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34若菜上
341192153第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び
341.1193154第一段 朱雀院、女三の宮の将来を案じる
341.1.1194155 朱雀院(すじゃくゐん)(みかど)、ありし御幸(みゆき)ののち、そのころほひより、(れい)ならず(なや)みわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細(こころぼそ)(おぼ)()されて、 すじゃくゐんみかど、ありしみゆきののち、そのころほひより、れいならずなやみわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはものこころぼそおぼされて、
341.1.2195156 (とし)ごろ(おこ)なひの本意深(ほいふか)きを、(きさい)(みや)おはしましつるほどは、よろづ(はばか)りきこえさせたまひて、(いま)まで(おぼ)しとどこほりつるを、なほその(かた)にもよほすにやあらむ、()(ひさ)しかるまじき心地(ここち)なむする」 "としごろおこなひのほいふかきを、きさいみやおはしましつるほどは、よろづはばかりきこえさせたまひて、いままでおぼしとどこほりつるを、なほそのかたにもよほすにやあらん、ひさしかるまじきここちなんする。"
341.1.3196157 などのたまはせて、さるべき御心(みこころ)まうけどもせさせたまふ。 などのたまはせて、さるべきみこころまうけどもせさせたまふ。
341.1.4197158 御子(みこ)たちは、春宮(とうぐう)をおきたてまつりて、女宮(をんなみや)たちなむ四所(よところ)おはしましける。その(なか)に、藤壺(ふぢつぼ)()こえしは、先帝(せんだい)源氏(げんじ)にぞおはしましける。 みこたちは、とうぐうをおきたてまつりて、をんなみやたちなんよところおはしましける。そのなかに、ふぢつぼこえしは、せんだいげんじにぞおはしましける。
341.1.5198159 まだ(ばう)()こえさせし時参(ときまゐ)りたまひて、(たか)(くらゐ)にも(さだ)まりたまべかりし(ひと)の、()()てたる御後見(おほんうしろみ)もおはせず、母方(ははかた)もその(すぢ)となく、ものはかなき更衣腹(かういばら)にてものしたまひければ、御交(おほんま)じらひのほども心細(こころぼそ)げにて、大后(おほきさき)の、尚侍(ないしのかみ)(まゐ)らせたてまつりたまひて、かたはらに(なら)(ひと)なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧(けお)されて、(みかど)御心(みこころ)のうちに、いとほしきものには(おも)ひきこえさせたまひながら、()りさせたまひにしかば、かひなく口惜(くちを)しくて、()(なか)(うら)みたるやうにて()せたまひにし。 まだばうこえさせしときまゐりたまひて、たかくらゐにもさだまりたまべかりしひとの、てたるおほんうしろみもおはせず、ははかたもそのすぢとなく、ものはかなきかういばらにてものしたまひければ、おほんまじらひのほどもこころぼそげにて、おほきさきの、ないしのかみまゐらせたてまつりたまひて、かたはらにならひとなくもてなしきこえたまひなどせしほどに、けおされて、みかどみこころのうちに、いとほしきものにはおもひきこえさせたまひながら、りさせたまひにしかば、かひなくくちをしくて、なかうらみたるやうにてせたまひにし。
341.1.6199160 その御腹(おほんはら)女三(をんなさん)(みや)を、あまたの御中(おほんなか)に、すぐれてかなしきものに(おも)ひかしづききこえたまふ。 そのおほんはらをんなさんみやを、あまたのおほんなかに、すぐれてかなしきものにおもひかしづききこえたまふ。
341.1.7200161 そのほど、御年(おほんとし)十三(じふさん)()ばかりおはす。 そのほど、おほんとしじふさんばかりおはす。
341.1.8201162 (いま)はと(そむ)()て、山籠(やまご)もりしなむ(のち)()にたちとまりて、(たれ)(たの)(かげ)にてものしたまはむとすらむ」 "いまはとそむて、やまごもりしなんのちにたちとまりて、たれたのかげにてものしたまはんとすらん。"
341.1.9202163 と、ただこの(おほん)ことをうしろめたく(おぼ)(なげ)く。 と、ただこのおほんことをうしろめたくおぼなげく。
341.1.10203164 西山(にしやま)なる御寺造(みてらつく)()てて、(うつ)ろはせたまはむほどの(おほん)いそぎをせさせたまふに()へて、またこの(みや)御裳着(おほんもぎ)のことを(おぼ)しいそがせたまふ。 にしやまなるみてらつくてて、うつろはせたまはんほどのおほんいそぎをせさせたまふにへて、またこのみやおほんもぎのことをおぼしいそがせたまふ。
341.1.11204165 (ゐん)のうちにやむごとなく(おぼ)御宝物(おほんたからもの)御調度(みてうど)どもをばさらにもいはず、はかなき御遊(おほんあそ)びものまで、すこしゆゑある(かぎ)りをば、ただこの御方(おほんかた)()りわたしたてまつらせたまひて、その次々(つぎつぎ)をなむ、異御子(ことみこ)たちには、御処分(おほんそうぶん)どもありける。 ゐんのうちにやんごとなくおぼおほんたからものみてうどどもをばさらにもいはず、はかなきおほんあそびものまで、すこしゆゑあるかぎりをば、ただこのおほんかたりわたしたてまつらせたまひて、そのつぎつぎをなん、ことみこたちには、おほんそうぶんどもありける。
341.2205166第二段 東宮、父朱雀院を見舞う
341.2.1206167 春宮(とうぐう)は、「かかる御悩(おほんなや)みに()へて、()(そむ)かせたまふべき御心(みこころ)づかひになむ」と()かせたまひて、(わた)らせたまへり。母女御(ははにょうご)()ひきこえさせたまひて(まゐ)りたまへり。すぐれたる(おほん)おぼえにしもあらざりしかど、(みや)のかくておはします御宿世(おほんすくせ)の、(かぎ)りなくめでたければ、(とし)ごろの御物語(おほんものがたり)、こまやかに()こえさせたまひけり。 とうぐうは、"かかるおほんなやみにへて、そむかせたまふべきみこころづかひになん。"とかせたまひて、わたらせたまへり。ははにょうごひきこえさせたまひてまゐりたまへり。すぐれたるおほんおぼえにしもあらざりしかど、みやのかくておはしますおほんすくせの、かぎりなくめでたければ、としごろのおほんものがたり、こまやかにこえさせたまひけり。
341.2.2207168 (みや)にも、よろづのこと、()をたもちたまはむ御心(みこころ)づかひなど、()こえ()らせたまふ。御年(おほんとし)のほどよりはいとよく大人(おとな)びさせたまひて、御後見(おほんうしろみ)どもも、こなたかなた、軽々(かろがろ)しからぬ(なか)らひにものしたまへば、いとうしろやすく(おも)ひきこえさせたまふ。 みやにも、よろづのこと、をたもちたまはんみこころづかひなど、こえらせたまふ。おほんとしのほどよりはいとよくおとなびさせたまひて、おほんうしろみどもも、こなたかなた、かろがろしからぬなからひにものしたまへば、いとうしろやすくおもひきこえさせたまふ。
341.2.3208169 「この()(うら)(のこ)ることもはべらず。女宮(をんなみや)たちのあまた(のこ)りとどまる()(さき)(おも)ひやるなむ、さらぬ(わか)れにもほだしなりぬべかりける。さきざき、(ひと)(うへ)見聞(みき)きしにも、(をんな)(こころ)よりほかに、あはあはしく、(ひと)におとしめらるる宿世(すくせ)あるなむ、いと口惜(くちを)しく(かな)しき。 "このうらのこることもはべらず。をんなみやたちのあまたのこりとどまるさきおもひやるなん、さらぬわかれにもほだしなりぬべかりける。さきざき、ひとうへみききしにも、をんなこころよりほかに、あはあはしく、ひとにおとしめらるるすくせあるなん、いとくちをしくかなしき。
341.2.4209170 いづれをも、(おも)ふやうならむ御世(みよ)には、さまざまにつけて、御心(みこころ)とどめて(おぼ)(たづ)ねよ。その(なか)に、後見(うしろみ)などあるは、さる(かた)にも(おも)(ゆづ)りはべり。 いづれをも、おもふやうならんみよには、さまざまにつけて、みこころとどめておぼたづねよ。そのなかに、うしろみなどあるは、さるかたにもおもゆづりはべり。
341.2.5210171 (さん)(みや)なむ、いはけなき(よはひ)にて、ただ一人(ひとり)(たの)もしきものとならひて、うち()ててむ(のち)()に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく(かな)しくはべる」 さんみやなん、いはけなきよはひにて、ただひとりたのもしきものとならひて、うちててんのちに、ただよひさすらへんこと、いといとうしろめたくかなしくはべる。"
341.2.6211172 と、御目(おほんめ)おし(のご)ひつつ、()こえ()らせさせたまふ。 と、おほんめおしのごひつつ、こえらせさせたまふ。
341.2.7212173 女御(にょうご)にも、うつくしきさまに()こえつけさせたまふ。されど、女御(にょうご)の、(ひと)よりはまさりて(とき)めきたまひしに、皆挑(みないど)()はしたまひしほど、御仲(おほんなか)らひども、えうるはしからざりしかば、その名残(なごり)にて、「げに、(いま)はわざと(にく)しなどはなくとも、まことに(こころ)とどめて(おも)後見(うしろみ)むとまでは(おぼ)さずもや」とぞ()(はか)らるるかし。 にょうごにも、うつくしきさまにこえつけさせたまふ。されど、にょうごの、ひとよりはまさりてときめきたまひしに、みないどはしたまひしほど、おほんなからひども、えうるはしからざりしかば、そのなごりにて、"げに、いまはわざとにくしなどはなくとも、まことにこころとどめておもうしろみんとまではおぼさずもや。"とぞはからるるかし。
341.2.8213174 朝夕(あさゆふ)に、この(おほん)ことを(おぼ)(なげ)く。年暮(としく)れゆくままに、御悩(おほんなや)みまことに(おも)くなりまさらせたまひて、御簾(みす)()にも()でさせたまはず。(おほん)もののけにて、時々悩(ときどきなや)ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、(かぎ)りなり」と(おぼ)()したり。 あさゆふに、このおほんことをおぼなげく。としくれゆくままに、おほんなやみまことにおもくなりまさらせたまひて、みすにもでさせたまはず。おほんもののけにて、ときどきなやませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、"このたびは、なほ、かぎりなり。"とおぼしたり。
341.2.9214175 御位(おほんくらゐ)()らせたまひつれど、なほその()(たの)みそめたてまつりたまへる(ひと)びとは、(いま)もなつかしくめでたき(おほん)ありさまを、(こころ)やりどころに(まゐ)(つか)うまつりたまふ(かぎ)りは、(こころ)()くして()しみきこえたまふ。 おほんくらゐらせたまひつれど、なほそのたのみそめたてまつりたまへるひとびとは、いまもなつかしくめでたきおほんありさまを、こころやりどころにまゐつかうまつりたまふかぎりは、こころくしてしみきこえたまふ。
341.3215176第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う
341.3.1216177 六条院(ろくでうのゐん)よりも、御訪(おほんとぶ)らひしばしばあり。みづからも(まゐ)りたまふべきよし、()こし()して、(ゐん)はいといたく(よろこ)びきこえさせたまふ。 ろくでうのゐんよりも、おほんとぶらひしばしばあり。みづからもまゐりたまふべきよし、こしして、ゐんはいといたくよろこびきこえさせたまふ。
341.3.2217178 中納言(ちゅうなごん)君参(きみまゐ)りたまへるを、御簾(みす)(うち)()()れて、御物語(おほんものがたり)こまやかなり。 ちゅうなごんきみまゐりたまへるを、みすうちれて、おほんものがたりこまやかなり。
341.3.3218179 故院(こゐん)(うへ)の、(いま)はのきざみに、あまたの御遺言(ごゆいごん)ありし(なか)に、この(ゐん)(おほん)こと、(いま)内裏(うち)(おほん)ことなむ、()()きてのたまひ()きしを、(おほや)けとなりて、こと(かぎ)りありければ、うちうちの御心寄(みこころよ)せは、(かは)らずながら、はかなきことのあやまりに、(こころ)おかれたてまつることもありけむと(おも)ふを、(とし)ごろことに()れて、その(うら)(のこ)したまへるけしきをなむ()らしたまはぬ。 "こゐんうへの、いまはのきざみに、あまたのごゆいごんありしなかに、このゐんおほんこと、いまうちおほんことなん、きてのたまひきしを、おほやけとなりて、ことかぎりありければ、うちうちのみこころよせは、かはらずながら、はかなきことのあやまりに、こころおかれたてまつることもありけんとおもふを、としごろことにれて、そのうらのこしたまへるけしきをなんらしたまはぬ。
341.3.4219180 (さか)しき(ひと)といへど、()(うへ)になりぬれば、こと(たが)ひて、心動(こころうご)き、かならずその(むく)()え、ゆがめることなむ、いにしへだに(おほ)かりける。 さかしきひとといへど、うへになりぬれば、ことたがひて、こころうごき、かならずそのむくえ、ゆがめることなん、いにしへだにおほかりける。
341.3.5220181 いかならむ(をり)にか、その御心(みこころ)ばへほころぶべからむと、()(ひと)もおもむけ(うたが)ひけるを、つひに(しの)()ぐしたまひて、春宮(とうぐう)などにも(こころ)()せきこえたまふ。(いま)はた、またなく(した)しかるべき(なか)となり、(むつ)()はしたまへるも、(かぎ)りなく(こころ)には(おも)ひながら、本性(ほんじゃう)(おろ)かなるに()へて、()(みち)(やみ)にたち()じり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに()こえ(はな)ちたるさまにてはべる。 いかならんをりにか、そのみこころばへほころぶべからんと、ひともおもむけうたがひけるを、つひにしのぐしたまひて、とうぐうなどにもこころせきこえたまふ。いまはた、またなくしたしかるべきなかとなり、むつはしたまへるも、かぎりなくこころにはおもひながら、ほんじゃうおろかなるにへて、みちやみにたちじり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことにこえはなちたるさまにてはべる。
341.3.6221182 内裏(うち)(おほん)ことは、かの御遺言違(ごゆいごんたが)へず(つか)うまつりおきてしかば、かく(すゑ)()(あき)らけき(きみ)として、()しかたの御面(おほんおもて)をも()こしたまふ。本意(ほい)のごと、いとうれしくなむ。 うちおほんことは、かのごゆいごんたがへずつかうまつりおきてしかば、かくすゑあきらけききみとして、しかたのおほんおもてをもこしたまふ。ほいのごと、いとうれしくなん。
341.3.7222183 この(あき)行幸(ぎゃうがう)(のち)、いにしへのこととり()へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。対面(たいめん)()こゆべきことどもはべり。かならずみづから(とぶ)らひものしたまふべきよし、もよほし(まう)したまへ」 このあきぎゃうがうのち、いにしへのこととりへて、ゆかしくおぼつかなくなんおぼえたまふ。たいめんこゆべきことどもはべり。かならずみづからとぶらひものしたまふべきよし、もよほしまうしたまへ。"
341.3.8223184 など、うちしほたれつつのたまはす。 など、うちしほたれつつのたまはす。
341.4224185第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す
341.4.1225187 中納言(ちゅうなごん)(きみ) ちゅうなごんきみ
341.4.2226188 ()ぎはべりにけむ(かた)は、ともかくも(おも)うたまへ()きがたくはべり。(とし)まかり()りはべりて、朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつりはべるあひだ、()(なか)のことを()たまへまかりありくほどには、大小(だいせう)のことにつけても、うちうちのさるべき物語(ものがたり)などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ(まう)さるる(をり)ははべらずなむ。 "ぎはべりにけんかたは、ともかくもおもうたまへきがたくはべり。としまかりりはべりて、おほやけにもつかうまつりはべるあひだ、なかのことをたまへまかりありくほどには、だいせうのことにつけても、うちうちのさるべきものがたりなどのついでにも、'いにしへのうれはしきことありてなん。'など、うちかすめまうさるるをりははべらずなん。
341.4.3227189 『かく朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)(つか)うまつりさして、(しづ)かなる(おも)ひをかなへむと、ひとへに()もりゐし(のち)は、(なに)ごとをも、()らぬやうにて、故院(こゐん)御遺言(ごゆいごん)のごともえ(つか)うまつらず、御位(みくらゐ)におはしましし()には、(よはひ)のほども、()のうつはものも(およ)ばず、かしこき(かみ)(ひと)びと(おほ)くて、その(こころ)ざしを()げて御覧(ごらん)ぜらるることもなかりき。(いま)、かく政事(まつりごと)()りて、(しづ)かにおはしますころほひ、(こころ)のうちをも(へだ)てなく、(まゐ)りうけたまはらまほしきを、さすがに(なに)となく所狭(ところせ)()のよそほひにて、おのづから月日(つきひ)()ぐすこと』 'かくおほやけおほんうしろみつかうまつりさして、しづかなるおもひをかなへんと、ひとへにもりゐしのちは、なにごとをも、らぬやうにて、こゐんごゆいごんのごともえつかうまつらず、みくらゐにおはしまししには、よはひのほども、のうつはものもおよばず、かしこきかみひとびとおほくて、そのこころざしをげてごらんぜらるることもなかりき。いま、かくまつりごとりて、しづかにおはしますころほひ、こころのうちをもへだてなく、まゐりうけたまはらまほしきを、さすがになにとなくところせのよそほひにて、おのづからつきひぐすこと。'
341.4.4228190 となむ、折々嘆(をりをりなげ)(まう)したまふ」 となん、をりをりなげまうしたまふ。"
341.4.5229191 など、(そう)したまふ。 など、そうしたまふ。
341.4.6230192 二十(はたち)にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ()ぐして、容貌(かたち)(さか)りに(にほ)ひて、いみじくきよらなるを、御目(おほんめ)にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮(ひめみや)御後見(おほんうしろみ)に、これをやなど、人知(ひとし)れず(おぼ)()りけり。 はたちにもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひぐして、かたちさかりににほひて、いみじくきよらなるを、おほんめにとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふひめみやおほんうしろみに、これをやなど、ひとしれずおぼりけり。
341.4.7231193 太政大臣(おほきおとど)のわたりに、(いま)()みつかれにたりとな。(とし)ごろ心得(こころえ)ぬさまに()きしが、いとほしかりしを、(みみ)やすきものから、さすがにねたく(おも)ふことこそあれ」 "おほきおとどのわたりに、いまみつかれにたりとな。としごろこころえぬさまにきしが、いとほしかりしを、みみやすきものから、さすがにねたくおもふことこそあれ。"
341.4.8232194 とのたまはする(おほん)けしきを、「いかにのたまはするにか」と、あやしく(おも)ひめぐらすに、「この姫宮(ひめみや)をかく(おぼ)(あつか)ひて、さるべき(ひと)あらば、(あづ)けて、(こころ)やすく()をも(おも)(はな)ればや、となむ(おぼ)しのたまはする」と、おのづから()()きたまふ便(たよ)りありければ、「さやうの(すぢ)にや」とは(おも)ひぬれど、ふと心得顔(こころえがほ)にも、(なに)かはいらへきこえさせむ。ただ、 とのたまはするおほんけしきを、"いかにのたまはするにか。"と、あやしくおもひめぐらすに、"このひめみやをかくおぼあつかひて、さるべきひとあらば、あづけて、こころやすくをもおもはなればや、となんおぼしのたまはする。"と、おのづからきたまふたよりありければ、"さやうのすぢにや。"とはおもひぬれど、ふとこころえがほにも、なにかはいらへきこえさせん。ただ、
341.4.9233195 「はかばかしくもはべらぬ()には、()るべもさぶらひがたくのみなむ」 "はかばかしくもはべらぬには、るべもさぶらひがたくのみなん。"
341.4.10234196 とばかり(そう)して()みぬ。 とばかりそうしてみぬ。
341.5235197第五段 朱雀院の夕霧評
341.5.1236198 女房(にょうばう)などは、(のぞ)きて()きこえて、 にょうばうなどは、のぞきてきこえて、
341.5.2237199 「いとありがたくも()えたまふ容貌(かたち)用意(ようい)かな」 "いとありがたくもえたまふかたちよういかな。"
341.5.3238200 「あな、めでた」 "あな、めでた。"
341.5.4239201 など、(あつま)りて()こゆるを、()いしらへるは、 など、あつまりてこゆるを、いしらへるは、
341.5.5240202 「いで、さりとも、かの(ゐん)のかばかりにおはせし(おほん)ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いと()もあやにこそきよらにものしたまひしか」 "いで、さりとも、かのゐんのかばかりにおはせしおほんありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。いともあやにこそきよらにものしたまひしか。"
341.5.6241203 など、()ひしろふを()こしめして、 など、ひしろふをこしめして、
341.5.7242204 「まことに、かれはいとさま(こと)なりし(ひと)ぞかし。(いま)はまた、その()にもねびまさりて、(ひか)るとはこれを()ふべきにやと()ゆる(にほ)ひなむ、いとど(くは)はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき(かた)()れば、いつくしくあざやかに、()(およ)ばぬ心地(ここち)するを、また、うちとけて、(たはぶ)れごとをも()(みだ)(あそ)べば、その(かた)につけては、()るものなく愛敬(あいぎゃう)づき、なつかしくうつくしきことの、(なら)びなきこそ、()にありがたけれ。(なに)ごとにも(さき)世推(よお)(はか)られて、めづらかなる(ひと)のありさまなり。 "まことに、かれはいとさまことなりしひとぞかし。いまはまた、そのにもねびまさりて、ひかるとはこれをふべきにやとゆるにほひなん、いとどくははりにたる。うるはしだちて、はかばかしきかたれば、いつくしくあざやかに、およばぬここちするを、また、うちとけて、たはぶれごとをもみだあそべば、そのかたにつけては、るものなくあいぎゃうづき、なつかしくうつくしきことの、ならびなきこそ、にありがたけれ。なにごとにもさきよおはかられて、めづらかなるひとのありさまなり。
341.5.8243205 (みや)(うち)()()でて、帝王(ていわう)(かぎ)りなくかなしきものにしたまひ、さばかり()でかしづき、()()へて(おぼ)したりしかど、(こころ)のままにも(おご)らず、卑下(ひげ)して、二十(はたち)がうちには、納言(なふごん)にもならずなりにきかし。(ひと)(あま)りてや、宰相(さいしゃう)にて大将(だいしゃう)かけたまへりけむ。 みやうちでて、ていわうかぎりなくかなしきものにしたまひ、さばかりでかしづき、へておぼしたりしかど、こころのままにもおごらず、ひげして、はたちがうちには、なふごんにもならずなりにきかし。ひとあまりてや、さいしゃうにてだいしゃうかけたまへりけん。
341.5.9244206 それに、これはいとこよなく(すす)みにためるは、次々(つぎつぎ)()()のおぼえのまさるなめりかし。まことに(かしこ)(かた)(ざえ)(こころ)もちゐなどは、これもをさをさ(おと)るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと(こと)なめり」 それに、これはいとこよなくすすみにためるは、つぎつぎのおぼえのまさるなめりかし。まことにかしこかたざえこころもちゐなどは、これもをさをさおとるまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いとことなめり。"
341.5.10245207 など、めでさせたまふ。 など、めでさせたまふ。
341.6246208第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦
341.6.1247209 姫宮(ひめみや)のいとうつくしげにて、(わか)何心(なにごころ)なき(おほん)ありさまなるを()たてまつりたまふにも、 ひめみやのいとうつくしげにて、わかなにごころなきおほんありさまなるをたてまつりたまふにも、
341.6.2248210 ()はやしたてまつり、かつはまた、片生(かたお)ひならむことをば、見隠(みかく)(をし)へきこえつべからむ(ひと)の、うしろやすからむに(あづ)けきこえばや」 "はやしたてまつり、かつはまた、かたおひならんことをば、みかくをしへきこえつべからんひとの、うしろやすからんにあづけきこえばや。"
341.6.3249211 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
341.6.4250212 大人(おとな)しき御乳母(おほんめのと)ども()()でて、御裳着(おほんもぎ)のほどのことなどのたまはするついでに、 おとなしきおほんめのとどもでて、おほんもぎのほどのことなどのたまはするついでに、
341.6.5251213 六条(ろくでう)大殿(おとど)の、式部卿親王(しきぶきゃうのみこ)女生(むすめお)ほし()てけむやうに、この(みや)(あづ)かりて(はぐく)まむ(ひと)もがな。ただ(うど)(なか)にはありがたし。内裏(うち)には中宮(ちゅうぐう)さぶらひたまふ。次々(つぎつぎ)女御(にょうご)たちとても、いとやむごとなき(かぎ)りものせらるるに、はかばかしき後見(うしろみ)なくて、さやうの()じらひ、いとなかなかならむ。 "ろくでうおとどの、しきぶきゃうのみこむすめおほしてけんやうに、このみやあづかりてはぐくまんひともがな。ただうどなかにはありがたし。うちにはちゅうぐうさぶらひたまふ。つぎつぎにょうごたちとても、いとやんごとなきかぎりものせらるるに、はかばかしきうしろみなくて、さやうのじらひ、いとなかなかならん。
341.6.6252214 この権中納言(ごんのちゅうなごん)朝臣(あそん)(ひと)りありつるほどに、うちかすめてこそ(こころ)みるべかりけれ。(わか)けれど、いと警策(きゃうざく)に、()先頼(さきたの)もしげなる(ひと)にこそあめるを」 このごんのちゅうなごんあそんひとりありつるほどに、うちかすめてこそこころみるべかりけれ。わかけれど、いときゃうざくに、さきたのもしげなるひとにこそあめるを。"
341.6.7253215 とのたまはす。 とのたまはす。
341.6.8254216 中納言(ちゅうなごん)は、もとよりいとまめ(びと)にて、(とし)ごろも、かのわたりに(こころ)をかけて、ほかざまに(おも)(うつ)ろふべくもはべらざりけるに、その(おも)(かな)ひては、いとど()るぐ(かた)はべらじ。 "ちゅうなごんは、もとよりいとまめびとにて、としごろも、かのわたりにこころをかけて、ほかざまにおもうつろふべくもはべらざりけるに、そのおもかなひては、いとどるぐかたはべらじ。
341.6.9255217 かの(ゐん)こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、(ひと)をゆかしく(おぼ)したる(こころ)は、()えずものせさせたまふなれ。その(なか)にも、やむごとなき御願(おほんねが)(ふか)くて、前斎院(さきのさいゐん)などをも、(いま)(わす)れがたくこそ、()こえたまふなれ」 かのゐんこそ、なかなか、なほいかなるにつけても、ひとをゆかしくおぼしたるこころは、えずものせさせたまふなれ。そのなかにも、やんごとなきおほんねがふかくて、さきのさいゐんなどをも、いまわすれがたくこそ、こえたまふなれ。"
341.6.10256218 (まう)す。 まうす。
341.6.11257219 「いで、その()りせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ」 "いで、そのりせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ。"
341.6.12258220 とはのたまはすれど、 とはのたまはすれど、
341.6.13259221 「げに、あまたの(なか)にかかづらひて、めざましかるべき(おも)ひはありとも、なほやがて(おや)ざまに(さだ)めたるにて、さもや(ゆづ)りおききこえまし」 "げに、あまたのなかにかかづらひて、めざましかるべきおもひはありとも、なほやがておやざまにさだめたるにて、さもやゆづりおききこえまし。"
341.6.14260222 なども、(おぼ)()すべし。 なども、おぼすべし。
341.6.15261223 「まことに、(すこ)しも()づきてあらせむと(おも)はむ女子持(をんなごも)たらば、(おな)じくは、かの(ひと)のあたりにこそ、()ればはせまほしけれ。いくばくならぬこの()のあひだは、さばかり(こころ)ゆくありさまにてこそ、()ぐさまほしけれ。 "まことに、すこしもづきてあらせんとおもはんをんなごもたらば、おなじくは、かのひとのあたりにこそ、ればはせまほしけれ。いくばくならぬこののあひだは、さばかりこころゆくありさまにてこそ、ぐさまほしけれ。
341.6.16262224 われ(をんな)ならば、(おな)じはらからなりとも、かならず(むつ)()りなまし。(わか)かりし(とき)など、さなむおぼえし。まして、(をんな)(あざむ)かれむは、いと、ことわりぞや」 われをんなならば、おなじはらからなりとも、かならずむつりなまし。わかかりしときなど、さなんおぼえし。まして、をんなあざむかれんは、いと、ことわりぞや。"
341.6.17263225 とのたまはせて、御心(みこころ)のうちに、尚侍(かん)(きみ)(おほん)ことも、(おぼ)()でらるべし。 とのたまはせて、みこころのうちに、かんきみおほんことも、おぼでらるべし。
342264226第二章 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾
342.1265227第一段 乳母と兄左中弁との相談
342.1.1266228 この御後見(おほんうしろみ)どもの(なか)に、重々(おもおも)しき御乳母(おほんめのと)(せうと)左中弁(さちゅうべん)なる、かの(ゐん)(した)しき(ひと)にて、(とし)ごろ(つか)うまつるありけり。この(みや)にも心寄(こころよ)せことにてさぶらへば、(まゐ)りたるにあひて、物語(ものがたり)するついでに、 このおほんうしろみどものなかに、おもおもしきおほんめのとせうとさちゅうべんなる、かのゐんしたしきひとにて、としごろつかうまつるありけり。このみやにもこころよせことにてさぶらへば、まゐりたるにあひて、ものがたりするついでに、
342.1.2267229 主上(うへ)なむ、しかしか()けしきありて()こえたまひしを、かの(ゐん)に、(をり)あらば()らしきこえさせたまへ。皇女(みこ)たちは、(ひと)りおはしますこそは(れい)のことなれど、さまざまにつけて心寄(こころよ)せたてまつり、(なに)ごとにつけても、御後見(おほんうしろみ)したまふ(ひと)あるは(たの)もしげなり。 "うへなん、しかしかけしきありてこえたまひしを、かのゐんに、をりあらばらしきこえさせたまへ。みこたちは、ひとりおはしますこそはれいのことなれど、さまざまにつけてこころよせたてまつり、なにごとにつけても、おほんうしろみしたまふひとあるはたのもしげなり。
342.1.3268230 主上(うへ)をおきたてまつりて、また真心(まごころ)(おも)ひきこえたまふべき(ひと)もなければ、おのらは、(つか)うまつるとても、(なに)ばかりの宮仕(みやづか)へにかあらむ。わが心一(こころひと)つにしもあらで、おのづから(おも)ひの(ほか)のこともおはしまし、軽々(かるがる)しき()こえもあらむ(とき)には、いかさまにかは、わづらはしからむ。御覧(ごらん)ずる()に、ともかくも、この(おほん)こと(さだ)まりたらば、(つか)うまつりよくなむあるべき。 うへをおきたてまつりて、またまごころおもひきこえたまふべきひともなければ、おのらは、つかうまつるとても、なにばかりのみやづかへにかあらん。わがこころひとつにしもあらで、おのづからおもひのほかのこともおはしまし、かるがるしきこえもあらんときには、いかさまにかは、わづらはしからん。ごらんずるに、ともかくも、このおほんことさだまりたらば、つかうまつりよくなんあるべき。
342.1.4269231 かしこき(すぢ)()こゆれど、(をんな)は、いと宿世定(すくせさだ)めがたくおはしますものなれば、よろづに(なげ)かしく、かくあまたの御中(おほんなか)に、()()ききこえさせたまふにつけても、(ひと)(そね)みあべかめるを、いかで(ちり)()ゑたてまつらじ」 かしこきすぢこゆれど、をんなは、いとすくせさだめがたくおはしますものなれば、よろづになげかしく、かくあまたのおほんなかに、ききこえさせたまふにつけても、ひとそねみあべかめるを、いかでちりゑたてまつらじ。"
342.1.5270232 (かた)らふに、(べん) かたらふに、べん
342.1.6271233 「いかなるべき(おほん)ことにかあらむ。(ゐん)は、あやしきまで御心長(みこころなが)く、(かり)にても()そめたまへる(ひと)は、御心(みこころ)とまりたるをも、またさしも(ふか)からざりけるをも、かたがたにつけて(たづ)()りたまひつつ、あまた(つど)へきこえたまへれど、やむごとなく(おぼ)したるは、(かぎ)りありて、一方(ひとかた)なめれば、それにことよりて、かひなげなる()まひしたまふ方々(かたがた)こそは(おほ)かめるを、御宿世(おほんすくせ)ありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじき(ひと)()こゆとも、()(なら)びておしたちたまふことは、えあらじとこそは()(はか)らるれど、なほ、いかがと(はばか)らるることありてなむおぼゆる。 "いかなるべきおほんことにかあらん。ゐんは、あやしきまでみこころながく、かりにてもそめたまへるひとは、みこころとまりたるをも、またさしもふかからざりけるをも、かたがたにつけてたづりたまひつつ、あまたつどへきこえたまへれど、やんごとなくおぼしたるは、かぎりありて、ひとかたなめれば、それにことよりて、かひなげなるまひしたまふかたがたこそはおほかめるを、おほんすくせありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじきひとこゆとも、ならびておしたちたまふことは、えあらじとこそははからるれど、なほ、いかがとはばからるることありてなんおぼゆる。
342.1.7272234 さるは、『この()(さか)え、(すゑ)()()ぎて、()(こころ)もとなきことはなきを、(をんな)(すぢ)にてなむ、(ひと)のもどきをも()ひ、わが(こころ)にも()かぬこともある』となむ、(つね)にうちうちのすさびごとにも(おぼ)しのたまはすなる。 さるは、'このさかえ、すゑぎて、こころもとなきことはなきを、をんなすぢにてなん、ひとのもどきをもひ、わがこころにもかぬこともある。'となん、つねにうちうちのすさびごとにもおぼしのたまはすなる。
342.1.8273235 げに、おのれらが()たてまつるにも、さなむおはします。かたがたにつけて、御蔭(みかげ)(かく)したまへる(ひと)(みな)その(ひと)ならず()(くだ)れる(きは)にはものしたまはねど、(かぎ)りあるただ(うど)どもにて、(ゐん)(おほん)ありさまに(なら)ぶべきおぼえ()したるやはおはすめる。 げに、おのれらがたてまつるにも、さなんおはします。かたがたにつけて、みかげかくしたまへるひとみなそのひとならずくだれるきはにはものしたまはねど、かぎりあるただうどどもにて、ゐんおほんありさまにならぶべきおぼえしたるやはおはすめる。
342.1.9274236 それに、(おな)じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる(おほん)あはひならむ」 それに、おなじくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたるおほんあはひならん。"
342.1.10275237 (かた)らふを、 かたらふを、
342.2276238第二段 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上
342.2.1277239 乳母(めのと)、またことのついでに、 めのと、またことのついでに、
342.2.2278240 「しかしかなむ、なにがしの朝臣(あそん)にほのめかしはべしかば、『かの(ゐん)には、かならずうけひき(まう)させたまひてむ。(とし)ごろの御本意(おほんほい)かなひて(おぼ)しぬべきことなるを、こなたの御許(おほんゆる)しまことにありぬべくは、(つた)へきこえむ』となむ(なう)しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ。 "しかしかなん、なにがしのあそんにほのめかしはべしかば、'かのゐんには、かならずうけひきまうさせたまひてん。としごろのおほんほいかなひておぼしぬべきことなるを、こなたのおほんゆるしまことにありぬべくは、つたへきこえん。'となんなうしはべりしを、いかなるべきことにかははべらん。
342.2.3279241 ほどほどにつけて、(ひと)際々思(きはぎはおぼ)しわきまへつつ、ありがたき御心(みこころ)ざまにものしたまふなれど、ただ(うど)だに、またかかづらひ(おも)人立(ひとた)(なら)びたることは、(ひと)()かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。御後見望(おほんうしろみのぞ)みたまふ(ひと)びとは、あまたものしたまふめり。 ほどほどにつけて、ひときはぎはおぼしわきまへつつ、ありがたきみこころざまにものしたまふなれど、ただうどだに、またかかづらひおもひとたならびたることは、ひとかぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらん。おほんうしろみのぞみたまふひとびとは、あまたものしたまふめり。
342.2.4280242 よく(おぼ)(さだ)めてこそよくはべらめ。(かぎ)りなき(ひと)()こゆれど、(いま)()のやうとては、(みな)ほがらかに、あるべかしくて、()(なか)御心(みこころ)()ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、姫宮(ひめみや)は、あさましくおぼつかなく、(こころ)もとなくのみ()えさせたまふに、さぶらふ(ひと)びとは、(つか)うまつる(かぎ)りこそはべらめ。 よくおぼさだめてこそよくはべらめ。かぎりなきひとこゆれど、いまのやうとては、みなほがらかに、あるべかしくて、なかみこころぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、ひめみやは、あさましくおぼつかなく、こころもとなくのみえさせたまふに、さぶらふひとびとは、つかうまつるかぎりこそはべらめ。
342.2.5281243 おほかたの御心(みこころ)おきてに(したが)ひきこえて、(さか)しき下人(しもびと)もなびきさぶらふこそ、(たよ)りあることにはべらめ。()()てたる御後見(おほんうしろみ)ものしたまはざらむは、なほ心細(こころぼそ)きわざになむはべるべき」 おほかたのみこころおきてにしたがひきこえて、さかしきしもびともなびきさぶらふこそ、たよりあることにはべらめ。てたるおほんうしろみものしたまはざらんは、なほこころぼそきわざになんはべるべき。"
342.2.6282244 ()こゆ。 こゆ。
342.3283245第三段 朱雀院、内親王の結婚を苦慮
342.3.1284246 「しか(おも)ひたどるによりなむ。皇女(みこ)たちの()づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また(たか)(きは)といへども、(をんな)(をとこ)()ゆるにつけてこそ、(くや)しげなることも、めざましき(おも)ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦(こころぐる)しく(おも)(みだ)るるを、また、さるべき(ひと)()ちおくれて、(たの)(かげ)どもに(わか)れぬる(のち)(こころ)()てて()(なか)()ぐさむことも、(むかし)は、(ひと)(こころ)たひらかにて、()(ゆる)さるまじきほどのことをば、(おも)(およ)ばぬものとならひたりけむ、(いま)()には、()()きしく(みだ)りがはしきことも、(るい)()れて()こゆめりかし。 "しかおもひたどるによりなん。みこたちのづきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、またたかきはといへども、をんなをとこゆるにつけてこそ、くやしげなることも、めざましきおもひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつはこころぐるしくおもみだるるを、また、さるべきひとちおくれて、たのかげどもにわかれぬるのちこころててなかぐさんことも、むかしは、ひとこころたひらかにて、ゆるさるまじきほどのことをば、おもおよばぬものとならひたりけん、いまには、きしくみだりがはしきことも、るいれてこゆめりかし。
342.3.2285247 昨日(きのふ)まで(たか)(おや)(いへ)にあがめられかしづかれし(ひと)(むすめ)の、今日(けふ)直々(なほなほ)しく(くだ)れる(きは)()(もの)どもに()()(あざむ)かれて、()(おや)(おもて)()せ、(かげ)()づかしむるたぐひ(おほ)()こゆる。()ひもてゆけば皆同(みなおな)じことなり。 きのふまでたかおやいへにあがめられかしづかれしひとむすめの、けふなほなほしくくだれるきはものどもにあざむかれて、おやおもてせ、かげづかしむるたぐひおほこゆる。ひもてゆけばみなおなじことなり。
342.3.3286248 ほどほどにつけて、宿世(すくせ)などいふなることは、()りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ。すべて、()しくも()くも、さるべき(ひと)(こころ)(ゆる)しおきたるままにて()(なか)()ぐすは、宿世宿世(すくせすくせ)にて、(のち)()(おとろ)へある(とき)も、みづからの(あやま)ちにはならず。 ほどほどにつけて、すくせなどいふなることは、りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなん。すべて、しくもくも、さるべきひとこころゆるしおきたるままにてなかぐすは、すくせすくせにて、のちおとろへあるときも、みづからのあやまちにはならず。
342.3.4287249 あり()て、こよなき(さいは)ひあり、めやすきことになる(をり)は、かくても()しからざりけりと()ゆれど、なほ、たちまちふとうち()きつけたるほどは、(おや)()られず、さるべき(ひと)(ゆる)さぬに、(こころ)づからの(しの)びわざし()でたるなむ、(をんな)()にはますことなき(きず)とおぼゆるわざなる。 ありて、こよなきさいはひあり、めやすきことになるをりは、かくてもしからざりけりとゆれど、なほ、たちまちふとうちきつけたるほどは、おやられず、さるべきひとゆるさぬに、こころづからのしのびわざしでたるなん、をんなにはますことなききずとおぼゆるわざなる。
342.3.5288250 直々(なほなほ)しきただ(うど)(なか)らひにてだに、あはつけく(こころ)づきなきことなり。みづからの(こころ)より(はな)れてあるべきにもあらぬを、(おも)(こころ)よりほかに(ひと)にも()えず、宿世(すくせ)のほど(さだ)められむなむ、いと軽々(かろがろ)しく、()のもてなし、ありさま()(はか)らるることなるを。 なほなほしきただうどなからひにてだに、あはつけくこころづきなきことなり。みづからのこころよりはなれてあるべきにもあらぬを、おもこころよりほかにひとにもえず、すくせのほどさだめられんなん、いとかろがろしく、のもてなし、ありさまはからるることなるを。
342.3.6289251 あやしくものはかなき(こころ)ざまにやと()ゆめる(おほん)さまなるを、これかれの(こころ)にまかせ、もてなしきこゆな、さやうなることの()()()でむこと、いと()きことなり」 あやしくものはかなきこころざまにやとゆめるおほんさまなるを、これかれのこころにまかせ、もてなしきこゆな、さやうなることのでんこと、いときことなり。"
342.3.7290252 など、見捨(みす)てたてまつりたまはむ(のち)()を、うしろめたげに(おも)ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく(おも)ひあへり。 など、みすてたてまつりたまはんのちを、うしろめたげにおもひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしくおもひあへり。
342.4291253第四段 朱雀院、婿候補者を批評
342.4.1292254 (いま)すこしものをも(おも)()りたまふほどまで見過(みす)ぐさむとこそは、(とし)ごろ(ねん)じつるを、(ふか)本意(ほい)()げずなりぬべき心地(ここち)のするに(おも)ひもよほされてなむ。 "いますこしものをもおもりたまふほどまでみすぐさんとこそは、としごろねんじつるを、ふかほいげずなりぬべきここちのするにおもひもよほされてなん。
342.4.2293255 かの六条(ろくでう)大殿(おとど)は、げに、さりともものの心得(こころえ)て、うしろやすき(かた)はこよなかりなむを、方々(かたがた)にあまたものせらるべき(ひと)びとを()るべきにもあらずかし。とてもかくても、(ひと)(こころ)からなり。のどかにおちゐて、おほかたの()のためしとも、うしろやすき(かた)(なら)びなくものせらるる(ひと)なり。さらで()ろしかるべき(ひと)()ればかりかはあらむ。 かのろくでうおとどは、げに、さりとももののこころえて、うしろやすきかたはこよなかりなんを、かたがたにあまたものせらるべきひとびとをるべきにもあらずかし。とてもかくても、ひとこころからなり。のどかにおちゐて、おほかたののためしとも、うしろやすきかたならびなくものせらるるひとなり。さらでろしかるべきひとればかりかはあらん。
342.4.3294256 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)人柄(ひとがら)はめやすしかし。(おな)じき(すぢ)にて、異人(ことびと)とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、(おも)(かた)おくれて、すこし(かろ)びたるおぼえや(すす)みにたらむ。なほ、さる(ひと)はいと(たの)もしげなくなむある。 ひゃうぶきゃうのみやひとがらはめやすしかし。おなじきすぢにて、ことびととわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、おもかたおくれて、すこしかろびたるおぼえやすすみにたらん。なほ、さるひとはいとたのもしげなくなんある。
342.4.4295257 また、大納言(だいなごん)朝臣(あそん)家司望(いへづかさのぞ)むなる、さる(かた)に、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる(きは)は、なほめざましくなむあるべき。 また、だいなごんあそんいへづかさのぞむなる、さるかたに、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたるきはは、なほめざましくなんあるべき。
342.4.5296258 (むかし)も、かうやうなる(えら)びには、何事(なにごと)(ひと)(こと)なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。ただひとへに、またなく()ちゐむ(かた)ばかりを、かしこきことに(おも)(さだ)めむは、いと()かず口惜(くちを)しかるべきわざになむ。 むかしも、かうやうなるえらびには、なにごとひとことなるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。ただひとへに、またなくちゐんかたばかりを、かしこきことにおもさだめんは、いとかずくちをしかるべきわざになん。
342.4.6297259 右衛門督(ゑもんのかみ)(した)にわぶなるよし、尚侍(ないしのかみ)のものせられし、その(ひと)ばかりなむ、(くらゐ)など(いま)すこしものめかしきほどになりなば、などかは、とも(おも)()りぬべきを、まだ(とし)いと(わか)くて、むげに(かろ)びたるほどなり。 ゑもんのかみしたにわぶなるよし、ないしのかみのものせられし、そのひとばかりなん、くらゐなどいますこしものめかしきほどになりなば、などかは、ともおもりぬべきを、まだとしいとわかくて、むげにかろびたるほどなり。
342.4.7298260 (たか)(こころ)ざし(ふか)くて、やもめにて()ぐしつつ、いたくしづまり(おも)()がれるけしき、(ひと)には()けて、(ざえ)などもこともなく、つひには()のかためとなるべき(ひと)なれば、()(すゑ)(たの)もしけれど、なほまたこのためにと(おも)()てむには、(かぎ)りぞあるや」 たかこころざしふかくて、やもめにてぐしつつ、いたくしづまりおもがれるけしき、ひとにはけて、ざえなどもこともなく、つひにはのかためとなるべきひとなれば、すゑたのもしけれど、なほまたこのためにとおもてんには、かぎりぞあるや。"
342.4.8299261 と、よろづに(おぼ)しわづらひたり。 と、よろづにおぼしわづらひたり。
342.4.9300262 かうやうにも(おぼ)()らぬ姉宮(あねみや)たちをば、かけても()こえ(なや)ましたまふ(ひと)もなし。あやしく、うちうちにのたまはする(おほん)ささめき(ごと)どもの、おのづからひろごりて、(こころ)()くす(ひと)びと(おほ)かりけり。 かうやうにもおぼらぬあねみやたちをば、かけてもこえなやましたまふひともなし。あやしく、うちうちにのたまはするおほんささめきごとどもの、おのづからひろごりて、こころくすひとびとおほかりけり。
342.5301263第五段 婿候補者たちの動静
342.5.1302264 太政大臣(おほきおとど)も、 おほきおとども、
342.5.2303265 「この衛門督(ゑもんのかみ)の、(いま)までひとりのみありて、皇女(みこ)たちならずは()じと(おも)へるを、かかる御定(おほんさだ)めども()()たなる(をり)に、さやうにもおもむけたてまつりて、()()せられたらむ(とき)、いかばかりわがためにも面目(めんぼく)ありてうれしからむ」 "このゑもんのかみの、いままでひとりのみありて、みこたちならずはじとおもへるを、かかるおほんさだめどもたなるをりに、さやうにもおもむけたてまつりて、せられたらんとき、いかばかりわがためにもめんぼくありてうれしからん。"
342.5.3304266 と、(おぼ)しのたまひて、尚侍(ないしのかん)(きみ)には、かの姉北(あねきた)(かた)して、(つた)(まう)したまふなりけり。よろづ(かぎ)りなき(こと)()()くして(そう)せさせ、()けしき(たま)はらせたまふ。 と、おぼしのたまひて、ないしのかんきみには、かのあねきたかたして、つたまうしたまふなりけり。よろづかぎりなきことくしてそうせさせ、けしきたまはらせたまふ。
342.5.4305267 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)は、左大将(さだいしゃう)(きた)(かた)()こえ(はづ)したまひて、()きたまふらむところもあり、かたほならむことはと、()()ぐしたまふに、いかがは御心(みこころ)(うご)かざらむ。(かぎ)りなく(おぼ)()られたり。 ひゃうぶきゃうのみやは、さだいしゃうきたかたこえはづしたまひて、きたまふらんところもあり、かたほならんことはと、ぐしたまふに、いかがはみこころうごかざらん。かぎりなくおぼられたり。
342.5.5306268 藤大納言(とうだいなごん)は、(とし)ごろ(ゐん)別当(べたう)にて、(した)しく(つか)うまつりてさぶらひ()れにたるを、御山籠(みやまご)もりしたまひなむ(のち)()(どころ)なく心細(こころぼそ)かるべきに、この(みや)御後見(おほんうしろみ)にことよせて、(かへり)みさせたまふべく、()けしき(せち)(たま)はりたまふなるべし。 とうだいなごんは、としごろゐんべたうにて、したしくつかうまつりてさぶらひれにたるを、みやまごもりしたまひなんのちどころなくこころぼそかるべきに、このみやおほんうしろみにことよせて、かへりみさせたまふべく、けしきせちたまはりたまふなるべし。
342.6307269第六段 夕霧の心中
342.6.1308270 権中納言(ごんのちゅうなごん)も、かかることどもを()きたまふに、 ごんのちゅうなごんも、かかることどもをきたまふに、
342.6.2309271 人伝(ひとづ)てにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりし()けしきを()たてまつりてしかば、おのづから便(たよ)りにつけて、()らし、()こし()さることもあらば、よももて(はな)れてはあらじかし」 "ひとづてにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりしけしきをたてまつりてしかば、おのづからたよりにつけて、らし、こしさることもあらば、よももてはなれてはあらじかし。"
342.6.3310272 と、(こころ)ときめきもしつべけれど、 と、こころときめきもしつべけれど、
342.6.4311273 女君(をんなぎみ)(いま)はとうちとけて(たの)みたまへるを、(とし)ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、(ほか)ざまの(こころ)もなくて()ぐしてしを、あやにくに、(いま)さらに()(かへ)り、にはかに(もの)をや(おも)はせきこえむ。なのめならずやむごとなき(かた)にかかづらひなば、(なに)ごとも(おも)ふままならで、左右(ひだりみぎ)(やす)からずは、わが()(くる)しくこそはあらめ」 "をんなぎみいまはとうちとけてたのみたまへるを、としごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、ほかざまのこころもなくてぐしてしを、あやにくに、いまさらにかへり、にはかにものをやおもはせきこえん。なのめならずやんごとなきかたにかかづらひなば、なにごともおもふままならで、ひだりみぎやすからずは、わがくるしくこそはあらめ。"
342.6.5312274 など、もとより()()きしからぬ(こころ)なれば、(おも)ひしづめつつうち()でねど、さすがに(ほか)ざまに(さだ)まり()てたまはむも、いかにぞやおぼえて、(みみ)はとまりけり。 など、もとよりきしからぬこころなれば、おもひしづめつつうちでねど、さすがにほかざまにさだまりてたまはんも、いかにぞやおぼえて、みみはとまりけり。
342.7313275第七段 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす
342.7.1314276 春宮(とうぐう)にも、かかることども()こし()して、 とうぐうにも、かかることどもこしして、
342.7.2315277 「さし()たりたるただ(いま)のことよりも、(のち)()(ためし)ともなるべきことなるを、よく(おぼ)()しめぐらすべきことなり。人柄(ひとがら)よろしとても、ただ(うど)(かぎ)りあるを、なほ、しか(おぼ)()つことならば、かの六条院(ろくでうのゐん)にこそ、(おや)ざまに(ゆづ)りきこえさせたまはめ」 "さしたりたるただいまのことよりも、のちためしともなるべきことなるを、よくおぼしめぐらすべきことなり。ひとがらよろしとても、ただうどかぎりあるを、なほ、しかおぼつことならば、かのろくでうのゐんにこそ、おやざまにゆづりきこえさせたまはめ。"
342.7.3316278 となむ、わざとの御消息(おほんせうそこ)とはあらねど、()けしきありけるを、()()かせたまひても、 となん、わざとのおほんせうそことはあらねど、けしきありけるを、かせたまひても、
342.7.4317279 「げに、さることなり。いとよく(おぼ)しのたまはせたり」 "げに、さることなり。いとよくおぼしのたまはせたり。"
342.7.5318280 と、いよいよ御心立(みこころた)たせたまひて、まづ、かの(べん)してぞ、かつがつ案内伝(あないつた)へきこえさせたまひける。 と、いよいよみこころたたせたまひて、まづ、かのべんしてぞ、かつがつあないつたへきこえさせたまひける。
342.8319281第八段 源氏、承諾の意向を示す
342.8.1320282 この(みや)(おほん)こと、かく(おぼ)しわづらふさまは、さきざきも皆聞(みなき)きおきたまへれば、 このみやおほんこと、かくおぼしわづらふさまは、さきざきもみなききおきたまへれば、
342.8.2321283 心苦(こころぐる)しきことにもあなるかな。さはありとも、(ゐん)御世残(みよのこ)りすくなしとて、ここにはまた、いくばく()ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見(おほんうしろみ)(こと)をば()けとりきこえむ。げに、次第(しだい)(あやま)たぬにて、(いま)しばしのほども(のこ)りとまる(かぎ)りあらば、おほかたにつけては、いづれの皇女(みこ)たちをも、よそに()(はな)ちたてまつるべきにもあらねど、またかく()()きて()きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見(うしろみ)きこえめと(おも)ふを、それだにいと不定(ふぢゃう)なる()(さだ)めなさなりや」 "こころぐるしきことにもあなるかな。さはありとも、ゐんみよのこりすくなしとて、ここにはまた、いくばくちおくれたてまつるべしとてか、そのおほんうしろみことをばけとりきこえん。げに、しだいあやまたぬにて、いましばしのほどものこりとまるかぎりあらば、おほかたにつけては、いづれのみこたちをも、よそにはなちたてまつるべきにもあらねど、またかくきてきおきたてまつりてんをば、ことにこそはうしろみきこえめとおもふを、それだにいとふぢゃうなるさだめなさなりや。"
342.8.3322284 とのたまひて、 とのたまひて、
342.8.4323285 「まして、ひとつに(たの)まれたてまつるべき(すぢ)に、むつび()れきこえむことは、いとなかなかに、うち(つづ)()()らむきざみ心苦(こころぐる)しく、みづからのためにも(あさ)からぬほだしになむあるべき。 "まして、ひとつにたのまれたてまつるべきすぢに、むつびれきこえんことは、いとなかなかに、うちつづらんきざみこころぐるしく、みづからのためにもあさからぬほだしになんあるべき。
342.8.5324286 中納言(ちゅうなごん)などは、年若(としわか)軽々(かろがろ)しきやうなれど、()先遠(さきとほ)くて、人柄(ひとがら)も、つひに朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)ともなりぬべき()(さき)なめれば、さも(おぼ)()らむに、などかこよなからむ。 ちゅうなごんなどは、としわかかろがろしきやうなれど、さきとほくて、ひとがらも、つひにおほやけおほんうしろみともなりぬべきさきなめれば、さもおぼらんに、などかこよなからん。
342.8.6325287 されど、いといたくまめだちて、(おも)人定(ひとさだ)まりにてぞあめれば、それに(はばか)らせたまふにやあらむ」 されど、いといたくまめだちて、おもひとさだまりにてぞあめれば、それにはばからせたまふにやあらん。"
342.8.7326288 などのたまひて、みづからは(おぼ)(はな)れたるさまなるを、(べん)は、おぼろけの御定(おほんさだ)めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしく、口惜(くちを)しくも(おも)ひて、うちうちに(おぼ)()ちにたるさまなど、(くは)しく()こゆれば、さすがに、うち()みつつ、 などのたまひて、みづからはおぼはなれたるさまなるを、べんは、おぼろけのおほんさだめにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしく、くちをしくもおもひて、うちうちにおぼちにたるさまなど、くはしくこゆれば、さすがに、うちみつつ、
342.8.8327289 「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女(みこ)なめれば、あながちにかく()方行(かたゆ)(さき)のたどりも(ふか)きなめりかしな。ただ、内裏(うち)にこそたてまつりたまはめ。やむごとなきまづの(ひと)びとおはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。かならずさりとて、(すゑ)人疎(ひとおろ)かなるやうもなし。 "いとかなしくしたてまつりたまふみこなめれば、あながちにかくかたゆさきのたどりもふかきなめりかしな。ただ、うちにこそたてまつりたまはめ。やんごとなきまづのひとびとおはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。かならずさりとて、すゑひとおろかなるやうもなし。
342.8.9328290 故院(こゐん)御時(おほんとき)に、大后(おほきさき)の、(ばう)(はじ)めの女御(にょうご)にて、いきまきたまひしかど、むげの(すゑ)(まゐ)りたまへりし入道宮(にふだうのみや)に、しばしは()されたまひにきかし。 こゐんおほんときに、おほきさきの、ばうはじめのにょうごにて、いきまきたまひしかど、むげのすゑまゐりたまへりしにふだうのみやに、しばしはされたまひにきかし。
342.8.10329291 この皇女(みこ)御母女御(おほんははにょうご)こそは、かの(みや)(おほん)はらからにものしたまひけめ。容貌(かたち)も、さしつぎには、いとよしと()はれたまひし(ひと)なりしかば、いづ(かた)につけても、この姫宮(ひめみや)おしなべての(きは)にはよもおはせじを」 このみこおほんははにょうごこそは、かのみやおほんはらからにものしたまひけめ。かたちも、さしつぎには、いとよしとはれたまひしひとなりしかば、いづかたにつけても、このひめみやおしなべてのきはにはよもおはせじを。"
342.8.11330292 など、いぶかしくは(おも)ひきこえたまふべし。 など、いぶかしくはおもひきこえたまふべし。
343331293第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
343.1332294第一段 歳末、女三の宮の裳着催す
343.1.1333295 (とし)()れぬ。朱雀院(しゅじゃくゐん)には、御心地(みここち)なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく(おぼ)()ちて、御裳着(おほんもぎ)のことは、(おぼ)しいそぐさま、()方行(かたゆ)(さき)ありがたげなるまで、いつくしくののしる。 としれぬ。しゅじゃくゐんには、みここちなほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしくおぼちて、おほんもぎのことは、おぼしいそぐさま、かたゆさきありがたげなるまで、いつくしくののしる。
343.1.2334296 (おほん)しつらひは、柏殿(かへどの)西面(にしおもて)に、御帳(みちゃう)御几帳(みきちゃう)よりはじめて、ここの綾錦混(あやにしきま)ぜさせたまはず、唐土(もろこし)(きさき)(かざ)りを(おぼ)しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調(ととの)へさせたまへり。 おほんしつらひは、かへどのにしおもてに、みちゃうみきちゃうよりはじめて、ここのあやにしきまぜさせたまはず、もろこしきさきかざりをおぼしやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかりととのへさせたまへり。
343.1.3335297 御腰結(おほんこしゆひ)には、太政大臣(おほきおとど)をかねてより()こえさせたまへりければ、ことことしくおはする(ひと)にて、(まゐ)りにくく(おぼ)しけれど、(ゐん)御言(おほんこと)(むかし)より(そむ)(まう)したまはねば、(まゐ)りたまふ。 おほんこしゆひには、おほきおとどをかねてよりこえさせたまへりければ、ことことしくおはするひとにて、まゐりにくくおぼしけれど、ゐんおほんことむかしよりそむまうしたまはねば、まゐりたまふ。
343.1.4336298 今二所(いまふたところ)大臣(おとど)たち、その(のこ)上達部(かんだちめ)などは、わりなき(さは)りあるも、あながちにためらひ(たす)けつつ(まゐ)りたまふ。親王(みこ)たち八人(はちにん)殿上人(てんじゃうびと)はたさらにもいはず、内裏(うち)春宮(とうぐう)(のこ)らず(まゐ)(つど)ひて、いかめしき(おほん)いそぎの(ひび)きなり。 いまふたところおとどたち、そののこかんだちめなどは、わりなきさはりあるも、あながちにためらひたすけつつまゐりたまふ。みこたちはちにんてんじゃうびとはたさらにもいはず、うちとうぐうのこらずまゐつどひて、いかめしきおほんいそぎのひびきなり。
343.1.5337299 (ゐん)(おほん)こと、このたびこそとぢめなれと、(みかど)春宮(とうぐう)をはじめたてまつりて、心苦(こころぐる)しく()こし()しつつ、蔵人所(くらうどどころ)納殿(をさめどの)唐物(からもの)ども、(おほ)(たてまつ)らせたまへり。 ゐんおほんこと、このたびこそとぢめなれと、みかどとうぐうをはじめたてまつりて、こころぐるしくこししつつ、くらうどどころをさめどのからものども、おほたてまつらせたまへり。
343.1.6338300 六条院(ろくでうのゐん)よりも、(おほん)とぶらひいとこちたし。(おく)(もの)ども、(ひと)びとの(ろく)尊者(そんじゃ)大臣(おとど)御引出物(おほんひきいでもの)など、かの(ゐん)よりぞ(たてまつ)らせたまひける。 ろくでうのゐんよりも、おほんとぶらひいとこちたし。おくものども、ひとびとのろくそんじゃおとどおほんひきいでものなど、かのゐんよりぞたてまつらせたまひける。
343.2339301第二段 秋好中宮、櫛を贈る
343.2.1340302 中宮(ちゅうぐう)よりも、御装束(おほんさうぞく)(くし)(はこ)(こころ)ことに調(てう)ぜさせたまひて、かの(むかし)御髪上(みぐしあげ)()、ゆゑあるさまに(あらた)(くは)へて、さすがに(もと)(こころ)ばへも(うしな)はず、それと()せて、その()(ゆふ)(かた)(たてまつ)れさせたまふ。(みや)(ごん)(すけ)(ゐん)殿上(てんじゃう)にもさぶらふを御使(おほんつかひ)にて、姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)(まゐ)らすべくのたまはせつれど、かかる(こと)ぞ、(なか)にありける。 ちゅうぐうよりも、おほんさうぞくくしはここころことにてうぜさせたまひて、かのむかしみぐしあげ、ゆゑあるさまにあらたくはへて、さすがにもとこころばへもうしなはず、それとせて、そのゆふかたたてまつれさせたまふ。みやごんすけゐんてんじゃうにもさぶらふをおほんつかひにて、ひめみやおほんかたまゐらすべくのたまはせつれど、かかることぞ、なかにありける。
343.2.2341304 「さしながら(むかし)(いま)(つた)ふれば<BR/>(たま)小櫛(をぐし)(かみ)さびにける」 "〔さしながらむかしいまつたふれば<BR/>たまをぐしかみさびにける〕
343.2.3342305 (ゐん)御覧(ごらん)じつけて、あはれに(おぼ)()でらるることもありけり。あえ(もの)けしうはあらじと(ゆづ)りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき(かんざし)なれば、御返(おほんかへ)りも、(むかし)のあはれをばさしおきて、 ゐんごらんじつけて、あはれにおぼでらるることもありけり。あえものけしうはあらじとゆづりきこえたまへるほど、げに、おもだたしきかんざしなれば、おほんかへりも、むかしのあはれをばさしおきて、
343.2.4343306 「さしつぎに()るものにもが万世(よろづよ)を<BR/>黄楊(つげ)小櫛(をぐし)(かみ)さぶるまで」 "〔さしつぎにるものにもがよろづよを<BR/>つげをぐしかみさぶるまで〕
343.2.5344307 とぞ(いは)ひきこえたまへる。 とぞいはひきこえたまへる。
343.3345308第三段 朱雀院、出家す
343.3.1346309 御心地(みここち)いと(くる)しきを(ねん)じつつ、(おぼ)()こして、この(おほん)いそぎ()てぬれば、三日過(みかす)ぐして、つひに御髪下(みぐしお)ろしたまふ。よろしきほどの(ひと)(うへ)にてだに、(いま)はとてさま()はるは(かな)しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々(おほんかたがた)(おぼ)(まど)ふ。 みここちいとくるしきをねんじつつ、おぼこして、このおほんいそぎてぬれば、みかすぐして、つひにみぐしおろしたまふ。よろしきほどのひとうへにてだに、いまはとてさまはるはかなしげなるわざなれば、まして、いとあはれげにおほんかたがたおぼまどふ。
343.3.2347310 尚侍(ないしのかん)(きみ)は、つとさぶらひたまひて、いみじく(おぼ)()りたるを、こしらへかねたまひて、 ないしのかんきみは、つとさぶらひたまひて、いみじくおぼりたるを、こしらへかねたまひて、
343.3.3348311 ()(おも)(みち)(かぎ)りありけり。かく(おも)ひしみたまへる(わか)れの()へがたくもあるかな」 "おもみちかぎりありけり。かくおもひしみたまへるわかれのへがたくもあるかな。"
343.3.4349312 とて、御心乱(みこころみだ)れぬべけれど、あながちに御脇息(おほんけふそく)にかかりたまひて、(やま)座主(ざす)よりはじめて、御忌(おほんい)むことの阿闍梨三人(あざりみたり)さぶらひて、法服(ほふぶく)などたてまつるほど、この()(わか)れたまふ御作法(おほんさほふ)、いみじく(かな)し。 とて、みこころみだれぬべけれど、あながちにおほんけふそくにかかりたまひて、やまざすよりはじめて、おほんいむことのあざりみたりさぶらひて、ほふぶくなどたてまつるほど、このわかれたまふおほんさほふ、いみじくかなし。
343.3.5350313 今日(けふ)は、()(おも)()ましたる(そう)たちなどだに、(なみだ)もえとどめねば、まして女宮(をんなみや)たち、女御(にょうご)更衣(かうい)、ここらの男女(をとこをんな)上下(かみしも)ゆすり()ちて()きとよむに、いと(こころ)あわたたしう、かからで、(しづ)やかなる(ところ)に、やがて()もるべく(おぼ)しまうけける本意違(ほいたが)ひて(おぼ)()さるるも、「ただ、この(をさな)(みや)にひかされて」と(おぼ)しのたまはす。 けふは、おもましたるそうたちなどだに、なみだもえとどめねば、ましてをんなみやたち、にょうごかうい、ここらのをとこをんなかみしもゆすりちてきとよむに、いとこころあわたたしう、かからで、しづやかなるところに、やがてもるべくおぼしまうけけるほいたがひておぼさるるも、"ただ、このをさなみやにひかされて。"とおぼしのたまはす。
343.3.6351314 内裏(うち)よりはじめたてまつりて、(おほん)とぶらひのしげさ、いとさらなり。 うちよりはじめたてまつりて、おほんとぶらひのしげさ、いとさらなり。
343.4352315第四段 源氏、朱雀院を見舞う
343.4.1353316 六条院(ろくでうのゐん)も、すこし御心地(みここち)よろしくと()きたてまつらせたまひて、(まゐ)りたまふ。御賜(おほんたう)ばりの御封(みふ)などこそ、皆同(みなおな)じごと、()りゐの(みかど)(ひと)しく(さだ)まりたまへれど、まことの太上天皇(だいじゃうてんわう)儀式(ぎしき)にはうけばりたまはず。()のもてなし(おも)ひきこえたるさまなどは、(こころ)ことなれど、ことさらに()ぎたまひて、(れい)の、ことことしからぬ御車(みくるま)にたてまつりて、上達部(かんだちめ)など、さるべき(かぎ)り、(くるま)にてぞ(つか)うまつりたまへる。 ろくでうのゐんも、すこしみここちよろしくときたてまつらせたまひて、まゐりたまふ。おほんたうばりのみふなどこそ、みなおなじごと、りゐのみかどひとしくさだまりたまへれど、まことのだいじゃうてんわうぎしきにはうけばりたまはず。のもてなしおもひきこえたるさまなどは、こころことなれど、ことさらにぎたまひて、れいの、ことことしからぬみくるまにたてまつりて、かんだちめなど、さるべきかぎり、くるまにてぞつかうまつりたまへる。
343.4.2354317 (ゐん)には、いみじく()ちよろこびきこえさせたまひて、(くる)しき御心地(みここち)(おぼ)(つよ)りて、御対面(おほんたいめん)あり。うるはしきさまならず、ただおはします(かた)に、御座(おまし)よそひ(くは)へて、()れたてまつりたまふ。 ゐんには、いみじくちよろこびきこえさせたまひて、くるしきみここちおぼつよりて、おほんたいめんあり。うるはしきさまならず、ただおはしますかたに、おましよそひくはへて、れたてまつりたまふ。
343.4.3355318 ()はりたまへる(おほん)ありさま()たてまつりたまふに、()方行(かたゆ)先暮(さきく)れて、(かな)しくとめがたく(おぼ)さるれば、とみにもえためらひたまはず。 はりたまへるおほんありさまたてまつりたまふに、かたゆさきくれて、かなしくとめがたくおぼさるれば、とみにもえためらひたまはず。
343.4.4356319 故院(こゐん)におくれたてまつりしころほひより、()(つね)なく(おも)うたまへられしかば、この(かた)本意深(ほいふか)(すす)みはべりにしを、心弱(こころよわ)(おも)うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく()たてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬる(こころ)のぬるさを、()づかしく(おも)うたまへらるるかな。 "こゐんにおくれたてまつりしころほひより、つねなくおもうたまへられしかば、このかたほいふかすすみはべりにしを、こころよわおもうたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかくたてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬるこころのぬるさを、づかしくおもうたまへらるるかな。
343.4.5357320 ()にとりては、ことにもあるまじく(おも)うたまへたちはべる折々(をりをり)あるを、さらにいと(しの)びがたきこと(おほ)かりぬべきわざにこそはべりけれ」 にとりては、ことにもあるまじくおもうたまへたちはべるをりをりあるを、さらにいとしのびがたきことおほかりぬべきわざにこそはべりけれ。"
343.4.6358321 と、(なぐさ)めがたく(おぼ)したり。 と、なぐさめがたくおぼしたり。
343.5359322第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う
343.5.1360323 (ゐん)も、もの心細(こころぼそ)(おぼ)さるるに、え心強(こころづよ)からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、(いま)御物語(おほんものがたり)、いと(よわ)げに()こえさせたまひて、 ゐんも、ものこころぼそおぼさるるに、えこころづよからず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、いまおほんものがたり、いとよわげにこえさせたまひて、
343.5.2361324 今日(けふ)明日(あす)かとおぼえはべりつつ、さすがにほど()ぬるを、うちたゆみて、(ふか)本意(ほい)(はし)にても()げずなりなむこと、と(おも)()こしてなむ。 "けふあすかとおぼえはべりつつ、さすがにほどぬるを、うちたゆみて、ふかほいはしにてもげずなりなんこと、とおもこしてなん。
343.5.3362325 かくても(のこ)りの(よはひ)なくは、(おこ)なひの(こころ)ざしも(かな)ふまじけれど、まづ(かり)にても、のどめおきて、念仏(ねんぶつ)をだにと(おも)ひはべる。はかばかしからぬ()にても、()にながらふること、ただこの(こころ)ざしにひきとどめられたると、(おも)うたまへ()られぬにしもあらぬを、(いま)まで(つと)めなき(おこた)りをだに、(やす)からずなむ」 かくてものこりのよはひなくは、おこなひのこころざしもかなふまじけれど、まづかりにても、のどめおきて、ねんぶつをだにとおもひはべる。はかばかしからぬにても、にながらふること、ただこのこころざしにひきとどめられたると、おもうたまへられぬにしもあらぬを、いままでつとめなきおこたりをだに、やすからずなん。"
343.5.4363326 とて、(おぼ)しおきてたるさまなど、(くは)しくのたまはするついでに、 とて、おぼしおきてたるさまなど、くはしくのたまはするついでに、
343.5.5364327 女皇女(をんなみこ)たちを、あまたうち()てはべるなむ心苦(こころぐる)しき。(なか)にも、また(おも)(ゆづ)(ひと)なきをば、()()きうしろめたく、()わづらひはべる」 "をんなみこたちを、あまたうちてはべるなんこころぐるしき。なかにも、またおもゆづひとなきをば、きうしろめたく、わづらひはべる。"
343.5.6365328 とて、まほにはあらぬ()けしき、心苦(こころぐる)しく()たてまつりたまふ。 とて、まほにはあらぬけしき、こころぐるしくたてまつりたまふ。
343.6366329第六段 内親王の結婚の必要性を説く
343.6.1367330 御心(みこころ)のうちにも、さすがにゆかしき(おほん)ありさまなれば、(おぼ)()ぐしがたくて、 みこころのうちにも、さすがにゆかしきおほんありさまなれば、おぼぐしがたくて、
343.6.2368331 「げに、ただ(うど)よりも、かかる(すぢ)には、(わたくし)ざまの御後見(おほんうしろみ)なきは、口惜(くちを)しげなるわざになむはべりける。春宮(とうぐう)かくておはしませば、いとかしこき(すゑ)()(まう)けの(きみ)と、(あめ)(した)(たの)みどころに(あふ)ぎきこえさするを。 "げに、ただうどよりも、かかるすぢには、わたくしざまのおほんうしろみなきは、くちをしげなるわざになんはべりける。とうぐうかくておはしませば、いとかしこきすゑまうけのきみと、あめしたたのみどころにあふぎきこえさするを。
343.6.3369332 まして、このことと()こえ()かせたまはむことは、一事(ひとこと)として(おろそ)かに(かろ)(まう)したまふべきにはべらねば、さらに()(さき)のこと(おぼ)(なや)むべきにもはべらねど、げに、こと(かぎ)りあれば、(おほや)けとなりたまひ、()政事御心(まつりごとみこころ)にかなふべしとは()ひながら、(をんな)(おほん)ために、(なに)ばかりのけざやかなる御心寄(みこころよ)せあるべきにもはべらざりけり。 まして、このこととこえかせたまはんことは、ひとこととしておろそかにかろまうしたまふべきにはべらねば、さらにさきのことおぼなやむべきにもはべらねど、げに、ことかぎりあれば、おほやけとなりたまひ、まつりごとみこころにかなふべしとはひながら、をんなおほんために、なにばかりのけざやかなるみこころよせあるべきにもはべらざりけり。
343.6.4370333 すべて、(をんな)(おほん)ためには、さまざま(まこと)御後見(おほんうしろみ)とすべきものは、なほさるべき(すぢ)(ちぎ)りを()はし、えさらぬことに、(はぐく)みきこゆる御護(おほんまも)りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて(のち)()御疑(おほんうたが)(のこ)るべくは、よろしきに(おぼ)(えら)びて、(しの)びて、さるべき御預(おほんあづ)かりを(さだ)めおかせたまふべきになむはべなる」 すべて、をんなおほんためには、さまざままことおほんうしろみとすべきものは、なほさるべきすぢちぎりをはし、えさらぬことに、はぐくみきこゆるおほんまもりめはべるなん、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひてのちおほんうたがのこるべくは、よろしきにおぼえらびて、しのびて、さるべきおほんあづかりをさだめおかせたまふべきになんはべなる。"
343.6.5371334 と、(そう)したまふ。 と、そうしたまふ。
343.7372335第七段 源氏、結婚を承諾
343.7.1373336 「さやうに(おも)()(こと)はべれど、それも(かた)きことになむありける。いにしへの(ためし)()きはべるにも、()をたもつ(さか)りの皇女(みこ)にだに、(ひと)(えら)びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ(おほ)かりけり。 "さやうにおもことはべれど、それもかたきことになんありける。いにしへのためしきはべるにも、をたもつさかりのみこにだに、ひとえらびて、さるさまのことをしたまへるたぐひおほかりけり。
343.7.2374337 ましてかく、(いま)はとこの()(はな)るる(きは)にて、ことことしく(おも)ふべきにもあらねど、また、しか()つる(なか)にも、()てがたきことありて、さまざまに(おも)ひわづらひはべるほどに、(やまひ)(おも)りゆく。また()(かへ)すべきにもあらぬ月日(つきひ)()ぎゆけば、(こころ)あわたたしくなむ。 ましてかく、いまはとこのはなるるきはにて、ことことしくおもふべきにもあらねど、また、しかつるなかにも、てがたきことありて、さまざまにおもひわづらひはべるほどに、やまひおもりゆく。またかへすべきにもあらぬつきひぎゆけば、こころあわたたしくなん。
343.7.3375338 かたはらいたき(ゆづ)りなれど、このいはけなき内親王(ないしんわう)一人(ひとり)()きて(はぐく)(おぼ)して、さるべきよすがをも、御心(みこころ)(おぼ)(さだ)めて(あづ)けたまへ、と()こえまほしきを。 かたはらいたきゆづりなれど、このいはけなきないしんわうひとりきてはぐくおぼして、さるべきよすがをも、みこころおぼさだめてあづけたまへ、とこえまほしきを。
343.7.4376339 権中納言(ごんのちゅうなごん)などの(ひと)りものしつるほどに、(すす)()るべくこそありけれ。大臣(おほいまうちぎみ)(せん)ぜられて、ねたくおぼえはべる」 ごんのちゅうなごんなどのひとりものしつるほどに、すするべくこそありけれ。おほいまうちぎみせんぜられて、ねたくおぼえはべる。"
343.7.5377340 ()こえたまふ。 こえたまふ。
343.7.6378341 中納言(ちゅうなごん)朝臣(あそん)、まめやかなる(かた)は、いとよく(つか)うまつりぬべくはべるを、(なに)ごともまだ(あさ)くて、たどり(すく)なくこそはべらめ。 "ちゅうなごんあそん、まめやかなるかたは、いとよくつかうまつりぬべくはべるを、なにごともまだあさくて、たどりすくなくこそはべらめ。
343.7.7379342 かたじけなくとも、(ふか)(こころ)にて後見(うしろみ)きこえさせはべらむに、おはします御蔭(おほんかげ)(かは)りては(おぼ)されじを、ただ()先短(さきみじか)くて、(つか)うまつりさすことやはべらむと、(うたが)はしき(かた)のみなむ、心苦(こころぐる)しくはべるべき」 かたじけなくとも、ふかこころにてうしろみきこえさせはべらんに、おはしますおほんかげかはりてはおぼされじを、たださきみじかくて、つかうまつりさすことやはべらんと、うたがはしきかたのみなん、こころぐるしくはべるべき。"
343.7.8380343 と、()()(まう)したまひつ。 と、まうしたまひつ。
343.8381344第八段 朱雀院の饗宴
343.8.1382345 ()()りぬれば、主人(あるじ)院方(ゐんがた)も、客人(まらうと)上達部(かんだちめ)たちも、皆御前(みなおまへ)にて、御饗(おほんあるじ)のこと、精進物(しゃうじもの)にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。(ゐん)御前(おまへ)に、浅香(せんかう)懸盤(かけばん)御鉢(みはち)など、(むかし)()はりて(まゐ)るを、(ひと)びと、(なみだ)おし(のご)ひたまふ。あはれなる(すぢ)のことどもあれど、うるさければ()かず。 りぬれば、あるじゐんがたも、まらうとかんだちめたちも、みなおまへにて、おほんあるじのこと、しゃうじものにて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。ゐんおまへに、せんかうかけばんみはちなど、むかしはりてまゐるを、ひとびと、なみだおしのごひたまふ。あはれなるすぢのことどもあれど、うるさければかず。
343.8.2383346 夜更(よふ)けて(かへ)りたまふ。(ろく)ども、次々(つぎつぎ)(たま)ふ。別当大納言(べたうだいなごん)御送(おほんおく)りに(まゐ)りたまふ。主人(あるじ)(ゐん)は、今日(けふ)(ゆき)にいとど御風邪加(おほんかぜくは)はりて、かき(みだ)(なや)ましく(おぼ)さるれど、この(みや)御事(おほんこと)()こえ(さだ)めつるを、(こころ)やすく(おぼ)しけり。 よふけてかへりたまふ。ろくども、つぎつぎたまふ。べたうだいなごんおほんおくりにまゐりたまふ。あるじゐんは、けふゆきにいとどおほんかぜくははりて、かきみだなやましくおぼさるれど、このみやおほんことこえさだめつるを、こころやすくおぼしけり。
344384347第四章 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける
344.1385348第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す
344.1.1386349 六条院(ろくでうのゐん)は、なま心苦(こころぐる)しう、さまざま(おぼ)(みだ)る。 ろくでうのゐんは、なまこころぐるしう、さまざまおぼみだる。
344.1.2387350 (むらさき)(うへ)も、かかる御定(おほんさだ)めなむと、かねてもほの()きたまひけれど、 むらさきうへも、かかるおほんさだめなんと、かねてもほのきたまひけれど、
344.1.3388351 「さしもあらじ。前斎院(さきのさいゐん)をも、ねむごろに()こえたまふやうなりしかど、わざとしも(おぼ)()げずなりにしを」 "さしもあらじ。さきのさいゐんをも、ねんごろにこえたまふやうなりしかど、わざとしもおぼげずなりにしを。"
344.1.4389352 など(おぼ)して、「さることもやある」とも()ひきこえたまはず、何心(なにごころ)もなくておはするに、いとほしく、 などおぼして、"さることもやある。"ともひきこえたまはず、なにごころもなくておはするに、いとほしく、
344.1.5390353 「この(こと)をいかに(おぼ)さむ。わが(こころ)はつゆも()はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど(ふか)さこそまさらめ、見定(みさだ)めたまはざらむほど、いかに(おも)(うたが)ひたまはむ」 "このことをいかにおぼさん。わがこころはつゆもはるまじく、さることあらんにつけては、なかなかいとどふかさこそまさらめ、みさだめたまはざらんほど、いかにおもうたがひたまはん。"
344.1.6391354 など(やす)からず(おぼ)さる。 などやすからずおぼさる。
344.1.7392355 (いま)(とし)ごろとなりては、ましてかたみに(へだ)てきこえたまふことなく、あはれなる御仲(おほんなか)なれば、しばし(こころ)(へだ)(のこ)したることあらむもいぶせきを、その()はうち(やす)みて()かしたまひつ。 いまとしごろとなりては、ましてかたみにへだてきこえたまふことなく、あはれなるおほんなかなれば、しばしこころへだのこしたることあらんもいぶせきを、そのはうちやすみてかしたまひつ。
344.2393356第二段 源氏、紫の上に打ち明ける
344.2.1394357 またの()(ゆき)うち()り、(そら)のけしきもものあはれに、()ぎにし方行(かたゆ)(さき)御物語聞(おほんものがたりき)こえ()はしたまふ。 またのゆきうちり、そらのけしきもものあはれに、ぎにしかたゆさきおほんものがたりきこえはしたまふ。
344.2.2395358 (ゐん)(たの)もしげなくなりたまひにたる、(おほん)とぶらひに(まゐ)りて、あはれなることどものありつるかな。女三(をんなさん)(みや)(おほん)ことを、いと()てがたげに(おぼ)して、しかしかなむのたまはせつけしかば、心苦(こころぐる)しくて、え()こえ(いな)びずなりにしを、ことことしくぞ(ひと)()ひなさむかし。 "ゐんたのもしげなくなりたまひにたる、おほんとぶらひにまゐりて、あはれなることどものありつるかな。をんなさんみやおほんことを、いとてがたげにおぼして、しかしかなんのたまはせつけしかば、こころぐるしくて、えこえいなびずなりにしを、ことことしくぞひとひなさんかし。
344.2.3396359 (いま)は、さやうのことも()()ひしく、すさまじく(おも)ひなりにたれば、人伝(ひとづ)てにけしきばませたまひしには、とかく(のが)れきこえしを、対面(たいめん)のついでに、心深(こころふか)きさまなることどもを、のたまひ(つづ)けしには、えすくすくしくも(かへ)さひ(まう)さでなむ。 いまは、さやうのこともひしく、すさまじくおもひなりにたれば、ひとづてにけしきばませたまひしには、とかくのがれきこえしを、たいめんのついでに、こころふかきさまなることどもを、のたまひつづけしには、えすくすくしくもかへさひまうさでなん。
344.2.4397360 (ふか)御山住(みやまず)みに(うつ)ろひたまはむほどにこそは、(わた)したてまつらめ。あぢきなくや(おぼ)さるべき。いみじきことありとも、(おほん)ため、あるより()はることはさらにあるまじきを、(こころ)なおきたまひそよ。 ふかみやまずみにうつろひたまはんほどにこそは、わたしたてまつらめ。あぢきなくやおぼさるべき。いみじきことありとも、おほんため、あるよりはることはさらにあるまじきを、こころなおきたまひそよ。
344.2.5398361 かの(おほん)ためこそ、心苦(こころぐる)しからめ。それもかたはならずもてなしてむ。(たれ)(たれ)も、のどかにて()ぐしたまはば」 かのおほんためこそ、こころぐるしからめ。それもかたはならずもてなしてん。たれたれも、のどかにてぐしたまはば。"
344.2.6399362 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
344.2.7400363 はかなき(おほん)すさびごとをだに、めざましきものに(おぼ)して、(こころ)やすからぬ御心(みこころ)ざまなれば、「いかが(おぼ)さむ」と(おぼ)すに、いとつれなくて、 はかなきおほんすさびごとをだに、めざましきものにおぼして、こころやすからぬみこころざまなれば、"いかがおぼさん。"とおぼすに、いとつれなくて、
344.2.8401364 「あはれなる御譲(おほんゆづ)りにこそはあなれ。ここには、いかなる(こころ)をおきたてまつるべきにか。めざましく、かくてなど、(とが)めらるまじくは、(こころ)やすくてもはべなむを、かの母女御(ははにょうご)御方(おほんかた)ざまにても、(うと)からず(おぼ)(かず)まへてむや」 "あはれなるおほんゆづりにこそはあなれ。ここには、いかなるこころをおきたてまつるべきにか。めざましく、かくてなど、とがめらるまじくは、こころやすくてもはべなんを、かのははにょうごおほんかたざまにても、うとからずおぼかずまへてんや。"
344.2.9402365 と、卑下(ひげ)したまふを、 と、ひげしたまふを、
344.2.10403366 「あまり、かう、うちとけたまふ(おほん)ゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。まことは、さだに(おぼ)しゆるいて、われも(ひと)心得(こころえ)て、なだらかにもてなし()ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。 "あまり、かう、うちとけたまふおほんゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。まことは、さだにおぼしゆるいて、われもひとこころえて、なだらかにもてなしぐしたまはば、いよいよあはれになん。
344.2.11404367 ひがこと()こえなどせむ(ひと)(こと)()()れたまふな。すべて、()(ひと)(くち)といふものなむ、()()()づることともなく、おのづから(ひと)(なか)らひなど、うちほほゆがみ、(おも)はずなること()()るものなるを、(こころ)ひとつにしづめて、ありさまに(したが)ふなむよき。まだきに(さわ)ぎて、あいなきもの(うら)みしたまふな」 ひがことこえなどせんひとことれたまふな。すべて、ひとくちといふものなん、づることともなく、おのづからひとなからひなど、うちほほゆがみ、おもはずなることるものなるを、こころひとつにしづめて、ありさまにしたがふなんよき。まだきにさわぎて、あいなきものうらみしたまふな。"
344.2.12405368 と、いとよく(をし)へきこえたまふ。 と、いとよくをしへきこえたまふ。
344.3406369第三段 紫の上の心中
344.3.1407370 (こころ)のうちにも、 こころのうちにも、
344.3.2408371 「かく(そら)より()()にたるやうなることにて、(のが)れたまひがたきを、(にく)げにも()こえなさじ。わが(こころ)(はばか)りたまひ、いさむることに(したが)ひたまふべき、おのがどちの(こころ)より()これる懸想(けさう)にもあらず。せかるべき(かた)なきものから、をこがましく(おも)ひむすぼほるるさま、世人(よひと)()()こえじ。 "かくそらよりにたるやうなることにて、のがれたまひがたきを、にくげにもこえなさじ。わがこころはばかりたまひ、いさむることにしたがひたまふべき、おのがどちのこころよりこれるけさうにもあらず。せかるべきかたなきものから、をこがましくおもひむすぼほるるさま、よひとこえじ。
344.3.3409372 式部卿宮(しきぶきゃうのみや)大北(おほきた)(かた)(つね)にうけはしげなることどもをのたまひ()でつつ、あぢきなき大将(だいしゃう)(おほん)ことにてさへ、あやしく(うら)(そね)みたまふなるを、かやうに()きて、いかにいちじるく(おも)()はせたまはむ」 しきぶきゃうのみやおほきたかたつねにうけはしげなることどもをのたまひでつつ、あぢきなきだいしゃうおほんことにてさへ、あやしくうらそねみたまふなるを、かやうにきて、いかにいちじるくおもはせたまはん。"
344.3.4410373 など、おいらかなる(ひと)御心(おほんこころ)といへど、いかでかはかばかりの(くま)はなからむ。(いま)はさりともとのみ、わが()(おも)()がり、うらなくて()ぐしける()の、人笑(ひとわら)へならむことを、(した)には(おも)(つづ)けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。 など、おいらかなるひとおほんこころといへど、いかでかはかばかりのくまはなからん。いまはさりともとのみ、わがおもがり、うらなくてぐしけるの、ひとわらへならんことを、したにはおもつづけたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。
345411374第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
345.1412375第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず
345.1.1413376 (とし)(かへ)りぬ。朱雀院(すじゃくゐん)には、姫宮(ひめみや)六条院(ろくでうゐん)(うつ)ろひたまはむ(おほん)いそぎをしたまふ。()こえたまへる(ひと)びと、いと口惜(くちを)しく(おぼ)(なげ)く。内裏(うち)にも御心(みこころ)ばへありて、()こえたまひけるほどに、かかる御定(おほんさだ)めを()こし()して、(おぼ)()まりにけり。 としかへりぬ。すじゃくゐんには、ひめみやろくでうゐんうつろひたまはんおほんいそぎをしたまふ。こえたまへるひとびと、いとくちをしくおぼなげく。うちにもみこころばへありて、こえたまひけるほどに、かかるおほんさだめをこしして、おぼまりにけり。
345.1.2414377 さるは、今年(ことし)四十(よそぢ)になりたまひければ、御賀(おほんが)のこと、朝廷(おほやけ)にも()こし()()ぐさず、()(なか)(いとな)みにて、かねてより(ひび)くを、ことのわづらひ(おほ)くいかめしきことは、(むかし)より(この)みたまはぬ御心(みこころ)にて、(みな)かへさひ(まう)したまふ。 さるは、ことしよそぢになりたまひければ、おほんがのこと、おほやけにもこしぐさず、なかいとなみにて、かねてよりひびくを、ことのわづらひおほくいかめしきことは、むかしよりこのみたまはぬみこころにて、みなかへさひまうしたまふ。
345.1.3415378 正月二十三日(しゃうがつにじふさんにち)()()なるに、左大将殿(さだいしゃうどの)(きた)(かた)若菜参(わかなまゐ)りたまふ。かねてけしきも()らしたまはで、いといたく(しの)びて(おぼ)しまうけたりければ、にはかにて、えいさめ(かへ)しきこえたまはず。(しの)びたれど、さばかりの御勢(おほんいきほ)ひなれば、(わた)りたまふ御儀式(おほんぎしき)など、いと(ひび)きことなり。 しゃうがつにじふさんにちなるに、さだいしゃうどのきたかたわかなまゐりたまふ。かねてけしきもらしたまはで、いといたくしのびておぼしまうけたりければ、にはかにて、えいさめかへしきこえたまはず。しのびたれど、さばかりのおほんいきほひなれば、わたりたまふおほんぎしきなど、いとひびきことなり。
345.1.4416379 (みなみ)御殿(おとど)西(にし)放出(はなちいで)御座(おまし)よそふ。屏風(びゃうぶ)壁代(かべしろ)よりはじめ、(あたら)しく(はら)ひしつらはれたり。うるはしく倚子(いし)などは()てず、御地敷四十枚(おほんぢしきしじふまい)御茵(おほんしとね)脇息(けふそく)など、すべてその御具(おほんぐ)ども、いときよらにせさせたまへり。 みなみおとどにしはなちいでおましよそふ。びゃうぶかべしろよりはじめ、あたらしくはらひしつらはれたり。うるはしくいしなどはてず、おほんぢしきしじふまいおほんしとねけふそくなど、すべてそのおほんぐども、いときよらにせさせたまへり。
345.1.5417381 螺鈿(らでん)御厨子二具(みづしふたよろひ)に、御衣筥四(おほんころもばこよ)()ゑて、夏冬(なつふゆ)御装束(おほんさうぞく)香壺(かうご)(くすり)(はこ)御硯(おほんすずり)、ゆする(つき)掻上(かかげ)(はこ)などやうのもの、うちうちきよらを()くしたまへり。御插頭(おほんかざし)(だい)には、(ぢん)紫檀(したん)(つく)り、めづらしきあやめを()くし、(おな)じき(かね)をも、色使(いろつか)ひなしたる、(こころ)ばへあり、(いま)めかしく。 らでんみづしふたよろひに、おほんころもばこよゑて、なつふゆおほんさうぞくかうごくすりはこおほんすずり、ゆするつきかかげはこなどやうのもの、うちうちきよらをくしたまへり。おほんかざしだいには、ぢんしたんつくり、めづらしきあやめをくし、おなじきかねをも、いろつかひなしたる、こころばへあり、いまめかしく。
345.1.6418382 尚侍(かん)(きみ)、もののみやび(ふか)く、かどめきたまへる(ひと)にて、目馴(めな)れぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。 かんきみ、もののみやびふかく、かどめきたまへるひとにて、めなれぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。
345.2419383第二段 源氏、玉鬘と対面
345.2.1420384 (ひと)びと(まゐ)りなどしたまひて、御座(おまし)()でたまふとて、尚侍(かん)(きみ)御対面(おほんたいめん)あり。御心(みこころ)のうちには、いにしへ(おぼ)()づることもさまざまなりけむかし。 ひとびとまゐりなどしたまひて、おましでたまふとて、かんきみおほんたいめんあり。みこころのうちには、いにしへおぼづることもさまざまなりけんかし。
345.2.2421385 いと(わか)くきよらにて、かく御賀(おほんが)などいふことは、ひが(かぞ)へにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、(ひと)(おや)げなくおはしますを、めづらしくて年月隔(としつきへだ)てて()たてまつりたまふは、いと()づかしけれど、なほけざやかなる(へだ)てもなくて、御物語聞(おほんものがたりき)こえ()はしたまふ。 いとわかくきよらにて、かくおほんがなどいふことは、ひがかぞへにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、ひとおやげなくおはしますを、めづらしくてとしつきへだててたてまつりたまふは、いとづかしけれど、なほけざやかなるへだてもなくて、おほんものがたりきこえはしたまふ。
345.2.3422386 (をさな)(きみ)も、いとうつくしくてものしたまふ。尚侍(かん)(きみ)は、うち(つづ)きても御覧(ごらん)ぜられじとのたまひけるを、大将(だいしゃう)、かかるついでにだに御覧(ごらん)ぜさせむとて、二人同(ふたりおな)じやうに、振分髪(ふりわけがみ)何心(なにごころ)なき直衣姿(なほしすがた)どもにておはす。 をさなきみも、いとうつくしくてものしたまふ。かんきみは、うちつづきてもごらんぜられじとのたまひけるを、だいしゃう、かかるついでにだにごらんぜさせんとて、ふたりおなじやうに、ふりわけがみなにごころなきなほしすがたどもにておはす。
345.2.4423387 ()ぐる(よはひ)も、みづからの(こころ)にはことに(おも)ひとがめられず、ただ(むかし)ながらの若々(わかわか)しきありさまにて、(あらた)むることもなきを、かかる末々(すゑずゑ)のもよほしになむ、なまはしたなきまで(おも)()らるる(をり)もはべりける。 "ぐるよはひも、みづからのこころにはことにおもひとがめられず、ただむかしながらのわかわかしきありさまにて、あらたむることもなきを、かかるすゑずゑのもよほしになん、なまはしたなきまでおもらるるをりもはべりける。
345.2.5424388 中納言(ちゅうなごん)のいつしかとまうけたなるを、ことことしく(おも)(へだ)てて、まだ()せずかし。(ひと)よりことに、(かぞ)()りたまひける今日(けふ)()()こそ、なほうれたけれ。しばしは(おい)(わす)れてもはべるべきを」 ちゅうなごんのいつしかとまうけたなるを、ことことしくおもへだてて、まだせずかし。ひとよりことに、かぞりたまひけるけふこそ、なほうれたけれ。しばしはおいわすれてもはべるべきを。"
345.2.6425389 ()こえたまふ。 こえたまふ。
345.3426390第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和
345.3.1427391 尚侍(かん)(きみ)も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ()ひて、()るかひあるさましたまへり。 かんきみも、いとよくねびまさり、ものものしきけさへひて、るかひあるさましたまへり。
345.3.2428392 若葉(わかば)さす野辺(のべ)小松(こまつ)()()れて<BR/>もとの岩根(いはね)(いの)今日(けふ)かな」 "〔わかばさすのべこまつれて<BR/>もとのいはねいのけふかな〕
345.3.3429393 と、せめておとなび()こえたまふ。(ぢん)折敷四(をしきよ)つして、御若菜(おほんわかな)さまばかり(まゐ)れり。御土器取(おほんかはらけと)りたまひて、 と、せめておとなびこえたまふ。ぢんをしきよつして、おほんわかなさまばかりまゐれり。おほんかはらけとりたまひて、
345.3.4430394 小松原末(こまつばらすゑ)(よはひ)()かれてや<BR/>野辺(のべ)若菜(わかな)(とし)()むべき」 "〔こまつばらすゑよはひかれてや<BR/>のべわかなとしむべき〕
345.3.5431395 など()こえ()はしたまひて、上達部(かんだちめ)あまた(みなみ)(ひさし)()きたまふ。 などこえはしたまひて、かんだちめあまたみなみひさしきたまふ。
345.3.6432396 式部卿宮(しきぶきゃうのみや)は、(まゐ)りにくく(おぼ)しけれど、御消息(おほんせうそこ)ありけるに、かく(した)しき御仲(おほんなか)らひにて、(こころ)あるやうならむも便(びん)なくて、()たけてぞ(わた)りたまへる。 しきぶきゃうのみやは、まゐりにくくおぼしけれど、おほんせうそこありけるに、かくしたしきおほんなからひにて、こころあるやうならんもびんなくて、たけてぞわたりたまへる。
345.3.7433397 大将(だいしゃう)のしたり(がほ)にて、かかる御仲(おほんなか)らひに、うけばりてものしたまふも、げに(こころ)やましげなるわざなめれど、御孫(おほんまご)(きみ)たちは、いづ(かた)につけても、おり()ちて雑役(ざふやく)したまふ。籠物四十枝(こものよそえだ)折櫃物四十(をりびつものよそぢ)中納言(ちゅうなごん)をはじめたてまつりて、さるべき(かぎ)()(つづ)きたまへり。御土器(おほんかはらけ)くだり、若菜(わかな)御羹参(おほんあつものまゐ)る。御前(おまへ)には、(ぢん)懸盤四(かけばんよ)つ、御坏(おほんつき)どもなつかしく、(いま)めきたるほどにせられたり。 だいしゃうのしたりがほにて、かかるおほんなからひに、うけばりてものしたまふも、げにこころやましげなるわざなめれど、おほんまごきみたちは、いづかたにつけても、おりちてざふやくしたまふ。こものよそえだをりびつものよそぢちゅうなごんをはじめたてまつりて、さるべきかぎつづきたまへり。おほんかはらけくだり、わかなおほんあつものまゐる。おまへには、ぢんかけばんよつ、おほんつきどもなつかしく、いまめきたるほどにせられたり。
345.4434398第四段 管弦の遊び催す
345.4.1435399 朱雀院(すじゃくゐん)御薬(おほんくすり)のこと、なほたひらぎ()てたまはぬにより、楽人(がくにん)などは()さず。御笛(おほんふえ)など、太政大臣(おほきおとど)の、その(かた)(ととの)へたまひて、 すじゃくゐんおほんくすりのこと、なほたひらぎてたまはぬにより、がくにんなどはさず。おほんふえなど、おほきおとどの、そのかたととのへたまひて、
345.4.2436400 ()(なか)に、この御賀(おほんが)よりまためづらしくきよら()くすべきことあらじ」 "なかに、このおほんがよりまためづらしくきよらくすべきことあらじ。"
345.4.3437401 とのたまひて、すぐれたる()(かぎ)りを、かねてより(おぼ)しまうけたりければ、(しの)びやかに御遊(おほんあそ)びあり。 とのたまひて、すぐれたるかぎりを、かねてよりおぼしまうけたりければ、しのびやかにおほんあそびあり。
345.4.4438402 とりどりにたてまつる(なか)に、和琴(わごん)は、かの大臣(おとど)第一(だいいち)()したまひける御琴(おほんこと)なり。さるものの上手(じゃうず)の、(こころ)をとどめて()()らしたまへる()、いと(なら)びなきを、異人(ことびと)()きたてにくくしたまへば、衛門督(ゑもんのかみ)(かた)(いな)ぶるを()めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ(おと)るまじく()く。 とりどりにたてまつるなかに、わごんは、かのおとどだいいちしたまひけるおほんことなり。さるもののじゃうずの、こころをとどめてらしたまへる、いとならびなきを、ことびときたてにくくしたまへば、ゑもんのかみかたいなぶるをめたまへば、げにいとおもしろく、をさをさおとるまじくく。
345.4.5439403 (なに)ごとも、上手(じゃうず)(つぎ)といひながら、かくしもえ()がぬわざぞかし」と、(こころ)にくくあはれに(ひと)びと(おぼ)す。調(しら)べに(したが)ひて、(あと)ある()ども、(さだ)まれる唐土(もろこし)(つた)へどもは、なかなか(たづ)()るべき(かた)あらはなるを、(こころ)にまかせて、ただ()()はせたるすが()きに、よろづの(もの)音調(ねととの)へられたるは、(たへ)におもしろく、あやしきまで(ひび)く。 "なにごとも、じゃうずつぎといひながら、かくしもえがぬわざぞかし。"と、こころにくくあはれにひとびとおぼす。しらべにしたがひて、あとあるども、さだまれるもろこしつたへどもは、なかなかたづるべきかたあらはなるを、こころにまかせて、ただはせたるすがきに、よろづのものねととのへられたるは、たへにおもしろく、あやしきまでひびく。
345.4.6440404 父大臣(ちちおとど)は、(こと)()もいと(ゆる)()りて、いたう(くだ)して調(しら)べ、(ひび)(おほ)()はせてぞ()()らしたまふ。これは、いとわららかに(のぼ)()の、なつかしく愛敬(あいぎゃう)づきたるを、「いとかうしもは()こえざりしを」と、親王(みこ)たちも(おどろ)きたまふ。 ちちおとどは、こともいとゆるりて、いたうくだしてしらべ、ひびおほはせてぞらしたまふ。これは、いとわららかにのぼの、なつかしくあいぎゃうづきたるを、"いとかうしもはこえざりしを。"と、みこたちもおどろきたまふ。
345.4.7441405 (きん)は、兵部卿宮弾(ひゃうぶきゃうのみやひ)きたまふ。この御琴(おほんこと)は、宜陽殿(ぎやうでん)御物(おほんもの)にて、代々(だいだい)第一(だいいち)()ありし御琴(おほんこと)を、故院(こゐん)(すゑ)(かた)一品宮(いつぽんのみや)(この)みたまふことにて、(たま)はりたまへりけるを、この(をり)のきよらを()くしたまはむとするため、大臣(おとど)(まう)(たま)はりたまへる御伝(おほんつた)(つた)へを(おぼ)すに、いとあはれに、(むかし)のことも(こひ)しく(おぼ)()でらる。 きんは、ひゃうぶきゃうのみやひきたまふ。このおほんことは、ぎやうでんおほんものにて、だいだいだいいちありしおほんことを、こゐんすゑかたいつぽんのみやこのみたまふことにて、たまはりたまへりけるを、このをりのきよらをくしたまはんとするため、おとどまうたまはりたまへるおほんつたつたへをおぼすに、いとあはれに、むかしのこともこひしくおぼでらる。
345.4.8442406 親王(みこ)も、()()きえとどめたまはず。()けしきとりたまひて、(きん)御前(おまへ)(ゆづ)りきこえさせたまふ。もののあはれにえ()ぐしたまはで、めづらしきもの(ひと)つばかり()きたまふに、ことことしからねど、(かぎ)りなくおもしろき()御遊(おほんあそ)びなり。 みこも、きえとどめたまはず。けしきとりたまひて、きんおまへゆづりきこえさせたまふ。もののあはれにえぐしたまはで、めづらしきものひとつばかりきたまふに、ことことしからねど、かぎりなくおもしろきおほんあそびなり。
345.4.9443407 唱歌(さうが)(ひと)びと御階(みはし)()して、すぐれたる(こゑ)(かぎ)()だして、(かへ)(ごゑ)になる。()()()くままに、(もの)調(しら)べども、なつかしく()はりて、「青柳(あをやぎ)(あそ)びたまふほど、げに、ねぐらの(うぐひす)おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事(わたくしごと)のさまにしなしたまひて、(ろく)など、いと警策(きゃうさく)にまうけられたりけり。 さうがひとびとみはしして、すぐれたるこゑかぎだして、かへごゑになる。くままに、ものしらべども、なつかしくはりて、〔あをやぎあそびたまふほど、げに、ねぐらのうぐひすおどろきぬべく、いみじくおもしろし。わたくしごとのさまにしなしたまひて、ろくなど、いときゃうさくにまうけられたりけり。
345.5444408第五段 暁に玉鬘帰る
345.5.1445409 (あかつき)に、尚侍君帰(かんのきみかへ)りたまふ。御贈(おほんおく)(もの)などありけり。 あかつきに、かんのきみかへりたまふ。おほんおくものなどありけり。
345.5.2446410 「かう()()つるやうにて()かし()らすほどに、年月(としつき)行方(ゆくへ)()らず(がほ)なるを、かう(かぞ)()らせたまへるにつけては、心細(こころぼそ)くなむ。 "かうつるやうにてかしらすほどに、としつきゆくへらずがほなるを、かうかぞらせたまへるにつけては、こころぼそくなん。
345.5.3447411 時々(ときどき)は、()いやまさると()たまひ(くら)べよかし。かく(ふる)めかしき()所狭(ところせ)さに、(おも)ふに(したが)ひて対面(たいめん)なきも、いと口惜(くちを)しくなむ」 ときどきは、いやまさるとたまひくらべよかし。かくふるめかしきところせさに、おもふにしたがひてたいめんなきも、いとくちをしくなん。"
345.5.4448412 など()こえたまひて、あはれにもをかしくも、(おも)()できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく(いそ)(わた)りたまふを、いと()かず口惜(くちを)しくぞ(おぼ)されける。 などこえたまひて、あはれにもをかしくも、おもできこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かくいそわたりたまふを、いとかずくちをしくぞおぼされける。
345.5.5449413 尚侍(かん)(きみ)も、まことの(おや)をばさるべき(ちぎ)りばかりに(おも)ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心(みこころ)ばへを、年月(としつき)()へて、かく()()()てたまふにつけても、おろかならず(おも)ひきこえたまひけり。 かんきみも、まことのおやをばさるべきちぎりばかりにおもひきこえたまひて、ありがたくこまかなりしみこころばへを、としつきへて、かくてたまふにつけても、おろかならずおもひきこえたまひけり。
346450414第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
346.1451415第一段 女三の宮、六条院に降嫁
346.1.1452416 かくて、如月(きさらぎ)十余日(とをよか)に、朱雀院(すじゃくゐん)姫宮(ひめみや)六条院(ろくでうゐん)(わた)りたまふ。この(ゐん)にも、御心(みこころ)まうけ()(つね)ならず。若菜参(わかなまゐ)りし西(にし)放出(はなちいで)御帳立(みちゃうた)てて、そなたの(いち)()(たい)渡殿(わたどの)かけて、女房(にょうばう)局々(つぼねつぼね)まで、こまかにしつらひ(みが)かせたまへり。内裏(うち)(まゐ)りたまふ(ひと)作法(さほふ)をまねびて、かの(ゐん)よりも御調度(みてうど)など(はこ)ばる。(わた)りたまふ儀式(ぎしき)()へばさらなり。 かくて、きさらぎとをよかに、すじゃくゐんひめみやろくでうゐんわたりたまふ。このゐんにも、みこころまうけつねならず。わかなまゐりしにしはなちいでみちゃうたてて、そなたのいちたいわたどのかけて、にょうばうつぼねつぼねまで、こまかにしつらひみがかせたまへり。うちまゐりたまふひとさほふをまねびて、かのゐんよりもみてうどなどはこばる。わたりたまふぎしきへばさらなり。
346.1.2453417 御送(おほんおく)りに、上達部(かんだちめ)などあまた(まゐ)りたまふ。かの家司望(けいしのぞ)みたまひし大納言(だいなごん)も、やすからず(おも)ひながらさぶらひたまふ。御車寄(おほんくるまよ)せたる(ところ)に、院渡(ゐんわた)りたまひて、()ろしたてまつりたまふなども、(れい)には(たが)ひたることどもなり。 おほんおくりに、かんだちめなどあまたまゐりたまふ。かのけいしのぞみたまひしだいなごんも、やすからずおもひながらさぶらひたまふ。おほんくるまよせたるところに、ゐんわたりたまひて、ろしたてまつりたまふなども、れいにはたがひたることどもなり。
346.1.3454418 ただ(うど)におはすれば、よろづのこと(かぎ)りありて、内裏参(うちまゐ)りにも()ず、婿(むこ)大君(おほきみ)といはむにもこと(たが)ひて、めづらしき御仲(おほんなか)のあはひどもになむ。 ただうどにおはすれば、よろづのことかぎりありて、うちまゐりにもず、むこおほきみといはんにもことたがひて、めづらしきおほんなかのあはひどもになん。
346.2455419第二段 結婚の儀盛大に催さる
346.2.1456420 三日(みか)がほど、かの(ゐん)よりも、主人(あるじ)院方(ゐんかた)よりも、いかめしくめづらしきみやびを()くしたまふ。 みかがほど、かのゐんよりも、あるじゐんかたよりも、いかめしくめづらしきみやびをくしたまふ。
346.2.2457421 (たい)(うへ)も、ことに()れてただにも(おぼ)されぬ()のありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなく(ひと)(おと)()たるることもあるまじけれど、また(なら)(ひと)なくならひたまひて、はなやかに()先遠(さきとほ)く、あなづりにくきけはひにて(うつ)ろひたまへるに、なまはしたなく(おぼ)さるれど、つれなくのみもてなして、御渡(おほんわた)りのほども、もろ(こころ)にはかなきこともし()でたまひて、いとらうたげなる(おほん)ありさまを、いとどありがたしと(おも)ひきこえたまふ。 たいうへも、ことにれてただにもおぼされぬのありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなくひとおとたるることもあるまじけれど、またならひとなくならひたまひて、はなやかにさきとほく、あなづりにくきけはひにてうつろひたまへるに、なまはしたなくおぼさるれど、つれなくのみもてなして、おほんわたりのほども、もろこころにはかなきこともしでたまひて、いとらうたげなるおほんありさまを、いとどありがたしとおもひきこえたまふ。
346.2.3458422 姫宮(ひめみや)は、げに、まだいと(ちひ)さく、(かた)なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに(わか)びたまへり。 ひめみやは、げに、まだいとちひさく、かたなりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちにわかびたまへり。
346.2.4459423 かの(むらさき)のゆかり(たづ)()りたまへりし折思(をりおぼ)()づるに、 かのむらさきのゆかりたづりたまへりしをりおぼづるに、
346.2.5460424 「かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみ()えたまへば、よかめり。(にく)げにおしたちたることなどはあるまじかめり」 "かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみえたまへば、よかめり。にくげにおしたちたることなどはあるまじかめり。"
346.2.6461425 (おぼ)すものから、「いとあまりものの(はえ)なき(おほん)さまかな」と()たてまつりたまふ。 おぼすものから、"いとあまりもののはえなきおほんさまかな。"とたてまつりたまふ。
346.3462426第三段 源氏、結婚を後悔
346.3.1463427 三日(みか)がほどは、夜離(よが)れなく(わた)りたまふを、(とし)ごろさもならひたまはぬ心地(ここち)に、(しの)ぶれど、なほものあはれなり。御衣(おほんぞ)どもなど、いよいよ()きしめさせたまふものから、うち(なが)めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。 みかがほどは、よがれなくわたりたまふを、としごろさもならひたまはぬここちに、しのぶれど、なほものあはれなり。おほんぞどもなど、いよいよきしめさせたまふものから、うちながめてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
346.3.2464428 「などて、よろづのことありとも、また(ひと)をば(なら)べて()るべきぞ。あだあだしく、心弱(こころよわ)くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも()()るぞかし。(わか)けれど、中納言(ちゅうなごん)をばえ(おぼ)しかけずなりぬめりしを」 "などて、よろづのことありとも、またひとをばならべてるべきぞ。あだあだしく、こころよわくなりおきにけるわがおこたりに、かかることもるぞかし。わかけれど、ちゅうなごんをばえおぼしかけずなりぬめりしを。"
346.3.3465429 と、われながらつらく(おぼ)(つづ)くるに、(なみだ)ぐまれて、 と、われながらつらくおぼつづくるに、なみだぐまれて、
346.3.4466430 今宵(こよひ)ばかりは、ことわりと(ゆる)したまひてむな。これより(のち)のとだえあらむこそ、()ながらも(こころ)づきなかるべけれ。また、さりとて、かの(ゐん)()こし()さむことよ」 "こよひばかりは、ことわりとゆるしたまひてんな。これよりのちのとだえあらんこそ、ながらもこころづきなかるべけれ。また、さりとて、かのゐんこしさんことよ。"
346.3.5467431 と、(おも)(みだ)れたまへる御心(みこころ)のうち、(くる)しげなり。すこしほほ()みて、 と、おもみだれたまへるみこころのうち、くるしげなり。すこしほほみて、
346.3.6468432 「みづからの御心(みこころ)ながらだに、え(さだ)めたまふまじかなるを、ましてことわりも(なに)も、いづこにとまるべきにか」 "みづからのみこころながらだに、えさだめたまふまじかなるを、ましてことわりもなにも、いづこにとまるべきにか。"
346.3.7469433 と、いふかひなげにとりなしたまへば、()づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、()()したまへれば、(すずり)()()せたまひて、 と、いふかひなげにとりなしたまへば、づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、したまへれば、すずりせたまひて、
346.3.8470434 ()(ちか)(うつ)れば()はる()(なか)を<BR/>()末遠(すゑとほ)(たの)みけるかな」 "〔ちかうつればはるなかを<BR/>すゑとほたのみけるかな〕
346.3.9471435 古言(ふること)など()()ぜたまふを、()りて()たまひて、はかなき(こと)なれど、げにと、ことわりにて、 ふることなどぜたまふを、りてたまひて、はかなきことなれど、げにと、ことわりにて、
346.3.10472436 (いのち)こそ()ゆとも()えめ(さだ)めなき<BR/>()(つね)ならぬ(なか)(ちぎ)りを」 "〔いのちこそゆともえめさだめなき<BR/>つねならぬなかちぎりを〕
346.3.11473437 とみにもえ(わた)りたまはぬを、 とみにもえわたりたまはぬを、
346.3.12474438 「いとかたはらいたきわざかな」 "いとかたはらいたきわざかな。"
346.3.13475439 と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず(にほ)ひて(わた)りたまふを、見出(みい)だしたまふも、いとただにはあらずかし。 と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならずにほひてわたりたまふを、みいだしたまふも、いとただにはあらずかし。
346.4476440第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす
346.4.1477441 (とし)ごろ、さもやあらむと(おも)ひしことどもも、(いま)はとのみもて(はな)れたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけゆく(すゑ)に、ありありて、かく()()(みみ)もなのめならぬことの()()ぬるよ。(おも)(さだ)むべき()のありさまにもあらざりければ、(いま)より(のち)もうしろめたくぞ(おぼ)しなりぬる。 としごろ、さもやあらんとおもひしことどもも、いまはとのみもてはなれたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけゆくすゑに、ありありて、かくみみもなのめならぬことのぬるよ。おもさだむべきのありさまにもあらざりければ、いまよりのちもうしろめたくぞおぼしなりぬる。
346.4.2478442 さこそつれなく(まぎ)らはしたまへど、さぶらふ(ひと)びとも、 さこそつれなくまぎらはしたまへど、さぶらふひとびとも、
346.4.3479443 (おも)はずなる()なりや。あまたものしたまふやうなれど、いづ(かた)も、(みな)こなたの(おほん)けはひにはかたさり(はばか)るさまにて()ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに、()たれてもえ()ぐしたまふまじ」 "おもはずなるなりや。あまたものしたまふやうなれど、いづかたも、みなこなたのおほんけはひにはかたさりはばかるさまにてぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに、たれてもえぐしたまふまじ。"
346.4.4480444 「また、さりとて、はかなきことにつけても、(やす)からぬことのあらむ折々(をりをり)、かならずわづらはしきことども()()なむかし」 "また、さりとて、はかなきことにつけても、やすからぬことのあらんをりをり、かならずわづらはしきことどもなんかし。"
346.4.5481445 など、おのがじしうち(かた)らひ(なげ)かしげなるを、つゆも見知(みし)らぬやうに、いとけはひをかしく物語(ものがたり)などしたまひつつ、夜更(よふ)くるまでおはす。 など、おのがじしうちかたらひなげかしげなるを、つゆもみしらぬやうに、いとけはひをかしくものがたりなどしたまひつつ、よふくるまでおはす。
346.5482446第五段 六条院の女たち、紫の上に同情
346.5.1483447 かう(ひと)のただならず()(おも)ひたるも、()きにくしと(おぼ)して、 かうひとのただならずおもひたるも、きにくしとおぼして、
346.5.2484448 「かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心(みこころ)にかなひて、(いま)めかしくすぐれたる(きは)にもあらずと、目馴(めな)れてさうざうしく(おぼ)したりつるに、この(みや)のかく(わた)りたまへるこそ、めやすけれ。 "かく、これかれあまたものしたまふめれど、みこころにかなひて、いまめかしくすぐれたるきはにもあらずと、めなれてさうざうしくおぼしたりつるに、このみやのかくわたりたまへるこそ、めやすけれ。
346.5.3485449 なほ、童心(わらはごころ)()せぬにやあらむ、われも(むつ)びきこえてあらまほしきを、あいなく(へだ)てあるさまに(ひと)びとやとりなさむとすらむ。ひとしきほど、(おと)りざまなど(おも)(ひと)にこそ、ただならず(みみ)たつことも、おのづから()()るわざなれ、かたじけなく、心苦(こころぐる)しき(おほん)ことなめれば、いかで(こころ)おかれたてまつらじとなむ(おも)ふ」 なほ、わらはごころせぬにやあらん、われもむつびきこえてあらまほしきを、あいなくへだてあるさまにひとびとやとりなさんとすらん。ひとしきほど、おとりざまなどおもひとにこそ、ただならずみみたつことも、おのづからるわざなれ、かたじけなく、こころぐるしきおほんことなめれば、いかでこころおかれたてまつらじとなんおもふ。"
346.5.4486450 などのたまへば、中務(なかつかさ)中将(ちゅうじゃう)(きみ)などやうの(ひと)びと、()をくはせつつ、 などのたまへば、なかつかさちゅうじゃうきみなどやうのひとびと、をくはせつつ、
346.5.5487451 「あまりなる御思(おほんおも)ひやりかな」 "あまりなるおほんおもひやりかな。"
346.5.6488452 など()ふべし。(むかし)は、ただならぬさまに使(つか)ひならしたまひし(ひと)どもなれど、(とし)ごろはこの御方(おほんかた)にさぶらひて、皆心寄(みなこころよ)せきこえたるなめり。 などふべし。むかしは、ただならぬさまにつかひならしたまひしひとどもなれど、としごろはこのおほんかたにさぶらひて、みなこころよせきこえたるなめり。
346.5.7489453 異御方々(ことおほんかたがた)よりも、 ことおほんかたがたよりも、
346.5.8490454 「いかに(おぼ)すらむ。もとより(おも)(はな)れたる(ひと)びとは、なかなか心安(こころやす)きを」 "いかにおぼすらん。もとよりおもはなれたるひとびとは、なかなかこころやすきを。"
346.5.9491455 など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、 など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、
346.5.10492456 「かく()(はか)(ひと)こそ、なかなか(くる)しけれ。()(なか)もいと(つね)なきものを、などてかさのみは(おも)(なや)まむ」 "かくはかひとこそ、なかなかくるしけれ。なかもいとつねなきものを、などてかさのみはおもなやまん。"
346.5.11493457 など(おぼ)す。 などおぼす。
346.5.12494458 あまり(ひさ)しき宵居(よひゐ)も、(れい)ならず(ひと)やとがめむと、(こころ)(おに)(おぼ)して、()りたまひぬれば、御衾参(おほんふすままゐ)りぬれど、げにかたはらさびしき()()()にけるも、なほ、ただならぬ心地(ここち)すれど、かの須磨(すま)御別(おほんわか)れの(をり)などを(おぼ)()づれば、 あまりひさしきよひゐも、れいならずひとやとがめんと、こころおにおぼして、りたまひぬれば、おほんふすままゐりぬれど、げにかたはらさびしきにけるも、なほ、ただならぬここちすれど、かのすまおほんわかれのをりなどをおぼづれば、
346.5.13495459 (いま)はと、かけ(はな)れたまひても、ただ(おな)()のうちに()きたてまつらましかばと、わが()までのことはうち()き、あたらしく(かな)しかりしありさまぞかし。さて、その(まぎ)れに、われも(ひと)命堪(いのちた)へずなりなましかば、いふかひあらまし()かは」 "いまはと、かけはなれたまひても、ただおなのうちにきたてまつらましかばと、わがまでのことはうちき、あたらしくかなしかりしありさまぞかし。さて、そのまぎれに、われもひといのちたへずなりなましかば、いふかひあらましかは。"
346.5.14496460 (おぼ)(なほ)す。 おぼなほす。
346.5.15497461 (かぜ)うち()きたる()のけはひ(ひや)やかにて、ふとも寝入(ねい)られたまはぬを、(ちか)くさぶらふ(ひと)びと、あやしとや()かむと、うちも()じろきたまはぬも、なほいと(くる)しげなり。夜深(よぶか)(とり)(こゑ)()こえたるも、ものあはれなり。 かぜうちきたるのけはひひややかにて、ふともねいられたまはぬを、ちかくさぶらふひとびと、あやしとやかんと、うちもじろきたまはぬも、なほいとくるしげなり。よぶかとりこゑこえたるも、ものあはれなり。
346.6498462第六段 源氏、夢に紫の上を見る
346.6.1499463 わざとつらしとにはあらねど、かやうに(おも)(みだ)れたまふけにや、かの御夢(おほんゆめ)()えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒(こころさわ)がしたまふに、(とり)音待(ねま)()でたまへれば、夜深(よぶか)きも()らず(がほ)に、(いそ)()でたまふ。いといはけなき(おほん)ありさまなれば、乳母(めのと)たち(ちか)くさぶらひけり。 わざとつらしとにはあらねど、かやうにおもみだれたまふけにや、かのおほんゆめえたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにとこころさわがしたまふに、とりねまでたまへれば、よぶかきもらずがほに、いそでたまふ。いといはけなきおほんありさまなれば、めのとたちちかくさぶらひけり。
346.6.2500465 妻戸押(つまどお)()けて()でたまふを、()たてまつり(おく)る。()けぐれの(そら)に、(ゆき)光見(ひかりみ)えておぼつかなし。名残(なごり)までとまれる御匂(おほんにほ)ひ、 つまどおけてでたまふを、たてまつりおくる。けぐれのそらに、ゆきひかりみえておぼつかなし。なごりまでとまれるおほんにほひ、
346.6.3501466 (やみ)はあやなし」 "〔やみはあやなし〕
346.6.4502467 (ひと)りごたる。 ひとりごたる。
346.6.5503468 (ゆき)所々消(ところどころき)(のこ)りたるが、いと(しろ)(には)の、ふとけぢめ()えわかれぬほどなるに、 ゆきところどころきのこりたるが、いとしろにはの、ふとけぢめえわかれぬほどなるに、
346.6.6504469 「なほ(のこ)れる(ゆき) "〔なほのこれるゆき〕"
346.6.7505470 (しの)びやかに(くち)ずさびたまひつつ、御格子(みかうし)うち(たた)きたまふも、(ひさ)しくかかることなかりつるならひに、(ひと)びとも空寝(そらね)をしつつ、やや()たせたてまつりて、()()げたり。 しのびやかにくちずさびたまひつつ、みかうしうちたたきたまふも、ひさしくかかることなかりつるならひに、ひとびともそらねをしつつ、ややたせたてまつりて、げたり。
346.6.8506471 「こよなく(ひさ)しかりつるに、()()えにけるは。()ぢきこゆる(こころ)のおろかならぬにこそあめれ。さるは、(つみ)もなしや」 "こよなくひさしかりつるに、えにけるは。ぢきこゆるこころのおろかならぬにこそあめれ。さるは、つみもなしや。"
346.6.9507472 とて、御衣(おほんぞ)ひきやりなどしたまふに、すこし()れたる御単衣(おほんひとへ)(そで)をひき(かく)して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意(おほんようい)など、いと()づかしげにをかし。 とて、おほんぞひきやりなどしたまふに、すこしれたるおほんひとへそでをひきかくして、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬおほんよういなど、いとづかしげにをかし。
346.6.10508473 (かぎ)りなき(ひと)()こゆれど、(かた)かめる()を」 "かぎりなきひとこゆれど、かたかめるを。"
346.6.11509474 と、(おぼ)(くら)べらる。 と、おぼくらべらる。
346.6.12510475 よろづいにしへのことを(おぼ)()でつつ、とけがたき()けしきを(うら)みきこえたまひて、その()()らしたまひつれば、え(わた)りたまはで、寝殿(しんでん)には御消息(おほんせうそこ)()こえたまふ。 よろづいにしへのことをおぼでつつ、とけがたきけしきをうらみきこえたまひて、そのらしたまひつれば、えわたりたまはで、しんでんにはおほんせうそここえたまふ。
346.6.13511476 今朝(けさ)(ゆき)心地(ここち)あやまりて、いと(なや)ましくはべれば、心安(こころやす)(かた)にためらひはべる」 "けさゆきここちあやまりて、いとなやましくはべれば、こころやすかたにためらひはべる。"
346.6.14512477 とあり。御乳母(おほんめのと) とあり。おほんめのと
346.6.15513478 「さ()こえさせはべりぬ」 "さこえさせはべりぬ。"
346.6.16514479 とばかり、言葉(ことば)()こえたり。 とばかり、ことばこえたり。
346.6.17515480 (こと)なることなの御返(おほんかへ)りや」と(おぼ)す。「(ゐん)()こし()さむこともいとほし。このころばかりつくろはむ」と(おぼ)せど、えさもあらぬを、「さは(おも)ひしことぞかし。あな(くる)し」と、みづから(おも)(つづ)けたまふ。 "ことなることなのおほんかへりや。"とおぼす。"ゐんこしさんこともいとほし。このころばかりつくろはん。"とおぼせど、えさもあらぬを、"さはおもひしことぞかし。あなくるし。"と、みづからおもつづけたまふ。
346.6.18516481 女君(をんなぎみ)も、「(おも)ひやりなき御心(おほんこころ)かな」と、(くる)しがりたまふ。 をんなぎみも、"おもひやりなきおほんこころかな。"と、くるしがりたまふ。
346.7517482第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答
346.7.1518483 今朝(けさ)は、(れい)のやうに大殿籠(おほとのご)もり()きさせたまひて、(みや)御方(おほんかた)御文(おほんふみ)たてまつれたまふ。ことに()づかしげもなき(おほん)さまなれど、御筆(おほんふで)などひきつくろひて、(しろ)(かみ)に、 けさは、れいのやうにおほとのごもりきさせたまひて、みやおほんかたおほんふみたてまつれたまふ。ことにづかしげもなきおほんさまなれど、おほんふでなどひきつくろひて、しろかみに、
346.7.2519484 中道(なかみち)(へだ)つるほどはなけれども<BR/>心乱(こころみだ)るる今朝(けさ)のあは(ゆき) "〔なかみちへだつるほどはなけれども<BR/>こころみだるるけさのあはゆき〕"
346.7.3520485 (むめ)()けたまへり。人召(ひとめ)して、 むめけたまへり。ひとめして、
346.7.4521486 西(にし)渡殿(わたどの)よりたてまつらせよ」 "にしわたどのよりたてまつらせよ。"
346.7.5522487 とのたまふ。やがて見出(みい)だして、端近(はしちか)くおはします。(しろ)御衣(おほんぞ)どもを()たまひて、(はな)をまさぐりたまひつつ、「友待(ともま)(ゆき)」のほのかに(のこ)れる(うへ)に、うち()()(そら)(なが)めたまへり。(うぐひす)(わか)やかに、(ちか)紅梅(こうばい)(すゑ)にうち()きたるを、 とのたまふ。やがてみいだして、はしちかくおはします。しろおほんぞどもをたまひて、はなをまさぐりたまひつつ、〔ともまゆき〕のほのかにのこれるうへに、うちそらながめたまへり。うぐひすわかやかに、ちかこうばいすゑにうちきたるを、
346.7.6523488 (そで)こそ(にほ)へ」 "〔そでこそにほへ〕
346.7.7524489 (はな)をひき(かく)して、御簾押(みすお)()げて(なが)めたまへるさま、(ゆめ)にも、かかる(ひと)(おや)にて、(おも)(くらゐ)()えたまはず、(わか)うなまめかしき(おほん)さまなり。 はなをひきかくして、みすおげてながめたまへるさま、ゆめにも、かかるひとおやにて、おもくらゐえたまはず、わかうなまめかしきおほんさまなり。
346.7.8525490 御返(おほんかへ)り、すこしほど()心地(ここち)すれば、()りたまひて、女君(をんなぎみ)花見(はなみ)せたてまつりたまふ。 おほんかへり、すこしほどここちすれば、りたまひて、をんなぎみはなみせたてまつりたまふ。
346.7.9526491 (はな)といはば、かくこそ(にほ)はまほしけれな。(さくら)(うつ)しては、また(ちり)ばかりも心分(こころわ)くる(かた)なくやあらまし」 "はなといはば、かくこそにほはまほしけれな。さくらうつしては、またちりばかりもこころわくるかたなくやあらまし。"
346.7.10527492 などのたまふ。 などのたまふ。
346.7.11528493 「これも、あまた(うつ)ろはぬほど、()とまるにやあらむ。(はな)(さか)りに(なら)べて()ばや」 "これも、あまたうつろはぬほど、とまるにやあらん。はなさかりにならべてばや。"
346.7.12529494 などのたまふに、御返(おほんかへ)りあり。(くれなゐ)薄様(うすやう)に、あざやかにおし(つつ)まれたるを、(むね)つぶれて、御手(おほんて)のいと(わか)きを、 などのたまふに、おほんかへりあり。くれなゐうすやうに、あざやかにおしつつまれたるを、むねつぶれて、おほんてのいとわかきを、
346.7.13530495 「しばし()せたてまつらであらばや。(へだ)つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、(ひと)のほどかたじけなし」 "しばしせたてまつらであらばや。へだつとはなけれど、あはあはしきやうならんは、ひとのほどかたじけなし。"
346.7.14531496 (おぼ)すに、ひき(かく)したまはむも(こころ)おきたまふべければ、かたそば(ひろ)げたまへるを、しりめに()おこせて()()したまへり。 おぼすに、ひきかくしたまはんもこころおきたまふべければ、かたそばひろげたまへるを、しりめにおこせてしたまへり。
346.7.15532497 「はかなくてうはの(そら)にぞ()えぬべき<BR/>(かぜ)にただよふ(はる)のあは(ゆき) "〔はかなくてうはのそらにぞえぬべき<BR/>かぜにただよふはるのあはゆき〕"
346.7.16533498 御手(おほんて)、げにいと(わか)(をさな)げなり。「さばかりのほどになりぬる(ひと)は、いとかくはおはせぬものを」と、()とまれど、()ぬやうに(まぎ)らはして、()みたまひぬ。 おほんて、げにいとわかをさなげなり。"さばかりのほどになりぬるひとは、いとかくはおはせぬものを。"と、とまれど、ぬやうにまぎらはして、みたまひぬ。
346.7.17534499 異人(ことひと)(うへ)ならば、「さこそあれ」などは、(しの)びて()こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、 ことひとうへならば、"さこそあれ。"などは、しのびてこえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、
346.7.18535500 心安(こころやす)くを、(おも)ひなしたまへ」 "こころやすくを、おもひなしたまへ。"
346.7.19536501 とのみ()こえたまふ。 とのみこえたまふ。
346.8537502第八段 源氏、昼に宮の方に出向く
346.8.1538503 今日(けふ)は、(みや)御方(おほんかた)昼渡(ひるわた)りたまふ。(こころ)ことにうち化粧(けさう)じたまへる(おほん)ありさま、今見(いまみ)たてまつる女房(にょうばう)などは、まして()るかひありと(おも)ひきこゆらむかし。御乳母(おほんめのと)などやうの()いしらへる(ひと)びとぞ、 けふは、みやおほんかたひるわたりたまふ。こころことにうちけさうじたまへるおほんありさま、いまみたてまつるにょうばうなどは、ましてるかひありとおもひきこゆらんかし。おほんめのとなどやうのいしらへるひとびとぞ、
346.8.2539504 「いでや。この(おほん)ありさま一所(ひとところ)こそめでたけれ、めざましきことはありなむかし」 "いでや。このおほんありさまひとところこそめでたけれ、めざましきことはありなんかし。"
346.8.3540505 と、うち()ぜて(おも)ふもありける。 と、うちぜておもふもありける。
346.8.4541506 女宮(をんなみや)は、いとらうたげに(をさな)きさまにて、(おほん)しつらひなどのことことしく、よだけくうるはしきに、みづからは何心(なにごころ)もなく、ものはかなき(おほん)ほどにて、いと御衣(おほんぞ)がちに、()もなく、あえかなり。ことに()ぢなどもしたまはず、ただ稚児(ちご)面嫌(おもぎら)ひせぬ心地(ここち)して、心安(こころやす)くうつくしきさましたまへり。 をんなみやは、いとらうたげにをさなきさまにて、おほんしつらひなどのことことしく、よだけくうるはしきに、みづからはなにごころもなく、ものはかなきおほんほどにて、いとおほんぞがちに、もなく、あえかなり。ことにぢなどもしたまはず、ただちごおもぎらひせぬここちして、こころやすくうつくしきさましたまへり。
346.8.5542507 (ゐん)(みかど)は、ををしくすくよかなる(かた)御才(おほんざえ)などこそ、(こころ)もとなくおはしますと、世人思(よひとおも)ひためれ、をかしき(すぢ)、なまめきゆゑゆゑしき(かた)は、(ひと)にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに()ほしたてたまひけむ。さるは、いと御心(みこころ)とどめたまへる皇女(みこ)()きしを」 "ゐんみかどは、ををしくすくよかなるかたおほんざえなどこそ、こころもとなくおはしますと、よひとおもひためれ、をかしきすぢ、なまめきゆゑゆゑしきかたは、ひとにまさりたまへるを、などて、かくおいらかにほしたてたまひけん。さるは、いとみこころとどめたまへるみこきしを。"
346.8.6543508 (おも)ふも、なま口惜(くちを)しけれど、(にく)からず()たてまつりたまふ。 おもふも、なまくちをしけれど、にくからずたてまつりたまふ。
346.8.7544509 ただ()こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、(おほん)いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ()でて、え見放(みはな)たず()えたまふ。 ただこえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、おほんいらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひでて、えみはなたずえたまふ。
346.8.8545510 (むかし)(こころ)ならましかば、うたて心劣(こころおと)りせましを、(いま)は、()(なか)(みな)さまざまに(おも)ひなだらめて、 むかしこころならましかば、うたてこころおとりせましを、いまは、なかみなさまざまにおもひなだらめて、
346.8.9546511 「とあるもかかるも、際離(きははな)るることは(かた)きものなりけり。とりどりにこそ(おほ)うはありけれ、よその(おも)ひは、いとあらまほしきほどなりかし」 "とあるもかかるも、きははなるることはかたきものなりけり。とりどりにこそおほうはありけれ、よそのおもひは、いとあらまほしきほどなりかし。"
346.8.10547512 (おぼ)すに、()(なら)目離(めか)れず()たてまつりたまへる(とし)ごろよりも、(たい)(うへ)(おほん)ありさまぞなほありがたく、「われながらも()ほしたてけり」と(おぼ)す。一夜(ひとよ)のほど、(あした)()も、(こひ)しくおぼつかなく、いとどしき御心(みこころ)ざしのまさるを、「などかくおぼゆらむ」と、ゆゆしきまでなむ。 おぼすに、ならめかれずたてまつりたまへるとしごろよりも、たいうへおほんありさまぞなほありがたく、"われながらもほしたてけり。"とおぼす。ひとよのほど、あしたも、こひしくおぼつかなく、いとどしきみこころざしのまさるを、"などかくおぼゆらん。"と、ゆゆしきまでなん。
346.9548513第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る
346.9.1549514 (ゐん)(みかど)は、(つき)のうちに御寺(みてら)(うつ)ろひたまひぬ。この(ゐん)に、あはれなる御消息(おほんせうそこ)ども()こえたまふ。姫宮(ひめみや)(おほん)ことはさらなり。 ゐんみかどは、つきのうちにみてらうつろひたまひぬ。このゐんに、あはれなるおほんせうそこどもこえたまふ。ひめみやおほんことはさらなり。
346.9.2550515 わづらはしく、いかに()くところやなど、(はばか)りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心(みこころ)にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび()こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、(をさな)くおはするを(おも)ひきこえたまひけり。 わづらはしく、いかにくところやなど、はばかりたまふことなくて、ともかくも、ただみこころにかけてもてなしたまふべくぞ、たびたびこえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、をさなくおはするをおもひきこえたまひけり。
346.9.3551516 (むらさき)(うへ)にも、御消息(おほんせうそこ)ことにあり。 むらさきうへにも、おほんせうそこことにあり。
346.9.4552517 (をさな)(ひと)の、心地(ここち)なきさまにて(うつ)ろひものすらむを、(つみ)なく(おぼ)しゆるして、後見(うしろみ)たまへ。(たづ)ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。 "をさなひとの、ここちなきさまにてうつろひものすらんを、つみなくおぼしゆるして、うしろみたまへ。たづねたまふべきゆゑもやあらんとぞ。
346.9.5553518 (そむ)きにしこの()(のこ)(こころ)こそ<BR/>()山路(やまみち)のほだしなりけれ そむきにしこののここころこそ<BR/>やまみちのほだしなりけれ
346.9.6554519 (やみ)をえはるけで()こゆるも、をこがましくや」 やみをえはるけでこゆるも、をこがましくや。"
346.9.7555520 とあり。大殿(おとど)()たまひて、 とあり。おとどたまひて、
346.9.8556521 「あはれなる御消息(おほんせうそこ)を。かしこまり()こえたまへ」 "あはれなるおほんせうそこを。かしこまりこえたまへ。"
346.9.9557522 とて、御使(おほんつかひ)にも、女房(にょうばう)して、土器(かはらけ)さし()でさせたまひて、しひさせたまふ。「御返(おほんかへ)りはいかが」など、()こえにくく(おぼ)したれど、ことことしくおもしろかるべき(をり)のことならねば、ただ(こころ)をのべて、 とて、おほんつかひにも、にょうばうして、かはらけさしでさせたまひて、しひさせたまふ。"おほんかへりはいかが。"など、こえにくくおぼしたれど、ことことしくおもしろかるべきをりのことならねば、ただこころをのべて、
346.9.10558523 (そむ)()のうしろめたくはさりがたき<BR/>ほだしをしひてかけな(はな)れそ」 "〔そむのうしろめたくはさりがたき<BR/>ほだしをしひてかけなはなれそ〕
346.9.11559524 などやうにぞあめりし。 などやうにぞあめりし。
346.9.12560525 (をんな)装束(さうぞく)に、細長添(ほそながそ)へてかづけたまふ。御手(おほんて)などのいとめでたきを、院御覧(ゐんごらん)じて、(なに)ごともいと()づかしげなめるあたりに、いはけなくて()えたまふらむこと、いと心苦(こころぐる)しう(おぼ)したり。 をんなさうぞくに、ほそながそへてかづけたまふ。おほんてなどのいとめでたきを、ゐんごらんじて、なにごともいとづかしげなめるあたりに、いはけなくてえたまふらんこと、いとこころぐるしうおぼしたり。
347561526第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋
347.1562527第一段 源氏、朧月夜に今なお執心
347.1.1563528 (いま)はとて、女御(にょうご)更衣(かうい)たちなど、おのがじし(わか)れたまふも、あはれなることなむ(おほ)かりける。 いまはとて、にょうごかういたちなど、おのがじしわかれたまふも、あはれなることなんおほかりける。
347.1.2564529 尚侍(ないしのかん)(きみ)は、故后(こきさい)(みや)のおはしましし二条(にでう)(みや)にぞ()みたまふ。姫宮(ひめみや)(おほん)ことをおきては、この(おほん)ことをなむかへりみがちに、(みかど)(おぼ)したりける。(あま)になりなむと(おぼ)したれど、 ないしのかんきみは、こきさいみやのおはしまししにでうみやにぞみたまふ。ひめみやおほんことをおきては、このおほんことをなんかへりみがちに、みかどおぼしたりける。あまになりなんとおぼしたれど、
347.1.3565530 「かかるきほひには、(した)ふやうに(こころ)あわたたしく」 "かかるきほひには、したふやうにこころあわたたしく。"
347.1.4566531 (いさ)めたまひて、やうやう(ほとけ)(おほん)ことなどいそがせたまふ。 いさめたまひて、やうやうほとけおほんことなどいそがせたまふ。
347.1.5567532 六条(ろくでう)大殿(おとど)は、あはれに()かずのみ(おぼ)してやみにし(おほん)あたりなれば、(とし)ごろも(わす)れがたく、 ろくでうおとどは、あはれにかずのみおぼしてやみにしおほんあたりなれば、としごろもわすれがたく、
347.1.6568533 「いかならむ(をり)対面(たいめん)あらむ。今一(いまひと)たびあひ()て、その()のことも()こえまほしく」のみ(おぼ)しわたるを、かたみに()()(みみ)(はばか)りたまふべき()のほどに、いとほしげなりし()(さわ)ぎなども(おぼ)()でらるれば、よろづにつつみ()ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、()(なか)(おも)ひしづまりたまふらむころほひの(おほん)ありさま、いよいよゆかしく、(こころ)もとなければ、あるまじきこととは(おぼ)しながら、おほかたの(おほん)とぶらひにことつけて、あはれなるさまに(つね)()こえたまふ。 "いかならんをりたいめんあらん。いまひとたびあひて、そののこともこえまほしく。"のみおぼしわたるを、かたみにみみはばかりたまふべきのほどに、いとほしげなりしさわぎなどもおぼでらるれば、よろづにつつみぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、なかおもひしづまりたまふらんころほひのおほんありさま、いよいよゆかしく、こころもとなければ、あるまじきこととはおぼしながら、おほかたのおほんとぶらひにことつけて、あはれなるさまにつねこえたまふ。
347.1.7569534 若々(わかわか)しかるべき(おほん)あはひならねば、御返(おほんかへ)りも時々(ときどき)につけて()こえ()はしたまふ。(むかし)よりもこよなくうち()し、ととのひ()てにたる(おほん)けはひを()たまふにも、なほ(しの)びがたくて、(むかし)中納言(ちゅうなごん)(きみ)のもとにも、心深(こころふか)きことどもを(つね)にのたまふ。 わかわかしかるべきおほんあはひならねば、おほんかへりもときどきにつけてこえはしたまふ。むかしよりもこよなくうちし、ととのひてにたるおほんけはひをたまふにも、なほしのびがたくて、むかしちゅうなごんきみのもとにも、こころふかきことどもをつねにのたまふ。
347.2570535第二段 和泉前司に手引きを依頼
347.2.1571536 かの(ひと)(せうと)なる和泉(いづみ)(さき)(かみ)()()せて、若々(わかわか)しく、いにしへに(かへ)りて(かた)らひたまふ。 かのひとせうとなるいづみさきかみせて、わかわかしく、いにしへにかへりてかたらひたまふ。
347.2.2572537 人伝(ひとづ)てならで、物越(ものご)しに()こえ()らすべきことなむある。さりぬべく()こえなびかして、いみじく(しの)びて(まゐ)らむ。 "ひとづてならで、ものごしにこえらすべきことなんある。さりぬべくこえなびかして、いみじくしのびてまゐらん。
347.2.3573538 (いま)は、さやうのありきも所狭(ところせ)()のほどに、おぼろけならず(しの)ぶれば、そこにもまた(ひと)には()らしたまはじと(おも)ふに、かたみにうしろやすくなむ」 いまは、さやうのありきもところせのほどに、おぼろけならずしのぶれば、そこにもまたひとにはらしたまはじとおもふに、かたみにうしろやすくなん。"
347.2.4574539 とのたまふ。尚侍(かん)(きみ) とのたまふ。かんきみ
347.2.5575540 「いでや。()(なか)(おも)()るにつけても、(むかし)よりつらき御心(みこころ)を、ここら(おも)ひつめつる(とし)ごろの()てに、あはれに(かな)しき(おほん)ことをさし()きて、いかなる昔語(むかしがた)りをか()こえむ。 "いでや。なかおもるにつけても、むかしよりつらきみこころを、ここらおもひつめつるとしごろのてに、あはれにかなしきおほんことをさしきて、いかなるむかしがたりをかこえん。
347.2.6576541 げに、(ひと)()()かぬやうありとも、(こころ)()はむこそいと()づかしかるべけれ」 げに、ひとかぬやうありとも、こころはんこそいとづかしかるべけれ。"
347.2.7577542 とうち(なげ)きたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみ()こゆ。 とうちなげきたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみこゆ。
347.3578543第三段 紫の上に虚偽を言って出かける
347.3.1579544 「いにしへ、わりなかりし()にだに、心交(こころか)はしたまはぬことにもあらざりしを。げに、(そむ)きたまひぬる(おほん)ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、(いま)しもけざやかにきよまはりて、()ちにしわが()(いま)さらに()(かへ)したまふべきにや」 "いにしへ、わりなかりしにだに、こころかはしたまはぬことにもあらざりしを。げに、そむきたまひぬるおほんためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、いましもけざやかにきよまはりて、ちにしわがいまさらにかへしたまふべきにや。"
347.3.2580545 (おぼ)()こして、この信太(しのだ)(もり)(みち)のしるべにて()うでたまふ。女君(をんなぎみ)には、 おぼこして、このしのだもりみちのしるべにてうでたまふ。をんなぎみには、
347.3.3581546 (ひんがし)(ゐん)にものする常陸(ひたち)(きみ)の、()ごろわづらひて(ひさ)しくなりにけるを、もの(さわ)がしき(まぎ)れに(とぶ)らはねば、いとほしくてなむ。(ひる)など、けざやかに(わた)らむも便(びん)なきを、()()(しの)びてとなむ、(おも)ひはべる。(ひと)にもかくとも()らせじ」 "ひんがしゐんにものするひたちきみの、ごろわづらひてひさしくなりにけるを、ものさわがしきまぎれにとぶらはねば、いとほしくてなん。ひるなど、けざやかにわたらんもびんなきを、しのびてとなん、おもひはべる。ひとにもかくともらせじ。"
347.3.4582547 ()こえたまひて、いといたく心懸想(こころげさう)したまふを、(れい)はさしも()えたまはぬあたりを、あやし、と()たまひて、(おも)()はせたまふこともあれど、姫宮(ひめみや)御事(おほんこと)(のち)は、何事(なにごと)も、いと()ぎぬる(かた)のやうにはあらず、すこし(へだ)つる心添(こころそ)ひて、見知(みし)らぬやうにておはす。 こえたまひて、いといたくこころげさうしたまふを、れいはさしもえたまはぬあたりを、あやし、とたまひて、おもはせたまふこともあれど、ひめみやおほんことのちは、なにごとも、いとぎぬるかたのやうにはあらず、すこしへだつるこころそひて、みしらぬやうにておはす。
347.4583548第四段 源氏、朧月夜を訪問
347.4.1584549 その()は、寝殿(しんでん)へも(わた)りたまはで、御文書(おほんふみか)()はしたまふ。()(もの)などに(こころ)()れて()らしたまふ。 そのは、しんでんへもわたりたまはで、おほんふみかはしたまふ。ものなどにこころれてらしたまふ。
347.4.2585550 宵過(よひす)ぐして、(むつ)ましき(ひと)(かぎ)り、()五人(ごにん)ばかり、網代車(あじろぐるま)の、(むかし)おぼえてやつれたるにて()でたまふ。和泉守(いづみのかみ)して、御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。かく(わた)りおはしましたるよし、ささめき()こゆれば、(おどろ)きたまひて、 よひすぐして、むつましきひとかぎり、ごにんばかり、あじろぐるまの、むかしおぼえてやつれたるにてでたまふ。いづみのかみして、おほんせうそこきこえたまふ。かくわたりおはしましたるよし、ささめきこゆれば、おどろきたまひて、
347.4.3586551 「あやしく。いかやうに()こえたるにか」 "あやしく。いかやうにこえたるにか。"
347.4.4587552 とむつかりたまへど、 とむつかりたまへど、
347.4.5588553 「をかしやかにて(かへ)したてまつらむに、いと便(びん)なうはべらむ」 "をかしやかにてかへしたてまつらんに、いとびんなうはべらん。"
347.4.6589554 とて、あながちに(おも)ひめぐらして、()れたてまつる。(おほん)とぶらひなど()こえたまひて、 とて、あながちにおもひめぐらして、れたてまつる。おほんとぶらひなどこえたまひて、
347.4.7590555 「ただここもとに、物越(ものご)しにても。さらに(むかし)のあるまじき(こころ)などは、(のこ)らずなりにけるを」 "ただここもとに、ものごしにても。さらにむかしのあるまじきこころなどは、のこらずなりにけるを。"
347.4.8591556 と、わりなく()こえたまへば、いたく(なげ)(なげ)くゐざり()でたまへり。 と、わりなくこえたまへば、いたくなげなげくゐざりでたまへり。
347.4.9592557 「さればよ。なほ、気近(けぢか)さは」 "さればよ。なほ、けぢかさは。"
347.4.10593558 と、かつ(おぼ)さる。かたみに、おぼろけならぬ(おほん)みじろきなれば、あはれも(すく)なからず。(ひんがし)(たい)なりけり。辰巳(たつみ)(かた)(ひさし)()ゑたてまつりて、御障子(みさうじ)のしりばかりは(かた)めたれば、 と、かつおぼさる。かたみに、おぼろけならぬおほんみじろきなれば、あはれもすくなからず。ひんがしたいなりけり。たつみかたひさしゑたてまつりて、みさうじのしりばかりはかためたれば、
347.4.11594559 「いと(わか)やかなる心地(ここち)もするかな。年月(としつき)()もりをも、(まぎ)れなく(かぞ)へらるる(こころ)ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」 "いとわかやかなるここちもするかな。としつきもりをも、まぎれなくかぞへらるるこころならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ。"
347.4.12595560 (うら)みきこえたまふ。 うらみきこえたまふ。
347.5596561第五段 朧月夜と一夜を過ごす
347.5.1597562 ()いたく()けゆく。玉藻(たまも)(あそ)鴛鴦(をし)声々(こゑごゑ)など、あはれに()こえて、しめじめと人目少(ひとめすく)なき(みや)(うち)のありさまも、「さも(うつ)りゆく()かな」と(おぼ)(つづ)くるに、平中(へいちゅう)がまねならねど、まことに(なみだ)もろになむ。(むかし)()はりて、おとなおとなしくは()こえたまふものから、「これをかくてや」と、()(うご)かしたまふ。 いたくけゆく。たまもあそをしこゑごゑなど、あはれにこえて、しめじめとひとめすくなきみやうちのありさまも、"さもうつりゆくかな。"とおぼつづくるに、へいちゅうがまねならねど、まことになみだもろになん。むかしはりて、おとなおとなしくはこえたまふものから、"これをかくてや。"と、うごかしたまふ。
347.5.2598563 年月(としつき)をなかに(へだ)てて逢坂(あふさか)の<BR/>さも()きがたく()つる(なみだ)か」 "〔としつきをなかにへだててあふさかの<BR/>さもきがたくつるなみだか〕
347.5.3599564 (をんな) をんな
347.5.4600565 (なみだ)のみ()きとめがたき清水(しみづ)にて<BR/>ゆき()(みち)ははやく()えにき」 "〔なみだのみきとめがたきしみづにて<BR/>ゆきみちははやくえにき〕
347.5.5601566 などかけ(はな)れきこえたまへど、いにしへを(おぼ)()づるも、 などかけはなれきこえたまへど、いにしへをおぼづるも、
347.5.6602567 ()れにより、(おほ)うはさるいみじきこともありし()(さわ)ぎぞは」と(おも)()でたまふに、「げに、今一(いまひと)たびの対面(たいめん)はありもすべかりけり」 "れにより、おほうはさるいみじきこともありしさわぎぞは。"とおもでたまふに、"げに、いまひとたびのたいめんはありもすべかりけり。"
347.5.7603568 と、(おぼ)(よわ)るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし(ひと)の、(とし)ごろは、さまざまに()(なか)(おも)()り、()(かた)(くや)しく、公私(おほやけわたくし)のことに()れつつ、(かず)もなく(おぼ)(あつ)めて、いといたく()ぐしたまひにたれど、(むかし)おぼえたる御対面(おほんたいめん)に、その()のことも(とほ)からぬ心地(ここち)して、え心強(こころづよ)くももてなしたまはず。 と、おぼよわるも、もとよりづしやかなるところはおはせざりしひとの、としごろは、さまざまになかおもり、かたくやしく、おほやけわたくしのことにれつつ、かずもなくおぼあつめて、いといたくぐしたまひにたれど、むかしおぼえたるおほんたいめんに、そののこともとほからぬここちして、えこころづよくももてなしたまはず。
347.5.8604569 なほ、らうらうじく、(わか)うなつかしくて、一方(ひとかた)ならぬ()のつつましさをもあはれをも、(おも)(みだ)れて、(なげ)きがちにてものしたまふけしきなど、今始(いまはじ)めたらむよりもめづらしくあはれにて、()けゆくもいと口惜(くちを)しくて、()でたまはむ(そら)もなし。 なほ、らうらうじく、わかうなつかしくて、ひとかたならぬのつつましさをもあはれをも、おもみだれて、なげきがちにてものしたまふけしきなど、いまはじめたらんよりもめづらしくあはれにて、けゆくもいとくちをしくて、でたまはんそらもなし。
347.6605570第六段 源氏、和歌を詠み交して出る
347.6.1606571 (あさ)ぼらけのただならぬ(そら)に、百千鳥(ももちどり)(こゑ)もいとうららかなり。(はな)皆散(みなち)()ぎて、名残(なごり)かすめる(こずゑ)浅緑(あさみどり)なる木立(こだち)、「(むかし)(ふぢ)(えん)したまひし、このころのことなりけりかし」と(おぼ)()づる、年月(としつき)()もりにけるほども、その(をり)のこと、かき(つづ)けあはれに(おぼ)さる。 あさぼらけのただならぬそらに、ももちどりこゑもいとうららかなり。はなみなちぎて、なごりかすめるこずゑあさみどりなるこだち、"むかしふぢえんしたまひし、このころのことなりけりかし。"とおぼづる、としつきもりにけるほども、そのをりのこと、かきつづけあはれにおぼさる。
347.6.2607572 中納言(ちゅうなごん)(きみ)()たてまつり(おく)るとて、妻戸押(つまどお)()けたるに、()(かへ)りたまひて、 ちゅうなごんきみたてまつりおくるとて、つまどおけたるに、かへりたまひて、
347.6.3608573 「この(ふぢ)よ。いかに()めけむ(いろ)にか。なほ、えならぬ心添(こころそ)(にほ)ひにこそ。いかでか、この(かげ)をば()(はな)るべき」 "このふぢよ。いかにめけんいろにか。なほ、えならぬこころそにほひにこそ。いかでか、このかげをばはなるべき。"
347.6.4609574 と、わりなく()でがてに(おぼ)しやすらひたり。 と、わりなくでがてにおぼしやすらひたり。
347.6.5610575 山際(やまぎは)よりさし()づる()のはなやかなるにさしあひ、()もかかやく心地(ここち)する(おほん)さまの、こよなくねび(くは)はりたまへる(おほん)けはひなどを、めづらしくほど()ても()たてまつるは、まして()(つね)ならずおぼゆれば、 やまぎはよりさしづるのはなやかなるにさしあひ、もかかやくここちするおほんさまの、こよなくねびくははりたまへるおほんけはひなどを、めづらしくほどてもたてまつるは、ましてつねならずおぼゆれば、
347.6.6611576 「さる(かた)にても、などか()たてまつり()ぐしたまはざらむ。御宮仕(おほんみやづか)へにも(かぎ)りありて、(きは)ことに(はな)れたまふこともなかりしを。故宮(こみや)の、よろづに(こころ)()くしたまひ、よからぬ()(さわ)ぎに、軽々(かろがろ)しき御名(おほんな)さへ(ひび)きてやみにしよ」 "さるかたにても、などかたてまつりぐしたまはざらん。おほんみやづかへにもかぎりありて、きはことにはなれたまふこともなかりしを。こみやの、よろづにこころくしたまひ、よからぬさわぎに、かろがろしきおほんなさへひびきてやみにしよ。"
347.6.7612577 など(おも)()でらる。名残多(なごりおほ)(のこ)りぬらむ御物語(おほんものがたり)のとぢめには、げに(のこ)りあらせまほしきわざなめるを、御身(おほんみ)(こころ)にえまかせたまふまじく、ここらの人目(ひとめ)もいと(おそ)ろしくつつましければ、やうやうさし()がり()くに、(こころ)あわたたしくて、(らう)()御車(みくるま)さし()せたる(ひと)びとも、(しの)びて(こわ)づくりきこゆ。 などおもでらる。なごりおほのこりぬらんおほんものがたりのとぢめには、げにのこりあらせまほしきわざなめるを、おほんみこころにえまかせたまふまじく、ここらのひとめもいとおそろしくつつましければ、やうやうさしがりくに、こころあわたたしくて、らうみくるまさしせたるひとびとも、しのびてこわづくりきこゆ。
347.6.8613579 人召(ひとめ)して、かの()きかかりたる(はな)一枝折(ひとえだを)らせたまへり。 ひとめして、かのきかかりたるはなひとえだをらせたまへり。
347.6.9614580 (しづ)みしも(わす)れぬものをこりずまに<BR/>()()げつべき宿(やど)藤波(ふぢなみ) "〔しづみしもわすれぬものをこりずまに<BR/>げつべきやどふぢなみ〕"
347.6.10615581 いといたく(おぼ)しわづらひて、()りゐたまへるを、心苦(こころぐる)しう()たてまつる。女君(をんなぎみ)も、(いま)さらにいとつつましく、さまざまに(おも)(みだ)れたまへるに、(はな)(かげ)は、なほなつかしくて、 いといたくおぼしわづらひて、りゐたまへるを、こころぐるしうたてまつる。をんなぎみも、いまさらにいとつつましく、さまざまにおもみだれたまへるに、はなかげは、なほなつかしくて、
347.6.11616582 ()()げむ(ふち)もまことの(ふち)ならで<BR/>かけじやさらにこりずまの(なみ) "〔げんふちもまことのふちならで<BR/>かけじやさらにこりずまのなみ〕"
347.6.12617583 いと(わか)やかなる御振(おほんふ)()ひを、(こころ)ながらもゆるさぬことに(おぼ)しながら、関守(せきもり)(かた)からぬたゆみにや、いとよく(かた)らひおきて()でたまふ。 いとわかやかなるおほんふひを、こころながらもゆるさぬことにおぼしながら、せきもりかたからぬたゆみにや、いとよくかたらひおきてでたまふ。
347.6.13618584 そのかみも、(ひと)よりこよなく(こころ)とどめて(おも)うたまへりし御心(みこころ)ざしながら、はつかにてやみにし御仲(おほんなか)らひには、いかでかはあはれも(すく)なからむ。 そのかみも、ひとよりこよなくこころとどめておもうたまへりしみこころざしながら、はつかにてやみにしおほんなからひには、いかでかはあはれもすくなからん。
347.7619585第七段 源氏、自邸に帰る
347.7.1620586 いみじく(しの)()りたまへる御寝(おほんね)くたれのさまを()()けて、女君(をんなぎみ)、さばかりならむと心得(こころえ)たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦(こころぐる)しく、「など、かくしも見放(みはな)ちたまへらむ」と(おぼ)さるれば、ありしよりけに(ふか)(ちぎ)りをのみ、(なが)()をかけて()こえたまふ。 いみじくしのりたまへるおほんねくたれのさまをけて、をんなぎみ、さばかりならんとこころえたまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。なかなかうちふすべなどしたまへらんよりも、こころぐるしく、"など、かくしもみはなちたまへらん。"とおぼさるれば、ありしよりけにふかちぎりをのみ、ながをかけてこえたまふ。
347.7.2621587 尚侍(かん)(きみ)(おほん)ことも、また()らすべきならねど、いにしへのことも()りたまへれば、まほにはあらねど、 かんきみおほんことも、またらすべきならねど、いにしへのこともりたまへれば、まほにはあらねど、
347.7.3622588 物越(ものご)しに、はつかなりつる対面(たいめん)なむ、(のこ)りある心地(ここち)する。いかで人目咎(ひとめとが)めあるまじくもて(かく)しては、今一(いまひと)たびも」 "ものごしに、はつかなりつるたいめんなん、のこりあるここちする。いかでひとめとがめあるまじくもてかくしては、いまひとたびも。"
347.7.4623589 と、(かた)らひきこえたまふ。うち(わら)ひて、 と、かたらひきこえたまふ。うちわらひて、
347.7.5624590 (いま)めかしくもなり(かへ)(おほん)ありさまかな。(むかし)(いま)(あらた)(くは)へたまふほど、中空(なかぞら)なる()のため(くる)しく」 "いまめかしくもなりかへおほんありさまかな。むかしいまあらたくはへたまふほど、なかぞらなるのためくるしく。"
347.7.6625591 とて、さすがに(なみだ)ぐみたまへるまみの、いとらうたげに()ゆるに、 とて、さすがになみだぐみたまへるまみの、いとらうたげにゆるに、
347.7.7626592 「かう心安(こころやす)からぬ()けしきこそ(くる)しけれ。ただおいらかに()()みなどして、(をし)へたまへ。(へだ)てあるべくも、ならはしきこえぬを、(おも)はずにこそなりにける御心(みこころ)なれ」 "かうこころやすからぬけしきこそくるしけれ。ただおいらかにみなどして、をしへたまへ。へだてあるべくも、ならはしきこえぬを、おもはずにこそなりにけるみこころなれ。"
347.7.8627593 とて、よろづに御心(みこころ)とりたまふほどに、(なに)ごともえ(のこ)したまはずなりぬめり。 とて、よろづにみこころとりたまふほどに、なにごともえのこしたまはずなりぬめり。
347.7.9628594 (みや)御方(おほんかた)にも、とみにえ(わた)りたまはず、こしらへきこえつつおはします。姫宮(ひめみや)は、(なに)とも(おぼ)したらぬを、御後見(おほんうしろみ)どもぞ(やす)からず()こえける。わづらはしうなど()えたまふけしきならば、そなたもまして心苦(こころぐる)しかるべきを、おいらかにうつくしきもて(あそ)びぐさに(おも)ひきこえたまへり。 みやおほんかたにも、とみにえわたりたまはず、こしらへきこえつつおはします。ひめみやは、なにともおぼしたらぬを、おほんうしろみどもぞやすからずこえける。わづらはしうなどえたまふけしきならば、そなたもましてこころぐるしかるべきを、おいらかにうつくしきもてあそびぐさにおもひきこえたまへり。
348629595第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感
348.1630596第一段 明石姫君、懐妊して退出
348.1.1631597 桐壺(きりつぼ)御方(おほんかた)は、うちはへえまかでたまはず。御暇(おほんいとま)のありがたければ、心安(こころやす)くならひたまへる(わか)御心(みこころ)に、いと(くる)しくのみ(おぼ)したり。 きりつぼおほんかたは、うちはへえまかでたまはず。おほんいとまのありがたければ、こころやすくならひたまへるわかみこころに、いとくるしくのみおぼしたり。
348.1.2632598 (なつ)ごろ、(なや)ましくしたまふを、とみにも(ゆる)しきこえたまはねば、いとわりなしと(おぼ)す。めづらしきさまの御心地(みここち)にぞありける。まだいとあえかなる(おほん)ほどに、いとゆゆしくぞ、()れも()れも(おぼ)すらむかし。からうしてまかでたまへり。 なつごろ、なやましくしたまふを、とみにもゆるしきこえたまはねば、いとわりなしとおぼす。めづらしきさまのみここちにぞありける。まだいとあえかなるおほんほどに、いとゆゆしくぞ、れもれもおぼすらんかし。からうしてまかでたまへり。
348.1.3633599 姫宮(ひめみや)のおはします御殿(おとど)東面(ひんがしおもて)に、御方(おほんかた)はしつらひたり。明石(あかし)御方(おほんかた)(いま)御身(おほんみ)()ひて、()()りたまふも、あらまほしき御宿世(おほんすくせ)なりかし。 ひめみやのおはしますおとどひんがしおもてに、おほんかたはしつらひたり。あかしおほんかたいまおほんみひて、りたまふも、あらまほしきおほんすくせなりかし。
348.2634600第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る
348.2.1635601 (たい)(うへ)、こなたに(わた)りて対面(たいめん)したまふついでに、 たいうへ、こなたにわたりてたいめんしたまふついでに、
348.2.2636602 姫宮(ひめみや)にも、(なか)戸開(とあ)けて()こえむ。かねてよりもさやうに(おも)ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる(をり)()こえ()れなば、心安(こころやす)くなむあるべき」 "ひめみやにも、なかとあけてこえん。かねてよりもさやうにおもひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかるをりこえれなば、こころやすくなんあるべき。"
348.2.3637603 と、大殿(おとど)()こえたまへば、うち()みて、 と、おとどこえたまへば、うちみて、
348.2.4638604 (おも)ふやうなるべき御語(おほんかた)らひにこそはあなれ。いと(をさな)げにものしたまふめるを、うしろやすく(をし)へなしたまへかし」 "おもふやうなるべきおほんかたらひにこそはあなれ。いとをさなげにものしたまふめるを、うしろやすくをしへなしたまへかし。"
348.2.5639605 と、(ゆる)しきこえたまふ。(みや)よりも、明石(あかし)(きみ)()づかしげにて()じらむを(おぼ)せば、御髪(みぐし)すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと()えたまへり。 と、ゆるしきこえたまふ。みやよりも、あかしきみづかしげにてじらんをおぼせば、みぐしすましひきつくろひておはする、たぐひあらじとえたまへり。
348.2.6640606 大殿(おとど)は、(みや)御方(おほんかた)(わた)りたまひて、 おとどは、みやおほんかたわたりたまひて、
348.2.7641607 夕方(ゆふかた)、かの(たい)にはべる(ひと)の、淑景舎(しげいさ)対面(たいめん)せむとて()()つ。そのついでに、(ちか)づききこえさせまほしげにものすめるを、(ゆる)して(かた)らひたまへ。(こころ)などはいとよき(ひと)なり。まだ若々(わかわか)しくて、御遊(おほんあそ)びがたきにもつきなからずなむ」 "ゆふかた、かのたいにはべるひとの、しげいさたいめんせんとてつ。そのついでに、ちかづききこえさせまほしげにものすめるを、ゆるしてかたらひたまへ。こころなどはいとよきひとなり。まだわかわかしくて、おほんあそびがたきにもつきなからずなん。"
348.2.8642608 など、()こえたまふ。 など、こえたまふ。
348.2.9643609 ()づかしうこそはあらめ。(なに)ごとをか()こえむ」 "づかしうこそはあらめ。なにごとをかこえん。"
348.2.10644610 と、おいらかにのたまふ。 と、おいらかにのたまふ。
348.2.11645611 (ひと)のいらへは、ことにしたがひてこそは(おぼ)()でめ。(へだ)()きてなもてなしたまひそ」 "ひとのいらへは、ことにしたがひてこそはおぼでめ。へだきてなもてなしたまひそ。"
348.2.12646612 と、こまかに(をし)へきこえたまふ。「御仲(おほんなか)うるはしくて()ぐしたまへ」と(おぼ)す。 と、こまかにをしへきこえたまふ。"おほんなかうるはしくてぐしたまへ。"とおぼす。
348.2.13647613 あまりに何心(なにごころ)もなき(おほん)ありさまを()あらはされむも、()づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔(こころへだ)てむもあいなし」と、(おぼ)すなりけり。 あまりになにごころもなきおほんありさまをあらはされんも、づかしくあぢきなけれど、さのたまはんを、"こころへだてんもあいなし。"と、おぼすなりけり。
348.3648614第三段 紫の上の手習い歌
348.3.1649615 (たい)には、かく()()ちなどしたまふものから、 たいには、かくちなどしたまふものから、
348.3.2650616 (われ)より(かみ)(ひと)やはあるべき。()のほどなるものはかなきさまを、()えおきたてまつりたるばかりこそあらめ」 "われよりかみひとやはあるべき。のほどなるものはかなきさまを、えおきたてまつりたるばかりこそあらめ。"
348.3.3651617 など、(おも)(つづ)けられて、うち(なが)めたまふ。手習(てならひ)などするにも、おのづから古言(ふること)も、もの(おも)はしき(すぢ)にのみ()かるるを、「さらば、わが()には(おも)ふことありけり」と、()ながらぞ(おぼ)()らるる。 など、おもつづけられて、うちながめたまふ。てならひなどするにも、おのづからふることも、ものおもはしきすぢにのみかるるを、"さらば、わがにはおもふことありけり。"と、ながらぞおぼらるる。
348.3.4652618 (ゐん)(わた)りたまひて、(みや)女御(にょうご)(きみ)などの(おほん)さまどもを、「うつくしうもおはするかな」と、さまざま()たてまつりたまへる御目(おほんめ)うつしには、(とし)ごろ目馴(めな)れたまへる(ひと)の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と()たまふ。ありがたきことなりかし。 ゐんわたりたまひて、みやにょうごきみなどのおほんさまどもを、"うつくしうもおはするかな。"と、さまざまたてまつりたまへるおほんめうつしには、としごろめなれたまへるひとの、おぼろけならんが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、"なほ、たぐひなくこそは。"とたまふ。ありがたきことなりかし。
348.3.5653619 あるべき(かぎ)り、気高(けだか)()づかしげにととのひたるに()ひて、はなやかに(いま)めかしく、にほひなまめきたるさまざまの(かを)りも、()りあつめ、めでたき(さか)りに()えたまふ。去年(こぞ)より今年(ことし)はまさり、昨日(きのふ)より今日(けふ)はめづらしく、(つね)目馴(めな)れぬさまのしたまへるを、「いかでかくしもありけむ」と(おぼ)す。 あるべきかぎり、けだかづかしげにととのひたるにひて、はなやかにいまめかしく、にほひなまめきたるさまざまのかをりも、りあつめ、めでたきさかりにえたまふ。こぞよりことしはまさり、きのふよりけふはめづらしく、つねめなれぬさまのしたまへるを、"いかでかくしもありけん。"とおぼす。
348.3.6654620 うちとけたりつる御手習(おほんてならひ)を、(すずり)(した)にさし()れたまへれど、()つけたまひて、()(かへ)()たまふ。()などの、いとわざとも上手(じゃうず)()えで、らうらうじくうつくしげに()きたまへり。 うちとけたりつるおほんてならひを、すずりしたにさしれたまへれど、つけたまひて、かへたまふ。などの、いとわざともじゃうずえで、らうらうじくうつくしげにきたまへり。
348.3.7655621 ()(ちか)(あき)()ぬらむ()るままに<BR/>青葉(あをば)(やま)(うつ)ろひにけり」 "〔ちかあきぬらんるままに<BR/>あをばやまうつろひにけり〕
348.3.8656622 とある(ところ)に、()とどめたまひて、 とあるところに、とどめたまひて、
348.3.9657623 水鳥(みづとり)青羽(あをば)(いろ)()はらぬを<BR/>(はぎ)(した)こそけしきことなれ」 "〔みづとりあをばいろはらぬを<BR/>はぎしたこそけしきことなれ〕
348.3.10658624 など()()へつつすさびたまふ。ことに()れて、心苦(こころぐる)しき()けしきの、(した)にはおのづから()りつつ()ゆるを、ことなく()ちたまへるも、ありがたくあはれに(おぼ)さる。 などへつつすさびたまふ。ことにれて、こころぐるしきけしきの、したにはおのづからりつつゆるを、ことなくちたまへるも、ありがたくあはれにおぼさる。
348.3.11659625 今宵(こよひ)は、いづ(かた)にも御暇(おほんいとま)ありぬべければ、かの(しの)(どころ)に、いとわりなくて、()でたまひにけり。「いとあるまじきこと」と、いみじく(おぼ)(かへ)すにも、かなはざりけり。 こよひは、いづかたにもおほんいとまありぬべければ、かのしのどころに、いとわりなくて、でたまひにけり。"いとあるまじきこと。"と、いみじくおぼかへすにも、かなはざりけり。
348.4660626第四段 紫の上、女三の宮と対面
348.4.1661627 春宮(とうぐう)御方(おほんかた)は、(じち)母君(ははぎみ)よりも、この御方(おほんかた)をば(むつ)ましきものに(たの)みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、(おも)(へだ)てず、かなしと()たてまつりたまふ。 とうぐうおほんかたは、じちははぎみよりも、このおほんかたをばむつましきものにたのみきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、おもへだてず、かなしとたてまつりたまふ。
348.4.2662628 御物語(おほんものがたり)など、いとなつかしく()こえ()はしたまひて、(なか)戸開(とあ)けて、(みや)にも対面(たいめん)したまへり。 おほんものがたりなど、いとなつかしくこえはしたまひて、なかとあけて、みやにもたいめんしたまへり。
348.4.3663629 いと(をさな)げにのみ()えたまへば、心安(こころやす)くて、おとなおとなしく(おや)めきたるさまに、(むかし)御筋(おほんすぢ)をも(たづ)ねきこえたまふ。中納言(ちゅうなごん)乳母(めのと)といふ()()でて、 いとをさなげにのみえたまへば、こころやすくて、おとなおとなしくおやめきたるさまに、むかしおほんすぢをもたづねきこえたまふ。ちゅうなごんめのとといふでて、
348.4.4664630 (おな)じかざしを(たづ)ねきこゆれば、かたじけなけれど、()かぬさまに()こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、(いま)よりは(うと)からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」 "おなじかざしをたづねきこゆれば、かたじけなけれど、かぬさまにこえさすれど、ついでなくてはべりつるを、いまよりはうとからず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらんことは、おどろかしなどもものしたまはんなん、うれしかるべき。"
348.4.5665631 などのたまへば、 などのたまへば、
348.4.6666632 (たの)もしき御蔭(おほんかげ)どもに、さまざまに(おく)れきこえたまひて、心細(こころぼそ)げにおはしますめるを、かかる(おほん)ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ(おも)うたまへられける。(そむ)きたまひにし(うへ)御心向(おほんこころむ)けも、ただかくなむ御心隔(みこころへだ)てきこえたまはず、まだいはけなき(おほん)ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなむ(たの)みきこえさせたまひし」 "たのもしきおほんかげどもに、さまざまにおくれきこえたまひて、こころぼそげにおはしますめるを、かかるおほんゆるしのはべめれば、ますことなくなんおもうたまへられける。そむきたまひにしうへおほんこころむけも、ただかくなんみこころへだてきこえたまはず、まだいはけなきおほんありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。うちうちにも、さなんたのみきこえさせたまひし。"
348.4.7667633 など()こゆ。 などこゆ。
348.4.8668634 「いとかたじけなかりし御消息(おほんせうそこ)(のち)は、いかでとのみ(おも)ひはべれど、(なに)ごとにつけても、(かず)ならぬ()なむ口惜(くちを)しかりける」 "いとかたじけなかりしおほんせうそこのちは、いかでとのみおもひはべれど、なにごとにつけても、かずならぬなんくちをしかりける。"
348.4.9669635 と、(やす)らかにおとなびたるけはひにて、(みや)にも、御心(みこころ)につきたまふべく、()などのこと、(ひひな)()てがたきさま、(わか)やかに()こえたまへば、「げに、いと(わか)(こころ)よげなる(ひと)かな」と、(をさな)御心地(みここち)にはうちとけたまへり。 と、やすらかにおとなびたるけはひにて、みやにも、みこころにつきたまふべく、などのこと、ひひなてがたきさま、わかやかにこえたまへば、"げに、いとわかこころよげなるひとかな。"と、をさなみここちにはうちとけたまへり。
348.5670636第五段 世間の噂、静まる
348.5.1671637 さて(のち)は、(つね)御文通(おほんふみかよ)ひなどして、をかしき(あそ)びわざなどにつけても、(うと)からず()こえ()はしたまふ。()(なか)(ひと)も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、()ひあつかふものなれば、(はじ)めつ(かた)は、 さてのちは、つねおほんふみかよひなどして、をかしきあそびわざなどにつけても、うとからずこえはしたまふ。なかひとも、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、ひあつかふものなれば、はじめつかたは、
348.5.2672638 (たい)(うへ)、いかに(おぼ)すらむ。(おほん)おぼえ、いとこの(とし)ごろのやうにはおはせじ。すこしは(おと)りなむ」 "たいうへ、いかにおぼすらん。おほんおぼえ、いとこのとしごろのやうにはおはせじ。すこしはおとりなん。"
348.5.3673639 など()ひけるを、(いま)すこし(ふか)御心(みこころ)ざし、かくてしも(まさ)るさまなるを、それにつけても、また(やす)からず()(ひと)びとあるに、かく(にく)げなくさへ()こえ()はしたまへば、こと(なほ)りて、目安(めやす)くなむありける。 などひけるを、いますこしふかみこころざし、かくてしもまさるさまなるを、それにつけても、またやすからずひとびとあるに、かくにくげなくさへこえはしたまへば、ことなほりて、めやすくなんありける。
349674640第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
349.1675641第一段 紫の上、薬師仏供養
349.1.1676642 神無月(かみなづき)に、(たい)(うへ)(ゐん)御賀(おほんが)に、嵯峨野(さがの)御堂(みだう)にて、薬師仏供養(やくしぼとけくやう)じたてまつりたまふ。いかめしきことは、(せち)にいさめ(まう)したまへば、(しの)びやかにと(おぼ)しおきてたり。 かみなづきに、たいうへゐんおほんがに、さがのみだうにて、やくしぼとけくやうじたてまつりたまふ。いかめしきことは、せちにいさめまうしたまへば、しのびやかにとおぼしおきてたり。
349.1.2677643 (ほとけ)経箱(きゃうばこ)帙簀(ぢす)のととのへ、まことの極楽思(ごくらくおも)ひやらる。最勝王経(さいそうわうきゃう)金剛般若(こんがうはんにゅ)寿命経(ずみゃうきゃう)など、いとゆたけき御祈(おほんいの)りなり。上達部(かんだちめ)いと(おほ)(まゐ)りたまへり。 ほとけきゃうばこぢすのととのへ、まことのごくらくおもひやらる。さいそうわうきゃうこんがうはんにゅずみゃうきゃうなど、いとゆたけきおほんいのりなり。かんだちめいとおほまゐりたまへり。
349.1.3678644 御堂(みだう)のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉(もみぢ)蔭分(かげわ)けゆく野辺(のべ)のほどよりはじめて、見物(みもの)なるに、かたへは、きほひ(あつま)りたまふなるべし。 みだうのさま、おもしろくいはんかたなく、もみぢかげわけゆくのべのほどよりはじめて、みものなるに、かたへは、きほひあつまりたまふなるべし。
349.1.4679645 霜枯(しもが)れわたれる野原(のはら)のままに、馬車(むまくるま)()きちがふ(おと)しげく(ひび)きたり。御誦経(みずきゃう)われもわれもと、御方々(おほんかたがた)いかめしくせさせたまふ。 しもがれわたれるのはらのままに、むまくるまきちがふおとしげくひびきたり。みずきゃうわれもわれもと、おほんかたがたいかめしくせさせたまふ。
349.2680646第二段 精進落としの宴
349.2.1681647 二十三日(にじふさんにち)(おほん)としみの()にて、この(ゐん)は、かく隙間(すきま)なく(つど)ひたまへるうちに、わが御私(おほんわたくし)殿(との)(おぼ)二条(にでう)(ゐん)にて、その(おほん)まうけせさせたまふ。御装束(おほんさうぞく)をはじめ、おほかたのことどもも、(みな)こなたにのみしたまふ。御方々(おほんかたがた)も、さるべきことども()けつつ(のぞ)(つか)うまつりたまふ。 にじふさんにちおほんとしみのにて、このゐんは、かくすきまなくつどひたまへるうちに、わがおほんわたくしとのおぼにでうゐんにて、そのおほんまうけせさせたまふ。おほんさうぞくをはじめ、おほかたのことどもも、みなこなたにのみしたまふ。おほんかたがたも、さるべきことどもけつつのぞつかうまつりたまふ。
349.2.2682648 (たい)どもは、(ひと)局々(つぼねつぼね)にしたるを(はら)ひて、殿上人(てんじゃうびと)諸大夫(しょたいふ)院司(ゐんじ)下人(しもびと)までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。 たいどもは、ひとつぼねつぼねにしたるをはらひて、てんじゃうびとしょたいふゐんじしもびとまでのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
349.2.3683649 寝殿(そんでん)放出(はなちいで)を、(れい)のしつらひにて、螺鈿(らでん)倚子立(いした)てたり。 そんでんはなちいでを、れいのしつらひにて、らでんいしたてたり。
349.2.4684650 御殿(おとど)西(にし)()に、御衣(おほんぞ)机十二立(つくゑじふにた)てて、夏冬(なつふゆ)(おほん)よそひ、御衾(おほんふすま)など、(れい)のごとく、(むらさき)(あや)(おほひ)どもうるはしく()えわたりて、うちの(こころ)はあらはならず。 おとどにしに、おほんぞつくゑじふにたてて、なつふゆおほんよそひ、おほんふすまなど、れいのごとく、むらさきあやおほひどもうるはしくえわたりて、うちのこころはあらはならず。
349.2.5685651 御前(おまへ)置物(おきもの)机二(つくゑふた)つ、(から)()裾濃(すそご)(おほひ)したり。插頭(かざし)(だい)は、(ぢん)花足(けそく)黄金(こがね)(とり)(しろがね)(えだ)にゐたる(こころ)ばへなど、淑景舎(しげいさ)(おほん)あづかりにて、明石(あかし)御方(おほんかた)のせさせたまへる、ゆゑ(ふか)(こころ)ことなり。 おまへおきものつくゑふたつ、からすそごおほひしたり。かざしだいは、ぢんけそくこがねとりしろがねえだにゐたるこころばへなど、しげいさおほんあづかりにて、あかしおほんかたのせさせたまへる、ゆゑふかこころことなり。
349.2.6686652 うしろの御屏風四帖(みびゃうぶしでふ)は、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)なむせさせたまひける。いみじく()くして、(れい)四季(しき)()なれど、めづらしき山水(せんずい)(たん)など、目馴(めな)れずおもしろし。(きた)(かべ)()へて、置物(おきもの)御厨子(みづし)二具立(ふたよろひた)てて、御調度(みてうど)ども(れい)のことなり。 うしろのみびゃうぶしでふは、しきぶきゃうのみやなんせさせたまひける。いみじくくして、れいしきなれど、めづらしきせんずいたんなど、めなれずおもしろし。きたかべへて、おきものみづしふたよろひたてて、みてうどどもれいのことなり。
349.2.7687653 (みなみ)(ひさし)に、上達部(かんだちめ)左右(ひだりみぎ)大臣(おとど)式部卿宮(しきぶきゃうのみや)をはじめたてまつりて、次々(つぎつぎ)はまして(まゐ)りたまはぬ(ひと)なし。舞台(ぶたい)左右(ひだりみぎ)に、楽人(がくにん)平張打(ひらばりう)ちて、西東(にしひんがし)屯食八十具(とんじきはちじふぐ)(ろく)唐櫃四十(からびつしじふ)づつ(つづ)けて()てたり。 みなみひさしに、かんだちめひだりみぎおとどしきぶきゃうのみやをはじめたてまつりて、つぎつぎはましてまゐりたまはぬひとなし。ぶたいひだりみぎに、がくにんひらばりうちて、にしひんがしとんじきはちじふぐろくからびつしじふづつつづけててたり。
349.3688654第三段 舞楽を演奏す
349.3.1689655 (ひつじ)(とき)ばかりに楽人参(がくにんまゐ)る。「万歳楽(まんざいらく)」、「皇麞(わうじゃう)」など()ひて、日暮(ひく)れかかるほどに、高麗(こま)乱声(らんじゃう)して、「落蹲(らくそん)()()でたるほど、なほ(つね)目馴(めな)れぬ(まひ)のさまなれば、()()つるほどに、権中納言(ごんのちゅうなごん)衛門督下(ゑもんのかみお)りて、「入綾(いりあや)」をほのかに()ひて、紅葉(もみぢ)(かげ)()りぬる名残(なごり)()かず(きょう)ありと(ひと)びと(おぼ)したり。 ひつじときばかりにがくにんまゐる。〔まんざいらく〕、〔わうじゃう〕などひて、ひくれかかるほどに、こまらんじゃうして、〔らくそんでたるほど、なほつねめなれぬまひのさまなれば、つるほどに、ごんのちゅうなごんゑもんのかみおりて、〔いりあや〕をほのかにひて、もみぢかげりぬるなごりかずきょうありとひとびとおぼしたり。
349.3.2690657 いにしへの朱雀院(すじゃくゐん)行幸(みゆき)に、「青海波(せいがいは)」のいみじかりし(ゆふ)べ、(おも)()でたまふ(ひと)びとは、権中納言(ごんのちゅうなごん)衛門督(ゑもんのかみ)、また(おと)らず()(つづ)きたまひにける、世々(よよ)のおぼえありさま、容貌(かたち)用意(ようい)などもをさをさ(おと)らず、官位(つかさくらゐ)はやや(すす)みてさへこそなど、(よはひ)のほどをも(かぞ)へて、「なほ、さるべきにて、(むかし)よりかく()(つづ)きたる御仲(おほんなか)らひなりけり」と、めでたく(おも)ふ。 いにしへのすじゃくゐんみゆきに、〔せいがいは〕のいみじかりしゆふべ、おもでたまふひとびとは、ごんのちゅうなごんゑもんのかみ、またおとらずつづきたまひにける、よよのおぼえありさま、かたちよういなどもをさをさおとらず、つかさくらゐはややすすみてさへこそなど、よはひのほどをもかぞへて、"なほ、さるべきにて、むかしよりかくつづきたるおほんなからひなりけり。"と、めでたくおもふ。
349.3.3691658 主人(あるじ)(ゐん)も、あはれに(なみだ)ぐましく、(おぼ)()でらるることども(おほ)かり。 あるじゐんも、あはれになみだぐましく、おぼでらるることどもおほかり。
349.4692659第四段 宴の後の寂寥
349.4.1693660 ()()りて、楽人(がくにん)どもまかり()づ。(きた)政所(まんどころ)別当(べたう)ども、(ひと)びと(ひき)ゐて、(ろく)唐櫃(からびつ)()りて、(ひと)つづつ()りて、次々賜(つぎつぎたま)ふ。(しろ)きものどもを品々(しなじな)かづきて、山際(やまぎは)より(いけ)堤過(つつみす)ぐるほどのよそ()は、千歳(ちとせ)をかねて(あそ)(つる)毛衣(けごろも)(おも)ひまがへらる。 りて、がくにんどもまかりづ。きたまんどころべたうども、ひとびとひきゐて、ろくからびつりて、ひとつづつりて、つぎつぎたまふ。しろきものどもをしなじなかづきて、やまぎはよりいけつつみすぐるほどのよそは、ちとせをかねてあそつるけごろもおもひまがへらる。
349.4.2694661 御遊(おほんあそ)(はじ)まりて、またいとおもしろし。御琴(おほんこと)どもは、春宮(とうぐう)よりぞ調(ととの)へさせたまひける。朱雀院(すじゃくゐん)よりわたり(まゐ)れる琵琶(びは)(きん)内裏(うち)より(たま)はりたまへる(さう)御琴(おほんこと)など、皆昔(みなむかし)おぼえたるものの()どもにて、めづらしく()()はせたまへるに、(なに)(をり)にも、()ぎにし(かた)(おほん)ありさま、内裏(うち)わたりなど(おぼ)()でらる。 おほんあそはじまりて、またいとおもしろし。おほんことどもは、とうぐうよりぞととのへさせたまひける。すじゃくゐんよりわたりまゐれるびはきんうちよりたまはりたまへるさうおほんことなど、みなむかしおぼえたるもののどもにて、めづらしくはせたまへるに、なにをりにも、ぎにしかたおほんありさま、うちわたりなどおぼでらる。
349.4.3695662 故入道(こにうだう)(みや)おはせましかば、かかる御賀(おほんが)など、われこそ(すす)(つか)うまつらましか。(なに)ごとにつけてかは(こころ)ざしも()えたてまつりけむ」 "こにうだうみやおはせましかば、かかるおほんがなど、われこそすすつかうまつらましか。なにごとにつけてかはこころざしもえたてまつりけん。"
349.4.4696663 と、()かず口惜(くちを)しくのみ(おも)()できこえたまふ。 と、かずくちをしくのみおもできこえたまふ。
349.4.5697664 内裏(うち)にも、故宮(こみや)のおはしまさぬことを、(なに)ごとにも(はえ)なくさうざうしく(おぼ)さるるに、この(ゐん)(おほん)ことをだに、(れい)(あと)をあるさまのかしこまりを()くしてもえ()せたてまつらぬを、()とともに()かぬ心地(ここち)したまふも、今年(ことし)はこの御賀(おほんが)にことつけて、行幸(みゆき)などもあるべく(おぼ)しおきてけれど、 うちにも、こみやのおはしまさぬことを、なにごとにもはえなくさうざうしくおぼさるるに、このゐんおほんことをだに、れいあとをあるさまのかしこまりをくしてもえせたてまつらぬを、とともにかぬここちしたまふも、ことしはこのおほんがにことつけて、みゆきなどもあるべくおぼしおきてけれど、
349.4.6698665 ()(なか)のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」 "なかのわづらひならんこと、さらにせさせたまふまじくなん。"
349.4.7699666 (いな)(まう)したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜(くちを)しく(おぼ)しとまりぬ。 いなまうしたまふこと、たびたびになりぬれば、くちをしくおぼしとまりぬ。
349.5700667第五段 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷
349.5.1701668 師走(しはす)二十日余(はつかあま)りのほどに、中宮(ちゅうぐう)まかでさせたまひて、今年(ことし)(のこ)りの御祈(おほんいの)りに、奈良(なら)(きゃう)七大寺(しちだいじ)に、御誦経(みずきゃう)布四千反(ぬのよんせんたん)、この(ちか)(みやこ)四十寺(しじふじ)に、絹四百疋(きぬよんひゃくひき)()かちてせさせたまふ。 しはすはつかあまりのほどに、ちゅうぐうまかでさせたまひて、ことしのこりのおほんいのりに、ならきゃうしちだいじに、みずきゃうぬのよんせんたん、このちかみやこしじふじに、きぬよんひゃくひきかちてせさせたまふ。
349.5.2702669 ありがたき(おほん)はぐくみを(おぼ)()りながら、(なに)ごとにつけてか、(ふか)御心(みこころ)ざしをもあらはし御覧(ごらん)ぜさせたまはむとて、父宮(ちちみや)母御息所(ははみやすんどころ)のおはせまし(おほん)ための(こころ)ざしをも()()(おぼ)すに、かくあながちに、朝廷(おほやけ)にも()こえ(かへ)させたまへば、ことども(おほ)くとどめさせたまひつ。 ありがたきおほんはぐくみをおぼりながら、なにごとにつけてか、ふかみこころざしをもあらはしごらんぜさせたまはんとて、ちちみやははみやすんどころのおはせましおほんためのこころざしをもおぼすに、かくあながちに、おほやけにもこえかへさせたまへば、ことどもおほくとどめさせたまひつ。
349.5.3703670 四十(しじふ)()といふことは、さきざきを()きはべるにも、(のこ)りの齢久(よはひひさ)しき(ためし)なむ(すく)なかりけるを、このたびは、なほ、()(ひび)きとどめさせたまひて、まことに(のち)()らむことを(かぞ)へさせたまへ」 "しじふといふことは、さきざきをきはべるにも、のこりのよはひひさしきためしなんすくなかりけるを、このたびは、なほ、ひびきとどめさせたまひて、まことにのちらんことをかぞへさせたまへ。"
349.5.4704671 とありけれど、(おほやけ)ざまにて、なほいといかめしくなむありける。 とありけれど、おほやけざまにて、なほいといかめしくなんありける。
349.6705672第六段 中宮主催の饗宴
349.6.1706673 (みや)のおはします(まち)寝殿(しんでん)に、(おほん)しつらひなどして、さきざきにこと()はらず、上達部(かんだちめ)(ろく)など、大饗(だいきゃう)になずらへて、親王(みこ)たちにはことに(をんな)装束(さうぞく)非参議(ひさんぎ)四位(しゐ)、まうち君達(きんだち)など、ただの殿上人(てんじゃうびと)には、(しろ)細長一襲(ほそながひとかさね)腰差(こしざし)などまで、次々(つぎつぎ)(たま)ふ。 みやのおはしますまちしんでんに、おほんしつらひなどして、さきざきにことはらず、かんだちめろくなど、だいきゃうになずらへて、みこたちにはことにをんなさうぞくひさんぎしゐ、まうちきんだちなど、ただのてんじゃうびとには、しろほそながひとかさねこしざしなどまで、つぎつぎたまふ。
349.6.2707674 装束限(さうぞくかぎ)りなくきよらを()くして、名高(なだか)(おび)御佩刀(みはかし)など、故前坊(こぜんばう)御方(おほんかた)ざまにて(つた)はり(まゐ)りたるも、またあはれになむ。(ふる)()(いち)(もの)()ある(かぎ)りは、皆集(みなつど)(まゐ)御賀(おほんが)になむあめる。昔物語(むかしものがたり)にも、もの()させたるを、かしこきことには(かぞ)(つづ)けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲(おほんなか)らひのことどもは、えぞ(かぞ)へあへはべらぬや。 さうぞくかぎりなくきよらをくして、なだかおびみはかしなど、こぜんばうおほんかたざまにてつたはりまゐりたるも、またあはれになん。ふるいちものあるかぎりは、みなつどまゐおほんがになんあめる。むかしものがたりにも、ものさせたるを、かしこきことにはかぞつづけためれど、いとうるさくて、こちたきおほんなからひのことどもは、えぞかぞへあへはべらぬや。
349.7708675第七段 勅命による夕霧の饗宴
349.7.1709676 内裏(うち)には、(おぼ)()めてしことどもを、むげにやはとて、中納言(ちゅうなごん)にぞつけさせたまひてける。そのころの右大将(うだいしゃう)(やまひ)して()したまひけるを、この中納言(ちゅうなごん)に、御賀(おほんが)のほどよろこび(くは)へむと(おぼ)()して、にはかになさせたまひつ。 うちには、おぼめてしことどもを、むげにやはとて、ちゅうなごんにぞつけさせたまひてける。そのころのうだいしゃうやまひしてしたまひけるを、このちゅうなごんに、おほんがのほどよろこびくはへんとおぼして、にはかになさせたまひつ。
349.7.2710677 (ゐん)もよろこび()こえさせたまふものから、 ゐんもよろこびこえさせたまふものから、
349.7.3711678 「いと、かく、にはかに(あま)(よろこ)びをなむ、いちはやき心地(ここち)しはべる」 "いと、かく、にはかにあまよろこびをなん、いちはやきここちしはべる。"
349.7.4712679 卑下(ひげ)(まう)したまふ。 ひげまうしたまふ。
349.7.5713680 丑寅(うしとら)(まち)に、(おほん)しつらひまうけたまひて、(かく)ろへたるやうにしなしたまへれど、今日(けふ)は、なほかたことに儀式(ぎしき)まさりて、所々(ところどころ)(きゃう)なども、内蔵寮(くらづかさ)穀倉院(こくさうゐん)より、(つか)うまつらせたまへり。 うしとらまちに、おほんしつらひまうけたまひて、かくろへたるやうにしなしたまへれど、けふは、なほかたことにぎしきまさりて、ところどころきゃうなども、くらづかさこくさうゐんより、つかうまつらせたまへり。
349.7.6714681 屯食(とんじき)など、(おほや)けざまにて、頭中将宣旨(とうのちゅうじゃうせんじ)うけたまはりて、親王(みこ)たち五人(ごにん)左右(ひだりみぎ)大臣(おとど)大納言二人(だいなごんふたり)中納言三人(ちゅうなごんさんにん)宰相五人(さいしゃうごにん)殿上人(てんじゃうびと)は、(れい)の、内裏(うち)春宮(とうぐう)(ゐん)(のこ)(すく)なし。 とんじきなど、おほやけざまにて、とうのちゅうじゃうせんじうけたまはりて、みこたちごにんひだりみぎおとどだいなごんふたりちゅうなごんさんにんさいしゃうごにんてんじゃうびとは、れいの、うちとうぐうゐんのこすくなし。
349.7.7715682 御座(おまし)御調度(みてうど)どもなどは、太政大臣詳(おほきおとどくは)しくうけたまはりて、(つか)うまつらせたまへり。今日(けふ)は、(おほ)(ごと)ありて(わた)(まゐ)りたまへり。(ゐん)も、いとかしこくおどろき(まう)したまひて、御座(おほんざ)()きたまひぬ。 おましみてうどどもなどは、おほきおとどくはしくうけたまはりて、つかうまつらせたまへり。けふは、おほごとありてわたまゐりたまへり。ゐんも、いとかしこくおどろきまうしたまひて、おほんざきたまひぬ。
349.7.8716683 母屋(もや)御座(おほんざ)(むか)へて、大臣(おとど)御座(おほんざ)あり。いときよらにものものしく(ふと)りて、この大臣(おとど)ぞ、今盛(いまさか)りの宿徳(しうとく)とは()えたまへる。 もやおほんざむかへて、おとどおほんざあり。いときよらにものものしくふとりて、このおとどぞ、いまさかりのしうとくとはえたまへる。
349.7.9717684 主人(あるじ)(ゐん)は、なほいと(わか)源氏(げんじ)(きみ)()えたまふ。御屏風四帖(みびゃうぶしでふ)に、内裏(うち)御手書(おほんてか)かせたまへる、(から)(あや)薄毯(うすだん)に、下絵(したゑ)のさまなどおろかならむやは。おもしろき春秋(しゅんじう)(つく)()などよりも、この御屏風(みびゃうぶ)(すみ)つきのかかやくさまは、()(およ)ばず、(おも)ひなしさへめでたくなむありける。 あるじゐんは、なほいとわかげんじきみえたまふ。みびゃうぶしでふに、うちおほんてかかせたまへる、からあやうすだんに、したゑのさまなどおろかならんやは。おもしろきしゅんじうつくなどよりも、このみびゃうぶすみつきのかかやくさまは、およばず、おもひなしさへめでたくなんありける。
349.7.10718685 置物(おきもの)御厨子(みづし)()(もの)()(もの)など、蔵人所(くらうどどころ)より(たま)はりたまへり。大将(だいしゃう)御勢(おほんいきほ)ひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うち()へて、今日(けふ)作法(さほふ)いとことなり。御馬四十疋(おほんむましじふひき)左右(ひだりみぎ)馬寮(むまづかさ)六衛府(ろくゑふ)官人(かんにん)(かみ)より次々(つぎつぎ)()きととのふるほど、日暮(ひく)()てぬ。 おきものみづしものものなど、くらうどどころよりたまはりたまへり。だいしゃうおほんいきほひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うちへて、けふさほふいとことなり。おほんむましじふひきひだりみぎむまづかさろくゑふかんにんかみよりつぎつぎきととのふるほど、ひくてぬ。
349.8719686第八段 舞楽を演奏す
349.8.1720687 (れい)の、「万歳楽(まんざいらく)」、「賀王恩(がわうおん)」などいふ(まひ)、けしきばかり()ひて、大臣(おとど)(わた)りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊(おほんあそ)びに、皆人(みなひと)(こころ)()れたまへり。琵琶(びは)は、(れい)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(なに)ごとにも()(かた)きものの上手(じゃうず)におはして、いと()なし。御前(おまへ)(きん)御琴(おほんこと)大臣(おとど)和琴弾(わごんひ)きたまふ。 れいの、〔まんざいらく〕、〔がわうおん〕などいふまひ、けしきばかりひて、おとどわたりたまへるに、めづらしくもてはやしたまへるおほんあそびに、みなひとこころれたまへり。びはは、れいひゃうぶきゃうのみやなにごとにもかたきもののじゃうずにおはして、いとなし。おまへきんおほんことおとどわごんひきたまふ。
349.8.2721688 (とし)ごろ()ひたまひにける御耳(おほんみみ)()きなしにや、いと(いう)にあはれに(おぼ)さるれば、(きん)御手(おほんて)をさをさ(かく)したまはず、いみじき()ども()づ。 としごろひたまひにけるおほんみみきなしにや、いというにあはれにおぼさるれば、きんおほんてをさをさかくしたまはず、いみじきどもづ。
349.8.3722689 (むかし)御物語(おほんものがたり)どもなど()()て、(いま)はた、かかる御仲(おほんなか)らひに、いづ(かた)につけても、()こえかよひたまふべき御睦(おほんむつ)びなど、(こころ)よく()こえたまひて、御酒(おほんみき)あまたたび(まゐ)りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔(おほんゑ)()きどもえとどめたまはず。 むかしおほんものがたりどもなどて、いまはた、かかるおほんなからひに、いづかたにつけても、こえかよひたまふべきおほんむつびなど、こころよくこえたまひて、おほんみきあまたたびまゐりて、もののおもしろさもとどこほりなく、おほんゑきどもえとどめたまはず。
349.8.4723690 御贈(おほんおく)(もの)に、すぐれたる和琴一(わごんひと)つ、(この)みたまふ高麗笛添(こまぶえそ)へて。紫檀(したん)箱一具(はこひとよろひ)に、(から)(ほん)ども、ここの(さう)(ほん)など()れて。御車(みくるま)()ひてたてまつれたまふ。御馬(おほんむま)ども(むか)()りて、右馬寮(みぎのつかさ)ども、高麗(こま)(がく)して、ののしる。六衛府(ろくゑふ)官人(かんにん)(ろく)ども、大将賜(だいしゃうたま)ふ。 おほんおくものに、すぐれたるわごんひとつ、このみたまふこまぶえそへて。したんはこひとよろひに、からほんども、ここのさうほんなどれて。みくるまひてたてまつれたまふ。おほんむまどもむかりて、みぎのつかさども、こまがくして、ののしる。ろくゑふかんにんろくども、だいしゃうたまふ。
349.8.5724691 御心(みこころ)()ぎたまひて、いかめしきことどもは、このたび(とど)めたまへれど、内裏(うち)春宮(とうぐう)一院(いちのゐん)(きさい)(みや)次々(つぎつぎ)(おほん)ゆかりいつくしきほど、いひ()らず()えにたることなれば、なほかかる(をり)には、めでたくなむおぼえける。 みこころぎたまひて、いかめしきことどもは、このたびとどめたまへれど、うちとうぐういちのゐんきさいみやつぎつぎおほんゆかりいつくしきほど、いひらずえにたることなれば、なほかかるをりには、めでたくなんおぼえける。
349.9725692第九段 饗宴の後の感懐
349.9.1726693 大将(だいしゃう)の、ただ一所(ひとところ)おはするを、さうざうしく(はえ)なき心地(ここち)せしかど、あまたの(ひと)にすぐれ、おぼえことに、人柄(ひとがら)もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北(ははきた)(かた)の、伊勢(いせ)御息所(みやすんどころ)との(うら)(ふか)く、(いど)みかはしたまひけむほどの御宿世(おほんすくせ)どもの()末見(すゑみ)えたるなむ、さまざまなりける。 だいしゃうの、ただひとところおはするを、さうざうしくはえなきここちせしかど、あまたのひとにすぐれ、おぼえことに、ひとがらもかたはらなきやうにものしたまふにも、かのははきたかたの、いせみやすんどころとのうらふかく、いどみかはしたまひけんほどのおほんすくせどものすゑみえたるなん、さまざまなりける。
349.9.2727694 その()御装束(おほんさうぞく)どもなど、こなたの(うへ)なむしたまひける。(ろく)どもおほかたのことをぞ、三条(さんでう)(きた)(かた)はいそぎたまふめりし。折節(をりふし)につけたる(おほん)いとなみ、うちうちのもののきよらをも、こなたにはただよそのことにのみ()きわたりたまふを、何事(なにごと)につけてかは、かかるものものしき(かず)にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将(だいしゃう)(きみ)(おほん)ゆかりに、いとよく(かず)まへられたまへり。 そのおほんさうぞくどもなど、こなたのうへなんしたまひける。ろくどもおほかたのことをぞ、さんでうきたかたはいそぎたまふめりし。をりふしにつけたるおほんいとなみ、うちうちのもののきよらをも、こなたにはただよそのことにのみきわたりたまふを、なにごとにつけてかは、かかるものものしきかずにもまじらひたまはましと、おぼえたるを、だいしゃうきみおほんゆかりに、いとよくかずまへられたまへり。
3410728695第十章 明石の物語 男御子誕生
3410.1729696第一段 明石女御、産期近づく
3410.1.1730697 年返(としかへ)りぬ。桐壺(きりつぼ)御方近(おほんかたちか)づきたまひぬるにより、正月朔日(しゃうがつついたち)より、御修法不断(みすほふふだん)にせさせたまふ。寺々(てらでら)社々(やしろやしろ)御祈(おほんいの)り、はた(かず)()らず。大殿(おとど)(きみ)、ゆゆしきことを()たまへてしかば、かかるほどのこと、いと(おそ)ろしきものに(おぼ)ししみたるを、(たい)(うへ)などのさることしたまはぬは、口惜(くちを)しくさうざうしきものから、うれしく(おぼ)さるるに、まだいとあえかなる(おほん)ほどに、いかにおはせむと、かねて(おぼ)(さわ)ぐに、二月(きさらぎ)ばかりより、あやしく()けしき()はりて(なや)みたまふに、御心(みこころ)ども(さわ)ぐべし。 としかへりぬ。きりつぼおほんかたちかづきたまひぬるにより、しゃうがつついたちより、みすほふふだんにせさせたまふ。てらでらやしろやしろおほんいのり、はたかずらず。おとどきみ、ゆゆしきことをたまへてしかば、かかるほどのこと、いとおそろしきものにおぼししみたるを、たいうへなどのさることしたまはぬは、くちをしくさうざうしきものから、うれしくおぼさるるに、まだいとあえかなるおほんほどに、いかにおはせんと、かねておぼさわぐに、きさらぎばかりより、あやしくけしきはりてなやみたまふに、みこころどもさわぐべし。
3410.1.2731698 陰陽師(おみゃうじ)どもも、(ところ)()へてつつしみたまふべく(まう)しければ、(ほか)のさし(はな)れたらむはおぼつかなしとて、かの明石(あかし)御町(おほんまち)(なか)(たい)(わた)したてまつりたまふ。こなたは、ただおほきなる対二(たいふた)つ、(らう)どもなむめぐりてありけるに、御修法(みすほふ)壇隙(だんひま)なく()りて、いみじき験者(げんざ)ども(つど)ひて、ののしる。 おみゃうじどもも、ところへてつつしみたまふべくまうしければ、ほかのさしはなれたらんはおぼつかなしとて、かのあかしおほんまちなかたいわたしたてまつりたまふ。こなたは、ただおほきなるたいふたつ、らうどもなんめぐりてありけるに、みすほふだんひまなくりて、いみじきげんざどもつどひて、ののしる。
3410.1.3732699 母君(ははぎみ)、この(とき)にわが御宿世(おほんすくせ)()ゆべきわざなめれば、いみじき(こころ)()くしたまふ。 ははぎみ、このときにわがおほんすくせゆべきわざなめれば、いみじきこころくしたまふ。
3410.2733700第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る
3410.2.1734701 かの大尼君(おほあまぎみ)も、(いま)はこよなきほけ(びと)にてぞありけむかし。この(おほん)ありさまを()たてまつるは、(ゆめ)心地(ここち)して、いつしかと(まゐ)り、(ちか)づき()れたてまつる。 かのおほあまぎみも、いまはこよなきほけびとにてぞありけんかし。このおほんありさまをたてまつるは、ゆめここちして、いつしかとまゐり、ちかづきれたてまつる。
3410.2.2735702 (とし)ごろ、母君(ははぎみ)はかう()ひさぶらひたまへど、(むかし)のことなど、まほにしも()こえ()らせたまはざりけるを、この尼君(あまぎみ)(よろこ)びにえ()へで、(まゐ)りては、いと(なみだ)がちに、(ふる)めかしきことどもを、わななき()でつつ(かた)りきこゆ。 としごろ、ははぎみはかうひさぶらひたまへど、むかしのことなど、まほにしもこえらせたまはざりけるを、このあまぎみよろこびにえへで、まゐりては、いとなみだがちに、ふるめかしきことどもを、わななきでつつかたりきこゆ。
3410.2.3736703 (はじ)めつ(かた)は、あやしくむつかしき(ひと)かなと、うちまもりたまひしかど、かかる(ひと)ありとばかりは、ほの()きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。 はじめつかたは、あやしくむつかしきひとかなと、うちまもりたまひしかど、かかるひとありとばかりは、ほのきおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
3410.2.4737704 ()まれたまひしほどのこと、大殿(おとど)(きみ)のかの(うら)におはしましたりしありさま、 まれたまひしほどのこと、おとどきみのかのうらにおはしましたりしありさま、
3410.2.5738705 (いま)はとて(きゃう)(のぼ)りたまひしに、(たれ)(たれ)も、(こころ)(まど)はして、(いま)(かぎ)り、かばかりの(ちぎ)りにこそはありけれと(なげ)きしを、若君(わかぎみ)のかく()(たす)けたまへる御宿世(おほんすくせ)の、いみじくかなしきこと」 "いまはとてきゃうのぼりたまひしに、たれたれも、こころまどはして、いまかぎり、かばかりのちぎりにこそはありけれとなげきしを、わかぎみのかくたすけたまへるおほんすくせの、いみじくかなしきこと。"
3410.2.6739706 と、ほろほろと()けば、 と、ほろほろとけば、
3410.2.7740707 「げに、あはれなりける(むかし)のことを、かく()かせざらましかば、おぼつかなくても()ぎぬべかりけり」 "げに、あはれなりけるむかしのことを、かくかせざらましかば、おぼつかなくてもぎぬべかりけり。"
3410.2.8741708 (おぼ)して、うち()きたまふ。(こころ)のうちには、 おぼして、うちきたまふ。こころのうちには、
3410.2.9742709 「わが()は、げにうけばりていみじかるべき(きは)にはあらざりけるを、(たい)(うへ)(おほん)もてなしに(みが)かれて、(ひと)(おも)へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。(ひと)びとをばまたなきものに(おも)()ち、こよなき(こころ)おごりをばしつれ。世人(よひと)は、(した)()()づるやうもありつらむかし」 "わがは、げにうけばりていみじかるべききはにはあらざりけるを、たいうへおほんもてなしにみがかれて、ひとおもへるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。ひとびとをばまたなきものにおもち、こよなきこころおごりをばしつれ。よひとは、したづるやうもありつらんかし。"
3410.2.10743710 など(おぼ)()()てぬ。 などおぼてぬ。
3410.2.11744711 母君(ははぎみ)をば、もとよりかくすこしおぼえ(くだ)れる(すぢ)()りながら、()まれたまひけむほどなどをば、さる世離(よばな)れたる(さかひ)にてなども()りたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや。 ははぎみをば、もとよりかくすこしおぼえくだれるすぢりながら、まれたまひけんほどなどをば、さるよばなれたるさかひにてなどもりたまはざりけり。いとあまりおほどきたまへるけにこそは。あやしくおぼおぼしかりけることなりや。
3410.2.12745712 かの入道(にふだう)の、(いま)仙人(せんにん)の、()にも()まぬやうにてゐたなるを()きたまふも、心苦(こころぐる)しくなど、かたがたに(おも)(みだ)れたまひぬ。 かのにふだうの、いませんにんの、にもまぬやうにてゐたなるをきたまふも、こころぐるしくなど、かたがたにおもみだれたまひぬ。
3410.3746713第三段 明石御方、母尼君をたしなめる
3410.3.1747714 いとものあはれに(なが)めておはするに、御方参(おほんかたまゐ)りたまひて、日中(にちう)御加持(おほんかぢ)に、こなたかなたより(まゐ)(つど)ひ、もの(さわ)がしくののしるに、御前(おまへ)にこと(びと)もさぶらはず、尼君(あまぎみ)所得(ところえ)ていと(ちか)くさぶらひたまふ。 いとものあはれにながめておはするに、おほんかたまゐりたまひて、にちうおほんかぢに、こなたかなたよりまゐつどひ、ものさわがしくののしるに、おまへにことびともさぶらはず、あまぎみところえていとちかくさぶらひたまふ。
3410.3.2748715 「あな、見苦(みぐる)しや。(みじか)御几帳引(みきちゃうひ)()せてこそ、さぶらひたまはめ。(かぜ)など(さわ)がしくて、おのづからほころびの(ひま)もあらむに。医師(くすし)などやうのさまして。いと(さか)()ぎたまへりや」 "あな、みぐるしや。みじかみきちゃうひせてこそ、さぶらひたまはめ。かぜなどさわがしくて、おのづからほころびのひまもあらんに。くすしなどやうのさまして。いとさかぎたまへりや。"
3410.3.3749716 など、なまかたはらいたく(おも)ひたまへり。よしめきそして()()ふと、おぼゆめれども、もうもうに(みみ)もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、(かたぶ)きてゐたり。 など、なまかたはらいたくおもひたまへり。よしめきそしてふと、おぼゆめれども、もうもうにみみもおぼおぼしかりければ、"ああ。"と、かたぶきてゐたり。
3410.3.4750717 さるは、いとさ()ふばかりにもあらずかし。六十五(ろくじふご)(ろく)のほどなり。尼姿(あますがた)、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶(めつや)やかに()()れたるけしきの、あやしく昔思(むかしおも)()でたるさまなれば、(むね)うちつぶれて、 さるは、いとさふばかりにもあらずかし。ろくじふごろくのほどなり。あますがた、いとかはらかに、あてなるさまして、めつややかにれたるけしきの、あやしくむかしおもでたるさまなれば、むねうちつぶれて、
3410.3.5751718 古代(こだい)のひが(こと)どもや、はべりつらむ。よく、この()のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり()ぜつつ、あやしき(むかし)のことどもも()でまうで()つらむはや。(ゆめ)心地(ここち)こそしはべれ」 "こだいのひがことどもや、はべりつらん。よく、こののほかなるやうなるひがおぼえどもにとりぜつつ、あやしきむかしのことどももでまうでつらんはや。ゆめここちこそしはべれ。"
3410.3.6752719 と、うちほほ()みて()たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、(れい)よりもいたくしづまり、もの(おぼ)したるさまに()えたまふ。わが()ともおぼえたまはず、かたじけなきに、 と、うちほほみてたてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、れいよりもいたくしづまり、ものおぼしたるさまにえたまふ。わがともおぼえたまはず、かたじけなきに、
3410.3.7753720 「いとほしきことどもを()こえたまひて、(おぼ)(みだ)るるにや。(いま)はかばかりと御位(みくらゐ)(きは)めたまはむ()に、()こえも()らせむとこそ(おも)へ、口惜(くちを)しく(おぼ)()つべきにはあらねど、いといとほしく心劣(こころおと)りしたまふらむ」 "いとほしきことどもをこえたまひて、おぼみだるるにや。いまはかばかりとみくらゐきはめたまはんに、こえもらせんとこそおもへ、くちをしくおぼつべきにはあらねど、いといとほしくこころおとりしたまふらん。"
3410.3.8754721 とおぼゆ。 とおぼゆ。
3410.4755722第四段 明石女三代の和歌唱和
3410.4.1756723 御加持果(おほんかぢは)ててまかでぬるに、(おほん)くだものなど(ちか)くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦(こころぐる)しげに(おも)ひて()こえたまふ。 おほんかぢはててまかでぬるに、おほんくだものなどちかくまかなひなし、"こればかりをだに。"と、いとこころぐるしげにおもひてこえたまふ。
3410.4.2757724 尼君(あまぎみ)は、いとめでたううつくしう()たてまつるままにも、(なみだ)はえとどめず。(かほ)()みて、(くち)つきなどは見苦(みぐる)しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。 あまぎみは、いとめでたううつくしうたてまつるままにも、なみだはえとどめず。かほみて、くちつきなどはみぐるしくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
3410.4.3758725 「あな、かたはらいた」 "あな。かたはらいた。"
3410.4.4759726 と、()くはすれど、()きも()れず。 と、くはすれど、きもれず。
3410.4.5760727 (おい)(なみ)かひある(うら)()()でて<BR/>しほたるる海人(あま)()れかとがめむ "〔おいなみかひあるうらでて<BR/>しほたるるあまれかとがめん
3410.4.6761728 (むかし)()にも、かやうなる古人(ふるびと)は、罪許(つみゆる)されてなむはべりける」 むかしにも、かやうなるふるびとは、つみゆるされてなんはべりける。"
3410.4.7762729 ()こゆ。御硯(おほんすずり)なる(かみ)に、 こゆ。おほんすずりなるかみに、
3410.4.8763730 「しほたるる海人(あま)波路(なみぢ)のしるべにて<BR/>(たづ)ねも()ばや(はま)苫屋(とまや)を」 "〔しほたるるあまなみぢのしるべにて<BR/>たづねもばやはまとまやを〕
3410.4.9764731 御方(おほんかた)もえ(しの)びたまはで、うち()きたまひぬ。 おほんかたもえしのびたまはで、うちきたまひぬ。
3410.4.10765732 ()()てて明石(あかし)(うら)()(ひと)も<BR/>(こころ)(やみ)ははるけしもせじ」 "〔ててあかしうらひとも<BR/>こころやみははるけしもせじ〕
3410.4.11766733 など()こえ、(まぎ)らはしたまふ。(わか)れけむ(あかつき)のことも、(ゆめ)(なか)(おぼ)()でられぬを、「口惜(くちを)しくもありけるかな」と(おぼ)す。 などこえ、まぎらはしたまふ。わかれけんあかつきのことも、ゆめなかおぼでられぬを、"くちをしくもありけるかな。"とおぼす。
3410.5767734第五段 三月十日過ぎに男御子誕生
3410.5.1768735 弥生(やよひ)十余日(とをよか)のほどに、(たひ)らかに()まれたまひぬ。かねてはおどろおどろしく(おぼ)(さわ)ぎしかど、いたく(なや)みたまふことなくて、男御子(をとこみこ)にさへおはすれば、(かぎ)りなく(おぼ)すさまにて、大殿(おとど)御心落(みこころお)ちゐたまひぬ。 やよひとをよかのほどに、たひらかにまれたまひぬ。かねてはおどろおどろしくおぼさわぎしかど、いたくなやみたまふことなくて、をとこみこにさへおはすれば、かぎりなくおぼすさまにて、おとどみこころおちゐたまひぬ。
3410.5.2769736 こなたは(かく)れの(かた)にて、ただ気近(けぢか)きほどなるに、いかめしき御産養(おほんうぶやしなひ)などのうちしきり、(ひび)きよそほしきありさま、げに「かひある(うら)」と、尼君(あまぎみ)のためには()えたれど、儀式(ぎしき)なきやうなれば、(わた)りたまひなむとす。 こなたはかくれのかたにて、ただけぢかきほどなるに、いかめしきおほんうぶやしなひなどのうちしきり、ひびきよそほしきありさま、げに"かひあるうら"と、あまぎみのためにはえたれど、ぎしきなきやうなれば、わたりたまひなんとす。
3410.5.3770737 (たい)(うへ)(わた)りたまへり。(しろ)御装束(おほんさうぞく)したまひて、(ひと)(おや)めきて、若宮(わかみや)をつと(いだ)きてゐたまへるさま、いとをかし。みづからかかること()りたまはず、(ひと)(うへ)にても()ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと(おも)ひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、()えず(いだ)きとりたまへば、まことの祖母君(おばぎみ)は、ただ(まか)せたてまつりて、御湯殿(おほんゆどの)(あつか)ひなどを(つか)うまつりたまふ。 たいうへわたりたまへり。しろおほんさうぞくしたまひて、ひとおやめきて、わかみやをつといだきてゐたまへるさま、いとをかし。みづからかかることりたまはず、ひとうへにてもならひたまはねば、いとめづらかにうつくしとおもひきこえたまへり。むつかしげにおはするほどを、えずいだきとりたまへば、まことのおばぎみは、ただまかせたてまつりて、おほんゆどのあつかひなどをつかうまつりたまふ。
3410.5.4771738 春宮(とうぐう)宣旨(せんじ)なる典侍(ないしのすけ)(つか)うまつる。御迎湯(おほんむかへゆ)に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの()りたるに、 とうぐうせんじなるないしのすけつかうまつる。おほんむかへゆに、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほのりたるに、
3410.5.5772739 「すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高(けだか)く、げに、かかる(ちぎ)りことにものしたまひける(ひと)かな」 "すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましくけだかく、げに、かかるちぎりことにものしたまひけるひとかな。"
3410.5.6773740 ()きこゆ。このほどの儀式(ぎしき)なども、まねびたてむに、いとさらなりや。 きこゆ。このほどのぎしきなども、まねびたてんに、いとさらなりや。
3410.6774741第六段 帝の七夜の産養
3410.6.1775742 六日(むいか)といふに、(れい)御殿(おとど)(わた)りたまひぬ。七日(なぬか)()内裏(うち)よりも御産養(おほんうぶやしなひ)のことあり。 むいかといふに、れいおとどわたりたまひぬ。なぬかうちよりもおほんうぶやしなひのことあり。
3410.6.2776743 朱雀院(すざくゐん)の、かく()()ておはします御代(おほんか)はりにや、蔵人所(くらうどどころ)より、頭弁(とうのべん)宣旨(せんじ)うけたまはりて、めづらかなるさまに(つか)うまつれり。(ろく)(きぬ)など、また中宮(ちゅうぐう)御方(おほんかた)よりも、公事(おほやけごと)にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。次々(つぎつぎ)親王(みこ)たち、大臣(おとど)家々(いへいへ)、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを()くして(つか)うまつりたまふ。 すざくゐんの、かくておはしますおほんかはりにや、くらうどどころより、とうのべんせんじうけたまはりて、めづらかなるさまにつかうまつれり。ろくきぬなど、またちゅうぐうおほんかたよりも、おほやけごとにはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。つぎつぎみこたち、おとどいへいへ、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらをくしてつかうまつりたまふ。
3410.6.3777744 大殿(おとど)(きみ)も、このほどのことどもは、(れい)のやうにもこと()がせたまはで、()になく(ひび)きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねび(つた)ふべき(ふし)は、()()まらずなりにけり。大殿(おとど)(きみ)も、若宮(わかみや)をほどなく(いだ)きたてまつりたまひて、 おとどきみも、このほどのことどもは、れいのやうにもことがせたまはで、になくひびきこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねびつたふべきふしは、まらずなりにけり。おとどきみも、わかみやをほどなくいだきたてまつりたまひて、
3410.6.4778745 大将(だいしゃう)のあまたまうけたなるを、(いま)まで()せぬがうらめしきに、かくらうたき(ひと)をぞ()たてまつりたる」 "だいしゃうのあまたまうけたなるを、いままでせぬがうらめしきに、かくらうたきひとをぞたてまつりたる。"
3410.6.5779746 と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。 と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。
3410.6.6780747 日々(ひび)に、ものを()()ぶるやうにおよすけたまふ。御乳母(おほんめのと)など、心知(こころし)らぬはとみに()さで、さぶらふ(なか)に、(しな)(こころ)すぐれたる(かぎ)りを()りて、(つか)うまつらせたまふ。 ひびに、ものをぶるやうにおよすけたまふ。おほんめのとなど、こころしらぬはとみにさで、さぶらふなかに、しなこころすぐれたるかぎりをりて、つかうまつらせたまふ。
3410.7781748第七段 紫の上と明石御方の仲
3410.7.1782749 御方(おほんかた)御心(みこころ)おきての、らうらうじく気高(けだか)く、おほどかなるものの、さるべき(かた)には卑下(ひげ)して、(にく)らかにもうけばらぬなどを、()めぬ(ひと)なし。 おほんかたみこころおきての、らうらうじくけだかく、おほどかなるものの、さるべきかたにはひげして、にくらかにもうけばらぬなどを、めぬひとなし。
3410.7.2783750 (たい)(うへ)は、まほならねど、()()はしたまひて、さばかり(ゆる)しなく(おぼ)したりしかど、(いま)は、(みや)御徳(おほんとく)に、いと(むつ)ましく、やむごとなく(おぼ)しなりにたり。稚児(ちご)うつくしみたまふ御心(みこころ)にて、天児(あまがつ)など、御手(おほんて)づから(つく)りそそくりおはするも、いと若々(わかわか)し。()()れこの(おほん)かしづきにて()ぐしたまふ。 たいうへは、まほならねど、はしたまひて、さばかりゆるしなくおぼしたりしかど、いまは、みやおほんとくに、いとむつましく、やんごとなくおぼしなりにたり。ちごうつくしみたまふみこころにて、あまがつなど、おほんてづからつくりそそくりおはするも、いとわかわかし。れこのおほんかしづきにてぐしたまふ。
3410.7.3784751 かの古代(こだい)尼君(あまぎみ)は、若宮(わかみや)をえ(こころ)のどかに()たてまつらぬなむ、()かずおぼえける。なかなか()たてまつり()めて、()ひきこゆるにぞ、(いのち)もえ()ふまじかめる。 かのこだいあまぎみは、わかみやをえこころのどかにたてまつらぬなん、かずおぼえける。なかなかたてまつりめて、ひきこゆるにぞ、いのちもえふまじかめる。
3411785752第十一章 明石の物語 入道の手紙
3411.1786753第一段 明石入道、手紙を贈る
3411.1.1787754 かの明石(あかし)にも、かかる(おほん)こと(つた)()きて、さる聖心地(ひじりごこち)にも、いとうれしくおぼえければ、 かのあかしにも、かかるおほんことつたきて、さるひじりごこちにも、いとうれしくおぼえければ、
3411.1.2788755 (いま)なむ、この()(さかひ)(こころ)やすく()(はな)るべき」 "いまなん、このさかひこころやすくはなるべき。"
3411.1.3789756 弟子(でし)どもに()ひて、この(いへ)をば(てら)になし、あたりの()などやうのものは、(みな)その(てら)のことにしおきて、この(くに)(おく)(こほり)に、(ひと)(かよ)ひがたく(ふか)(やま)あるを、(とし)ごろも()めおきながら、あしこに()もりなむ(のち)、また(ひと)には()()らるべきにもあらずと(おも)ひて、ただすこしのおぼつかなきこと(のこ)りければ、(いま)までながらへけるを、(いま)はさりともと、仏神(ほとけかみ)(たの)(まう)してなむ(うつ)ろひける。 でしどもにひて、このいへをばてらになし、あたりのなどやうのものは、みなそのてらのことにしおきて、このくにおくこほりに、ひとかよひがたくふかやまあるを、としごろもめおきながら、あしこにもりなんのち、またひとにはらるべきにもあらずとおもひて、ただすこしのおぼつかなきことのこりければ、いままでながらへけるを、いまはさりともと、ほとけかみたのまうしてなんうつろひける。
3411.1.4790757 この(ちか)(とし)ごろとなりては、(きゃう)(こと)なることならで、(ひと)(かよ)はしたてまつらざりつ。これより(くだ)したまふ(ひと)ばかりにつけてなむ、一行(ひとくだり)にても、尼君(あまぎみ)さるべき折節(をりふし)のことも(かよ)ひける。(おも)(はな)るる()のとぢめに、文書(ふみか)きて、御方(おほんかた)にたてまつれたまへり。 このちかとしごろとなりては、きゃうことなることならで、ひとかよはしたてまつらざりつ。これよりくだしたまふひとばかりにつけてなん、ひとくだりにても、あまぎみさるべきをりふしのこともかよひける。おもはなるるのとぢめに、ふみかきて、おほんかたにたてまつれたまへり。
3411.2791758第二段 入道の手紙
3411.2.1792759 「この(とし)ごろは、(おな)()(なか)のうちにめぐらひはべりつれど、(なに)かは、かくながら()()へたるやうに(おも)うたまへなしつつ、させることなき(かぎ)りは、()こえうけたまはらず。 "このとしごろは、おななかのうちにめぐらひはべりつれど、なにかは、かくながらへたるやうにおもうたまへなしつつ、させることなきかぎりは、こえうけたまはらず。
3411.2.2793760 仮名文見(かなぶみみ)たまふるは、()(いとま)いりて、念仏(ねんぶつ)懈台(けたい)するやうに、(やく)なうてなむ、御消息(おほんせうそこ)もたてまつらぬを、()てにうけたまはれば、若君(わかぎみ)春宮(とうぐう)(まゐ)りたまひて、男宮生(をとこみやむ)まれたまへるよしをなむ、(ふか)(よろこ)(まう)しはべる。 かなぶみみたまふるは、いとまいりて、ねんぶつけたいするやうに、やくなうてなん、おほんせうそこもたてまつらぬを、てにうけたまはれば、わかぎみとうぐうまゐりたまひて、をとこみやむまれたまへるよしをなん、ふかよろこまうしはべる。
3411.2.3794761 そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏(やまぶし)()に、(いま)さらにこの()(さか)えを(おも)ふにもはべらず。()ぎにし(かた)(とし)ごろ、(こころ)ぎたなく、六時(ろくじ)(つと)めにも、ただ(おほん)ことを(こころ)にかけて、(はちす)(うへ)(つゆ)(ねが)ひをばさし()きてなむ(ねん)じたてまつりし。 そのゆゑは、みづからかくつたなきやまぶしに、いまさらにこのさかえをおもふにもはべらず。ぎにしかたとしごろ、こころぎたなく、ろくじつとめにも、ただおほんことをこころにかけて、はちすうへつゆねがひをばさしきてなんねんじたてまつりし。
3411.2.4795762 わがおもと()まれたまはむとせし、その(とし)二月(にがつ)のその()(ゆめ)()しやう、 わがおもとまれたまはんとせし、そのとしにがつのそのゆめしやう、
3411.2.5796763 『みづから須弥(すみ)(やま)を、(みぎ)()(ささ)げたり。(やま)左右(さいう)より、月日(つきひ)(ひかり)さやかにさし()でて()()らす。みづからは(やま)(しも)(かげ)(かく)れて、その(ひかり)にあたらず。(やま)をば(ひろ)(うみ)()かべおきて、(ちひ)さき(ふね)()りて、西(にし)(かた)をさして()ぎゆく』 'みづからすみやまを、みぎささげたり。やまさいうより、つきひひかりさやかにさしでてらす。みづからはやましもかげかくれて、そのひかりにあたらず。やまをばひろうみかべおきて、ちひさきふねりて、にしかたをさしてぎゆく。'
3411.2.6797764 となむ()はべし。 となんはべし。
3411.2.7798765 夢覚(ゆめさ)めて、(あした)より(かず)ならぬ()(たの)むところ()()ながら、『(なに)ごとにつけてか、さるいかめしきことをば()()でむ』と、(こころ)のうちに(おも)ひはべしを、そのころより(はら)まれたまひにしこなた、(ぞく)(かた)(ふみ)()はべしにも、また内教(ないけう)(こころ)(たづ)ぬる(なか)にも、(ゆめ)(しん)ずべきこと(おほ)くはべしかば、(いや)しき(ふところ)のうちにも、かたじけなく(おも)ひいたづきたてまつりしかど、力及(ちからおよ)ばぬ()(おも)うたまへかねてなむ、かかる(みち)(おもむ)きはべりにし。 ゆめさめて、あしたよりかずならぬたのむところながら、'なにごとにつけてか、さるいかめしきことをばでん。'と、こころのうちにおもひはべしを、そのころよりはらまれたまひにしこなた、ぞくかたふみはべしにも、またないけうこころたづぬるなかにも、ゆめしんずべきことおほくはべしかば、いやしきふところのうちにも、かたじけなくおもひいたづきたてまつりしかど、ちからおよばぬおもうたまへかねてなん、かかるみちおもむきはべりにし。
3411.2.8799766 また、この(くに)のことに(しづ)みはべりて、(おい)(なみ)にさらに()(かへ)らじと(おも)ひとぢめて、この(うら)(とし)ごろはべしほども、わが(きみ)(たの)むことに(おも)ひきこえはべしかばなむ、心一(こころひと)つに(おほ)くの(がん)()てはべし。その(かへ)(まう)し、(たひ)らかに(おも)ひのごと(とき)にあひたまふ。 また、このくにのことにしづみはべりて、おいなみにさらにかへらじとおもひとぢめて、このうらとしごろはべしほども、わがきみたのむことにおもひきこえはべしかばなん、こころひとつにおほくのがんてはべし。そのかへまうし、たひらかにおもひのごとときにあひたまふ。
3411.2.9800767 若君(わかぎみ)(くに)(はは)となりたまひて、(ねが)()ちたまはむ()に、住吉(すみよし)御社(みやしろ)をはじめ、()たし(まう)したまへ。さらに(なに)ごとをかは(うたが)ひはべらむ。 わかぎみくにははとなりたまひて、ねがちたまはんに、すみよしみやしろをはじめ、たしまうしたまへ。さらになにごとをかはうたがひはべらん。
3411.2.10801768 この(ひと)つの(おも)ひ、(ちか)()にかなひはべりぬれば、はるかに西(にし)(かた)十万億(じふまんおく)国隔(くにへだ)てたる、九品(くほん)(うへ)(のぞ)(うたが)ひなくなりはべりぬれば、(いま)はただ(むか)ふる(はちす)()ちはべるほど、その(ゆふ)べまで、水草清(みづくさきよ)(やま)(すゑ)にて(つと)めはべらむとてなむ、まかり()りぬる。 このひとつのおもひ、ちかにかなひはべりぬれば、はるかににしかたじふまんおくくにへだてたる、くほんうへのぞうたがひなくなりはべりぬれば、いまはただむかふるはちすちはべるほど、そのゆふべまで、みづくさきよやますゑにてつとめはべらんとてなん、まかりりぬる。
3411.2.11802769 光出(ひかりい)でむ暁近(あかつきちか)くなりにけり<BR/>(いま)()()夢語(ゆめがた)りする」 ひかりいでんあかつきちかくなりにけり<BR/>いまゆめがたりする〕
3411.2.12803770 とて、月日書(つきひか)きたり。 とて、つきひかきたり。
3411.3804771第三段 手紙の追伸
3411.3.1805772 命終(いのちおは)らむ月日(つきひ)も、さらにな()ろしめしそ。いにしへより(ひと)()めおきける藤衣(ふぢごろも)にも、(なに)かやつれたまふ。ただわが()変化(へんげ)のものと(おぼ)しなして、老法師(おいほふし)のためには功徳(くどく)をつくりたまへ。この()(たの)しみに()へても、(のち)()(わす)れたまふな。 "いのちおはらんつきひも、さらになろしめしそ。いにしへよりひとめおきけるふぢごろもにも、なにかやつれたまふ。ただわがへんげのものとおぼしなして、おいほふしのためにはくどくをつくりたまへ。このたのしみにへても、のちわすれたまふな。
3411.3.2806773 (ねが)ひはべる(ところ)にだに(いた)りはべりなば、かならずまた対面(たいめん)ははべりなむ。娑婆(さば)(ほか)(きし)(いた)りて、()くあひ()むとを(おぼ)せ」 ねがひはべるところにだにいたりはべりなば、かならずまたたいめんははべりなん。さばほかきしいたりて、くあひんとをおぼせ。"
3411.3.3807774 さて、かの(やしろ)()(あつ)めたる願文(がんぶみ)どもを、(おほ)きなる(ぢん)文箱(ふばこ)に、(ふん)()めてたてまつりたまへり。 さて、かのやしろあつめたるがんぶみどもを、おほきなるぢんふばこに、ふんめてたてまつりたまへり。
3411.3.4808775 尼君(あまぎみ)には、ことごとにも()かず、ただ、 あまぎみには、ことごとにもかず、ただ、
3411.3.5809776 「この(つき)十四日(じふよにち)になむ、(くさ)(いほり)まかり(はな)れて、(ふか)(やま)()りはべりぬる。かひなき()をば、熊狼(くまおほかみ)にも()しはべりなむ。そこには、なほ(おも)ひしやうなる御世(みよ)()()でたまへ。(あき)らかなる(ところ)にて、また対面(たいめん)はありなむ」 "このつきじふよにちになん、くさいほりまかりはなれて、ふかやまりはべりぬる。かひなきをば、くまおほかみにもしはべりなん。そこには、なほおもひしやうなるみよでたまへ。あきらかなるところにて、またたいめんはありなん。"
3411.3.6810777 とのみあり。 とのみあり。
3411.4811778第四段 使者の話
3411.4.1812780 尼君(あまぎみ)、この(ふみ)()て、かの使(つか)ひの大徳(だいとこ)()へば、 あまぎみ、このふみて、かのつかひのだいとこへば、
3411.4.2813781 「この御文書(おほんふみか)きたまひて、三日(みか)といふになむ、かの()えたる(みね)(うつ)ろひたまひにし。なにがしらも、かの御送(おほんおく)りに、(ふもと)まではさぶらひしかど、皆返(みなかへ)したまひて、僧一人(そうひとり)童二人(わらはふたり)なむ、御供(おほんとも)にさぶらはせたまふ。(いま)はと()(そむ)きたまひし(をり)を、(かな)しきとぢめと(おも)うたまへしかど、(のこ)りはべりけり。 "このおほんふみかきたまひて、みかといふになん、かのえたるみねうつろひたまひにし。なにがしらも、かのおほんおくりに、ふもとまではさぶらひしかど、みなかへしたまひて、そうひとりわらはふたりなん、おほんともにさぶらはせたまふ。いまはとそむきたまひしをりを、かなしきとぢめとおもうたまへしかど、のこりはべりけり。
3411.4.3814782 (とし)ごろ(おこ)なひの隙々(ひまひま)に、()()しながら()()らしたまひし(きん)御琴(おほんこと)琵琶(びわ)とり()せたまひて、()調(しら)べたまひつつ、(ほとけ)にまかり(まう)したまひてなむ、御堂(みだう)施入(せにふ)したまひし。さらぬものどもも、(おほ)くはたてまつりたまひて、その(のこ)りをなむ、御弟子(みでし)ども六十余人(ろくじふよにん)なむ、(した)しき(かぎ)りさぶらひける、ほどにつけて皆処分(みなそうぶん)したまひて、なほし(のこ)りをなむ、(きゃう)御料(ごりゃう)とて(おく)りたてまつりたまへる。 としごろおこなひのひまひまに、しながららしたまひしきんおほんことびわとりせたまひて、しらべたまひつつ、ほとけにまかりまうしたまひてなん、みだうせにふしたまひし。さらぬものどもも、おほくはたてまつりたまひて、そののこりをなん、みでしどもろくじふよにんなん、したしきかぎりさぶらひける、ほどにつけてみなそうぶんしたまひて、なほしのこりをなん、きゃうごりゃうとておくりたてまつりたまへる。
3411.4.4815783 (いま)はとてかき()もり、さるはるけき(やま)雲霞(くもかすみ)()じりたまひにし、むなしき御跡(おほんあと)にとまりて、(かな)しび(おも)(ひと)びとなむ(おほ)くはべる」 いまはとてかきもり、さるはるけきやまくもかすみじりたまひにし、むなしきおほんあとにとまりて、かなしびおもひとびとなんおほくはべる。"
3411.4.5816784 など、この大徳(だいとこ)も、(わらは)にて(きゃう)より(くだ)りし(ひと)の、老法師(おいほふし)になりてとまれる、いとあはれに心細(こころぼそ)しと(おも)へり。(ほとけ)御弟子(みでし)のさかしき(ひじり)だに、(わし)(みね)をばたどたどしからず(たの)みきこえながら、なほ薪尽(たきぎつ)きける()(まど)ひは(ふか)かりけるを、まして尼君(あまぎみ)(かな)しと(おも)ひたまへること(かぎ)りなし。 など、このだいとこも、わらはにてきゃうよりくだりしひとの、おいほふしになりてとまれる、いとあはれにこころぼそしとおもへり。ほとけみでしのさかしきひじりだに、わしみねをばたどたどしからずたのみきこえながら、なほたきぎつきけるまどひはふかかりけるを、ましてあまぎみかなしとおもひたまへることかぎりなし。
3411.5817785第五段 明石御方、手紙を見る
3411.5.1818786 御方(おほんかた)は、(みなみ)御殿(おとど)におはするを、「かかる御消息(おほんせうそこ)なむある」とありければ、(しの)びて(わた)りたまへり。重々(おもおも)しく()をもてなして、おぼろけならでは、(かよ)ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と()きて、おぼつかなければ、うち(しの)びてものしたまへるに、いといみじく(かな)しげなるけしきにてゐたまへり。 おほんかたは、みなみおとどにおはするを、"かかるおほんせうそこなんある。"とありければ、しのびてわたりたまへり。おもおもしくをもてなして、おぼろけならでは、かよひあひたまふこともかたきを、"あはれなることなん。"ときて、おぼつかなければ、うちしのびてものしたまへるに、いといみじくかなしげなるけしきにてゐたまへり。
3411.5.2819787 火近(ひちか)()()せて、この(ふみ)()たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。よその(ひと)は、(なに)とも()とどむまじきことの、まづ、昔来(むかしき)(かた)のこと(おも)()で、(こひ)しと(おも)ひわたりたまふ(こころ)には、「あひ()()()てぬるにこそは」と、()たまふに、いみじくいふかひなし。 ひちかせて、このふみたまふに、げにせきとめんかたぞなかりける。よそのひとは、なにともとどむまじきことの、まづ、むかしきかたのことおもで、こひしとおもひわたりたまふこころには、"あひてぬるにこそは。"と、たまふに、いみじくいふかひなし。
3411.5.3820788 (なみだ)をえせきとめず、この夢語(ゆめがた)りを、かつは()先頼(さきたの)もしく、 なみだをえせきとめず、このゆめがたりを、かつはさきたのもしく、
3411.5.4821789 「さらば、ひが(こころ)にて、わが()をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、(なか)ごろ(おも)ひただよはれしことは、かくはかなき(ゆめ)(たの)みをかけて、心高(こころたか)くものしたまふなりけり」 "さらば、ひがこころにて、わがをさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、なかごろおもひただよはれしことは、かくはかなきゆめたのみをかけて、こころたかくものしたまふなりけり。"
3411.5.5822790 と、かつがつ(おも)()はせたまふ。 と、かつがつおもはせたまふ。
3411.6823791第六段 尼君と御方の感懐
3411.6.1824792 尼君(あまぎみ)(ひさ)しくためらひて、 あまぎみひさしくためらひて、
3411.6.2825793 (きみ)御徳(おほんとく)には、うれしくおもだたしきことをも、()にあまりて(なら)びなく(おも)ひはべり。あはれにいぶせき(おも)ひもすぐれてこそはべりけれ。 "きみおほんとくには、うれしくおもだたしきことをも、にあまりてならびなくおもひはべり。あはれにいぶせきおもひもすぐれてこそはべりけれ。
3411.6.3826794 (かず)ならぬ(かた)にても、ながらへし(みやこ)()てて、かしこに(しづ)みゐしをだに、世人(よひと)(たが)ひたる宿世(すくせ)にもあるかな、と(おも)ひはべしかど、()ける()にゆき(はな)れ、(へだて)たるべき(なか)(ちぎ)りとは(おも)ひかけず、(おな)(はちす)()むべき(のち)()(たの)みをさへかけて年月(としつき)()ぐし()て、にはかにかくおぼえぬ(おほん)こと()()て、(そむ)きにし()()(かへ)りてはべる、かひある(おほん)ことを()たてまつりよろこぶものから、(かた)つかたには、おぼつかなく(かな)しきことのうち()ひて()えぬを、つひにかくあひ()(へだ)てながらこの()(わか)れぬるなむ、口惜(くちを)しくおぼえはべる。 かずならぬかたにても、ながらへしみやこてて、かしこにしづみゐしをだに、よひとたがひたるすくせにもあるかな、とおもひはべしかど、けるにゆきはなれ、へだてたるべきなかちぎりとはおもひかけず、おなはちすむべきのちたのみをさへかけてとしつきぐして、にはかにかくおぼえぬおほんことて、そむきにしかへりてはべる、かひあるおほんことをたてまつりよろこぶものから、かたつかたには、おぼつかなくかなしきことのうちひてえぬを、つひにかくあひへだてながらこのわかれぬるなん、くちをしくおぼえはべる。
3411.6.4827795 ()()(とき)だに、(ひと)()(こころ)ばへにより、()をもてひがむるやうなりしを、(わか)きどち(たの)みならひて、おのおのはまたなく(ちぎ)りおきてければ、かたみにいと(ふか)くこそ(たの)みはべしか。いかなれば、かく(みみ)(ちか)きほどながら、かくて(わか)れぬらむ」 ときだに、ひとこころばへにより、をもてひがむるやうなりしを、わかきどちたのみならひて、おのおのはまたなくちぎりおきてければ、かたみにいとふかくこそたのみはべしか。いかなれば、かくみみちかきほどながら、かくてわかれぬらん。"
3411.6.5828796 ()(つづ)けて、いとあはれにうちひそみたまふ。御方(おほんかた)もいみじく()きて、 つづけて、いとあはれにうちひそみたまふ。おほんかたもいみじくきて、
3411.6.6829797 (ひと)にすぐれむ()(さき)のことも、おぼえずや。(かず)ならぬ()には、(なに)ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜(くちを)しけれ。 "ひとにすぐれんさきのことも、おぼえずや。かずならぬには、なにごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなんのみこそくちをしけれ。
3411.6.7830798 よろづのこと、さるべき(ひと)(おほん)ためとこそおぼえはべれ、さて()()もりたまひなば、()(なか)(さだ)めなきに、やがて()えたまひなば、かひなくなむ」 よろづのこと、さるべきひとおほんためとこそおぼえはべれ、さてもりたまひなば、なかさだめなきに、やがてえたまひなば、かひなくなん。"
3411.6.8831799 とて、()もすがら、あはれなることどもを()ひつつ()かしたまふ。 とて、もすがら、あはれなることどもをひつつかしたまふ。
3411.7832800第七段 御方、部屋に戻る
3411.7.1833801 昨日(きのふ)も、大殿(おとど)(きみ)の、あなたにありと見置(みお)きたまひてしを、にはかにはひ(かく)れたらむも、軽々(かろがろ)しきやうなるべし。()ひとつは、(なに)ばかりも(おも)(はばか)りはべらず。かく()ひたまふ(おほん)ためなどのいとほしきになむ、(こころ)にまかせて()をももてなしにくかるべき」 "きのふも、おとどきみの、あなたにありとみおきたまひてしを、にはかにはひかくれたらんも、かろがろしきやうなるべし。ひとつは、なにばかりもおもはばかりはべらず。かくひたまふおほんためなどのいとほしきになん、こころにまかせてをももてなしにくかるべき。"
3411.7.2834802 とて、(あかつき)(かへ)(わた)りたまひぬ。 とて、あかつきかへわたりたまひぬ。
3411.7.3835803 若宮(わかみや)はいかがおはします。いかでか()たてまつるべき」 "わかみやはいかがおはします。いかでかたてまつるべき。"
3411.7.4836804 とても()きぬ。 とてもきぬ。
3411.7.5837805 今見(いまみ)たてまつりたまひてむ。女御(にょうご)(きみ)も、いとあはれになむ(おぼ)()でつつ、()こえさせたまふめる。(ゐん)も、ことのついでに、もし()中思(なかおも)ふやうならば、ゆゆしきかね(ごと)なれど、尼君(あまぎみ)そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。いかに(おぼ)すことにかあらむ」 "いまみたてまつりたまひてん。にょうごきみも、いとあはれになんおぼでつつ、こえさせたまふめる。ゐんも、ことのついでに、もしなかおもふやうならば、ゆゆしきかねごとなれど、あまぎみそのほどまでながらへたまはなん、とのたまふめりき。いかにおぼすことにかあらん。"
3411.7.6838806 とのたまへば、またうち()みて、 とのたまへば、またうちみて、
3411.7.7839807 「いでや、さればこそ、さまざま(ためし)なき宿世(すくせ)にこそはべれ」 "いでや、さればこそ、さまざまためしなきすくせにこそはべれ。"
3411.7.8840808 とて(よろこ)ぶ。この文箱(ふばこ)()たせて()(のぼ)りたまひぬ。 とてよろこぶ。このふばこたせてのぼりたまひぬ。
3412841809第十二章 明石の物語 一族の宿世
3412.1842810第一段 東宮からのお召しの催促
3412.1.1843811 (みや)より、とく(まゐ)りたまふべきよしのみあれば、 みやより、とくまゐりたまふべきよしのみあれば、
3412.1.2844812 「かく(おぼ)したる、ことわりなり。めづらしきことさへ()ひて、いかに(こころ)もとなく(おぼ)さるらむ」 "かくおぼしたる、ことわりなり。めづらしきことさへひて、いかにこころもとなくおぼさるらん。"
3412.1.3845813 と、(むらさき)(うへ)ものたまひて、若宮忍(わかみやしの)びて(まゐ)らせたてまつらむ御心(みこころ)づかひしたまふ。 と、むらさきうへものたまひて、わかみやしのびてまゐらせたてまつらんみこころづかひしたまふ。
3412.1.4846814 御息所(みやすんどころ)は、御暇(おほんいとま)(こころ)やすからぬに()りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく(おぼ)したり。ほどなき御身(おほんみ)に、さる(おそ)ろしきことをしたまへれば、すこし面痩(おもや)(ほそ)りて、いみじくなまめかしき(おほん)さましたまへり。 みやすんどころは、おほんいとまこころやすからぬにりたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしくおぼしたり。ほどなきおほんみに、さるおそろしきことをしたまへれば、すこしおもやほそりて、いみじくなまめかしきおほんさましたまへり。
3412.1.5847815 「かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは」 "かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは。"
3412.1.6848816 など、御方(おほんかた)などは心苦(こころくる)しがりきこえたまふを、大殿(おとど)は、 など、おほんかたなどはこころくるしがりきこえたまふを、おとどは、
3412.1.7849817 「かやうに面痩(おもや)せて()えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」 "かやうにおもやせてえたてまつりたまはんも、なかなかあはれなるべきわざなり。"
3412.1.8850818 などのたまふ。 などのたまふ。
3412.2851819第二段 明石女御、手紙を見る
3412.2.1852820 (たい)(うへ)などの(わた)りたまひぬる(ゆふ)(かた)、しめやかなるに、御方(おほんかた)御前(おまへ)(まゐ)りたまひて、この文箱聞(ふばこき)こえ()らせたまふ。 たいうへなどのわたりたまひぬるゆふかた、しめやかなるに、おほんかたおまへまゐりたまひて、このふばこきこえらせたまふ。
3412.2.2853821 (おも)ふさまにかなひ()てさせたまふまでは、()(かく)して()きてはべるべけれど、()中定(なかさだ)めがたければ、うしろめたさになむ。(なに)ごとをも御心(みこころ)(おぼ)(かず)まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも(いま)はのとぢめを、御覧(ごらん)ぜらるべき()にもはべらねば、なほ、うつし心失(ごころう)せずはべる()になむ、はかなきことをも、()こえさせ()くべくはべりける、と(おも)ひはべりて。 "おもふさまにかなひてさせたまふまでは、かくしてきてはべるべけれど、なかさだめがたければ、うしろめたさになん。なにごとをもみこころおぼかずまへざらんこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしもいまはのとぢめを、ごらんぜらるべきにもはべらねば、なほ、うつしごころうせずはべるになん、はかなきことをも、こえさせくべくはべりける、とおもひはべりて。
3412.2.3854822 むつかしくあやしき(あと)なれど、これも御覧(ごらん)ぜよ。この願文(がんぶみ)は、(ちか)御厨子(みづし)などに()かせたまひて、かならずさるべからむ(をり)御覧(ごらん)じて、このうちのことどもはせさせたまへ。 むつかしくあやしきあとなれど、これもごらんぜよ。このがんぶみは、ちかみづしなどにかせたまひて、かならずさるべからんをりごらんじて、このうちのことどもはせさせたまへ。
3412.2.4855823 (うと)(ひと)には、な()らさせたまひそ。かばかりと()たてまつりおきつれば、みづからも()(そむ)きはべなむと(おも)うたまへなりゆけば、よろづ(こころ)のどかにもおぼえはべらず。 うとひとには、ならさせたまひそ。かばかりとたてまつりおきつれば、みづからもそむきはべなんとおもうたまへなりゆけば、よろづこころのどかにもおぼえはべらず。
3412.2.5856824 (たい)(うへ)御心(みこころ)、おろかに(おも)ひきこえさせたまふな。いとありがたくものしたまふ、(ふか)()けしきを()はべれば、()にはこよなくまさりて、(なが)御世(みよ)にもあらなむとぞ(おも)ひはべる。もとより、御身(おほんみ)()ひきこえさせむにつけても、つつましき()のほどにはべれば、(ゆづ)りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、(とし)ごろは、なほ()(つね)(おも)うたまへわたりはべりつる。 たいうへみこころ、おろかにおもひきこえさせたまふな。いとありがたくものしたまふ、ふかけしきをはべれば、にはこよなくまさりて、ながみよにもあらなんとぞおもひはべる。もとより、おほんみひきこえさせんにつけても、つつましきのほどにはべれば、ゆづりきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなん、としごろは、なほつねおもうたまへわたりはべりつる。
3412.2.6857825 (いま)は、()方行(かたゆ)(さき)、うしろやすく(おも)ひなりにてはべり」 いまは、かたゆさき、うしろやすくおもひなりにてはべり。"
3412.2.7858826 など、いと(おほ)()こえたまふ。(なみだ)ぐみて()きおはす。かくむつましかるべき御前(おまへ)にも、(つね)にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。この(ふみ)言葉(ことば)、いとうたてこはく、(にく)げなるさまを、陸奥国紙(みちのくにがみ)にて、年経(としへ)にければ、()ばみ厚肥(あつご)えたる()六枚(ろくまい)、さすがに(かう)にいと(ふか)くしみたるに()きたまへり。 など、いとおほこえたまふ。なみだぐみてきおはす。かくむつましかるべきおまへにも、つねにうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。このふみことば、いとうたてこはく、にくげなるさまを、みちのくにがみにて、としへにければ、ばみあつごえたるろくまい、さすがにかうにいとふかくしみたるにきたまへり。
3412.2.8859827 いとあはれと(おぼ)して、御額髪(おほんひたひがみ)のやうやう()れゆく、御側目(おほんそばめ)、あてになまめかし。 いとあはれとおぼして、おほんひたひがみのやうやうれゆく、おほんそばめ、あてになまめかし。
3412.3860828第三段 源氏、女御の部屋に来る
3412.3.1861829 (ゐん)は、姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)におはしけるを、(なか)御障子(みさうじ)よりふと(わた)りたまへれば、えしも()(かく)さで、御几帳(みきちゃう)をすこし()()せて、みづからははた(かく)れたまへり。 ゐんは、ひめみやおほんかたにおはしけるを、なかみさうじよりふとわたりたまへれば、えしもかくさで、みきちゃうをすこしせて、みづからははたかくれたまへり。
3412.3.2862830 若宮(わかみや)は、おどろきたまへりや。(とき)()(こひ)しきわざなりけり」 "わかみやは、おどろきたまへりや。ときこひしきわざなりけり。"
3412.3.3863831 ()こえたまへば、御息所(みやすんどころ)はいらへも()こえたまはねば、御方(おほんかた) こえたまへば、みやすんどころはいらへもこえたまはねば、おほんかた
3412.3.4864832 (たい)(わた)しきこえたまひつ」 "たいわたしきこえたまひつ。"
3412.3.5865833 ()こえたまふ。 こえたまふ。
3412.3.6866834 「いとあやしや。あなたにこの(みや)(らう)じたてまつりて、(ふところ)をさらに(はな)たずもて(あつか)ひつつ、(ひと)やりならず(きぬ)皆濡(みなぬ)らして、()ぎかへがちなめる。軽々(かろがろ)しく、などかく(わた)したてまつりたまふ。こなたに(わた)りてこそ()たてまつりたまはめ」 "いとあやしや。あなたにこのみやらうじたてまつりて、ふところをさらにはなたずもてあつかひつつ、ひとやりならずきぬみなぬらして、ぎかへがちなめる。かろがろしく、などかくわたしたてまつりたまふ。こなたにわたりてこそたてまつりたまはめ。"
3412.3.7867835 とのたまへば、 とのたまへば、
3412.3.8868836 「いと、うたて。(おも)ひぐまなき(おほん)ことかな。(をんな)におはしまさむにだに、あなたにて()たてまつりたまはむこそよくはべらめ。まして(をとこ)は、(かぎ)りなしと()こえさすれど、(こころ)やすくおぼえたまふを。(たはぶ)れにても、かやうに(へだ)てがましきこと、なさかしがり()こえさせたまひそ」 "いと、うたて。おもひぐまなきおほんことかな。をんなにおはしまさんにだに、あなたにてたてまつりたまはんこそよくはべらめ。ましてをとこは、かぎりなしとこえさすれど、こころやすくおぼえたまふを。たはぶれにても、かやうにへだてがましきこと、なさかしがりこえさせたまひそ。"
3412.3.9869837 ()こえたまふ。うち(わら)ひて、 こえたまふ。うちわらひて、
3412.3.10870838 御仲(おほんなか)どもにまかせて、見放(みはな)ちきこゆべきななりな。(へだ)てて、(いま)は、(たれ)(たれ)もさし(はな)ち、さかしらなどのたまふこそ(をさな)けれ。まづは、かやうにはひ(かく)れて、つれなく()()としたまふめりかし」 "おほんなかどもにまかせて、みはなちきこゆべきななりな。へだてて、いまは、たれたれもさしはなち、さかしらなどのたまふこそをさなけれ。まづは、かやうにはひかくれて、つれなくとしたまふめりかし。"
3412.3.11871839 とて、御几帳(みきちゃう)()きやりたまへれば、母屋(もや)(はしら)()りかかりて、いときよげに、心恥(こころは)づかしげなるさましてものしたまふ。 とて、みきちゃうきやりたまへれば、もやはしらりかかりて、いときよげに、こころはづかしげなるさましてものしたまふ。
3412.4872840第四段 源氏、手紙を見る
3412.4.1873841 ありつる(はこ)も、(まど)(かく)さむもさま()しければ、さておはするを、 ありつるはこも、まどかくさんもさましければ、さておはするを、
3412.4.2874842 「なぞの(かこ)(ふか)(こころ)あらむ。懸想人(けさうびと)長歌詠(ながうたよ)みて(ふん)じこめたる心地(ここち)こそすれ」 "なぞのかこふかこころあらん。けさうびとながうたよみてふんじこめたるここちこそすれ。"
3412.4.3875843 とのたまへば、 とのたまへば、
3412.4.4876844 「あな、うたてや。(いま)めかしくなり(かへ)らせたまふめる御心(みこころ)ならひに、()()らぬやうなる(おほん)すさび(ごと)どもこそ、時々出(ときどきい)()れ」 "あな、うたてや。いまめかしくなりかへらせたまふめるみこころならひに、らぬやうなるおほんすさびごとどもこそ、ときどきいれ。"
3412.4.5877845 とて、ほほ()みたまへれど、ものあはれなりける()けしきどもしるければ、あやしとうち(かたぶ)きたまへるさまなれば、わづらはしくて、 とて、ほほみたまへれど、ものあはれなりけるけしきどもしるければ、あやしとうちかたぶきたまへるさまなれば、わづらはしくて、
3412.4.6878846 「かの明石(あかし)岩屋(いはや)より、(しの)びてはべし御祈(おほんいの)りの巻数(かんじゅ)、また、まだしき(がん)などのはべりけるを、御心(みこころ)にも()らせたてまつるべき(をり)あらば、御覧(ごらん)じおくべくやとてはべるを、ただ(いま)は、ついでなくて、(なに)かは()けさせたまはむ」 "かのあかしいはやより、しのびてはべしおほんいのりのかんじゅ、また、まだしきがんなどのはべりけるを、みこころにもらせたてまつるべきをりあらば、ごらんじおくべくやとてはべるを、ただいまは、ついでなくて、なにかはけさせたまはん。"
3412.4.7879847 ()こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と(おぼ)して、 こえたまふに、"げに、あはれなるべきありさまぞかし。"とおぼして、
3412.4.8880848 「いかに(おこ)なひまして()みたまひにたらむ。命長(いのちなが)くて、ここらの(とし)ごろ(つと)むる(つみ)も、こよなからむかし。()(なか)に、よしあり、(さか)しき方々(かたがた)の、(ひと)とて()るにも、この()()みたるほどの(にご)(ふか)きにやあらむ、(かしこ)(かた)こそあれ、いと(かぎ)りありつつ(およ)ばざりけりや。 "いかにおこなひましてみたまひにたらん。いのちながくて、ここらのとしごろつとむるつみも、こよなからんかし。なかに、よしあり、さかしきかたがたの、ひととてるにも、このみたるほどのにごふかきにやあらん、かしこかたこそあれ、いとかぎりありつつおよばざりけりや。
3412.4.9881849 さもいたり(ふか)く、さすがに、けしきありし(ひと)のありさまかな。(ひじり)だち、この世離(よばな)(がほ)にもあらぬものから、(した)(こころ)は、(みな)あらぬ()(かよ)()みにたるとこそ、()えしか。 さもいたりふかく、さすがに、けしきありしひとのありさまかな。ひじりだち、このよばながほにもあらぬものから、したこころは、みなあらぬかよみにたるとこそ、えしか。
3412.4.10882850 まして、(いま)心苦(こころぐる)しきほだしもなく、(おも)(はな)れにたらむをや。かやすき()ならば、(しの)びて、いと()はまほしくこそ」 まして、いまこころぐるしきほだしもなく、おもはなれにたらんをや。かやすきならば、しのびて、いとはまほしくこそ。"
3412.4.11883851 とのたまふ。 とのたまふ。
3412.4.12884852 (いま)は、かのはべりし(ところ)をも()てて、(とり)音聞(ねき)こえぬ(やま)にとなむ()きはべる」 "いまは、かのはべりしところをもてて、とりねきこえぬやまにとなんきはべる。"
3412.4.13885853 ()こゆれば、 こゆれば、
3412.4.14886854 「さらば、その遺言(ゆいごん)ななりな。消息(せうそこ)(かよ)はしたまふや。尼君(あまぎみ)、いかに(おも)ひたまふらむ。親子(おやこ)(なか)よりも、またさるさまの(ちぎ)りは、ことにこそ()ふべけれ」 "さらば、そのゆいごんななりな。せうそこかよはしたまふや。あまぎみ、いかにおもひたまふらん。おやこなかよりも、またさるさまのちぎりは、ことにこそふべけれ。"
3412.4.15887855 とて、うち(なみだ)ぐみたまへり。 とて、うちなみだぐみたまへり。
3412.5888856第五段 源氏の感想
3412.5.1889857 (とし)()もりに、()(なか)のありさまを、とかく(おも)()りゆくままに、あやしく(こひ)しく(おも)()でらるる(ひと)()ありさまなれば、(ふか)(ちぎ)りの(なか)らひは、いかにあはれならむ」 "としもりに、なかのありさまを、とかくおもりゆくままに、あやしくこひしくおもでらるるひとありさまなれば、ふかちぎりのなからひは、いかにあはれならん。"
3412.5.2890858 などのたまふついでに、「この夢語(ゆめがた)りも(おぼ)()はすることもや」と(おも)ひて、 などのたまふついでに、"このゆめがたりもおぼはすることもや。"とおもひて、
3412.5.3891859 「いとあやしき梵字(ぼんじ)とかいふやうなる(あと)にはべめれど、御覧(ごらん)じとどむべき(ふし)もや()じりはべるとてなむ。(いま)はとて(わか)れはべりにしかど、なほこそ、あはれは(のこ)りはべるものなりけれ」 "いとあやしきぼんじとかいふやうなるあとにはべめれど、ごらんじとどむべきふしもやじりはべるとてなん。いまはとてわかれはべりにしかど、なほこそ、あはれはのこりはべるものなりけれ。"
3412.5.4892860 とて、さまよくうち()きたまふ。()りたまひて、 とて、さまよくうちきたまふ。りたまひて、
3412.5.5893861 「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。()なども、すべて(なに)ごとも、わざと有職(いうそく)にしつべかりける(ひと)の、ただこの世経(よふ)(かた)(こころ)おきてこそ(すく)なかりけれ。 "いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。なども、すべてなにごとも、わざというそくにしつべかりけるひとの、ただこのよふかたこころおきてこそすくなかりけれ。
3412.5.6894862 かの先祖(せんぞ)大臣(おとど)は、いとかしこくありがたき(こころ)ざしを()くして、朝廷(おほやけ)(つか)うまつりたまひけるほどに、ものの(たが)ひめありて、その(むく)いにかく(すゑ)はなきなりなど、人言(ひとい)ふめりしを、女子(をんなご)(かた)につけたれど、かくていと(つぎ)なしといふべきにはあらぬも、そこらの(おこ)なひのしるしにこそはあらめ」 かのせんぞおとどは、いとかしこくありがたきこころざしをくして、おほやけつかうまつりたまひけるほどに、もののたがひめありて、そのむくいにかくすゑはなきなりなど、ひといふめりしを、をんなごかたにつけたれど、かくていとつぎなしといふべきにはあらぬも、そこらのおこなひのしるしにこそはあらめ。"
3412.5.7895863 など、(なみだ)おし(のご)ひたまひつつ、この(ゆめ)のわたりに()とどめたまふ。 など、なみだおしのごひたまひつつ、このゆめのわたりにとどめたまふ。
3412.5.8896864 「あやしくひがひがしく、すずろに(たか)(こころ)ざしありと(ひと)(とが)め、また(われ)ながらも、さるまじき()()ひを、(かり)にてもするかな、と(おも)ひしことは、この(きみ)()まれたまひし(とき)に、(ちぎ)(ふか)(おも)()りにしかど、()(まへ)()えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ(おも)ひわたりつれ、さらば、かかる(たの)みありて、あながちには(のぞ)みしなりけり。 "あやしくひがひがしく、すずろにたかこころざしありとひととがめ、またわれながらも、さるまじきひを、かりにてもするかな、とおもひしことは、このきみまれたまひしときに、ちぎふかおもりにしかど、まへえぬあなたのことは、おぼつかなくこそおもひわたりつれ、さらば、かかるたのみありて、あながちにはのぞみしなりけり。
3412.5.9897865 (よこ)さまに、いみじき()()、ただよひしも、この人一人(ひとひとり)のためにこそありけれ。いかなる(がん)をか(こころ)()こしけむ」 よこさまに、いみじき、ただよひしも、このひとひとりのためにこそありけれ。いかなるがんをかこころこしけん。"
3412.5.10898866 とゆかしければ、(こころ)のうちに(おが)みて()りたまひつ。 とゆかしければ、こころのうちにおがみてりたまひつ。
3412.6899867第六段 源氏、紫の上の恩を説く
3412.6.1900868 「これは、また()してたてまつるべきものはべり。(いま)また()こえ()らせはべらむ」 "これは、またしてたてまつるべきものはべり。いままたこえらせはべらん。"
3412.6.2901869 と、女御(にょうご)には()こえたまふ。そのついでに、 と、にょうごにはこえたまふ。そのついでに、
3412.6.3902870 (いま)は、かく、いにしへのことをもたどり()りたまひぬれど、あなたの御心(みこころ)ばへを、おろかに(おぼ)しなすな。もとよりさるべき(なか)、えさらぬ(むつ)びよりも、(よこ)さまの(ひと)のなげのあはれをもかけ、一言(ひとこと)心寄(こころよ)せあるは、おぼろけのことにもあらず。 "いまは、かく、いにしへのことをもたどりりたまひぬれど、あなたのみこころばへを、おろかにおぼしなすな。もとよりさるべきなか、えさらぬむつびよりも、よこさまのひとのなげのあはれをもかけ、ひとことこころよせあるは、おぼろけのことにもあらず。
3412.6.4903871 まして、ここになどさぶらひ()れたまふを()()るも、(はじ)めの(こころ)ざし()はらず、(ふか)くねむごろに(おも)ひきこえたるを。 まして、ここになどさぶらひれたまふをるも、はじめのこころざしはらず、ふかくねんごろにおもひきこえたるを。
3412.6.5904872 いにしへの()のたとへにも、さこそはうはべには(はぐく)みけれと、らうらうじきたどりあらむも、(かしこ)きやうなれど、なほあやまりても、わがため(した)(こころの)ゆがみたらむ(ひと)を、さも(おも)()らず、うらなからむためは、()(かへ)しあはれに、いかでかかるにはと、罪得(つみえ)がましきにも、(おも)(なほ)ることもあるべし。 いにしへののたとへにも、さこそはうはべにははぐくみけれと、らうらうじきたどりあらんも、かしこきやうなれど、なほあやまりても、わがためしたこころのゆがみたらんひとを、さもおもらず、うらなからんためは、かへしあはれに、いかでかかるにはと、つみえがましきにも、おもなほることもあるべし。
3412.6.6905873 おぼろけの(むかし)()のあだならぬ(ひと)は、(たが)節々(ふしぶし)あれど、ひとりひとり(つみ)なき(とき)には、おのづからもてなす(ためし)どもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしく(くせ)をつけ、愛敬(あいぎゃう)なく、(ひと)をもて(はな)るる(こころ)あるは、いとうちとけがたく、(おも)ひぐまなきわざになむあるべき。 おぼろけのむかしのあだならぬひとは、たがふしぶしあれど、ひとりひとりつみなきときには、おのづからもてなすためしどもあるべかめり。さしもあるまじきことに、かどかどしくくせをつけ、あいぎゃうなく、ひとをもてはなるるこころあるは、いとうちとけがたく、おもひぐまなきわざになんあるべき。
3412.6.7906874 (おほ)くはあらねど、(ひと)(こころ)の、とあるさまかかるおもむきを()るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜(くちを)しからぬ(きは)(こころ)ばせあるべかめり。(みな)おのおの()たる(かた)ありて、()るところなくもあらねど、また、()()てて、わが後見(うしろみ)(おも)ひ、まめまめしく(えら)(おも)はむには、ありがたきわざになむ。 おほくはあらねど、ひとこころの、とあるさまかかるおもむきをるに、ゆゑよしといひ、さまざまにくちをしからぬきはこころばせあるべかめり。みなおのおのたるかたありて、るところなくもあらねど、また、てて、わがうしろみおもひ、まめまめしくえらおもはんには、ありがたきわざになん。
3412.6.8907875 ただまことに(こころ)(くせ)なくよきことは、この(たい)をのみなむ、これをぞおいらかなる(ひと)といふべかりける、となむ(おも)ひはべる。よしとて、またあまりひたたけて(たの)もしげなきも、いと口惜(くちを)しや」 ただまことにこころくせなくよきことは、このたいをのみなん、これをぞおいらかなるひとといふべかりける、となんおもひはべる。よしとて、またあまりひたたけてたのもしげなきも、いとくちをしや。"
3412.6.9908876 とばかりのたまふに、かたへの(ひと)(おも)ひやられぬかし。 とばかりのたまふに、かたへのひとおもひやられぬかし。
3412.7909877第七段 明石御方、卑下す
3412.7.1910878 「そこにこそ、すこしものの心得(こころえ)てものしたまふめるを、いとよし、(むつ)()はして、この御後見(おほんうしろみ)をも、(おな)(こころ)にてものしたまへ」 "そこにこそ、すこしもののこころえてものしたまふめるを、いとよし、むつはして、このおほんうしろみをも、おなこころにてものしたまへ。"
3412.7.2911879 など、(しの)びやかにのたまふ。 など、しのびやかにのたまふ。
3412.7.3912880 「のたまはせねど、いとありがたき()けしきを()たてまつるままに、()()れの言種(ことぐさ)()こえはべる。めざましきものになど(おぼ)しゆるさざらむに、かうまで御覧(ごらん)()るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで(かず)まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。 "のたまはせねど、いとありがたきけしきをたてまつるままに、れのことぐさこえはべる。めざましきものになどおぼしゆるさざらんに、かうまでごらんるべきにもあらぬを、かたはらいたきまでかずまへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなん。
3412.7.4913881 (かず)ならぬ()の、さすがに()えぬは、()()(みみ)も、いと(くる)しく、つつましく(おも)うたまへらるるを、(つみ)なきさまに、もて(かく)されたてまつりつつのみこそ」 かずならぬの、さすがにえぬは、みみも、いとくるしく、つつましくおもうたまへらるるを、つみなきさまに、もてかくされたてまつりつつのみこそ。"
3412.7.5914882 ()こえたまへば、 こえたまへば、
3412.7.6915883 「その(おほん)ためには、(なに)(こころ)ざしかはあらむ。ただ、この(おほん)ありさまを、うち()ひてもえ()たてまつらぬおぼつかなさに、(ゆづ)りきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、掲焉(けちえん)になどあらぬ(おほん)もてなしどもに、よろづのことなのめに()やすくなれば、いとなむ(おも)ひなくうれしき。 "そのおほんためには、なにこころざしかはあらん。ただ、このおほんありさまを、うちひてもえたてまつらぬおぼつかなさに、ゆづりきこえらるるなめり。それもまた、とりもちて、けちえんになどあらぬおほんもてなしどもに、よろづのことなのめにやすくなれば、いとなんおもひなくうれしき。
3412.7.7916884 はかなきことにて、ものの心得(こころえ)ずひがひがしき(ひと)は、()()じらふにつけて、(ひと)のためさへからきことありかし。さ(なほ)しどころなく、(たれ)もものしたまふめれば、(こころ)やすくなむ」 はかなきことにて、もののこころえずひがひがしきひとは、じらふにつけて、ひとのためさへからきことありかし。さなほしどころなく、たれもものしたまふめれば、こころやすくなん。"
3412.7.8917885 とのたまふにつけても、 とのたまふにつけても、
3412.7.9918886 「さりや、よくこそ卑下(ひげ)しにけれ」 "さりや、よくこそひげしにけれ。"
3412.7.10919887 など、(おも)(つづ)けたまふ。(たい)(わた)りたまひぬ。 など、おもつづけたまふ。たいわたりたまひぬ。
3412.8920888第八段 明石御方、宿世を思う
3412.8.1921889 「さも、いとやむごとなき御心(みこころ)ざしのみまさるめるかな。げにはた、(ひと)よりことに、かくしも()したまへるありさまの、ことわりと()えたまへるこそめでたけれ。 "さも、いとやんごとなきみこころざしのみまさるめるかな。げにはた、ひとよりことに、かくしもしたまへるありさまの、ことわりとえたまへるこそめでたけれ。
3412.8.2922890 (みや)御方(おほんかた)、うはべの(おほん)かしづきのみめでたくて、(わた)りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。(おな)(すぢ)にはおはすれど、今一際(いまひときは)心苦(こころぐる)しく」 みやおほんかた、うはべのおほんかしづきのみめでたくて、わたりたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。おなすぢにはおはすれど、いまひときはこころぐるしく。"
3412.8.3923891 としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世(すくせ)は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。 としりうごちきこえたまふにつけても、わがすくせは、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
3412.8.4924892 「やむごとなきだに、(おぼ)すさまにもあらざめる()に、まして()ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて(いま)は、(うら)めしき(ふし)もなし。ただ、かの()()もりにたる山住(やまず)みを(おも)ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」 "やんごとなきだに、おぼすさまにもあらざめるに、ましてちまじるべきおぼえにしあらねば、すべていまは、うらめしきふしもなし。ただ、かのもりにたるやまずみをおもひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき。"
3412.8.5925893 尼君(あまぎみ)も、ただ、「福地(ふくぢ)(その)(たね)まきて」とやうなりし一言(ひとこと)をうち(たの)みて、(のち)()(おも)ひやりつつ(なが)めゐたまへり。 あまぎみも、ただ、"ふくぢそのたねまきて。"とやうなりしひとことをうちたのみて、のちおもひやりつつながめゐたまへり。
3413926894第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る
3413.1927895第一段 夕霧の女三の宮への思い
3413.1.1928896 大将(だいしゃう)(きみ)は、この姫宮(ひめみや)(おほん)ことを、(おも)(およ)ばぬにしもあらざりしかば、()(ちか)くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの(おほん)かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々(をりをり)(まゐ)()れ、おのづから(おほん)けはひ、ありさまも見聞(みき)きたまふに、いと(わか)くおほどきたまへる一筋(ひとすぢ)にて、(うへ)儀式(ぎしき)はいかめしく、()(ためし)にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの(ふか)くは()えず。 だいしゃうきみは、このひめみやおほんことを、おもおよばぬにしもあらざりしかば、ちかくおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたのおほんかしづきにつけて、こなたにはさりぬべきをりをりまゐれ、おのづからおほんけはひ、ありさまもみききたまふに、いとわかくおほどきたまへるひとすぢにて、うへぎしきはいかめしく、ためしにしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにものふかくはえず。
3413.1.2929897 女房(にょうばう)なども、おとなおとなしきは(すく)なく、(わか)やかなる容貌人(かたちびと)の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと(おほ)く、数知(かずし)らぬまで(つど)ひさぶらひつつ、もの(おも)ひなげなる(おほん)あたりとはいひながら、(なに)ごとものどやかに(こころ)しづめたるは、(こころ)のうちのあらはにしも()えぬわざなれば、()人知(ひとし)れぬ(おも)()ひたらむも、またまことに心地(ここち)ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち()じれば、かたへの(ひと)にひかれつつ、(おな)じけはひもてなしになだらかなるを、ただ()()れは、いはけたる(あそ)(たはぶ)れに心入(こころい)れたる童女(わらはべ)のありさまなど、(ゐん)は、いと()につかず()たまふことどもあれど、(ひと)つさまに()(なか)(おぼ)しのたまはぬ御本性(ごほんじゃう)なれば、かかる(かた)をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧(ごらん)じゆるしつつ、(いまし)めととのへさせたまはず。 にょうばうなども、おとなおとなしきはすくなく、わかやかなるかたちびとの、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいとおほく、かずしらぬまでつどひさぶらひつつ、ものおもひなげなるおほんあたりとはいひながら、なにごとものどやかにこころしづめたるは、こころのうちのあらはにしもえぬわざなれば、ひとしれぬおもひたらんも、またまことにここちゆきげに、とどこほりなかるべきにしうちじれば、かたへのひとにひかれつつ、おなじけはひもてなしになだらかなるを、ただれは、いはけたるあそたはぶれにこころいれたるわらはべのありさまなど、ゐんは、いとにつかずたまふことどもあれど、ひとつさまになかおぼしのたまはぬごほんじゃうなれば、かかるかたをもまかせて、さこそはあらまほしからめ、とごらんじゆるしつつ、いましめととのへさせたまはず。
3413.1.3930898 正身(さうじみ)(おほん)ありさまばかりをば、いとよく(をし)へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。 さうじみおほんありさまばかりをば、いとよくをしへきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
3413.2931899第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
3413.2.1932900 かやうのことを、大将(だいしゃう)(きみ)も、 かやうのことを、だいしゃうきみも、
3413.2.2933901 「げにこそ、ありがたき()なりけれ。(むらさき)御用意(おほんようい)、けしきの、ここらの年経(としへ)ぬれど、ともかくも()()()()こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、(こころ)うつくしう、(ひと)をも()たず、()をもやむごとなく、(こころ)にくくもてなし()へたまへること」 "げにこそ、ありがたきなりけれ。むらさきおほんようい、けしきの、ここらのとしへぬれど、ともかくもこえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、こころうつくしう、ひとをもたず、をもやんごとなく、こころにくくもてなしへたまへること。"
3413.2.3934902 と、()面影(おもかげ)(わす)れがたくのみなむ(おも)()でられける。 と、おもかげわすれがたくのみなんおもでられける。
3413.2.4935903 「わが御北(おほんきた)(かた)も、あはれと(おぼ)(かた)こそ(ふか)けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ(ひと)なり。おだしきものに、(いま)はと目馴(めな)るるに、(こころ)ゆるびて、なほかくさまざまに、(つど)ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、(こころ)ひとつに(おも)(はな)れがたきを、ましてこの(みや)は、(ひと)(おほん)ほどを(おも)ふにも、(かぎ)りなく(こころ)ことなる(おほん)ほどに、()()きたる()けしきしもあらず、人目(ひとめ)(かざ)りばかりにこそ」 "わがおほんきたかたも、あはれとおぼかたこそふかけれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬひとなり。おだしきものに、いまはとめなるるに、こころゆるびて、なほかくさまざまに、つどひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、こころひとつにおもはなれがたきを、ましてこのみやは、ひとおほんほどをおもふにも、かぎりなくこころことなるおほんほどに、きたるけしきしもあらず、ひとめかざりばかりにこそ。"
3413.2.5936904 ()たてまつり()る。わざとおほけなき(こころ)にしもあらねど、「()たてまつる(をり)ありなむや」と、ゆかしく(おも)ひきこえたまひけり。 たてまつりる。わざとおほけなきこころにしもあらねど、"たてまつるをりありなんや。"と、ゆかしくおもひきこえたまひけり。
3413.3937905第三段 柏木、女三の宮に執心
3413.3.1938906 衛門督(ゑもんのかん)(きみ)も、(ゐん)(つね)(まゐ)り、(した)しくさぶらひ()れたまひし(ひと)なれば、この(みや)父帝(ちちみかど)のかしづきあがめたてまつりたまひし御心(みこころ)おきてなど、(くは)しく()たてまつりおきて、さまざまの御定(おほんさだ)めありしころほひより()こえ()り、(ゐん)にも、「めざましとは(おぼ)し、のたまはせず」と()きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜(くちを)しく、(むね)いたき心地(ここち)すれば、なほえ(おも)(はな)れず。 ゑもんのかんきみも、ゐんつねまゐり、したしくさぶらひれたまひしひとなれば、このみやちちみかどのかしづきあがめたてまつりたまひしみこころおきてなど、くはしくたてまつりおきて、さまざまのおほんさだめありしころほひよりこえり、ゐんにも、"めざましとはおぼし、のたまはせず。"ときしを、かくことざまになりたまへるは、いとくちをしく、むねいたきここちすれば、なほえおもはなれず。
3413.3.2939907 その(をり)より(かた)らひつきにける女房(にょうばう)のたよりに、(おほん)ありさまなども()(つた)ふるを(なぐさ)めに(おも)ふぞ、はかなかりける。 そのをりよりかたらひつきにけるにょうばうのたよりに、おほんありさまなどもつたふるをなぐさめにおもふぞ、はかなかりける。
3413.3.3940908 (たい)(うへ)(おほん)けはひには、なほ()されたまひてなむ」と、世人(よひと)もまねび(つた)ふるを()きては、 "たいうへおほんけはひには、なほされたまひてなん。"と、よひともまねびつたふるをきては、
3413.3.4941909 「かたじけなくとも、さるものは(おも)はせたてまつらざらまし。げに、たぐひなき御身(おほんみ)にこそ、あたらざらめ」 "かたじけなくとも、さるものはおもはせたてまつらざらまし。げに、たぐひなきおほんみにこそ、あたらざらめ。"
3413.3.5942910 と、(つね)にこの小侍従(こじじゅう)といふ御乳主(おほんちぬし)をも()ひはげまして、 と、つねにこのこじじゅうといふおほんちぬしをもひはげまして、
3413.3.6943911 ()中定(なかさだ)めなきを、大殿(おとど)(きみ)、もとより本意(ほい)ありて(おぼ)しおきてたる(かた)(おもむ)きたまはば」 "なかさだめなきを、おとどきみ、もとよりほいありておぼしおきてたるかたおもむきたまはば。"
3413.3.7944912 と、たゆみなく(おも)ひありきけり。 と、たゆみなくおもひありきけり。
3413.4945913第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ
3413.4.1946914 弥生(やよひ)ばかりの(そら)うららかなる()六条(ろくでう)(ゐん)に、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)衛門督(ゑもんのかみ)など(まゐ)りたまへり。大殿出(おとどい)でたまひて、御物語(おほんものがたり)などしたまふ。 やよひばかりのそらうららかなるろくでうゐんに、ひゃうぶきゃうのみやゑもんのかみなどまゐりたまへり。おとどいでたまひて、おほんものがたりなどしたまふ。
3413.4.2947915 (しづ)かなる()まひは、このごろこそいとつれづれに(まぎ)るることなかりけれ。公私(おほやけわたくし)にことなしや。(なに)わざしてかは()らすべき」 "しづかなるまひは、このごろこそいとつれづれにまぎるることなかりけれ。おほやけわたくしにことなしや。なにわざしてかはらすべき。"
3413.4.3948916 などのたまひて、 などのたまひて、
3413.4.4949917 今朝(けさ)大将(だいしゃう)のものしつるは、いづ(かた)にぞ。いとさうざうしきを、(れい)の、小弓射(こゆみい)させて()るべかりけり。(この)むめる若人(わかうど)どもも()えつるを、ねたう()でやしぬる」 "けさだいしゃうのものしつるは、いづかたにぞ。いとさうざうしきを、れいの、こゆみいさせてるべかりけり。このむめるわかうどどももえつるを、ねたうでやしぬる。"
3413.4.5950918 と、()はせたまふ。 と、はせたまふ。
3413.4.6951919 大将(だいしゃう)(きみ)は、丑寅(うしとら)(まち)に、(ひと)びとあまたして、(まり)もて(あそ)ばして()たまふ」と()こしめして、 "だいしゃうきみは、うしとらまちに、ひとびとあまたして、まりもてあそばしてたまふ。"とこしめして、
3413.4.7952920 (みだ)りがはしきことの、さすがに目覚(めさ)めてかどかどしきぞかし。いづら、こなたに」 "みだりがはしきことの、さすがにめさめてかどかどしきぞかし。いづら。こなたに。"
3413.4.8953921 とて、御消息(おほんせうそこ)あれば、(まゐ)りたまへり。若君達(わかきんだち)めく(ひと)びと(おほ)かりけり。 とて、おほんせうそこあれば、まゐりたまへり。わかきんだちめくひとびとおほかりけり。
3413.4.9954922 鞠持(まりも)たせたまへりや。誰々(たれだれ)かものしつる」 "まりもたせたまへりや。たれだれかものしつる。"
3413.4.10955923 とのたまふ。 とのたまふ。
3413.4.11956924 「これかれはべりつ」 "これかれはべりつ。"
3413.4.12957925 「こなたへまかでむや」 "こなたへまかでんや。"
3413.4.13958926 とのたまひて、寝殿(しんでん)東面(ひんがしおもて)桐壺(きりつぼ)若宮具(わかみやぐ)したてまつりて、(まゐ)りたまひにしころなれば、こなた(かく)ろへたりけり。遣水(やりみづ)などのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどを(たづ)ねて()()づ。太政大臣殿(おほきおほいどの)君達(きみたち)頭弁(とうのべん)兵衛佐(ひゃうゑのすけ)大夫(たいふ)(きみ)など、()ぐしたるも、まだ(かた)なりなるも、さまざまに、(ひと)よりまさりてのみものしたまふ。 とのたまひて、しんでんひんがしおもてきりつぼわかみやぐしたてまつりて、まゐりたまひにしころなれば、こなたかくろへたりけり。やりみづなどのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどをたづねてづ。おほきおほいどのきみたちとうのべんひゃうゑのすけたいふきみなど、ぐしたるも、まだかたなりなるも、さまざまに、ひとよりまさりてのみものしたまふ。
3413.5959927第五段 南町で蹴鞠を催す
3413.5.1960928 やうやう()れかかるに、「風吹(かぜふ)かず、かしこき()なり」と(きょう)じて、弁君(べんのきみ)もえしづめず()ちまじれば、大殿(おとど) やうやうれかかるに、"かぜふかず、かしこきなり。"ときょうじて、べんのきみもえしづめずちまじれば、おとど
3413.5.2961929 弁官(べんかん)もえをさめあへざめるを、上達部(かんだちめ)なりとも、(わか)衛府司(ゑふづかさ)たちは、などか(みだ)れたまはざらむ。かばかりの(よはひ)にては、あやしく見過(みす)ぐす、口惜(くちを)しくおぼえしわざなり。さるは、いと軽々(きゃうぎゃう)なりや。このことのさまよ」 "べんかんもえをさめあへざめるを、かんだちめなりとも、わかゑふづかさたちは、などかみだれたまはざらん。かばかりのよはひにては、あやしくみすぐす、くちをしくおぼえしわざなり。さるは、いときゃうぎゃうなりや。このことのさまよ。"
3413.5.3962930 などのたまふに、大将(だいしゃう)督君(かんのきみ)も、皆下(みなお)りたまひて、えならぬ(はな)(かげ)にさまよひたまふ(ゆふ)ばえ、いときよげなり。をさをささまよく(しづ)かならぬ、(みだ)れごとなめれど、(ところ)から(ひと)からなりけり。 などのたまふに、だいしゃうかんのきみも、みなおりたまひて、えならぬはなかげにさまよひたまふゆふばえ、いときよげなり。をさをささまよくしづかならぬ、みだれごとなめれど、ところからひとからなりけり。
3413.5.4963931 ゆゑある(には)木立(こだち)のいたく(かす)みこめたるに、色々紐(いろいろひも)ときわたる(はな)()ども、わづかなる萌黄(もえぎ)(かげ)に、かくはかなきことなれど、()()しきけぢめあるを(いど)みつつ、われも(おと)らじと(おも)(がほ)なる(なか)に、衛門督(ゑもんのかみ)のかりそめに()()じりたまへる(あし)もとに、(なら)(ひと)なかりけり。 ゆゑあるにはこだちのいたくかすみこめたるに、いろいろひもときわたるはなども、わづかなるもえぎかげに、かくはかなきことなれど、しきけぢめあるをいどみつつ、われもおとらじとおもがほなるなかに、ゑもんのかみのかりそめにじりたまへるあしもとに、ならひとなかりけり。
3413.5.5964932 容貌(かたち)いときよげに、なまめきたるさましたる(ひと)の、用意(ようい)いたくして、さすがに(みだ)りがはしき、をかしく()ゆ。 かたちいときよげに、なまめきたるさましたるひとの、よういいたくして、さすがにみだりがはしき、をかしくゆ。
3413.5.6965933 御階(みはし)()にあたれる(さくら)(かげ)()りて、(ひと)びと、(はな)(うへ)(わす)れて(こころ)()れたるを、大殿(おとど)(みや)も、(すみ)高欄(かうらん)()でて御覧(ごらん)ず。 みはしにあたれるさくらかげりて、ひとびと、はなうへわすれてこころれたるを、おとどみやも、すみかうらんでてごらんず。
3413.6966934第六段 女三の宮たちも見物す
3413.6.1967935 いと(らう)ある(こころ)ばへども()えて、数多(かずおほ)くなりゆくに、上臈(じゃうらふ)(みだ)れて、(かうぶり)(ひたひ)すこしくつろぎたり。大将(だいしゃう)(きみ)も、御位(おほんくらゐ)のほど(おも)ふこそ、(れい)ならぬ(みだ)りがはしさかなとおぼゆれ、()()は、(ひと)よりけに(わか)くをかしげにて、(さくら)直衣(なほし)のやや()えたるに、指貫(さしぬき)(すそ)(かた)、すこしふくみて、けしきばかり()()げたまへり。 いとらうあるこころばへどもえて、かずおほくなりゆくに、じゃうらふみだれて、かうぶりひたひすこしくつろぎたり。だいしゃうきみも、おほんくらゐのほどおもふこそ、れいならぬみだりがはしさかなとおぼゆれ、は、ひとよりけにわかくをかしげにて、さくらなほしのややえたるに、さしぬきすそかた、すこしふくみて、けしきばかりげたまへり。
3413.6.2968936 軽々(かるがる)しうも()えず、ものきよげなるうちとけ姿(すがた)に、(はな)(ゆき)のやうに()りかかれば、うち見上(みあ)げて、しをれたる(えだ)すこし()()りて、御階(みはし)(なか)のしなのほどにゐたまひぬ。(かん)君続(きみつづ)きて、 かるがるしうもえず、ものきよげなるうちとけすがたに、はなゆきのやうにりかかれば、うちみあげて、しをれたるえだすこしりて、みはしなかのしなのほどにゐたまひぬ。かんきみつづきて、
3413.6.3969937 (はな)(みだ)りがはしく()るめりや。(さくら)()きてこそ」 "はなみだりがはしくるめりや。さくらきてこそ。"
3413.6.4970938 などのたまひつつ、(みや)御前(おまへ)(かた)後目(しりめ)()れば、(れい)の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々(いろいろ)こぼれ()でたる御簾(みす)のつま、透影(すきかげ)など、(はる)手向(たむ)けの幣袋(ぬさぶくろ)にやとおぼゆ。 などのたまひつつ、みやおまへかたしりめれば、れいの、ことにをさまらぬけはひどもして、いろいろこぼれでたるみすのつま、すきかげなど、はるたむけのぬさぶくろにやとおぼゆ。
3413.7971939第七段 唐猫、御簾を引き開ける
3413.7.1972940 御几帳(みきちゃう)どもしどけなく()きやりつつ、人気近(ひとけちか)()づきてぞ()ゆるに、唐猫(からねこ)のいと(ちひ)さくをかしげなるを、すこし(おほ)きなる猫追(ねこお)(つづ)きて、にはかに御簾(みす)のつまより(はし)()づるに、(ひと)びとおびえ(さわ)ぎて、そよそよと()じろきさまよふけはひども、(きぬ)(おと)なひ、(みみ)かしかましき心地(ここち)す。 みきちゃうどもしどけなくきやりつつ、ひとけちかづきてぞゆるに、からねこのいとちひさくをかしげなるを、すこしおほきなるねこおつづきて、にはかにみすのつまよりはしづるに、ひとびとおびえさわぎて、そよそよとじろきさまよふけはひども、きぬおとなひ、みみかしかましきここちす。
3413.7.2973941 (ねこ)は、まだよく(ひと)にもなつかぬにや、(つな)いと(なが)()きたりけるを、(もの)にひきかけまつはれにけるを、()げむとひこしろふほどに、御簾(みす)(そば)いとあらはに()()けられたるを、とみにひき(なほ)(ひと)もなし。この(はしら)のもとにありつる(ひと)びとも、(こころ)あわたたしげにて、もの()ぢしたるけはひどもなり。 ねこは、まだよくひとにもなつかぬにや、つないとながきたりけるを、ものにひきかけまつはれにけるを、げんとひこしろふほどに、みすそばいとあらはにけられたるを、とみにひきなほひともなし。このはしらのもとにありつるひとびとも、こころあわたたしげにて、ものぢしたるけはひどもなり。
3413.8974942第八段 柏木、女三の宮を垣間見る
3413.8.1975943 几帳(きちゃう)(きは)すこし()りたるほどに、袿姿(うちきすがた)にて()ちたまへる(ひと)あり。(はし)より西(にし)()()(ひんがし)(そば)なれば、まぎれどころもなくあらはに見入(みい)れらる。 きちゃうきはすこしりたるほどに、うちきすがたにてちたまへるひとあり。はしよりにしひんがしそばなれば、まぎれどころもなくあらはにみいれらる。
3413.8.2976945 紅梅(こうばい)にやあらむ、()(うす)き、すぎすぎに、あまた(かさ)なりたるけぢめ、はなやかに、草子(そうし)のつまのやうに()えて、(さくら)織物(おりもの)細長(ほそなが)なるべし。御髪(みぐし)のすそまでけざやかに()ゆるは、(いと)をよりかけたるやうになびきて、(すそ)のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、(しち)八寸(はちすん)ばかりぞ(あま)りたまへる。御衣(おほんぞ)(すそ)がちに、いと(ほそ)くささやかにて、姿(すがた)つき、(かみ)のかかりたまへる側目(そばめ)()()らずあてにらうたげなり。夕影(ゆふかげ)なれば、さやかならず、奥暗(おくくら)心地(ここち)するも、いと()かず口惜(くちを)し。 こうばいにやあらん。うすき、すぎすぎに、あまたかさなりたるけぢめ、はなやかに、そうしのつまのやうにえて、さくらおりものほそながなるべし。みぐしのすそまでけざやかにゆるは、いとをよりかけたるやうになびきて、すそのふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、しちはちすんばかりぞあまりたまへる。おほんぞすそがちに、いとほそくささやかにて、すがたつき、かみのかかりたまへるそばめらずあてにらうたげなり。ゆふかげなれば、さやかならず、おくくらここちするも、いとかずくちをし。
3413.8.3977946 (まり)()()ぐる若君達(わかきんだち)の、(はな)()るを()しみもあへぬけしきどもを()るとて、(ひと)びと、あらはをふともえ()つけぬなるべし。(ねこ)のいたく()けば、見返(みかへ)りたまへる(おも)もち、もてなしなど、いとおいらかにて、(わか)くうつくしの(ひと)やと、ふと()えたり。 まりぐるわかきんだちの、はなるをしみもあへぬけしきどもをるとて、ひとびと、あらはをふともえつけぬなるべし。ねこのいたくけば、みかへりたまへるおももち、もてなしなど、いとおいらかにて、わかくうつくしのひとやと、ふとえたり。
3413.9978947第九段 夕霧、事態を憂慮す
3413.9.1979948 大将(だいしゃう)、いとかたはらいたけれど、はひ()らむもなかなかいと軽々(かるがる)しければ、ただ(こころ)()させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき()りたまふ。さるは、わが心地(ここち)にも、いと()かぬ心地(ここち)したまへど、(ねこ)(つな)ゆるしつれば、(こころ)にもあらずうち(なげ)かる。 だいしゃう、いとかたはらいたけれど、はひらんもなかなかいとかるがるしければ、ただこころさせて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひきりたまふ。さるは、わがここちにも、いとかぬここちしたまへど、ねこつなゆるしつれば、こころにもあらずうちなげかる。
3413.9.2980949 まして、さばかり(こころ)をしめたる衛門督(ゑもんのかみ)は、(むね)ふとふたがりて、()ればかりにかはあらむ、ここらの(なか)にしるき袿姿(うちきすがた)よりも、(ひと)(まぎ)るべくもあらざりつる(おほん)けはひなど、(こころ)にかかりておぼゆ。 まして、さばかりこころをしめたるゑもんのかみは、むねふとふたがりて、ればかりにかはあらん、ここらのなかにしるきうちきすがたよりも、ひとまぎるべくもあらざりつるおほんけはひなど、こころにかかりておぼゆ。
3413.9.3981950 さらぬ(かほ)にもてなしたれど、「まさに()とどめじや」と、大将(だいしゃう)はいとほしく(おぼ)さる。わりなき心地(ここち)(なぐさ)めに、(ねこ)(まね)()せてかき(いだ)きたれば、いと(かう)ばしくて、らうたげにうち()くも、なつかしく(おも)ひよそへらるるぞ、()()きしきや。 さらぬかほにもてなしたれど、"まさにとどめじや。"と、だいしゃうはいとほしくおぼさる。わりなきここちなぐさめに、ねこまねせてかきいだきたれば、いとかうばしくて、らうたげにうちくも、なつかしくおもひよそへらるるぞ、きしきや。
3414982951第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
3414.1983952第一段 蹴鞠の後の酒宴
3414.1.1984953 大殿御覧(おとどごらん)じおこせて、 おとどごらんじおこせて、
3414.1.2985954 上達部(かんだちめ)()、いと軽々(かろがろ)しや。こなたにこそ」 "かんだちめ、いとかろがろしや。こなたにこそ。"
3414.1.3986955 とて、(たい)南面(みなみおもて)()りたまへれば、みなそなたに(まゐ)りたまひぬ。(みや)もゐ(なほ)りたまひて、御物語(おほんものがたり)したまふ。 とて、たいみなみおもてりたまへれば、みなそなたにまゐりたまひぬ。みやもゐなほりたまひて、おほんものがたりしたまふ。
3414.1.4987956 次々(つぎつぎ)殿上人(てんじゃうびと)は、簀子(すのこ)円座召(わらふだめ)して、わざとなく、椿餅(つばいもちひ)(なし)柑子(かうじ)やうのものども、さまざまに(はこ)(ふた)どもにとり()ぜつつあるを、(わか)(ひと)びとそぼれ()()ふ。さるべき乾物(からもの)ばかりして、御土器参(おほんかはらけまゐ)る。 つぎつぎてんじゃうびとは、すのこわらふだめして、わざとなく、つばいもちひなしかうじやうのものども、さまざまにはこふたどもにとりぜつつあるを、わかひとびとそぼれふ。さるべきからものばかりして、おほんかはらけまゐる。
3414.1.5988957 衛門督(ゑもんのかみ)は、いといたく(おも)ひしめりて、ややもすれば、(はな)()()をつけて(なが)めやる。大将(だいしゃう)は、心知(こころし)りに、「あやしかりつる御簾(みす)透影思(すきかげおも)()づることやあらむ」と(おも)ひたまふ。 ゑもんのかみは、いといたくおもひしめりて、ややもすれば、はなをつけてながめやる。だいしゃうは、こころしりに、"あやしかりつるみすすきかげおもづることやあらん。"とおもひたまふ。
3414.1.6989958 「いと端近(はしぢか)なりつるありさまを、かつは軽々(かろがろ)しと(おも)ふらむかし。いでや。こなたの(おほん)ありさまの、さはあるまじかめるものを」と(おも)ふに、「かかればこそ、()のおぼえのほどよりは、うちうちの御心(みこころ)ざしぬるきやうにはありけれ」 "いとはしぢかなりつるありさまを、かつはかろがろしとおもふらんかし。いでや。こなたのおほんありさまの、さはあるまじかめるものを。"とおもふに、"かかればこそ、のおぼえのほどよりは、うちうちのみこころざしぬるきやうにはありけれ。"
3414.1.7990959 (おも)()はせて、 おもはせて、
3414.1.8991960 「なほ、内外(うちと)用意多(よういおほ)からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」 "なほ、うちとよういおほからず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや。"
3414.1.9992961 と、(おも)()とさる。 と、おもとさる。
3414.1.10993962 宰相(さいしゃう)(きみ)は、よろづの(つみ)をもをさをさたどられず、おぼえぬものの(ひま)より、ほのかにもそれと()たてまつりつるにも、「わが(むかし)よりの(こころ)ざしのしるしあるべきにや」と、(ちぎ)りうれしき心地(ここち)して、()かずのみおぼゆ。 さいしゃうきみは、よろづのつみをもをさをさたどられず、おぼえぬもののひまより、ほのかにもそれとたてまつりつるにも、"わがむかしよりのこころざしのしるしあるべきにや。"と、ちぎりうれしきここちして、かずのみおぼゆ。
3414.2994963第二段 源氏の昔語り
3414.2.1995964 (ゐん)は、昔物語(むかしものがたり)()でたまひて、 ゐんは、むかしものがたりでたまひて、
3414.2.2996965 太政大臣(おほきおとど)の、よろづのことにたち(なら)びて、()()けの(さだ)めしたまひし(なか)に、(まり)なむえ(およ)ばずなりにし。はかなきことは、(つた)へあるまじけれど、ものの(すぢ)はなほこよなかりけり。いと()(およ)ばず、かしこうこそ()えつれ」 "おほきおとどの、よろづのことにたちならびて、けのさだめしたまひしなかに、まりなんえおよばずなりにし。はかなきことは、つたへあるまじけれど、もののすぢはなほこよなかりけり。いとおよばず、かしこうこそえつれ。"
3414.2.3997966 とのたまへば、うちほほ()みて、 とのたまへば、うちほほみて、
3414.2.4998967 「はかばかしき(かた)にはぬるくはべる(いへ)(かぜ)の、さしも()(つた)へはべらむに、(のち)()のため、(こと)なることなくこそはべりぬべけれ」 "はかばかしきかたにはぬるくはべるいへかぜの、さしもつたへはべらんに、のちのため、ことなることなくこそはべりぬべけれ。"
3414.2.5999968 (まう)したまへば、 まうしたまへば、
3414.2.61000969 「いかでか。(なに)ごとも(ひと)(こと)なるけぢめをば、(しる)(つた)ふべきなり。(いへ)(つた)へなどに()(とど)()れたらむこそ、(きょう)はあらめ」 "いかでか。なにごともひとことなるけぢめをば、しるつたふべきなり。いへつたへなどにとどれたらんこそ、きょうはあらめ。"
3414.2.71001970 など、(たはぶ)れたまふ(おほん)さまの、(にほ)ひやかにきよらなるを()たてまつるにも、 など、たはぶれたまふおほんさまの、にほひやかにきよらなるをたてまつるにも、
3414.2.81002971 「かかる(ひと)にならひて、いかばかりのことにか(こころ)(うつ)(ひと)はものしたまはむ。(なに)ごとにつけてか、あはれと()ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき」 "かかるひとにならひて、いかばかりのことにかこころうつひとはものしたまはん。なにごとにつけてか、あはれとゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき。"
3414.2.91003972 と、(おも)ひめぐらすに、いとどこよなく、(おほん)あたりはるかなるべき()のほども(おも)()らるれば、(むね)のみふたがりてまかでたまひぬ。 と、おもひめぐらすに、いとどこよなく、おほんあたりはるかなるべきのほどもおもらるれば、むねのみふたがりてまかでたまひぬ。
3414.31004973第三段 柏木と夕霧、同車して帰る
3414.3.11005974 大将(だいしゃう)君一(きみひと)(くるま)にて、(みち)のほど物語(ものがたり)したまふ。 だいしゃうきみひとくるまにて、みちのほどものがたりしたまふ。
3414.3.21006975 「なほ、このころのつれづれには、この(ゐん)(まゐ)りて、(まぎ)らはすべきなりけり」 "なほ、このころのつれづれには、このゐんまゐりて、まぎらはすべきなりけり。"
3414.3.31007976 今日(けふ)のやうならむ(いとま)隙待(ひまま)ちつけて、(はな)折過(をりす)ぐさず(まゐ)れ、とのたまひつるを、春惜(はるを)しみがてら、(つき)のうちに、小弓持(こゆみも)たせて(まゐ)りたまへ」 "けふのやうならんいとまひままちつけて、はなをりすぐさずまゐれ、とのたまひつるを、はるをしみがてら、つきのうちに、こゆみもたせてまゐりたまへ。"
3414.3.41008977 (かた)らひ(ちぎ)る。おのおの(わか)るる(みち)のほど物語(ものがたり)したまうて、(みや)御事(おほんこと)のなほ()はまほしければ、 かたらひちぎる。おのおのわかるるみちのほどものがたりしたまうて、みやおほんことのなほはまほしければ、
3414.3.51009978 (ゐん)には、なほこの(たい)にのみものせさせたまふなめりな。かの(おほん)おぼえの(こと)なるなめりかし。この(みや)いかに(おぼ)すらむ。(みかど)(なら)びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、()したまひにたらむこそ、心苦(こころぐる)しけれ」 "ゐんには、なほこのたいにのみものせさせたまふなめりな。かのおほんおぼえのことなるなめりかし。このみやいかにおぼすらん。みかどならびなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、したまひにたらんこそ、こころぐるしけれ。"
3414.3.61010979 と、あいなく()へば、 と、あいなくへば、
3414.3.71011980 「たいだいしきこと。いかでかさはあらむ。こなたは、さま()はりて()ほしたてたまへる(むつ)びのけぢめばかりにこそあべかめれ。(みや)をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく(おも)ひきこえたまへるものを」 "たいだいしきこと。いかでかさはあらん。こなたは、さまはりてほしたてたまへるむつびのけぢめばかりにこそあべかめれ。みやをば、かたがたにつけて、いとやんごとなくおもひきこえたまへるものを。"
3414.3.81012981 (かた)りたまへば、 かたりたまへば、
3414.3.91013982 「いで、あなかま。たまへ。皆聞(みなき)きてはべり。いといとほしげなる折々(をりをり)あなるをや。さるは、()におしなべたらぬ(ひと)(おほん)おぼえを。ありがたきわざなりや」 "いで、あなかま。たまへ。みなききてはべり。いといとほしげなるをりをりあなるをや。さるは、におしなべたらぬひとおほんおぼえを。ありがたきわざなりや。"
3414.3.101014983 と、いとほしがる。 と、いとほしがる。
3414.3.111015984 「いかなれば(はな)()づたふ(うぐひす)の<BR/>(さくら)をわきてねぐらとはせぬ "〔いかなればはなづたふうぐひすの<BR/>さくらをわきてねぐらとはせぬ
3414.3.121016985 (はる)(とり)の、桜一(さくらひと)つにとまらぬ(こころ)よ。あやしとおぼゆることぞかし」 はるとりの、さくらひとつにとまらぬこころよ。あやしとおぼゆることぞかし。"
3414.3.131017986 と、(くち)ずさびに()へば、 と、くちずさびにへば、
3414.3.141018987 「いで、あなあぢきなのもの(あつか)ひや、さればよ」と(おも)ふ。 "いで、あなあぢきなのものあつかひや、さればよ。"とおもふ。
3414.3.151019988 深山木(みやまぎ)にねぐら(さだ)むるはこ(どり)も<BR/>いかでか(はな)(いろ)()くべき "〔みやまぎにねぐらさだむるはこどりも<BR/>いかでかはないろくべき
3414.3.161020989 わりなきこと。ひたおもむきにのみやは」 わりなきこと。ひたおもむきにのみやは。"
3414.3.171021990 といらへて、わづらはしければ、ことに()はせずなりぬ。異事(ことごと)()(まぎ)らはして、おのおの(わか)れぬ。 といらへて、わづらはしければ、ことにはせずなりぬ。ことごとまぎらはして、おのおのわかれぬ。
3414.41022991第四段 柏木、小侍従に手紙を送る
3414.4.11023992 (かん)(きみ)は、なほ大殿(おほいどの)(ひんがし)(たい)に、(ひと)()みにてぞものしたまひける。(おも)(こころ)ありて、(とし)ごろかかる()まひをするに、(ひと)やりならずさうざうしく心細(こころぼそ)折々(をりをり)あれど、 かんきみは、なほおほいどのひんがしたいに、ひとみにてぞものしたまひける。おもこころありて、としごろかかるまひをするに、ひとやりならずさうざうしくこころぼそをりをりあれど、
3414.4.21024993 「わが()かばかりにて、などか(おも)ふことかなはざらむ」 "わがかばかりにて、などかおもふことかなはざらん。"
3414.4.31025994 とのみ、(こころ)おごりをするに、この(ゆふ)べより()しいたく、もの(おも)はしくて、 とのみ、こころおごりをするに、このゆふべよりしいたく、ものおもはしくて、
3414.4.41026995 「いかならむ(をり)に、またさばかりにても、ほのかなる(おほん)ありさまをだに()む。ともかくもかき(まぎ)れたる(きは)(ひと)こそ、かりそめにもたはやすき物忌(ものいみ)方違(かたたが)への(うつ)ろひも軽々(かるがる)しきに、おのづからともかくものの(ひま)をうかがひつくるやうもあれ」 "いかならんをりに、またさばかりにても、ほのかなるおほんありさまをだにん。ともかくもかきまぎれたるきはひとこそ、かりそめにもたはやすきものいみかたたがへのうつろひもかるがるしきに、おのづからともかくもののひまをうかがひつくるやうもあれ。"
3414.4.51027996 など(おも)ひやる(かた)なく、 などおもひやるかたなく、
3414.4.61028997 (ふか)(まど)のうちに、(なに)ばかりのことにつけてか、かく(ふか)(こころ)ありけりとだに、()らせたてまつるべき」 "ふかまどのうちに、なにばかりのことにつけてか、かくふかこころありけりとだに、らせたてまつるべき。"
3414.4.71029998 胸痛(むねいた)くいぶせければ、小侍従(こじじゅう)がり、(れい)の、(ふみ)やりたまふ。 むねいたくいぶせければ、こじじゅうがり、れいの、ふみやりたまふ。
3414.4.81030999 一日(ひとひ)(かぜ)(さそ)はれて、御垣(みかき)(はら)をわけ()りてはべしに、いとどいかに見落(みお)としたまひけむ。その(ゆふ)べより、(みだ)心地(ごこち)かきくらし、あやなく今日(けふ)(なが)()らしはべる」 "ひとひかぜさそはれて、みかきはらをわけりてはべしに、いとどいかにみおとしたまひけん。そのゆふべより、みだごこちかきくらし、あやなくけふながらしはべる。"
3414.4.910311000 など()きて、 などきて、
3414.4.1010321001 「よそに()()らぬ(なげ)きはしげれども<BR/>なごり(こひ)しき(はな)(ゆふ)かげ」 "〔よそにらぬなげきはしげれども<BR/>なごりこひしきはなゆふかげ〕
3414.4.1110331002 とあれど、侍従(じじう)一日(ひとひ)(こころ)()らねば、ただ()(つね)(なが)めにこそはと(おも)ふ。 とあれど、じじうひとひこころらねば、ただつねながめにこそはとおもふ。
3414.510341003第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る
3414.5.110351004 御前(おまへ)(ひと)しげからぬほどなれば、かの(ふみ)()(まゐ)りて、 おまへひとしげからぬほどなれば、かのふみまゐりて、
3414.5.210361005 「この(ひと)の、かくのみ、(わす)れぬものに、言問(ことと)ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。心苦(こころぐる)しげなるありさまも()たまへあまる(こころ)もや()ひはべらむと、みづからの(こころ)ながら()りがたくなむ」 "このひとの、かくのみ、わすれぬものに、こととひものしたまふこそわづらはしくはべれ。こころぐるしげなるありさまもたまへあまるこころもやひはべらんと、みづからのこころながらりがたくなん。"
3414.5.310371006 と、うち(わら)ひて()こゆれば、 と、うちわらひてこゆれば、
3414.5.410381007 「いとうたてあることをも()ふかな」 "いとうたてあることをもふかな。"
3414.5.510391008 と、何心(なにごころ)もなげにのたまひて、文広(ふみひろ)げたるを御覧(ごらん)ず。 と、なにごころもなげにのたまひて、ふみひろげたるをごらんず。
3414.5.610401009 ()もせぬ」と()ひたるところを、あさましかりし御簾(みす)のつまを(おぼ)()はせらるるに、御面赤(おほんおもてあか)みて、大殿(おとど)の、さばかりことのついでごとに、 "もせぬ"とひたるところを、あさましかりしみすのつまをおぼはせらるるに、おほんおもてあかみて、おとどの、さばかりことのついでごとに、
3414.5.710411010 大将(だいしゃう)()えたまふな。いはけなき(おほん)ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、()たてまつるやうもありなむ」 "だいしゃうえたまふな。いはけなきおほんありさまなんめれば、おのづからとりはづして、たてまつるやうもありなん。"
3414.5.810421011 と、(いまし)めきこえたまふを(おぼ)()づるに、 と、いましめきこえたまふをおぼづるに、
3414.5.910431012 大将(だいしゃう)の、さることのありしと(かた)りきこえたらむ(とき)、いかにあはめたまはむ」 "だいしゃうの、さることのありしとかたりきこえたらんとき、いかにあはめたまはん。"
3414.5.1010441013 と、(ひと)()たてまつりけむことをば(おぼ)さで、まづ、(はばか)りきこえたまふ(こころ)のうちぞ(をさな)かりける。 と、ひとたてまつりけんことをばおぼさで、まづ、はばかりきこえたまふこころのうちぞをさなかりける。
3414.5.1110451014 (つね)よりも(おほん)さしらへなければ、すさまじく、しひて()こゆべきことにもあらねば、ひき(しの)びて、(れい)()く。 つねよりもおほんさしらへなければ、すさまじく、しひてこゆべきことにもあらねば、ひきしのびて、れいく。
3414.5.1210461015 一日(ひとひ)は、つれなし(がほ)をなむ。めざましうと(ゆる)しきこえざりしを、『()ずもあらぬ』やいかに。あな、かけかけし」 "ひとひは、つれなしがほをなん。めざましうとゆるしきこえざりしを、〔ずもあらぬ〕やいかに。あな、かけかけし。"
3414.5.1310471016 と、はやりかに(はし)()きて、 と、はやりかにはしきて、
3414.5.1410481017 「いまさらに(いろ)にな()でそ山桜(やまざくら)<BR/>およばぬ(えだ)(こころ)かけきと "〔いまさらにいろになでそやまざくら<BR/>およばぬえだこころかけきと
3414.5.1510491018 かひなきことを」 かひなきことを。"
3414.5.1610501019 とあり。 とあり。