帖 | 章.段.行 | テキストLineNo | ローマ字LineNo | 本文 | ひらがな |
43 | 紅梅 |
43 | 1 | 55 | 31 | 第一章 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案 |
43 | 1.1 | 56 | 32 | 第一段 按察使大納言家の家族 |
43 | 1.1.1 | 57 | 33 |
そのころ、按察使大納言と聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり。亡せたまひにし右衛門督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりける。 |
そのころ、あぜちのだいなごんときこゆるは、こちじのおとどのじろうなり。うせたまひにしうゑもんのかみのさしつぎよ。わらはよりらうらうじう、はなやかなるこころばへものしたまひしひとにて、なりのぼりたまふとしつきにそへて、まいていとよにあるかひあり、あらまほしうもてなし、おほんおぼえいとやんごとなかりける。 |
43 | 1.1.2 | 58 | 34 |
北の方二人ものしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、後の太政大臣の御女、真木柱離れがたくしたまひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひてのち、忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。 |
きたのかたふたりものしたまひしを、もとよりのはなくなりたまひて、いまものしたまふは、のちのおほきおとどのおほんむすめ、まきばしらはなれがたくしたまひしきみを、しきぶきゃうのみやにて、こひゃうぶきゃうのみこにあはせたてまつりたまへりしを、みこうせたまひてのち、しのびつつかよひたまひしかど、としつきふれば、えさしもはばかりたまはぬなめり。 |
43 | 1.1.3 | 59 | 35 |
御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ、男君一人まうけたまへる。故宮の御方に、女君一所おはす。隔てわかず、いづれをも同じごと、思ひきこえ交はしたまへるを、おのおの御方の人などは、うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、わが御方ざまに苦しかるべきことをも、なだらかに聞きなし、思ひ直したまへば、聞きにくからでめやすかりけり。 |
みこは、こきたのかたのおほんはらに、ふたりのみぞおはしければ、さうざうしとて、かみほとけにいのりて、いまのおほんはらにぞ、をとこぎみひとりまうけたまへる。こみやのおほんかたに、をんなぎみひとところおはす。へだてわかず、いづれをもおなじごと、おもひきこえかはしたまへるを、おのおのおほんかたのひとなどは、うるはしうもあらぬこころばへうちまじり、なまくねくねしきこともいでくるときどきあれど、きたのかた、いとはればれしくいまめきたるひとにて、つみなくとりなし、わがおほんかたざまにくるしかるべきことをも、なだらかにききなし、おもひなほしたまへば、ききにくからでめやすかりけり。 |
43 | 1.2 | 60 | 36 | 第二段 按察使大納言家の三姫君 |
43 | 1.2.1 | 61 | 37 |
君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませたてまつりたまへり。 |
きみたち、おなじほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、おほんもなどきせたてまつりたまふ。しちけんのしんでん、ひろくおほきにつくりて、みなみおもてに、だいなごんどの、おほいきみ、にしになかのきみ、ひんがしにみやのおほんかたと、すませたてまつりたまへり。 |
43 | 1.2.2 | 62 | 38 |
おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、うちうちの儀式ありさまなど、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。 |
おほかたにうちおもふほどは、ちちみやのおはせぬこころぐるしきやうなれど、こなたかなたのおほんたからものおほくなどして、うちうちのぎしきありさまなど、こころにくくけだかくなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。 |
43 | 1.2.3 | 63 | 39 |
例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ聞こえたまふ人多く、「内裏、春宮より御けしきあれど、内裏には中宮おはします。いかばかりの人かは、かの御けはひに並びきこえむ。さりとて、思ひ劣り卑下せむもかひなかるべし。春宮には、右大臣殿の女御、並ぶ人なげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみ言ひてやは。人にまさらむと思ふ女子を、宮仕へに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」と思したちて、参らせたてまつりたまふ。十七、八のほどにて、うつくしう、匂ひ多かる容貌したまへり。 |
れいの、かくかしづきたまふきこえありて、つぎつぎにしたがひつつきこえたまふひとおほく、"うち、とうぐうよりみけしきあれど、うちにはちゅうぐうおはします。いかばかりのひとかは、かのおほんけはひにならびきこえん。さりとて、おもひおとりひげせんもかひなかるべし。とうぐうには、うだいじんどののにょうご、ならぶひとなげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみいひてやは。ひとにまさらんとおもふをんなごを、みやづかへにおもひたえては、なにのほいかはあらん。"とおぼしたちて、まゐらせたてまつりたまふ。じふしち、はちのほどにて、うつくしう、にほひおほかるかたちしたまへり。 |
43 | 1.2.4 | 64 | 40 |
中の君も、うちすがひて、あてになまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にては、あたらしく見せま憂き御さまを、「兵部卿宮の、さも思したらば」など思したる。この若君を、内裏にてなど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れ敵にしたまふ。心ばへありて、奥推し量らるるまみ額つきなり。 |
なかのきみも、うちすがひて、あてになまめかしう、すみたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただうどにては、あたらしくみせまうきおほんさまを、"ひゃうぶきゃうのみやの、さもおぼしたらば。"などおぼしたる。このわかぎみを、うちにてなどみつけたまふときは、めしまとはし、たはぶれがたきにしたまふ。こころばへありて、おくおしはからるるまみひたひつきなり。 |
43 | 1.2.5 | 65 | 41 |
「せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、「いとかひあり」と思したり。 |
"せうとをみてのみはえやまじと、だいなごんにまをせよ。"などのたまひかくるを、"さなん。"ときこゆれば、うちゑみて、"いとかひあり"とおぼしたり。 |
43 | 1.2.6 | 66 | 42 |
「人に劣らむ宮仕ひよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。心ゆくにまかせて、かしづきて見たてまつらむに、命延びぬべき宮の御さまなり」 |
"ひとにおとらんみやづかひよりは、このみやにこそは、よろしからんをんなごはみせたてまつらまほしけれ。こころゆくにまかせて、かしづきてみたてまつらんに、いのちのびぬべきみやのおほんさまなり。" |
43 | 1.2.7 | 67 | 43 |
とのたまひながら、まづ、春宮の御ことをいそぎたまひて、「春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたく思してやみにし慰めのこともあらなむ」と、心のうちに祈りて、参らせたてまつりたまひつ。いと時めきたまふよし、人びと聞こゆ。 |
とのたまひながら、まづ、とうぐうのおほんことをいそぎたまひて、"かすがのかみのおほんことわりも、わがよにやもしいできて、こおとどの、ゐんのにょうごのおほんことを、むねいたくおぼしてやみにしなぐさめのこともあらなん。"と、こころのうちにいのりて、まゐらせたてまつりたまひつ。いとときめきたまふよし、ひとびときこゆ。 |
43 | 1.2.8 | 68 | 44 |
かかる御まじらひの馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがとて、北の方添ひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思ひかしづき、後見きこえたまふ。 |
かかるおほんまじらひのなれたまはぬほどに、はかばかしきおほんうしろみなくてはいかがとて、きたのかたそひてさぶらひたまへば、まことにかぎりもなくおもひかしづき、うしろみきこえたまふ。 |
43 | 1.3 | 69 | 45 | 第三段 宮の御方の魅力 |
43 | 1.3.1 | 70 | 46 |
殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、一つに慣らひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。東の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に大殿籠もり、よろづの御こと習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のやうに思ひきこえてぞ、誰れも習ひ遊びたまひける。 |
とのは、つれづれなるここちして、にしのおほんかたは、ひとつにならひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。ひんがしのひめぎみも、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、よるよるはひとところにおほとのごもり、よろづのおほんことならひ、はかなきおほんあそびわざをも、こなたをしのやうにおもひきこえてぞ、たれもならひあそびたまひける。 |
43 | 1.3.2 | 71 | 47 |
もの恥ぢを世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかにはをさをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。 |
ものはぢをよのつねならずしたまひて、ははきたのかたにだに、さやかにはをさをささしむかひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、こころばへけはひのむもれたるさまならず、あいぎゃうづきたまへること、はた、ひとよりすぐれたまへり。 |
43 | 1.3.3 | 72 | 48 |
かく、内裏参りや何やと、わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも、心苦しなど思して、 |
かく、うちまゐりやなにやと、わがかたざまをのみおもひいそぐやうなるも、こころぐるしなどおぼして、 |
43 | 1.3.4 | 73 | 49 |
「さるべからむさまに思し定めてのたまへ。同じこととこそは、仕うまつらめ」 |
"さるべからんさまにおぼしさだめてのたまへ。おなじこととこそは、つかうまつらめ。" |
43 | 1.3.5 | 74 | 50 |
と、母君にも聞こえたまひけれど、 |
と、ははぎみにもきこえたまひけれど、 |
43 | 1.3.6 | 75 | 51 |
「さらにさやうの世づきたるさま、思ひ立つべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならむことは、心苦しかるべし。御宿世にまかせて、世にあらむ限りは見たてまつらむ。後ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、おのづから人笑へに、あはつけきことなくて、過ぐしたまはなむ」 |
"さらにさやうのよづきたるさま、おもひたつべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならんことは、こころぐるしかるべし。おほんすくせにまかせて、よにあらんかぎりはみたてまつらん。のちぞあはれにうしろめたけれど、よをそむくかたにても、おのづからひとわらへに、あはつけきことなくて、すぐしたまはなん。" |
43 | 1.3.7 | 76 | 52 |
など、うち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。 |
など、うちなきて、みこころばせのおもふやうなることをぞきこえたまふ。 |
43 | 1.3.8 | 77 | 53 |
いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、「人知れず、見えたまひぬべしや」と、覗きありきたまへど、絶えてかたそばをだに、え見たてまつりたまはず。 |
いづれもわかずおやがりたまへど、おほんかたちをみばやとゆかしうおぼして、"かくれたまふこそこころうけれ。"とうらみて、"ひとしれず、みえたまひぬべしや。"と、のぞきありきたまへど、たえてかたそばをだに、えみたてまつりたまはず。 |
43 | 1.3.9 | 78 | 54 |
「上おはせぬほどは、立ち代はりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる御けしきなれば、心憂くこそ」 |
"うへおはせぬほどは、たちかはりてまゐりくべきを、うとうとしくおぼしわくるみけしきなれば、こころうくこそ。" |
43 | 1.3.10 | 79 | 55 |
など聞こえ、御簾の前にゐたまへば、御いらへなど、ほのかに聞こえたまふ。御声けはひなど、あてにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。わが御姫君たちを、人に劣らじと思ひおごれど、「この君に、えしもまさらずやあらむ。かかればこそ、世の中の広きうちはわづらはしけれ。たぐひあらじと思ふに、まさる方も、おのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。 |
などきこえ、みすのまへにゐたまへば、おほんいらへなど、ほのかにきこえたまふ。おほんこゑけはひなど、あてにをかしう、さまかたちおもひやられて、あはれにおぼゆるひとのみありさまなり。わがおほんひめぎみたちを、ひとにおとらじとおもひおごれど、"このきみに、えしもまさらずやあらん。かかればこそ、よのなかのひろきうちはわづらはしけれ。たぐひあらじとおもふに、まさるかたも、おのづからありぬべかめり。"など、いとどいぶかしうおもひきこえたまふ。 |
43 | 1.4 | 80 | 56 | 第四段 按察使大納言の音楽談義 |
43 | 1.4.1 | 81 | 57 |
「月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。西の方にはべる人は、琵琶を心に入れてはべる、さもまねび取りつべくやおぼえはべらむ。なまかたほにしたるに、聞きにくきものの音がらなり。同じくは、御心とどめて教へさせたまへ。 |
"つきごろ、なにとなくものさわがしきほどに、おほんことのねをだにうけたまはらでひさしうなりはべりにけり。にしのかたにはべるひとは、びはをこころにいれてはべる、さもまねびとりつべくやおぼえはべらん。なまかたほにしたるに、ききにくきもののねがらなり。おなじくは、みこころとどめてをしへさせたまへ。 |
43 | 1.4.2 | 82 | 58 |
翁は、とりたてて習ふものはべらざりしかど、そのかみ、盛りなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうはべらざりしを、うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ、昔おぼえはべる。 |
おきなは、とりたててならふものはべらざりしかど、そのかみ、さかりなりしよにあそびはべりしちからにや、ききしるばかりのわきまへは、なにごとにもいとつきなうはべらざりしを、うちとけてもあそばさねど、ときどきうけたまはるおほんびはのねなん、むかしおぼえはべる。 |
43 | 1.4.3 | 83 | 59 |
故六条院の御伝へにて、右の大臣なむ、このころ世に残りたまへる。源中納言、兵部卿宮、何ごとにも、昔の人に劣るまじう、いと契りことにものしたまふ人びとにて、遊びの方は、取り分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなむ、大臣には及びたまはずと思うたまふるを、この御琴の音こそ、いとよくおぼえたまへれ。 |
ころくでうのゐんのおほんつたへにて、みぎのおとどなん、このころよにのこりたまへる。げんちゅうなごん、ひゃうぶきゃうのみや、なにごとにも、むかしのひとにおとるまじう、いとちぎりことにものしたまふひとびとにて、あそびのかたは、とりわきてこころとどめたまへるを、てづかひすこしなよびたるばちおとなどなん、おとどにはおよびたまはずとおもうたまふるを、このおほんことのねこそ、いとよくおぼえたまへれ。 |
43 | 1.4.4 | 84 | 60 |
琵琶は、押手しづやかなるをよきにするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変はりて、なまめかしう聞こえたるなむ、女の御ことにて、なかなかをかしかりける。いで、遊ばさむや。御琴参れ」 |
びはは、おしてしづやかなるをよきにするものなるに、ぢゅうさすほど、ばちおとのさまかはりて、なまめかしうきこえたるなん、をんなのおほんことにて、なかなかをかしかりける。いで、あそばさんや。おほんことまゐれ。" |
43 | 1.4.5 | 85 | 61 |
とのたまふ。女房などは、隠れたてまつるもをさをさなし。いと若き上臈だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「さぶらふ人さへかくもてなすが、やすからぬ」と腹立ちたまふ。 |
とのたまふ。にょうばうなどは、かくれたてまつるもをさをさなし。いとわかきじゃうらふだつが、みえたてまつらじとおもふはしも、こころにまかせてゐたれば、"さぶらふひとさへかくもてなすが、やすからぬ。"とはらだちたまふ。 |
43 | 2 | 86 | 62 | 第二章 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心 |
43 | 2.1 | 87 | 63 | 第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る |
43 | 2.1.1 | 88 | 64 |
若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしく見えて、いみじううつくしと思したり。麗景殿に、御ことづけ聞こえたまふ。 |
わかぎみ、うちへまゐらんと、とのゐすがたにてまゐりたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしくみえて、いみじううつくしとおぼしたり。れいけいでんに、おほんことづけきこえたまふ。 |
43 | 2.1.2 | 89 | 65 |
「譲りきこえて、今宵もえ参るまじく、悩ましく、など聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。ともすれば、御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」 |
"ゆづりきこえて、こよひもえまゐるまじく、なやましく、などきこえよ。"とのたまひて、"ふえすこしつかうまつれ。ともすれば、おまへのおほんあそびにめしいでらるる、かたはらいたしや。まだいとわかきふえを。" |
43 | 2.1.3 | 90 | 66 |
とうち笑みて、双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、 |
とうちゑみて、さうでうふかせたまふ。いとをかしうふいたまへば、 |
43 | 2.1.4 | 91 | 67 |
「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにて、おのづから物に合はするけなり。なほ、掻き合はせさせたまへ」 |
"けしうはあらずなりゆくは、このわたりにて、おのづからものにあはするけなり。なほ、かきあはせさせたまへ。" |
43 | 2.1.5 | 92 | 68 |
と責めきこえたまへば、苦しと思したるけしきながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮笛、ふつつかに馴れたる声して、この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、 |
とせめきこえたまへば、くるしとおぼしたるけしきながら、つまびきにいとよくあはせて、ただすこしかきならいたまふ。かはぶえ、ふつつかになれたるこゑして、このひんがしのつまに、のきちかきこうばいの、いとおもしろくにほひたるをみたまひて、 |
43 | 2.1.6 | 93 | 69 |
「御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮、内裏におはすなり。一枝折りて参れ。知る人ぞ知る」とて、「あはれ、光る源氏、といはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にて、かやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。 |
"おまへのはな、こころばへありてみゆめり。ひゃうぶきゃうのみや、うちにおはすなり。ひとえだをりてまゐれ。しるひとぞしる。"とて、"あはれ、ひかるげんじ、といはゆるおほんさかりのだいしゃうなどにおはせしころ、わらはにて、かやうにてまじらひなれきこえしこそ、よとともにこひしうはべれ。 |
43 | 2.1.7 | 94 | 70 |
この宮たちを、世人も、いとことに思ひきこえ、げに人にめでられむとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけむ。 |
このみやたちを、よひとも、いとことにおもひきこえ、げにひとにめでられんとなりたまへるおほんありさまなれど、はしがはしにもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじとおもひきこえしこころのなしにやありけん。 |
43 | 2.1.8 | 95 | 71 |
おほかたにて、思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、気近き人の後れたてまつりて、生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」 |
おほかたにて、おもひいでたてまつるに、むねあくよなくかなしきを、けぢかきひとのおくれたてまつりて、いきめぐらふは、おぼろけのいのちながさなりかし、とこそおぼえはべれ。" |
43 | 2.1.9 | 96 | 72 |
など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。 |
など、きこえいでたまひて、ものあはれにすごくおもひめぐらししをれたまふ。 |
43 | 2.1.10 | 97 | 73 |
ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。 |
ついでのしのびがたきにや、はなをらせて、いそぎまゐらせたまふ。 |
43 | 2.1.11 | 98 | 75 |
「いかがはせむ。昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御名残には、阿難が光放ちけむを、二度出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを、闇に惑ふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、 |
"いかがはせん。むかしのこひしきおほんかたみには、このみやばかりこそは。ほとけのかくれたまひけんおほんなごりには、あなんがひかりはなちけんを、ふたたびいでたまへるかとうたがふさかしきひじりのありけるを、やみにまどふはるけどころに、きこえをかさんかし。"とて、 |
43 | 2.1.12 | 99 | 76 |
「心ありて風の匂はす園の梅に<BR/>まづ鴬の訪はずやあるべき」 |
"〔こころありてかぜのにほはすそののむめに<BR/>まづうぐひすのとはずやあるべき〕 |
43 | 2.1.13 | 100 | 77 |
と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。 |
と、くれなゐのかみにわかやぎかきて、このきみのふところがみにとりまぜ、おしたたみていだしたてたまふを、をさなきこころに、いとなれきこえまほしとおもへば、いそぎまゐりたまひぬ。 |
43 | 2.2 | 101 | 78 | 第二段 匂宮、若君と語る |
43 | 2.2.1 | 102 | 79 |
中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり。殿上人あまた御送りに参る中に、見つけたまひて、 |
ちゅうぐうのうへのみつぼねより、おほんとのゐどころにいでたまふほどなり。てんじゃうびとあまたおほんおくりにまゐるなかに、みつけたまひて、 |
43 | 2.2.2 | 103 | 80 |
「昨日は、などいと疾くはまかでにし。いつ参りつるぞ」などのたまふ。 |
"きのふは、などいととくはまかでにし。いつまゐりつるぞ。"などのたまふ。 |
43 | 2.2.3 | 104 | 81 |
「疾くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」 |
"とくまかではべりにしくやしさに、まだうちにおはしますとひとのまをしつれば、いそぎまゐりつるや。" |
43 | 2.2.4 | 105 | 82 |
と、幼げなるものから、馴れきこゆ。 |
と、をさなげなるものから、なれきこゆ。 |
43 | 2.2.5 | 106 | 83 |
「内裏ならで、心やすき所にも、時々は遊べかし。若き人どもの、そこはかとなく集まる所ぞ」 |
"うちならで、こころやすきところにも、ときどきはあそべかし。わかきひとどもの、そこはかとなくあつまるところぞ。" |
43 | 2.2.6 | 107 | 84 |
とのたまふ。この君召し放ちて語らひたまへば、人びとは、近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、 |
とのたまふ。このきみめしはなちてかたらひたまへば、ひとびとは、ちかうもまゐらず、まかでちりなどして、しめやかになりぬれば、 |
43 | 2.2.7 | 108 | 85 |
「春宮には、暇すこし許されためりな。いとしげう思しまとはすめりしを、時取られて人悪ろかめり」 |
"とうぐうには、いとますこしゆるされためりな。いとしげうおぼしまとはすめりしを、ときとられてひとわろかめり。" |
43 | 2.2.8 | 109 | 86 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
43 | 2.2.9 | 110 | 87 |
「まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。御前にはしも」 |
"まつはさせたまひしこそくるしかりしか。おまへにはしも。" |
43 | 2.2.10 | 111 | 88 |
と、聞こえさしてゐたれば、 |
と、きこえさしてゐたれば、 |
43 | 2.2.11 | 112 | 89 |
「我をば、人げなしと思ひ離れたるとな。ことわりなり。されどやすからずこそ。古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてむやと、忍びて語らひきこえよ」 |
"われをば、ひとげなしとおもひはなれたるとな。ことわりなり。されどやすからずこそ。ふるめかしきおなじすぢにて、ひんがしときこゆなるは、あひおもひたまひてんやと、しのびてかたらひきこえよ。" |
43 | 2.2.12 | 113 | 90 |
などのたまふついでに、この花をたてまつれば、うち笑みて、 |
などのたまふついでに、このはなをたてまつれば、うちゑみて、 |
43 | 2.2.13 | 114 | 91 |
「怨みてのちならましかば」 |
"うらみてのちならましかば。" |
43 | 2.2.14 | 115 | 92 |
とて、うちも置かず御覧ず。枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。 |
とて、うちもおかずごらんず。えだのさま、はなぶさ、いろもかもよのつねならず。 |
43 | 2.2.15 | 116 | 93 |
「園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ、白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」 |
"そのににほへるくれなゐの、いろにとられて、かなん、しろきむめにはおとれるといふめるを、いとかしこく、とりならべてもさきけるかな。" |
43 | 2.2.16 | 117 | 94 |
とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありて、もてはやしたまふ。 |
とて、みこころとどめたまふはななれば、かひありて、もてはやしたまふ。 |
43 | 2.3 | 118 | 95 | 第三段 匂宮、宮の御方を思う |
43 | 2.3.1 | 119 | 96 |
「今宵は宿直なめり。やがてこなたにを」 |
"こよひはとのゐなめり。やがてこなたにを。" |
43 | 2.3.2 | 120 | 97 |
と、召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべく香ばしくて、気近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。 |
と、めしこめつれば、とうぐうにもえまゐらず、はなもはづかしくおもひぬべくかうばしくて、けぢかくふせたまへるを、わかきここちには、たぐひなくうれしくなつかしうおもひきこゆ。 |
43 | 2.3.3 | 121 | 98 |
「この花の主人は、など春宮には移ろひたまはざりし」 |
"このはなのあるじは、などとうぐうにはうつろひたまはざりし。" |
43 | 2.3.4 | 122 | 99 |
「知らず。心知らむ人になどこそ、聞きはべりしか」 |
"しらず。こころしらんひとになどこそ、ききはべりしか。" |
43 | 2.3.5 | 123 | 100 |
など語りきこゆ。「大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれ」と聞き合はせたまへど、思ふ心は異にしみぬれば、この返りこと、けざやかにものたまひやらず。 |
などかたりきこゆ。"だいなごんのみこころばへは、わがかたざまにおもふべかめれ。"とききあはせたまへど、おもふこころはことにしみぬれば、このかへりこと、けざやかにものたまひやらず。 |
43 | 2.3.6 | 124 | 101 |
翌朝、この君のまかづるに、なほざりなるやうにて、 |
つとめて、このきみのまかづるに、なほざりなるやうにて、 |
43 | 2.3.7 | 125 | 102 |
「花の香に誘はれぬべき身なりせば<BR/>風のたよりを過ぐさましやは」 |
"〔はなのかにさそはれぬべきみなりせば<BR/>かぜのたよりをすぐさましやは〕 |
43 | 2.3.8 | 126 | 103 |
さて、「なほ今は、翁どもにさかしらせさせで、忍びやかに」と、返す返すのたまひて、この君も、東のをば、やむごとなく睦ましう思ひましたり。 |
さて、"なほいまは、おきなどもにさかしらせさせで、しのびやかに。"と、かへすがへすのたまひて、このきみも、ひんがしのをば、やんごとなくむつましうおもひましたり。 |
43 | 2.3.9 | 127 | 104 |
なかなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例の兄弟のさまなれど、童心地に、いと重りかにあらまほしうおはする心ばへを、「かひあるさまにて見たてまつらばや」と思ひありくに、春宮の御方の、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じこととは思ひながら、いと飽かず口惜しければ、「この宮をだに、気近くて見たてまつらばや」と思ひありくに、うれしき花のついでなり。 |
なかなかことかたのひめぎみは、みえたまひなどして、れいのはらからのさまなれど、わらはごこちに、いとおもりかにあらまほしうおはするこころばへを、"かひあるさまにてみたてまつらばや。"とおもひありくに、とうぐうのおほんかたの、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、おなじこととはおもひながら、いとあかずくちをしければ、"このみやをだに、けぢかくてみたてまつらばや。"とおもひありくに、うれしきはなのついでなり。 |
43 | 2.4 | 128 | 105 | 第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答 |
43 | 2.4.1 | 129 | 106 |
これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる。 |
これは、きのふのおほんかへりなればみせたてまつる。 |
43 | 2.4.2 | 130 | 107 |
「ねたげにものたまへるかな。あまり好きたる方にすすみたまへるを、許しきこえずと聞きたまひて、右の大臣、われらが見たてまつるには、いとものまめやかに、御心をさめたまふこそをかしけれ。あだ人とせむに、足らひたまへる御さまを、しひてまめだちたまはむも、見所少なくやならまし」 |
"ねたげにものたまへるかな。あまりすきたるかたにすすみたまへるを、ゆるしきこえずとききたまひて、みぎのおとど、われらがみたてまつるには、いとものまめやかに、みこころをさめたまふこそをかしけれ。あだびととせんに、たらひたまへるおほんさまを、しひてまめだちたまはんも、みどころすくなくやならまし。" |
43 | 2.4.3 | 131 | 108 |
など、しりうごちて、今日も参らせたまふに、また、 |
など、しりうごちて、けふもまゐらせたまふに、また、 |
43 | 2.4.4 | 132 | 109 |
「本つ香の匂へる君が袖触れば<BR/>花もえならぬ名をや散らさむ |
"〔もとつかのにほへるきみがそでふれば<BR/>はなもえならぬなをやちらさん |
43 | 2.4.5 | 133 | 110 |
とすきずきしや。あなかしこ」 |
とすきずきしや。あなかしこ。" |
43 | 2.4.6 | 134 | 111 |
と、まめやかに聞こえたまへり。まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、 |
と、まめやかにきこえたまへり。まことにいひなさんとおもふところあるにやと、さすがにみこころときめきしたまひて、 |
43 | 2.4.7 | 135 | 112 |
「花の香を匂はす宿に訪めゆかば<BR/>色にめづとや人の咎めむ」 |
"〔はなのかをにほはすやどにとめゆかば<BR/>いろにめづとやひとのとがめん〕 |
43 | 2.4.8 | 136 | 113 |
など、なほ心とけずいらへたまへるを、心やましと思ひゐたまへり。 |
など、なほこころとけずいらへたまへるを、こころやましとおもひゐたまへり。 |
43 | 2.4.9 | 137 | 114 |
北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、 |
きたのかたまかでたまひて、うちわたりのことのたまふついでに、 |
43 | 2.4.10 | 138 | 115 |
「若君の、一夜、宿直して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮の、いと思ほし寄りて、『兵部卿宮に近づききこえにけり。うべ、我をばすさめたり』と、けしきとり、怨じたまへりしか。ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」 |
"わかぎみの、ひとよ、とのゐして、まかりいでたりしにほひの、いとをかしかりしを、ひとはなほとおもひしを、みやの、いとおもほしよりて、'ひゃうぶきゃうのみやにちかづききこえにけり。うべ、われをばすさめたり。'と、けしきとり、ゑんじたまへりしか。ここに、おほんせうそこやありし。さもみえざりしを。" |
43 | 2.4.11 | 139 | 116 |
とのたまへば、 |
とのたまへば、 |
43 | 2.4.12 | 140 | 117 |
「さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅、いと盛りに見えしを、ただならで、折りてたてまつれたりしなり。移り香は、げにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはむ女などは、さはえしめぬかな。 |
"さかし。むめのはなめでたまふきみなれば、あなたのつまのこうばい、いとさかりにみえしを、ただならで、をりてたてまつれたりしなり。うつりがは、げにこそこころことなれ。はれまじらひしたまはんをんななどは、さはえしめぬかな。 |
43 | 2.4.13 | 141 | 118 |
源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。 |
げんちゅうなごんは、かうざまにこのましうはたきにほはさで、ひとがらこそよになけれ。あやしう、さきのよのちぎりいかなりけるむくいにかと、ゆかしきことにこそあれ。 |
43 | 2.4.14 | 142 | 119 |
同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることぞかし」 |
おなじはなのななれど、むめはおひいでけんねこそあはれなれ。このみやなどのめでたまふ、さることぞかし。" |
43 | 2.4.15 | 143 | 120 |
など、花によそへても、まづかけきこえたまふ。 |
など、はなによそへても、まづかけきこえたまふ。 |
43 | 2.5 | 144 | 121 | 第五段 匂宮、宮の御方に執心 |
43 | 2.5.1 | 145 | 122 |
宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、「人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり。 |
みやのおほんかたは、ものおぼししるほどにねびまさりたまへれば、なにごともみしり、ききとどめたまはぬにはあらねど、"ひとにみえ、よづきたらんありさまは、さらに。"とおぼしはなれたり。 |
43 | 2.5.2 | 146 | 123 |
世の人も、時に寄る心ありてにや、さし向ひたる御方々には、心を尽くし聞こえわび、今めかしきこと多かれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は、御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけり。 |
よのひとも、ときによるこころありてにや、さしむかひたるおほんかたがたには、こころをつくしきこえわび、いまめかしきことおほかれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかにひきいりたまへるを、みやは、おほんふさひのかたにききつたへたまひて、ふかう、いかで、とおもほしなりにけり。 |
43 | 2.5.3 | 147 | 124 |
若君を、常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、大納言の君、深く心かけきこえたまひて、「さも思ひたちてのたまふことあらば」と、けしきとり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、 |
わかぎみを、つねにまつはしよせたまひつつ、しのびやかにおほんふみあれど、だいなごんのきみ、ふかくこころかけきこえたまひて、"さもおもひたちてのたまふことあらば。"と、けしきとり、こころまうけしたまふをみるに、いとほしう、 |
43 | 2.5.4 | 148 | 125 |
「ひき違へて、かう思ひ寄るべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること」 |
"ひきたがへて、かうおもひよるべうもあらぬかたにしも、なげのことのはをつくしたまふ、かひなげなること。" |
43 | 2.5.5 | 149 | 126 |
と、北の方も思しのたまふ。 |
と、きたのかたもおぼしのたまふ。 |
43 | 2.5.6 | 150 | 127 |
はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心添ひて、思ほしやむべくもあらず。「何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせたまふに」など、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色めきたまひて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざしの浅からで、いとしげうまうでありきたまふ。頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。 |
はかなきおほんかへりなどもなければ、まけじのみこころそひて、おもほしやむべくもあらず。"なにかは、ひとのみありさま、などかは、さてもみたてまつらまほしう、おひさきとほくなどはみえさせたまふに。"など、きたのかたおもほしよるときどきあれど、いといたういろめきたまひて、かよひたまふしのびどころおほく、はちのみやのひめぎみにも、みこころざしのあさからで、いとしげうまうでありきたまふ。たのもしげなきみこころの、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかにはおもほしたえたるを、かたじけなきばかりに、しのびて、ははぎみぞ、たまさかにさかしらがりきこえたまふ。 |