこころにて、ただかえふひとくさあはせたまへり。さまはりしめやかなるして、あはれになつかし。
321.3.1611892 (ふゆ)御方(おほんかた)にも、時々(ときどき)によれる(にほ)ひの(さだ)まれるに()たれむもあいなしと(おぼ)して、薫衣香(くのえかう)(はう)のすぐれたるは、(さき)朱雀院(しゅじゃくゐん)のをうつさせたまひて、公忠朝臣(きんただのあそん)の、ことに(えら)(つか)うまつれりし百歩(ひゃくぶ)(はう)など(おも)()て、()()ずなまめかしさを()(あつ)めたる、(こころ)おきてすぐれたりと、いづれをも無徳(むとく)ならず(さだ)めたまふを、 ふゆおほんかたにも、ときどきによれるにほひのさだまれるにたれんもあいなしとおぼして、くのえかうはうのすぐれたるは、さきしゅじゃくゐんのをうつさせたまひて、きんただのあそんの、ことにえらつかうまつれりしひゃくぶはうなどおもて、ずなまめかしさをあつめたる、こころおきてすぐれたりと、いづれをもむとくならずさだめたまふを、
321.3.1711993 (こころ)ぎたなき判者(はんざ)なめり」 "こころぎたなきはんざなめり。"
321.3.1812094 ()こえたまふ。 こえたまふ。
321.412195第四段 薫物合せ後の饗宴
321.4.112296 (つき)さし()でぬれば、大御酒(おほみき)など(まゐ)りて、(むかし)御物語(おほんものがたり)などしたまふ。(かす)める(つき)影心(かげこころ)にくきを、(あめ)名残(なごり)(かぜ)すこし()きて、(はな)()なつかしきに、御殿(おとど)のあたり()()らず(にほ)()ちて、(ひと)御心地(おほんここち)いと(えん)あり。 つきさしでぬれば、おほみきなどまゐりて、むかしおほんものがたりなどしたまふ。かすめるつきかげこころにくきを、あめなごりかぜすこしきて、はななつかしきに、おとどのあたりらずにほちて、ひとおほんここちいとえんあり。
321.4.212397 蔵人所(くらうどどころ)(かた)にも、明日(あす)御遊(おほんあそ)びのうちならしに、御琴(おほんこと)どもの装束(さうぞく)などして、殿上人(てんじゃうびと)などあまた(まゐ)りて、をかしき(ふゑ)()ども()こゆ。 くらうどどころかたにも、あすおほんあそびのうちならしに、おほんことどものさうぞくなどして、てんじゃうびとなどあまたまゐりて、をかしきふゑどもこゆ。
321.4.312498 (うち)大殿(おほいどの)頭中将(とうのちゅうじゃう)弁少将(べんのせうしゃう)なども、見参(げんざん)ばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、御琴(おほんこと)ども()す。 うちおほいどのとうのちゅうじゃうべんのせうしゃうなども、げんざんばかりにてまかづるを、とどめさせたまひて、おほんことどもす。
321.4.412599 (みや)御前(おまへ)琵琶(びは)大臣(おとど)(さう)御琴参(おほんことまゐ)りて、頭中将(とうのちゅうじゃう)和琴賜(わごんたま)はりて、はなやかに()きたてたるほど、いとおもしろく()こゆ。宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)横笛吹(よこぶえふ)きたまふ。(をり)にあひたる調子(てうし)雲居(くもゐ)とほるばかり()きたてたり。弁少将(べんのせうしゃう)拍子取(ひゃうしと)りて、「(むめ)()()だしたるほど、いとをかし。(わらは)にて、韻塞(ゐんふた)ぎの(をり)、「高砂(たかさご)(うた)ひし(きみ)なり。(みや)大臣(おとど)もさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしき()御遊(おほんあそ)びなり。 みやおまへびはおとどさうおほんことまゐりて、とうのちゅうじゃうわごんたまはりて、はなやかにきたてたるほど、いとおもしろくこゆ。さいしゃうのちゅうじゃうよこぶえふきたまふ。をりにあひたるてうしくもゐとほるばかりきたてたり。べんのせうしゃうひゃうしとりて、〔むめだしたるほど、いとをかし。わらはにて、ゐんふたぎのをり、〔たかさごうたひしきみなり。みやおとどもさしいらへしたまひて、ことことしからぬものから、をかしきおほんあそびなり。
321.4.5126100 御土器参(おほんかはらけまゐ)るに、(みや) おほんかはらけまゐるに、みや
321.4.6127101 (うぐひす)(こゑ)にやいとどあくがれむ<BR/>(こころ)しめつる(はな)のあたりに "〔うぐひすこゑにやいとどあくがれん<BR/>こころしめつるはなのあたりに
321.4.7128102 千代(ちよ)()ぬべし」 ちよぬべし。"
321.4.8129103 ()こえたまへば、 こえたまへば、
321.4.9130104 (いろ)()もうつるばかりにこの(はる)は<BR/>花咲(はなさ)宿(やど)をかれずもあらなむ」 "〔いろもうつるばかりにこのはるは<BR/>はなさやどをかれずもあらなん〕
321.4.10131105 頭中将(とうのちゅうじゃう)(たま)へば、()りて、宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)にさす。 とうのちゅうじゃうたまへば、りて、さいしゃうのちゅうじゃうにさす。
321.4.11132106 (うぐひす)のねぐらの(えだ)もなびくまで<BR/>なほ()きとほせ夜半(よは)笛竹(ふえたけ) "〔うぐひすのねぐらのえだもなびくまで<BR/>なほきとほせよはふえたけ〕"
321.4.12133107 宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう) さいしゃうのちゅうじゃう
321.4.13134108 (こころ)ありて(かぜ)()くめる(はな)()に<BR/>とりあへぬまで()きや()るべき "〔こころありてかぜくめるはなに<BR/>とりあへぬまできやるべき
321.4.14135109 (なさ)けなく」 なさけなく。"
321.4.15136110 と、(みな)うち(わら)ひたまふ。弁少将(べんのせうしゃう) と、みなうちわらひたまふ。べんのせうしゃう
321.4.16137111 (かすみ)だに(つき)(はな)とを(へだ)てずは<BR/>ねぐらの(とり)もほころびなまし」 "〔かすみだにつきはなとをへだてずは<BR/>ねぐらのとりもほころびなまし〕
321.4.17138112 まことに、()(がた)になりてぞ、宮帰(みやかへ)りたまふ。御贈(おほんおく)(もの)に、みづからの御料(ごれう)御直衣(おほんなほし)(おほん)よそひ一領(ひとくだり)手触(てふ)れたまはぬ薫物二壺添(たきものふたつぼそ)へて、御車(おほんくるま)にたてまつらせたまふ。(みや) まことに、がたになりてぞ、みやかへりたまふ。おほんおくものに、みづからのごれうおほんなほしおほんよそひひとくだりてふれたまはぬたきものふたつぼそへて、おほんくるまにたてまつらせたまふ。みや
321.4.18139113 (はな)()をえならぬ(そで)にうつしもて<BR/>ことあやまりと(いも)やとがめむ」 "〔はなをえならぬそでにうつしもて<BR/>ことあやまりといもやとがめん〕
321.4.19140114 とあれば、 とあれば、
321.4.20141115 「いと(くつ)したりや」 "いとくつしたりや。"
321.4.21142116 (わら)ひたまふ。御車(おほんくるま)かくるほどに、()ひて、 わらひたまふ。おほんくるまかくるほどに、ひて、
321.4.22143117 「めづらしと故里人(ふるさとびと)()ちぞ()む<BR/>(はな)(にしき)()(かへ)(きみ) "〔めづらしとふるさとびとちぞん<BR/>はなにしきかへきみ
321.4.23144118 またなきことと(おぼ)さるらむ」 またなきこととおぼさるらん。"
321.4.24145119 とあれば、いといたうからがりたまふ。次々(つぎつぎ)君達(きみたち)にも、ことことしからぬさまに、細長(ほそなが)小袿(こうちき)などかづけたまふ。 とあれば、いといたうからがりたまふ。つぎつぎきみたちにも、ことことしからぬさまに、ほそながこうちきなどかづけたまふ。
322146120第二章 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着
322.1147121第一段 明石の姫君の裳着
322.1.1148122 かくて、西(にし)御殿(おとど)に、(いぬ)(とき)(わた)りたまふ。(みや)のおはします西(にし)放出(はなちいで)をしつらひて、御髪上(みぐしあげ)内侍(ないし)なども、やがてこなたに(まゐ)れり。(うへ)も、このついでに、中宮(ちゅうぐう)御対面(おほんたいめん)あり。御方々(おほんかたがた)女房(にょうばう)()しあはせたる、(かず)しらず()えたり。 かくて、にしおとどに、いぬときわたりたまふ。みやのおはしますにしはなちいでをしつらひて、みぐしあげないしなども、やがてこなたにまゐれり。うへも、このついでに、ちゅうぐうおほんたいめんあり。おほんかたがたにょうばうしあはせたる、かずしらずえたり。
322.1.2149123 ()(とき)御裳(おほんも)たてまつる。大殿油(おほとなぶら)ほのかなれど、(おほん)けはひいとめでたしと、(みや)()たてまつれたまふ。大臣(おとど) ときおほんもたてまつる。おほとなぶらほのかなれど、おほんけはひいとめでたしと、みやたてまつれたまふ。おとど
322.1.3150124 (おぼ)()つまじきを(たの)みにて、なめげなる姿(すがた)を、(すす)御覧(ごらん)ぜられはべるなり。(のち)()のためしにやと、心狭(こころせば)(しの)(おも)ひたまふる」 "おぼつまじきをたのみにて、なめげなるすがたを、すすごらんぜられはべるなり。のちのためしにやと、こころせばしのおもひたまふる。"
322.1.4151125 など()こえたまふ。(みや) などこえたまふ。みや
322.1.5152126 「いかなるべきこととも(おも)うたまへ()きはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになむ、なかなか(こころ)おかれぬべく」 "いかなるべきことともおもうたまへきはべらざりつるを、かうことことしうとりなさせたまふになん、なかなかこころおかれぬべく。"
322.1.6153127 と、のたまひ()つほどの(おほん)けはひ、いと(わか)愛敬(あいぎゃう)づきたるに、大臣(おとど)も、(おぼ)すさまにをかしき(おほん)けはひどもの、さし(つど)ひたまへるを、あはひめでたく(おぼ)さる。母君(ははぎみ)の、かかる(をり)だにえ()たてまつらぬを、いみじと(おも)へりしも心苦(こころぐる)しうて、()(のぼ)らせやせましと(おぼ)せど、(ひと)のもの()ひをつつみて、()ぐしたまひつ。 と、のたまひつほどのおほんけはひ、いとわかあいぎゃうづきたるに、おとども、おぼすさまにをかしきおほんけはひどもの、さしつどひたまへるを、あはひめでたくおぼさる。ははぎみの、かかるをりだにえたてまつらぬを、いみじとおもへりしもこころぐるしうて、のぼらせやせましとおぼせど、ひとのものひをつつみて、ぐしたまひつ。
322.1.7154128 かかる(ところ)儀式(ぎしき)は、よろしきにだに、いとこと(おほ)くうるさきを、片端(かたはし)ばかり、(れい)のしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかに()かず。 かかるところぎしきは、よろしきにだに、いとことおほくうるさきを、かたはしばかり、れいのしどけなくまねばんもなかなかにやとて、こまかにかず。
322.2155129第二段 明石の姫君の入内準備
322.2.1156130 春宮(とうぐう)御元服(おほんげんぷく)は、二十余日(にじふよひ)のほどになむありける。いと大人(おとな)しくおはしませば、(ひと)(むすめ)ども(きほ)(まゐ)らすべきことを、(こころ)ざし(おぼ)すなれど、この殿(との)(おぼ)しきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてや()じらはむと、(ひだり)大臣(おとど)なども、(おぼ)しとどまるなるを()こしめして、 とうぐうおほんげんぷくは、にじふよひのほどになんありける。いとおとなしくおはしませば、ひとむすめどもきほまゐらすべきことを、こころざしおぼすなれど、このとのおぼしきざすさまの、いとことなれば、なかなかにてやじらはんと、ひだりおとどなども、おぼしとどまるなるをこしめして、
322.2.2157131 「いとたいだいしきことなり。宮仕(みやづか)への(すぢ)は、あまたあるなかに、すこしのけぢめを(いど)まむこそ本意(ほい)ならめ。そこらの警策(きゃうざく)姫君(ひめぎみ)たち、()()められなば、()()えあらじ」 "いとたいだいしきことなり。みやづかへのすぢは、あまたあるなかに、すこしのけぢめをいどまんこそほいならめ。そこらのきゃうざくひめぎみたち、められなば、えあらじ。"
322.2.3158132 とのたまひて、御参(おほんまゐ)()びぬ。次々(つぎつぎ)にもとしづめたまひけるを、かかるよし所々(ところどころ)()きたまひて、左大臣殿(さだいじんどの)(さん)君参(きみまゐ)りたまひぬ。麗景殿(れいけいでん)()こゆ。 とのたまひて、おほんまゐびぬ。つぎつぎにもとしづめたまひけるを、かかるよしところどころきたまひて、さだいじんどのさんきみまゐりたまひぬ。れいけいでんこゆ。
322.2.4159133 この御方(おほんかた)は、(むかし)御宿直所(おほんとのゐどころ)淑景舎(しげいさ)(あらた)めしつらひて、御参(おほんまゐ)()びぬるを、(みや)にも(こころ)もとながらせたまへば、四月(うづき)にと(さだ)めさせたまふ。御調度(おほんてうど)どもも、もとあるよりもととのへて、(おほん)みづからも、ものの下形(したかた)絵様(ゑやう)などをも御覧(ごらん)()れつつ、すぐれたる道々(みちみち)上手(じゃうず)どもを()(あつ)めて、こまかに(みが)きととのへさせたまふ。 このおほんかたは、むかしおほんとのゐどころしげいさあらためしつらひて、おほんまゐびぬるを、みやにもこころもとながらせたまへば、うづきにとさだめさせたまふ。おほんてうどどもも、もとあるよりもととのへて、おほんみづからも、もののしたかたゑやうなどをもごらんれつつ、すぐれたるみちみちじゃうずどもをあつめて、こまかにみがきととのへさせたまふ。
322.2.5160134 草子(さうし)(はこ)()るべき草子(さうし)どもの、やがて(ほん)にもしたまふべきを()らせたまふ。いにしへの(かみ)なき(きは)御手(おほんて)どもの、()()(のこ)したまへるたぐひのも、いと(おほ)くさぶらふ。 さうしはこるべきさうしどもの、やがてほんにもしたまふべきをらせたまふ。いにしへのかみなききはおほんてどもの、のこしたまへるたぐひのも、いとおほくさぶらふ。
322.3161135第三段 源氏の仮名論議
322.3.1162136 「よろづのこと、(むかし)には(おと)りざまに、(あさ)くなりゆく()(すゑ)なれど、仮名(かんな)のみなむ、(いま)()はいと(きは)なくなりたる。(ふる)(あと)は、(さだ)まれるやうにはあれど、(ひろ)(こころ)ゆたかならず、一筋(ひとすぢ)(かよ)ひてなむありける。 "よろづのこと、むかしにはおとりざまに、あさくなりゆくすゑなれど、かんなのみなん、いまはいときはなくなりたる。ふるあとは、さだまれるやうにはあれど、ひろこころゆたかならず、ひとすぢかよひてなんありける。
322.3.2163137 (たへ)にをかしきことは、()よりてこそ()()づる(ひと)びとありけれど、女手(をんなで)(こころ)()れて(なら)ひし(さか)りに、こともなき手本多(てほんおほ)(つど)へたりしなかに、中宮(ちゅうぐう)母御息所(ははみやすんどころ)の、(こころ)にも()れず(はし)()いたまへりし一行(ひとくだり)ばかり、わざとならぬを()て、(きは)ことにおぼえしはや。 たへにをかしきことは、よりてこそづるひとびとありけれど、をんなでこころれてならひしさかりに、こともなきてほんおほつどへたりしなかに、ちゅうぐうははみやすんどころの、こころにもれずはしいたまへりしひとくだりばかり、わざとならぬをて、きはことにおぼえしはや。
322.3.3164138 さて、あるまじき御名(おほんな)()てきこえしぞかし。(くや)しきことに(おも)ひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。(みや)にかく後見仕(うしろみつか)うまつることを、心深(こころふか)うおはせしかば、()御影(おほんかげ)にも見直(みなほ)したまふらむ。 さて、あるまじきおほんなてきこえしぞかし。くやしきことにおもひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。みやにかくうしろみつかうまつることを、こころふかうおはせしかば、おほんかげにもみなほしたまふらん。
322.3.4165139 (みや)御手(おほんて)は、こまかにをかしげなれど、かどや(おく)れたらむ」 みやおほんては、こまかにをかしげなれど、かどやおくれたらん。"
322.3.5166140 と、うちささめきて()こえたまふ。 と、うちささめきてこえたまふ。
322.3.6167141 故入道宮(こにふだうのみや)御手(おほんて)は、いとけしき(ふか)うなまめきたる(すぢ)はありしかど、(よわ)きところありて、にほひぞすくなかりし。 "こにふだうのみやおほんては、いとけしきふかうなまめきたるすぢはありしかど、よわきところありて、にほひぞすくなかりし。
322.3.7168142 (ゐん)尚侍(かんのきみ)こそ、(いま)()上手(じゃうず)におはすれど、あまりそぼれて(くせ)()ひためる。さはありとも、かの(きみ)と、前斎院(さきのさいゐん)と、ここにとこそは、()きたまはめ」 ゐんかんのきみこそ、いまじゃうずにおはすれど、あまりそぼれてくせひためる。さはありとも、かのきみと、さきのさいゐんと、ここにとこそは、きたまはめ。"
322.3.8169143 と、(ゆる)しきこえたまへば、 と、ゆるしきこえたまへば、
322.3.9170144 「この(かず)には、まばゆくや」 "このかずには、まばゆくや。"
322.3.10171145 ()こえたまへば、 こえたまへば、
322.3.11172146 「いたうな()ぐしたまひそ。にこやかなる(かた)のなつかしさは、ことなるものを。真名(まな)のすすみたるほどに、仮名(かんな)はしどけなき文字(もじ)こそ()じるめれ」 "いたうなぐしたまひそ。にこやかなるかたのなつかしさは、ことなるものを。まなのすすみたるほどに、かんなはしどけなきもじこそじるめれ。"
322.3.12173147 とて、まだ()かぬ草子(さうし)ども(つく)(くは)へて、表紙(へうし)(ひも)などいみじうせさせたまふ。 とて、まだかぬさうしどもつくくはへて、へうしひもなどいみじうせさせたまふ。
322.3.13174148 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)左衛門督(さゑもんのかみ)などにものせむ。みづから一具(ひとよろひ)()くべし。けしきばみいますがりとも、え()(なら)べじや」 "ひゃうぶきゃうのみやさゑもんのかみなどにものせん。みづからひとよろひくべし。けしきばみいますがりとも、えならべじや。"
322.3.14175149 と、われぼめをしたまふ。 と、われぼめをしたまふ。
322.4176150第四段 草子執筆の依頼
322.4.1177151 (すみ)(ふで)(なら)びなく()()でて、(れい)所々(ところどころ)に、ただならぬ御消息(おほんせうそこ)あれば、(ひと)びと、(かた)きことに(おぼ)して、(かへ)さひ(まう)したまふもあれば、まめやかに()こえたまふ。高麗(こま)(かみ)薄様(うすやう)だちたるが、せめてなまめかしきを、 すみふでならびなくでて、れいところどころに、ただならぬおほんせうそこあれば、ひとびと、かたきことにおぼして、かへさひまうしたまふもあれば、まめやかにこえたまふ。こまかみうすやうだちたるが、せめてなまめかしきを、
322.4.2178152 「この、もの(ごの)みする(わか)(ひと)びと、(こころ)みむ」 "この、ものごのみするわかひとびと、こころみん。"
322.4.3179153 とて、宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)式部卿宮(しきぶきゃうのみや)兵衛督(ひゃうゑのかみ)(うち)大殿(おほいどの)頭中将(とうのちゅうじゃう)などに、 とて、さいしゃうのちゅうじゃうしきぶきゃうのみやひゃうゑのかみうちおほいどのとうのちゅうじゃうなどに、
322.4.4180154 葦手(あしで)歌絵(うたゑ)を、(おも)(おも)ひに()け」 "あしでうたゑを、おもおもひにけ。"
322.4.5181155 とのたまへば、皆心々(みなこころごころ)(いど)むべかめり。 とのたまへば、みなこころごころいどむべかめり。
322.4.6182156 (れい)寝殿(しんでん)(はな)れおはしまして()きたまふ。(はな)ざかり()ぎて、浅緑(あさみどり)なる(そら)うららかなるに、(ふる)(こと)どもなど(おも)ひすましたまひて、御心(みこころ)のゆく(かぎ)り、(さう)のも、ただのも、女手(をんなで)も、いみじう()()くしたまふ。 れいしんでんはなれおはしましてきたまふ。はなざかりぎて、あさみどりなるそらうららかなるに、ふることどもなどおもひすましたまひて、みこころのゆくかぎり、さうのも、ただのも、をんなでも、いみじうくしたまふ。
322.4.7183158 御前(おまへ)(ひと)しげからず、女房二(にょうばうふたり)三人(みたり)ばかり、(すみ)など()らせたまひて、ゆゑある(ふる)(しふ)(うた)など、いかにぞやなど()()でたまふに、口惜(くちを)しからぬ(かぎ)りさぶらふ。 おまへひとしげからず、にょうばうふたりみたりばかり、すみなどらせたまひて、ゆゑあるふるしふうたなど、いかにぞやなどでたまふに、くちをしからぬかぎりさぶらふ。
322.4.8184159 御簾上(みすあ)げわたして、脇息(けふそく)(うへ)草子(さうし)うち()き、端近(はしちか)くうち(みだ)れて、(ふで)(しり)くはへて、(おも)ひめぐらしたまへるさま、()()なくめでたし。(しろ)(あか)きなど、掲焉(けちえん)なる(ひら)は、(ふで)とり(なほ)し、用意(ようい)したまへるさまさへ、見知(みし)らむ(ひと)は、げにめでぬべき(おほん)ありさまなり。 みすあげわたして、けふそくうへさうしうちき、はしちかくうちみだれて、ふでしりくはへて、おもひめぐらしたまへるさま、なくめでたし。しろあかきなど、けちえんなるひらは、ふでとりなほし、よういしたまへるさまさへ、みしらんひとは、げにめでぬべきおほんありさまなり。
322.5185160第五段 兵部卿宮、草子を持参
322.5.1186161 兵部卿宮渡(ひゃうぶきゃうのみやわた)りたまふ」と()こゆれば、おどろきて、御直衣(おほんなほし)たてまつり、御茵参(おほんしとねまゐ)()へさせたまひて、やがて()()り、()れたてまつりたまふ。この(みや)もいときよげにて、御階(みはし)さまよく(あゆ)(のぼ)りたまふほど、(うち)にも(ひと)びとのぞきて()たてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。 "ひゃうぶきゃうのみやわたりたまふ。"とこゆれば、おどろきて、おほんなほしたてまつり、おほんしとねまゐへさせたまひて、やがてり、れたてまつりたまふ。このみやもいときよげにて、みはしさまよくあゆのぼりたまふほど、うちにもひとびとのぞきてたてまつる。うちかしこまりて、かたみにうるはしだちたまへるも、いときよらなり。
322.5.2187162 「つれづれに()もりはべるも、(くる)しきまで(おも)うたまへらるる(こころ)ののどけさに、(をり)よく(わた)らせたまへる」 "つれづれにもりはべるも、くるしきまでおもうたまへらるるこころののどけさに、をりよくわたらせたまへる。"
322.5.3188163 と、よろこびきこえたまふ。かの御草子待(おほんさうしも)たせて(わた)りたまへるなりけり。やがて御覧(ごらん)ずれば、すぐれてしもあらぬ御手(おほんて)を、ただかたかどに、いといたう筆澄(ふです)みたるけしきありて()きなしたまへり。(うた)も、ことさらめき、そばみたる古言(ふること)どもを()りて、ただ三行(みくだり)ばかりに、文字少(もじすく)なに(この)ましくぞ()きたまへる。大臣(おとど)御覧(ごらん)(おどろ)きぬ。 と、よろこびきこえたまふ。かのおほんさうしもたせてわたりたまへるなりけり。やがてごらんずれば、すぐれてしもあらぬおほんてを、ただかたかどに、いといたうふですみたるけしきありてきなしたまへり。うたも、ことさらめき、そばみたるふることどもをりて、ただみくだりばかりに、もじすくなにこのましくぞきたまへる。おとどごらんおどろきぬ。
322.5.4189164 「かうまでは(おも)ひたまへずこそありつれ。さらに筆投(ふでな)()てつべしや」 "かうまではおもひたまへずこそありつれ。さらにふでなてつべしや。"
322.5.5190165 と、ねたがりたまふ。 と、ねたがりたまふ。
322.5.6191166 「かかる御中(おほんなか)(おも)なくくだす(ふで)のほど、さりともとなむ(おも)うたまふる」 "かかるおほんなかおもなくくだすふでのほど、さりともとなんおもうたまふる。"
322.5.7192167 など、(たはぶ)れたまふ。 など、たはぶれたまふ。
322.5.8193168 ()きたまへる草子(さうし)どもも、(かく)したまふべきならねば、()()たまひて、かたみに御覧(ごらん)ず。 きたまへるさうしどもも、かくしたまふべきならねば、たまひて、かたみにごらんず。
322.5.9194169 (から)(かみ)の、いとすくみたるに、草書(さうか)きたまへる、すぐれてめでたしと()たまふに、高麗(こま)(かみ)の、(はだ)こまかに(なご)うなつかしきが、(いろ)などははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなる女手(をんなで)の、うるはしう(こころ)とどめて()きたまへる、たとふべきかたなし。 からかみの、いとすくみたるに、さうかきたまへる、すぐれてめでたしとたまふに、こまかみの、はだこまかになごうなつかしきが、いろなどははなやかならで、なまめきたるに、おほどかなるをんなでの、うるはしうこころとどめてきたまへる、たとふべきかたなし。
322.5.10195170 ()たまふ(ひと)(なみだ)さへ、水茎(みづぐき)(なが)()心地(ここち)して、()()あるまじきに、また、ここの紙屋(かみゃ)色紙(しきし)の、(いろ)あひはなやかなるに、(みだ)れたる(さう)(うた)を、(ふで)にまかせて(みだ)()きたまへる、見所限(みどころかぎ)りなし。しどろもどろに愛敬(あいぎゃう)づき、()まほしければ、さらに(のこ)りどもに()()やりたまはず。 たまふひとなみださへ、みづぐきながここちして、あるまじきに、また、ここのかみゃしきしの、いろあひはなやかなるに、みだれたるさううたを、ふでにまかせてみだきたまへる、みどころかぎりなし。しどろもどろにあいぎゃうづき、まほしければ、さらにのこりどもにやりたまはず。
322.6196171第六段 他の人々持参の草子
322.6.1197172 左衛門督(さゑもんのかみ)は、ことことしうかしこげなる(すぢ)をのみ(この)みて()きたれど、(ふで)(おき)()まぬ心地(ここち)して、いたはり(くは)へたるけしきなり。(うた)なども、ことさらめきて、()()きたり。 さゑもんのかみは、ことことしうかしこげなるすぢをのみこのみてきたれど、ふでおきまぬここちして、いたはりくはへたるけしきなり。うたなども、ことさらめきて、きたり。
322.6.2198173 (をんな)(おほん)は、まほにも()()でたまはず。斎院(さいゐん)のなどは、まして()()たまはざりけり。葦手(あしで)草子(さうし)どもぞ、心々(こころごころ)にはかなうをかしき。 をんなおほんは、まほにもでたまはず。さいゐんのなどは、ましてたまはざりけり。あしでさうしどもぞ、こころごころにはかなうをかしき。
322.6.3199174 宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)のは、(みづ)(いきほ)(ゆたか)()きなし、そそけたる(あし)()ひざまなど、難波(なには)(うら)(かよ)ひて、こなたかなたいきまじりて、いたう()みたるところあり。また、いといかめしう、ひきかへて、文字(もじ)やう、(いし)などのたたずまひ、(この)()きたまへる(ひら)もあめり。 さいしゃうのちゅうじゃうのは、みづいきほゆたかきなし、そそけたるあしひざまなど、なにはうらかよひて、こなたかなたいきまじりて、いたうみたるところあり。また、いといかめしう、ひきかへて、もじやう、いしなどのたたずまひ、このきたまへるひらもあめり。
322.6.4200175 ()(およ)ばず。これは(いとま)いりぬべきものかな」 "およばず。これはいとまいりぬべきものかな。"
322.6.5201176 と、(きょう)じめでたまふ。何事(なにごと)ももの(ごの)みし、(えん)がりおはする親王(みこ)にて、いといみじうめできこえたまふ。 と、きょうじめでたまふ。なにごともものごのみし、えんがりおはするみこにて、いといみじうめできこえたまふ。
322.7202177第七段 古万葉集と古今和歌集
322.7.1203178 今日(けふ)はまた、()のことどものたまひ()らし、さまざまの継紙(つぎかみ)(ほん)ども、()()でさせたまへるついでに、御子(みこ)侍従(じじゅう)して、(みや)にさぶらふ(ほん)ども()りに(つか)はす。 けふはまた、のことどものたまひらし、さまざまのつぎかみほんども、でさせたまへるついでに、みこじじゅうして、みやにさぶらふほんどもりにつかはす。
322.7.2204179 嵯峨(さが)(みかど)の、『古万葉集(こまんえふしふ)』を(えら)()かせたまへる四巻(よまき)延喜(えんぎ)(みかど)の、『古今和歌集(こきんわかしふ)』を、(から)浅縹(あさはなだ)(かみ)()ぎて、(おな)(いろ)()(もん)()表紙(へうし)(おな)じき(たま)(じく)(だん)唐組(からくみ)(ひも)など、なまめかしうて、(まき)ごとに御手(おほんて)(すぢ)()へつつ、いみじう()()くさせたまへる、大殿油短(おほとなぶらみじか)(まゐ)りて御覧(ごらん)ずるに、 さがみかどの、〔こまんえふしふ〕をえらかせたまへるよまきえんぎみかどの、〔こきんわかしふ〕を、からあさはなだかみぎて、おないろもんへうしおなじきたまじくだんからくみひもなど、なまめかしうて、まきごとにおほんてすぢへつつ、いみじうくさせたまへる、おほとなぶらみじかまゐりてごらんずるに、
322.7.3205180 ()きせぬものかな。このころの(ひと)は、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ」 "きせぬものかな。このころのひとは、ただかたそばをけしきばむにこそありけれ。"
322.7.4206181 など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。 など、めでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。
322.7.5207182 女子(をんなご)などを()てはべらましにだに、をさをさ()はやすまじきには(つた)ふまじきを、まして、()ちぬべきを」 "をんなごなどをてはべらましにだに、をさをさはやすまじきにはつたふまじきを、まして、ちぬべきを。"
322.7.6208183 など()こえてたてまつれたまふ。侍従(じじゅう)に、(から)(ほん)などのいとわざとがましき、(ぢん)(はこ)()れて、いみじき高麗笛添(こまぶえそ)へて、(たてまつ)れたまふ。 などこえてたてまつれたまふ。じじゅうに、からほんなどのいとわざとがましき、ぢんはこれて、いみじきこまぶえそへて、たてまつれたまふ。
322.7.7209184 またこのころは、ただ仮名(かんな)(さだ)めをしたまひて、()(なか)手書(てか)くとおぼえたる、上中下(かみなかしも)(ひと)びとにも、さるべきものども(おぼ)しはからひて、(たづ)ねつつ()かせたまふ。この御筥(おほんはこ)には、()(くだ)れるをば()ぜたまはず、わざと、(ひと)のほど、品分(しなわ)かせたまひつつ、草子(さうし)巻物(まきもの)皆書(みなか)かせたてまつりたまふ。 またこのころは、ただかんなさだめをしたまひて、なかてかくとおぼえたる、かみなかしもひとびとにも、さるべきものどもおぼしはからひて、たづねつつかせたまふ。このおほんはこには、くだれるをばぜたまはず、わざと、ひとのほど、しなわかせたまひつつ、さうしまきものみなかかせたてまつりたまふ。
322.7.8210185 よろづにめづらかなる御宝物(おほんたからもの)ども、(ひと)朝廷(みかど)までありがたげなる(なか)に、この(ほん)どもなむ、ゆかしと心動(こころうご)きたまふ若人(わかうど)()(おほ)かりける。御絵(おほんゑ)どもととのへさせたまふ(なか)に、かの『須磨(すま)日記(にき)』は、(すゑ)にも(つた)()らせむと(おぼ)せど、「(いま)すこし()をも(おぼ)()りなむに」と(おぼ)(かへ)して、まだ()()でたまはず。 よろづにめづらかなるおほんたからものども、ひとみかどまでありがたげなるなかに、このほんどもなん、ゆかしとこころうごきたまふわかうどおほかりける。おほんゑどもととのへさせたまふなかに、かの'すまにき'は、すゑにもつたらせんとおぼせど、"いますこしをもおぼりなんに。"とおぼかへして、まだでたまはず。
323211186第三章 内大臣家の物語 夕霧と雲居雁の物語
323.1212187第一段 内大臣家の近況
323.1.1213188 (うち)大臣(おとど)は、この(おほん)いそぎを、(ひと)(うへ)にて()きたまふも、いみじう(こころ)もとなく、さうざうしと(おぼ)す。姫君(ひめぎみ)(おほん)ありさま、(さか)りにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆(おほんなげ)きぐさなるに、かの(ひと)()けしき、はた、(おな)じやうになだらかなれば、「心弱(こころよわ)(すす)()らむも、人笑(ひとわら)はれに、(ひと)のねむごろなりしきざみに、なびきなましかば」など、人知(ひとし)れず(おぼ)(なげ)きて、一方(ひとかた)(つみ)をもおほせたまはず。 うちおとどは、このおほんいそぎを、ひとうへにてきたまふも、いみじうこころもとなく、さうざうしとおぼす。ひめぎみおほんありさま、さかりにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじきおほんなげきぐさなるに、かのひとけしき、はた、おなじやうになだらかなれば、"こころよわすすらんも、ひとわらはれに、ひとのねんごろなりしきざみに、なびきなましかば。"など、ひとしれずおぼなげきて、ひとかたつみをもおほせたまはず。
323.1.2214189 かくすこしたわみたまへる()けしきを、宰相(さいしゃう)(きみ)()きたまへど、しばしつらかりし御心(みこころ)()しと(おも)へば、つれなくもてなし、しづめて、さすがに(ほか)ざまの(こころ)はつくべくもおぼえず、(こころ)づから(たはぶ)れにくき折多(をりおほ)かれど、「浅緑(あさみどり)()こえごちし御乳母(おほんめのと)どもに、納言(なふごん)(のぼ)りて()えむの御心深(みこころふか)かるべし。 かくすこしたわみたまへるけしきを、さいしゃうきみきたまへど、しばしつらかりしみこころしとおもへば、つれなくもてなし、しづめて、さすがにほかざまのこころはつくべくもおぼえず、こころづからたはぶれにくきをりおほかれど、"あさみどり。"こえごちしおほんめのとどもに、なふごんのぼりてえんのみこころふかかるべし。
323.2215190第二段 源氏、夕霧に結婚の教訓
323.2.1216191 大臣(おとど)は、「あやしう()きたるさまかな」と、(おぼ)(なや)みて、 おとどは、"あやしうきたるさまかな。"と、おぼなやみて、
323.2.2217192 「かのわたりのこと、(おも)()えにたらば、右大臣(みぎのおとど)中務宮(なかつかさのみや)などの、けしきばみ()はせたまふめるを、いづくも(おも)(さだ)められよ」 "かのわたりのこと、おもえにたらば、みぎのおとどなかつかさのみやなどの、けしきばみはせたまふめるを、いづくもおもさだめられよ。"
323.2.3218193 とのたまへど、ものも()こえたまはず、かしこまりたる(おほん)さまにてさぶらひたまふ。 とのたまへど、ものもこえたまはず、かしこまりたるおほんさまにてさぶらひたまふ。
323.2.4219194 「かやうのことは、かしこき御教(おほんをし)へにだに(したが)ふべくもおぼえざりしかば、(こと)まぜま()けれど、今思(いまおも)ひあはするには、かの御教(おほんをし)へこそ、(なが)(ためし)にはありけれ。 "かやうのことは、かしこきおほんをしへにだにしたがふべくもおぼえざりしかば、ことまぜまけれど、いまおもひあはするには、かのおほんをしへこそ、ながためしにはありけれ。
323.2.5220195 つれづれとものすれば、(おも)ふところあるにやと、世人(よひと)()(はか)るらむを、宿世(すくせ)()(かた)にて、なほなほしきことにありありてなびく、いと(しり)びに、人悪(ひとわ)ろきことぞや。 つれづれとものすれば、おもふところあるにやと、よひとはかるらんを、すくせかたにて、なほなほしきことにありありてなびく、いとしりびに、ひとわろきことぞや。
323.2.6221196 いみじう(おも)ひのぼれど、(こころ)にしもかなはず、(かぎ)りのあるものから、()()きしき(こころ)つかはるな。いはけなくより、(みや)(うち)()()でて、()(こころ)にまかせず、所狭(ところせ)く、いささかの(こと)のあやまりもあらば、軽々(かろがろ)しきそしりをや()はむと、つつみしだに、なほ()()きしき(とが)()ひて、()にはしたなめられき。 いみじうおもひのぼれど、こころにしもかなはず、かぎりのあるものから、きしきこころつかはるな。いはけなくより、みやうちでて、こころにまかせず、ところせく、いささかのことのあやまりもあらば、かろがろしきそしりをやはんと、つつみしだに、なほきしきとがひて、にはしたなめられき。
323.2.7222197 位浅(くらゐあさ)く、(なに)となき()のほど、うちとけ、(こころ)のままなる()()ひなどものせらるな。(こころ)おのづからおごりぬれば、(おも)ひしづむべきくさはひなき(とき)(をんな)のことにてなむ、かしこき(ひと)(むかし)(みだ)るる(ためし)ありける。 くらゐあさく、なにとなきのほど、うちとけ、こころのままなるひなどものせらるな。こころおのづからおごりぬれば、おもひしづむべきくさはひなきときをんなのことにてなん、かしこきひとむかしみだるるためしありける。
323.2.8223198 さるまじきことに(こころ)をつけて、(ひと)()をも()て、みづからも(うら)みを()ふなむ、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつ()(ひと)の、わが(こころ)にかなはず、(しの)ばむこと(かた)(ふし)ありとも、なほ(おも)(かへ)さむ(こころ)をならひて、もしは(おや)(こころ)にゆづり、もしは(おや)なくて()(なか)かたほにありとも、人柄心苦(ひとがらこころぐる)しうなどあらむ(ひと)をば、それを(かた)かどに()せても()たまへ。わがため、(ひと)のため、つひによかるべき(こころ)(ふか)うあるべき」 さるまじきことにこころをつけて、ひとをもて、みづからもうらみをふなん、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつひとの、わがこころにかなはず、しのばんことかたふしありとも、なほおもかへさんこころをならひて、もしはおやこころにゆづり、もしはおやなくてなかかたほにありとも、ひとがらこころぐるしうなどあらんひとをば、それをかたかどにせてもたまへ。わがため、ひとのため、つひによかるべきこころふかうあるべき。"
323.2.9224199 など、のどやかにつれづれなる(をり)は、かかる御心(みこころ)づかひをのみ(をし)へたまふ。 など、のどやかにつれづれなるをりは、かかるみこころづかひをのみをしへたまふ。
323.3225200第三段 夕霧と雲居の雁の仲
323.3.1226201 かやうなる御諌(おほんいさ)めにつきて、(たわぶ)れにても(ほか)ざまの(こころ)(おも)ひかかるは、あはれに、(ひと)やりならずおぼえたまふ。(をんな)も、(つね)よりことに、大臣(おとど)(おも)(なげ)きたまへる(おほん)けしきに、()づかしう、()()(おぼ)(しづ)めど、(うへ)はつれなくおほどかにて、(なが)()ぐしたまふ。 かやうなるおほんいさめにつきて、たわぶれにてもほかざまのこころおもひかかるは、あはれに、ひとやりならずおぼえたまふ。をんなも、つねよりことに、おとどおもなげきたまへるおほんけしきに、づかしう、おぼしづめど、うへはつれなくおほどかにて、ながぐしたまふ。
323.3.2227202 御文(おほんふみ)は、(おも)ひあまりたまふ折々(をりをり)、あはれに心深(こころふか)きさまに()こえたまふ。「()がまことをか」と(おも)ひながら、世馴(よな)れたる(ひと)こそ、あながちに(ひと)(こころ)をも(うたが)ふなれ、あはれと()たまふふし(おほ)かり。 おほんふみは、おもひあまりたまふをりをり、あはれにこころふかきさまにこえたまふ。"がまことをか。"とおもひながら、よなれたるひとこそ、あながちにひとこころをもうたがふなれ、あはれとたまふふしおほかり。
323.3.3228203 中務宮(なかつかさのみや)なむ、大殿(おほとの)にも()けしき(たま)はりて、さもやと、(おぼ)()はしたなる」 "なかつかさのみやなん、おほとのにもけしきたまはりて、さもやと、おぼはしたなる。"
323.3.4229204 (ひと)()こえければ、大臣(おとど)は、ひき(かへ)御胸(おほんむね)ふたがるべし。(しの)びて、 ひとこえければ、おとどは、ひきかへおほんむねふたがるべし。しのびて、
323.3.5230205 「さることをこそ()きしか。(なさ)けなき(ひと)御心(みこころ)にもありけるかな。大臣(おとど)の、口入(くちい)れたまひしに、執念(しふね)かりきとて、()(たが)へたまふなるべし。心弱(こころよわ)くなびきても、人笑(ひとわら)へならましこと」 "さることをこそきしか。なさけなきひとみこころにもありけるかな。おとどの、くちいれたまひしに、しふねかりきとて、たがへたまふなるべし。こころよわくなびきても、ひとわらへならましこと。"
323.3.6231206 など、(なみだ)()けてのたまへば、姫君(ひめぎみ)、いと()づかしきにも、そこはかとなく(なみだ)のこぼるれば、はしたなくて(そむ)きたまへる、らうたげさ(かぎ)りなし。 など、なみだけてのたまへば、ひめぎみ、いとづかしきにも、そこはかとなくなみだのこぼるれば、はしたなくてそむきたまへる、らうたげさかぎりなし。
323.3.7232207 「いかにせまし。なほや(すす)()でて、けしきをとらまし」 "いかにせまし。なほやすすでて、けしきをとらまし。"
323.3.8233208 など、(おぼ)(みだ)れて()ちたまひぬる名残(なごり)も、やがて端近(はしちか)(なが)めたまふ。 など、おぼみだれてちたまひぬるなごりも、やがてはしちかながめたまふ。
323.3.9234209 「あやしく、(こころ)おくれても(すす)()でつる(なみだ)かな。いかに(おぼ)しつらむ」 "あやしく、こころおくれてもすすでつるなみだかな。いかにおぼしつらん。"
323.3.10235210 など、よろづに(おも)ひゐたまへるほどに、御文(おほんふみ)あり。さすがにぞ()たまふ。こまやかにて、 など、よろづにおもひゐたまへるほどに、おほんふみあり。さすがにぞたまふ。こまやかにて、
323.3.11236211 「つれなさは()()(つね)になりゆくを<BR/>(わす)れぬ(ひと)(ひと)にことなる」 "〔つれなさはつねになりゆくを<BR/>わすれぬひとひとにことなる〕
323.3.12237212 とあり。「けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ」と、(おも)(つづ)けたまふは()けれど、 とあり。"けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ。"と、おもつづけたまふはけれど、
323.3.13238213 (かぎ)りとて(わす)れがたきを(わす)るるも<BR/>こや()になびく(こころ)なるらむ」 "〔かぎりとてわすれがたきをわするるも<BR/>こやになびくこころなるらん〕
323.3.14239214 とあるを、「あやし」と、うち()かれず、(かたぶ)きつつ()ゐたまへり。 とあるを、"あやし。"と、うちかれず、かたぶきつつゐたまへり。