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39夕霧
3919882第一章 夕霧の物語 小野山荘訪問
391.19983第一段 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る
391.1.110084 まめ(びと)()をとりて、さかしがりたまふ大将(だいしゃう)、この一条(いちでう)(みや)(おほん)ありさまを、なほあらまほしと(こころ)にとどめて、おほかたの人目(ひとめ)には、(むかし)(わす)れぬ用意(ようい)()せつつ、いとねむごろにとぶらひきこえたまふ。(した)(こころ)には、かくては()むまじくなむ、月日(つきひ)()へて(おも)ひまさりたまひける。 まめびとをとりて、さかしがりたまふだいしゃう、このいちでうみやおほんありさまを、なほあらまほしとこころにとどめて、おほかたのひとめには、むかしわすれぬよういせつつ、いとねんごろにとぶらひきこえたまふ。したこころには、かくてはむまじくなん、つきひへておもひまさりたまひける。
391.1.210185 御息所(みやすんどころ)も、「あはれにありがたき御心(みこころ)ばへにもあるかな」と、(いま)はいよいよもの(さび)しき(おほん)つれづれを、()えず(おと)づれたまふに、(なぐさ)めたまふことども(おほ)かり。 みやすんどころも、"あはれにありがたきみこころばへにもあるかな。"と、いまはいよいよものさびしきおほんつれづれを、えずおとづれたまふに、なぐさめたまふことどもおほかり。
391.1.310286 (はじ)めより懸想(けさう)びても()こえたまはざりしに、 はじめよりけさうびてもこえたまはざりしに、
391.1.410387 「ひき(かへ)懸想(けさう)ばみなまめかむもまばゆし。ただ(ふか)(こころ)ざしを()えたてまつりて、うちとけたまふ(をり)もあらじやは」 "ひきかへけさうばみなまめかんもまばゆし。ただふかこころざしをえたてまつりて、うちとけたまふをりもあらじやは。"
391.1.510488 (おも)ひつつ、さるべきことにつけても、(みや)(おほん)けはひありさまを()たまふ。みづからなど()こえたまふことはさらになし。 おもひつつ、さるべきことにつけても、みやおほんけはひありさまをたまふ。みづからなどこえたまふことはさらになし。
391.1.610589 「いかならむついでに、(おも)ふことをもまほに()こえ()らせて、(ひと)(おほん)けはひを()む」 "いかならんついでに、おもふことをもまほにこえらせて、ひとおほんけはひをん。"
391.1.710690 (おぼ)しわたるに、御息所(みやすんどころ)、もののけにいたう(わづら)ひたまひて、小野(をの)といふわたりに、山里持(やまざとも)たまへるに(わた)りたまへり。(はや)うより御祈(おほんいの)りの()に、もののけなど(はら)()てける律師(りし)山籠(やまご)もりして(さと)()でじと(ちか)ひたるを、麓近(ふもとちか)くて、(さう)()ろしたまふゆゑなりけり。 おぼしわたるに、みやすんどころ、もののけにいたうわづらひたまひて、をのといふわたりに、やまざともたまへるにわたりたまへり。はやうよりおほんいのりのに、もののけなどはらてけるりしやまごもりしてさとでじとちかひたるを、ふもとちかくて、さうろしたまふゆゑなりけり。
391.1.810791 御車(みくるま)よりはじめて、御前(ごぜん)など、大将殿(だいしゃうどの)よりぞたてまつれたまへるを、なかなか(のむかし)(ちか)きゆかりの(きみ)たちは、ことわざしげきおのがじしの()のいとなみに(まぎ)れつつ、えしも(おも)()できこえたまはず。 みくるまよりはじめて、ごぜんなど、だいしゃうどのよりぞたてまつれたまへるを、なかなかのむかしちかきゆかりのきみたちは、ことわざしげきおのがじしののいとなみにまぎれつつ、えしもおもできこえたまはず。
391.1.910892 (べん)(きみ)、はた、(おも)(こころ)なきにしもあらで、けしきばみけるに、ことの(ほか)なる(おほん)もてなしなりけるには、しひてえ()でとぶらひたまはずなりにたり。 べんきみ、はた、おもこころなきにしもあらで、けしきばみけるに、ことのほかなるおほんもてなしなりけるには、しひてえでとぶらひたまはずなりにたり。
391.1.1010993 この(きみ)は、いとかしこう、さりげなくて()こえ()れたまひにためり。修法(すほふ)などせさせたまふと()きて、(そう)布施(ふせ)浄衣(じゃうえ)などやうの、こまかなるものをさへたてまつれたまふ。(なや)みたまふ(ひと)は、え()こえたまはず。 このきみは、いとかしこう、さりげなくてこえれたまひにためり。すほふなどせさせたまふときて、そうふせじゃうえなどやうの、こまかなるものをさへたてまつれたまふ。なやみたまふひとは、えこえたまはず。
391.1.1111094 「なべての宣旨書(せんじが)きは、ものしと(おぼ)しぬべく、ことことしき(おほん)さまなり」 "なべてのせんじがきは、ものしとおぼしぬべく、ことことしきおほんさまなり。"
391.1.1211195 と、(ひと)びと()こゆれば、(みや)御返(おほんかへ)()こえたまふ。 と、ひとびとこゆれば、みやおほんかへこえたまふ。
391.1.1311296 いとをかしげにて、ただ一行(ひとくだ)りなど、おほどかなる()きざま、言葉(ことば)もなつかしきところ()()へたまへるを、いよいよ()まほしう()とまりて、しげう()こえ(かよ)ひたまふ。 いとをかしげにて、ただひとくだりなど、おほどかなるきざま、ことばもなつかしきところへたまへるを、いよいよまほしうとまりて、しげうこえかよひたまふ。
391.1.1411397 「なほ、つひにあるやうあるべきやう御仲(おほんなか)らひなめり」 "なほ、つひにあるやうあるべきやうおほんなからひなめり。"
391.1.1511498 と、(きた)(かた)けしきとりたまへれば、わづらはしくて、()うでまほしう(おぼ)せど、とみにえ()()ちたまはず。 と、きたかたけしきとりたまへれば、わづらはしくて、うでまほしうおぼせど、とみにえちたまはず。
391.211599第二段 八月二十日頃、夕霧、小野山荘を訪問
391.2.1116100 八月中(はちがつなか)十日(とをか)ばかりなれば、野辺(のべ)のけしきもをかしきころなるに、山里(やまざと)のありさまのいとゆかしければ、 はちがつなかとをかばかりなれば、のべのけしきもをかしきころなるに、やまざとのありさまのいとゆかしければ、
391.2.2117101 「なにがし律師(りし)のめづらしう()りたなるに、せちに(かた)らふべきことあり。御息所(みやすんどころ)(わづら)ひたまふなるもとぶらひがてら、()うでむ」 "なにがしりしのめづらしうりたなるに、せちにかたらふべきことあり。みやすんどころわづらひたまふなるもとぶらひがてら、うでん。"
391.2.3118102 と、おほかたにぞ()こえて()でたまふ。御前(ごぜん)、ことことしからで、(した)しき(かぎ)()六人(ろくにん)ばかり、狩衣(かりぎぬ)にてさぶらふ。ことに(ふか)(みち)ならねど、(まつ)(さき)小山(をやま)(いろ)なども、さる(いはほ)ならねど、(あき)のけしきつきて、(みやこ)()なくと()くしたる家居(いへゐ)には、なほ、あはれも(きょう)もまさりてぞ()ゆるや。 と、おほかたにぞこえてでたまふ。ごぜん、ことことしからで、したしきかぎろくにんばかり、かりぎぬにてさぶらふ。ことにふかみちならねど、まつさきをやまいろなども、さるいはほならねど、あきのけしきつきて、みやこなくとくしたるいへゐには、なほ、あはれもきょうもまさりてぞゆるや。
391.2.4119103 はかなき小柴垣(こしばがき)もゆゑあるさまにしなして、かりそめなれどあてはかに()まひなしたまへり。寝殿(しんでん)とおぼしき(ひんがし)放出(はなちいで)に、修法(すほふ)檀塗(だんぬ)りて、(きた)(ひさし)におはすれば、西面(にしおもて)(みや)はおはします。 はかなきこしばがきもゆゑあるさまにしなして、かりそめなれどあてはかにまひなしたまへり。しんでんとおぼしきひんがしはなちいでに、すほふだんぬりて、きたひさしにおはすれば、にしおもてみやはおはします。
391.2.5120104 (おほん)もののけむつかしとて、とどめたてまつりたまひけれど、いかでか(はな)れたてまつらむと、(した)ひわたりたまへるを、(ひと)(うつ)()るを()ぢて、すこしの(へだ)てばかりに、あなたには(わた)したてまつりたまはず。 おほんもののけむつかしとて、とどめたてまつりたまひけれど、いかでかはなれたてまつらんと、したひわたりたまへるを、ひとうつるをぢて、すこしのへだてばかりに、あなたにはわたしたてまつりたまはず。
391.2.6121105 客人(まらうと)のゐたまふべき(ところ)のなければ、(みや)御方(おほんかた)御簾(みす)(まへ)()れたてまつりて、上臈(じゃうらふ)だつ(ひと)びと、御消息聞(おほんせうそこき)こえ(つた)ふ。 まらうとのゐたまふべきところのなければ、みやおほんかたみすまへれたてまつりて、じゃうらふだつひとびと、おほんせうそこきこえつたふ。
391.2.7122106 「いとかたじけなく、かうまでのたまはせ(わた)らせたまへるをなむ。もしかひなくなり()てはべりなば、このかしこまりをだに()こえさせでやと、(おも)ひたまふるをなむ、(いま)しばしかけとどめまほしき(こころ)つきはべりぬる」 "いとかたじけなく、かうまでのたまはせわたらせたまへるをなん。もしかひなくなりてはべりなば、このかしこまりをだにこえさせでやと、おもひたまふるをなん、いましばしかけとどめまほしきこころつきはべりぬる。"
391.2.8123107 と、()こえ()だしたまへり。 と、こえだしたまへり。
391.2.9124108 (わた)らせたまひし御送(おほんおく)りにもと(おも)うたまへしを、六条院(ろくでうのゐん)(うけたまは)りさしたることはべりしほどにてなむ。()ごろも、そこはかとなく(まぎ)るることはべりて、(おも)ひたまふる(こころ)のほどよりは、こよなくおろかに御覧(ごらん)ぜらるることの、(くる)しうはべる」 "わたらせたまひしおほんおくりにもとおもうたまへしを、ろくでうのゐんうけたまはりさしたることはべりしほどにてなん。ごろも、そこはかとなくまぎるることはべりて、おもひたまふるこころのほどよりは、こよなくおろかにごらんぜらるることの、くるしうはべる。"
391.2.10125109 など、()こえたまふ。 など、こえたまふ。
391.3126110第三段 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる
391.3.1127111 (みや)は、(おく)(かた)にいと(しの)びておはしませど、ことことしからぬ(たび)(おほん)しつらひ、(あさ)きやうなる御座(おまし)のほどにて、(ひと)(おほん)けはひおのづからしるし。いとやはらかにうちみじろきなどしたまふ御衣(おほんぞ)(おと)なひ、さばかりななりと、()きゐたまへり。 みやは、おくかたにいとしのびておはしませど、ことことしからぬたびおほんしつらひ、あさきやうなるおましのほどにて、ひとおほんけはひおのづからしるし。いとやはらかにうちみじろきなどしたまふおほんぞおとなひ、さばかりななりと、きゐたまへり。
391.3.2128112 (こころ)(そら)におぼえて、あなたの御消息通(おほんせうそこかよ)ふほど、すこし(とほ)(へだ)たる(ひま)に、(れい)少将(せうしゃう)(きみ)など、さぶらふ(ひと)びとに物語(ものがたり)などしたまひて、 こころそらにおぼえて、あなたのおほんせうそこかよふほど、すこしとほへだたるひまに、れいせうしゃうきみなど、さぶらふひとびとにものがたりなどしたまひて、
391.3.3129113 「かう(まゐ)来馴(きな)(うけたまは)ることの、(とし)ごろといふばかりになりにけるを、こよなうもの(とほ)うもてなさせたまへる(うら)めしさなむ。かかる御簾(みす)(まへ)にて、人伝(ひとづ)ての御消息(おほんせうそこ)などの、ほのかに()こえ(つた)ふることよ。まだこそならはね。いかに(ふる)めかしきさまに、(ひと)びとほほ()みたまふらむと、はしたなくなむ。 "かうまゐきなうけたまはることの、としごろといふばかりになりにけるを、こよなうものとほうもてなさせたまへるうらめしさなん。かかるみすまへにて、ひとづてのおほんせうそこなどの、ほのかにこえつたふることよ。まだこそならはね。いかにふるめかしきさまに、ひとびとほほみたまふらんと、はしたなくなん。
391.3.4130114 齢積(よはひつ)もらず(かる)らかなりしほどに、ほの()きたる(かた)面馴(おもな)れなましかば、かううひうひしうもおぼえざらまし。さらに、かばかりすくすくしう、おれて年経(としふ)(ひと)は、たぐひあらじかし」 よはひつもらずかるらかなりしほどに、ほのきたるかたおもなれなましかば、かううひうひしうもおぼえざらまし。さらに、かばかりすくすくしう、おれてとしふひとは、たぐひあらじかし。"
391.3.5131115 とのたまふ。げに、いとあなづりにくげなるさましたまひつれば、さればよと、 とのたまふ。げに、いとあなづりにくげなるさましたまひつれば、さればよと、
391.3.6132116 「なかなかなる(おほん)いらへ()こえ()でむは、()づかしう」 "なかなかなるおほんいらへこえでんは、づかしう。"
391.3.7133117 などつきしろひて、 などつきしろひて、
391.3.8134118 「かかる御愁(おほんうれ)()こしめし()らぬやうなり」 "かかるおほんうれこしめしらぬやうなり。"
391.3.9135119 と、(みや)()こゆれば、 と、みやこゆれば、
391.3.10136120 「みづから()こえたまはざめるかたはらいたさに、()はりはべるべきを、いと(おそ)ろしきまでものしたまふめりしを、()あつかひはべりしほどに、いとどあるかなきかの心地(ここち)になりてなむ、え()こえぬ」 "みづからこえたまはざめるかたはらいたさに、はりはべるべきを、いとおそろしきまでものしたまふめりしを、あつかひはべりしほどに、いとどあるかなきかのここちになりてなん、えこえぬ。"
391.3.11137121 とあれば、 とあれば、
391.3.12138122 「こは、(みや)御消息(おほんせうそこ)か」とゐ(なほ)りて、「心苦(こころぐる)しき御悩(おほんなや)みを、()()ふばかり(なげ)ききこえさせはべるも、(なに)のゆゑにか。かたじけなけれど、ものを(おぼ)()(おほん)ありさまなど、はればれしき(かた)にも()たてまつり(なほ)したまふまでは、(たひ)らかに()ぐしたまはむこそ、()(おほん)ためにも(たの)もしきことにははべらめと、()(はか)りきこえさするによりなむ。ただあなたざまに(おぼ)(ゆづ)りて、()もりはべりぬる(こころ)ざしをも()ろしめされぬは、本意(ほい)なき心地(ここち)なむ」 "こは、みやおほんせうそこか。"とゐなほりて、"こころぐるしきおほんなやみを、ふばかりなげききこえさせはべるも、なにのゆゑにか。かたじけなけれど、ものをおぼおほんありさまなど、はればれしきかたにもたてまつりなほしたまふまでは、たひらかにぐしたまはんこそ、おほんためにもたのもしきことにははべらめと、はかりきこえさするによりなん。ただあなたざまにおぼゆづりて、もりはべりぬるこころざしをもろしめされぬは、ほいなきここちなん。"
391.3.13139123 ()こえたまふ。「げに」と、(ひと)びとも()こゆ。 こえたまふ。"げに"と、ひとびともこゆ。
391.4140124第四段 夕霧、山荘に一晩逗留を決意
391.4.1141125 日入(ひい)(かた)になり()くに、(そら)のけしきもあはれに()りわたりて、(やま)(かげ)小暗(をぐら)心地(ここち)するに、ひぐらしの()きしきりて、(かき)ほに()ふる撫子(なでしこ)の、うちなびける(いろ)もをかしう()ゆ。 ひいかたになりくに、そらのけしきもあはれにりわたりて、やまかげをぐらここちするに、ひぐらしのきしきりて、かきほにふるなでしこの、うちなびけるいろもをかしうゆ。
391.4.2142127 (まへ)前栽(せんさい)(はな)どもは、(こころ)にまかせて(みだ)れあひたるに、(みづ)(をと)いと(すず)しげにて、(やま)おろし(こころ)すごく、(まつ)(ひび)木深(こぶか)()こえわたされなどして、不断(ふだん)経読(きゃうよ)む、時変(ときか)はりて、(かね)うち()らすに、()(こゑ)もゐ()はるも、(ひと)つにあひて、いと(たふと)()こゆ。 まへせんさいはなどもは、こころにまかせてみだれあひたるに、みづをといとすずしげにて、やまおろしこころすごく、まつひびこぶかこえわたされなどして、ふだんきゃうよむ、ときかはりて、かねうちらすに、こゑもゐはるも、ひとつにあひて、いとたふとこゆ。
391.4.3143128 (ところ)から、よろづのこと心細(こころぼそ)()なさるるも、あはれにもの(おも)(つづ)けらる。()でたまはむ心地(ここち)もなし。律師(りし)も、加持(かぢ)する(おと)して、陀羅尼(だらに)いと(たふと)()むなり。 ところから、よろづのことこころぼそなさるるも、あはれにものおもつづけらる。でたまはんここちもなし。りしも、かぢするおとして、だらにいとたふとむなり。
391.4.4144129 いと(くる)しげにしたまふなりとて、(ひと)びともそなたに(つど)ひて、おほかたも、かかる旅所(たびどころ)にあまた(まゐ)らざりけるに、いとど人少(ひとずく)なにて、(みや)(なが)めたまへり。しめやかにて、「(おも)ふこともうち()でつべき(をり)かな」と(おも)ひゐたまへるに、(きり)のただこの(のき)のもとまで()ちわたれば、 いとくるしげにしたまふなりとて、ひとびともそなたにつどひて、おほかたも、かかるたびどころにあまたまゐらざりけるに、いとどひとずくなにて、みやながめたまへり。しめやかにて、"おもふこともうちでつべきをりかな。"とおもひゐたまへるに、きりのただこののきのもとまでちわたれば、
391.4.5145130 「まかでむ(かた)()えずなり()くは、いかがすべき」とて、 "まかでんかたえずなりくは、いかがすべき。"とて、
391.4.6146131 山里(やまざと)のあはれを()ふる夕霧(ゆふぎり)に<BR/>()()でむ(そら)もなき心地(ここち)して」 "〔やまざとのあはれをふるゆふぎりに<BR/>でんそらもなきここちして〕
391.4.7147132 ()こえたまへば、 こえたまへば、
391.4.8148133 山賤(やまがつ)(まがき)をこめて()(きり)も<BR/>(こころ)そらなる(ひと)はとどめず」 "〔やまがつまがきをこめてきりも<BR/>こころそらなるひとはとどめず〕
391.4.9149134 ほのかに()こゆる(おほん)けはひに(なぐさ)めつつ、まことに(かへ)るさ(わす)()てぬ。 ほのかにこゆるおほんけはひになぐさめつつ、まことにかへるさわすてぬ。
391.4.10150135 中空(なかぞら)なるわざかな。家路(いへぢ)()えず、(きり)(まがき)は、()(とま)るべうもあらず()らはせたまふ。つきなき(ひと)は、かかることこそ」 "なかぞらなるわざかな。いへぢえず、きりまがきは、とまるべうもあらずらはせたまふ。つきなきひとは、かかることこそ。"
391.4.11151136 などやすらひて、(しの)びあまりぬる(すぢ)もほのめかし()こえたまふに、(とし)ごろもむげに見知(みし)りたまはぬにはあらねど、()らぬ(かほ)にのみもてなしたまへるを、かく(こと)()でて(うら)みきこえたまふを、わづらはしうて、いとど(おほん)いらへもなければ、いたう(なげ)きつつ、(こころ)のうちに、「また、かかる(をり)ありなむや」と、(おも)ひめぐらしたまふ。 などやすらひて、しのびあまりぬるすぢもほのめかしこえたまふに、としごろもむげにみしりたまはぬにはあらねど、らぬかほにのみもてなしたまへるを、かくことでてうらみきこえたまふを、わづらはしうて、いとどおほんいらへもなければ、いたうなげきつつ、こころのうちに、"また、かかるをりありなんや。"と、おもひめぐらしたまふ。
391.4.12152137 (なさ)けなうあはつけきものには(おも)はれたてまつるとも、いかがはせむ。(おも)ひわたるさまをだに()らせたてまつらむ」 "なさけなうあはつけきものにはおもはれたてまつるとも、いかがはせん。おもひわたるさまをだにらせたてまつらん。"
391.4.13153138 (おも)ひて、(ひと)()せば、御司(おほんつかさ)将監(ぞう)よりかうぶり()たる、(むつ)ましき(ひと)(まゐ)れる。(しの)びやかに()()せて、 おもひて、ひとせば、おほんつかさぞうよりかうぶりたる、むつましきひとまゐれる。しのびやかにせて、
391.4.14154139 「この律師(りし)にかならず()ふべきことのあるを。護身(ごしん)などに(いとま)なげなめる、ただ(いま)はうち(やす)むらむ。今宵(こよひ)このわたりに(とま)りて、初夜(そや)時果(じは)てむほどに、かのゐたる(かた)にものせむ。これかれ、さぶらはせよ。随身(ずいじん)などの(をのこ)どもは、栗栖野(くるすの)荘近(さうちか)からむ、(まぐさ)などとり()はせて、ここに(ひと)あまた(こゑ)なせそ。かやうの旅寝(たびね)は、軽々(かるがる)しきやうに(ひと)もとりなすべし」 "このりしにかならずふべきことのあるを。ごしんなどにいとまなげなめる、ただいまはうちやすむらん。こよひこのわたりにとまりて、そやじはてんほどに、かのゐたるかたにものせん。これかれ、さぶらはせよ。ずいじんなどのをのこどもは、くるすのさうちかからん、まぐさなどとりはせて、ここにひとあまたこゑなせそ。かやうのたびねは、かるがるしきやうにひともとりなすべし。"
391.4.15155140 とのたまふ。あるやうあるべしと心得(こころえ)て、(うけたまは)りて()ちぬ。 とのたまふ。あるやうあるべしとこころえて、うけたまはりてちぬ。
391.5156141第五段 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む
391.5.1157142 さて、 さて、
391.5.2158143 (みち)いとたどたどしければ、このわたりに宿借(やどか)りはべる。(おな)じうは、この御簾(みす)のもとに(ゆる)されあらなむ。阿闍梨(あざり)()るるほどまで」 "みちいとたどたどしければ、このわたりにやどかりはべる。おなじうは、このみすのもとにゆるされあらなん。あざりるるほどまで。"
391.5.3159144 など、つれなくのたまふ。(れい)は、かやうに長居(ながゐ)して、あざればみたるけしきも()えたまはぬを、「うたてもあるかな」と、宮思(みやおぼ)せど、ことさらめきて、(かる)らかにあなたにはひ(わた)りたまふは、(ひと)もさま()しき心地(ここち)して、ただ(おと)せでおはしますに、とかく()こえ()りて、御消息聞(おほんせうそこき)こえ(つた)へにゐざり()(ひと)(かげ)につきて、()りたまひぬ。 など、つれなくのたまふ。れいは、かやうにながゐして、あざればみたるけしきもえたまはぬを、"うたてもあるかな。"と、みやおぼせど、ことさらめきて、かるらかにあなたにはひわたりたまふは、ひともさましきここちして、ただおとせでおはしますに、とかくこえりて、おほんせうそこきこえつたへにゐざりひとかげにつきて、りたまひぬ。
391.5.4160145 まだ夕暮(ゆふぐれ)の、(きり)()ぢられて、(うち)(くら)くなりにたるほどなり。あさましうて見返(みかへ)りたるに、(みや)はいとむくつけうなりたまうて、(きた)御障子(みさうじ)()にゐざり()でさせたまふを、いとようたどりて、ひきとどめたてまつりつ。 まだゆふぐれの、きりぢられて、うちくらくなりにたるほどなり。あさましうてみかへりたるに、みやはいとむくつけうなりたまうて、きたみさうじにゐざりでさせたまふを、いとようたどりて、ひきとどめたてまつりつ。
391.5.5161146 御身(おほんみ)()()てたまへれど、御衣(おほんぞ)(すそ)(のこ)りて、障子(さうじ)は、あなたより()すべき(かた)なかりければ、()きたてさして、(みづ)のやうにわななきおはす。 おほんみてたまへれど、おほんぞすそのこりて、さうじは、あなたよりすべきかたなかりければ、きたてさして、みづのやうにわななきおはす。
391.5.6162147 (ひと)びともあきれて、いかにすべきことともえ(おも)ひえず。こなたよりこそ()(かね)などもあれ、いとわりなくて、荒々(あらあら)しくは、え()きかなぐるべくはたものしたまはねば、 ひとびともあきれて、いかにすべきことともえおもひえず。こなたよりこそかねなどもあれ、いとわりなくて、あらあらしくは、えきかなぐるべくはたものしたまはねば、
391.5.7163148 「いとあさましう。(おも)たまへ()らざりける御心(みこころ)のほどになむ」 "いとあさましう。おもたまへらざりけるみこころのほどになん。"
391.5.8164149 と、()きぬばかりに()こゆれど、 と、きぬばかりにこゆれど、
391.5.9165150 「かばかりにてさぶらはむが、(ひと)よりけに(うと)ましう、めざましう(おぼ)さるべきにやは。(かず)ならずとも、御耳馴(おほんみみな)れぬる年月(としつき)(かさ)なりぬらむ」 "かばかりにてさぶらはんが、ひとよりけにうとましう、めざましうおぼさるべきにやは。かずならずとも、おほんみみなれぬるとしつきかさなりぬらん。"
391.5.10166151 とて、いとのどやかにさまよくもてしづめて、(おも)ふことを()こえ()らせたまふ。 とて、いとのどやかにさまよくもてしづめて、おもふことをこえらせたまふ。
391.6167152第六段 夕霧、落葉宮をかき口説く
391.6.1168153 ()()れたまふべくもあらず、(くや)しう、かくまでと(おぼ)すことのみ、やる(かた)なければ、のたまはむことはたましておぼえたまはず。 れたまふべくもあらず、くやしう、かくまでとおぼすことのみ、やるかたなければ、のたまはんことはたましておぼえたまはず。
391.6.2169154 「いと心憂(こころう)く、若々(わかわか)しき(おほん)さまかな。人知(ひとし)れぬ(こころ)にあまりぬる()()きしき(つみ)ばかりこそはべらめ、これより()()ぎたることは、さらに御心許(みこころゆる)されでは御覧(ごらん)ぜられじ。いかばかり、千々(ちぢ)(くだ)けはべる(おも)ひに()へぬぞや。 "いとこころうく、わかわかしきおほんさまかな。ひとしれぬこころにあまりぬるきしきつみばかりこそはべらめ、これよりぎたることは、さらにみこころゆるされではごらんぜられじ。いかばかり、ちぢくだけはべるおもひにへぬぞや。
391.6.3170155 さりともおのづから御覧(ごらん)()るふしもはべらむものを、しひておぼめかしう、け(うと)うもてなさせたまふめれば、()こえさせむ(かた)なさに、いかがはせむ、心地(ここち)なく(にく)しと(おぼ)さるとも、かうながら()ちぬべき(うれ)へを、さだかに()こえ()らせはべらむとばかりなり。()()らぬ()けしきの(つら)きものから、いとかたじけなければ」 さりともおのづからごらんるふしもはべらんものを、しひておぼめかしう、けうとうもてなさせたまふめれば、こえさせんかたなさに、いかがはせん、ここちなくにくしとおぼさるとも、かうながらちぬべきうれへを、さだかにこえらせはべらんとばかりなり。らぬけしきのつらきものから、いとかたじけなければ。"
391.6.4171156 とて、あながちに(なさ)(ふか)う、用意(ようい)したまへり。 とて、あながちになさふかう、よういしたまへり。
391.6.5172157 障子(さうじ)()さへたまへるは、いとものはかなき(かた)めなれど、()きも()けず。 さうじさへたまへるは、いとものはかなきかためなれど、きもけず。
391.6.6173158 「かばかりのけぢめをと、しひて(おぼ)さるらむこそあはれなれ」 "かばかりのけぢめをと、しひておぼさるらんこそあはれなれ。"
391.6.7174159 と、うち(わら)ひて、うたて(こころ)のままなるさまにもあらず。(ひと)(おほん)ありさまの、なつかしうあてになまめいたまへること、さはいへどことに()ゆ。()とともにものを(おも)ひたまふけにや、()()せにあえかなる心地(ここち)して、うちとけたまへるままの御袖(おほんそで)のあたりもなよびかに、気近(けぢか)うしみたる(にほ)ひなど、()(あつ)めてらうたげに、やはらかなる心地(ここち)したまへり。 と、うちわらひて、うたてこころのままなるさまにもあらず。ひとおほんありさまの、なつかしうあてになまめいたまへること、さはいへどことにゆ。とともにものをおもひたまふけにや、せにあえかなるここちして、うちとけたまへるままのおほんそでのあたりもなよびかに、けぢかうしみたるにほひなど、あつめてらうたげに、やはらかなるここちしたまへり。
391.7175160第七段 迫りながらも明け方近くなる
391.7.1176161 (かぜ)いと心細(こころぼそ)う、()けゆく(よる)のけしき、(むし)()も、鹿(しか)()()も、(たき)(おと)も、(ひと)つに(みだ)れて、(えん)あるほどなれど、ただありのあはつけ(びと)だに、寝覚(ねざ)めしぬべき(そら)のけしきを、格子(かうし)もさながら、()(かた)(つき)(やま)端近(はちか)きほど、とどめがたう、ものあはれなり。 かぜいとこころぼそう、けゆくよるのけしき、むしも、しかも、たきおとも、ひとつにみだれて、えんあるほどなれど、ただありのあはつけびとだに、ねざめしぬべきそらのけしきを、かうしもさながら、かたつきやまはちかきほど、とどめがたう、ものあはれなり。
391.7.2177162 「なほ、かう(おぼ)()らぬ(おほん)ありさまこそ、かへりては(あさ)御心(みこころ)のほど()らるれ。かう()づかぬまでしれじれしきうしろやすさなども、たぐひあらじとおぼえはべるを、何事(なにごと)にもかやすきほどの(ひと)こそ、かかるをば痴者(しれもの)などうち(わら)ひて、つれなき(こころ)もつかふなれ。 "なほ、かうおぼらぬおほんありさまこそ、かへりてはあさみこころのほどらるれ。かうづかぬまでしれじれしきうしろやすさなども、たぐひあらじとおぼえはべるを、なにごとにもかやすきほどのひとこそ、かかるをばしれものなどうちわらひて、つれなきこころもつかふなれ。
391.7.3178163 あまりこよなく(おぼ)(おと)したるに、えなむ(しづ)()つまじき心地(ここち)しはべる。()(なか)をむげに(おぼ)()らぬにしもあらじを」 あまりこよなくおぼおとしたるに、えなんしづつまじきここちしはべる。なかをむげにおぼらぬにしもあらじを。"
391.7.4179164 と、よろづに()こえせめられたまひて、いかが()ふべきと、わびしう(おぼ)しめぐらす。 と、よろづにこえせめられたまひて、いかがふべきと、わびしうおぼしめぐらす。
391.7.5180165 ()()りたる(かた)(こころ)やすきやうに、折々(をりをり)ほのめかすも、めざましう、「げに、たぐひなき()()さなりや」と、(おぼ)(つづ)けたまふに、()ぬべくおぼえたまうて、 りたるかたこころやすきやうに、をりをりほのめかすも、めざましう、"げに、たぐひなきさなりや。"と、おぼつづけたまふに、ぬべくおぼえたまうて、
391.7.6181166 ()きみづからの(つみ)(おも)()るとても、いとかうあさましきを、いかやうに(おも)ひなすべきにかはあらむ」 "きみづからのつみおもるとても、いとかうあさましきを、いかやうにおもひなすべきにかはあらん。"
391.7.7182167 と、いとほのかに、あはれげに()いたまうて、 と、いとほのかに、あはれげにいたまうて、
391.7.8183168 (われ)のみや()()()れるためしにて<BR/>()れそふ(そで)()()たすべき」 "〔われのみやれるためしにて<BR/>れそふそでたすべき〕
391.7.9184169 とのたまふともなきを、わが(こころ)(つづ)けて、(しの)びやかにうち()じたまへるも、かたはらいたく、いかに()ひつることぞと、(おぼ)さるるに、 とのたまふともなきを、わがこころつづけて、しのびやかにうちじたまへるも、かたはらいたく、いかにひつることぞと、おぼさるるに、
391.7.10185170 「げに、()しう()こえつかし」 "げに、しうこえつかし。"
391.7.11186171 など、ほほ()みたまへるけしきにて、 など、ほほみたまへるけしきにて、
391.7.12187172 「おほかたは我濡衣(われぬれぎぬ)()せずとも<BR/>()ちにし(そで)()やは(かく)るる "〔おほかたはわれぬれぎぬせずとも<BR/>ちにしそでやはかくるる
391.7.13188173 ひたぶるに(おぼ)しなりねかし」 ひたぶるにおぼしなりねかし。"
391.7.14189174 とて、月明(つきあか)(かた)(いざな)ひきこゆるも、あさまし、と(おぼ)す。心強(こころづよ)うもてなしたまへど、はかなう()()せたてまつりて、 とて、つきあかかたいざなひきこゆるも、あさまし、とおぼす。こころづようもてなしたまへど、はかなうせたてまつりて、
391.7.15190175 「かばかりたぐひなき(こころ)ざしを御覧(ごらん)()りて、(こころ)やすうもてなしたまへ。御許(おほんゆる)しあらでは、さらに、さらに」 "かばかりたぐひなきこころざしをごらんりて、こころやすうもてなしたまへ。おほんゆるしあらでは、さらに、さらに。"
391.7.16191176 と、いとけざやかに()こえたまふほど、()方近(がたちか)うなりにけり。 と、いとけざやかにこえたまふほど、がたちかうなりにけり。
391.8192177第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る
391.8.1193178 月隈(つきくま)なう()みわたりて、(きり)にも(まぎ)れずさし()りたり。(あさ)はかなる(ひさし)(のき)は、ほどもなき心地(ここち)すれば、(つき)(かほ)()かひたるやうなる、あやしうはしたなくて、(まぎ)らはしたまへるもてなしなど、いはむかたなくなまめきたまへり。 つきくまなうみわたりて、きりにもまぎれずさしりたり。あさはかなるひさしのきは、ほどもなきここちすれば、つきかほかひたるやうなる、あやしうはしたなくて、まぎらはしたまへるもてなしなど、いはんかたなくなまめきたまへり。
391.8.2194179 故君(こきみ)(おほん)こともすこし()こえ()でて、さまようのどやかなる物語(ものがたり)をぞ()こえたまふ。さすがになほ、かの()ぎにし(かた)(おぼ)(おと)すをば、(うら)めしげに(うら)みきこえたまふ。御心(みこころ)(うち)にも、 こきみおほんこともすこしこえでて、さまようのどやかなるものがたりをぞこえたまふ。さすがになほ、かのぎにしかたおぼおとすをば、うらめしげにうらみきこえたまふ。みこころうちにも、
391.8.3195180 「かれは、(くらゐ)などもまだ(およ)ばざりけるほどながら、()()れも御許(おほんゆる)しありけるに、おのづからもてなされて、見馴(みな)れたまひにしを、それだにいとめざましき(こころ)のなりにしさま、ましてかうあるまじきことに、よそに()くあたりにだにあらず、大殿(おほとの)などの()(おも)ひたまはむことよ。なべての()のそしりをばさらにもいはず、(ゐん)にもいかに()こし()(おも)ほされむ」 "かれは、くらゐなどもまだおよばざりけるほどながら、れもおほんゆるしありけるに、おのづからもてなされて、みなれたまひにしを、それだにいとめざましきこころのなりにしさま、ましてかうあるまじきことに、よそにくあたりにだにあらず、おほとのなどのおもひたまはんことよ。なべてののそしりをばさらにもいはず、ゐんにもいかにこしおもほされん。"
391.8.4196181 など、(はな)れぬここかしこの御心(みこころ)(おぼ)しめぐらすに、いと口惜(くちを)しう、わが心一(こころひと)つに、 など、はなれぬここかしこのみこころおぼしめぐらすに、いとくちをしう、わがこころひとつに、
391.8.5197182 「かう(つよ)(おも)ふとも、(ひと)のもの()ひいかならむ。御息所(みやすんどころ)()りたまはざらむも、罪得(つみえ)がましう、かく()きたまひて、心幼(こころをさな)く、と(おぼ)しのたまはむ」もわびしければ、 "かうつよおもふとも、ひとのものひいかならん。みやすんどころりたまはざらんも、つみえがましう、かくきたまひて、こころをさなく、とおぼしのたまはん。"もわびしければ、
391.8.6198184 ()かさでだに()でたまへ」 "かさでだにでたまへ。"
391.8.7199185 と、やらひきこえたまふより(ほか)(こと)なし。 と、やらひきこえたまふよりほかことなし。
391.8.8200186 「あさましや。ことあり(がほ)()けはべらむ朝露(あさつゆ)(おも)はむところよ。なほ、さらば(おぼ)()れよ。をこがましきさまを()えたてまつりて、(かしこ)うすかしやりつと(おぼ)(はな)れむこそ、その(きは)(こころ)もえ(をさ)めあふまじう、()らぬことと、けしからぬ(こころ)づかひもならひはじむべう(おも)ひたまへらるれ」 "あさましや。ことありがほけはべらんあさつゆおもはんところよ。なほ、さらばおぼれよ。をこがましきさまをえたてまつりて、かしこうすかしやりつとおぼはなれんこそ、そのきはこころもえをさめあふまじう、らぬことと、けしからぬこころづかひもならひはじむべうおもひたまへらるれ。"
391.8.9201187 とて、いとうしろめたく、なかなかなれど、ゆくりかにあざれたることの、まことにならはぬ御心地(みここち)なれば、「いとほしう、わが(おほん)みづからも心劣(こころおと)りやせむ」など(おぼ)いて、()(おほん)ためにも、あらはなるまじきほどの(きり)()(かく)れて()でたまふ、心地(ここち)そらなり。 とて、いとうしろめたく、なかなかなれど、ゆくりかにあざれたることの、まことにならはぬみここちなれば、"いとほしう、わがおほんみづからもこころおとりやせん。"などおぼいて、おほんためにも、あらはなるまじきほどのきりかくれてでたまふ、ここちそらなり。
391.8.10202188 荻原(をぎはら)軒端(のきば)(つゆ)にそぼちつつ<BR/>八重立(やへた)(きり)()けぞ()くべき "〔をぎはらのきばつゆにそぼちつつ<BR/>やへたきりけぞくべき
391.8.11203189 濡衣(ぬれごろも)はなほえ()させたまはじ。かうわりなうやらはせたまふ御心(みこころ)づからこそは」 ぬれごろもはなほえさせたまはじ。かうわりなうやらはせたまふみこころづからこそは。"
391.8.12204190 ()こえたまふ。げに、この御名(おほんな)のたけからず()りぬべきを、「(こころ)()はむにだに、(くち)ぎよう(こた)へむ」と(おぼ)せば、いみじうもて(はな)れたまふ。 こえたまふ。げに、このおほんなのたけからずりぬべきを、"こころはんにだに、くちぎようこたへん。"とおぼせば、いみじうもてはなれたまふ。
391.8.13205191 ()()かむ草葉(くさば)(つゆ)をかことにて<BR/>なほ濡衣(ぬれぎぬ)をかけむとや(おも) "〔かんくさばつゆをかことにて<BR/>なほぬれぎぬをかけんとやおも
391.8.14206192 めづらかなることかな」 めづらかなることかな。"
391.8.15207193 と、あはめたまへるさま、いとをかしう()づかしげなり。(とし)ごろ、(ひと)(たが)へる(こころ)ばせ(びと)になりて、さまざまに(なさ)けを()えたてまつる、名残(なごり)なく、うちたゆめ、()()きしきやうなるが、いとほしう、心恥(こころは)づかしげなれば、おろかならず(おも)(かへ)しつつ、「かうあながちに(したが)ひきこえても、(のち)をこがましくや」と、さまざまに(おも)(みだ)れつつ()でたまふ。(みち)(つゆ)けさも、いと所狭(ところせ)し。 と、あはめたまへるさま、いとをかしうづかしげなり。としごろ、ひとたがへるこころばせびとになりて、さまざまになさけをえたてまつる、なごりなく、うちたゆめ、きしきやうなるが、いとほしう、こころはづかしげなれば、おろかならずおもかへしつつ、"かうあながちにしたがひきこえても、のちをこがましくや。"と、さまざまにおもみだれつつでたまふ。みちつゆけさも、いとところせし。
392208194第二章 落葉宮の物語 律師の告げ口
392.1209195第一段 夕霧の後朝の文
392.1.1210196 かやうの(あり)き、()らひたまはぬ心地(ここち)に、をかしうも心尽(こころづ)くしにもおぼえつつ、殿(との)におはせば、女君(をんなぎみ)の、かかる()れをあやしと(とが)めたまひぬべければ、六条院(ろくでうのゐん)(ひんがし)御殿(おとど)()うでたまひぬ。まだ朝霧(あさぎり)()れず、ましてかしこにはいかに、と(おぼ)しやる。 かやうのありき、らひたまはぬここちに、をかしうもこころづくしにもおぼえつつ、とのにおはせば、をんなぎみの、かかるれをあやしととがめたまひぬべければ、ろくでうのゐんひんがしおとどうでたまひぬ。まだあさぎりれず、ましてかしこにはいかに、とおぼしやる。
392.1.2211197 (れい)ならぬ御歩(おほんあり)きありけり」 "れいならぬおほんありきありけり。"
392.1.3212198 と、(ひと)びとはささめく。しばしうち(やす)みたまひて、御衣脱(おほんぞぬ)()へたまふ。(つね)夏冬(なつふゆ)といときよらにしおきたまへれば、(かう)御唐櫃(おほんからびつ)より()()(たてまつ)りたまふ。御粥(おほんかゆ)など(まゐ)りて、御前(おまへ)(まゐ)りたまふ。 と、ひとびとはささめく。しばしうちやすみたまひて、おほんぞぬへたまふ。つねなつふゆといときよらにしおきたまへれば、かうおほんからびつよりたてまつりたまふ。おほんかゆなどまゐりて、おまへまゐりたまふ。
392.1.4213199 かしこに御文(おほんふみ)たてまつりたまへれど、御覧(ごらん)じも()れず。にはかにあさましかりしありさま、めざましうも()づかしうも(おぼ)すに、(こころ)づきなくて、御息所(みやすんどころ)()()きたまはむことも、いと()づかしう、また、かかることやとかけて()りたまはざらむに、ただならぬふしにても()つけたまひ、(ひと)のもの()(かく)れなき()なれば、おのづから()きあはせて、(へだ)てけると(おぼ)さむがいと(くる)しければ、 かしこにおほんふみたてまつりたまへれど、ごらんじもれず。にはかにあさましかりしありさま、めざましうもづかしうもおぼすに、こころづきなくて、みやすんどころきたまはんことも、いとづかしう、また、かかることやとかけてりたまはざらんに、ただならぬふしにてもつけたまひ、ひとのものかくれなきなれば、おのづからきあはせて、へだてけるとおぼさんがいとくるしければ、
392.1.5214200 (ひと)びとありしままに()こえ()らさなむ。()しと(おぼ)すともいかがはせむ」と(おぼ)す。 "ひとびとありしままにこえらさなん。しとおぼすともいかがはせん。"とおぼす。
392.1.6215201 親子(おやこ)御仲(おほんなか)()こゆる(なか)にも、つゆ(へだ)てずぞ(おも)()はしたまへる。よその(ひと)()()けども、(おや)(かく)すたぐひこそは、(むかし)物語(ものがたり)にもあめれど、さはた(おぼ)されず。(ひと)びとは、 おやこおほんなかこゆるなかにも、つゆへだてずぞおもはしたまへる。よそのひとけども、おやかくすたぐひこそは、むかしものがたりにもあめれど、さはたおぼされず。ひとびとは、
392.1.7216202 (なに)かは、ほのかに()きたまひて、ことしもあり(がほ)に、とかく(おぼ)(みだ)れむ。まだきに、心苦(こころぐる)し」 "なにかは、ほのかにきたまひて、ことしもありがほに、とかくおぼみだれん。まだきに、こころぐるし。"
392.1.8217203 など()ひあはせて、いかならむと(おも)ふどち、この御消息(おほんせうそこ)のゆかしきを、ひきも()けさせたまはねば、(こころ)もとなくて、 などひあはせて、いかならんとおもふどち、このおほんせうそこのゆかしきを、ひきもけさせたまはねば、こころもとなくて、
392.1.9218204 「なほ、むげに()こえさせたまはざらむも、おぼつかなく、若々(わかわか)しきやうにぞはべらむ」 "なほ、むげにこえさせたまはざらんも、おぼつかなく、わかわかしきやうにぞはべらん。"
392.1.10219205 など()こえて、(ひろ)げたれば、 などこえて、ひろげたれば、
392.1.11220206 「あやしう、何心(なにごころ)もなきさまにて、(ひと)にかばかりにても()ゆるあはつけさの、みづからの(あやま)ちに(おも)ひなせど、(おも)ひやりなかりしあさましさも、(なぐさ)めがたくなむ。え(みえ)ずとを()へ」 "あやしう、なにごころもなきさまにて、ひとにかばかりにてもゆるあはつけさの、みづからのあやまちにおもひなせど、おもひやりなかりしあさましさも、なぐさめがたくなん。えみえずとをへ。"
392.1.12221207 と、ことのほかにて、()()させたまひぬ。 と、ことのほかにて、させたまひぬ。
392.1.13222208 さるは、(にく)げもなく、いと心深(こころぶか)()いたまうて、 さるは、にくげもなく、いとこころぶかいたまうて、
392.1.14223209 (たましひ)をつれなき(そで)(とど)めおきて<BR/>わが(こころ)から(まど)はるるかな "〔たましひをつれなきそでとどめおきて<BR/>わがこころからまどはるるかな
392.1.15224210 ほかなるものはとか、(むかし)もたぐひありけりと(おも)たまへなすにも、さらに()方知(かたし)らずのみなむ」 ほかなるものはとか、むかしもたぐひありけりとおもたまへなすにも、さらにかたしらずのみなん。"
392.1.16225211 など、いと(おほ)かめれど、(ひと)はえまほにも()ず。(れい)のけしきなる今朝(けさ)御文(おほんふみ)にもあらざめれど、なほえ(おも)ひはるけず。(ひと)びとは、()けしきもいとほしきを、(なげ)かしう()たてまつりつつ、 など、いとおほかめれど、ひとはえまほにもず。れいのけしきなるけさおほんふみにもあらざめれど、なほえおもひはるけず。ひとびとは、けしきもいとほしきを、なげかしうたてまつりつつ、
392.1.17226212 「いかなる(おほん)ことにかはあらむ。(なに)ごとにつけても、ありがたうあはれなる御心(みこころ)ざまはほど()ぬれど」 "いかなるおほんことにかはあらん。なにごとにつけても、ありがたうあはれなるみこころざまはほどぬれど。"
392.1.18227213 「かかる(かた)(たの)みきこえては、見劣(みおと)りやしたまはむ、と(おも)ふも(あや)ふく」 "かかるかたたのみきこえては、みおとりやしたまはん、とおもふもあやふく。"
392.1.19228214 など、(むつ)ましうさぶらふ(かぎ)りは、おのがどち(おも)(みだ)る。御息所(みやすんどころ)もかけて()りたまはず。 など、むつましうさぶらふかぎりは、おのがどちおもみだる。みやすんどころもかけてりたまはず。
392.2229215第二段 律師、御息所に告げ口
392.2.1230216 もののけにわづらひたまふ(ひと)は、(おも)しと()れど、さはやぎたまふ(ひま)もありてなむ、ものおぼえたまふ。日中(にちゅう)御加持果(おほんかぢは)てて、阿闍梨一人(あざりひとり)とどまりて、なほ陀羅尼読(だらによ)みたまふ。よろしうおはします、(よろこ)びて、 もののけにわづらひたまふひとは、おもしとれど、さはやぎたまふひまもありてなん、ものおぼえたまふ。にちゅうおほんかぢはてて、あざりひとりとどまりて、なほだらによみたまふ。よろしうおはします、よろこびて、
392.2.2231217 大日如来虚言(だいにちにょらいそらごと)したまはずは。などてか、かくなにがしが(こころ)(いた)して(つか)うまつる御修法(みすほふ)(しるし)なきやうはあらむ。悪霊(あくりゃう)執念(しふね)きやうなれど、業障(ごふしゃう)にまとはれたるはかなものなり」 "だいにちにょらいそらごとしたまはずは。などてか、かくなにがしがこころいたしてつかうまつるみすほふしるしなきやうはあらん。あくりゃうしふねきやうなれど、ごふしゃうにまとはれたるはかなものなり。"
392.2.3232218 と、(こゑ)はかれて(いか)りたまふ。いと(ひじり)だち、すくすくしき律師(りし)にて、ゆくりもなく、 と、こゑはかれていかりたまふ。いとひじりだち、すくすくしきりしにて、ゆくりもなく、
392.2.4233219 「そよや。この大将(だいしゃう)は、いつよりここには(まゐ)(かよ)ひたまふぞ」 "そよや。このだいしゃうは、いつよりここにはまゐかよひたまふぞ。"
392.2.5234220 ()(まう)したまふ。御息所(みやすんどころ) まうしたまふ。みやすんどころ
392.2.6235221 「さることもはべらず。故大納言(こだいなごん)のいとよき(なか)にて、(かた)らひつけたまへる心違(こころたが)へじと、この(とし)ごろ、さるべきことにつけて、いとあやしくなむ(かた)らひものしたまふも、かくふりはへ、わづらふを(とぶ)らひにとて、()()りたまへりければ、かたじけなく()きはべりし」 "さることもはべらず。こだいなごんのいとよきなかにて、かたらひつけたまへるこころたがへじと、このとしごろ、さるべきことにつけて、いとあやしくなんかたらひものしたまふも、かくふりはへ、わづらふをとぶらひにとて、りたまへりければ、かたじけなくきはべりし。"
392.2.7236222 ()こえたまふ。 こえたまふ。
392.2.8237223 「いで、あなかたは。なにがしに(かく)さるべきにもあらず。今朝(けさ)後夜(ごや)()(のぼ)りつるに、かの西(にし)妻戸(つまど)より、いとうるはしき(をとこ)()でたまへるを、霧深(きりふか)くて、なにがしはえ見分(みわ)いたてまつらざりつるを、この法師(ほふし)ばらなむ、『大将殿(だいしゃうどの)()でたまふなりけり』と、『昨夜(よべ)御車(みくるま)(かへ)して(とま)りたまひにける』と、口々申(くちぐちまう)しつる。 "いで、あなかたは。なにがしにかくさるべきにもあらず。けさごやのぼりつるに、かのにしつまどより、いとうるはしきをとこでたまへるを、きりふかくて、なにがしはえみわいたてまつらざりつるを、このほふしばらなん、"だいしゃうどのでたまふなりけり。"と、"よべみくるまかへしてとまりたまひにける。"と、くちぐちまうしつる。
392.2.9238224 げに、いと()うばしき()()ちて、頭痛(かしらいた)きまでありつれば、げにさなりけりと、(おも)ひあはせはべりぬる。(つね)にいと()うばしうものしたまふ(きみ)なり。このこと、いと(せち)にもあらぬことなり。(ひと)はいと有職(いうそく)にものしたまふ。 げに、いとうばしきちて、かしらいたきまでありつれば、げにさなりけりと、おもひあはせはべりぬる。つねにいとうばしうものしたまふきみなり。このこと、いとせちにもあらぬことなり。ひとはいというそくにものしたまふ。
392.2.10239225 なにがしらも、(わらは)にものしたまうし(とき)より、かの(きみ)(おほん)ためのことは、修法(すほふ)をなむ、故大宮(こおほみや)ののたまひつけたりしかば、一向(いっかう)にさるべきこと、(いま)(うけたまは)るところなれど、いと(やく)なし。本妻強(ほんさいつよ)くものしたまふ。さる、(とき)にあへる族類(ぞうるい)にて、いとやむごとなし。若君(わかぎみ)たちは、(しち)八人(はちにん)になりたまひぬ。 なにがしらも、わらはにものしたまうしときより、かのきみおほんためのことは、すほふをなん、こおほみやののたまひつけたりしかば、いっかうにさるべきこと、いまうけたまはるところなれど、いとやくなし。ほんさいつよくものしたまふ。さる、ときにあへるぞうるいにて、いとやんごとなし。わかぎみたちは、しちはちにんになりたまひぬ。
392.2.11240226 皇女(みこ)君圧(きみお)したまはじ。また、女人(にょにん)()しき()をうけ、長夜(ぢゃうや)(やみ)(まど)ふは、ただかやうの(つみ)によりなむ、さるいみじき(むく)いをも()くるものなる。(ひと)御怒(おほんいか)()()なば、(なが)きほだしとなりなむ。もはら()けひかず」 みこきみおしたまはじ。また、にょにんしきをうけ、ぢゃうややみまどふは、ただかやうのつみによりなん、さるいみじきむくいをもくるものなる。ひとおほんいかなば、ながきほだしとなりなん。もはらけひかず。"
392.2.12241227 と、頭振(かしらふ)りて、ただ()ひに()(はな)てば、 と、かしらふりて、ただひにはなてば、
392.2.13242228 「いとあやしきことなり。さらにさるけしきにも()えたまはぬ(ひと)なり。よろづ心地(ここち)(まど)ひにしかば、うち(やす)みて対面(たいめ)せむとてなむ、しばし()()まりたまへると、ここなる御達言(ごたちい)ひしを、さやうにて(とま)りたまへるにやあらむ。おほかたいとまめやかに、すくよかにものしたまふ(ひと)を」 "いとあやしきことなり。さらにさるけしきにもえたまはぬひとなり。よろづここちまどひにしかば、うちやすみてたいめせんとてなん、しばしまりたまへると、ここなるごたちいひしを、さやうにてとまりたまへるにやあらん。おほかたいとまめやかに、すくよかにものしたまふひとを。"
392.2.14243229 と、おぼめいたまひながら、(こころ)のうちに、 と、おぼめいたまひながら、こころのうちに、
392.2.15244230 「さることもやありけむ。ただならぬ()けしきは、折々見(をりをりみ)ゆれど、(ひと)(おほん)さまのいとかどかどしう、あながちに(ひと)(そし)りあらむことははぶき()て、うるはしだちたまへるに、たはやすく心許(こころゆる)されぬことはあらじと、うちとけたるぞかし。人少(ひとずく)なにておはするけしきを()て、はひ()りもやしたまへりけむ」と(おぼ)す。 "さることもやありけん。ただならぬけしきは、をりをりみゆれど、ひとおほんさまのいとかどかどしう、あながちにひとそしりあらんことははぶきて、うるはしだちたまへるに、たはやすくこころゆるされぬことはあらじと、うちとけたるぞかし。ひとずくなにておはするけしきをて、はひりもやしたまへりけん。"とおぼす。
392.3245231第三段 御息所、小少将君に問い質す
392.3.1246232 律師立(りした)ちぬる(のち)に、小少将(こしゃうしゃう)(きみ)()して、 りしたちぬるのちに、こしゃうしゃうきみして、
392.3.2247233 「かかることなむ()きつる。いかなりしことぞ。などかおのれには、さなむ、かくなむとは()かせたまはざりける。さしもあらじと(おも)ひながら」 "かかることなんきつる。いかなりしことぞ。などかおのれには、さなん、かくなんとはかせたまはざりける。さしもあらじとおもひながら。"
392.3.3248234 とのたまへば、いとほしけれど、(はじ)めよりありしやうを、(くは)しう()こゆ。今朝(けさ)御文(おほんふみ)のけしき、(みや)もほのかにのたまはせつるやうなど()こえ、 とのたまへば、いとほしけれど、はじめよりありしやうを、くはしうこゆ。けさおほんふみのけしき、みやもほのかにのたまはせつるやうなどこえ、
392.3.4249235 (とし)ごろ、(しの)びわたりたまひける(こころ)(うち)を、()こえ()らせむとばかりにやはべりけむ。ありがたう用意(ようい)ありてなむ、()かしも()てで()でたまひぬるを、(ひと)はいかに()こえはべるにか」。 "としごろ、しのびわたりたまひけるこころうちを、こえらせんとばかりにやはべりけん。ありがたうよういありてなん、かしもてででたまひぬるを、ひとはいかにこえはべるにか。"
392.3.5250236 律師(りし)とは(おも)ひも()らで、(しの)びて(ひと)()こえけると(おも)ふ。ものものたまはで、いと()口惜(くちを)しと(おぼ)すに、(なみだ)ほろほろとこぼれたまひぬ。()たてまつるも、いといとほしう、「(なに)に、ありのままに()こえつらむ。(くる)しき御心地(みここち)を、いとど(おぼ)(みだ)るらむ」と(くや)しう(おも)ひゐたり。 りしとはおもひもらで、しのびてひとこえけるとおもふ。ものものたまはで、いとくちをしとおぼすに、なみだほろほろとこぼれたまひぬ。たてまつるも、いといとほしう、"なにに、ありのままにこえつらん。くるしきみここちを、いとどおぼみだるらん。"とくやしうおもひゐたり。
392.3.6251237 障子(さうじ)()してなむ」と、よろづによろしきやうに()こえなせど、 "さうじしてなん。"と、よろづによろしきやうにこえなせど、
392.3.7252238 「とてもかくても、さばかりに、(なに)用意(ようい)もなく、(かる)らかに(ひと)()えたまひけむこそ、いといみじけれ。うちうちの御心(みこころ)きようおはすとも、かくまで()ひつる法師(ほふし)ばら、よからぬ(わらは)べなどは、まさに()(のこ)してむや。(ひと)には、いかに()ひあらがひ、さもあらぬことと()ふべきにかあらむ。すべて、心幼(こころをさな)(かぎ)りしも、ここにさぶらひて」 "とてもかくても、さばかりに、なによういもなく、かるらかにひとえたまひけんこそ、いといみじけれ。うちうちのみこころきようおはすとも、かくまでひつるほふしばら、よからぬわらはべなどは、まさにのこしてんや。ひとには、いかにひあらがひ、さもあらぬこととふべきにかあらん。すべて、こころをさなかぎりしも、ここにさぶらひて。"
392.3.8253239 とも、えのたまひやらず。いと(くる)しげなる御心地(みここち)に、ものを(おぼ)しおどろきたれば、いといとほしげなり。気高(けだか)うもてなしきこえむとおぼいたるに、()づかはしう、軽々(かるがる)しき()()ちたまふべきを、おろかならず(おぼ)(なげ)かる。 とも、えのたまひやらず。いとくるしげなるみここちに、ものをおぼしおどろきたれば、いといとほしげなり。けだかうもてなしきこえんとおぼいたるに、づかはしう、かるがるしきちたまふべきを、おろかならずおぼなげかる。
392.3.9254240 「かうすこしものおぼゆる(ひま)に、(わた)らせたまうべう()こえよ。そなたへ(まゐ)()べけれど、(うご)きすべうもあらでなむ。()たてまつらで、(ひさ)しうなりぬる心地(ここち)すや」 "かうすこしものおぼゆるひまに、わたらせたまうべうこえよ。そなたへまゐべけれど、うごきすべうもあらでなん。たてまつらで、ひさしうなりぬるここちすや。"
392.3.10255241 と、(なみだ)()けてのたまふ。(まゐ)りて、 と、なみだけてのたまふ。まゐりて、
392.3.11256242 「しかなむ()こえさせたまふ」 "しかなんこえさせたまふ。"
392.3.12257243 とばかり()こゆ。 とばかりこゆ。
392.4258244第四段 落葉宮、母御息所のもとに参る
392.4.1259245 (わた)りたまはむとて、御額髪(おほんひたいがみ)()れまろがれたる、ひきつくろひ、単衣(ひとへ)御衣(おほんぞ)ほころびたる、着替(きが)へなどしたまひても、とみにもえ(うご)いたまはず。 わたりたまはんとて、おほんひたいがみれまろがれたる、ひきつくろひ、ひとへおほんぞほころびたる、きがへなどしたまひても、とみにもえうごいたまはず。
392.4.2260246 「この(ひと)びともいかに(おも)ふらむ。まだえ()りたまはで、(のち)にいささかも()きたまふことあらむに、つれなくてありしよ」 "このひとびともいかにおもふらん。まだえりたまはで、のちにいささかもきたまふことあらんに、つれなくてありしよ。"
392.4.3261247 (おぼ)しあはせむも、いみじう()づかしければ、また()したまひぬ。 おぼしあはせんも、いみじうづかしければ、またしたまひぬ。
392.4.4262248 心地(ここち)のいみじう(なや)ましきかな。やがて(なほ)らぬさまにもありなむ、いとめやすかりぬべくこそ。(あし)()(のぼ)りたる心地(ここち)す」 "ここちのいみじうなやましきかな。やがてなほらぬさまにもありなん、いとめやすかりぬべくこそ。あしのぼりたるここちす。"
392.4.5263249 と、()(くだ)させたまふ。ものをいと(くる)しう、さまざまに(おぼ)すには、()()がりける。 と、くださせたまふ。ものをいとくるしう、さまざまにおぼすには、がりける。
392.4.6264250 少将(せうしゃう) せうしゃう
392.4.7265251 (うへ)に、この(おほん)ことほのめかし()こえける(ひと)こそはべけれ。いかなりしことぞ、と()はせたまひつれば、ありのままに()こえさせて、御障子(みさうじ)(かた)めばかりをなむ、すこしこと()へて、けざやかに()こえさせつる。もし、さやうにかすめきこえさせたまはば、(おな)じさまに()こえさせたまへ」 "うへに、このおほんことほのめかしこえけるひとこそはべけれ。いかなりしことぞ、とはせたまひつれば、ありのままにこえさせて、みさうじかためばかりをなん、すこしことへて、けざやかにこえさせつる。もし、さやうにかすめきこえさせたまはば、おなじさまにこえさせたまへ。"
392.4.8266252 (まう)す。 まうす。
392.4.9267253 (なげ)いたまへるけしきは()こえ()でず。「さればよ」と、いとわびしくて、ものものたまはぬ御枕(おほんまくら)より、(しづく)()つる。 なげいたまへるけしきはこえでず。"さればよ。"と、いとわびしくて、ものものたまはぬおほんまくらより、しづくつる。
392.4.10268254 「このことにのみもあらず、()(おも)はずになりそめしより、いみじうものをのみ(おも)はせたてまつること」 "このことにのみもあらず、おもはずになりそめしより、いみじうものをのみおもはせたてまつること。"
392.4.11269255 と、()けるかひなく(おも)(つづ)けたまひて、「この(ひと)は、かうても()まで、とかく()ひかかづらひ()でむも、わづらはしう、()(ぐる)しかるべう」、よろづに(おぼ)す。「まいて、いふかひなく、(ひと)(こと)によりて、いかなる()()たさまし」 と、けるかひなくおもつづけたまひて、"このひとは、かうてもまで、とかくひかかづらひでんも、わづらはしう、ぐるしかるべう"、よろづにおぼす。"まいて、いふかひなく、ひとことによりて、いかなるたさまし。"
392.4.12270256 など、すこし(おぼ)(なぐさ)むる(かた)はあれど、「かばかりになりぬる(たか)(ひと)の、かくまでも、すずろに(ひと)()ゆるやうはあらじかし」と、宿世憂(すくせう)(おぼ)(くっ)して、(ゆふ)(かた)ぞ、 など、すこしおぼなぐさむるかたはあれど、"かばかりになりぬるたかひとの、かくまでも、すずろにひとゆるやうはあらじかし。"と、すくせうおぼくっして、ゆふかたぞ、
392.4.13271257 「なほ、(わた)らせたまへ」 "なほ、わたらせたまへ。"
392.4.14272258 とあれば、(なか)塗籠(ぬりごめ)戸開(とあ)けあはせて、(わた)りたまへる。 とあれば、なかぬりごめとあけあはせて、わたりたまへる。
392.5273259第五段 御息所の嘆き
392.5.1274260 (くる)しき御心地(みここち)にも、なのめならずかしこまりかしづききこえたまふ。(つね)御作法(おほんさほふ)あやまたず、()()がりたまうて、 くるしきみここちにも、なのめならずかしこまりかしづききこえたまふ。つねおほんさほふあやまたず、がりたまうて、
392.5.2275261 「いと(みだ)りがはしげにはべれば、(わた)らせたまふも心苦(こころぐる)しうてなむ。この(ふつか)三日(みか)ばかり()たてまつらざりけるほどの、年月(としつき)心地(ここち)するも、かつはいとはかなくなむ。(のち)、かならずしも、対面(たいめ)のはべるべきにもはべらざめり。まためぐり(まゐ)るとも、かひやははべるべき。 "いとみだりがはしげにはべれば、わたらせたまふもこころぐるしうてなん。このふつかみかばかりたてまつらざりけるほどの、としつきここちするも、かつはいとはかなくなん。のち、かならずしも、たいめのはべるべきにもはべらざめり。まためぐりまゐるとも、かひやははべるべき。
392.5.3276262 (おも)へば、ただ(とき)()(へだ)たりぬべき()(なか)を、あながちにならひはべりにけるも、(くや)しきまでなむ」 おもへば、ただときへだたりぬべきなかを、あながちにならひはべりにけるも、くやしきまでなん。"
392.5.4277263 など()きたまふ。 などきたまふ。
392.5.5278264 (みや)も、もののみ(かな)しう()(あつ)(おぼ)さるれば、()こえたまふこともなくて()たてまつりたまふ。ものづつみをいたうしたまふ本性(ほんじゃう)に、際々(きはぎは)しうのたまひさはやぐべきにもあらねば、()づかしとのみ(おぼ)すに、いといとほしうて、いかなりしなども、()ひきこえたまはず。 みやも、もののみかなしうあつおぼさるれば、こえたまふこともなくてたてまつりたまふ。ものづつみをいたうしたまふほんじゃうに、きはぎはしうのたまひさはやぐべきにもあらねば、づかしとのみおぼすに、いといとほしうて、いかなりしなども、ひきこえたまはず。
392.5.6279265 大殿油(おほとなぶら)など(いそ)(まゐ)らせて、御台(みだい)など、こなたにて(まゐ)らせたまふ。もの()こし()さずと()きたまひて、とかう()づからまかなひ(なほ)しなどしたまへど、()れたまふべくもあらず。ただ御心地(みここち)のよろしう()えたまふぞ、(むね)すこしあけたまふ。 おほとなぶらなどいそまゐらせて、みだいなど、こなたにてまゐらせたまふ。ものこしさずときたまひて、とかうづからまかなひなほしなどしたまへど、れたまふべくもあらず。ただみここちのよろしうえたまふぞ、むねすこしあけたまふ。
393280266第三章 一条御息所の物語 行き違いの不幸
393.1281267第一段 御息所、夕霧に返書
393.1.1282268 かしこよりまた御文(おほんふみ)あり。心知(こころし)らぬ(ひと)しも()()れて、 かしこよりまたおほんふみあり。こころしらぬひとしもれて、
393.1.2283269 大将殿(だいしゃうどの)より、少将(せうしゃう)(きみ)にとて、御使(おほんつか)ひあり」 "だいしゃうどのより、せうしゃうきみにとて、おほんつかひあり。"
393.1.3284270 ()ふぞ、またわびしきや。少将(せうしゃう)御文(おほんふみ)()りつ。御息所(みやすんどころ) ふぞ、またわびしきや。せうしゃうおほんふみりつ。みやすんどころ
393.1.4285271 「いかなる御文(おほんふみ)にか」 "いかなるおほんふみにか。"
393.1.5286272 と、さすがに()ひたまふ。人知(ひとし)れず(おぼ)(よわ)(こころ)()ひて、(した)()ちきこえたまひけるに、さもあらぬなめりと(おも)ほすも、心騷(こころさわ)ぎして、 と、さすがにひたまふ。ひとしれずおぼよわこころひて、したちきこえたまひけるに、さもあらぬなめりとおもほすも、こころさわぎして、
393.1.6287273 「いで、その御文(おほんふみ)、なほ()こえたまへ。あいなし。(ひと)御名(おほんな)()さまに()(なほ)(ひと)(かた)きものなり。そこに(こころ)きよう(おぼ)すとも、しか(もち)ゐる(ひと)(すく)なくこそあらめ。(こころ)うつくしきやうに()こえ(かよ)ひたまひて、なほありしままならむこそ()からめ。あいなき(あま)えたるさまなるべし」 "いで、そのおほんふみ、なほこえたまへ。あいなし。ひとおほんなさまになほひとかたきものなり。そこにこころきようおぼすとも、しかもちゐるひとすくなくこそあらめ。こころうつくしきやうにこえかよひたまひて、なほありしままならんこそからめ。あいなきあまえたるさまなるべし。"
393.1.7288274 とて、()()す。(くる)しけれどたてまつりつ。 とて、す。くるしけれどたてまつりつ。
393.1.8289275 「あさましき御心(みこころ)のほどを()たてまつり(あらは)いてこそ、なかなか(こころ)やすく、ひたぶる(こころ)もつきはべりぬべけれ。 "あさましきみこころのほどをたてまつりあらはいてこそ、なかなかこころやすく、ひたぶるこころもつきはべりぬべけれ。
393.1.9290276 せくからに(あさ)さぞ()えむ山川(やまがは)の<BR/>(なが)れての()をつつみ()てずは」 せくからにあささぞえんやまがはの<BR/>ながれてのをつつみてずは〕
393.1.10291277 言葉(ことば)(おほ)かれど、()()てたまはず。 ことばおほかれど、てたまはず。
393.1.11292278 この御文(おほんふみ)も、けざやかなるけしきにもあらで、めざましげに心地(ここち)(がほ)に、今宵(こよひ)つれなきを、いといみじと(おぼ)す。 このおほんふみも、けざやかなるけしきにもあらで、めざましげにここちがほに、こよひつれなきを、いといみじとおぼす。
393.1.12293279 故督(こかん)(きみ)御心(みこころ)ざまの(おも)はずなりし(とき)、いと()しと(おも)ひしかど、おほかたのもてなしは、また(なら)(ひと)なかりしかば、こなたに(ちから)ある心地(ここち)して(なぐさ)めしだに、()には(こころ)もゆかざりしを。あな、いみじや。大殿(おほとの)のわたりに(おも)ひのたまはむこと」 "こかんきみみこころざまのおもはずなりしとき、いとしとおもひしかど、おほかたのもてなしは、またならひとなかりしかば、こなたにちからあるここちしてなぐさめしだに、にはこころもゆかざりしを。あな、いみじや。おほとののわたりにおもひのたまはんこと。"
393.1.13294280 (おも)ひしみたまふ。 おもひしみたまふ。
393.1.14295281 「なほ、いかがのたまふと、けしきをだに()む」と、心地(ここち)のかき(みだ)りくるるやうにしたまふ()、おし(しぼ)りて、あやしき(とり)(あと)のやうに()きたまふ。 "なほ、いかがのたまふと、けしきをだにん。"と、ここちのかきみだりくるるやうにしたまふ、おししぼりて、あやしきとりあとのやうにきたまふ。
393.1.15296282 (たの)もしげなくなりにてはべる、(とぶ)らひに(わた)りたまへる(をり)にて、そそのかしきこゆれど、いとはればれしからぬさまにものしたまふめれば、()たまへわづらひてなむ。 "たのもしげなくなりにてはべる、とぶらひにわたりたまへるをりにて、そそのかしきこゆれど、いとはればれしからぬさまにものしたまふめれば、たまへわづらひてなん。
393.1.16297283 女郎花萎(をみなへししを)るる野辺(のべ)をいづことて<BR/>一夜(ひとよ)ばかりの宿(やど)()りけむ」 をみなへししをるるのべをいづことて<BR/>ひとよばかりのやどりけん〕
393.1.17298284 と、ただ()きさして、おしひねりて()だしたまひて、()したまひぬるままに、いといたく(くる)しがりたまふ。(おほん)もののけのたゆめけるにやと、(ひと)びと()(さわ)ぐ。 と、ただきさして、おしひねりてだしたまひて、したまひぬるままに、いといたくくるしがりたまふ。おほんもののけのたゆめけるにやと、ひとびとさわぐ。
393.1.18299285 (れい)の、(げん)ある(かぎ)り、いと(さわ)がしうののしる。(みや)をば、 れいの、げんあるかぎり、いとさわがしうののしる。みやをば、
393.1.19300286 「なほ、(わた)らせたまひね」 "なほ、わたらせたまひね。"
393.1.20301287 と、(ひと)びと()こゆれど、御身(おほんみ)()きままに、(おく)れきこえじと(おぼ)せば、つと()ひたまへり。 と、ひとびとこゆれど、おほんみきままに、おくれきこえじとおぼせば、つとひたまへり。
393.2302288第二段 雲居雁、手紙を奪う
393.2.1303289 大将殿(だいしゃうどの)は、この(ひる)(かた)三条殿(さんでうどの)におはしにける、今宵立(こよひた)(かへ)()でたまはむに、「ことしもあり(がほ)に、まだきに()(くる)しかるべし」など(ねん)じたまひて、いとなかなか(とし)ごろの(こころ)もとなさよりも、千重(ちへ)にもの(おも)(かさ)ねて(なげ)きたまふ。 だいしゃうどのは、このひるかたさんでうどのにおはしにける、こよひたかへでたまはんに、"ことしもありがほに、まだきにくるしかるべし。"などねんじたまひて、いとなかなかとしごろのこころもとなさよりも、ちへにものおもかさねてなげきたまふ。
393.2.2304290 (きた)(かた)は、かかる(おほん)ありきのけしきほの()きて、(こころ)やましと()きゐたまへるに、()らぬやうにて、君達(きんだち)もて(あそ)(まぎ)らはしつつ、わが(ひる)御座(おまし)()したまへり。 きたかたは、かかるおほんありきのけしきほのきて、こころやましときゐたまへるに、らぬやうにて、きんだちもてあそまぎらはしつつ、わがひるおまししたまへり。
393.2.3305291 宵過(よひす)ぐるほどにぞ、この御返(おほんかへ)()(まゐ)れるを、かく(れい)にもあらぬ(とり)(あと)のやうなれば、とみにも見解(みと)きたまはで、大殿油近(おほとなぶらちか)()()せて()たまふ。女君(をんなぎみ)、もの(へだ)てたるやうなれど、いと()()つけたまうて、はひ()りて、御後(おほんうし)ろより()りたまうつ。 よひすぐるほどにぞ、このおほんかへまゐれるを、かくれいにもあらぬとりあとのやうなれば、とみにもみときたまはで、おほとなぶらちかせてたまふ。をんなぎみ、ものへだてたるやうなれど、いとつけたまうて、はひりて、おほんうしろよりりたまうつ。
393.2.4306292 「あさましう。こは、いかにしたまふぞ。あな、けしからず。六条(ろくでう)(ひんがし)(うへ)御文(おほんふみ)なり。今朝(けさ)風邪(かぜ)おこりて(なや)ましげにしたまへるを、(ゐん)御前(おまへ)にはべりて、()でつるほど、またも()うでずなりぬれば、いとほしさに、(いま)()いかにと、()こえたりつるなり。()たまへよ、懸想(けさう)びたる(ふみ)のさまか。さても、なほなほしの(おほん)さまや。年月(としつき)()へて、いたうあなづりたまふこそうれたけれ。(おも)はむところを、むげに()ぢたまはぬよ」 "あさましう。こは、いかにしたまふぞ。あな、けしからず。ろくでうひんがしうへおほんふみなり。けさかぜおこりてなやましげにしたまへるを、ゐんおまへにはべりて、でつるほど、またもうでずなりぬれば、いとほしさに、いまいかにと、こえたりつるなり。たまへよ、けさうびたるふみのさまか。さても、なほなほしのおほんさまや。としつきへて、いたうあなづりたまふこそうれたけれ。おもはんところを、むげにぢたまはぬよ。"
393.2.5307293 とうちうめきて、()しみ(がほ)にもひこしろひたまはねば、さすがに、ふとも()()たまへり。 とうちうめきて、しみがほにもひこしろひたまはねば、さすがに、ふともたまへり。
393.2.6308294 年月(としつき)()ふるあなづらはしさは、御心(みこころ)ならひなべかめり」 "としつきふるあなづらはしさは、みこころならひなべかめり。"
393.2.7309295 とばかり、かくうるはしだちたまへるに(はばか)りて、(わか)やかにをかしきさましてのたまへば、うち(わら)ひて、 とばかり、かくうるはしだちたまへるにはばかりて、わかやかにをかしきさましてのたまへば、うちわらひて、
393.2.8310296 「そは、ともかくもあらむ。()(つね)のことなり。またあらじかし、よろしうなりぬる(をのこ)の、かく(まが)(かた)なく、(ひと)(ところ)(まも)らへて、もの()ぢしたる(とり)兄鷹(せう)やうのもののやうなるは。いかに人笑(ひとわら)ふらむ。さるかたくなしき(もの)(まも)られたまふは、(おほん)ためにもたけからずや。 "そは、ともかくもあらん。つねのことなり。またあらじかし、よろしうなりぬるをのこの、かくまがかたなく、ひとところまもらへて、ものぢしたるとりせうやうのもののやうなるは。いかにひとわらふらん。さるかたくなしきものまもられたまふは、おほんためにもたけからずや。
393.2.9311297 あまたが(なか)に、なほ(きは)まさり、ことなるけぢめ()えたるこそ、よそのおぼえも(こころ)にくく、わが心地(ここち)もなほ()りがたく、をかしきこともあはれなるすぢも()えざらめ。かく(おきな)のなにがし(まも)りけむやうに、おれ(まど)ひたれば、いとぞ口惜(くちを)しき。いづこの()えかあらむ」 あまたがなかに、なほきはまさり、ことなるけぢめえたるこそ、よそのおぼえもこころにくく、わがここちもなほりがたく、をかしきこともあはれなるすぢもえざらめ。かくおきなのなにがしまもりけんやうに、おれまどひたれば、いとぞくちをしき。いづこのえかあらん。"
393.2.10312298 と、さすがに、この(ふみ)のけしきなくをこつり()らむの(こころ)にて、(あざむ)(まう)したまへば、いとにほひやかにうち(わら)ひて、 と、さすがに、このふみのけしきなくをこつりらんのこころにて、あざむまうしたまへば、いとにほひやかにうちわらひて、
393.2.11313299 「ものの()()えしさ(つく)()でたまふほど、()りぬる人苦(ひとくる)しや。いと(いま)めかしくなり()はれる()けしきのすさまじさも、()ならはずなりにける(こと)なれば、いとなむ(くる)しき。かねてよりならはしたまはで」 "もののえしさつくでたまふほど、りぬるひとくるしや。いといまめかしくなりはれるけしきのすさまじさも、ならはずなりにけることなれば、いとなんくるしき。かねてよりならはしたまはで。"
393.2.12314300 とかこちたまふも、(にく)くもあらず。 とかこちたまふも、にくくもあらず。
393.2.13315301 「にはかにと(おぼ)すばかりには、(なに)ごとか()ゆらむ。いとうたてある御心(みこころ)(くま)かな。よからずもの()こえ()らする(ひと)ぞあるべき。あやしう、もとよりまろをば(ゆる)さぬぞかし。なほ、かの(みどり)(そで)名残(なごり)、あなづらはしきにことづけて、もてなしたてまつらむと(おも)ふやうあるにや。いろいろ()きにくきことどもほのめくめり。あいなき(ひと)(おほん)ためにも、いとほしう」 "にはかにとおぼすばかりには、なにごとかゆらん。いとうたてあるみこころくまかな。よからずものこえらするひとぞあるべき。あやしう、もとよりまろをばゆるさぬぞかし。なほ、かのみどりそでなごり、あなづらはしきにことづけて、もてなしたてまつらんとおもふやうあるにや。いろいろきにくきことどもほのめくめり。あいなきひとおほんためにも、いとほしう。"
393.2.14316302 などのたまへど、つひにあるべきことと(おぼ)せば、ことにあらがはず。大輔(たいふ)乳母(めのと)、いと(くる)しと()きて、ものも()こえず。 などのたまへど、つひにあるべきこととおぼせば、ことにあらがはず。たいふめのと、いとくるしときて、ものもこえず。
393.3317303第三段 手紙を見ぬまま朝になる
393.3.1318304 とかく()ひしろひて、この御文(おほんふみ)はひき(かく)したまひつれば、せめても(あさ)()らで、つれなく大殿籠(おほとのご)もりぬれば、(むね)はしりて、「いかで()りてしがな」と、「御息所(みやすんどころ)御文(おほんふみ)なめり。(なに)ごとありつらむ」と、()()はず(おも)()したまへり。 とかくひしろひて、このおほんふみはひきかくしたまひつれば、せめてもあさらで、つれなくおほとのごもりぬれば、むねはしりて、"いかでりてしがな。"と、"みやすんどころおほんふみなめり。なにごとありつらん。"と、はずおもしたまへり。
393.3.2319305 女君(をんなぎみ)()たまへるに、昨夜(よべ)御座(おまし)(した)などに、さりげなくて(さぐ)りたまへど、なし。(かく)したまへらむほどもなければ、いと(こころ)やましくて、()けぬれど、とみにも()きたまはず。 をんなぎみたまへるに、よべおまししたなどに、さりげなくてさぐりたまへど、なし。かくしたまへらんほどもなければ、いとこころやましくて、けぬれど、とみにもきたまはず。
393.3.3320306 女君(をんなぎみ)は、君達(きんだち)におどろかされて、ゐざり()でたまふにぞ、われも今起(いまお)きたまふやうにて、よろづにうかがひたまへど、え()つけたまはず。(をんな)は、かく(もと)めむとも(おも)ひたまへらぬをぞ、「げに、懸想(けさう)なき御文(おほんふみ)なりけり」と、(こころ)にも()れねば、君達(きんだち)のあわて(あそ)びあひて、雛作(ひひなつく)り、(ひろ)()ゑて(あそ)びたまふ、書読(ふみよ)み、手習(てなら)ひなど、さまざまにいとあわたたし、(ちひ)さき稚児這(ちごは)ひかかり()きしろへば、()りし(ふみ)のことも(おも)()でたまはず。 をんなぎみは、きんだちにおどろかされて、ゐざりでたまふにぞ、われもいまおきたまふやうにて、よろづにうかがひたまへど、えつけたまはず。をんなは、かくもとめんともおもひたまへらぬをぞ、"げに、けさうなきおほんふみなりけり。"と、こころにもれねば、きんだちのあわてあそびあひて、ひひなつくり、ひろゑてあそびたまふ、ふみよみ、てならひなど、さまざまにいとあわたたし、ちひさきちごはひかかりきしろへば、りしふみのこともおもでたまはず。
393.3.4321307 (をとこ)は、異事(ことごと)もおぼえたまはず、かしこに()()こえむと(おぼ)すに、昨夜(よべ)御文(おほんふみ)のさまも、えたしかに()ずなりにしかば、「()ぬさまならむも、()らしてけると()(はか)りたまふべし」など、(おも)(みだ)れたまふ。 をとこは、ことごともおぼえたまはず、かしこにこえんとおぼすに、よべおほんふみのさまも、えたしかにずなりにしかば、"ぬさまならんも、らしてけるとはかりたまふべし。"など、おもみだれたまふ。
393.3.5322308 ()れも()れも御台参(みだいまゐ)りなどして、のどかになりぬる(ひる)(かた)(おも)ひわづらひて、 れもれもみだいまゐりなどして、のどかになりぬるひるかたおもひわづらひて、
393.3.6323309 昨夜(よべ)御文(おほんふみ)は、(なに)ごとかありし。あやしう()せたまはで。今日(けふ)(とぶ)らひ()こゆべし。(なや)ましうて、六条(ろくでう)にもえ(まゐ)るまじければ、(ふみ)をこそはたてまつらめ。(なに)ごとかありけむ」 "よべおほんふみは、なにごとかありし。あやしうせたまはで。けふとぶらひこゆべし。なやましうて、ろくでうにもえまゐるまじければ、ふみをこそはたてまつらめ。なにごとかありけん。"
393.3.7324310 とのたまふが、いとさりげなければ、「(ふみ)は、をこがましう()りてけり」とすさまじうて、そのことをばかけたまはず、 とのたまふが、いとさりげなければ、"ふみは、をこがましうりてけり。"とすさまじうて、そのことをばかけたまはず、
393.3.8325311 一夜(ひとよ)深山風(みやまかぜ)に、あやまりたまへる(なや)ましさななりと、をかしきやうにかこちきこえたまへかし」 "ひとよみやまかぜに、あやまりたまへるなやましさななりと、をかしきやうにかこちきこえたまへかし。"
393.3.9326312 ()こえたまふ。 こえたまふ。
393.3.10327313 「いで、このひがこと、な(つね)にのたまひそ。(なに)のをかしきやうかある。世人(よひと)になずらへたまふこそ、なかなか()づかしけれ。この女房(にょうばう)たちも、かつはあやしきまめざまを、かくのたまふと、ほほ()むらむものを」 "いで、このひがこと、なつねにのたまひそ。なにのをかしきやうかある。よひとになずらへたまふこそ、なかなかづかしけれ。このにょうばうたちも、かつはあやしきまめざまを、かくのたまふと、ほほむらんものを。"
393.3.11328314 と、(たはぶ)(ごと)()ひなして、 と、たはぶごとひなして、
393.3.12329315 「その(ふみ)よ。いづら」 "そのふみよ。いづら。"
393.3.13330316 とのたまへど、とみにも()()でたまはぬほどに、なほ物語(ものがたり)など()こえて、しばし()したまへるほどに、()れにけり。 とのたまへど、とみにもでたまはぬほどに、なほものがたりなどこえて、しばししたまへるほどに、れにけり。
393.4331317第四段 夕霧、手紙を見る
393.4.1332318 ひぐらしの(こゑ)におどろきて、「(やま)(かげ)いかに()りふたがりぬらむ。あさましや。今日(けふ)この御返事(おほんかへりごと)をだに」と、いとほしうて、ただ()らず(がほ)(すずり)おしすりて、「いかになしてしにかとりなさむ」と、(なが)めおはする。 ひぐらしのこゑにおどろきて、"やまかげいかにりふたがりぬらん。あさましや。けふこのおほんかへりごとをだに。"と、いとほしうて、ただらずがほすずりおしすりて、"いかになしてしにかとりなさん。"と、ながめおはする。
393.4.2333319 御座(おまし)(おく)のすこし()がりたる(ところ)を、(こころ)みにひき()げたまへれば、「これにさし(はさ)みたまへるなりけり」と、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うち()みて()たまふに、かう心苦(こころぐる)しきことなむありける。(むね)つぶれて、「一夜(ひとよ)のことを、(こころ)ありて()きたまうける」と(おぼ)すに、いとほしう心苦(こころぐる)し。 おましおくのすこしがりたるところを、こころみにひきげたまへれば、"これにさしはさみたまへるなりけり。"と、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うちみてたまふに、かうこころぐるしきことなんありける。むねつぶれて、"ひとよのことを、こころありてきたまうける。"とおぼすに、いとほしうこころぐるし。
393.4.3334320 昨夜(よべ)だに、いかに(おも)()かしたまうけむ。今日(けふ)も、(いま)まで(ふみ)をだに」 "よべだに、いかにおもかしたまうけん。けふも、いままでふみをだに。"
393.4.4335321 と、()はむ(かた)なくおぼゆ。いと(くる)しげに、()ふかひなく、()(まぎ)らはしたまへるさまにて、 と、はんかたなくおぼゆ。いとくるしげに、ふかひなく、まぎらはしたまへるさまにて、
393.4.5336322 「おぼろけに(おも)ひあまりてやは、かく()きたまうつらむ。つれなくて今宵(こよひ)()けつらむ」 "おぼろけにおもひあまりてやは、かくきたまうつらん。つれなくてこよひけつらん。"
393.4.6337323 と、()ふべき(かた)のなければ、女君(をんなぎみ)ぞ、いとつらう心憂(こころう)き。 と、ふべきかたのなければ、をんなぎみぞ、いとつらうこころうき。
393.4.7338324 「すずろに、かく、あだへ(かく)して。いでや、わがならはしぞや」と、さまざまに()もつらく、すべて()きぬべき心地(ここち)したまふ。 "すずろに、かく、あだへかくして。いでや、わがならはしぞや。"と、さまざまにもつらく、すべてきぬべきここちしたまふ。
393.4.8339325 やがて()()ちたまはむとするを、 やがてちたまはんとするを、
393.4.9340326 (こころ)やすく対面(たいめ)もあらざらむものから、(ひと)もかくのたまふ、いかならむ。坎日(かんにち)にもありけるを、もしたまさかに(おも)(ゆる)したまはば、()しからむ。なほ()からむことをこそ」 "こころやすくたいめもあらざらんものから、ひともかくのたまふ、いかならん。かんにちにもありけるを、もしたまさかにおもゆるしたまはば、しからん。なほからんことをこそ。"
393.4.10341327 と、うるはしき(こころ)(おぼ)して、まづ、この御返(おほんかへ)りを()こえたまふ。 と、うるはしきこころおぼして、まづ、このおほんかへりをこえたまふ。
393.4.11342328 「いとめづらしき御文(おほんふみ)を、かたがたうれしう()たまふるに、この御咎(おほんとが)めをなむ。いかに()こし()したることにか。 "いとめづらしきおほんふみを、かたがたうれしうたまふるに、このおほんとがめをなん。いかにこししたることにか。
393.4.12343329 (あき)()(くさ)(しげ)みは()けしかど<BR/>仮寝(かりね)枕結(まくらむす)びやはせし あきくさしげみはけしかど<BR/>かりねまくらむすびやはせし
393.4.13344330 (あき)らめきこえさするもあやなけれど、昨夜(よべ)(つみ)は、ひたやごもりにや」 あきらめきこえさするもあやなけれど、よべつみは、ひたやごもりにや。"
393.4.14345331 とあり。(みや)には、いと(おほ)()こえたまひて、御厩(みまや)足疾(あしと)御馬(おほんむま)(うつ)()きて、一夜(ひとよ)大夫(たいふ)をぞたてまつれたまふ。 とあり。みやには、いとおほこえたまひて、みまやあしとおほんむまうつきて、ひとよたいふをぞたてまつれたまふ。
393.4.15346332 昨夜(よべ)より、六条(ろくでう)(ゐん)にさぶらひて、ただ(いま)なむまかでつると()へ」 "よべより、ろくでうゐんにさぶらひて、ただいまなんまかでつるとへ。"
393.4.16347333 とて、()ふべきやう、ささめき(をし)へたまふ。 とて、ふべきやう、ささめきをしへたまふ。
393.5348334第五段 御息所の嘆き
393.5.1349335 かしこには、昨夜(よべ)もつれなく()えたまひし()けしきを、(しの)びあへで、(のち)()こえをもつつみあへず(うら)みきこえたまうしを、その御返(おほんかへ)りだに()えず、今日(けふ)()()てぬるを、いかばかりの御心(みこころ)にかはと、もて(はな)れてあさましう、(こころ)もくだけて、よろしかりつる御心地(みここち)、またいといたう(なや)みたまふ。 かしこには、よべもつれなくえたまひしけしきを、しのびあへで、のちこえをもつつみあへずうらみきこえたまうしを、そのおほんかへりだにえず、けふてぬるを、いかばかりのみこころにかはと、もてはなれてあさましう、こころもくだけて、よろしかりつるみここち、またいといたうなやみたまふ。
393.5.2350336 なかなか正身(さうじみ)御心(みこころ)のうちは、このふしをことに()しとも(おぼ)し、(おどろ)くべきことしなければ、ただおぼえぬ(ひと)に、うちとけたりしありさまを()えしことばかりこそ口惜(くちを)しけれ、いとしも(おぼ)ししまぬを、かくいみじうおぼいたるを、あさましう()づかしう、(あき)らめきこえたまふ(かた)なくて、(れい)よりももの()ぢしたまへるけしき()えたまふを、「いと心苦(こころぐる)しう、ものをのみ(おも)ほし()ふべかりける」と()たてまつるも、(むね)つとふたがりて(かな)しければ、 なかなかさうじみみこころのうちは、このふしをことにしともおぼし、おどろくべきことしなければ、ただおぼえぬひとに、うちとけたりしありさまをえしことばかりこそくちをしけれ、いとしもおぼししまぬを、かくいみじうおぼいたるを、あさましうづかしう、あきらめきこえたまふかたなくて、れいよりもものぢしたまへるけしきえたまふを、"いとこころぐるしう、ものをのみおもほしふべかりける。"とたてまつるも、むねつとふたがりてかなしければ、
393.5.3351337 (いま)さらにむつかしきことをば()こえじと(おも)へど、なほ、御宿世(おほんすくせ)とはいひながら、(おも)はずに心幼(こころをさな)くて、(ひと)のもどきを()ひたまふべきことを。()(かへ)すべきことにはあらねど、(いま)よりは、なほさる(こころ)したまへ。 "いまさらにむつかしきことをばこえじとおもへど、なほ、おほんすくせとはいひながら、おもはずにこころをさなくて、ひとのもどきをひたまふべきことを。かへすべきことにはあらねど、いまよりは、なほさるこころしたまへ。
393.5.4352338 (かず)ならぬ()ながらも、よろづに(はぐく)みきこえつるを、(いま)何事(なにごと)をも(おぼ)()り、()(なか)のとざまかうざまのありさまをも、(おぼ)したどりぬべきほどに、()たてまつりおきつることと、そなたざまはうしろやすくこそ()たてまつりつれ、なほいといはけて、(つよ)御心(みこころ)おきてのなかりけることと、(おも)(みだ)れはべるに、(いま)しばしの(いのち)もとどめまほしうなむ。 かずならぬながらも、よろづにはぐくみきこえつるを、いまなにごとをもおぼり、なかのとざまかうざまのありさまをも、おぼしたどりぬべきほどに、たてまつりおきつることと、そなたざまはうしろやすくこそたてまつりつれ、なほいといはけて、つよみこころおきてのなかりけることと、おもみだれはべるに、いましばしのいのちもとどめまほしうなん。
393.5.5353339 ただ(びと)だに、すこしよろしくなりぬる(をんな)の、人二人(ひとふたり)()るためしは、心憂(こころう)くあはつけきわざなるを、ましてかかる御身(おほんみ)には、さばかりおぼろけにて、(ひと)(ちか)づききこゆべきにもあらぬを、(おも)ひのほかに(こころ)にもつかぬ(おほん)ありさまと、(とし)ごろも()たてまつり(なや)みしかど、さるべき御宿世(おほんすくせ)にこそは。 ただびとだに、すこしよろしくなりぬるをんなの、ひとふたりるためしは、こころうくあはつけきわざなるを、ましてかかるおほんみには、さばかりおぼろけにて、ひとちかづききこゆべきにもあらぬを、おもひのほかにこころにもつかぬおほんありさまと、としごろもたてまつりなやみしかど、さるべきおほんすくせにこそは。
393.5.6354340 (ゐん)より(はじ)めたてまつりて、(おぼ)しなびき、この父大臣(ちちおとど)にも(ゆる)いたまふべき()けしきありしに、おのれ一人(ひとり)しも(こころ)をたてても、いかがはと(おも)()りはべりしことなれば、(すゑ)()までものしき(おほん)ありさまを、わが御過(おほんあやま)ちならぬに、大空(おほぞら)をかこちて()たてまつり()ぐすを、いとかう(ひと)のためわがための、よろづに()きにくかりぬべきことの()来添(きそ)ひぬべきが、さても、よその御名(おほんな)をば()らぬ(かほ)にて、()(つね)(おほん)ありさまにだにあらば、おのづからあり()むにつけても、(なぐさ)むこともやと、(おも)ひなしはべるを、こよなう(なさ)けなき(ひと)御心(みこころ)にもはべりけるかな」 ゐんよりはじめたてまつりて、おぼしなびき、このちちおとどにもゆるいたまふべきけしきありしに、おのれひとりしもこころをたてても、いかがはとおもりはべりしことなれば、すゑまでものしきおほんありさまを、わがおほんあやまちならぬに、おほぞらをかこちてたてまつりぐすを、いとかうひとのためわがための、よろづにきにくかりぬべきことのきそひぬべきが、さても、よそのおほんなをばらぬかほにて、つねおほんありさまにだにあらば、おのづからありんにつけても、なぐさむこともやと、おもひなしはべるを、こよなうなさけなきひとみこころにもはべりけるかな。"
393.5.7355341 と、つぶつぶと()きたまふ。 と、つぶつぶときたまふ。
393.6356342第六段 御息所死去す
393.6.1357343 いとわりなくおしこめてのたまふを、あらがひはるけむ(こと)()もなくて、ただうち()きたまへるさま、おほどかにらうたげなり。うちまもりつつ、 いとわりなくおしこめてのたまふを、あらがひはるけんこともなくて、ただうちきたまへるさま、おほどかにらうたげなり。うちまもりつつ、
393.6.2358344 「あはれ、(なに)ごとかは、(ひと)(おと)りたまへる。いかなる御宿世(おほんすくせ)にて、やすからず、ものを(ふか)(おぼ)すべき(ちぎ)(ふか)かりけむ」 "あはれ、なにごとかは、ひとおとりたまへる。いかなるおほんすくせにて、やすからず、ものをふかおぼすべきちぎふかかりけん。"
393.6.3359345 などのたまふままに、いみじう(くる)しうしたまふ。もののけなども、かかる弱目(よわめ)所得(ところう)るものなりければ、にはかに()()りて、ただ()えに()()りたまふ。律師(りし)(さわ)ぎたちたまうて、(がん)など()てののしりたまふ。 などのたまふままに、いみじうくるしうしたまふ。もののけなども、かかるよわめところうるものなりければ、にはかにりて、ただえにりたまふ。りしさわぎたちたまうて、がんなどてののしりたまふ。
393.6.4360346 (ふか)(ちか)ひにて、(いま)(いのち)(かぎ)りける山籠(やまご)もりを、かくまでおぼろけならず()()ちて、(だん)こぼちて(かへ)()らむことの、面目(めいぼく)なく、(ほとけ)もつらくおぼえたまふべきことを、(こころ)()こして(いの)(まう)したまふ。(みや)()(まど)ひたまふこと、いとことわりなりかし。 ふかちかひにて、いまいのちかぎりけるやまごもりを、かくまでおぼろけならずちて、だんこぼちてかへらんことの、めいぼくなく、ほとけもつらくおぼえたまふべきことを、こころこしていのまうしたまふ。みやまどひたまふこと、いとことわりなりかし。
393.6.5361348 かく(さわ)ぐほどに、大将殿(だいしゃうどの)より御文取(おほんふみと)()れたる、ほのかに()きたまひて、今宵(こよひ)もおはすまじきなめり、とうち()きたまふ。 かくさわぐほどに、だいしゃうどのよりおほんふみとれたる、ほのかにきたまひて、こよひもおはすまじきなめり、とうちきたまふ。
393.6.6362349 心憂(こころう)く。()のためしにも()かれたまふべきなめり。(なに)(われ)さへさる(こと)()(のこ)しけむ」 "こころうく。のためしにもかれたまふべきなめり。なにわれさへさることのこしけん。"
393.6.7363350 と、さまざま(おぼ)()づるに、やがて()()りたまひぬ。あへなくいみじと()へばおろかなり。(むかし)より、もののけには時々患(ときどきわづら)ひたまふ。(かぎ)りと()ゆる折々(をりをり)もあれば、「(れい)のごと()()れたるなめり」とて、加持参(かぢまゐ)(さわ)げど、(いま)はのさま、しるかりけり。 と、さまざまおぼづるに、やがてりたまひぬ。あへなくいみじとへばおろかなり。むかしより、もののけにはときどきわづらひたまふ。かぎりとゆるをりをりもあれば、"れいのごとれたるなめり。"とて、かぢまゐさわげど、いまはのさま、しるかりけり。
393.6.8364351 (みや)は、(おく)れじと(おぼ)()りて、つと()()したまへり。(ひと)びと(まゐ)りて、 みやは、おくれじとおぼりて、つとしたまへり。ひとびとまゐりて、
393.6.9365352 (いま)は、いふかひなし。いとかう(おぼ)すとも、(かぎ)りある(みち)は、(かへ)りおはすべきことにもあらず。(した)ひきこえたまふとも、いかでか御心(おほんこころ)にはかなふべき」 "いまは、いふかひなし。いとかうおぼすとも、かぎりあるみちは、かへりおはすべきことにもあらず。したひきこえたまふとも、いかでかおほんこころにはかなふべき。"
393.6.10366353 と、さらなることわりを()こえて、 と、さらなることわりをこえて、
393.6.11367354 「いとゆゆしう。()(おほん)ためにも、罪深(つみふか)きわざなり。(いま)()らせたまへ」 "いとゆゆしう。おほんためにも、つみふかきわざなり。いまらせたまへ。"
393.6.12368355 と、()(うご)かいたてまつれど、すくみたるやうにて、ものもおぼえたまはず。 と、うごかいたてまつれど、すくみたるやうにて、ものもおぼえたまはず。
393.6.13369356 修法(すほふ)(だん)こぼちて、ほろほろと()づるに、さるべき(かぎ)り、(かた)へこそ()ちとまれ、(いま)(かぎ)りのさま、いと(かな)しう心細(こころぼそ)し。 すほふだんこぼちて、ほろほろとづるに、さるべきかぎり、かたへこそちとまれ、いまかぎりのさま、いとかなしうこころぼそし。
393.7370357第七段 朱雀院の弔問の手紙
393.7.1371358 所々(ところどころ)御弔(おほんとぶら)ひ、いつの()にかと()ゆ。大将殿(だいしゃうどの)も、(かぎ)りなく()(おどろ)きたまうて、まづ()こえたまへり。六条(ろくでう)(ゐん)よりも、致仕(ちじ)大殿(おほとの)よりも、すべていとしげう()こえたまふ。(やま)(みかど)()こし()して、いとあはれに御文書(おほんふみか)いたまへり。(みや)は、この御消息(おほんせうそこ)にぞ、()ぐしもたげたまふ。 ところどころおほんとぶらひ、いつのにかとゆ。だいしゃうどのも、かぎりなくおどろきたまうて、まづこえたまへり。ろくでうゐんよりも、ちじおほとのよりも、すべていとしげうこえたまふ。やまみかどこしして、いとあはれにおほんふみかいたまへり。みやは、このおほんせうそこにぞ、ぐしもたげたまふ。
393.7.2372359 ()ごろ(おも)(なや)みたまふと()きわたりつれど、(れい)(あつ)しうのみ()きはべりつるならひに、うちたゆみてなむ。かひなきことをばさるものにて、(おも)(なげ)いたまふらむありさま()(はか)るなむ、あはれに心苦(こころぐる)しき。なべての()のことわりに(おぼ)(なぐさ)めたまへ」 "ごろおもなやみたまふときわたりつれど、れいあつしうのみきはべりつるならひに、うちたゆみてなん。かひなきことをばさるものにて、おもなげいたまふらんありさまはかるなん、あはれにこころぐるしき。なべてののことわりにおぼなぐさめたまへ。"
393.7.3373360 とあり。()()えたまはねど、御返(おほんかへ)()こえたまふ。 とあり。えたまはねど、おほんかへこえたまふ。
393.7.4374361 (つね)にさこそあらめとのたまひけることとて、今日(けふ)やがてをさめたてまつるとて、御甥(おほんをひ)大和守(やまとのかみ)にてありけるぞ、よろづに(あつか)ひきこえける。 つねにさこそあらめとのたまひけることとて、けふやがてをさめたてまつるとて、おほんをひやまとのかみにてありけるぞ、よろづにあつかひきこえける。
393.7.5375362 (から)をだにしばし()たてまつらむとて、(みや)()しみきこえたまひけれど、さてもかひあるべきならねば、(みな)いそぎたちて、ゆゆしげなるほどにぞ、大将(だいしゃう)おはしたる。 からをだにしばしたてまつらんとて、みやしみきこえたまひけれど、さてもかひあるべきならねば、みないそぎたちて、ゆゆしげなるほどにぞ、だいしゃうおはしたる。
393.7.6376363 今日(けふ)より(のち)()ついで()しかりけり」 "けふよりのちついでしかりけり。"
393.7.7377364 など、人聞(ひとぎ)きにはのたまひて、いとも(かな)しうあはれに、(みや)(おぼ)(なげ)くらむことを()(はか)りきこえたまうて、 など、ひとぎきにはのたまひて、いともかなしうあはれに、みやおぼなげくらんことをはかりきこえたまうて、
393.7.8378365 「かくしも(いそ)ぎわたりたまふべきことならず」 "かくしもいそぎわたりたまふべきことならず。"
393.7.9379366 と、(ひと)びといさめきこゆれど、しひておはしましぬ。 と、ひとびといさめきこゆれど、しひておはしましぬ。
393.8380367第八段 夕霧の弔問
393.8.1381368 ほどさへ(とほ)くて、()りたまふほど、いと(こころ)すごし。ゆゆしげに()(へだ)てめぐらしたる儀式(ぎしき)(かた)(かく)して、この西面(にしおもて)()れたてまつる。大和守出(やまとのかみい)()て、()()くかしこまりきこゆ。妻戸(つまど)簀子(すのこ)におし()かりたまうて、女房呼(にょうばうよ)()でさせたまふに、ある(かぎ)り、(こころ)(をさ)まらず、(もの)おぼえぬほどなり。 ほどさへとほくて、りたまふほど、いとこころすごし。ゆゆしげにへだてめぐらしたるぎしきかたかくして、このにしおもてれたてまつる。やまとのかみいて、くかしこまりきこゆ。つまどすのこにおしかりたまうて、にょうばうよでさせたまふに、あるかぎり、こころをさまらず、ものおぼえぬほどなり。
393.8.2382369 かく(わた)りたまへるにぞ、いささか(なぐさ)めて、少将(せうしゃう)(きみ)(まゐ)る。(もの)もえのたまひやらず。(なみだ)もろにおはせぬ心強(こころづよ)さなれど、(ところ)のさま、(ひと)のけはひなどを(おぼ)しやるも、いみじうて、(つね)なき()のありさまの、(ひと)(うへ)ならぬも、いと(かな)しきなりけり。ややためらひて、 かくわたりたまへるにぞ、いささかなぐさめて、せうしゃうきみまゐる。ものもえのたまひやらず。なみだもろにおはせぬこころづよさなれど、ところのさま、ひとのけはひなどをおぼしやるも、いみじうて、つねなきのありさまの、ひとうへならぬも、いとかなしきなりけり。ややためらひて、
393.8.3383370 「よろしうおこたりたまふさまに(うけたまは)りしかば、(おも)うたまへたゆみたりしほどに。(ゆめ)()むるほどはべなるを、いとあさましうなむ」 "よろしうおこたりたまふさまにうけたまはりしかば、おもうたまへたゆみたりしほどに。ゆめむるほどはべなるを、いとあさましうなん。"
393.8.4384371 ()こえたまへり。「(おぼ)したりしさま、これに(おほ)くは御心(みこころ)(みだ)れにしぞかし」と(おぼ)すに、さるべきとは()ひながらも、いとつらき(ひと)御契(おほんちぎ)りなれば、いらへをだにしたまはず。 こえたまへり。"おぼしたりしさま、これにおほくはみこころみだれにしぞかし。"とおぼすに、さるべきとはひながらも、いとつらきひとおほんちぎりなれば、いらへをだにしたまはず。
393.8.5385372 「いかに()こえさせたまふとか、()こえはべるべき」 "いかにこえさせたまふとか、こえはべるべき。"
393.8.6386373 「いと(かる)らかならぬ(おほん)さまにて、かくふりはへ(いそ)(わた)らせたまへる御心(みこころ)ばへを、(おぼ)()かぬやうならむも、あまりにはべりぬべし」 "いとかるらかならぬおほんさまにて、かくふりはへいそわたらせたまへるみこころばへを、おぼかぬやうならんも、あまりにはべりぬべし。"
393.8.7387374 と、口々聞(くちぐちき)こゆれば、 と、くちぐちきこゆれば、
393.8.8388375 「ただ、()(はか)りて。(われ)()ふべきこともおぼえず」 "ただ、はかりて。われふべきこともおぼえず。"
393.8.9389376 とて、()したまへるもことわりにて、 とて、したまへるもことわりにて、
393.8.10390377 「ただ(いま)は、()(ひと)(こと)ならぬ(おほん)ありさまにてなむ。(わた)らせたまへるよしは、()こえさせはべりぬ」 "ただいまは、ひとことならぬおほんありさまにてなん。わたらせたまへるよしは、こえさせはべりぬ。"
393.8.11391378 ()こゆ。この(ひと)びともむせかへるさまなれば、 こゆ。このひとびともむせかへるさまなれば、
393.8.12392379 ()こえやるべき(かた)もなきを。(いま)すこしみづからも(おも)ひのどめ、また(しづ)まりたまひなむに、(まゐ)()む。いかにしてかくにはかにと、その(おほん)ありさまなむゆかしき」 "こえやるべきかたもなきを。いますこしみづからもおもひのどめ、またしづまりたまひなんに、まゐん。いかにしてかくにはかにと、そのおほんありさまなんゆかしき。"
393.8.13393380 とのたまへば、まほにはあらねど、かの(おも)ほし(なげ)きしありさまを、片端(かたはし)づつ()こえて、 とのたまへば、まほにはあらねど、かのおもほしなげきしありさまを、かたはしづつこえて、
393.8.14394381 「かこちきこえさするさまになむ、なりはべりぬべき。今日(けふ)は、いとど(みだ)りがはしき心地(ここち)どもの(まど)ひに、()こえさせ(たが)ふることどももはべりなむ。さらば、かく(おぼ)(まど)へる御心地(みここち)も、(かぎ)りあることにて、すこし(しづ)まらせたまひなむほどに、()こえさせ(うけたまは)らむ」 "かこちきこえさするさまになん、なりはべりぬべき。けふは、いとどみだりがはしきここちどものまどひに、こえさせたがふることどももはべりなん。さらば、かくおぼまどへるみここちも、かぎりあることにて、すこししづまらせたまひなんほどに、こえさせうけたまはらん。"
393.8.15395382 とて、(われ)にもあらぬさまなれば、のたまひ()づることも(くち)ふたがりて、 とて、われにもあらぬさまなれば、のたまひづることもくちふたがりて、
393.8.16396383 「げにこそ、(やみ)(まど)へる心地(ここち)すれ。なほ、()こえ(なぐさ)めたまひて、いささかの御返(おほんかへ)りもあらばなむ」 "げにこそ、やみまどへるここちすれ。なほ、こえなぐさめたまひて、いささかのおほんかへりもあらばなん。"
393.8.17397384 などのたまひおきて、()ちわづらひたまふも、軽々(かるがる)しう、さすがに人騒(ひとさわ)がしければ、(かへ)りたまひぬ。 などのたまひおきて、ちわづらひたまふも、かるがるしう、さすがにひとさわがしければ、かへりたまひぬ。
393.9398385第九段 御息所の葬儀
393.9.1399386 今宵(こよひ)しもあらじと(おも)ひつる(こと)どものしたため、いとほどなく際々(きはぎは)しきを、いとあへなしと(おぼ)いて、(ちか)御荘(みさう)(ひと)びと()(おほ)せて、さるべき(こと)ども(つか)うまつるべく、おきて(さだ)めて()でたまひぬ。(こと)のにはかなれば、()ぐやうなりつることども、いかめしう、人数(ひとかず)なども()ひてなむ。大和守(やまとのかみ)も、 こよひしもあらじとおもひつることどものしたため、いとほどなくきはぎはしきを、いとあへなしとおぼいて、ちかみさうひとびとおほせて、さるべきことどもつかうまつるべく、おきてさだめてでたまひぬ。ことのにはかなれば、ぐやうなりつることども、いかめしう、ひとかずなどもひてなん。やまとのかみも、
393.9.2400387 「ありがたき殿(との)御心(おほんこころ)おきて」 "ありがたきとのおほんこころおきて。"
393.9.3401388 など、(よろこ)びかしこまりきこゆ。「名残(なごり)だになくあさましきこと」と、(みや)()しまろびたまへど、かひなし。(おや)()こゆとも、いとかくはならはすまじきものなりけり。()たてまつる(ひと)びとも、この御事(おほんこと)を、またゆゆしう(なげ)ききこゆ。大和守(やまとのかみ)(のこ)りのことどもしたためて、 など、よろこびかしこまりきこゆ。"なごりだになくあさましきこと。"と、みやしまろびたまへど、かひなし。おやこゆとも、いとかくはならはすまじきものなりけり。たてまつるひとびとも、このおほんことを、またゆゆしうなげききこゆ。やまとのかみのこりのことどもしたためて、
393.9.4402389 「かく心細(こころぼそ)くては、えおはしまさじ。いと御心(みこころ)(ひま)あらじ」 "かくこころぼそくては、えおはしまさじ。いとみこころひまあらじ。"
393.9.5403390 など()こゆれど、なほ、(みね)(けぶり)をだに、気近(けぢか)くて(おも)()できこえむと、この山里(やまざと)()()てなむと(おぼ)いたり。 などこゆれど、なほ、みねけぶりをだに、けぢかくておもできこえんと、このやまざとてなんとおぼいたり。
393.9.6404391 御忌(おほんいみ)()もれる(そう)は、東面(ひんがしおもて)、そなたの渡殿(わたどの)下屋(しもや)などに、はかなき(へだ)てしつつ、かすかにゐたり。西(にし)(ひさし)をやつして、(みや)はおはします。()()るるも(おぼ)()かねど、(つき)ごろ()ければ、九月(ながつき)になりぬ。 おほんいみもれるそうは、ひんがしおもて、そなたのわたどのしもやなどに、はかなきへだてしつつ、かすかにゐたり。にしひさしをやつして、みやはおはします。るるもおぼかねど、つきごろければ、ながつきになりぬ。
394405392第四章 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧
394.1406393第一段 夕霧、返事を得られず
394.1.1407394 山下(やまお)ろしいとはげしう、()()(かく)ろへなくなりて、よろづの(こと)いといみじきほどなれば、おほかたの(そら)にもよほされて、()()もなく(おぼ)(なげ)き、「(いのち)さへ(こころ)にかなはず」と、(いと)はしういみじう(おぼ)す。さぶらふ(ひと)びとも、よろづにもの(かな)しう(おも)(まど)へり。 やまおろしいとはげしう、かくろへなくなりて、よろづのこといといみじきほどなれば、おほかたのそらにもよほされて、もなくおぼなげき、"いのちさへこころにかなはず。"と、いとはしういみじうおぼす。さぶらふひとびとも、よろづにものかなしうおもまどへり。
394.1.2408395 大将殿(だいしゃうどの)は、日々(ひび)(とぶ)らひきこえたまふ。(さび)しげなる念仏(ねんぶつ)(そう)など、(なぐさ)むばかり、よろづの(もの)(つか)はし(とぶ)らはせたまひ、(みや)御前(おまへ)には、あはれに心深(こころふか)(こと)()()くして(うら)みきこえ、かつは、()きもせぬ御訪(おほんとぶ)らひを()こえたまへど、()りてだに御覧(ごらん)ぜず、すずろにあさましきことを、(よわ)れる御心地(みここち)に、(うたが)ひなく(おぼ)ししみて、()()せたまひにしことを(おぼ)()づるに、「(のち)()御罪(おほんつみ)にさへやなるらむ」と、(むね)()心地(ここち)して、この(ひと)(おほん)ことをだにかけて()きたまふは、いとどつらく心憂(こころう)(なみだ)のもよほしに(おぼ)さる。(ひと)びとも()こえわづらひぬ。 だいしゃうどのは、ひびとぶらひきこえたまふ。さびしげなるねんぶつそうなど、なぐさむばかり、よろづのものつかはしとぶらはせたまひ、みやおまへには、あはれにこころふかことくしてうらみきこえ、かつは、きもせぬおほんとぶらひをこえたまへど、りてだにごらんぜず、すずろにあさましきことを、よわれるみここちに、うたがひなくおぼししみて、せたまひにしことをおぼづるに、"のちおほんつみにさへやなるらん。"と、むねここちして、このひとおほんことをだにかけてきたまふは、いとどつらくこころうなみだのもよほしにおぼさる。ひとびともこえわづらひぬ。
394.1.3409396 一行(ひとくだり)御返(おほんかへ)りをだにもなきを、「しばしは心惑(こころまど)ひしたまへる」など(おぼ)しけるに、あまりにほど()ぬれば、 ひとくだりおほんかへりをだにもなきを、"しばしはこころまどひしたまへる。"などおぼしけるに、あまりにほどぬれば、
394.1.4410397 (かな)しきことも(かぎ)りあるを。などか、かく、あまり見知(みし)りたまはずはあるべき。いふかひなく若々(わかわか)しきやうに」と(うら)めしう、「異事(ことこと)(すぢ)に、(はな)(てふ)やと()けばこそあらめ、わが(こころ)にあはれと(おも)ひ、もの(なげ)かしき(かた)ざまのことを、いかにと()(ひと)は、(むつ)ましうあはれにこそおぼゆれ。 "かなしきこともかぎりあるを。などか、かく、あまりみしりたまはずはあるべき。いふかひなくわかわかしきやうに。"とうらめしう、"ことことすぢに、はなてふやとけばこそあらめ、わがこころにあはれとおもひ、ものなげかしきかたざまのことを、いかにとひとは、むつましうあはれにこそおぼゆれ。
394.1.5411398 大宮(おほみや)()せたまへりしを、いと(かな)しと(おも)ひしに、致仕(ちじ)大臣(おとど)のさしも(おも)ひたまへらず、ことわりの()(わか)れに、公々(おほやけおほやけ)しき作法(さほふ)ばかりのことを(けう)じたまひしに、つらく(こころ)づきなかりしに、六条院(ろくでうのゐん)の、なかなかねむごろに、(のち)御事(おほんこと)をも(いとな)みたまうしが、わが(かた)ざまといふ(なか)にも、うれしう()たてまつりしその(をり)に、故衛門督(こゑもんのかみ)をば、()()きて(おも)ひつきにしぞかし。 おほみやせたまへりしを、いとかなしとおもひしに、ちじおとどのさしもおもひたまへらず、ことわりのわかれに、おほやけおほやけしきさほふばかりのことをけうじたまひしに、つらくこころづきなかりしに、ろくでうのゐんの、なかなかねんごろに、のちおほんことをもいとなみたまうしが、わがかたざまといふなかにも、うれしうたてまつりしそのをりに、こゑもんのかみをば、きておもひつきにしぞかし。
394.1.6412399 人柄(ひとがら)のいたう(しづ)まりて、(もの)をいたう(おも)ひとどめたりし(こころ)に、あはれもまさりて、(ひと)より(ふか)かりしが、なつかしうおぼえし」 ひとがらのいたうしづまりて、ものをいたうおもひとどめたりしこころに、あはれもまさりて、ひとよりふかかりしが、なつかしうおぼえし。"
394.1.7413400 など、つれづれとものをのみ(おぼ)(つづ)けて、()かし()らしたまふ。 など、つれづれとものをのみおぼつづけて、かしらしたまふ。
394.2414401第二段 雲居雁の嘆きの歌
394.2.1415402 女君(をんなぎみ)、なほこの御仲(おほんなか)のけしきを、 をんなぎみ、なほこのおほんなかのけしきを、
394.2.2416403 「いかなるにかありけむ。御息所(みやすんどころ)とこそ、文通(ふみかよ)はしも、こまやかにしたまふめりしか」 "いかなるにかありけん。みやすんどころとこそ、ふみかよはしも、こまやかにしたまふめりしか。"
394.2.3417404 など(おも)()がたくて、夕暮(ゆふぐれ)(そら)(なが)()りて()したまへるところに、若君(わかぎみ)してたてまつれたまへる。はかなき(かみ)(はし)に、 などおもがたくて、ゆふぐれそらながりてしたまへるところに、わかぎみしてたてまつれたまへる。はかなきかみはしに、
394.2.4418405 「あはれをもいかに()りてか(なぐさ)めむ<BR/>あるや(こひ)しき()きや(かな)しき "〔あはれをもいかにりてかなぐさめん<BR/>あるやこひしききやかなしき
394.2.5419406 おぼつかなきこそ心憂(こころう)けれ」 おぼつかなきこそこころうけれ。"
394.2.6420407 とあれば、ほほ()みて、 とあれば、ほほみて、
394.2.7421408 (さき)ざきも、かく(おも)()りてのたまふ、()げなの、()きがよそへや」 "さきざきも、かくおもりてのたまふ、げなの、きがよそへや。"
394.2.8422409 (おぼ)す。いとどしく、ことなしびに、 おぼす。いとどしく、ことなしびに、
394.2.9423410 「いづれとか()きて(なが)めむ()えかへる<BR/>(つゆ)草葉(くさば)のうへと()() "〔いづれとかきてながめんえかへる<BR/>つゆくさばのうへと
394.2.10424411 おほかたにこそ(かな)しけれ」 おほかたにこそかなしけれ。"
394.2.11425412 ()いたまへり。「なほ、かく(へだ)てたまへること」と、(つゆ)のあはれをばさしおきて、ただならず(なげ)きつつおはす。 いたまへり。"なほ、かくへだてたまへること。"と、つゆのあはれをばさしおきて、ただならずなげきつつおはす。
394.2.12426413 なほ、かくおぼつかなく(おぼ)しわびて、また(わた)りたまへり。「御忌(おほんいみ)など()ぐしてのどやかに」と(おぼ)(しづ)めけれど、さまでもえ(しの)びたまはず、 なほ、かくおぼつかなくおぼしわびて、またわたりたまへり。"おほんいみなどぐしてのどやかに。"とおぼしづめけれど、さまでもえしのびたまはず、
394.2.13427414 (いま)はこの(おほん)なき()の、(なに)かはあながちにもつつまむ。ただ()づきて、つひの(おも)ひかなふべきにこそは」 "いまはこのおほんなきの、なにかはあながちにもつつまん。ただづきて、つひのおもひかなふべきにこそは。"
394.2.14428415 と、(おぼ)したばかりにければ、(きた)(かた)御思(おほんおも)ひやりを、あながちにもあらがひきこえたまはず。 と、おぼしたばかりにければ、きたかたおほんおもひやりを、あながちにもあらがひきこえたまはず。
394.2.15429416 正身(さうじみ)(つよ)(おぼ)(はな)るとも、かの一夜(ひとよ)ばかりの御恨(おほんうら)(ぶみ)をとらへどころにかこちて、「えしも、すすぎ()てたまはじ」と、(たの)もしかりけり。 さうじみつよおぼはなるとも、かのひとよばかりのおほんうらぶみをとらへどころにかこちて、"えしも、すすぎてたまはじ。"と、たのもしかりけり。
394.3430417第三段 九月十日過ぎ、小野山荘を訪問
394.3.1431418 九月十余日(くがつじふよにち)野山(のやま)のけしきは、(ふか)見知(みし)らぬ(ひと)だに、ただにやはおぼゆる。山風(やまかぜ)()へぬ木々(きぎ)(こずゑ)も、(みね)葛葉(くずは)も、(こころ)あわたたしう(あらそ)()(まぎ)れに、(たふと)読経(どきゃう)(こゑ)かすかに、念仏(ねんぶつ)などの(こゑ)ばかりして、(ひと)のけはひいと(すく)なう、木枯(こがらし)()(はら)ひたるに、鹿(しか)はただ(まがき)のもとにたたずみつつ、山田(やまだ)引板(ひた)にもおどろかず、色濃(いろこ)(いね)どもの(なか)()じりてうち()くも、(うれ)(がほ)なり。 くがつじふよにちのやまのけしきは、ふかみしらぬひとだに、ただにやはおぼゆる。やまかぜへぬきぎこずゑも、みねくずはも、こころあわたたしうあらそまぎれに、たふとどきゃうこゑかすかに、ねんぶつなどのこゑばかりして、ひとのけはひいとすくなう、こがらしはらひたるに、しかはただまがきのもとにたたずみつつ、やまだひたにもおどろかず、いろこいねどものなかじりてうちくも、うれがほなり。
394.3.2432420 (たき)(こゑ)は、いとどもの(おも)(ひと)をおどろかし(がほ)に、(みみ)かしかましうとどろき(ひび)く。(くさ)むらの(むし)のみぞ、よりどころなげに()(よわ)りて、()れたる(くさ)(した)より、龍胆(りんだう)の、われひとりのみ心長(こころなが)うはひ()でて、(つゆ)けく()ゆるなど、皆例(みなれい)のこのころのことなれど、(をり)から(ところ)からにや、いと()へがたきほどの、もの(がな)しさなり。 たきこゑは、いとどものおもひとをおどろかしがほに、みみかしかましうとどろきひびく。くさむらのむしのみぞ、よりどころなげによわりて、れたるくさしたより、りんだうの、われひとりのみこころながうはひでて、つゆけくゆるなど、みなれいのこのころのことなれど、をりからところからにや、いとへがたきほどの、ものがなしさなり。
394.3.3433421 (れい)妻戸(つまど)のもとに()()りたまひて、やがて(なが)()だして()ちたまへり。なつかしきほどの直衣(なほし)に、(いろ)こまやかなる御衣(おほんぞ)擣目(うちめ)、いとけうらに()きて、影弱(かげよわ)りたる夕日(ゆふひ)の、さすがに何心(なにごころ)もなうさし()たるに、まばゆげに、わざとなく(あふぎ)をさし(かく)したまへる()つき、「(をんな)こそかうはあらまほしけれ、それだにえあらぬを」と、()たてまつる。 れいつまどのもとにりたまひて、やがてながだしてちたまへり。なつかしきほどのなほしに、いろこまやかなるおほんぞうちめ、いとけうらにきて、かげよわりたるゆふひの、さすがになにごころもなうさしたるに、まばゆげに、わざとなくあふぎをさしかくしたまへるつき、"をんなこそかうはあらまほしけれ、それだにえあらぬを。"と、たてまつる。
394.3.4434422 もの(おも)ひの(なぐさ)めにしつべく、()ましき(かほ)(にほ)ひにて、少将(せうしゃう)(きみ)を、()()きて()()す。簀子(すのこ)のほどもなけれど、(おく)(ひと)()ひゐたらむとうしろめたくて、えこまやかにも(かた)らひたまはず。 ものおもひのなぐさめにしつべく、ましきかほにほひにて、せうしゃうきみを、きてす。すのこのほどもなけれど、おくひとひゐたらんとうしろめたくて、えこまやかにもかたらひたまはず。
394.3.5435423 「なほ(ちか)くて。な(はな)ちたまひそ。かく山深(やまふか)()()(こころ)ざしは、(へだ)(のこ)るべくやは。(きり)もいと(ふか)しや」 "なほちかくて。なはなちたまひそ。かくやまふかこころざしは、へだのこるべくやは。きりもいとふかしや。"
394.3.6436424 とて、わざとも見入(みい)れぬさまに、(やま)(かた)(なが)めて、「なほ、なほ」と(せち)にのたまへば、鈍色(にびいろ)几帳(きちゃう)を、(すだれ)のつまよりすこしおし()でて、(すそ)をひきそばめつつゐたり。大和守(やまとのかみ)(いもうと)なれば、(はな)れたてまつらぬうちに、(をさな)くより()ほし()てたまうければ、(きぬ)(いろ)いと()くて、(つるばみ)衣一襲(きぬひとかさね)小袿着(こうちきき)たり。 とて、わざともみいれぬさまに、やまかたながめて、"なほ、なほ。"とせちにのたまへば、にびいろきちゃうを、すだれのつまよりすこしおしでて、すそをひきそばめつつゐたり。やまとのかみいもうとなれば、はなれたてまつらぬうちに、をさなくよりほしてたまうければ、きぬいろいとくて、つるばみきぬひとかさねこうちききたり。
394.3.7437425 「かく()きせぬ(おほん)ことは、さるものにて、()こえなむ(かた)なき御心(みこころ)のつらさを(おも)()ふるに、心魂(こころだましひ)もあくがれ()てて、()(ひと)ごとに(とが)められはべれば、(いま)はさらに(しの)ぶべき(かた)なし」 "かくきせぬおほんことは、さるものにて、こえなんかたなきみこころのつらさをおもふるに、こころだましひもあくがれてて、ひとごとにとがめられはべれば、いまはさらにしのぶべきかたなし。"
394.3.8438426 と、いと(おほ)(うら)(つづ)けたまふ。かの(いま)はの御文(おほんふみ)のさまものたまひ()でて、いみじう()きたまふ。 と、いとおほうらつづけたまふ。かのいまはのおほんふみのさまものたまひでて、いみじうきたまふ。
394.4439427第四段 板ばさみの小少将君
394.4.1440428 この(ひと)も、ましていみじう()()りつつ、 このひとも、ましていみじうりつつ、
394.4.2441429 「その()御返(おほんかへ)りさへ()えはべらずなりにしを、(いま)(かぎ)りの御心(みこころ)に、やがて(おぼ)()りて、(くら)うなりにしほどの(そら)のけしきに、御心地惑(みここちまど)ひにけるを、さる弱目(よわめ)に、(れい)(おほん)もののけの()()れたてまつる、となむ()たまへし。 "そのおほんかへりさへえはべらずなりにしを、いまかぎりのみこころに、やがておぼりて、くらうなりにしほどのそらのけしきに、みここちまどひにけるを、さるよわめに、れいおほんもののけのれたてまつる、となんたまへし。
394.4.3442430 ()ぎにし(おほん)ことにも、ほとほと御心惑(みこころまど)ひぬべかりし折々多(をりをりおほ)くはべりしを、(みや)(おな)じさまに(しづ)みたまうしを、こしらへきこえむの御心強(みこころづよ)さになむ、やうやうものおぼえたまうし。この御嘆(おほんなげ)きをば、御前(おまへ)には、ただわれかの()けしきにて、あきれて()らさせたまうし」 ぎにしおほんことにも、ほとほとみこころまどひぬべかりしをりをりおほくはべりしを、みやおなじさまにしづみたまうしを、こしらへきこえんのみこころづよさになん、やうやうものおぼえたまうし。このおほんなげきをば、おまへには、ただわれかのけしきにて、あきれてらさせたまうし。"
394.4.4443431 など、とめがたげにうち(なげ)きつつ、はかばかしうもあらず()こゆ。 など、とめがたげにうちなげきつつ、はかばかしうもあらずこゆ。
394.4.5444432 「そよや。そもあまりにおぼめかしう、いふかひなき御心(みこころ)なり。(いま)は、かたじけなくとも、(たれ)をかはよるべに(おも)ひきこえたまはむ。御山住(みやまず)みも、いと(ふか)(みね)に、()(なか)(おぼ)()えたる(くも)(なか)なめれば、()こえ(かよ)ひたまはむこと(かた)し。 "そよや。そもあまりにおぼめかしう、いふかひなきみこころなり。いまは、かたじけなくとも、たれをかはよるべにおもひきこえたまはん。みやまずみも、いとふかみねに、なかおぼえたるくもなかなめれば、こえかよひたまはんことかたし。
394.4.6445433 いとかく心憂(こころう)()けしき、()こえ()らせたまへ。よろづのこと、さるべきにこそ。()にあり()じと(おぼ)すとも、(したが)はぬ()なり。まづは、かかる御別(おほんわか)れの、御心(みこころ)にかなはば、あるべきことかは」 いとかくこころうけしき、こえらせたまへ。よろづのこと、さるべきにこそ。にありじとおぼすとも、したがはぬなり。まづは、かかるおほんわかれの、みこころにかなはば、あるべきことかは。"
394.4.7446434 など、よろづに(おほ)くのたまへど、()こゆべきこともなくて、うち(なげ)きつつゐたり。鹿(しか)のいといたく()くを、「われ(おと)らめや」とて、 など、よろづにおほくのたまへど、こゆべきこともなくて、うちなげきつつゐたり。しかのいといたくくを、"われおとらめや。"とて、
394.4.8447435 里遠(さととほ)小野(をの)篠原(しのはら)わけて()て<BR/>(われ)鹿(しか)こそ(こゑ)()しまね」 "〔さととほをのしのはらわけてて<BR/>われしかこそこゑしまね〕
394.4.9448436 とのたまへば、 とのたまへば、
394.4.10449437 藤衣露(ふぢごろもつゆ)けき(あき)山人(やまびと)は<BR/>鹿(しか)()()()をぞ()へつる」 "〔ふぢごろもつゆけきあきやまびとは<BR/>しかをぞへつる〕
394.4.11450438 よからねど、(をり)からに、(しの)びやかなる(こわ)づかひなどを、よろしう()きなしたまへり。 よからねど、をりからに、しのびやかなるこわづかひなどを、よろしうきなしたまへり。
394.4.12451439 御消息(おほんせうそこ)とかう()こえたまへど、 おほんせうそことかうこえたまへど、
394.4.13452440 (いま)は、かくあさましき(ゆめ)()を、すこしも(おも)()ます(をり)あらばなむ、()えぬ(おほん)とぶらひも()こえやるべき」 "いまは、かくあさましきゆめを、すこしもおもますをりあらばなん、えぬおほんとぶらひもこえやるべき。"
394.4.14453441 とのみ、すくよかに()はせたまふ。「いみじういふかひなき御心(みこころ)なりけり」と、(なげ)きつつ(かへ)りたまふ。 とのみ、すくよかにはせたまふ。"いみじういふかひなきみこころなりけり。"と、なげきつつかへりたまふ。
394.5454442第五段 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅
394.5.1455443 (みち)すがらも、あはれなる(そら)(なが)めて、十三日(じふさんにち)(つき)のいとはなやかにさし()でぬれば、小倉(をぐら)(やま)もたどるまじうおはするに、一条(いちでう)(みや)(みち)なりけり。 みちすがらも、あはれなるそらながめて、じふさんにちつきのいとはなやかにさしでぬれば、をぐらやまもたどるまじうおはするに、いちでうみやみちなりけり。
394.5.2456444 いとどうちあばれて、未申(ひつじさる)(かた)(くづ)れたるを見入(みい)るれば、はるばると()ろし()めて、人影(ひとかげ)()えず。(つき)のみ遣水(やりみづ)(おもて)をあらはに()みましたるに、大納言(だいなごん)、ここにて(あそ)びなどしたまうし折々(をりをり)を、(おも)()でたまふ。 いとどうちあばれて、ひつじさるかたくづれたるをみいるれば、はるばるとろしめて、ひとかげえず。つきのみやりみづおもてをあらはにみましたるに、だいなごん、ここにてあそびなどしたまうしをりをりを、おもでたまふ。
394.5.3457445 ()(ひと)影澄(かげす)()てぬ池水(いけみづ)に<BR/>ひとり宿守(やども)(あき)()(つき) "〔ひとかげすてぬいけみづに<BR/>ひとりやどもあきつき〕"
394.5.4458446 (ひと)りごちつつ、殿(との)におはしても、(つき)()つつ、(こころ)(そら)にあくがれたまへり。 ひとりごちつつ、とのにおはしても、つきつつ、こころそらにあくがれたまへり。
394.5.5459447 「さも見苦(みぐる)しう。あらざりし御癖(おほんくせ)かな」 "さもみぐるしう。あらざりしおほんくせかな。"
394.5.6460448 と、御達(ごたち)(にく)みあへり。(うへ)は、まめやかに心憂(こころう)く、 と、ごたちにくみあへり。うへは、まめやかにこころうく、
394.5.7461449 「あくがれたちぬる御心(みこころ)なめり。もとよりさる(かた)にならひたまへる六条(ろくでう)(ゐん)(ひと)びとを、ともすればめでたきためしにひき()でつつ、(こころ)よからずあいだちなきものに(おも)ひたまへる、わりなしや。(われ)も、(むかし)よりしかならひなましかば、人目(ひとめ)()れて、なかなか()ごしてまし。()のためしにしつべき御心(みこころ)ばへと、親兄弟(おやはらから)よりはじめたてまつり、めやすきあえものにしたまへるを、ありありては、(すゑ)(はぢ)がましきことやあらむ」 "あくがれたちぬるみこころなめり。もとよりさるかたにならひたまへるろくでうゐんひとびとを、ともすればめでたきためしにひきでつつ、こころよからずあいだちなきものにおもひたまへる、わりなしや。われも、むかしよりしかならひなましかば、ひとめれて、なかなかごしてまし。のためしにしつべきみこころばへと、おやはらからよりはじめたてまつり、めやすきあえものにしたまへるを、ありありては、すゑはぢがましきことやあらん。"
394.5.8462450 など、いといたう(なげ)いたまへり。 など、いといたうなげいたまへり。
394.5.9463451 夜明(よあ)方近(がたちか)く、かたみにうち()でたまふことなくて、(そむ)(そむ)きに(なげ)()かして、朝霧(あさぎり)()()()たず、(れい)の、(ふみ)をぞ(いそ)()きたまふ。いと(こころ)づきなしと(おぼ)せど、ありしやうにも()ひたまはず。いとこまやかに()きて、うち()きてうそぶきたまふ。(しの)びたまへど、()りて()きつけらる。 よあがたちかく、かたみにうちでたまふことなくて、そむそむきになげかして、あさぎりたず、れいの、ふみをぞいそきたまふ。いとこころづきなしとおぼせど、ありしやうにもひたまはず。いとこまやかにきて、うちきてうそぶきたまふ。しのびたまへど、りてきつけらる。
394.5.10464452 「いつとかはおどろかすべき()けぬ()の<BR/>夢覚(ゆめさ)めてとか()ひしひとこと "〔いつとかはおどろかすべきけぬの<BR/>ゆめさめてとかひしひとこと
394.5.11465453 (うへ)より()つる」 うへよりつる。"
394.5.12466454 とや()いたまひつらむ、おし(つつ)みて、名残(なごり)も、「いかでよからむ」など(くち)ずさびたまへり。人召(ひとめ)して(たま)ひつ。「御返(おほんかへ)(こと)をだに()つけてしがな。なほ、いかなることぞ」と、けしき()まほしう(おぼ)す。 とやいたまひつらん、おしつつみて、なごりも、"いかでよからん。"などくちずさびたまへり。ひとめしてたまひつ。"おほんかへことをだにつけてしがな。なほ、いかなることぞ。"と、けしきまほしうおぼす。
394.6467455第六段 落葉宮の返歌が届く
394.6.1468456 ()たけてぞ()(まゐ)れる。(むらさき)のこまやかなる(かみ)すくよかにて、小少将(こせうしゃう)ぞ、(れい)()こえたる。ただ(おな)じさまに、かひなきよしを()きて、 たけてぞまゐれる。むらさきのこまやかなるかみすくよかにて、こせうしゃうぞ、れいこえたる。ただおなじさまに、かひなきよしをきて、
394.6.2469457 「いとほしさに、かのありつる御文(おほんふみ)に、手習(てなら)ひすさびたまへるを(ぬす)みたる」 "いとほしさに、かのありつるおほんふみに、てならひすさびたまへるをぬすみたる。"
394.6.3470458 とて、(なか)にひき()りて()れたる、「()には()たまうてけり」と、(おぼ)すばかりのうれしさぞ、いと人悪(ひとわ)ろかりける。そこはかとなく()きたまへるを、見続(みつづ)けたまへれば、 とて、なかにひきりてれたる、"にはたまうてけり。"と、おぼすばかりのうれしさぞ、いとひとわろかりける。そこはかとなくきたまへるを、みつづけたまへれば、
394.6.4471459 朝夕(あさゆふ)()()()つる小野山(をのやま)は<BR/>()えぬ(なみだ)音無(おとなし)(たき) "〔あさゆふつるをのやまは<BR/>えぬなみだおとなしたき〕"
394.6.5472460 とや、とりなすべからむ、古言(ふること)など、もの(おも)はしげに()(みだ)りたまへる、御手(おほんて)なども見所(みどころ)あり。 とや、とりなすべからん、ふることなど、ものおもはしげにみだりたまへる、おほんてなどもみどころあり。
394.6.6473461 (ひと)(うへ)などにて、かやうの()心思(ごころおも)()らるるは、もどかしう、うつし(ごころ)ならぬことに見聞(みき)きしかど、()のことにては、げにいと()へがたかるべきわざなりけり。あやしや。など、かうしも(おも)ふべき心焦(こころい)られぞ」 "ひとうへなどにて、かやうのごころおもらるるは、もどかしう、うつしごころならぬことにみききしかど、のことにては、げにいとへがたかるべきわざなりけり。あやしや。など、かうしもおもふべきこころいられぞ。"
394.6.7474462 (おも)(かへ)したまへど、えしもかなはず。 おもかへしたまへど、えしもかなはず。
395475463第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
395.1476464第一段 源氏や紫の上らの心配
395.1.1477465 六条院(ろくでうのゐん)にも()こし()して、いとおとなしうよろづを(おも)ひしづめ、(ひと)のそしりどころなく、めやすくて()ぐしたまふを、おもだたしう、わがいにしへ、すこしあざればみ、あだなる()()りたまうし面起(おもてお)こしに、うれしう(おぼ)しわたるを、 ろくでうのゐんにもこしして、いとおとなしうよろづをおもひしづめ、ひとのそしりどころなく、めやすくてぐしたまふを、おもだたしう、わがいにしへ、すこしあざればみ、あだなるりたまうしおもておこしに、うれしうおぼしわたるを、
395.1.2478466 「いとほしう、いづ(かた)にも心苦(こころぐる)しきことのあるべきこと。さし(はな)れたる(なか)らひにてだにあらで、大臣(おとど)なども、いかに(おも)ひたまはむ。さばかりのこと、たどらぬにはあらじ。宿世(すくせ)といふもの、(のが)れわびぬることなり。ともかくも口入(くちい)るべきことならず」 "いとほしう、いづかたにもこころぐるしきことのあるべきこと。さしはなれたるなからひにてだにあらで、おとどなども、いかにおもひたまはん。さばかりのこと、たどらぬにはあらじ。すくせといふもの、のがれわびぬることなり。ともかくもくちいるべきことならず。"
395.1.3479467 (おぼ)す。(をんな)のためのみにこそ、いづ(かた)にもいとほしけれと、あいなく()こしめし(なげ)く。 おぼす。をんなのためのみにこそ、いづかたにもいとほしけれと、あいなくこしめしなげく。
395.1.4480468 (むらさき)(うへ)にも、()方行(かたゆ)(さき)のこと(おぼ)()でつつ、かうやうのためしを()くにつけても、()からむ(のち)、うしろめたう(おも)ひきこゆるさまをのたまへば、御顔(おほんかほ)うち(あか)めて、「心憂(こころう)く、さまで(おく)らかしたまふべきにや」と(おぼ)したり。 むらさきうへにも、かたゆさきのことおぼでつつ、かうやうのためしをくにつけても、からんのち、うしろめたうおもひきこゆるさまをのたまへば、おほんかほうちあかめて、"こころうく、さまでおくらかしたまふべきにや。"とおぼしたり。
395.1.5481469 (をんな)ばかり、()をもてなすさまも所狭(ところせ)う、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、(をり)をかしきことをも、見知(みし)らぬさまに()()(しづ)みなどすれば、(なに)につけてか、()()()えばえしさも、(つね)なき()のつれづれをも(なぐさ)むべきぞは。 "をんなばかり、をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、をりをかしきことをも、みしらぬさまにしづみなどすれば、なににつけてか、えばえしさも、つねなきのつれづれをもなぐさむべきぞは。
395.1.6482470 おほかた、ものの(こころ)()らず、いふかひなきものにならひたらむも、()ほしたてけむ(おや)も、いと口惜(くちを)しかるべきものにはあらずや。 おほかた、もののこころらず、いふかひなきものにならひたらんも、ほしたてけんおやも、いとくちをしかるべきものにはあらずや。
395.1.7483471 (こころ)にのみ()めて、無言太子(むごんたいし)とか、小法師(こぼふし)ばらの(かな)しきことにする(むかし)のたとひのやうに、()しきこと()きことを(おも)()りながら、(うづ)もれなむも、いふかひなし。わが(こころ)ながらも、()きほどには、いかで(たも)つべきぞ」 こころにのみめて、むごんたいしとか、こぼふしばらのかなしきことにするむかしのたとひのやうに、しきこときことをおもりながら、うづもれなんも、いふかひなし。わがこころながらも、きほどには、いかでたもつべきぞ。"
395.1.8484472 (おぼ)しめぐらすも、(いま)はただ女一(をんないち)(みや)(おほん)ためなり。 おぼしめぐらすも、いまはただをんないちみやおほんためなり。
395.2485473第二段 夕霧、源氏に対面
395.2.1486474 大将(だいしゃう)(きみ)(まゐ)りたまへるついでありて、(おも)ひたまへらむけしきもゆかしければ、 だいしゃうきみまゐりたまへるついでありて、おもひたまへらんけしきもゆかしければ、
395.2.2487475 御息所(みやすんどころ)忌果(いみは)てぬらむな。昨日今日(きのふけふ)(おも)ふほどに、三年(みとせ)よりあなたのことになる()にこそあれ。あはれに、あぢきなしや。(ゆふ)べの(つゆ)かかるほどのむさぼりよ。いかでかこの髪剃(かみそ)りて、よろづ(そむ)()てむと(おも)ふを、さものどやかなるやうにても()ぐすかな。いと()ろきわざなりや」 "みやすんどころいみはてぬらんな。きのふけふおもふほどに、みとせよりあなたのことになるにこそあれ。あはれに、あぢきなしや。ゆふべのつゆかかるほどのむさぼりよ。いかでかこのかみそりて、よろづそむてんとおもふを、さものどやかなるやうにてもぐすかな。いとろきわざなりや。"
395.2.3488476 とのたまふ。 とのたまふ。
395.2.4489477 「まことに()しげなき(ひと)だにこそ、はべめれ」など()こえて、「御息所(みやすんどころ)四十九日(なななぬか)のわざなど、大和守(やまとのかみ)なにがしの朝臣(あそん)一人扱(ひとりあつか)ひはべる、いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなき(ひと)は、()ける()(かぎ)りにて、かかる()()てこそ、(かな)しうはべりけれ」 "まことにしげなきひとだにこそ、はべめれ。"などこえて、"みやすんどころなななぬかのわざなど、やまとのかみなにがしのあそんひとりあつかひはべる、いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなきひとは、けるかぎりにて、かかるてこそ、かなしうはべりけれ。"
395.2.5490478 と、()こえたまふ。 と、こえたまふ。
395.2.6491479 (ゐん)よりも(とぶ)らはせたまふらむ。かの皇女(みこ)、いかに(おも)(なげ)きたまふらむ。はやう()きしよりは、この(ちか)(とし)ごろ、ことに()れて()()るに、この更衣(かうい)こそ、口惜(くちを)しからずめやすき(ひと)のうちなりけれ。おほかたの()につけて、()しきわざなりや。さてもありぬべき(ひと)の、かう()せゆくよ。 "ゐんよりもとぶらはせたまふらん。かのみこ、いかにおもなげきたまふらん。はやうきしよりは、このちかとしごろ、ことにれてるに、このかういこそ、くちをしからずめやすきひとのうちなりけれ。おほかたのにつけて、しきわざなりや。さてもありぬべきひとの、かうせゆくよ。
395.2.7492480 (ゐん)も、いみじう(おどろ)(おぼ)したりけり。かの皇女(みこ)こそは、ここにものしたまふ入道(にふだう)(みや)よりさしつぎには、らうたうしたまひけれ。(ひと)ざまもよくおはすべし」 ゐんも、いみじうおどろおぼしたりけり。かのみここそは、ここにものしたまふにふだうみやよりさしつぎには、らうたうしたまひけれ。ひとざまもよくおはすべし。"
395.2.8493481 とのたまふ。 とのたまふ。
395.2.9494482 御心(みこころ)はいかがものしたまふらむ。御息所(みやすんどころ)は、こともなかりし(ひと)のけはひ、(こころ)ばせになむ。(した)しううちとけたまはざりしかど、はかなきことのついでに、おのづから(ひと)用意(ようい)はあらはなるものになむはべる」 "みこころはいかがものしたまふらん。みやすんどころは、こともなかりしひとのけはひ、こころばせになん。したしううちとけたまはざりしかど、はかなきことのついでに、おのづからひとよういはあらはなるものになんはべる。"
395.2.10495483 ()こえたまひて、(みや)(おほん)こともかけず、いとつれなし。 こえたまひて、みやおほんこともかけず、いとつれなし。
395.2.11496484 「かばかりのすくよけ(ごころ)(おも)ひそめてむこと、(いさ)めむにかなはじ。(もち)ゐざらむものから、我賢(われさか)しに言出(ことい)でむもあいなし」 "かばかりのすくよけごころおもひそめてんこと、いさめんにかなはじ。もちゐざらんものから、われさかしにこといでんもあいなし。"
395.2.12497485 (おぼ)して()みぬ。 おぼしてみぬ。
395.3498486第三段 父朱雀院、出家希望を諌める
395.3.1499487 かくて御法事(おほんほふじ)に、よろづとりもちてせさせたまふ。(こと)()こえ、おのづから(かく)れなければ、大殿(おほいどの)などにも()きたまひて、「さやはあるべき」など、女方(をんながた)心浅(こころあさ)きやうに(おぼ)しなすぞ、わりなきや。かの(むかし)御心(みこころ)あれば、君達(きんだち)()(とぶ)らひたまふ。 かくておほんほふじに、よろづとりもちてせさせたまふ。ことこえ、おのづからかくれなければ、おほいどのなどにもきたまひて、"さやはあるべき。"など、をんながたこころあさきやうにおぼしなすぞ、わりなきや。かのむかしみこころあれば、きんだちとぶらひたまふ。
395.3.2500488 誦経(ずきゃう)など、殿(との)よりもいかめしうせさせたまふ。これかれも、さまざま(おと)らずしたまへれば、(とき)(ひと)のかやうのわざに(おと)らずなむありける。 ずきゃうなど、とのよりもいかめしうせさせたまふ。これかれも、さまざまおとらずしたまへれば、ときひとのかやうのわざにおとらずなんありける。
395.3.3501489 (みや)は、かくて()()てなむと(おぼ)()つことありけれど、(ゐん)に、(ひと)()らし(そう)しければ、 みやは、かくててなんとおぼつことありけれど、ゐんに、ひとらしそうしければ、
395.3.4502490 「いとあるまじきことなり。げに、あまた、とざまかうざまに()をもてなしたまふべきことにもあらねど、後見(うしろみ)なき(ひと)なむ、なかなかさるさまにて、あるまじき()()ち、罪得(つみえ)がましき(とき)、この世後(よのち)()中空(なかぞら)にもどかしき咎負(とがお)ふわざなる。 "いとあるまじきことなり。げに、あまた、とざまかうざまにをもてなしたまふべきことにもあらねど、うしろみなきひとなん、なかなかさるさまにて、あるまじきち、つみえがましきとき、このよのちなかぞらにもどかしきとがおふわざなる。
395.3.5503491 ここにかく()()てたるに、(さん)(みや)(おな)じごと()をやつしたまへる、すべなきやうに(ひと)(おも)()ふも、()てたる()には、(おも)(なや)むべきにはあらねど、かならずさしも、やうのことと(あらそ)ひたまはむも、うたてあるべし。 ここにかくてたるに、さんみやおなじごとをやつしたまへる、すべなきやうにひとおもふも、てたるには、おもなやむべきにはあらねど、かならずさしも、やうのこととあらそひたまはんも、うたてあるべし。
395.3.6504492 ()()きにつけて(いと)ふは、なかなか人悪(ひとわ)ろきわざなり。(こころ)(おも)()(かた)ありて、(いま)すこし(おも)(しづ)め、心澄(こころす)ましてこそ、ともかうも」 きにつけていとふは、なかなかひとわろきわざなり。こころおもかたありて、いますこしおもしづめ、こころすましてこそ、ともかうも。"
395.3.7505493 とたびたび()こえたまうけり。この()きたる御名(おほんな)をぞ()こし()したるべき。「さやうのことの(おも)はずなるにつけて(うん)じたまへる」と()はれたまはむことを(おぼ)すなりけり。さりとて、また、「(あら)はれてものしたまはむもあはあはしう、(こころ)づきなきこと」と、(おぼ)しながら、()づかしと(おぼ)さむもいとほしきを、「(なに)かは、(われ)さへ()(あつか)はむ」と(おぼ)してなむ、この(すぢ)は、かけても()こえたまはざりける。 とたびたびこえたまうけり。このきたるおほんなをぞこししたるべき。"さやうのことのおもはずなるにつけてうんじたまへる。"とはれたまはんことをおぼすなりけり。さりとて、また、"あらはれてものしたまはんもあはあはしう、こころづきなきこと。"と、おぼしながら、づかしとおぼさんもいとほしきを、"なにかは、われさへあつかはん。"とおぼしてなん、このすぢは、かけてもこえたまはざりける。
395.4506494第四段 夕霧、宮の帰邸を差配
395.4.1507495 大将(だいしゃう)も、 だいしゃうも、
395.4.2508496 「とかく()ひなしつるも、(いま)はあいなし。かの御心(みこころ)(ゆる)したまはむことは、(かた)げなめり。御息所(みやすんどころ)心知(こころし)りなりけりと、(ひと)には()らせむ。いかがはせむ。()(ひと)にすこし(あさ)(とが)(おも)はせて、いつありそめしことぞともなく、(まぎ)らはしてむ。さらがへりて、懸想(けさう)だち、(なみだ)()くしかかづらはむも、いとうひうひしかるべし」 "とかくひなしつるも、いまはあいなし。かのみこころゆるしたまはんことは、かたげなめり。みやすんどころこころしりなりけりと、ひとにはらせん。いかがはせん。ひとにすこしあさとがおもはせて、いつありそめしことぞともなく、まぎらはしてん。さらがへりて、けさうだち、なみだくしかかづらはんも、いとうひうひしかるべし。"
395.4.3509497 (おも)()たまうて、一条(いちでう)(わた)りたまふべき()、その()ばかりと(さだ)めて、大和守召(やまとのかみめ)して、あるべき作法(さほふ)のたまひ、(みや)のうち(はら)ひしつらひ、さこそいへども、(をんな)どちは、草茂(くさしげ)()みなしたまへりしを、(みが)きたるやうにしつらひなして、御心(みこころ)づかひなど、あるべき作法(さほふ)めでたう、壁代(かべしろ)御屏風(みびゃうぶ)御几帳(みきちゃう)御座(おまし)などまで(おぼ)()りつつ、大和守(やまとのかみ)にのたまひて、かの(いへ)にぞ(いそ)(つか)うまつらせたまふ。 おもたまうて、いちでうわたりたまふべき、そのばかりとさだめて、やまとのかみめして、あるべきさほふのたまひ、みやのうちはらひしつらひ、さこそいへども、をんなどちは、くさしげみなしたまへりしを、みがきたるやうにしつらひなして、みこころづかひなど、あるべきさほふめでたう、かべしろみびゃうぶみきちゃうおましなどまでおぼりつつ、やまとのかみにのたまひて、かのいへにぞいそつかうまつらせたまふ。
395.4.4510498 その()(われ)おはしゐて、御車(みくるま)御前(ごぜん)などたてまつれたまふ。(みや)は、さらに(わた)らじと(おぼ)しのたまふを、(ひと)びといみじう()こえ、大和守(やまとのかみ)も、 そのわれおはしゐて、みくるまごぜんなどたてまつれたまふ。みやは、さらにわたらじとおぼしのたまふを、ひとびといみじうこえ、やまとのかみも、
395.4.5511499 「さらに(うけたまは)らじ。心細(こころぼそ)(かな)しき(おほん)ありさまを()たてまつり(なげ)き、このほどの宮仕(みやづか)へは、()ふるに(したが)ひて(つか)うまつりぬ。 "さらにうけたまはらじ。こころぼそかなしきおほんありさまをたてまつりなげき、このほどのみやづかへは、ふるにしたがひてつかうまつりぬ。
395.4.6512500 (いま)は、(くに)のこともはべり、まかり(くだ)りぬべし。(みや)(うち)のことも、()たまへ(ゆづ)るべき(ひと)もはべらず。いとたいだいしう、いかにと()たまふるを、かくよろづに(おぼ)しいとなむを、げに、この(かた)にとりて(おも)たまふるには、かならずしもおはしますまじき(おほん)ありさまなれど、さこそは、いにしへも御心(みこころ)にかなはぬためし、(おほ)くはべれ。 いまは、くにのこともはべり、まかりくだりぬべし。みやうちのことも、たまへゆづるべきひともはべらず。いとたいだいしう、いかにとたまふるを、かくよろづにおぼしいとなむを、げに、このかたにとりておもたまふるには、かならずしもおはしますまじきおほんありさまなれど、さこそは、いにしへもみこころにかなはぬためし、おほくはべれ。
395.4.7513501 一所(ひとところ)やは、()のもどきをも()はせたまふべき。いと(をさな)くおはしますことなり。たけう(おぼ)すとも、(をんな)御心(みこころ)ひとつに、わが御身(おほんみ)をとりしたため、(かへり)みたまふべきやうかあらむ。なほ、(ひと)のあがめかしづきたまへらむに(たす)けられてこそ、(ふか)御心(みこころ)のかしこき(おほん)おきても、それにかかるべきものなり。 ひとところやは、のもどきをもはせたまふべき。いとをさなくおはしますことなり。たけうおぼすとも、をんなみこころひとつに、わがおほんみをとりしたため、かへりみたまふべきやうかあらん。なほ、ひとのあがめかしづきたまへらんにたすけられてこそ、ふかみこころのかしこきおほんおきても、それにかかるべきものなり。
395.4.8514502 (きみ)たちの()こえ()らせたてまつりたまはぬなり。かつは、さるまじきことをも、御心(みこころ)どもに(つか)うまつりそめたまうて」 きみたちのこえらせたてまつりたまはぬなり。かつは、さるまじきことをも、みこころどもにつかうまつりそめたまうて。"
395.4.9515503 と、()(つづ)けて、左近(さこん)少将(せうしゃう)()む。 と、つづけて、さこんせうしゃうむ。
395.5516504第五段 落葉宮、自邸へ向かう
395.5.1517505 (あつま)りて()こえこしらふるに、いとわりなく、あざやかなる御衣(おほんぞ)ども、(ひと)びとのたてまつり()へさするも、われにもあらず、なほ、いとひたぶるに()()てまほしう(おぼ)さるる御髪(みぐし)を、かき()でて()たまへば、六尺(ろくさく)ばかりにて、すこし(ほそ)りたれど、(ひと)はかたはにも()たてまつらず、みづからの御心(みこころ)には、 あつまりてこえこしらふるに、いとわりなく、あざやかなるおほんぞども、ひとびとのたてまつりへさするも、われにもあらず、なほ、いとひたぶるにてまほしうおぼさるるみぐしを、かきでてたまへば、ろくさくばかりにて、すこしほそりたれど、ひとはかたはにもたてまつらず、みづからのみこころには、
395.5.2518506 「いみじの(おとろ)へや。(ひと)()ゆべきありさまにもあらず。さまざまに心憂(こころう)()を」 "いみじのおとろへや。ひとゆべきありさまにもあらず。さまざまにこころうを。"
395.5.3519507 (おぼ)(つづ)けて、また()したまひぬ。 おぼつづけて、またしたまひぬ。
395.5.4520508 時違(ときたが)ひぬ。()()けぬべし」 "ときたがひぬ。けぬべし。"
395.5.5521509 と、皆騒(みなさわ)ぐ。時雨(しぐれ)いと(こころ)あわたたしう()きまがひ、よろづにもの(かな)しければ、 と、みなさわぐ。しぐれいとこころあわたたしうきまがひ、よろづにものかなしければ、
395.5.6522510 「のぼりにし(みね)(けぶり)にたちまじり<BR/>(おも)はぬ(かた)になびかずもがな」 "〔のぼりにしみねけぶりにたちまじり<BR/>おもはぬかたになびかずもがな〕
395.5.7523511 (こころ)ひとつには(つよ)(おぼ)せど、そのころは、御鋏(おほんはさみ)などやうのものは、(みな)とり(かく)して、(ひと)びとの(まも)りきこえければ、 こころひとつにはつよおぼせど、そのころは、おほんはさみなどやうのものは、みなとりかくして、ひとびとのまもりきこえければ、
395.5.8524512 「かくもて(さわ)がざらむにてだに、(なに)()しげある()にてか、をこがましう、若々(わかわか)しきやうにはひき(しの)ばむ。人聞(ひとぎ)きもうたて(おぼ)すまじかべきわざを」 "かくもてさわがざらんにてだに、なにしげあるにてか、をこがましう、わかわかしきやうにはひきしのばん。ひとぎきもうたておぼすまじかべきわざを。"
395.5.9525513 (おぼ)せば、その本意(ほい)のごともしたまはず。 おぼせば、そのほいのごともしたまはず。
395.5.10526515 (ひと)びとは、(みな)いそぎ()ちて、おのおの、(くし)手筥(てばこ)唐櫃(からびつ)、よろづの(もの)を、はかばかしからぬ(ふくろ)やうの(もの)なれど、(みな)さきだてて(はこ)びたれば、一人止(ひとりと)まりたまふべうもあらで、()()御車(みくるま)()りたまふも、(かたは)らのみまもられたまて、こち(わた)りたまうし(とき)御心地(みここち)(くる)しきにも、御髪(みぐし)かき()でつくろひ、()ろしたてまつりたまひしを(おぼ)()づるに、()()りていみじ。御佩刀(みはかし)()へて経筥(きゃうばこ)()へたるが、御傍(おほんかたは)らも(はな)れねば、 ひとびとは、みないそぎちて、おのおの、くしてばこからびつ、よろづのものを、はかばかしからぬふくろやうのものなれど、みなさきだててはこびたれば、ひとりとまりたまふべうもあらで、みくるまりたまふも、かたはらのみまもられたまて、こちわたりたまうしときみここちくるしきにも、みぐしかきでつくろひ、ろしたてまつりたまひしをおぼづるに、りていみじ。みはかしへてきゃうばこへたるが、おほんかたはらもはなれねば、
395.5.11527516 (こひ)しさの(なぐさ)めがたき形見(かたみ)にて<BR/>(なみだ)にくもる(たま)(はこ)かな」 "〔こひしさのなぐさめがたきかたみにて<BR/>なみだにくもるたまはこかな〕
395.5.12528517 (くろ)きもまだしあへさせたまはず、かの()ならしたまへりし螺鈿(らでん)(はこ)なりけり。誦経(ずきゃう)にせさせたまひしを、形見(かたみ)にとどめたまへるなりけり。浦島(うらしま)()心地(ここち)なむ。 くろきもまだしあへさせたまはず、かのならしたまへりしらでんはこなりけり。ずきゃうにせさせたまひしを、かたみにとどめたまへるなりけり。うらしまここちなん。
395.6529518第六段 夕霧、主人顔して待ち構える
395.6.1530519 おはしまし()きたれば、殿(との)のうち(かな)しげもなく、人気多(ひとけおほ)くて、あらぬさまなり。御車寄(みくるまよ)せて()りたまふを、さらに、故里(ふるさと)とおぼえず、(うと)ましううたて(おぼ)さるれば、とみにも()りたまはず。いとあやしう、若々(わかわか)しき(おほん)さまかなと、(ひと)びとも()たてまつりわづらふ。殿(との)は、(ひんがし)(たい)南面(みなみおもて)を、わが御方(おほんかた)を、(かり)にしつらひて、()みつき(がほ)におはす。三条殿(さんでうどの)には、(ひと)びと、 おはしましきたれば、とののうちかなしげもなく、ひとけおほくて、あらぬさまなり。みくるまよせてりたまふを、さらに、ふるさととおぼえず、うとましううたておぼさるれば、とみにもりたまはず。いとあやしう、わかわかしきおほんさまかなと、ひとびともたてまつりわづらふ。とのは、ひんがしたいみなみおもてを、わがおほんかたを、かりにしつらひて、みつきがほにおはす。さんでうどのには、ひとびと、
395.6.2531520 「にはかにあさましうもなりたまひぬるかな。いつのほどにありしことぞ」 "にはかにあさましうもなりたまひぬるかな。いつのほどにありしことぞ。"
395.6.3532521 と、(おどろ)きけり。なよらかにをかしばめることを、(この)ましからず(おぼ)(ひと)は、かくゆくりかなることぞうちまじりたまうける。されど、年経(としへ)にけることを、(おと)なくけしきも()らさで()ぐしたまうけるなり、とのみ(おも)ひなして、かく、(をんな)御心許(みこころゆる)いたまはぬと、(おも)()(ひと)もなし。とてもかうても、(みや)(おほん)ためにぞいとほしげなる。 と、おどろきけり。なよらかにをかしばめることを、このましからずおぼひとは、かくゆくりかなることぞうちまじりたまうける。されど、としへにけることを、おとなくけしきもらさでぐしたまうけるなり、とのみおもひなして、かく、をんなみこころゆるいたまはぬと、おもひともなし。とてもかうても、みやおほんためにぞいとほしげなる。
395.6.4533522 (おほん)まうけなどさま()はりて、もののはじめゆゆしげなれど、もの(まゐ)らせなど、皆静(みなしづ)まりぬるに、(わた)りたまて、少将(せうしゃう)(きみ)をいみじう()めたまふ。 おほんまうけなどさまはりて、もののはじめゆゆしげなれど、ものまゐらせなど、みなしづまりぬるに、わたりたまて、せうしゃうきみをいみじうめたまふ。
395.6.5534523 御心(みこころ)ざしまことに(なが)(おぼ)されば、今日明日(けふあす)()ぐして()こえさせたまへ。なかなか、()(かへ)りてもの(おぼ)(しづ)みて、()(ひと)のやうにてなむ()させたまひぬる。こしらへきこゆるをも、つらしとのみ(おぼ)されたれば、(なに)ごとも()のためこそはべれ。いとわづらはしう、()こえさせにくくなむ」 "みこころざしまことにながおぼされば、けふあすぐしてこえさせたまへ。なかなか、かへりてものおぼしづみて、ひとのやうにてなんさせたまひぬる。こしらへきこゆるをも、つらしとのみおぼされたれば、なにごとものためこそはべれ。いとわづらはしう、こえさせにくくなん。"
395.6.6535524 ()ふ。 ふ。
395.6.7536525 「いとあやしう。()(はか)りきこえさせしには(たが)ひて、いはけなく(こころ)えがたき御心(みこころ)にこそありけれ」 "いとあやしう。はかりきこえさせしにはたがひて、いはけなくこころえがたきみこころにこそありけれ。"
395.6.8537526 とて、(おも)()れるさま、(ひと)(おほん)ためも、わがためにも、()のもどきあるまじうのたまひ(つづ)くれば、 とて、おもれるさま、ひとおほんためも、わがためにも、のもどきあるまじうのたまひつづくれば、
395.6.9538527 「いでや、ただ(いま)は、またいたづら(びと)()なしたてまつるべきにやと、あわたたしき(みだ)心地(ごこち)に、よろづ(おも)たまへわかれず。あが(きみ)、とかくおしたちて、ひたぶるなる御心(みこころ)なつかはせたまひそ」 "いでや、ただいまは、またいたづらびとなしたてまつるべきにやと、あわたたしきみだごこちに、よろづおもたまへわかれず。あがきみ、とかくおしたちて、ひたぶるなるみこころなつかはせたまひそ。"
395.6.10539528 ()をする。 をする。
395.6.11540529 「いとまだ()らぬ()かな。(にく)くめざましと、(ひと)よりけに(おぼ)()とすらむ()こそいみじけれ。いかで(ひと)にもことわらせむ」 "いとまだらぬかな。にくくめざましと、ひとよりけにおぼとすらんこそいみじけれ。いかでひとにもことわらせん。"
395.6.12541530 と、いはむかたもなしと(おぼ)してのたまへば、さすがにいとほしうもあり、 と、いはんかたもなしとおぼしてのたまへば、さすがにいとほしうもあり、
395.6.13542531 「まだ()らぬは、げに()づかぬ御心(みこころ)がまへのけにこそはと、ことわりは、げに、いづ(かた)にかは()(ひと)はべらむとすらむ」 "まだらぬは、げにづかぬみこころがまへのけにこそはと、ことわりは、げに、いづかたにかはひとはべらんとすらん。"
395.6.14543532 と、すこしうち(わら)ひぬ。 と、すこしうちわらひぬ。
395.7544533第七段 落葉宮、塗籠に籠る
395.7.1545534 かく(こころ)ごはけれど、(いま)は、()かれたまふべきならねば、やがてこの(ひと)をひき()てて、()(はか)りに()りたまふ。 かくこころごはけれど、いまは、かれたまふべきならねば、やがてこのひとをひきてて、はかりにりたまふ。
395.7.2546535 (みや)は、「いと心憂(こころう)く、(なさ)けなくあはつけき(ひと)(こころ)なりけり」と、ねたくつらければ、「若々(わかわか)しきやうには()(さわ)ぐとも」と(おぼ)して、塗籠(ぬりごめ)御座(おまし)ひとつ()かせたまて、うちより()して大殿籠(おほとのご)もりにけり。「これもいつまでにかは。かばかりに(みだ)()ちにたる(ひと)(こころ)どもは、いと(かな)しう口惜(くちを)しう」(おぼ)す。 みやは、"いとこころうく、なさけなくあはつけきひとこころなりけり。"と、ねたくつらければ、"わかわかしきやうにはさわぐとも。"とおぼして、ぬりごめおましひとつかせたまて、うちよりしておほとのごもりにけり。"これもいつまでにかは。かばかりにみだちにたるひとこころどもは、いとかなしうくちをしう。"おぼす。
395.7.3547536 男君(をとこぎみ)は、めざましうつらしと(おも)ひきこえたまへど、かばかりにては、(なに)のもて(はな)るることかはと、のどかに(おぼ)して、よろづに(おも)()かしたまふ。山鳥(やまどり)心地(ここち)ぞしたまうける。からうして()(がた)になりぬ。かくてのみ、ことといへば、直面(ひたおもて)なべければ、()でたまふとて、 をとこぎみは、めざましうつらしとおもひきこえたまへど、かばかりにては、なにのもてはなるることかはと、のどかにおぼして、よろづにおもかしたまふ。やまどりここちぞしたまうける。からうしてがたになりぬ。かくてのみ、ことといへば、ひたおもてなべければ、でたまふとて、
395.7.4548537 「ただ、いささかの(ひま)をだに」 "ただ、いささかのひまをだに。"
395.7.5549538 と、いみじう()こえたまへど、いとつれなし。 と、いみじうこえたまへど、いとつれなし。
395.7.6550539 (うら)みわび(むね)あきがたき(ふゆ)()に<BR/>また()しまさる(せき)岩門(いはかど) "〔うらみわびむねあきがたきふゆに<BR/>またしまさるせきいはかど
395.7.7551540 ()こえむ(かた)なき御心(みこころ)なりけり」 こえんかたなきみこころなりけり。"
395.7.8552541 と、()()()でたまふ。 と、でたまふ。
396553542第六章 夕霧の物語 雲居雁と落葉宮の間に苦慮
396.1554543第一段 夕霧、花散里へ弁明
396.1.1555544 六条(ろくでう)(ゐん)にぞおはして、やすらひたまふ。(ひんがし)(うへ) ろくでうゐんにぞおはして、やすらひたまふ。ひんがしうへ
396.1.2556545 一条(いちでう)宮渡(みやわた)したてまつりたまへることと、かの大殿(おほとの)わたりなどに()こゆる、いかなる(おほん)ことにかは」 "いちでうみやわたしたてまつりたまへることと、かのおほとのわたりなどにこゆる、いかなるおほんことにかは。"
396.1.3557546 と、いとおほどかにのたまふ。御几帳添(みきちゃうそ)へたれど、(そば)よりほのかには、なほ()えたてまつりたまふ。 と、いとおほどかにのたまふ。みきちゃうそへたれど、そばよりほのかには、なほえたてまつりたまふ。
396.1.4558547 「さやうにも、なほ(ひと)()ひなしつべきことにはべり。故御息所(こみやすんどころ)は、いと心強(こころづよ)う、あるまじきさまに()(はな)ちたまうしかど、(かぎ)りのさまに、御心地(みここち)(よわ)りけるに、また見譲(みゆづ)るべき(ひと)のなきや(かな)しかりけむ、()からむ(のち)後見(うしろみ)にとやうなることのはべりしかば、もとよりの(こころ)ざしもはべりしことにて、かく(おも)たまへなりぬるを、さまざまに、いかに人扱(ひとあつか)ひはべらむかし。さしもあるまじきをも、あやしう(ひと)こそ、もの()ひさがなきものにあれ」 "さやうにも、なほひとひなしつべきことにはべり。こみやすんどころは、いとこころづよう、あるまじきさまにはなちたまうしかど、かぎりのさまに、みここちよわりけるに、またみゆづるべきひとのなきやかなしかりけん、からんのちうしろみにとやうなることのはべりしかば、もとよりのこころざしもはべりしことにて、かくおもたまへなりぬるを、さまざまに、いかにひとあつかひはべらんかし。さしもあるまじきをも、あやしうひとこそ、ものひさがなきものにあれ。"
396.1.5559548 と、うち(わら)ひつつ、 と、うちわらひつつ、
396.1.6560549 「かの正身(さうじみ)なむ、なほ()()じと(ふか)(おも)()ちて、(あま)になりなむと(おも)(むす)ぼほれたまふめれば、(なに)かは。こなたかなたに()きにくくもはべべきを、さやうに嫌疑離(けんぎはな)れても、また、かの遺言(ゆいごん)(たが)へじと(おも)ひたまへて、ただかく()(あつか)ひはべるなり。 "かのさうじみなん、なほじとふかおもちて、あまになりなんとおもむすぼほれたまふめれば、なにかは。こなたかなたにきにくくもはべべきを、さやうにけんぎはなれても、また、かのゆいごんたがへじとおもひたまへて、ただかくあつかひはべるなり。
396.1.7561550 (ゐん)(わた)らせたまへらむにも、ことのついではべらば、かうやうにまねびきこえさせたまへ。ありありて、(こころ)づきなき(こころ)つかふと、(おぼ)しのたまはむを(はばか)りはべりつれど、げに、かやうの(すぢ)にてこそ、(ひと)(いさ)めをも、みづからの(こころ)にも(したが)はぬやうにはべりけれ」 ゐんわたらせたまへらんにも、ことのついではべらば、かうやうにまねびきこえさせたまへ。ありありて、こころづきなきこころつかふと、おぼしのたまはんをはばかりはべりつれど、げに、かやうのすぢにてこそ、ひといさめをも、みづからのこころにもしたがはぬやうにはべりけれ。"
396.1.8562551 と、(しの)びやかに()こえたまふ。 と、しのびやかにこえたまふ。
396.1.9563552 (ひと)のいつはりにやと(おも)ひはべりつるを、まことにさるやうある()けしきにこそは。皆世(みなよ)(つね)のことなれど、三条(さんでう)姫君(ひめぎみ)(おぼ)さむことこそ、いとほしけれ。のどやかに()らひたまうて」 "ひとのいつはりにやとおもひはべりつるを、まことにさるやうあるけしきにこそは。みなよつねのことなれど、さんでうひめぎみおぼさんことこそ、いとほしけれ。のどやかにらひたまうて。"
396.1.10564553 ()こえたまへば、 こえたまへば、
396.1.11565554 「らうたげにものたまはせなす、姫君(ひめぎみ)かな。いと(おに)しうはべるさがなものを」とて、「などてか、それをもおろかにはもてなしはべらむ。かしこけれど、(おほん)ありさまどもにても、()(はか)らせたまへ。 "らうたげにものたまはせなす、ひめぎみかな。いとおにしうはべるさがなものを。"とて、"などてか、それをもおろかにはもてなしはべらん。かしこけれど、おほんありさまどもにても、はからせたまへ。
396.1.12566555 なだらかならむのみこそ、(ひと)はつひのことにははべめれ。さがなくことがましきも、しばしはなまむつかしう、わづらはしきやうに(はばか)らるることあれど、それにしも(したが)()つまじきわざなれば、ことの(みだ)()()ぬる(のち)(われ)(ひと)も、(にく)げに()きたしや。 なだらかならんのみこそ、ひとはつひのことにははべめれ。さがなくことがましきも、しばしはなまむつかしう、わづらはしきやうにはばからるることあれど、それにしもしたがつまじきわざなれば、ことのみだぬるのちわれひとも、にくげにきたしや。
396.1.13567556 なほ、(みなみ)御殿(おとど)御心(みこころ)もちゐこそ、さまざまにありがたう、さてはこの御方(おほんかた)御心(みこころ)などこそは、めでたきものには、()たてまつり()てはべりぬれ」 なほ、みなみおとどみこころもちゐこそ、さまざまにありがたう、さてはこのおほんかたみこころなどこそは、めでたきものには、たてまつりてはべりぬれ。"
396.1.14568557 など、ほめきこえたまへば、(わら)ひたまひて、 など、ほめきこえたまへば、わらひたまひて、
396.1.15569558 「もののためしに()()でたまふほどに、()人悪(ひとわ)ろきおぼえこそあらはれぬべう。 "もののためしにでたまふほどに、ひとわろきおぼえこそあらはれぬべう。
396.1.16570559 さて、をかしきことは、(ゐん)の、みづからの御癖(みくせ)をば人知(ひとし)らぬやうに、いささかあだあだしき御心(みこころ)づかひをば、大事(だいじ)(おぼ)いて、(いまし)(まう)したまふ。後言(しりうごと)にも()こえたまふめるこそ、(さか)しだつ(ひと)の、おのが上知(うへし)らぬやうにおぼえはべれ」 さて、をかしきことは、ゐんの、みづからのみくせをばひとしらぬやうに、いささかあだあだしきみこころづかひをば、だいじおぼいて、いましまうしたまふ。しりうごとにもこえたまふめるこそ、さかしだつひとの、おのがうへしらぬやうにおぼえはべれ。"
396.1.17571560 とのたまへば、 とのたまへば、
396.1.18572561 「さなむ、(つね)にこの(みち)をしも(いまし)(おほ)せらるる。さるは、かしこき御教(おほんをし)へならでも、いとよくをさめてはべる(こころ)を」 "さなん、つねにこのみちをしもいましおほせらるる。さるは、かしこきおほんをしへならでも、いとよくをさめてはべるこころを。"
396.1.19573562 とて、げにをかしと(おも)ひたまへり。 とて、げにをかしとおもひたまへり。
396.1.20574563 御前(おまへ)(まゐ)りたまへれば、かのことは()こし()したれど、(なに)かは()(がほ)にもと(おぼ)いて、ただうちまもりたまへるに、 おまへまゐりたまへれば、かのことはこししたれど、なにかはがほにもとおぼいて、ただうちまもりたまへるに、
396.1.21575564 「いとめでたくきよらに、このころこそねびまさりたまへる御盛(おほんさか)りなめれ。さるさまの()(ごと)をしたまふとも、(ひと)のもどくべきさまもしたまはず。鬼神(おにがみ)罪許(つみゆる)しつべく、あざやかにものきよげに、(わか)(さか)りに(にほ)ひを()らしたまへり。 "いとめでたくきよらに、このころこそねびまさりたまへるおほんさかりなめれ。さるさまのごとをしたまふとも、ひとのもどくべきさまもしたまはず。おにがみつみゆるしつべく、あざやかにものきよげに、わかさかりににほひをらしたまへり。
396.1.22576565 もの(おも)()らぬ若人(わかうど)のほどにはたおはせず、かたほなるところなうねびととのほりたまへる、ことわりぞかし。(をんな)にて、などかめでざらむ。(かがみ)()ても、などかおごらざらむ」 ものおもらぬわかうどのほどにはたおはせず、かたほなるところなうねびととのほりたまへる、ことわりぞかし。をんなにて、などかめでざらん。かがみても、などかおごらざらん。"
396.1.23577566 と、わが御子(おほんこ)ながらも、(おぼ)す。 と、わがおほんこながらも、おぼす。
396.2578567第二段 雲居雁、嫉妬に荒れ狂う
396.2.1579568 ()たけて、殿(との)には(わた)りたまへり。()りたまふより、若君(わかぎみ)たち、すぎすぎうつくしげにて、まつはれ(あそ)びたまふ。女君(をんなぎみ)は、(ちゃう)(うち)()したまへり。 たけて、とのにはわたりたまへり。りたまふより、わかぎみたち、すぎすぎうつくしげにて、まつはれあそびたまふ。をんなぎみは、ちゃううちしたまへり。
396.2.2580569 ()りたまへれど、()見合(みあ)はせたまはず。つらきにこそはあめれ、と()たまふもことわりなれど、(はばか)(がほ)にももてなしたまはず、御衣(おほんぞ)をひきやりたまへれば、 りたまへれど、みあはせたまはず。つらきにこそはあめれ、とたまふもことわりなれど、はばかがほにももてなしたまはず、おほんぞをひきやりたまへれば、
396.2.3581570 「いづことておはしつるぞ。まろは(はや)()にき。(つね)(おに)とのたまへば、(おな)じくはなり()てなむとて」 "いづことておはしつるぞ。まろははやにき。つねおにとのたまへば、おなじくはなりてなんとて。"
396.2.4582571 とのたまふ。 とのたまふ。
396.2.5583572 御心(みこころ)こそ、(おに)よりけにもおはすれ、さまは(にく)げもなければ、え(うと)()つまじ」 "みこころこそ、おによりけにもおはすれ、さまはにくげもなければ、えうとつまじ。"
396.2.6584573 と、何心(なにごころ)もなう()ひなしたまふも、(こころ)やましうて、 と、なにごころもなうひなしたまふも、こころやましうて、
396.2.7585574 「めでたきさまになまめいたまへらむあたりに、あり()べき()にもあらねば、いづちもいづちも()せなむとするを、かくだにな(おぼ)()でそ。あいなく(とし)ごろを()けるだに、(くや)しきものを」 "めでたきさまになまめいたまへらんあたりに、ありべきにもあらねば、いづちもいづちもせなんとするを、かくだになおぼでそ。あいなくとしごろをけるだに、くやしきものを。"
396.2.8586575 とて、()()がりたまへるさまは、いみじう愛敬(あいぎゃう)づきて、(にほ)ひやかにうち(あか)みたまへる(かほ)、いとをかしげなり。 とて、がりたまへるさまは、いみじうあいぎゃうづきて、にほひやかにうちあかみたまへるかほ、いとをかしげなり。
396.2.9587576 「かく心幼(こころをさな)げに腹立(はらだ)ちなしたまへればにや、目馴(めな)れて、この(おに)こそ、(いま)(おそ)ろしくもあらずなりにたれ。神々(かうがう)しき()()へばや」 "かくこころをさなげにはらだちなしたまへればにや、めなれて、このおにこそ、いまおそろしくもあらずなりにたれ。かうがうしきへばや。"
396.2.10588577 と、(たはぶ)れに()ひなしたまへど、 と、たはぶれにひなしたまへど、
396.2.11589578 (なに)ごと()ふぞ。おいらかに()にたまひね。まろも()なむ。()れば(にく)し。()けば愛敬(あいぎゃう)なし。見捨(みす)てて()なむはうしろめたし」 "なにごとふぞ。おいらかににたまひね。まろもなん。ればにくし。けばあいぎゃうなし。みすててなんはうしろめたし。"
396.2.12590579 とのたまふに、いとをかしきさまのみまされば、こまやかに(わら)ひて、 とのたまふに、いとをかしきさまのみまされば、こまやかにわらひて、
396.2.13591580 (ちか)くてこそ()たまはざらめ、よそにはなにか()きたまはざらむ。さても、(ちぎ)(ふか)かなる()()らせむの御心(みこころ)ななり。にはかにうち(つづ)くべかなる冥途(よみぢ)のいそぎは、さこそは(ちぎ)りきこえしか」 "ちかくてこそたまはざらめ、よそにはなにかきたまはざらん。さても、ちぎふかかなるらせんのみこころななり。にはかにうちつづくべかなるよみぢのいそぎは、さこそはちぎりきこえしか。"
396.2.14592581 と、いとつれなく()ひて、(なに)くれと(なぐさ)めこしらへきこえ(なぐさ)めたまへば、いと(わか)やかに(こころ)うつくしう、らうたき(こころ)はたおはする(ひと)なれば、なほざり(ごと)とは()たまひながら、おのづからなごみつつものしたまふを、いとあはれと(おぼ)すものから、(こころ)(そら)にて、 と、いとつれなくひて、なにくれとなぐさめこしらへきこえなぐさめたまへば、いとわかやかにこころうつくしう、らうたきこころはたおはするひとなれば、なほざりごととはたまひながら、おのづからなごみつつものしたまふを、いとあはれとおぼすものから、こころそらにて、
396.2.15593582 「かれも、いとわが(こころ)()てて、(つよ)うものものしき(ひと)のけはひには()えたまはねど、もしなほ本意(ほい)ならぬことにて、(あま)になども(おも)ひなりたまひなば、をこがましうもあべいかな」 "かれも、いとわがこころてて、つようものものしきひとのけはひにはえたまはねど、もしなほほいならぬことにて、あまになどもおもひなりたまひなば、をこがましうもあべいかな。"
396.2.16594583 (おも)ふに、しばしはとだえ()くまじう、あわたたしき心地(ここち)して、()れゆくままに、「今日(けふ)御返(おほんかへ)りだになきよ」と(おぼ)して、(こころ)にかかりつつ、いみじう(なが)めをしたまふ。 おもふに、しばしはとだえくまじう、あわたたしきここちして、れゆくままに、"けふおほんかへりだになきよ。"とおぼして、こころにかかりつつ、いみじうながめをしたまふ。
396.3595584第三段 雲居雁、夕霧と和歌を詠み交す
396.3.1596585 昨日今日(きのふけふ)つゆも(まゐ)らざりけるもの、いささか(まゐ)りなどしておはす。 きのふけふつゆもまゐらざりけるもの、いささかまゐりなどしておはす。
396.3.2597586 (むかし)より、(おほん)ために(こころ)ざしのおろかならざりしさま、大臣(おとど)のつらくもてなしたまうしに、()(なか)()れがましき()()りしかど、()へがたきを(ねん)じて、ここかしこ、すすみけしきばみしあたりを、あまた()()ぐししありさまは、(をんな)だにさしもあらじとなむ、(ひと)ももどきし。 "むかしより、おほんためにこころざしのおろかならざりしさま、おとどのつらくもてなしたまうしに、なかれがましきりしかど、へがたきをねんじて、ここかしこ、すすみけしきばみしあたりを、あまたぐししありさまは、をんなだにさしもあらじとなん、ひとももどきし。
396.3.3598587 今思(いまおも)ふにも、いかでかはさありけむと、わが(こころ)ながら、いにしへだに(おも)かりけりと(おも)()らるるを、(いま)は、かく(にく)みたまふとも、(おぼ)()つまじき(ひと)びと、いと所狭(ところせ)きまで数添(かずそ)ふめれば、御心(みこころ)ひとつにもて(はな)れたまふべくもあらず。また、よし()たまへや。(いのち)こそ(さだ)めなき()なれ」 いまおもふにも、いかでかはさありけんと、わがこころながら、いにしへだにおもかりけりとおもらるるを、いまは、かくにくみたまふとも、おぼつまじきひとびと、いとところせきまでかずそふめれば、みこころひとつにもてはなれたまふべくもあらず。また、よしたまへや。いのちこそさだめなきなれ。"
396.3.4599588 とて、うち()きたまふこともあり。(をんな)も、(むかし)のことを(おも)()でたまふに、 とて、うちきたまふこともあり。をんなも、むかしのことをおもでたまふに、
396.3.5600589 「あはれにもありがたかりし御仲(おほんなか)の、さすがに(ちぎ)(ふか)かりけるかな」 "あはれにもありがたかりしおほんなかの、さすがにちぎふかかりけるかな。"
396.3.6601590 と、(おも)()でたまふ。なよびたる御衣(おほんぞ)ども()いたまうて、(こころ)ことなるをとり(かさ)ねて()きしめたまひ、めでたうつくろひ化粧(けさう)じて()でたまふを、灯影(ほかげ)見出(みい)だして、(しの)びがたく(なみだ)()()れば、()ぎとめたまへる単衣(ひとへ)(そで)をひき()せたまひて、 と、おもでたまふ。なよびたるおほんぞどもいたまうて、こころことなるをとりかさねてきしめたまひ、めでたうつくろひけさうじてでたまふを、ほかげみいだして、しのびがたくなみだれば、ぎとめたまへるひとへそでをひきせたまひて、
396.3.7602591 ()るる()(うら)むるよりは松島(まつしま)の<BR/>海人(あま)(ころも)()ちやかへまし "〔るるうらむるよりはまつしまの<BR/>あまころもちやかへまし
396.3.8603592 なほうつし(びと)にては、え()ぐすまじかりけり」 なほうつしびとにては、えぐすまじかりけり。"
396.3.9604593 と、独言(ひとりごと)にのたまふを、()()まりて、 と、ひとりごとにのたまふを、まりて、
396.3.10605594 「さも心憂(こころう)御心(みこころ)かな。 "さもこころうみこころかな。
396.3.11606595 松島(まつしま)海人(あま)濡衣(ぬれぎぬ)なれぬとて<BR/>()()へつてふ()()ためやは」 まつしまあまぬれぎぬなれぬとて<BR/>へつてふためやは〕
396.3.12607596 うち(いそ)ぎて、いとなほなほしや。 うちいそぎて、いとなほなほしや。
396.4608597第四段 塗籠の落葉宮を口説く
396.4.1609598 かしこには、なほさし()もりたまへるを、(ひと)びと、 かしこには、なほさしもりたまへるを、ひとびと、
396.4.2610599 「かくてのみやは。若々(わかわか)しうけしからぬ()こえもはべりぬべきを、(れい)(おほん)ありさまにて、あるべきことをこそ()こえたまはめ」 "かくてのみやは。わかわかしうけしからぬこえもはべりぬべきを、れいおほんありさまにて、あるべきことをこそこえたまはめ。"
396.4.3611600 など、よろづに()こえければ、さもあることとは(おぼ)しながら、(いま)より(のち)のよその()こえをも、わが御心(みこころ)()ぎにし(かた)をも、(こころ)づきなく、(うら)めしかりける(ひと)のゆかりと(おぼ)()りて、その()対面(たいめん)したまはず。「(たはぶ)れにくく、めづらかなり」と、()こえ()くしたまふ。(ひと)もいとほしと()たてまつる。 など、よろづにこえければ、さもあることとはおぼしながら、いまよりのちのよそのこえをも、わがみこころぎにしかたをも、こころづきなく、うらめしかりけるひとのゆかりとおぼりて、そのたいめんしたまはず。"たはぶれにくく、めづらかなり。"と、こえくしたまふ。ひともいとほしとたてまつる。
396.4.4612601 「『いささかも人心地(ひとごこち)する(をり)あらむに、(わす)れたまはずは、ともかうも()こえむ。この御服(おほんぶく)のほどは、一筋(ひとすぢ)(おも)(みだ)るることなくてだに()ぐさむ』となむ、(ふか)(おぼ)しのたまはするを、かくいとあやにくに、()らぬ(ひと)なくなりぬめるを、なほいみじうつらきものに()こえたまふ」 "'いささかもひとごこちするをりあらんに、わすれたまはずは、ともかうもこえん。このおほんぶくのほどは、ひとすぢおもみだるることなくてだにぐさん。'となん、ふかおぼしのたまはするを、かくいとあやにくに、らぬひとなくなりぬめるを、なほいみじうつらきものにこえたまふ。"
396.4.5613602 ()こゆ。 こゆ。
396.4.6614603 (おも)(こころ)は、また(こと)ざまにうしろやすきものを。(おも)はずなりける()かな」とうち(なげ)きて、「(れい)のやうにておはしまさば、物越(ものごし)などにても、(おも)ふことばかり()こえて、御心破(みこころやぶ)るべきにもあらず。あまたの年月(としつき)をも()ぐしつべくなむ」 "おもこころは、またことざまにうしろやすきものを。おもはずなりけるかな。"とうちなげきて、"れいのやうにておはしまさば、ものごしなどにても、おもふことばかりこえて、みこころやぶるべきにもあらず。あまたのとしつきをもぐしつべくなん。"
396.4.7615604 など、()きもせず()こえたまへど、 など、きもせずこえたまへど、
396.4.8616605 「なほ、かかる(みだ)れに()へて、わりなき御心(みこころ)なむいみじうつらき。(ひと)()(おも)はむことも、よろづになのめならざりける()()さをば、さるものにて、ことさらに心憂(こころう)御心(みこころ)がまへなれ」 "なほ、かかるみだれにへて、わりなきみこころなんいみじうつらき。ひとおもはんことも、よろづになのめならざりけるさをば、さるものにて、ことさらにこころうみこころがまへなれ。"
396.4.9617606 と、また()(かへ)(うら)みたまひつつ、はるかにのみもてなしたまへり。 と、またかへうらみたまひつつ、はるかにのみもてなしたまへり。
396.5618607第五段 夕霧、塗籠に入って行く
396.5.1619608 「さりとて、かくのみやは。(ひと)()()らさむこともことわり」と、はしたなう、ここの人目(ひとめ)もおぼえたまへば、 "さりとて、かくのみやは。ひとらさんこともことわり。"と、はしたなう、ここのひとめもおぼえたまへば、
396.5.2620609 「うちうちの御心(みこころ)づかひは、こののたまふさまにかなひても、しばしは(なさ)けばまむ。()づかぬありさまの、いとうたてあり。また、かかりとて、ひき()(まゐ)らずは、(ひと)御名(おほんな)いかがはいとほしかるべき。ひとへにものを(おぼ)して、(をさな)げなるこそいとほしけれ」 "うちうちのみこころづかひは、こののたまふさまにかなひても、しばしはなさけばまん。づかぬありさまの、いとうたてあり。また、かかりとて、ひきまゐらずは、ひとおほんないかがはいとほしかるべき。ひとへにものをおぼして、をさなげなるこそいとほしけれ。"
396.5.3621610 など、この(ひと)()めたまへば、げにと(おも)ひ、()たてまつるも(いま)心苦(こころぐる)しう、かたじけなうおぼゆるさまなれば、人通(ひとかよ)はしたまふ塗籠(ぬりごめ)(きた)(くち)より、()れたてまつりてけり。 など、このひとめたまへば、げにとおもひ、たてまつるもいまこころぐるしう、かたじけなうおぼゆるさまなれば、ひとかよはしたまふぬりごめきたくちより、れたてまつりてけり。
396.5.4622611 いみじうあさましうつらしと、さぶらふ(ひと)をも、げにかかる()(ひと)(こころ)なれば、これよりまさる()をも()せつべかりけりと、(たの)もしき(ひと)もなくなり()てたまひぬる御身(おほんみ)を、かへすがへす(かな)しう(おぼ)す。 いみじうあさましうつらしと、さぶらふひとをも、げにかかるひとこころなれば、これよりまさるをもせつべかりけりと、たのもしきひともなくなりてたまひぬるおほんみを、かへすがへすかなしうおぼす。
396.5.5623612 (をとこ)は、よろづに(おぼ)()るべきことわりを()こえ()らせ、(こと)葉多(はおほ)う、あはれにもをかしうも()こえ()くしたまへど、つらく(こころ)づきなしとのみ(おぼ)いたり。 をとこは、よろづにおぼるべきことわりをこえらせ、ことはおほう、あはれにもをかしうもこえくしたまへど、つらくこころづきなしとのみおぼいたり。
396.5.6624613 「いと、かう、()はむ(かた)なきものに(おも)ほされける()のほどは、たぐひなう()づかしければ、あるまじき(こころ)のつきそめけむも、心地(ここち)なく(くや)しうおぼえはべれど、とり(かへ)すものならぬうちに、(なに)のたけき御名(おほんな)にかはあらむ。いふかひなく(おぼ)(よわ)れ。 "いと、かう、はんかたなきものにおもほされけるのほどは、たぐひなうづかしければ、あるまじきこころのつきそめけんも、ここちなくくやしうおぼえはべれど、とりかへすものならぬうちに、なにのたけきおほんなにかはあらん。いふかひなくおぼよわれ。
396.5.7625614 (おも)ふにかなはぬ(とき)()()ぐるためしもはべなるを、ただかかる(こころ)ざしを(ふか)(ふち)になずらへたまて、()てつる()(おぼ)しなせ」 おもふにかなはぬときぐるためしもはべなるを、ただかかるこころざしをふかふちになずらへたまて、てつるおぼしなせ。"
396.5.8626615 ()こえたまふ。単衣(ひとへ)御衣(おほんぞ)御髪込(みぐしこ)めひきくくみて、たけきこととは、()()きたまふさまの、心深(こころふか)くいとほしければ、 こえたまふ。ひとへおほんぞみぐしこめひきくくみて、たけきこととは、きたまふさまの、こころふかくいとほしければ、
396.5.9627616 「いとうたて。いかなればいとかう(おぼ)すらむ。いみじう(おも)(ひと)も、かばかりになりぬれば、おのづからゆるぶけしきもあるを、岩木(いはき)よりけになびきがたきは、(ちぎ)(とほ)うて、(にく)しなど(おも)ふやうなるを、さや(おぼ)すらむ」 "いとうたて。いかなればいとかうおぼすらん。いみじうおもひとも、かばかりになりぬれば、おのづからゆるぶけしきもあるを、いはきよりけになびきがたきは、ちぎとほうて、にくしなどおもふやうなるを、さやおぼすらん。"
396.5.10628617 (おも)()るに、あまりなれば心憂(こころう)く、三条(さんでう)(きみ)(おも)ひたまふらむこと、いにしへも何心(なにごころ)もなう、あひ(おも)()はしたりし()のこと、(とし)ごろ、(いま)はとうらなきさまにうち(たの)み、()けたまへるさまを(おも)()づるも、わが(こころ)もて、いとあぢきなう(おも)(つづ)けらるれば、あながちにもこしらへきこえたまはず、(なげ)()かしたまうつ。 おもるに、あまりなればこころうく、さんでうきみおもひたまふらんこと、いにしへもなにごころもなう、あひおもはしたりしのこと、としごろ、いまはとうらなきさまにうちたのみ、けたまへるさまをおもづるも、わがこころもて、いとあぢきなうおもつづけらるれば、あながちにもこしらへきこえたまはず、なげかしたまうつ。
396.6629618第六段 夕霧と落葉宮、遂に契りを結ぶ
396.6.1630619 かうのみ()れがましうて()()らむもあやしければ、今日(けふ)(とま)りて、(こころ)のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましと(みや)(おぼ)いて、いよいよ(うと)()けしきのまさるを、をこがましき御心(みこころ)かなと、かつは、つらきもののあはれなり。 かうのみれがましうてらんもあやしければ、けふとまりて、こころのどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましとみやおぼいて、いよいようとけしきのまさるを、をこがましきみこころかなと、かつは、つらきもののあはれなり。
396.6.2631621 塗籠(ぬりごめ)も、ことにこまかなるもの(おほ)うもあらで、(かう)御唐櫃(おほんからびつ)御厨子(みづし)などばかりあるは、こなたかなたにかき()せて、気近(けぢか)うしつらひてぞおはしける。うちは(くら)心地(ここち)すれど、朝日(あさひ)さし()でたるけはひ()()たるに、(うづ)もれたる御衣(おほんぞ)ひきやり、いとうたて(みだ)れたる御髪(みぐし)、かきやりなどして、ほの()たてまつりたまふ。 ぬりごめも、ことにこまかなるものおほうもあらで、かうおほんからびつみづしなどばかりあるは、こなたかなたにかきせて、けぢかうしつらひてぞおはしける。うちはくらここちすれど、あさひさしでたるけはひたるに、うづもれたるおほんぞひきやり、いとうたてみだれたるみぐし、かきやりなどして、ほのたてまつりたまふ。
396.6.3632622 いとあてに(をんな)しう、なまめいたるけはひしたまへり。(をとこ)(おほん)さまは、うるはしだちたまへる(とき)よりも、うちとけてものしたまふは、(かぎ)りもなうきよげなり。 いとあてにをんなしう、なまめいたるけはひしたまへり。をとこおほんさまは、うるはしだちたまへるときよりも、うちとけてものしたまふは、かぎりもなうきよげなり。
396.6.4633623 故君(こきみ)(こと)なることなかりしだに、(こころ)(かぎ)(おも)ひあがり、御容貌(おほんかたち)まほにおはせずと、ことの(をり)(おも)へりしけしきを(おぼ)()づれば、まして、かういみじう(おとろ)へにたるありさまを、しばしにても見忍(みしの)びなむや」と(おも)ふも、いみじう()づかしう、とざまかうざまに(おも)ひめぐらしつつ、わが御心(みこころ)をこしらへたまふ。 "こきみことなることなかりしだに、こころかぎおもひあがり、おほんかたちまほにおはせずと、ことのをりおもへりしけしきをおぼづれば、まして、かういみじうおとろへにたるありさまを、しばしにてもみしのびなんや。"とおもふも、いみじうづかしう、とざまかうざまにおもひめぐらしつつ、わがみこころをこしらへたまふ。
396.6.5634624 ただかたはらいたう、ここもかしこも、(ひと)()(おぼ)さむことの(つみ)さらむ(かた)なきに、(をり)さへいと心憂(こころう)ければ、(なぐさ)めがたきなりけり。 ただかたはらいたう、ここもかしこも、ひとおぼさんことのつみさらんかたなきに、をりさへいとこころうければ、なぐさめがたきなりけり。
396.6.6635625 御手水(みてうづ)御粥(おほんかゆ)など、(れい)御座(おまし)(かた)(まゐ)れり。色異(いろこと)なる(おほん)しつらひも、いまいましきやうなれば、東面(ひんがしおもて)屏風(びゃうぶ)()てて、母屋(もや)(きは)香染(かうぞめ)御几帳(みきちゃう)など、ことことしきやうに()えぬ(もの)(ぢん)二階(にかい)なんどやうのを()てて、(こころ)ばへありてしつらひたり。大和守(やまとのかみ)のしわざなりけり。 みてうづおほんかゆなど、れいおましかたまゐれり。いろことなるおほんしつらひも、いまいましきやうなれば、ひんがしおもてびゃうぶてて、もやきはかうぞめみきちゃうなど、ことことしきやうにえぬものぢんにかいなんどやうのをてて、こころばへありてしつらひたり。やまとのかみのしわざなりけり。
396.6.7636626 (ひと)びとも、(あざ)やかならぬ(いろ)の、山吹(やまぶき)掻練(かいねり)()(きぬ)青鈍(あをにび)などを()かへさせ、薄色(うすいろ)()青朽葉(あをくちば)などを、とかく(まぎ)らはして、御台(みだい)(まゐ)る。女所(をんなどころ)にて、しどけなくよろづのことならひたる(みや)(うち)に、ありさま(こころ)とどめて、わづかなる下人(しもびと)をも()ひととのへ、この人一人(ひとひとり)のみ(あつか)(おこな)ふ。 ひとびとも、あざやかならぬいろの、やまぶきかいねりきぬあをにびなどをかへさせ、うすいろあをくちばなどを、とかくまぎらはして、みだいまゐる。をんなどころにて、しどけなくよろづのことならひたるみやうちに、ありさまこころとどめて、わづかなるしもびとをもひととのへ、このひとひとりのみあつかおこなふ。
396.6.8637627 かくおぼえぬやむごとなき客人(まらうと)のおはすると()きて、もと(つと)めざりける家司(けいし)など、うちつけに(まゐ)りて、政所(まどころ)など()(かた)にさぶらひて(いとな)みけり。 かくおぼえぬやんごとなきまらうとのおはするときて、もとつとめざりけるけいしなど、うちつけにまゐりて、まどころなどかたにさぶらひていとなみけり。
397638628第七章 雲居雁の物語 夕霧の妻たちの物語
397.1639629第一段 雲居雁、実家へ帰る
397.1.1640630 かくせめても見馴(みな)(がほ)(つく)りたまふほど、三条殿(さんでうどの) かくせめてもみながほつくりたまふほど、さんでうどの
397.1.2641631 (かぎ)りなめりと、さしもやはとこそ、かつは(たの)みつれ、まめ(びと)心変(こころか)はるは名残(なごり)なくなむと()きしは、まことなりけり」 "かぎりなめりと、さしもやはとこそ、かつはたのみつれ、まめびとこころかはるはなごりなくなんときしは、まことなりけり。"
397.1.3642632 と、()(こころ)みつる心地(ここち)して、「いかさまにしてこのなめげさを()じ」と(おぼ)しければ、大殿(おほいどの)へ、方違(かたたが)へむとて、(わた)りたまひにけるを、女御(にょうご)(さと)におはするほどなどに、対面(たいめん)したまうて、すこしもの(おも)ひはるけどころに(おぼ)されて、(れい)のやうにも(いそ)(わた)りたまはず。 と、こころみつるここちして、"いかさまにしてこのなめげさをじ。"とおぼしければ、おほいどのへ、かたたがへんとて、わたりたまひにけるを、にょうごさとにおはするほどなどに、たいめんしたまうて、すこしものおもひはるけどころにおぼされて、れいのやうにもいそわたりたまはず。
397.1.4643633 大将殿(だいしゃうどの)()きたまひて、 だいしゃうどのきたまひて、
397.1.5644634 「さればよ。いと(きふ)にものしたまふ本性(ほんじゃう)なり。この大臣(おとど)もはた、おとなおとなしうのどめたるところ、さすがになく、いとひききりにはなやいたまへる(ひと)びとにて、めざまし、()じ、()かじなど、ひがひがしきことどもし()でたまうつべき」 "さればよ。いときふにものしたまふほんじゃうなり。このおとどもはた、おとなおとなしうのどめたるところ、さすがになく、いとひききりにはなやいたまへるひとびとにて、めざまし、じ、かじなど、ひがひがしきことどもしでたまうつべき。"
397.1.6645635 と、(おどろ)かれたまうて、三条殿(さんでうどの)(わた)りたまへれば、(きみ)たちも、(かた)へは()まりたまへれば、姫君(ひめぎみ)たち、さてはいと(をさな)きとをぞ()ておはしにける、()つけてよろこびむつれ、あるは(うへ)()ひたてまつりて、(うれ)()きたまふを、心苦(こころぐる)しと(おぼ)す。 と、おどろかれたまうて、さんでうどのわたりたまへれば、きみたちも、かたへはまりたまへれば、ひめぎみたち、さてはいとをさなきとをぞておはしにける、つけてよろこびむつれ、あるはうへひたてまつりて、うれきたまふを、こころぐるしとおぼす。
397.1.7646636 消息(せうそこ)たびたび()こえて、(むか)へにたてまつれたまへど、御返(おほんかへ)りだになし。かくかたくなしう軽々(かるがる)しの()やと、ものしうおぼえたまへど、大臣(おとど)見聞(みき)きたまはむところもあれば、()らして、みづから(まゐ)りたまへり。 せうそこたびたびこえて、むかへにたてまつれたまへど、おほんかへりだになし。かくかたくなしうかるがるしのやと、ものしうおぼえたまへど、おとどみききたまはんところもあれば、らして、みづからまゐりたまへり。
397.2647637第二段 夕霧、雲居雁の実家へ行く
397.2.1648638 寝殿(しんでん)になむおはするとて、(れい)(わた)りたまふ(かた)は、御達(ごたち)のみさぶらふ。若君(わかぎみ)たちぞ、乳母(めのと)()ひておはしける。 しんでんになんおはするとて、れいわたりたまふかたは、ごたちのみさぶらふ。わかぎみたちぞ、めのとひておはしける。
397.2.2649639 (いま)さらに若々(わかわか)しの(おほん)まじらひや。かかる(ひと)を、ここかしこに(おと)しおきたまひて。など寝殿(しんでん)(おほん)まじらひは。ふさはしからぬ御心(みこころ)(すぢ)とは、(とし)ごろ見知(みし)りたれど、さるべきにや、(むかし)より(こころ)(はな)れがたう(おも)ひきこえて、(いま)はかく、くだくだしき(ひと)数々(かずかず)あはれなるを、かたみに見捨(みす)つべきにやはと、(たの)みきこえける。はかなき一節(ひとふし)に、かうはもてなしたまふべくや」 "いまさらにわかわかしのおほんまじらひや。かかるひとを、ここかしこにおとしおきたまひて。などしんでんおほんまじらひは。ふさはしからぬみこころすぢとは、としごろみしりたれど、さるべきにや、むかしよりこころはなれがたうおもひきこえて、いまはかく、くだくだしきひとかずかずあはれなるを、かたみにみすつべきにやはと、たのみきこえける。はかなきひとふしに、かうはもてなしたまふべくや。"
397.2.3650640 と、いみじうあはめ(うら)(まう)したまへば、 と、いみじうあはめうらまうしたまへば、
397.2.4651641 (なに)ごとも、(いま)はと見飽(みあ)きたまひにける()なれば、(いま)はた、(なほ)るべきにもあらぬを、(なに)かはとて。あやしき(ひと)びとは、(おぼ)()てずは、うれしうこそはあらめ」 "なにごとも、いまはとみあきたまひにけるなれば、いまはた、なほるべきにもあらぬを、なにかはとて。あやしきひとびとは、おぼてずは、うれしうこそはあらめ。"
397.2.5652642 ()こえたまへり。 こえたまへり。
397.2.6653643 「なだらかの(おほん)いらへや。()ひもていけば、()()()しき」 "なだらかのおほんいらへや。ひもていけば、しき。"
397.2.7654644 とて、しひて(わた)りたまへともなくて、その()はひとり()したまへり。 とて、しひてわたりたまへともなくて、そのはひとりしたまへり。
397.2.8655645 「あやしう中空(なかぞら)なるころかな」と(おも)ひつつ、(きみ)たちを(まへ)()せたまひて、かしこにまた、いかに(おぼ)(みだ)るらむさま、(おも)ひやりきこえ、やすからぬ心尽(こころづ)くしなれば、「いかなる(ひと)、かうやうなることをかしうおぼゆらむ」など、物懲(ものご)りしぬべうおぼえたまふ。 "あやしうなかぞらなるころかな。"とおもひつつ、きみたちをまへせたまひて、かしこにまた、いかにおぼみだるらんさま、おもひやりきこえ、やすからぬこころづくしなれば、"いかなるひと、かうやうなることをかしうおぼゆらん。"など、ものごりしぬべうおぼえたまふ。
397.2.9656646 ()けぬれば、 けぬれば、
397.2.10657647 (ひと)見聞(みき)かむも若々(わかわか)しきを、(かぎ)りとのたまひ()てば、さて(こころ)みむ。かしこなる(ひと)びとも、らうたげに()ひきこゆめりしを、()(のこ)したまへる、やうあらむとは()ながら、(おも)()てがたきを、ともかくももてなしはべりなむ」 "ひとみきかんもわかわかしきを、かぎりとのたまひてば、さてこころみん。かしこなるひとびとも、らうたげにひきこゆめりしを、のこしたまへる、やうあらんとはながら、おもてがたきを、ともかくももてなしはべりなん。"
397.2.11658648 と、(おど)しきこえたまへば、すがすがしき御心(みこころ)にて、この君達(きみたち)をさへや、()らぬ(ところ)()(わた)したまはむ、と(あや)ふし。姫君(ひめぎみ)を、 と、おどしきこえたまへば、すがすがしきみこころにて、このきみたちをさへや、らぬところわたしたまはん、とあやふし。ひめぎみを、
397.2.12659649 「いざ、たまへかし。()たてまつりに、かく(まゐ)()ることもはしたなければ、(つね)にも(まゐ)()じ。かしこにも(ひと)びとのらうたきを、(おな)(ところ)にてだに()たてまつらむ」 "いざ、たまへかし。たてまつりに、かくまゐることもはしたなければ、つねにもまゐじ。かしこにもひとびとのらうたきを、おなところにてだにたてまつらん。"
397.2.13660650 ()こえたまふ。まだいといはけなく、をかしげにておはす、いとあはれと()たてまつりたまひて、 こえたまふ。まだいといはけなく、をかしげにておはす、いとあはれとたてまつりたまひて、
397.2.14661651 母君(ははぎみ)御教(おほんをし)へにな(かな)ひたまうそ。いと心憂(こころう)く、(おも)ひとる(かた)なき(こころ)あるは、いと()しきわざなり」 "ははぎみおほんをしへになかなひたまうそ。いとこころうく、おもひとるかたなきこころあるは、いとしきわざなり。"
397.2.15662652 と、()()らせたてまつりたまふ。 と、らせたてまつりたまふ。
397.3663653第三段 蔵人少将、落葉宮邸へ使者
397.3.1664654 大臣(おとど)、かかることを()きたまひて、人笑(ひとわら)はれなるやうに(おぼ)(なげ)く。 おとど、かかることをきたまひて、ひとわらはれなるやうにおぼなげく。
397.3.2665655 「しばしは、さても()たまはで。おのづから(おも)ふところものせらるらむものを。(をんな)のかくひききりなるも、かへりては(かる)くおぼゆるわざなり。よし、かく()ひそめつとならば、(なに)かは()れて、ふとしも(かへ)りたまふ。おのづから(ひと)のけしき(こころ)ばへは()えなむ」 "しばしは、さてもたまはで。おのづからおもふところものせらるらんものを。をんなのかくひききりなるも、かへりてはかるくおぼゆるわざなり。よし、かくひそめつとならば、なにかはれて、ふとしもかへりたまふ。おのづからひとのけしきこころばへはえなん。"
397.3.3666656 とのたまはせて、この(みや)に、蔵人少将(くらうどのせうしゃう)(きみ)御使(おほんつかひ)にてたてまつりたまふ。 とのたまはせて、このみやに、くらうどのせうしゃうきみおほんつかひにてたてまつりたまふ。
397.3.4667657 (ちぎ)りあれや(きみ)(こころ)にとどめおきて<BR/>あはれと(おも)(うら)めしと() "〔ちぎりあれやきみこころにとどめおきて<BR/>あはれとおもうらめしと
397.3.5668658 なほ、え(おぼ)(はな)たじ」 なほ、えおぼはなたじ。"
397.3.6669659 とある御文(おほんふみ)を、少将持(せうしゃうも)ておはして、ただ()りに()りたまふ。 とあるおほんふみを、せうしゃうもておはして、ただりにりたまふ。
397.3.7670660 南面(みなみおもて)簀子(すのこ)円座(わらふだ)さし()でて、(ひと)びと、もの()こえにくし。(みや)は、ましてわびしと(おぼ)す。 みなみおもてすのこわらふださしでて、ひとびと、ものこえにくし。みやは、ましてわびしとおぼす。
397.3.8671661 この(きみ)は、なかにいと容貌(かたち)よく、めやすきさまにて、のどやかに()まはして、いにしへを(おも)()でたるけしきなり。 このきみは、なかにいとかたちよく、めやすきさまにて、のどやかにまはして、いにしへをおもでたるけしきなり。
397.3.9672662 (まゐ)()れにたる心地(ここち)して、うひうひしからぬに、さも御覧(ごらん)(ゆる)さずやあらむ」 "まゐれにたるここちして、うひうひしからぬに、さもごらんゆるさずやあらん。"
397.3.10673663 などばかりぞかすめたまふ。御返(おほんかへ)りいと()こえにくくて、 などばかりぞかすめたまふ。おほんかへりいとこえにくくて、
397.3.11674664 「われはさらにえ()くまじ」 "われはさらにえくまじ。"
397.3.12675665 とのたまへば、 とのたまへば、
397.3.13676666 御心(みこころ)ざしも(へだ)若々(わかわか)しきやうに。宣旨書(せんじが)き、はた()こえさすべきにやは」 "みこころざしもへだわかわかしきやうに。せんじがき、はたこえさすべきにやは。"
397.3.14677667 と、(あつま)りて()こえさすれば、まづうち()きて、 と、あつまりてこえさすれば、まづうちきて、
397.3.15678668 故上(こうへ)おはせましかば、いかに(こころ)づきなし、と(おぼ)しながらも、(つみ)(かく)いたまはまし」 "こうへおはせましかば、いかにこころづきなし、とおぼしながらも、つみかくいたまはまし。"
397.3.16679669 (おも)()でたまふに、(なみだ)のみつらきに(さき)だつ心地(ここち)して、()きやりたまはず。 おもでたまふに、なみだのみつらきにさきだつここちして、きやりたまはず。
397.3.17680670 (なに)ゆゑか()(かず)ならぬ()ひとつを<BR/>()しとも(おも)ひかなしとも()く」 "〔なにゆゑかかずならぬひとつを<BR/>しともおもひかなしともく〕
397.3.18681671 とのみ、(おぼ)しけるままに、()きもとぢめたまはぬやうにて、おしつつみて()だしたまうつ。少将(せうしゃう)は、(ひと)びと物語(ものがたり)して、 とのみ、おぼしけるままに、きもとぢめたまはぬやうにて、おしつつみてだしたまうつ。せうしゃうは、ひとびとものがたりして、
397.3.19682672 時々(ときどき)さぶらふに、かかる御簾(みす)(まへ)は、たづきなき心地(ここち)しはべるを、(いま)よりはよすがある心地(ここち)して、(つね)(まゐ)るべし。内外(ないげ)なども(ゆる)されぬべき、(とし)ごろのしるし(あら)はれはべる心地(ここち)なむしはべる」 "ときどきさぶらふに、かかるみすまへは、たづきなきここちしはべるを、いまよりはよすがあるここちして、つねまゐるべし。ないげなどもゆるされぬべき、としごろのしるしあらはれはべるここちなんしはべる。"
397.3.20683673 など、けしきばみおきて()でたまひぬ。 など、けしきばみおきてでたまひぬ。
397.4684674第四段 藤典侍、雲居雁を慰める
397.4.1685675 いとどしく(こころ)よからぬ()けしき、あくがれ(まど)ひたまふほど、大殿(おほいどの)(きみ)は、()ごろ()るままに、(おぼ)(なげ)くことしげし。典侍(ないしのすけ)、かかることを()くに、 いとどしくこころよからぬけしき、あくがれまどひたまふほど、おほいどのきみは、ごろるままに、おぼなげくことしげし。ないしのすけ、かかることをくに、
397.4.2686676 「われを()とともに(ゆる)さぬものにのたまふなるに、かくあなづりにくきことも()()にけるを」 "われをとともにゆるさぬものにのたまふなるに、かくあなづりにくきこともにけるを。"
397.4.3687677 (おも)ひて、(ふみ)などは時々(ときどき)たてまつれば、()こえたり。 おもひて、ふみなどはときどきたてまつれば、こえたり。
397.4.4688678 (かず)ならば()()られまし()()さを<BR/>(ひと)のためにも()らす(そで)かな」 "〔かずならばられましさを<BR/>ひとのためにもらすそでかな〕
397.4.5689679 なまけやけしとは()たまへど、もののあはれなるほどのつれづれに、「かれもいとただにはおぼえじ」と(おぼ)片心(かたごころ)ぞ、つきにける。 なまけやけしとはたまへど、もののあはれなるほどのつれづれに、"かれもいとただにはおぼえじ。"とおぼかたごころぞ、つきにける。
397.4.6690680 (ひと)()()きをあはれと()しかども<BR/>()にかへむとは(おも)はざりしを」 "〔ひときをあはれとしかども<BR/>にかへんとはおもはざりしを〕
397.4.7691681 とのみあるを、(おぼ)しけるままと、あはれに()る。 とのみあるを、おぼしけるままと、あはれにる。
397.4.8692682 この、(むかし)御中絶(おほんなかだ)えのほどには、この内侍(ないし)のみこそ、人知(ひとし)れぬものに(おも)ひとめたまへりしか、こと(あらた)めて(のち)は、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがに君達(きんだち)はあまたになりにけり。 この、むかしおほんなかだえのほどには、このないしのみこそ、ひとしれぬものにおもひとめたまへりしか、ことあらためてのちは、いとたまさかに、つれなくなりまさりたまうつつ、さすがにきんだちはあまたになりにけり。
397.4.9693683 この御腹(おほんはら)には、太郎君(たらうぎみ)三郎君(さぶらうぎみ)五郎君(ごらうぎみ)六郎君(ろくらうぎみ)(なか)(きみ)()(きみ)()(きみ)とおはす。内侍(ないし)は、大君(おほいきみ)(さん)(きみ)(ろく)(きみ)次郎君(じらうぎみ)四郎君(しらうぎみ)とぞおはしける。すべて十二人(じふににん)(なか)に、かたほなるなく、いとをかしげに、とりどりに()()でたまひける。 このおほんはらには、たらうぎみさぶらうぎみごらうぎみろくらうぎみなかきみきみきみとおはす。ないしは、おほいきみさんきみろくきみじらうぎみしらうぎみとぞおはしける。すべてじふににんなかに、かたほなるなく、いとをかしげに、とりどりにでたまひける。
397.4.10694684 内侍腹(ないしばら)君達(きんだち)しもなむ、容貌(かたち)をかしう、(こころ)ばせかどありて、(みな)すぐれたりける。(さん)(きみ)次郎君(じらうぎみ)は、(ひんがし)御殿(おとど)にぞ、()()きてかしづきたてまつりたまふ。(ゐん)見馴(みな)れたまうて、いとらうたくしたまふ。 ないしばらきんだちしもなん、かたちをかしう、こころばせかどありて、みなすぐれたりける。さんきみじらうぎみは、ひんがしおとどにぞ、きてかしづきたてまつりたまふ。ゐんみなれたまうて、いとらうたくしたまふ。
397.4.11695685 この御仲(おほんなか)らひのこと、()ひやるかたなく、とぞ。 このおほんなからひのこと、ひやるかたなく、とぞ。