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第十四帖 澪標

光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり


第一段 故桐壺院の追善法華御八講

1.1.1
さやかに()えたまひし(ゆめ)(のち)(ゐん)(みかど)(おほん)ことを(こころ)にかけきこえたまひて、いかで、かの(しづ)みたまふらむ(つみ)(すく)ひたてまつることをせむ」と、(おぼ)(なげ)きけるを、かく(かへ)りたまひては、その御急(おほんいそ)ぎしたまふ。
神無月(かんなづき)御八講(みはかう)したまふ。
()(ひと)なびき(つか)うまつること、(むかし)のやうなり。
はっきりとお見えになった夢の後は、院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらしたが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。
神無月に御八講をお催しになる。
世間の人が追従し奉仕すること、昔と同じようである。
須磨(すま)の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提(ごぼだい)を早く弔いたいと仕度(したく)をしていた。そして十月に法華経(ほけきょう)の八講が催されたのである。参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。
1.1.2
大后(おほきさき)御悩(おほんなや)(おも)くおはしますうちにも、つひにこの(ひと)()たずなりなむこと」と、心病(こころや)(おぼ)しけれど、(みかど)(ゐん)御遺言(ごゆいごん)(おも)ひきこえたまふ。
ものの(むく)いありぬべく(おぼ)しけるを、(なほ)()てたまひて、御心地涼(みここちすず)しくなむ(おぼ)しける。
時々(ときどき)おこり(なや)ませたまひし御目(おほんめ)も、さはやぎたまひぬれど、おほかた()にえ(なが)あるまじう、心細(こころぼそ)きこと」とのみ、(ひさ)しからぬことを(おぼ)しつつ(つね)()しありて、源氏(げんじ)(きみ)(まゐ)りたまふ。
()(なか)のことなども、(へだ)てなくのたまはせつつ、御本意(おほんほい)のやうなれば、おほかたの()(ひと)も、あいなく、うれしきことに(よろこ)びきこえける。
皇太后、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。
きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。
時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。
政治の事なども、隔意なく仰せになり仰せになっては、御本意のようなので、世間一般の人々も、関係なくも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。
今日も重く煩っておいでになる太后は、その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを口惜(くちお)しく思召(おぼしめ)すのであったが、(みかど)は院の御遺言をお思いになって、当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れをお感じになったのであるから、このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、短命でお終わりになるような予感があってお心細いためによく源氏をお召しになった。政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。

第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

1.2.1 御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君、心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのが、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
帝は近く御遜位(ごそんい)思召(おぼしめ)しがあるのであるが、尚侍(ないしのかみ)がたよりないふうに見えるのを(あわ)れに思召した。
1.2.2
大臣亡(おとどう)せたまひ大宮(おほみや)(たの)もしげなくのみ(あつ)いたまへるに、()世残(よのこ)(すく)なき心地(ここち)するになむいといとほしう、名残(なごり)なきさまにてとまりたまはむとすらむ
(むかし)より、(ひと)には(おも)()としたまへれどみづからの(こころ)ざしのまたなきならひにただ(おほん)ことのみなむ、あはれにおぼえける。
()ちまさる(ひと)また御本意(おほんほい)ありて()たまふとも、おろかならぬ(こころ)ざしはしも、なずらはざらむと(おも)ふさへこそ、心苦(こころぐる)しけれ」
「大臣がお亡くなりになり、大宮も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、かつてとすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。
以前から、あの人より軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。
わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは、及ばないだろうと思うのさえ、たまらないのです」
「大臣は()くなるし、大宮も始終お悪いのに、私さえも余命がないような気がしているのだから、だれの保護も受けられないあなたは、孤独になってどうなるだろうと心配する。初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、私を何とも思っていないのだが、私はだれよりもあなたが好きなのだから、あなたのことばかりがこんな時にも思われる。私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
1.2.3
とて、うち()きたまふ。
と言って、お泣きあそばす。
帝は泣いておいでになった。
1.2.4
女君(をんなぎみ)(かほ)はいと(あか)(にほ)ひて、こぼるばかりの御愛敬(おほんあいぎゃう)にて、(なみだ)もこぼれぬるを、よろづの罪忘(つみわす)れてあはれにらうたしと御覧(ごらん)ぜらる
女君、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれたのを、一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。
羞恥(しゅうち)(ほお)を染めているためにいっそうはなやかに、愛嬌(あいきょう)がこぼれるように見える尚侍も涙を流しているのを御覧になると、どんな罪も許すに余りあるように思召されて、御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
1.2.5
などか、御子(みこ)をだに()たまへるまじき
口惜(くちを)しうもあるかな。
(ちぎ)(ふか)(ひと)のためには、今見出(いまみい)でたまひてむ(おも)ふも、口惜(くちを)しや。
(かぎ)りあればただ(うど)にてぞ()たまはむかし」
「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。
残念なことよ。
ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。
身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」
「なぜあなたに子供ができないのだろう。残念だね。前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまたその(よろこ)びをする日もあるだろうと思うとくやしい。それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
1.2.6
など、()(すゑ)のことをさへのたまはするに、いと()づかしうも(かな)しうもおぼえたまふ
御容貌(おほんかたち)など、なまめかしうきよらにて、(かぎ)りなき御心(みこころ)ざしの年月(としつき)()ふやうにもてなさせたまふに、めでたき(ひと)なれどさしも(おも)ひたまへらざりしけしき、(こころ)ばへなど、もの(おも)()られたまふままに、などて、わが(こころ)(わか)くいはけなきにまかせて、さる(さわ)ぎをさへ()()でて、わが()をばさらにもいはず、(ひと)(おほん)ためさへ」など(おぼ)()づるに、いと()御身(おほんみ)なり
などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。
お顔など、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすので、素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子、気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。
こんな未来のことまでも仰せになるので、恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。帝は御容姿もおきれいで、深く尚侍をお愛しになる御心は年月とともに顕著になるのを、尚侍は知っていて、源氏はすぐれた男であるが、自分を思う愛はこれほどのものでなかったということもようやく悟ることができてきては、若い無分別さからあの大事件までも引き起こし、自分の名誉を傷つけたことはもとより、あの人にも苦労をさせることになったとも思われて、それも皆自分が薄倖(はっこう)な女だからであるとも悲しんでいた。

第三段 東宮の御元服と御世替わり

1.3.1
()くる(とし)如月(きさらぎ)に、春宮(とうぐう)御元服(ごげんぶく)のことあり
十一(じふいち)になりたまへど、ほどより(おほ)きに、おとなしうきよらにて、ただ源氏(げんじ)大納言(だいなごん)御顔(おほんかほ)(ふた)つに(うつ)したらむやうに()えたまふ。
いとまばゆきまで(ひか)りあひたまへるを、世人(よひと)めでたきものに()こゆれど、母宮(ははみや)いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心(みこころ)()くしたまふ。
翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある。
十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。
たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
翌年の二月に東宮の御元服があった。十二でおありになるのであるが、御年齢のわりには御大人(おんおとな)らしくて、おきれいで、ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、世間ではおほめしているが、母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。
1.3.2
内裏(うち)にも、めでたしと()たてまつりたまひて、()中譲(なかゆづ)りきこえたまふべきことなど、なつかしう()こえ()らせたまふ。
主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
1.3.3
(おな)(つき)二十余日(にじふよにち)御国譲(みくにゆづ)りのことにはかなれば、大后思(おほきさきおぼ)しあわてたり。
同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。太后はお驚きになった。
1.3.4 「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
「ふがいなく思召すでしょうが、私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
1.3.5
とぞ、()こえ(なぐさ)めたまひける。
といって、
と帝はお慰めになったのであった。
1.3.6
(ばう)には承香殿(そきゃうでん)皇子(みこ)ゐたまひぬ。
()中改(なかあらた)まりて、()()(いま)めかしきことども(おほ)かり。
源氏(げんじ)大納言(だいなごん)内大臣(ないだいじん)になりたまひぬ。
数定(かずさだ)まりて、くつろぐ(ところ)もなかりければ(くは)はりたまふなりけり。
東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。
世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。
源氏の大納言は、内大臣におなりになった。
席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。
東宮には承香殿(じょうきょうでん)女御(にょご)のお生みした皇子がお立ちになった。
1.3.7
やがて()政事(まつりごと)をしたまふべきなれど、さやうの(こと)しげき(そく)には()へずなむ」とて、致仕(ちじ)大臣(おとど)摂政(せっしゃう)したまふべきよし、(ゆづ)りきこえたまふ。
ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのようないそがしい職務には耐えられない」と言って、致仕の大臣に、摂政をなさるように、お譲り申し上げなさる。
すべてのことに新しい御代(みよ)の光の見える日になった。見聞きする()に耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。源氏の大納言は内大臣になった。左右の大臣の席がふさがっていたからである。そして摂政(せっしょう)にこの人がなることも当然のことと思われていたが、「私はそんな忙しい職に堪えられない」と言って、致仕(ちし)の左大臣に摂政を譲った。
1.3.8
(やまひ)によりて(くらゐ)(かへ)したてまつりてしを、いよいよ(おい)のつもり()ひて、さかしきことはべらじ」
「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」
「私は病気によっていったん職をお返しした人間なのですから、今日はまして年も老いてしまったし、そうした重任に当たることなどはだめです」
1.3.9
と、()けひき(まう)したまはず。
(ひと)(くに)にも、こと(うつ)()中定(なかさだ)まらぬ(をり)は、(ふか)(やま)(あと)()えたる(ひと)だにも、(をさ)まれる()には、白髪(しろかみ)()ぢず()(つか)へけるをこそ、まことの(ひじり)にはしけれ。
(やまひ)(しづ)みて、(かへ)(まう)したまひける(くらゐ)を、()中変(なかか)はりてまた(あらた)めたまはむに、さらに(とが)あるまじう」、(おほやけ)私定(わたくしさだ)めらる
さる(ためし)もありければ、すまひ()てたまはで、太政大臣(だいじゃうだいじん)になりたまふ。
御年(おほんとし)六十三(ろくじふさん)にぞなりたまふ
と、ご承諾なさらない。
「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時は、深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には、白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖人だと言っていた。
病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷、世間ともに決定される。
そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。
お歳も六十三におなりである。
と大臣は言って引き受けない。「支那(しな)でも政界の混沌(こんとん)としている時代は退(しりぞ)いて隠者になっている人も治世の君がお決まりになれば、白髪も恥じずお仕えに出て来るような人をほんとうの聖人だと言ってほめています。御病気で御辞退になった位を次の天子の御代に改めて頂戴(ちょうだい)することはさしつかえがありませんよ」と源氏も、公人として私人として忠告した。大臣も断わり切れずに太政大臣になった。年は六十三であった。
1.3.10
()(なか)すさまじきにより、かつは()もりゐたまひしをとりかへし(はな)やぎたまへば、御子(みこ)どもなど(しづ)むやうにものしたまへるを、皆浮(みなう)かびたまふ。
とりわきて、宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)権中納言(ごんのちゅうなごん)になりたまふ
かの()(きみ)御腹(おほんはら)姫君(ひめぎみ)十二(じふに)になりたまふを、内裏(うち)(まゐ)らせむとかしづきたまふ。
かの「高砂(たかさご)(うた)ひし(きみ)かうぶりせさせて、いと(おも)ふさまなり。
腹々(はらばら)御子(みこ)どもいとあまた次々(つぎつぎ)()()でつつにぎははしげなるを、源氏(げんじ)大臣(おとど)(うらや)みたまふ。
世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。
とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。
あの四の君腹の姫君、十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。
あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。
ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は、羨ましくお思いになる。
事実は先朝に権力をふるった人たちに飽き足りないところがあって引きこもっていたのであるから、この人に栄えの春がまわってきたわけである。一時不遇なように見えた子息たちも浮かび出たようである。その中でも宰相中将は権中納言になった。四の君が生んだ今年十二になる姫君を早くから後宮に擬して中納言は大事に育てていた。以前二条の院につれられて来て高砂(たかさご)を歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。
1.3.11
大殿腹(おほとのばら)若君(わかぎみ)(ひと)よりことにうつくしうて、内裏(うち)春宮(とうぐう)殿上(てんじゃう)したまふ
故姫君(こひめぎみ)()せたまひにし(なげ)きを(みや)大臣(おとど)またさらに(あらた)めて(おぼ)(なげ)く。
されど、おはせぬ名残(なごり)も、ただこの大臣(おとど)御光(おほんひかり)に、よろづもてなされたまひて(とし)ごろ、(おぼ)(しづ)みつる名残(なごり)なきまで(さか)えたまふ。
なほ(むかし)御心(みこころ)ばへ()はらず、折節(をりふし)ごとに(わた)りたまひなどしつつ、若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)たち、さらぬ(ひと)びとも、(とし)ごろのほどまかで()らざりけるは(みな)さるべきことに()れつつ、よすがつけむことを(おぼ)しおきつるに(さいは)人多(びとおほ)くなりぬべし
大殿腹の若君、誰よりも格別におかわいらしゅうて、内裏や東宮御所の童殿上なさる。
故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣、改めてお嘆きになる。
けれど、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。
やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
太政大臣家で育てられていた源氏の子はだれよりも美しい子供で、御所へも東宮へも殿上童(てんじょうわらわ)として出入りしているのである。源氏の(あおい)夫人の死んだことを、父母はまたこの栄えゆく春に悲しんだ。しかしすべてが昔の婿の源氏によってもたらされた光明であって、何年かの暗い影が源氏のためにこの家から取り去られたのである。源氏は今も昔のとおりに老夫妻に好意を持っていて何かの場合によく(たず)ねて行った。若君の乳母(めのと)そのほかの女房も長い間そのままに勤めている者に、厚く(むく)いてやることも源氏は忘れなかった。幸せ者が多くできたわけである。
1.3.12
二条院(にでうのゐん)にも、(おな)じごと()ちきこえける(ひと)を、あはれなるものに(おぼ)して、(とし)ごろの(むね)あくばかりと(おぼ)せば、中将(ちゅうじゃう)中務(なかつかさ)やうの(ひと)びとには、ほどほどにつけつつ(なさ)けを()えたまふに、(おほん)いとまなくて、他歩(ほかあり)きもしたまはず。
二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を、殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになると、中将の君、中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。
二条の院でもそのとおりに、主人を変えようともしなかった女房を源氏は好遇した。また中将とか、中務(なかつかさ)とかいう愛人関係であった人たちにも、多年の孤独が慰むるに足るほどな愛撫(あいぶ)が分かたれねばならないのであったから、暇がなくて外歩きも源氏はしなかった。
1.3.13
二条院(にでうのゐん)(ひんがし)なる(みや)(ゐん)御処分(ごしょぶん)なりしを、()なく(あらた)(つく)らせたまふ
花散里(はなちるさと)などやうの心苦(こころぐる)しき(ひと)びと()ませむ」など、(おぼ)()てて(つくろ)はせたまふ
二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。
「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。
二条の院の東に隣った(やしき)は院の御遺産で源氏の所有になっているのをこのごろ源氏は新しく改築させていた。花散里(はなちるさと)などという恋人たちを住ませるための設計をして造られているのである。

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生


第一段 宿曜の予言と姫君誕生

2.1.1
まことや、「かの明石(あかし)心苦(こころぐる)しげなりしことはいかに」と、(おぼ)(わす)るる(とき)なければ、(おほやけ)(わたくし)いそがしき(まぎ)れに、(おぼ)すままにも(とぶら)ひたまはざりけるを三月朔日(やよひのついたち)のほど、「このころや」と(おぼ)しやるに、人知(ひとし)れずあはれにて、御使(おほんつかひ)ありけり。
とく(かへ)(まゐ)りて、
そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。
早く帰って参って、
源氏は明石(あかし)の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
2.1.2 「十六日でした。
女の子で、ご無事でございます」
「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
2.1.3
()げきこゆ。
めづらしきさまにてさへあなるを(おぼ)すに、おろかならず。
などて、(きゃう)(むか)へてかかることをもせさせざりけむ」と、口惜(くちを)しう(おぼ)さる。
とご報告する。
久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。
「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
という(しら)せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。
2.1.4
宿曜(すくえう)に、
宿曜の占いで、
源氏の運勢を占って、
2.1.5 「お子様は三人。
帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。
その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
子は三人で、(みかど)(きさき)が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。
2.1.6
と、(かんが)(まう)したりしこと、さしてかなふなめり
おほかた、(かみ)なき(くらゐ)(のぼ)り、()をまつりごちたまふべきことさばかりかしこかりしあまたの相人(さうにん)どもの()こえ(あつ)めたるを、(とし)ごろは()のわづらはしさにみな(おぼ)()ちつるを、当帝(たうだい)のかく(くらゐ)にかなひたまひぬることを、(おも)ひのごとうれしと(おぼ)す。
みづからも、もて(はな)れたまへる(すぢ)は、さらにあるまじきこと」と(おぼ)す。
と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。
おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。
ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人(そうにん)たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座(たかみくら)の栄誉を(ねが)わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。
2.1.7
あまたの皇子(みこ)たちのなかにすぐれてらうたきものに(おぼ)したりしかど、ただ(うど)(おぼ)しおきてける御心(みこころ)(おも)ふに、宿世遠(すくせとほ)かりけり
内裏(うち)のかくておはしますを、あらはに(ひと)()ることならねど、相人(さうにん)(こと)むなしからず」
「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。
主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。
2.1.8
と、御心(みこころ)のうちに(おぼ)しけり。
(いま)()(すゑ)のあらましごとを(おぼ)すに、
と、ご心中お思いになるのであった。
今、これから先の予想をなさると、
源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。(きさき)が一人自分から生まれるということに明石の(しら)せが符合することから、
2.1.9
住吉(すみよし)(かみ)のしるべまことにかの(ひと)()になべてならぬ宿世(すくせ)にて、ひがひがしき(おや)(およ)びなき(こころ)をつかふにやありけむ。
さるにては、かしこき(すぢ)にもなるべき(ひと)あやしき世界(せかい)にて()まれたらむはいとほしうかたじけなくもあるべきかな。
このほど()ぐして(むか)へてむ」
「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。
そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。
いましばらくしてから迎えよう」
住吉(すみよし)の神の庇護(ひご)によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎(いなか)で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、
2.1.10 とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。

第二段 宣旨の娘を乳母に選定

2.2.1 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
明石のような田舎に相当な乳母(めのと)がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨(せんじ)という女の娘で父は宮内卿(くないきょう)宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その(うわさ)を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ(おもむ)くことの交渉を始めさせた。
2.2.2
まだ(わか)く、何心(なにごころ)もなき(ひと)にて()()人知(ひとし)れぬあばら()に、(なが)むる心細(こころぼそ)さなれば、(ふか)うも(おも)ひたどらず、この(おほん)あたりのことをひとへにめでたう(おも)ひきこえて、(まゐ)るべきよし(まう)させたり。
いとあはれにかつは(おぼ)して、()だし()てたまふ
まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。
たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい(あば)ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでから(こが)れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎(いなか)下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
2.2.3
もののついでにいみじう(しの)びまぎれておはしまいたり。
さは()こえながら、いかにせまし(おも)(みだ)れけるを、いとかたじけなきに、よろづ(おも)(なぐさ)めて、
外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。
そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶(はんもん)していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
2.2.4
「ただ、のたまはせむままに」
「ただ、仰せのとおりに」
「御意のとおりにいたします」
2.2.5
()こゆ。
()ろしき()なりければ、(いそ)がし()てたまひて、
と申し上げる。
日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
2.2.6
あやしう、(おも)ひやりなきやうなれど(おも)ふさま(こと)なることにてなむ。
みづからもおぼえぬ()まひに(むす)ぼほれたりし(ためし)(おも)ひよそへて、しばし(ねん)じたまへ」
「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。
わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば()れてしまうよ」
2.2.7
など、ことのありやう(くは)しう(かた)らひたまふ。
などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。
2.2.8
主上(うへ)宮仕(みやづか)時々(ときどき)せしかば、()たまふ(をり)もありしを、いたう(おとろ)へにけり。
(いへ)のさまも()()らず()れまどひて、さすがに、(おほ)きなる(ところ)の、木立(こだち)など(うと)ましげに、いかで()ぐしつらむ」と()ゆ。
(ひと)のさま、(わか)やかにをかしければ、御覧(ごらん)(はな)たれず。
とかく(たはぶ)れたまひて
主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。
家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。
人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。
何やかやと冗談をなさって、
母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌(ようぼう)が衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木なども(しげ)りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談(じょうだん)を言ったりするのにもおもしろい相手であった。
2.2.9 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。
どう思いますか」
「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
2.2.10
とのたまふにつけても、げに、(おな)じうは御身近(おほんみちか)うも(つか)うまつり()れば、()()(なぐさ)みなまし」と()たてまつる。
とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
2.2.11 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
別れは惜しい気がするものであるよ
「かねてより隔てぬ中とならはねど
別れは惜しきものにぞありける
2.2.12 追いかけて行こうかしら」
いっしょに行こうかね」
2.2.13
とのたまへば、うち(わら)ひて、
とおっしゃると、にっこりして、
と源氏が言うと、女は笑って、
2.2.14 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」
うちつけの別れを惜しむかごとにて
思はん方に慕ひやはせぬ
2.2.15 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
と冷やかしもした。

第三段 乳母、明石へ出発

2.3.1
(くるま)にてぞ(きゃう)のほどは()(はな)れける
いと(した)しき(ひと)さし()へたまひて、ゆめ()らすまじく(くち)がためたまひて(つか)はす。
御佩刀(みはかし)さるべきものなど、所狭(ところせ)きまで(おぼ)しやらぬ(くま)なし。
乳母(めのと)にも、ありがたうこまやかなる(おほん)いたはりのほど、(あさ)からず。
車で京の中は出て行ったのであった。
ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。
御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。
乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。
京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母(めのと)は送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。
2.3.2
入道(にふだう)(おも)かしづき(おも)ふらむありさま(おも)ひやるも、ほほ()まれたまふこと(おほ)く、また、あはれに心苦(こころぐる)しうも、ただこのことの御心(みこころ)にかかるも、(あさ)からぬにこそは
御文(おほんふみ)にも、おろかにもてなし(おも)ふまじ」と、(かへ)(がへ)すいましめたまへり。
入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。
お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返し(いまし)めてあった。
2.3.3 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」
いつしかも(そで)うちかけんをとめ子が
世をへて()でん岩のおひさき
2.3.4
()(くに)までは(ふね)にて、それよりあなたは(むま)にて、(いそ)()()きぬ。
摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
こんな歌も送ったのである。摂津の国境(くにざかい)までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。
2.3.5
入道待(にふだうま)ちとり、(よろこ)びかしこまりきこゆること、(かぎ)りなし。
そなたに()きて(おが)みきこえて、ありがたき御心(みこころ)ばへを(おも)ふに、いよいよいたはしう、(おそ)ろしきまで(おも)ふ。
入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。
そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。
2.3.6
稚児(ちご)のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。
げに、かしこき御心(みこころ)に、かしづききこえむと(おぼ)したるは、むべなりけり」と()たてまつるに、あやしき(みち)()()ちて、(ゆめ)心地(ここち)しつる(なげ)きもさめにけり。
いとうつくしうらうたうおぼえて、(あつか)ひきこゆ。
幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。
「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。
たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明(そうめい)な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。
2.3.7
子持(こも)ちの(きみ)(つき)ごろものをのみ(おも)(しづ)みて、いとど(よわ)れる心地(ここち)に、()きたらむともおぼえざりつるを、この(おほん)おきての、すこしもの(おも)(なぐさ)めらるるにぞ、(かしら)もたげて、御使(おほんつかひ)にも()なきさまの(こころ)ざしを()くす。
とく(まゐ)りなむ(いそ)(くる)しがれば、(おも)ふことどもすこし()こえ(つづ)けて、
子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。
早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、
若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
2.3.8 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
大きなご加護を期待しております」
一人して()づるは(そで)のほどなきに
(おほ)ふばかりの(かげ)をしぞ待つ
2.3.9
()こえたり。
あやしきまで御心(みこころ)にかかり、ゆかしう(おぼ)さる。
と申し上げた。
不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。
と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。

第四段 紫の君に姫君誕生を語る

2.4.1 女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
2.4.2
さこそあなれ
あやしうねぢけたるわざなりや。
さもおはせなむと(おも)ふあたりには、(こころ)もとなくて(おも)ひの(ほか)に、口惜(くちを)しくなむ
(をんな)にてあなれば、いとこそものしけれ
(たづ)()らでもありぬべきことなれど、さはえ(おも)()つまじきわざなりけり。
()びにやりて()せたてまつらむ。
(にく)みたまふなよ」
「こう言うことなのだそうです。
妙にうまく行かないものですね。
そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。
女の子だそうなので、何ともつまりません。
放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。
呼びにやってお見せ申し上げましょう。
お憎みなさいますなよ」
「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
2.4.3
()こえたまへば、(おもて)うち(あか)みて、
とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、

2.4.4
あやしう、つねにかやうなる(すぢ)のたまひつくる(こころ)のほどこそ、われながら(うと)ましけれ。
もの(にく)みは、いつならふべきにか」
「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。
嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
2.4.5
(ゑん)じたまへば、いとよくうち()みて、
とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
女王(にょおう)(うら)んだ。
2.4.6
そよ
()がならはしにかあらむ
(おも)はずにぞ()えたまふや。
(ひと)(こころ)より(ほか)なる(おも)ひやりごとして、もの(ゑん)じなどしたまふよ。
(おも)へば(かな)し」
「そうですね。
誰が教えこたとでしょう。
意外にお見受けしますよ。
皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。
考えると悲しい」
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度(そんたく)して恨んでいるから私としては悲しくなる」
2.4.7
とて、()()ては(なみだ)ぐみたまふ。
(とし)ごろ()かず(かな)しと(おも)ひきこえたまひし御心(みこころ)のうちども折々(をりをり)御文(おほんふみ)(かよ)ひなど(おぼ)()づるには、よろづのこと、すさびにこそあれ」と(おも)()たれたまふ。
とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。
長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
2.4.8
この(ひと)を、かうまで(おも)ひやり言問(ことと)ふは、なほ(おも)ふやうのはべるぞ。
まだきに()こえば、またひが心得(こころえ)たまふべければ」
「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。
今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
2.4.9
とのたまひさして、
と言いさしなさって、
とその話を続けずに、
2.4.10
(ひと)がらのをかしかりしも、(ところ)からにや、めづらしうおぼえきかし」
「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
2.4.11
など(かた)りきこえたまふ。
などと、お話し申し上げになる。
などと子の母について語った。
2.4.12
あはれなりし(ゆふ)べの(けぶり)()ひしことなど、まほならねど、その()容貌(かたち)ほの()し、(こと)()のなまめきたりしも、すべて御心(みこころ)とまれるさまにのたまひ()づるにも、
しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌(ようぼう)の批評、名手らしい琴の()きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、
2.4.13
われはまたなくこそ(かな)しと(おも)(なげ)きしか、すさびにても、(こころ)()けたまひけむよ」
「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、
2.4.14
と、ただならず、(おも)(つづ)けたまひて、われは、われ」と、うち(そむ)(なが)めて、あはれなりし()のありさま」など(ひと)(ごと)のやうにうち(なげ)きて、
と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、
仮にもせよ良人(おっと)は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息(たんそく)をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
 「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言(ひとりごと)のようにこう言ってから、
2.4.15 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
わたしは先に煙となって死んでしまいたい」
思ふどち(なび)く方にはあらずとも
(われ)ぞ煙に先立ちなまし
2.4.16 「何とおっしゃいます。
嫌なことを。
「何ですって、情けないじゃありませんか、
2.4.17 いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
たれにより世をうみやまに行きめぐり
絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
2.4.18
いでや、いかでか()えたてまつらむ。
(いのち)こそかなひがたかべいものなめれ
はかなきことにて、(ひと)(こころ)おかれじと(おも)ふも、ただ(ひと)つゆゑぞや
さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。
寿命だけは思うようにならないもののようですが。
つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと(なが)く幸福でいたいためじゃないのですか」
2.4.19
とて、(さう)御琴引(おほんことひ)()せて、()(あは)せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、()()れたまはず。
いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念(しふね)きところつきて、もの(ゑん)じしたまへるが、なかなか愛敬(あいぎゃう)づきて腹立(はらだ)ちなしたまふを、をかしう()どころあり(おぼ)す。
と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。
とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
源氏は十三絃の()き合わせをして、()けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬(しっと)はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。

第五段 姫君の五十日の祝

2.5.1
五月五日(ごがちのいつか)にぞ、五十日(いか)には()たるらむ」と、人知(ひとし)れず(かぞ)へたまひて、ゆかしうあはれに(おぼ)しやる。
(なに)ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。
口惜(くちを)しのわざや。
さる(ところ)にしも心苦(こころぐる)しきさまにて、()()たるよ」と(おぼ)す。
男君(をとこぎみ)ならましかばかうしも御心(みこころ)にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世(おほんすくせ)も、この(おほん)ことにつけてぞかたほなりけり」と(おぼ)さるる
「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。
「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。
残念なことだ。
よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。
「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
五月の五日が五十日(いか)の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎(いなか)で父のいぬ場所で生まれるとは(あわ)れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、(きさき)の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。
2.5.2
御使出(おほんつかひい)だし()てたまふ。
お使いの者をお立てになる。
五十日(いか)のために源氏は明石へ使いを出した。
2.5.3
「かならずその日違(ひたが)へずまかり()け」
「必ずその日に違わずに到着せよ」
「ぜひ当日着くようにして行け」
2.5.4
とのたまへば、五日(いつか)()()きぬ。
(おぼ)しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪(おほんとぶ)らひもあり。
とおっしゃったので、五日に到着した。
ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢(かしゃ)な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。
2.5.5 「海松は、
いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の
海松や時ぞともなきかげにゐて
何のあやめもいかにわくらん
2.5.6
(こころ)のあくがるるまでなむ。
なほ、かくてはえ()ぐすまじきを、(おも)()ちたまひね。
さりとも、うしろめたきことは、よも」
飛んで行きたい気持ちです。
やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。
いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
2.5.7
()いたまへり。
と書いてある。
という手紙であった。
2.5.8
入道(にふだう)(れい)の、(よろこ)()きしてゐたり。
かかる(をり)は、()けるかひもつくり()でたることわりなりと()ゆ。
入道は、いつもの喜び泣きをしていた。
このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。
入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。
2.5.9
ここにも、よろづ所狭(ところせ)きまで(おも)(まう)けたりけれど、この御使(おほんつかひ)なくは、(やみ)()にてこそ()れぬべかりけれ
乳母(めのと)も、この女君(をんなぎみ)のあはれに(おも)ふやうなるを、(かた)らひ(びと)にて()(なぐさ)めにしけり。
をさをさ(おと)らぬ(ひと)(るい)()れて(むか)()りてあらすれど、こよなく(おとろ)へたる宮仕(みやづか)(びと)などの、(いはほ)中尋(なかたづ)ぬるが()()まれるなどこそあれこれは、こよなうこめき(おも)ひあがれり。
ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。
乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。
さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。
明石でも式の用意は派手(はで)にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母(めのと)も明石の君の優しい気質に馴染(なじ)んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の(むすめ)もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに()り尽くされたような年配の者が生活の苦から(のが)れるために田舎(いなか)下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳(しんしん)の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。
2.5.10
()きどころある()物語(ものがたり)などして、大臣(おとど)(きみ)(おほん)ありさま、()にかしづかれたまへる(おほん)おぼえのほども、女心地(をんなごこち)にまかせて(かぎ)りなく(かた)()くせば、げに、かく(おぼ)()づばかりの名残(なごり)とどめたる()も、いとたけく」やうやう(おも)ひなりけり。
御文(おほんふみ)ももろともに()(こころ)のうちに、
聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。
お手紙を一緒に見て、心の中で、
源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、
2.5.11
あはれ、かうこそ(おも)ひの(ほか)に、めでたき宿世(すくせ)はありけれ。
()きものはわが()こそありけれ」
「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。
不幸なのはわたしだわ」
人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、
2.5.12
と、(おも)(つづ)けらるれど、乳母(めのと)のことはいかに」など、こまやかに(とぶ)らはせたまへるもかたじけなく、(なに)ごとも(なぐさ)めけり。
と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。
2.5.13
御返(おほんかへ)りには、
お返事には、
返事は、
2.5.14 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません
数ならぬみ島がくれに鳴く(たづ)
今日もいかにと()ふ人ぞなき
2.5.15
よろづに(おも)うたまへ(むす)ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰(おほんなぐさ)めにかけはべる(いのち)のほども、はかなくなむ。
げに、(うし)ろやすく(おも)うたまへ()くわざもがな」
いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。
仰せの通りに、
いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
2.5.16
とまめやかに()こえたり。
と、心からお頼み申し上げた。
というので、信頼した心持ちが現われていた。

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

2.6.1
うち(かへ)()たまひつつ、「あはれ」と、(なが)やかにひとりごちたまふを、女君(をんなぎみ)しり()()おこせて、
何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
何度も同じ手紙を見返しながら、「かわいそうだ」と長く声を引いて独言(ひとりごと)を言っているのを、夫人は横目にながめて、
2.6.2
(うら)よりをちに()(ふね)の」
「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」
「浦より(をち)()ぐ船の」
2.6.3
と、(しの)びやかにひとりごち、(なが)めたまふを、
と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
(我をば(よそ)に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
2.6.4
まことは、かくまでとりなしたまふよ。
こは、ただ、かばかりのあはれぞや。
(ところ)のさまなど、うち(おも)ひやる時々(ときどき)()(かた)のこと(わす)れがたき(ひと)(ごと)を、ようこそ()()ぐいたまはね」
「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。
これは、ただ、これだけの愛情ですよ。
土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息(たんそく)が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
2.6.5
など、(うら)みきこえたまひて、上包(うはづつみ)ばかりを()せたてまつらせたまふ
(ふで)などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦(ひとくる)しげなるをかかればなめり」と、(おぼ)す。
などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。
筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女(きじょ)も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。

第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向


第一段 花散里訪問

3.1.1
かく、この御心(みこころ)とりたまふほどに、花散里(はなちるさと)などを()()てたまひぬるこそいとほしけれ。
公事(おほやけごと)(しげ)く、所狭(ところせ)御身(おほんみ)に、(おぼ)(はばか)るに()へても、めづらしく御目(おほんめ)おどろくことのなきほど(おも)ひしづめたまふなめり
このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。
公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。
こんなふうに紫の女王(にょおう)機嫌(きげん)を取ることにばかり追われて、花散里(はなちるさと)(たず)ねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈(きゅうくつ)さもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟(しげき)も与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心の()き立つこともないのであった。
3.1.2
五月雨(さみだれ)つれづれなるころ公私(おほやけわたくし)もの(しづ)かなるに、(おぼ)()こして(わた)りたまへり。
よそながらも、()()れにつけて、よろづに(おぼ)しやり(とぶ)らひきこえたまふを(たの)みにて、()ぐいたまふ(ところ)なれば、(いま)めかしう(こころ)にくきさまに、そばみ(うら)みたまふべきならねば、(こころ)やすげなり。
(とし)ごろに、いよいよ()れまさり、すごげにておはす。
五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。
訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。
この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
五月雨(さみだれ)のころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇(ひま)であったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命を(なげ)く程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内(やしきうち)はいよいよ荒れて、すごいような広い住居(すまい)であった。
3.1.3
女御(にょうご)(きみ)御物語聞(おほんものがたりき)こえたまひて、西(にし)妻戸(つまど)夜更(よふ)かして()()りたまへり。
(つき)おぼろにさし()りて、いとど(えん)なる(おほん)ふるまひ、()きもせず()えたまふ。
いとどつつましけれど、端近(はしちか)ううち(なが)めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。
水鶏(くひな)のいと(ちか)()きたるを、
女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。
月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。
ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。
水鶏がとても近くで鳴いているので、
姉の女御(にょご)の所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。(おぼ)ろな月のさし込む戸口から(えん)な姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏(くいな)が近くで鳴くのを聞いて、
3.1.4 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」
水鶏だに驚かさずばいかにして
荒れたる宿に月を入れまし
3.1.5 と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。
3.1.6
とりどりに()てがたき()かな。
かかるこそ、なかなか()(くる)しけれ」
「それぞれに捨てがたい人よ。
このような人こそ、かえって気苦労することだ」
どの人にも自身を()く力のあるのを知って源氏は苦しかった。
3.1.7
(おぼ)す。
とお思いになる。

3.1.8 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
「おしなべてたたく水鶏に驚かば
うはの空なる月もこそ入れ
3.1.9 心配ですね」
私は安心していられない」
3.1.10
とは、なほ(こと)()こえたまへど、あだあだしき(すぢ)など、(うたが)はしき御心(みこころ)ばへにはあらず。
(とし)ごろ、()()ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには(おぼ)されざりけり。
(そら)(なが)めそ」と、(たの)めきこえたまひし(をり)のことも、のたまひ()でて
とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。
長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。
「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守(るす)の間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
3.1.11
などて、たぐひあらじといみじうものを(おも)(しづ)みけむ。
()()からは、(おな)(なげ)かしさにこそ」
「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。
辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」
「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
3.1.12
とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。
(れい)の、いづこの御言(おほんこと)()にかあらむ()きせずぞ(かた)らひ(なぐさ)めきこえたまふ。
とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。
例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。
と恨みともなしにおおように言っているのが可憐(かれん)であった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。

第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍

3.2.1
かやうのついでにも、五節(ごせち)(おぼ)(わす)れず、また()てしがな」と、(こころ)にかけたまへれど、いとかたきことにて、(まぎ)れたまはず。
このような折にも、あの五節をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。
こんな機会がまた作られたならば、大弐(だいに)五節(ごせち)に逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。
3.2.2
(をんな)もの(おも)()えぬを、(おや)はよろづに(おも)()ふこともあれど、()()むことを(おも)()えたり
女は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。
女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。
3.2.3 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。
源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。
3.2.4
かの(ゐん)(つく)りざま、なかなか()どころ(おほ)く、(いま)めいたり。
よしある受領(ずりゃう)などを()りて、()()てに(もよほ)したまふ。
東の院の造りようは、かえって見所が多く今風である。
風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。
東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
3.2.5
尚侍(ないしのかん)(きみ)なほえ(おも)(はな)ちきこえたまはず。
こりずまに()(かへ)り、御心(みこころ)ばへもあれど、(をんな)()きに()りたまひて、(むかし)のやうにもあひしらへきこえたまはず。
なかなか、所狭(ところせ)う、さうざうしう()(なか)(おぼ)さる。
尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。
失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。
かえって、窮屈で、間柄を物足りないと、お思いになる。
源氏は今も尚侍(ないしのかみ)を恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、また(あぶな)いこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。

第三段 旧後宮の女性たちの動向

3.3.1
(ゐん)はのどやかに(おぼ)しなりて時々(ときどき)につけて、をかしき御遊(おほんあそ)びなど、(この)ましげにておはします。
女御(にょうご)更衣(かうい)みな(れい)のごとさぶらひたまへど、春宮(とうぐう)御母女御(おほんははにょうご)のみぞとり()てて(とき)めきたまふこともなく、尚侍(かん)(きみ)(おほん)おぼえにおし()たれたまへりしを、かく()()へ、めでたき御幸(おほんさいは)ひにて、(はな)()でて(みや)()ひたてまつりたまへる。
院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊など、御機嫌よろしうおいであそばす。
女御、更衣、みな院の御所に伺候していらっしゃるが、東宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって、結構なご幸福で、離れて東宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。
院は暢気(のんき)におなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御(にょご)更衣(こうい)も御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御寵愛(ちょうあい)があったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。
3.3.2
この大臣(おとど)御宿直所(おほんとのゐどころ)は、(むかし)淑景舎(しげいしゃ)なり。
梨壺(なしつぼ)春宮(とうぐう)はおはしませば、近隣(ちかどなり)御心寄(みこころよ)せに、(なに)ごとも()こえ(かよ)ひて、(みや)をも後見(うしろみ)たてまつりたまふ。
この内大臣のご宿直所は、昔から淑景舎である。
梨壷に東宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合い申し上げなさって、東宮をもご後見申し上げになさる。
源氏の現在の宿直所(とのいどころ)もやはり昔の桐壺(きりつぼ)であって、梨壺(なしつぼ)に東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。
3.3.3
入道后(にふだうきさい)(みや)御位(みくらゐ)をまた(あらた)めたまふべきならねば太上天皇(だいじゃうてんわう)になずらへて、御封賜(みぶたまは)らせたまふ。
院司(ゐんじ)どもなりてさまことにいつくし。
御行(おほんおこ)なひ、功徳(くどく)のことを、(つね)(おほん)いとなみにておはします。
(とし)ごろ、()(はばか)りて()()りも(かた)く、()たてまつりたまはぬ(なげ)きをいぶせく(おぼ)しけるに、(おぼ)すさまにて、(まゐ)りまかでたまふもいとめでたければ、大后(おほきさき)は、()きものは()なりけり」と(おぼ)(なげ)く。
入道后の宮は、御位を再びお改めになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。
院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。
御勤行、功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。
ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに、胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに、参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。
入道の宮をまた新たに御母后(ごぼこう)の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院(にょいん)にあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召(おぼしめ)して、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、お()になりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。
3.3.4
大臣(おとど)はことに()れて、いと()づかしげに(つか)まつり、心寄(こころよ)せきこえたまふもなかなかいとほしげなるを(ひと)もやすからず、()こえけり。
内大臣は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。
何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。

第四段 冷泉帝後宮の入内争い

3.4.1
兵部卿親王(ひゃうぶきゃうのみこ)(とし)ごろの御心(みこころ)ばへのつらく(おも)はずにて、ただ()()こえをのみ(おぼ)(はばか)りたまひしことを、大臣(おとど)()きものに(おぼ)しおきて、(むかし)のやうにもむつびきこえたまはず。
兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらしたことを、内大臣は恨めしくお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。
兵部卿(ひょうぶきょう)親王は源氏の官位剥奪(はくだつ)時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。
3.4.2
なべての()には、あまねくめでたき御心(みこころ)なれど、この(おほん)あたりは、なかなか(なさ)けなき(ふし)も、うち()ぜたまふを、入道(にふだう)(みや)は、いとほしう本意(ほい)なきこと()たてまつりたまへり。
世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮あたりに対しては、むしろ冷淡な態度も、ままおとりになるのを、入道の宮は、困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。
一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐(ふくしゅう)的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。
3.4.3
()(なか)のこと、ただなかばを()けて、太政大臣(おほきおとど)この大臣(おとど)(おほん)ままなり。
天下の政事は、まったく二分して、太政大臣と、この内大臣のお心のままである。
現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。
3.4.4 権中納言の御娘、その年の八月に入内させなさる。
祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。
権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度(したく)であった。
3.4.5 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は、他より一段と勝るようにとも、お考えにはならないのであった。
どうなさるおつもりであろうか。
兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事にお(かし)ずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。

第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅


第一段 住吉詣で

4.1.1
その(あき)住吉(すみよし)(まう)でたまふ
(がん)ども()たしたまふべければ、いかめしき(おほん)ありきにて、()(なか)ゆすりて、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)(われ)(われ)もと(つか)うまつりたまふ。
その年の秋に、住吉にご参詣になる。
願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
この秋に源氏は住吉詣(すみよしもう)でをした。須磨(すま)明石(あかし)で立てた(がん)を神へ果たすためであって、非常な大がかりな旅になった。廷臣たちが我も我もと随行を望んだ。
4.1.2
(をり)しも、かの明石(あかし)(ひと)(とし)ごとの(れい)のことにて(まう)づるを、去年今年(こぞことし)(さは)ることありて、おこたりける、かしこまり()(かさ)ねて、(おも)()ちけり。
ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって、参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
ちょうどこの日であった、明石の君が毎年の例で参詣(さんけい)するのを、去年もこの春も(さわ)りがあって果たすことのできなかった謝罪も兼ねて、
4.1.3
(ふね)にて(まう)でたり。
(きし)にさし()くるほど、()れば、ののしりて(まう)でたまふ(ひと)のけはひ(なぎさ)()ちて、いつくしき神宝(かんだから)()(つづ)けたり。
楽人(がくにん)十列(とをつら)など、装束(さうぞく)をととのへ、容貌(かたち)(えら)びたり。
舟で参詣した。
岸に着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子、渚にいっぱいあふれていて、尊い奉納品を列をなさせていた。
楽人、十人ほど、衣装を整え、顔形の良い者を選んでいた。
船で住吉へ来た。海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列(とつら)の者もきれいな男を選んであった。
4.1.4 「どなたが参詣なさるのですか」
「どなたの御参詣なのですか」
4.1.5 と尋ねたらしいので、
と船の者が陸へ聞くと、
4.1.6
内大臣殿(ないだいじんどの)御願果(おほんがんは)たしに(まう)でたまふを、()らぬ(ひと)もありけり」
「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
「おや、内大臣様の御願(ごがん)はたしの御参詣を知らない人もあるね」
4.1.7 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
供男(ともおとこ)階級の者もこう得意そうに言う。
4.1.8
げに、あさましう月日(つきひ)もこそあれ。
なかなか、この(おほん)ありさまを(はる)かに()るも、()のほど口惜(くちを)しうおぼゆ
さすがに、かけ(はな)れたてまつらぬ宿世(すくせ)ながら、かく口惜(くちを)しき(きは)(もの)だに、もの(おも)ひなげにて、(つか)うまつるを色節(いろふし)(おも)ひたるに、(なに)罪深(つみふか)()にて、(こころ)にかけておぼつかなう(おも)ひきこえつつ、かかりける御響(おほんひび)きをも()らで、()()でつらむ」
「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに。
かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。
とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」
何とした偶然であろう、ほかの月日もないようにと明石の君は驚いたが、はるかに恋人のはなばなしさを見ては、あまりに懸隔のありすぎるわが身の上であることを痛切に知って悲しんだ。さすがによそながら巡り合うだけの宿命につながれていることはわかるのであったが、笑って行った侍さえ幸福に輝いて見える日に、罪障の深い自分は何も知らずに来て
4.1.9
など(おも)(つづ)くるに、いと(かな)しうて、人知(ひとし)れずしほたれけり。
などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。
恥ずかしい思いをするのであろうと思い続けると悲しくばかりなった。

第二段 住吉社頭の盛儀

4.2.1
松原(まつばら)深緑(ふかみどり)なるに、花紅葉(はなもみぢ)をこき()らしたると()ゆる(うへ)(きぬ)の、()(うす)き、数知(かずし)らず
六位(ろくゐ)のなかにも蔵人(くらうど)青色(あをいろ)しるく()えてかの賀茂(かも)瑞垣恨(みづがきうら)みし右近将監(うこんのじょう)靫負(ゆげひ)になりて、ことごとしげなる随身具(ずいじんぐ)したる蔵人(くらうど)なり。
松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが、数知れず見える。
六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
深い緑の松原の中に花紅葉(もみじ)()かれたように見えるのは(ほう)のいろいろであった。赤袍は五位、浅葱(あさぎ)は六位であるが、同じ六位も蔵人(くろうど)は青色で目に立った。加茂の大神を恨んだ右近丞(うこんのじょう)靫負(ゆぎえ)になって、随身をつれた派手(はで)な蔵人になって来ていた。
4.2.2
良清(よしきよ)(おな)(すけ)にて(ひと)よりことにもの(おも)ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿(あかぎぬすがた)いときよげなり。
良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿が、たいそう美しげである。
良清(よしきよ)も同じ靫負佐(ゆぎえのすけ)になってはなやかな赤袍の一人であった。
4.2.3
すべて()(ひと)びと、()()へはなやかに、(なに)ごと(おも)ふらむと()えて、うち()りたるに、(わか)やかなる上達部(かんだちめ)殿上人(てんじゃうびと)の、(われ)(われ)もと(おも)ひいどみ、馬鞍(むまくら)などまで(かざ)りを(ととの)(みが)きたまへるは、いみじき(もの)に、田舎人(ゐなかびと)(おも)へり
すべて見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、散らばっている中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな物であると、田舎者も思った。
明石に来ていた人たちが昔の面影とは違ったはなやかな姿で人々の中に混じっているのが船から見られた。若い顕官たち、殿上役人が競うように凝った姿をして、馬や(くら)にまで華奢(かしゃ)を尽くしている一行は、田舎(いなか)の見物人の目を楽しませた。
4.2.4
御車(おほんくるま)(はる)かに()やれば、なかなか、(こころ)やましくて、(こひ)しき御影(おほんかげ)をもえ()たてまつらず。
河原大臣(かはらのおとど)御例(おほんれい)をまねびて、童随身(わらはずいじん)(たまは)りたまひけるいとをかしげに装束(さうぞ)き、みづら()ひて、紫裾濃(むらさきすそご)元結(もとゆひ)なまめかしう、丈姿(たけすがた)ととのひ、うつくしげにて十人(じふにん)さまことに(いま)めかしう()ゆ。
お車を遠く見やると、かえって、心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。
河原左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人、格別はなやかに見える。
源氏の乗った車が来た時、明石の君はきまり悪さに恋しい人をのぞくことができなかった。河原(かわら)の左大臣の例で童形(どうぎょう)儀仗(ぎじょう)の人を源氏は賜わっているのである。それらは美しく装うていて、髪は分けて二つの輪のみずらを紫のぼかしの元結いでくくった十人は、背たけもそろった美しい子供である。
4.2.5
大殿腹(おほとのばら)若君(わかぎみ)(かぎ)りなくかしづき()てて、馬添(むまぞ)ひ、(わらは)のほど、皆作(みなつく)りあはせて、やう()へて装束(さうぞ)きわけたり。
大殿腹の若君、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人、童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。
近年はあまり許される者のない珍しい随身である。大臣家で生まれた若君は馬に乗せられていて、一班ずつを(そろ)えの衣裳(いしょう)にした幾班かの馬添い(わらわ)がつけられてある。
4.2.6
雲居遥(くもゐはる)かにめでたく()ゆるにつけても若君(わかぎみ)(かず)ならぬさまにてものしたまふを、いみじと(おも)
いよいよ御社(みやしろ)(かた)(をが)みきこゆ。
雲居遥かな立派さを見るにつけても、若君の人数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。
ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
最高の貴族の子供というものはこうしたものであるというように、多数の人から大事に扱われて通って行くのを見た時、明石の君は自分の子も兄弟でいながら見る影もなく扱われていると悲しかった。いよいよ御社(みやしろ)に向いて子のために念じていた。
4.2.7
(くに)守参(かみまゐ)りて、(おほん)まうけ、(れい)大臣(おとど)などの(まゐ)りたまふよりは、ことに()になく(つか)うまつりけむかし
摂津の国守が参上して、ご饗応の準備、普通の大臣などが参詣なさる時よりは、格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
摂津守が出て来て一行を饗応(きょうおう)した。普通の大臣の参詣(さんけい)を扱うのとはおのずから違ったことになるのは言うまでもない。
4.2.8
いとはしたなければ、
とてもいたたまれない思いなので、
明石の君はますます自分がみじめに見えた。
4.2.9
()()じり、(かず)ならぬ()いささかのことせむに、(かみ)見入(みい)れ、(かず)まへたまふべきにもあらず。
(かへ)らむにも中空(なかぞら)なり。
今日(けふ)難波(なには)(ふね)さし()めて、(はら)へをだにせむ」
「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。
帰るにしても中途半端である。
今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
こんな時に自分などが貧弱な御幣(みてぐら)を差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速(なにわ)のほうへ船をまわして、そこで(はら)いでもするほうがよいと思って、
4.2.10
とて、()(わた)りぬ。
と思って、
明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。

第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

4.3.1
(きみ)は、(ゆめ)にも()りたまはず、夜一夜(よひとよ)いろいろのことをせさせたまふ
まことに、(かみ)(よろこ)びたまふべきことを、()くして、()(かた)御願(おほんがん)にもうち()へ、ありがたきまで、(あそ)びののしり()かしたまふ。
君は、まったくご存知なく、一晩中、いろいろな神事を奉納させなさる。
真実に、神がお喜びになるにちがいないことを、あらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。夜通しいろいろの音楽舞楽を広前(ひろまえ)に催して、神の喜びたもうようなことをし尽くした。過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。
4.3.2
惟光(これみつ)やうの(ひと)は、(こころ)のうちに(かみ)御徳(おほんとく)をあはれにめでたしと(おも)ふ。
あからさまに()()でたまへるに、さぶらひて、()こえ()でたり。
惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。
ちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。
惟光(これみつ)などという源氏と辛苦をともにした人たちは、この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光(これみつ)が言った。
4.3.3 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
昔のことがを忘れられずに思われますので」
住吉の松こそものは悲しけれ
神代のことをかけて思へば
4.3.4 いかにもと、
源氏もそう思っていた。
4.3.5 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
「荒かりし(なみ)のまよひに住吉の
神をばかけて忘れやはする
4.3.6 霊験あらたかであったな」
確かに私は霊験を見た人だ」
4.3.7
とのたまふも、いとめでたし。
とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。
と言う様子も美しい。

第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

4.4.1
かの明石(あかし)(ふね)この(ひび)きに()されて、()ぎぬることも()こゆれば、()らざりけるよ」と、あはれに(おぼ)す。
(かみ)(おほん)しるべを(おぼ)()づるも、おろかならねば、いささかなる消息(せうそこ)をだにして心慰(こころなぐさ)めばや。
なかなかに(おも)ふらむかし」と(おぼ)す。
あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。
神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。
かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。
こちらの派手(はで)な参詣ぶりに畏縮(いしゅく)して明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。その事実を少しも知らずにいたと源氏は心で(あわれ)んでいた。初めのことも今日のことも住吉の神が二人を愛しての導きに違いないと思われて、手紙を送って慰めてやりたい、近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。
4.4.2
御社立(みやしろた)ちたまて、所々(ところどころ)逍遥(せうえう)()くしたまふ。
難波(なには)御祓(おほんはら)へ、七瀬(ななせ)によそほしう(つか)まつる。
堀江(ほりえ)のわたりを御覧(ごらん)じて、
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。
難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。
堀江のあたりを御覧になって、
住吉を立ってから源氏の一行は海岸の風光を愛しながら浪速に出た。そこでは祓いをすることになっていた。(よど)川の七瀬に祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、
4.4.3 「今はた同じ難波なる」
「今はた同じ浪速なる」
4.4.4
と、御心(みこころ)にもあらで、うち(じゅ)じたまへるを、御車(おほんくるま)のもと(ちか)惟光(これみつ)うけたまはりやしつらむさる()しもやと、(れい)にならひて(ふところ)にまうけたる柄短(つかみじか)(ふで)など、御車(おほんくるま)とどむる(ところ)にてたてまつれり。
をかし」と(おぼ)して畳紙(たたうがみ)に、
と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光、聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。
「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、
(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、その用があろうと例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、源氏の車の留められた際に提供した。源氏は懐紙に書くのであった。
4.4.5 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
めぐり逢えたとは、
みをつくし恋ふるしるしにここまでも
めぐり逢ひける(えに)は深しな
4.4.6
とて、たまへれば、かしこの心知(こころし)れる下人(しもびと)して()りけり。
駒並(こまな)めて、うち()ぎたまふにも、(こころ)のみ(うご)くに(つゆ)ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち()きぬ。
と書いて、お与えになると、あちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。
馬を多数並べて、通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、女は自身の薄倖(はっこう)さばかりが思われて悲しんでいた所へ、ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。
4.4.7 「とるに足らない身の上で、
何もかもあきらめておりましたのにどうして身を尽くしてまでお慕い
数ならでなにはのこともかひなきに
何みをつくし思ひ()めけん
4.4.8
田蓑(たみの)(しま)御禊仕(みそぎつか)うまつる、御祓(おほんはら)への(もの)につけてたてまつる。
日暮(ひく)(がた)になりゆく。
田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。
日も暮れ方になって行く。
田蓑島(たみのじま)での(はら)いの木綿(ゆう)につけてこの返事は源氏の所へ来たのである。ちょうど日暮れになっていた。
4.4.9 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。
夕方の満潮時で、海べにいる(つる)も鳴き声を立て合って身にしむ気が多くすることから、人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。
4.4.10 「涙に濡れる旅の衣は、
昔、海浜を流浪した時と同じようだ田蓑の島とい
露けさの昔に似たる旅衣(たびごろも)
田蓑(たみの)の島の名には隠れず
4.4.11
(みち)のままに、かひある逍遥遊(せうえうあそ)びののしりたまへど、御心(みこころ)にはなほかかりて(おぼ)しやる。
遊女(あそび)どもの(つど)(まゐ)れる、上達部(かんだちめ)()こゆれど、(わか)やかにこと(この)ましげなるは、(みな)()とどめたまふべかめり
されど、「いでやをかしきことも、もののあはれも、(ひと)からこそあべけれ。
なのめなることをだに、すこしあはき(かた)()りぬるは、(こころ)とどむるたよりもなきものを」と(おぼ)すに、おのが(こころ)をやりて、よしめきあへるも(うと)ましう(おぼ)しけり。
道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。
遊女連中が集まって参っているが、上達部と申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。
けれども、「さあ、風流なことも、ものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。
普通の恋愛でさえ、少し浮ついたものは、心を留める点もないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。
と源氏は歌われるのであった。遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で源氏一人は時々暗い心になった。高官であっても若い好奇心に富んだ人は、小船を()がせて集まって来る遊女たちに興味を持つふうを見せる。源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。恋のおもしろさも対象とする者に尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。恋愛というほどのことではなくても、軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑(けいべつ)した。

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

4.5.1
かの(ひと)は、()ぐしきこえて、またの()()ろしかりければ、御幣(みてぐら)たてまつる。
ほどにつけたる(がん)どもなど、かつがつ()たしける。
また、なかなかもの(おも)()はりて()()れ、口惜(くちを)しき()(おも)(なげ)く。
あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。
身分相応の願ほどきなど、ともかくも済ませたのであった。
また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。
明石の君は源氏の一行が浪速(なにわ)を立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣(みてぐら)を奉った。その人だけの願も果たしたのである。郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、人数(ひとかず)でない身の上を(なげ)き暮らしていた。
4.5.2
(いま)(きゃう)におはし()くらむと(おも)日数(ひかず)()ず、御使(おほんつかひ)あり。
このころのほどに(むか)へむことをぞのたまへる。
今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。
近々のうちに迎えることをおっしゃっていた。
もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく源氏の使いが明石へ来た。近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。
4.5.3
いと(たの)もしげに(かず)まへのたまふめれど、いさや、また、島漕(しまこ)(はな)中空(なかぞら)心細(こころぼそ)きことやあらむ」
「とても頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、故郷を立って京へ出たのちにまで源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって
4.5.4
と、(おも)ひわづらふ。
と思い悩む。
女は苦しんでいた。
4.5.5
入道(にふだう)も、さて()だし(はな)たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく(うづ)もれ()ぐさむを(おも)はむも、なかなか()(かた)(とし)ごろよりも、心尽(こころづ)くしなり。
よろづにつつましう、(おも)()ちがたきことを()こゆ。
入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。
いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。
入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって苦労は多くなったようであった。女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて出京はできないという返事をした。

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い


第一段 斎宮と母御息所上京

5.1.1
まことや、かの斎宮(さいぐう)()はりたまひにしかば御息所上(みやすんどころのぼ)りたまひてのち、()はらぬさまに(なに)ごとも(とぶ)らひきこえたまふことは、ありがたきまで、(なさ)けを()くしたまへど、(むかし)だにつれなかりし御心(みこころ)ばへの、なかなかならむ名残(なごり)()じ」と、(おも)(はな)ちたまへれば、(わた)りたまひなどすることはことになし。
そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほど、お心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、お出向きになることはない。
この御代(みよ)になった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所(みやすどころ)伊勢(いせ)から帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。
5.1.2
あながちに(うご)かしきこえたまひてもわが(こころ)ながら()りがたくとかくかかづらはむ御歩(おほんあり)きなども、所狭(ところせ)(おぼ)しなりにたれば、()ひたるさまにもおはせず。
無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。
しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。
5.1.3
斎宮(さいぐう)をぞ、いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう(おも)ひきこえたまふ。
斎宮を、「どんなにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。
斎宮がどんなにりっぱな貴女(きじょ)になっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。
5.1.4
なほ、かの六条(ろくでう)旧宮(ふるみや)をいとよく修理(すり)しつくろひたりければ、みやびかにて()みたまひけり。
よしづきたまへること、()りがたくて、よき女房(にょうばう)など(おほ)く、()いたる(ひと)(つど)(どころ)にて、ものさびしきやうなれど、(こころ)やれるさまにて()たまふほどに、にはかに(おも)くわづらひたまひて、もののいと心細(こころぼそ)(おぼ)されければ、罪深(つみふか)(ところ)ほとりに年経(としへ)つるも、いみじう(おぼ)して(あま)になりたまひぬ。
昔どおり、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。
風雅でいらっしゃること、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む所辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。
御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。
5.1.5
大臣(おとど)()きたまひて、かけかけしき(すぢ)にはあらねど、なほさる(かた)のものをも()こえあはせ、(ひと)(おも)ひきこえつるをかく(おぼ)しなりにけるが口惜(くちを)しうおぼえたまへば、おどろきながら(わた)りたまへり。
()かずあはれなる御訪(おほんとぶ)らひ()こえたまふ。
内大臣、お聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。
いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。
源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命(いのち)が惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。
5.1.6
(ちか)御枕上(おほんまくらがみ)御座(おまし)よそひて、脇息(けふそく)におしかかりて、御返(おほんかへ)りなど()こえたまふも、いたう(よわ)りたまへるけはひなれば、()えぬ(こころ)ざしのほどは、()えたてまつらでや」と、口惜(くちを)しうて、いみじう()いたまふ。
お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。
源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息(きょうそく)に倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。

第二段 御息所、斎宮を源氏に託す

5.2.1
かくまでも(おぼ)しとどめたりけるを(をんな)も、よろづにあはれに(おぼ)して、斎宮(さいぐう)(おほん)ことをぞ()こえたまふ。
こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。
どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
5.2.2
心細(こころぼそ)くてとまりたまはむをかならず、ことに()れて(かず)まへきこえたまへ。
また()ゆづる(ひと)もなく、たぐひなき(おほん)ありさまになむ。
かひなき()ながらも、(いま)しばし()(なか)(おも)ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを(おぼ)()るまで、()たてまつらむことこそ(おも)ひたまへつれ
「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。
また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。
何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
5.2.3
とても、()()りつつ()いたまふ。
と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。
こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
5.2.4
かかる(おほん)ことなくてだに(おも)(はな)ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、(こころ)(およ)ばむに(したが)ひては、(なに)ごとも後見(うしろみ)きこえむとなむ(おも)うたまふる。
さらに、うしろめたく(おも)ひきこえたまひそ」
「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。
けっして、
「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
5.2.5
など()こえたまへば、
などと申し上げなさると、
などと源氏が言うと、
5.2.6
いとかたきこと
まことにうち(たの)むべき(おや)などにて、()ゆづる(ひと)だに、女親(めおや)(はな)れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。
まして、(おも)ほし(ひと)めかさむにつけてもあぢきなき(かた)やうち(まじ)り、(ひと)(こころ)()かれたまはむ。
うたてある(おも)ひやりごとなれど、かけてさやうの()づいたる(すぢ)(おぼ)()るな。
()()()みはべるにも、(をんな)は、(おも)ひの(ほか)にてもの(おも)ひを()ふるものになむはべりければ、いかでさる(かた)をもて(はな)れて、()たてまつらむと(おも)うたまふる
「とても難しいこと。
本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。
ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。
嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。
悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」
「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
5.2.7
など()こえたまへば、あいなくものたまふかな」と(おぼ)せど、
などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、
御息所はこう言った。意外な忖度(そんたく)までもするものであると思ったが源氏はまた、
5.2.8
(とし)ごろに、よろづ(おも)うたまへ()りにたるものを、(むかし)()(ごころ)名残(なごり)あり(がほ)にのたまひなすも本意(ほい)なくなむ。
よし、おのづから」
「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。
いずれ、そのうちに」
「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残(なごり)をとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
5.2.9
とて、()(くら)うなり、(うち)大殿油(おほとのあぶら)のほのかにものより(とほ)りて()ゆるを、もしもや」と(おぼ)して、やをら御几帳(みきちゃう)のほころびより()たまへば、(こころ)もとなきほどの火影(ほかげ)に、御髪(みぐし)いとをかしげにはなやかにそぎて、()りゐたまへる、()()きたらむさまして、いみじうあはれなり
(ちゃう)東面(ひんがしおもて)()()したまへるぞ、(みや)ならむかし
御几帳(みきちゃう)のしどけなく()きやられたるより、御目(おほんめ)とどめて見通(みとほ)したまへれば、頬杖(つらづゑ)つきて、いともの(がな)しと(おぼ)いたるさまなり。
はつかなれど、いとうつくしげならむと()ゆ。
と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。
東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。
御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。
わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。
と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影(ほかげ)病牀(びょうしょう)几帳(きちょう)をとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳の(ほころ)びからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳の()れ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖(ほおづえ)をついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。
5.2.10
御髪(みぐし)のかかりたるほど、(かしら)つき、けはひ、あてに気高(けだか)きものから、ひちちかに愛敬(あいぎゃう)づきたまへるけはひ、しるく()えたまへば、(こころ)もとなくゆかしきにも、さばかりのたまふものを」と、(おぼ)(かへ)す。
お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。
髪のかかりよう、頭の形などに気高(けだか)い美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌(あいきょう)のある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
5.2.11
いと(くる)しさまさりはべる
かたじけなきを、はや(わた)らせたまひね」
「とても苦しさがひどくなりました。
恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
5.2.12
とて、(ひと)にかき()せられたまふ。
とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。
と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
5.2.13
(ちか)(まゐ)()たるしるしによろしう(おぼ)さればうれしかるべきを、心苦(こころぐる)しきわざかな。
いかに(おぼ)さるるぞ」
「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。
いかがなお具合ですか」
「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
5.2.14
とて、(のぞ)きたまふけしきなれば、
と言って、お覗きになる様子なので、
と言いながら、源氏が(とこ)をのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
5.2.15
いと(おそ)ろしげにはべるや
(みだ)心地(ごこち)のいとかく(かぎ)りなる(をり)しも(わた)らせたまへるは、まことに(あさ)からずなむ
(おも)ひはべることをすこしも()こえさせつれば、さりともと、(たの)もしくなむ」
「たいそうひどい格好でございますよ。
病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。
気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
「長くおいでくださいましては物怪(もののけ)の来ている所でございますからお(あぶの)うございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
5.2.16 と、お申し上げになる。

5.2.17
かかる御遺言(おほんゆいごん)(つら)(おぼ)しけるも、いとどあはれになむ。
故院(こゐん)御子(みこ)たち、あまたものしたまへど、(した)しくむつび(おも)ほすも、をさをさなきを、主上(うへ)(おな)御子(みこ)たちのうちに(かず)まへきこえたまひしかばさこそは(たの)みきこえはべらめ。
すこしおとなしきほどになりぬる(よはひ)ながら、あつかふ(ひと)もなければ、さうざうしきを」
「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。
故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。
多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」
「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召(おぼしめ)されましたとおりに私も思いまして、兄弟として(むつ)まじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
5.2.18
など()こえて、(かへ)りたまひぬ。
御訪(おほんとぶ)らひ、(いま)すこしたちまさりて、しばしば()こえたまふ。
などと申し上げて、お帰りになった。
お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。
などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々(しげしげ)行った。

第三段 六条御息所、死去

5.3.1
(なぬか)八日(やうか)ありて()せたまひにけり
あへなう(おぼ)さるるに、()もいとはかなくて、もの心細(こころぼそ)(おぼ)されて、内裏(うち)へも(まゐ)りたまはず、とかくの(おほん)ことなど(おき)てさせたまふ。
また(たの)もしき(ひと)もことにおはせざりけり。
(ふる)斎宮(さいぐう)宮司(みやづかさ)など、(つか)うまつり()れたるぞ、わづかにことども(さだ)めける。
七、八日あって、お亡くなりになったのであった。
あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。
他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。
かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。
そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図(さしず)を下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。
5.3.2
(おほん)みづからも(わた)りたまへり。
(みや)御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。
君ご自身もお越しになった。
宮にご挨拶申し上げなさる。
侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
5.3.3 「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
5.3.4
と、女別当(にょべたう)して、()こえたまへり。
と、女別当を介して、お伝え申された。
女別当(にょべっとう)を出してお言わせになった。
5.3.5
()こえさせ、のたまひ()きしこともはべしを、(いま)は、(へだ)てなきさまに(おぼ)されば、うれしくなむ」
「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」
「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私を(むつ)まじい者と思召(おぼしめ)してくださいましたら(しあわ)せです」
5.3.6
()こえたまひて、(ひと)びと()()でて、あるべきことども(おほ)せたまふ。
いと(たの)もしげに、(とし)ごろの御心(みこころ)ばへ、()(かへ)しつべう()ゆ。
いといかめしう、殿(との)(ひと)びと、(かず)もなう(つか)うまつらせたまへり。
あはれにうち(なが)めつつ御精進(おほんさうじん)にて、御簾下(みすお)ろしこめて(おこな)はせたまふ
と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。
たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。
実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。
しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。
と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾(みす)()ろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。
5.3.7
(みや)には、(つね)(とぶ)らひきこえたまふ。
やうやう御心静(みこころしづ)まりたまひては、みづから御返(おほんかへ)りなど()こえたまふ。
つつましう(おぼ)したれど、御乳母(おほんめのと)など、かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。
宮には、常にお見舞い申し上げなさる。
だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。
気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母(めのと)などから、「もったいないことでございますから」と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。
5.3.8
(ゆき)(みぞれ)かき(みだ)()るる()いかに、(みや)のありさまかすかに(なが)めたまふらむ」と(おも)ひやりきこえたまひて、御使(おほんつかひ)たてまつれたまへり。
雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。
雪が(みぞれ)となり、また白く雪になるような荒日和(あれびより)に、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
5.3.9 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
5.3.10 雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、
亡き母宮の御霊がまだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと
降り乱れひまなき空に()き人の
(あま)がけるらん宿ぞ悲しき
5.3.11
空色(そらいろ)(かみ)の、(くも)らはしきに()いたまへり
(わか)(ひと)御目(おほんめ)にとどまるばかりと、(こころ)してつくろひたまへる、いと()もあやなり。
空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。
若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。
という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。
5.3.12
(みや)は、いと()こえにくくしたまへど、これかれ、
宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
宮は返事を書きにくく思召したのであるが
5.3.13
(ひと)づてには、いと便(びん)なきこと」
「ご代筆では、とても不都合なことです」
「われわれから御挨拶(あいさつ)をいたしますのは失礼でございますから」
5.3.14 と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香(くんこう)のにおいを染ませた(えん)なのへ、目だたぬような書き方にして、
5.3.15 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」
消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
わが身それとも思ほえぬ世に
5.3.16
つつましげなる()きざま、いとおほどかに、御手(おほんて)すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる(すぢ)()ゆ。
遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。
とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。

第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

5.4.1
(くだ)りたまひしほどより、なほあらず(おぼ)したりしを、(いま)(こころ)にかけて、ともかくも()こえ()りぬべきぞかし」と(おぼ)すには、(れい)の、()(かへ)し、
下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣(いがき)の中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。
5.4.2
いとほしくこそ
故御息所(こみやすんどころ)の、いとうしろめたげに(こころ)おきたまひしを。
ことわりなれど、()(なか)(ひと)も、さやうに(おも)()りぬべきことなるを()(たが)へ、心清(こころきよ)くてあつかひきこえむ。
主上(うへ)(いま)すこしもの(おぼ)()(よはひ)ならせたまひなば、内裏住(うちず)みせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と(おぼ)しなる。
「気の毒なことだ。
故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。
当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして、潔白にお世話申し上げよう。
主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、後宮生活をおさせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、そうお世話する人として」とお考えになった。
御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。
5.4.3
いとまめやかにねむごろに()こえたまひて、さるべき折々(をりをり)(わた)りなどしたまふ。
たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。
親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
5.4.4
かたじけなくとも(むかし)御名残(おほんなごり)(おぼ)しなずらへて、気遠(けどほ)からずもてなさせたまはばなむ、本意(ほい)なる心地(ここち)すべき」
「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」
「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
5.4.5
など()こえたまへど、わりなくもの()ぢをしたまふ(おく)まりたる(ひと)ざまにて、ほのかにも御声(おほんこゑ)など()かせたてまつらむは、いと()になくめづらかなることと(おぼ)したれば、(ひと)びとも()こえわづらひて、かかる御心(みこころ)ざまを(うれ)へきこえあへり。
などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。
などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥(しゅうち)心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。
5.4.6
女別当(にょべたう)内侍(ないし)などいふ(ひと)びとあるは、(はな)れたてまつらぬわかむどほりなどにて、(こころ)ばせある人々多(ひとびとおほ)かるべし。
この、人知(ひとし)れず(おも)(かた)のまじらひをせさせたてまつらむに、(ひと)(おと)りたまふまじかめり。
いかでさやかに、御容貌(おほんかたち)()てしがな」
「女別当、内侍などという女房たち、ある者は、同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。
この、ひそかに思っている後宮生活をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。
何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」
女別当(にょべっとう)内侍(ないし)、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、
5.4.7 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうか。
こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明(そうめい)であったのであろう。
5.4.8
わが御心(みこころ)(さだ)めがたければ、かく(おも)といふことも、(ひと)にも()らしたまはず。
(おほん)わざなどの(おほん)ことをも()()きてせさせたまへば、ありがたき御心(みこころ)を、宮人(みやびと)もよろこびあへり。
ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。
ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。
自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内(じゅだい)させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
5.4.9
はかなく()ぐる月日(つきひ)()へて、いとどさびしく、心細(こころぼそ)きことのみまさるに、さぶらふ(ひと)びとも、やうやうあかれ()などして、(しも)(かた)京極(きゃうごく)わたりなれば、人気遠(ひとけどほ)く、山寺(やまでら)入相(いりあひ)声々(こゑごゑ)()へても音泣(ねな)きがちにてぞ、()ぐしたまふ。
(おな)じき御親(おほんおや)()こえしなかにも、片時(かたとき)()()(はな)れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて斎宮(さいぐう)にも親添(おやそ)ひて(くだ)りたまふことは、(れい)なきことなるを、あながちに(いざな)ひきこえたまひし御心(みこころ)(かぎ)りある(みち)にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、()()なう(おぼ)(なげ)きたり。
とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく、心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去っていったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。
同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。
六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所(みやすどころ)の女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっと(しも)の六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。
5.4.10
さぶらふ(ひと)びと、(たか)きも(いや)しきもあまたあり。
されど、大臣(おとど)の、
お仕えしている女房たち、身分の高い人も低い人も多数いる。
けれども、
女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母(めのと)たちに、
5.4.11 「御乳母たちでさえ、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」
「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
5.4.12
など、(おや)がり(まう)したまへば、いと()づかしき(おほん)ありさまに、便(びん)なきこと()こし()しつけられじ」と()(おも)ひつつ、はかなきことの(なさ)けも、さらにつくらず。
などと、親ぶって申していらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。
と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもし(いさ)め合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。

第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執

5.5.1
(ゐん)にも、かの(くだ)りたまひし大極殿(だいごくでん)のいつかしかりし儀式(ぎしき)に、ゆゆしきまで()えたまひし御容貌(おほんかたち)を、(わす)れがたう(おぼ)しおきければ、
院におかせられても、あのお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたくお思いおかれていらしたので、
院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿(だいごくでん)の儀式に、この世の人とも思われぬ美貌(びぼう)を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
5.5.2 「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしになりなさい」
「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
5.5.3
と、御息所(みやすんどころ)にも()こえたまひき。
されど、「やむごとなき(ひと)びとさぶらひたまふに、数々(かずかず)なる御後見(おほんうしろみ)もなくてや」と(おぼ)しつつみ、主上(うへ)は、いとあつしうおはしますも(おそ)ろしう、またもの(おも)ひや(くは)へたまはむ」と、(はばか)()ぐしたまひしを、(いま)は、まして(たれ)かは(つか)うまつらむと、(ひと)びと(おも)ひたるをねむごろに(ゐん)には(おぼ)しのたまはせけり。
と、御息所にも申し上げあそばした。
けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見を申そう、と女房たちは諦めていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。
と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫(ちょうき)が幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇(ちゅうちょ)したものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。
5.5.4
大臣(おとど)()きたまひて(ゐん)より()けしきあらむを()(たが)へ、横取(よこど)りたまはむを、かたじけなきこと」と(おぼ)すに、(ひと)(おほん)ありさまのいとらうたげに、見放(みはな)たむはまた口惜(くちを)しうて、入道(にふだう)(みや)にぞ()こえたまひける。
内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。
源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐(かれん)で、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
5.5.5
かうかうのことをなむ、(おも)うたまへわづらふに母御息所(ははみやすんどころ)いと重々(おもおも)しく心深(こころふか)きさまにものしはべりしを、あぢきなき()(ごころ)にまかせて、さるまじき()をも(なが)し、()きものに(おも)()かれはべりにしをなむ、()にいとほしく(おも)ひたまふる。
この()にて、その(うら)みの(こころ)とけず()ぎはべりにしを、(いま)はとなりての(きは)に、この斎宮(さいぐう)(おほん)ことをなむ、ものせられしかば、さも()()(こころ)にも(のこ)すまじうこそは、さすがに()おきたまひけめ、(おも)ひたまふるにも、(しの)びがたう。
おほかたの()につけてだに、心苦(こころぐる)しきことは見聞(みき)()ぐされぬわざにはべるをいかで、なき(かげ)にても、かの(うら)(わす)るばかり、(おも)ひたまふるを、内裏(うち)にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢(おほんよはひ)におはしますを、すこし(もの)心知(こころし)(ひと)はさぶらはれてもよくやと(おも)ひたまふるを御定(おほんさだ)めに」
「これこれのことで、思案いたしておりますが、母御息所は、とても重々しく思慮深い方でおりましたが、つまらない浮気心から、とんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。
この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来を、ご遺言されましたので、信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がして。
直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして、亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きうおなりあそばしていますが、まだご幼年でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」
「お母様の御息所はきわめて聡明(そうめい)な人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、()くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御(にょご)が侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのに(したが)わせていただこうと思います」
5.5.6
など()こえたまへば、
などと申し上げなさると、
と言うと、
5.5.7
いとよう(おぼ)()りけるを(ゐん)にも、(おぼ)さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言(おほんゆいごん)をかこちて、()らず(がほ)(まゐ)らせたてまつりたまへかし。
(いま)はた、さやうのこと、わざとも(おぼ)しとどめず、御行(おほんおこ)なひがちになりたまひて、かう()こえたまふを、(ふか)うしも(おぼ)しとがめじと(おも)ひたまふる
「とてもよくお考えくださいました。院におかせられても、お思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内申し上げなさい。
今では、そのようことは、特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
5.5.8
さらば、()けしきありて(かず)まへさせたまはばもよほしばかりの(こと)()ふるになしはべらむ。
とざまかうざまに、(おも)ひたまへ(のこ)すことなきに、かくまでさばかりの心構(こころがま)へも、まねびはべるに、世人(よひと)やいかにとこそ(はばか)りはべれ」
「それでは、ご意向があって、一人前に扱っていただけるならば、促す程度のことを、口添えをすることに致しましょう。
あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことを、そっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」
「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
5.5.9
など()こえたまて、(のち)には、げに、()らぬやうにてここに(わた)したてまつりてむ」と(おぼ)
などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。
などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内(じゅだい)は自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。
5.5.10 女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
夫人にその考えを言って、
5.5.11
()ぐいたまはむにいとよきほどなるあはひならむ」
「お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
5.5.12
と、()こえ()らせたまへば、うれしきことに(おぼ)して御渡(おほんわた)りのことをいそぎたまふ。
と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。
と語ったので、女王(にょおう)も喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。

第六段 冷泉帝後宮の入内争い

5.6.1
入道(にふだう)(みや)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)の、姫君(ひめぎみ)をいつしかとかしづき(さわ)ぎたまふめるを、大臣(おとど)(ひま)ある(なか)にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦(こころぐる)しく(おぼ)す。
入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
入道の宮は兵部卿(ひょうぶきょう)の宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。
5.6.2
権中納言(ごんちゅうなごん)御女(おほんむすめ)は、弘徽殿(こうきでん)女御(にょうご)()こゆ。
大殿(おほとの)御子(みこ)にていとよそほしうもてかしづきたまふ。
主上(うへ)もよき御遊(おほんあそ)びがたきに(おぼ)いたり
権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。
大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。
主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。
中納言の姫君は弘徽殿(こきでん)女御(にょご)と呼ばれていた。太政大臣の猶子(ゆうし)になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
5.6.3
(みや)(なか)(きみ)(おな)じほどにおはすればうたて雛遊(ひひなあそ)びの心地(ここち)すべきを、おとなしき御後見(おほんうしろみ)は、いとうれしかべいこと」
「宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったお人形遊びの感じがしようから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」
「兵部卿の宮の中姫君(なかひめぎみ)も弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりお(ひな)様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」
5.6.4
(おぼ)しのたまひて、さる()けしき()こえたまひつつ大臣(おとど)のよろづに(おぼ)(いた)らぬことなく、公方(おほやけがた)御後見(おほんうしろみ)はさらにもいはず、()()れにつけて、こまかなる御心(みこころ)ばへの、いとあはれに()えたまふを、(たの)もしきものに(おも)ひきこえたまひていとあつしくのみおはしませば(まゐ)りなどしたまひても、(こころ)やすくさぶらひたまふこともかたきをすこしおとなびて、()ひさぶらはむ御後見(おほんうしろみ)は、かならずあるべきことなりけり。
とお思いになり仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮が、たいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方で、お側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。
と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、(なが)くはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
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伊藤時也(青空文庫)
2003年4月28日
渋谷栄一訳
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若林貴幸、宮脇文経
2006年1月6日

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