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54夢浮橋
5415132第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く
541.15233第一段 薫、横川に出向く
541.1.15334 (やま)におはして、(れい)せさせたまふやうに、経仏(きゃうほとけ)など供養(くやう)ぜさせたまふ。またの()は、横川(よかわ)におはしたれば、僧都驚(そうづおどろ)きかしこまりきこえたまふ。 やまにおはして、れいせさせたまふやうに、きゃうほとけなどくやうぜさせたまふ。またのは、よかわにおはしたれば、そうづおどろきかしこまりきこえたまふ。
541.1.25435 (とし)ごろ、御祈(おほんいの)りなどつけ(かた)らひたまひけれど、ことにいと(した)しきことはなかりけるを、このたび、一品(いっぽん)(みや)御心地(みここち)のほどにさぶらひたまへるに、「すぐれたまへる(げん)ものしたまひけり」と()たまひてより、こよなう(たふと)びたまひて、(いま)すこし(ふか)(ちぎ)(くは)へたまひてければ、「重々(おもおも)しうおはする殿(との)の、かくわざとおはしましたること」と、もて(さわ)ぎきこえたまふ。御物語(おほんものがたり)など、こまやかにしておはすれば、御湯漬(おほんゆづけ)など(まゐ)りたまふ。 としごろ、おほんいのりなどつけかたらひたまひけれど、ことにいとしたしきことはなかりけるを、このたび、いっぽんみやみここちのほどにさぶらひたまへるに、"すぐれたまへるげんものしたまひけり。"とたまひてより、こよなうたふとびたまひて、いますこしふかちぎくはへたまひてければ、"おもおもしうおはするとのの、かくわざとおはしましたること。"と、もてさわぎきこえたまふ。おほんものがたりなど、こまやかにしておはすれば、おほんゆづけなどまゐりたまふ。
541.1.35536 すこし(ひと)びと(しづ)まりぬるに、 すこしひとびとしづまりぬるに、
541.1.45637 小野(をの)のわたりに、()りたまへる宿(やど)りやはべる」 "をののわたりに、りたまへるやどりやはべる。"
541.1.55738 と、()ひたまへば、 と、ひたまへば、
541.1.65839 「しかはべる。いと異様(ことやう)なる(ところ)になむ。なにがしが(はは)なる朽尼(くちあま)のはべるを、(きゃう)にはかばかしからぬ住処(すみか)もはべらぬうちに、かくて()もりはべるあひだは、夜中(よなか)(あかつき)にも、あひ(とぶ)らはむ、と(おも)ひたまへおきてはべる」 "しかはべる。いとことやうなるところになん。なにがしがははなるくちあまのはべるを、きゃうにはかばかしからぬすみかもはべらぬうちに、かくてもりはべるあひだは、よなかあかつきにも、あひとぶらはん、とおもひたまへおきてはべる。"
541.1.75940 など(まう)したまふ。 などまうしたまふ。
541.1.86041 「そのわたりには、ただ(ちか)きころほひまで、人多(ひとおほ)()みはべりけるを、(いま)は、いとかすかにこそなりゆくめれ」 "そのわたりには、ただちかきころほひまで、ひとおほみはべりけるを、いまは、いとかすかにこそなりゆくめれ。"
541.1.96142 などのたまひて、(いま)すこし(ちか)くゐ()りて、(しの)びやかに、 などのたまひて、いますこしちかくゐりて、しのびやかに、
541.1.106243 「いと()きたる心地(ここち)もしはべる、また、(たづ)ねきこえむにつけては、いかなりけることにかと、心得(こころえ)(おぼ)されぬべきに、かたがた、(はばか)られはべれど、かの山里(やまざと)に、()るべき(ひと)(かく)ろへてはべるやうに()きはべりしを。(たし)かにてこそは、いかなるさまにて、なども()らしきこえめ、など(おも)ひたまふるほどに、御弟子(みでし)になりて、()むことなど(さづ)けたまひてけり、と()きはべるは、まことか。まだ(とし)(わか)く、(おや)などもありし(ひと)なれば、ここに(うしな)ひたるやうに、かことかくる(ひと)なむはべるを」 "いときたるここちもしはべる、また、たづねきこえんにつけては、いかなりけることにかと、こころえおぼされぬべきに、かたがた、はばかられはべれど、かのやまざとに、るべきひとかくろへてはべるやうにきはべりしを。たしかにてこそは、いかなるさまにて、などもらしきこえめ、などおもひたまふるほどに、みでしになりて、むことなどさづけたまひてけり、ときはべるは、まことか。まだとしわかく、おやなどもありしひとなれば、ここにうしなひたるやうに、かことかくるひとなんはべるを。"
541.1.116344 などのたまふ。 などのたまふ。
541.26445第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る
541.2.16546 僧都(そうづ)、「さればよ。ただ(うど)()えざりし(ひと)のさまぞかし。かくまでのたまふは、軽々(かろがろ)しくは(おぼ)されざりける(ひと)にこそあめれ」と(おも)ふに、「法師(ほふし)といひながら、(こころ)もなく、たちまちに容貌(かたち)をやつしてけること」と、(むね)つぶれて、いらへきこえむやう(おも)ひまはさる。 そうづ、"さればよ。ただうどえざりしひとのさまぞかし。かくまでのたまふは、かろがろしくはおぼされざりけるひとにこそあめれ。"とおもふに、"ほふしといひながら、こころもなく、たちまちにかたちをやつしてけること。"と、むねつぶれて、いらへきこえんやうおもひまはさる。
541.2.26647 (たし)かに()きたまへるにこそあめれ。かばかり心得(こころえ)たまひて、うかがひ(たづ)ねたまはむに、(かく)れあるべきことにもあらず。なかなかあらがひ(かく)さむに、あいなかるべし」など、とばかり(おも)()て、 "たしかにきたまへるにこそあめれ。かばかりこころえたまひて、うかがひたづねたまはんに、かくれあるべきことにもあらず。なかなかあらがひかくさんに、あいなかるべし。"など、とばかりおもて、
541.2.36748 「いかなることにかはべりけむ。この(つき)ごろ、うちうちにあやしみ(おも)うたまふる(ひと)(おほん)ことにや」とて、 "いかなることにかはべりけん。このつきごろ、うちうちにあやしみおもうたまふるひとおほんことにや。"とて、
541.2.46849 「かしこにはべる(あま)どもの、初瀬(はつせ)(がん)はべりて、(まう)でて(かへ)りける(みち)に、宇治(うぢ)(ゐん)といふ(ところ)(とど)まりてはべりけるに、(はは)(あま)労気(らうげ)にはかに()こりて、いたくなむわづらふと()げに、(ひと)()うで()たりしかば、まかり()かひたりしに、まづ(あや)しきことなむ」 "かしこにはべるあまどもの、はつせがんはべりて、まうでてかへりけるみちに、うぢゐんといふところとどまりてはべりけるに、ははあまらうげにはかにこりて、いたくなんわづらふとげに、ひとうでたりしかば、まかりかひたりしに、まづあやしきことなん。"
541.2.56950 とささめきて、 とささめきて、
541.2.67051 (おや)()(かへ)るをばさし()きて、もて(あつか)(なげ)きてなむはべりし。この(ひと)も、()くなりたまへるさまながら、さすがに(いき)(かよ)ひておはしければ、昔物語(むかしものがたり)に、魂殿(たまどの)()きたりけむ(ひと)のたとひを(おも)()でて、さやうなることにや、と(めづら)しがりはべりて、弟子(でし)ばらの(なか)(げん)ある(もの)どもを()()せつつ、()はり()はりに加持(かぢ)せさせなどなむしはべりける。 "おやかへるをばさしきて、もてあつかなげきてなんはべりし。このひとも、くなりたまへるさまながら、さすがにいきかよひておはしければ、むかしものがたりに、たまどのきたりけんひとのたとひをおもでて、さやうなることにや、とめづらしがりはべりて、でしばらのなかげんあるものどもをせつつ、はりはりにかぢせさせなどなんしはべりける。
541.2.77152 なにがしは、()しむべき(よはひ)ならねど、(はは)(たび)(そら)にて病重(やまひおも)きを(たす)けて、念仏(ねんぶつ)をも心乱(こころみだ)れずせさせむと、(ほとけ)(ねん)じたてまつり(おも)うたまへしほどに、その(ひと)のありさま、(くは)しうも()たまへずなむはべりし。ことの心推(こころお)(はか)(おも)うたまふるに、天狗木霊(てんぐこだま)などやうのものの、(あざむ)()てたてまつりたりけるにや、となむ(うけたまは)りし。 なにがしは、しむべきよはひならねど、ははたびそらにてやまひおもきをたすけて、ねんぶつをもこころみだれずせさせんと、ほとけねんじたてまつりおもうたまへしほどに、そのひとのありさま、くはしうもたまへずなんはべりし。ことのこころおはかおもうたまふるに、てんぐこだまなどやうのものの、あざむてたてまつりたりけるにや、となんうけたまはりし。
541.2.87253 (たす)けて、(きゃう)()てたてまつりて(のち)も、三月(みつき)ばかりは()(ひと)にてなむものしたまひけるを、なにがしが(いもうと)故衛門督(こゑもんのかみ)(きた)(かた)にてはべりしが、(あま)になりてはべるなむ、一人持(ひとりも)ちてはべりし女子(をんなご)(うしな)ひて(のち)月日(つきひ)(おほ)(へだ)てはべりしかど、(かな)しび()へず(なげ)(おも)ひたまへはべるに、(おな)(とし)のほどと()ゆる(ひと)の、かく容貌(かたち)いとうるはしくきよらなるを見出(みい)でたてまつりて、観音(かんおん)(たま)へると(よろこ)(おも)ひて、この(ひと)いたづらになしたてまつらじと、(まど)()られて、()()くいみじきことどもを(まう)されしかば。 たすけて、きゃうてたてまつりてのちも、みつきばかりはひとにてなんものしたまひけるを、なにがしがいもうとこゑもんのかみきたかたにてはべりしが、あまになりてはべるなん、ひとりもちてはべりしをんなごうしなひてのちつきひおほへだてはべりしかど、かなしびへずなげおもひたまへはべるに、おなとしのほどとゆるひとの、かくかたちいとうるはしくきよらなるをみいでたてまつりて、かんおんたまへるとよろこおもひて、このひといたづらになしたてまつらじと、まどられて、くいみじきことどもをまうされしかば。
541.2.97354 (のち)になむ、かの坂本(さかもと)にみづから()りはべりて、護身(ごしん)など(つか)まつりしに、やうやう()()でて(ひと)となりたまへりけれど、『なほ、この(らう)じたりけるものの、()(はな)れぬ心地(ここち)なむする。この()しきものの(さまた)げを(のが)れて、(のち)()(おも)はむ』など、(かな)しげにのたまふことどものはべりしかば、法師(ほふし)にては、(すす)めも(まう)しつべきことにこそはとて、まことに出家(すけ)せしめたてまつりてしになむはべる。 のちになん、かのさかもとにみづからりはべりて、ごしんなどつかまつりしに、やうやうでてひととなりたまへりけれど、'なほ、このらうじたりけるものの、はなれぬここちなんする。このしきもののさまたげをのがれて、のちおもはん'など、かなしげにのたまふことどものはべりしかば、ほふしにては、すすめもまうしつべきことにこそはとて、まことにすけせしめたてまつりてしになんはべる。
541.2.107455 さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。(めづら)しきことのさまにもあるを、世語(よがた)りにもしはべりぬべかりしかど、()こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、この()(びと)どものとかく(まう)して、この(つき)ごろ、(おと)なくてはべりつるになむ」 さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらん。めづらしきことのさまにもあるを、よがたりにもしはべりぬべかりしかど、こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、このびとどものとかくまうして、このつきごろ、おとなくてはべりつるになん。"
541.2.117556 (まう)したまへば、 まうしたまへば、
541.37657第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼
541.3.17758 「さてこそあなれ」と、ほの()きて、かくまでも()()でたまへることなれど、「むげに()(ひと)(おも)()てにし(ひと)を、さは、まことにあるにこそは」と(おぼ)すほど、(ゆめ)心地(ここち)してあさましければ、つつみもあへず(なみだ)ぐまれたまひぬるを、僧都(そうづ)()づかしげなるに、「かくまで()ゆべきことかは」と(おも)(かへ)して、つれなくもてなしたまへど、「かく(おぼ)しけることを、この()には()(ひと)(おな)じやうになしたること」と、(あやま)ちしたる心地(ここち)して、罪深(つみふか)ければ、 "さてこそあなれ。"と、ほのきて、かくまでもでたまへることなれど、"むげにひとおもてにしひとを、さは、まことにあるにこそは。"とおぼすほど、ゆめここちしてあさましければ、つつみもあへずなみだぐまれたまひぬるを、そうづづかしげなるに、"かくまでゆべきことかは。"とおもかへして、つれなくもてなしたまへど、"かくおぼしけることを、このにはひとおなじやうになしたること。"と、あやまちしたるここちして、つみふかければ、
541.3.27859 ()しきものに(らう)ぜられたまひけむも、さるべき(さき)()(ちぎ)りなり。(おも)ふに、(たか)(いへ)()にこそものしたまひけめ、いかなる(あやま)りにて、かくまではふれたまひけむにか」 "しきものにらうぜられたまひけんも、さるべきさきちぎりなり。おもふに、たかいへにこそものしたまひけめ、いかなるあやまりにて、かくまではふれたまひけんにか。"
541.3.37960 と、()(まう)したまへば、 と、まうしたまへば、
541.3.48061 「なま王家流(わかんどほり)などいふべき(すぢ)にやありけむ。ここにも、もとよりわざと(おも)ひしことにもはべらず。ものはかなくて()つけそめてははべりしかど、また、いとかくまで()ちあふるべき(きは)(おも)ひたまへざりしを。(めづら)かに、(あと)もなく()()せにしかば、()()げたるにやなど、さまざまに(うたが)(おほ)くて、(たし)かなることは、え()きはべらざりつるになむ。 "なまわかんどほりなどいふべきすぢにやありけん。ここにも、もとよりわざとおもひしことにもはべらず。ものはかなくてつけそめてははべりしかど、また、いとかくまでちあふるべききはおもひたまへざりしを。めづらかに、あともなくせにしかば、げたるにやなど、さまざまにうたがおほくて、たしかなることは、えきはべらざりつるになん。
541.3.58162 罪軽(つみかろ)めてものすれば、いとよしと(こころ)やすくなむ、みづからは(おも)ひたまへなりぬるを、(はは)なる(ひと)なむ、いみじく()(かな)しぶなるを、かくなむ()()でたると、()()らせまほしくはべれど、(つき)ごろ(かく)させたまひける本意違(ほいたが)ふやうに、もの(さわ)がしくやはべらむ。親子(おやこ)(なか)(おも)()えず、(かな)しびに()へで、(とぶ)らひものしなどしはべりなむかし」 つみかろめてものすれば、いとよしとこころやすくなん、みづからはおもひたまへなりぬるを、ははなるひとなん、いみじくかなしぶなるを、かくなんでたると、らせまほしくはべれど、つきごろかくさせたまひけるほいたがふやうに、ものさわがしくやはべらん。おやこなかおもえず、かなしびにへで、とぶらひものしなどしはべりなんかし。"
541.3.68263 などのたまひて、さて、 などのたまひて、さて、
541.3.78364 「いと便(びん)なきしるべとは(おぼ)すとも、かの坂本(さかもと)()りたまへ。かばかり()きて、なのめに(おも)()ぐすべくは(おも)ひはべらざりし(ひと)なるを、(ゆめ)のやうなることどもも、(いま)だに(かた)()はせむ、となむ(おも)ひたまふる」 "いとびんなきしるべとはおぼすとも、かのさかもとりたまへ。かばかりきて、なのめにおもぐすべくはおもひはべらざりしひとなるを、ゆめのやうなることどもも、いまだにかたはせん、となんおもひたまふる。"
541.3.88465 とのたまふけしき、いとあはれと(おも)ひたまへれば、 とのたまふけしき、いとあはれとおもひたまへれば、
541.3.98566 容貌(かたち)()へ、()(そむ)きにきとおぼえたれど、髪鬚(かみひげ)()りたる法師(ほふし)だに、あやしき(こころ)()せぬもあなり。まして、(をんな)御身(おほんみ)はいかがあらむ。いとほしう、罪得(つみえ)ぬべきわざにもあるべきかな」 "かたちへ、そむきにきとおぼえたれど、かみひげりたるほふしだに、あやしきこころせぬもあなり。まして、をんなおほんみはいかがあらん。いとほしう、つみえぬべきわざにもあるべきかな。"
541.3.108667 と、あぢきなく心乱(こころみだ)れぬ。 と、あぢきなくこころみだれぬ。
541.3.118768 「まかり()りむこと、今日明日(けふあす)(さは)りはべり。(つき)たちてのほどに、御消息(おほんせうそこ)(まう)させはべらむ」 "まかりりんこと、けふあすさはりはべり。つきたちてのほどに、おほんせうそこまうさせはべらん。"
541.3.128869 (まう)したまふ。いと(こころ)もとなけれど、「なほ、なほ」と、うちつけに()られむも、さま()しければ、「さらば」とて、(かへ)りたまふ。 まうしたまふ。いとこころもとなけれど、"なほ、なほ。"と、うちつけにられんも、さましければ、"さらば。"とて、かへりたまふ。
541.48970第四段 僧都、浮舟への手紙を書く
541.4.19072 かの御弟(おほんせうと)(わらは)御供(おほんとも)()ておはしたりけり。異兄弟(ことはらから)どもよりは、容貌(かたち)もきよげなるを、()()でたまひて、 かのおほんせうとわらはおほんともておはしたりけり。ことはらからどもよりは、かたちもきよげなるを、でたまひて、
541.4.29173 「これなむ、その(ひと)(ちか)きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。御文一行賜(おほんふみひとくだりたま)へ。その(ひと)とはなくて、ただ、(たづ)ねきこゆる(ひと)なむある、とばかりの(こころ)()らせたまへ」 "これなん、そのひとちかきゆかりなるを、これをかつがつものせん。おほんふみひとくだりたまへ。そのひととはなくて、ただ、たづねきこゆるひとなんある、とばかりのこころらせたまへ。"
541.4.39274 とのたまへば、 とのたまへば、
541.4.49375 「なにがし、このしるべにて、かならず罪得(つみえ)はべりなむ。ことのありさまは、(くは)しくとり(まう)しつ。(いま)は、(おほん)みづから()()らせたまひて、あるべからむことはものせさせたまはむに、(なに)(とが)かはべらむ」 "なにがし、このしるべにて、かならずつみえはべりなん。ことのありさまは、くはしくとりまうしつ。いまは、おほんみづかららせたまひて、あるべからんことはものせさせたまはんに、なにとがかはべらん。"
541.4.59476 (まう)したまへば、うち(わら)ひて、 まうしたまへば、うちわらひて、
541.4.69577 罪得(つみえ)ぬべきしるべと(おも)ひなしたまふらむこそ、()づかしけれ。ここには、(ぞく)(かたち)にて、(いま)まで()ぐすなむいとあやしき。 "つみえぬべきしるべとおもひなしたまふらんこそ、づかしけれ。ここには、ぞくかたちにて、いままでぐすなんいとあやしき。
541.4.79678 いはけなかりしより、(おも)(こころ)ざし(ふか)くはべるを、三条(さんでう)(みや)の、心細(こころぼそ)げにて、(たの)もしげなき身一(みひと)つをよすがに(おぼ)したるが、()りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづから(くらゐ)などいふことも(たか)くなり、()のおきても(こころ)にかなひがたくなどして、(おも)ひながら()ぎはべるには、またえ()らぬことも、(かず)のみ()ひつつは()ぐせど、公私(おほやけわたくし)に、(のが)れがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、(ほとけ)(せい)したまふ(かた)のことを、わづかにも()(およ)ばむことは、いかで(あやま)たじと、(つつ)しみて、(こころ)(うち)(ひじり)(おと)りはべらぬものを。 いはけなかりしより、おもこころざしふかくはべるを、さんでうみやの、こころぼそげにて、たのもしげなきみひとつをよすがにおぼしたるが、りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづからくらゐなどいふこともたかくなり、のおきてもこころにかなひがたくなどして、おもひながらぎはべるには、またえらぬことも、かずのみひつつはぐせど、おほやけわたくしに、のがれがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、ほとけせいしたまふかたのことを、わづかにもおよばんことは、いかであやまたじと、つつしみて、こころうちひじりおとりはべらぬものを。
541.4.89779 まして、いとはかなきことにつけてしも、(おも)罪得(つみう)べきことは、などてか(おも)ひたまへむ。さらにあるまじきことにはべり。(うたが)(おぼ)すまじ。ただ、いとほしき(おや)(おも)ひなどを、()きあきらめはべらむばかりなむ、うれしう(こころ)やすかるべき」 まして、いとはかなきことにつけてしも、おもつみうべきことは、などてかおもひたまへん。さらにあるまじきことにはべり。うたがおぼすまじ。ただ、いとほしきおやおもひなどを、きあきらめはべらんばかりなん、うれしうこころやすかるべき。"
541.4.99880 など、(むかし)より(ふか)かりし(かた)(こころ)(かた)りたまふ。 など、むかしよりふかかりしかたこころかたりたまふ。
541.4.109981 僧都(そうづ)も、げにと、うなづきて、 そうづも、げにと、うなづきて、
541.4.1110082 「いとど(たふと)きこと」 "いとどたふときこと。"
541.4.1210183 など()こえたまふほどに、()()れぬれば、 などこえたまふほどに、れぬれば、
541.4.1310284 中宿(なかやど)りもいとよかりぬべけれど、うはの(そら)にてものしたらむこそ、なほ便(びん)なかるべけれ」 "なかやどりもいとよかりぬべけれど、うはのそらにてものしたらんこそ、なほびんなかるべけれ。"
541.4.1410385 と、(おも)ひわづらひて(かへ)りたまふに、この(せうと)(わらは)を、僧都(そうづ)目止(めと)めてほめたまふ。 と、おもひわづらひてかへりたまふに、このせうとわらはを、そうづめとめてほめたまふ。
541.4.1510486 「これにつけて、まづほのめかしたまへ」 "これにつけて、まづほのめかしたまへ。"
541.4.1610587 ()こえたまへば、文書(ふみか)きて()らせたまふ。 こえたまへば、ふみかきてらせたまふ。
541.4.1710688 時々(ときどき)(やま)におはして(あそ)びたまへよ」と「すずろなるやうには(おぼ)すまじきゆゑもありけり」 "ときどきやまにおはしてあそびたまへよ。"と"すずろなるやうにはおぼすまじきゆゑもありけり。"
541.4.1810789 と、うち(かた)らひたまふ。この()(こころ)()ねど、文取(ふみと)りて御供(おほんとも)()づ。坂本(さかもと)になれば、御前(ごぜん)(ひと)びとすこし()ちあかれて、「(しの)びやかにを」とのたまふ。 と、うちかたらひたまふ。このこころねど、ふみとりておほんともづ。さかもとになれば、ごぜんひとびとすこしちあかれて、"しのびやかにを。"とのたまふ。
541.510890第五段 浮舟、薫らの帰りを見る
541.5.110991 小野(をの)には、いと(ふか)(しげ)りたる青葉(あをば)(やま)()かひて、(まぎ)るることなく、遣水(やりみづ)(ほたる)ばかりを、(むかし)おぼゆる(なぐさ)めにて(なが)めゐたまへるに、(れい)の、(はる)かに()やらるる(たに)軒端(のきば)より、前駆心(さきこころ)ことに()ひて、いと(おほ)(とも)したる()の、のどかならぬ(ひかり)()るとて、尼君(あまぎみ)たちも(はし)()でゐたり。 をのには、いとふかしげりたるあをばやまかひて、まぎるることなく、やりみづほたるばかりを、むかしおぼゆるなぐさめにてながめゐたまへるに、れいの、はるかにやらるるたにのきばより、さきこころことにひて、いとおほともしたるの、のどかならぬひかりるとて、あまぎみたちもはしでゐたり。
541.5.211093 ()がおはするにかあらむ。御前(ごぜん)などいと(おほ)くこそ()ゆれ」 "がおはするにかあらん。ごぜんなどいとおほくこそゆれ。"
541.5.311194 (ひる)、あなたに引干(ひきぼ)(たてまつ)れたりつる(かへ)(ごと)に、『大将殿(だいしゃうどの)おはしまして、御饗応(おほんあるじ)のことにはかにするを、いとよき(をり)なり』と、こそありつれ」 "ひる、あなたにひきぼたてまつれたりつるかへごとに、'だいしゃうどのおはしまして、おほんあるじのことにはかにするを、いとよきをりなり'と、こそありつれ。"
541.5.411295 大将殿(だいしゃうどの)とは、この女二(をんなに)(みや)御夫(おほんをとこ)にやおはしつらむ」 "だいしゃうどのとは、このをんなにみやおほんをとこにやおはしつらん。"
541.5.511396 など()ふも、いとこの世遠(よとほ)く、田舎(ゐなか)びにたりや。まことにさにやあらむ。時々(ときどき)、かかる山路分(やまぢわ)けおはせし(とき)、いとしるかりし随身(ずいじん)(こゑ)も、うちつけにまじりて()こゆ。 などふも、いとこのよとほく、ゐなかびにたりや。まことにさにやあらん。ときどき、かかるやまぢわけおはせしとき、いとしるかりしずいじんこゑも、うちつけにまじりてこゆ。
541.5.611497 月日(つきひ)()ぎゆくままに、(むかし)のことのかく(おも)(わす)れぬも、「(いま)(なに)にすべきことぞ」と心憂(こころう)ければ、阿弥陀仏(あみだほとけ)(おも)(まぎ)らはして、いとどものも()はでゐたり。横川(よかわ)(かよ)(ひと)のみなむ、このわたりには(ちか)きたよりなりける。 つきひぎゆくままに、むかしのことのかくおもわすれぬも、"いまなににすべきことぞ。"とこころうければ、あみだほとけおもまぎらはして、いとどものもはでゐたり。よかわかよひとのみなん、このわたりにはちかきたよりなりける。
54211598第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
542.111699第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす
542.1.1117100 かの殿(との)は、「この()をやがてやらむ」と(おぼ)しけれど、人目多(ひとめおほ)くて便(びん)なければ、殿(との)(かへ)りたまひて、またの()、ことさらにぞ()だし()てたまふ。(むつ)ましく(おぼ)(ひと)の、ことことしからぬ()三人(さんにん)(おく)りにて、(むかし)(つね)(つか)はしし随身添(ずいじんそ)へたまへり。人聞(ひとき)かぬ()()()せたまひて、 かのとのは、"このをやがてやらん。"とおぼしけれど、ひとめおほくてびんなければ、とのかへりたまひて、またの、ことさらにぞだしてたまふ。むつましくおぼひとの、ことことしからぬさんにんおくりにて、むかしつねつかはししずいじんそへたまへり。ひときかぬせたまひて、
542.1.2118101 「あこが()せにし(いもうと)(かほ)は、おぼゆや。(いま)()()(ひと)(おも)()てにしを、いと(たし)かにこそ、ものしたまふなれ。(うと)(ひと)には()かせじと(おも)ふを、()きて(たづ)ねよ。(はは)に、いまだしきに()ふな。なかなか(おどろ)(さわ)がむほどに、()るまじき(ひと)()りなむ。その(おや)御思(みおも)ひのいとほしさにこそ、かくも(たづ)ぬれ」 "あこがせにしいもうとかほは、おぼゆや。いまひとおもてにしを、いとたしかにこそ、ものしたまふなれ。うとひとにはかせじとおもふを、きてたづねよ。ははに、いまだしきにふな。なかなかおどろさわがんほどに、るまじきひとりなん。そのおやみおもひのいとほしさにこそ、かくもたづぬれ。"
542.1.3119102 と、まだきにいと口固(くちがた)めたまふを、(をさな)心地(ここち)にも、姉弟(はらから)(おほ)かれど、この(きみ)容貌(かたち)をば、()るものなしと(おも)ひしみたりしに、()せたまひにけりと()きて、いと(かな)しと(おも)ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも(なみだ)()つるを、()づかしと(おも)ひて、 と、まだきにいとくちがためたまふを、をさなここちにも、はらからおほかれど、このきみかたちをば、るものなしとおもひしみたりしに、せたまひにけりときて、いとかなしとおもひわたるに、かくのたまへば、うれしきにもなみだつるを、づかしとおもひて、
542.1.4120103 「を、を」 "を、を。"
542.1.5121104 (あら)らかに()こえゐたり。 あららかにこえゐたり。
542.1.6122105 かしこには、まだつとめて、僧都(そうづ)(おほん)もとより、 かしこには、まだつとめて、そうづおほんもとより、
542.1.7123106 昨夜(よべ)大将殿(だいしゃうどの)御使(おほんつかひ)にて、小君(こぎみ)()うでたまへりし。ことの心承(こころうけたまは)りしに、あぢきなく、かへりて(おく)しはべりてなむ、と姫君(ひめぎみ)()こえたまへ。みづから()こえさすべきことも(おほ)かれど、今日明日過(けふあすす)ぐしてさぶらふべし」 "よべだいしゃうどのおほんつかひにて、こぎみうでたまへりし。ことのこころうけたまはりしに、あぢきなく、かへりておくしはべりてなん、とひめぎみこえたまへ。みづからこえさすべきこともおほかれど、けふあすすぐしてさぶらふべし。"
542.1.8124107 ()きたまへり。「これは(なに)ごとぞ」と尼君驚(あまぎみおどろ)きて、こなたへもて(わた)りて()せたてまつりたまへば、(おもて)うち(あか)みて、「ものの()こえのあるにや」と(くる)しう、「もの(かく)ししける」と(うら)みられむを(おも)(つづ)くるに、いらへむ(かた)なくてゐたまへるに、 きたまへり。"これはなにごとぞ。"とあまぎみおどろきて、こなたへもてわたりてせたてまつりたまへば、おもてうちあかみて、"もののこえのあるにや。"とくるしう、"ものかくししける。"とうらみられんをおもつづくるに、いらへんかたなくてゐたまへるに、
542.1.9125108 「なほ、のたまはせよ。心憂(こころう)(おぼ)(へだ)つること」 "なほ、のたまはせよ。こころうおぼへだつること。"
542.1.10126109 と、いみじく(うら)みて、ことの(こころ)()らねば、あわたたしきまで(おも)ひたるほどに、 と、いみじくうらみて、ことのこころらねば、あわたたしきまでおもひたるほどに、
542.1.11127110 (やま)より、僧都(そうづ)御消息(おほんせうそこ)にて、(まゐ)りたる(ひと)なむある」 "やまより、そうづおほんせうそこにて、まゐりたるひとなんある。"
542.1.12128111 ()()れたり。 れたり。
542.2129112第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問
542.2.1130113 あやしけれど、「これこそは、さは、(たし)かなる御消息(おほんせうそこ)ならめ」とて、 あやしけれど、"これこそは、さは、たしかなるおほんせうそこならめ。"とて、
542.2.2131114 「こなたに」 "こなたに。"
542.2.3132115 ()はせたれば、いときよげにしなやかなる(わらは)の、えならず装束(さうぞ)きたるぞ、(あゆ)()たる。円座(わらふだ)さし()でたれば、(すだれ)のもとについゐて、 はせたれば、いときよげにしなやかなるわらはの、えならずさうぞきたるぞ、あゆたる。わらふださしでたれば、すだれのもとについゐて、
542.2.4133116 「かやうにては、さぶらふまじくこそは、僧都(そうづ)は、のたまひしか」 "かやうにては、さぶらふまじくこそは、そうづは、のたまひしか。"
542.2.5134117 ()へば、尼君(あまぎみ)ぞ、いらへなどしたまふ。文取(ふみと)()れて()れば、 へば、あまぎみぞ、いらへなどしたまふ。ふみとれてれば、
542.2.6135118 入道(にふだう)姫君(ひめぎみ)御方(おほんかた)に、(やま)より」 "にふだうひめぎみおほんかたに、やまより。"
542.2.7136119 とて、名書(なか)きたまへり。あらじなど、あらがふべきやうもなし。 とて、なかきたまへり。あらじなど、あらがふべきやうもなし。
542.2.8137120 いとはしたなくおぼえて、いよいよ()()られて、(ひと)(かほ)見合(みあ)はせず。 いとはしたなくおぼえて、いよいよられて、ひとかほみあはせず。
542.2.9138121 (つね)にほこりかならずものしたまふ人柄(ひとがら)なれど、いとうたて、心憂(こころう)し」 "つねにほこりかならずものしたまふひとがらなれど、いとうたて、こころうし。"
542.2.10139122 など()ひて、僧都(そうづ)御文見(おほんふみみ)れば、 などひて、そうづおほんふみみれば、
542.2.11140123 今朝(けさ)、ここに大将殿(だいしゃうどの)のものしたまひて、(おほん)ありさま(たづ)()ひたまふに、(はじ)めよりありしやう(くは)しく()こえはべりぬ。御心(おほんこころ)ざし(ふか)かりける御仲(おほんなか)(そむ)きたまひて、あやしき山賤(やまがつ)(なか)出家(すけ)したまへること、かへりては、(ほとけ)()()ふべきことなるをなむ、(うけたまは)(おどろ)きはべる。 "けさ、ここにだいしゃうどののものしたまひて、おほんありさまたづひたまふに、はじめよりありしやうくはしくこえはべりぬ。おほんこころざしふかかりけるおほんなかそむきたまひて、あやしきやまがつなかすけしたまへること、かへりては、ほとけふべきことなるをなん、うけたまはおどろきはべる。
542.2.12141124 いかがはせむ。もとの御契(おほんちぎ)(あやま)ちたまはで、愛執(あいしふ)(つみ)をはるかしきこえたまひて、一日(ひとひ)出家(すけ)功徳(くどく)は、はかりなきものなれば、なほ(たの)ませたまへとなむ。ことごとには、みづからさぶらひて(まう)しはべらむ。かつがつ、この小君聞(こぎみき)こえたまひてむ」 いかがはせん。もとのおほんちぎあやまちたまはで、あいしふつみをはるかしきこえたまひて、ひとひすけくどくは、はかりなきものなれば、なほたのませたまへとなん。ことごとには、みづからさぶらひてまうしはべらん。かつがつ、このこぎみきこえたまひてん。"
542.2.13142125 ()いたり。 いたり。
542.3143126第三段 浮舟、小君との面会を拒む
542.3.1144127 まがふべくもあらず、()(あき)らめたまへれど、異人(ことひと)(こころ)()ず。 まがふべくもあらず、あきらめたまへれど、ことひとこころず。
542.3.2145128 「この(きみ)は、()れにかおはすらむ。なほ、いと心憂(こころう)し。(いま)さへ、かくあながちに(へだ)てさせたまふ」 "このきみは、れにかおはすらん。なほ、いとこころうし。いまさへ、かくあながちにへだてさせたまふ。"
542.3.3146129 ()められて、すこし()ざまに()きて()たまへば、この()は、(いま)はと()(おも)ひなりし夕暮(ゆふぐ)れに、いと(こひ)しと(おも)ひし(ひと)なりけり。(おな)(ところ)にて()しほどは、いと(さが)なく、あやにくにおごりて(にく)かりしかど、(はは)のいとかなしくして、宇治(うぢ)にも時々率(ときどきゐ)ておはせしかば、すこしおよすけしままに、かたみに(おも)へり。 められて、すこしざまにきてたまへば、このは、いまはとおもひなりしゆふぐれに、いとこひしとおもひしひとなりけり。おなところにてしほどは、いとさがなく、あやにくにおごりてにくかりしかど、ははのいとかなしくして、うぢにもときどきゐておはせしかば、すこしおよすけしままに、かたみにおもへり。
542.3.4147130 童心(わらはごころ)(おも)()づるにも、(ゆめ)のやうなり。まづ、(はは)のありさま、いと()はまほしく、「異人(ことひと)びとの(うへ)は、おのづからやうやうと()けど、(おや)のおはすらむやうは、ほのかにもえ()かずかし」と、なかなかこれを()るに、いと(かな)しくて、ほろほろと()かれぬ。 わらはごころおもづるにも、ゆめのやうなり。まづ、ははのありさま、いとはまほしく、"ことひとびとのうへは、おのづからやうやうとけど、おやのおはすらんやうは、ほのかにもえかずかし。"と、なかなかこれをるに、いとかなしくて、ほろほろとかれぬ。
542.3.5148131 いとをかしげにて、すこしうちおぼえたまへる心地(ここち)もすれば、 いとをかしげにて、すこしうちおぼえたまへるここちもすれば、
542.3.6149132 御兄弟(おほんはらから)にこそおはすめれ。()こえまほしく(おぼ)すこともあらむ。(うち)()れたてまつらむ」 "おほんはらからにこそおはすめれ。こえまほしくおぼすこともあらん。うちれたてまつらん。"
542.3.7150133 ()ふを、「(なに)か、(いま)()にあるものとも(おも)はざらむに、あやしきさまに面変(おもがは)りして、ふと()えむも()づかし」と(おも)へば、とばかりためらひて、 ふを、"なにか、いまにあるものともおもはざらんに、あやしきさまにおもがはりして、ふとえんもづかし。"とおもへば、とばかりためらひて、
542.3.8151134 「げに、(へだ)てありと、(おぼ)しなすらむが(くる)しさに、ものも()はれでなむ。あさましかりけむありさまは、(めづら)かなることと()たまひてけむを、うつし(ごころ)()せ、(たましひ)などいふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ。いかにもいかにも、()ぎにし(かた)のことを、(われ)ながらさらにえ(おも)()でぬに、紀伊守(きいのかみ)とかありし(ひと)の、()物語(ものがたり)すめりし(なか)になむ、()しあたりのことにやと、ほのかに(おも)()でらるることある心地(ここち)せし。 "げに、へだてありと、おぼしなすらんがくるしさに、ものもはれでなん。あさましかりけんありさまは、めづらかなることとたまひてけんを、うつしごころせ、たましひなどいふらんものも、あらぬさまになりにけるにやあらん。いかにもいかにも、ぎにしかたのことを、われながらさらにえおもでぬに、きいのかみとかありしひとの、ものがたりすめりしなかになん、しあたりのことにやと、ほのかにおもでらるることあるここちせし。
542.3.9152135 その(のち)、とざまかうざまに(おも)(つづ)くれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、ただ一人(ひとり)ものしたまひし(ひと)の、いかでとおろかならず(おも)ひためりしを、まだや()におはすらむと、そればかりなむ(こころ)(はな)れず、(かな)しき折々(をりをり)はべるに、今日見(けふみ)れば、この(わらは)(かほ)は、(ちひ)さくて()心地(ここち)するにも、いと(しの)びがたけれど、(いま)さらに、かかる(ひと)にも、ありとは()られでやみなむ、となむ(おも)ひはべる。 そののち、とざまかうざまにおもつづくれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、ただひとりものしたまひしひとの、いかでとおろかならずおもひためりしを、まだやにおはすらんと、そればかりなんこころはなれず、かなしきをりをりはべるに、けふみれば、このわらはかほは、ちひさくてここちするにも、いとしのびがたけれど、いまさらに、かかるひとにも、ありとはられでやみなん、となんおもひはべる。
542.3.10153136 かの(ひと)、もし()にものしたまはば、それ一人(ひとり)になむ、対面(たいめん)せまほしく(おも)ひはべる。この僧都(そうづ)の、のたまへる(ひと)などには、さらに()られたてまつらじ、とこそ(おも)ひはべりつれ。かまへて、ひがことなりけりと()こえなして、もて(かく)したまへ」 かのひと、もしにものしたまはば、それひとりになん、たいめんせまほしくおもひはべる。このそうづの、のたまへるひとなどには、さらにられたてまつらじ、とこそおもひはべりつれ。かまへて、ひがことなりけりとこえなして、もてかくしたまへ。"
542.3.11154137 とのたまへば、 とのたまへば、
542.3.12155138 「いと(かた)いことかな。僧都(そうづ)御心(みこころ)は、(ひじり)といふなかにも、あまり(くま)なくものしたまへば、まさに(のこ)いては、()こえたまひてむや。(のち)(かく)れあらじ。なのめに軽々(かろがろ)しき(おほん)ほどにもおはしまさず」 "いとかたいことかな。そうづみこころは、ひじりといふなかにも、あまりくまなくものしたまへば、まさにのこいては、こえたまひてんや。のちかくれあらじ。なのめにかろがろしきおほんほどにもおはしまさず。"
542.3.13156139 など()(さわ)ぎて、 などさわぎて、
542.3.14157140 ()()らず心強(こころづよ)くおはしますこそ」 "らずこころづよくおはしますこそ。"
542.3.15158141 と、皆言(みない)()はせて、母屋(もや)(きは)几帳立(きちゃうた)てて()れたり。 と、みないはせて、もやきはきちゃうたててれたり。
542.4159142第四段 小君、薫からの手紙を渡す
542.4.1160143 この()も、さは()きつれど、(をさな)ければ、ふと()()らむもつつましけれど、 このも、さはきつれど、をさなければ、ふとらんもつつましけれど、
542.4.2161144 「またはべる御文(おほんふみ)、いかでたてまつらむ。僧都(そうづ)(おほん)しるべは、(たし)かなるを、かくおぼつかなくはべるこそ」 "またはべるおほんふみ、いかでたてまつらん。そうづおほんしるべは、たしかなるを、かくおぼつかなくはべるこそ。"
542.4.3162145 と、伏目(ふしめ)にて()へば、 と、ふしめにてへば、
542.4.4163146 「そそや。あな、うつくし」 "そそや。あな、うつくし。"
542.4.5164147 など()ひて、 などひて、
542.4.6165148 御文御覧(おほんふみごらん)ずべき(ひと)は、ここにものせさせたまふめり。見証(けそう)(ひと)なむ、いかなることにかと、心得(こころえ)がたくはべるを、なほのたまはせよ。(をさな)(おほん)ほどなれど、かかる(おほん)しるべに(たの)みきこえたまふやうもあらむ」 "おほんふみごらんずべきひとは、ここにものせさせたまふめり。けそうひとなん、いかなることにかと、こころえがたくはべるを、なほのたまはせよ。をさなおほんほどなれど、かかるおほんしるべにたのみきこえたまふやうもあらん。"
542.4.7166149 など()へど、 などへど、
542.4.8167150 (おぼ)(へだ)てて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、何事(なにごと)をか()こえはべらむ。(うと)(おぼ)しなりにければ、()こゆべきこともはべらず。ただ、この御文(おほんふみ)を、人伝(ひとづ)てならで(たてまつ)れ、とてはべりつる、いかでたてまつらむ」 "おぼへだてて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、なにごとをかこえはべらん。うとおぼしなりにければ、こゆべきこともはべらず。ただ、このおほんふみを、ひとづてならでたてまつれ、とてはべりつる、いかでたてまつらん。"
542.4.9168151 ()へば、 へば、
542.4.10169152 「いとことわりなり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけき御心(みこころ)にこそ」 "いとことわりなり。なほ、いとかくうたてなおはせそ。さすがにむくつけきみこころにこそ。"
542.4.11170153 ()こえ(うご)かして、几帳(きちゃう)のもとに()()せたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、異人(ことひと)には()心地(ここち)すれば、そこもとに()りて(たてまつ)りつ。 こえうごかして、きちゃうのもとにせたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、ことひとにはここちすれば、そこもとにりてたてまつりつ。
542.4.12171154 御返(おほんかへ)()(たま)はりて、(まゐ)りなむ」 "おほんかへたまはりて、まゐりなん。"
542.4.13172155 と、かく疎々(うとうと)しきを、心憂(こころう)しと(おも)ひて(いそ)ぐ。 と、かくうとうとしきを、こころうしとおもひていそぐ。
542.4.14173157 尼君(あまぎみ)御文(おほんふみ)ひき()きて、()せたてまつる。ありしながらの御手(おほんて)にて、(かみ)()など、(れい)の、()づかぬまでしみたり。ほのかに()て、(れい)の、ものめでのさし()(びと)、いとありがたくをかしと(おも)ふべし。 あまぎみおほんふみひききて、せたてまつる。ありしながらのおほんてにて、かみなど、れいの、づかぬまでしみたり。ほのかにて、れいの、ものめでのさしびと、いとありがたくをかしとおもふべし。
542.4.15174158 「さらに()こえむ(かた)なく、さまざまに罪重(つみおも)御心(みこころ)をば、僧都(そうづ)(おも)(ゆる)しきこえて、(いま)はいかで、あさましかりし()夢語(ゆめがた)りをだに、と(いそ)がるる(こころ)の、(われ)ながらもどかしきになむ。まして、人目(ひとめ)はいかに」 "さらにこえんかたなく、さまざまにつみおもみこころをば、そうづおもゆるしきこえて、いまはいかで、あさましかりしゆめがたりをだに、といそがるるこころの、われながらもどかしきになん。まして、ひとめはいかに。"
542.4.16175159 と、()きもやりたまはず。 と、きもやりたまはず。
542.4.17176160 (のり)()(たづ)ぬる(みち)をしるべにて<BR/>(おも)はぬ(やま)()(まど)ふかな "〔のりたづぬるみちをしるべにて<BR/>おもはぬやままどふかな
542.4.18177161 この(ひと)は、()(わす)れたまひぬらむ。ここには、行方(ゆくへ)なき御形見(おほんかたみ)()(もの)にてなむ」 このひとは、わすれたまひぬらん。ここには、ゆくへなきおほんかたみものにてなん。"
542.4.19178162 など、こまやかなり。 など、こまやかなり。
542.5179163第五段 浮舟、薫への返事を拒む
542.5.1180164 かくつぶつぶと()きたまへるさまの、(まぎ)らはさむ(かた)なきに、さりとて、その(ひと)にもあらぬさまを、(おも)ひの(ほか)()つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを(おも)(みだ)れて、いとど()()れしからぬ(こころ)は、()ひやるべき(かた)もなし。 かくつぶつぶときたまへるさまの、まぎらはさんかたなきに、さりとて、そのひとにもあらぬさまを、おもひのほかつけられきこえたらんほどの、はしたなさなどをおもみだれて、いとどれしからぬこころは、ひやるべきかたもなし。
542.5.2181165 さすがにうち()きて、ひれ()したまへれば、「いと()づかぬ(おほん)ありさまかな」と、()わづらひぬ。 さすがにうちきて、ひれしたまへれば、"いとづかぬおほんありさまかな。"と、わづらひぬ。
542.5.3182166 「いかが()こえむ」 "いかがこえん。"
542.5.4183167 など()められて、 などめられて、
542.5.5184168 心地(ここち)のかき(みだ)るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞(いまき)こえむ。(むかし)のこと(おも)()づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける(ゆめ)にかとのみ、(こころ)()ずなむ。すこし(しづ)まりてや、この御文(おほんふみ)なども、見知(みし)らるることもあらむ。今日(けふ)は、なほ()(まゐ)りたまひね。所違(ところたが)へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」 "ここちのかきみだるやうにしはべるほど、ためらひて、いまきこえん。むかしのことおもづれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりけるゆめにかとのみ、こころずなん。すこししづまりてや、このおほんふみなども、みしらるることもあらん。けふは、なほまゐりたまひね。ところたがへにもあらんに、いとかたはらいたかるべし。"
542.5.6185169 とて、(ひろ)げながら、尼君(あまぎみ)にさしやりたまへれば、 とて、ひろげながら、あまぎみにさしやりたまへれば、
542.5.7186170 「いと見苦(みぐる)しき(おほん)ことかな。あまりけしからぬは、()たてまつる(ひと)も、(つみ)さりどころなかるべし」 "いとみぐるしきおほんことかな。あまりけしからぬは、たてまつるひとも、つみさりどころなかるべし。"
542.5.8187171 など()(さわ)ぐも、うたて()きにくくおぼゆれば、(かほ)()()れて()したまへり。 などさわぐも、うたてきにくくおぼゆれば、かほれてしたまへり。
542.5.9188172 主人(あるじ)ぞ、この(きみ)物語(ものがたり)すこし()こえて、 あるじぞ、このきみものがたりすこしこえて、
542.5.10189173 「もののけにやおはすらむ。(れい)のさまに()えたまふ(をり)なく、(なや)みわたりたまひて、御容貌(おほんかたち)(こと)になりたまへるを、(たづ)ねきこえたまふ(ひと)あらば、いとわづらはしかるべきこと、と()たてまつり(なげ)きはべりしも、しるく、かくいとあはれに、心苦(こころぐる)しき(おほん)ことどもはべりけるを、(いま)なむ、いとかたじけなく(おも)ひはべる。 "もののけにやおはすらん。れいのさまにえたまふをりなく、なやみわたりたまひて、おほんかたちことになりたまへるを、たづねきこえたまふひとあらば、いとわづらはしかるべきこと、とたてまつりなげきはべりしも、しるく、かくいとあはれに、こころぐるしきおほんことどもはべりけるを、いまなん、いとかたじけなくおもひはべる。
542.5.11190174 ()ごろも、うちはへ(なや)ませたまふめるを、いとどかかることどもに(おぼ)(みだ)るるにや、(つね)よりもものおぼえさせたまはぬさまにてなむ」 ごろも、うちはへなやませたまふめるを、いとどかかることどもにおぼみだるるにや、つねよりもものおぼえさせたまはぬさまにてなん。"
542.5.12191175 ()こゆ。 こゆ。
542.6192176第六段 小君、空しく帰り来る
542.6.1193177 (ところ)につけてをかしき饗応(あるじ)などしたれど、(をさな)心地(ここち)は、そこはかとなくあわてたる心地(ここち)して、 ところにつけてをかしきあるじなどしたれど、をさなここちは、そこはかとなくあわてたるここちして、
542.6.2194178 「わざと(たてまつ)れさせたまへるしるしに、何事(なにごと)をかは()こえさせむとすらむ。ただ一言(ひとこと)をのたまはせよかし」 "わざとたてまつれさせたまへるしるしに、なにごとをかはこえさせんとすらん。ただひとことをのたまはせよかし。"
542.6.3195179 など()へば、 などへば、
542.6.4196180 「げに」 "げに。"
542.6.5197181 など()ひて、かくなむ、と(うつ)(かた)れど、ものものたまはねば、かひなくて、 などひて、かくなん、とうつかたれど、ものものたまはねば、かひなくて、
542.6.6198182 「ただ、かく、おぼつかなき(おほん)ありさまを()こえさせたまふべきなめり。(くも)(はる)かに(へだ)たらぬほどにもはべるめるを、山風吹(やまかぜふ)くとも、またもかならず()()らせたまひなむかし」 "ただ、かく、おぼつかなきおほんありさまをこえさせたまふべきなめり。くもはるかにへだたらぬほどにもはべるめるを、やまかぜふくとも、またもかならずらせたまひなんかし。"
542.6.7199183 ()へば、すずろにゐ()らさむもあやしかるべければ、(かへ)りなむとす。人知(ひとし)れずゆかしき(おほん)ありさまをも、え()ずなりぬるを、おぼつかなく口惜(くちを)しくて、(こころ)ゆかずながら(まゐ)りぬ。 へば、すずろにゐらさんもあやしかるべければ、かへりなんとす。ひとしれずゆかしきおほんありさまをも、えずなりぬるを、おぼつかなくくちをしくて、こころゆかずながらまゐりぬ。
542.6.8200184 いつしかと()ちおはするに、かくたどたどしくて(かへ)()たれば、すさまじく、「なかなかなり」と、(おぼ)すことさまざまにて、「(ひと)(かく)()ゑたるにやあらむ」と、わが御心(みこころ)(おも)()らぬ(くま)なく、()とし()きたまへりしならひに、とぞ(ほん)にはべめる。 いつしかとちおはするに、かくたどたどしくてかへたれば、すさまじく、"なかなかなり。"と、おぼすことさまざまにて、"ひとかくゑたるにやあらん。"と、わがみこころおもらぬくまなく、としきたまへりしならひに、とぞほんにはべめる。