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第七帖 紅葉賀

光る源氏の十八歳冬十月から十九歳秋七月までの宰相兼中将時代の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 藤壺の物語 源氏、藤壺の御前で青海波を舞う


第一段 御前の試楽

1.1.1 朱雀院への行幸は、神無月の十日過ぎである。
常の行幸とは違って、格別興趣あるはずの催しであったので、御方々、御覧になれないことを残念にお思いになる。
主上も、藤壷が御覧になれないのを、もの足りなく思し召されるので、試楽を御前において、お催しあそばす。
朱雀(すざく)院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに()りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮(こうきゅう)の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。(みかど)藤壺(ふじつぼ)女御(にょご)にお見せになることのできないことを遺憾に思召(おぼしめ)して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
1.1.2
源氏中将(げんじのちゅうじゃう)は、青海波(せいがいは)をぞ()ひたまひける
片手(かたて)には大殿(おほとの)頭中将(とうのちゅうじゃう)
容貌(かたち)用意(ようい)(ひと)にはことなるを、()(なら)びては、なほ(はな)のかたはらの深山木(みやまぎ)なり。
源氏中将は、青海波をお舞いになった。
一方の舞手には大殿の頭中将。
容貌、心づかい、人よりは優れているが、立ち並んでは、やはり花の傍らの深山木である。
源氏の中将は青海波(せいがいは)を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将(とうのちゅうじょう)だった。人よりはすぐれた風采(ふうさい)のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山(みやま)の木というより言い方がない。
1.1.3
()(がた)()かげ、さやかにさしたるに、(がく)(こゑ)まさり、もののおもしろきほどに、(おな)(まひ)足踏(あしぶ)み、おももち、()()えぬさまなり。
(えい)などしたまへるは、「これや、(ほとけ)御迦陵頻伽(おほんかれうびんが)(こゑ)ならむ」と()こゆ。
おもしろくあはれなるに、(みかど)(なみだ)(のご)ひたまひ、上達部(かんだちめ)親王(みこ)たちもみな()きたまひぬ。
(えい)はてて、(そで)うちなほしたまへるに、()ちとりたる(がく)のにぎははしきに、(かほ)(いろ)あひまさりて、(つね)よりも(ひか)ると()えたまふ
入り方の日の光、鮮やかに差し込んでいる時に、楽の声が高まり、感興もたけなわの時に、同じ舞の足拍子、表情は、世にまたとない様子である。
朗唱などをなさっている声は、「これが、仏の御迦陵頻伽のお声だろうか」と聞こえる。
美しくしみじみと心打つので、帝は、涙をお拭いになさり、上達部、親王たちも、皆落涙なさった。
朗唱が終わって、袖をさっとお直しになると、待ち構えていた楽の音が賑やかに奏され、お顔の色が一段と映えて、常よりも光り輝いてお見えになる。
夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに()えて聞こえた。同じ舞ながらも(おもて)づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽(かりょうびんが)の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって(そで)が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の(ほお)が染まって常よりもまた光る君と見えた。
1.1.4 春宮の女御は、このように立派に見えるのにつけても、おもしろからずお思いになって、「神などが、空から魅入りそうな容貌だこと。
嫌な、不吉だこと」とおっしゃるのを、若い女房などは、厭味なと、聞きとがめるのであった。
藤壷は、「大それた心のわだかまりがなかったならば、いっそう素晴らしく見えたろうに」とお思いになると、夢のような心地がなさるのであった。
東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。「神様があの美貌(びぼう)に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。
1.1.5 宮は、そのまま御宿直なのであった。
その夜の宿直(とのい)の女御はこの宮であった。
1.1.6 「今日の試楽は、青海波に万事尽きてしまったな。
どう御覧になりましたか」
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
1.1.7 と、お尋ね申し上げあそばすと、心ならずも、お答え申し上げにくくて、
宮はお返辞がしにくくて、
1.1.8
(こと)にはべりつ」とばかり()こえたまふ。
「格別でございました」とだけお返事申し上げなさる。
「特別に結構でございました」とだけ。
1.1.9
片手(かたて)けしうはあらずこそ()えつれ。
(まひ)のさま、()づかひなむ、(いへ)()(こと)なる。
この()()()たる(まひ)(をのこ)どもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる(すぢ)を、えなむ()せぬ。
(こころ)みの()かく()くしつれば、紅葉(もみぢ)(かげ)やさうざうしくと(おも)へど、()せたてまつらむの(こころ)にて、用意(ようい)せさせつる」など()こえたまふ。
「相手役も、
悪くはなく見えた。舞の様子、手捌きは、良家の子
弟は格別であるな。世間で名声を博している舞の男どもも、確かに大したものであるが、大様で優美な趣きを、表
すことができない。試楽の日に、こんなに十分に催してしまったので、紅葉の木陰は寂しかろうかと思うが、お見せ申したいとの気持ちで、念入りに催させた」などと、お話し
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手(じょうず)であっても、無邪気な(えん)な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉(もみじ)の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」など仰せになった。

第二段 試楽の翌日、源氏藤壺と和歌を贈答

1.2.1 翌朝、中将の君、
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
1.2.2 「どのように御覧になりましたでしょうか。
何とも言えないつらい気持ちのままで。
どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。
1.2.3 つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはとてもできそうもないわが身が
袖を振って舞った気持ちはお分りいただけたでしょうか
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の
袖うち振りし心知りきや
1.2.4 恐れ多いことですが」
失礼をお許しください。
1.2.5 とあるお返事、目を奪うほどであったご様子、容貌に、お見過ごしになれなかったのであろうか、
とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。
1.2.6 「唐の人が袖振って舞ったことは遠い昔のことですが
その立ち居舞い姿はしみじみと拝見いたしました
から人の袖ふることは遠けれど
()()につけて哀れとは見き
1.2.7 並々のことには」
一観衆として。
1.2.8
とあるを、(かぎ)りなうめづらしう、かやうの(かた)さへたどたどしからず、ひとの朝廷(みかど)まで(おも)ほしやれる御后言葉(おほんきさきことば)の、かねても」と、ほほ()まれて、持経(ぢきゃう)のやうにひき(ひろ)げて()ゐたまへり。
とあるのを、この上なく珍しく、「このようなことにまで、お詳しくいらっしゃり、唐国の朝廷まで思いをはせられるお后としてのお和歌を、もう今から」と、自然とほほ笑まれて、持経のように広げてご覧になっていた。
たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那(しな)における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に(きさき)らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように(ひろ)げて見入っていた。

第三段 十月十余日、朱雀院へ行幸

1.3.1
行幸(ぎゃうがう)には、親王(みこ)たちなど、()(のこ)(ひと)なく(つか)うまつりたまへり
春宮(とうぐう)もおはします。
(れい)の、(がく)(ふね)ども()ぎめぐりて、唐土(もろこし)高麗(こま)と、()くしたる(まひ)ども、種多(くさおほ)かり。
(がく)(こゑ)(つづみ)(おと)()(ひび)かす。
行幸には、親王たちなど、宮廷を挙げて一人残らず供奉なさった。
春宮もお出ましになる。
恒例によって、楽の舟々が漕ぎ廻って、唐楽、高麗楽のと、数々を尽くした舞は、幾種類も多い。
楽の声、鼓の音、四方に響き渡る。
行幸の日は親王方も公卿(くぎょう)もあるだけの人が帝の供奉(ぐぶ)をした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を()ぎまわり、唐の曲も高麗(こうらい)の曲も舞われて盛んな宴賀(えんが)だった。
1.3.2
一日(ひとひ)源氏(げんじ)御夕影(おほんゆふかげ)ゆゆしう(おぼ)されて御誦経(みじゅきゃう)など所々(ところどころ)にせさせたまふを、()(ひと)もことわりとあはれがり()こゆるに、春宮(とうぐう)女御(にょうご)は、あながちなりと、(にく)みきこえたまふ。
先日の源氏の夕映えのお姿、不吉に思し召されて、御誦経などを方々の寺々におさせになるのを、聞く人ももっともであると感嘆申し上げるが、春宮の女御は、大仰であると、ご非難申し上げなさる。
試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが魔障(ましょう)耽美心(たんびしん)をそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。
1.3.3
垣代(かいしろ)など、殿上人(てんじゃうびと)地下(ぢげ)も、心殊(こころこと)なりと世人(よひと)(おも)はれたる有職(いうそく)(かぎ)りととのへさせたまへり。
宰相二人(さいしゃうふたり)左衛門督(さゑもんのかみ)右衛門督(うゑもんのかみ)左右(ひだりみぎ)(がく)のこと(おこな)
(まひ)()どもなど、()になべてならぬを()りつつおのおの(こも)りゐてなむ(なら)ひける。
垣代などには、殿上人、地下人でも、優秀だと世間に評判の高い精通した人たちだけをお揃えあそばしていた。
宰相二人、左衛門督、右衛門督が、左楽と右楽とを指揮する。
舞の師匠たちなど、世間で一流の人たちをそれぞれ招いて、各自家に引き籠もって練習したのであった。
楽人は殿上役人からも地下(じげ)からもすぐれた技倆を認められている人たちだけが()り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督(さえもんのかみ)、右衛門督が左右の楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古(けいこ)の成果をここで見せたわけである。
1.3.4
木高(こだか)紅葉(もみぢ)(かげ)に、四十人(よそびと)垣代(かいしろ)()()らず()()てたる(もの)()どもにあひたる松風(まつかぜ)まことの深山(みやま)おろしと()こえて()きまよひ、色々(いろいろ)()()()()のなかより、青海波(せいがいは)のかかやき()でたるさま、いと(おそ)ろしきまで()ゆ。
かざしの紅葉(もみぢ)いたう()()ぎて(かほ)のにほひにけおされたる心地(ここち)すれば、御前(おまへ)なる(きく)()りて、左大将(さだいしゃう)さし()へたまふ
木高い紅葉の下に、四十人の垣代、何とも言い表しようもなく見事に吹き鳴らしている笛の音に響き合っている松風、本当の深山颪と聞こえて吹き乱れ、色とりどりに散り乱れる木の葉の中から、青海波の光り輝いて舞い出る様子、何とも恐ろしいまでに見える。
插頭の紅葉がたいそう散って薄くなって、顔の照り映える美しさに圧倒された感じがするので、御前に咲いている菊を折って、左大将が差し替えなさる。
四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風はほんとうの深山(みやま)おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉(もみじ)の散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。(かざ)しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。
1.3.5
日暮(ひく)れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、(そら)のけしきさへ見知(みし)(がほ)なるに、さるいみじき姿(すがた)に、(きく)色々移(いろいろうつ)ろひ、えならぬをかざして、今日(けふ)はまたなき()()くしたる入綾(いりあや)ほど、そぞろ(さむ)く、この()のことともおぼえず。
もの見知(みし)るまじき下人(しもびと)などの、()のもと、岩隠(いはがく)れ、(やま)()()(うづ)もれたるさへ、すこしものの心知(こころし)るは涙落(なみだお)としけり。
日の暮れかかるころに、ほんの少しばかり時雨が降って、空の様子までが感涙を催しているのに、そうした非常に美しい姿で、菊が色とりどりに変色し、その素晴らしいのを冠に插して、今日は又とない秘術を尽くした入綾の舞の時には、ぞくっと寒気がし、この世の舞とは思われない。
何も分るはずのない下人どもで、木の下、岩の陰、築山の木の葉に埋もれている者までが、少し物の情趣を理解できる者は感涙に咽ぶのであった。
日暮れ前になってさっと時雨(しぐれ)がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を(かむり)()して、今日は試楽の日に()えて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人(げにん)で、木の(かげ)や岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。
1.3.6
承香殿(しょうきゃうでん)御腹(おほんはら)()御子(みこ)まだ(わらは)にて秋風楽舞(しうふうらくま)ひたまへるなむ、さしつぎの見物(みもの)なりける。
これらにおもしろさの()きにければ、こと(ごと)()(うつ)らず、かへりてはことざましにやありけむ
承香殿の女御の第四皇子、まだ童姿で、秋風楽をお舞いになったのが、これに次ぐ見物であった。
これらに興趣も尽きてしまったので、他の事には関心も移らず、かえって興ざましであったろうか。
承香殿(じょうきょうでん)の女御を母にした第四親王がまだ童形(どうぎょう)で秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物(みもの)だった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味を()かなかった。ないほうがよかったかもしれない。
1.3.7
その()源氏中将(げんじのちゅうじゃう)正三位(じゃうざんゐ)したまふ。
頭中将(とうのちうじゃう)正下(じゃうげ)加階(かかい)したまふ
上達部(かんだちめ)は、(みな)さるべき(かぎ)りよろこびしたまふも、この(きみ)にひかれたまへるなれば、(ひと)()をもおどろかし、(こころ)をもよろこばせたまふ、(むかし)()ゆかしげなり
その夜、源氏の中将、正三位になられる。
頭中将、正四位下に昇進なさる。
上達部は、皆しかるべき人々は相応の昇進をなさるのも、この君の昇進につれて恩恵を蒙りなさるので、人の目を驚かし、心をも喜ばせなさる、前世が知りたいほどである。
今夜源氏は従三位(じゅさんみ)から正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生(ぜんしょう)ですばらしい善業(ぜんごう)があったのであろう。

第四段 葵の上、源氏の態度を不快に思う

1.4.1 宮は、そのころご退出なさったので、例によって、お会いできる機会がないかと窺い回るのに夢中であったので、大殿では穏やかではいらっしゃれない。
その上、あの若草をお迎えになったのを、「二条院では女の人をお迎えになったそうだ」と、誰かが申し上げたので、まことに気に食わないとお思いになっていた。
それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。
1.4.2
うちうちのありさまは()りたまはず、さも(おぼ)さむはことわりなれど、(こころ)うつくしく、(れい)(ひと)のやうに(うら)みのたまはば、(われ)もうらなくうち(かた)りて、(なぐさ)めきこえてむものを、(おも)はずにのみとりないたまふ(こころ)づきなさに、さもあるまじきすさびごとも()()るぞかし
(ひと)(おほん)ありさまの、かたほに、そのことの()かぬとおぼゆる(きず)もなし。
(ひと)よりさきに()たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく(おも)ひきこゆる(こころ)をも、()りたまはぬほどこそあらめ、つひには(おぼ)(なほ)されなむ」と、おだしく軽々(かるがる)しからぬ御心(みこころ)のほども、おのづから」と、(たの)まるる(かた)はことなりけり。
「内々の様子はご存知なく、そのようにお思いになるのはごもっともであるが、素直で、普通の女性のように恨み言をおっしゃるのならば、自分も腹蔵なくお話して、お慰め申し上げようものを、心外なふうにばかりお取りになるのが不愉快なので、起こさなくともよい浮気沙汰まで起こるのだ。
相手のご様子は、不十分で、どこが不満だと思われる欠点もない。
誰よりも先に結婚した方なので、愛しく大切にお思い申している気持ちを、まだご存知ないのであろうが、いつかはお思い直されよう」と、「安心できる軽率でないご性質だから、いつかは」と、期待できる点では格別なのであった。
真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度(そんたく)をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気(うわき)な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。

第二章 紫の物語 源氏、紫の君に心慰める


第一段 紫の君、源氏を慕う

2.1.1
(をさな)(ひと)()ついたまふままに、いとよき(こころ)ざま、容貌(かたち)にて、何心(なにごころ)もなくむつれまとはしきこえたまふ。
しばし、殿(との)(うち)(ひと)にも()れと()らせじ」と(おぼ)して、なほ(はな)れたる(たい)(おほん)しつらひ()なくして、(われ)()()()りおはして、よろづの(おほん)ことどもを(をし)へきこえたまひ手本書(てほんか)きて(なら)はせなどしつつ、ただほかなりける(おほん)むすめを(むか)へたまへらむやうにぞ(おぼ)したる。
幼い人は馴染まれるにつれて、とてもよい性質、容貌なので、無心に懐いてお側からお放し申されない。
「暫くの間は、邸内の者にも誰それと知らせまい」とお思いになって、今も離れた対の屋に、お部屋の設備をまたとなく立派にして、ご自分も明け暮れお入りになって、ありとあらゆるお稽古事をお教え申し上げなさる。お手本を書いてお習字などさせては、まるで他で育ったご自分の娘をお迎えになったようなお気持ちでいらっしゃった。
若紫は()れていくにしたがって、性質のよさも容貌(ようぼう)の美も源氏の心を多く()いた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人(なにびと)であるか知らすまいとして、今も初めの西の(たい)住居(すまい)にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王(にょおう)を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。
2.1.2
政所(まんどころ)家司(けいし)などをはじめ、ことに()かちて、(こころ)もとなからず(つか)うまつらせたまふ
惟光(これみつ)よりほかの(ひと)は、おぼつかなくのみ(おも)ひきこえたり。
かの父宮(ちちみや)も、()りきこえたまはざりけり。
政所、家司などをはじめとして、別に分けて、心配がないようにお仕えさせなさる。
惟光以外の人は、はっきり分からずばかり思い申し上げていた。
あの父宮も、ご存知ないのであった。
事務の扱い所を作り、家司(けいし)も別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光(これみつ)以外の者は西の対の主の何人(なにびと)であるかをいぶかしく思っていた。
2.1.3
姫君(ひめぎみ)は、なほ時々思(ときどきおも)()できこえたまふ(とき)尼君(あまぎみ)()ひきこえたまふ折多(をりおほ)かり。
(きみ)のおはするほどは、(まぎ)らはしたまふを、(よる)などは、時々(ときどき)こそ()まりたまへ、ここかしこの(おほん)いとまなくて、()るれば()でたまふを、(した)ひきこえたまふ(をり)などあるを、いとらうたく(おも)ひきこえたまへり
姫君は、やはり時々お思い出しなさる時は、尼君をお慕い申し上げなさる時々が多い。
君がおいでになる時は、気が紛れていらっしゃるが、夜などは、時々はお泊まりになるが、あちらこちらの方々にお忙しくて、暮れるとお出かけになるのを、お後を慕いなさる時などがあるのを、とてもかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。
女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。
2.1.4
()三日内裏(さんにちうち)にさぶらひ、大殿(おほとの)にもおはする(をり)は、いといたく()しなどしたまへば、心苦(こころぐる)しうて(はは)なき子持(こも)たらむ心地(ここち)して、(あり)きも静心(しづごころ)なくおぼえたまふ。
僧都(そうづ)は、かくなむ、()きたまひて、あやしきものから、うれしとなむ(おも)ほしける。
かの御法事(おほんほふじ)などしたまふにもいかめしうとぶらひきこえたまへり。
二、三日宮中に伺候し、大殿にもいらっしゃる時は、とてもひどく塞ぎ込んだりなさるので、気の毒で、母親のいない子を持ったような心地がして、外出も落ち着いてできなくお思いになる。
僧都は、これこれと、お聞きになって、不思議な気がする一方で、嬉しいことだとお思いであった。
あの尼君の法事などをなさる時にも、立派なお供物をお届けなさった。
二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都(そうず)はこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施(ふせ)を贈った。

第二段 藤壺の三条宮邸に見舞う

2.2.1
藤壺(ふぢつぼ)のまかでたまへる三条(さんでう)(みや)(おほん)ありさまもゆかしうて、(まゐ)りたまへれば、命婦(みゃうぶ)中納言(ちゅうなごん)(きみ)中務(なかつかさ)などやうの(ひと)びと対面(たいめ)したり。
けざやかにももてなしたまふかな」と、やすからず(おも)へど、しづめて、大方(おほかた)御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふほどに、兵部卿宮参(ひゃうぶきゃうのみやまゐ)りたまへり。
藤壷が退出していらっしゃる三条の宮に、ご様子も知りたくて、参上なさると、命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た。
「他人行儀なお扱いであるな」と、おもしろくなく思うが、落ち着けて、世間一般のお話を申し上げなさっているところに、兵部卿宮が参上なさった。
藤壺(ふじつぼ)の宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦(おうみょうぶ)、中納言の君、中務(なかつかさ)などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿(ひょうぶきょう)の宮がおいでになった。
2.2.2
この(きみ)おはすと()きたまひて、対面(たいめ)したまへり。
いとよしあるさまして、(いろ)めかしうなよびたまへるを(をんな)にて()むはをかしかりぬべく」、人知(ひとし)れず()たてまつりたまふにも、かたがたむつましくおぼえたまひて、こまやかに御物語(おほんものがたり)など()こえたまふ。
(みや)も、この(おほんあり)さまの(つね)よりことになつかしううちとけたまへるを、いとめでたし」と()たてまつりたまひて、婿(むこ)になどは(おぼ)()らで(をんな)にて()ばや」と、(いろ)めきたる御心(みこころ)には(おも)ほす。
この君がいらっしゃるとお聞きになって、お会いなさった。
とても風情あるご様子をして、色っぽくなよなよとしていらっしゃるのを、「女性として見るにはきっと素晴らしいに違いなかろう」と、こっそりと拝見なさるにつけても、あれこれと睦まじくお思いになられて、懇ろにお話など申し上げなさる。
宮も、君のご様子がいつもより格別に親しみやすく打ち解けていらっしゃるのを、「じつに素晴らしい」と拝見なさって、婿でいらっしゃるなどとはお思いよりにもならず、「女としてお会いしたいものだ」と、色っぽいお気持ちにお考えになる。
源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして(えん)な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐(かれん)な若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美しい源氏を、婿であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。
2.2.3
()れぬれば、御簾(みす)(うち)()りたまふをうらやましく、(むかし)は、主上(うへ)(おほん)もてなしにいとけ(ぢか)く、(ひと)づてならで、ものをも()こえたまひしを、こよなう(うと)みたまへるも、つらうおぼゆるぞわりなきや
日が暮れたので、御簾の内側にお入りになるのを、羨ましく、昔はお上の御待遇で、とても近くで直接にお話申し上げになさったのに、すっかり疎んじていらっしゃるのも、辛く思われるとは、理不尽なことであるよ。
夜になると兵部卿の宮は女御の宮のお座敷のほうへはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾(みす)の中へ自分をお入れになり、今日のように取り次ぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話が伺えたものであると思うと、今の宮が恨めしかった。
2.2.4
しばしばもさぶらふべけれど、(こと)ぞとはべらぬほどは、おのづからおこたりはべるを、さるべきことなどは、(おほ)(ごと)もはべらむこそ、うれしく」
「しばしばお伺いすべきですが、特別の事でもない限りは、参上するのも自然滞りがちになりますが、しかるべき御用などは、お申し付けございましたら、嬉しく」
「たびたび伺うはずですが、参っても御用がないと自然(なま)けることになります。命じてくださることがありましたら、御遠慮なく言っておつかわしくださいましたら満足です」
2.2.5
など、すくすくしうて()でたまひぬ。
命婦(みゃうぶ)も、たばかりきこえむかたなく、(みや)()けしきも、ありしよりは、いとど()きふしに(おぼ)しおきて、(こころ)とけぬ()けしきも()づかしくいとほしければ(なに)のしるしもなくて、()ぎゆく。
はかなの(ちぎ)りや」と(おぼ)(みだ)るること、かたみに()きせず。
などと、堅苦しい挨拶をしてお出になった。
命婦も、手引き申し上げる手段もなく、宮のご様子も以前よりは、いっそう辛いことにお思いになっていて、お打ち解けにならないご様子も、恥ずかしくおいたわしくもあるので、何の効もなく、月日が過ぎて行く。
「何とはかない御縁か」と、お悩みになること、お互いに嘆ききれない。
などと堅い挨拶(あいさつ)をして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気持ちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠(かんせい)であるものはこの恋である、源氏を忘れないことは自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになる御様子であったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。

第三段 故祖母君の服喪明ける

2.3.1
少納言(せうなごん)おぼえずをかしき()()るかな
これも、故尼上(こあまうへ)の、この(おほん)ことを(おぼ)して、御行(おほんおこな)ひにも(いの)りきこえたまひし(ほとけ)(おほん)しるしにや」とおぼゆ。
大殿(おほいどの)いとやむごとなくておはします
ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことに大人(おとな)びたまはむほどは、むつかしきこともや」とおぼえける。
されど、かくとりわきたまへる(おほん)おぼえのほどは、いと(たの)もしげなりかし。
少納言は、「思いがけず嬉しい運が回って来たこと。
これも、故尼上が、姫君様をご心配なさって、御勤行にもお祈り申し上げなさった仏の御利益であろうか」と思われる。
「大殿は、本妻として歴としていらっしゃる。
あちらこちら大勢お通いになっているのを、本当に成人されてからは、厄介なことも起きようか」と案じられるのだった。
しかし、このように特別になさっていらっしゃるご寵愛のうちは、とても心強い限りである。
少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命に現われてきたことを、死んだ尼君が絶え間ない祈願に愛孫のことを言って仏にすがったその効験(ききめ)であろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人を持つ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになって面倒(めんどう)が多くなり、姫君に苦労が始まるのではないかと恐れていた。しかしこれには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから将来もたのもしいわけであると見えた。
2.3.2
御服(おほんぶく)母方(ははがた)三月(みつき)こそはとて、晦日(つごもり)には()がせたてまつりたまふをまた(おや)もなくて()()でたまひしかば、まばゆき(いろ)にはあらで、(くれなゐ)(むらさき)山吹(やまぶき)()(かぎ)()れる御小袿(おほんこうちき)などを()たまへるさま、いみじう(いま)めかしくをかしげなり。
ご服喪は、母方の場合は三箇月であると、晦日には忌明け申し上げさせなさるが、他に親もなくてご成長なさったので、派手な色合いではなく、紅、紫、山吹の地だけで織った御小袿などを召していらっしゃる様子、たいそう当世風でかわいらしげである。
母方の祖母の喪は三か月であったから、師走(しわす)の三十日に喪服を替えさせた。母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手(はで)にはせず濃くはない紅の色、紫、山吹(やまぶき)の落ち着いた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿(こうちぎ)を着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。

第四段 新年を迎える

2.4.1
男君(をとこぎみ)は、朝拝(てうはい)(まゐ)りたまふとて、さしのぞきたまへり。
男君は、朝拝に参内なさろうとして、お立ち寄りになった。
源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
2.4.2
今日(けふ)よりは大人(おとな)しくなりたまへりや」
「今日からは大人らしくなられましたか」
「今日からは、もう大人になりましたか」
2.4.3
とて、うち()みたまへる、いとめでたう愛敬(あいぎゃう)づきたまへり。
いつしか、(ひひな)をし()ゑて、そそきゐたまへる。
三尺(さんじゃく)御厨子一具(みづしひとよろひ)に、品々(しなじな)しつらひ()ゑて、また(ちひ)さき()ども(つく)(あつ)めて、たてまつりたまへるをところせきまで(あそ)びひろげたまへり。
と言って微笑んでいらっしゃる、とても素晴らしく魅力的である。
早くも、お人形を並べ立てて、忙しくしていらっしゃる。
三尺の御厨子一具と、お道具を色々と並べて、他に小さい御殿をたくさん作って、差し上げなさっていたのを、辺りいっぱいに広げて遊んでいらっしゃる。
笑顔(えがお)をして源氏は言った。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもう(ひな)を出して遊びに夢中であった。三尺の据棚(すえだな)二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
2.4.4
()やらふとて、犬君(いぬき)これをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」
「追儺をやろうといって、犬君がこれを壊してしまったので、直しておりますの」
儺追(なやら)いをするといって犬君(いぬき)がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
2.4.5
とて、いと大事(だいじ)(おぼ)いたり。
と言って、とても大事件だとお思いである。
と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
2.4.6
げに、いと(こころ)なき(ひと)しわざにもはべるなるかな。
(いま)つくろはせはべらむ。
今日(けふ)言忌(こといみ)して、()いたまひそ」
「なるほど、とてもそそっかしい人のやったことらしいですね。
直ぐに直させましょう。
今日は涙を慎んで、お泣きなさるな」
「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
2.4.7
とて、()でたまふけしき、ところせきを、(ひと)びと(はし)()でて()たてまつれば、姫君(ひめぎみ)()()でて()たてまつりたまひて(ひひな)のなかの源氏(げんじ)(きみ)つくろひ()てて、内裏(うち)(まゐ)らせなどしたまふ。
と言って、お出かけになる様子、辺り狭しのご立派さを、女房たちは端に出てお見送り申し上げるので、姫君も立って行ってお見送り申し上げなさって、お人形の中の源氏の君を着飾らせて、内裏に参内させる真似などなさる。
言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似(まね)の参内をさせたりしているのであった。
2.4.8
今年(ことし)だにすこし大人(おとな)びさせたまへ。
(とを)にあまりぬる(ひと)は、雛遊(ひひなあそ)びは()みはべるものを。
かく御夫(おほんをとこ)などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、()えたてまつらせたまはめ。
御髪参(みぐしまゐ)るほどをだに、もの()くせさせたまふ」
「せめて今年からはもう少し大人らしくなさいませ。
十歳を過ぎた人は、お人形遊びはいけないものでございますのに。
このようにお婿様をお持ち申されたからには、奥方様らしくおしとやかにお振る舞いになって、お相手申し上げあそばしませ。
お髪をお直しする間さえ、お嫌がりあそばして」
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳(とお)より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人(おっと)がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお()きするのもおうるさがりになるようなことではね」
2.4.9
など、少納言聞(せうなごんき)こゆ。
御遊(おほんあそ)びにのみ心入(こころい)れたまへれば、()づかしと(おも)はせたてまつらむとて()へば、(こころ)のうちに、(われ)は、さは(をとこ)まうけてけり。
この(ひと)びとの(をとこ)とてあるは、(みにく)くこそあれ。
(われ)はかくをかしげに(わか)(ひと)をも()たりけるかな」と、(いま)(おも)ほし()りける。
さはいへど、御年(おほんとし)数添(かずそ)ふしるしなめりかし
かく(をさな)(おほん)けはひの、ことに()れてしるければ、殿(との)のうちの(ひと)びとも、あやしと(おも)ひけれど、いとかう()づかぬ御添臥(おほんそひぶし)ならむとは(おも)はざりけり。
などと少納言も、
お諌め申し上げる。お人形遊びにばかり夢中になっていらっしゃるので、これではいけないと思わせ申そうと思って言うと、心の中で、「わたしは、それでは、夫
君を持ったのだわ。この女房たちの夫君というのは、何と醜い人
たちなのであろう。わたしは、こんなにも魅力的で若い男性を持ったのだわ」と、今になってお分かり
になるのであった。何と言っても、お年を一つ取った
証拠なのであろう。このように幼稚なご様子が、何かにつけてはっきり分かるので、殿の内の女房たちも変だと思ったが、とてもこのように夫婦らしくないお添い寝相手だろうとは思わ
などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾(みす)の外まで来る家司(けいし)や侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。

第三章 藤壺の物語(二) 二月に男皇子を出産


第一段 左大臣邸に赴く

3.1.1
内裏(うち)より大殿(おほいどの)にまかでたまへれば(れい)のうるはしうよそほしき(おほん)さまにて、(こころ)うつくしき()けしきもなく、(くる)しければ、
宮中から大殿にご退出なさると、いつものように端然と威儀を正したご態度で、やさしいそぶりもなく窮屈なので、
源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。例のように夫人からは高いところから多情男を見くだしているというようなよそよそしい態度をとられるのが苦しくて、源氏は、
3.1.2
今年(ことし)よりだにすこし()づきて(あらた)めたまふ御心見(みこころみ)えば、いかにうれしからむ」
「せめて今年からでも、もう少し夫婦らしく態度をお改めになるお気持ちが窺えたら、どんなにか嬉しいことでしょう」
「せめて今年からでもあなたが暖かい心で私を見てくれるようになったらうれしいと思うのだが」
3.1.3
など()こえたまへど、わざと人据(ひとす)ゑて、かしづきたまふ」と()きたまひしよりは、やむごとなく(おぼ)(さだ)めたることにこそは」と、(こころ)のみ()かれて、いとど(うと)()づかしく(おぼ)さるべし
しひて見知(みし)らぬやうにもてなして(みだ)れたる(おほん)けはひには、えしも心強(こころづよ)からず、(おほん)いらへなどうち()こえたまへるはなほ(ひと)よりはいとことなり。
などとお申し上げなさるが、「わざわざ女の人を置いて、かわいがっていらっしゃる」と、お聞きになってからは、「重要な夫人とお考えになってのことであろう」と、隔て心ばかりが自然と生じて、ますます疎ましく気づまりにお感じになられるのであろう。
つとめて見知らないように振る舞って、冗談をおっしゃっるご様子には、強情もを張り通すこともできず、お返事などちょっと申し上げなさるところは、やはり他の女性とはとても違うのである。
と言ったが、夫人は、二条の院へある女性が迎えられたということを聞いてからは、本邸へ置くほどの人は源氏の最も愛する人で、やがては正夫人として公表するだけの用意がある人であろうとねたんでいた。自尊心の傷つけられていることはもとよりである。しかも何も気づかないふうで、戯談(じょうだん)を言いかけて行きなどする源氏に負けて、余儀なく返辞をする様子などに魅力がなくはなかった。
3.1.4
四年(よとせ)ばかりがこのかみにおはすればうち()ぐし、()づかしげに、(さか)りにととのほりて()えたまふ。
(なに)ごとかはこの(ひと)()かぬところはものしたまふ。
()(こころ)のあまりけしからぬすさびに、かく(うら)みられたてまつるぞかし」と、(おぼ)()らる。
(おな)大臣(おとど)()こゆるなかにもおぼえやむごとなくおはするが、宮腹(みやばら)一人(ひとり)いつきかしづきたまふ御心(みこころ)おごり、いとこよなくて、「すこしもおろかなるをば、めざまし」と(おも)ひきこえたまへるを、男君(をとこぎみ)は、などかいとさしも」と、ならはいたまふ、御心(みこころ)(へだ)てどもなるべし
四歳ほど年上でいらっしゃるので、姉様で、気後れがし、女盛りで非の打ちどころがなくお見えになる。
「どこにこの人の足りないところがおありだろうか。
自分のあまり良くない浮気心からこのようにお恨まれ申すのだ」と、お考えにならずにはいられない。
同じ大臣と申し上げる中でも、御信望この上なくいらっしゃる方が、宮との間にお一人儲けて大切にお育てなさった気位の高さは、とても大変なもので、「少しでも疎略にするのは、失敬である」とお思い申し上げていらっしゃるのを、男君は、「どうしてそんなにまでも」と、お躾なさる、お二人の心の隔てがあるの生じさせたのであろう。
四歳(よっつ)ほどの年上であることを夫人自身でもきまずく恥ずかしく思っているが、美の整った女盛りの貴女(きじょ)であることは源氏も認めているのである。どこに欠点もない妻を持っていて、ただ自分の多情からこの人に(うら)みを負うような愚か者になっているのだとこんなふうにも源氏は思った。同じ大臣でも特に大きな権力者である現代の左大臣が父で、内親王である夫人から生まれた唯一の娘であるから、思い上がった性質にでき上がっていて、少しでも敬意の足りない取り扱いを受けては、許すことができない。(みかど)の愛子として育った源氏の自負はそれを無視してよいと教えた。こんなことが夫妻の(みぞ)を作っているものらしい。
3.1.5
大臣(おとど)も、かく(たの)もしげなき御心(みこころ)を、つらしと(おも)ひきこえたまひながら、()たてまつりたまふ(とき)は、(うら)みも(わす)れて、かしづきいとなみきこえたまふ。
つとめて、()でたまふところにさしのぞきたまひて、御装束(おほんさうぞく)したまふに、名高(なだか)御帯(おほんおび)御手(おほんて)づから()たせてわたりたまひて、御衣(おほんぞ)のうしろひきつくろひなど、御沓(おほんくつ)()らぬばかりにしたまふ、いとあはれなり
大臣も、このように頼りないお気持ちを、辛いとお思い申し上げになりながらも、お目にかかりなさる時には、恨み事も忘れて、大切にお世話申し上げなさる。
翌朝、お帰りになるところにお顔をお見せになって、お召し替えになる時、高名の御帯、お手ずからお持ちになってお越しになって、お召物の後ろを引き結び直しなどや、お沓までも手に取りかねないほど世話なさる、大変なお気の配りようである。
左大臣も二条の院の新夫人の件などがあって、頼もしくない婿君の心をうらめしがりもしていたが、逢えば恨みも何も忘れて源氏を愛した。今もあらゆる歓待を尽くすのである。翌朝源氏が出て行こうとする時に、大臣は装束を着けている源氏に、有名な宝物になっている石の帯を自身で持って来て贈った。正装した源氏の(すがた)を見て、後ろのほうを手で引いて直したりなど大臣はしていた。(くつ)も手で取らないばかりである。娘を思う親心が源氏の心を打った。
3.1.6
これは、内宴(ないえん)などいふこともはべるなるを、さやうの(をり)にこそ」
「これは、内宴などということもございますそうですから、そのような折にでも」
「こんないいのは、宮中の詩会があるでしょうから、その時に使いましょう」
3.1.7
など()こえたまへば
などとお申し上げなさると、
と贈り物の帯について言うと、
3.1.8
それは、まされるもはべり
これはただ目馴(めな)れぬさまなればなむ」
「その時には、
もっと良いものがございます。これはちょっと目新しい感じ
「それにはまたもっといいのがございます。これはただちょっと珍しいだけの物です」
3.1.9
とて、しひてささせたてまつりたまふ。
げに、よろづにかしづき()てて()たてまつりたまふに、()けるかひあり、たまさかにてもかからむ(ひと)()だし()れて()むに、ますことあらじ」と()えたまふ
と言って、無理にお締め申し上げなさる。
なるほど、万事にお世話して拝見なさると、生き甲斐が感じられ、「たまさかであっても、このような方をお出入りさせてお世話するのに、これ以上の喜びはあるまい」とお見えである。
と言って、大臣はしいてそれを使わせた。この婿君を(かしず)くことに大臣は生きがいを感じていた。たまさかにもせよ婿としてこの人を出入りさせていれば幸福感は十分大臣にあるであろうと見えた。

第二段 二月十余日、藤壺に皇子誕生

3.2.1
参座(さんざ)しにとてもあまた(ところ)(あり)きたまはず、内裏(うち)春宮(とうぐう)一院(いちのゐん)ばかりさては、藤壺(ふぢつぼ)三条(さんでう)(みや)にぞ(まゐ)りたまへる。
参賀のご挨拶といっても、多くの所にはお出かけにならず、内裏、春宮、一院だけ、その他では、藤壷の三条の宮にお伺いなさる。
源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。
3.2.2 「今日はまた格別にお見えでいらっしゃるわ」
「今日はまたことにおきれいに見えますね、
3.2.3
「ねびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ(おほん)ありさまかな」
「ご成長されるに従って、恐いまでにお美しくおなりでいらっしゃるご様子ですわ」
年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
3.2.4
と、(ひと)びとめできこゆるを、(みや)几帳(きちゃう)(ひま)より、ほの()たまふにつけても(おも)ほすことしげかりけり。
と、女房たちがお褒め申し上げているのを、宮、几帳の隙間からわずかにお姿を御覧になるにつけても、物思いなさることが多いのであった。
女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳(きちょう)の間から源氏の顔をほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。
3.2.5
この(おほん)ことの、師走(しはす)()ぎにしが(こころ)もとなきに、この(つき)はさりともと宮人(みやびと)()ちきこえ、内裏(うち)にも、さる御心(みこころ)まうけどもありつれなくて()ちぬ
(おほん)もののけにや」と、世人(よひと)()こえ(さわ)ぐを、(みや)いとわびしう、このことにより、()のいたづらになりぬべきこと」と(おぼ)(なげ)くに、御心地(みここち)もいと(くる)しくて(なや)みたまふ。
御出産の予定の、十二月も過ぎてしまったのが、気がかりで、今月はいくら何でもと、宮家の人々もお待ち申し上げ、主上におかれても、そのお心づもりでいるのに、何事もなく過ぎてしまった。
「御物の怪のせいであろうか」と、世間の人々もお噂申し上げるのを、宮、とても身にこたえてつらく、「このお産のために、命を落とすことになってしまいそうだ」と、お嘆きになると、ご気分もとても苦しくてお悩みになる。
御出産のあるべきはずの十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、(みかど)もすでに、皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて一月もたった。物怪(もののけ)が御出産を遅れさせているのであろうかとも世間で(うわさ)をする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を負う人になるのかと、こんな煩悶(はんもん)をされることが自然おからだにさわってお加減も悪いのであった。
3.2.6
中将君(ちゅうじゃうのきみ)いとど(おも)ひあはせて、御修法(みすほふ)など、さとはなくて所々(ところどころ)にせさせたまふ。
()(なか)(さだ)めなきにつけても、かくはかなくてや()みなむ」と、()(あつ)めて(なげ)きたまふに二月十余日(にがつじふよにち)のほどに、男御子生(をとこみこむ)まれたまひぬれば名残(なごり)なく、内裏(うち)にも宮人(みやびと)(よろこ)びきこえたまふ。
中将の君は、ますます思い当たって、御修法などを、はっきりと事情は知らせずに方々の寺々におさせになる。
「世の無常につけても、このままはかなく終わってしまうのだろうか」と、あれやこれやとお嘆きになっていると、二月十日過ぎのころに、男御子がお生まれになったので、すっかり心配も消えて、宮中でも宮家の人々もお喜び申し上げなさる。
それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことがあって、目だたぬように産婦の宮のために修法(しゅほう)などをあちこちの寺でさせていた。この間に御病気で宮が()くなっておしまいにならぬかという不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも愁眉(しゅうび)を開いた。
3.2.7
命長(いのちなが)くも」と(おも)ほすは心憂(こころう)けれど弘徽殿(こうきでん)などの、うけはしげにのたまふ」と()きしを、むなしく()きなしたまはましかば、人笑(ひとわら)はれにや」と(おぼ)(つよ)りてなむ、やうやうすこしづつさはやいたまひける。
「長生きを」とお思いなさるのは、つらいことだが、「弘徽殿などが、呪わしそうにおっしゃっている」と聞いたので、「死んだとお聞きになったならば、物笑いの種になろう」と、お気を強くお持ちになって、だんだん少しずつ気分が快方に向かっていかれたのであった。
なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、弘徽殿(こきでん)あたりで言う(のろ)いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、御衰弱も少しずつ恢復(かいふく)していった。
3.2.8
主上(うへ)の、いつしかとゆかしげに(おぼ)()したること、(かぎ)りなし。
かの、人知(ひとし)れぬ御心(みこころ)にも、いみじう(こころ)もとなくて(ひと)まに(まゐ)りたまひて
お上が、早く御子を御覧になりたいとおぼし召されること、この上ない。
あの、密かなお気持ちとしても、ひどく気がかりで、人のいない時に参上なさって、
帝は新皇子を非常に御覧になりたがっておいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は伺候者の少ない(すき)をうかがって行った。
3.2.9 「お上が御覧になりたくあそばしてますので、まず拝見して詳しく奏上しましょう」
「陛下が若宮にどんなにお逢いになりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」
3.2.10
()こえたまへど、
と申し上げなさるが、
と源氏は申し込んだのであるが、
3.2.11 「まだ見苦しい程ですので」
「まだお生まれたての方というものは醜うございますからお見せしたくございません」
3.2.12
とて、()せたてまつりたまはぬも、ことわりなり
さるは、いとあさましう、めづらかなるまで(うつ)()りたまへるさま、(たが)べくもあらず。
(みや)の、御心(みこころ)(おに)にいと(くる)しく(ひと)()たてまつるもあやしかりつるほどのあやまりを、まさに(ひと)(おも)ひとがめじや
さらぬはかなきことをだに、(きず)(もと)むる()いかなる()のつひに()()づべきにか」と(おぼ)しつづくるに、()のみぞいと心憂(こころう)き。
と言って、お見せ申し上げなさらないのも、ごもっともである。
実のところ、とても驚くほど珍しいまでに生き写しでいらっしゃる顔形、紛うはずもない。
宮が、良心の呵責にとても苦しく、「女房たちが拝見しても、不審に思われた月勘定の狂いを、どうして変だと思い当たらないだろうか。
それほどでないつまらないことでさえも、欠点を探し出そうとする世の中で、どのような噂がしまいには世に漏れようか」と思い続けなさると、わが身だけがとても情けない。
という母宮の御挨拶で、お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかとお思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。
3.2.13
命婦(みゃうぶ)(きみ)に、たまさかに()ひたまひていみじき(こと)どもを()くしたまへど、(なに)のかひあるべきにもあらず。
若宮(わかみや)(おほん)ことを、わりなくおぼつかながりきこえたまへば
命婦の君に、まれにお会いになって、切ない言葉を尽くしてお頼みなさるが、何の効果があるはずもない。
若宮のお身の上を無性に御覧になりたくお訴え申し上げなさるので、
源氏は(まれ)に都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。新皇子拝見を望むことに対しては、
3.2.14
など、かうしもあながちにのたまはすらむ。
(いま)おのづから()たてまつらせたまひてむ」
「どうして、こうまでもご無理を仰せあそばすのでしょう。
そのうち、自然に御覧あそばされましょう」
「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
3.2.15
()こえながら、(おも)へるけしき、かたみにただならず。
かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、
と申し上げながら、悩んでいる様子、お互いに一通りでない。
気が引ける事柄なので、正面切っておっしゃれず、
と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
3.2.16 「いったいいつになったら、直接に、お話し申し上げることができるのだろう」
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」
3.2.17
とて、()いたまふさまぞ、心苦(こころぐる)しき。
と言ってお泣きになる姿、お気の毒である。
と言って泣く源氏が王命婦の目には気の毒でならない。
3.2.18 「どのように前世で約束を交わした縁で
この世にこのような二人の仲に隔てがあるのだろうか
「いかさまに昔結べる契りにて
この世にかかる中の隔てぞ
3.2.19 このような隔ては納得がいかない」
わからない、わからない」
3.2.20
とのたまふ。
とおっしゃる。
とも源氏は言うのである。
3.2.21
命婦(みゃうぶ)も、(みや)(おも)ほしたるさまなど()たてまつるに、えはしたなうもさし(はな)ちきこえず
命婦も、宮のお悩みでいらっしゃる様子などを拝見しているので、そっけなく突き放してお扱い申し上げることもできない。
命婦は宮の御煩悶(はんもん)をよく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介(なかだち)をした者の義務だと思った。
3.2.22 「御覧になっている方も物思をされています。御覧にならないあなたはまたどんなにお嘆きのことでしょう
これが世の人が言う親心の闇でしょうか
「見ても思ふ見ぬはたいかに(なげ)くらん
こや世の人の惑ふてふ(やみ)
3.2.23 おいたわしい、お心の休まらないお二方ですこと」
どちらも同じほどお気の毒だと思います」
3.2.24
と、(しの)びて()こえけり。
と、こっそりとお返事申し上げたのであった。
と命婦は言った。
3.2.25
かくのみ()ひやる(かた)なくて、(かへ)りたまふものから、(ひと)のもの()ひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせ(おぼ)して命婦(みゃうぶ)をも、(むかし)おぼいたりしやうにも、うちとけむつびたまはず。
人目立(ひとめた)つまじくなだらかにもてなしたまふものから、(こころ)づきなしと(おぼ)(とき)もあるべきを、いとわびしく(おも)ひのほかなる心地(ここち)すべし。
このように何とも申し上げるすべもなくて、お帰りになるものの、世間の人々の噂も煩わしいので、無理無体なことにおっしゃりもし、お考えにもなって、命婦をも、以前信頼していたように気を許してお近づけなさらない。
人目に立たないように、穏やかにお接しになる一方で、気に食わないとお思いになる時もあるはずなのを、とても身にこたえて思ってもみなかった心地がするようである。
取りつき所もないように源氏が悲しんで帰って行くことも、度が重なれば(やしき)の者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほどお愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであると(なげ)かれたであろうと思われる。

第三段 藤壺、皇子を伴って四月に宮中に戻る

3.3.1
四月(うづき)内裏(うち)(まゐ)りたまふ
ほどよりは(おほ)きにおよすけたまひて、やうやう()(かへ)りなどしたまふ。
あさましきまで、まぎれどころなき御顔(おほんかほ)つきを、(おぼ)()らぬことにしあれば、またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそは」と、(おも)ほしけり。
いみじう(おも)ほしかしづくこと、(かぎ)りなし。
源氏(げんじ)(きみ)を、(かぎ)りなきものに(おぼ)()しながら、()(ひと)のゆるしきこゆまじかりしによりて、(ばう)にも()ゑたてまつらずなりにしを、()かず口惜(くちを)しう、ただ(うど)にてかたじけなき(おほん)ありさま、容貌(かたち)に、ねびもておはするを御覧(ごらん)ずるままに、心苦(こころぐる)しく(おぼ)()すを、「かうやむごとなき御腹(おほんはら)に、(おな)(ひかり)にてさし()でたまへれば、(きず)なき(たま)」と(おぼ)しかしづくに、(みや)はいかなるにつけても、(むね)のひまなく、やすからずものを(おも)ほす。
四月に参内なさる。
日数の割には大きく成長なさっていて、だんだん寝返りなどをお打ちになる。
驚きあきれるくらい、間違いようもないお顔つきを、ご存知ないことなので、「他に類のない美しい人どうしというのは、なるほど似通っていらっしゃるものだ」と、お思いあそばすのであった。
たいそう大切にお慈しみになること、この上もない。
源氏の君を、限りなくかわいい人と愛していらっしゃりながら、世間の人々のがご賛成申し上げそうになかったことによって、坊にもお据え申し上げられずに終わったことを、どこまでも残念に、臣下としてもったいないご様子、容貌で、ご成人していらっしゃるのを御覧になるにつけ、おいたわしくおぼし召されるので、「このように高貴な人から、同様に光り輝いてお生まれになったので、疵のない玉だ」と、お思いあそばして大切になさるので、宮は何につけても、胸の痛みの消える間もなく、不安な思いをしていらっしゃる。
四月に若宮は母宮につれられて宮中へおはいりになった。普通の乳児(ちのみご)よりはずっと大きく小児(こども)らしくなっておいでになって、このごろはもうからだを起き返らせるようにもされるのであった。紛らわしようもない若宮のお顔つきであったが、帝には思いも寄らぬことでおありになって、すぐれた子どうしは似たものであるらしいと思召(おぼしめ)した。帝は新皇子をこの上なく御大切にあそばされた。源氏の君を非常に愛しておいでになりながら、東宮にお立てになることは世上の批難を恐れて御実行ができなかったのを、帝は常に終生の遺憾事に思召して、長じてますます王者らしい風貌(ふうぼう)の備わっていくのを御覧になっては心苦しさに堪えないように思召したのであるが、こんな尊貴な女御から同じ美貌の皇子が新しくお生まれになったのであるから、これこそは(きず)なき玉であると御寵愛(ちょうあい)になる。女御の宮はそれをまた苦痛に思っておいでになった。
3.3.2
(れい)の、中将(ちうじゃう)(きみ)こなたにて御遊(おほんあそ)びなどしたまふに、(いだ)()でたてまつらせたまひて
いつものように、中将の君が、こちらで管弦のお遊びをなさっていると、お抱き申し上げあそばされて、
源氏の中将が音楽の遊びなどに参会している時などに帝は抱いておいでになって、
3.3.3
御子(みこ)たち、あまたあれどそこをのみなむかかるほどより()()()し。
されば、(おも)ひわたさるるにやあらむ。
いとよくこそおぼえたれ。
いと(ちひ)さきほどは、(みな)かくのみあるわざにやあらむ」
「御子たち、大勢いるが、そなただけを、このように小さい時から明け暮れ見てきた。
それゆえ、
思い出されるのだろうか
。とてもよく似て見える。とても幼いうちは皆このよう
「私は子供がたくさんあるが、おまえだけをこんなに小さい時から毎日見た。だから同じように思うのかよく似た気がする。小さい間は皆こんなものだろうか」
3.3.4
とて、いみじくうつくしと(おも)ひきこえさせたまへり
と言って、たいそうかわいらしいとお思い申し上げあそばされている。
とお言いになって、非常にかわいくお思いになる様子が拝された。
3.3.5
中将(ちゅうじゃう)(きみ)(おもて)色変(いろか)はる心地(ここち)して(おそ)ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがた(うつ)ろふ心地(ここち)して涙落(なみだお)ちぬべし
もの(がた)りなどしてうち()みたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わが()ながら、これに()たらむはいみじういたはしうおぼえたまふぞ、あながちなるや
(みや)は、わりなくかたはらいたきに、(あせ)(なが)れてぞおはしける。
中将(ちゅうじゃう)は、なかなかなる心地(ここち)(みだ)るやうなれば、まかでたまひぬ。
中将の君は、顔色が変っていく心地がして、恐ろしくも、かたじけなくも、嬉しくも、哀れにも、あちこちと揺れ動く思いで、涙が落ちてしまいそうである。
お声を上げたりして、にこにこしていらっしゃる様子が、とても恐いまでにかわいらしいので、自分ながら、この宮に似ているのは大変にもったいなくお思いになるとは、身贔屓に過ぎるというものであるよ。
宮は、どうにもいたたまれない心地がして、冷汗をお流しになっているのであった。
中将は、かえって複雑な思いが、乱れるようなので、退出なさった。
源氏は顔の色も変わる気がしておそろしくも、もったいなくも、うれしくも、身にしむようにもいろいろに思って涙がこぼれそうだった。ものを言うようなかっこうにお口をお動かしになるのが非常にお美しかったから、自分ながらもこの顔に似ているといわれる顔は尊重すべきであるとも思った。宮はあまりの片腹痛さに汗を流しておいでになった。源氏は若宮を見て、また予期しない父性愛の心を乱すもののあるのに気がついて退出してしまった。
3.3.6 ご自邸でお臥せりになって、「胸のどうにもならない悩みが収まってから、大殿へ出向こう」とお思いになる。
お庭先の前栽が、どことなく青々と見渡される中に、常夏の花がぱあっと色美しく咲き出しているのを、折らせなさって、命婦の君のもとに、お書きになること、多くあるようだ。
源氏は二条の院の東の(たい)に帰って、苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、目だつ色を作って咲いた撫子(なでしこ)を折って、それに添える手紙を長く王命婦(おうみょうぶ)へ書いた。
3.3.7 「思いよそえて見ているが、
気持ちは慰まず涙を催させる撫子
よそへつつ見るに心も慰まで
3.3.8
(はな)()かなむ、(おも)ひたまへしも、かひなき()にはべりければ」
花と咲いてほしい、と存じておりましたが、効ない二人の仲でしたので」
露けさまさる撫子の花
 花を子のように思って愛することはついに不可能であることを知りました。
3.3.9
とあり。
さりぬべき(ひま)にやありけむ御覧(ごらん)ぜさせて、
とある。
ちょうど人のいない時であったのであろうか、御覧に入れて、
とも書かれてあった。だれも来ぬ(すき)があったか命婦はそれを宮のお目にかけて、
3.3.10 「ほんの塵ほどでも、この花びらに」
「ほんの(ちり)ほどのこのお返事を書いてくださいませんか。この花片(はなびら)にお書きになるほど、少しばかり」
3.3.11
()こゆるを、わが御心(みこころ)にも、ものいとあはれに(おぼ)()らるるほどにて、
と申し上げるが、ご本人にも、もの悲しく思わずにはいらっしゃれない時なので、
と申し上げた。宮もしみじみお悲しい時であった。
3.3.12 「袖を濡らしている方の縁と思うにつけても
やはり疎ましくなってしまう大和撫子です」
(そで)()るる露のゆかりと思ふにも
ふにもなほうとまれぬやまと撫子
3.3.13
とばかり、ほのかに()きさしたるやうなるを、よろこびながらたてまつれる(れい)のことなれば、しるしあらじかし」と、くづほれて(なが)()したまへるに、(むね)うち(さわ)ぎて、いみじくうれしきにも涙落(なみだお)ちぬ。
とだけ、かすかに中途で書き止めたような歌を、喜びながら差し上げたが、「いつものことで、返事はあるまい」と、力なくぼんやりと臥せっていらっしゃったところに、胸をときめかして、たいそう嬉しいので、涙がこぼれた。
とだけ、ほのかに、書きつぶしのもののように書かれてある紙を、喜びながら命婦は源氏へ送った。例のように返事のないことを予期して、なおも悲しみくずおれている時に宮の御返事が届けられたのである。胸騒ぎがしてこの非常にうれしい時にも源氏の涙は落ちた。

第四段 源氏、紫の君に心を慰める

3.4.1 つくづくと物思いに沈んでいても、晴らしようのない気持ちがするので、いつものように、気晴らしには西の対にお渡りになる。
じっと物思いをしながら寝ていることは堪えがたい気がして、例の慰め場所西の対へ行って見た。
3.4.2
しどけなくうちふくだみたまへる(びん)ぐき、あざれたる袿姿(うちきすがた)にて(ふえ)をなつかしう()きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君(をんなぎみ)ありつる(はな)(つゆ)()れたる心地(ここち)して()()したまへるさま、うつくしうらうたげなり。
愛敬(あいぎゃう)こぼるるやうにておはしながらとくも(わた)りたまはぬ、なまうらめしかりければ、(れい)ならず、(そむ)きたまへるなるべし
(はし)(かた)についゐて、
取り繕わないで毛羽だっていらっしゃる鬢ぐき、うちとけた袿姿で、笛を慕わしく吹き鳴らしながら、お立ち寄りになると、女君、先程の花が露に濡れたような感じで、寄り臥していらっしゃる様子、かわいらしく可憐である。
愛嬌がこぼれるようで、おいでになりながら早くお渡り下さらないのが、何となく恨めしかったので、いつもと違って、すねていらっしゃるのであろう。
端の方に座って、
少し乱れた髪をそのままにして部屋着の袿姿(うちかけすがた)で笛を懐しい()に吹きながら座敷をのぞくと、紫の女王はさっきの撫子が露にぬれたような可憐(かれん)なふうで横になっていた。非常に美しい。こぼれるほどの愛嬌(あいきょう)のある顔が、帰邸した気配(けはい)がしてからすぐにも出て来なかった源氏を恨めしいと思うように向こうに向けられているのである。座敷の端のほうにすわって、
3.4.3
こちや
「こちらへ」
「こちらへいらっしゃい」
3.4.4
とのたまへど、おどろかず、
とおっしゃるが、素知らぬ顔で、
と言っても素知らぬ顔をしている。
3.4.5 「お目にかかることが少なくて」
「入りぬる(いそ)の草なれや」(みらく少なく恋ふらくの多き)
3.4.6
(くち)ずさみて(くち)おほひしたまへるさま、いみじうされてうつくし。
と口ずさんで、口を覆っていらっしゃる様子、たいそう色っぽくてかわいらしい。
と口ずさんで、(そで)を口もとにあてている様子にかわいい怜悧(りこう)さが見えるのである。
3.4.7
あな、(にく)
かかること口馴(くちな)れたまひにけりな。
みるめに()くはまさなきことぞよ」
「まあ、憎らしい。
このようなことをおっしゃるようになりましたね。
みるめに人を飽きるとは、良くないことですよ」
「つまらない歌を歌っているのですね。始終見ていなければならないと思うのはよくないことですよ」
3.4.8
とて、人召(ひとめ)して、御琴取(おほんことと)()せて()かせたてまつりたまふ。
と言って、人を召して、お琴取り寄せてお弾かせ申し上げなさる。
源氏は琴を女房に出させて紫の君に()かせようとした。
3.4.9
(さう)(こと)(なか)細緒(ほそを)()へがたきこそところせけれ」
「箏の琴は、中の細緒が切れやすいのが厄介だ」
「十三(げん)の琴は中央の(いと)の調子を高くするのはどうもしっくりとしないものだから」
3.4.10
とて、平調(ひゃうでう)におしくだして調(しら)べたまふ。
かき()はせばかり()きてさしやりたまへれば(ゑん)()てず、いとうつくしう()きたまふ。
と言って、平調に下げてお調べになる。
調子合わせの小曲だけ弾いて、押しやりなさると、いつまでもすねてもいられず、とてもかわいらしくお弾きになる。
と言って、()を平調に下げて()き合わせだけをして姫君に与えると、もうすねてもいず美しく弾き出した。
3.4.11
(ちひ)さき(おほん)ほどに、さしやりて、ゆしたまふ御手(おほんて)つきいとうつくしければ、らうたしと(おぼ)して、笛吹(ふえふ)()らしつつ(をし)へたまふ
いとさとくて、かたき調子(てうし)どもを、ただひとわたりに(なら)ひとりたまふ。
大方(おほかた)らうらうじうをかしき御心(みこころ)ばへを、(おも)ひしことかなふ」と(おぼ)す。
保曾呂惧世利(ほそろぐせり)」といふものは、()(にく)けれど、おもしろう()きすさびたまへるに、かき()はせ、まだ(わか)けれど、拍子(はうしたが)はず上手(じゃうず)めきたり。
お小さいからだで、左手をさしのべて、弦を揺らしなさる手つき、とてもかわいらしいので、愛しいとお思いになって、笛吹き鳴らしながらお教えになる。
とても賢くて難しい調子などを、たった一度で習得なさる。
何事につけても才長けたご性格を、「期待していた通りである」とお思いになる。
「保曽呂具世利」という曲目は、名前は嫌だが、素晴らしくお吹きになると、合奏させて、まだ未熟だが、拍子を間違えず上手のようである。
小さい人が左手を伸ばして(いと)をおさえる手つきを源氏はかわいく思って、自身は笛を吹きながら教えていた。頭がよくてむずかしい調子などもほんの一度くらいで習い取った。何ごとにも貴女(きじょ)らしい素質の見えるのに源氏は満足していた。保曾呂倶世利(ほそろぐせり)というのは変な名の曲であるが、それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、合わせる琴の弾き手は小さい人であったが音の間が違わずに弾けて、上手(じょうず)になる手筋と見えるのである。
3.4.12
大殿油参(おほとなぶらまゐ)りて、()どもなど御覧(ごらん)ずるに、()でたまふべし」とありつれば、(ひと)びと(こわ)づくりきこえて、
大殿油を燈して、絵などを御覧になっていると、「お出かけになる予定」とあったので、供人たちが咳払いし合図申して、
()(とも)させてから絵などをいっしょに見ていたが、さっき源氏はここへ来る前に出かける用意を命じてあったから、供をする侍たちが促すように御簾(みす)の外から、
3.4.13 「雨が降って来そうでございます」
「雨が降りそうでございます」
3.4.14
など()ふに、姫君(ひめぎみ)(れい)の、心細(こころぼそ)くて()したまへり。
()()さして、うつぶしておはすれば、いとらうたくて、御髪(みぐし)のいとめでたくこぼれかかりたるを、かき()でて、
などと言うので、姫君、いつものように心細くふさいでいらっしゃった。
絵を見ることも止めて、うつ伏していらっしゃるので、とても可憐で、お髪がとても見事にこぼれかかっているのを、かき撫でて、
などと言うのを聞くと、紫の君はいつものように心細くなってめいり込んでいった。絵も見さしてうつむいているのがかわいくて、こぼれかかっている美しい髪をなでてやりながら、
3.4.15 「出かけている間は寂しいですか」
「私がよそに行っている時、あなたは寂しいの」
3.4.16
とのたまへば、うなづきたまふ
とおっしゃると、こっくりなさる。
と言うと女王はうなずいた。
3.4.17
(われ)一日(ひとひ)()たてまつらぬはいと(くる)しうこそあれど(をさな)くおはするほどは、(こころ)やすく(おも)ひきこえて、まづ、くねくねしく(うら)むる(ひと)心破(こころやぶ)らじと(おも)ひて、むつかしければ、しばしかくもありくぞ。
おとなしく()なしては(ほか)へもさらに()くまじ。
(ひと)(うら)()はじなど(おも)ふも、()(なが)うありて、(おも)ふさまに()えたてまつらむと(おも)ふぞ」
「わたしも、一日もお目にかからないでいるのは、とてもつらいことですが、お小さくいらっしゃるうちは、気安くお思い申すので、まず、ひねくれて嫉妬する人の機嫌を損ねまいと思って、うっとうしいので、暫く間はこのように出かけるのですよ。
大人におなりになったら、他の所へは決して行きませんよ。
人の嫉妬を受けまいなどと思うのも、長生きをして、思いのままに一緒にお暮らし申したいと思うからですよ」
「私だって一日あなたを見ないでいるともう苦しくなる。けれどあなたは小さいから私は安心していてね、私が行かないといろいろな意地悪を言っておこる人がありますからね。今のうちはそのほうへ行きます。あなたが大人になれば決してもうよそへは行かない。人からうらまれたくないと思うのも、長く生きていて、あなたを幸福にしたいと思うからです」
3.4.18
など、こまごまと(かた)らひきこえたまへば、さすがに()づかしうて、ともかくもいらへきこえたまはず。
やがて御膝(おほんひざ)()りかかりて、寝入(ねい)りたまひぬれば、いと心苦(くる)しうて、
などと、こまごまとご機嫌をお取り申されると、そうは言うものの恥じらって、何ともお返事申し上げなされない。
そのままお膝に寄りかかって、眠っておしまになったので、とてもいじらしく思って、
などとこまごま話して聞かせると、さすがに恥じて返辞もしない。そのまま(ひざ)に寄りかかって寝入ってしまったのを見ると、源氏はかわいそうになって、
3.4.19 「今夜は出かけないことになった」
「もう今夜は出かけないことにする」
3.4.20
とのたまへば、皆立(みなた)ちて御膳(おもの)などこなたに(まゐ)らせたり。
姫君起(ひめぎみお)こしたてまつりたまひて、
とおっしゃると、皆立ち上がって、御膳などをこちらに運ばせた。
姫君を起こしてさし上げにさって、
と侍たちに言うと、その人らはあちらへ立って行って。間もなく源氏の夕飯が西の対へ運ばれた。源氏は女王を起こして、
3.4.21 「出かけないことになった」
「もう行かないことにしましたよ」
3.4.22
()こえたまへば、(なぐさ)みて()きたまへり。
もろともにものなど(まゐ)る。
いとはかなげにすさびて、
とお話し申し上げなさると、機嫌を直してお起きになった。
ご一緒にお食事を召し上がる。
ほんのちょっとお箸を付けになって、
と言うと慰んで起きた。そうしていっしょに食事をしたが、姫君はまだはかないようなふうでろくろく食べなかった。
3.4.23 「では、お寝みなさい」
「ではお(やす)みなさいな」
3.4.24
と、(あや)ふげに(おも)ひたまへれば、かかるを見捨(みす)てては、いみじき(みち)なりとも、おもむきがたくおぼえたまふ。
と不安げに思っていらっしゃるので、このような人を放ってはどんな道であっても出かけることはできない、と思われなさる。
出ないということは(うそ)でないかと(あぶ)ながってこんなことを言うのである。こんな可憐(かれん)な人を置いて行くことは、どんなに恋しい人の所があってもできないことであると源氏は思った。
3.4.25
かやうに、とどめられたまふ折々(をりをり)なども(おほ)かるを、おのづから()()(ひと)大殿(おほいどの)()こえければ
このように、引き止められなさる時々も多くあるのを、自然と漏れ聞く人が、大殿にも申し上げたので、
こんなふうに引き止められることも多いのを、侍などの中には左大臣家へ伝える者もあってあちらでは、
3.4.26
()れならむ
いとめざましきことにもあるかな」
「誰なのでしょう。
とても失礼なことではありませんか」
「どんな身分の人でしょう。失礼な方ですわね。
3.4.27
(いま)までその(ひと)とも()こえず、さやうにまつはしたはぶれなどすらむは、あてやかに(こころ)にくき(ひと)にはあらじ」
「今まで誰それとも知れず、そのようにくっついたまま遊んだりするような人は、上品な教養のある人ではありますまい」
二条の院へどこのお嬢さんがお(かたづ)きになったという話もないことだし、そんなふうにこちらへのお出かけを引き止めたり、またよくふざけたりしていらっしゃるというのでは、りっぱな御身分の人とは思えないじゃありませんか。
3.4.28
内裏(うち)わたりなどにて、はかなく()たまひけむ(ひと)を、ものめかしたまひて、(ひと)やとがめむと(かく)したまふななり
(こころ)なげにいはけて()こゆるは」
「宮中辺りで、ちょっと見初めたような女を、ご大層にお扱いになって、人目に立つかと隠していられるのでしょう。
分別のない幼稚な人だと聞きますから」
御所などで始まった関係の女房級の人を奥様らしく二条の院へお入れになって、それを批難さすまいとお思いになって、だれということを秘密にしていらっしゃるのですよ。幼稚な所作が多いのですって」
3.4.29
など、さぶらふ(ひと)びとも()こえあへり。
などと、お仕えする女房たちも噂し合っていた。
などと女房が言っていた。
3.4.30
内裏(うち)にも、かかる(ひと)ありと()こし()して、
お上におかれても、「このような女の人がいる」と、お耳に入れあそばして、
御所にまで二条の院の新婦の問題が聞こえていった。
3.4.31 「気の毒に、大臣がお嘆きということも、なるほど、まだ幼かったころを、一生懸命にこんなにお世話してきた気持ちを、それくらいのことをご分別できない年頃でもあるまいに。
どうして薄情な仕打ちをなさるのだろう」
「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。小さいおまえを婿にしてくれて、十二分に尽くした今日までの好意がわからない年でもないのに、なぜその娘を冷淡に扱うのだ」
3.4.32
と、のたまはすれど、かしこまりたるさまにて、(おほん)いらへも()こえたまはねば(こころ)ゆかぬなめり」と、いとほしく(おぼ)()す。
と、仰せられるが、恐縮した様子で、お返事も申し上げられないので、「お気に入らないようだ」と、かわいそうにお思いあそばす。
と陛下がおっしゃっても、源氏はただ恐縮したふうを見せているだけで、何とも御返答をしなかった。(みかど)は妻が気に入らないのであろうとかわいそうに思召(おぼしめ)した。
3.4.33
さるは、()()きしううち(みだ)れて、この()ゆる女房(にょうばう)にまれ、またこなたかなたの(ひと)びとなど、なべてならずなども()()こえざめるを、いかなるもののくまに(かく)れありきて、かく(ひと)にも(うら)みらるらむ」とのたまはす。
「その一方では、好色がましく振る舞って、ここに見える女房であれ、またここかしこの女房たちなどと、浅からぬ仲に見えたり噂も聞かないようだが、どのような人目につかない所にあちこち隠れ歩いて、このように人に怨まれることをしているのだろう」と仰せられる。
「格別おまえは放縦な男ではなし、女官や女御たちの女房を情人にしている(うわさ)などもないのに、どうしてそんな隠し事をして(しゅうと)や妻に恨まれる結果を作るのだろう」と仰せられた。

第四章 源典侍の物語 老女との好色事件


第一段 源典侍の風評

4.1.1
(みかど)御年(おほんとし)ねびさせたまひぬれどかうやうの(かた)()ぐさせたまはず、采女(うねべ)女蔵人(にょくらうど)などをも容貌(かたち)(こころ)あるをば、ことにもてはやし(おぼ)()したれば、よしある宮仕(みやづか)(びとおほ)かるころなり。
はかなきことをも()()れたまふには、もて(はな)るることもありがたきに、目馴(めな)るるにやあらむげにぞ、あやしう()いたまはざめる」と、(こころ)みに(たはぶ)(ごと)()こえかかりなどする(をり)あれど、(なさ)けなからぬほどにうちいらへてまことには(みだ)れたまはぬを、まめやかにさうざうし」と(おも)ひきこゆる(ひと)もあり。
帝のお年、かなりお召しあそばされたが、このような方面は、無関心ではいらっしゃれず、采女、女蔵人などの容貌や気立ての良い者を、格別にもてなしお目をかけあそばしていたので、教養のある宮仕え人の多いこの頃である。
ちょっとしたことでも、お話しかけになれば、知らない顔をする者はめったにいないので、見慣れてしまったのであろうか、「なるほど、不思議にも好色な振る舞いのないようだ」と、試しに冗談を申し上げたりなどする折もあるが、恥をかかせない程度に軽くあしらって、本気になってお取り乱しにならないのを、「真面目ぶってつまらない」と、お思い申し上げる女房もいる。
帝はもうよい御年配であったが美女がお好きであった。采女(うねめ)女蔵人(にょくろうど)なども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。したがって美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係を成り立たせることが容易であったであろうが、源氏は見()れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談(じょうだん)を言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。
4.1.2
(とし)いたう()いたる典侍(ないしのすけ)(ひと)もやむごとなく(こころ)ばせありあてに、おぼえ(たか)くはありながら、いみじうあだめいたる(こころ)ざまにて、そなたには(おも)からぬあるを、かう、さだ()ぐるまで、などさしも(みだ)るらむ」と、いぶかしくおぼえたまひければ、(たはぶ)事言(ごとい)()れて(こころ)みたまふに、()げなくも(おも)はざりける。
あさまし(おぼ)しながら、さすがにかかるもをかしうて、ものなどのたまひてけれど、(ひと)()()かむも、(ふる)めかしきほどなればつれなくもてなしたまへるを、(をんな)は、いとつらしと(おも)へり。
年をたいそう取っている典侍、人柄も重々しく、才気があり、高貴で、人から尊敬されてはいるものの、たいそう好色な性格で、その方面では腰の軽いのを、「こう、年を取ってまで、どうしてそんなにふしだらなのか」と、興味深くお思いになったので、冗談を言いかけてお試しになると、不釣り合いなとも思わないのであった。
あきれた、とはお思いになりながら、やはりこのような女も興味があるので、お話しかけなどなさったが、人が漏れ聞いても、年とった年齢なので、そっけなく振る舞っていらっしゃるのを、女は、とてもつらいと思っていた。
よほど年のいった典侍(ないしのすけ)で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙(ひんしゅく)させている女があった。源氏はなぜこう年がいっても浮気(うわき)がやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。

第二段 源氏、源典侍と和歌を詠み交わす

4.2.1
主上(うへ)御梳櫛(みけづりぐし)にさぶらひけるを()てにければ、主上(うへ)御袿(みうちき)人召(ひとめ)して()でさせたまひぬるほどに、また(ひと)もなくて、この内侍常(ないしつね)よりもきよげに、様体(やうだい)(かしら)つきなまめきて、装束(さうぞく)ありさま、いとはなやかに(この)ましげに()ゆるをさも()りがたうも」と、(こころ)づきなく()たまふものから、いかが(おも)ふらむ」と、さすがに()ぐしがたくて、()(すそ)()きおどろかしたまへれば、かはぼりえならず(ゑが)きたるをさし(かく)して見返(みかへ)りたるまみ、いたう見延(みの)べたれど目皮(まかは)らいたく(くろ)()()りて、いみじうはつれそそけたり
お上の御髪梳りに伺候したが、終わったので、お上は御袿係の者をお召しになってお出になりあそばした後に、他に人もなくて、この典侍がいつもよりこざっぱりとして、姿形、髪の具合が艶っぽくて、衣装や、着こなしも、とても派手に洒落て見えるのを、「何とも若づくりな」と、苦々しく御覧になる一方で、「どんな気でいるのか」と、やはり見過ごしがたくて、裳の裾を引っ張って注意をお引きになると、夏扇に派手な絵の描いてあるのを、顔を隠して振り返ったまなざし、ひどく流し目を使っているが、目の皮がげっそり黒く落ち込んで、肉が削げ落ちてたるんでいる。
典侍は帝のお髪上(ぐしあ)げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお(めし)かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに(えん)な所も見え、服装も派手(はで)にきれいな物を着ているのを見て、いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから()(すそ)を引いてみた。はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、(まぶた)を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。
4.2.2
()つかはしからぬ(あふぎ)のさまかな」と()たまひて、わが()たまへるに、さしかへて()たまへば、(あか)(かみ)の、うつるばかり色深(いろふか)きに、木高(こだか)(もり)(かた)()(かく)したり
(かた)(かた)に、()はいとさだ()ぎたれど、よしなからず、(もり)下草老(したくさお)いぬれば」など()きすさびたるを、ことしもあれ、うたての(こころ)ばへや」と()まれながら、
「似合わない派手な扇だな」と御覧になって、ご自分のお持ちのと取り替えて御覧になると、赤い紙で顔に照り返すような色合いで、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてある。
その端の方に、筆跡はとても古めかしいが、風情がなくもなく、「森の下草が老いてしまったので」などと書き流してあるのを、「他に書くことも他にあろうに、嫌らしい趣向だ」と微笑まれて、
妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍(げんてんじ)のを見ると、それは真赤(まっか)な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。横のほうに若々しくない字であるが上手(じょうず)
4.2.3 「森こそ夏の、といったようですね」
「森の下草老いぬれば(こま)もすさめず刈る人もなし」
4.2.4
とて、(なに)くれとのたまふも、()げなく、(ひと)()つけむ(くる)しきを、(をんな)はさも(おも)ひたらず、
と言って、いろいろとおっしゃるのも、不釣り合いで、人が見つけるかと気になるが、女はそうは思っていない。
という歌が書かれてある。厭味(いやみ)な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。女はそんなことを思っていない。
4.2.5 「あなたがいらしたならば良く馴れた馬に秣を刈ってやりましょう
盛りの過ぎた下草であっても」
君し()手馴(てな)れの(こま)に刈り飼はん
盛り過ぎたる下葉なりとも
4.2.6
()ふさま、こよなく(いろ)めきたり
と詠み出す様子、この上なく色気たっぷりである。
とても色気たっぷりな表情をして言う。
4.2.7 「笹を分けて入って行ったら人が注意しましょう
いつでも馬を懐けている森の木陰では
(ささ)分けば人や(とが)めんいつとなく
()らすめる森の木隠れ
4.2.8 厄介なことだからね」
あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
4.2.9
とて、()ちたまふを、ひかへて、
と言って、お立ちになるのを、袖を取って、
こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
4.2.10
まだかかるものをこそ(おも)ひはべらね。
(いま)さらなる、()(はぢ)になむ」
「まだこんなつらい思いをしたことはございません。
今になって、身の恥に」
「私はこんなにまで煩悶(はんもん)をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
4.2.11
とて()くさま、いといみじ。
と言って泣き出す様子、とても大げさである。
非常に悲しそうに泣く。
4.2.12 「そのうち、
お便りを差し上げましょ
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
4.2.13
とて、()(はな)ちて()でたまふを、せめておよびて、橋柱(はしばしら)」と(うら)みかくるを、主上(うへ)御袿果(みうちきは)てて、御障子(みさうじ)より(のぞ)かせたまひけり。
()つかはしからぬあはひかな」と、いとをかしう(おぼ)されて、
と言って、振り切ってお出になるのを、懸命に取りすがって、「橋柱」と恨み言を言うのを、お上はお召し替えが済んで、御障子の隙間から御覧あそばしたのであった。
「似つかわしくない仲だな」と、とてもおかしく思し召されて、
(そで)を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作(しょさ)までも、お(めし)かえが済んだ帝が襖子(からかみ)からのぞいておしまいになった。不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召(おぼしめ)してお笑いになりながら、帝は、
4.2.14
()(ごころ)なしと(つね)にもて(なや)むめるを、さはいへど、()ぐさざりけるは」
「好色心がないなどと、いつも困っているようだが、そうは言うものの、見過ごさなかったのだな」
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
4.2.15
とて、(わら)はせたまへば、内侍(ないし)は、なままばゆけれど(にく)からぬ(ひと)ゆゑは、濡衣(ぬれぎぬ)をだに()まほしがるたぐひもあなればにや、いたうもあらがひきこえさせず
と言って、お笑いあそばすので、典侍はばつが悪い気がするが、恋しい人のためなら、濡衣をさえ着たがる類もいるそうだからか、大して弁解も申し上げない。
典侍(ないしのすけ)へお言いになった。典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣(ぬれぎぬ)でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。
4.2.16
(ひと)びとも、(おも)ひのほかなることかな」と、(あつか)ふめるを、頭中将(とうのちゅうじゃう)()きつけて、(いた)らぬ(くま)なき(こころ)にて、まだ(おも)()らざりけるよ」と(おも)ふに、()きせぬ(この)(ごころ)()まほしうなりにければ、(かた)らひつきにけり
女房たちも、「意外なことだわ」と、取り沙汰するらしいのを、頭中将、聞きつけて、「知らないことのないこのわたしが、まだ気がつかなかったことよ」と思うと、いくつになっても止まない好色心を見たく思って、言い寄ったのであった。
それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を(うわさ)した。頭中将(とうのちゅうじょう)の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。
4.2.17
この(きみ)(ひと)よりはいとことなるを、かのつれなき(ひと)御慰(おほんなぐさ)めに」と(おも)ひつれど、()まほしきは、(かぎ)りありけるをとや
うたての(この)みや
この君も、人よりは素晴らしいので、「あのつれない方の気晴らしに」と思ったが、本当に逢いたい人は、お一人であったとか。
大変な選り好みだことよ。
この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。困った多情女である。

第三段 温明殿付近で密会中、頭中将に発見され脅される

4.3.1
いたう(しの)ぶれば源氏(げんじ)(きみ)はえ()りたまはず。
()つけきこえてはまづ(うら)みきこゆるを、(よはひ)のほどいとほしければ、(なぐさ)めむと(おぼ)せど、かなはぬもの()さに、いと(ひさ)しくなりにけるを、夕立(ゆふだち)して、名残涼(なごりすず)しき(よひ)のまぎれに、温明殿(うんめいでん)のわたりをたたずみありきたまへば、この内侍(ないし)琵琶(びは)をいとをかしう()きゐたり。
御前(おまへ)などにても、男方(をとこがた)御遊(おほんあそ)びに()じりなどして、ことにまさる(ひと)なき上手(じゃうず)なれば、もの(うら)めしうおぼえける(もの)から、いとあはれに()こゆ。
たいそう秘密にしているので、源氏の君はご存知ない。
お見かけ申しては、まず恨み言を申すので、お年の程もかわいそうなので、慰めてやろうとお思いになるが、その気になれない億劫さで、たいそう日数が経ってしまったが、夕立があって、その後の涼しい夕闇に紛れて、温明殿の辺りを歩き回っていられると、この典侍、琵琶をとても美しく弾いていた。
御前などでも殿方の管弦のお遊びに加わりなどして、殊にこの人に勝る人もない名人なので、恨み言を言いたい気分でいたところから、とてもしみじみと聞こえて来る。
きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿(うんめいでん)あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶(びわ)上手(じょうず)()いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く(いと)()には源氏の心を打つものがあった。
4.3.2 「瓜作りになりやしなまし」
(うり)作りになりやしなまし」
4.3.3
と、(こゑ)はいとをかしうて(うた)ふぞ、すこし(こころ)づきなき
鄂州(がくしう)にありけむ(むかし)(ひと)も、かくやをかしかりけむ」と、(みみ)とまりて()きたまふ。
()きやみて、いといたう(おも)(みだ)れたるけはひなり。
(きみ)東屋(あづまや)」を(しの)びやかに(うた)ひて()りたまへるに、
と、声はとても美しく歌うのが、ちょっと気に食わない。
「鄂州にいたという昔の人も、このように興趣を引かれたのだろうか」と、耳を止めてお聞きになる。
弾き止んで、とても深く思い悩んでいる様子である。
君が、「東屋」を小声で歌ってお近づきになると、
という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が聞いたという鄂州(がくしゅう)の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は御簾(みす)ぎわに寄って催馬楽(さいばら)東屋(あずまや)を歌っていると、
4.3.4 「押し開いていらっしゃいませ」
「押し開いて来ませ」
4.3.5
と、うち()へたるも、(れい)(たが)ひたる心地(ここち)ぞする。
と、後を続けて歌うのも、普通の女とは違った気がする。
という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。
4.3.6 「誰も訪れて来て濡れる人もいない東屋に
嫌な雨垂れが落ちて来ます」
立ち()るる人しもあらじ東屋に
うたてもかかる雨そそぎかな
4.3.7 と嘆くのを、自分一人が怨み言を負う筋ではないが、「嫌になるな。何をどうしてこんなに嘆くのだろう」と、思われなさる。
と歌って女は歎息(たんそく)をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。
4.3.8 「人妻はもう面倒です
あまり親しくなるまいと思います」
人妻はあなわづらはし東屋の
まやのあまりも()れじとぞ思ふ
4.3.9
とて、うち()ぎなまほしけれど、「あまりはしたなくや」と(おも)(かへ)して、(ひと)(したが)へば、すこしはやりかなる(たはぶ)(ごと)など()ひかはして、これもめづらしき心地(ここち)ぞしたまふ。
と言って、通り過ぎたいが、「あまり無愛想では」と思い直して、相手によるので、少し軽薄な冗談などを言い交わして、これも珍しい経験だとお思いになる。
と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。源氏は女と朗らかに戯談(じょうだん)などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。
4.3.10
頭中将(とうのちゅうじゃう)は、この(きみ)のいたうまめだち()ぐして、(つね)にもどきたまふがねたきを、つれなくてうちうち(しの)びたまふかたがた(おほ)かめるを、いかで()あらはさむ」とのみ(おも)ひわたるに、これを()つけたる心地(ここち)いとうれし
かかる(をり)すこし(おど)しきこえて、御心(みこころ)まどはして、()りぬやと()はむ」と(おも)ひて、たゆめきこゆ。
頭中将は、この君がたいそう真面目ぶっていて、いつも非難なさるのが癪なので、何食わぬ顔でこっそりお通いの所があちこちに多くあるらしいのを、「何とか発見してやろう」とばかり思い続けていたところ、この現場を見つけた気分、まこと嬉しい。
「このような機会に、少し脅かし申して、お心をびっくりさせて、これに懲りたか、と言ってやろう」と思って、油断をおさせ申す。
頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜(くちお)しく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇(おど)して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。それでしかるべく油断を与えておいた。
4.3.11
(かぜ)ひややかにうち()きて、やや()けゆくほどに、すこしまどろむにや()ゆるけしきなれば、やをら()()るに、(きみ)は、とけてしも()たまはぬ(こころ)なれば、ふと()きつけて、この中将(ちゅうじゃう)とは(おも)()らず、なほ(わす)れがたくすなる修理大夫(すりのかみ)にこそあらめ」と(おぼ)すに、おとなおとなしき(ひと)に、かく()げなきふるまひをして、()つけられむことは、()づかしければ、
風が冷たく吹いて来て、次第に夜も更けかけてゆくころに、少し寝込んだろうかと思われる様子なので、静かに入って来ると、君は、安心してお眠りになれない気分なので、ふと聞きつけて、この中将とは思いも寄らず、「いまだ未練のあるという修理の大夫であろう」とお思いになると、年配の人に、このような似つかわしくない振る舞いをして、見つけられるのは何とも照れくさいので、
冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配(けはい)を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲(じちょう)的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫(しゅりだゆう)であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、
4.3.12
あな、わづらはし
()でなむよ。
蜘蛛(くも)のふるまひは、しるかりつらむものを
心憂(こころう)く、すかしたまひけるよ」
「ああ、厄介な。
帰りますよ。
夫が後から来ることは、分かっていましたから。
ひどいな、おだましになるとは」
「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。旦那(だんな)の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして泊まらせたのですね」
4.3.13
とて、直衣(なほし)ばかりを()りて、屏風(びゃうぶ)のうしろに()りたまひぬ。
中将(ちゅうじゃう)をかしきを(ねん)じて、()きたてまつる屏風(びゃうぶ)のもとに()りて、ごほごほとたたみ()せておどろおどろしく(さわ)がすに、内侍(ないし)は、ねびたれど、いたくよしばみなよびたる(ひと)の、先々(さきざき)もかやうにて、心動(こころうご)かす折々(をりをり)ありければ、ならひて、いみじく(こころ)あわたたしきにも、この(きみ)をいかにしきこえぬるか」とわびしさに、ふるふふるふつとひかへたり。
()れと()られで()でなばや」と(おぼ)せど、しどけなき姿(すがた)にて、(かうぶり)などうちゆがめて(はし)らむうしろで(おも)ふに、いとをこなるべし」と、(おぼ)しやすらふ。
と言って、直衣だけを取って、屏風の後ろにお入りになった。
中将、おかしさを堪えて、お引き廻らしになってある屏風のもとに近寄って、ばたばたと畳み寄せて、大げさに振る舞ってあわてさせると、典侍は、年取っているが、ひどく上品ぶった艶っぽい女で、以前にもこのようなことがあって、肝を冷やしたことが度々あったので、馴れていて、ひどく気は動転していながらも、「この君をどうなされてしまうのか」と心配で、震えながらしっかりと取りすがっている。
「誰とも分からないように逃げ出そう」とお思いになるが、だらしない恰好で、冠などをひん曲げて逃げて行くような後ろ姿を思うと、「まことに醜態であろう」と、おためらいなさる。
と言って、源氏は直衣(のうし)だけを手でさげて屏風(びょうぶ)の後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢(きゃしゃ)なからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって(ふる)えていた。自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、(かむり)をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。
4.3.14
中将(ちゅうじゃう)いかで(われ)()られきこえじ」と(おも)ひて、ものも()はず、ただいみじう(いか)れるけしきにもてなして、太刀(たち)()()けば、(をんな)
中将、「何とかして自分だとは知られ申すまい」と思って、何とも言わない。ただひどく怒った形相を作って、太刀を引き抜くと、女は、
中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。ただ(おこ)ったふうをして太刀(たち)を引き抜くと、
4.3.15 「あなた様、あなた様」
「あなた、あなた」
4.3.16
と、(むか)ひて()をするに、ほとほと(わら)ひぬべし
(この)ましう(わか)やぎてもてなしたるうはべこそ、さてもありけれ、五十七(ごじふしち)(はち)(ひと)の、うちとけてもの()(さわ)げるけはひえならぬ二十(はたち)若人(わかうど)たちの(おほん)なかにてもの()ぢしたる、いとつきなし。
かうあらぬさまにもてひがめて(おそ)ろしげなるけしきを()すれど、なかなかしるく()つけたまひて、(われ)()りて、ことさらにするなりけり」と、をこになりぬ。
その(ひと)なめり」と()たまふに、いとをかしければ、太刀抜(たちぬ)きたるかひなをとらへて、いといたうつみたまへれば、ねたきものから、()へで(わらひたま)ひぬ。
と、向かって手を擦り合わせて拝むので、あやうく笑い出してしまいそうになる。
好ましく若づくりして振る舞っている表面だけは、まあ見られたものであるが、五十七、八歳の女が、着物をきちんと付けず慌てふためいている様子、実に素晴らしい二十代の若者たちの間にはさまれて怖がっているのは、何ともみっともない。
このように別人のように装って、恐ろしい様子を見せるが、かえってはっきりとお見破りになって、「わたしだと知ってわざとやっているのだな」と、馬鹿らしくなった。
「あの男のようだ」とお分かりになると、とてもおかしかったので、太刀を抜いている腕をつかまえて、とてもきつくおつねりになったので、悔しいと思いながらも、堪え切れずに笑ってしまった。
典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。平生派手(はで)に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得(みえ)も何も捨てて二十(はたち)前後の公達(きんだち)の中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つ(ひじ)をとらえてぐっとつねると、中将は見顕(みあら)わされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
4.3.17
まことは、うつし(ごころ)かとよ。
(たはぶ)れにくしや。
いで、この直衣着(なほしき)む」
「ほんと、正気の沙汰かね。
冗談も出来ないね。
さあ、この直衣を着よう」
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣(のうし)を着るから」
4.3.18
とのたまへど、つととらへて、さらに(ゆる)しきこえず。
とおっしゃるが、しっかりとつかんで、全然お放し申さない。
と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。
4.3.19 「それでは、一緒に」
「じゃ君にも脱がせるよ」
4.3.20
とて、中将(ちゅうじゃう)(おび)をひき()きて()がせたまへば、()がじとすまふを、とかくひきしろふほどに、ほころびはほろほろと()えぬ。
中将(ちゅうじゃう)
と言って、中将の帯を解いてお脱がせになると、脱ぐまいと抵抗するのを、何かと引っ張り合ううちに、開いている所からびりびりと破れてしまった。
中将は、
と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。
4.3.21 「隠している浮名も洩れ出てしまいましょう
引っ張り合って破れてしまった二人の仲の衣から
「包むめる名や()()でん引きかはし
かくほころぶる中の衣に
4.3.22 上に着たら、明白でしょうよ」
明るみへ出ては困るでしょう」
4.3.23
()ふ。
(きみ)
と言う。
君は、
と中将が言うと、
4.3.24 「この女との仲まで知られてしまうのを承知の上でやって来て
夏衣を着るとは、
隠れなきものと知る知る夏衣
きたるをうすき心とぞ見る
4.3.25
()ひかはして、うらやみなきしどけな姿(すがた)()きなされて、みな()でたまひぬ。
と詠み返して、恨みっこなしのだらしない恰好に引き破られて、揃ってお出になった。
と源氏も負けてはいないのである。双方ともだらしない姿になって行ってしまった。

第四段 翌日、源氏と頭中将と宮中で応酬しあう

4.4.1
(きみ)は、いと口惜(くちを)しく()つけられぬること」と(おも)ひ、()したまへり。
内侍(ないし)は、あさましくおぼえければ、()ちとまれる御指貫(おほんさしぬき)(おび)など、つとめてたてまつれり。
君は、「実に残念にも見つけられてしまったことよ」と思って、臥せっていらっしゃった。
典侍は、情けないことと思ったが、落としていった御指貫や、帯などを、翌朝お届け申した。
源氏は友人に威嚇(おど)されたことを残念に思いながら宿直所(とのいどころ)で寝ていた。驚かされた典侍は翌朝残っていた指貫(さしぬき)や帯などを持たせてよこした。
4.4.2 「恨んでも何の甲斐もありません
次々とやって来ては帰っていったお二人の波の後では
「恨みても()ひがひぞなき立ち重ね
引きて帰りし波のなごりに
4.4.3 底もあらわになって」
悲しんでおります。恋の楼閣のくずれるはずの物がくずれてしまいました」
4.4.4
とあり。
面無(おもな)のさまや」と()たまふも(にく)けれど、わりなしと(おも)へりしもさすがにて、
とある。
「臆面もないありさまだ」と御覧になるのも憎らしいが、困りきっているのもやはりかわいそうなので、
という手紙が添えてあった。面目なく思うのであろうと源氏はなおも不快に昨夜を思い出したが、気をもみ抜いていた女の様子にあわれんでやってよいところもあったので返事を書いた。
4.4.5 「荒々しく暴れた頭中将には驚かないが
その彼を寄せつけたあなたをどうして恨まずにはいられようか」
(あれ)だちし波に心は騒がねど
よせけん(いそ)をいかが恨みぬ
4.4.6
とのみなむありける。
(おび)は、中将(ちゅうじゃう)のなりけり。
わが御直衣(おほんなほし)よりは色深(いろふか)()たまふに、端袖(はたそで)もなかりけり。
とだけあった。
帯は、中将のであった。
ご自分の直衣よりは色が濃い、と御覧になると、端袖もないのであった。
とだけである。帯は中将の物であった。自分のよりは少し色が濃いようであると、源氏が昨夜の直衣に合わせて見ている時に、直衣の(そで)がなくなっているのに気がついた。
4.4.7
あやしのことどもや
おり()ちて(みだ)るる(ひと)は、むべをこがましきことは(おほ)からむ」と、いとど御心(みこころ)をさめられたまふ。
「見苦しいことだ。
夢中になって浮気に耽る人は、このとおり馬鹿馬鹿しい目を見ることも多いのだろう」と、ますます自重せずにはいらっしゃれない。
なんというはずかしいことだろう、女をあさる人になればこんなことが始終あるのであろうと源氏は反省した。
4.4.8
中将(ちゅうじゃう)宿直所(とのゐどころ)より、これ、まづ()ぢつけさせたまへ」とて、おし(つつ)みておこせたるを、いかで()りつらむ」と、(こころ)やまし。
この(おび)()ざらましかば」と(おぼ)す。
その(いろ)(かみ)(つつ)みて、
中将が、宿直所から、「これを、まずはお付けあそばせ」といって、包んで寄こしたのを、「どうやって、持って行ったのか」と憎らしく思う。
「この帯を獲らなかったら、
大変だった」とお思い
頭中将の宿直所のほうから、何よりもまずこれをお()じつけになる必要があるでしょう。と書いて直衣の袖を包んでよこした。どうして取られたのであろうと源氏はくやしかった。中将の帯が自分の手にはいっていなかったらこの争いは負けになるのであったとうれしかった。帯と同じ色の紙に包んで、
4.4.9 「仲が切れたらわたしのせいだと非難されようかと思ったが
縹の帯などわたしには関係ありません」
中絶えばかごとや負ふと危ふさに
(はなだ)の帯はとりてだに見ず
4.4.10
とて、やりたまふ。
()(かへ)り、
といって、
お遣りにな
と書いて源氏は持たせてやった。女の所で解いた帯に他人の手が触れるとその恋は解消してしまうとも言われているのである。中将からまた折り返して、
4.4.11 「あなたにこのように取られてしまった帯ですから
こんな具合に仲も切れてしまったものとしましょうよ
君にかく引き取られぬる帯なれば
かくて絶えぬる中とかこたん
4.4.12
(のが)れさせたまはじ」
逃れることはできませんよ」
なんといっても責任がありますよ。
4.4.13
とあり。
とある。
と書いてある。
4.4.14
()たけて、おのおの殿上(てんじゃう)(まゐ)りたまへり。
いと(しづ)かに、もの(とほ)きさましておはするに、(とう)(きみ)もいとをかしけれど、公事多(おほやけごとおほ)(そう)しくだす()にて、いとうるはしくすくよかなるを()るも、かたみにほほ()まる。
(ひと)まにさし()りて、
日が高くなってから、それぞれ殿上に参内なさった。
とても落ち着いて、知らぬ顔をしていらっしゃると、頭の君もとてもおかしかったが、公事を多く奏上し宣下する日なので、実に端麗に真面目くさっているのを見るのも、お互いについほほ笑んでしまう。
人のいない隙に近寄って、
昼近くになって殿上の詰め所へ二人とも行った。取り澄ました顔をしている源氏を見ると中将もおかしくてならない。その日は自身も蔵人頭(くろうどのかみ)として公用の多い日であったから至極まじめな顔を作っていた。しかしどうかした拍子に目が合うと互いにほほえまれるのである。だれもいぬ時に中将がそばへ寄って来て言った。
4.4.15 「秘密事は懲りたでしょう」
「隠し事には懲りたでしょう」
4.4.16 と言って、とても憎らしそうな流し目である。
尻目(しりめ)で見ている。優越感があるようである。
4.4.17
などてか、さしもあらむ
()ちながら(かへ)りけむ(ひと)こそ、いとほしけれ。
まことは、()しや、()(なか)
「どうして、そんなことがありましょう。
そのまま帰ってしまったあなたこそ、お気の毒だ。
本当の話、嫌なものだよ、男女の仲とは」
「なあに、それよりもせっかく来ながら無駄だった人が気の毒だ。まったくは君やっかいな女だね」
4.4.18
()ひあはせて、鳥籠(とこ)(やま)なる」と、かたみに(くち)がたむ。
と言い交わして、「鳥籠の山にある川の名」と、互いに口固めしあう。
秘密にしようと言い合ったが、それからのち中将はどれだけあの晩の騒ぎを言い出して源氏を苦笑させたかしれない。
4.4.19
さて、そののちともすればことのついでごとに、()(むか)ふるくさはひなるを、いとどものむつかしき(ひと)ゆゑと、(おぼ)()るべし。
(をんな)は、なほいと(えん)(うら)みかくるを、わびしと(おも)ひありきたまふ
さて、それから後、ともすれば何かの折毎に、話に持ち出す種とするので、ますますあの厄介な女のためにと、お思い知りになったであろう。
女は、相変わらずまこと色気たっぷりに恨み言をいって寄こすが、興醒めだと逃げ回りなさる。
それは恋しい女のために受ける罰でもないのである。女は続いて源氏の心を()こうとしていろいろに技巧を用いるのを源氏はうるさがっていた。
4.4.20
中将(ちゅうじゃう)は、(いもうと)(きみ)にも()こえ()でず、ただ、「さるべき(をり)(おど)しぐさにせむ」とぞ(おも)ひける。
やむごとなき御腹々(おほんはらばら)親王(みこ)たちだに、主上(うへ)(おほん)もてなしのこよなきにわづらはしがりて、いとことにさりきこえたまへるをこの中将(ちゅうじゃう)は、さらにおし()たれきこえじ」と、はかなきことにつけても、(おも)ひいどみきこえたまふ。
中将は、妹の君にも申し上げず、ただ、「何かの時の脅迫の材料にしよう」と思っていた。
高貴な身分の妃からお生まれになった親王たちでさえ、お上の御待遇がこの上ないのを憚って、とても御遠慮申し上げていらっしゃるのに、この中将は、「絶対に圧倒され申すまい」と、ちょっとした事柄につけても対抗申し上げなさる。
中将は妹にもその話はせずに、自分だけが源氏を困らせる用に使うほうが有利だと思っていた。よい外戚をお持ちになった親王方も(みかど)殊寵(しゅちょう)される源氏には一目置いておいでになるのであるが、この頭中将だけは、負けていないでもよいという自信を持っていた。ことごとに競争心を見せるのである。
4.4.21
この君一人(きみひとり)ぞ、姫君(ひめぎみ)御一(おほんひと)(ばら)なりける
(みかど)御子(みこ)といふばかりにこそあれ(われ)も、(おな)大臣(おとど)()こゆれど、(おほん)おぼえことなるが、皇女腹(みこばら)にてまたなくかしづかれたるは、(なに)ばかり(おと)るべき(きは)と、おぼえたまはぬなるべし
(ひと)がらも、あるべき(かぎ)りととのひて、(なに)ごともあらまほしく、たらひてぞものしたまひける。
この御仲(おほんなか)どもの(いど)みこそ、あやしかりしか。
されど、うるさくてなむ
この君一人が、姫君と同腹なのであった。
帝のお子というだけだ、自分だって、同じ大臣と申すが、ご信望の格別な方が、内親王腹にもうけた子息として大事に育てられているのは、どれほども劣る身分とは、お思いにならないのであろう。
人となりも、すべて整っており、どの面でも理想的で、満ち足りていらっしゃるのであった。
このお二方の競争は、変わっているところがあった。
けれども、煩わしいので省略する。
左大臣の息子(むすこ)の中でこの人だけが源氏の夫人と同腹の内親王の母君を持っていた。源氏の君はただ皇子であるという点が違っているだけで、自分も同じ大臣といっても最大の権力のある大臣を父として、皇女から生まれてきたのである、たいして違わない尊貴さが自分にあると思うものらしい。人物も怜悧(れいり)で何の学問にも通じたりっぱな公子であった。つまらぬ事までも二人は競争して人の話題になることも多いのである。

第五章 藤壺の物語(三) 秋、藤壺は中宮、源氏は宰相となる


第一段 七月に藤壺女御、中宮に立つ

5.1.1
七月(しちがち)にぞ(きさき)ゐたまふめりし
源氏(げんじ)(きみ)宰相(さいしゃう)になりたまひぬ
(みかど)()りゐさせたまはむの御心(みこころ)づかひ(ちか)うなりて、この若宮(わかみや)(ばう)に、(おも)ひきこえさせたまふに、御後見(おほんうしろみ)したまふべき(ひと)おはせず。
御母方(おほんははがた)の、みな親王(みこ)たちにて、源氏(げんじ)公事(おほやけごと)しりたまふ(すぢ)ならねば母宮(ははみや)をだに(うご)きなきさまにしおきたてまつりて、(つよ)りに(おぼ)すになむありける。
七月に、
后がお立ちになるようであった。源
氏の君、宰相におなりになった。帝、御譲位あそばすお心づもりが近くなって、この若君を春宮に、とお考えあそばされるが、御後見な
さるべき方がいらっしゃらない。御母方が、みな親王方で、皇族が政治を執るべき筋合ではないので、せめて母宮だけでも不動の地位におつけ申して、お力
この七月に皇后の冊立(さくりつ)があるはずであった。源氏は中将から参議に(のぼ)った。帝が近く譲位をあそばしたい思召(おぼしめ)しがあって、藤壺(ふじつぼ)の宮のお生みになった若宮を東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない。母方の御伯父(おじ)は皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律になっていたから、母宮をだけでも后の位に()えて置くことが若宮の強味になるであろうと思召して藤壺の宮を中宮(ちゅうぐう)に擬しておいでになった。
5.1.2
弘徽殿(こうきでん)いとど御心動(みこころうご)きたまふ、ことわりなり。
されど、
弘徽殿、ますますお心穏やかでない、道理である。
けれども、
弘徽殿の女御がこれに(たい)らかでないことに道理はあった。
5.1.3 「春宮の御世が、もう直ぐになったのだから、疑いない御地位である。
ご安心されよ」
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
5.1.4
とぞ()こえさせたまひける。
げに、春宮(とうぐう)御母(おほんはは)にて二十余年(にじふよねん)になりたまへる女御(にょうご)をおきたてまつりては、()()したてまつりたまひがたきことなりかし」と、(れい)の、やすからず世人(よひと)()こえけり。
とお慰め申し上げあそばすのであった。
「なるほど、春宮の御母堂として二十余年におなりの女御を差し置き申して、先にお越し申されることは難しいことだ」と、例によって、穏やかならず世間の人も噂するのであった。
帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことであるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろに言う者があった。
5.1.5
(まゐ)りたまふ()御供(おほんとも)に、宰相君(さいしゃうのきみ)(つか)うまつりたまふ。
(おな)(みや)()こゆるなかにも、后腹(きさきばら)皇女(みこ)玉光(たまひか)りかかやきて、たぐひなき(おほん)おぼえにさへものしたまへば(ひと)もいとことに(おも)ひかしづききこえたり。
まして、わりなき御心(みこころ)には御輿(みこし)のうちも(おも)ひやられて、いとど(およ)びなき心地(ここち)したまふに、すずろはしきまでなむ。
参内なさる夜のお供に、宰相君もお仕え申し上げなさる。
同じ宮と申し上げる中でも、后腹の内親王で、玉のように美しく光り輝いて、類ない御寵愛をさえ蒙っていらっしゃるので、世間の人々もとても特別に御奉仕申し上げた。
言うまでもなく、切ないお心の中では、御輿の中も思いやられて、ますます手も届かない気持ちがなさると、じっとしてはいられないまでに思われた。
儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。(まった)い宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御寵愛(ちょうあい)もたいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿(みこし)の中の恋しいお姿を想像して、いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと心に(なげ)かれた。気が変になるほどであった。
5.1.6 「尽きない恋の思いに何も見えない
はるか高い地位につかれる方を仰ぎ見るにつけても」
つきもせぬ心の(やみ)にくるるかな
5.1.7
とのみ、(ひと)りごたれつつ、ものいとあはれなり。
とだけ、独言が口をついて出て、何につけ切なく思われる。
雲井に人を見るにつけても
  こう思われて悲しいのである。
5.1.8
皇子(みこ)は、およすけたまふ月日(つきひ)(したが)ひていと()たてまつり()きがたげなるを、(みや)いと(くる)(おぼ)せど、(おも)()(ひと)なきなめりかし
げに、いかさまに(つく)()へてかは、(おと)らぬ(おほん)ありさまは、()()でものしたまはまし。
月日(つきひ)(ひかり)(そら)(かよ)ひたるやうに、世人(よひと)(おも)へる
皇子は、ご成長なさっていく月日につれて、とてもお見分け申しがたいほどでいらっしゃるのを、宮は、まこと辛い、とお思いになるが、気付く人はいないらしい。
なるほど、どのように作り変えたならば、負けないくらいの方がこの世にお生まれになろうか。
月と日が似通って光り輝いているように、世人も思っていた。
若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者はないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌(びぼう)を見うることはないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように似ておいでになると世人も思った。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/20/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
オリジナル  修正版  比較
ローマ字版 Last updated 4/21/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
オリジナル  修正版  比較
ルビ抽出
(ローマ字版から)
Powered by 再編集プログラム v4.05
ひらがな版  ルビ抽出
挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 5/3/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)
2003年7月12日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年10月19日

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