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38鈴虫
3815736第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養
381.15837第一段 持仏開眼供養の準備
381.1.15938 (なつ)ごろ、(はちす)(はな)(さか)りに、入道(にふだう)姫宮(ひめみや)御持仏(おほんぢぶつ)どもあらはしたまへる、供養(くやう)ぜさせたまふ。 なつごろ、はちすはなさかりに、にふだうひめみやおほんぢぶつどもあらはしたまへる、くやうぜさせたまふ。
381.1.26039 このたびは、大殿(おとど)(きみ)御心(みこころ)ざしにて、御念誦堂(おほんねんずだう)()ども、こまかに調(ととの)へさせたまへるを、やがてしつらはせたまふ。(はた)のさまなどなつかしう、(こころ)ことなる(から)(にしき)(えら)()はせたまへり。(むらさき)(うへ)ぞ、(いそ)ぎせさせたまひける。 このたびは、おとどきみみこころざしにて、おほんねんずだうども、こまかにととのへさせたまへるを、やがてしつらはせたまふ。はたのさまなどなつかしう、こころことなるからにしきえらはせたまへり。むらさきうへぞ、いそぎせさせたまひける。
381.1.36140 花机(はなづくゑ)(おほ)ひなどのをかしき目染(めぞめ)もなつかしう、きよらなる(にほ)ひ、()めつけられたる(こころ)ばへ、目馴(めな)れぬさまなり。(よる)御帳(みちゃう)(かたびら)を、四面(よおもて)ながら()げて、(うし)ろの(かた)法華(ほけ)曼陀羅(まんだら)かけたてまつりて、(しろがね)花瓶(はながめ)に、(たか)くことことしき(はな)(いろ)調(ととの)へてたてまつり、名香(みゃうがう)に、(から)百歩(ひゃくぶ)薫衣香(くのえかう)()きたまへり。 はなづくゑおほひなどのをかしきめぞめもなつかしう、きよらなるにほひ、めつけられたるこころばへ、めなれぬさまなり。よるみちゃうかたびらを、よおもてながらげて、うしろのかたほけまんだらかけたてまつりて、しろがねはながめに、たかくことことしきはないろととのへてたてまつり、みゃうがうに、からひゃくぶくのえかうきたまへり。
381.1.46241 阿弥陀仏(あみだぶつ)脇士(けふじ)菩薩(ぼさち)、おのおの白檀(びゃくだん)して(つく)りたてまつりたる、こまかにうつくしげなり。閼伽(あか)()は、(れい)の、きはやかに(ちひ)さくて、(あを)き、(しろ)き、(むらさき)(はちす)調(ととの)へて、荷葉(かえふ)(はう)()はせたる名香(みゃうがう)(みち)(かく)しほほろげて、()(にほ)はしたる、(ひと)(かを)りに(にほ)()ひて、いとなつかし。 あみだぶつけふじぼさち、おのおのびゃくだんしてつくりたてまつりたる、こまかにうつくしげなり。あかは、れいの、きはやかにちひさくて、あをき、しろき、むらさきはちすととのへて、かえふはうはせたるみゃうがうみちかくしほほろげて、にほはしたる、ひとかをりににほひて、いとなつかし。
381.1.56342 (きゃう)は、六道(ろくだう)衆生(すざう)のために六部書(ろくぶか)かせたまひて、みづからの御持経(おほんぢきゃう)は、(ゐん)御手(おほんて)づから()かせたまひける。これをだに、この()結縁(けちえん)にて、かたみに(みちび)()はしたまふべき(こころ)を、願文(がんもん)(つく)らせたまへり。 きゃうは、ろくだうすざうのためにろくぶかかせたまひて、みづからのおほんぢきゃうは、ゐんおほんてづからかせたまひける。これをだに、このけちえんにて、かたみにみちびはしたまふべきこころを、がんもんつくらせたまへり。
381.1.66443 さては、阿弥陀経(あみだきゃう)(から)(かみ)はもろくて、朝夕(あさゆふ)御手慣(おほんてな)らしにもいかがとて、紙屋(かみや)(ひと)()して、ことに(おほ)言賜(ごとたま)ひて、(こころ)ことにきよらに()かせたまへるに、この(はる)のころほひより、御心(みこころ)とどめて(いそ)()かせたまへるかひありて、(はし)()たまふ(ひと)びと、()もかかやき(まど)ひたまふ。 さては、あみだきゃうからかみはもろくて、あさゆふおほんてならしにもいかがとて、かみやひとして、ことにおほごとたまひて、こころことにきよらにかせたまへるに、このはるのころほひより、みこころとどめていそかせたまへるかひありて、はしたまふひとびと、もかかやきまどひたまふ。
381.1.76544 ()かけたる(かね)(すぢ)よりも、(すみ)つきの(うへ)にかかやくさまなども、いとなむめづらかなりける。(ぢく)表紙(へうし)(はこ)のさまなど、いへばさらなりかし。これはことに(ぢん)花足(けそく)(つくゑ)()ゑて、(ほとけ)御同(おほんおな)帳台(ちゃうだい)(うへ)(かざ)らせたまへり。 かけたるかねすぢよりも、すみつきのうへにかかやくさまなども、いとなんめづらかなりける。ぢくへうしはこのさまなど、いへばさらなりかし。これはことにぢんけそくつくゑゑて、ほとけおほんおなちゃうだいうへかざらせたまへり。
381.26645第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす
381.2.16746 堂飾(だうかざ)()てて、講師参(かうじま)(のぼ)り、行道(ぎゃうだう)(ひと)びと(まゐ)(つど)ひたまへば、(ゐん)もあなたに()でたまふとて、(みや)のおはします西(にし)(ひさし)にのぞきたまへれば、(せば)心地(ここち)する(かり)(おほん)しつらひに、所狭(ところせ)(あつ)げなるまで、ことことしく装束(さうぞ)きたる女房(にょうばう)()六十人(ろくじふにん)ばかり(つど)ひたり。 だうかざてて、かうじまのぼり、ぎゃうだうひとびとまゐつどひたまへば、ゐんもあなたにでたまふとて、みやのおはしますにしひさしにのぞきたまへれば、せばここちするかりおほんしつらひに、ところせあつげなるまで、ことことしくさうぞきたるにょうばうろくじふにんばかりつどひたり。
381.2.26847 (きた)(ひさし)簀子(すのこ)まで、童女(わらはべ)などはさまよふ。火取(ひと)りどもあまたして、(けぶ)たきまで(あふ)()らせば、さし()りたまひて、 きたひさしすのこまで、わらはべなどはさまよふ。ひとりどもあまたして、けぶたきまであふらせば、さしりたまひて、
381.2.36948 (そら)()くは、いづくの(けぶり)ぞと(おも)()かれぬこそよけれ。富士(ふじ)(みね)よりもけに、くゆり()()でたるは、本意(ほい)なきわざなり。講説(かうぜち)(をり)は、おほかたの()りを(しづ)めて、のどかにものの(こころ)()()くべきことなれば、(はばか)りなき(きぬ)(おと)なひ、(ひと)のけはひ、(しづ)めてなむよかるべき」 "そらくは、いづくのけぶりぞとおもかれぬこそよけれ。ふじみねよりもけに、くゆりでたるは、ほいなきわざなり。かうぜちをりは、おほかたのりをしづめて、のどかにもののこころくべきことなれば、はばかりなききぬおとなひ、ひとのけはひ、しづめてなんよかるべき。"
381.2.47049 など、(れい)の、もの(ふか)からぬ若人(わかうど)どもの用意教(よういをし)へたまふ。(みや)は、人気(ひとげ)()されたまひて、いと(ちひ)さくをかしげにて、ひれ()したまへり。 など、れいの、ものふかからぬわかうどどものよういをしへたまふ。みやは、ひとげされたまひて、いとちひさくをかしげにて、ひれしたまへり。
381.2.57150 若君(わかぎみ)、らうがはしからむ。(いだ)(かく)したてまつれ」 "わかぎみ、らうがはしからん。いだかくしたてまつれ。"
381.2.67251 などのたまふ。 などのたまふ。
381.2.77353 (きた)御障子(みさうじ)()(はな)ちて、御簾(みす)かけたり。そなたに(ひと)びとは()れたまふ。(しづ)めて、(みや)にも、ものの心知(こころし)りたまふべき下形(したかた)()こえ()らせたまふ、いとあはれに()ゆ。御座(おまし)(ゆづ)りたまへる(ほとけ)(おほん)しつらひ、()やりたまふも、さまざまに、 きたみさうじはなちて、みすかけたり。そなたにひとびとはれたまふ。しづめて、みやにも、もののこころしりたまふべきしたかたこえらせたまふ、いとあはれにゆ。おましゆづりたまへるほとけおほんしつらひ、やりたまふも、さまざまに、
381.2.87454 「かかる(かた)(おほん)いとなみをも、もろともに(いそ)がむものとは(おも)()らざりしことなり。よし、(のち)()にだに、かの(はな)(なか)宿(やど)りに、(へだ)てなく、とを(おも)ほせ」 "かかるかたおほんいとなみをも、もろともにいそがんものとはおもらざりしことなり。よし、のちにだに、かのはななかやどりに、へだてなく、とをおもほせ。"
381.2.97555 とて、うち()きたまひぬ。 とて、うちきたまひぬ。
381.2.107656 蓮葉(はちすば)(おな)(うてな)(ちぎ)りおきて<BR/>(つゆ)()かるる今日(けふ)(かな)しき」 "〔はちすばおなうてなちぎりおきて<BR/>つゆかるるけふかなしき〕
381.2.117757 と、御硯(おほんすずり)にさし()らして、香染(かうぞ)めなる御扇(おほんあふぎ)()きつけたまへり。(みや) と、おほんすずりにさしらして、かうぞめなるおほんあふぎきつけたまへり。みや
381.2.127858 (へだ)てなく(はちす)宿(やど)(ちぎ)りても<BR/>(きみ)(こころ)()まじとすらむ」 "〔へだてなくはちすやどちぎりても<BR/>きみこころまじとすらん〕
381.2.137959 ()きたまへれば、 きたまへれば、
381.2.148060 「いふかひなくも(おも)ほし()たすかな」 "いふかひなくもおもほしたすかな。"
381.2.158161 と、うち(わら)ひながら、なほあはれとものを(おも)ほしたる()けしきなり。 と、うちわらひながら、なほあはれとものをおもほしたるけしきなり。
381.38262第三段 持仏開眼供養執り行われる
381.3.18363 (れい)の、親王(みこ)たちなども、いとあまた(まゐ)りたまへり。御方々(おほんかたがた)より、(われ)(われ)もと(いとな)()でたまへる捧物(ほうもち)のありさま、(こころ)ことに、所狭(ところせ)きまで()ゆ。七僧(しちそう)法服(ほふぶく)など、すべておほかたのことどもは、皆紫(みなむらさき)(うへ)せさせたまへり。(あや)のよそひにて、袈裟(けさ)縫目(ぬひめ)まで、見知(みし)(ひと)は、()になべてならずとめでけりとや。むつかしうこまかなることどもかな。 れいの、みこたちなども、いとあまたまゐりたまへり。おほんかたがたより、われわれもといとなでたまへるほうもちのありさま、こころことに、ところせきまでゆ。しちそうほふぶくなど、すべておほかたのことどもは、みなむらさきうへせさせたまへり。あやのよそひにて、けさぬひめまで、みしひとは、になべてならずとめでけりとや。むつかしうこまかなることどもかな。
381.3.28464 講師(かうじ)のいと(たふと)く、ことの(こころ)(まう)して、この()にすぐれたまへる(さか)りを(いと)(はな)れたまひて、(なが)世々(よよ)()ゆまじき御契(おほんちぎ)りを、法華経(ほけきゃう)(むす)びたまふ、(たふと)(ふか)きさまを(あら)はして、ただ(いま)()の、(ざえ)もすぐれ、(ゆた)けきさきらを、いとど(こころ)して()(つづ)けたる、いと(たふと)ければ、皆人(みなひと)、しほたれたまふ。 かうじのいとたふとく、ことのこころまうして、このにすぐれたまへるさかりをいとはなれたまひて、ながよよゆまじきおほんちぎりを、ほけきゃうむすびたまふ、たふとふかきさまをあらはして、ただいまの、ざえもすぐれ、ゆたけきさきらを、いとどこころしてつづけたる、いとたふとければ、みなひと、しほたれたまふ。
381.3.38565 これは、ただ(しの)びて、御念誦堂(おほんねんずだう)(はじ)めと(おぼ)したることなれど、内裏(うち)にも、(やま)(みかど)()こし()して、皆御使(みなおほんつかひ)どもあり。御誦経(みずきゃう)布施(ふせ)など、いと所狭(ところせ)きまで、にはかになむこと(ひろ)ごりける。 これは、ただしのびて、おほんねんずだうはじめとおぼしたることなれど、うちにも、やまみかどこしして、みなおほんつかひどもあり。みずきゃうふせなど、いとところせきまで、にはかになんことひろごりける。
381.3.48666 (ゐん)にまうけさせたまへりけることどもも、()ぐと(おぼ)ししかど、()(つね)ならざりけるを、まいて、(いま)めかしきことどもの(くは)はりたれば、(ゆふ)べの(てら)()(どころ)なげなるまで、所狭(ところせ)(いきほ)ひになりてなむ、(そう)どもは(かへ)りける。 ゐんにまうけさせたまへりけることどもも、ぐとおぼししかど、つねならざりけるを、まいて、いまめかしきことどものくははりたれば、ゆふべのてらどころなげなるまで、ところせいきほひになりてなん、そうどもはかへりける。
381.48767第四段 三条宮邸を整備
381.4.18868 (いま)しも、心苦(こころぐる)しき御心添(みこころそ)ひて、はかりもなくかしづききこえたまふ。(ゐん)(みかど)は、この御処分(ごそうぶん)(みや)()(はな)れたまひなむも、つひのことにて、()やすかりぬべく()こえたまへど、 いましも、こころぐるしきみこころそひて、はかりもなくかしづききこえたまふ。ゐんみかどは、このごそうぶんみやはなれたまひなんも、つひのことにて、やすかりぬべくこえたまへど、
381.4.28969 「よそよそにては、おぼつかなかるべし。()()()たてまつり、()こえ(うけたまは)らむこと(おこた)らむに、本意違(ほいたが)ひぬべし。げに、あり()てぬ()いくばくあるまじけれど、なほ()ける(かぎ)りの(こころ)ざしをだに(うしな)()てじ」 "よそよそにては、おぼつかなかるべし。たてまつり、こえうけたまはらんことおこたらんに、ほいたがひぬべし。げに、ありてぬいくばくあるまじけれど、なほけるかぎりのこころざしをだにうしなてじ。"
381.4.39070 ()こえたまひつつ、この(みや)をもいとこまかにきよらに(つく)らせたまひ、御封(みふ)(もの)ども、国々(くにぐに)御荘(みさう)御牧(みまき)などより(たてまつ)(もの)ども、はかばかしきさまのは、(みな)かの三条(さんでう)(みや)御倉(みくら)(をさ)めさせたまふ。またも、()()へさせたまひて、さまざまの御宝物(おほんたからもの)ども、(ゐん)御処分(ごそうぶん)(かず)もなく(たま)はりたまへるなど、あなたざまの(もの)は、(みな)かの(みや)(はこ)(わた)し、こまかにいかめしうし()かせたまふ。 こえたまひつつ、このみやをもいとこまかにきよらにつくらせたまひ、みふものども、くにぐにみさうみまきなどよりたてまつものども、はかばかしきさまのは、みなかのさんでうみやみくらをさめさせたまふ。またも、へさせたまひて、さまざまのおほんたからものども、ゐんごそうぶんかずもなくたまはりたまへるなど、あなたざまのものは、みなかのみやはこわたし、こまかにいかめしうしかせたまふ。
381.4.49171 ()()れの(おほん)かしづき、そこらの女房(にょうばう)のことども、上下(かみしも)(はぐく)みは、おしなべてわが御扱(おほんあつか)ひにてなど、(いそ)(つか)うまつらせたまひける。 れのおほんかしづき、そこらのにょうばうのことども、かみしもはぐくみは、おしなべてわがおほんあつかひにてなど、いそつかうまつらせたまひける。
3829272第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴
382.19373第一段 女三の宮の前栽に虫を放つ
382.1.19474 (あき)ごろ、西(にし)渡殿(わたどの)(まへ)(なか)(へい)(ひんがし)(きは)を、おしなべて()(つく)らせたまへり。閼伽(あか)(たな)などして、その(かた)にしなさせたまへる(おほん)しつらひなど、いとなまめきたり。 あきごろ、にしわたどのまへなかへいひんがしきはを、おしなべてつくらせたまへり。あかたななどして、そのかたにしなさせたまへるおほんしつらひなど、いとなまめきたり。
382.1.29575 御弟子(みでし)(したが)ひきこえたる(あま)ども、御乳母(おほんめのと)古人(ふるびと)どもは、さるものにて、(わか)(さか)りのも、心定(こころさだ)まり、さる(かた)にて()()くしつべき(かぎ)りは()りてなむ、なさせたまひける。 みでししたがひきこえたるあまども、おほんめのとふるびとどもは、さるものにて、わかさかりのも、こころさだまり、さるかたにてくしつべきかぎりはりてなん、なさせたまひける。
382.1.39676 さるきほひには、(われ)(われ)もときしろひけれど、大殿(おとど)君聞(きみき)こしめして、 さるきほひには、われわれもときしろひけれど、おとどきみきこしめして、
382.1.49777 「あるまじきことなり。(こころ)ならぬ(ひと)すこしも()じりぬれば、かたへの人苦(ひとくる)しう、あはあはしき()こえ()()るわざなり」 "あるまじきことなり。こころならぬひとすこしもじりぬれば、かたへのひとくるしう、あはあはしきこえるわざなり。"
382.1.59878 (いさ)めたまひて、十余人(じふよにん)ばかりのほどぞ、容貌異(かたちこと)にてはさぶらふ。 いさめたまひて、じふよにんばかりのほどぞ、かたちことにてはさぶらふ。
382.1.69979 この()(むし)ども(はな)たせたまひて、(かぜ)すこし(すず)しくなりゆく夕暮(ゆふぐれ)に、(わた)りたまひつつ、(むし)()()きたまふやうにて、なほ(おも)(はな)れぬさまを()こえ(なや)ましたまへば、 このむしどもはなたせたまひて、かぜすこしすずしくなりゆくゆふぐれに、わたりたまひつつ、むしきたまふやうにて、なほおもはなれぬさまをこえなやましたまへば、
382.1.710080 (れい)御心(みこころ)はあるまじきことにこそはあなれ」 "れいみこころはあるまじきことにこそはあなれ。"
382.1.810181 と、ひとへにむつかしきことに(おも)ひきこえたまへり。 と、ひとへにむつかしきことにおもひきこえたまへり。
382.1.910282 人目(ひとめ)にこそ()はることなくもてなしたまひしか、(うち)には()きを()りたまふけしきしるく、こよなう()はりにし御心(みこころ)を、いかで()えたてまつらじの御心(みこころ)にて、(おほ)うは(おも)ひなりたまひにし御世(みよ)(そむ)きなれば、(いま)はもて(はな)れて(こころ)やすきに、 ひとめにこそはることなくもてなしたまひしか、うちにはきをりたまふけしきしるく、こよなうはりにしみこころを、いかでえたてまつらじのみこころにて、おほうはおもひなりたまひにしみよそむきなれば、いまはもてはなれてこころやすきに、
382.1.1010383 「なほ、かやうに」 "なほ、かやうに。"
382.1.1110484 など()こえたまふぞ(くる)しうて、「人離(ひとはな)れたらむ御住(おほんす)まひにもがな」と(おぼ)しなれど、およすけてえさも()(まう)したまはず。 などこえたまふぞくるしうて、"ひとはなれたらんおほんすまひにもがな。"とおぼしなれど、およすけてえさもまうしたまはず。
382.210585第二段 八月十五夜、秋の虫の論
382.2.110686 十五夜(じふごや)夕暮(ゆふぐれ)に、(ほとけ)御前(おまへ)(みや)おはして、端近(はしちか)(なが)めたまひつつ念誦(ねんず)したまふ。(わか)尼君(あまぎみ)たち()三人(さんにん)花奉(はなたてまつ)るとて()らす閼伽坏(あかつき)(おと)(みづ)のけはひなど()こゆる、さま()はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、(れい)(わた)りたまひて、 じふごやゆふぐれに、ほとけおまへみやおはして、はしちかながめたまひつつねんずしたまふ。わかあまぎみたちさんにんはなたてまつるとてらすあかつきおとみづのけはひなどこゆる、さまはりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、れいわたりたまひて、
382.2.210787 (むし)()いとしげう(みだ)るる(ゆふ)べかな」 "むしいとしげうみだるるゆふべかな。"
382.2.310888 とて、われも(しの)びてうち(ずん)じたまふ阿弥陀(あみだ)大呪(だいじゅ)、いと(たふと)くほのぼの()こゆ。げに、声々聞(こゑごゑき)こえたる(なか)に、鈴虫(すずむし)のふり()でたるほど、はなやかにをかし。 とて、われもしのびてうちずんじたまふあみだだいじゅ、いとたふとくほのぼのこゆ。げに、こゑごゑきこえたるなかに、すずむしのふりでたるほど、はなやかにをかし。
382.2.410989 (あき)(むし)(こゑ)、いづれとなき(なか)に、松虫(まつむし)なむすぐれたるとて、中宮(ちゅうぐう)の、はるけき野辺(のべ)()けて、いとわざと(たづ)()りつつ(はな)たせたまへる、しるく()(つた)ふるこそ(すく)なかなれ。()には(たが)ひて、(いのち)のほどはかなき(むし)にぞあるべき。 "あきむしこゑ、いづれとなきなかに、まつむしなんすぐれたるとて、ちゅうぐうの、はるけきのべけて、いとわざとたづりつつはなたせたまへる、しるくつたふるこそすくなかなれ。にはたがひて、いのちのほどはかなきむしにぞあるべき。
382.2.511090 (こころ)にまかせて、人聞(ひとき)かぬ奥山(おくやま)、はるけき()松原(まつばら)に、声惜(こゑを)しまぬも、いと(へだ)(ごころ)ある(むし)になむありける。鈴虫(すずむし)は、(こころ)やすく、(いま)めいたるこそらうたけれ」 こころにまかせて、ひときかぬおくやま、はるけきまつばらに、こゑをしまぬも、いとへだごころあるむしになんありける。すずむしは、こころやすく、いまめいたるこそらうたけれ。"
382.2.611191 などのたまへば、(みや) などのたまへば、みや
382.2.711292 「おほかたの(あき)をば()しと()りにしを<BR/>ふり()てがたき鈴虫(すずむし)(こゑ) "〔おほかたのあきをばしとりにしを<BR/>ふりてがたきすずむしこゑ〕"
382.2.811393 (しの)びやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。 しのびやかにのたまふ。いとなまめいて、あてにおほどかなり。
382.2.911494 「いかにとかや。いで、(おも)ひの(ほか)なる(おほん)ことにこそ」とて、 "いかにとかや。いで、おもひのほかなるおほんことにこそ。"とて、
382.2.1011595 (こころ)もて(くさ)宿(やど)りを(いと)へども<BR/>なほ鈴虫(すずむし)(こゑ)ぞふりせぬ」 "〔こころもてくさやどりをいとへども<BR/>なほすずむしこゑぞふりせぬ〕
382.2.1111696 など()こえたまひて、(きん)御琴召(おほんことめ)して、(めづら)しく()きたまふ。(みや)御数珠引(おほんずずひ)(おこた)りたまひて、御琴(おほんこと)になほ心入(こころい)れたまへり。 などこえたまひて、きんおほんことめして、めづらしくきたまふ。みやおほんずずひおこたりたまひて、おほんことになほこころいれたまへり。
382.2.1211798 (つき)さし()でて、いとはなやかなるほどもあはれなるに、(そら)をうち(なが)めて、()(なか)さまざまにつけて、はかなく(うつ)()はるありさまも(おぼ)(つづ)けられて、(れい)よりもあはれなる()()()らしたまふ。 つきさしでて、いとはなやかなるほどもあはれなるに、そらをうちながめて、なかさまざまにつけて、はかなくうつはるありさまもおぼつづけられて、れいよりもあはれなるらしたまふ。
382.311899第三段 六条院の鈴虫の宴
382.3.1119100 今宵(こよひ)は、(れい)御遊(おほんあそ)びにやあらむと()(はか)りて、兵部卿宮渡(ひょうぶきゃうのみやわた)りたまへり。大将(だいしゃう)(きみ)殿上人(てんじゃうびと)のさるべきなど()して(まゐ)りたまへれば、こなたにおはしますと、御琴(おほんこと)()(たづ)ねて、やがて(まゐ)りたまふ。 こよひは、れいおほんあそびにやあらんとはかりて、ひょうぶきゃうのみやわたりたまへり。だいしゃうきみてんじゃうびとのさるべきなどしてまゐりたまへれば、こなたにおはしますと、おほんことたづねて、やがてまゐりたまふ。
382.3.2120101 「いとつれづれにて、わざと(あそ)びとはなくとも、(ひさ)しく()えにたるめづらしき(もの)()など、()かまほしかりつる(ひと)(ごと)を、いとよう(たづ)ねたまひける」 "いとつれづれにて、わざとあそびとはなくとも、ひさしくえにたるめづらしきものなど、かまほしかりつるひとごとを、いとようたづねたまひける。"
382.3.3121102 とて、(みや)も、こなたに御座(おまし)よそひて()れたてまつりたまふ。内裏(うち)御前(おまへ)に、今宵(こよひ)(つき)(えん)あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この(ゐん)(ひと)びと(まゐ)りたまふと()(つた)へて、これかれ上達部(かんだちめ)なども(まゐ)りたまへり。(むし)()(さだ)めをしたまふ。 とて、みやも、こなたにおましよそひてれたてまつりたまふ。うちおまへに、こよひつきえんあるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、このゐんひとびとまゐりたまふとつたへて、これかれかんだちめなどもまゐりたまへり。むしさだめをしたまふ。
382.3.4122103 御琴(おほんこと)どもの声々掻(こゑごゑか)()はせて、おもしろきほどに、 おほんことどものこゑごゑかはせて、おもしろきほどに、
382.3.5123104 月見(つきみ)(よひ)の、いつとてもものあはれならぬ(をり)はなきなかに、今宵(こよひ)(あら)たなる(つき)(いろ)には、げになほ、わが()(ほか)までこそ、よろづ(おも)(なが)さるれ。故権大納言(こだいなごん)(なに)折々(をりをり)にも、()きにつけていとど(しの)ばるること(おほ)く、(おほやけ)(わたくし)、ものの折節(をりふし)のにほひ()せたる心地(ここち)こそすれ。花鳥(はなとり)(いろ)にも()にも、(おも)ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」 "つきみよひの、いつとてもものあはれならぬをりはなきなかに、こよひあらたなるつきいろには、げになほ、わがほかまでこそ、よろづおもながさるれ。こだいなごんなにをりをりにも、きにつけていとどしのばるることおほく、おほやけわたくし、もののをりふしのにほひせたるここちこそすれ。はなとりいろにもにも、おもひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを。"
382.3.6124105 などのたまひ()でて、みづからも()()はせたまふ御琴(おほんこと)()にも、袖濡(そでぬ)らしたまひつ。御簾(みす)(うち)にも、(みみ)とどめてや()きたまふらむと、(かた)(かた)御心(みこころ)には(おぼ)しながら、かかる御遊(おほんあそ)びのほどには、まづ(こひ)しう、内裏(うち)などにも(おぼ)()でける。 などのたまひでて、みづからもはせたまふおほんことにも、そでぬらしたまひつ。みすうちにも、みみとどめてやきたまふらんと、かたかたみこころにはおぼしながら、かかるおほんあそびのほどには、まづこひしう、うちなどにもおぼでける。
382.3.7125106 今宵(こよひ)鈴虫(すずむし)(えん)にて()かしてむ」 "こよひすずむしえんにてかしてん。"
382.3.8126107 (おぼ)しのたまふ。 おぼしのたまふ。
382.4127108第四段 冷泉院より招請の和歌
382.4.1128109 御土器二(おほんかはらけふた)わたりばかり(まゐ)るほどに、冷泉院(れいぜいゐん)より御消息(おほんせうそこ)あり。御前(ごぜん)御遊(おほんあそ)びにはかにとまりぬるを口惜(くちを)しがりて、左大弁(さだいべん)式部大輔(しきぶのたいふ)、また(ひと)びと(ひき)ゐて、さるべき(かぎ)(まゐ)りたれば、大将(だいしゃう)などは六条(ろくでう)(ゐん)にさぶらひたまふ、と()こし()してなりけり。 おほんかはらけふたわたりばかりまゐるほどに、れいぜいゐんよりおほんせうそこあり。ごぜんおほんあそびにはかにとまりぬるをくちをしがりて、さだいべんしきぶのたいふ、またひとびとひきゐて、さるべきかぎまゐりたれば、だいしゃうなどはろくでうゐんにさぶらひたまふ、とこししてなりけり。
382.4.2129110 (くも)(うへ)をかけ(はな)れたるすみかにも<BR/>もの(わす)れせぬ(あき)()(つき) "〔くもうへをかけはなれたるすみかにも<BR/>ものわすれせぬあきつき
382.4.3130111 (おな)じくは」 おなじくは。"
382.4.4131112 ()こえたまへれば、 こえたまへれば、
382.4.5132113 (なに)ばかり所狭(ところせ)()のほどにもあらずながら、(いま)はのどやかにおはしますに、(まゐ)()るることもをさをさなきを、本意(ほい)なきことに(おぼ)しあまりて、おどろかさせたまへる、かたじけなし」 "なにばかりところせのほどにもあらずながら、いまはのどやかにおはしますに、まゐるることもをさをさなきを、ほいなきことにおぼしあまりて、おどろかさせたまへる、かたじけなし。"
382.4.6133114 とて、にはかなるやうなれど、(まゐ)りたまはむとす。 とて、にはかなるやうなれど、まゐりたまはんとす。
382.4.7134115 月影(つきかげ)(おな)雲居(くもゐ)()えながら<BR/>わが宿(やど)からの(あき)()はれる」 "〔つきかげおなくもゐえながら<BR/>わがやどからのあきはれる〕
382.4.8135116 (こと)なることなかめれど、ただ昔今(むかしいま)(おほん)ありさまの(おぼ)(つづ)けられけるままなめり。御使(おほんつかひ)盃賜(さかづきたま)ひて、(ろく)いと()なし。 ことなることなかめれど、ただむかしいまおほんありさまのおぼつづけられけるままなめり。おほんつかひさかづきたまひて、ろくいとなし。
382.5136117第五段 冷泉院の月の宴
382.5.1137118 (ひと)びとの御車(おほんくるま)次第(しだい)のままに()(なほ)し、御前(ごぜん)(ひと)びと()()みて、(しづ)かなりつる御遊(おほんあそ)(まぎ)れて、()でたまひぬ。(ゐん)御車(おほんくるま)に、親王(みこ)たてまつり、大将(だいしゃう)左衛門督(さゑもんのかみ)藤宰相(とうさいしゃう)など、おはしける(かぎ)皆参(みなまゐ)りたまふ。 ひとびとのおほんくるましだいのままになほし、ごぜんひとびとみて、しづかなりつるおほんあそまぎれて、でたまひぬ。ゐんおほんくるまに、みこたてまつり、だいしゃうさゑもんのかみとうさいしゃうなど、おはしけるかぎみなまゐりたまふ。
382.5.2138119 直衣(なほし)にて、(かろ)らかなる(おほん)よそひどもなれば、下襲(したがさね)ばかりたてまつり(くは)へて、(つき)ややさし()がり、()けぬる(そら)おもしろきに、(わか)(ひと)びと、(ふえ)などわざとなく()かせたまひなどして、(しの)びたる御参(おほんまゐ)りのさまなり。 なほしにて、かろらかなるおほんよそひどもなれば、したがさねばかりたてまつりくはへて、つきややさしがり、けぬるそらおもしろきに、わかひとびと、ふえなどわざとなくかせたまひなどして、しのびたるおほんまゐりのさまなり。
382.5.3139120 うるはしかるべき折節(をりふし)は、所狭(ところせ)くよだけき儀式(ぎしき)()くして、かたみに御覧(ごらん)ぜられたまひ、また、いにしへのただ(びと)ざまに(おぼ)(かへ)りて、今宵(こよひ)軽々(かるがる)しきやうに、ふとかく(まゐ)りたまへれば、いたう(おどろ)き、()(よろこ)びきこえたまふ。 うるはしかるべきをりふしは、ところせくよだけきぎしきくして、かたみにごらんぜられたまひ、また、いにしへのただびとざまにおぼかへりて、こよひかるがるしきやうに、ふとかくまゐりたまへれば、いたうおどろき、よろこびきこえたまふ。
382.5.4140121 ねびととのひたまへる御容貌(おほんかたち)、いよいよ(こと)ものならず。いみじき御盛(おほんさか)りの()を、御心(みこころ)(おぼ)()てて、(しづ)かなる(おほん)ありさまに、あはれ(すく)なからず。 ねびととのひたまへるおほんかたち、いよいよことものならず。いみじきおほんさかりのを、みこころおぼてて、しづかなるおほんありさまに、あはれすくなからず。
382.5.5141122 その()(うた)ども、(から)のも大和(やまと)のも、(こころ)ばへ(ふか)うおもしろくのみなむ。(れい)の、言足(ことた)らぬ片端(かたはし)は、まねぶもかたはらいたくてなむ。()(がた)(ふみ)など(かう)じて、とく(ひと)びとまかでたまふ。 そのうたども、からのもやまとのも、こころばへふかうおもしろくのみなん。れいの、ことたらぬかたはしは、まねぶもかたはらいたくてなん。がたふみなどかうじて、とくひとびとまかでたまふ。
383142123第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う
383.1143124第一段 秋好中宮、出家を思う
383.1.1144125 六条院(ろくでうのゐん)は、中宮(ちゅうぐう)御方(おほんかた)(わた)りたまひて、御物語(おほんものがたり)など()こえたまふ。 ろくでうのゐんは、ちゅうぐうおほんかたわたりたまひて、おほんものがたりなどこえたまふ。
383.1.2145126 (いま)はかう(しづ)かなる御住(おほんす)まひに、しばしばも(まゐ)りぬべく、(なに)とはなけれど、()ぐる(よはひ)()へて、(わす)れぬ(むかし)御物語(おほんものがたり)など、(うけたまは)()こえまほしう(おも)ひたまふるに、(なに)にもつかぬ()のありさまにて、さすがにうひうひしく、所狭(ところせ)くもはべりてなむ。 "いまはかうしづかなるおほんすまひに、しばしばもまゐりぬべく、なにとはなけれど、ぐるよはひへて、わすれぬむかしおほんものがたりなど、うけたまはこえまほしうおもひたまふるに、なににもつかぬのありさまにて、さすがにうひうひしく、ところせくもはべりてなん。
383.1.3146127 (われ)より(のち)(ひと)びとに、方々(かたがた)につけて(おく)れゆく心地(ここち)しはべるも、いと(つね)なき()心細(こころぼそ)さの、のどめがたうおぼえはべれば、世離(よはな)れたる()まひにもやと、やうやう(おも)()ちぬるを、(のこ)りの(ひと)びとのものはかなからむ、(ただよ)はしたまふな、と先々(さきざき)()こえつけし心違(こころたが)へず、(おぼ)しとどめてものせさせたまへ」 われよりのちひとびとに、かたがたにつけておくれゆくここちしはべるも、いとつねなきこころぼそさの、のどめがたうおぼえはべれば、よはなれたるまひにもやと、やうやうおもちぬるを、のこりのひとびとのものはかなからん、ただよはしたまふな、とさきざきこえつけしこころたがへず、おぼしとどめてものせさせたまへ。"
383.1.4147128 など、まめやかなるさまに()こえさせたまふ。 など、まめやかなるさまにこえさせたまふ。
383.1.5148129 (れい)の、いと(わか)うおほどかなる(おほん)けはひにて、 れいの、いとわかうおほどかなるおほんけはひにて、
383.1.6149130 九重(ここのへ)(へだ)(ふか)うはべりし(とし)ごろよりも、おぼつかなさのまさるやうに(おも)ひたまへらるるありさまを、いと(おも)ひの(ほか)に、むつかしうて、皆人(みなひと)(そむ)きゆく()を、(いと)はしう(おも)ひなることもはべりながら、その(こころ)(うち)()こえさせうけたまはらねば、何事(なにごと)もまづ(たの)もしき(かげ)には()こえさせならひて、いぶせくはべる」 "ここのへへだふかうはべりしとしごろよりも、おぼつかなさのまさるやうにおもひたまへらるるありさまを、いとおもひのほかに、むつかしうて、みなひとそむきゆくを、いとはしうおもひなることもはべりながら、そのこころうちこえさせうけたまはらねば、なにごともまづたのもしきかげにはこえさせならひて、いぶせくはべる。"
383.1.7150131 ()こえたまふ。 こえたまふ。
383.1.8151132 「げに、(おほやけ)ざまにては、(かぎ)りある折節(をりふし)御里居(おほんさとゐ)も、いとよう()ちつけきこえさせしを、(いま)何事(なにごと)につけてかは、御心(みこころ)にまかせさせたまふ御移(おほんうつ)ろひもはべらむ。(さだ)めなき()()ひながらも、さして(いと)はしきことなき(ひと)の、さはやかに(そむ)(はな)るるもありがたう、(こころ)やすかるべきほどにつけてだに、おのづから(おも)ひかかづらふほだしのみはべるを、などか、その(ひと)まねにきほふ御道心(おほんだうしん)は、かへりてひがひがしう()(はか)りきこえさする(ひと)もこそはべれ。かけてもいとあるまじき(おほん)ことになむ」 "げに、おほやけざまにては、かぎりあるをりふしおほんさとゐも、いとようちつけきこえさせしを、いまなにごとにつけてかは、みこころにまかせさせたまふおほんうつろひもはべらん。さだめなきひながらも、さしていとはしきことなきひとの、さはやかにそむはなるるもありがたう、こころやすかるべきほどにつけてだに、おのづからおもひかかづらふほだしのみはべるを、などか、そのひとまねにきほふおほんだうしんは、かへりてひがひがしうはかりきこえさするひともこそはべれ。かけてもいとあるまじきおほんことになん。"
383.1.9152133 ()こえたまふを、「(ふか)うも()みはかりたまはぬなめりかし」と、つらう(おも)ひきこえたまふ。 こえたまふを、"ふかうもみはかりたまはぬなめりかし。"と、つらうおもひきこえたまふ。
383.2153134第二段 母御息所の罪を思う
383.2.1154135 御息所(みやすんどころ)の、御身(おほんみ)(くる)しうなりたまふらむありさま、いかなる(けぶり)(なか)(まど)ひたまふらむ、()(かげ)にても、(ひと)(うと)まれたてまつりたまふ御名(おほんな)のりなどの()()けること、かの(ゐん)にはいみじう(かく)したまひけるを、おのづから(ひと)(くち)さがなくて、(つた)()こし()しける(のち)、いと(かな)しういみじくて、なべての()(いと)はしく(おぼ)しなりて、(かり)にても、かののたまひけむありさまの(くは)しう()かまほしきを、まほにはえうち()()こえたまはで、ただ、 みやすんどころの、おほんみくるしうなりたまふらんありさま、いかなるけぶりなかまどひたまふらん、かげにても、ひとうとまれたてまつりたまふおほんなのりなどのけること、かのゐんにはいみじうかくしたまひけるを、おのづからひとくちさがなくて、つたこししけるのち、いとかなしういみじくて、なべてのいとはしくおぼしなりて、かりにても、かののたまひけんありさまのくはしうかまほしきを、まほにはえうちこえたまはで、ただ、
383.2.2155136 ()(ひと)(おほん)ありさまの、罪軽(つみかろ)からぬさまに、ほの()くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、()(はか)(つた)へつべきことにはべりけれど、(おく)れしほどのあはればかりを(わす)れぬことにて、もののあなた(おも)うたまへやらざりけるがものはかなさを、いかでよう()()かせむ(ひと)(すす)めをも()きはべりて、みづからだに、かの(ほのほ)をも()ましはべりにしがなと、やうやう()もるになむ、(おも)()らるることもありける」 "ひとおほんありさまの、つみかろからぬさまに、ほのくことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、はかつたへつべきことにはべりけれど、おくれしほどのあはればかりをわすれぬことにて、もののあなたおもうたまへやらざりけるがものはかなさを、いかでようかせんひとすすめをもきはべりて、みづからだに、かのほのほをもましはべりにしがなと、やうやうもるになん、おもらるることもありける。"
383.2.3156137 など、かすめつつぞのたまふ。 など、かすめつつぞのたまふ。
383.2.4157138 「げに、さも(おぼ)しぬべきこと」と、あはれに()たてまつりたまうて、 "げに、さもおぼしぬべきこと。"と、あはれにたてまつりたまうて、
383.2.5158139 「その(ほのほ)なむ、(たれ)(のが)るまじきことと()りながら、(あした)(つゆ)のかかれるほどは、(おも)()てはべらぬになむ。目蓮(もくれん)(ほとけ)(ちか)(ひじり)()にて、たちまちに(すく)ひけむ(ためし)にも、え()がせたまはざらむものから、(たま)簪捨(かんざしす)てさせたまはむも、この()には(うら)(のこ)るやうなるわざなり。 "そのほのほなん、たれのがるまじきこととりながら、あしたつゆのかかれるほどは、おもてはべらぬになん。もくれんほとけちかひじりにて、たちまちにすくひけんためしにも、えがせたまはざらんものから、たまかんざしすてさせたまはんも、このにはうらのこるやうなるわざなり。
383.2.6159140 やうやうさる御心(みこころ)ざしをしめたまひて、かの御煙晴(おほんけぶりは)るべきことをせさせたまへ。しか(おも)ひたまふることはべりながら、もの(さわ)がしきやうに、(しづ)かなる本意(ほい)もなきやうなるありさまに()()らしはべりつつ、みづからの(つと)めに()へて、今静(いましづ)かにと(おも)ひたまふるも、げにこそ、心幼(こころをさな)きことなれ」 やうやうさるみこころざしをしめたまひて、かのおほんけぶりはるべきことをせさせたまへ。しかおもひたまふることはべりながら、ものさわがしきやうに、しづかなるほいもなきやうなるありさまにらしはべりつつ、みづからのつとめにへて、いましづかにとおもひたまふるも、げにこそ、こころをさなきことなれ。"
383.2.7160141 など、()(なか)なべてはかなく、(いと)()てまほしきことを()こえ()はしたまへど、なほ、やつしにくき御身(おほんみ)のありさまどもなり。 など、なかなべてはかなく、いとてまほしきことをこえはしたまへど、なほ、やつしにくきおほんみのありさまどもなり。
383.3161142第三段 秋好中宮の仏道生活
383.3.1162143 昨夜(よべ)はうち(しの)びてかやすかりし御歩(おほんあり)き、今朝(けさ)(あら)はれたまひて、上達部(かまだちめ)ども、(まゐ)りたまへる(かぎ)りは皆御送(みなおほんおく)(つか)うまつりたまふ。 よべはうちしのびてかやすかりしおほんありき、けさあらはれたまひて、かまだちめども、まゐりたまへるかぎりはみなおほんおくつかうまつりたまふ。
383.3.2163144 春宮(とうぐう)女御(にょうご)(おほん)ありさま、(なら)びなく、いつきたてたまへるかひがひしさも、大将(だいしゃう)のまたいと(ひと)(こと)なる(おほん)さまをも、いづれとなくめやすしと(おぼ)すに、なほ、この冷泉院(れいぜいゐん)(おも)ひきこえたまふ御心(みこころ)ざしは、すぐれて(ふか)くあはれにぞおぼえたまふ。(ゐん)(つね)にいぶかしう(おも)ひきこえたまひしに、御対面(おほんたいめん)のまれにいぶせうのみ(おぼ)されけるに、(いそ)がされたまひて、かく心安(こころやす)きさまにと(おぼ)しなりけるになむ。 とうぐうにょうごおほんありさま、ならびなく、いつきたてたまへるかひがひしさも、だいしゃうのまたいとひとことなるおほんさまをも、いづれとなくめやすしとおぼすに、なほ、このれいぜいゐんおもひきこえたまふみこころざしは、すぐれてふかくあはれにぞおぼえたまふ。ゐんつねにいぶかしうおもひきこえたまひしに、おほんたいめんのまれにいぶせうのみおぼされけるに、いそがされたまひて、かくこころやすきさまにとおぼしなりけるになん。
383.3.3164145 中宮(ちゅうぐう)ぞ、なかなかまかでたまふこともいと(かた)うなりて、ただ(びと)(なか)のやうに(なら)びおはしますに、(いま)めかしう、なかなか(むかし)よりもはなやかに、御遊(おほんあそ)びをもしたまふ。(なに)ごとも御心(みこころ)やれるありさまながら、ただかの御息所(みやすんどころ)御事(おほんこと)(おぼ)しやりつつ、(おこ)なひの御心進(みこころすす)みにたるを、(ひと)(ゆる)しきこえたまふまじきことなれば、功徳(くどく)のことを()てて(おぼ)しいとなみ、いとど心深(こころぶか)う、()(なか)(おぼ)()れるさまになりまさりたまふ。 ちゅうぐうぞ、なかなかまかでたまふこともいとかたうなりて、ただびとなかのやうにならびおはしますに、いまめかしう、なかなかむかしよりもはなやかに、おほんあそびをもしたまふ。なにごともみこころやれるありさまながら、ただかのみやすんどころおほんことおぼしやりつつ、おこなひのみこころすすみにたるを、ひとゆるしきこえたまふまじきことなれば、くどくのことをてておぼしいとなみ、いとどこころぶかう、なかおぼれるさまになりまさりたまふ。