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45橋姫
4517251第一章 宇治八の宮の物語 隠遁者八の宮
451.17352第一段 八の宮の家系と家族
451.1.17453 そのころ、()(かず)まへられたまはぬ古宮(ふるみや)おはしけり。母方(ははかた)なども、やむごとなくものしたまひて、筋異(すぢこと)なるべきおぼえなどおはしけるを、時移(ときうつ)りて、()(なか)にはしたなめられたまひける(まぎ)れに、なかなかいと名残(なごり)なく、御後見(おほんうしろみ)などももの(うら)めしき心々(こころごころ)にて、かたがたにつけて、()(そむ)()りつつ、公私(おほやけわたくし)()(どころ)なく、さし(はな)たれたまへるやうなり。 そのころ、かずまへられたまはぬふるみやおはしけり。ははかたなども、やんごとなくものしたまひて、すぢことなるべきおぼえなどおはしけるを、ときうつりて、なかにはしたなめられたまひけるまぎれに、なかなかいとなごりなく、おほんうしろみなどもものうらめしきこころごころにて、かたがたにつけて、そむりつつ、おほやけわたくしどころなく、さしはなたれたまへるやうなり。
451.1.27554 (きた)(かた)も、(むかし)大臣(おとど)御女(おほんむすめ)なりける、あはれに心細(こころぼそ)く、(おや)たちの(おぼ)しおきてたりしさまなど(おも)()でたまふに、たとしへなきこと(おほ)かれど、(ふる)御契(おほんちぎ)りの(ふた)つなきばかりを、()()(なぐさ)めにて、かたみにまたなく(たの)()はしたまへり。 きたかたも、むかしおとどおほんむすめなりける、あはれにこころぼそく、おやたちのおぼしおきてたりしさまなどおもでたまふに、たとしへなきことおほかれど、ふるおほんちぎりのふたつなきばかりを、なぐさめにて、かたみにまたなくたのはしたまへり。
451.1.37655 (とし)ごろ()るに、御子(おほんこ)ものしたまはで(こころ)もとなかりければ、さうざうしくつれづれなる(なぐさ)めに、「いかで、をかしからむ稚児(ちご)もがな」と、(みや)時々思(ときどきおぼ)しのたまひけるに、めづらしく、女君(をんなぎみ)のいとうつくしげなる、()まれたまへり。 としごろるに、おほんこものしたまはでこころもとなかりければ、さうざうしくつれづれなるなぐさめに、"いかで、をかしからんちごもがな。"と、みやときどきおぼしのたまひけるに、めづらしく、をんなぎみのいとうつくしげなる、まれたまへり。
451.1.47756 これを(かぎ)りなくあはれと(おも)ひかしづききこえたまふに、さし(つづ)きけしきばみたまひて、「このたびは(をとこ)にても」など(おぼ)したるに、(おな)じさまにて、(たひ)らかにはしたまひながら、いといたくわづらひて()せたまひぬ。(みや)、あさましう(おぼ)(まど)ふ。 これをかぎりなくあはれとおもひかしづききこえたまふに、さしつづきけしきばみたまひて、"このたびはをとこにても。"などおぼしたるに、おなじさまにて、たひらかにはしたまひながら、いといたくわづらひてせたまひぬ。みや、あさましうおぼまどふ。
451.27857第二段 八の宮と娘たちの生活
451.2.17958 「あり()るにつけても、いとはしたなく、()へがたきこと(おほ)かる()なれど、見捨(みす)てがたくあはれなる(ひと)(おほん)ありさま、(こころ)ざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、()ぐし()つれ、一人(ひとり)とまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなき(ひと)びとをも、一人(ひとり)はぐくみ()てむほど、(かぎ)りある()にて、いとをこがましう、人悪(ひとわ)ろかるべきこと」 "ありるにつけても、いとはしたなく、へがたきことおほかるなれど、みすてがたくあはれなるひとおほんありさま、こころざまに、かけとどめらるるほだしにてこそ、ぐしつれ、ひとりとまりて、いとどすさまじくもあるべきかな。いはけなきひとびとをも、ひとりはぐくみてんほど、かぎりあるにて、いとをこがましう、ひとわろかるべきこと。"
451.2.28059 (おぼ)()ちて、本意(ほい)()げまほしうしたまひけれど、見譲(みゆづ)(かた)なくて(のこ)しとどめむを、いみじう(おぼ)したゆたひつつ、年月(としつき)()れば、おのおのおよすけまさりたまふさま、容貌(かたち)の、うつくしうあらまほしきを、()()れの御慰(おほんなぐさ)めにて、おのづから見過(みす)ぐしたまふ。 おぼちて、ほいげまほしうしたまひけれど、みゆづかたなくてのこしとどめんを、いみじうおぼしたゆたひつつ、としつきれば、おのおのおよすけまさりたまふさま、かたちの、うつくしうあらまほしきを、れのおほんなぐさめにて、おのづからみすぐしたまふ。
451.2.38160 (のち)()まれたまひし(きみ)をば、さぶらふ(ひと)びとも、「いでや、(をり)ふし心憂(こころう)く」など、うちつぶやきつつ、(こころ)()れても(あつか)ひきこえざりけれど、(かぎ)りのさまにて、(なに)ごとも(おぼ)()かざりしほどながら、これをいと心苦(こころぐる)しと(おも)ひて、 のちまれたまひしきみをば、さぶらふひとびとも、"いでや、をりふしこころうく。"など、うちつぶやきつつ、こころれてもあつかひきこえざりけれど、かぎりのさまにて、なにごともおぼかざりしほどながら、これをいとこころぐるしとおもひて、
451.2.48261 「ただ、この(きみ)形見(かたみ)()たまひて、あはれと(おぼ)せ」 "ただ、このきみかたみたまひて、あはれとおぼせ。"
451.2.58362 とばかり、ただ一言(ひとこと)なむ、(みや)()こえ()きたまひければ、(さき)()(ちぎ)りもつらき(をり)ふしなれど、「さるべきにこそはありけめと、(いま)はと()えしまで、いとあはれと(おも)ひて、うしろめたげにのたまひしを」と、(おぼ)()でつつ、この(きみ)をしも、いとかなしうしたてまつりたまふ。容貌(かたち)なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。 とばかり、ただひとことなん、みやこえきたまひければ、さきちぎりもつらきをりふしなれど、"さるべきにこそはありけめと、いまはとえしまで、いとあはれとおもひて、うしろめたげにのたまひしを。"と、おぼでつつ、このきみをしも、いとかなしうしたてまつりたまふ。かたちなんまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。
451.2.68463 姫君(ひめぎみ)は、(こころ)ばせ(しづ)かによしある(かた)にて、()()もてなしも、気高(けだか)(こころ)にくきさまぞしたまへる。いたはしくやむごとなき(すぢ)はまさりて、いづれをも、さまざまに(おも)ひかしづききこえたまへど、かなはぬこと(おほ)く、年月(としつき)()へて、(みや)(うち)(さび)しくのみなりまさる。 ひめぎみは、こころばせしづかによしあるかたにて、もてなしも、けだかこころにくきさまぞしたまへる。いたはしくやんごとなきすぢはまさりて、いづれをも、さまざまにおもひかしづききこえたまへど、かなはぬことおほく、としつきへて、みやうちさびしくのみなりまさる。
451.2.78564 さぶらひし(ひと)も、たつきなき心地(ここち)するに、え(しの)びあへず、次々(つぎつぎ)(したが)ひてまかで()りつつ、若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)も、さる(さわ)ぎに、はかばかしき(ひと)をしも、()りあへたまはざりければ、ほどにつけたる心浅(こころあさ)さにて、(をさな)きほどを見捨(みす)てたてまつりにければ、ただ(みや)ぞはぐくみたまふ。 さぶらひしひとも、たつきなきここちするに、えしのびあへず、つぎつぎしたがひてまかでりつつ、わかぎみおほんめのとも、さるさわぎに、はかばかしきひとをしも、りあへたまはざりければ、ほどにつけたるこころあささにて、をさなきほどをみすてたてまつりにければ、ただみやぞはぐくみたまふ。
451.38665第三段 八の宮の仏道精進の生活
451.3.18766 さすがに、(ひろ)くおもしろき(みや)の、(いけ)(やま)などのけしきばかり(むかし)()はらで、いといたう()れまさるを、つれづれと(なが)めたまふ。 さすがに、ひろくおもしろきみやの、いけやまなどのけしきばかりむかしはらで、いといたうれまさるを、つれづれとながめたまふ。
451.3.28867 家司(けいし)なども、むねむねしき(ひと)もなきままに、草青(くさあを)やかに(しげ)り、(のき)のしのぶぞ、(ところ)(がほ)(あを)みわたれる。折々(をりをり)につけたる花紅葉(はなもみぢ)の、(いろ)をも()をも、(おな)(こころ)()はやしたまひしにこそ、(なぐさ)むことも(おほ)かりけれ、いとどしく(さび)しく、()りつかむ(かた)なきままに、持仏(ぢぶつ)御飾(おほんかざ)りばかりを、わざとせさせたまひて、()()(おこな)ひたまふ。 けいしなども、むねむねしきひともなきままに、くさあをやかにしげり、のきのしのぶぞ、ところがほあをみわたれる。をりをりにつけたるはなもみぢの、いろをもをも、おなこころはやしたまひしにこそ、なぐさむこともおほかりけれ、いとどしくさびしく、りつかんかたなきままに、ぢぶつおほんかざりばかりを、わざとせさせたまひて、おこなひたまふ。
451.3.38968 かかるほだしどもにかかづらふだに、(おも)ひの(ほか)口惜(くちを)しう、「わが(こころ)ながらもかなはざりける(ちぎ)り」とおぼゆるを、まいて、「(なに)にか、()(ひと)めいて(いま)さらに」とのみ、年月(としつき)()へて、()(なか)(おぼ)(はな)れつつ、(こころ)ばかりは(ひじり)になり()てたまひて、故君(こきみ)()せたまひにしこなたは、(れい)(ひと)のさまなる(こころ)ばへなど、たはぶれにても(おぼ)()でたまはざりけり。 かかるほだしどもにかかづらふだに、おもひのほかくちをしう、"わがこころながらもかなはざりけるちぎり。"とおぼゆるを、まいて、"なににか、ひとめいていまさらに。"とのみ、としつきへて、なかおぼはなれつつ、こころばかりはひじりになりてたまひて、こきみせたまひにしこなたは、れいひとのさまなるこころばへなど、たはぶれにてもおぼでたまはざりけり。
451.3.49069 「などか、さしも。(わか)るるほどの(かな)しびは、また()にたぐひなきやうにのみこそは、おぼゆべかめれど、あり()れば、さのみやは。なほ、世人(よひと)になずらふ御心(みこころ)づかひをしたまひて、いとかく見苦(みぐる)しく、たつきなき(みや)(うち)も、おのづからもてなさるるわざもや」 "などか、さしも。わかるるほどのかなしびは、またにたぐひなきやうにのみこそは、おぼゆべかめれど、ありれば、さのみやは。なほ、よひとになずらふみこころづかひをしたまひて、いとかくみぐるしく、たつきなきみやうちも、おのづからもてなさるるわざもや。"
451.3.59170 と、(ひと)はもどききこえて、(なに)くれと、つきづきしく()こえごつことも、(るい)にふれて(おほ)かれど、()こしめし()れざりけり。 と、ひとはもどききこえて、なにくれと、つきづきしくこえごつことも、るいにふれておほかれど、こしめしれざりけり。
451.3.69271 御念誦(おほんねんず)のひまひまには、この(きみ)たちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、琴習(ことなら)はし、碁打(ごう)ち、(へん)つきなど、はかなき御遊(おほんあそ)びわざにつけても、(こころ)ばへどもを()たてまつりたまふに、姫君(ひめぎみ)は、らうらうじく、(ふか)(おも)りかに()えたまふ。若君(わかぎみ)は、おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす。 おほんねんずのひまひまには、このきみたちをもてあそび、やうやうおよすけたまへば、ことならはし、ごうち、へんつきなど、はかなきおほんあそびわざにつけても、こころばへどもをたてまつりたまふに、ひめぎみは、らうらうじく、ふかおもりかにえたまふ。わかぎみは、おほどかにらうたげなるさまして、ものづつみしたるけはひに、いとうつくしう、さまざまにおはす。
451.49372第四段 ある春の日の生活
451.4.19473 (はる)のうららかなる日影(ひかげ)に、(いけ)水鳥(みづとり)どもの、(はね)うち()はしつつ、おのがじしさへづる(こゑ)などを、(つね)は、はかなきことに()たまひしかども、つがひ(はな)れぬをうらやましく(なが)めたまひて、(きみ)たちに、御琴(おほんこと)ども(をし)へきこえたまふ。いとをかしげに、(ちひ)さき(おほん)ほどに、とりどり()()らしたまふ(もの)()ども、あはれにをかしく()こゆれば、(なみだ)()けたまひて、 はるのうららかなるひかげに、いけみづとりどもの、はねうちはしつつ、おのがじしさへづるこゑなどを、つねは、はかなきことにたまひしかども、つがひはなれぬをうらやましくながめたまひて、きみたちに、おほんことどもをしへきこえたまふ。いとをかしげに、ちひさきおほんほどに、とりどりらしたまふものども、あはれにをかしくこゆれば、なみだけたまひて、
451.4.29574 「うち()ててつがひ()りにし水鳥(みづとり)の<BR/>(かり)のこの()にたちおくれけむ "〔うちててつがひりにしみづとりの<BR/>かりのこのにたちおくれけん
451.4.39675 心尽(こころづ)くしなりや」 こころづくしなりや。"
451.4.49776 と、()おし(のご)ひたまふ。容貌(かたち)いときよげにおはします(みや)なり。(とし)ごろの御行(おほんおこな)ひにやせ(ほそ)りたまひにたれど、さてしも、あてになまめきて、(きみ)たちをかしづきたまふ御心(みこころ)ばへに、直衣(なほし)()えばめるを()たまひて、しどけなき(おほん)さま、いと()づかしげなり。 と、おしのごひたまふ。かたちいときよげにおはしますみやなり。としごろのおほんおこなひにやせほそりたまひにたれど、さてしも、あてになまめきて、きみたちをかしづきたまふみこころばへに、なほしえばめるをたまひて、しどけなきおほんさま、いとづかしげなり。
451.4.59878 姫君(ひめぎみ)御硯(おほんすずり)をやをらひき()せて、手習(てならひ)のやうに()()ぜたまふを、 ひめぎみおほんすずりをやをらひきせて、てならひのやうにぜたまふを、
451.4.69979 「これに()きたまへ。(すずり)には()きつけざなり」 "これにきたまへ。すずりにはきつけざなり。"
451.4.710080 とて、(かみ)たてまつりたまへば、()ぢらひて()きたまふ。 とて、かみたてまつりたまへば、ぢらひてきたまふ。
451.4.810181 「いかでかく巣立(すだ)ちけるぞと(おも)ふにも<BR/>()水鳥(みづとり)(ちぎ)りをぞ()る」 "〔いかでかくすだちけるぞとおもふにも<BR/>みづとりちぎりをぞる〕
451.4.910282 よからねど、その(をり)は、いとあはれなりけり。()は、()先見(さきみ)えて、まだよくも(つづ)けたまはぬほどなり。 よからねど、そのをりは、いとあはれなりけり。は、さきみえて、まだよくもつづけたまはぬほどなり。
451.4.1010383 若君(わかぎみ)()きたまへ」 "わかぎみきたまへ。"
451.4.1110484 とあれば、(いま)すこし(をさな)げに、(ひさ)しく()()でたまへり。 とあれば、いますこしをさなげに、ひさしくでたまへり。
451.4.1210585 ()()くも(はね)うち()する(きみ)なくは<BR/>われぞ巣守(すもり)になりは()てまし」 "〔くもはねうちするきみなくは<BR/>われぞすもりになりはてまし〕
451.4.1310686 御衣(おほんぞ)どもなど()えばみて、御前(おまへ)にまた(ひと)もなく、いと(さび)しくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものしたまふを、あはれに心苦(こころぐる)しう、いかが(おぼ)さざらむ。(きゃう)片手(かたて)()たまひて、かつ()みつつ唱歌(さうが)をしたまふ。 おほんぞどもなどえばみて、おまへにまたひともなく、いとさびしくつれづれげなるに、さまざまいとらうたげにてものしたまふを、あはれにこころぐるしう、いかがおぼさざらん。きゃうかたてたまひて、かつみつつさうがをしたまふ。
451.4.1410787 姫君(ひめぎみ)琵琶(びは)若君(わかぎみ)(さう)御琴(おほんこと)、まだ(をさな)けれど、(つね)()はせつつ(なら)ひたまへば、()きにくくもあらで、いとをかしく()こゆ。 ひめぎみびはわかぎみさうおほんこと、まだをさなけれど、つねはせつつならひたまへば、きにくくもあらで、いとをかしくこゆ。
451.510888第五段 八の宮の半生と宇治へ移住
451.5.110989 父帝(ちちみかど)にも女御(にょうご)にも、()(おく)れきこえたまひて、はかばかしき御後見(おほんうしろみ)の、()()てたるおはせざりければ、(ざえ)など(ふか)くもえ(なら)ひたまはず、まいて、()(なか)()みつく御心(みこころ)おきては、いかでかは()りたまはむ。(たか)(ひと)()こゆる(なか)にも、あさましうあてにおほどかなる、(をんな)のやうにおはすれば、(ふる)()御宝物(おほんたからもの)祖父大臣(おほぢおとど)御処分(おほんそうぶん)(なに)やかやと()きすまじかりけれど、行方(ゆくへ)もなくはかなく()()てて、御調度(おほんてうど)などばかりなむ、わざとうるはしくて(おほ)かりける。 ちちみかどにもにょうごにも、おくれきこえたまひて、はかばかしきおほんうしろみの、てたるおはせざりければ、ざえなどふかくもえならひたまはず、まいて、なかみつくみこころおきては、いかでかはりたまはん。たかひとこゆるなかにも、あさましうあてにおほどかなる、をんなのやうにおはすれば、ふるおほんたからものおほぢおとどおほんそうぶんなにやかやときすまじかりけれど、ゆくへもなくはかなくてて、おほんてうどなどばかりなん、わざとうるはしくておほかりける。
451.5.211090 (まゐ)(とぶ)らひきこえ、心寄(こころよ)せたてまつる(ひと)もなし。つれづれなるままに、雅楽寮(うたづかさ)(もの)()どもなどやうの、すぐれたるを()()せつつ、はかなき(あそ)びに(こころ)()れて、()()でたまへれば、その(かた)は、いとをかしうすぐれたまへり。 まゐとぶらひきこえ、こころよせたてまつるひともなし。つれづれなるままに、うたづかさものどもなどやうの、すぐれたるをせつつ、はかなきあそびにこころれて、でたまへれば、そのかたは、いとをかしうすぐれたまへり。
451.5.311191 源氏(げんじ)大殿(おとど)御弟(おほんおとうと)におはせしを、冷泉院(れいぜいゐん)春宮(とうぐう)におはしましし(とき)朱雀院(すじゃくゐん)大后(おほぎさき)の、横様(よこさま)(おぼ)(かま)へて、この(みや)を、()(なか)()()ぎたまふべく、わが御時(おほんとき)、もてかしづきたてまつりける(さわ)ぎに、あいなく、あなたざまの御仲(おほんなか)らひには、さし(はな)たれたまひにければ、いよいよかの(おほん)つぎつぎになり()てぬる()にて、え()じらひたまはず。また、この(とし)ごろ、かかる(ひじり)になり()てて、(いま)(かぎ)りと、よろづを(おぼ)()てたり。 げんじおとどおほんおとうとにおはせしを、れいぜいゐんとうぐうにおはしまししときすじゃくゐんおほぎさきの、よこさまおぼかまへて、このみやを、なかぎたまふべく、わがおほんとき、もてかしづきたてまつりけるさわぎに、あいなく、あなたざまのおほんなからひには、さしはなたれたまひにければ、いよいよかのおほんつぎつぎになりてぬるにて、えじらひたまはず。また、このとしごろ、かかるひじりになりてて、いまかぎりと、よろづをおぼてたり。
451.5.411292 かかるほどに、()みたまふ宮焼(みやや)けにけり。いとどしき()に、あさましうあへなくて、(うつ)ろひ()みたまふべき(ところ)の、よろしきもなかりければ、宇治(うぢ)といふ(ところ)に、よしある山里持(やまざとも)たまへりけるに(わた)りたまふ。(おも)()てたまへる()なれども、(いま)はと()(はな)れなむをあはれに(おぼ)さる。 かかるほどに、みたまふみややけにけり。いとどしきに、あさましうあへなくて、うつろひみたまふべきところの、よろしきもなかりければ、うぢといふところに、よしあるやまざともたまへりけるにわたりたまふ。おもてたまへるなれども、いまはとはなれなんをあはれにおぼさる。
451.5.511393 網代(あじろ)のけはひ(ちか)く、(みみ)かしかましき(かは)のわたりにて、(しづ)かなる(おも)ひにかなはぬ(かた)もあれど、いかがはせむ。花紅葉(はなもみぢ)(みづ)(なが)れにも、(こころ)をやる便(たより)によせて、いとどしく(なが)めたまふより(ほか)のことなし。かく()()もりぬる野山(のやま)(すゑ)にも、「(むかし)(ひとの)ものしたまはましかば」と、(おも)ひきこえたまはぬ(をり)なかりけり。 あじろのけはひちかく、みみかしかましきかはのわたりにて、しづかなるおもひにかなはぬかたもあれど、いかがはせん。はなもみぢみづながれにも、こころをやるたよりによせて、いとどしくながめたまふよりほかのことなし。かくもりぬるのやますゑにも、"むかしひとのものしたまはましかば。"と、おもひきこえたまはぬをりなかりけり。
451.5.611494 ()(ひと)宿(やど)(けぶり)になりにしを<BR/>(なに)とてわが身消(みき)(のこ)りけむ」 "〔ひとやどけぶりになりにしを<BR/>なにとてわがみきのこりけん〕
451.5.711595 ()けるかひなくぞ、(おぼ)()がるるや。 けるかひなくぞ、おぼがるるや。
45211696第二章 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
452.111797第一段 八の宮、阿闍梨に師事
452.1.111898 いとど、山重(やまかさ)なれる御住(おほんす)()に、(たづ)(まゐ)(ひと)なし。あやしき下衆(げす)など、田舎(ゐなか)びたる山賤(やまがつ)どものみ、まれに()(まゐ)(つか)うまつる。(みね)朝霧晴(あさぎりは)るる(をり)なくて、()かし()らしたまふに、この宇治山(うぢやま)に、(ひじり)だちたる阿闍梨住(あざりす)みけり。 いとど、やまかさなれるおほんすに、たづまゐひとなし。あやしきげすなど、ゐなかびたるやまがつどものみ、まれにまゐつかうまつる。みねあさぎりはるるをりなくて、かしらしたまふに、このうぢやまに、ひじりだちたるあざりすみけり。
452.1.211999 (ざえ)いとかしこくて、()のおぼえも(かろ)からねど、をさをさ公事(おほやけごと)にも()(つか)へず、()もりゐたるに、この(みや)の、かく(ちか)きほどに()みたまひて、(さび)しき(おほん)さまに、(たふと)きわざをせさせたまひつつ、法文(ほふもん)()みならひたまへば、(たふと)がりきこえて、(つね)(まゐ)る。 ざえいとかしこくて、のおぼえもかろからねど、をさをさおほやけごとにもつかへず、もりゐたるに、このみやの、かくちかきほどにみたまひて、さびしきおほんさまに、たふときわざをせさせたまひつつ、ほふもんみならひたまへば、たふとがりきこえて、つねまゐる。
452.1.3120100 (とし)ごろ(まな)()りたまへることどもの、(ふか)(こころ)()()かせたてまつり、いよいよこの()のいとかりそめに、あぢきなきことを(まう)()らすれば、 としごろまなりたまへることどもの、ふかこころかせたてまつり、いよいよこののいとかりそめに、あぢきなきことをまうらすれば、
452.1.4121101 (こころ)ばかりは(はちす)(うへ)(おも)ひのぼり、(にご)りなき(いけ)にも()みぬべきを、いとかく(をさな)(ひと)びとを見捨(みす)てむうしろめたさばかりになむ、えひたみちに容貌(かたち)をも()へぬ」 "こころばかりははちすうへおもひのぼり、にごりなきいけにもみぬべきを、いとかくをさなひとびとをみすてんうしろめたさばかりになん、えひたみちにかたちをもへぬ。"
452.1.5122102 など、(へだ)てなく物語(ものがたり)したまふ。 など、へだてなくものがたりしたまふ。
452.2123103第二段 冷泉院にて阿闍梨と薫語る
452.2.1124104 この阿闍梨(あざり)は、冷泉院(れいぜいゐん)にも(した)しくさぶらひて、御経(おほんきゃう)など(をし)へきこゆる(ひと)なりけり。(きゃう)()でたるついでに(まゐ)りて、(れい)の、さるべき(ふみ)など御覧(ごらん)じて、()はせたまふこともあるついでに、 このあざりは、れいぜいゐんにもしたしくさぶらひて、おほんきゃうなどをしへきこゆるひとなりけり。きゃうでたるついでにまゐりて、れいの、さるべきふみなどごらんじて、はせたまふこともあるついでに、
452.2.2125105 (はち)(みや)の、いとかしこく、内教(ないけう)御才悟(おほんざえさと)(ふか)くものしたまひけるかな。さるべきにて、()まれたまへる(ひと)にやものしたまふらむ。心深(こころふか)(おも)()ましたまへるほど、まことの(ひじり)のおきてになむ()えたまふ」と()こゆ。 "はちみやの、いとかしこく、ないけうおほんざえさとふかくものしたまひけるかな。さるべきにて、まれたまへるひとにやものしたまふらん。こころふかおもましたまへるほど、まことのひじりのおきてになんえたまふ。"とこゆ。
452.2.3126106 「いまだ容貌(かたち)()へたまはずや。俗聖(ぞくひじり)とか、この(わか)(ひと)びとの()けたなる、あはれなることなり」などのたまはす。 "いまだかたちへたまはずや。ぞくひじりとか、このわかひとびとのけたなる、あはれなることなり。"などのたまはす。
452.2.4127107 宰相中将(さいしゃうのちうじゃう)も、御前(おまへ)にさぶらひたまひて、「われこそ、()(なか)をばいとすさまじう(おも)()りながら、(おこな)ひなど、(ひと)()とどめらるばかりは(つと)めず、口惜(くちを)しくて()ぐし()れ」と、人知(ひとし)れず(おも)ひつつ、「(ぞく)ながら(ひじり)になりたまふ(こころ)のおきてやいかに」と、(みみ)とどめて()きたまふ。 さいしゃうのちうじゃうも、おまへにさぶらひたまひて、"われこそ、なかをばいとすさまじうおもりながら、おこなひなど、ひととどめらるばかりはつとめず、くちをしくてぐしれ。"と、ひとしれずおもひつつ、"ぞくながらひじりになりたまふこころのおきてやいかに。"と、みみとどめてきたまふ。
452.2.5128108 出家(すけ)(こころ)ざしは、もとよりものしたまへるを、はかなきことに(おも)ひとどこほり、(いま)となりては、心苦(こころぐる)しき女子(をんなご)どもの御上(おほんうへ)を、え(おも)()てぬとなむ、(なげ)きはべりたうぶ」と(そう)す。 "すけこころざしは、もとよりものしたまへるを、はかなきことにおもひとどこほり、いまとなりては、こころぐるしきをんなごどものおほんうへを、えおもてぬとなん、なげきはべりたうぶ。"とそうす。
452.2.6129109 さすがに、(もの)()めづる阿闍梨(あざり)にて、 さすがに、ものめづるあざりにて、
452.2.7130110 「げに、はた、この姫君(ひめぎみ)たちの、琴弾(ことひ)()はせて(あそ)びたまへる、川波(かはなみ)にきほひて()こえはべるは、いとおもしろく、極楽思(ごくらくおも)ひやられはべるや」 "げに、はた、このひめぎみたちの、ことひはせてあそびたまへる、かはなみにきほひてこえはべるは、いとおもしろく、ごくらくおもひやられはべるや。"
452.2.8131111 と、古体(こたい)にめづれば、(みかど)ほほ()みたまひて、 と、こたいにめづれば、みかどほほみたまひて、
452.2.9132112 「さる(ひじり)のあたりに()()でて、この()(かた)ざまは、たどたどしからむと()(はか)らるるを、をかしのことや。うしろめたく、(おも)()てがたく、もてわづらひたまふらむを、もし、しばしも(おく)れむほどは、(ゆづ)りやはしたまはぬ」 "さるひじりのあたりにでて、このかたざまは、たどたどしからんとはからるるを、をかしのことや。うしろめたく、おもてがたく、もてわづらひたまふらんを、もし、しばしもおくれんほどは、ゆづりやはしたまはぬ。"
452.2.10133113 などぞのたまはする。この(ゐん)(みかど)は、(じふ)御子(みこ)にぞおはしましける。朱雀院(すじゃくゐん)の、故六条院(ころくでうのゐん)(あづ)けきこえたまひし、入道宮(にふだうのみや)御例(おほんためし)(おも)ほし()でて、「かの(きみ)たちをがな。つれづれなる(あそ)びがたきに」などうち(おぼ)しけり。 などぞのたまはする。このゐんみかどは、じふみこにぞおはしましける。すじゃくゐんの、ころくでうのゐんあづけきこえたまひし、にふだうのみやおほんためしおもほしでて、"かのきみたちをがな。つれづれなるあそびがたきに。"などうちおぼしけり。
452.3134114第三段 阿闍梨、八の宮に薫を語る
452.3.1135115 中将(ちうじゃう)(きみ)、なかなか、親王(みこ)(おも)()ましたまへらむ御心(みこころ)ばへを、「対面(たいめん)して、()たてまつらばや」と(おも)(こころ)(ふか)くなりぬる。さて阿闍梨(あざり)(かへ)()るにも、 ちうじゃうきみ、なかなか、みこおもましたまへらんみこころばへを、"たいめんして、たてまつらばや。"とおもこころふかくなりぬる。さてあざりかへるにも、
452.3.2136116 「かならず(まゐ)りて、もの(なら)ひきこゆべく、まづうちうちにも、けしき(たま)はりたまへ」 "かならずまゐりて、ものならひきこゆべく、まづうちうちにも、けしきたまはりたまへ。"
452.3.3137117 など(かた)らひたまふ。 などかたらひたまふ。
452.3.4138118 (みかど)の、御言伝(おほんことづ)てにて、「あはれなる御住(おほんす)まひを、人伝(ひとづ)てに()くこと」など()こえたまうて、 みかどの、おほんことづてにて、"あはれなるおほんすまひを、ひとづてにくこと。"などこえたまうて、
452.3.5139119 ()(いと)(こころ)(やま)にかよへども<BR/>八重立(やへた)(くも)(きみ)(へだ)つる」 "〔いとこころやまにかよへども<BR/>やへたくもきみへだつる〕
452.3.6140120 阿闍梨(あざり)、この御使(おほんつかひ)(さき)()てて、かの(みや)(まゐ)りぬ。なのめなる(きは)の、さるべき(ひと)使(つかひ)だにまれなる山蔭(やまかげ)に、いとめづらしく、()ちよろこびたまうて、(ところ)につけたる(さかな)などして、さる(かた)にもてはやしたまふ。御返(おほんかへ)し、 あざり、このおほんつかひさきてて、かのみやまゐりぬ。なのめなるきはの、さるべきひとつかひだにまれなるやまかげに、いとめづらしく、ちよろこびたまうて、ところにつけたるさかななどして、さるかたにもてはやしたまふ。おほんかへし、
452.3.7141121 「あと()えて心澄(こころす)むとはなけれども<BR/>()宇治山(うぢやま)宿(やど)をこそ()れ」 "〔あとえてこころすむとはなけれども<BR/>うぢやまやどをこそれ〕
452.3.8142122 (ひじり)(かた)をば卑下(ひげ)して()こえなしたまへれば、「なほ、()(うら)(のこ)りける」と、いとほしく御覧(ごらん)ず。 ひじりかたをばひげしてこえなしたまへれば、"なほ、うらのこりける。"と、いとほしくごらんず。
452.3.9143123 阿闍梨(あざり)中将(ちうじゃう)の、道心深(だうしんこころふか)げにものしたまふなど、(かた)りきこえて、 あざりちうじゃうの、だうしんこころふかげにものしたまふなど、かたりきこえて、
452.3.10144124 法文(ほふもん)などの心得(こころえ)まほしき(こころ)ざしなむ、いはけなかりし(よはひ)より(ふか)(おも)ひながら、えさらず()にあり()るほど、公私(おほやけわたくし)(いとま)なく()()らし、わざと()()もりて(なら)()み、おほかたはかばかしくもあらぬ()にしも、()(なか)(そむ)(がほ)ならむも、(はばか)るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、(まぎ)らはしくてなむ()ぐし()るを、いとありがたき(おほん)ありさまを(うけたまは)(つた)へしより、かく(こころ)にかけてなむ、(たの)みきこえさする、など、ねむごろに(まう)したまひし」など(かた)りきこゆ。 "ほふもんなどのこころえまほしきこころざしなん、いはけなかりしよはひよりふかおもひながら、えさらずにありるほど、おほやけわたくしいとまなくらし、わざともりてならみ、おほかたはかばかしくもあらぬにしも、なかそむがほならんも、はばかるべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、まぎらはしくてなんぐしるを、いとありがたきおほんありさまをうけたまはつたへしより、かくこころにかけてなん、たのみきこえさする、など、ねんごろにまうしたまひし。"などかたりきこゆ。
452.3.11145125 (みや) みや
452.3.12146126 ()(なか)をかりそめのことと(おも)()り、(いと)はしき(こころ)のつきそむることも、わが()(うれ)へある(とき)、なべての()(うら)めしう(おも)()(はじ)めありてなむ、道心(だうしん)()こるわざなめるを、年若(としわか)く、()中思(なかおも)ふにかなひ、(なに)ごとも()かぬことはあらじとおぼゆる()のほどに、さはた、(のち)()をさへ、たどり()りたまふらむがありがたさ。 "なかをかりそめのこととおもり、いとはしきこころのつきそむることも、わがうれへあるとき、なべてのうらめしうおもはじめありてなん、だうしんこるわざなめるを、としわかく、なかおもふにかなひ、なにごともかぬことはあらじとおぼゆるのほどに、さはた、のちをさへ、たどりりたまふらんがありがたさ。
452.3.13147127 ここには、さべきにや、ただ(いと)(はな)れよと、ことさらに(ほとけ)などの(すす)めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、(しづ)かなる(おも)ひかなひゆけど、(のこ)(すく)なき心地(ここち)するに、はかばかしくもあらで、()ぎぬべかめるを、()方行(かたゆ)(すゑ)、さらに()たるところなく(おも)()らるるを、かへりては、心恥(こころは)づかしげなる(のり)(とも)にこそは、ものしたまふなれ」 ここには、さべきにや、ただいとはなれよと、ことさらにほとけなどのすすめおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、しづかなるおもひかなひゆけど、のこすくなきここちするに、はかばかしくもあらで、ぎぬべかめるを、かたゆすゑ、さらにたるところなくおもらるるを、かへりては、こころはづかしげなるのりともにこそは、ものしたまふなれ。"
452.3.14148128 などのたまひて、かたみに御消息通(おほんせうそこかよ)ひ、みづからも()うでたまふ。 などのたまひて、かたみにおほんせうそこかよひ、みづからもうでたまふ。
452.4149129第四段 薫、八の宮と親交を結ぶ
452.4.1150130 げに、()きしよりもあはれに、()まひたまへるさまよりはじめて、いと(かり)なる(くさ)(いほり)に、(おも)ひなし、ことそぎたり。(おな)じき山里(やまざと)といへど、さる(かた)にて(こころ)とまりぬべく、のどやかなるもあるを、いと(あら)ましき(みづ)(おと)(なみ)(ひび)きに、もの(わす)れうちし、(よる)など、心解(こころと)けて(ゆめ)をだに()るべきほどもなげに、すごく()(はら)ひたり。 げに、きしよりもあはれに、まひたまへるさまよりはじめて、いとかりなるくさいほりに、おもひなし、ことそぎたり。おなじきやまざとといへど、さるかたにてこころとまりぬべく、のどやかなるもあるを、いとあらましきみづおとなみひびきに、ものわすれうちし、よるなど、こころとけてゆめをだにるべきほどもなげに、すごくはらひたり。
452.4.2151131 (ひじり)だちたる(おほん)ために、かかるしもこそ、(こころ)とまらぬもよほしならめ、女君(をんなぎみ)たち、何心地(なにごこち)して()ぐしたまふらむ。()(つね)(をんな)しくなよびたる(かた)は、(とほ)くや」と()(はか)らるる(おほん)ありさまなり。 "ひじりだちたるおほんために、かかるしもこそ、こころとまらぬもよほしならめ、をんなぎみたち、なにごこちしてぐしたまふらん。つねをんなしくなよびたるかたは、とほくや。"とはからるるおほんありさまなり。
452.4.3152132 (ほとけ)御隔(おほんへだ)てに、障子(さうじ)ばかりを(へだ)ててぞおはすべかめる。()(ごころ)あらむ(ひと)は、けしきばみ()りて、(ひと)御心(おほんこころ)ばへをも()まほしう、さすがにいかがと、ゆかしうもある(おほん)けはひなり。 ほとけおほんへだてに、さうじばかりをへだててぞおはすべかめる。ごころあらんひとは、けしきばみりて、ひとおほんこころばへをもまほしう、さすがにいかがと、ゆかしうもあるおほんけはひなり。
452.4.4153133 されど、「さる(かた)(おも)(はな)るる(ねが)ひに、山深(やまふか)(たづ)ねきこえたる本意(ほい)なく、()()きしきなほざりごとをうち()であざればまむも、ことに(たが)ひてや」など(おも)(かへ)して、(みや)(おほん)ありさまのいとあはれなるを、ねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたび(まゐ)りたまひつつ、(おも)ひしやうに、優婆塞(うばそく)ながら(おこな)(やま)(ふか)(こころ)法文(ほふもん)など、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひ()らす。 されど、"さるかたおもはなるるねがひに、やまふかたづねきこえたるほいなく、きしきなほざりごとをうちであざればまんも、ことにたがひてや。"などおもかへして、みやおほんありさまのいとあはれなるを、ねんごろにとぶらひきこえたまひ、たびたびまゐりたまひつつ、おもひしやうに、うばそくながらおこなやまふかこころほふもんなど、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひらす。
452.4.5154134 (ひじり)だつ(ひと)(ざえ)ある法師(ほふし)などは、()(おほ)かれど、あまりこはごはしう、気遠(けどほ)げなる宿徳(しうとく)僧都(そうづ)僧正(そうじゃう)(きは)は、()(いとま)なくきすくにて、ものの(こころ)()ひあらはさむも、ことことしくおぼえたまふ。 ひじりだつひとざえあるほふしなどは、おほかれど、あまりこはごはしう、けどほげなるしうとくそうづそうじゃうきはは、いとまなくきすくにて、もののこころひあらはさんも、ことことしくおぼえたまふ。
452.4.6155135 また、その(ひと)ならぬ(ほとけ)御弟子(おほんでし)の、()むことを(たも)つばかりの(たふと)さはあれど、けはひ(いや)しく言葉(ことば)たみて、こちなげにもの()れたる、いとものしくて、(ひる)は、公事(おほやけごと)(いとま)なくなどしつつ、しめやかなる(よひ)のほど、気近(けぢか)御枕上(おほんまくらがみ)などに()()(かた)らひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに、心苦(こころぐる)しきさまして、のたまひ()づる(こと)()も、(おな)(ほとけ)御教(おほんをし)へをも、耳近(みみちか)きたとひにひきまぜ、いとこよなく(ふか)御悟(おほんさと)りにはあらねど、よき(ひと)は、ものの(こころ)()たまふ(かた)の、いとことにものしたまひければ、やうやう見馴(みな)れたてまつりたまふたびごとに、(つね)()たてまつらまほしうて、(いとま)なくなどしてほど()(とき)は、(こひ)しくおぼえたまふ。 また、そのひとならぬほとけおほんでしの、むことをたもつばかりのたふとさはあれど、けはひいやしくことばたみて、こちなげにものれたる、いとものしくて、ひるは、おほやけごといとまなくなどしつつ、しめやかなるよひのほど、けぢかおほんまくらがみなどにかたらひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに、こころぐるしきさまして、のたまひづることも、おなほとけおほんをしへをも、みみちかきたとひにひきまぜ、いとこよなくふかおほんさとりにはあらねど、よきひとは、もののこころたまふかたの、いとことにものしたまひければ、やうやうみなれたてまつりたまふたびごとに、つねたてまつらまほしうて、いとまなくなどしてほどときは、こひしくおぼえたまふ。
452.4.7156136 この(きみ)の、かく(たふと)がりきこえたまへれば、冷泉院(れいぜいゐん)よりも、(つね)御消息(おほんせうそこ)などありて、(とし)ごろ、(おと)にもをさをさ()こえたまはず、(さび)しげなりし御住(おほんす)()、やうやう人目見(ひとめみ)時々(ときどき)あり。(をり)ふしに、(とぶ)らひきこえたまふこと、いかめしう、この(きみ)も、まづさるべきことにつけつつ、をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、心寄(こころよ)(つか)うまつりたまふこと、三年(さんねん)ばかりになりぬ。 このきみの、かくたふとがりきこえたまへれば、れいぜいゐんよりも、つねおほんせうそこなどありて、としごろ、おとにもをさをさこえたまはず、さびしげなりしおほんす、やうやうひとめみときどきあり。をりふしに、とぶらひきこえたまふこと、いかめしう、このきみも、まづさるべきことにつけつつ、をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、こころよつかうまつりたまふこと、さんねんばかりになりぬ。
453157137第三章 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
453.1158138第一段 晩秋に薫、宇治へ赴く
453.1.1159139 (あき)(すゑ)(かた)四季(しき)にあててしたまふ御念仏(おほんねんぶつ)を、この川面(かはづら)は、網代(あじろ)(なみ)も、このころはいとど(みみ)かしかましく(しづ)かならぬを、とて、かの阿闍梨(あざり)()(てら)(だう)(うつ)ろひたまひて、七日(なぬか)のほど(おこな)ひたまふ。姫君(ひめぎみ)たちは、いと心細(こころぼそ)く、つれづれまさりて(なが)めたまひけるころ、中将(ちうじゃう)(きみ)(ひさ)しく(まゐ)らぬかなと、(おも)()できこえたまひけるままに、有明(ありあけ)(つき)の、まだ夜深(よぶか)くさし()づるほどに()()ちて、いと(しの)びて、御供(おほんとも)(ひと)などもなくて、やつれておはしけり。 あきすゑかたしきにあててしたまふおほんねんぶつを、このかはづらは、あじろなみも、このころはいとどみみかしかましくしづかならぬを、とて、かのあざりてらだううつろひたまひて、なぬかのほどおこなひたまふ。ひめぎみたちは、いとこころぼそく、つれづれまさりてながめたまひけるころ、ちうじゃうきみひさしくまゐらぬかなと、おもできこえたまひけるままに、ありあけつきの、まだよぶかくさしづるほどにちて、いとしのびて、おほんともひとなどもなくて、やつれておはしけり。
453.1.2160140 (かは)のこなたなれば、(ふね)などもわづらはで、御馬(おほんむま)にてなりけり。()りもてゆくままに、()りふたがりて、(みち)()えぬ繁木(しげき)(なか)()けたまふに、いと(あら)ましき(かぜ)のきほひに、ほろほろと()(みだ)るる()()(つゆ)()りかかるも、いと(ひや)やかに、(ひと)やりならずいたく()れたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬ心地(ここち)に、心細(こころぼそ)くをかしく(おぼ)されけり。 かはのこなたなれば、ふねなどもわづらはで、おほんむまにてなりけり。りもてゆくままに、りふたがりて、みちえぬしげきなかけたまふに、いとあらましきかぜのきほひに、ほろほろとみだるるつゆりかかるも、いとひややかに、ひとやりならずいたくれたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬここちに、こころぼそくをかしくおぼされけり。
453.1.3161141 (やま)おろしに()へぬ()()(つゆ)よりも<BR/>あやなくもろきわが(なみだ)かな」 "〔やまおろしにへぬつゆよりも<BR/>あやなくもろきわがなみだかな〕
453.1.4162142 山賤(やまがつ)のおどろくもうるさしとて、随身(ずいじん)(おと)もせさせたまはず。(しば)(まがき)()けて、そこはかとなき(みづ)(なが)れどもを()みしだく(こま)足音(あしおと)も、なほ、(しの)びてと用意(ようい)したまへるに、(かく)れなき御匂(おほんにほ)ひぞ、(かぜ)(したが)ひて、主知(ぬしし)らぬ()とおどろく寝覚(ねざ)めの家々(いへいへ)ありける。 やまがつのおどろくもうるさしとて、ずいじんおともせさせたまはず。しばまがきけて、そこはかとなきみづながれどもをみしだくこまあしおとも、なほ、しのびてとよういしたまへるに、かくれなきおほんにほひぞ、かぜしたがひて、ぬししらぬとおどろくねざめのいへいへありける。
453.1.5163143 (ちか)くなるほどに、その(こと)とも()()かれぬ(もの)()ども、いとすごげに()こゆ。「(つね)にかく(あそ)びたまふと()くを、ついでなくて、(みや)御琴(おほんこと)()名高(なだか)きも、え()かぬぞかし。よき(をり)なるべし」と(おも)ひつつ()りたまへば、琵琶(びは)(こゑ)(ひび)きなりけり。「黄鐘調(わうしきでう)」に調(しら)べて、()(つね)()()はせなれど、(ところ)からにや、耳馴(みみな)れぬ心地(ここち)して、()(かへ)(ばち)(おと)も、ものきよげにおもしろし。(さう)(こと)、あはれになまめいたる(こゑ)して、たえだえ()こゆ。 ちかくなるほどに、そのことともかれぬものども、いとすごげにこゆ。"つねにかくあそびたまふとくを、ついでなくて、みやおほんことなだかきも、えかぬぞかし。よきをりなるべし。"とおもひつつりたまへば、びはこゑひびきなりけり。〔わうしきでう〕にしらべて、つねはせなれど、ところからにや、みみなれぬここちして、かへばちおとも、ものきよげにおもしろし。さうこと、あはれになまめいたるこゑして、たえだえこゆ。
453.2164144第二段 宿直人、薫を招き入れる
453.2.1165145 しばし()かまほしきに、(しの)びたまへど、(おほん)けはひしるく()きつけて、宿直人(とのゐびと)めく(をのこ)、なまかたくなしき、()()たり。 しばしかまほしきに、しのびたまへど、おほんけはひしるくきつけて、とのゐびとめくをのこ、なまかたくなしき、たり。
453.2.2166146 「しかしかなむ()もりおはします。御消息(おほんせうそこ)をこそ()こえさせめ」と(まう)す。 "しかしかなんもりおはします。おほんせうそこをこそこえさせめ。"とまうす。
453.2.3167147 (なに)か。しか(かぎ)りある御行(おほんおこな)ひのほどを、(まぎ)らはしきこえさせむにあいなし。かく()()(まゐ)りて、いたづらに(かへ)らむ(うれ)へを、姫君(ひめぎみ)御方(おほんかた)()こえて、あはれとのたまはせばなむ、(なぐさ)むべき」 "なにか。しかかぎりあるおほんおこなひのほどを、まぎらはしきこえさせんにあいなし。かくまゐりて、いたづらにかへらんうれへを、ひめぎみおほんかたこえて、あはれとのたまはせばなん、なぐさむべき。"
453.2.4168148 とのたまへば、(みにく)(かほ)うち()みて、 とのたまへば、みにくかほうちみて、
453.2.5169149 (まう)させはべらむ」とて()つを、 "まうさせはべらん。"とてつを、
453.2.6170150 「しばしや」と()()せて、「(とし)ごろ、人伝(ひとづ)てにのみ()きて、ゆかしく(おも)御琴(おほんこと)()どもを、うれしき(をり)かな。しばし、すこしたち(かく)れて()くべきものの(くま)ありや。つきなくさし()ぎて(まゐ)()らむほど、皆琴(みなこと)やめたまひては、いと本意(ほい)なからむ」 "しばしや。"とせて、"としごろ、ひとづてにのみきて、ゆかしくおもおほんことどもを、うれしきをりかな。しばし、すこしたちかくれてくべきもののくまありや。つきなくさしぎてまゐらんほど、みなことやめたまひては、いとほいなからん。"
453.2.7171151 とのたまふ。(おほん)けはひ、顔容貌(かほかたち)の、さるなほなほしき心地(ここち)にも、いとめでたくかたじけなくおぼゆれば、 とのたまふ。おほんけはひ、かほかたちの、さるなほなほしきここちにも、いとめでたくかたじけなくおぼゆれば、
453.2.8172152 人聞(ひとき)かぬ(とき)は、()()れかくなむ(あそ)ばせど、下人(しもびと)にても、(みやこ)(かた)より(まゐ)り、()ちまじる(ひと)はべる(とき)は、(おと)もせさせたまはず。おほかた、かくて(をんな)たちおはしますことをば(かく)させたまひ、なべての(ひと)()らせたてまつらじと、(おぼ)しのたまはするなり」 "ひときかぬときは、れかくなんあそばせど、しもびとにても、みやこかたよりまゐり、ちまじるひとはべるときは、おともせさせたまはず。おほかた、かくてをんなたちおはしますことをばかくさせたまひ、なべてのひとらせたてまつらじと、おぼしのたまはするなり。"
453.2.9173153 (まう)せば、うち(わら)ひて、 まうせば、うちわらひて、
453.2.10174154 「あぢきなき(おほん)もの(かく)しなり。しか(しの)びたまふなれど、皆人(みなひと)、ありがたき()(ためし)に、()()づべかめるを」とのたまひて、「なほ、しるべせよ。われは、()()きしき(こころ)など、なき(ひと)ぞ。かくておはしますらむ(おほん)ありさまの、あやしく、げに、なべてにおぼえたまはぬなり」 "あぢきなきおほんものかくしなり。しかしのびたまふなれど、みなひと、ありがたきためしに、づべかめるを。"とのたまひて、"なほ、しるべせよ。われは、きしきこころなど、なきひとぞ。かくておはしますらんおほんありさまの、あやしく、げに、なべてにおぼえたまはぬなり。"
453.2.11175155 とこまやかにのたまへば、 とこまやかにのたまへば、
453.2.12176156 「あな、かしこ。(こころ)なきやうに、(のち)()こえやはべらむ」 "あな、かしこ。こころなきやうに、のちこえやはべらん。"
453.2.13177157 とて、あなたの御前(おまへ)は、(たけ)透垣(すいがい)しこめて、皆隔(みなへだ)てことなるを、(をし)()せたてまつれり。御供(おほんとも)(ひと)は、西(にし)(らう)()()ゑて、この宿直人(とのゐびと)あひしらふ。 とて、あなたのおまへは、たけすいがいしこめて、みなへだてことなるを、をしせたてまつれり。おほんともひとは、にしらうゑて、このとのゐびとあひしらふ。
453.3178158第三段 薫、姉妹を垣間見る
453.3.1179159 あなたに(かよ)ふべかめる透垣(すいがい)()を、すこし()()けて()たまへば、(つき)をかしきほどに()りわたれるを(なが)めて、(すだれ)(みじか)()()げて、(ひと)びとゐたり。簀子(すのこ)に、いと(さむ)げに、身細(みほそ)()えばめる童女一人(わらはべひとり)(おな)じさまなる大人(おとな)などゐたり。(うち)なる人一人(ひとひとり)(はしら)(すこ)しゐ(かく)れて、琵琶(びは)(まへ)()きて、(ばち)()まさぐりにしつつゐたるに、雲隠(くもがく)れたりつる(つき)の、にはかにいと(あか)くさし()でたれば、 あなたにかよふべかめるすいがいを、すこしけてたまへば、つきをかしきほどにりわたれるをながめて、すだれみじかげて、ひとびとゐたり。すのこに、いとさむげに、みほそえばめるわらはべひとりおなじさまなるおとななどゐたり。うちなるひとひとりはしらすこしゐかくれて、びはまへきて、ばちまさぐりにしつつゐたるに、くもがくれたりつるつきの、にはかにいとあかくさしでたれば、
453.3.2180161 (あふぎ)ならで、これしても、(つき)(まね)きつべかりけり」 "あふぎならで、これしても、つきまねきつべかりけり。"
453.3.3181162 とて、さしのぞきたる(かほ)、いみじくらうたげに(にほ)ひやかなるべし。 とて、さしのぞきたるかほ、いみじくらうたげににほひやかなるべし。
453.3.4182163 ()()したる(ひと)は、(こと)(うへ)(かたぶ)きかかりて、 したるひとは、ことうへかたぶきかかりて、
453.3.5183164 ()()(かへ)(ばち)こそありけれ、さま(こと)にも(おも)(およ)びたまふ御心(みこころ)かな」 "かへばちこそありけれ、さまことにもおもおよびたまふみこころかな。"
453.3.6184165 とて、うち(わら)ひたるけはひ、今少(いますこ)(おも)りかによしづきたり。 とて、うちわらひたるけはひ、いますこおもりかによしづきたり。
453.3.7185166 (およ)ばずとも、これも(つき)(はな)るるものかは」 "およばずとも、これもつきはなるるものかは。"
453.3.8186167 など、はかなきことを、うち()けのたまひ()はしたるけはひども、さらによそに(おも)ひやりしには()ず、いとあはれになつかしうをかし。 など、はかなきことを、うちけのたまひはしたるけはひども、さらによそにおもひやりしにはず、いとあはれになつかしうをかし。
453.3.9187168 昔物語(むかしものがたり)などに(かた)(つた)へて、(わか)女房(にょうばう)などの()むをも()くに、かならずかやうのことを()ひたる、さしもあらざりけむ」と、(にく)()(はか)らるるを、「げに、あはれなるものの(くま)ありぬべき()なりけり」と、心移(こころうつ)りぬべし。 "むかしものがたりなどにかたつたへて、わかにょうばうなどのむをもくに、かならずかやうのことをひたる、さしもあらざりけん。"と、にくはからるるを、"げに、あはれなるもののくまありぬべきなりけり。"と、こころうつりぬべし。
453.3.10188169 (きり)(ふか)ければ、さやかに()ゆべくもあらず。また、(つき)さし()でなむと(おぼ)すほどに、(おく)(かた)より、「(ひと)おはす」と()げきこゆる(ひと)やあらむ、簾下(すだれお)ろして皆入(みない)りぬ。おどろき(がほ)にはあらず、なごやかにもてなして、やをら(かく)れぬるけはひども、(きぬ)(おと)もせず、いとなよよかに心苦(こころぐる)しくて、いみじうあてにみやびかなるを、あはれと(おも)ひたまふ。 きりふかければ、さやかにゆべくもあらず。また、つきさしでなんとおぼすほどに、おくかたより、"ひとおはす。"とげきこゆるひとやあらん、すだれおろしてみないりぬ。おどろきがほにはあらず、なごやかにもてなして、やをらかくれぬるけはひども、きぬおともせず、いとなよよかにこころぐるしくて、いみじうあてにみやびかなるを、あはれとおもひたまふ。
453.3.11189170 やをら()でて、(きゃう)に、御車率(おほんくるまゐ)(まゐ)るべく、人走(ひとはし)らせつ。ありつる(さぶらひ)に、 やをらでて、きゃうに、おほんくるまゐまゐるべく、ひとはしらせつ。ありつるさぶらひに、
453.3.12190171 折悪(をりあ)しく(まゐ)りはべりにけれど、なかなかうれしく、(おも)ふことすこし(なぐさ)めてなむ。かくさぶらふよし()こえよ。いたう()れにたるかことも()こえさせむかし」 "をりあしくまゐりはべりにけれど、なかなかうれしく、おもふことすこしなぐさめてなん。かくさぶらふよしこえよ。いたうれにたるかこともこえさせんかし。"
453.3.13191172 とのたまへば、(まゐ)りて()こゆ。 とのたまへば、まゐりてこゆ。
453.4192173第四段 薫、大君と御簾を隔てて対面
453.4.1193174 かく()えやしぬらむとは(おぼ)しも()らで、うちとけたりつることどもを、()きやしたまひつらむと、いといみじく()づかし。あやしく、()うばしく(にほ)(かぜ)()きつるを、(おも)ひかけぬほどなれば、「(おどろ)かざりける(こころ)おそさよ」と、(こころ)(まど)ひて、()ぢおはさうず。 かくえやしぬらんとはおぼしもらで、うちとけたりつることどもを、きやしたまひつらんと、いといみじくづかし。あやしく、うばしくにほかぜきつるを、おもひかけぬほどなれば、"おどろかざりけるこころおそさよ。"と、こころまどひて、ぢおはさうず。
453.4.2194175 御消息(おほんせうそこ)など(つた)ふる(ひと)も、いとうひうひしき(ひと)なめるを、「(をり)からにこそ、よろづのことも」と(おぼ)いて、まだ(きり)(まぎ)れなれば、ありつる御簾(みす)(まへ)(あゆ)()でて、ついゐたまふ。 おほんせうそこなどつたふるひとも、いとうひうひしきひとなめるを、"をりからにこそ、よろづのことも。"とおぼいて、まだきりまぎれなれば、ありつるみすまへあゆでて、ついゐたまふ。
453.4.3195176 山里(やまざと)びたる若人(わかうど)どもは、さしいらへむ(こと)()もおぼえで、御茵(おほんしとね)さし()づるさまも、たどたどしげなり。 やまざとびたるわかうどどもは、さしいらへんこともおぼえで、おほんしとねさしづるさまも、たどたどしげなり。
453.4.4196177 「この御簾(みす)(まへ)には、はしたなくはべりけり。うちつけに(あさ)(こころ)ばかりにては、かくも(たづ)(まゐ)るまじき(やま)のかけ()(おも)うたまふるを、さま(こと)にこそ。かく(つゆ)けき(たび)(かさ)ねては、さりとも、御覧(ごらん)()るらむとなむ、(たの)もしうはべる」 "このみすまへには、はしたなくはべりけり。うちつけにあさこころばかりにては、かくもたづまゐるまじきやまのかけおもうたまふるを、さまことにこそ。かくつゆけきたびかさねては、さりとも、ごらんるらんとなん、たのもしうはべる。"
453.4.5197178 と、いとまめやかにのたまふ。 と、いとまめやかにのたまふ。
453.4.6198179 (わか)(ひと)びとの、なだらかにもの()こゆべきもなく、()(かへ)りかかやかしげなるも、かたはらいたければ、(をんな)ばらの奥深(おくふか)きを()こし()づるほど、(ひさ)しくなりて、わざとめいたるも(くる)しうて、 わかひとびとの、なだらかにものこゆべきもなく、かへりかかやかしげなるも、かたはらいたければ、をんなばらのおくふかきをこしづるほど、ひさしくなりて、わざとめいたるもくるしうて、
453.4.7199180 (なに)ごとも(おも)()らぬありさまにて、()(がほ)にも、いかばかりかは、()こゆべく」 "なにごともおもらぬありさまにて、がほにも、いかばかりかは、こゆべく。"
453.4.8200181 と、いとよしあり、あてなる(こゑ)して、ひき()りながらほのかにのたまふ。 と、いとよしあり、あてなるこゑして、ひきりながらほのかにのたまふ。
453.4.9201182 「かつ()りながら、()きを()らず(がほ)なるも、()のさがと(おも)うたまへ()るを、一所(ひとところ)しも、あまりおぼめかせたまふらむこそ、口惜(くちを)しかるべけれ。ありがたう、よろづを(おも)()ましたる御住(おほんす)まひなどに、たぐひきこえさせたまふ御心(みこころ)のうちは、(なに)ごとも(すず)しく()(はか)られはべれば、なほ、かく(しの)びあまりはべる(ふか)(あさ)さのほども、()かせたまはむこそ、かひははべらめ。 "かつりながら、きをらずがほなるも、のさがとおもうたまへるを、ひとところしも、あまりおぼめかせたまふらんこそ、くちをしかるべけれ。ありがたう、よろづをおもましたるおほんすまひなどに、たぐひきこえさせたまふみこころのうちは、なにごともすずしくはかられはべれば、なほ、かくしのびあまりはべるふかあささのほども、かせたまはんこそ、かひははべらめ。
453.4.10202183 ()(つね)()()きしき(すぢ)には、(おぼ)しめし(はな)つべくや。さやうの(かた)は、わざと(すす)むる(ひと)はべりとも、なびくべうもあらぬ心強(こころづよ)さになむ。 つねきしきすぢには、おぼしめしはなつべくや。さやうのかたは、わざとすすむるひとはべりとも、なびくべうもあらぬこころづよさになん。
453.4.11203184 おのづから()こしめし()はするやうもはべりなむ。つれづれとのみ()ぐしはべる()物語(ものがたり)も、()こえさせ(どころ)(たの)みきこえさせ、またかく、世離(よはな)れて、(なが)めさせたまふらむ御心(みこころ)(まぎ)らはしには、さしも、(おどろ)かせたまふばかり()こえ()れはべらば、いかに(おも)ふさまにはべらむ」 おのづからこしめしはするやうもはべりなん。つれづれとのみぐしはべるものがたりも、こえさせどころたのみきこえさせ、またかく、よはなれて、ながめさせたまふらんみこころまぎらはしには、さしも、おどろかせたまふばかりこえれはべらば、いかにおもふさまにはべらん。"
453.4.12204185 など、(おほ)くのたまへば、つつましく、いらへにくくて、()こしつる()(びと)()()たるにぞ、(ゆづ)りたまふ。 など、おほくのたまへば、つつましく、いらへにくくて、こしつるびとたるにぞ、ゆづりたまふ。
453.5205186第五段 老女房の弁が応対
453.5.1206187 たとしへなくさし()ぐして、 たとしへなくさしぐして、
453.5.2207188 「あな、かたじけなや。かたはらいたき御座(おまし)のさまにもはべるかな。御簾(みす)(うち)にこそ。(わか)(ひと)びとは、(もの)のほど()らぬやうにはべるこそ」 "あな、かたじけなや。かたはらいたきおましのさまにもはべるかな。みすうちにこそ。わかひとびとは、もののほどらぬやうにはべるこそ。"
453.5.3208189 など、したたかに()(こゑ)のさだすぎたるも、かたはらいたく(きみ)たちは(おぼ)す。 など、したたかにこゑのさだすぎたるも、かたはらいたくきみたちはおぼす。
453.5.4209190 「いともあやしく、()(なか)()まひたまふ(ひと)(かず)にもあらぬ(おほん)ありさまにて、さもありぬべき(ひと)びとだに、(とぶ)らひ(かず)まへきこえたまふも、()()こえずのみなりまさりはべるめるに、ありがたき御心(おほんこころ)ざしのほどは、(かず)にもはべらぬ(こころ)にも、あさましきまで(おも)ひたまへはべるを、(わか)御心地(おほんここち)にも(おぼ)()りながら、()こえさせたまひにくきにやはべらむ」 "いともあやしく、なかまひたまふひとかずにもあらぬおほんありさまにて、さもありぬべきひとびとだに、とぶらひかずまへきこえたまふも、こえずのみなりまさりはべるめるに、ありがたきおほんこころざしのほどは、かずにもはべらぬこころにも、あさましきまでおもひたまへはべるを、わかおほんここちにもおぼりながら、こえさせたまひにくきにやはべらん。"
453.5.5210191 と、いとつつみなくもの()れたるも、なま(にく)きものから、けはひいたう(ひと)めきて、よしある(こゑ)なれば、 と、いとつつみなくものれたるも、なまにくきものから、けはひいたうひとめきて、よしあるこゑなれば、
453.5.6211192 「いとたづきも()らぬ心地(ここち)しつるに、うれしき(おほん)けはひにこそ。(なに)ごとも、げに、(おも)()りたまひける(たの)み、こよなかりけり」 "いとたづきもらぬここちしつるに、うれしきおほんけはひにこそ。なにごとも、げに、おもりたまひけるたのみ、こよなかりけり。"
453.5.7212193 とて、()()たまへるを、几帳(きちゃう)(そば)より()れば、(あけぼの)、やうやう(もの)色分(いろわ)かるるに、げに、やつしたまへると()ゆる狩衣姿(かりぎぬすがた)の、いと()れしめりたるほど、「うたて、この()(ほか)(にほ)ひにや」と、あやしきまで(かを)()ちたり。 とて、たまへるを、きちゃうそばよりれば、あけぼの、やうやうものいろわかるるに、げに、やつしたまへるとゆるかりぎぬすがたの、いとれしめりたるほど、"うたて、このほかにほひにや。"と、あやしきまでかをちたり。
453.6213194第六段 老女房の弁の昔語り
453.6.1214195 この()(びと)はうち()きぬ。 このびとはうちきぬ。
453.6.2215196 「さし()ぎたる(つみ)もやと、(おも)うたまへ(しの)ぶれど、あはれなる(むかし)御物語(おほんものがたり)の、いかならむついでにうち()()こえさせ、片端(かたはし)をも、ほのめかし()ろしめさせむと、(とし)ごろ念誦(ねんず)のついでにも、うち()(おも)うたまへわたるしるしにや、うれしき(をり)にはべるを、まだきにおぼほれはべる(なみだ)にくれて、えこそ()こえさせずはべりけれ」 "さしぎたるつみもやと、おもうたまへしのぶれど、あはれなるむかしおほんものがたりの、いかならんついでにうちこえさせ、かたはしをも、ほのめかしろしめさせんと、としごろねんずのついでにも、うちおもうたまへわたるしるしにや、うれしきをりにはべるを、まだきにおぼほれはべるなみだにくれて、えこそこえさせずはべりけれ。"
453.6.3216197 と、うちわななくけしき、まことにいみじくもの(かな)しと(おも)へり。 と、うちわななくけしき、まことにいみじくものかなしとおもへり。
453.6.4217198 おほかた、さだ()ぎたる(ひと)は、(なみだ)もろなるものとは見聞(みき)きたまへど、いとかうしも(おも)へるも、あやしうなりたまひて、 おほかた、さだぎたるひとは、なみだもろなるものとはみききたまへど、いとかうしもおもへるも、あやしうなりたまひて、
453.6.5218199 「ここに、かく(まゐ)るをば、たび(かさ)なりぬるを、かくあはれ()りたまへる(ひと)もなくてこそ、(つゆ)けき(みち)のほどに、(ひと)りのみそほちつれ。うれしきついでなめるを、(こと)(のこ)いたまひそかし」とのたまへば、 "ここに、かくまゐるをば、たびかさなりぬるを、かくあはれりたまへるひともなくてこそ、つゆけきみちのほどに、ひとりのみそほちつれ。うれしきついでなめるを、ことのこいたまひそかし。"とのたまへば、
453.6.6219200 「かかるついでしも、はべらじかし。また、はべりとも、()()のほど()らぬ(いのち)の、(たの)むべきにもはべらぬを。さらば、ただ、かかる古者(ふるもの)()にはべりけりとばかり、()ろしめされはべらなむ。 "かかるついでしも、はべらじかし。また、はべりとも、のほどらぬいのちの、たのむべきにもはべらぬを。さらば、ただ、かかるふるものにはべりけりとばかり、ろしめされはべらなん。
453.6.7220201 三条(さんでう)(みや)にはべりし小侍従(こじじゅう)、はかなくなりはべりにけると、ほの()きはべりし。そのかみ、(むつ)ましう(おも)うたまへし(おな)じほどの(ひと)(おほ)()せはべりにける()(すゑ)に、はるかなる世界(せかい)より(つた)はりまうで()て、この(いつとせ)六年(むとせ)のほどなむ、これにかくさぶらひはべる。 さんでうみやにはべりしこじじゅう、はかなくなりはべりにけると、ほのきはべりし。そのかみ、むつましうおもうたまへしおなじほどのひとおほせはべりにけるすゑに、はるかなるせかいよりつたはりまうでて、このいつとせむとせのほどなん、これにかくさぶらひはべる。
453.6.8221202 ()ろしめさじかし。このころ、藤大納言(とうだいなごん)(まう)すなる御兄(おほんこのかみ)の、右衛門督(ゑもんのかみ)にて(かく)れたまひにしは、(もの)のついでなどにや、かの御上(おほんうへ)とて、()こしめし(つた)ふることもはべらむ。 ろしめさじかし。このころ、とうだいなごんまうすなるおほんこのかみの、ゑもんのかみにてかくれたまひにしは、もののついでなどにや、かのおほんうへとて、こしめしつたふることもはべらん。
453.6.9222203 ()ぎたまひて、いくばくも(へだ)たらぬ心地(ここち)のみしはべる。その(をり)(かな)しさも、まだ(そで)(かは)(をり)はべらず(おも)うたまへらるるを、かくおとなしくならせたまひにける御齢(おほんよはひ)のほども、(ゆめ)のやうになむ。 ぎたまひて、いくばくもへだたらぬここちのみしはべる。そのをりかなしさも、まだそでかはをりはべらずおもうたまへらるるを、かくおとなしくならせたまひにけるおほんよはひのほども、ゆめのやうになん。
453.6.10223204 かの権大納言(ごんのだいなごん)御乳母(おほんめのと)にはべりしは、(べん)(はは)になむはべりし。朝夕(あさゆふ)(つか)うまつり()れはべりしに、人数(ひとかず)にもはべらぬ()なれど、(ひと)()らせず、御心(みこころ)よりはた(あま)りけることを、折々(をりをり)うちかすめのたまひしを、(いま)(かぎ)りになりたまひにし御病(おほんやまひ)(すゑ)(かた)に、()()せて、いささかのたまひ()くことなむはべりしを、()こしめすべきゆゑなむ、一事(ひとこと)はべれど、かばかり()こえ()ではべるに、(のこ)りをと(おぼ)しめす御心(みこころ)はべらば、のどかになむ、()こしめし()てはべるべき。(わか)(ひと)びとも、かたはらいたく、さし()ぎたりと、つきじろひはべるも、ことわりになむ」 かのごんのだいなごんおほんめのとにはべりしは、べんははになんはべりし。あさゆふつかうまつりれはべりしに、ひとかずにもはべらぬなれど、ひとらせず、みこころよりはたあまりけることを、をりをりうちかすめのたまひしを、いまかぎりになりたまひにしおほんやまひすゑかたに、せて、いささかのたまひくことなんはべりしを、こしめすべきゆゑなん、ひとことはべれど、かばかりこえではべるに、のこりをとおぼしめすみこころはべらば、のどかになん、こしめしてはべるべき。わかひとびとも、かたはらいたく、さしぎたりと、つきじろひはべるも、ことわりになん。"
453.6.11224205 とて、さすがにうち()でずなりぬ。 とて、さすがにうちでずなりぬ。
453.6.12225206 あやしく、夢語(ゆめがた)り、巫女(かんなぎ)やうのものの、()はず(がた)りすらむやうに、めづらかに(おぼ)さるれど、あはれにおぼつかなく(おぼ)しわたることの(すぢ)()こゆれば、いと(おく)ゆかしけれど、げに、人目(ひとめ)もしげし、さしぐみに古物語(ふるものがたり)にかかづらひて、(よる)()かし()てむも、こちごちしかるべければ、 あやしく、ゆめがたり、かんなぎやうのものの、はずがたりすらんやうに、めづらかにおぼさるれど、あはれにおぼつかなくおぼしわたることのすぢこゆれば、いとおくゆかしけれど、げに、ひとめもしげし、さしぐみにふるものがたりにかかづらひて、よるかしてんも、こちごちしかるべければ、
453.6.13226207 「そこはかと(おも)()くことは、なきものから、いにしへのことと()きはべるも、ものあはれになむ。さらば、かならずこの(のこ)()かせたまへ。霧晴(きりは)れゆかば、はしたなかるべきやつれを、(おも)なく御覧(ごらん)じとがめられぬべきさまなれば、(おも)うたまふる(こころ)のほどよりは、口惜(くちを)しうなむ」 "そこはかとおもくことは、なきものから、いにしへのことときはべるも、ものあはれになん。さらば、かならずこののこかせたまへ。きりはれゆかば、はしたなかるべきやつれを、おもなくごらんじとがめられぬべきさまなれば、おもうたまふるこころのほどよりは、くちをしうなん。"
453.6.14227208 とて、()ちたまふに、かのおはします(てら)(かね)(こゑ)、かすかに()こえて、(きり)いと(ふか)くたちわたれり。 とて、ちたまふに、かのおはしますてらかねこゑ、かすかにこえて、きりいとふかくたちわたれり。
453.7228209第七段 薫、大君と和歌を詠み交して帰京
453.7.1229210 (みね)八重雲(やへくも)(おも)ひやる(へだ)(おほ)く、あはれなるに、なほ、この姫君(ひめぎみ)たちの御心(みこころ)のうちども心苦(こころぐる)しう、「(なに)ごとを(おぼ)(のこ)すらむ。かく、いと(おく)まりたまへるも、ことわりぞかし」などおぼゆ。 みねやへくもおもひやるへだおほく、あはれなるに、なほ、このひめぎみたちのみこころのうちどもこころぐるしう、"なにごとをおぼのこすらん。かく、いとおくまりたまへるも、ことわりぞかし。"などおぼゆ。
453.7.2230211 「あさぼらけ家路(いへぢ)()えず(たず)()し<BR/>(まき)尾山(をやま)(きり)こめてけり "〔あさぼらけいへぢえずたずし<BR/>まきをやまきりこめてけり
453.7.3231212 心細(こころぼそ)くもはべるかな」 こころぼそくもはべるかな。"
453.7.4232214 と、()(かへ)りやすらひたまへるさまを、(みやこ)(ひと)目馴(めな)れたるだに、なほ、いとことに(おも)ひきこえたるを、まいて、いかがはめづらしう()きこえざらむ。御返(おほんかへ)()こえ(つた)へにくげに(おも)ひたれば、(れい)の、いとつつましげにて、 と、かへりやすらひたまへるさまを、みやこひとめなれたるだに、なほ、いとことにおもひきこえたるを、まいて、いかがはめづらしうきこえざらん。おほんかへこえつたへにくげにおもひたれば、れいの、いとつつましげにて、
453.7.5233215 (くも)のゐる(みね)のかけ()秋霧(あきぎり)の<BR/>いとど(へだ)つるころにもあるかな」 "〔くものゐるみねのかけあきぎりの<BR/>いとどへだつるころにもあるかな〕
453.7.6234216 すこしうち(なげ)いたまへるけしき、(あさ)からずあはれなり。 すこしうちなげいたまへるけしき、あさからずあはれなり。
453.7.7235217 (なに)ばかりをかしきふしは()えぬあたりなれど、げに、心苦(こころぐる)しきこと(おほ)かるにも、(あか)うなりゆけば、さすがにひた(おもて)なる心地(ここち)して、 なにばかりをかしきふしはえぬあたりなれど、げに、こころぐるしきことおほかるにも、あかうなりゆけば、さすがにひたおもてなるここちして、
453.7.8236218 「なかなかなるほどに、(うけたまは)りさしつること(おほ)かる(のこ)りは、(いま)すこし面馴(おもな)れてこそは、(うら)みきこえさすべかめれ。さるは、かく()(ひと)めいて、もてなしたまふべくは、(おも)はずに、もの(おぼ)()かざりけりと、(うら)めしうなむ」 "なかなかなるほどに、うけたまはりさしつることおほかるのこりは、いますこしおもなれてこそは、うらみきこえさすべかめれ。さるは、かくひとめいて、もてなしたまふべくは、おもはずに、ものおぼかざりけりと、うらめしうなん。"
453.7.9237219 とて、宿直人(とのゐびと)がしつらひたる西面(にしおもて)におはして、(なが)めたまふ。 とて、とのゐびとがしつらひたるにしおもてにおはして、ながめたまふ。
453.7.10238220 網代(あじろ)は、人騒(ひとさわ)がしげなり。されど、氷魚(ひを)()らぬにやあらむ。すさまじげなるけしきなり」 "あじろは、ひとさわがしげなり。されど、ひをらぬにやあらん。すさまじげなるけしきなり。"
453.7.11239221 と、御供(おほんとも)(ひと)びと見知(みし)りて()ふ。 と、おほんともひとびとみしりてふ。
453.7.12240223 「あやしき(ふね)どもに、柴刈(しばか)()み、おのおの(なに)となき()(いとな)みどもに、()()ふさまどもの、はかなき(みづ)(うへ)()かびたる、()れも(おも)へば(おな)じことなる、()(つね)なさなり。われは()かばず、(たま)(うてな)(しづ)けき()と、(おも)ふべき()かは」と(おも)(つづ)けらる。 "あやしきふねどもに、しばかみ、おのおのなにとなきいとなみどもに、ふさまどもの、はかなきみづうへかびたる、れもおもへばおなじことなる、つねなさなり。われはかばず、たまうてなしづけきと、おもふべきかは。"とおもつづけらる。
453.7.13241224 硯召(すずりめ)して、あなたに()こえたまふ。 すずりめして、あなたにこえたまふ。
453.7.14242225 橋姫(はしひめ)(こころ)()みて高瀬(たかせ)さす<BR/>(さを)のしづくに(そで)()れぬる "〔はしひめこころみてたかせさす<BR/>さをのしづくにそでれぬる
453.7.15243226 (なが)めたまふらむかし」 ながめたまふらんかし。"
453.7.16244227 とて、宿直人(とのゐびと)()たせたまへり。いと(さむ)げに、いららぎたる(かほ)して()(まゐ)る。御返(おほんかへ)り、(かみ)()など、おぼろけならむ()づかしげなるを、()きをこそかかる(をり)には、とて、 とて、とのゐびとたせたまへり。いとさむげに、いららぎたるかほしてまゐる。おほんかへり、かみなど、おぼろけならんづかしげなるを、きをこそかかるをりには、とて、
453.7.17245228 「さしかへる宇治(うぢ)河長朝夕(かはをさあさゆふ)の<BR/>しづくや(そで)()たし()つらむ "〔さしかへるうぢかはをさあさゆふの<BR/>しづくやそでたしつらん
453.7.18246229 ()さへ()きて」 さへきて。"
453.7.19247230 と、いとをかしげに()きたまへり。「まほにめやすくもものしたまひけり」と、(こころ)とまりぬれど、 と、いとをかしげにきたまへり。"まほにめやすくもものしたまひけり。"と、こころとまりぬれど、
453.7.20248231 御車率(みくるまゐ)(まゐ)りぬ」 "みくるまゐまゐりぬ。"
453.7.21249232 と、(ひと)びと(さわ)がしきこゆれば、宿直人(とのゐびと)ばかりを()()せて、 と、ひとびとさわがしきこゆれば、とのゐびとばかりをせて、
453.7.22250233 (かへ)りわたらせたまはむほどに、かならず(まゐ)るべし」 "かへりわたらせたまはんほどに、かならずまゐるべし。"
453.7.23251234 などのたまふ。()れたる御衣(おほんぞ)どもは、(みな)この(ひと)()ぎかけたまひて、()りに(つか)はしつる御直衣(おほんなほし)にたてまつりかへつ。 などのたまふ。れたるおほんぞどもは、みなこのひとぎかけたまひて、りにつかはしつるおほんなほしにたてまつりかへつ。
453.8252235第八段 薫、宇治へ手紙を書く
453.8.1253236 ()(びと)物語(ものがたり)(こころ)にかかりて(おぼ)()でらる。(おも)ひしよりは、こよなくまさりて、をかしかりつる(おほん)けはひども、面影(おもかげ)()ひて、「なほ、(おも)(はな)れがたき()なりけり」と、心弱(こころよわ)(おも)()らる。 びとものがたりこころにかかりておぼでらる。おもひしよりは、こよなくまさりて、をかしかりつるおほんけはひども、おもかげひて、"なほ、おもはなれがたきなりけり。"と、こころよわおもらる。
453.8.2254237 御文(おほんふみ)たてまつりたまふ。懸想(けさう)だちてもあらず、(しろ)色紙(しきし)厚肥(あつご)えたるに、(ふで)ひきつくろひ()りて、(すみ)つき見所(みどころ)ありて()きたまふ。 おほんふみたてまつりたまふ。けさうだちてもあらず、しろしきしあつごえたるに、ふでひきつくろひりて、すみつきみどころありてきたまふ。
453.8.3255238 「うちつけなるさまにやと、あいなくとどめはべりて、(のこ)(おほ)かるも(くる)しきわざになむ。片端聞(かたはしき)こえおきつるやうに、(いま)よりは、御簾(みす)(まへ)も、(こころ)やすく(おぼ)(ゆる)すべくなむ。御山籠(みやまご)もり()てはべらむ日数(ひかず)(うけたまは)りおきて、いぶせかりし(きり)(まよ)ひも、はるけはべらむ」 "うちつけなるさまにやと、あいなくとどめはべりて、のこおほかるもくるしきわざになん。かたはしきこえおきつるやうに、いまよりは、みすまへも、こころやすくおぼゆるすべくなん。みやまごもりてはべらんひかずうけたまはりおきて、いぶせかりしきりまよひも、はるけはべらん。"
453.8.4256239 などぞ、いとすくよかに()きたまへる。左近将監(さこんのぞう)なる(ひと)御使(おほんつかひ)にて、 などぞ、いとすくよかにきたまへる。さこんのぞうなるひとおほんつかひにて、
453.8.5257240 「かの()人訪(びとたづ)ねて、(ふみ)()らせよ」 "かのびとたづねて、ふみらせよ。"
453.8.6258241 とのたまふ。宿直人(とのゐびと)(さむ)げにてさまよひしなど、あはれに(おぼ)しやりて、(おほ)きなる桧破籠(ひわりご)やうのもの、あまたせさせたまふ。 とのたまふ。とのゐびとさむげにてさまよひしなど、あはれにおぼしやりて、おほきなるひわりごやうのもの、あまたせさせたまふ。
453.8.7259242 またの()、かの御寺(みてら)にもたてまつりたまふ。「山籠(やまご)もりの(そう)ども、このころの(あらし)には、いと心細(こころぼそ)(くる)しからむを、さておはしますほどの布施(ふせ)(たま)ふべからむ」と(おぼ)しやりて、(きぬ)綿(わた)など(おほ)かりけり。 またの、かのみてらにもたてまつりたまふ。"やまごもりのそうども、このころのあらしには、いとこころぼそくるしからんを、さておはしますほどのふせたまふべからん。"とおぼしやりて、きぬわたなどおほかりけり。
453.8.8260243 御行(おほんおこな)()てて、()でたまふ(あした)なりければ、(おこな)(びと)どもに、綿(わた)(きぬ)袈裟(けさ)(ころも)など、すべて一領(ひとくだり)のほどづつ、ある(かぎ)りの大徳(だいとこ)たちに(たま)ふ。 おほんおこなてて、でたまふあしたなりければ、おこなびとどもに、わたきぬけさころもなど、すべてひとくだりのほどづつ、あるかぎりのだいとこたちにたまふ。
453.8.9261244 宿直人(とのゐびと)が、御脱(おほんぬ)()ての、(えん)にいみじき(かり)御衣(おほんぞ)ども、えならぬ(しろ)(あや)御衣(おほんぞ)の、なよなよといひ()らず(にほ)へるを、(うつ)()て、()をはた、え()へぬものなれば、()つかはしからぬ(そで)()を、(ひと)ごとにとがめられ、めでらるるなむ、なかなか所狭(ところせ)かりける。 とのゐびとが、おほんぬての、えんにいみじきかりおほんぞども、えならぬしろあやおほんぞの、なよなよといひらずにほへるを、うつて、をはた、えへぬものなれば、つかはしからぬそでを、ひとごとにとがめられ、めでらるるなん、なかなかところせかりける。
453.8.10262245 (こころ)にまかせて、()をやすくも()()はれず、いとむくつけきまで、(ひと)のおどろく(にほ)ひを、(うしな)ひてばやと(おも)へど、所狭(ところせ)(ひと)御移(おほんうつ)()にて、えもすすぎ()てぬぞ、あまりなるや。 こころにまかせて、をやすくもはれず、いとむくつけきまで、ひとのおどろくにほひを、うしなひてばやとおもへど、ところせひとおほんうつにて、えもすすぎてぬぞ、あまりなるや。
453.9263246第九段 薫、匂宮に宇治の姉妹を語る
453.9.1264247 (きみ)は、姫君(ひめぎみ)御返(おほんかへ)りこと、いとめやすく()めかしきを、をかしく()たまふ。(みや)にも、「かく御消息(おほんせうそこ)ありき」など、(ひと)びと()こえさせ、御覧(ごらん)ぜさすれば、 きみは、ひめぎみおほんかへりこと、いとめやすくめかしきを、をかしくたまふ。みやにも、"かくおほんせうそこありき。"など、ひとびとこえさせ、ごらんぜさすれば、
453.9.2265248 (なに)かは。懸想(けさう)だちてもてないたまはむも、なかなかうたてあらむ。(れい)若人(わかうど)()御心(みこころ)ばへなめるを、()からむ(のち)もなど、一言(ひとこと)うちほのめかしてしかば、さやうにて、(こころ)ぞとめたらむ」 "なにかは。けさうだちてもてないたまはんも、なかなかうたてあらん。れいわかうどみこころばへなめるを、からんのちもなど、ひとことうちほのめかしてしかば、さやうにて、こころぞとめたらん。"
453.9.3266249 などのたまうけり。(おほん)みづからも、さまざまの(おほん)とぶらひの、(やま)岩屋(いはや)にあまりしことなどのたまへるに、()うでむと(おぼ)して、「(さん)(みや)の、かやうに(おく)まりたらむあたりの、()まさりせむこそ、をかしかるべけれと、あらましごとにだにのたまふものを、()こえはげまして、御心騒(みこころさわ)がしたてまつらむ」と(おぼ)して、のどやかなる夕暮(ゆふぐれ)(まゐ)りたまへり。 などのたまうけり。おほんみづからも、さまざまのおほんとぶらひの、やまいはやにあまりしことなどのたまへるに、うでんとおぼして、"さんみやの、かやうにおくまりたらんあたりの、まさりせんこそ、をかしかるべけれと、あらましごとにだにのたまふものを、こえはげまして、みこころさわがしたてまつらん。"とおぼして、のどやかなるゆふぐれまゐりたまへり。
453.9.4267250 (れい)の、さまざまなる御物語(おほんものがたり)()こえ()はしたまふついでに、宇治(うぢ)(みや)(おほん)こと(かた)()でて、()(あかつき)のありさまなど、(くは)しく()こえたまふに、(みや)、いと(せち)にをかしと(おぼ)いたり。 れいの、さまざまなるおほんものがたりこえはしたまふついでに、うぢみやおほんことかたでて、あかつきのありさまなど、くはしくこえたまふに、みや、いとせちにをかしとおぼいたり。
453.9.5268251 さればよと、()けしきを()て、いとど御心動(みこころうご)きぬべく()(つづ)けたまふ。 さればよと、けしきをて、いとどみこころうごきぬべくつづけたまふ。
453.9.6269252 「さて、そのありけむ(かへ)りことは、などか()せたまはざりし。まろならましかば」と(うら)みたまふ。 "さて、そのありけんかへりことは、などかせたまはざりし。まろならましかば。"とうらみたまふ。
453.9.7270253 「さかし。いとさまざま御覧(ごらん)ずべかめる(はし)をだに、()せさせたまはぬ。かのわたりは、かくいとも(むも)れたる()に、ひき()めてやむべきけはひにもはべらねば、かならず御覧(ごらん)ぜさせばや、と(おも)ひたまふれど、いかでか(たづ)()らせたまふべき。かやすきほどこそ、()かまほしくは、いとよく()きぬべき()にはべりけれ。うち(かく)ろへつつ(おほ)かめるかな。 "さかし。いとさまざまごらんずべかめるはしをだに、せさせたまはぬ。かのわたりは、かくいともむもれたるに、ひきめてやむべきけはひにもはべらねば、かならずごらんぜさせばや、とおもひたまふれど、いかでかたづらせたまふべき。かやすきほどこそ、かまほしくは、いとよくきぬべきにはべりけれ。うちかくろへつつおほかめるかな。
453.9.8271254 さるかたに見所(みどころ)ありぬべき(をんな)の、もの(おも)はしき、うち(しの)びたる()()ども、山里(やまざと)めいたる(くま)などに、おのづからはべべかめり。この()こえさするわたりは、いと()づかぬ(ひじり)ざまにて、こちごちしうぞあらむ、(とし)ごろ、(おも)ひあなづりはべりて、(みみ)をだにこそ、とどめはべらざりけれ。 さるかたにみどころありぬべきをんなの、ものおもはしき、うちしのびたるども、やまざとめいたるくまなどに、おのづからはべべかめり。このこえさするわたりは、いとづかぬひじりざまにて、こちごちしうぞあらん、としごろ、おもひあなづりはべりて、みみをだにこそ、とどめはべらざりけれ。
453.9.9272255 ほのかなりし月影(つきかげ)見劣(みおと)りせずは、まほならむはや。けはひありさま、はた、さばかりならむをぞ、あらまほしきほどとは、おぼえはべるべき」 ほのかなりしつきかげみおとりせずは、まほならんはや。けはひありさま、はた、さばかりならんをぞ、あらまほしきほどとは、おぼえはべるべき。"
453.9.10273256 など()こえたまふ。 などこえたまふ。
453.9.11274257 ()()ては、まめだちていとねたく、「おぼろけの(ひと)心移(こころうつ)るまじき(ひと)の、かく(ふか)(おも)へるを、おろかならじ」と、ゆかしう(おぼ)すこと、(かぎ)りなくなりたまひぬ。 ては、まめだちていとねたく、"おぼろけのひとこころうつるまじきひとの、かくふかおもへるを、おろかならじ。"と、ゆかしうおぼすこと、かぎりなくなりたまひぬ。
453.9.12275258 「なほ、またまた、よくけしき()たまへ」 "なほ、またまた、よくけしきたまへ。"
453.9.13276259 と、(ひと)(すす)めたまひて、(かぎ)りある御身(おほんみ)のほどのよだけさを、(いと)はしきまで、(こころ)もとなしと(おぼ)したれば、をかしくて、 と、ひとすすめたまひて、かぎりあるおほんみのほどのよだけさを、いとはしきまで、こころもとなしとおぼしたれば、をかしくて、
453.9.14277260 「いでや、よしなくぞはべる。しばし、()(なか)(こころ)とどめじと(おも)うたまふるやうある()にて、なほざりごともつつましうはべるを、(こころ)ながらかなはぬ(こころ)つきそめなば、おほきに(おも)ひに(たが)ふべきことなむ、はべるべき」 "いでや、よしなくぞはべる。しばし、なかこころとどめじとおもうたまふるやうあるにて、なほざりごともつつましうはべるを、こころながらかなはぬこころつきそめなば、おほきにおもひにたがふべきことなん、はべるべき。"
453.9.15278261 ()こえたまへば、 こえたまへば、
453.9.16279262 「いで、あな、ことことし。(れい)の、おどろおどろしき聖言葉(おほんひじりことば)見果(みは)ててしがな」 "いで、あな、ことことし。れいの、おどろおどろしきおほんひじりことばみはててしがな。"
453.9.17280263 とて(わら)ひたまふ。(こころ)のうちには、かの古人(ふるびと)のほのめかしし(すぢ)などの、いとどうちおどろかれて、ものあはれなるに、をかしと()ることも、めやすしと()くあたりも、(なに)ばかり(こころ)にもとまらざりけり。 とてわらひたまふ。こころのうちには、かのふるびとのほのめかししすぢなどの、いとどうちおどろかれて、ものあはれなるに、をかしとることも、めやすしとくあたりも、なにばかりこころにもとまらざりけり。
454281264第四章 薫の物語 薫、出生の秘密を知る
454.1282265第一段 十月初旬、薫宇治へ赴く
454.1.1283266 十月(じふがつ)になりて、()六日(ろくにち)のほどに、宇治(うぢ)()うでたまふ。 じふがつになりて、ろくにちのほどに、うぢうでたまふ。
454.1.2284267 網代(あじろ)をこそ、このころは御覧(ごらん)ぜめ」と、()こゆる(ひと)びとあれど、 "あじろをこそ、このころはごらんぜめ。"と、こゆるひとびとあれど、
454.1.3285268 (なに)か、その蜉蝣(ひをむし)(あらそ)(こころ)にて、網代(あじろ)にも()らむ」 "なにか、そのひをむしあらそこころにて、あじろにもらん。"
454.1.4286269 と、そぎ()てたまひて、(れい)の、いと(しの)びやかにて()()ちたまふ。(かろ)らかに網代車(あじろぐるま)にて、かとりの直衣指貫縫(なほしさしぬきぬ)はせて、ことさらび()たまへり。 と、そぎてたまひて、れいの、いとしのびやかにてちたまふ。かろらかにあじろぐるまにて、かとりのなほしさしぬきぬはせて、ことさらびたまへり。
454.1.5287270 (みや)()(よろこ)びたまひて、(ところ)につけたる御饗応(おほんあるじ)など、をかしうしなしたまふ。()れぬれば、大殿油近(おほとなぶらちか)くて、さきざき()さしたまへる(ふみ)どもの(ふか)きなど、阿闍梨(あざり)(さう)じおろして、()など()はせたまふ。 みやよろこびたまひて、ところにつけたるおほんあるじなど、をかしうしなしたまふ。れぬれば、おほとなぶらちかくて、さきざきさしたまへるふみどものふかきなど、あざりさうじおろして、などはせたまふ。
454.1.6288271 うちもまどろまず、川風(かはかぜ)のいと()らましきに、()()()りかふ(おと)(みづ)(ひび)きなど、あはれも()ぎて、もの(おそ)ろしく心細(こころぼそ)(ところ)のさまなり。 うちもまどろまず、かはかぜのいとらましきに、りかふおとみづひびきなど、あはれもぎて、ものおそろしくこころぼそところのさまなり。
454.1.7289272 ()方近(がたちか)くなりぬらむと(おも)ふほどに、ありししののめ(おも)()でられて、(こと)()のあはれなることのついで(つく)()でて、 がたちかくなりぬらんとおもふほどに、ありししののめおもでられて、ことのあはれなることのついでつくでて、
454.1.8290273 「さきのたびの、(きり)(まど)はされはべりし(あけぼの)に、いとめづらしき(もの)()一声承(ひとこゑうけたまは)りし(のこ)りなむ、なかなかにいといぶかしう、()かず(おも)うたまへらるる」など()こえたまふ。 "さきのたびの、きりまどはされはべりしあけぼのに、いとめづらしきものひとこゑうけたまはりしのこりなん、なかなかにいといぶかしう、かずおもうたまへらるる。"などこえたまふ。
454.1.9291274 (いろ)をも()をも(おも)()ててし(のち)昔聞(むかしき)きしことも皆忘(みなわす)れてなむ」 "いろをもをもおもててしのちむかしききしこともみなわすれてなん。"
454.1.10292275 とのたまへど、人召(ひとめ)して、琴取(ことと)()せて、 とのたまへど、ひとめして、こととせて、
454.1.11293276 「いとつきなくなりにたりや。しるべする(もの)()につけてなむ、(おも)()でらるべかりける」 "いとつきなくなりにたりや。しるべするものにつけてなん、おもでらるべかりける。"
454.1.12294277 とて、琵琶召(びはめ)して、客人(まらうと)にそそのかしたまふ。()りて調(しら)べたまふ。 とて、びはめして、まらうとにそそのかしたまふ。りてしらべたまふ。
454.1.13295278 「さらに、ほのかに()きはべりし(おな)じものとも(おも)うたまへられざりけり。御琴(おほんこと)(ひび)きからにやとこそ、(おも)うたまへしか」 "さらに、ほのかにきはべりしおなじものともおもうたまへられざりけり。おほんことひびきからにやとこそ、おもうたまへしか。"
454.1.14296279 とて、心解(こころと)けても()きたてたまはず。 とて、こころとけてもきたてたまはず。
454.1.15297280 「いで、あな、さがなや。しか御耳(おほんみみ)とまるばかりの()などは、何処(いづこ)よりかここまでは(つた)はり()む。あるまじき(おほん)ことなり」 "いで、あな、さがなや。しかおほんみみとまるばかりのなどは、いづこよりかここまではつたはりん。あるまじきおほんことなり。"
454.1.16298281 とて、琴掻(きんか)きならしたまへる、いとあはれに(こころ)すごし。かたへは、(みね)松風(まつかぜ)のもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめきたまひて、(こころ)ばへあり。手一(てひと)つばかりにてやめたまひつ。 とて、きんかきならしたまへる、いとあはれにこころすごし。かたへは、みねまつかぜのもてはやすなるべし。いとたどたどしげにおぼめきたまひて、こころばへあり。てひとつばかりにてやめたまひつ。
454.2299282第二段 薫、八の宮の娘たちの後見を承引
454.2.1300283 「このわたりに、おぼえなくて、折々(をりをり)ほのめく(さう)(こと)()こそ、心得(こころえ)たるにや、と()(をり)はべれど、(こころ)とどめてなどもあらで、(ひさ)しうなりにけりや。(こころ)にまかせて、おのおの()きならすべかめるは、川波(かはなみ)ばかりや、()()はすらむ。(ろん)なう、(もの)(よう)にすばかりの拍子(はうし)なども、とまらじとなむ、おぼえはべる」とて、「()()らしたまへ」 "このわたりに、おぼえなくて、をりをりほのめくさうことこそ、こころえたるにや、とをりはべれど、こころとどめてなどもあらで、ひさしうなりにけりや。こころにまかせて、おのおのきならすべかめるは、かはなみばかりや、はすらん。ろんなう、ものようにすばかりのはうしなども、とまらじとなん、おぼえはべる。"とて、"らしたまへ。"
454.2.2301284 と、あなたに()こえたまへど、「(おも)()らざりし(ひと)(ごと)を、()きたまひけむだにあるものを、いとかたはならむ」とひき()りつつ、皆聞(みなき)きたまはず。たびたびそそのかしたまへど、とかく()こえすさびて、やみたまひぬめれば、いと口惜(くちを)しうおぼゆ。 と、あなたにこえたまへど、"おもらざりしひとごとを、きたまひけんだにあるものを、いとかたはならん。"とひきりつつ、みなききたまはず。たびたびそそのかしたまへど、とかくこえすさびて、やみたまひぬめれば、いとくちをしうおぼゆ。
454.2.3302285 そのついでにも、かくあやしう、()づかぬ(おも)ひやりにて()ぐすありさまどもの、(おも)ひのほかなることなど、()づかしう(おぼ)いたり。 そのついでにも、かくあやしう、づかぬおもひやりにてぐすありさまどもの、おもひのほかなることなど、づかしうおぼいたり。
454.2.4303286 (ひと)にだにいかで()らせじと、はぐくみ()ぐせど、今日明日(けふあす)とも()らぬ()(のこ)(すく)なさに、さすがに、()末遠(すゑとほ)(ひと)は、()ちあふれてさすらへむこと、これのみこそ、げに、()(はな)れむ(きは)のほだしなりけれ」 "ひとにだにいかでらせじと、はぐくみぐせど、けふあすともらぬのこすくなさに、さすがに、すゑとほひとは、ちあふれてさすらへんこと、これのみこそ、げに、はなれんきはのほだしなりけれ。"
454.2.5304287 と、うち(かた)らひたまへば、心苦(こころぐる)しう()たてまつりたまふ。 と、うちかたらひたまへば、こころぐるしうたてまつりたまふ。
454.2.6305288 「わざとの御後見(おほんうしろみ)だち、はかばかしき(すぢ)にははべらずとも、うとうとしからず(おぼ)しめされむとなむ(おも)うたまふる。しばしもながらへはべらむ(いのち)のほどは、一言(ひとこと)も、かくうち()()こえさせてむさまを、(たが)へはべるまじくなむ」 "わざとのおほんうしろみだち、はかばかしきすぢにははべらずとも、うとうとしからずおぼしめされんとなんおもうたまふる。しばしもながらへはべらんいのちのほどは、ひとことも、かくうちこえさせてんさまを、たがへはべるまじくなん。"
454.2.7306289 など(まう)したまへば、「いとうれしきこと」と、(おぼ)しのたまふ。 などまうしたまへば、"いとうれしきこと。"と、おぼしのたまふ。
454.3307290第三段 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く
454.3.1308291 さて、暁方(あかつきがた)の、(みや)御行(おほんおこな)ひしたまふほどに、かの()人召(びとめ)()でて、()ひたまへり。 さて、あかつきがたの、みやおほんおこなひしたまふほどに、かのびとめでて、ひたまへり。
454.3.2309292 姫君(ひめぎみ)御後見(おほんうしろみ)にてさぶらはせたまふ、(べん)(きみ)とぞいひける。(とし)六十(ろくじふ)にすこし()らぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなど()こゆ。 ひめぎみおほんうしろみにてさぶらはせたまふ、べんきみとぞいひける。としろくじふにすこしらぬほどなれど、みやびかにゆゑあるけはひして、ものなどこゆ。
454.3.3310293 故権大納言(こごんのだいなごん)(きみ)の、()とともにものを(おも)ひつつ、(やまひ)づき、はかなくなりたまひにしありさまを、()こえ()でて、()くこと(かぎ)りなし。 こごんのだいなごんきみの、とともにものをおもひつつ、やまひづき、はかなくなりたまひにしありさまを、こえでて、くことかぎりなし。
454.3.4311294 「げに、よその(ひと)(うへ)()かむだに、あはれなるべき古事(ふること)どもを、まして、(とし)ごろおぼつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの(はじ)めにかと、(ほとけ)にも、このことをさだかに()らせたまへと、(ねん)じつる(しるし)にや、かく(ゆめ)のやうにあはれなる昔語(むかしがた)りを、おぼえぬついでに()きつけつらむ」と(おぼ)すに、(なみだ)とどめがたかりけり。 "げに、よそのひとうへかんだに、あはれなるべきふることどもを、まして、としごろおぼつかなく、ゆかしう、いかなりけんことのはじめにかと、ほとけにも、このことをさだかにらせたまへと、ねんじつるしるしにや、かくゆめのやうにあはれなるむかしがたりを、おぼえぬついでにきつけつらん。"とおぼすに、なみだとどめがたかりけり。
454.3.5312295 「さても、かく、その()心知(こころし)りたる(ひと)(のこ)りたまへりけるを。めづらかにも()づかしうもおぼゆることの(すぢ)に、なほ、かく()(つた)ふるたぐひや、またもあらむ。(とし)ごろ、かけても()(およ)ばざりける」とのたまへば、 "さても、かく、そのこころしりたるひとのこりたまへりけるを。めづらかにもづかしうもおぼゆることのすぢに、なほ、かくつたふるたぐひや、またもあらん。としごろ、かけてもおよばざりける。"とのたまへば、
454.3.6313296 小侍従(こじじゅう)(べん)(はな)ちて、また()(ひと)はべらじ。一言(ひとこと)にても、また異人(ことびと)にうちまねびはべらず。かくものはかなく、(かず)ならぬ()のほどにはべれど、夜昼(よるひる)かの御影(おほんかげ)に、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをも()たてまつりそめしに、御心(みこころ)よりあまりて(おぼ)しける時々(ときどき)、ただ二人(ふたり)(なか)になむ、たまさかの御消息(おほんせうそこ)(かよ)ひもはべりし。かたはらいたければ、(くは)しく()こえさせず。 "こじじゅうべんはなちて、またひとはべらじ。ひとことにても、またことびとにうちまねびはべらず。かくものはかなく、かずならぬのほどにはべれど、よるひるかのおほんかげに、つきたてまつりてはべりしかば、おのづからもののけしきをもたてまつりそめしに、みこころよりあまりておぼしけるときどき、ただふたりなかになん、たまさかのおほんせうそこかよひもはべりし。かたはらいたければ、くはしくこえさせず。
454.3.7314297 (いま)はのとぢめになりたまひて、いささかのたまひ()くことのはべりしを、かかる()には、()(どころ)なく、いぶせく(おも)うたまへわたりつつ、いかにしてかは()こしめし(つた)ふべきと、はかばかしからぬ念誦(ねんず)のついでにも、(おも)うたまへつるを、(ほとけ)()におはしましけり、となむ(おも)うたまへ()りぬる。 いまはのとぢめになりたまひて、いささかのたまひくことのはべりしを、かかるには、どころなく、いぶせくおもうたまへわたりつつ、いかにしてかはこしめしつたふべきと、はかばかしからぬねんずのついでにも、おもうたまへつるを、ほとけにおはしましけり、となんおもうたまへりぬる。
454.3.8315298 御覧(ごらん)ぜさすべき(もの)もはべり。(いま)は、(なに)かは、()きも()てはべりなむ。かく朝夕(あさゆふ)()えを()らぬ()の、うち()てはべりなば、()()るやうもこそと、いとうしろめたく(おも)うたまふれど、この(みや)わたりにも、時々(ときどき)、ほのめかせたまふを、()()でたてまつりてしは、すこし(たの)もしく、かかる(をり)もやと、(ねん)じはべりつる力出(ちからい)でまうで()てなむ。さらに、これは、この()のことにもはべらじ」 ごらんぜさすべきものもはべり。いまは、なにかは、きもてはべりなん。かくあさゆふえをらぬの、うちてはべりなば、るやうもこそと、いとうしろめたくおもうたまふれど、このみやわたりにも、ときどき、ほのめかせたまふを、でたてまつりてしは、すこしたのもしく、かかるをりもやと、ねんじはべりつるちからいでまうでてなん。さらに、これは、こののことにもはべらじ。"
454.3.9316299 と、()()く、こまかに、()まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつ()こゆ。 と、く、こまかに、まれたまひけるほどのことも、よくおぼえつつこゆ。
454.4317300第四段 薫、父柏木の最期を聞く
454.4.1318301 (むな)しうなりたまひし(さわ)ぎに、(はは)にはべりし(ひと)は、やがて(やまひ)づきて、ほども()(かく)れはべりにしかば、いとど(おも)うたまへしづみ、藤衣(ふぢごろも)たち(かさ)ね、(かな)しきことを(おも)うたまへしほどに、(とし)ごろ、よからぬ(ひと)(こころ)をつけたりけるが、(ひと)をはかりごちて、西(にし)(うみ)()てまで()りもてまかりにしかば、(きゃう)のことさへ跡絶(あとた)えて、その(ひと)もかしこにて()せはべりにし(のち)十年(とをとせ)あまりにてなむ、あらぬ()心地(ここち)して、まかり(のぼ)りたりしを、この(みや)は、父方(ちちかた)につけて、(わらは)より(まゐ)(かよ)ふゆゑはべりしかば、(いま)はかう()()じらふべきさまにもはべらぬを、冷泉院(れいぜいゐん)女御殿(にょうごどの)御方(おほんかた)などこそは、(むかし)()()れたてまつりしわたりにて、(まゐ)()るべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさし()ではべらで、深山隠(みやまがく)れの朽木(くちき)になりにてはべるなり。 "むなしうなりたまひしさわぎに、ははにはべりしひとは、やがてやまひづきて、ほどもかくれはべりにしかば、いとどおもうたまへしづみ、ふぢごろもたちかさね、かなしきことをおもうたまへしほどに、としごろ、よからぬひとこころをつけたりけるが、ひとをはかりごちて、にしうみてまでりもてまかりにしかば、きゃうのことさへあとたえて、そのひともかしこにてせはべりにしのちとをとせあまりにてなん、あらぬここちして、まかりのぼりたりしを、このみやは、ちちかたにつけて、わらはよりまゐかよふゆゑはべりしかば、いまはかうじらふべきさまにもはべらぬを、れいぜいゐんにょうごどのおほんかたなどこそは、むかしれたてまつりしわたりにて、まゐるべくはべりしかど、はしたなくおぼえはべりて、えさしではべらで、みやまがくれのくちきになりにてはべるなり。
454.4.2319302 小侍従(こじじゅう)は、いつか()せはべりにけむ。そのかみの、若盛(わかざか)りと()はべりし(ひと)は、数少(かずすく)なくなりはべりにける(すゑ)()に、(おほ)くの(ひと)(おく)るる(いのち)を、(かな)しく(おも)ひたまへてこそ、さすがにめぐらひはべれ」 こじじゅうは、いつかせはべりにけん。そのかみの、わかざかりとはべりしひとは、かずすくなくなりはべりにけるすゑに、おほくのひとおくるるいのちを、かなしくおもひたまへてこそ、さすがにめぐらひはべれ。"
454.4.3320303 など()こゆるほどに、(れい)の、()()てぬ。 などこゆるほどに、れいの、てぬ。
454.4.4321304 「よし、さらば、この昔物語(むかしものがたり)()きすべくなむあらぬ。また、人聞(ひとき)かぬ(こころ)やすき(ところ)にて()こえむ。侍従(じじゅう)といひし(ひと)は、ほのかにおぼゆるは、(いつ)つ、()つばかりなりしほどにや、にはかに(むね)()みて()せにきとなむ()く。かかる対面(たいめん)なくは、罪重(つみおも)()にて()ぎぬべかりけること」などのたまふ。 "よし、さらば、このむかしものがたりきすべくなんあらぬ。また、ひときかぬこころやすきところにてこえん。じじゅうといひしひとは、ほのかにおぼゆるは、いつつ、つばかりなりしほどにや、にはかにむねみてせにきとなんく。かかるたいめんなくは、つみおもにてぎぬべかりけること。"などのたまふ。
454.5322305第五段 薫、形見の手紙を得る
454.5.1323306 ささやかにおし()()はせたる反故(ほぐ)どもの、黴臭(かびくさ)きを(ふくろ)()()れたる、()()でてたてまつる。 ささやかにおしはせたるほぐどもの、かびくさきをふくろれたる、でてたてまつる。
454.5.2324308 御前(おまへ)にて(うしな)はせたまへ。『われ、なほ()くべくもあらずなりにたり』とのたまはせて、この御文(おほんふみ)()(あつ)めて、(たま)はせたりしかば、小侍従(こじじゅう)に、またあひ()はべらむついでに、さだかに(つた)(まゐ)らせむ、と(おも)うたまへしを、やがて(わか)れはべりにしも、私事(わたくしごと)には、()かず(かな)しうなむ、(おも)うたまふる」 "おまへにてうしなはせたまへ。'われ、なほくべくもあらずなりにたり。'とのたまはせて、このおほんふみあつめて、たまはせたりしかば、こじじゅうに、またあひはべらんついでに、さだかにつたまゐらせん、とおもうたまへしを、やがてわかれはべりにしも、わたくしごとには、かずかなしうなん、おもうたまふる。"
454.5.3325309 ()こゆ。つれなくて、これは(かく)いたまひつ。 こゆ。つれなくて、これはかくいたまひつ。
454.5.4326310 「かやうの古人(ふるびと)は、()はず(がた)りにや、あやしきことの(ためし)()()づらむ」と(くる)しく(おぼ)せど、「かへすがへすも、()らさぬよしを(ちか)ひつる、さもや」と、また(おも)(みだ)れたまふ。 "かやうのふるびとは、はずがたりにや、あやしきことのためしづらん。"とくるしくおぼせど、"かへすがへすも、らさぬよしをちかひつる、さもや。"と、またおもみだれたまふ。
454.5.5327311 御粥(おほんかゆ)強飯(こはいひ)など(まゐ)りたまふ。「昨日(きのふ)は、暇日(いとまび)なりしを、今日(けふ)は、内裏(うち)御物忌(おほんものいみ)()きぬらむ。(ゐん)女一(をんないち)(みや)(なや)みたまふ(おほん)とぶらひに、かならず(まゐ)るべければ、かたがた(いとま)なくはべるを、またこのころ()ぐして、(やま)紅葉散(もみぢち)らぬさきに(まゐ)るべき」よし、()こえたまふ。 おほんかゆこはいひなどまゐりたまふ。"きのふは、いとまびなりしを、けふは、うちおほんものいみきぬらん。ゐんをんないちみやなやみたまふおほんとぶらひに、かならずまゐるべければ、かたがたいとまなくはべるを、またこのころぐして、やまもみぢちらぬさきにまゐるべき"よし、こえたまふ。
454.5.6328312 「かく、しばしば()()らせたまふ(ひかり)に、(やま)(かげ)も、すこしもの(あき)らむる心地(ここち)してなむ」 "かく、しばしばらせたまふひかりに、やまかげも、すこしものあきらむるここちしてなん。"
454.5.7329313 など、よろこび()こえたまふ。 など、よろこびこえたまふ。
454.6330314第六段 薫、父柏木の遺文を読む
454.6.1331315 (かへ)りたまひて、まづこの(ふくろ)()たまへば、(から)浮線綾(ふせんりゃう)()ひて、「(じゃう)」といふ文字(もじ)(うへ)()きたり。(ほそ)(くみ)して、(くち)(かた)()ひたるに、かの御名(おほんな)(ふう)つきたり。()くるも(おそ)ろしうおぼえたまふ。 かへりたまひて、まづこのふくろたまへば、からふせんりゃうひて、"じゃう"といふもじうへきたり。ほそくみして、くちかたひたるに、かのおほんなふうつきたり。くるもおそろしうおぼえたまふ。
454.6.2332316 色々(いろいろ)(かみ)にて、たまさかに(かよ)ひける御文(おほんふみ)(かへ)りこと、(いつ)つ、()つぞある。さては、かの御手(おほんて)にて、(やまひ)(おも)(かぎ)りになりにたるに、またほのかにも()こえむこと(かた)くなりぬるを、ゆかしう(おも)ふことは()ひにたり、御容貌(おほんかたち)(かは)りておはしますらむが、さまざま(かな)しきことを、陸奥紙五(みちのくにがみご)六枚(ろくまい)に、つぶつぶと、あやしき(とり)(あと)のやうに()きて、 いろいろかみにて、たまさかにかよひけるおほんふみかへりこと、いつつ、つぞある。さては、かのおほんてにて、やまひおもかぎりになりにたるに、またほのかにもこえんことかたくなりぬるを、ゆかしうおもふことはひにたり、おほんかたちかはりておはしますらんが、さまざまかなしきことを、みちのくにがみごろくまいに、つぶつぶと、あやしきとりあとのやうにきて、
454.6.3333317 ()(まへ)にこの()(そむ)(きみ)よりも<BR/>よそに(わか)るる(たま)(かな)しき」 "〔まへにこのそむきみよりも<BR/>よそにわかるるたまかなしき〕
454.6.4334318 また、(はし)に、 また、はしに、
454.6.5335319 「めづらしく()きはべる二葉(ふたば)のほども、うしろめたう(おも)うたまふる(かた)はなけれど、 "めづらしくきはべるふたばのほども、うしろめたうおもうたまふるかたはなけれど、
454.6.6336320 (いのち)あらばそれとも()まし人知(ひとし)れぬ<BR/>岩根(いはね)にとめし(まつ)()(すゑ) いのちあらばそれともましひとしれぬ<BR/>いはねにとめしまつすゑ〕"
454.6.7337321 ()きさしたるやうに、いと(みだ)りがはしうて、「小侍従(こじじゅう)(きみ)に」と(うへ)には()きつけたり。 きさしたるやうに、いとみだりがはしうて、"こじじゅうきみに"とうへにはきつけたり。
454.6.8338322 紙魚(しみ)といふ(むし)()()になりて、(ふる)めきたる黴臭(かびくさ)さながら、(あと)()えず、ただ今書(いまか)きたらむにも(たが)はぬ(こと)()どもの、こまごまとさだかなるを()たまふに、「げに、()()りたらましよ」と、うしろめたう、いとほしきことどもなり。 しみといふむしになりて、ふるめきたるかびくささながら、あとえず、ただいまかきたらんにもたがはぬことどもの、こまごまとさだかなるをたまふに、"げに、りたらましよ。"と、うしろめたう、いとほしきことどもなり。
454.6.9339323 「かかること、()にまたあらむや」と、心一(こころひと)つにいとどもの(おも)はしさ()ひて、内裏(うち)(まゐ)らむと(おぼ)しつるも、()()たれず。(みや)御前(おまへ)(まゐ)りたまへれば、いと何心(なにごころ)もなく、(わか)やかなるさましたまひて、経読(きゃうよ)みたまふを、()ぢらひて、もて(かく)したまへり。「(なに)かは、()りにけりとも、()られたてまつらむ」など、(こころ)()めて、よろづに(おも)ひゐたまへり。 "かかること、にまたあらんや。"と、こころひとつにいとどものおもはしさひて、うちまゐらんとおぼしつるも、たれず。みやおまへまゐりたまへれば、いとなにごころもなく、わかやかなるさましたまひて、きゃうよみたまふを、ぢらひて、もてかくしたまへり。"なにかは、りにけりとも、られたてまつらん。"など、こころめて、よろづにおもひゐたまへり。