帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
42 | 匂兵部卿 |
42 | 1 | 48 | 31 | 第一章 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後 |
42 | 1.1 | 49 | 32 | 第一段 匂宮と薫の評判 |
42 | 1.1.1 | 50 | 33 |
光隠れたまひにし後、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり。下りゐの帝をかけたてまつらむはかたじけなし。当代の三の宮、その同じ御殿にて生ひ出でたまひし宮の若君と、この二所なむ、とりどりにきよらなる御名取りたまひて、げに、いとなべてならぬ御ありさまどもなれど、いとまばゆき際にはおはせざるべし。 |
ひかりかくれたまひにしのち、かのおほんかげにたちつぎたまふべきひと、そこらのおほんすゑずゑにありがたかりけり。おりゐのみかどをかけたてまつらんはかたじけなし。たうだいのさんのみや、そのおなじおとどにておひいでたまひしみやのわかぎみと、このふたところなん、とりどりにきよらなるおほんなとりたまひて、げに、いとなべてならぬおほんありさまどもなれど、いとまばゆききはにはおはせざるべし。 |
42 | 1.1.2 | 51 | 34 |
ただ世の常の人ざまに、めでたくあてになまめかしくおはするをもととして、さる御仲らひに、人の思ひきこえたるもてなし、ありさまも、いにしへの御響きけはひよりも、やや立ちまさりたまへるおぼえからなむ、かたへは、こよなういつくしかりける。 |
ただよのつねのひとざまに、めでたくあてになまめかしくおはするをもととして、さるおほんなからひに、ひとのおもひきこえたるもてなし、ありさまも、いにしへのおほんひびきけはひよりも、ややたちまさりたまへるおぼえからなん、かたへは、こよなういつくしかりける。 |
42 | 1.1.3 | 52 | 35 |
紫の上の、御心寄せことに育みきこえたまひしゆゑ、三の宮は、二条の院におはします。春宮をば、さるやむごとなきものにおきたてまつりたまひて、帝、后、いみじうかなしうしたてまつり、かしづききこえさせたまふ宮なれば、内裏住みをせさせたてまつりたまへど、なほ心やすき故里に、住みよくしたまふなりけり。御元服したまひては、兵部卿と聞こゆ。 |
むらさきのうへの、おほんこころよせことにはぐくみきこえたまひしゆゑ、さんのみやは、にでうのゐんにおはします。とうぐうをば、さるやんごとなきものにおきたてまつりたまひて、みかど、きさき、いみじうかなしうしたてまつり、かしづききこえさせたまふみやなれば、うちずみをせさせたてまつりたまへど、なほこころやすきふるさとに、すみよくしたまふなりけり。おほんげんぷくしたまひては、ひゃうぶきゃうときこゆ。 |
42 | 1.2 | 53 | 36 | 第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち |
42 | 1.2.1 | 54 | 37 |
女一の宮は、六条の院の南の町の東の対を、その世の御しつらひ改めずおはしまして、朝夕に恋ひしのびきこえたまふ。二の宮も、同じ御殿の寝殿を、時々の御休み所にしたまひて、梅壺を御曹司にしたまうて、右の大殿の中の姫君を得たてまつりたまへり。次の坊がねにて、いとおぼえことに重々しう、人柄もすくよかになむものしたまひける。 |
をんないちのみやは、ろくでうのゐんのみなみのまちのひんがしのたいを、そのよのおほんしつらひあらためずおはしまして、あさゆふにこひしのびきこえたまふ。にのみやも、おなじおとどのしんでんを、ときどきのおほんやすみどころにしたまひて、むめつぼをおほんざうしにしたまうて、みぎのおほいどののなかのひめぎみをえたてまつりたまへり。つぎのばうがねにて、いとおぼえことにおもおもしう、ひとがらもすくよかになんものしたまひける。 |
42 | 1.2.2 | 55 | 38 |
大殿の御女は、いとあまたものしたまふ。大姫君は、春宮に参りたまひて、またきしろふ人なきさまにてさぶらひたまふ。その次々、なほ皆ついでのままにこそはと、世の人も思ひきこえ、后の宮ものたまはすれど、この兵部卿宮は、さしも思したらず、わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじく思しぬべき御けしきなめり。 |
おほいどののおほんむすめは、いとあまたものしたまふ。おほひめぎみは、とうぐうにまゐりたまひて、またきしろふひとなきさまにてさぶらひたまふ。そのつぎつぎ、なほみなついでのままにこそはと、よのひともおもひきこえ、きさいのみやものたまはすれど、このひゃうぶきゃうのみやは、さしもおぼしたらず、わがみこころよりおこらざらんことなどは、すさまじくおぼしぬべきみけしきなめり。 |
42 | 1.2.3 | 56 | 39 |
大臣も、「何かは、やうのものと、さのみうるはしうは」と静めたまへど、また、さる御けしきあらむをば、もて離れてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづききこえたまふ。六の君なむ、そのころの、すこし我はと思ひのぼりたまへる親王たち、上達部の、御心尽くすくさはひにものしたまひける。 |
おとども、"なにかは、やうのものと、さのみうるはしうは。"としづめたまへど、また、さるみけしきあらんをば、もてはなれてもあるまじうおもむけて、いといたうかしづききこえたまふ。ろくのきみなん、そのころの、すこしわれはとおもひのぼりたまへるみこたち、かんだちめの、みこころつくすくさはひにものしたまひける。 |
42 | 1.3 | 57 | 40 | 第三段 光る源氏の夫人たちのその後 |
42 | 1.3.1 | 58 | 41 |
さまざま集ひたまへりし御方々、泣く泣くつひにおはすべき住みかどもに、皆おのおの移ろひたまひしに、花散里と聞こえしは、東の院をぞ、御処分所にて渡りたまひにける。 |
さまざまつどひたまへりしおほんかたがた、なくなくつひにおはすべきすみかどもに、みなおのおのうつろひたまひしに、はなちるさとときこえしは、ひんがしのゐんをぞ、おほんそうぶんどころにてわたりたまひにける。 |
42 | 1.3.2 | 59 | 42 |
入道の宮は、三条の宮におはします。今后は、内裏にのみさぶらひたまへば、院のうち寂しく、人少なになりにけるを、右の大臣、 |
にふだうのみやは、さんでうのみやにおはします。いまぎさきは、うちにのみさぶらひたまへば、ゐんのうちさびしく、ひとずくなになりにけるを、みぎのおとど、 |
42 | 1.3.3 | 60 | 43 |
「人の上にて、いにしへの例を見聞くにも、生ける限りの世に、心をとどめて造り占めたる人の家居の、名残なくうち捨てられて、世の名残も常なく見ゆるは、いとあはれに、はかなさ知らるるを、わが世にあらむ限りだに、この院荒さず、ほとりの大路など、人影離れ果つまじう」 |
"ひとのうへにて、いにしへのためしをみきくにも、いけるかぎりのよに、こころをとどめてつくりしめたるひとのいへゐの、なごりなくうちすてられて、よのなごりもつねなくみゆるは、いとあはれに、はかなさしらるるを、わがよにあらんかぎりだに、このゐんあらさず、ほとりのおほぢなど、ひとかげかれはつまじう。" |
42 | 1.3.4 | 61 | 44 |
と、思しのたまはせて、丑寅の町に、かの一条の宮を渡したてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつ、うるはしう通ひ住みたまひける。 |
と、おぼしのたまはせて、うしとらのまちに、かのいちでうのみやをわたしたてまつりたまひてなん、さんでうどのと、よごとにじふごにちづつ、うるはしうかよひすみたまひける。 |
42 | 1.3.5 | 62 | 45 |
二の条院とて、造り磨き、六条の院の春の御殿とて、世にののしる玉の台も、ただ一人の御末のためなりけり、と見えて、明石の御方は、あまたの宮たちの御後見をしつつ、扱ひきこえたまへり。大殿は、いづかたの御ことをも、昔の御心おきてのままに、改め変ることなく、あまねき親心に仕うまつりたまふにも、「対の上の、かやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くして仕うまつり見えたてまつらまし。つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて、過ぎたまひにしこと」を、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。 |
にでうのゐんとて、つくりみがき、ろくでうのゐんのはるのおとどとて、よにののしるたまのうてなも、ただひとりのおほんすゑのためなりけり、とみえて、あかしのおほんかたは、あまたのみやたちのおほんうしろみをしつつ、あつかひきこえたまへり。おほいどのは、いづかたのおほんことをも、むかしのみこころおきてのままに、あらためかはることなく、あまねきおやごころにつかうまつりたまふにも、"たいのうへの、かやうにてとまりたまへらましかば、いかばかりこころをつくしてつかうまつりみえたてまつらまし。つひに、いささかもとりわきて、わがこころよせとみしりたまふべきふしもなくて、すぎたまひにしこと。"を、くちをしうあかずかなしうおもひいできこえたまふ。 |
42 | 1.3.6 | 63 | 46 |
天の下の人、院を恋ひきこえぬなく、とにかくにつけても、世はただ火を消ちたるやうに、何ごとも栄なき嘆きをせぬ折なかりけり。まして、殿のうちの人びと、御方々、宮たちなどは、さらにも聞こえず、限りなき御ことをばさるものにて、またかの紫の御ありさまを心にしめつつ、よろづのことにつけて、思ひ出できこえたまはぬ時の間なし。春の花の盛りは、げに、長からぬにしも、おぼえまさるものとなむ。 |
あめのしたのひと、ゐんをこひきこえぬなく、とにかくにつけても、よはただひをけちたるやうに、なにごともはえなきなげきをせぬをりなかりけり。まして、とののうちのひとびと、おほんかたがた、みやたちなどは、さらにもきこえず、かぎりなきおほんことをばさるものにて、またかのむらさきのおほんありさまをこころにしめつつ、よろづのことにつけて、おもひいできこえたまはぬときのまなし。はるのはなのさかりは、げに、ながからぬにしも、おぼえまさるものとなん。 |
42 | 2 | 64 | 47 | 第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格 |
42 | 2.1 | 65 | 48 | 第一段 薫、冷泉院から寵遇される |
42 | 2.1.1 | 66 | 49 |
二品宮の若君は、院の聞こえつけたまへりしままに、冷泉院の帝、取り分きて思しかしづき、后の宮も、皇子たちなどおはせず、心細う思さるるままに、うれしき御後見に、まめやかに頼みきこえたまへり。 |
にほんのみやのわかぎみは、ゐんのきこえつけたまへりしままに、れいぜいゐんのみかど、とりわきておぼしかしづき、きさいのみやも、みこたちなどおはせず、こころぼそうおぼさるるままに、うれしきおほんうしろみに、まめやかにたのみきこえたまへり。 |
42 | 2.1.2 | 67 | 50 |
御元服なども、院にてせさせたまふ。十四にて、二月に侍従になりたまふ。秋、右近中将になりて、御たうばりの加階などをさへ、いづこの心もとなきにか、急ぎ加へておとなびさせたまふ。おはします御殿近き対を曹司にしつらひなど、みづから御覧じ入れて、若き人も、童、下仕へまで、すぐれたるを選りととのへ、女の御儀式よりもまばゆくととのへさせたまへり。 |
おほんげんぷくなども、ゐんにてせさせたまふ。じふしにて、にがつにじじゅうになりたまふ。あき、うこんのちゅうじゃうになりて、おほんたうばりのかかいなどをさへ、いづこのこころもとなきにか、いそぎくはへておとなびさせたまふ。おはしますおとどちかきたいをざうしにしつらひなど、みづからごらんじいれて、わかきひとも、わらは、しもづかへまで、すぐれたるをえりととのへ、をんなのおほんぎしきよりもまばゆくととのへさせたまへり。 |
42 | 2.1.3 | 68 | 51 |
上にも宮にも、さぶらふ女房の中にも、容貌よく、あてやかにめやすきは、皆移し渡させたまひつつ、院のうちを心につけて、住みよくありよく思ふべくとのみ、わざとがましき御扱ひぐさに思されたまへり。故致仕の大殿の女御と聞こえし御腹に、女宮ただ一所おはしけるをなむ、限りなくかしづきたまふ御ありさまに劣らず、后の宮の御おぼえの、年月にまさりたまふけはひにこそは、などかさしも、と見るまでなむ。 |
うへにもみやにも、さぶらふにょうばうのなかにも、かたちよく、あてやかにめやすきは、みなうつしわたさせたまひつつ、ゐんのうちをこころにつけて、すみよくありよくおもふべくとのみ、わざとがましきおほんあつかひぐさにおぼされたまへり。こちじのおほいどののにょうごときこえしおほんはらに、をんなみやただひとところおはしけるをなん、かぎりなくかしづきたまふおほんありさまにおとらず、きさいのみやのおほんおぼえの、としつきにまさりたまふけはひにこそは、などかさしも、とみるまでなん。 |
42 | 2.1.4 | 69 | 52 |
母宮は、今はただ御行ひを静かにしたまひて、月の御念仏、年に二度の御八講、折々の尊き御いとなみばかりをしたまひて、つれづれにおはしませば、この君の出で入りたまふを、かへりて親のやうに、頼もしき蔭に思したれば、いとあはれにて、院にも内裏にも、召しまとはし、春宮も、次々の宮たちも、なつかしき御遊びがたきにてともなひたまへば、暇なく苦しく、「いかで身を分けてしがな」と、おぼえたまひける。 |
ははみやは、いまはただおほんおこなひをしづかにしたまひて、つきのおほんねんぶつ、としにふたたびのみはかう、をりをりのたふときおほんいとなみばかりをしたまひて、つれづれにおはしませば、このきみのいでいりたまふを、かへりておやのやうに、たのもしきかげにおぼしたれば、いとあはれにて、ゐんにもうちにも、めしまとはし、とうぐうも、つぎつぎのみやたちも、なつかしきおほんあそびがたきにてともなひたまへば、いとまなくくるしく、"いかでみをわけてしがな。"と、おぼえたまひける。 |
42 | 2.2 | 70 | 53 | 第二段 薫、出生の秘密に悩む |
42 | 2.2.1 | 71 | 54 |
幼心地にほの聞きたまひしことの、折々いぶかしう、おぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。宮には、ことのけしきにても、知りけりと思されむ、かたはらいたき筋なれば、世とともの心にかけて、 |
をさなごこちにほのききたまひしことの、をりをりいぶかしう、おぼつかなうおもひわたれど、とふべきひともなし。みやには、ことのけしきにても、しりけりとおぼされん、かたはらいたきすぢなれば、よととものこころにかけて、 |
42 | 2.2.2 | 72 | 55 |
「いかなりけることにかは、何の契りにて、かうやすからぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ。善巧太子の、わが身に問ひけむ悟りをも得てしがな」とぞ、独りごたれたまひける。 |
"いかなりけることにかは、なにのちぎりにて、かうやすからぬおもひそひたるみにしもなりいでけん。ぜんげうたいしの、わがみにとひけんさとりをもえてしがな。"とぞ、ひとりごたれたまひける。 |
42 | 2.2.3 | 73 | 56 |
「おぼつかな誰れに問はましいかにして<BR/>初めも果ても知らぬわが身ぞ」 |
"〔おぼつかなたれにとはましいかにして<BR/>はじめもはてもしらぬわがみぞ〕 |
42 | 2.2.4 | 74 | 57 |
いらふべき人もなし。ことに触れて、わが身につつがある心地するも、ただならず、もの嘆かしくのみ、思ひめぐらしつつ、「宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけむ。かく、思はずなりけることの乱れに、かならず憂しと思しなるふしありけむ。人もまさに漏り出で、知らじやは。なほ、つつむべきことの聞こえにより、我にはけしきを知らする人のなきなめり」と思ふ。 |
いらふべきひともなし。ことにふれて、わがみにつつがあるここちするも、ただならず、ものなげかしくのみ、おもひめぐらしつつ、"みやもかくさかりのおほんかたちをやつしたまひて、なにばかりのおほんだうしんにてか、にはかにおもむきたまひけん。かく、おもはずなりけることのみだれに、かならずうしとおぼしなるふしありけん。ひともまさにもりいで、しらじやは。なほ、つつむべきことのきこえにより、われにはけしきをしらするひとのなきなめり。"とおもふ。 |
42 | 2.2.5 | 75 | 58 |
「明け暮れ、勤めたまふやうなめれど、はかなくおほどきたまへる女の御悟りのほどに、蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはむことも難し。五つのなにがしも、なほうしろめたきを、我、この御心地を、同じうは後の世をだに」と思ふ。「かの過ぎたまひけむも、やすからぬ思ひに結ぼほれてや」など推し量るに、世を変へても対面せまほしき心つきて、元服はもの憂がりたまひけれど、すまひ果てず、おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまりたまへり。 |
"あけくれ、つとめたまふやうなめれど、はかなくおほどきたまへるをんなのおほんさとりのほどに、はちすのつゆもあきらかに、たまとみがきたまはんこともかたし。いつつのなにがしも、なほうしろめたきを、われ、このみここちを、おなじうはのちのよをだに。"とおもふ。"かのすぎたまひけんも、やすからぬおもひにむすぼほれてや。"などおしはかるに、よをかへてもたいめんせまほしきこころつきて、げんぷくはものうがりたまひけれど、すまひはてず、おのづからよのなかにもてなされて、まばゆきまではなやかなるおほんみのかざりも、こころにつかずのみ、おもひしづまりたまへり。 |
42 | 2.3 | 76 | 59 | 第三段 薫、目覚ましい栄達 |
42 | 2.3.1 | 77 | 60 |
内裏にも、母宮の御方ざまの御心寄せ深くて、いとあはれなるものに思され、后の宮はた、もとよりひとつ御殿にて、宮たちももろともに生ひ出で、遊びたまひし御もてなし、をさをさ改めたまはず、「末に生まれたまひて、心苦しう、おとなしうもえ見おかぬこと」と、院の思しのたまひしを、思ひ出できこえたまひつつ、おろかならず思ひきこえたまへり。 |
うちにも、ははみやのおほんかたざまのみこころよせふかくて、いとあはれなるものにおぼされ、きさいのみやはた、もとよりひとつおとどにて、みやたちももろともにおひいで、あそびたまひしおほんもてなし、をさをさあらためたまはず、"すゑにむまれたまひて、こころぐるしう、おとなしうもえみおかぬこと。"と、ゐんのおぼしのたまひしを、おもひいできこえたまひつつ、おろかならずおもひきこえたまへり。 |
42 | 2.3.2 | 78 | 61 |
右の大臣も、わが御子どもの君たちよりも、この君をばこまやかにやうごとなくもてなしかしづきたてまつりたまふ。 |
みぎのおとども、わがみこどものきみたちよりも、このきみをばこまやかにやうごとなくもてなしかしづきたてまつりたまふ。 |
42 | 2.3.3 | 79 | 62 |
昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うち添ひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざまもの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光を、まばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも、ことなく過ぐしたまひて、後の世の御勤めも後らかしたまはず、よろづさりげなくて、久しくのどけき御心おきてにこそありしか、この君は、まだしきに、世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたること、こよなくなどぞものしたまふ。 |
むかし、ひかるきみときこえしは、さるまたなきおほんおぼえながら、そねみたまふひとうちそひ、ははかたのおほんうしろみなくなどありしに、みこころざまものふかく、よのなかをおぼしなだらめしほどに、ならびなきおほんひかりを、まばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじきよのみだれもいできぬべかりしことをも、ことなくすぐしたまひて、のちのよのおほんつとめもおくらかしたまはず、よろづさりげなくて、ひさしくのどけきみこころおきてにこそありしか、このきみは、まだしきに、よのおぼえいとすぎて、おもひあがりたること、こよなくなどぞものしたまふ。 |
42 | 2.3.4 | 80 | 63 |
げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける、仮に宿れるかとも見ゆること添ひたまへり。顔容貌も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしう恥づかしげに、心の奥多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり。 |
げに、さるべくて、いとこのよのひととはつくりいでざりける、かりにやどれるかともみゆることそひたまへり。かほかたちも、そこはかと、いづこなんすぐれたる、あなきよら、とみゆるところもなきが、ただいとなまめかしうはづかしげに、こころのおくおほかりげなるけはひの、ひとににぬなりけり。 |
42 | 2.3.5 | 81 | 64 |
香のかうばしさぞ、この世の匂ひならず、あやしきまで、うち振る舞ひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風に、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける。誰も、さばかりになりぬる御ありさまの、いとやつればみ、ただありなるやはあるべき、さまざまに、われ人にまさらむと、つくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで、うち忍び立ち寄らむものの隈も、しるきほのめきの隠れあるまじきに、うるさがりて、をさをさ取りもつけたまはねど、あまたの御唐櫃にうづもれたる香の香どもも、この君のは、いふよしもなき匂ひを加へ、御前の花の木も、はかなく袖触れたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風、ことに折なしからなむまさりける。 |
かのかうばしさぞ、このよのにほひならず、あやしきまで、うちふるまひたまへるあたり、とほくへだたるほどのおひかぜに、まことにひゃくぶのほかもかをりぬべきここちしける。たれも、さばかりになりぬるおほんありさまの、いとやつればみ、ただありなるやはあるべき、さまざまに、われひとにまさらんと、つくろひよういすべかめるを、かくかたはなるまで、うちしのびたちよらんもののくまも、しるきほのめきのかくれあるまじきに、うるさがりて、をさをさとりもつけたまはねど、あまたのおほんからびつにうづもれたるかのかうどもも、このきみのは、いふよしもなきにほひをくはへ、おまへのはなのきも、はかなくそでふれたまふむめのかは、はるさめのしづくにもぬれ、みにしむるひとおほく、あきののにぬしなきふぢばかまも、もとのかをりはかくれて、なつかしきおひかぜ、ことにをりなしからなんまさりける。 |
42 | 2.4 | 82 | 65 | 第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う |
42 | 2.4.1 | 83 | 66 |
かく、いとあやしきまで人のとがむる香にしみたまへるを、兵部卿宮なむ、異事よりも挑ましく思して、それは、わざとよろづのすぐれたる移しをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。 |
かく、いとあやしきまでひとのとがむるかにしみたまへるを、ひゃうぶきゃうのみやなん、ことごとよりもいどましくおぼして、それは、わざとよろづのすぐれたるうつしをしめたまひ、あさゆふのことわざにあはせいとなみ、おまへのせんさいにも、はるはむめのはなぞのをながめたまひ、あきはよのひとのめづるをみなへし、さをしかのつまにすめるはぎのつゆにも、をさをさみこころうつしたまはず、おいをわするるきくに、おとろへゆくふぢばかま、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじきしもがれのころほひまでおぼしすてずなど、わざとめきて、かにめづるおもひをなん、たててこのましうおはしける。 |
42 | 2.4.2 | 84 | 68 |
かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、好いたる方に引かれたまへりと、世の人は思ひきこえたり。昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと、やう変り、しみたまへる方ぞなかりしかし。 |
かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、すいたるかたにひかれたまへりと、よのひとはおもひきこえたり。むかしのげんじは、すべて、かくたててそのことと、やうかはり、しみたまへるかたぞなかりしかし。 |
42 | 2.4.3 | 85 | 69 |
源中将、この宮には常に参りつつ、御遊びなどにも、きしろふものの音を吹き立て、げに挑ましくも、若きどち思ひ交はしたまうつべき人ざまになむ。例の、世人は、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と、聞きにくく言ひ続けて、そのころ、よき女おはする、やうごとなき所々は、心ときめきに、聞こえごちなどしたまふもあれば、宮は、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひ寄りて、人の御けはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。わざと御心につけて思す方は、ことになかりけり。 |
げんちゅうじゃう、このみやにはつねにまゐりつつ、おほんあそびなどにも、きしろふもののねをふきたて、げにいどましくも、わかきどちおもひかはしたまうつべきひとざまになん。れいの、よひとは、"にほふひゃうぶきゃう、かをるちゅうじゃう"と、ききにくくいひつづけて、そのころ、よきむすめおはする、やうごとなきところどころは、こころときめきに、きこえごちなどしたまふもあれば、みやは、さまざまに、をかしうもありぬべきわたりをばのたまひよりて、ひとのおほんけはひ、ありさまをもけしきとりたまふ。わざとみこころにつけておぼすかたは、ことになかりけり。 |
42 | 2.4.4 | 86 | 70 |
「冷泉院の女一の宮をぞ、さやうにても見たてまつらばや。かひありなむかし」と思したるは、母女御もいと重く、心にくくものしたまふあたりにて、姫宮の御けはひ、げに、いとありがたくすぐれて、よその聞こえもおはしますに、まして、すこし近くもさぶらひ馴れたる女房などの、くはしき御ありさまの、ことに触れて聞こえ伝ふるなどもあるに、いとど忍びがたく思すべかめり。 |
"れいぜいゐんのをんないちのみやをぞ、さやうにてもみたてまつらばや。かひありなんかし。"とおぼしたるは、ははにょうごもいとおもく、こころにくくものしたまふあたりにて、ひめみやのおほんけはひ、げに、いとありがたくすぐれて、よそのきこえもおはしますに、まして、すこしちかくもさぶらひなれたるにょうばうなどの、くはしきおほんありさまの、ことにふれてきこえつたふるなどもあるに、いとどしのびがたくおぼすべかめり。 |
42 | 2.5 | 87 | 71 | 第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格 |
42 | 2.5.1 | 88 | 72 |
中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひ澄ましたる心なれば、「なかなか心とどめて、行き離れがたき思ひや残らむ」など思ふに、「わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましく」など思ひ捨てたまふ。さしあたりて、心にしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけむ。人の許しなからむことなどは、まして思ひ寄るべくもあらず。 |
ちゅうじゃうは、よのなかをふかくあぢきなきものにおもひすましたるこころなれば、"なかなかこころとどめて、ゆきはなれがたきおもひやのこらん。"などおもふに、"わづらはしきおもひあらんあたりにかかづらはんは、つつましく。"などおもひすてたまふ。さしあたりて、こころにしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけん。ひとのゆるしなからんことなどは、ましておもひよるべくもあらず。 |
42 | 2.5.2 | 89 | 73 |
十九になりたまふ年、三位の宰相にて、なほ中将も離れず。帝、后の御もてなしに、ただ人にては、憚りなきめでたき人のおぼえにてものしたまへど、心のうちには身を思ひ知るかたありて、ものあはれになどもありければ、心にまかせて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよすけたる心ざまを、人にも知られたまへり。 |
じふくになりたまふとし、さんみのさいしゃうにて、なほちゅうじゃうもはなれず。みかど、きさきのおほんもてなしに、ただうどにては、はばかりなきめでたきひとのおぼえにてものしたまへど、こころのうちにはみをおもひしるかたありて、ものあはれになどもありければ、こころにまかせて、はやりかなるすきごと、をさをさこのまず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよすけたるこころざまを、ひとにもしられたまへり。 |
42 | 2.5.3 | 90 | 74 |
三の宮の、年に添へて心をくだきたまふめる、院の姫宮の御あたりを見るにも、一つ院のうちに、明け暮れ立ち馴れたまへば、ことに触れても、人のありさまを聞き見たてまつるに、「げに、いとなべてならず。心にくくゆゑゆゑしき御もてなし限りなきを、同じくは、げにかやうなる人を見むにこそ、生ける限りの心ゆくべきつまなれ」と思ひながら、おほかたこそ隔つることなく思したれ、姫宮の御方ざまの隔ては、こよなく気遠くならはさせたまふも、ことわりにわづらはしければ、あながちにもまじらひ寄らず。「もし、心より外の心もつかば、我も人もいと悪しかるべきこと」と思ひ知りて、もの馴れ寄ることもなかりけり。 |
さんのみやの、としにそへてこころをくだきたまふめる、ゐんのひめみやのおほんあたりをみるにも、ひとつゐんのうちに、あけくれたちなれたまへば、ことにふれても、ひとのありさまをききみたてまつるに、"げに、いとなべてならず。こころにくくゆゑゆゑしきおほんもてなしかぎりなきを、おなじくは、げにかやうなるひとをみんにこそ、いけるかぎりのこころゆくべきつまなれ。"とおもひながら、おほかたこそへだつることなくおぼしたれ、ひめみやのおほんかたざまのへだては、こよなくけどほくならはさせたまふも、ことわりにわづらはしければ、あながちにもまじらひよらず。"もし、こころよりほかのこころもつかば、われもひともいとあしかるべきこと。"とおもひしりて、ものなれよることもなかりけり。 |
42 | 2.5.4 | 91 | 75 |
我が、かく、人にめでられむとなりたまへるありさまなれば、はかなくなげの言葉を散らしたまふあたりも、こよなくもて離るる心なく、なびきやすなるほどに、おのづからなほざりの通ひ所もあまたになるを、人のために、ことことしくなどもてなさず、いとよく紛らはし、そこはかとなく情けなからぬほどの、なかなか心やましきを、思ひ寄れる人は、誘はれつつ、三条の宮に参り集まるはあまたあり。 |
わが、かく、ひとにめでられんとなりたまへるありさまなれば、はかなくなげのことばをちらしたまふあたりも、こよなくもてはなるるこころなく、なびきやすなるほどに、おのづからなほざりのかよひどころもあまたになるを、ひとのために、ことことしくなどもてなさず、いとよくまぎらはし、そこはかとなくなさけなからぬほどの、なかなかこころやましきを、おもひよれるひとは、いざなはれつつ、さんでうのみやにまゐりあつまるはあまたあり。 |
42 | 2.5.5 | 92 | 76 |
つれなきを見るも、苦しげなるわざなめれど、絶えなむよりは、心細きに思ひわびて、さもあるまじき際の人びとの、はかなき契りに頼みをかけたる多かり。さすがに、いとなつかしう、見所ある人の御ありさまなれば、見る人、皆心にはからるるやうにて、見過ぐさる。 |
つれなきをみるも、くるしげなるわざなめれど、たえなんよりは、こころぼそきにおもひわびて、さもあるまじききはのひとびとの、はかなきちぎりにたのみをかけたるおほかり。さすがに、いとなつかしう、みどころあるひとのおほんありさまなれば、みるひと、みなこころにはからるるやうにて、みすぐさる。 |
42 | 2.6 | 93 | 77 | 第六段 夕霧の六の君の評判 |
42 | 2.6.1 | 94 | 78 |
「宮のおはしまさむ世の限りは、朝夕に御目離れず御覧ぜられ、見えたてまつらむをだに」 |
"みやのおはしまさんよのかぎりは、あさゆふにおほんめかれずごらんぜられ、みえたてまつらんをだに。" |
42 | 2.6.2 | 95 | 79 |
と思ひのたまへば、右の大臣も、あまたものしたまふ御女たちを、一人一人は、と心ざしたまひながら、え言に出でたまはず。「さすがに、ゆかしげなき仲らひなるを」とは思ひなせど、「この君たちをおきて、ほかには、なずらひなるべき人を求め出づべき世かは」と思しわづらふ。 |
とおもひのたまへば、みぎのおとども、あまたものしたまふおほんむすめたちを、ひとりひとりは、とこころざしたまひながら、えことにいでたまはず。"さすがに、ゆかしげなきなからひなるを。"とはおもひなせど、"このきみたちをおきて、ほかには、なずらひなるべきひとをもとめいづべきよかは。"とおぼしわづらふ。 |
42 | 2.6.3 | 96 | 80 |
やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなどもたらひて生ひ出でたまふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、心苦しう思して、一条の宮の、さる扱ひぐさ持たまへらでさうざうしきに、迎へとりてたてまつりたまへり。 |
やんごとなきよりも、ないしのすけばらのろくのきみとか、いとすぐれてをかしげに、こころばへなどもたらひておひいでたまふを、よのおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、こころぐるしうおぼして、いちでうのみやの、さるあつかひぐさもたまへらでさうざうしきに、むかへとりてたてまつりたまへり。 |
42 | 2.6.4 | 97 | 81 |
「わざとはなくて、この人びとに見せそめては、かならず心とどめたまひてむ。人のありさまをも知る人は、ことにこそあるべけれ」など思して、いといつくしくはもてなしたまはず、今めかしくをかしきやうに、もの好みせさせて、人の心つけむたより多くつくりなしたまふ。 |
"わざとはなくて、このひとびとにみせそめては、かならずこころとどめたまひてん。ひとのありさまをもしるひとは、ことにこそあるべけれ。"などおぼして、いといつくしくはもてなしたまはず、いまめかしくをかしきやうに、ものごのみせさせて、ひとのこころつけんたよりおほくつくりなしたまふ。 |
42 | 2.7 | 98 | 82 | 第七段 六条院の賭弓の還饗 |
42 | 2.7.1 | 99 | 83 |
賭弓の還饗のまうけ、六条の院にていと心ことにしたまひて、親王をもおはしまさせむの心づかひしたまへり。 |
のりゆみのかへりあるじのまうけ、ろくでうのゐんにていとこころことにしたまひて、みこをもおはしまさせんのこころづかひしたまへり。 |
42 | 2.7.2 | 100 | 84 |
その日、親王たち、大人におはするは、皆さぶらひたまふ。后腹のは、いづれともなく、気高くきよげにおはします中にも、この兵部卿宮は、げにいとすぐれてこよなう見えたまふ。四の親王、常陸宮と聞こゆる、更衣腹のは、思ひなしにや、けはひこよなう劣りたまへり。 |
そのひ、みこたち、おとなにおはするは、みなさぶらひたまふ。きさいばらのは、いづれともなく、けだかくきよげにおはしますなかにも、このひゃうぶきゃうのみやは、げにいとすぐれてこよなうみえたまふ。しのみこ、ひたちのみやときこゆる、かういばらのは、おもひなしにや、けはひこよなうおとりたまへり。 |
42 | 2.7.3 | 101 | 85 |
例の、左、あながちに勝ちぬ。例よりは、とくこと果てて、大将まかでたまふ。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、一つ車に招き乗せたてまつりて、まかでたまふ。宰相中将は、負方にて、音なくまかでたまひにけるを、 |
れいの、ひだり、あながちにかちぬ。れいよりは、とくことはてて、だいしゃうまかでたまふ。ひゃうぶきゃうのみや、ひたちのみや、きさきばらのごのみやと、ひとつくるまにまねきのせたてまつりて、まかでたまふ。さいしゃうのちゅうじゃうは、まけかたにて、おとなくまかでたまひにけるを、 |
42 | 2.7.4 | 102 | 86 |
「親王たちおはします御送りには、参りたまふまじや」 |
"みこたちおはしますおほんおくりには、まゐりたまふまじや。" |
42 | 2.7.5 | 103 | 87 |
と、おしとどめさせて、御子の右衛門督、権中納言、右大弁など、さらぬ上達部あまた、これかれに乗りまじり、誘ひ立てて、六条の院へおはす。 |
と、おしとどめさせて、おほんこのうゑもんのかみ、ごんのちゅうなごん、うだいべんなど、さらぬかんだちめあまた、これかれにのりまじり、いざなひたてて、ろくでうのゐんへおはす。 |
42 | 2.7.6 | 104 | 88 |
道のややほど経るに、雪いささか散りて、艶なるたそかれ時なり。物の音をかしきほどに吹き立て遊びて入りたまふを、「げに、ここをおきて、いかならむ仏の国にかは、かやうの折節の心やり所を求めむ」と見えたり。 |
みちのややほどふるに、ゆきいささかちりて、えんなるたそかれどきなり。もののねをかしきほどにふきたてあそびていりたまふを、"げに、ここをおきて、いかならんほとけのくににかは、かやうのをりふしのこころやりどころをもとめん。"とみえたり。 |
42 | 2.7.7 | 105 | 89 |
寝殿の南の廂に、常のごと南向きに、中少将着きわたり、北向きにむかひて、垣下の親王たち、上達部の御座あり。御土器など始まりて、ものおもしろくなりゆくに、「求子」舞ひて、かよる袖どものうち返す羽風に、御前近き梅の、いといたくほころびこぼれたる匂ひの、さとうち散りわたれるに、例の、中将の御薫りの、いとどしくもてはやされて、いひ知らずなまめかし。はつかにのぞく女房なども、「闇はあやなく、心もとなきほどなれど、香にこそ、げに似たるものなかりけれ」と、めであへり。 |
しんでんのみなみのひさしに、つねのごとみなみむきに、ちゅうせうしゃうつきわたり、きたむきにむかひて、ゑがのみこたち、かんだちめのおましあり。おほんかはらけなどはじまりて、ものおもしろくなりゆくに、"もとめご"まひて、かよるそでどものうちかへすはかぜに、おまへちかきむめの、いといたくほころびこぼれたるにほひの、さとうちちりわたれるに、れいの、ちゅうじゃうのおほんかをりの、いとどしくもてはやされて、いひしらずなまめかし。はつかにのぞくにょうばうなども、"やみはあやなく、こころもとなきほどなれど、かにこそ、げににたるものなかりけれ。"と、めであへり。 |
42 | 2.7.8 | 106 | 90 |
大臣も、いとめでたしと見たまふ。容貌用意も、常よりまさりて、乱れぬさまに収めたるを見て、 |
おとども、いとめでたしとみたまふ。かたちよういも、つねよりまさりて、みだれぬさまにをさめたるをみて、 |
42 | 2.7.9 | 107 | 91 |
「右の中将も声加へたまへや。いたう客人だたしや」 |
"みぎのすけもこゑくはへたまへや。いたうまらうとだたしや。" |
42 | 2.7.10 | 108 | 92 |
とのたまへば、憎からぬほどに、「神のます」など。 |
とのたまへば、にくからぬほどに、"かみのます"など。 |