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35若菜下
351169129第一章 柏木の物語 女三の宮の結婚後
351.1170130第一段 六条院の競射
351.1.1171131 ことわりとは(おも)へども、 ことわりとはおもへども、
351.1.2172132 「うれたくも()へるかな。いでや、なぞ、かく(こと)なることなきあへしらひばかりを(なぐさ)めにては、いかが()ぐさむ。かかる人伝(ひとづ)てならで、一言(ひとこと)をものたまひ()こゆる()ありなむや」 "うれたくもへるかな。いでや、なぞ、かくことなることなきあへしらひばかりをなぐさめにては、いかがぐさん。かかるひとづてならで、ひとことをものたまひこゆるありなんや。"
351.1.3173133 (おも)ふにつけて、おほかたにては、()しくめでたしと(おも)ひきこゆる(ゐん)(おほん)ため、なまゆがむ(こころ)()ひにたらむ。 おもふにつけて、おほかたにては、しくめでたしとおもひきこゆるゐんおほんため、なまゆがむこころひにたらん。
351.1.4174134 晦日(つごもり)()は、(ひと)びとあまた(まゐ)りたまへり。なまもの()く、すずろはしけれど、「そのあたりの(はな)(いろ)をも()てや(なぐさ)む」と(おも)ひて(まゐ)りたまふ。 つごもりは、ひとびとあまたまゐりたまへり。なまものく、すずろはしけれど、"そのあたりのはないろをもてやなぐさむ。"とおもひてまゐりたまふ。
351.1.5175135 殿上(てんじゃう)賭弓(のりゆみ)如月(きさらぎ)にとありしを()ぎて、三月(やよひ)はた御忌月(おほんきづき)なれば、口惜(くちを)しくと(ひと)びと(おも)ふに、この(ゐん)に、かかるまとゐあるべしと()(つた)へて、(れい)(つど)ひたまふ。左右(さいう)大将(だいしゃう)、さる御仲(おほんなか)らひにて(まゐ)りたまへば、次将(すけ)たちなど(いど)みかはして、小弓(こゆみ)とのたまひしかど、歩弓(かちゆみ)のすぐれたる上手(じゃうず)どもありければ、()()でて()させたまふ。 てんじゃうのりゆみきさらぎにとありしをぎて、やよひはたおほんきづきなれば、くちをしくとひとびとおもふに、このゐんに、かかるまとゐあるべしとつたへて、れいつどひたまふ。さいうだいしゃう、さるおほんなからひにてまゐりたまへば、すけたちなどいどみかはして、こゆみとのたまひしかど、かちゆみのすぐれたるじゃうずどもありければ、でてさせたまふ。
351.1.6176137 殿上人(てんじゃうびと)どもも、つきづきしき(かぎ)りは、皆前後(みなまへしりへ)(こころ)、こまどりに方分(かたわ)きて、()れゆくままに、今日(けふ)にとぢむる(かすみ)のけしきもあわたたしく、(みだ)るる夕風(ゆふかぜ)に、(はな)(かげ)いとど()つことやすからで、(ひと)びといたく()()ぎたまひて、 てんじゃうびとどもも、つきづきしきかぎりは、みなまへしりへこころ、こまどりにかたわきて、れゆくままに、けふにとぢむるかすみのけしきもあわたたしく、みだるるゆふかぜに、はなかげいとどつことやすからで、ひとびといたくぎたまひて、
351.1.7177138 (えん)なる賭物(かけもの)ども、こなたかなた(ひと)びとの御心見(みこころみ)えぬべきを。(やなぎ)()百度当(ももたびあ)てつべき舎人(とねり)どもの、うけばりて射取(いと)る、無人(むじん)なりや。すこしここしき()つきどもをこそ、(いど)ませめ」 "えんなるかけものども、こなたかなたひとびとのみこころみえぬべきを。やなぎももたびあてつべきとねりどもの、うけばりていとる、むじんなりや。すこしここしきつきどもをこそ、いどませめ。"
351.1.8178139 とて、大将(だいしゃう)たちよりはじめて、()りたまふに、衛門督(ゑもんのかみ)(ひと)よりけに(なが)めをしつつものしたまへば、かの片端心知(かたはしこころし)れる御目(おほんめ)には、()つけつつ、 とて、だいしゃうたちよりはじめて、りたまふに、ゑもんのかみひとよりけにながめをしつつものしたまへば、かのかたはしこころしれるおほんめには、つけつつ、
351.1.9179140 「なほ、いとけしき(こと)なり。わづらはしきこと()()べき()にやあらむ」 "なほ、いとけしきことなり。わづらはしきことべきにやあらん。"
351.1.10180141 と、われさへ(おも)ひつきぬる心地(ここち)す。この(きみ)たち、御仲(おほんなか)いとよし。さる(なか)らひといふ(なか)にも、心交(こころか)はしてねむごろなれば、はかなきことにても、もの(おも)はしくうち(まぎ)るることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。 と、われさへおもひつきぬるここちす。このきみたち、おほんなかいとよし。さるなからひといふなかにも、こころかはしてねんごろなれば、はかなきことにても、ものおもはしくうちまぎるることあらんを、いとほしくおぼえたまふ。
351.1.11181142 みづからも、大殿(おとど)()たてまつるに、気恐(けおそ)ろしくまばゆく、 みづからも、おとどたてまつるに、けおそろしくまばゆく、
351.1.12182143 「かかる(こころ)はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、(ひと)(てん)つかるべき()()ひはせじと(おも)ふものを。ましておほけなきこと」 "かかるこころはあるべきものか。なのめならんにてだに、けしからず、ひとてんつかるべきひはせじとおもふものを。ましておほけなきこと。"
351.1.13183144 (おも)ひわびては、 おもひわびては、
351.1.14184145 「かのありし(ねこ)をだに、()てしがな。(おも)ふこと(かた)らふべくはあらねど、かたはら(さび)しき(なぐさ)めにも、なつけむ」 "かのありしねこをだに、てしがな。おもふことかたらふべくはあらねど、かたはらさびしきなぐさめにも、なつけん。"
351.1.15185146 (おも)ふに、もの(ぐる)ほしく、「いかでかは(ぬす)()でむ」と、それさへぞ(かた)きことなりける。 おもふに、ものぐるほしく、"いかでかはぬすでん。"と、それさへぞかたきことなりける。
351.2186147第二段 柏木、女三の宮の猫を預る
351.2.1187148 女御(にょうご)御方(おほんかた)(まゐ)りて、物語(ものがたり)など()こえ(まぎ)らはし(こころ)みる。いと奥深(おくふか)く、心恥(こころは)づかしき(おほん)もてなしにて、まほに()えたまふこともなし。かかる御仲(おほんなか)らひにだに、気遠(けどほ)くならひたるを、「ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし」とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわが(こころ)から、(あさ)くも(おも)ひなされず。 にょうごおほんかたまゐりて、ものがたりなどこえまぎらはしこころみる。いとおくふかく、こころはづかしきおほんもてなしにて、まほにえたまふこともなし。かかるおほんなからひにだに、けどほくならひたるを、"ゆくりかにあやしくは、ありしわざぞかし。"とは、さすがにうちおぼゆれど、おぼろけにしめたるわがこころから、あさくもおもひなされず。
351.2.2188149 春宮(とうぐう)(まゐ)りたまひて、「(ろん)なう(かよ)ひたまへるところあらむかし」と、()とどめて()たてまつるに、(にほ)ひやかになどはあらぬ御容貌(おほんかたち)なれど、さばかりの(おほん)ありさまはた、いと(こと)にて、あてになまめかしくおはします。 とうぐうまゐりたまひて、"ろんなうかよひたまへるところあらんかし。"と、とどめてたてまつるに、にほひやかになどはあらぬおほんかたちなれど、さばかりのおほんありさまはた、いとことにて、あてになまめかしくおはします。
351.2.3189150 内裏(うち)御猫(おほんねこ)の、あまた()()れたりけるはらからどもの、所々(ところどころ)にあかれて、この(みや)にも(まゐ)れるが、いとをかしげにて(あり)くを()るに、まづ(おも)()でらるれば、 うちおほんねこの、あまたれたりけるはらからどもの、ところどころにあかれて、このみやにもまゐれるが、いとをかしげにてありくをるに、まづおもでらるれば、
351.2.4190151 六条(ろくでう)(ゐん)姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)にはべる(ねこ)こそ、いと()えぬやうなる(かほ)して、をかしうはべしか。はつかになむ()たまへし」 "ろくでうゐんひめみやおほんかたにはべるねここそ、いとえぬやうなるかほして、をかしうはべしか。はつかになんたまへし。"
351.2.5191152 (けい)したまへば、わざとらうたくせさせたまふ御心(みこころ)にて、(くは)しく()はせたまふ。 けいしたまへば、わざとらうたくせさせたまふみこころにて、くはしくはせたまふ。
351.2.6192153 唐猫(からねこ)の、ここのに(たが)へるさましてなむはべりし。(おな)じやうなるものなれど、(こころ)をかしく人馴(ひとな)れたるは、あやしくなつかしきものになむはべる」 "からねこの、ここのにたがへるさましてなんはべりし。おなじやうなるものなれど、こころをかしくひとなれたるは、あやしくなつかしきものになんはべる。"
351.2.7193154 など、ゆかしく(おぼ)さるばかり、()こえなしたまふ。 など、ゆかしくおぼさるばかり、こえなしたまふ。
351.2.8194155 ()こし()しおきて、桐壺(きりつぼ)御方(おほんかた)より(つた)へて()こえさせたまひければ、(まゐ)らせたまへり。「げに、いとうつくしげなる(ねこ)なりけり」と、(ひと)びと(きょう)ずるを、衛門督(ゑもんのかみ)は、「(たづ)ねむと(おぼ)したりき」と、()けしきを()おきて、()ごろ()(まゐ)りたまへり。 こししおきて、きりつぼおほんかたよりつたへてこえさせたまひければ、まゐらせたまへり。"げに、いとうつくしげなるねこなりけり。"と、ひとびときょうずるを、ゑもんのかみは、"たづねんとおぼしたりき。"と、けしきをおきて、ごろまゐりたまへり。
351.2.9195156 (わらは)なりしより、朱雀院(しゅじゃくゐん)()()きて(おぼ)使(つか)はせたまひしかば、御山住(みやまず)みに(おく)れきこえては、またこの(みや)にも(した)しう(まゐ)り、心寄(こころよ)せきこえたり。御琴(おほんこと)など(をし)へきこえたまふとて、 わらはなりしより、しゅじゃくゐんきておぼつかはせたまひしかば、みやまずみにおくれきこえては、またこのみやにもしたしうまゐり、こころよせきこえたり。おほんことなどをしへきこえたまふとて、
351.2.10196157 御猫(おほんねこ)どもあまた(つど)ひはべりにけり。いづら、この()(ひと)は」 "おほんねこどもあまたつどひはべりにけり。いづら、このひとは。"
351.2.11197158 (たづ)ねて()つけたまへり。いとらうたくおぼえて、かき()でてゐたり。(みや)も、 たづねてつけたまへり。いとらうたくおぼえて、かきでてゐたり。みやも、
351.2.12198159 「げに、をかしきさましたりけり。(こころ)なむ、まだなつきがたきは、見馴(みな)れぬ(ひと)()るにやあらむ。ここなる(ねこ)ども、ことに(おと)らずかし」 "げに、をかしきさましたりけり。こころなん、まだなつきがたきは、みなれぬひとるにやあらん。ここなるねこども、ことにおとらずかし。"
351.2.13199160 とのたまへば、 とのたまへば、
351.2.14200161 「これは、さるわきまへ(ごころ)も、をさをさはべらぬものなれど、その(なか)にも(こころ)かしこきは、おのづから(たましひ)はべらむかし」など()こえて、「まさるどもさぶらふめるを、これはしばし(たま)はり(あづ)からむ」 "これは、さるわきまへごころも、をさをさはべらぬものなれど、そのなかにもこころかしこきは、おのづからたましひはべらんかし。"などこえて、"まさるどもさぶらふめるを、これはしばしたまはりあづからん。"
351.2.15201162 (まう)したまふ。(こころ)のうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これを(たづ)()りて、(よる)もあたり(ちか)()せたまふ。 まうしたまふ。こころのうちに、あながちにをこがましく、かつはおぼゆるに、これをたづりて、よるもあたりちかせたまふ。
351.2.16202163 ()()てば、(ねこ)のかしづきをして、()(やしな)ひたまふ。人気遠(ひとげとほ)かりし(こころ)も、いとよく()れて、ともすれば、(きぬ)(すそ)にまつはれ、()()(むつ)るるを、まめやかにうつくしと(おも)ふ。いといたく(なが)めて、端近(はしちか)()()したまへるに、()て、「ねう、ねう」と、いとらうたげに()けば、かき()でて、「うたても、すすむかな」と、ほほ()まる。 てば、ねこのかしづきをして、やしなひたまふ。ひとげとほかりしこころも、いとよくれて、ともすれば、きぬすそにまつはれ、むつるるを、まめやかにうつくしとおもふ。いといたくながめて、はしちかしたまへるに、て、"ねう、ねう"と、いとらうたげにけば、かきでて、"うたても、すすむかな。"と、ほほまる。
351.2.17203164 ()ひわぶる(ひと)のかたみと()ならせば<BR/>なれよ(なに)とて()()なるらむ "〔ひわぶるひとのかたみとならせば<BR/>なれよなにとてなるらん
351.2.18204165 これも(むかし)(ちぎ)りにや」 これもむかしちぎりにや。"
351.2.19205166 と、(かほ)()つつのたまへば、いよいよらうたげに()くを、(ふところ)()れて(なが)めゐたまへり。御達(ごたち)などは、 と、かほつつのたまへば、いよいよらうたげにくを、ふところれてながめゐたまへり。ごたちなどは、
351.2.20206167 「あやしく、にはかなる(ねこ)のときめくかな。かやうなるもの見入(みい)れたまはぬ御心(みこころ)に」 "あやしく、にはかなるねこのときめくかな。かやうなるものみいれたまはぬみこころに。"
351.2.21207168 と、とがめけり。(みや)より()すにも(まゐ)らせず、()りこめて、これを(かた)らひたまふ。 と、とがめけり。みやよりすにもまゐらせず、りこめて、これをかたらひたまふ。
351.3208169第三段 柏木、真木柱姫君には無関心
351.3.1209170 左大将殿(さだいしゃうどの)(きた)(かた)は、大殿(おほとの)(きみ)たちよりも、右大将(うだいしゃう)(きみ)をば、なほ(むかし)のままに、(うと)からず(おも)ひきこえたまへり。(こころ)ばへのかどかどしく、気近(けぢか)くおはする(きみ)にて、対面(たいめん)したまふ時々(ときどき)も、こまやかに(へだ)てたるけしきなくもてなしたまへれば、大将(だいしゃう)も、淑景舎(しげいさ)などの、疎々(うとうと)しく(およ)びがたげなる御心(みこころ)ざまのあまりなるに、さま(こと)なる御睦(おほんむつ)びにて、(おも)()はしたまへり。 さだいしゃうどのきたかたは、おほとのきみたちよりも、うだいしゃうきみをば、なほむかしのままに、うとからずおもひきこえたまへり。こころばへのかどかどしく、けぢかくおはするきみにて、たいめんしたまふときどきも、こまやかにへだてたるけしきなくもてなしたまへれば、だいしゃうも、しげいさなどの、うとうとしくおよびがたげなるみこころざまのあまりなるに、さまことなるおほんむつびにて、おもはしたまへり。
351.3.2210171 男君(をとこぎみ)(いま)はまして、かのはじめの(きた)(かた)をももて(はな)()てて、(なら)びなくもてかしづききこえたまふ。この御腹(おほんはら)には、男君達(をとこきんだち)(かぎ)りなれば、さうざうしとて、かの真木柱(まきばしら)姫君(ひめぎみ)()て、かしづかまほしくしたまへど、祖父宮(おほぢみや)など、さらに(ゆる)したまはず、 をとこぎみいまはまして、かのはじめのきたかたをももてはなてて、ならびなくもてかしづききこえたまふ。このおほんはらには、をとこきんだちかぎりなれば、さうざうしとて、かのまきばしらひめぎみて、かしづかまほしくしたまへど、おほぢみやなど、さらにゆるしたまはず、
351.3.3211172 「この(きみ)をだに、人笑(ひとわら)へならぬさまにて()む」 "このきみをだに、ひとわらへならぬさまにてん。"
351.3.4212173 (おぼ)し、のたまふ。 おぼし、のたまふ。
351.3.5213174 親王(みこ)(おほん)おぼえいとやむごとなく、内裏(うち)にも、この(みや)御心寄(みこころよ)せ、いとこよなくて、このことと(そう)したまふことをば、え(そむ)きたまはず、心苦(こころぐる)しきものに(おも)ひきこえたまへり。おほかたも(いま)めかしくおはする(みや)にて、この(ゐん)大殿(おほとの)にさしつぎたてまつりては、(ひと)(まゐ)(つか)うまつり、世人(よひと)(おも)(おも)ひきこえけり。 みこおほんおぼえいとやんごとなく、うちにも、このみやみこころよせ、いとこよなくて、このこととそうしたまふことをば、えそむきたまはず、こころぐるしきものにおもひきこえたまへり。おほかたもいまめかしくおはするみやにて、このゐんおほとのにさしつぎたてまつりては、ひとまゐつかうまつり、よひとおもおもひきこえけり。
351.3.6214175 大将(だいしゃう)も、さる()重鎮(おもし)となりたまふべき下形(したかた)なれば、姫君(ひめぎみ)(おほん)おぼえ、などてかは(かる)くはあらむ。()こえ()づる(ひと)びと、ことに()れて(おほ)かれど、(おぼ)しも(さだ)めず。衛門督(ゑもんのかみ)を、「さも、けしきばまば」と(おぼ)すべかめれど、(ねこ)には(おも)()としたてまつるにや、かけても(おも)()らぬぞ、口惜(くちを)しかりける。 だいしゃうも、さるおもしとなりたまふべきしたかたなれば、ひめぎみおほんおぼえ、などてかはかるくはあらん。こえづるひとびと、ことにれておほかれど、おぼしもさだめず。ゑもんのかみを、"さも、けしきばまば。"とおぼすべかめれど、ねこにはおもとしたてまつるにや、かけてもおもらぬぞ、くちをしかりける。
351.3.7215176 母君(ははぎみ)の、あやしく、なほひがめる(ひと)にて、()(つね)のありさまにもあらず、もて()ちたまへるを、口惜(くちを)しきものに(おぼ)して、継母(ままはは)(おほん)あたりをば、(こころ)つけてゆかしく(おも)ひて、(いま)めきたる御心(みこころ)ざまにぞものしたまひける。 ははぎみの、あやしく、なほひがめるひとにて、つねのありさまにもあらず、もてちたまへるを、くちをしきものにおぼして、ままははおほんあたりをば、こころつけてゆかしくおもひて、いまめきたるみこころざまにぞものしたまひける。
351.4216177第四段 真木柱、兵部卿宮と結婚
351.4.1217178 兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)、なほ一所(ひとところ)のみおはして、御心(みこころ)につきて(おぼ)しけることどもは、皆違(みなたが)ひて、()(なか)もすさまじく、人笑(ひとわら)へに(おぼ)さるるに、「さてのみやはあまえて()ぐすべき」と(おぼ)して、このわたりにけしきばみ()りたまへれば、大宮(おほみや) ひゃうぶきゃうのみや、なほひとところのみおはして、みこころにつきておぼしけることどもは、みなたがひて、なかもすさまじく、ひとわらへにおぼさるるに、"さてのみやはあまえてぐすべき。"とおぼして、このわたりにけしきばみりたまへれば、おほみや
351.4.2218179 (なに)かは。かしづかむと(おも)はむ女子(をんなご)をば、宮仕(みやづか)へに()ぎては、親王(みこ)たちにこそは()せたてまつらめ。ただ(うど)の、すくよかに、なほなほしきをのみ、(いま)()(ひと)のかしこくする、(しな)なきわざなり」 "なにかは。かしづかんとおもはんをんなごをば、みやづかへにぎては、みこたちにこそはせたてまつらめ。ただうどの、すくよかに、なほなほしきをのみ、いまひとのかしこくする、しななきわざなり。"
351.4.3219180 とのたまひて、いたくも(なや)ましたてまつりたまはず、()()(まう)したまひつ。 とのたまひて、いたくもなやましたてまつりたまはず、まうしたまひつ。
351.4.4220181 親王(みこ)、あまり(うら)みどころなきを、さうざうしと(おぼ)せど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしも()ひすべしたまはで、おはしましそめぬ。いと()なくかしづききこえたまふ。 みこ、あまりうらみどころなきを、さうざうしとおぼせど、おほかたのあなづりにくきあたりなれば、えしもひすべしたまはで、おはしましそめぬ。いとなくかしづききこえたまふ。
351.4.5221182 大宮(おほみや)は、女子(をんなご)あまたものしたまひて、 おほみやは、をんなごあまたものしたまひて、
351.4.6222183 「さまざまもの(なげ)かしき折々多(をりをりおほ)かるに、物懲(ものご)りしぬべけれど、なほこの(きみ)のことの(おも)(はな)ちがたくおぼえてなむ。母君(ははぎみ)は、あやしきひがものに、(とし)ごろに()へてなりまさりたまふ。大将(だいしゃう)はた、わがことに(したが)はずとて、おろかに見捨(みす)てられためれば、いとなむ心苦(こころぐる)しき」 "さまざまものなげかしきをりをりおほかるに、ものごりしぬべけれど、なほこのきみのことのおもはなちがたくおぼえてなん。ははぎみは、あやしきひがものに、としごろにへてなりまさりたまふ。だいしゃうはた、わがことにしたがはずとて、おろかにみすてられためれば、いとなんこころぐるしき。"
351.4.7223184 とて、(おほん)しつらひをも、()ちゐ、御手(おほんて)づから御覧(ごらん)()れ、よろづにかたじけなく御心(みこころ)()れたまへり。 とて、おほんしつらひをも、ちゐ、おほんてづからごらんれ、よろづにかたじけなくみこころれたまへり。
351.5224185第五段 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活
351.5.1225186 (みや)は、()せたまひにける(きた)(かた)を、()とともに()ひきこえたまひて、「ただ、(むかし)(おほん)ありさまに()たてまつりたらむ(ひと)()む」と(おぼ)しけるに、「()しくはあらねど、さま()はりてぞものしたまひける」と(おぼ)すに、口惜(くちを)しくやありけむ、(かよ)ひたまふさま、いともの()げなり。 みやは、せたまひにけるきたかたを、とともにひきこえたまひて、"ただ、むかしおほんありさまにたてまつりたらんひとん。"とおぼしけるに、"しくはあらねど、さまはりてぞものしたまひける。"とおぼすに、くちをしくやありけん、かよひたまふさま、いとものげなり。
351.5.2226187 大宮(おほみや)、「いと(こころ)づきなきわざかな」と(おぼ)(なげ)きたり。母君(ははぎみ)も、さこそひがみたまへれど、うつし心出(ごころい)()(とき)は、「口惜(くちを)しく()()」と、(おも)()てたまふ。 おほみや、"いとこころづきなきわざかな。"とおぼなげきたり。ははぎみも、さこそひがみたまへれど、うつしごころいときは、"くちをしく。"と、おもてたまふ。
351.5.3227188 大将(だいしゃう)(きみ)も、「さればよ。いたく(いろ)めきたまへる親王(みこ)を」と、はじめよりわが御心(みこころ)(ゆる)したまはざりしことなればにや、ものしと(おも)ひたまへり。 だいしゃうきみも、"さればよ。いたくいろめきたまへるみこを。"と、はじめよりわがみこころゆるしたまはざりしことなればにや、ものしとおもひたまへり。
351.5.4228189 尚侍(かん)(きみ)も、かく(たの)もしげなき(おほん)さまを、(ちか)()きたまふには、「さやうなる()(なか)()ましかば、こなたかなた、いかに(おぼ)()たまはまし」など、なまをかしくも、あはれにも(おぼ)()でけり。 かんきみも、かくたのもしげなきおほんさまを、ちかきたまふには、"さやうなるなかましかば、こなたかなた、いかにおぼたまはまし。"など、なまをかしくも、あはれにもおぼでけり。
351.5.5229190 「そのかみも、気近(けぢか)見聞(みき)こえむとは、(おも)()らざりきかし。ただ、(なさ)(なさ)けしう、心深(こころふか)きさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、()()としたまひけむ」と、いと()づかしく、(とし)ごろも(おぼ)しわたることなれば、「かかるあたりにて、()きたまはむことも、(こころ)づかひせらるべく」など(おぼ)す。 "そのかみも、けぢかみきこえんとは、おもらざりきかし。ただ、なさなさけしう、こころふかきさまにのたまひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや、としたまひけん。"と、いとづかしく、としごろもおぼしわたることなれば、"かかるあたりにて、きたまはんことも、こころづかひせらるべく。"などおぼす。
351.5.6230191 これよりも、さるべきことは(あつか)ひきこえたまふ。せうとの(きみ)たちなどして、かかる()けしきも()らず(がほ)に、(にく)からず()こえまつはしなどするに、心苦(こころぐる)しくて、もて(はな)れたる御心(みこころ)はなきに、大北(おほきた)(かた)といふさがな(もの)ぞ、(つね)(ゆる)しなく(ゑん)じきこえたまふ。 これよりも、さるべきことはあつかひきこえたまふ。せうとのきみたちなどして、かかるけしきもらずがほに、にくからずこえまつはしなどするに、こころぐるしくて、もてはなれたるみこころはなきに、おほきたかたといふさがなものぞ、つねゆるしなくゑんじきこえたまふ。
351.5.7231192 親王(みこ)たちは、のどかに二心(ふたごころ)なくて、()たまはむをだにこそ、はなやかならぬ(なぐさ)めには(おも)ふべけれ」 "みこたちは、のどかにふたごころなくて、たまはんをだにこそ、はなやかならぬなぐさめにはおもふべけれ。"
351.5.8232193 とむつかりたまふを、(みや)()()きたまひては、「いと()きならはぬことかな。(むかし)、いとあはれと(おも)ひし(ひと)をおきても、なほ、はかなき(こころ)のすさびは()えざりしかど、かう(きび)しきもの(ゑん)じは、ことになかりしものを」 とむつかりたまふを、みやきたまひては、"いときならはぬことかな。むかし、いとあはれとおもひしひとをおきても、なほ、はかなきこころのすさびはえざりしかど、かうきびしきものゑんじは、ことになかりしものを。"
351.5.9233194 (こころ)づきなく、いとど(むかし)()ひきこえたまひつつ、故里(ふるさと)にうち(なが)めがちにのみおはします。さ()ひつつも、二年(ふたとせ)ばかりになりぬれば、かかる(かた)目馴(めな)れて、ただ、さる(かた)御仲(おほんなか)にて()ぐしたまふ。 こころづきなく、いとどむかしひきこえたまひつつ、ふるさとにうちながめがちにのみおはします。さひつつも、ふたとせばかりになりぬれば、かかるかためなれて、ただ、さるかたおほんなかにてぐしたまふ。
352234195第二章 光る源氏の物語 住吉参詣
352.1235196第一段 冷泉帝の退位
352.1.1236197 はかなくて、年月(としつき)もかさなりて、内裏(うち)(みかど)御位(みくらゐ)()かせたまひて、十八年(じふはちねん)にならせたまひぬ。 はかなくて、としつきもかさなりて、うちみかどみくらゐかせたまひて、じふはちねんにならせたまひぬ。
352.1.2237198 (つぎ)(きみ)とならせたまふべき御子(みこ)おはしまさず、ものの(はえ)なきに、()(なか)はかなくおぼゆるを、(こころ)やすく、(おも)(ひと)びとにも対面(たいめん)し、(わたくし)ざまに(こころ)をやりて、のどかに()ぎまほしくなむ」 "つぎきみとならせたまふべきみこおはしまさず、もののはえなきに、なかはかなくおぼゆるを、こころやすく、おもひとびとにもたいめんし、わたくしざまにこころをやりて、のどかにぎまほしくなん。"
352.1.3238199 と、(とし)ごろ(おぼ)しのたまはせつるを、()ごろいと(おも)(なや)ませたまふことありて、にはかに()りゐさせたまひぬ。()(ひと)、「()かず(さか)りの御世(みよ)を、かく(のが)れたまふこと」と()しみ(なげ)けど、春宮(とうぐう)もおとなびさせたまひにたれば、うち()ぎて、()(なか)政事(まつりごと)など、ことに()はるけぢめもなかりけり。 と、としごろおぼしのたまはせつるを、ごろいとおもなやませたまふことありて、にはかにりゐさせたまひぬ。ひと、"かずさかりのみよを、かくのがれたまふこと"としみなげけど、とうぐうもおとなびさせたまひにたれば、うちぎて、なかまつりごとなど、ことにはるけぢめもなかりけり。
352.1.4239200 太政大臣(おほきおとど)致仕(ちじ)(へう)たてまつりて、()もりゐたまひぬ。 おほきおとどちじへうたてまつりて、もりゐたまひぬ。
352.1.5240201 ()(なか)(つね)なきにより、かしこき(みかど)(きみ)も、(くらゐ)()りたまひぬるに、年深(としふか)()(かうぶり)()けむ、(なに)()しからむ」 "なかつねなきにより、かしこきみかどきみも、くらゐりたまひぬるに、としふかかうぶりけん、なにしからん。"
352.1.6241202 (おぼ)しのたまひて、左大将(さだいしゃう)右大臣(うだいじん)になりたまひてぞ、()(なか)政事仕(まつりごとつか)うまつりたまひける。女御(にょうご)(きみ)は、かかる御世(みよ)をも()ちつけたまはで、()せたまひにければ、(かぎ)りある御位(みくらゐ)()たまへれど、ものの(うし)ろの心地(ここち)して、かひなかりけり。 おぼしのたまひて、さだいしゃううだいじんになりたまひてぞ、なかまつりごとつかうまつりたまひける。にょうごきみは、かかるみよをもちつけたまはで、せたまひにければ、かぎりあるみくらゐたまへれど、もののうしろのここちして、かひなかりけり。
352.1.7242203 六条(ろくでう)女御(にょうご)御腹(おほんはら)(いち)(みや)(ばう)にゐたまひぬ。さるべきこととかねて(おも)ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、()おどろかるるわざなりけり。右大将(うだいしゃう)(きみ)大納言(だいなごん)になりたまひぬ。いよいよあらまほしき御仲(おほんなか)らひなり。 ろくでうにょうごおほんはらいちみやばうにゐたまひぬ。さるべきこととかねておもひしかど、さしあたりてはなほめでたく、おどろかるるわざなりけり。うだいしゃうきみだいなごんになりたまひぬ。いよいよあらまほしきおほんなからひなり。
352.1.8243204 六条院(ろくでうのゐん)は、()りゐたまひぬる冷泉院(れいぜいゐん)の、御嗣(おほんつぎ)おはしまさぬを、()かず御心(みこころ)のうちに(おぼ)す。(おな)(すぢ)なれど、(おも)(なや)ましき(おほん)ことならで、()ぐしたまへるばかりに、(つみ)(かく)れて、(すゑ)()まではえ(つた)ふまじかりける御宿世(おほんすくせ)口惜(くちを)しくさうざうしく(おぼ)せど、(ひと)にのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなむ。 ろくでうのゐんは、りゐたまひぬるれいぜいゐんの、おほんつぎおはしまさぬを、かずみこころのうちにおぼす。おなすぢなれど、おもなやましきおほんことならで、ぐしたまへるばかりに、つみかくれて、すゑまではえつたふまじかりけるおほんすくせくちをしくさうざうしくおぼせど、ひとにのたまひあはせぬことなれば、いぶせくなん。
352.1.9244205 春宮(とうぐう)女御(にょうご)は、御子(みこ)たちあまた数添(かずそ)ひたまひて、いとど(おほん)おぼえ(なら)びなし。源氏(げんじ)の、うち(つづ)(きさき)にゐたまふべきことを、世人飽(よひとあ)かず(おも)へるにつけても、冷泉院(れいぜいゐん)(きさき)は、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへる御心(みこころ)(おぼ)すに、いよいよ六条院(ろくでうゐん)(おほん)ことを、年月(としつき)()へて、(かぎ)りなく(おも)ひきこえたまへり。 とうぐうにょうごは、みこたちあまたかずそひたまひて、いとどおほんおぼえならびなし。げんじの、うちつづきさきにゐたまふべきことを、よひとあかずおもへるにつけても、れいぜいゐんきさきは、ゆゑなくて、あながちにかくしおきたまへるみこころおぼすに、いよいよろくでうゐんおほんことを、としつきへて、かぎりなくおもひきこえたまへり。
352.1.10245206 (ゐん)(みかど)(おぼ)()ししやうに、御幸(みゆき)も、所狭(ところせ)からで(わた)りたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき(おほん)ありさまなり。 ゐんみかどおぼししやうに、みゆきも、ところせからでわたりたまひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしきおほんありさまなり。
352.2246207第二段 六条院の女方の動静
352.2.1247208 姫宮(ひめみや)(おほん)ことは、(みかど)御心(みこころ)とどめて(おも)ひきこえたまふ。おほかたの()にも、あまねくもてかしづかれたまふを、(たい)(うへ)御勢(おほんいきほ)ひには、えまさりたまはず。年月経(としつきふ)るままに、御仲(おほんなか)いとうるはしく(むつ)びきこえ()はしたまひて、いささか()かぬことなく、(へだ)ても()えたまはぬものから、 ひめみやおほんことは、みかどみこころとどめておもひきこえたまふ。おほかたのにも、あまねくもてかしづかれたまふを、たいうへおほんいきほひには、えまさりたまはず。としつきふるままに、おほんなかいとうるはしくむつびきこえはしたまひて、いささかかぬことなく、へだてもえたまはぬものから、
352.2.2248209 (いま)は、かうおほぞうの()まひならで、のどやかに(おこ)なひをも、となむ(おも)ふ。この()はかばかりと、見果(みは)てつる心地(ここち)する(よはひ)にもなりにけり。さりぬべきさまに(おぼ)(ゆる)してよ」 "いまは、かうおほぞうのまひならで、のどやかにおこなひをも、となんおもふ。このはかばかりと、みはてつるここちするよはひにもなりにけり。さりぬべきさまにおぼゆるしてよ。"
352.2.3249210 と、まめやかに()こえたまふ折々(をりをり)あるを、 と、まめやかにこえたまふをりをりあるを、
352.2.4250211 「あるまじく、つらき(おほん)ことなり。みづから、(ふか)本意(ほい)あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある()()はらむ(おほん)ありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと()げなむ(のち)に、ともかくも(おぼ)しなれ」 "あるまじく、つらきおほんことなり。みづから、ふかほいあることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、あるはらんおほんありさまの、うしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのことげなんのちに、ともかくもおぼしなれ。"
352.2.5251212 などのみ、(さまた)げきこえたまふ。 などのみ、さまたげきこえたまふ。
352.2.6252213 女御(にょうご)(きみ)、ただこなたを、まことの御親(みおや)にもてなしきこえたまひて、御方(おほんかた)(かく)れがの御後見(おほんうしろみ)にて、卑下(ひげ)しものしたまへるしもぞ、なかなか、()先頼(さきたの)もしげにめでたかりける。 にょうごきみ、ただこなたを、まことのみおやにもてなしきこえたまひて、おほんかたかくれがのおほんうしろみにて、ひげしものしたまへるしもぞ、なかなか、さきたのもしげにめでたかりける。
352.2.7253214 尼君(あまぎみ)も、ややもすれば、()へぬよろこびの(なみだ)、ともすれば()ちつつ、()をさへ(のご)ひただして、命長(いのちなが)き、うれしげなる(ためし)になりてものしたまふ。 あまぎみも、ややもすれば、へぬよろこびのなみだ、ともすればちつつ、をさへのごひただして、いのちながき、うれしげなるためしになりてものしたまふ。
352.3254215第三段 源氏、住吉に参詣
352.3.1255216 住吉(すみよし)御願(ごがん)、かつがつ()たしたまはむとて、春宮女御(とうぐうのにょうご)御祈(おほんいの)りに()でたまはむとて、かの箱開(はこあ)けて御覧(ごらん)ずれば、さまざまのいかめしきことども(おほ)かり。 すみよしごがん、かつがつたしたまはんとて、とうぐうのにょうごおほんいのりにでたまはんとて、かのはこあけてごらんずれば、さまざまのいかめしきことどもおほかり。
352.3.2256217 (とし)ごとの春秋(はるあき)神楽(かぐら)に、かならず(なが)()(いの)りを(くは)へたる(がん)ども、げに、かかる御勢(おほんいきほ)ひならでは、()たしたまふべきこととも(おも)ひおきてざりけり。ただ(はし)()きたる(おもむ)きの、才々(ざえざえ)しくはかばかしく、仏神(ほとけかみ)()()れたまふべき(こと)葉明(はあき)らかなり。 としごとのはるあきかぐらに、かならずながいのりをくはへたるがんども、げに、かかるおほんいきほひならでは、たしたまふべきことともおもひおきてざりけり。ただはしきたるおもむきの、ざえざえしくはかばかしく、ほとけかみれたまふべきことはあきらかなり。
352.3.3257218 「いかでさる山伏(やまぶし)聖心(ひじりごころ)に、かかることどもを(おも)ひよりけむ」と、あはれにおほけなくも御覧(ごらん)ず。「さるべきにて、しばしかりそめに()をやつしける、(むかし)()(おこ)なひ(びと)にやありけむ」など(おぼ)しめぐらすに、いとど軽々(かるがる)しくも(おぼ)されざりけり。 "いかでさるやまぶしひじりごころに、かかることどもをおもひよりけん。"と、あはれにおほけなくもごらんず。"さるべきにて、しばしかりそめにをやつしける、むかしおこなひびとにやありけん。"などおぼしめぐらすに、いとどかるがるしくもおぼされざりけり。
352.3.4258219 このたびは、この(こころ)をば(あら)はしたまはず、ただ、(ゐん)御物詣(おほんものまう)でにて()()ちたまふ。浦伝(うらづた)ひのもの(さわ)がしかりしほど、そこらの御願(おほんがん)ども、皆果(みなは)たし()くしたまへれども、なほ()(なか)にかくおはしまして、かかるいろいろの(さか)えを()たまふにつけても、(かみ)御助(おほんたす)けは(わす)れがたくて、(たい)(うへ)()しきこえさせたまひて、(まう)でさせたまふ、(ひび)()(つね)ならず。いみじくことども()()てて、()(わづら)ひあるまじく、と(はぶ)かせたまへど、(かぎ)りありければ、めづらかによそほしくなむ。 このたびは、このこころをばあらはしたまはず、ただ、ゐんおほんものまうでにてちたまふ。うらづたひのものさわがしかりしほど、そこらのおほんがんども、みなはたしくしたまへれども、なほなかにかくおはしまして、かかるいろいろのさかえをたまふにつけても、かみおほんたすけはわすれがたくて、たいうへしきこえさせたまひて、まうでさせたまふ、ひびつねならず。いみじくことどもてて、わづらひあるまじく、とはぶかせたまへど、かぎりありければ、めづらかによそほしくなん。
352.4259220第四段 住吉参詣の一行
352.4.1260221 上達部(かんだちめ)も、大臣二所(おとどふたところ)をおきたてまつりては、皆仕(みなつか)うまつりたまふ。舞人(まひびと)は、衛府(ゑふ)次将(すけ)どもの、容貌(かたち)きよげに、(たけ)だち(ひと)しき(かぎ)りを()らせたまふ。この(えら)びに()らぬをば(はぢ)に、(うれ)(なげ)きたる()(もの)どもありけり。 かんだちめも、おとどふたところをおきたてまつりては、みなつかうまつりたまふ。まひびとは、ゑふすけどもの、かたちきよげに、たけだちひとしきかぎりをらせたまふ。このえらびにらぬをばはぢに、うれなげきたるものどもありけり。
352.4.2261222 陪従(べいじう)も、石清水(いはしみづ)賀茂(かも)臨時(りんじ)(まつり)などに()(ひと)びとの、道々(みちみち)のことにすぐれたる(かぎ)りを(ととの)へさせたまへり。(くは)はりたる二人(ふたり)なむ、近衛府(このゑづかさ)名高(なだか)(かぎ)りを()したりける。 べいじうも、いはしみづかもりんじまつりなどにひとびとの、みちみちのことにすぐれたるかぎりをととのへさせたまへり。くははりたるふたりなん、このゑづかさなだかかぎりをしたりける。
352.4.3262223 御神楽(みかぐら)(かた)には、いと(おほ)(つか)うまつれり。内裏(うち)春宮(とうぐう)(ゐん)殿上人(てんじゃうびと)方々(かたがた)()かれて、心寄(こころよ)(つか)うまつる。(かず)()らず、いろいろに()くしたる上達部(かんだちめ)御馬(おほんむま)(くら)馬副(むまぞひ)随身(ずいじん)小舎人童(こどねりわらは)次々(つぎつぎ)舎人(とねり)などまで、(ととの)(かざ)りたる見物(みもの)、またなきさまなり。 みかぐらかたには、いとおほつかうまつれり。うちとうぐうゐんてんじゃうびとかたがたかれて、こころよつかうまつる。かずらず、いろいろにくしたるかんだちめおほんむまくらむまぞひずいじんこどねりわらはつぎつぎとねりなどまで、ととのかざりたるみもの、またなきさまなり。
352.4.4263224 女御殿(にょうごどの)(たい)(うへ)は、(ひと)つに(たてまつ)りたり。(つぎ)御車(みくるま)には、明石(あかし)御方(おほんかた)尼君忍(あまぎみしの)びて()りたまへり。女御(にょうご)御乳母(おほんめのと)心知(こころし)りにて()りたり。方々(かたがた)のひとだまひ、(うへ)御方(おほんかた)(いつ)つ、女御殿(にょうごどの)(いつ)つ、明石(あかし)(おほん)あかれの()つ、()もあやに(かざ)りたる装束(さうぞく)、ありさま、()へばさらなり。さるは、 にょうごどのたいうへは、ひとつにたてまつりたり。つぎみくるまには、あかしおほんかたあまぎみしのびてりたまへり。にょうごおほんめのとこころしりにてりたり。かたがたのひとだまひ、うへおほんかたいつつ、にょうごどのいつつ、あかしおほんあかれのつ、もあやにかざりたるさうぞく、ありさま、へばさらなり。さるは、
352.4.5264225 尼君(あまぎみ)をば、(おな)じくは、(おい)(なみ)皺延(しはの)ぶばかりに、(ひと)めかしくて(まう)でさせむ」 "あまぎみをば、おなじくは、おいなみしはのぶばかりに、ひとめかしくてまうでさせん。"
352.4.6265226 と、(ゐん)はのたまひけれど、 と、ゐんはのたまひけれど、
352.4.7266227 「このたびは、かくおほかたの(ひび)きに()()じらむもかたはらいたし。もし(おも)ふやうならむ()(なか)()()でたらば」 "このたびは、かくおほかたのひびきにじらんもかたはらいたし。もしおもふやうならんなかでたらば。"
352.4.8267228 と、御方(おほんかた)はしづめたまひけるを、(のこ)りの(いのち)うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、(した)(まゐ)りたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかく(にほ)ひたまふ御身(おほんみ)どもよりも、いみじかりける(ちぎ)り、あらはに(おも)()らるる(ひと)()ありさまなり。 と、おほんかたはしづめたまひけるを、のこりのいのちうしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、したまゐりたまふなりけり。さるべきにて、もとよりかくにほひたまふおほんみどもよりも、いみじかりけるちぎり、あらはにおもらるるひとありさまなり。
352.5268229第五段 住吉社頭の東遊び
352.5.1269230 十月中(じふがつなか)十日(とをか)なれば、(かみ)斎垣(いがき)にはふ(くず)色変(いろか)はりて、(まつ)下紅葉(したもみぢ)など、(おと)にのみ(あき)()かぬ(かほ)なり。ことことしき高麗(こま)唐土(もろこし)(がく)よりも、東遊(あづまあそび)耳馴(みみな)れたるは、なつかしくおもしろく、波風(なみかぜ)(こゑ)(ひび)きあひて、さる木高(こだか)松風(まつかぜ)()()てたる(ふえ)()も、ほかにて()調(しら)べには()はりて()にしみ、御琴(おほんこと)()()はせたる拍子(ひゃうし)も、(つづみ)(はな)れて調(ととの)へとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、(ところ)からは、まして()こえけり。 じふがつなかとをかなれば、かみいがきにはふくずいろかはりて、まつしたもみぢなど、おとにのみあきかぬかほなり。ことことしきこまもろこしがくよりも、あづまあそびみみなれたるは、なつかしくおもしろく、なみかぜこゑひびきあひて、さるこだかまつかぜてたるふえも、ほかにてしらべにははりてにしみ、おほんことはせたるひゃうしも、つづみはなれてととのへとりたるかた、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、ところからは、ましてこえけり。
352.5.2270231 山藍(やまあゐ)()れる(たけ)(ふし)は、(まつ)(みどり)()えまがひ、插頭(かざし)色々(いろいろ)は、(あき)(くさ)(こと)なるけぢめ()かれで、(なに)ごとにも()のみまがひいろふ。 やまあゐれるたけふしは、まつみどりえまがひ、かざしいろいろは、あきくさことなるけぢめかれで、なにごとにものみまがひいろふ。
352.5.3271232 求子(もとめご)()つる(すゑ)に、(わか)やかなる上達部(かんだちめ)は、(かた)ぬぎて()りたまふ。(にほ)ひもなく(くろ)(うへのきぬ)に、蘇芳襲(すはうがさね)の、葡萄染(えびぞめ)(そで)を、にはかに()きほころばしたるに、紅深(くれなゐふか)(あこめ)(たもと)の、うちしぐれたるにけしきばかり()れたる、松原(まつばら)をば(わす)れて、紅葉(もみぢ)()るに(おも)ひわたさる。 もとめごつるすゑに、わかやかなるかんだちめは、かたぬぎてりたまふ。にほひもなくくろうへのきぬに、すはうがさねの、えびぞめそでを、にはかにきほころばしたるに、くれなゐふかあこめたもとの、うちしぐれたるにけしきばかりれたる、まつばらをばわすれて、もみぢるにおもひわたさる。
352.5.4272233 ()るかひ(おほ)かる姿(すがた)どもに、いと(しろ)()れたる(をぎ)を、(たか)やかにかざして、ただ一返(ひとかへ)()ひて()りぬるは、いとおもしろく()かずぞありける。 るかひおほかるすがたどもに、いとしろれたるをぎを、たかやかにかざして、ただひとかへひてりぬるは、いとおもしろくかずぞありける。
352.6273234第六段 源氏、往時を回想
352.6.1274235 大殿(おとど)(むかし)のこと(おぼ)()でられ、(なか)ごろ(しづ)みたまひし()のありさまも、()(まへ)のやうに(おぼ)さるるに、その()のこと、うち(みだ)(かた)りたまふべき(ひと)もなければ、致仕(ちじ)大臣(おとど)をぞ、(こひ)しく(おも)ひきこえたまひける。 おとどむかしのことおぼでられ、なかごろしづみたまひしのありさまも、まへのやうにおぼさるるに、そののこと、うちみだかたりたまふべきひともなければ、ちじおとどをぞ、こひしくおもひきこえたまひける。
352.6.2275236 ()りたまひて、()(くるま)(しの)びて、 りたまひて、くるましのびて、
352.6.3276237 ()れかまた(こころ)()りて住吉(すみよし)の<BR/>神代(かみよ)()たる(まつ)にこと()ふ」 "〔れかまたこころりてすみよしの<BR/>かみよたるまつにことふ〕
352.6.4277238 御畳紙(おほんたたんがみ)()きたまへり。尼君(あまぎみ)うちしほたる。かかる()()るにつけても、かの(うら)にて、(いま)はと(わか)れたまひしほど、女御(にょうご)(きみ)のおはせしありさまなど(おも)()づるも、いとかたじけなかりける()宿世(すくせ)のほどを(おも)ふ。()(そむ)きたまひし(ひと)(こひ)しく、さまざまにもの(がな)しきを、かつはゆゆしと言忌(こといみ)して、 おほんたたんがみきたまへり。あまぎみうちしほたる。かかるるにつけても、かのうらにて、いまはとわかれたまひしほど、にょうごきみのおはせしありさまなどおもづるも、いとかたじけなかりけるすくせのほどをおもふ。そむきたまひしひとこひしく、さまざまにものがなしきを、かつはゆゆしとこといみして、
352.6.5278239 (すみ)()をいけるかひある(なぎさ)とは<BR/>年経(としふ)(あま)今日(けふ)()るらむ」 "〔すみをいけるかひあるなぎさとは<BR/>としふあまけふるらん〕
352.6.6279240 (おそ)くは便(びん)なからむと、ただうち(おも)ひけるままなりけり。 おそくはびんなからんと、ただうちおもひけるままなりけり。
352.6.7280241 (むかし)こそまづ(わす)られね住吉(すみよし)の<BR/>(かみ)のしるしを()るにつけても」 "〔むかしこそまづわすられねすみよしの<BR/>かみのしるしをるにつけても〕
352.6.8281242 (ひと)りごちけり。 ひとりごちけり。
352.7282243第七段 終夜、神楽を奏す
352.7.1283244 夜一夜遊(よひとよあそ)()かしたまふ。二十日(はつか)(つき)はるかに()みて、(うみ)(おもて)おもしろく()えわたるに、(しも)のいとこちたく()きて、松原(まつばら)(いろ)まがひて、よろづのことそぞろ(さむ)く、おもしろさもあはれさも()()ひたり。 よひとよあそかしたまふ。はつかつきはるかにみて、うみおもておもしろくえわたるに、しものいとこちたくきて、まつばらいろまがひて、よろづのことそぞろさむく、おもしろさもあはれさもひたり。
352.7.2284246 (たい)(うへ)(つね)垣根(かきね)のうちながら、時々(ときどき)につけてこそ、(きょう)ある朝夕(あさゆふ)(あそ)びに、耳古(みみふ)目馴(めな)れたまひけれ、御門(みかど)より()物見(ものみ)、をさをさしたまはず、ましてかく(みやこ)のほかのありきは、まだ()らひたまはねば、(めづら)しくをかしく(おぼ)さる。 たいうへつねかきねのうちながら、ときどきにつけてこそ、きょうあるあさゆふあそびに、みみふめなれたまひけれ、みかどよりものみ、をさをさしたまはず、ましてかくみやこのほかのありきは、まだらひたまはねば、めづらしくをかしくおぼさる。
352.7.3285247 (すみ)()(まつ)夜深(よぶか)()(しも)は<BR/>(かみ)()けたる木綿鬘(ゆふかづら)かも」 "〔すみまつよぶかしもは<BR/>かみけたるゆふかづらかも〕
352.7.4286248 (たかむら)朝臣(あそん)の、「比良(ひら)(やま)さへ」と()ひける(ゆき)(あした)(おぼ)しやれば、(まつり)(こころ)うけたまふしるしにやと、いよいよ(たの)もしくなむ。女御(にょうご)(きみ) たかむらあそんの、"ひらやまさへ〕とひけるゆきあしたおぼしやれば、まつりこころうけたまふしるしにやと、いよいよたのもしくなん。にょうごきみ
352.7.5287249 神人(かみびと)()()りもたる榊葉(さかきば)に<BR/>木綿(ゆふ)かけ()ふる(ふか)()(しも) "〔かみびとりもたるさかきばに<BR/>ゆふかけふるふかしも〕"
352.7.6288250 中務(なかつかさ)(きみ) なかつかさきみ
352.7.7289251 祝子(はふりこ)木綿(ゆふ)うちまがひ()(しも)は<BR/>げにいちじるき(かみ)のしるしか」 "〔はふりこゆふうちまがひしもは<BR/>げにいちじるきかみのしるしか〕
352.7.8290252 次々数知(つぎつぎかずし)らず(おほ)かりけるを、(なに)せむにかは()きおかむ。かかるをりふしの(うた)は、(れい)上手(じゃうず)めきたまふ(をとこ)たちも、なかなか()()えして、(まつ)千歳(ちとせ)より(はな)れて、(いま)めかしきことなければ、うるさくてなむ。 つぎつぎかずしらずおほかりけるを、なにせんにかはきおかん。かかるをりふしのうたは、れいじゃうずめきたまふをとこたちも、なかなかえして、まつちとせよりはなれて、いまめかしきことなければ、うるさくてなん。
352.8291253第八段 明石一族の幸い
352.8.1292254 ほのぼのと()けゆくに、(しも)はいよいよ(ふか)くて、本末(もとすゑ)もたどたどしきまで、()()ぎにたる神楽(かぐら)おもてどもの、おのが(かほ)をば()らで、おもしろきことに(こころ)はしみて、庭燎(にはび)(かげ)しめりたるに、なほ、「万歳(まんざい)万歳(まんざい)」と、榊葉(さかきば)()(かへ)しつつ、(いは)ひきこゆる御世(みよ)(すゑ)(おも)ひやるぞいとどしきや。 ほのぼのとけゆくに、しもはいよいよふかくて、もとすゑもたどたどしきまで、ぎにたるかぐらおもてどもの、おのがかほをばらで、おもしろきことにこころはしみて、にはびかげしめりたるに、なほ、"まんざいまんざい"と、さかきばかへしつつ、いはひきこゆるみよすゑおもひやるぞいとどしきや。
352.8.2293255 よろづのこと()かずおもしろきままに、千夜(ちよ)一夜(ひとよ)になさまほしき()の、(なに)にもあらで()けぬれば、(かへ)(なみ)にきほふも口惜(くちを)しく、(わか)(ひと)びと(おも)ふ。 よろづのことかずおもしろきままに、ちよひとよになさまほしきの、なににもあらでけぬれば、かへなみにきほふもくちをしく、わかひとびとおもふ。
352.8.3294256 松原(まつばら)に、はるばると()(つづ)けたる御車(みくるま)どもの、(かぜ)にうちなびく下簾(したすだれ)隙々(ひまひま)も、常磐(ときは)(かげ)に、(はな)(にしき)()(くは)へたると()ゆるに、(うへのきぬ)色々(いろいろ)けぢめおきて、をかしき懸盤取(かけばんと)(つづ)きて、もの(まゐ)りわたすをぞ、下人(しもびと)などは()につきて、めでたしとは(おも)へる。 まつばらに、はるばるとつづけたるみくるまどもの、かぜにうちなびくしたすだれひまひまも、ときはかげに、はなにしきくはへたるとゆるに、うへのきぬいろいろけぢめおきて、をかしきかけばんとつづきて、ものまゐりわたすをぞ、しもびとなどはにつきて、めでたしとはおもへる。
352.8.4295257 尼君(あまぎみ)御前(おまへ)にも、浅香(せんかう)折敷(をしき)に、青鈍(あをにび)表折(おもてを)りて、精進物(さうじんもの)(まゐ)るとて、「めざましき(をんな)宿世(すくせ)かな」と、おのがじしはしりうごちけり。 あまぎみおまへにも、せんかうをしきに、あをにびおもてをりて、さうじんものまゐるとて、"めざましきをんなすくせかな。"と、おのがじしはしりうごちけり。
352.8.5296258 (まう)でたまひし(みち)は、ことことしくて、わづらはしき神宝(かんだから)、さまざまに所狭(ところせ)げなりしを、(かへ)さはよろづの逍遥(せうえう)()くしたまふ。()(つづ)くるもうるさく、むつかしきことどもなれば。 まうでたまひしみちは、ことことしくて、わづらはしきかんだから、さまざまにところせげなりしを、かへさはよろづのせうえうくしたまふ。つづくるもうるさく、むつかしきことどもなれば。
352.8.6297259 かかる(おほん)ありさまをも、かの入道(にふだう)の、()かず()()にかけ(はな)れたうべるのみなむ、()かざりける。(かた)きことなりかし、()じらはましも見苦(みぐる)しくや。()(なか)(ひと)、これを(ためし)にて、心高(こころたか)くなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、()言種(ことぐさ)にて、「明石(あかし)尼君(あまぎみ)」とぞ、(さいは)(びと)()ひける。かの致仕(ちじ)大殿(おほとの)近江(あふみ)(きみ)は、双六打(すぐろくう)(とき)言葉(ことば)にも、「明石(あかし)尼君(あまぎみ)明石(あかし)尼君(あまぎみ)」とぞ、(さい)()ひける。 かかるおほんありさまをも、かのにふだうの、かずにかけはなれたうべるのみなん、かざりける。かたきことなりかし、じらはましもみぐるしくや。なかひと、これをためしにて、こころたかくなりぬべきころなめり。よろづのことにつけて、めであさみ、ことぐさにて、"あかしあまぎみ"とぞ、さいはびとひける。かのちじおほとのあふみきみは、すぐろくうときことばにも、"あかしあまぎみあかしあまぎみ。"とぞ、さいひける。
353298260第三章 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画
353.1299261第一段 女三の宮と紫の上
353.1.1300262 入道(にふだう)(みかど)は、御行(おほんおこ)なひをいみじくしたまひて、内裏(うち)(おほん)ことをも()()れたまはず。春秋(しゅんじう)行幸(ぎゃうがう)になむ、昔思(むかしおも)()でられたまふこともまじりける。姫宮(ひめみや)(おほん)ことをのみぞ、なほえ(おぼ)(はな)たで、この(ゐん)をば、なほおほかたの御後見(おほんうしろみ)(おも)ひきこえたまひて、うちうちの御心寄(みこころよ)せあるべく(そう)せさせたまふ。二品(にほん)になりたまひて、御封(みふ)などまさる。いよいよはなやかに御勢(おほんいきほ)()ふ。 にふだうみかどは、おほんおこなひをいみじくしたまひて、うちおほんことをもれたまはず。しゅんじうぎゃうがうになん、むかしおもでられたまふこともまじりける。ひめみやおほんことをのみぞ、なほえおぼはなたで、このゐんをば、なほおほかたのおほんうしろみおもひきこえたまひて、うちうちのみこころよせあるべくそうせさせたまふ。にほんになりたまひて、みふなどまさる。いよいよはなやかにおほんいきほふ。
353.1.2301263 (たい)(うへ)、かく年月(としつき)()へて、かたがたにまさりたまふ(おほん)おぼえに、 たいうへ、かくとしつきへて、かたがたにまさりたまふおほんおぼえに、
353.1.3302264 「わが()はただ一所(ひとところ)(おほん)もてなしに、(ひと)には(おと)らねど、あまり年積(としつ)もりなば、その御心(みこころ)ばへもつひに(おとろ)へなむ。さらむ()見果(みは)てぬさきに、(こころ)(そむ)きにしがな」 "わがはただひとところおほんもてなしに、ひとにはおとらねど、あまりとしつもりなば、そのみこころばへもつひにおとろへなん。さらんみはてぬさきに、こころそむきにしがな。"
353.1.4303265 と、たゆみなく(おぼ)しわたれど、さかしきやうにや(おぼ)さむとつつまれて、はかばかしくもえ()こえたまはず。内裏(うち)(みかど)さへ、御心寄(みこころよ)せことに()こえたまへば、おろかに()かれたてまつらむもいとほしくて、(わた)りたまふこと、やうやう(ひと)しきやうになりゆく。 と、たゆみなくおぼしわたれど、さかしきやうにやおぼさんとつつまれて、はかばかしくもえこえたまはず。うちみかどさへ、みこころよせことにこえたまへば、おろかにかれたてまつらんもいとほしくて、わたりたまふこと、やうやうひとしきやうになりゆく。
353.1.5304266 さるべきこと、ことわりとは(おも)ひながら、さればよとのみ、やすからず(おぼ)されけれど、なほつれなく(おな)じさまにて()ぐしたまふ。春宮(とうぐう)(おほん)さしつぎの女一(をんないち)(みや)を、こなたに()()きてかしづきたてまつりたまふ。その御扱(おほんあつか)ひになむ、つれづれなる御夜(おほんよ)がれのほども(なぐさ)めたまひける。いづれも()かず、うつくしくかなしと(おも)ひきこえたまへり。 さるべきこと、ことわりとはおもひながら、さればよとのみ、やすからずおぼされけれど、なほつれなくおなじさまにてぐしたまふ。とうぐうおほんさしつぎのをんないちみやを、こなたにきてかしづきたてまつりたまふ。そのおほんあつかひになん、つれづれなるおほんよがれのほどもなぐさめたまひける。いづれもかず、うつくしくかなしとおもひきこえたまへり。
353.2305267第二段 花散里と玉鬘
353.2.1306268 (なつ)御方(おほんかた)は、かくとりどりなる御孫扱(おほんむまごあつか)ひをうらやみて、大将(だいしゃう)(きみ)典侍腹(ないしのすけばら)(きみ)を、(せち)(むか)へてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、(こころ)ばへも、ほどよりはされおよすけたれば、大殿(おとど)(きみ)もらうたがりたまふ。(すく)なき御嗣(おほんつぎ)(おぼ)ししかど、(すゑ)(ひろ)ごりて、こなたかなたいと(おほ)くなり()ひたまふを、(いま)はただ、これをうつくしみ(あつか)ひたまひてぞ、つれづれも(なぐさ)めたまひける。 なつおほんかたは、かくとりどりなるおほんむまごあつかひをうらやみて、だいしゃうきみないしのすけばらきみを、せちむかへてぞかしづきたまふ。いとをかしげにて、こころばへも、ほどよりはされおよすけたれば、おとどきみもらうたがりたまふ。すくなきおほんつぎおぼししかど、すゑひろごりて、こなたかなたいとおほくなりひたまふを、いまはただ、これをうつくしみあつかひたまひてぞ、つれづれもなぐさめたまひける。
353.2.2307269 (みぎ)大殿(おほとの)(まゐ)(つか)うまつりたまふこと、いにしへよりもまさりて(した)しく、(いま)(きた)(かた)もおとなび()てて、かの(むかし)のかけかけしき筋思(すぢおも)(はな)れたまふにや、さるべき(をり)(わた)りまうでたまふ。(たい)(うへ)にも御対面(おほんたいめん)ありて、あらまほしく()こえ()はしたまひけり。 みぎおほとのまゐつかうまつりたまふこと、いにしへよりもまさりてしたしく、いまきたかたもおとなびてて、かのむかしのかけかけしきすぢおもはなれたまふにや、さるべきをりわたりまうでたまふ。たいうへにもおほんたいめんありて、あらまほしくこえはしたまひけり。
353.2.3308270 姫宮(ひめみや)のみぞ、(おな)じさまに(わか)くおほどきておはします。女御(にょうご)(きみ)は、(いま)(おほやけ)ざまに(おも)(はな)ちきこえたまひて、この(みや)をばいと心苦(こころぐる)しく、(をさな)からむ御女(おほんむすめ)のやうに、(おも)ひはぐくみたてまつりたまふ。 ひめみやのみぞ、おなじさまにわかくおほどきておはします。にょうごきみは、いまおほやけざまにおもはなちきこえたまひて、このみやをばいとこころぐるしく、をさなからんおほんむすめのやうに、おもひはぐくみたてまつりたまふ。
353.3309271第三段 朱雀院の五十の賀の計画
353.3.1310272 朱雀院(すざくゐん)の、 すざくゐんの、
353.3.2311273 (いま)はむげに世近(よちか)くなりぬる心地(ここち)して、もの心細(こころぼそ)きを、さらにこの()のこと(かへり)みじと(おも)()つれど、対面(たいめん)なむ今一度(いまひとたび)あらまほしきを、もし(うら)(のこ)りもこそすれ、ことことしきさまならで(わた)りたまふべく」 "いまはむげによちかくなりぬるここちして、ものこころぼそきを、さらにこののことかへりみじとおもつれど、たいめんなんいまひとたびあらまほしきを、もしうらのこりもこそすれ、ことことしきさまならでわたりたまふべく。"
353.3.3312274 ()こえたまひければ、大殿(おとど)も、 こえたまひければ、おとども、
353.3.4313275 「げに、さるべきことなり。かかる()けしきなからむにてだに、(すす)(まゐ)りたまふべきを。まして、かう()ちきこえたまひけるが、心苦(こころぐる)しきこと」 "げに、さるべきことなり。かかるけしきなからんにてだに、すすまゐりたまふべきを。まして、かうちきこえたまひけるが、こころぐるしきこと。"
353.3.5314276 と、(まゐ)りたまふべきこと(おぼ)しまうく。 と、まゐりたまふべきことおぼしまうく。
353.3.6315277 「ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひ(わた)りたまふべき。(なに)わざをしてか、御覧(ごらん)ぜさせたまふべき」 "ついでなく、すさまじきさまにてやは、はひわたりたまふべき。なにわざをしてか、ごらんぜさせたまふべき。"
353.3.7316278 と、(おぼ)しめぐらす。 と、おぼしめぐらす。
353.3.8317279 「このたび()りたまはむ(とし)若菜(わかな)など調(てう)じてや」と、(おぼ)して、さまざまの御法服(おほんほふぶく)のこと、(いもひ)(おほん)まうけのしつらひ、(なに)くれとさまことに()はれることどもなれば、(ひと)御心(みこころ)しつらひども()りつつ、(おぼ)しめぐらす。 "このたびりたまはんとしわかななどてうじてや。"と、おぼして、さまざまのおほんほふぶくのこと、いもひおほんまうけのしつらひ、なにくれとさまことにはれることどもなれば、ひとみこころしつらひどもりつつ、おぼしめぐらす。
353.3.9318280 いにしへも、(あそ)びの(かた)御心(みこころ)とどめさせたまへりしかば、舞人(まひびと)楽人(がくにん)などを、(こころ)ことに(さだ)め、すぐれたる(かぎ)りをととのへさせたまふ。(みぎ)大殿(おほとの)御子(みこ)ども二人(ふたり)大将(だいしゃう)御子(みこ)典侍(ないしのすけ)(はら)(くは)へて三人(さんにん)、まだ(ちひ)さき(なな)つより(かみ)のは、皆殿上(みなてんじゃう)せさせたまふ。兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)童孫王(わらはそんわう)、すべてさるべき(みや)たちの御子(おほんこ)ども、(いへ)()(きみ)たち、皆選(みなえら)()でたまふ。 いにしへも、あそびのかたみこころとどめさせたまへりしかば、まひびとがくにんなどを、こころことにさだめ、すぐれたるかぎりをととのへさせたまふ。みぎおほとのみこどもふたりだいしゃうみこないしのすけはらくはへてさんにん、まだちひさきななつよりかみのは、みなてんじゃうせさせたまふ。ひゃうぶきゃうのみやわらはそんわう、すべてさるべきみやたちのおほんこども、いへきみたち、みなえらでたまふ。
353.3.10319281 殿上(てんじゃう)君達(きみたち)も、容貌(かたち)よく、(おな)じき(まひ)姿(すがた)も、(こころ)ことなるべきを(さだ)めて、あまたの(まひ)のまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、皆人心(みなひとこころ)()くしたまひてなむ。道々(みちみち)のものの()上手(じゃうず)(いとま)なきころなり。 てんじゃうきみたちも、かたちよく、おなじきまひすがたも、こころことなるべきをさだめて、あまたのまひのまうけをせさせたまふ。いみじかるべきたびのこととて、みなひとこころくしたまひてなん。みちみちのもののじゃうずいとまなきころなり。
353.4320282第四段 女三の宮に琴を伝授
353.4.1321283 (みや)は、もとより(きん)御琴(おほんこと)をなむ(なら)ひたまひけるを、いと(わか)くて(ゐん)にもひき(わか)れたてまつりたまひしかば、おぼつかなく(おぼ)して、 みやは、もとよりきんおほんことをなんならひたまひけるを、いとわかくてゐんにもひきわかれたてまつりたまひしかば、おぼつかなくおぼして、
353.4.2322284 (まゐ)りたまはむついでに、かの御琴(おほんこと)()なむ()かまほしき。さりとも(きん)ばかりは()()りたまひつらむ」 "まゐりたまはんついでに、かのおほんことなんかまほしき。さりともきんばかりはりたまひつらん。"
353.4.3323285 と、しりうごとに()こえたまひけるを、内裏(うち)にも()こし()して、 と、しりうごとにこえたまひけるを、うちにもこしして、
353.4.4324286 「げに、さりとも、けはひことならむかし。(ゐん)御前(おまへ)にて、手尽(てつ)くしたまはむついでに、(まゐ)()()かばや」 "げに、さりとも、けはひことならんかし。ゐんおまへにて、てつくしたまはんついでに、まゐかばや。"
353.4.5325287 などのたまはせけるを、大殿(おとど)(きみ)(つた)()きたまひて、 などのたまはせけるを、おとどきみつたきたまひて、
353.4.6326288 (とし)ごろさりぬべきついでごとには、(をし)へきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、まだ()こし()しどころあるもの(ふか)()には(およ)ばぬを、何心(なにごころ)もなくて(まゐ)りたまへらむついでに、()こし()さむとゆるしなくゆかしがらせたまはむは、いとはしたなかるべきことにも」 "としごろさりぬべきついでごとには、をしへきこゆることもあるを、そのけはひは、げにまさりたまひにたれど、まだこししどころあるものふかにはおよばぬを、なにごころもなくてまゐりたまへらんついでに、こしさんとゆるしなくゆかしがらせたまはんは、いとはしたなかるべきことにも。"
353.4.7327289 と、いとほしく(おぼ)して、このころぞ御心(みこころ)とどめて(をし)へきこえたまふ。 と、いとほしくおぼして、このころぞみこころとどめてをしへきこえたまふ。
353.4.8328290 調(しら)べことなる()(ふた)()つ、おもしろき大曲(だいごく)どもの、四季(しき)につけて()はるべき(ひび)き、(そら)(さむ)さぬるさをととのへ()でて、やむごとなかるべき()(かぎ)りを、()()てて(をし)へきこえたまふに、(こころ)もとなくおはするやうなれど、やうやう心得(こころえ)たまふままに、いとよくなりたまふ。 しらべことなるふたつ、おもしろきだいごくどもの、しきにつけてはるべきひびき、そらさむさぬるさをととのへでて、やんごとなかるべきかぎりを、ててをしへきこえたまふに、こころもとなくおはするやうなれど、やうやうこころえたまふままに、いとよくなりたまふ。
353.4.9329291 (ひる)は、いと(ひと)しげく、なほ一度(ひとたび)()(あん)ずる(いとま)も、(こころ)あわたたしければ、夜々(よるよる)なむ、(しづ)かにことの(こころ)もしめたてまつるべき」 "ひるは、いとひとしげく、なほひとたびあんずるいとまも、こころあわたたしければ、よるよるなん、しづかにことのこころもしめたてまつるべき。"
353.4.10330292 とて、(たい)にも、そのころは御暇聞(おほんいとまき)こえたまひて、()()(をし)へきこえたまふ。 とて、たいにも、そのころはおほんいとまきこえたまひて、をしへきこえたまふ。
353.5331293第五段 明石女御、懐妊して里下り
353.5.1332294 女御(にょうご)(きみ)にも、(たい)(うへ)にも、(きん)(なら)はしたてまつりたまはざりければ、この(をり)、をさをさ耳馴(みみな)れぬ()ども()きたまふらむを、ゆかしと(おぼ)して、女御(にょうご)も、わざとありがたき御暇(おほんいとま)を、ただしばしと()こえたまひてまかでたまへり。 にょうごきみにも、たいうへにも、きんならはしたてまつりたまはざりければ、このをり、をさをさみみなれぬどもきたまふらんを、ゆかしとおぼして、にょうごも、わざとありがたきおほんいとまを、ただしばしとこえたまひてまかでたまへり。
353.5.2333295 御子二所(みこふたところ)おはするを、またもけしきばみたまひて、五月(いつつき)ばかりにぞなりたまへれば、神事(かみわざ)などにことづけておはしますなりけり。十一日過(じふいちにちす)ぐしては、(まゐ)りたまふべき御消息(おほんせうそこ)うちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろき夜々(よるよる)御遊(おほんあそ)びをうらやましく、「などて(われ)(つた)へたまはざりけむ」と、つらく(おも)ひきこえたまふ。 みこふたところおはするを、またもけしきばみたまひて、いつつきばかりにぞなりたまへれば、かみわざなどにことづけておはしますなりけり。じふいちにちすぐしては、まゐりたまふべきおほんせうそこうちしきりあれど、かかるついでに、かくおもしろきよるよるおほんあそびをうらやましく、"などてわれつたへたまはざりけん。"と、つらくおもひきこえたまふ。
353.5.3334296 (ふゆ)()(つき)は、(ひと)(たが)ひてめでたまふ御心(みこころ)なれば、おもしろき()(ゆき)(ひかり)に、(をり)()ひたる()ども()きたまひつつ、さぶらふ(ひと)びとも、すこしこの(かた)にほのめきたるに、御琴(おほんこと)どもとりどりに()かせて、(あそ)びなどしたまふ。 ふゆつきは、ひとたがひてめでたまふみこころなれば、おもしろきゆきひかりに、をりひたるどもきたまひつつ、さぶらふひとびとも、すこしこのかたにほのめきたるに、おほんことどもとりどりにかせて、あそびなどしたまふ。
353.5.4335297 (とし)()れつ(かた)は、(たい)などにはいそがしく、こなたかなたの(おほん)いとなみに、おのづから御覧(ごらん)()るることどもあれば、 としれつかたは、たいなどにはいそがしく、こなたかなたのおほんいとなみに、おのづからごらんるることどもあれば、
353.5.5336298 (はる)のうららかならむ(ゆふ)べなどに、いかでこの御琴(おほんこと)音聞(ねき)かむ」 "はるのうららかならんゆふべなどに、いかでこのおほんことねきかん。"
353.5.6337299 とのたまひわたるに、年返(としかへ)りぬ。 とのたまひわたるに、としかへりぬ。
353.6338300第六段 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定
353.6.1339301 (ゐん)御賀(おほんが)、まづ朝廷(おほやけ)よりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひては便(びん)なく(おぼ)されて、すこしほど()ごしたまふ。二月十余日(にがわつじふよにち)(さだ)めたまひて、楽人(がくにん)舞人(まひびと)など(まゐ)りつつ、御遊(おほんあそ)()えず。 ゐんおほんが、まづおほやけよりせさせたまふことどもこちたきに、さしあひてはびんなくおぼされて、すこしほどごしたまふ。にがわつじふよにちさだめたまひて、がくにんまひびとなどまゐりつつ、おほんあそえず。
353.6.2340302 「この(たい)に、(つね)にゆかしくする御琴(おほんこと)()、いかでかの(ひと)びとの(さう)琵琶(びは)()()はせて、女楽試(をんながくこころ)みさせむ。ただ(いま)のものの上手(じゃうず)どもこそ、さらにこのわたりの(ひと)びとの御心(みこころ)しらひどもにまさらね。 "このたいに、つねにゆかしくするおほんこと、いかでかのひとびとのさうびははせて、をんながくこころみさせん。ただいまのもののじゃうずどもこそ、さらにこのわたりのひとびとのみこころしらひどもにまさらね。
353.6.3341303 はかばかしく(つた)()りたることは、をさをさなけれど、(なに)ごとも、いかで(こころ)()らぬことあらじとなむ、(をさな)きほどに(おも)ひしかば、()にあるものの()といふ(かぎ)り、また(たか)家々(いへいへ)の、さるべき(ひと)(つた)へどもをも、(のこ)さず(こころ)みし(なか)に、いと(ふか)()づかしきかなとおぼゆる(きは)(ひと)なむなかりし。 はかばかしくつたりたることは、をさをさなけれど、なにごとも、いかでこころらぬことあらじとなん、をさなきほどにおもひしかば、にあるもののといふかぎり、またたかいへいへの、さるべきひとつたへどもをも、のこさずこころみしなかに、いとふかづかしきかなとおぼゆるきはひとなんなかりし。
353.6.4342304 そのかみよりも、またこのころの(わか)(ひと)びとの、されよしめき()ぐすに、はた(あさ)くなりにたるべし。(きん)はた、まして、さらに、まねぶ(ひと)なくなりにたりとか。この御琴(おほんこと)()ばかりだに(つた)へたる(ひと)、をさをさあらじ」 そのかみよりも、またこのころのわかひとびとの、されよしめきぐすに、はたあさくなりにたるべし。きんはた、まして、さらに、まねぶひとなくなりにたりとか。このおほんことばかりだにつたへたるひと、をさをさあらじ。"
353.6.5343305 とのたまへば、何心(なにごころ)なくうち()みて、うれしく、「かくゆるしたまふほどになりにける」と(おぼ)す。 とのたまへば、なにごころなくうちみて、うれしく、"かくゆるしたまふほどになりにける。"とおぼす。
353.6.6344306 二十一(にじふいち)()ばかりになりたまへど、なほいといみじく(かた)なりに、きびはなる心地(ここち)して、(ほそ)くあえかにうつくしくのみ()えたまふ。 にじふいちばかりになりたまへど、なほいといみじくかたなりに、きびはなるここちして、ほそくあえかにうつくしくのみえたまふ。
353.6.7345307 (ゐん)にも()えたてまつりたまはで、年経(としへ)ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧(ごらん)ずばかり、用意加(よういくは)へて()えたてまつりたまへ」 "ゐんにもえたてまつりたまはで、としへぬるを、ねびまさりたまひにけりとごらんずばかり、よういくはへてえたてまつりたまへ。"
353.6.8346308 と、ことに()れて(をし)へきこえたまふ。 と、ことにれてをしへきこえたまふ。
353.6.9347309 「げに、かかる御後見(おほんうしろみ)なくては、ましていはけなくおはします(おほん)ありさま、(かく)れなからまし」 "げに、かかるおほんうしろみなくては、ましていはけなくおはしますおほんありさま、かくれなからまし。"
353.6.10348310 と、(ひと)びとも()たてまつる。 と、ひとびともたてまつる。
354349311第四章 光る源氏の物語 六条院の女楽
354.1350312第一段 六条院の女楽
354.1.1351313 正月二十日(しゃうがちはつか)ばかりになれば、(そら)もをかしきほどに、(かぜ)ぬるく()きて、御前(おまへ)(むめ)(さか)りになりゆく。おほかたの(はな)()どもも、(みな)けしきばみ、(かす)みわたりにけり。 しゃうがちはつかばかりになれば、そらもをかしきほどに、かぜぬるくきて、おまへむめさかりになりゆく。おほかたのはなどもも、みなけしきばみ、かすみわたりにけり。
354.1.2352314 (つき)たたば、(おほん)いそぎ(ちか)く、もの(さわ)がしからむに、()()はせたまはむ御琴(おほんこと)()も、試楽(しがく)めきて人言(ひとい)ひなさむを、このころ(しづ)かなるほどに(こころ)みたまへ」 "つきたたば、おほんいそぎちかく、ものさわがしからんに、はせたまはんおほんことも、しがくめきてひといひなさんを、このころしづかなるほどにこころみたまへ。"
354.1.3353315 とて、寝殿(しんでん)(わた)したてまつりたまふ。 とて、しんでんわたしたてまつりたまふ。
354.1.4354316 御供(おほんとも)に、(われ)(われ)もと、ものゆかしがりて、()(のぼ)らまほしがれど、こなたに(とほ)きをば、()りとどめさせたまひて、すこしねびたれど、よしある(かぎ)()りてさぶらはせたまふ。 おほんともに、われわれもと、ものゆかしがりて、のぼらまほしがれど、こなたにとほきをば、りとどめさせたまひて、すこしねびたれど、よしあるかぎりてさぶらはせたまふ。
354.1.5355317 童女(わらはべ)は、容貌(かたち)すぐれたる四人(よたり)赤色(あかいろ)(さくら)汗衫(かざみ)薄色(うすいろ)織物(おりもの)(あこめ)浮紋(うきもん)(うへ)(はかま)(くれなゐ)()ちたる、さま、もてなしすぐれたる(かぎ)りを()したり。女御(にょうご)御方(おほんかた)にも、(おほん)しつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおの(いど)ましく、()くしたるよそほひども、(あざ)やかに()なし。 わらはべは、かたちすぐれたるよたりあかいろさくらかざみうすいろおりものあこめうきもんうへはかまくれなゐちたる、さま、もてなしすぐれたるかぎりをしたり。にょうごおほんかたにも、おほんしつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおのいどましく、くしたるよそほひども、あざやかになし。
354.1.6356318 (わらは)は、青色(あをいろ)蘇芳(すはう)汗衫(かざみ)唐綾(からあや)(うへ)(はかま)(あこめ)山吹(やまぶき)なる(から)()を、(おな)じさまに調(ととの)へたり。明石(あかし)御方(おほんかた)のは、ことことしからで、紅梅二人(こうばいふたり)桜二人(さくらふたり)青磁(あをぢ)(かぎ)りにて、衵濃(あこめこ)(うす)く、擣目(うちめ)などえならで()せたまへり。 わらはは、あをいろすはうかざみからあやうへはかまあこめやまぶきなるからを、おなじさまにととのへたり。あかしおほんかたのは、ことことしからで、こうばいふたりさくらふたりあをぢかぎりにて、あこめこうすく、うちめなどえならでせたまへり。
354.1.7357319 (みや)御方(おほんかた)にも、かく(つど)ひたまふべく()きたまひて、童女(わらはべ)姿(すがた)ばかりは、ことにつくろはせたまへり。青丹(あをに)(やなぎ)汗衫(かざみ)葡萄染(えびぞめ)(あこめ)など、ことに(この)ましくめづらしきさまにはあらねど、おほかたのけはひの、いかめしく気高(けだか)きことさへ、いと(なら)びなし。 みやおほんかたにも、かくつどひたまふべくきたまひて、わらはべすがたばかりは、ことにつくろはせたまへり。あをにやなぎかざみえびぞめあこめなど、ことにこのましくめづらしきさまにはあらねど、おほかたのけはひの、いかめしくけだかきことさへ、いとならびなし。
354.2358320第二段 孫君たちと夕霧を召す
354.2.1359321 (ひさし)(なか)御障子(みさうじ)(はな)ちて、こなたかなた御几帳(みきちゃう)ばかりをけぢめにて、(なか)()は、(ゐん)のおはしますべき御座(おまし)よそひたり。今日(けふ)拍子合(ひゃうしあ)はせには(わらは)べを()さむとて、(みぎ)大殿(おほいどの)三郎(さぶらう)尚侍(かん)(きみ)御腹(おほんはら)兄君(あにぎみ)(しゃう)(ふえ)左大将(さだいしゃう)御太郎(おほんたらう)横笛(よこぶえ)()かせて、簀子(すのこ)にさぶらはせたまふ。 ひさしなかみさうじはなちて、こなたかなたみきちゃうばかりをけぢめにて、なかは、ゐんのおはしますべきおましよそひたり。けふひゃうしあはせにはわらはべをさんとて、みぎおほいどのさぶらうかんきみおほんはらあにぎみしゃうふえさだいしゃうおほんたらうよこぶえかせて、すのこにさぶらはせたまふ。
354.2.2360322 (うち)には、御茵(おほんしとね)ども(なら)べて、御琴(おほんこと)ども(まゐ)(わた)す。()したまふ御琴(おほんこと)ども、うるはしき紺地(こんぢ)(ふくろ)どもに()れたる()()でて、明石(あかし)御方(おほんかた)琵琶(びは)(むらさき)(うへ)和琴(わごん)女御(にょうご)(きみ)(さう)御琴(おほんこと)(みや)には、かくことことしき(こと)はまだえ()きたまはずやと、あやふくて、(れい)手馴(てな)らしたまへるをぞ、調(しら)べてたてまつりたまふ。 うちには、おほんしとねどもならべて、おほんことどもまゐわたす。したまふおほんことども、うるはしきこんぢふくろどもにれたるでて、あかしおほんかたびはむらさきうへわごんにょうごきみさうおほんことみやには、かくことことしきことはまだえきたまはずやと、あやふくて、れいてならしたまへるをぞ、しらべてたてまつりたまふ。
354.2.3361323 (さう)御琴(おほんこと)は、ゆるぶとなけれど、なほ、かく(もの)()はする(をり)調(しら)べにつけて、琴柱(ことぢ)立処乱(たちどみだ)るるものなり。よくその(こころ)しらひ調(ととの)ふべきを、(をんな)はえ()りしづめじ。なほ、大将(だいしゃう)をこそ()()せつべかめれ。この笛吹(ふえふき)ども、まだいと(をさな)げにて、拍子調(ひゃうしととの)へむ(たの)(つよ)からず」 "さうおほんことは、ゆるぶとなけれど、なほ、かくものはするをりしらべにつけて、ことぢたちどみだるるものなり。よくそのこころしらひととのふべきを、をんなはえりしづめじ。なほ、だいしゃうをこそせつべかめれ。このふえふきども、まだいとをさなげにて、ひゃうしととのへんたのつよからず。"
354.2.4362324 (わら)ひたまひて、 わらひたまひて、
354.2.5363325 大将(だいしゃう)、こなたに」 "だいしゃう、こなたに。"
354.2.6364326 ()せば、御方々恥(おほんかたがたは)づかしく、(こころ)づかひしておはす。明石(あかし)(きみ)(はな)ちては、いづれも皆捨(みなす)てがたき御弟子(みでし)どもなれば、御心加(みこころくは)へて、大将(だいしゃう)()きたまはむに、(なん)なかるべくと(おぼ)す。 せば、おほんかたがたはづかしく、こころづかひしておはす。あかしきみはなちては、いづれもみなすてがたきみでしどもなれば、みこころくはへて、だいしゃうきたまはんに、なんなかるべくとおぼす。
354.2.7365327 女御(にょうご)は、(つね)(うへ)()こし()すにも、(もの)()はせつつ()きならしたまへれば、うしろやすきを、和琴(わごん)こそ、いくばくならぬ調(しら)べなれど、あと(さだ)まりたることなくて、なかなか(をんな)のたどりぬべけれ。(はる)(こと)()は、皆掻(みなか)()はするものなるを、(みだ)るるところもや」 "にょうごは、つねうへこしすにも、ものはせつつきならしたまへれば、うしろやすきを、わごんこそ、いくばくならぬしらべなれど、あとさだまりたることなくて、なかなかをんなのたどりぬべけれ。はることは、みなかはするものなるを、みだるるところもや。"
354.2.8366328 と、なまいとほしく(おぼ)す。 と、なまいとほしくおぼす。
354.3367329第三段 夕霧、箏を調絃す
354.3.1368330 大将(だいしゃう)、いといたく心懸想(こころげさう)して、御前(おまへ)のことことしく、うるはしき御試(おほんこころ)みあらむよりも、今日(けふ)(こころ)づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣(おほんなほし)(かう)にしみたる御衣(おほんぞ)ども、(そで)いたくたきしめて、()きつくろひて(まゐ)りたまふほど、()()てにけり。 だいしゃう、いといたくこころげさうして、おまへのことことしく、うるはしきおほんこころみあらんよりも、けふこころづかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなるおほんなほしかうにしみたるおほんぞども、そでいたくたきしめて、きつくろひてまゐりたまふほど、てにけり。
354.3.2369331 ゆゑあるたそかれ(どき)(そら)に、(はな)去年(こぞ)古雪思(ふるゆきおも)()でられて、(えだ)もたわむばかり()(みだ)れたり。ゆるるかにうち()(かぜ)に、えならず(にほ)ひたる御簾(みす)(うち)(かを)りも()()はせて、鴬誘(うぐひすさそ)ふつまにしつべく、いみじき御殿(おとど)のあたりの(にほ)ひなり。御簾(みす)(した)より、(さう)御琴(おほんこと)のすそ、すこしさし()でて、 ゆゑあるたそかれどきそらに、はなこぞふるゆきおもでられて、えだもたわむばかりみだれたり。ゆるるかにうちかぜに、えならずにほひたるみすうちかをりもはせて、うぐひすさそふつまにしつべく、いみじきおとどのあたりのにほひなり。みすしたより、さうおほんことのすそ、すこしさしでて、
354.3.3370332 軽々(かるがる)しきやうなれど、これが緒調(をととの)へて、調(しら)(こころ)みたまへ。ここにまた(うと)(ひと)()るべきやうもなきを」 "かるがるしきやうなれど、これがをととのへて、しらこころみたまへ。ここにまたうとひとるべきやうもなきを。"
354.3.4371333 とのたまへば、うちかしこまりて(たま)はりたまふほど、用意多(よういおほ)くめやすくて、「壱越調(いちこちでう)」の(こゑ)(はち)()()てて、ふとも調(しら)べやらでさぶらひたまへば、 とのたまへば、うちかしこまりてたまはりたまふほど、よういおほくめやすくて、〔いちこちでう〕のこゑはちてて、ふともしらべやらでさぶらひたまへば、
354.3.5372334 「なほ、()()はせばかりは、手一(てひと)つ、すさまじからでこそ」 "なほ、はせばかりは、てひとつ、すさまじからでこそ。"
354.3.6373335 とのたまへば、 とのたまへば、
354.3.7374336 「さらに、今日(けふ)御遊(おほんあそ)びのさしいらへに、()じらふばかりの()づかひなむ、おぼえずはべりける」 "さらに、けふおほんあそびのさしいらへに、じらふばかりのづかひなん、おぼえずはべりける。"
354.3.8375337 と、けしきばみたまふ。 と、けしきばみたまふ。
354.3.9376338 「さもあることなれど、女楽(をんながく)にえことまぜでなむ()げにけると、(つた)はらむ()こそ()しけれ」 "さもあることなれど、をんながくにえことまぜでなんげにけると、つたはらんこそしけれ。"
354.3.10377339 とて(わら)ひたまふ。 とてわらひたまふ。
354.3.11378340 調(しら)()てて、をかしきほどに()()はせばかり()きて、(まゐ)らせたまひつ。この御孫(おほんむまご)君達(きみたち)のいとうつくしき宿直姿(とのゐすがた)どもにて、()()はせたる(もの)()ども、まだ(わか)けれど、()(さき)ありて、いみじくをかしげなり。 しらてて、をかしきほどにはせばかりきて、まゐらせたまひつ。このおほんむまごきみたちのいとうつくしきとのゐすがたどもにて、はせたるものども、まだわかけれど、さきありて、いみじくをかしげなり。
354.4379341第四段 女四人による合奏
354.4.1380342 御琴(おほんこと)どもの調(しら)べども調(ととの)()てて、()()はせたまへるほど、いづれとなき(なか)に、琵琶(びは)はすぐれて上手(じゃうず)めき、(かみ)さびたる()づかひ、()()てておもしろく()こゆ。 おほんことどものしらべどもととのてて、はせたまへるほど、いづれとなきなかに、びははすぐれてじゃうずめき、かみさびたるづかひ、てておもしろくこゆ。
354.4.2381343 和琴(わごん)に、大将(だいしゃう)(みみ)とどめたまへるに、なつかしく愛敬(あいぎゃう)づきたる御爪音(おほんつまおと)に、()(かへ)したる()の、めづらしく(いま)めきて、さらにこのわざとある上手(じゃうず)どもの、おどろおどろしく()()てたる調(しら)調子(てうし)(おと)らず、にぎははしく、「大和琴(やまとごと)にもかかる()ありけり」と()(おどろ)かる。(ふか)御労(ごらう)のほどあらはに()こえて、おもしろきに、大殿御心落(おとどみこころお)ちゐて、いとありがたく(おも)ひきこえたまふ。 わごんに、だいしゃうみみとどめたまへるに、なつかしくあいぎゃうづきたるおほんつまおとに、かへしたるの、めづらしくいまめきて、さらにこのわざとあるじゃうずどもの、おどろおどろしくてたるしらてうしおとらず、にぎははしく、"やまとごとにもかかるありけり。"とおどろかる。ふかごらうのほどあらはにこえて、おもしろきに、おとどみこころおちゐて、いとありがたくおもひきこえたまふ。
354.4.3382344 (さう)御琴(おほんこと)は、ものの隙々(ひまひま)に、(こころ)もとなく()()づる(もの)()がらにて、うつくしげになまめかしくのみ()こゆ。 さうおほんことは、もののひまひまに、こころもとなくづるものがらにて、うつくしげになまめかしくのみこゆ。
354.4.4383345 (きん)は、なほ(わか)(かた)なれど、(なら)ひたまふ(さか)りなれば、たどたどしからず、いとよくものに(ひび)きあひて、「(いう)になりにける御琴(おほんこと)()かな」と、大将聞(だいしゃうき)きたまふ。拍子(ひゃうし)とりて唱歌(さうが)したまふ。(ゐん)も、時々扇(ときどきあふぎ)うち()らして、(くは)へたまふ御声(おほんこゑ)(むかし)よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけ()ひて()こゆ。大将(だいしゃう)も、(こゑ)いとすぐれたまへる(ひと)にて、()(しづ)かになりゆくままに、()(かぎ)りなくなつかしき()御遊(おほんあそ)びなり。 きんは、なほわかかたなれど、ならひたまふさかりなれば、たどたどしからず、いとよくものにひびきあひて、"いうになりにけるおほんことかな。"と、だいしゃうききたまふ。ひゃうしとりてさうがしたまふ。ゐんも、ときどきあふぎうちらして、くはへたまふおほんこゑむかしよりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしきけひてこゆ。だいしゃうも、こゑいとすぐれたまへるひとにて、しづかになりゆくままに、かぎりなくなつかしきおほんあそびなり。
354.5384346第五段 女四人を花に喩える
354.5.1385348 月心(つきこころ)もとなきころなれば、灯籠(とうろ)こなたかなたに()けて、()よきほどに(とも)させたまへり。 つきこころもとなきころなれば、とうろこなたかなたにけて、よきほどにともさせたまへり。
354.5.2386349 (みや)御方(おほんかた)(のぞ)きたまへれば、(ひと)よりけに(ちひ)さくうつくしげにて、ただ御衣(おほんぞ)のみある心地(ここち)す。(にほ)ひやかなる(かた)(おく)れて、ただいとあてやかにをかしく、二月(にがつ)(なか)十日(とをか)ばかりの青柳(あをやぎ)の、わづかに枝垂(しだ)りはじめたらむ心地(ここち)して、(うぐひす)羽風(はかぜ)にも(みだ)れぬべく、あえかに()えたまふ。 みやおほんかたのぞきたまへれば、ひとよりけにちひさくうつくしげにて、ただおほんぞのみあるここちす。にほひやかなるかたおくれて、ただいとあてやかにをかしく、にがつなかとをかばかりのあをやぎの、わづかにしだりはじめたらんここちして、うぐひすはかぜにもみだれぬべく、あえかにえたまふ。
354.5.3387350 (さくら)細長(ほそなが)に、御髪(みぐし)左右(ひだりみぎ)よりこぼれかかりて、(やなぎ)(いと)のさましたり。 さくらほそながに、みぐしひだりみぎよりこぼれかかりて、やなぎいとのさましたり。
354.5.4388351 「これこそは、(かぎ)りなき(ひと)(おほん)ありさまなめれ」と()ゆるに、女御(にょうご)(きみ)は、(おな)じやうなる(おほん)なまめき姿(すがた)の、(いま)すこし(にほ)(くは)はりて、もてなしけはひ(こころ)にくく、よしあるさましたまひて、よく()きこぼれたる(ふぢ)(はな)の、(なつ)にかかりて、かたはらに(なら)(はな)なき、(あさ)ぼらけの心地(ここち)ぞしたまへる。 "これこそは、かぎりなきひとおほんありさまなめれ。"とゆるに、にょうごきみは、おなじやうなるおほんなまめきすがたの、いますこしにほくははりて、もてなしけはひこころにくく、よしあるさましたまひて、よくきこぼれたるふぢはなの、なつにかかりて、かたはらにならはななき、あさぼらけのここちぞしたまへる。
354.5.5389352 さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、(なや)ましくおぼえたまひければ、御琴(おほんこと)もおしやりて、脇息(けふそく)におしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、御脇息(おほんけふそく)(れい)のほどなれば、およびたる心地(ここち)して、ことさらに(ちひ)さく(つく)らばやと()ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。 さるは、いとふくらかなるほどになりたまひて、なやましくおぼえたまひければ、おほんこともおしやりて、けふそくにおしかかりたまへり。ささやかになよびかかりたまへるに、おほんけふそくれいのほどなれば、およびたるここちして、ことさらにちひさくつくらばやとゆるぞ、いとあはれげにおはしける。
354.5.6390353 紅梅(こうばい)御衣(おほんぞ)に、御髪(みぐし)のかかりはらはらときよらにて、火影(ほかげ)御姿(おほんすがた)()になくうつくしげなるに、(むらさき)(うへ)は、葡萄染(えびぞめ)にやあらむ、色濃(いろこ)小袿(こうちき)薄蘇芳(うすすはう)細長(ほそなが)に、御髪(みぐし)のたまれるほど、こちたくゆるるかに、(おほ)きさなどよきほどに、様体(やうだい)あらまほしく、あたりに(にほ)()ちたる心地(ここち)して、(はな)といはば(さくら)(たと)へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。 こうばいおほんぞに、みぐしのかかりはらはらときよらにて、ほかげおほんすがたになくうつくしげなるに、むらさきうへは、えびぞめにやあらん、いろここうちきうすすはうほそながに、みぐしのたまれるほど、こちたくゆるるかに、おほきさなどよきほどに、やうだいあらまほしく、あたりににほちたるここちして、はなといはばさくらたとへても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ。
354.5.7391354 かかる(おほん)あたりに、明石(あかし)はけ()さるべきを、いとさしもあらず、もてなしなどけしきばみ()づかしく、(こころ)(そこ)ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく()ゆ。 かかるおほんあたりに、あかしはけさるべきを、いとさしもあらず、もてなしなどけしきばみづかしく、こころそこゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしくゆ。
354.5.8392355 (やなぎ)織物(おりもの)細長(ほそなが)萌黄(もえぎ)にやあらむ、小袿着(こうちきき)て、(うすもの)()のはかなげなる()きかけて、ことさら卑下(ひげ)したれど、けはひ、(おも)ひなしも、(こころ)にくくあなづらはしからず。 やなぎおりものほそながもえぎにやあらん、こうちききて、うすもののはかなげなるきかけて、ことさらひげしたれど、けはひ、おもひなしも、こころにくくあなづらはしからず。
354.5.9393356 高麗(こま)青地(あをぢ)(にしき)(はし)さしたる(しとね)に、まほにもゐで、琵琶(びは)をうち()きて、ただけしきばかり()きかけて、たをやかに使(つか)ひなしたる(ばち)のもてなし、()()くよりも、またありがたくなつかしくて、五月待(さつきま)花橘(はなたちばな)(はな)()()しておし()れる(かを)りおぼゆ。 こまあをぢにしきはしさしたるしとねに、まほにもゐで、びはをうちきて、ただけしきばかりきかけて、たをやかにつかひなしたるばちのもてなし、くよりも、またありがたくなつかしくて、さつきまはなたちばなはなしておしれるかをりおぼゆ。
354.6394357第六段 夕霧の感想
354.6.1395358 これもかれも、うちとけぬ(おほん)けはひどもを()()たまふに、大将(だいしゃう)も、いと(うち)ゆかしくおぼえたまふ。(たい)(うへ)の、()(をり)よりも、ねびまさりたまへらむありさまゆかしきに、静心(しづこころ)もなし。 これもかれも、うちとけぬおほんけはひどもをたまふに、だいしゃうも、いとうちゆかしくおぼえたまふ。たいうへの、をりよりも、ねびまさりたまへらんありさまゆかしきに、しづこころもなし。
354.6.2396359 (みや)をば、(いま)すこしの宿世及(すくせおよ)ばましかば、わがものにても()たてまつりてまし。(こころ)のいとぬるきぞ(くや)しきや。(ゐん)は、たびたびさやうにおもむけて、しりう(ごと)にものたまはせけるを」と、ねたく(おも)へど、すこし(こころ)やすき(かた)()えたまふ(おほん)けはひに、あなづりきこゆとはなけれど、いとしも(こころ)(うご)かざりけり。 "みやをば、いますこしのすくせおよばましかば、わがものにてもたてまつりてまし。こころのいとぬるきぞくやしきや。ゐんは、たびたびさやうにおもむけて、しりうごとにものたまはせけるを。"と、ねたくおもへど、すこしこころやすきかたえたまふおほんけはひに、あなづりきこゆとはなけれど、いとしもこころうごかざりけり。
354.6.3397360 この御方(おほんかた)をば、(なに)ごとも(おも)(およ)ぶべき(かた)なく、気遠(けとほ)くて、(とし)ごろ()ぎぬれば、「いかでか、ただおほかたに、心寄(こころよ)せあるさまをも()えたてまつらむ」とばかりの、口惜(くちを)しく(なげ)かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなき心地(ここち)などは、さらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。 このおほんかたをば、なにごともおもおよぶべきかたなく、けとほくて、としごろぎぬれば、"いかでか、ただおほかたに、こころよせあるさまをもえたてまつらん。"とばかりの、くちをしくなげかしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなきここちなどは、さらにものしたまはず、いとよくもてをさめたまへり。
355398361第五章 光る源氏の物語 源氏の音楽論
355.1399362第一段 音楽の春秋論
355.1.1400363 夜更(よふ)けゆくけはひ、(ひや)やかなり。臥待(ふしまち)(つき)はつかにさし()でたる、 よふけゆくけはひ、ひややかなり。ふしまちつきはつかにさしでたる、
355.1.2401364 (こころ)もとなしや、(はる)朧月夜(おぼろづきよ)よ。(あき)のあはれ、はた、かうやうなる(もの)()に、(むし)声縒(こゑよ)()はせたる、ただならず、こよなく(ひび)()心地(ここち)すかし」 "こころもとなしや、はるおぼろづきよよ。あきのあはれ、はた、かうやうなるものに、むしこゑよはせたる、ただならず、こよなくひびここちすかし。"
355.1.3402365 とのたまへば、大将(だいしゃう)(きみ) とのたまへば、だいしゃうきみ
355.1.4403366 (あき)()(くま)なき(つき)には、よろづの(もの)とどこほりなきに、琴笛(ことふえ)()も、あきらかに()める心地(ここち)はしはべれど、なほことさらに(つく)()はせたるやうなる(そら)のけしき、(はな)(つゆ)も、いろいろ目移(めうつ)ろひ心散(こころち)りて、(かぎ)りこそはべれ。 "あきくまなきつきには、よろづのものとどこほりなきに、ことふえも、あきらかにめるここちはしはべれど、なほことさらにつくはせたるやうなるそらのけしき、はなつゆも、いろいろめうつろひこころちりて、かぎりこそはべれ。
355.1.5404367 (はる)(そら)のたどたどしき(かすみ)()より、おぼろなる月影(つきかげ)に、(しづ)かに()()はせたるやうには、いかでか。(ふえ)()なども、(えん)()みのぼり()てずなむ。 はるそらのたどたどしきかすみより、おぼろなるつきかげに、しづかにはせたるやうには、いかでか。ふえなども、えんみのぼりてずなん。
355.1.6405368 (をんな)(はる)をあはれぶと、(ふる)(ひと)()()きはべりける。げに、さなむはべりける。なつかしく(もの)のととのほることは、(はる)夕暮(ゆふぐれ)こそことにはべりけれ」 をんなはるをあはれぶと、ふるひときはべりける。げに、さなんはべりける。なつかしくもののととのほることは、はるゆふぐれこそことにはべりけれ。"
355.1.7406369 (まう)したまへば、 まうしたまへば、
355.1.8407370 「いな、この(さだ)めよ。いにしへより(ひと)()きかねたることを、(すゑ)()(くだ)れる(ひと)の、えあきらめ()つまじくこそ。(もの)調(しら)べ、(ごく)のものどもはしも、げに(りち)をば(つぎ)のものにしたるは、さもありかし」 "いな、このさだめよ。いにしへよりひときかねたることを、すゑくだれるひとの、えあきらめつまじくこそ。ものしらべ、ごくのものどもはしも、げにりちをばつぎのものにしたるは、さもありかし。"
355.1.9408371 などのたまひて、 などのたまひて、
355.1.10409372 「いかに。ただ(いま)有職(いうそく)のおぼえ(たか)き、その(ひと)かの(ひと)御前(おまへ)などにて、たびたび(こころ)みさせたまふに、すぐれたるは、数少(かずすく)なくなりためるを、そのこのかみと(おも)へる上手(じゃうず)ども、いくばくえまねび()らぬにやあらむ。このかくほのかなる(をんな)たちの御中(おほんなか)()きまぜたらむに、際離(きははな)るべくこそおぼえね。 "いかに。ただいまいうそくのおぼえたかき、そのひとかのひとおまへなどにて、たびたびこころみさせたまふに、すぐれたるは、かずすくなくなりためるを、そのこのかみとおもへるじゃうずども、いくばくえまねびらぬにやあらん。このかくほのかなるをんなたちのおほんなかきまぜたらんに、きははなるべくこそおぼえね。
355.1.11410373 (とし)ごろかく(むも)れて()ぐすに、(みみ)などもすこしひがひがしくなりにたるにやあらむ、口惜(くちを)しうなむ。あやしく、(ひと)(ざえ)、はかなくとりすることども、ものの(はえ)ありてまさる(ところ)なる。その、御前(ごぜん)御遊(おほんあそ)びなどに、ひときざみに(えら)ばるる(ひと)びと、それかれといかにぞ」 としごろかくむもれてぐすに、みみなどもすこしひがひがしくなりにたるにやあらん、くちをしうなん。あやしく、ひとざえ、はかなくとりすることども、もののはえありてまさるところなる。その、ごぜんおほんあそびなどに、ひときざみにえらばるるひとびと、それかれといかにぞ。"
355.1.12411374 とのたまへば、大将(だいしゃう) とのたまへば、だいしゃう
355.1.13412375 「それをなむ、とり(まう)さむと(おも)ひはべりつれど、あきらかならぬ(こころ)のままに、およすけてやはと(おも)ひたまふる。(のぼ)りての()()()はせはべらねばにや、衛門督(ゑもんのかみ)和琴(わごん)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)御琵琶(おほんびは)などをこそ、このころめづらかなる(ためし)()()ではべめれ。 "それをなん、とりまうさんとおもひはべりつれど、あきらかならぬこころのままに、およすけてやはとおもひたまふる。のぼりてのはせはべらねばにや、ゑもんのかみわごんひゃうぶきゃうのみやおほんびはなどをこそ、このころめづらかなるためしではべめれ。
355.1.14413376 げに、かたはらなきを、今宵(こよひ)うけたまはる(もの)()どもの、(みな)ひとしく(みみ)おどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬ御遊(おほんあそ)びと、かねて(おも)うたまへたゆみける(こころ)(さわ)ぐにやはべらむ。唱歌(さうが)など、いと(つか)うまつりにくくなむ。 げに、かたはらなきを、こよひうけたまはるものどもの、みなひとしくみみおどろきはべるは。なほ、かくわざともあらぬおほんあそびと、かねておもうたまへたゆみけるこころさわぐにやはべらん。さうがなど、いとつかうまつりにくくなん。
355.1.15414377 和琴(わごん)は、かの大臣(おとど)ばかりこそ、かく(をり)につけて、こしらへなびかしたる()など、(こころ)にまかせて()()てたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさ際離(きははな)れぬものにはべめるを、いとかしこく(ととの)ひてこそはべりつれ」 わごんは、かのおとどばかりこそ、かくをりにつけて、こしらへなびかしたるなど、こころにまかせててたまへるは、いとことにものしたまへ、をさをさきははなれぬものにはべめるを、いとかしこくととのひてこそはべりつれ。"
355.1.16415378 と、めできこえたまふ。 と、めできこえたまふ。
355.1.17416379 「いと、さことことしき(きは)にはあらぬを、わざとうるはしくも()りなさるるかな」 "いと、さことことしききはにはあらぬを、わざとうるはしくもりなさるるかな。"
355.1.18417380 とて、したり(がほ)にほほ()みたまふ。 とて、したりがほにほほみたまふ。
355.1.19418381 「げに、けしうはあらぬ弟子(でし)どもなりかし。琵琶(びは)はしも、ここに口入(くちい)るべきことまじらぬを、さいへど、(もの)のけはひ(こと)なるべし。おぼえぬ(ところ)にて()(はじ)めたりしに、めづらしき(もの)()かなとなむおぼえしかど、その(をり)よりは、またこよなく(まさ)りにたるをや」 "げに、けしうはあらぬでしどもなりかし。びははしも、ここにくちいるべきことまじらぬを、さいへど、もののけはひことなるべし。おぼえぬところにてはじめたりしに、めづらしきものかなとなんおぼえしかど、そのをりよりは、またこよなくまさりにたるをや。"
355.1.20419382 と、せめて(われ)かしこにかこちなしたまへば、女房(にょうばう)などは、すこしつきしろふ。 と、せめてわれかしこにかこちなしたまへば、にょうばうなどは、すこしつきしろふ。
355.2420383第二段 琴の論
355.2.1421384 「よろづのこと、道々(みちみち)につけて(なら)ひまねばば、(ざえ)といふもの、いづれも(きは)なくおぼえつつ、わが心地(ここち)()くべき(かぎ)りなく、(なら)()らむことはいと(かた)けれど、(なに)かは、そのたどり(ふか)(ひと)の、(いま)()にをさをさなければ、片端(かたはし)をなだらかにまねび()たらむ(ひと)、さるかたかどに(こころ)をやりてもありぬべきを、(きん)なむ、なほわづらはしく、手触(てふ)れにくきものはありける。 "よろづのこと、みちみちにつけてならひまねばば、ざえといふもの、いづれもきはなくおぼえつつ、わがここちくべきかぎりなく、なららんことはいとかたけれど、なにかは、そのたどりふかひとの、いまにをさをさなければ、かたはしをなだらかにまねびたらんひと、さるかたかどにこころをやりてもありぬべきを、きんなん、なほわづらはしく、てふれにくきものはありける。
355.2.2422385 この(こと)は、まことに(あと)のままに(たづ)ねとりたる(むかし)(ひと)は、天地(てんち)をなびかし、鬼神(おにかみ)(こころ)をやはらげ、よろづの(もの)()のうちに(したが)ひて、(かな)しび(ふか)(もの)(よろこ)びに()はり、(いや)しく(まづ)しき(もの)(たか)()(あらた)まり、(たから)にあづかり、()にゆるさるるたぐひ(おほ)かりけり。 このことは、まことにあとのままにたづねとりたるむかしひとは、てんちをなびかし、おにかみこころをやはらげ、よろづのもののうちにしたがひて、かなしびふかものよろこびにはり、いやしくまづしきものたかあらたまり、たからにあづかり、にゆるさるるたぐひおほかりけり。
355.2.3423386 この(くに)()(つた)ふる(はじ)めつ(かた)まで、(ふか)くこの(こと)心得(こころえ)たる(ひと)は、(おほ)くの(とし)()らぬ(くに)()ぐし、()をなきになして、この(こと)をまねび()らむと(まど)ひてだに、し()るは(かた)くなむありける。げにはた、(あき)らかに(そら)月星(つきほし)(うご)かし、(とき)ならぬ霜雪(しもゆき)()らせ、雲雷(くもいかづち)(さわ)がしたる(ためし)(あが)りたる()にはありけり。 このくにつたふるはじめつかたまで、ふかくこのことこころえたるひとは、おほくのとしらぬくにぐし、をなきになして、このことをまねびらんとまどひてだに、しるはかたくなんありける。げにはた、あきらかにそらつきほしうごかし、ときならぬしもゆきらせ、くもいかづちさわがしたるためしあがりたるにはありけり。
355.2.4424387 かく(かぎ)りなきものにて、そのままに(なら)()(ひと)のありがたく、()(すゑ)なればにや、いづこのそのかみの片端(かたはし)にかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神(おにかみ)(みみ)とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、(おも)ひかなはぬたぐひありけるのち、これを()(ひと)、よからずとかいふ(なん)をつけて、うるさきままに、(いま)はをさをさ(つた)ふる(ひと)なしとか。いと口惜(くちを)しきことにこそあれ。 かくかぎりなきものにて、そのままにならひとのありがたく、すゑなればにや、いづこのそのかみのかたはしにかはあらん。されど、なほ、かのおにかみみみとどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、おもひかなはぬたぐひありけるのち、これをひと、よからずとかいふなんをつけて、うるさきままに、いまはをさをさつたふるひとなしとか。いとくちをしきことにこそあれ。
355.2.5425388 (きん)()(はな)れては、何琴(なにごと)をか(もの)調(ととの)()るしるべとはせむ。げに、よろづのこと(おとろ)ふるさまは、やすくなりゆく()(なか)に、一人出(ひとりい)(はな)れて、(こころ)()てて、唐土(もろこし)高麗(こま)と、この()(まど)ひありき、親子(おやこ)(はな)れむことは、()(なか)にひがめる(もの)になりぬべし。 きんはなれては、なにごとをかものととのるしるべとはせん。げに、よろづのことおとろふるさまは、やすくなりゆくなかに、ひとりいはなれて、こころてて、もろこしこまと、このまどひありき、おやこはなれんことは、なかにひがめるものになりぬべし。
355.2.6426389 などか、なのめにて、なほこの(みち)(かよ)はし()るばかりの(はし)をば、()りおかざらむ。調(しら)(ひと)つに()()()くさむことだに、はかりもなきものななり。いはむや、(おほ)くの調(しら)べ、わづらはしき曲多(ごくおほ)かるを、(こころ)()りし(さか)りには、()にありとあり、ここに(つた)はりたる()といふものの(かぎ)りをあまねく見合(みあ)はせて、のちのちは、()とすべき(ひと)もなくてなむ、(この)(なら)ひしかど、なほ(あが)りての(ひと)には、()たるべくもあらじをや。まして、この(のち)といひては、(つた)はるべき(すゑ)もなき、いとあはれになむ」 などか、なのめにて、なほこのみちかよはしるばかりのはしをば、りおかざらん。しらひとつにくさんことだに、はかりもなきものななり。いはんや、おほくのしらべ、わづらはしきごくおほかるを、こころりしさかりには、にありとあり、ここにつたはりたるといふもののかぎりをあまねくみあはせて、のちのちは、とすべきひともなくてなん、このならひしかど、なほあがりてのひとには、たるべくもあらじをや。まして、こののちといひては、つたはるべきすゑもなき、いとあはれになん。"
355.2.7427390 などのたまへば、大将(だいしゃう)、げにいと口惜(くちを)しく()づかしと(おぼ)す。 などのたまへば、だいしゃう、げにいとくちをしくづかしとおぼす。
355.2.8428391 「この御子(みこ)たちの御中(おほんなか)に、(おも)ふやうに()()でたまふものしたまはば、その()になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ()(かぎ)りも、とどめたてまつるべき。(さん)(みや)(いま)よりけしきありて()えたまふを」 "このみこたちのおほんなかに、おもふやうにでたまふものしたまはば、そのになん、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬかぎりも、とどめたてまつるべき。さんみやいまよりけしきありてえたまふを。"
355.2.9429392 などのたまへば、明石(あかし)(きみ)は、いとおもだたしく、(なみだ)ぐみて()きゐたまへり。 などのたまへば、あかしきみは、いとおもだたしく、なみだぐみてきゐたまへり。
355.3430393第三段 源氏、葛城を謡う
355.3.1431394 女御(にょうご)(きみ)は、(さう)御琴(おほんこと)をば、(うへ)(ゆづ)りきこえて、()()したまひぬれば、和琴(あづま)大殿(おとど)御前(おまへ)(まゐ)りて、気近(けぢか)御遊(おほんあそ)びになりぬ。「葛城(かづらき)(あそ)びたまふ。はなやかにおもしろし。大殿折(おとどを)(かへ)(うた)ひたまふ御声(おほんこゑ)、たとへむかたなく愛敬(あいぎゃう)づきめでたし。 にょうごきみは、さうおほんことをば、うへゆづりきこえて、したまひぬれば、あづまおとどおまへまゐりて、けぢかおほんあそびになりぬ。〔かづらきあそびたまふ。はなやかにおもしろし。おとどをかへうたひたまふおほんこゑ、たとへんかたなくあいぎゃうづきめでたし。
355.3.2432395 (つき)やうやうさし(あが)るままに、(はな)色香(いろか)ももてはやされて、げにいと(こころ)にくきほどなり。(さう)(こと)は、女御(にょうご)御爪音(おほんつまおと)は、いとらうたげになつかしく、母君(ははぎみ)(おほん)けはひ(くは)はりて、()音深(ねふか)く、いみじく()みて()こえつるを、この御手(おほんて)づかひは、またさま()はりて、ゆるるかにおもしろく、()(ひと)ただならず、すずろはしきまで愛敬(あいぎゃう)づきて、(りん)()など、すべてさらに、いとかどある御琴(おほんこと)()なり。 つきやうやうさしあがるままに、はないろかももてはやされて、げにいとこころにくきほどなり。さうことは、にょうごおほんつまおとは、いとらうたげになつかしく、ははぎみおほんけはひくははりて、ねふかく、いみじくみてこえつるを、このおほんてづかひは、またさまはりて、ゆるるかにおもしろく、ひとただならず、すずろはしきまであいぎゃうづきて、りんなど、すべてさらに、いとかどあるおほんことなり。
355.3.3433396 (かへ)(ごゑ)に、皆調(みなしら)()はりて、(りち)()()はせども、なつかしく(いま)めきたるに、(きん)は、五個(ごか)調(しら)べ、あまたの()(なか)に、(こころ)とどめてかならず()きたまふべき()(ろく)発剌(はら)を、いとおもしろく()まして()きたまふ。さらにかたほならず、いとよく()みて()こゆ。 かへごゑに、みなしらはりて、りちはせども、なつかしくいまめきたるに、きんは、ごかしらべ、あまたのなかに、こころとどめてかならずきたまふべきろくはらを、いとおもしろくましてきたまふ。さらにかたほならず、いとよくみてこゆ。
355.3.4434397 春秋(はるあき)よろづの(もの)(かよ)へる調(しら)べにて、(かよ)はしわたしつつ()きたまふ。(こころ)しらひ、(をし)へきこえたまふさま(たが)へず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしく(おも)ひきこえたまふ。 はるあきよろづのものかよへるしらべにて、かよはしわたしつつきたまふ。こころしらひ、をしへきこえたまふさまたがへず、いとよくわきまへたまへるを、いとうつくしく、おもだたしくおもひきこえたまふ。
355.4435398第四段 女楽終了、禄を賜う
355.4.1436399 この君達(きみたち)の、いとうつくしく()()てて、(せち)心入(こころい)れたるを、らうたがりたまひて、 このきみたちの、いとうつくしくてて、せちこころいれたるを、らうたがりたまひて、
355.4.2437400 「ねぶたくなりにたらむに。今宵(こよひ)(あそ)びは、(なが)くはあらで、はつかなるほどにと(おも)ひつるを。とどめがたき(もの)()どもの、いづれともなきを、()()くほどの(みみ)とからぬたどたどしさに、いたく()けにけり。(こころ)なきわざなりや」 "ねぶたくなりにたらんに。こよひあそびは、ながくはあらで、はつかなるほどにとおもひつるを。とどめがたきものどもの、いづれともなきを、くほどのみみとからぬたどたどしさに、いたくけにけり。こころなきわざなりや。"
355.4.3438401 とて、(さう)笛吹(ふえふ)(きみ)に、土器(かはらけ)さしたまひて、御衣脱(おほんぞぬ)ぎてかづけたまふ。横笛(よこぶえ)(きみ)には、こなたより、織物(おりもの)細長(ほそなが)に、(はかま)などことことしからぬさまに、けしきばかりにて、大将(だいしゃう)(きみ)には、(みや)御方(おほんかた)より、(さかづき)さし()でて、(みや)御装束一領(おほんさうぞくひとくだり)かづけたてまつりたまふを、大殿(おとど) とて、さうふえふきみに、かはらけさしたまひて、おほんぞぬぎてかづけたまふ。よこぶえきみには、こなたより、おりものほそながに、はかまなどことことしからぬさまに、けしきばかりにて、だいしゃうきみには、みやおほんかたより、さかづきさしでて、みやおほんさうぞくひとくだりかづけたてまつりたまふを、おとど
355.4.4439402 「あやしや。(もの)()をこそ、まづはものめかしたまはめ。(うれ)はしきことなり」 "あやしや。ものをこそ、まづはものめかしたまはめ。うれはしきことなり。"
355.4.5440403 とのたまふに、(みや)のおはします御几帳(みきちゃう)のそばより、御笛(おほんふえ)をたてまつる。うち(わら)ひたまひて()りたまふ。いみじき高麗笛(こまぶえ)なり。すこし()()らしたまへば、皆立(みなた)()でたまふほどに、大将立(だいしゃうた)()まりたまひて、御子(みこ)()ちたまへる(ふえ)()りて、いみじくおもしろく()()てたまへるが、いとめでたく()こゆれば、いづれもいづれも、皆御手(みなおほんて)(はな)れぬものの(つた)(つた)へ、いと()なくのみあるにてぞ、わが御才(おほんざえ)のほど、ありがたく(おぼ)()られける。 とのたまふに、みやのおはしますみきちゃうのそばより、おほんふえをたてまつる。うちわらひたまひてりたまふ。いみじきこまぶえなり。すこしらしたまへば、みなたでたまふほどに、だいしゃうたまりたまひて、みこちたまへるふえりて、いみじくおもしろくてたまへるが、いとめでたくこゆれば、いづれもいづれも、みなおほんてはなれぬもののつたつたへ、いとなくのみあるにてぞ、わがおほんざえのほど、ありがたくおぼられける。
355.5441404第五段 夕霧、わが妻を比較して思う
355.5.1442405 大将殿(だいしゃうどの)は、君達(きみたち)御車(みくるま)()せて、(つき)()めるにまかでたまふ。(みち)すがら、(さう)(こと)()はりていみじかりつる()も、(みみ)につきて(こひ)しくおぼえたまふ。 だいしゃうどのは、きみたちみくるませて、つきめるにまかでたまふ。みちすがら、さうことはりていみじかりつるも、みみにつきてこひしくおぼえたまふ。
355.5.2443406 わが(きた)(かた)は、故大宮(こおほみや)(をし)へきこえたまひしかど、(こころ)にもしめたまはざりしほどに、(わか)れたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにも()()りたまはで、男君(をとこぎみ)御前(おまへ)にては、()ぢてさらに()きたまはず。(なに)ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、()ども(あつか)ひを、(いとま)なく次々(つぎつぎ)したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、腹悪(はらあ)しくて、もの(ねた)みうちしたる、愛敬(あいぎゃう)づきてうつくしき(ひと)ざまにぞものしたまふめる。 わがきたかたは、こおほみやをしへきこえたまひしかど、こころにもしめたまはざりしほどに、わかれたてまつりたまひにしかば、ゆるるかにもりたまはで、をとこぎみおまへにては、ぢてさらにきたまはず。なにごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、どもあつかひを、いとまなくつぎつぎしたまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに、はらあしくて、ものねたみうちしたる、あいぎゃうづきてうつくしきひとざまにぞものしたまふめる。
356444407第六章 紫の上の物語 出家願望と発病
356.1445408第一段 源氏、紫の上と語る
356.1.1446409 (ゐん)は、(たい)(わた)りたまひぬ。(うへ)は、()まりたまひて、(みや)御物語(おほんものがたり)など()こえたまひて、(あかつき)にぞ(わた)りたまへる。日高(ひたか)うなるまで大殿籠(おほとのごも)れり。 ゐんは、たいわたりたまひぬ。うへは、まりたまひて、みやおほんものがたりなどこえたまひて、あかつきにぞわたりたまへる。ひたかうなるまでおほとのごもれり。
356.1.2447410 (みや)御琴(おほんこと)()は、いとうるさくなりにけりな。いかが()きたまひし」 "みやおほんことは、いとうるさくなりにけりな。いかがきたまひし。"
356.1.3448411 ()こえたまへば、 こえたまへば、
356.1.4449412 (はじ)めつ(かた)、あなたにてほの()きしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく異事(ことごと)なく(をし)へきこえたまはむには」 "はじめつかた、あなたにてほのきしは、いかにぞやありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かくことごとなくをしへきこえたまはんには。"
356.1.5450413 といらへきこえたまふ。 といらへきこえたまふ。
356.1.6451414 「さかし。()()()る、おぼつかなからぬ(もの)()なりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、(いとま)いるわざなれば、(をし)へたてまつらぬを、(ゐん)にも内裏(うち)にも、(きん)はさりとも(なら)はしきこゆらむとのたまふと()くがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かく()()きて御後見(おほんうしろみ)にと(あづ)けたまへるしるしにはと、(おも)()こしてなむ」 "さかし。る、おぼつかなからぬものなりかし。これかれにも、うるさくわづらはしくて、いとまいるわざなれば、をしへたてまつらぬを、ゐんにもうちにも、きんはさりともならはしきこゆらんとのたまふとくがいとほしく、さりとも、さばかりのことをだに、かくきておほんうしろみにとあづけたまへるしるしにはと、おもこしてなん。"
356.1.7452415 など()こえたまふついでにも、 などこえたまふついでにも、
356.1.8453416 (むかし)()づかぬほどを、(あつか)(おも)ひしさま、その()には(いとま)もありがたくて、(こころ)のどかに()りわき(をし)へきこゆることなどもなく、(ちか)()にも、(なに)となく次々(つぎつぎ)(まぎ)れつつ()ぐして、()(あつか)はぬ御琴(おほんこと)()の、()()えしたりしも、面目(めんぼく)ありて、大将(だいしゃう)の、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、(おも)ふやうにうれしくこそありしか」 "むかしづかぬほどを、あつかおもひしさま、そのにはいとまもありがたくて、こころのどかにりわきをしへきこゆることなどもなく、ちかにも、なにとなくつぎつぎまぎれつつぐして、あつかはぬおほんことの、えしたりしも、めんぼくありて、だいしゃうの、いたくかたぶきおどろきたりしけしきも、おもふやうにうれしくこそありしか。"
356.1.9454417 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
356.2455418第二段 紫の上、三十七歳の厄年
356.2.1456419 かやうの(すぢ)も、(いま)はまたおとなおとなしく、(みや)たちの御扱(おほんあつか)ひなど、()りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて(なに)ごとにつけても、もどかしくたどたどしきこと()じらず、ありがたき(ひと)(おほん)ありさまなれば、いとかく()しぬる(ひと)は、()(ひさ)しからぬ(ためし)もあなるをと、ゆゆしきまで(おも)ひきこえたまふ。 かやうのすぢも、いまはまたおとなおとなしく、みやたちのおほんあつかひなど、りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべてなにごとにつけても、もどかしくたどたどしきことじらず、ありがたきひとおほんありさまなれば、いとかくしぬるひとは、ひさしからぬためしもあなるをと、ゆゆしきまでおもひきこえたまふ。
356.2.2457420 さまざまなる(ひと)のありさまを見集(みあつ)めたまふままに、()(あつ)()らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ(おも)ひきこえたまへり。今年(ことし)三十七(さんじふしち)にぞなりたまふ。()たてまつりたまひし年月(としつき)のことなども、あはれに(おぼ)()でたるついでに、 さまざまなるひとのありさまをみあつめたまふままに、あつらひたることは、まことにたぐひあらじとのみおもひきこえたまへり。ことしさんじふしちにぞなりたまふ。たてまつりたまひしとしつきのことなども、あはれにおぼでたるついでに、
356.2.3458421 「さるべき御祈(おほんいの)りなど、(つね)よりも()()きて、今年(ことし)はつつしみたまへ。もの(さわ)がしくのみありて、(おも)ひいたらぬこともあらむを、なほ、(おぼ)しめぐらして、(おほ)きなることどももしたまはば、おのづからせさせてむ。故僧都(こそうづ)のものしたまはずなりにたるこそ、いと口惜(くちを)しけれ。おほかたにてうち(たの)まむにも、いとかしこかりし(ひと)を」 "さるべきおほんいのりなど、つねよりもきて、ことしはつつしみたまへ。ものさわがしくのみありて、おもひいたらぬこともあらんを、なほ、おぼしめぐらして、おほきなることどももしたまはば、おのづからせさせてん。こそうづのものしたまはずなりにたるこそ、いとくちをしけれ。おほかたにてうちたのまんにも、いとかしこかりしひとを。"
356.2.4459422 などのたまひ()づ。 などのたまひづ。
356.3460423第三段 源氏、半生を語る
356.3.1461424 「みづからは、(をさな)くより、(ひと)(こと)なるさまにて、ことことしく()()でて、(いま)()のおぼえありさま、()(かた)にたぐひ(すく)なくなむありける。されど、また、()にすぐれて(かな)しきめを()(かた)も、(ひと)にはまさりけりかし。 "みづからは、をさなくより、ひとことなるさまにて、ことことしくでて、いまのおぼえありさま、かたにたぐひすくなくなんありける。されど、また、にすぐれてかなしきめをかたも、ひとにはまさりけりかし。
356.3.2462425 まづは、(おも)(ひと)にさまざま(おく)れ、(のこ)りとまれる(よはひ)(すゑ)にも、()かず(かな)しと(おも)ふこと(おほ)く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくもの(おも)はしく、(こころ)()かずおぼゆること()ひたる()にて()ぎぬれば、それに()へてや、(おも)ひしほどよりは、(いま)までもながらふるならむとなむ、(おも)()らるる。 まづは、おもひとにさまざまおくれ、のこりとまれるよはひすゑにも、かずかなしとおもふことおほく、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしくものおもはしく、こころかずおぼゆることひたるにてぎぬれば、それにへてや、おもひしほどよりは、いままでもながらふるならんとなん、おもらるる。
356.3.3463426 (きみ)御身(おほんみ)には、かの一節(ひとふし)(わか)れより、あなたこなた、もの(おも)ひとて、心乱(こころみだ)りたまふばかりのことあらじとなむ(おも)ふ。(きさき)といひ、ましてそれより次々(つぎつぎ)は、やむごとなき(ひと)といへど、(みな)かならずやすからぬもの(おも)()ふわざなり。 きみおほんみには、かのひとふしわかれより、あなたこなた、ものおもひとて、こころみだりたまふばかりのことあらじとなんおもふ。きさきといひ、ましてそれよりつぎつぎは、やんごとなきひとといへど、みなかならずやすからぬものおもふわざなり。
356.3.4464427 (たか)()じらひにつけても、心乱(こころみだ)れ、(ひと)(あらそ)(おも)ひの()えぬも、やすげなきを、(おや)(まど)のうちながら()ぐしたまへるやうなる(こころ)やすきことはなし。そのかた、(ひと)にすぐれたりける宿世(すくせ)とは(おぼ)()るや。 たかじらひにつけても、こころみだれ、ひとあらそおもひのえぬも、やすげなきを、おやまどのうちながらぐしたまへるやうなるこころやすきことはなし。そのかた、ひとにすぐれたりけるすくせとはおぼるや。
356.3.5465428 (おも)ひの(ほか)に、この(みや)のかく(わた)りものしたまへるこそは、なま(くる)しかるべけれど、それにつけては、いとど(くは)ふる(こころ)ざしのほどを、(おほん)みづからの(うへ)なれば、(おぼ)()らずやあらむ。ものの(こころ)(ふか)()りたまふめれば、さりともとなむ(おも)ふ」 おもひのほかに、このみやのかくわたりものしたまへるこそは、なまくるしかるべけれど、それにつけては、いとどくはふるこころざしのほどを、おほんみづからのうへなれば、おぼらずやあらん。もののこころふかりたまふめれば、さりともとなんおもふ。"
356.3.6466429 ()こえたまへば、 こえたまへば、
356.3.7467430 「のたまふやうに、ものはかなき()には、()ぎにたるよそのおぼえはあらめど、(こころ)()へぬもの(なげ)かしさのみうち()ふや、さはみづからの(いの)りなりける」 "のたまふやうに、ものはかなきには、ぎにたるよそのおぼえはあらめど、こころへぬものなげかしさのみうちふや、さはみづからのいのりなりける。"
356.3.8468431 とて、(のこ)(おほ)げなるけはひ、()づかしげなり。 とて、のこおほげなるけはひ、づかしげなり。
356.3.9469432 「まめやかには、いと()先少(さきすく)なき心地(ここち)するを、今年(ことし)もかく()らず(がほ)にて()ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも()こゆること、いかで御許(おほんゆる)しあらば」 "まめやかには、いとさきすくなきここちするを、ことしもかくらずがほにてぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきもこゆること、いかでおほんゆるしあらば。"
356.3.10470433 ()こえたまふ。 こえたまふ。
356.3.11471434 「それはしも、あるまじきことになむ。さて、かけ(はな)れたまひなむ()(のこ)りては、(なに)のかひかあらむ。ただかく(なに)となくて()ぐる年月(としつき)なれど、()()れの(へだ)てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほ(おも)ふさま(こと)なる(こころ)のほどを見果(みは)てたまへ」 "それはしも、あるまじきことになん。さて、かけはなれたまひなんのこりては、なにのかひかあらん。ただかくなにとなくてぐるとしつきなれど、れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。なほおもふさまことなるこころのほどをみはてたまへ。"
356.3.12472435 とのみ()こえたまふを、(れい)のことと(こころ)やましくて、(なみだ)ぐみたまへるけしきを、いとあはれと()たてまつりたまひて、よろづに()こえ(まぎ)らはしたまふ。 とのみこえたまふを、れいのこととこころやましくて、なみだぐみたまへるけしきを、いとあはれとたてまつりたまひて、よろづにこえまぎらはしたまふ。
356.4473436第四段 源氏、関わった女方を語る
356.4.1474437 (おほ)くはあらねど、(ひと)のありさまの、とりどりに口惜(くちを)しくはあらぬを見知(みし)りゆくままに、まことの(こころ)ばせおいらかに()ちゐたるこそ、いと(かた)きわざなりけれとなむ、(おも)()てにたる。 "おほくはあらねど、ひとのありさまの、とりどりにくちをしくはあらぬをみしりゆくままに、まことのこころばせおいらかにちゐたるこそ、いとかたきわざなりけれとなん、おもてにたる。
356.4.2475438 大将(だいしゃう)母君(ははぎみ)を、(をさな)かりしほどに()そめて、やむごとなくえ()らぬ(すぢ)には(おも)ひしを、(つね)(なか)よからず、(へだ)てある心地(ここち)して()みにしこそ、今思(いまおも)へば、いとほしく(くや)しくもあれ。 だいしゃうははぎみを、をさなかりしほどにそめて、やんごとなくえらぬすぢにはおもひしを、つねなかよからず、へだてあるここちしてみにしこそ、いまおもへば、いとほしくくやしくもあれ。
356.4.3476439 また、わが(あやま)ちにのみもあらざりけりなど、(こころ)ひとつになむ(おも)()づる。うるはしく(おも)りかにて、そのことの()かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり(みだ)れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと、(おも)ふには(たの)もしく、()るにはわづらはしかりし(ひと)ざまになむ。 また、わがあやまちにのみもあらざりけりなど、こころひとつになんおもづる。うるはしくおもりかにて、そのことのかぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまりみだれたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけんと、おもふにはたのもしく、るにはわづらはしかりしひとざまになん。
356.4.4477440 中宮(ちゅうぐう)御母御息所(おほんははみやすんどころ)なむ、さま(こと)心深(こころふか)くなまめかしき(ためし)には、まづ(おも)()でらるれど、人見(ひとみ)えにくく、(くる)しかりしさまになむありし。(うら)むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて(なが)(おも)ひつめて、(ふか)(ゑん)ぜられしこそ、いと(くる)しかりしか。 ちゅうぐうおほんははみやすんどころなん、さまことこころふかくなまめかしきためしには、まづおもでらるれど、ひとみえにくく、くるしかりしさまになんありし。うらむべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがてながおもひつめて、ふかゑんぜられしこそ、いとくるしかりしか。
356.4.5478441 (こころ)ゆるびなく()づかしくて、(われ)(ひと)もうちたゆみ、朝夕(あさゆふ)(むつ)びを()はさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見落(みお)とさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて(へだ)たりし(なか)ぞかし。 こころゆるびなくづかしくて、われひともうちたゆみ、あさゆふむつびをはさんには、いとつつましきところのありしかば、うちとけてはみおとさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがてへだたりしなかぞかし。
356.4.6479442 いとあるまじき()()ちて、()のあはあはしくなりぬる(なげ)きを、いみじく(おも)ひしめたまへりしがいとほしく、げに(ひと)がらを(おも)ひしも、我罪(われつみ)ある心地(ここち)して()みにし(なぐさ)めに、中宮(ちゅうぐう)をかくさるべき御契(おほんちぎ)りとはいひながら、()りたてて、()のそしり、(ひと)(うら)みをも()らず、心寄(こころよ)せたてまつるを、かの()ながらも見直(みなほ)されぬらむ。(いま)(むかし)も、なほざりなる(こころ)のすさびに、いとほしく(くや)しきことも(おほ)くなむ」 いとあるまじきちて、のあはあはしくなりぬるなげきを、いみじくおもひしめたまへりしがいとほしく、げにひとがらをおもひしも、われつみあるここちしてみにしなぐさめに、ちゅうぐうをかくさるべきおほんちぎりとはいひながら、りたてて、のそしり、ひとうらみをもらず、こころよせたてまつるを、かのながらもみなほされぬらん。いまむかしも、なほざりなるこころのすさびに、いとほしくくやしきこともおほくなん。"
356.4.7480443 と、()(かた)(ひと)御上(おほんうへ)、すこしづつのたまひ()でて、 と、かたひとおほんうへ、すこしづつのたまひでて、
356.4.8481444 内裏(うち)御方(おほんかた)御後見(おほんうしろみ)は、(なに)ばかりのほどならずと、あなづりそめて、(こころ)やすきものに(おも)ひしを、なほ(こころ)底見(そこみ)えず、(きは)なく(ふか)きところある(ひと)になむ。うはべは(ひと)になびき、おいらかに()えながら、うちとけぬけしき(した)()もりて、そこはかとなく()づかしきところこそあれ」 "うちおほんかたおほんうしろみは、なにばかりのほどならずと、あなづりそめて、こころやすきものにおもひしを、なほこころそこみえず、きはなくふかきところあるひとになん。うはべはひとになびき、おいらかにえながら、うちとけぬけしきしたもりて、そこはかとなくづかしきところこそあれ。"
356.4.9482445 とのたまへば、 とのたまへば、
356.4.10483446 異人(ことびと)()ねば()らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき()折々(をりをり)もあるに、いとうちとけにくく、心恥(こころは)づかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに()たまふらむと、つつましけれど、女御(にょうご)は、おのづから(おぼ)(ゆる)すらむとのみ(おも)ひてなむ」 "ことびとねばらぬを、これは、まほならねど、おのづからけしきをりをりもあるに、いとうちとけにくく、こころはづかしきありさましるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかにたまふらんと、つつましけれど、にょうごは、おのづからおぼゆるすらんとのみおもひてなん。"
356.4.11484447 とのたまふ。 とのたまふ。
356.4.12485448 さばかりめざましと心置(こころお)きたまへりし(ひと)を、(いま)はかく(ゆる)して()()はしなどしたまふも、女御(にょうご)(おほん)ための真心(まごころ)なるあまりぞかしと(おぼ)すに、いとありがたければ、 さばかりめざましとこころおきたまへりしひとを、いまはかくゆるしてはしなどしたまふも、にょうごおほんためのまごころなるあまりぞかしとおぼすに、いとありがたければ、
356.4.13486449 (きみ)こそは、さすがに(くま)なきにはあらぬものから、(ひと)により、ことに(したが)ひ、いとよく二筋(ふたすぢ)(こころ)づかひはしたまひけれ。さらにここら()れど、(おほん)ありさまに()たる(ひと)はなかりけり。いとけしきこそものしたまへ」 "きみこそは、さすがにくまなきにはあらぬものから、ひとにより、ことにしたがひ、いとよくふたすぢこころづかひはしたまひけれ。さらにここられど、おほんありさまにたるひとはなかりけり。いとけしきこそものしたまへ。"
356.4.14487450 と、ほほ()みて()こえたまふ。 と、ほほみてこえたまふ。
356.4.15488451 (みや)に、いとよく()()りたまへりしことの(よろこ)()こえむ」 "みやに、いとよくりたまへりしことのよろここえん。"
356.4.16489452 とて、(ゆふ)方渡(かたわた)りたまひぬ。(われ)心置(こころお)(ひと)やあらむとも(おぼ)したらず、いといたく(わか)びて、ひとへに御琴(おほんこと)心入(こころい)れておはす。 とて、ゆふかたわたりたまひぬ。われこころおひとやあらんともおぼしたらず、いといたくわかびて、ひとへにおほんことこころいれておはす。
356.4.17490453 (いま)は、暇許(いとまゆる)してうち(やす)ませたまへかし。(もの)()(こころ)ゆかせてこそ。いと(くる)しかりつる()ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」 "いまは、いとまゆるしてうちやすませたまへかし。ものこころゆかせてこそ。いとくるしかりつるごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり。"
356.4.18491454 とて、御琴(おほんこと)どもおしやりて、大殿籠(おほとのご)もりぬ。 とて、おほんことどもおしやりて、おほとのごもりぬ。
356.5492455第五段 紫の上、発病す
356.5.1493456 (たい)には、(れい)のおはしまさぬ()は、宵居(よひゐ)したまひて、(ひと)びとに物語(ものがたり)など()ませて()きたまふ。 たいには、れいのおはしまさぬは、よひゐしたまひて、ひとびとにものがたりなどませてきたまふ。
356.5.2494457 「かく、()のたとひに()(あつ)めたる昔語(むかしがた)りどもにも、あだなる(をとこ)色好(いろごの)み、二心(ふたごころ)ある(ひと)にかかづらひたる(をんな)、かやうなることを()(あつ)めたるにも、つひに()(かた)ありてこそあめれ。あやしく、()きても()ぐしつるありさまかな。げに、のたまひつるやうに、(ひと)より(こと)なる宿世(すくせ)もありける()ながら、(ひと)(しの)びがたく()かぬことにするもの(おも)(はな)れぬ()にてや()みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」 "かく、のたとひにあつめたるむかしがたりどもにも、あだなるをとこいろごのみ、ふたごころあるひとにかかづらひたるをんな、かやうなることをあつめたるにも、つひにかたありてこそあめれ。あやしく、きてもぐしつるありさまかな。げに、のたまひつるやうに、ひとよりことなるすくせもありけるながら、ひとしのびがたくかぬことにするものおもはなれぬにてやみなんとすらん。あぢきなくもあるかな。"
356.5.3495458 など(おも)(つづ)けて、夜更(よふ)けて大殿籠(おほとのご)もりぬる、暁方(あかつきがた)より、御胸(おほんむね)(なや)みたまふ。(ひと)びと()たてまつり(あつか)ひて、 などおもつづけて、よふけておほとのごもりぬる、あかつきがたより、おほんむねなやみたまふ。ひとびとたてまつりあつかひて、
356.5.4496459 御消息聞(おほんせうそこき)こえさせむ」 "おほんせうそこきこえさせん。"
356.5.5497460 ()こゆるを、 こゆるを、
356.5.6498461 「いと便(びん)ないこと」 "いとびんないこと。"
356.5.7499462 (せい)したまひて、()へがたきを()さへて()かしたまひつ。御身(おほんみ)もぬるみて、御心地(おほんここち)もいと()しけれど、(ゐん)もとみに(わた)りたまはぬほど、かくなむとも()こえず。 せいしたまひて、へがたきをさへてかしたまひつ。おほんみもぬるみて、おほんここちもいとしけれど、ゐんもとみにわたりたまはぬほど、かくなんともこえず。
356.6500463第六段 朱雀院の五十賀、延期される
356.6.1501464 女御(にょうご)御方(おほんかた)より御消息(おほんせうそこ)あるに、 にょうごおほんかたよりおほんせうそこあるに、
356.6.2502465 「かく(なや)ましくてなむ」 "かくなやましくてなん。"
356.6.3503466 ()こえたまへるに、(おどろ)きて、そなたより()こえたまへるに、(むね)つぶれて、(いそ)(わた)りたまへるに、いと(くる)しげにておはす。 こえたまへるに、おどろきて、そなたよりこえたまへるに、むねつぶれて、いそわたりたまへるに、いとくるしげにておはす。
356.6.4504467 「いかなる御心地(みここち)ぞ」 "いかなるみここちぞ。"
356.6.5505468 とて(さぐ)りたてまつりたまへば、いと(あつ)くおはすれば、昨日聞(きのふき)こえたまひし(おほん)つつしみの(すぢ)など(おぼ)()はせたまひて、いと(おそ)ろしく(おぼ)さる。 とてさぐりたてまつりたまへば、いとあつくおはすれば、きのふきこえたまひしおほんつつしみのすぢなどおぼはせたまひて、いとおそろしくおぼさる。
356.6.6506469 御粥(おほんかゆ)などこなたに(まゐ)らせたれど、御覧(ごらん)じも()れず、日一日添(ひひとひそ)ひおはして、よろづに()たてまつり(なげ)きたまふ。はかなき(おほん)くだものをだに、いともの()くしたまひて、()()がりたまふこと()えて、()ごろ()ぬ。 おほんかゆなどこなたにまゐらせたれど、ごらんじもれず、ひひとひそひおはして、よろづにたてまつりなげきたまふ。はかなきおほんくだものをだに、いとものくしたまひて、がりたまふことえて、ごろぬ。
356.6.7507470 いかならむと(おぼ)(さわ)ぎて、御祈(おほんいの)りども、数知(かずし)らず(はじ)めさせたまふ。僧召(そうめ)して、御加持(おほんかぢ)などせさせたまふ。そこところともなく、いみじく(くる)しくしたまひて、(むね)時々(ときどき)おこりつつ(わづら)ひたまふさま、()へがたく(くる)しげなり。 いかならんとおぼさわぎて、おほんいのりども、かずしらずはじめさせたまふ。そうめして、おほんかぢなどせさせたまふ。そこところともなく、いみじくくるしくしたまひて、むねときどきおこりつつわづらひたまふさま、へがたくくるしげなり。
356.6.8508471 さまざまの御慎(おほんつつ)しみ(かぎ)りなけれど、しるしも()えず。(おも)しと()れど、おのづからおこたるけぢめあらば(たの)もしきを、いみじく心細(こころぼそ)(かな)しと()たてまつりたまふに、異事思(ことごとおぼ)されねば、御賀(おほんが)(ひび)きも(しづ)まりぬ。かの(ゐん)よりも、かく(わづら)ひたまふよし()こし()して、御訪(おほんとぶ)らひいとねむごろに、たびたび()こえたまふ。 さまざまのおほんつつしみかぎりなけれど、しるしもえず。おもしとれど、おのづからおこたるけぢめあらばたのもしきを、いみじくこころぼそかなしとたてまつりたまふに、ことごとおぼされねば、おほんがひびきもしづまりぬ。かのゐんよりも、かくわづらひたまふよしこしして、おほんとぶらひいとねんごろに、たびたびこえたまふ。
356.7509472第七段 紫の上、二条院に転地療養
356.7.1510473 (おな)じさまにて、二月(にがつ)()ぎぬ。いふ(かぎ)りなく(おぼ)(なげ)きて、(こころ)みに(ところ)()へたまはむとて、二条(にでう)(ゐん)(わた)したてまつりたまひつ。(ゐん)(うち)ゆすり()ちて、(おも)(なげ)人多(ひとおほ)かり。 おなじさまにて、にがつぎぬ。いふかぎりなくおぼなげきて、こころみにところへたまはんとて、にでうゐんわたしたてまつりたまひつ。ゐんうちゆすりちて、おもなげひとおほかり。
356.7.2511474 冷泉院(れいぜいゐん)()こし()(なげ)く。この人亡(ひとう)せたまはば、(ゐん)も、かならず()(そむ)御本意遂(おほんほいと)げたまひてむと、大将(だいしゃう)(きみ)なども、(こころ)()くして()たてまつり(あつか)ひたまふ。 れいぜいゐんこしなげく。このひとうせたまはば、ゐんも、かならずそむおほんほいとげたまひてんと、だいしゃうきみなども、こころくしてたてまつりあつかひたまふ。
356.7.3512475 御修法(みすほふ)などは、おほかたのをばさるものにて、()()きて(つか)うまつらせたまふ。いささかもの(おぼ)()(ひま)には、 みすほふなどは、おほかたのをばさるものにて、きてつかうまつらせたまふ。いささかものおぼひまには、
356.7.4513476 ()こゆることを、さも心憂(こころう)く」 "こゆることを、さもこころうく。"
356.7.5514477 とのみ(うら)みきこえたまへど、(かぎ)りありて(わか)()てたまはむよりも、()(まへ)に、わが(こころ)とやつし()てたまはむ(おほん)ありさまを()ては、さらに片時堪(かたときた)ふまじくのみ、()しく(かな)しかるべければ、 とのみうらみきこえたまへど、かぎりありてわかてたまはんよりも、まへに、わがこころとやつしてたまはんおほんありさまをては、さらにかたときたふまじくのみ、しくかなしかるべければ、
356.7.6515478 (むかし)より、みづからぞかかる本意深(ほいふか)きを、とまりてさうざうしく(おぼ)されむ心苦(こころぐる)しさに()かれつつ()ぐすを、さかさまにうち()てたまはむとや(おぼ)す」 "むかしより、みづからぞかかるほいふかきを、とまりてさうざうしくおぼされんこころぐるしさにかれつつぐすを、さかさまにうちてたまはんとやおぼす。"
356.7.7516479 とのみ、()しみきこえたまふに、げにいと(たの)みがたげに(よわ)りつつ、(かぎ)りのさまに()えたまふ折々多(をりをりおほ)かるを、いかさまにせむと(おぼ)(まど)ひつつ、(みや)御方(おほんかた)にも、あからさまに(わた)りたまはず。御琴(おほんこと)どももすさまじくて、皆引(みなひ)()められ、(ゐん)(うち)(ひと)びとは、(みな)ある(かぎ)二条(にでう)(ゐん)(つど)(まゐ)りて、この(ゐん)には、()()ちたるやうにて、ただ(をんな)どちおはして、(ひと)ひとりの(おほん)けはひなりけりと()ゆ。 とのみ、しみきこえたまふに、げにいとたのみがたげによわりつつ、かぎりのさまにえたまふをりをりおほかるを、いかさまにせんとおぼまどひつつ、みやおほんかたにも、あからさまにわたりたまはず。おほんことどももすさまじくて、みなひめられ、ゐんうちひとびとは、みなあるかぎにでうゐんつどまゐりて、このゐんには、ちたるやうにて、ただをんなどちおはして、ひとひとりのおほんけはひなりけりとゆ。
356.8517480第八段 明石女御、看護のため里下り
356.8.1518481 女御(にょうご)(きみ)(わた)りたまひて、もろともに()たてまつり(あつか)ひたまふ。 にょうごきみわたりたまひて、もろともにたてまつりあつかひたまふ。
356.8.2519482 「ただにもおはしまさで、もののけなどいと(おそ)ろしきを、(はや)(まゐ)りたまひね」 "ただにもおはしまさで、もののけなどいとおそろしきを、はやまゐりたまひね。"
356.8.3520483 と、(くる)しき御心地(みここち)にも()こえたまふ。若宮(わかみや)の、いとうつくしうておはしますを()たてまつりたまひても、いみじく()きたまひて、 と、くるしきみここちにもこえたまふ。わかみやの、いとうつくしうておはしますをたてまつりたまひても、いみじくきたまひて、
356.8.4521484 「おとなびたまはむを、え()たてまつらずなりなむこと。(わす)れたまひなむかし」 "おとなびたまはんを、えたてまつらずなりなんこと。わすれたまひなんかし。"
356.8.5522485 とのたまへば、女御(にょうご)、せきあへず(かな)しと(おぼ)したり。 とのたまへば、にょうご、せきあへずかなしとおぼしたり。
356.8.6523486 「ゆゆしく、かくな(おぼ)しそ。さりともけしうはものしたまはじ。(こころ)によりなむ、(ひと)はともかくもある。おきて(ひろ)きうつはものには、(さいは)ひもそれに(したが)ひ、(せば)(こころ)ある(ひと)は、さるべきにて、(たか)()となりても、ゆたかにゆるべる(かた)(おく)れ、(きふ)なる(ひと)は、(ひさ)しく(つね)ならず、(こころ)ぬるくなだらかなる(ひと)は、(なが)(ためし)なむ(おほ)かりける」 "ゆゆしく、かくなおぼしそ。さりともけしうはものしたまはじ。こころによりなん、ひとはともかくもある。おきてひろきうつはものには、さいはひもそれにしたがひ、せばこころあるひとは、さるべきにて、たかとなりても、ゆたかにゆるべるかたおくれ、きふなるひとは、ひさしくつねならず、こころぬるくなだらかなるひとは、ながためしなんおほかりける。"
356.8.7524487 など、仏神(ほとけかみ)にも、この御心(みこころ)ばせのありがたく、罪軽(つみかろ)きさまを(まう)(あき)らめさせたまふ。 など、ほとけかみにも、このみこころばせのありがたく、つみかろきさまをまうあきらめさせたまふ。
356.8.8525488 御修法(みすほふ)阿闍梨(あざり)たち、夜居(よゐ)などにても、(ちか)くさぶらふ(かぎ)りのやむごとなき(そう)などは、いとかく(おぼ)(まど)へる(おほん)けはひを()くに、いといみじく心苦(こころぐる)しければ、(こころ)()こして(いの)りきこゆ。すこしよろしきさまに()えたまふ(とき)(いつか)六日(むいか)うちまぜつつ、また(おも)りわづらひたまふこと、いつとなくて月日(つきひ)()たまへば、「なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじき御心地(みここち)にや」と、(おぼ)(なげ)く。 みすほふあざりたち、よゐなどにても、ちかくさぶらふかぎりのやんごとなきそうなどは、いとかくおぼまどへるおほんけはひをくに、いといみじくこころぐるしければ、こころこしていのりきこゆ。すこしよろしきさまにえたまふときいつかむいかうちまぜつつ、またおもりわづらひたまふこと、いつとなくてつきひたまへば、"なほ、いかにおはすべきにか。よかるまじきみここちにや。"と、おぼなげく。
356.8.9526489 (おほん)もののけなど()ひて()()るもなし。(なや)みたまふさま、そこはかと()えず、ただ()()へて、(よわ)りたまふさまにのみ()ゆれば、いともいとも(かな)しくいみじく(おぼ)すに、御心(みこころ)(いとま)もなげなり。 おほんもののけなどひてるもなし。なやみたまふさま、そこはかとえず、ただへて、よわりたまふさまにのみゆれば、いともいともかなしくいみじくおぼすに、みこころいとまもなげなり。
357527490第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語
357.1528491第一段 柏木、女二の宮と結婚
357.1.1529492 まことや、衛門督(ゑもんのかみ)は、中納言(ちゅうなごん)になりにきかし。(いま)御世(みよ)には、いと(した)しく(おぼ)されて、いと(とき)(ひと)なり。()のおぼえまさるにつけても、(おも)ふことのかなはぬ(うれ)はしさを(おも)ひわびて、この(みや)御姉(おほんあね)()(みや)をなむ()たてまつりてける。下臈(げらふ)更衣腹(かういばら)におはしましければ、(こころ)やすき(かた)まじりて(おも)ひきこえたまへり。 まことや、ゑもんのかみは、ちゅうなごんになりにきかし。いまみよには、いとしたしくおぼされて、いとときひとなり。のおぼえまさるにつけても、おもふことのかなはぬうれはしさをおもひわびて、このみやおほんあねみやをなんたてまつりてける。げらふかういばらにおはしましければ、こころやすきかたまじりておもひきこえたまへり。
357.1.2530493 人柄(ひとがら)も、なべての(ひと)(おも)ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし(かた)こそなほ(ふか)かりけれ、(なぐさ)めがたき姨捨(をばすて)にて、人目(ひとめ)(とが)めらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。 ひとがらも、なべてのひとおもひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにしかたこそなほふかかりけれ、なぐさめがたきをばすてにて、ひとめとがめらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。
357.1.3531494 なほ、かの(した)心忘(こころわす)られず、小侍従(こじじゅう)といふ(かた)らひ(びと)は、(みや)御侍従(おほんじじゅう)乳母(めのと)(むすめ)なりけり。その乳母(めのと)(あね)ぞ、かの(かん)(きみ)御乳母(おほんめのと)なりければ、(はや)くより気近(けぢか)()きたてまつりて、まだ宮幼(みやをさな)くおはしましし(とき)より、いときよらになむおはします、(みかど)のかしづきたてまつりたまふさまなど、()きおきたてまつりて、かかる(おも)ひもつきそめたるなりけり。 なほ、かのしたこころわすられず、こじじゅうといふかたらひびとは、みやおほんじじゅうめのとむすめなりけり。そのめのとあねぞ、かのかんきみおほんめのとなりければ、はやくよりけぢかきたてまつりて、まだみやをさなくおはしまししときより、いときよらになんおはします、みかどのかしづきたてまつりたまふさまなど、きおきたてまつりて、かかるおもひもつきそめたるなりけり。
357.2532495第二段 柏木、小侍従を語らう
357.2.1533496 かくて、(ゐん)(はな)れおはしますほど、人目少(ひとめすく)なくしめやかならむを()(はか)りて、小侍従(こじじゅう)(むか)()りつつ、いみじう(かた)らふ。 かくて、ゐんはなれおはしますほど、ひとめすくなくしめやかならんをはかりて、こじじゅうむかりつつ、いみじうかたらふ。
357.2.2534497 (むかし)より、かく(いのち)()ふまじく(おも)ふことを、かかる(した)しきよすがありて、(おほん)ありさまを()(つた)へ、()へぬ(こころ)のほどをも()こし()させて、(たの)もしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなむつらき。 "むかしより、かくいのちふまじくおもふことを、かかるしたしきよすがありて、おほんありさまをつたへ、へぬこころのほどをもこしさせて、たのもしきに、さらにそのしるしのなければ、いみじくなんつらき。
357.2.3535498 (ゐん)(うへ)だに、『かくあまたにかけかけしくて、(ひと)()されたまふやうにて、一人大殿籠(ひとりおほとのご)もる()()(おほ)く、つれづれにて()ぐしたまふなり』など、(ひと)(そう)しけるついでにも、すこし()(おぼ)したる()けしきにて、 ゐんうへだに、"かくあまたにかけかけしくて、ひとされたまふやうにて、ひとりおほとのごもるおほく、つれづれにてぐしたまふなり。"など、ひとそうしけるついでにも、すこしおぼしたるけしきにて、
357.2.4536499 (おな)じくは、ただ(うど)(こころ)やすき後見(うしろみ)(さだ)めむには、まめやかに(つか)うまつるべき(ひと)をこそ、(さだ)むべかりけれ』と、のたまはせて、『女二(をんなに)(みや)の、なかなかうしろやすく、()末長(すゑなが)きさまにてものしたまふなること』 'おなじくは、ただうどこころやすきうしろみさだめんには、まめやかにつかうまつるべきひとをこそ、さだむべかりけれ。"と、のたまはせて、"をんなにみやの、なかなかうしろやすく、すゑながきさまにてものしたまふなること。'
357.2.5537500 と、のたまはせけるを(つた)()きしに。いとほしくも、口惜(くちを)しくも、いかが(おも)(みだ)るる。 と、のたまはせけるをつたきしに。いとほしくも、くちをしくも、いかがおもみだるる。
357.2.6538501 げに、(おな)御筋(すぢ)とは(たづ)ねきこえしかど、それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ」 げに、おなすぢとはたづねきこえしかど、それはそれとこそおぼゆるわざなりけれ。"
357.2.7539502 と、うちうめきたまへば、小侍従(こじじゅう) と、うちうめきたまへば、こじじゅう
357.2.8540503 「いで、あな、おほけな。それをそれとさし()きたてまつりたまひて、また、いかやうに(かぎ)りなき御心(みこころ)ならむ」 "いで、あな、おほけな。それをそれとさしきたてまつりたまひて、また、いかやうにかぎりなきみこころならん。"
357.2.9541504 ()へば、うちほほ()みて、 へば、うちほほみて、
357.2.10542505 「さこそはありけれ。(みや)にかたじけなく()こえさせ(およ)びけるさまは、(ゐん)にも内裏(うち)にも()こし()しけり。などてかは、さてもさぶらはざらましとなむ、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、(いま)すこしの(おほん)いたはりあらましかば」 "さこそはありけれ。みやにかたじけなくこえさせおよびけるさまは、ゐんにもうちにもこししけり。などてかは、さてもさぶらはざらましとなん、ことのついでにはのたまはせける。いでや、ただ、いますこしのおほんいたはりあらましかば。"
357.2.11543506 など()へば、 などへば、
357.2.12544507 「いと(かた)(おほん)ことなりや。御宿世(おほんすくせ)とかいふことはべなるを、もとにて、かの(ゐん)言出(ことい)でてねむごろに()こえたまふに、()(なら)(さまた)げきこえさせたまふべき御身(おほんみ)のおぼえとや(おぼ)されし。このころこそ、すこしものものしく、御衣(おほんぞ)(いろ)(ふか)くなりたまへれ」 "いとかたおほんことなりや。おほんすくせとかいふことはべなるを、もとにて、かのゐんこといでてねんごろにこえたまふに、ならさまたげきこえさせたまふべきおほんみのおぼえとやおぼされし。このころこそ、すこしものものしく、おほんぞいろふかくなりたまへれ。"
357.2.13545508 ()へば、いふかひなくはやりかなる口強(くちごは)さに、え()()てたまはで、 へば、いふかひなくはやりかなるくちごはさに、えてたまはで、
357.2.14546509 (いま)はよし。()ぎにし(かた)をば()こえじや。ただ、かくありがたきものの(ひま)に、気近(けぢか)きほどにて、この(こころ)のうちに(おも)ふことの(はし)、すこし()こえさせつべくたばかりたまへ。おほけなき(こころ)は、すべて、よし()たまへ、いと(おそ)ろしければ、(おも)(はな)れてはべり」 "いまはよし。ぎにしかたをばこえじや。ただ、かくありがたきもののひまに、けぢかきほどにて、このこころのうちにおもふことのはし、すこしこえさせつべくたばかりたまへ。おほけなきこころは、すべて、よしたまへ、いとおそろしければ、おもはなれてはべり。"
357.2.15547510 とのたまへば、 とのたまへば、
357.2.16548511 「これよりおほけなき(こころ)は、いかがはあらむ。いとむくつけきことをも(おぼ)()りけるかな。(なに)しに(まゐ)りつらむ」 "これよりおほけなきこころは、いかがはあらん。いとむくつけきことをもおぼりけるかな。なにしにまゐりつらん。"
357.2.17549512 と、はちふく。 と、はちふく。
357.3550513第三段 小侍従、手引きを承諾
357.3.1551514 「いで、あな、()きにく。あまりこちたくものをこそ()ひなしたまふべけれ。()はいと(さだ)めなきものを、女御(にょうご)(きさき)も、あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは。まして、その(おほん)ありさまよ。(おも)へば、いとたぐひなくめでたけれど、うちうちは(こころ)やましきことも(おほ)かるらむ。 "いで、あな、きにく。あまりこちたくものをこそひなしたまふべけれ。はいとさだめなきものを、にょうごきさきも、あるやうありて、ものしたまふたぐひなくやは。まして、そのおほんありさまよ。おもへば、いとたぐひなくめでたけれど、うちうちはこころやましきこともおほかるらん。
357.3.2552515 (ゐん)の、あまたの御中(おほんなか)に、また(なら)びなきやうにならはしきこえたまひしに、さしもひとしからぬ(きは)御方々(おほんかたがた)にたち()じり、めざましげなることもありぬべくこそ。いとよく()きはべりや。()(なか)はいと(つね)なきものを、ひときはに(おも)(さだ)めて、はしたなく、()()りなることなのたまひそよ」 ゐんの、あまたのおほんなかに、またならびなきやうにならはしきこえたまひしに、さしもひとしからぬきはおほんかたがたにたちじり、めざましげなることもありぬべくこそ。いとよくきはべりや。なかはいとつねなきものを、ひときはにおもさだめて、はしたなく、りなることなのたまひそよ。"
357.3.3553516 とのたまへば、 とのたまへば、
357.3.4554517 (ひと)()とされたまへる(おほん)ありさまとて、めでたき(かた)(あらた)めたまふべきにやははべらむ。これは()(つね)(おほん)ありさまにもはべらざめり。ただ、御後見(おほんうしろみ)なくて(ただよ)はしくおはしまさむよりは、(おや)ざまに、と(ゆづ)りきこえたまひしかば、かたみにさこそ(おも)()はしきこえさせたまひためれ。あいなき御落(おほんお)としめ(ごと)になむ」 "ひととされたまへるおほんありさまとて、めでたきかたあらためたまふべきにやははべらん。これはつねおほんありさまにもはべらざめり。ただ、おほんうしろみなくてただよはしくおはしまさんよりは、おやざまに、とゆづりきこえたまひしかば、かたみにさこそおもはしきこえさせたまひためれ。あいなきおほんおとしめごとになん。"
357.3.5555518 と、()()ては腹立(はらだ)つを、よろづに()ひこしらへて、 と、てははらだつを、よろづにひこしらへて、
357.3.6556519 「まことは、さばかり()になき(おほん)ありさまを()たてまつり()れたまへる御心(みこころ)に、(かず)にもあらずあやしきなれ姿(すがた)を、うちとけて御覧(ごらん)ぜられむとは、さらに(おも)ひかけぬことなり。ただ一言(ひとこと)物越(ものごし)にて()こえ()らすばかりは、(なに)ばかりの御身(おほんみ)のやつれにかはあらむ。神仏(かみほとけ)にも(おも)ふこと(まう)すは、(つみ)あるわざかは」 "まことは、さばかりになきおほんありさまをたてまつりれたまへるみこころに、かずにもあらずあやしきなれすがたを、うちとけてごらんぜられんとは、さらにおもひかけぬことなり。ただひとことものごしにてこえらすばかりは、なにばかりのおほんみのやつれにかはあらん。かみほとけにもおもふことまうすは、つみあるわざかは。"
357.3.7557520 と、いみじき誓言(ちかごと)をしつつのたまへば、しばしこそ、いとあるまじきことに()(かへ)しけれ、もの(ふか)からぬ若人(わかうど)は、(ひと)のかく()()へていみじく(おも)ひのたまふを、え(いな)()てで、 と、いみじきちかごとをしつつのたまへば、しばしこそ、いとあるまじきことにかへしけれ、ものふかからぬわかうどは、ひとのかくへていみじくおもひのたまふを、えいなてで、
357.3.8558521 「もし、さりぬべき(ひま)あらば、たばかりはべらむ。(ゐん)のおはしまさぬ()は、御帳(みちゃう)のめぐりに人多(ひとおほ)くさぶらひて、御座(おまし)のほとりに、さるべき(ひと)かならずさぶらひたまへば、いかなる(をり)をかは、(ひま)()つけはべるべからむ」 "もし、さりぬべきひまあらば、たばかりはべらん。ゐんのおはしまさぬは、みちゃうのめぐりにひとおほくさぶらひて、おましのほとりに、さるべきひとかならずさぶらひたまへば、いかなるをりをかは、ひまつけはべるべからん。"
357.3.9559522 と、わびつつ(まゐ)りぬ。 と、わびつつまゐりぬ。
357.4560523第四段 小侍従、柏木を導き入れる
357.4.1561524 いかに、いかにと、日々(ひび)()められ(こう)じて、さるべき(をり)うかがひつけて、消息(せうそこ)しおこせたり。(よろこ)びながら、いみじくやつれ(しの)びておはしぬ。 いかに、いかにと、ひびめられこうじて、さるべきをりうかがひつけて、せうそこしおこせたり。よろこびながら、いみじくやつれしのびておはしぬ。
357.4.2562525 まことに、わが(こころ)にもいとけしからぬことなれば、気近(けぢか)く、なかなか(おも)(みだ)るることもまさるべきことまでは、(おも)ひも()らず、ただ、 まことに、わがこころにもいとけしからぬことなれば、けぢかく、なかなかおもみだるることもまさるべきことまでは、おもひもらず、ただ、
357.4.3563526 「いとほのかに御衣(おほんぞ)のつまばかりを()たてまつりし(はる)(ゆふべ)の、()かず()とともに(おも)()でられたまふ(おほん)ありさまを、すこし気近(けぢか)くて()たてまつり、(おも)ふことをも()こえ()らせては、一行(ひとくだり)御返(おほんかへ)りなどもや()せたまふ、あはれとや(おぼ)()る」 "いとほのかにおほんぞのつまばかりをたてまつりしはるゆふべの、かずとともにおもでられたまふおほんありさまを、すこしけぢかくてたてまつり、おもふことをもこえらせては、ひとくだりおほんかへりなどもやせたまふ、あはれとやおぼる。"
357.4.4564527 とぞ(おも)ひける。 とぞおもひける。
357.4.5565528 四月十余日(しがつじふよにち)ばかりのことなり。御禊明日(みそぎあす)とて、斎院(さいゐん)にたてまつりたまふ女房十二人(にょうばうじふににん)、ことに上臈(じゃうらふ)にはあらぬ(わか)(ひと)童女(わらはべ)など、おのがじしもの()ひ、化粧(けさう)などしつつ、物見(ものみ)むと(おも)ひまうくるも、とりどりに(いとま)なげにて、御前(おまへ)(かた)しめやかにて、(ひと)しげからぬ(をり)なりけり。 しがつじふよにちばかりのことなり。みそぎあすとて、さいゐんにたてまつりたまふにょうばうじふににん、ことにじゃうらふにはあらぬわかひとわらはべなど、おのがじしものひ、けさうなどしつつ、ものみんとおもひまうくるも、とりどりにいとまなげにて、おまへかたしめやかにて、ひとしげからぬをりなりけり。
357.4.6566529 (ちか)くさぶらふ按察使(あぜち)(きみ)も、時々通(ときどきかよ)源中将(げんちゅうじゃう)()めて()()ださせければ、()りたる()に、ただこの侍従(じじゅう)ばかり、(ちか)くはさぶらふなりけり。よき(をり)(おも)ひて、やをら御帳(みちゃう)東面(ひんがしおもて)御座(おまし)(はし)()ゑつ。さまでもあるべきことなりやは。 ちかくさぶらふあぜちきみも、ときどきかよげんちゅうじゃうめてださせければ、りたるに、ただこのじじゅうばかり、ちかくはさぶらふなりけり。よきをりおもひて、やをらみちゃうひんがしおもておましはしゑつ。さまでもあるべきことなりやは。
357.5567530第五段 柏木、女三の宮をかき抱く
357.5.1568531 (みや)は、何心(なにごころ)もなく大殿籠(おほとのご)もりにけるを、(ちか)(をとこ)のけはひのすれば、(ゐん)のおはすると(おぼ)したるに、うちかしこまりたるけしき()せて、(ゆか)(しも)(いだ)()ろしたてまつるに、(もの)(おそ)はるるかと、せめて見上(みあ)げたまへれば、あらぬ(ひと)なりけり。 みやは、なにごころもなくおほとのごもりにけるを、ちかをとこのけはひのすれば、ゐんのおはするとおぼしたるに、うちかしこまりたるけしきせて、ゆかしもいだろしたてまつるに、ものおそはるるかと、せめてみあげたまへれば、あらぬひとなりけり。
357.5.2569533 あやしく()きも()らぬことどもをぞ()こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召(ひとめ)せど、(ちか)くもさぶらはねば、()きつけて(まゐ)るもなし。わななきたまふさま、(みづ)のやうに(あせ)(なが)れて、ものもおぼえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。 あやしくきもらぬことどもをぞこゆるや。あさましくむくつけくなりて、ひとめせど、ちかくもさぶらはねば、きつけてまゐるもなし。わななきたまふさま、みづのやうにあせながれて、ものもおぼえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。
357.5.3570534 (かず)ならねど、いとかうしも(おぼ)()さるべき()とは、(おも)うたまへられずなむ。 "かずならねど、いとかうしもおぼさるべきとは、おもうたまへられずなん。
357.5.4571535 (むかし)よりおほけなき(こころ)のはべりしを、ひたぶるに()めて()みはべなましかば、(こころ)のうちに()たして()ぎぬべかりけるを、なかなか、()らしきこえさせて、(ゐん)にも()こし()されにしを、こよなくもて(はな)れてものたまはせざりけるに、(たの)みをかけそめはべりて、()(かず)ならぬひときはに、(ひと)より(ふか)(こころ)ざしを(むな)しくなしはべりぬることと、(うご)かしはべりにし(こころ)なむ、よろづ(いま)はかひなきことと(おも)うたまへ(かへ)せど、いかばかりしみはべりにけるにか、年月(としつき)()へて、口惜(くちを)しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに(ふか)(おも)うたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧(ごらん)ぜられぬるも、かつは、いと(おも)ひやりなく()づかしければ、罪重(つみおも)(こころ)もさらにはべるまじ」 むかしよりおほけなきこころのはべりしを、ひたぶるにめてみはべなましかば、こころのうちにたしてぎぬべかりけるを、なかなか、らしきこえさせて、ゐんにもこしされにしを、こよなくもてはなれてものたまはせざりけるに、たのみをかけそめはべりて、かずならぬひときはに、ひとよりふかこころざしをむなしくなしはべりぬることと、うごかしはべりにしこころなん、よろづいまはかひなきこととおもうたまへかへせど、いかばかりしみはべりにけるにか、としつきへて、くちをしくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろにふかおもうたまへまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまをごらんぜられぬるも、かつは、いとおもひやりなくづかしければ、つみおもこころもさらにはべるまじ。"
357.5.5572536 ()ひもてゆくに、この(ひと)なりけりと(おぼ)すに、いとめざましく(おそ)ろしくて、つゆいらへもしたまはず。 ひもてゆくに、このひとなりけりとおぼすに、いとめざましくおそろしくて、つゆいらへもしたまはず。
357.5.6573537 「いとことわりなれど、()(ためし)なきことにもはべらぬを、めづらかに(なさ)けなき御心(みこころ)ばへならば、いと心憂(こころう)くて、なかなかひたぶるなる(こころ)もこそつきはべれ、あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなむ」 "いとことわりなれど、ためしなきことにもはべらぬを、めづらかになさけなきみこころばへならば、いとこころうくて、なかなかひたぶるなるこころもこそつきはべれ、あはれとだにのたまはせば、それをうけたまはりてまかでなん。"
357.5.7574538 と、よろづに()こえたまふ。 と、よろづにこえたまふ。
357.6575539第六段 柏木、猫の夢を見る
357.6.1576540 よその(おも)ひやりはいつくしく、もの()れて()えたてまつらむも()づかしく()(はか)られたまふに、「ただかばかり(おも)ひつめたる片端聞(かたはしき)こえ()らせて、なかなかかけかけしきことはなくて()みなむ」と(おも)ひしかど、いとさばかり気高(けだか)()づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ()えたまふ(おほん)けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、(ひと)()させたまはざりける。 よそのおもひやりはいつくしく、ものれてえたてまつらんもづかしくはかられたまふに、"ただかばかりおもひつめたるかたはしきこえらせて、なかなかかけかけしきことはなくてみなん。"とおもひしかど、いとさばかりけだかづかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみえたまふおほんけはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、ひとさせたまはざりける。
357.6.2577541 (さか)しく(おも)(しづ)むる(こころ)()せて、「いづちもいづちも()(かく)したてまつりて、わが()()()るさまならず、跡絶(あとた)えて()みなばや」とまで(おも)(みだ)れぬ。 さかしくおもしづむるこころせて、"いづちもいづちもかくしたてまつりて、わがるさまならず、あとたえてみなばや。"とまでおもみだれぬ。
357.6.3578542 ただいささかまどろむともなき(ゆめ)に、この手馴(てな)らしし(ねこ)の、いとらうたげにうち()きて()たるを、この(みや)(たてまつ)らむとて、わが()()たるとおぼしきを、(なに)しに(たてまつ)りつらむと(おも)ふほどに、おどろきて、いかに()えつるならむ、と(おも)ふ。 ただいささかまどろむともなきゆめに、このてならししねこの、いとらうたげにうちきてたるを、このみやたてまつらんとて、わがたるとおぼしきを、なにしにたてまつりつらんとおもふほどに、おどろきて、いかにえつるならん、とおもふ。
357.6.4579543 (みや)は、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、(むね)ふたがりて、(おぼ)しおぼほるるを、 みやは、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、むねふたがりて、おぼしおぼほるるを、
357.6.5580544 「なほ、かく(のが)れぬ御宿世(おほんすくせ)の、(あさ)からざりけると(おも)ほしなせ。みづからの(こころ)ながらも、うつし(ごころ)にはあらずなむ、おぼえはべる」 "なほ、かくのがれぬおほんすくせの、あさからざりけるとおもほしなせ。みづからのこころながらも、うつしごころにはあらずなん、おぼえはべる。"
357.6.6581545 かのおぼえなかりし御簾(みす)のつまを、(ねこ)綱引(つなひ)きたりし(ゆふ)べのことも()こえ()でたり。 かのおぼえなかりしみすのつまを、ねこつなひきたりしゆふべのこともこえでたり。
357.6.7582546 「げに、さはたありけむよ」 "げに、さはたありけんよ。"
357.6.8583547 と、口惜(くちを)しく、(ちぎ)心憂(こころう)御身(おほんみ)なりけり。「(ゐん)にも、(いま)はいかでかは()えたてまつらむ」と、(かな)しく心細(こころぼそ)くて、いと(をさな)げに()きたまふを、いとかたじけなく、あはれと()たてまつりて、(ひと)御涙(おほんなみだ)をさへ(のご)(そで)は、いとど(つゆ)けさのみまさる。 と、くちをしく、ちぎこころうおほんみなりけり。"ゐんにも、いまはいかでかはえたてまつらん。"と、かなしくこころぼそくて、いとをさなげにきたまふを、いとかたじけなく、あはれとたてまつりて、ひとおほんなみだをさへのごそでは、いとどつゆけさのみまさる。
357.7584548第七段 きぬぎぬの別れ
357.7.1585549 ()けゆくけしきなるに、()でむ(かた)なく、なかなかなり。 けゆくけしきなるに、でんかたなく、なかなかなり。
357.7.2586550 「いかがはしはべるべき。いみじく(にく)ませたまへば、また()こえさせむこともありがたきを、ただ一言御声(ひとことおほんこゑ)()かせたまへ」 "いかがはしはべるべき。いみじくにくませたまへば、またこえさせんこともありがたきを、ただひとことおほんこゑかせたまへ。"
357.7.3587551 と、よろづに()こえ(なや)ますも、うるさくわびしくて、もののさらに()はれたまはねば、 と、よろづにこえなやますも、うるさくわびしくて、もののさらにはれたまはねば、
357.7.4588552 ()()ては、むくつけくこそなりはべりぬれ。また、かかるやうはあらじ」 "ては、むくつけくこそなりはべりぬれ。また、かかるやうはあらじ。"
357.7.5589553 と、いと()しと(おも)ひきこえて、 と、いとしとおもひきこえて、
357.7.6590554 「さらば不用(ふよう)なめり。()をいたづらにやはなし()てぬ。いと()てがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。今宵(こよひ)(かぎ)りはべりなむもいみじくなむ。つゆにても御心(みこころ)ゆるしたまふさまならば、それに()へつるにても()てはべりなまし」 "さらばふようなめり。をいたづらにやはなしてぬ。いとてがたきによりてこそ、かくまでもはべれ。こよひかぎりはべりなんもいみじくなん。つゆにてもみこころゆるしたまふさまならば、それにへつるにてもてはべりなまし。"
357.7.7591555 とて、かき(いだ)きて()づるに、()てはいかにしつるぞと、あきれて(おぼ)さる。 とて、かきいだきてづるに、てはいかにしつるぞと、あきれておぼさる。
357.7.8592556 (すみ)()屏風(びゃうぶ)をひき(ひろ)げて、()()()けたれば、渡殿(わたどの)(みなみ)()の、昨夜入(よべい)りしがまだ()きながらあるに、まだ()けぐれのほどなるべし、ほのかに()たてまつらむの(こころ)あれば、格子(かうし)をやをら()()げて、 すみびゃうぶをひきひろげて、けたれば、わたどのみなみの、よべいりしがまだきながらあるに、まだけぐれのほどなるべし、ほのかにたてまつらんのこころあれば、かうしをやをらげて、
357.7.9593557 「かう、いとつらき御心(みこころ)に、うつし(ごころ)()せはべりぬ。すこし(おも)ひのどめよと(おぼ)されば、あはれとだにのたまはせよ」 "かう、いとつらきみこころに、うつしごころせはべりぬ。すこしおもひのどめよとおぼされば、あはれとだにのたまはせよ。"
357.7.10594558 と、(おど)しきこゆるを、いとめづらかなりと(おぼ)して(もの)()はむとしたまへど、わななかれて、いと若々(わかわか)しき(おほん)さまなり。 と、おどしきこゆるを、いとめづらかなりとおぼしてものはんとしたまへど、わななかれて、いとわかわかしきおほんさまなり。
357.7.11595559 ただ()けに()けゆくに、いと(こころ)あわたたしくて、 ただけにけゆくに、いとこころあわたたしくて、
357.7.12596560 「あはれなる夢語(ゆめがた)りも()こえさすべきを、かく(にく)ませたまへばこそ。さりとも、今思(いまおぼ)()はすることもはべりなむ」 "あはれなるゆめがたりもこえさすべきを、かくにくませたまへばこそ。さりとも、いまおぼはすることもはべりなん。"
357.7.13597561 とて、のどかならず()()づる()けぐれ、(あき)(そら)よりも心尽(こころづ)くしなり。 とて、のどかならずづるけぐれ、あきそらよりもこころづくしなり。
357.7.14598562 ()きてゆく(そら)()られぬ()けぐれに<BR/>いづくの(つゆ)のかかる(そで)なり」 "〔きてゆくそらられぬけぐれに<BR/>いづくのつゆのかかるそでなり〕
357.7.15599563 と、ひき()でて(うれ)へきこゆれば、()でなむとするに、すこし(なぐさ)めたまひて、 と、ひきでてうれへきこゆれば、でなんとするに、すこしなぐさめたまひて、
357.7.16600564 ()けぐれの(そら)()()()えななむ<BR/>(ゆめ)なりけりと()てもやむべく」 "〔けぐれのそらえななん<BR/>ゆめなりけりとてもやむべく〕
357.7.17601565 と、はかなげにのたまふ(こゑ)の、(わか)くをかしげなるを、()きさすやうにて()でぬる(たましひ)は、まことに()(はな)れて()まりぬる心地(ここち)す。 と、はかなげにのたまふこゑの、わかくをかしげなるを、きさすやうにてでぬるたましひは、まことにはなれてまりぬるここちす。
357.8602566第八段 柏木と女三の宮の罪の恐れ
357.8.1603567 女宮(をんなみや)(おほん)もとにも()うでたまはで、大殿(おほとの)へぞ(しの)びておはしぬる。うち()したれど()()はず、()つる(ゆめ)のさだかに()はむことも(かた)きをさへ(おも)ふに、かの(ねこ)のありしさま、いと(こひ)しく(おも)()でらる。 をんなみやおほんもとにもうでたまはで、おほとのへぞしのびておはしぬる。うちしたれどはず、つるゆめのさだかにはんこともかたきをさへおもふに、かのねこのありしさま、いとこひしくおもでらる。
357.8.2604568 「さてもいみじき(あやま)ちしつる()かな。()にあらむことこそ、まばゆくなりぬれ」 "さてもいみじきあやまちしつるかな。にあらんことこそ、まばゆくなりぬれ。"
357.8.3605569 と、(おそ)ろしくそら()づかしき心地(ここち)して、ありきなどもしたまはず。(をんな)(おほん)ためはさらにもいはず、わが心地(ここち)にもいとあるまじきことといふ(なか)にも、むくつけくおぼゆれば、(おも)ひのままにもえ(まぎ)れありかず。 と、おそろしくそらづかしきここちして、ありきなどもしたまはず。をんなおほんためはさらにもいはず、わがここちにもいとあるまじきことといふなかにも、むくつけくおぼゆれば、おもひのままにもえまぎれありかず。
357.8.4606570 (みかど)御妻(みめ)をも()(あやま)ちて、ことの()こえあらむに、かばかりおぼえむことゆゑは、()のいたづらにならむ、(くる)しくおぼゆまじ。しか、いちじるき(つみ)にはあたらずとも、この(ゐん)()をそばめられたてまつらむことは、いと(おそ)ろしく()づかしくおぼゆ。 みかどみめをもあやまちて、ことのこえあらんに、かばかりおぼえんことゆゑは、のいたづらにならん、くるしくおぼゆまじ。しか、いちじるきつみにはあたらずとも、このゐんをそばめられたてまつらんことは、いとおそろしくづかしくおぼゆ。
357.8.5607571 (かぎ)りなき(をんな)()こゆれど、すこし()づきたる(こころ)ばへ()じり、(うへ)はゆゑあり()めかしきにも、(したが)はぬ(した)心添(こころそ)ひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心交(こころか)はしたまふたぐひもありけれ、これは(ふか)(こころ)もおはせねど、ひたおもむきにもの()ぢしたまへる御心(みこころ)に、ただ(いま)しも、(ひと)見聞(みき)きつけたらむやうに、まばゆく、()づかしく(おぼ)さるれば、()かき(ところ)にだにえゐざり()でたまはず。いと口惜(くちを)しき()なりけりと、みづから(おぼ)()るべし。 かぎりなきをんなこゆれど、すこしづきたるこころばへじり、うへはゆゑありめかしきにも、したがはぬしたこころそひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、こころかはしたまふたぐひもありけれ、これはふかこころもおはせねど、ひたおもむきにものぢしたまへるみこころに、ただいましも、ひとみききつけたらんやうに、まばゆく、づかしくおぼさるれば、かきところにだにえゐざりでたまはず。いとくちをしきなりけりと、みづからおぼるべし。
357.8.6608572 (なや)ましげになむ、とありければ、大殿聞(おとどき)きたまひて、いみじく御心(みこころ)()くしたまふ御事(おほんこと)にうち()へて、またいかにと(なげ)かせたまひて、(わた)りたまへり。 なやましげになん、とありければ、おとどききたまひて、いみじくみこころくしたまふおほんことにうちへて、またいかにとなげかせたまひて、わたりたまへり。
357.8.7609573 そこはかと(くる)しげなることも()えたまはず、いといたく()ぢらひしめりて、さやかにも見合(みあ)はせたてまつりたまはぬを、「(ひさ)しくなりぬる()()(うら)めしく(おぼ)すにや」と、いとほしくて、かの御心地(みここち)のさまなど()こえたまひて、 そこはかとくるしげなることもえたまはず、いといたくぢらひしめりて、さやかにもみあはせたてまつりたまはぬを、"ひさしくなりぬるうらめしくおぼすにや。"と、いとほしくて、かのみここちのさまなどこえたまひて、
357.8.8610574 (いま)はのとぢめにもこそあれ。(いま)さらにおろかなるさまを()えおかれじとてなむ。いはけなかりしほどより(あつか)ひそめて、見放(みはな)ちがたければ、かう(つき)ごろよろづを()らぬさまに()ぐしはべるぞ。おのづから、このほど()ぎば、見直(みなほ)したまひてむ」 "いまはのとぢめにもこそあれ。いまさらにおろかなるさまをえおかれじとてなん。いはけなかりしほどよりあつかひそめて、みはなちがたければ、かうつきごろよろづをらぬさまにぐしはべるぞ。おのづから、このほどぎば、みなほしたまひてん。"
357.8.9611575 など()こえたまふ。かくけしきも()りたまはぬも、いとほしく心苦(こころぐる)しく(おぼ)されて、(みや)人知(ひとし)れず(なみだ)ぐましく(おぼ)さる。 などこえたまふ。かくけしきもりたまはぬも、いとほしくこころぐるしくおぼされて、みやひとしれずなみだぐましくおぼさる。
357.9612576第九段 柏木と女二の宮の夫婦仲
357.9.1613577 (かん)(きみ)は、まして、なかなかなる心地(ここち)のみまさりて、()()()かし()らしわびたまふ。(まつり)()などは、物見(ものみ)(あらそ)()君達(きんだち)かき()()()ひそそのかせど、(なや)ましげにもてなして、(なが)()したまへり。 かんきみは、まして、なかなかなるここちのみまさりて、かしらしわびたまふ。まつりなどは、ものみあらそきんだちかきひそそのかせど、なやましげにもてなして、ながしたまへり。
357.9.2614578 女宮(をんなみや)をば、かしこまりおきたるさまにもてなしきこえて、をさをさうちとけても()えたてまつりたまはず、わが(かた)(はな)れゐて、いとつれづれに心細(こころぼそ)(なが)めゐたまへるに、(わらは)べの()たる(あふひ)()たまひて、 をんなみやをば、かしこまりおきたるさまにもてなしきこえて、をさをさうちとけてもえたてまつりたまはず、わがかたはなれゐて、いとつれづれにこころぼそながめゐたまへるに、わらはべのたるあふひたまひて、
357.9.3615579 (くや)しくぞ()(をか)しける葵草(あふひぐさ)<BR/>(かみ)(ゆる)せるかざしならぬに」 "〔くやしくぞをかしけるあふひぐさ<BR/>かみゆるせるかざしならぬに〕
357.9.4616580 (おも)ふも、いとなかなかなり。 おもふも、いとなかなかなり。
357.9.5617581 ()中静(なかしづ)かならぬ(くるま)(おと)などを、よそのことに()きて、(ひと)やりならぬつれづれに、()らしがたくおぼゆ。 なかしづかならぬくるまおとなどを、よそのことにきて、ひとやりならぬつれづれに、らしがたくおぼゆ。
357.9.6618582 女宮(をんなみや)も、かかるけしきのすさまじげさも見知(みし)られたまへば、何事(なにごと)とは()りたまはねど、()づかしくめざましきに、もの(おも)はしくぞ(おぼ)されける。 をんなみやも、かかるけしきのすさまじげさもみしられたまへば、なにごととはりたまはねど、づかしくめざましきに、ものおもはしくぞおぼされける。
357.9.7619583 女房(にょうばう)など、物見(ものみ)皆出(みない)でて、人少(ひとずく)なにのどやかなれば、うち(なが)めて、(さう)(こと)なつかしく()きまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、「(おな)じくは(いま)ひと際及(きはおよ)ばざりける宿世(すくせ)よ」と、なほおぼゆ。 にょうばうなど、ものみみないでて、ひとずくなにのどやかなれば、うちながめて、さうことなつかしくきまさぐりておはするけはひも、さすがにあてになまめかしけれど、"おなじくはいまひときはおよばざりけるすくせよ。"と、なほおぼゆ。
357.9.8620584 「もろかづら落葉(おちば)(なに)(ひろ)ひけむ<BR/>()(むつ)ましきかざしなれども」 "〔もろかづらおちばなにひろひけん<BR/>むつましきかざしなれども〕
357.9.9621585 ()きすさびゐたる、いとなめげなるしりう(ごと)なりかし。 きすさびゐたる、いとなめげなるしりうごとなりかし。
358622586第八章 紫の上の物語 死と蘇生
358.1623587第一段 紫の上、絶命す
358.1.1624588 大殿(おとど)(きみ)は、まれまれ(わた)りたまひて、えふとも()(かへ)りたまはず、静心(しづごころ)なく(おぼ)さるるに、 おとどきみは、まれまれわたりたまひて、えふともかへりたまはず、しづごころなくおぼさるるに、
358.1.2625589 ()()りたまひぬ」 "りたまひぬ。"
358.1.3626590 とて、人参(ひとまゐ)りたれば、さらに何事(なにごと)(おぼ)()かれず、御心(みこころ)()れて(わた)りたまふ。(みち)のほどの(こころ)もとなきに、げにかの(ゐん)は、ほとりの大路(おほぢ)まで人立(ひとた)(さわ)ぎたり。殿(との)のうち()きののしるけはひ、いとまがまがし。(われ)にもあらで()りたまへれば、 とて、ひとまゐりたれば、さらになにごとおぼかれず、みこころれてわたりたまふ。みちのほどのこころもとなきに、げにかのゐんは、ほとりのおほぢまでひとたさわぎたり。とののうちきののしるけはひ、いとまがまがし。われにもあらでりたまへれば、
358.1.4627591 ()ごろは、いささか隙見(ひまみ)えたまへるを、にはかになむ、かくおはします」 "ごろは、いささかひまみえたまへるを、にはかになん、かくおはします。"
358.1.5628592 とて、さぶらふ(かぎ)りは、(われ)(おく)れたてまつらじと、(まど)ふさまども、(かぎ)りなし。御修法(みすほふ)どもの(だん)こぼち、(そう)なども、さるべき(かぎ)りこそまかでね、ほろほろと(さわ)ぐを()たまふに、「さらば(かぎ)りにこそは」と(おぼ)()つるあさましさに、何事(なにごと)かはたぐひあらむ。 とて、さぶらふかぎりは、われおくれたてまつらじと、まどふさまども、かぎりなし。みすほふどものだんこぼち、そうなども、さるべきかぎりこそまかでね、ほろほろとさわぐをたまふに、"さらばかぎりにこそは。"とおぼつるあさましさに、なにごとかはたぐひあらん。
358.1.6629593 「さりとも、もののけのするにこそあらめ。いと、かくひたぶるにな(さわ)ぎそ」 "さりとも、もののけのするにこそあらめ。いと、かくひたぶるになさわぎそ。"
358.1.7630594 (しづ)めたまひて、いよいよいみじき(がん)どもを()()へさせたまふ。すぐれたる験者(げんざ)どもの(かぎ)()(あつ)めて、 しづめたまひて、いよいよいみじきがんどもをへさせたまふ。すぐれたるげんざどものかぎあつめて、
358.1.8631595 (かぎ)りある御命(おほんいのち)にて、この世尽(よつ)きたまひぬとも、ただ、(いま)しばしのどめたまへ。不動尊(ふどうそん)御本(おほんもと)(ちか)ひあり。その日数(ひかず)をだに、かけ(とど)めたてまつりたまへ」 "かぎりあるおほんいのちにて、このよつきたまひぬとも、ただ、いましばしのどめたまへ。ふどうそんおほんもとちかひあり。そのひかずをだに、かけとどめたてまつりたまへ。"
358.1.9632596 と、(かしら)よりまことに黒煙(くろけぶり)()てて、いみじき(こころ)()こして加持(かぢ)したてまつる。(ゐん)も、 と、かしらよりまことにくろけぶりてて、いみじきこころこしてかぢしたてまつる。ゐんも、
358.1.10633597 「ただ、今一度目(いまひとたびめ)見合(みあ)はせたまへ。いとあへなく(かぎ)りなりつらむほどをだに、え()ずなりにけることの、(くや)しく(かな)しきを」 "ただ、いまひとたびめみあはせたまへ。いとあへなくかぎりなりつらんほどをだに、えずなりにけることの、くやしくかなしきを。"
358.1.11634598 (おぼ)(まど)へるさま、()まりたまふべきにもあらぬを、()たてまつる心地(ここち)ども、ただ()(はか)るべし。いみじき御心(みこころ)のうちを、(ほとけ)()たてまつりたまふにや、(つき)ごろさらに(あら)はれ()()ぬもののけ、(ちひ)さき童女(わらは)(うつ)りて、()ばひののしるほどに、やうやう()()でたまふに、うれしくもゆゆしくも(おぼ)(さわ)がる。 おぼまどへるさま、まりたまふべきにもあらぬを、たてまつるここちども、ただはかるべし。いみじきみこころのうちを、ほとけたてまつりたまふにや、つきごろさらにあらはれぬもののけ、ちひさきわらはうつりて、ばひののしるほどに、やうやうでたまふに、うれしくもゆゆしくもおぼさわがる。
358.2635599第二段 六条御息所の死霊出現
358.2.1636600 いみじく調(てう)ぜられて、 いみじくてうぜられて、
358.2.2637601 (ひと)皆去(みなさ)りね。院一所(ゐんひとところ)御耳(おほんみみ)()こえむ。おのれを(つき)ごろ調(てう)じわびさせたまふが、(なさ)けなくつらければ、(おな)じくは(おぼ)()らせむと(おも)ひつれど、さすがに(いのち)()ふまじく、()(くだ)きて(おぼ)(まど)ふを()たてまつれば、(いま)こそ、かくいみじき()()けたれ、いにしへの(こころ)(のこ)りてこそ、かくまでも(まゐ)()たるなれば、ものの心苦(こころぐる)しさをえ見過(みす)ぐさで、つひに(あら)はれぬること。さらに()られじと(おも)ひつるものを」 "ひとみなさりね。ゐんひとところおほんみみこえん。おのれをつきごろてうじわびさせたまふが、なさけなくつらければ、おなじくはおぼらせんとおもひつれど、さすがにいのちふまじく、くだきておぼまどふをたてまつれば、いまこそ、かくいみじきけたれ、いにしへのこころのこりてこそ、かくまでもまゐたるなれば、もののこころぐるしさをえみすぐさで、つひにあらはれぬること。さらにられじとおもひつるものを。"
358.2.3638603 とて、(かみ)()りかけて()くけはひ、ただ昔見(むかしみ)たまひしもののけのさまと()えたり。あさましく、むくつけしと、(おぼ)ししみにしことの()はらぬもゆゆしければ、この童女(わらは)()をとらへて、()()ゑて、さま()しくもせさせたまはず。 とて、かみりかけてくけはひ、ただむかしみたまひしもののけのさまとえたり。あさましく、むくつけしと、おぼししみにしことのはらぬもゆゆしければ、このわらはをとらへて、ゑて、さましくもせさせたまはず。
358.2.4639604 「まことにその(ひと)か。よからぬ(きつね)などいふなるものの、たぶれたるが、()(ひと)面伏(おもてぶせ)なること()()づるもあなるを、たしかなる()のりせよ。また(ひと)()らざらむことの、(こころ)にしるく(おも)()でられぬべからむを()へ。さてなむ、いささかにても(しん)ずべき」 "まことにそのひとか。よからぬきつねなどいふなるものの、たぶれたるが、ひとおもてぶせなることづるもあなるを、たしかなるのりせよ。またひとらざらんことの、こころにしるくおもでられぬべからんをへ。さてなん、いささかにてもしんずべき。"
358.2.5640605 とのたまへば、ほろほろといたく()きて、 とのたまへば、ほろほろといたくきて、
358.2.6641606 「わが()こそあらぬさまなれそれながら<BR/>そらおぼれする(きみ)(きみ)なり "〔わがこそあらぬさまなれそれながら<BR/>そらおぼれするきみきみなり
358.2.7642607 いとつらし、いとつらし」 いとつらし、いとつらし。"
358.2.8643608 ()(さけ)ぶものから、さすがにもの()ぢしたるけはひ、(かは)らず、なかなかいと(うと)ましく、心憂(こころう)ければ、もの()はせじと(おぼ)す。 さけぶものから、さすがにものぢしたるけはひ、かはらず、なかなかいとうとましく、こころうければ、ものはせじとおぼす。
358.2.9644609 中宮(ちゅうぐう)御事(おほんこと)にても、いとうれしくかたじけなしとなむ、天翔(あまがけ)りても()たてまつれど、道異(みちこと)になりぬれば、()(うへ)までも(ふか)くおぼえぬにやあらむ、なほ、みづからつらしと(おも)ひきこえし(こころ)(しふ)なむ、()まるものなりける。 "ちゅうぐうおほんことにても、いとうれしくかたじけなしとなん、あまがけりてもたてまつれど、みちことになりぬれば、うへまでもふかくおぼえぬにやあらん、なほ、みづからつらしとおもひきこえしこころしふなん、まるものなりける。
358.2.10645610 その(なか)にも、()きての()に、(ひと)より()として(おぼ)()てしよりも、(おも)ふどちの御物語(おほんものがたり)のついでに、心善(こころよ)からず(にく)かりしありさまをのたまひ()でたりしなむ、いと(うら)めしく。(いま)はただ()きに(おぼ)(ゆる)して、異人(ことびと)()()としめむをだに、はぶき(かく)したまへとこそ(おも)へ、とうち(おも)ひしばかりに、かくいみじき()のけはひなれば、かく所狭(ところせ)きなり。 そのなかにも、きてのに、ひとよりとしておぼてしよりも、おもふどちのおほんものがたりのついでに、こころよからずにくかりしありさまをのたまひでたりしなん、いとうらめしく。いまはただきにおぼゆるして、ことびととしめんをだに、はぶきかくしたまへとこそおもへ、とうちおもひしばかりに、かくいみじきのけはひなれば、かくところせきなり。
358.2.11646611 この(ひと)を、(ふか)(にく)しと(おも)ひきこゆることはなけれど、(まも)(つよ)く、いと(おほん)あたり(とほ)心地(ここち)して、え(ちか)づき(まゐ)らず、御声(おほんこゑ)をだにほのかになむ()きはべる。 このひとを、ふかにくしとおもひきこゆることはなけれど、まもつよく、いとおほんあたりとほここちして、えちかづきまゐらず、おほんこゑをだにほのかになんきはべる。
358.2.12647612 よし、(いま)は、この罪軽(つみかろ)むばかりのわざをせさせたまへ。修法(すほふ)読経(どきゃう)とののしることも、()には(くる)しくわびしき(ほのほ)とのみまつはれて、さらに(たふと)きことも()こえねば、いと(かな)しくなむ。 よし、いまは、このつみかろむばかりのわざをせさせたまへ。すほふどきゃうとののしることも、にはくるしくわびしきほのほとのみまつはれて、さらにたふときこともこえねば、いとかなしくなん。
358.2.13648613 中宮(ちゅうぐう)にも、このよしを(つた)()こえたまへ。ゆめ御宮仕(おほんみやづか)へのほどに、(ひと)ときしろひ(そね)(こころ)つかひたまふな。斎宮(さいぐう)におはしまししころほひの御罪軽(おほんつみかる)むべからむ功徳(くどく)のことを、かならずせさせたまへ。いと(くや)しきことになむありける」 ちゅうぐうにも、このよしをつたこえたまへ。ゆめおほんみやづかへのほどに、ひとときしろひそねこころつかひたまふな。さいぐうにおはしまししころほひのおほんつみかるむべからんくどくのことを、かならずせさせたまへ。いとくやしきことになんありける。"
358.2.14649614 など、()(つづ)くれど、もののけに()かひて物語(ものがたり)したまはむも、かたはらいたければ、(ふん)()めて、(うへ)をば、また異方(ことかた)に、(しの)びて(わた)したてまつりたまふ。 など、つづくれど、もののけにかひてものがたりしたまはんも、かたはらいたければ、ふんめて、うへをば、またことかたに、しのびてわたしたてまつりたまふ。
358.3650615第三段 紫の上、死去の噂流れる
358.3.1651616 かく()せたまひにけりといふこと、()(なか)()ちて、御弔(おほんとぶ)らひに()こえたまふ(ひと)びとあるを、いとゆゆしく(おぼ)す。今日(けふ)(かへ)()()でたまひける上達部(かんだちめ)など、(かへ)りたまふ(みち)に、かく(ひと)(まう)せば、 かくせたまひにけりといふこと、なかちて、おほんとぶらひにこえたまふひとびとあるを、いとゆゆしくおぼす。けふかへでたまひけるかんだちめなど、かへりたまふみちに、かくひとまうせば、
358.3.2652617 「いといみじきことにもあるかな。()けるかひありつる(さいは)(びと)の、光失(ひかりうしな)()にて、(あめ)はそほ()るなりけり」 "いといみじきことにもあるかな。けるかひありつるさいはびとの、ひかりうしなにて、あめはそほるなりけり。"
358.3.3653618 と、うちつけ(ごと)したまふ(ひと)もあり。また、 と、うちつけごとしたまふひともあり。また、
358.3.4654619 「かく()らひぬる(ひと)は、かならずえ(なが)からぬことなり。『(なに)(さくら)に』といふ古言(ふること)もあるは。かかる(ひと)の、いとど()にながらへて、()(たの)しびを()くさば、かたはらの人苦(ひとくる)しからむ。(いま)こそ、二品(にほん)(みや)は、もとの(おほん)おぼえ(あら)はれたまはめ。いとほしげに()されたりつる(おほん)おぼえを」 "かくらひぬるひとは、かならずえながからぬことなり。〔なにさくらに〕といふふることもあるは。かかるひとの、いとどにながらへて、たのしびをくさば、かたはらのひとくるしからん。いまこそ、にほんみやは、もとのおほんおぼえあらはれたまはめ。いとほしげにされたりつるおほんおぼえを。"
358.3.5655620 など、うちささめきけり。 など、うちささめきけり。
358.3.6656621 衛門督(ゑもんのかみ)昨日暮(きのふく)らしがたかりしを(おも)ひて、今日(けふ)は、御弟(おほんおとうと)ども、左大弁(さだいべん)藤宰相(とうさいしゃう)など、(おく)(かた)()せて()たまひけり。かく()ひあへるを()くにも、(むね)うちつぶれて、 ゑもんのかみきのふくらしがたかりしをおもひて、けふは、おほんおとうとども、さだいべんとうさいしゃうなど、おくかたせてたまひけり。かくひあへるをくにも、むねうちつぶれて、
358.3.7657622 (なに)()()(ひさ)しかるべき」 "〔なにひさしかるべき〕
358.3.8658623 と、うち()(ひと)りごちて、かの(ゐん)皆参(みなまゐ)りたまふ。たしかならぬことなればゆゆしくや、とて、ただおほかたの御訪(おほんとぶ)らひに(まゐ)りたまへるに、かく(ひと)()(さわ)げば、まことなりけりと、()(さわ)ぎたまへり。 と、うちひとりごちて、かのゐんみなまゐりたまふ。たしかならぬことなればゆゆしくや、とて、ただおほかたのおほんとぶらひにまゐりたまへるに、かくひとさわげば、まことなりけりと、さわぎたまへり。
358.3.9659624 式部卿宮(しきぶきゃうのみや)(わた)りたまひて、いといたく(おぼ)しほれたるさまにてぞ()りたまふ。(ひと)御消息(おほんせうそこ)も、え(まう)(つた)へたまはず。大将(だいしゃう)(きみ)(なみだ)(のご)ひて()()でたまへるに、 しきぶきゃうのみやわたりたまひて、いといたくおぼしほれたるさまにてぞりたまふ。ひとおほんせうそこも、えまうつたへたまはず。だいしゃうきみなみだのごひてでたまへるに、
358.3.10660625 「いかに、いかに。ゆゆしきさまに(ひと)(まう)しつれば、(しん)じがたきことにてなむ。ただ(ひさ)しき御悩(おほんなや)みをうけたまはり(なげ)きて(まゐ)りつる」 "いかに、いかに。ゆゆしきさまにひとまうしつれば、しんじがたきことにてなん。ただひさしきおほんなやみをうけたまはりなげきてまゐりつる。"
358.3.11661626 などのたまふ。 などのたまふ。
358.3.12662627 「いと(おも)くなりて、月日経(つきひへ)たまへるを、この(あかつき)より()()りたまへりつるを、もののけのしたるになむありける。やうやう()()でたまふやうに()きなしはべりて、(いま)なむ皆人心静(みなひとこころしづ)むめれど、まだいと(たの)もしげなしや。心苦(こころぐる)しきことにこそ」 "いとおもくなりて、つきひへたまへるを、このあかつきよりりたまへりつるを、もののけのしたるになんありける。やうやうでたまふやうにきなしはべりて、いまなんみなひとこころしづむめれど、まだいとたのもしげなしや。こころぐるしきことにこそ。"
358.3.13663628 とて、まことにいたく()きたまへるけしきなり。()もすこし()れたり。衛門督(ゑもんのかみ)、わがあやしき(こころ)ならひにや、『この(きみ)の、いとさしも(した)しからぬ継母(ままはは)(おほん)ことを、いたく(こころ)しめたまへるかな』、と()をとどむ。 とて、まことにいたくきたまへるけしきなり。もすこしれたり。ゑもんのかみ、わがあやしきこころならひにや、"このきみの、いとさしもしたしからぬままははおほんことを、いたくこころしめたまへるかな"、とをとどむ。
358.3.14664629 かく、これかれ(まゐ)りたまへるよし()こし()して、 かく、これかれまゐりたまへるよしこしして、
358.3.15665630 (おも)病者(びゃうじゃ)の、にはかにとぢめつるさまなりつるを、女房(にょうばう)などは、(こころ)もえ(をさ)めず、(みだ)りがはしく(さわ)ぎはべりけるに、みづからもえのどめず、(こころ)あわたたしきほどにてなむ。ことさらになむ、かくものしたまへるよろこびは()こゆべき」 "おもびゃうじゃの、にはかにとぢめつるさまなりつるを、にょうばうなどは、こころもえをさめず、みだりがはしくさわぎはべりけるに、みづからもえのどめず、こころあわたたしきほどにてなん。ことさらになん、かくものしたまへるよろこびはこゆべき。"
358.3.16666631 とのたまへり。(かん)(きみ)(むね)つぶれて、かかる(をり)のらうらうならずはえ(まゐ)るまじく、けはひ()づかしく(おも)ふも、(こころ)のうちぞ(はら)ぎたなかりける。 とのたまへり。かんきみむねつぶれて、かかるをりのらうらうならずはえまゐるまじく、けはひづかしくおもふも、こころのうちぞはらぎたなかりける。
358.4667632第四段 紫の上、蘇生後に五戒を受く
358.4.1668633 かく()()でたまひての(のち)しも、(おそ)ろしく(おぼ)して、またまた、いみじき(ほふ)どもを()くして(くは)(おこ)なはせたまふ。 かくでたまひてののちしも、おそろしくおぼして、またまた、いみじきほふどもをくしてくはおこなはせたまふ。
358.4.2669634 うつし(びと)にてだに、むくつけかりし(ひと)(おほん)けはひの、まして世変(よか)はり、(あや)しきもののさまになりたまへらむを(おぼ)しやるに、いと心憂(こころう)ければ、中宮(ちゅうぐう)(あつか)ひきこえたまふさへぞ、この(をり)はもの()く、()ひもてゆけば、(をんな)()は、皆同(みなおな)罪深(つみふか)きもとゐぞかしと、なべての()中厭(なかいと)はしく、かの、また(ひと)()かざりし御仲(おほんなか)睦物語(むつものがたり)に、すこし(かた)()でたまへりしことを()()でたりしに、まことと(おぼ)()づるに、いとわづらはしく(おぼ)さる。 うつしびとにてだに、むくつけかりしひとおほんけはひの、ましてよかはり、あやしきもののさまになりたまへらんをおぼしやるに、いとこころうければ、ちゅうぐうあつかひきこえたまふさへぞ、このをりはものく、ひもてゆけば、をんなは、みなおなつみふかきもとゐぞかしと、なべてのなかいとはしく、かの、またひとかざりしおほんなかむつものがたりに、すこしかたでたまへりしことをでたりしに、まこととおぼづるに、いとわづらはしくおぼさる。
358.4.3670635 御髪下(みぐしお)ろしてむと(せち)(おぼ)したれば、()むことの(ちから)もやとて、御頂(おほんいただき)しるしばかり(はさ)みて、五戒(ごかい)ばかり()けさせたてまつりたまふ。御戒(ごかい)()()むことのすぐれたるよし、(ほとけ)(まう)すにも、あはれに(たふと)きこと()じりて、人悪(ひとわる)(おほん)かたはらに()ひゐて、(なみだ)おし(のご)ひたまひつつ、(ほとけ)諸心(もろごころ)(ねん)じきこえたまふさま、()にかしこくおはする(ひと)も、いとかく御心惑(みこころまど)ふことにあたりては、え(しづ)めたまはぬわざなりけり。 みぐしおろしてんとせちおぼしたれば、むことのちからもやとて、おほんいただきしるしばかりはさみて、ごかいばかりけさせたてまつりたまふ。ごかいむことのすぐれたるよし、ほとけまうすにも、あはれにたふときことじりて、ひとわるおほんかたはらにひゐて、なみだおしのごひたまひつつ、ほとけもろごころねんじきこえたまふさま、にかしこくおはするひとも、いとかくみこころまどふことにあたりては、えしづめたまはぬわざなりけり。
358.4.4671636 いかなるわざをして、これを(すく)ひかけとどめたてまつらむとのみ、夜昼思(よるひるおぼ)(なげ)くに、ほれぼれしきまで、御顔(おほんかほ)もすこし面痩(おもや)せたまひにたり。 いかなるわざをして、これをすくひかけとどめたてまつらんとのみ、よるひるおぼなげくに、ほれぼれしきまで、おほんかほもすこしおもやせたまひにたり。
358.5672637第五段 紫の上、小康を得る
358.5.1673638 五月(ごがつ)などは、まして、()()れしからぬ(そら)のけしきに、えさはやぎたまはねど、ありしよりはすこし()ろしきさまなり。されど、なほ()えず(なや)みわたりたまふ。 ごがつなどは、まして、れしからぬそらのけしきに、えさはやぎたまはねど、ありしよりはすこしろしきさまなり。されど、なほえずなやみわたりたまふ。
358.5.2674639 もののけの罪救(つみすく)ふべきわざ、()ごとに法華経一部(ほけきゃういちぶ)づつ供養(くやう)ぜさせたまふ。()ごとに(なに)くれと(たふと)きわざせさせたまふ。御枕上近(おほんまくらがみちか)くても、不断(ふだん)御読経(みどきゃう)声尊(こゑたふと)(かぎ)りして()ませたまふ。(あら)はれそめては、折々悲(をりをりかな)しげなることどもを()へど、さらにこのもののけ()()てず。 もののけのつみすくふべきわざ、ごとにほけきゃういちぶづつくやうぜさせたまふ。ごとになにくれとたふときわざせさせたまふ。おほんまくらがみちかくても、ふだんみどきゃうこゑたふとかぎりしてませたまふ。あらはれそめては、をりをりかなしげなることどもをへど、さらにこのもののけてず。
358.5.3675640 いとど(あつ)きほどは、(いき)()えつつ、いよいよのみ(よわ)りたまへば、いはむかたなく(おぼ)(なげ)きたり。なきやうなる御心地(みここち)にも、かかる()けしきを心苦(こころぐる)しく()たてまつりたまひて、 いとどあつきほどは、いきえつつ、いよいよのみよわりたまへば、いはんかたなくおぼなげきたり。なきやうなるみここちにも、かかるけしきをこころぐるしくたてまつりたまひて、
358.5.4676641 ()(なか)()くなりなむも、わが()にはさらに口惜(くちを)しきこと(のこ)るまじけれど、かく(おぼ)(まど)ふめるに、(むな)しく()なされたてまつらむが、いと(おも)(くま)なかるべければ」 "なかくなりなんも、わがにはさらにくちをしきことのこるまじけれど、かくおぼまどふめるに、むなしくなされたてまつらんが、いとおもくまなかるべければ。"
358.5.5677642 (おも)()こして、御湯(おほんゆ)などいささか(まゐ)るけにや、六月(ろくがち)になりてぞ、時々御頭(ときどきみぐし)もたげたまひける。めづらしく()たてまつりたまふにも、なほ、いとゆゆしくて、六条(ろくでう)(ゐん)にはあからさまにもえ(わた)りたまはず。 おもこして、おほんゆなどいささかまゐるけにや、ろくがちになりてぞ、ときどきみぐしもたげたまひける。めづらしくたてまつりたまふにも、なほ、いとゆゆしくて、ろくでうゐんにはあからさまにもえわたりたまはず。
359678643第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
359.1679644第一段 女三の宮懐妊す
359.1.1680645 姫宮(ひめみや)は、あやしかりしことを(おぼ)(なげ)きしより、やがて(れい)のさまにもおはせず、(なや)ましくしたまへど、おどろおどろしくはあらず、()ちぬる(つき)より、(もの)きこし()さで、いたく(あを)みそこなはれたまふ。 ひめみやは、あやしかりしことをおぼなげきしより、やがてれいのさまにもおはせず、なやましくしたまへど、おどろおどろしくはあらず、ちぬるつきより、ものきこしさで、いたくあをみそこなはれたまふ。
359.1.2681646 かの(ひと)は、わりなく(おも)ひあまる時々(ときどき)は、(ゆめ)のやうに()たてまつりけれど、(みや)()きせずわりなきことに(おぼ)したり。(ゐん)をいみじく()ぢきこえたまへる御心(みこころ)に、ありさまも(ひと)のほども、(ひと)しくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、おほかたの人目(ひとめ)にこそ、なべての(ひと)には(まさ)りてめでらるれ、(をさな)くより、さるたぐひなき(おほん)ありさまに()らひたまへる御心(みこころ)には、めざましくのみ()たまふほどに、かく(なや)みわたりたまふは、あはれなる御宿世(おほんすくせ)にぞありける。 かのひとは、わりなくおもひあまるときどきは、ゆめのやうにたてまつりけれど、みやきせずわりなきことにおぼしたり。ゐんをいみじくぢきこえたまへるみこころに、ありさまもひとのほども、ひとしくだにやはある、いたくよしめきなまめきたれば、おほかたのひとめにこそ、なべてのひとにはまさりてめでらるれ、をさなくより、さるたぐひなきおほんありさまにらひたまへるみこころには、めざましくのみたまふほどに、かくなやみわたりたまふは、あはれなるおほんすくせにぞありける。
359.1.3682647 御乳母(おほんめのと)たち()たてまつりとがめて、(ゐん)(わた)らせたまふこともいとたまさかになるを、つぶやき(うら)みたてまつる。 おほんめのとたちたてまつりとがめて、ゐんわたらせたまふこともいとたまさかになるを、つぶやきうらみたてまつる。
359.1.4683648 かく(なや)みたまふと()こし()してぞ(わた)りたまふ。女君(をんなぎみ)は、(あつ)くむつかしとて、御髪澄(みぐしす)まして、すこしさはやかにもてなしたまへり。()しながらうちやりたまへりしかば、とみにも(かは)かねど、つゆばかりうちふくみ、まよふ(すぢ)もなくて、いときよらにゆらゆらとして、(あを)(おとろ)へたまへるしも、(いろ)真青(さを)(しろ)くうつくしげに、()きたるやうに()ゆる御肌(おほんはだ)つきなど、()になくらうたげなり。もぬけたる(むし)(から)などのやうに、まだいとただよはしげにおはす。 かくなやみたまふとこししてぞわたりたまふ。をんなぎみは、あつくむつかしとて、みぐしすまして、すこしさはやかにもてなしたまへり。しながらうちやりたまへりしかば、とみにもかはかねど、つゆばかりうちふくみ、まよふすぢもなくて、いときよらにゆらゆらとして、あをおとろへたまへるしも、いろさをしろくうつくしげに、きたるやうにゆるおほんはだつきなど、になくらうたげなり。もぬけたるむしからなどのやうに、まだいとただよはしげにおはす。
359.1.5684649 (とし)ごろ()みたまはで、すこし()れたりつる(ゐん)(うち)、たとしへなく(せば)げにさへ()ゆ。昨日今日(きのふけふ)かくものおぼえたまふ(ひま)にて、(こころ)ことにつくろはれたる遣水(やりみづ)前栽(せんさい)の、うちつけに心地(ここち)よげなるを見出(みい)だしたまひても、あはれに、(いま)まで()にけるを(おも)ほす。 としごろみたまはで、すこしれたりつるゐんうち、たとしへなくせばげにさへゆ。きのふけふかくものおぼえたまふひまにて、こころことにつくろはれたるやりみづせんさいの、うちつけにここちよげなるをみいだしたまひても、あはれに、いままでにけるをおもほす。
359.2685650第二段 源氏、紫の上と和歌を唱和す
359.2.1686651 (いけ)はいと(すず)しげにて、(はちす)(はな)()きわたれるに、()はいと(あを)やかにて、(つゆ)きらきらと(たま)のやうに()えわたるを、 いけはいとすずしげにて、はちすはなきわたれるに、はいとあをやかにて、つゆきらきらとたまのやうにえわたるを、
359.2.2687653 「かれ()たまへ。おのれ一人(ひとり)(すず)しげなるかな」 "かれたまへ。おのれひとりすずしげなるかな。"
359.2.3688654 とのたまふに、()()がりて見出(みい)だしたまへるも、いとめづらしければ、 とのたまふに、がりてみいだしたまへるも、いとめづらしければ、
359.2.4689655 「かくて()たてまつるこそ、(ゆめ)心地(ここち)すれ。いみじく、わが()さへ(かぎ)りとおぼゆる折々(をりをり)のありしはや」 "かくてたてまつるこそ、ゆめここちすれ。いみじく、わがさへかぎりとおぼゆるをりをりのありしはや。"
359.2.5690656 と、(なみだ)()けてのたまへば、みづからもあはれに(おぼ)して、 と、なみだけてのたまへば、みづからもあはれにおぼして、
359.2.6691657 ()()まるほどやは()べきたまさかに<BR/>(はちす)(つゆ)のかかるばかりを」 "〔まるほどやはべきたまさかに<BR/>はちすつゆのかかるばかりを〕
359.2.7692658 とのたまふ。 とのたまふ。
359.2.8693659 (ちぎ)()かむこの()ならでも蓮葉(はちすば)に<BR/>(たま)ゐる(つゆ)心隔(こころへだ)つな」 "〔ちぎかんこのならでもはちすばに<BR/>たまゐるつゆこころへだつな〕
359.2.9694660 ()でたまふ(かた)ざまはもの()けれど、内裏(うち)にも(ゐん)にも、()こし()さむところあり、(なや)みたまふと()きてもほど()ぬるを、()(ちか)きに(こころ)(まど)はしつるほど、()たてまつることもをさをさなかりつるに、かかる雲間(くもま)にさへやは()()もらむと、(おぼ)()ちて、(わた)りたまひぬ。 でたまふかたざまはものけれど、うちにもゐんにも、こしさんところあり、なやみたまふときてもほどぬるを、ちかきにこころまどはしつるほど、たてまつることもをさをさなかりつるに、かかるくもまにさへやはもらんと、おぼちて、わたりたまひぬ。
359.3695661第三段 源氏、女三の宮を見舞う
359.3.1696662 (みや)は、御心(みこころ)(おに)に、()えたてまつらむも()づかしう、つつましく(おぼ)すに、(もの)など()こえたまふ(おほん)いらへも、()こえたまはねば、()ごろの()もりを、さすがにさりげなくてつらしと(おぼ)しけると、心苦(こころぐる)しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人(おとな)びたる人召(ひとめ)して、御心地(みここち)のさまなど()ひたまふ。 みやは、みこころおにに、えたてまつらんもづかしう、つつましくおぼすに、ものなどこえたまふおほんいらへも、こえたまはねば、ごろのもりを、さすがにさりげなくてつらしとおぼしけると、こころぐるしければ、とかくこしらへきこえたまふ。おとなびたるひとめして、みここちのさまなどひたまふ。
359.3.2697663 (れい)のさまならぬ御心地(みここち)になむ」 "れいのさまならぬみここちになん。"
359.3.3698664 と、わづらひたまふ(おほん)ありさまを()こゆ。 と、わづらひたまふおほんありさまをこゆ。
359.3.4699665 「あやしく。ほど()てめづらしき(おほん)ことにも」 "あやしく。ほどてめづらしきおほんことにも。"
359.3.5700666 とばかりのたまひて、御心(みこころ)のうちには、 とばかりのたまひて、みこころのうちには、
359.3.6701667 (とし)ごろ()ぬる(ひと)びとだにもさることなきを、不定(ふぢゃう)なる御事(おほんこと)にもや」 "としごろぬるひとびとだにもさることなきを、ふぢゃうなるおほんことにもや。"
359.3.7702668 (おぼ)せば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うち(なや)みたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと()たてまつりたまふ。 おぼせば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うちなやみたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれとたてまつりたまふ。
359.3.8703669 からうして(おぼ)()ちて(わた)りたまひしかば、ふともえ(かへ)りたまはで、()三日(さんにち)おはするほど、「いかに、いかに」とうしろめたく(おぼ)さるれば、御文(おほんふみ)をのみ()()くしたまふ。 からうしておぼちてわたりたまひしかば、ふともえかへりたまはで、さんにちおはするほど、"いかに、いかに。"とうしろめたくおぼさるれば、おほんふみをのみくしたまふ。
359.3.9704670 「いつの()()もる御言(おほんこと)()にかあらむ。いでや、やすからぬ()をも()るかな」 "いつのもるおほんことにかあらん。いでや、やすからぬをもるかな。"
359.3.10705671 と、若君(わかぎみ)御過(おほんあやま)ちを()らぬ(ひと)()ふ。侍従(じじゅう)ぞ、かかるにつけても(むね)うち(さわ)ぎける。 と、わかぎみおほんあやまちをらぬひとふ。じじゅうぞ、かかるにつけてもむねうちさわぎける。
359.3.11706672 かの(ひと)も、かく(わた)りたまへりと()くに、おほけなく心誤(こころあやま)りして、いみじきことどもを()(つづ)けて、おこせたまへり。(たい)にあからさまに(わた)りたまへるほどに、人間(ひとま)なりければ、(しの)びて()せたてまつる。 かのひとも、かくわたりたまへりとくに、おほけなくこころあやまりして、いみじきことどもをつづけて、おこせたまへり。たいにあからさまにわたりたまへるほどに、ひとまなりければ、しのびてせたてまつる。
359.3.12707673 「むつかしきもの()するこそ、いと心憂(こころう)けれ。心地(ここち)のいとど()しきに」 "むつかしきものするこそ、いとこころうけれ。ここちのいとどしきに。"
359.3.13708674 とて()したまへれば、 とてしたまへれば、
359.3.14709675 「なほ、ただ、この端書(はしが)きの、いとほしげにはべるぞや」 "なほ、ただ、このはしがきの、いとほしげにはべるぞや。"
359.3.15710676 とて(ひろ)げたれば、(ひと)(まゐ)るに、いと(くる)しくて、御几帳引(みきちゃうひ)()せて()りぬ。 とてひろげたれば、ひとまゐるに、いとくるしくて、みきちゃうひせてりぬ。
359.3.16711677 いとど(むね)つぶるるに、院入(ゐんい)りたまへば、えよくも(かく)したまはで、御茵(おほんしとね)(した)にさし(はさ)みたまひつ。 いとどむねつぶるるに、ゐんいりたまへば、えよくもかくしたまはで、おほんしとねしたにさしはさみたまひつ。
359.4712678第四段 源氏、女三の宮と和歌を唱和す
359.4.1713679 ()さりつ(かた)二条(にでう)(ゐん)(わた)りたまはむとて、御暇聞(おほんいとまき)こえたまふ。 さりつかたにでうゐんわたりたまはんとて、おほんいとまきこえたまふ。
359.4.2714680 「ここには、けしうはあらず()えたまふを、まだいとただよはしげなりしを、見捨(みす)てたるやうに(おも)はるるも、(いま)さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく()こえなす(ひと)ありとも、ゆめ心置(こころお)きたまふな。今見直(いまみなほ)したまひてむ」 "ここには、けしうはあらずえたまふを、まだいとただよはしげなりしを、みすてたるやうにおもはるるも、いまさらにいとほしくてなん。ひがひがしくこえなすひとありとも、ゆめこころおきたまふな。いまみなほしたまひてん。"
359.4.3715681 (かたら)ひたまふ。(れい)は、なまいはけなき(たはぶ)(ごと)なども、うちとけ()こえたまふを、いたくしめりて、さやかにも見合(みあ)はせたてまつりたまはぬを、ただ()(うら)めしき()けしきと心得(こころえ)たまふ。 かたらひたまふ。れいは、なまいはけなきたはぶごとなども、うちとけこえたまふを、いたくしめりて、さやかにもみあはせたてまつりたまはぬを、ただうらめしきけしきとこころえたまふ。
359.4.4716682 (ひる)御座(おまし)にうち()したまひて、御物語(おほんものがたり)など()こえたまふほどに()れにけり。すこし大殿籠(おほとのご)もり()りにけるに、ひぐらしのはなやかに()くにおどろきたまひて、 ひるおましにうちしたまひて、おほんものがたりなどこえたまふほどにれにけり。すこしおほとのごもりりにけるに、ひぐらしのはなやかにくにおどろきたまひて、
359.4.5717683 「さらば、(みち)たどたどしからぬほどに」 "さらば、みちたどたどしからぬほどに。"
359.4.6718684 とて、御衣(おほんぞ)などたてまつり(なほ)す。 とて、おほんぞなどたてまつりなほす。
359.4.7719685 月待(つきま)ちて、とも()ふなるものを」 "つきまちて、ともふなるものを。"
359.4.8720686 と、いと(わか)やかなるさましてのたまふは、(にく)からずかし。「その()にも、とや(おぼ)す」と、心苦(こころぐる)しげに(おぼ)して、()()まりたまふ。 と、いとわかやかなるさましてのたまふは、にくからずかし。"そのにも、とやおぼす。"と、こころぐるしげにおぼして、まりたまふ。
359.4.9721687 夕露(ゆふつゆ)袖濡(そでぬ)らせとやひぐらしの<BR/>()くを()()()きて()くらむ」 "〔ゆふつゆそでぬらせとやひぐらしの<BR/>くをきてくらん〕
359.4.10722688 (かた)なりなる御心(みこころ)にまかせて()()でたまへるもらうたければ、ついゐて、 かたなりなるみこころにまかせてでたまへるもらうたければ、ついゐて、
359.4.11723689 「あな、(くる)しや」 "あな、くるしや。"
359.4.12724690 と、うち(なげ)きたまふ。 と、うちなげきたまふ。
359.4.13725691 ()(さと)もいかが()くらむ(かた)がたに<BR/>心騒(こころさわ)がすひぐらしの(こゑ) "〔さともいかがくらんかたがたに<BR/>こころさわがすひぐらしのこゑ〕"
359.4.14726692 など(おぼ)しやすらひて、なほ(なさ)けなからむも心苦(こころぐる)しければ、()まりたまひぬ。静心(しづごころ)なく、さすがに(なが)められたまひて、(おほん)くだものばかり(まゐ)りなどして、大殿籠(おほとのご)もりぬ。 などおぼしやすらひて、なほなさけなからんもこころぐるしければ、まりたまひぬ。しづごころなく、さすがにながめられたまひて、おほんくだものばかりまゐりなどして、おほとのごもりぬ。
359.5727693第五段 源氏、柏木の手紙を発見
359.5.1728694 まだ朝涼(あさすず)みのほどに(わた)りたまはむとて、とく()きたまふ。 まだあさすずみのほどにわたりたまはんとて、とくきたまふ。
359.5.2729695 昨夜(よべ)のかはほりを()として、これは(かぜ)ぬるくこそありけれ」 "よべのかはほりをとして、これはかぜぬるくこそありけれ。"
359.5.3730696 とて、御扇置(おほんあふぎお)きたまひて、昨日(きのふ)うたた()したまへりし御座(おまし)のあたりを、()()まりて()たまふに、御茵(おほんしとね)のすこしまよひたるつまより、浅緑(あさみどり)薄様(うすやう)なる(ふみ)の、()()きたる端見(はしみ)ゆるを、何心(なにごころ)もなく()()でて御覧(ごらん)ずるに、(をとこ)()なり。(かみ)()などいと(えん)に、ことさらめきたる()きざまなり。二重(ふたかさ)ねにこまごまと()きたるを()たまふに、「(まぎ)るべき(かた)なく、その(ひと)()なりけり」と()たまひつ。 とて、おほんあふぎおきたまひて、きのふうたたしたまへりしおましのあたりを、まりてたまふに、おほんしとねのすこしまよひたるつまより、あさみどりうすやうなるふみの、きたるはしみゆるを、なにごころもなくでてごらんずるに、をとこなり。かみなどいとえんに、ことさらめきたるきざまなり。ふたかさねにこまごまときたるをたまふに、"まぎるべきかたなく、そのひとなりけり。"とたまひつ。
359.5.4731697 御鏡(おほんかがみ)など()けて(まゐ)らする(ひと)は、()たまふ(ふみ)にこそはと、(こころ)()らぬに、小侍従見(こじじゅうみ)つけて、昨日(きのふ)(ふみ)(いろ)()るに、いといみじく、(むね)つぶつぶと()心地(ここち)す。御粥(おほんかゆ)など(まゐ)(かた)()()やらず、 おほんかがみなどけてまゐらするひとは、たまふふみにこそはと、こころらぬに、こじじゅうみつけて、きのふふみいろるに、いといみじく、むねつぶつぶとここちす。おほんかゆなどまゐかたやらず、
359.5.5732698 「いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなむや。(かく)いたまひてけむ」 "いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さることはありなんや。かくいたまひてけん。"
359.5.6733699 (おも)ひなす。 おもひなす。
359.5.7734700 (みや)は、何心(なにごころ)もなく、まだ大殿籠(おほとのご)もれり。 みやは、なにごころもなく、まだおほとのごもれり。
359.5.8735701 「あな、いはけな。かかる(もの)()らしたまひて。(われ)ならぬ(ひと)()つけたらましかば」 "あな、いはけな。かかるものらしたまひて。われならぬひとつけたらましかば。"
359.5.9736702 (おぼ)すも、心劣(こころおと)りして、 おぼすも、こころおとりして、
359.5.10737703 「さればよ。いとむげに(こころ)にくきところなき(おほん)ありさまを、うしろめたしとは()るかし」 "さればよ。いとむげにこころにくきところなきおほんありさまを、うしろめたしとはるかし。"
359.5.11738704 (おぼ)す。 おぼす。
359.6739705第六段 小侍従、女三の宮を責める
359.6.1740706 ()でたまひぬれば、(ひと)びとすこしあかれぬるに、侍従寄(じじゅうよ)りて、 でたまひぬれば、ひとびとすこしあかれぬるに、じじゅうよりて、
359.6.2741707 昨日(きのふ)(もの)は、いかがせさせたまひてし。今朝(けさ)(ゐん)御覧(ごらん)じつる(ふみ)(いろ)こそ、()てはべりつれ」 "きのふものは、いかがせさせたまひてし。けさゐんごらんじつるふみいろこそ、てはべりつれ。"
359.6.3742708 ()こゆれば、あさましと(おぼ)して、(なみだ)のただ()()()()れば、いとほしきものから、「いふかひなの(おほん)さまや」と()たてまつる。 こゆれば、あさましとおぼして、なみだのただれば、いとほしきものから、"いふかひなのおほんさまや。"とたてまつる。
359.6.4743709 「いづくにかは、()かせたまひてし。(ひと)びとの(まゐ)りしに、ことあり(がほ)(ちか)くさぶらはじと、さばかりの()みをだに、(こころ)(おに)()りはべしを。()らせたまひしほどは、すこしほど()はべりにしを、(かく)させたまひつらむとなむ、(おも)うたまへし」 "いづくにかは、かせたまひてし。ひとびとのまゐりしに、ことありがほちかくさぶらはじと、さばかりのみをだに、こころおにりはべしを。らせたまひしほどは、すこしほどはべりにしを、かくさせたまひつらんとなん、おもうたまへし。"
359.6.5744710 ()こゆれば、 こゆれば、
359.6.6745711 「いさ、とよ。()しほどに()りたまひしかば、ふともえ()きあへで、さし(はさ)みしを、(わす)れにけり」 "いさ、とよ。しほどにりたまひしかば、ふともえきあへで、さしはさみしを、わすれにけり。"
359.6.7746712 とのたまふに、いと()こえむかたなし。()りて()れば、いづくのかはあらむ。 とのたまふに、いとこえんかたなし。りてれば、いづくのかはあらん。
359.6.8747713 「あな、いみじ。かの(きみ)も、いといたく()(はばか)りて、けしきにても()()かせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを。ほどだに()ず、かかることの()でまうで()るよ。すべて、いはけなき(おほん)ありさまにて、(ひと)にも()えさせたまひければ、(とし)ごろさばかり(わす)れがたく、(うら)()ひわたりたまひしかど、かくまで(おも)うたまへし(おほん)ことかは。()(おほん)ためにも、いとほしくはべるべきこと」 "あな、いみじ。かのきみも、いといたくはばかりて、けしきにてもかせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを。ほどだにず、かかることのでまうでるよ。すべて、いはけなきおほんありさまにて、ひとにもえさせたまひければ、としごろさばかりわすれがたく、うらひわたりたまひしかど、かくまでおもうたまへしおほんことかは。おほんためにも、いとほしくはべるべきこと。"
359.6.9748714 と、(はばか)りもなく()こゆ。(こころ)やすく(わか)くおはすれば、()れきこえたるなめり。いらへもしたまはで、ただ()きにのみぞ()きたまふ。いと(なや)ましげにて、つゆばかりの(もの)もきこしめさねば、 と、はばかりもなくこゆ。こころやすくわかくおはすれば、れきこえたるなめり。いらへもしたまはで、ただきにのみぞきたまふ。いとなやましげにて、つゆばかりのものもきこしめさねば、
359.6.10749715 「かく(なや)ましくせさせたまふを、()おきたてまつりたまひて、(いま)はおこたり()てたまひにたる御扱(おほんあつか)ひに、(こころ)()れたまへること」 "かくなやましくせさせたまふを、おきたてまつりたまひて、いまはおこたりてたまひにたるおほんあつかひに、こころれたまへること。"
359.6.11750716 と、つらく(おも)()ふ。 と、つらくおもふ。
359.7751717第七段 源氏、手紙を読み返す
359.7.1752718 大殿(おとど)は、この(ふみ)のなほあやしく(おぼ)さるれば、人見(ひとみ)(かた)にて、うち(かへ)しつつ()たまふ。「さぶらふ(ひと)びとの(なか)に、かの中納言(ちゅうなごん)()()たる()して()きたるか」とまで(おぼ)()れど、言葉(ことば)づかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり。 おとどは、このふみのなほあやしくおぼさるれば、ひとみかたにて、うちかへしつつたまふ。"さぶらふひとびとのなかに、かのちゅうなごんたるしてきたるか。"とまでおぼれど、ことばづかひきらきらと、まがふべくもあらぬことどもあり。
359.7.2753719 (とし)()(おも)ひわたりけることの、たまさかに本意(ほい)かなひて、(こころ)やすからぬ(すぢ)()()くしたる言葉(ことば)、いと見所(みどころ)ありてあはれなれど、いとかくさやかには()くべしや。あたら(ひと)の、(ふみ)をこそ(おも)ひやりなく()きけれ。()()ることもこそと(おも)ひしかば、(むかし)、かやうにこまかなるべき(をり)ふしにも、ことそぎつつこそ()(まぎ)らはししか。(ひと)(ふか)用意(ようい)(かた)きわざなりけり」 "としおもひわたりけることの、たまさかにほいかなひて、こころやすからぬすぢくしたることば、いとみどころありてあはれなれど、いとかくさやかにはくべしや。あたらひとの、ふみをこそおもひやりなくきけれ。ることもこそとおもひしかば、むかし、かやうにこまかなるべきをりふしにも、ことそぎつつこそまぎらはししか。ひとふかよういかたきわざなりけり。"
359.7.3754720 と、かの(ひと)(こころ)をさへ見落(みお)としたまひつ。 と、かのひとこころをさへみおとしたまひつ。
359.8755721第八段 源氏、妻の密通を思う
359.8.1756722 「さても、この(ひと)をばいかがもてなしきこゆべき。めづらしきさまの御心地(みここち)も、かかることの(まぎ)れにてなりけり。いで、あな、心憂(こころう)や。かく、人伝(ひとづ)てならず()きことを()るしる、ありしながら()たてまつらむよ」 "さても、このひとをばいかがもてなしきこゆべき。めづらしきさまのみここちも、かかることのまぎれにてなりけり。いで、あな、こころうや。かく、ひとづてならずきことをるしる、ありしながらたてまつらんよ。"
359.8.2757723 と、わが御心(みこころ)ながらも、え(おも)(なほ)すまじくおぼゆるを、 と、わがみこころながらも、えおもなほすまじくおぼゆるを、
359.8.3758724 「なほざりのすさびと、(はじ)めより(こころ)をとどめぬ(ひと)だに、また(こと)ざまの心分(こころわ)くらむと(おも)ふは、(こころ)づきなく(おも)(へだ)てらるるを、ましてこれは、さま(こと)に、おほけなき(ひと)(こころ)にもありけるかな。 "なほざりのすさびと、はじめよりこころをとどめぬひとだに、またことざまのこころわくらんとおもふは、こころづきなくおもへだてらるるを、ましてこれは、さまことに、おほけなきひとこころにもありけるかな。
359.8.4759725 (みかど)御妻(みめ)をも(あやま)つたぐひ、(むかし)もありけれど、それはまたいふ方異(かたこと)なり。宮仕(みやづか)へといひて、(われ)(ひと)(おな)(きみ)()(つか)うまつるほどに、おのづから、さるべき(かた)につけても、(こころ)()はしそめ、もののまぎれ(おほ)かりぬべきわざなり。 みかどみめをもあやまつたぐひ、むかしもありけれど、それはまたいふかたことなり。みやづかへといひて、われひとおなきみつかうまつるほどに、おのづから、さるべきかたにつけても、こころはしそめ、もののまぎれおほかりぬべきわざなり。
359.8.5760726 女御(にょうご)更衣(かうい)といへど、とある(すぢ)かかる(かた)につけて、かたほなる(ひと)もあり、(こころ)ばせかならず(おも)からぬうち()じりて、(おも)はずなることもあれど、おぼろけの(さだ)かなる(あやま)()えぬほどは、さても()じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ(まぎ)れありぬべし。 にょうごかういといへど、とあるすぢかかるかたにつけて、かたほなるひともあり、こころばせかならずおもからぬうちじりて、おもはずなることもあれど、おぼろけのさだかなるあやまえぬほどは、さてもじらふやうもあらんに、ふとしもあらはならぬまぎれありぬべし。
359.8.6761727 かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちの(こころ)ざし()(かた)よりも、いつくしくかたじけなきものに(おも)ひはぐくまむ(ひと)をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ」 かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちのこころざしかたよりも、いつくしくかたじけなきものにおもひはぐくまんひとをおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ。"
359.8.7762728 と、爪弾(つまはじ)きせられたまふ。 と、つまはじきせられたまふ。
359.8.8763729 (みかど)()こゆれど、ただ素直(すなほ)に、(おほやけ)ざまの(こころ)ばへばかりにて、宮仕(みやづか)へのほどもものすさまじきに、(こころ)ざし(ふか)(わたくし)のねぎ(ごと)になびき、おのがじしあはれを()くし、見過(みす)ぐしがたき(をり)のいらへをも()ひそめ、自然(じねん)心通(こころかよ)ひそむらむ(なか)らひは、(おな)じけしからぬ(すぢ)なれど、()(かた)ありや。わが()ながらも、さばかりの(ひと)心分(こころわ)けたまふべくはおぼえぬものを」 "みかどこゆれど、ただすなほに、おほやけざまのこころばへばかりにて、みやづかへのほどもものすさまじきに、こころざしふかわたくしのねぎごとになびき、おのがじしあはれをくし、みすぐしがたきをりのいらへをもひそめ、じねんこころかよひそむらんなからひは、おなじけしからぬすぢなれど、かたありや。わがながらも、さばかりのひとこころわけたまふべくはおぼえぬものを。"
359.8.9764730 と、いと(こころ)づきなけれど、また「けしきに()だすべきことにもあらず」など、(おぼ)(みだ)るるにつけて、 と、いとこころづきなけれど、また"けしきにだすべきことにもあらず。"など、おぼみだるるにつけて、
359.8.10765731 故院(こゐん)(うへ)も、かく御心(みこころ)には()ろし()してや、()らず(がほ)(つく)らせたまひけむ。(おも)へば、その()のことこそは、いと(おそ)ろしく、あるまじき(あやま)ちなりけれ」 "こゐんうへも、かくみこころにはろししてや、らずがほつくらせたまひけん。おもへば、そののことこそは、いとおそろしく、あるまじきあやまちなりけれ。"
359.8.11766732 と、(ちか)(ためし)(おぼ)すにぞ、(こひ)山路(やまぢ)は、えもどくまじき御心(みこころ)まじりける。 と、ちかためしおぼすにぞ、こひやまぢは、えもどくまじきみこころまじりける。
3510767733第十章 光る源氏の物語 密通露見後
3510.1768734第一段 紫の上、女三の宮を気づかう
3510.1.1769735 つれなしづくりたまへど、もの(おぼ)(みだ)るるさまのしるければ、女君(をんなぎみ)()(のこ)りたるいとほしみに(わた)りたまひて、「(ひと)やりならず、心苦(こころぐる)しう(おも)ひやりきこえたまふにや」と(おぼ)して、 つれなしづくりたまへど、ものおぼみだるるさまのしるければ、をんなぎみのこりたるいとほしみにわたりたまひて、"ひとやりならず、こころぐるしうおもひやりきこえたまふにや。"とおぼして、
3510.1.2770736 心地(ここち)はよろしくなりにてはべるを、かの(みや)(なや)ましげにおはすらむに、とく(わた)りたまひにしこそ、いとほしけれ」 "ここちはよろしくなりにてはべるを、かのみやなやましげにおはすらんに、とくわたりたまひにしこそ、いとほしけれ。"
3510.1.3771737 ()こえたまへば、 こえたまへば、
3510.1.4772738 「さかし。(れい)ならず()えたまひしかど、(こと)なる心地(ここち)にもおはせねば、おのづから(こころ)のどかに(おも)ひてなむ。内裏(うち)よりは、たびたび御使(おほんつかひ)ありけり。今日(けふ)御文(おほんふみ)ありつとか。(ゐん)の、いとやむごとなく()こえつけたまへれば、(うへ)もかく(おぼ)したるなるべし。すこしおろかになどもあらむは、こなたかなた(おぼ)さむことの、いとほしきぞや」 "さかし。れいならずえたまひしかど、ことなるここちにもおはせねば、おのづからこころのどかにおもひてなん。うちよりは、たびたびおほんつかひありけり。けふおほんふみありつとか。ゐんの、いとやんごとなくこえつけたまへれば、うへもかくおぼしたるなるべし。すこしおろかになどもあらんは、こなたかなたおぼさんことの、いとほしきぞや。"
3510.1.5773739 とて、うめきたまへば、 とて、うめきたまへば、
3510.1.6774740 内裏(うち)()こし()さむよりも、みづから(うら)めしと(おも)ひきこえたまはむこそ、心苦(こころぐる)しからめ。(われ)(おぼ)(とが)めずとも、よからぬさまに()こえなす(ひと)びと、かならずあらむと(おも)へば、いと(くる)しくなむ」 "うちこしさんよりも、みづからうらめしとおもひきこえたまはんこそ、こころぐるしからめ。われおぼとがめずとも、よからぬさまにこえなすひとびと、かならずあらんとおもへば、いとくるしくなん。"
3510.1.7775741 などのたまへば、 などのたまへば、
3510.1.8776742 「げに、あながちに(おも)(ひと)のためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり(ふか)きこと、とやかくやと、おほよそ(びと)(おも)はむ(こころ)さへ(おも)ひめぐらさるるを、これはただ、国王(こくわう)御心(みこころ)やおきたまはむとばかりを(はばか)らむは、(あさ)心地(ここち)ぞしける」 "げに、あながちにおもひとのためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどりふかきこと、とやかくやと、おほよそびとおもはんこころさへおもひめぐらさるるを、これはただ、こくわうみこころやおきたまはんとばかりをはばからんは、あさここちぞしける。"
3510.1.9777743 と、ほほ()みてのたまひ(まぎ)らはす。(わた)りたまはむことは、 と、ほほみてのたまひまぎらはす。わたりたまはんことは、
3510.1.10778744 「もろともに(かへ)りてを。(こころ)のどかにあらむ」 "もろともにかへりてを。こころのどかにあらん。"
3510.1.11779745 とのみ()こえたまふを、 とのみこえたまふを、
3510.1.12780746 「ここには、しばし(こころ)やすくてはべらむ。まづ(わた)りたまひて、(ひと)御心(みこころ)(なぐさ)みなむほどにを」 "ここには、しばしこころやすくてはべらん。まづわたりたまひて、ひとみこころなぐさみなんほどにを。"
3510.1.13781747 と、()こえ()はしたまふほどに、()ごろ()ぬ。 と、こえはしたまふほどに、ごろぬ。
3510.2782748第二段 柏木と女三の宮、密通露見におののく
3510.2.1783749 姫宮(ひめみや)は、かく(わた)りたまはぬ()ごろの()るも、(ひと)(おほん)つらさにのみ(おぼ)すを、(いま)は、「わが(おほん)おこたりうち()ぜてかくなりぬる」と(おぼ)すに、(ゐん)()こし()しつけて、いかに(おぼ)()さむと、()(なか)つつましくなむ。 ひめみやは、かくわたりたまはぬごろのるも、ひとおほんつらさにのみおぼすを、いまは、"わがおほんおこたりうちぜてかくなりぬる。"とおぼすに、ゐんこししつけて、いかにおぼさんと、なかつつましくなん。
3510.2.2784750 かの(ひと)も、いみじげにのみ()ひわたれども、小侍従(こじじゅう)もわづらはしく(おも)(なげ)きて、「かかることなむ、ありし」と()げてければ、いとあさましく、 かのひとも、いみじげにのみひわたれども、こじじゅうもわづらはしくおもなげきて、"かかることなん、ありし。"とげてければ、いとあさましく、
3510.2.3785751 「いつのほどにさること()()けむ。かかることは、あり()れば、おのづからけしきにても()()づるやうもや」 "いつのほどにさることけん。かかることは、ありれば、おのづからけしきにてもづるやうもや。"
3510.2.4786752 (おも)ひしだに、いとつつましく、(そら)()つきたるやうにおぼえしを、「ましてさばかり(たが)ふべくもあらざりしことどもを()たまひてけむ」、()づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕(あさゆふ)(すず)みもなきころなれど、()もしむる心地(ここち)して、いはむかたなくおぼゆ。 おもひしだに、いとつつましく、そらつきたるやうにおぼえしを、"ましてさばかりたがふべくもあらざりしことどもをたまひてけん。"、づかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、あさゆふすずみもなきころなれど、もしむるここちして、いはんかたなくおぼゆ。
3510.2.5787753 (とし)ごろ、まめごとにもあだことにも、()しまつはし(まゐ)()れつるものを。(ひと)よりはこまかに(おぼ)しとどめたる()けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに(こころ)おかれたてまつりては、いかでかは()をも見合(みあ)はせたてまつらむ。さりとて、かき()えほのめき(まゐ)らざらむも、人目(ひとめ)あやしく、かの御心(みこころ)にも(おぼ)()はせむことのいみじさ」 "としごろ、まめごとにもあだことにも、しまつはしまゐれつるものを。ひとよりはこまかにおぼしとどめたるけしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものにこころおかれたてまつりては、いかでかはをもみあはせたてまつらん。さりとて、かきえほのめきまゐらざらんも、ひとめあやしく、かのみこころにもおぼはせんことのいみじさ。"
3510.2.6788754 など、やすからず(おも)ふに、心地(ここち)もいと(なや)ましくて、内裏(うち)へも(まゐ)らず。さして(おも)(つみ)には()たるべきならねど、()のいたづらになりぬる心地(ここち)すれば、「さればよ」と、かつはわが(こころ)も、いとつらくおぼゆ。 など、やすからずおもふに、ここちもいとなやましくて、うちへもまゐらず。さしておもつみにはたるべきならねど、のいたづらになりぬるここちすれば、"さればよ。"と、かつはわがこころも、いとつらくおぼゆ。
3510.2.7789755 「いでや、しづやかに(こころ)にくきけはひ()えたまはぬわたりぞや。まづは、かの御簾(みす)のはさまも、さるべきことかは。軽々(かるがる)しと、大将(だいしゃう)(おも)ひたまへるけしき()えきかし」 "いでや、しづやかにこころにくきけはひえたまはぬわたりぞや。まづは、かのみすのはさまも、さるべきことかは。かるがるしと、だいしゃうおもひたまへるけしきえきかし。"
3510.2.8790756 など、(いま)(おも)()はする。しひてこのことを(おも)ひさまさむと(おも)(かた)にて、あながちに(なん)つけたてまつらまほしきにやあらむ。 など、いまおもはする。しひてこのことをおもひさまさんとおもかたにて、あながちになんつけたてまつらまほしきにやあらん。
3510.3791757第三段 源氏、女三の宮の幼さを非難
3510.3.1792758 ()きやうとても、あまりひたおもむきにおほどかにあてなる(ひと)は、()のありさまも()らず、かつ、さぶらふ(ひと)(こころ)おきたまふこともなくて、かくいとほしき御身(おほんみ)のためも、(ひと)のためも、いみじきことにもあるかな」 "きやうとても、あまりひたおもむきにおほどかにあてなるひとは、のありさまもらず、かつ、さぶらふひとこころおきたまふこともなくて、かくいとほしきおほんみのためも、ひとのためも、いみじきことにもあるかな。"
3510.3.2793759 と、かの(おほん)ことの心苦(こころぐる)しさも、え(おも)(はな)たれたまはず。 と、かのおほんことのこころぐるしさも、えおもはなたれたまはず。
3510.3.3794760 (みや)は、いとらうたげにて(なや)みわたりたまふさまの、なほいと心苦(こころぐる)しく、かく(おも)(はな)ちたまふにつけては、あやにくに、()きに(まぎ)れぬ(こひ)しさの(くる)しく(おぼ)さるれば、(わた)りたまひて、()たてまつりたまふにつけても、(むね)いたくいとほしく(おぼ)さる。 みやは、いとらうたげにてなやみわたりたまふさまの、なほいとこころぐるしく、かくおもはなちたまふにつけては、あやにくに、きにまぎれぬこひしさのくるしくおぼさるれば、わたりたまひて、たてまつりたまふにつけても、むねいたくいとほしくおぼさる。
3510.3.4795761 御祈(おほんいの)りなど、さまざまにせさせたまふ。おほかたのことは、ありしに(かは)らず、なかなか(いたは)しくやむごとなくもてなしきこゆるさまをましたまふ。気近(けぢか)くうち(かた)らひきこえたまふさまは、いとこよなく御心隔(みこころへだ)たりて、かたはらいたければ、人目(ひとめ)ばかりをめやすくもてなして、(おぼ)しのみ(みだ)るるに、この御心(みこころ)のうちしもぞ(くる)しかりける。 おほんいのりなど、さまざまにせさせたまふ。おほかたのことは、ありしにかはらず、なかなかいたはしくやんごとなくもてなしきこゆるさまをましたまふ。けぢかくうちかたらひきこえたまふさまは、いとこよなくみこころへだたりて、かたはらいたければ、ひとめばかりをめやすくもてなして、おぼしのみみだるるに、このみこころのうちしもぞくるしかりける。
3510.3.5796762 さること()きとも(あら)はしきこえたまはぬに、みづからいとわりなく(おぼ)したるさまも、心幼(こころをさな)し。 さることきともあらはしきこえたまはぬに、みづからいとわりなくおぼしたるさまも、こころをさなし。
3510.3.6797763 「いとかくおはするけぞかし。()きやうといひながら、あまり(こころ)もとなく(おく)れたる、(たの)もしげなきわざなり」 "いとかくおはするけぞかし。きやうといひながら、あまりこころもとなくおくれたる、たのもしげなきわざなり。"
3510.3.7798764 (おぼ)すに、()(なか)なべてうしろめたく、 おぼすに、なかなべてうしろめたく、
3510.3.8799765 女御(にょうご)の、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうに(こころ)かけきこえむ(ひと)は、まして心乱(こころみだ)れなむかし。(をんな)は、かうはるけどころなくなよびたるを、(ひと)もあなづらはしきにや、さるまじきに、ふと()とまり、心強(こころづよ)からぬ(あやま)ちはし()づるなりけり」 "にょうごの、あまりやはらかにおびれたまへるこそ、かやうにこころかけきこえんひとは、ましてこころみだれなんかし。をんなは、かうはるけどころなくなよびたるを、ひともあなづらはしきにや、さるまじきに、ふととまり、こころづよからぬあやまちはしづるなりけり。"
3510.3.9800766 (おぼ)す。 おぼす。
3510.4801767第四段 源氏、玉鬘の賢さを思う
3510.4.1802768 (みぎ)大臣(おとど)(きた)(かた)の、()()てたる後見(うしろみ)もなく、(をさな)くより、ものはかなき()にさすらふるやうにて、()()でたまひけれど、かどかどしく(らう)ありて、(われ)もおほかたには(おや)めきしかど、(にく)(こころ)()はぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくもてなして()ぐし、この大臣(おとど)の、さる無心(むじん)女房(にょうばう)心合(こころあ)はせて()()たりけむにも、けざやかにもて(はな)れたるさまを、(ひと)にも()()られ、ことさらに(ゆる)されたるありさまにしなして、わが(こころ)(つみ)あるにはなさずなりにしなど、今思(いまおも)へば、いかにかどあることなりけり。 "みぎおとどきたかたの、てたるうしろみもなく、をさなくより、ものはかなきにさすらふるやうにて、でたまひけれど、かどかどしくらうありて、われもおほかたにはおやめきしかど、にくこころはぬにしもあらざりしを、なだらかにつれなくもてなしてぐし、このおとどの、さるむじんにょうばうこころあはせてたりけんにも、けざやかにもてはなれたるさまを、ひとにもられ、ことさらにゆるされたるありさまにしなして、わがこころつみあるにはなさずなりにしなど、いまおもへば、いかにかどあることなりけり。
3510.4.2803769 (ちぎ)(ふか)(なか)なりければ、(なが)くかくて(たも)たむことは、とてもかくても、(おな)じごとあらましものから、(こころ)もてありしこととも、世人(よひと)(おも)()でば、すこし軽々(かるがる)しき(おも)(くは)はりなまし、いといたくもてなしてしわざなり」と(おぼ)()づ。 ちぎふかなかなりければ、ながくかくてたもたんことは、とてもかくても、おなじごとあらましものから、こころもてありしこととも、よひとおもでば、すこしかるがるしきおもくははりなまし、いといたくもてなしてしわざなり。"とおぼづ。
3510.5804770第五段 朧月夜、出家す
3510.5.1805771 二条(にでう)尚侍(ないしのかん)(きみ)をば、なほ()えず、(おも)()できこえたまへど、かくうしろめたき(すぢ)のこと、()きものに(おぼ)()りて、かの御心弱(みこころよわ)さも、(すこ)(かる)(おも)ひなされたまひけり。 にでうないしのかんきみをば、なほえず、おもできこえたまへど、かくうしろめたきすぢのこと、きものにおぼりて、かのみこころよわさも、すこかるおもひなされたまひけり。
3510.5.2806772 つひに御本意(おほんほい)のことしたまひてけりと()きたまひては、いとあはれに口惜(くちを)しく、御心動(みこころうご)きて、まづ(とぶ)らひきこえたまふ。(いま)なむとだににほはしたまはざりけるつらさを、(あさ)からず()こえたまふ。 つひにおほんほいのことしたまひてけりときたまひては、いとあはれにくちをしく、みこころうごきて、まづとぶらひきこえたまふ。いまなんとだににほはしたまはざりけるつらさを、あさからずこえたまふ。
3510.5.3807773 海人(あま)()をよそに()かめや須磨(すま)(うら)に<BR/>藻塩垂(もしほた)れしも()れならなくに "〔あまをよそにかめやすまうらに<BR/>もしほたれしもれならなくに
3510.5.4808774 さまざまなる()(さだ)めなさを(こころ)(おも)ひつめて、(いま)まで(おく)れきこえぬる口惜(くちを)しさを、(おぼ)()てつとも、()りがたき御回向(ごゑかう)のうちには、まづこそはと、あはれになむ」 さまざまなるさだめなさをこころおもひつめて、いままでおくれきこえぬるくちをしさを、おぼてつとも、りがたきごゑかうのうちには、まづこそはと、あはれになん。"
3510.5.5809775 など、(おほ)()こえたまへり。 など、おほこえたまへり。
3510.5.6810776 とく(おぼ)()ちにしことなれど、この御妨(おほんさまた)げにかかづらひて、(ひと)にはしか(あら)はしたまはぬことなれど、(こころ)のうちあはれに、(むかし)よりつらき御契(おほんちぎ)りを、さすがに(あさ)くしも(おぼ)()られぬなど、かたがたに(おぼ)()でらる。 とくおぼちにしことなれど、このおほんさまたげにかかづらひて、ひとにはしかあらはしたまはぬことなれど、こころのうちあはれに、むかしよりつらきおほんちぎりを、さすがにあさくしもおぼられぬなど、かたがたにおぼでらる。
3510.5.7811777 御返(おほんかへ)り、(いま)はかくしも(かよ)ふまじき御文(おほんふみ)のとぢめと(おぼ)せば、あはれにて、(こころ)とどめて()きたまふ、(すみ)つきなど、いとをかし。 おほんかへり、いまはかくしもかよふまじきおほんふみのとぢめとおぼせば、あはれにて、こころとどめてきたまふ、すみつきなど、いとをかし。
3510.5.8812778 (つね)なき()とは身一(みひと)つにのみ()りはべりにしを、(おく)れぬとのたまはせたるになむ、げに、 "つねなきとはみひとつにのみりはべりにしを、おくれぬとのたまはせたるになん、げに、
3510.5.9813779 海人舟(あまぶね)にいかがは(おも)ひおくれけむ<BR/>明石(あかし)(うら)にいさりせし(きみ) あまぶねにいかがはおもひおくれけん<BR/>あかしうらにいさりせしきみ
3510.5.10814780 回向(ゑかう)には、あまねきかどにても、いかがは」 ゑかうには、あまねきかどにても、いかがは。"
3510.5.11815781 とあり。()青鈍(あをにび)(かみ)にて、(しきみ)にさしたまへる、(れい)のことなれど、いたく()ぐしたる(ふで)づかひ、なほ()りがたくをかしげなり。 とあり。あをにびかみにて、しきみにさしたまへる、れいのことなれど、いたくぐしたるふでづかひ、なほりがたくをかしげなり。
3510.6816782第六段 源氏、朧月夜と朝顔を語る
3510.6.1817783 二条院(にでうのゐん)におはしますほどにて、女君(をんなぎみ)にも、(いま)はむげに()えぬることにて、()せたてまつりたまふ。 にでうのゐんにおはしますほどにて、をんなぎみにも、いまはむげにえぬることにて、せたてまつりたまふ。
3510.6.2818784 「いといたくこそ()づかしめられたれ。げに、(こころ)づきなしや。さまざま心細(こころぼそ)()(なか)のありさまを、よく見過(みす)ぐしつるやうなるよ。なべての()のことにても、はかなくものを()()はし、時々(ときどき)によせて、あはれをも()り、ゆゑをも()ぐさず、よそながらの(むつ)()はしつべき(ひと)は、斎院(さいゐん)とこの(きみ)とこそは(のこ)りありつるを、かくみな(そむ)()てて、斎院(さいゐん)はた、いみじうつとめて、(まぎ)れなく(おこ)なひにしみたまひにたなり。 "いといたくこそづかしめられたれ。げに、こころづきなしや。さまざまこころぼそなかのありさまを、よくみすぐしつるやうなるよ。なべてののことにても、はかなくものをはし、ときどきによせて、あはれをもり、ゆゑをもぐさず、よそながらのむつはしつべきひとは、さいゐんとこのきみとこそはのこりありつるを、かくみなそむてて、さいゐんはた、いみじうつとめて、まぎれなくおこなひにしみたまひにたなり。
3510.6.3819785 なほ、ここらの(ひと)のありさまを()()(なか)に、(ふか)(おも)ふさまに、さすがになつかしきことの、かの(ひと)(おほん)なずらひにだにもあらざりけるかな。女子(をんなご)()ほし()てむことよ、いと(かた)かるべきわざなりけり。 なほ、ここらのひとのありさまをなかに、ふかおもふさまに、さすがになつかしきことの、かのひとおほんなずらひにだにもあらざりけるかな。をんなごほしてんことよ、いとかたかるべきわざなりけり。
3510.6.4820786 宿世(すくせ)などいふらむものは、()()えぬわざにて、(おや)(こころ)(まか)せがたし。()()たむほどの(こころ)づかひは、なほ力入(ちからい)るべかめり。よくこそ、あまたかたがたに(こころ)(みだ)るまじき(ちぎ)りなりけれ。年深(としふか)くいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまに()ましかばとなむ、(なげ)かしきをりをりありし。 すくせなどいふらんものは、えぬわざにて、おやこころまかせがたし。たんほどのこころづかひは、なほちからいるべかめり。よくこそ、あまたかたがたにこころみだるまじきちぎりなりけれ。としふかくいらざりしほどは、さうざうしのわざや、さまざまにましかばとなん、なげかしきをりをりありし。
3510.6.5821787 若宮(わかみや)を、(こころ)して()ほし()てたてまつりたまへ。女御(にょうご)は、ものの(こころ)(ふか)()りたまふほどならで、かく(いとま)なき(まじ)らひをしたまへば、何事(なにごと)(こころ)もとなき(かた)にぞものしたまふらむ。御子(みこ)たちなむ、なほ()(かぎ)(ひと)(てん)つかるまじくて、()をのどかに()ぐしたまはむに、うしろめたかるまじき(こころ)ばせ、つけまほしきわざなりける。(かぎ)りありて、とざまかうざまの後見(うしろみ)まうくるただ(うど)は、おのづからそれにも(たす)けられぬるを」 わかみやを、こころしてほしてたてまつりたまへ。にょうごは、もののこころふかりたまふほどならで、かくいとまなきまじらひをしたまへば、なにごとこころもとなきかたにぞものしたまふらん。みこたちなん、なほかぎひとてんつかるまじくて、をのどかにぐしたまはんに、うしろめたかるまじきこころばせ、つけまほしきわざなりける。かぎりありて、とざまかうざまのうしろみまうくるただうどは、おのづからそれにもたすけられぬるを。"
3510.6.6822788 など()こえたまへば、 などこえたまへば、
3510.6.7823789 「はかばかしきさまの御後見(おほんうしろみ)ならずとも、()にながらへむ(かぎ)りは、()たてまつらぬやうあらじと(おも)ふを、いかならむ」 "はかばかしきさまのおほんうしろみならずとも、にながらへんかぎりは、たてまつらぬやうあらじとおもふを、いかならん。"
3510.6.8824790 とて、なほものを心細(こころぼそ)げにて、かく(こころ)にまかせて、(おこ)なひをもとどこほりなくしたまふ(ひと)びとを、うらやましく(おも)ひきこえたまへり。 とて、なほものをこころぼそげにて、かくこころにまかせて、おこなひをもとどこほりなくしたまふひとびとを、うらやましくおもひきこえたまへり。
3510.6.9825791 尚侍(かん)(きみ)に、さま()はりたまへらむ装束(さうぞく)など、まだ()()れぬほどは(とぶ)らふべきを、袈裟(けさ)などはいかに()ふものぞ。それせさせたまへ。一領(ひとくだり)は、六条(ろくでう)(ひんがし)(きみ)にものしつけむ。うるはしき法服(ほふぶく)だちては、うたて見目(みめ)もけうとかるべし。さすがに、その(こころ)ばへ()せてを」 "かんきみに、さまはりたまへらんさうぞくなど、まだれぬほどはとぶらふべきを、けさなどはいかにふものぞ。それせさせたまへ。ひとくだりは、ろくでうひんがしきみにものしつけん。うるはしきほふぶくだちては、うたてみめもけうとかるべし。さすがに、そのこころばへせてを。"
3510.6.10826792 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
3510.6.11827793 青鈍(あをにび)一領(ひとくだり)を、ここにはせさせたまふ。作物所(つくもどころ)人召(ひとめ)して、(しの)びて、(あま)御具(おほんぐ)どものさるべきはじめのたまはす。御茵(おほんしとね)上席(うはむしろ)屏風(びゃうぶ)几帳(きちゃう)などのことも、いと(しの)びて、わざとがましくいそがせたまひけり。 あをにびひとくだりを、ここにはせさせたまふ。つくもどころひとめして、しのびて、あまおほんぐどものさるべきはじめのたまはす。おほんしとねうはむしろびゃうぶきちゃうなどのことも、いとしのびて、わざとがましくいそがせたまひけり。
3511828794第十一章 朱雀院の物語 五十賀の延引
3511.1829795第一段 女二の宮、院の五十の賀を祝う
3511.1.1830796 かくて、(やま)(みかど)御賀(おほんが)()びて、(あき)とありしを、八月(はちがつ)大将(だいしゃう)御忌月(おほんきづき)にて、楽所(がくそ)のこと(おこ)なひたまはむに、便(びん)なかるべし。九月(くがつ)は、(ゐん)大后(おほきさき)(かく)れたまひにし(つき)なれば、十月(じふがつ)にと(おぼ)しまうくるを、姫宮(ひめみや)いたく(なや)みたまへば、また()びぬ。 かくて、やまみかどおほんがびて、あきとありしを、はちがつだいしゃうおほんきづきにて、がくそのことおこなひたまはんに、びんなかるべし。くがつは、ゐんおほきさきかくれたまひにしつきなれば、じふがつにとおぼしまうくるを、ひめみやいたくなやみたまへば、またびぬ。
3511.1.2831797 衛門督(ゑもんのかみ)御預(おほんあづ)かりの(みや)なむ、その(つき)には(まゐ)りたまひける。太政大臣居立(おほきおとどゐた)ちて、いかめしくこまかに、もののきよら、儀式(ぎしき)()くしたまへりけり。(かん)(きみ)も、そのついでにぞ、(おも)()こして()でたまひける。なほ、(なや)ましく、(れい)ならず(やまひ)づきてのみ()ぐしたまふ。 ゑもんのかみおほんあづかりのみやなん、そのつきにはまゐりたまひける。おほきおとどゐたちて、いかめしくこまかに、もののきよら、ぎしきくしたまへりけり。かんきみも、そのついでにぞ、おもこしてでたまひける。なほ、なやましく、れいならずやまひづきてのみぐしたまふ。
3511.1.3832798 (みや)も、うちはへてものをつつましく、いとほしとのみ(おぼ)(なげ)くにやあらむ、月多(つきおほ)(かさ)なりたまふままに、いと(くる)しげにおはしませば、(ゐん)は、心憂(こころう)しと(おも)ひきこえたまふ(かた)こそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かく(なや)みわたりたまふを、いかにおはせむと(なげ)かしくて、さまざまに(おぼ)(なげ)く。御祈(おほんいの)りなど、今年(ことし)(まぎ)(おほ)くて()ぐしたまふ。 みやも、うちはへてものをつつましく、いとほしとのみおぼなげくにやあらん、つきおほかさなりたまふままに、いとくるしげにおはしませば、ゐんは、こころうしとおもひきこえたまふかたこそあれ、いとらうたげにあえかなるさまして、かくなやみわたりたまふを、いかにおはせんとなげかしくて、さまざまにおぼなげく。おほんいのりなど、ことしまぎおほくてぐしたまふ。
3511.2833799第二段 朱雀院、女三の宮へ手紙
3511.2.1834800 御山(みやま)にも()こし()して、らうたく(こひ)しと(おも)ひきこえたまふ。(つき)ごろかくほかほかにて、(わた)りたまふこともをさをさなきやうに、(ひと)(さう)しければ、いかなるにかと御胸(おほんむね)つぶれて、()(なか)(いま)さらに(うら)めしく(おぼ)して、 みやまにもこしして、らうたくこひしとおもひきこえたまふ。つきごろかくほかほかにて、わたりたまふこともをさをさなきやうに、ひとさうしければ、いかなるにかとおほんむねつぶれて、なかいまさらにうらめしくおぼして、
3511.2.2835801 (たい)(かた)のわづらひけるころは、なほその(あつか)ひにと()こし()してだに、なまやすからざりしを、そののち、(なほ)りがたくものしたまふらむは、そのころほひ、便(びん)なきことや()()たりけむ。みづから()りたまふことならねど、()からぬ御後見(おほんうしろみ)どもの(こころ)にて、いかなることかありけむ。内裏(うち)わたりなどの、みやびを()はすべき(なか)らひなどにも、けしからず()きこと()()づるたぐひも()こゆかし」 "たいかたのわづらひけるころは、なほそのあつかひにとこししてだに、なまやすからざりしを、そののち、なほりがたくものしたまふらんは、そのころほひ、びんなきことやたりけん。みづからりたまふことならねど、からぬおほんうしろみどものこころにて、いかなることかありけん。うちわたりなどの、みやびをはすべきなからひなどにも、けしからずきことづるたぐひもこゆかし。"
3511.2.3836802 とさへ(おぼ)()るも、こまやかなること(おぼ)()ててし()なれど、なほ()(みち)(はな)れがたくて、(みや)御文(おほんふみ)こまやかにてありけるを、大殿(おとど)、おはしますほどにて、()たまふ。 とさへおぼるも、こまやかなることおぼててしなれど、なほみちはなれがたくて、みやおほんふみこまやかにてありけるを、おとど、おはしますほどにて、たまふ。
3511.2.4837803 「そのこととなくて、しばしばも()こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月(としつき)()ぐるなむ、あはれなりける。(なや)みたまふなるさまは、(くは)しく()きしのち、念誦(ねんず)のついでにも(おも)ひやらるるは、いかが。()中寂(なかさび)しく(おも)はずなることありとも、(しの)()ぐしたまへ。(うら)めしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知(みし)(がほ)にほのめかす、いと(しな)おくれたるわざになむ」 "そのこととなくて、しばしばもこえぬほどに、おぼつかなくてのみとしつきぐるなん、あはれなりける。なやみたまふなるさまは、くはしくきしのち、ねんずのついでにもおもひやらるるは、いかが。なかさびしくおもはずなることありとも、しのぐしたまへ。うらめしげなるけしきなど、おぼろけにて、みしがほにほのめかす、いとしなおくれたるわざになん。"
3511.2.5838804 など、(をし)へきこえたまへり。 など、をしへきこえたまへり。
3511.2.6839805 いといとほしく心苦(こころぐる)しく、「かかるうちうちのあさましきをば、()こし()すべきにはあらで、わがおこたりに、本意(ほい)なくのみ()(おぼ)すらむことを」とばかり(おぼ)(つづ)けて、 いといとほしくこころぐるしく、"かかるうちうちのあさましきをば、こしすべきにはあらで、わがおこたりに、ほいなくのみおぼすらんことを。"とばかりおぼつづけて、
3511.2.7840806 「この御返(おほんかへ)りをば、いかが()こえたまふ。心苦(こころぐる)しき御消息(おほんせうそこ)に、まろこそいと(くる)しけれ。(おも)はずに(おも)ひきこゆることありとも、おろかに、(ひと)見咎(みとが)むばかりはあらじとこそ(おも)ひはべれ。()()こえたるにかあらむ」 "このおほんかへりをば、いかがこえたまふ。こころぐるしきおほんせうそこに、まろこそいとくるしけれ。おもはずにおもひきこゆることありとも、おろかに、ひとみとがむばかりはあらじとこそおもひはべれ。こえたるにかあらん。"
3511.2.8841807 とのたまふに、()ぢらひて(そむ)きたまへる御姿(おほんすがた)も、いとらうたげなり。いたく面痩(おもや)せて、もの(おも)()したまへる、いとどあてにをかし。 とのたまふに、ぢらひてそむきたまへるおほんすがたも、いとらうたげなり。いたくおもやせて、ものおもしたまへる、いとどあてにをかし。
3511.3842808第三段 源氏、女三の宮を諭す
3511.3.1843809 「いと(をさな)御心(みこころ)ばへを()おきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、(おも)ひあはせたてまつれば、(いま)より(のち)もよろづになむ。かうまでもいかで()こえじと(おも)へど、(うへ)の、御心(みこころ)(そむ)くと()こし()すらむことの、やすからず、いぶせきを、ここにだに()こえ()らせでやはとてなむ。 "いとをさなみこころばへをおきたまひて、いたくはうしろめたがりきこえたまふなりけりと、おもひあはせたてまつれば、いまよりのちもよろづになん。かうまでもいかでこえじとおもへど、うへの、みこころそむくとこしすらんことの、やすからず、いぶせきを、ここにだにこえらせでやはとてなん。
3511.3.2844810 いたり(すく)なく、ただ、(ひと)()こえなす(かた)にのみ()るべかめる御心(みこころ)には、ただおろかに(あさ)きとのみ(おぼ)し、また、(いま)はこよなくさだ()ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴(めな)れてのみ()なしたまふらむも、かたがたに口惜(くちを)しくもうれたくもおぼゆるを、(ゐん)のおはしまさむほどは、なほ心収(こころをさ)めて、かの(おぼ)しおきてたるやうありけむ、さだ()(びと)をも、(おな)じくなずらへきこえて、いたくな(かる)めたまひそ。 いたりすくなく、ただ、ひとこえなすかたにのみるべかめるみこころには、ただおろかにあさきとのみおぼし、また、いまはこよなくさだぎにたるありさまも、あなづらはしくめなれてのみなしたまふらんも、かたがたにくちをしくもうれたくもおぼゆるを、ゐんのおはしまさんほどは、なほこころをさめて、かのおぼしおきてたるやうありけん、さだびとをも、おなじくなずらへきこえて、いたくなかるめたまひそ。
3511.3.3845811 いにしへより本意深(ほいふか)(みち)にも、たどり(うす)かるべき女方(をんながた)にだに、皆思(みなおも)(おく)れつつ、いとぬるきこと(おほ)かるを、みづからの(こころ)には、(なに)ばかり(おぼ)しまよふべきにはあらねど、(いま)はと()てたまひけむ()後見(うしろみ)(ゆず)りおきたまへる御心(みこころ)ばへの、あはれにうれしかりしを、ひき(つづ)(あらそ)ひきこゆるやうにて、(おな)じさまに見捨(みす)てたてまつらむことの、あへなく(おぼ)されむにつつみてなむ。 いにしへよりほいふかみちにも、たどりうすかるべきをんながたにだに、みなおもおくれつつ、いとぬるきことおほかるを、みづからのこころには、なにばかりおぼしまよふべきにはあらねど、いまはとてたまひけんうしろみゆずりおきたまへるみこころばへの、あはれにうれしかりしを、ひきつづあらそひきこゆるやうにて、おなじさまにみすてたてまつらんことの、あへなくおぼされんにつつみてなん。
3511.3.4846812 心苦(こころぐる)しと(おも)ひし(ひと)びとも、(いま)はかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず。女御(にょうご)も、かくて、()(すゑ)()りがたけれど、御子(みこ)たち数添(かずそ)ひたまふめれば、みづからの()だにのどけくはと()おきつべし。その(ほか)は、()れも()れも、あらむに(したが)ひて、もろともに()()てむも、()しかるまじき(よはひ)どもになりにたるを、やうやうすずしく(おも)ひはべる。 こころぐるしとおもひしひとびとも、いまはかけとどめらるるほだしばかりなるもはべらず。にょうごも、かくて、すゑりがたけれど、みこたちかずそひたまふめれば、みづからのだにのどけくはとおきつべし。そのほかは、れもれも、あらんにしたがひて、もろともにてんも、しかるまじきよはひどもになりにたるを、やうやうすずしくおもひはべる。
3511.3.5847813 (ゐん)御世(みよ)(のこ)(ひさ)しくもおはせじ。いと(あつ)しくいとどなりまさりたまひて、もの心細(こころぼそ)げにのみ(おぼ)したるに、(いま)さらに(おも)はずなる御名(おほんな)()()こえて、御心乱(みこころみだ)りたまふな。この()はいとやすし。ことにもあらず。(のち)()御道(おほんみち)(さまた)げならむも、(つみ)いと(おそ)ろしからむ」 ゐんみよのこひさしくもおはせじ。いとあつしくいとどなりまさりたまひて、ものこころぼそげにのみおぼしたるに、いまさらにおもはずなるおほんなこえて、みこころみだりたまふな。このはいとやすし。ことにもあらず。のちおほんみちさまたげならんも、つみいとおそろしからん。"
3511.3.6848814 など、まほにそのこととは()かしたまはねど、つくづくと()こえ(つづ)けたまふに、(なみだ)のみ()ちつつ、(われ)にもあらず(おも)ひしみておはすれば、(われ)もうち()きたまひて、 など、まほにそのこととはかしたまはねど、つくづくとこえつづけたまふに、なみだのみちつつ、われにもあらずおもひしみておはすれば、われもうちきたまひて、
3511.3.7849815 (ひと)(うへ)にても、もどかしく()(おも)ひし古人(ふるびと)のさかしらよ。()()はることにこそ。いかにうたての(おきな)やと、むつかしくうるさき御心添(みこころそ)ふらむ」 "ひとうへにても、もどかしくおもひしふるびとのさかしらよ。はることにこそ。いかにうたてのおきなやと、むつかしくうるさきみこころそふらん。"
3511.3.8850816 と、()ぢたまひつつ、御硯引(おほんすずりひ)()せたまひて、()づから()()り、紙取(かみと)りまかなひ、()かせたてまつりたまへど、御手(おほんて)もわななきて、え()きたまはず。 と、ぢたまひつつ、おほんすずりひせたまひて、づからり、かみとりまかなひ、かせたてまつりたまへど、おほんてもわななきて、えきたまはず。
3511.3.9851817 「かのこまかなりし返事(かへりごと)は、いとかくしもつつまず(かよ)はしたまふらむかし」と(おぼ)しやるに、いと(にく)ければ、よろづのあはれも()めぬべけれど、言葉(ことば)など(をし)へて()かせたてまつりたまふ。 "かのこまかなりしかへりごとは、いとかくしもつつまずかよはしたまふらんかし。"とおぼしやるに、いとにくければ、よろづのあはれもめぬべけれど、ことばなどをしへてかせたてまつりたまふ。
3511.4852818第四段 朱雀院の御賀、十二月に延引
3511.4.1853819 (まゐ)りたまはむことは、この(つき)かくて()ぎぬ。()(みや)御勢(おほんいきほ)(こと)にて(まゐ)りたまひけるを、(ふる)めかしき御身(おほんみ)ざまにて、()(なら)(がほ)ならむも、(はばか)りある心地(ここち)しけり。 まゐりたまはんことは、このつきかくてぎぬ。みやおほんいきほことにてまゐりたまひけるを、ふるめかしきおほんみざまにて、ならがほならんも、はばかりあるここちしけり。
3511.4.2854820 霜月(しもつき)はみづからの忌月(きづき)なり。(とし)(をは)りはた、いともの(さわ)がし。また、いとどこの御姿(おほんすがた)見苦(みぐる)しく、()()たまはむをと(おも)ひはべれど、さりとて、さのみ()ぶべきことにやは。むつかしくもの(おぼ)(みだ)れず、あきらかにもてなしたまひて、このいたく面痩(おもや)せたまへる、つくろひたまへ」 "しもつきはみづからのきづきなり。としをはりはた、いとものさわがし。また、いとどこのおほんすがたみぐるしく、たまはんをとおもひはべれど、さりとて、さのみぶべきことにやは。むつかしくものおぼみだれず、あきらかにもてなしたまひて、このいたくおもやせたまへる、つくろひたまへ。"
3511.4.3855821 など、いとらうたしと、さすがに()たてまつりたまふ。 など、いとらうたしと、さすがにたてまつりたまふ。
3511.4.4856822 衛門督(ゑもんのかみ)をば、(なに)ざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには、かならずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせ()はせしを、()えてさる御消息(おほんせうそこ)もなし。(ひと)あやしと(おも)ふらむと(おぼ)せど、「()むにつけても、いとどほれぼれしきかた()づかしく、()むにはまたわが(こころ)もただならずや」と(おぼ)(かへ)されつつ、やがて(つき)ごろ(まゐ)りたまはぬをも(とが)めなし。 ゑもんのかみをば、なにざまのことにも、ゆゑあるべきをりふしには、かならずことさらにまつはしたまひつつ、のたまはせはせしを、えてさるおほんせうそこもなし。ひとあやしとおもふらんとおぼせど、"んにつけても、いとどほれぼれしきかたづかしく、んにはまたわがこころもただならずや。"とおぼかへされつつ、やがてつきごろまゐりたまはぬをもとがめなし。
3511.4.5857823 おほかたの(ひと)は、なほ(れい)ならず(なや)みわたりて、(ゐん)にはた、御遊(おほんあそ)びなどなき(とし)なれば、とのみ(おも)ひわたるを、大将(だいしゃう)(きみ)ぞ、「あるやうあることなるべし。好色者(すきもの)は、さだめてわがけしきとりしことには、(しの)ばぬにやありけむ」と(おも)()れど、いとかく(さだ)かに(のこ)りなきさまならむとは、(おも)()りたまはざりけり。 おほかたのひとは、なほれいならずなやみわたりて、ゐんにはた、おほんあそびなどなきとしなれば、とのみおもひわたるを、だいしゃうきみぞ、"あるやうあることなるべし。すきものは、さだめてわがけしきとりしことには、しのばぬにやありけん。"とおもれど、いとかくさだかにのこりなきさまならんとは、おもりたまはざりけり。
3511.5858824第五段 源氏、柏木を六条院に召す
3511.5.1859825 十二月(じふにがつ)になりにけり。十余日(じふよにち)(さだ)めて、(まひ)ども()らし、殿(との)のうちゆすりてののしる。二条(にでう)(ゐん)(うへ)は、まだ(わた)りたまはざりけるを、この試楽(しがく)によりてぞ、えしづめ()てで(わた)りたまへる。女御(にょうご)(きみ)(さと)におはします。このたびの御子(みこ)は、また(をとこ)にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、()()れもて(あそ)びたてまつりたまふになむ、()ぐる(よはひ)のしるし、うれしく(おぼ)されける。試楽(しがく)に、右大臣殿(うだいじんどの)(きた)(かた)(わた)りたまへり。 じふにがつになりにけり。じふよにちさだめて、まひどもらし、とののうちゆすりてののしる。にでうゐんうへは、まだわたりたまはざりけるを、このしがくによりてぞ、えしづめてでわたりたまへる。にょうごきみさとにおはします。このたびのみこは、またをとこにてなんおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、れもてあそびたてまつりたまふになん、ぐるよはひのしるし、うれしくおぼされける。しがくに、うだいじんどのきたかたわたりたまへり。
3511.5.2860826 大将(だいしゃう)(きみ)丑寅(うしとら)(まち)にて、まづうちうちに調楽(てうがく)のやうに、()()(あそ)()らしたまひければ、かの御方(0ほんかた)は、御前(おまへ)(もの)()たまはず。 だいしゃうきみうしとらまちにて、まづうちうちにてうがくのやうに、あそらしたまひければ、かの0ほんかたは、おまへものたまはず。
3511.5.3861827 衛門督(ゑもんのかみ)を、かかることの(をり)()じらはせざらむは、いと(はえ)なく、さうざうしかるべきうちに、(ひと)あやしと(かたぶ)きぬべきことなれば、(まゐ)りたまふべきよしありけるを、(おも)くわづらふよし(まう)して(まゐ)らず。 ゑもんのかみを、かかることのをりじらはせざらんは、いとはえなく、さうざうしかるべきうちに、ひとあやしとかたぶきぬべきことなれば、まゐりたまふべきよしありけるを、おもくわづらふよしまうしてまゐらず。
3511.5.4862828 さるは、そこはかと(くる)しげなる(やまひ)にもあらざなるを、(おも)(こころ)のあるにやと、心苦(こころぐる)しく(おぼ)して、()()きて御消息(おほんせうそこ)つかはす。父大臣(ちちおとど)も、 さるは、そこはかとくるしげなるやまひにもあらざなるを、おもこころのあるにやと、こころぐるしくおぼして、きておほんせうそこつかはす。ちちおとども、
3511.5.5863829 「などか(かへ)さひ(まう)されける。ひがひがしきやうに、(ゐん)にも()こし()さむを、おどろおどろしき(やまひ)にもあらず、(たす)けて(まゐ)りたまへ」 "などかかへさひまうされける。ひがひがしきやうに、ゐんにもこしさんを、おどろおどろしきやまひにもあらず、たすけてまゐりたまへ。"
3511.5.6864830 とそそのかしたまふに、かく(かさ)ねてのたまへれば、(くる)しと(おも)(おも)(まゐ)りぬ。 とそそのかしたまふに、かくかさねてのたまへれば、くるしとおもおもまゐりぬ。
3511.6865831第六段 源氏、柏木と対面す
3511.6.1866832 まだ上達部(かんだちめ)なども(つど)ひたまはぬほどなりけり。(れい)気近(けぢか)御簾(みす)(うち)()れたまひて、母屋(もや)御簾下(みすお)ろしておはします。げに、いといたく()()せに(あを)みて、(れい)(ほこ)りかにはなやぎたる(かた)は、(おとうと)(きみ)たちにはもて()たれて、いと用意(ようい)あり(がほ)にしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひたまふさま、「などかは皇女(みこ)たちの(おほん)かたはらにさし(なら)べたらむに、さらに(とが)あるまじきを、ただことのさまの、(たれ)(たれ)もいと(おも)ひやりなきこそ、いと罪許(つみゆる)しがたけれ」など、御目(おほんめ)とまれど、さりげなく、いとなつかしく、 まだかんだちめなどもつどひたまはぬほどなりけり。れいけぢかみすうちれたまひて、もやみすおろしておはします。げに、いといたくせにあをみて、れいほこりかにはなやぎたるかたは、おとうときみたちにはもてたれて、いとよういありがほにしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめてさぶらひたまふさま、"などかはみこたちのおほんかたはらにさしならべたらんに、さらにとがあるまじきを、ただことのさまの、たれたれもいとおもひやりなきこそ、いとつみゆるしがたけれ。"など、おほんめとまれど、さりげなく、いとなつかしく、
3511.6.2867833 「そのこととなくて、対面(たいめん)もいと(ひさ)しくなりにけり。(つき)ごろは、いろいろの病者(びゃうざ)()あつかひ、(こころ)(いとま)なきほどに、(ゐん)御賀(おほんが)のため、ここにものしたまふ皇女(みこ)の、法事仕(ほふじつか)うまつりたまふべくありしを、次々(つぎつぎ)とどこほることしげくて、かく(とし)もせめつれば、え(おも)ひのごとくしあへで、(かた)のごとくなむ、(いもひ)御鉢参(みはちまゐ)るべきを、御賀(おほんが)などいへば、ことことしきやうなれど、(いへ)()()づる(わらは)べの数多(かずおほ)くなりにけるを御覧(ごらん)ぜさせむとて、(まひ)など(なら)はしはじめし、そのことをだに()たさむとて。拍子調(ひゃうしととの)へむこと、また()れにかはと(おも)ひめぐらしかねてなむ、(つき)ごろ()ぶらひものしたまはぬ(うら)みも()ててける」 "そのこととなくて、たいめんもいとひさしくなりにけり。つきごろは、いろいろのびゃうざあつかひ、こころいとまなきほどに、ゐんおほんがのため、ここにものしたまふみこの、ほふじつかうまつりたまふべくありしを、つぎつぎとどこほることしげくて、かくとしもせめつれば、えおもひのごとくしあへで、かたのごとくなん、いもひみはちまゐるべきを、おほんがなどいへば、ことことしきやうなれど、いへづるわらはべのかずおほくなりにけるをごらんぜさせんとて。まひなどならはしはじめし、そのことをだにたさんとて。ひゃうしととのへんこと、またれにかはとおもひめぐらしかねてなん、つきごろぶらひものしたまはぬうらみもててける。"
3511.6.3868835 とのたまふ(おほん)けしきの、うらなきやうなるものから、いといと()づかしきに、(かほ)色違(いろたが)ふらむとおぼえて、(おほん)いらへもとみに()こえず。 とのたまふおほんけしきの、うらなきやうなるものから、いといとづかしきに、かほいろたがふらんとおぼえて、おほんいらへもとみにこえず。
3511.7869836第七段 柏木と御賀について打ち合わせる
3511.7.1870837 (つき)ごろ、かたがたに(おぼ)(なや)(おほん)こと、(うけたまは)(なげ)きはべりながら、(はる)のころほひより、(れい)(わづら)ひはべる(みだ)脚病(かくびゃう)といふもの、所狭(ところせ)()こり(わづら)ひはべりて、はかばかしく()()つることもはべらず、(つき)ごろに()へて(しづ)みはべりてなむ、内裏(うち)などにも(まゐ)らず、()中跡絶(なかあとた)えたるやうにて()もりはべる。 "つきごろ、かたがたにおぼなやおほんこと、うけたまはなげきはべりながら、はるのころほひより、れいわづらひはべるみだかくびゃうといふもの、ところせこりわづらひはべりて、はかばかしくつることもはべらず、つきごろにへてしづみはべりてなん、うちなどにもまゐらず、なかあとたえたるやうにてもりはべる。
3511.7.2871838 (ゐん)御齢足(おほんよはひた)りたまふ(とし)なり、(ひと)よりさだかに(かぞ)へたてまつり(つか)うまつるべきよし、致仕(ちじ)大臣思(おとどおも)(およ)(まう)されしを、『(かうぶり)()け、(くるま)()しまず()ててし()にて、(すす)(つか)うまつらむに、つくところなし。げに、下臈(げらふ)なりとも、(おな)じごと(ふか)きところはべらむ。その心御覧(こころごらん)ぜられよ』と、(もよほ)(まう)さるることのはべしかば、(おも)(やまひ)相助(あひたす)けてなむ、(まゐ)りてはべし。 ゐんおほんよはひたりたまふとしなり、ひとよりさだかにかぞへたてまつりつかうまつるべきよし、ちじおとどおもおよまうされしを、"かうぶりけ、くるましまずててしにて、すすつかうまつらんに、つくところなし。げに、げらふなりとも、おなじごとふかきところはべらん。そのこころごらんぜられよ。"と、もよほまうさるることのはべしかば、おもやまひあひたすけてなん、まゐりてはべし。
3511.7.3872839 (いま)は、いよいよいとかすかなるさまに(おぼ)()まして、いかめしき(おほん)よそひを()ちうけたてまつりたまはむこと、(ねが)はしくも(おぼ)すまじく()たてまつりはべしを、(こと)どもをば()がせたまひて、(しづ)かなる御物語(おほんものがたり)(ふか)御願(おほんねが)(かな)はせたまはむなむ、まさりてはべるべき」 いまは、いよいよいとかすかなるさまにおぼまして、いかめしきおほんよそひをちうけたてまつりたまはんこと、ねがはしくもおぼすまじくたてまつりはべしを、ことどもをばがせたまひて、しづかなるおほんものがたりふかおほんねがかなはせたまはんなん、まさりてはべるべき。"
3511.7.4873840 (まう)したまへば、いかめしく()きし御賀(おほんが)(こと)を、女二(をんなに)(みや)御方(おほんかた)ざまには()ひなさぬも、(らう)ありと(おぼ)す。 まうしたまへば、いかめしくきしおほんがことを、をんなにみやおほんかたざまにはひなさぬも、らうありとおぼす。
3511.7.5874841 「ただかくなむ。こと()ぎたるさまに世人(よひと)(あさ)()るべきを、さはいへど、心得(こころえ)てものせらるるに、さればよとなむ、いとど(おも)ひなられはべる。大将(だいしゃう)は、公方(おほやけがた)は、やうやう大人(おとな)ぶめれど、かうやうに(なさ)けびたる(かた)は、もとよりしまぬにやあらむ。 "ただかくなん。ことぎたるさまによひとあさるべきを、さはいへど、こころえてものせらるるに、さればよとなん、いとどおもひなられはべる。だいしゃうは、おほやけがたは、やうやうおとなぶめれど、かうやうになさけびたるかたは、もとよりしまぬにやあらん。
3511.7.6875842 かの(ゐん)何事(なにごと)心及(こころおよ)びたまはぬことは、をさをさなきうちにも、(がく)(かた)のことは御心(みこころ)とどめて、いとかしこく()調(ととの)へたまへるを、さこそ(おぼ)()てたるやうなれ、(しづ)かに()こしめし()まさむこと、(いま)しもなむ(こころ)づかひせらるべき。かの大将(だいしゃう)ともろともに見入(みい)れて、(まひ)(わらは)べの用意(ようい)(こころ)ばへ、よく(くは)へたまへ。(もの)()などいふものは、ただわが()てたることこそあれ、いと口惜(くちを)しきものなり」 かのゐんなにごとこころおよびたまはぬことは、をさをさなきうちにも、がくかたのことはみこころとどめて、いとかしこくととのへたまへるを、さこそおぼてたるやうなれ、しづかにこしめしまさんこと、いましもなんこころづかひせらるべき。かのだいしゃうともろともにみいれて、まひわらはべのよういこころばへ、よくくはへたまへ。ものなどいふものは、ただわがてたることこそあれ、いとくちをしきものなり。"
3511.7.7876843 など、いとなつかしくのたまひつくるを、うれしきものから、(くる)しくつつましくて、言少(ことずく)なにて、この御前(おまへ)をとく()ちなむと(おも)へば、(れい)のやうにこまやかにもあらで、やうやうすべり()でぬ。 など、いとなつかしくのたまひつくるを、うれしきものから、くるしくつつましくて、ことずくなにて、このおまへをとくちなんとおもへば、れいのやうにこまやかにもあらで、やうやうすべりでぬ。
3511.7.8877844 (ひんがし)御殿(おとど)にて、大将(だいしゃう)のつくろひ()だしたまふ楽人(がくにん)舞人(まひびと)装束(さうぞく)のことなど、またまた(おこ)なひ(くは)へたまふ。あるべき(かぎ)りいみじく()くしたまへるに、いとど(くは)しき(こころ)しらひ()ふも、げにこの(みち)は、いと(ふか)(ひと)にぞものしたまふめる。 ひんがしおとどにて、だいしゃうのつくろひだしたまふがくにんまひびとさうぞくのことなど、またまたおこなひくはへたまふ。あるべきかぎりいみじくくしたまへるに、いとどくはしきこころしらひふも、げにこのみちは、いとふかひとにぞものしたまふめる。
3512878845第十二章 柏木の物語 源氏から睨まれる
3512.1879846第一段 御賀の試楽の当日
3512.1.1880847 今日(けふ)は、かかる(こころ)みの()なれど、御方々物見(おほんかたがたものみ)たまはむに、見所(みどころ)なくはあらせじとて、かの御賀(おほんが)()は、(あか)白橡(しらつるばみ)に、葡萄染(えびぞめ)下襲(したがさね)()るべし、今日(けふ)は、青色(あをいろ)蘇芳襲(すはうがさね)楽人三十人(がくにんさんじふにん)今日(けふ)白襲(しらがさね)()たる、辰巳(たつみ)(かた)釣殿(つりどの)(つづ)きたる(らう)楽所(がくそ)にて、(やま)(みなみ)(そば)より御前(おまへ)()づるほど、「仙遊霞(せんいうか)」といふもの(あそ)びて、(ゆき)のただいささか()るに、(はる)のとなり(ちか)く、(むめ)のけしき()るかひありてほほ()みたり。 けふは、かかるこころみのなれど、おほんかたがたものみたまはんに、みどころなくはあらせじとて、かのおほんがは、あかしらつるばみに、えびぞめしたがさねるべし、けふは、あをいろすはうがさねがくにんさんじふにんけふしらがさねたる、たつみかたつりどのつづきたるらうがくそにて、やまみなみそばよりおまへづるほど、〔せんいうか〕といふものあそびて、ゆきのただいささかるに、はるのとなりちかく、むめのけしきるかひありてほほみたり。
3512.1.2881848 (ひさし)御簾(みす)(うち)におはしませば、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)右大臣(みぎのおとど)ばかりさぶらひたまひて、それより(しも)上達部(かんだちめ)簀子(すのこ)に、わざとならぬ()のことにて、御饗応(おほんあるじ)など、気近(けぢか)きほどに(つか)うまつりなしたり。 ひさしみすうちにおはしませば、しきぶきゃうのみやみぎのおとどばかりさぶらひたまひて、それよりしもかんだちめすのこに、わざとならぬのことにて、おほんあるじなど、けぢかきほどにつかうまつりなしたり。
3512.1.3882849 (みぎ)大殿(おほとの)四郎君(しらうぎみ)大将殿(だいしゃうどの)三郎君(さぶらうぎみ)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)孫王(そんわう)(きみ)たち二人(ふたり)は、「万歳楽(まんざいらく)」。まだいと(ちひ)さきほどにて、いとらうたげなり。四人(よたり)ながら、いづれとなく(たか)(いへ)()にて、容貌(かたち)をかしげにかしづき()でたる、(おも)ひなしも、やむごとなし。 みぎおほとのしらうぎみだいしゃうどのさぶらうぎみひゃうぶきゃうのみやそんわうきみたちふたりは、〔まんざいらく〕。まだいとちひさきほどにて、いとらうたげなり。よたりながら、いづれとなくたかいへにて、かたちをかしげにかしづきでたる、おもひなしも、やんごとなし。
3512.1.4883850 また、大将(だいしゃう)典侍腹(ないしのすけばら)二郎君(じらうぎみ)式部卿宮(しきぶきゃうのみや)兵衛督(ひゃうゑのかみ)といひし、(いま)源中納言(げんちゅうなごん)御子(みこ)、「皇麞(わうじゃう)」。(みぎ)大殿(おほいどの)三郎君(さぶらうぎみ)、「陵王(りゃうわう)」。大将殿(だいしゃうどの)太郎(たらう)、「落蹲(らくそん)」。さては「太平楽(たいへいらく)」、「喜春楽(きしゅんらく)」などいふ(まひ)どもをなむ、(おな)御仲(おほんなか)らひの(きみ)たち、大人(おとな)たちなど()ひける。 また、だいしゃうないしのすけばらじらうぎみしきぶきゃうのみやひゃうゑのかみといひし、いまげんちゅうなごんみこ、〔わうじゃう〕。みぎおほいどのさぶらうぎみ、〔りゃうわう〕。だいしゃうどのたらう、〔らくそん〕。さては〔たいへいらく〕、〔きしゅんらく〕などいふまひどもをなん、おなおほんなからひのきみたち、おとなたちなどひける。
3512.1.5884851 ()れゆけば、御簾上(みすあ)げさせたまひて、(もの)(きょう)まさるに、いとうつくしき御孫(おほんむまご)(きみ)たちの容貌(かたち)姿(すがた)にて、(まひ)のさまも、()()えぬ()()くして、御師(おほんし)どもも、おのおの()(かぎ)りを(をし)へきこえけるに、(ふか)きかどかどしさを(くは)へて、(めづ)らかに()ひたまふを、いづれをもいとらうたしと(おぼ)す。()いたまへる上達部(かんだちめ)たちは、皆涙落(みななみだお)としたまふ。式部卿宮(しきぶきゃうのみや)も、御孫(おほんまご)(おぼ)して、御鼻(おほんはな)(いろ)づくまでしほたれたまふ。 れゆけば、みすあげさせたまひて、ものきょうまさるに、いとうつくしきおほんむまごきみたちのかたちすがたにて、まひのさまも、えぬくして、おほんしどもも、おのおのかぎりををしへきこえけるに、ふかきかどかどしさをくはへて、めづらかにひたまふを、いづれをもいとらうたしとおぼす。いたまへるかんだちめたちは、みななみだおとしたまふ。しきぶきゃうのみやも、おほんまごおぼして、おほんはないろづくまでしほたれたまふ。
3512.2885852第二段 源氏、柏木に皮肉を言う
3512.2.1886853 主人(あるじ)(ゐん) あるじゐん
3512.2.2887854 ()ぐる(よはひ)()へては、()()きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督(ゑもんのかみ)(こころ)とどめてほほ()まるる、いと心恥(こころは)づかしや。さりとも、(いま)しばしならむ。さかさまに()かぬ年月(としつき)よ。()いはえ(のが)れぬわざなり」 "ぐるよはひへては、きこそとどめがたきわざなりけれ。ゑもんのかみこころとどめてほほまるる、いとこころはづかしや。さりとも、いましばしならん。さかさまにかぬとしつきよ。いはえのがれぬわざなり。"
3512.2.3888855 とて、うち()やりたまふに、(ひと)よりけにまめだち(くん)じて、まことに心地(ここち)もいと(なや)ましければ、いみじきことも()もとまらぬ心地(ここち)する(ひと)をしも、さしわきて、空酔(そらゑ)ひをしつつかくのたまふ。(たはぶ)れのやうなれど、いとど(むね)つぶれて、(さかづき)のめぐり()るも(かしら)いたくおぼゆれば、けしきばかりにて(まぎ)らはすを、御覧(ごらん)(とが)めて、()たせながらたびたび()ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての(ひと)()ずをかし。 とて、うちやりたまふに、ひとよりけにまめだちくんじて、まことにここちもいとなやましければ、いみじきことももとまらぬここちするひとをしも、さしわきて、そらゑひをしつつかくのたまふ。たはぶれのやうなれど、いとどむねつぶれて、さかづきのめぐりるもかしらいたくおぼゆれば、けしきばかりにてまぎらはすを、ごらんとがめて、たせながらたびたびひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべてのひとずをかし。
3512.2.4889856 心地(ここち)かき(みだ)りて()へがたければ、まだことも()てぬにまかでたまひぬるままに、いといたく(まど)ひて、 ここちかきみだりてへがたければ、まだこともてぬにまかでたまひぬるままに、いといたくまどひて、
3512.2.5890857 (れい)の、いとおどろおどろしき()ひにもあらぬを、いかなればかかるならむ。つつましとものを(おも)ひつるに、()ののぼりぬるにや。いとさいふばかり(おく)すべき心弱(こころよわ)さとはおぼえぬを、()ふかひなくもありけるかな」 "れいの、いとおどろおどろしきひにもあらぬを、いかなればかかるならん。つつましとものをおもひつるに、ののぼりぬるにや。いとさいふばかりおくすべきこころよわさとはおぼえぬを、ふかひなくもありけるかな。"
3512.2.6891858 とみづから(おも)()らる。 とみづからおもらる。
3512.2.7892859 しばしの()ひの(まど)ひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。大臣(おとど)母北(ははきた)方思(かたおぼ)(さわ)ぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、殿(との)(わた)したてまつりたまふを、女宮(をんなみや)(おぼ)したるさま、またいと心苦(こころぐる)し。 しばしのひのまどひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。おとどははきたかたおぼさわぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、とのわたしたてまつりたまふを、をんなみやおぼしたるさま、またいとこころぐるし。
3512.3893860第三段 柏木、女二の宮邸を出る
3512.3.1894861 ことなくて()ぐす月日(つきひ)は、(こころ)のどかにあいな(だの)みして、いとしもあらぬ御心(みこころ)ざしなれど、(いま)はと(わか)れたてまつるべき門出(かどで)にやと(おも)ふは、あはれに(かな)しく、(おく)れて(おぼ)(なげ)かむことのかたじけなきを、いみじと(おも)ふ。母御息所(ははみやすんどころ)も、いといみじく(なげ)きたまひて、 ことなくてぐすつきひは、こころのどかにあいなだのみして、いとしもあらぬみこころざしなれど、いまはとわかれたてまつるべきかどでにやとおもふは、あはれにかなしく、おくれておぼなげかんことのかたじけなきを、いみじとおもふ。ははみやすんどころも、いといみじくなげきたまひて、
3512.3.2895862 ()のこととして、(おや)をばなほさるものにおきたてまつりて、かかる御仲(おほんなか)らひは、とある(をり)もかかる(をり)も、(はな)れたまはぬこそ(れい)のことなれ、かく()(わか)れて、たひらかにものしたまふまでも()ぐしたまはむが、心尽(こころづ)くしなるべきことを、しばしここにて、かくて(こころ)みたまへ」 "のこととして、おやをばなほさるものにおきたてまつりて、かかるおほんなからひは、とあるをりもかかるをりも、はなれたまはぬこそれいのことなれ、かくわかれて、たひらかにものしたまふまでもぐしたまはんが、こころづくしなるべきことを、しばしここにて、かくてこころみたまへ。"
3512.3.3896863 と、(おほん)かたはらに御几帳(みきちゃう)ばかりを(へだ)てて()たてまつりたまふ。 と、おほんかたはらにみきちゃうばかりをへだててたてまつりたまふ。
3512.3.4897864 「ことわりや。(かず)ならぬ()にて、(およ)びがたき御仲(おほんなか)らひに、なまじひに(ゆる)されたてまつりて、さぶらふしるしには、(なが)()にはべりて、かひなき()のほども、すこし(ひと)(ひと)しくなるけぢめをもや御覧(ごらん)ぜらるる、とこそ(おも)うたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、(ふか)(こころ)ざしをだに御覧(ごらん)()てられずやなりはべりなむと(おも)うたまふるになむ、とまりがたき心地(ここち)にも、え()きやるまじく(おも)ひたまへらるる」 "ことわりや。かずならぬにて、およびがたきおほんなからひに、なまじひにゆるされたてまつりて、さぶらふしるしには、ながにはべりて、かひなきのほども、すこしひとひとしくなるけぢめをもやごらんぜらるる、とこそおもうたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、ふかこころざしをだにごらんてられずやなりはべりなんとおもうたまふるになん、とまりがたきここちにも、えきやるまじくおもひたまへらるる。"
3512.3.5898865 など、かたみに()きたまひて、とみにもえ(わた)りたまはねば、また母北(ははきた)(かた)、うしろめたく(おぼ)して、 など、かたみにきたまひて、とみにもえわたりたまはねば、またははきたかた、うしろめたくおぼして、
3512.3.6899866 「などか、まづ()えむとは(おも)ひたまふまじき。われは、心地(ここち)もすこし(れい)ならず心細(こころぼそ)(とき)は、あまたの(なか)に、まづ()()きてゆかしくも(たの)もしくもこそおぼえたまへ。かくいとおぼつかなきこと」 "などか、まづえんとはおもひたまふまじき。われは、ここちもすこしれいならずこころぼそときは、あまたのなかに、まづきてゆかしくもたのもしくもこそおぼえたまへ。かくいとおぼつかなきこと。"
3512.3.7900867 (うら)みきこえたまふも、また、いとことわりなり。 うらみきこえたまふも、また、いとことわりなり。
3512.3.8901868 (ひと)より(さき)なりけるけぢめにや、()()きて(おも)ひならひたるを、(いま)になほかなしくしたまひて、しばしも()えぬをば(くる)しきものにしたまへば、心地(ここち)のかく(かぎ)りにおぼゆる(をり)しも、()えたてまつらざらむ、罪深(つみふか)く、いぶせかるべし。 "ひとよりさきなりけるけぢめにや、きておもひならひたるを、いまになほかなしくしたまひて、しばしもえぬをばくるしきものにしたまへば、ここちのかくかぎりにおぼゆるをりしも、えたてまつらざらん、つみふかく、いぶせかるべし。
3512.3.9902869 (いま)はと(たの)みなく()かせたまはば、いと(しの)びて(わた)りたまひて御覧(ごらん)ぜよ。かならずまた対面賜(たいめんたま)はらむ。あやしくたゆくおろかなる本性(ほんじゃう)にて、ことに()れておろかに(おぼ)さるることありつらむこそ、(くや)しくはべれ。かかる(いのち)のほどを()らで、()末長(すゑなが)くのみ(おも)ひはべりけること」 いまはとたのみなくかせたまはば、いとしのびてわたりたまひてごらんぜよ。かならずまたたいめんたまはらん。あやしくたゆくおろかなるほんじゃうにて、ことにれておろかにおぼさるることありつらんこそ、くやしくはべれ。かかるいのちのほどをらで、すゑながくのみおもひはべりけること。"
3512.3.10903870 と、()()(わた)りたまひぬ。(みや)はとまりたまひて、()(かた)なく(おぼ)しこがれたり。 と、わたりたまひぬ。みやはとまりたまひて、かたなくおぼしこがれたり。
3512.4904871第四段 柏木の病、さらに重くなる
3512.4.1905872 大殿(おほとの)()()けきこえたまひて、よろづに(さわ)ぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしき御心地(みここち)のさまにもあらず、(つき)ごろ(もの)などをさらに(まゐ)らざりけるに、いとどはかなき柑子(かうじ)などをだに()れたまはず、ただ、やうやうものに()()るるやうに()えたまふ。 おほとのけきこえたまひて、よろづにさわぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしきみここちのさまにもあらず、つきごろものなどをさらにまゐらざりけるに、いとどはかなきかうじなどをだにれたまはず、ただ、やうやうものにるるやうにえたまふ。
3512.4.2906873 さる(とき)有職(いうそく)の、かくものしたまへば、()中惜(なかを)しみあたらしがりて、御訪(おほんとぶ)らひに(まゐ)りたまはぬ(ひと)なし。内裏(うち)よりも(ゐん)よりも、御訪(おほんとぶ)らひしばしば()こえつつ、いみじく()しみ(おぼ)()したるにも、いとどしき(おや)たちの御心(みこころ)のみ(まど)ふ。 さるときいうそくの、かくものしたまへば、なかをしみあたらしがりて、おほんとぶらひにまゐりたまはぬひとなし。うちよりもゐんよりも、おほんとぶらひしばしばこえつつ、いみじくしみおぼしたるにも、いとどしきおやたちのみこころのみまどふ。
3512.4.3907874 六条院(ろくでうのゐん)にも、「いと口惜(くちを)しきわざなり」と(おぼ)しおどろきて、御訪(おほんとぶ)らひにたびたびねむごろに父大臣(ちちおとど)にも()こえたまふ。大将(だいしゃう)は、ましていとよき御仲(おほんなか)なれば、気近(けぢか)くものしたまひつつ、いみじく(なげ)きありきたまふ。 ろくでうのゐんにも、"いとくちをしきわざなり。"とおぼしおどろきて、おほんとぶらひにたびたびねんごろにちちおとどにもこえたまふ。だいしゃうは、ましていとよきおほんなかなれば、けぢかくものしたまひつつ、いみじくなげきありきたまふ。
3512.4.4908875 御賀(おほんが)は、二十五日(にじふごにち)になりにけり。かかる(とき)のやむごとなき上達部(かんだちめ)(おも)(わづら)ひたまふに、(おや)兄弟(はらから)、あまたの(ひと)びと、さる(たか)御仲(おほんなか)らひの(なげ)きしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々(つぎつぎ)(とどこほ)りつることだにあるを、さて()むまじきことなれば、いかでかは(おぼ)(とど)まらむ。女宮(をんなみや)御心(みこころ)のうちをぞ、いとほしく(おも)ひきこえさせたまふ。 おほんがは、にじふごにちになりにけり。かかるときのやんごとなきかんだちめおもわづらひたまふに、おやはらから、あまたのひとびと、さるたかおほんなからひのなげきしをれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、つぎつぎとどこほりつることだにあるを、さてむまじきことなれば、いかでかはおぼとどまらん。をんなみやみこころのうちをぞ、いとほしくおもひきこえさせたまふ。
3512.4.5909876 (れい)の、五十寺(ごじふじ)御誦経(みずきゃう)、また、かのおはします御寺(みてら)にも、摩訶毘盧遮那(まかびるさな)の。 れいの、ごじふじみずきゃう、また、かのおはしますみてらにも、まかびるさなの。