設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第二十六帖 常夏 光る源氏の太政大臣時代三十六歳の盛夏の物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語 |
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第一段 六条院釣殿の納涼 |
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1.1.1 | いと |
たいそう暑い日、東の釣殿にお出になって涼みなさる。 中将の君も伺候していらっしゃる。 親しい殿上人も大勢伺候して、西川から献上した鮎、近い川のいしぶしのような魚、御前で調理して差し上げる。 いつもの大殿の公達、中将のおいでになる所を尋ねて参上なさった。 |
炎暑の日に源氏は東の |
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1.1.2 | 「退屈で眠たかったところだが、ちょうどよい時にいらっしゃったな」 |
「寂しく退屈な気がして眠かった時によくおいでになった」 |
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1.1.3 | とて、 |
とおっしゃって、御酒を召し上がり、氷水をお取り寄せになって、水飯などを、それぞれにぎやかに召し上がる。 |
と源氏は言って酒を勧めた。氷の水、 |
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1.1.4 | 風はたいそう気持ちよく吹くが、日は長くて曇りない空が、西日になるころ、蝉の声などもたいそう苦しそうに聞こえるので、 |
風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころには |
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1.1.5 | 「水のほとりも役に立たない今日の暑さだね。 失礼は許していただけようか」 |
「水の上の価値が少しもわからない暑さだ。私はこんなふうにして失礼する」 |
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1.1.6 | とて、 |
とおっしゃって、物に寄りかかって横におなりになった。 |
源氏はこう言って |
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1.1.7 | 「とてもこんな暑い時は、管弦の遊びなどもおもしろくなく、とはいえ、何もしないのもつらいことだ。 宮仕えしている若い人々にはつらいことだろうよ。 帯も解かないではね。 せめてここではくつろいで、最近世間に起こったことで、少し珍しく、眠気の覚めるようなことを、話してお聞かせください。 何となく年寄じみた心地がして、世間のことも疎くなったのでね」 |
「こんなころは音楽を聞こうという気にもならないし、さてまた退屈だし、困りますね。お勤めに出る人たちはたまらないでしょうね。帯も |
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1.1.8 | などのたまへど、 |
などとおっしゃるが、珍しい事と言って、ちょっと申し上げるような話も思いつかないので、恐縮しているようで、皆たいそう涼しい高欄に、背中を寄り掛けながら座っていらっしゃる。 |
などと源氏は言うが、新しい事実として話し出すような問題もなくて、皆かしこまったふうで、涼しい高欄に背を押しつけたまま黙っていた。 |
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第二段 近江君の噂 |
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1.2.1 | 「どうして聞いたことか、大臣が外腹の娘を捜し出して、大切になさっていると話してくれた人がいたので、本当ですか」 |
「どうしてだれが私に言ったことかも覚えていないのだが、あなたのほうの大臣がこのごろほかでお生まれになったお嬢さんを引き取って大事がっておいでになるということを聞きましたがほんとうですか」 |
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1.2.2 | と、 |
と、弁少将にお尋ねになると、 |
と源氏は |
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1.2.3 | 「ことことしく、さまで この げに、このころ かやうのことにぞ、 |
「仰々しく、そんなに言うほどのことではございませんでしたが。 今年の春のころ、夢をお話をなさったところ、ちらっと人伝てに聞いた女が、『自分には聞いてもらうべき子細がある』と、名乗り出ましたのを、中将の朝臣が耳にして、『本当にそのように言ってよい証拠があるのか』と、尋ねてやりました。 詳しい事情は、知ることができません。 おっしゃるように、最近珍しい噂話に、世間の人々もしているようでございます。 このようなことは、父にとって、自然と家の不面目となることでございます」 |
「そんなふうに世間でたいそうに申されるようなことでもございません。この春大臣が夢占いをさせましたことが |
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1.2.4 | と 「まことなりけり」と |
と申し上げる。 「やはり本当だったのだ」とお思いになって、 |
少将の答えがこうであったから、ほんとうのことだったと源氏は思った。 |
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1.2.5 | 「いと いとともしきに、さやうならむもののくさはひ、 さても、もて らうがはしくとかく |
「たいそう大勢の子たちなのに、列から離れたような後れた雁を、無理にお捜しになるのが、欲張りなのだ。 とても子どもが少ないのに、そのようなかしずき種を、見つけ出したいが、名乗り出るのも嫌な所と思っているのでしょう、まったく聞きません。 それにしても、 無関係の娘ではあるまい。やたらあちらこちらと忍び歩きをなさっていたらしいうちに、底が清く澄んでいない水に宿る月は、曇らないようなこ |
「たくさんな |
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1.2.6 | と、ほほ笑んでおっしゃる。 中将君も、詳しくお聞きになっていることなので、とても真面目な顔はできない。 少将と藤侍従とは、とてもつらいと思っていた。 |
と源氏は微笑しながら言っていた。子息の左中将も真相をくわしく聞いていることであったからこれも笑いを |
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1.2.7 | 「朝臣よ。せめてそのような落し胤でももらったらどうだね。 体裁の悪い評判を残すよりは、同じ姉妹と結婚して我慢するが、何の悪いことがあろうか」 |
「ねえ |
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1.2.8 | と、おからかいになるようである。 このようなこととなると、表面はたいそう仲の良いお二方が、やはり昔からそれでもしっくりしないところがあるのであった。 その上、中将をひどく恥ずかしい目にあわせて、嘆かせていらっしゃるつらさを腹に据えかねて、「悔しいとでも、人伝てに聞きなさったらよい」と、お思いになるのだった。 |
子息をからかうような調子で父の源氏は言うのであった。内大臣と源氏は大体は仲のよい親友なのであるが、ずっと以前から性格の相違が原因になったわずかな感情の隔たりはあったし、このごろはまた中将を |
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1.2.9 | このようにお聞きになるにつけても、 |
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1.2.10 | 「 いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる おぼえぬさまにて、この いときびしくもてなしてむ」など |
「対の姫君を見せたような時、また軽々しく扱われるようなことはあるまい。 たいそうはっきりとしていて、けじめをつけるところがある人で、善悪の区別も、はっきりと誉めたり、また貶しめ軽んじたりすることも、人一倍の大臣なので、どんなに腹立たしく思うであろう。 予想もしない形で、この対の姫君を見せたらば、軽く扱うことはできまい。 まこと油断なくお世話しよう」などとお思いになる。 |
新しい娘を迎えて失望している大臣の |
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第三段 源氏、玉鬘を訪う |
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1.3.1 | 夕方らしくなって吹く風、たいそう涼しくて、帰るのももの憂く若い人々は思っていた。 |
夕べに移るころの風が涼しくて、若い公子たちは皆ここを立ち去りがたく思うふうである。 |
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1.3.2 | 「気楽にくつろいで涼んではどうか。 だんだんこのような若い人々の中で、嫌われる年になってしまったなあ」 |
「気楽に涼んで行ったらいいでしょう。私もとうとう青年たちからけむたがられる年になった」 |
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1.3.3 | とて、 |
と言って、西の対にお渡りになるので、公達、皆お送りにお供なさる。 |
こう言って、源氏は近い西の対を |
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1.3.4 | 黄昏時の薄暗い時に、同じ直衣姿なので、誰とも区別がつかないので、大臣は姫君に、 |
日の暮れ時のほの暗い光線の中では、同じような |
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1.3.5 | 「もう少し外へお出になりなさい」 |
「少し外のよく見える所まで来てごらんなさい」 |
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1.3.6 | とて、 |
と言って、こっそりと、 |
と言って、従えて来た青年たちのいる方をのぞかせた。 |
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1.3.7 | 「少将や、侍従などを連れて参りました。 ひどく飛んで来たいほどに思っていたのを、中将が、まこと真面目一方の人なので、連れて来なかったのは、思いやりがないようでした。 |
「少将や侍従をつれて来ましたよ。ここへは走り寄りたいほどの好奇心を持つ青年たちなのだが、中将がきまじめ過ぎてつれて来ないのですよ。同情のないことですよ。 |
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1.3.8 | この なほなほしき かたがたものすめれど、さすがに |
この人々は、皆気がないでもない。 つまらない身分の女でさえ、深窓に養われている間は、身分相応に気を引かれるものらしいから、わが家の評判は内幕のくだくだしい割には、たいそう実際以上に、大げさに言ったり思ったりしているようです。 他にも女性方々がいらっしゃるのですが、やはり男性が恋をしかけるには相応しくない。 |
この青年たちはあなたに対して無関心な者が一人もないでしょう。つまらない家の者でも娘でいる間は若い男にとって好奇心の対象になるものだからね。私の家というものを実質以上にだれも買いかぶっているのですからね、しかも若い連中は六条院の夫人たちを恋の対象にして空想に陶酔するようなことはできないことだったのが、あなたという人ができたから皆の注意はあなたに集まることになったのです。 |
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1.3.9 | こうしていらっしゃるのは、何とかそのような男性の気持ちの、深さ浅さを見たいなどと、退屈のあまり願っていたのだが、望みの叶う気がしました」 |
そうした求婚者の真実の深さ浅さというようなものを、第三者になって観察するのはおもしろいことだろうと、退屈なあまりに以前からそんなことがあればいいと思っていたのがようやく時期が来たわけです」 |
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1.3.10 | など、ささめきつつ |
などと、ひそひそと申し上げなさる。 |
などと源氏はささやいていた。 |
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1.3.11 | お庭先には、雑多な前栽などは植えさせなさらず、撫子の花を美しく整えた、唐撫子、大和撫子の、垣をたいそうやさしい感じに造って、その咲き乱れている夕映え、たいそう美しく見える。 皆、立ち寄って、思いのままに手折ることができないのを、残念に思って佇んでいる。 |
この前の庭には各種類の草花を混ぜて植えるようなことはせずに、美しい色をした |
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1.3.12 | 「教養のある人たちだな。 心づかいなども、それぞれに立派なものだ。 右の中将は、さらにもう少し落ち着いていて、こちらが恥ずかしくなる感じがします。 どうですか、お便り申して来ますか。 体裁悪く、突き放しなさいますな」 |
「りっぱな青年官吏ばかりですよ。様子にもとりなしにも欠点は少ない。今日は見えないが右中将は年かさだけあってまた優雅さが格別ですよ。どうです、あれからのちも手紙を送ってよこしますか。 |
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1.3.13 | などのたまふ。 |
などとおっしゃる。 |
などとも源氏は言った。 |
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1.3.14 | 中将君は、この優れた人たちの中でも、際立って優美でいらっしゃった。 |
すぐれたこの公子たちの中でも源中将は目だって |
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1.3.15 | 「中将をお嫌いなさるとは、内大臣は困ったものだ。 ご一族ばかりで繁栄している中で、皇孫の血筋を引くので、見にくいとでもいうのか」 |
「中将をきらうことは内大臣として意を得ないことですよ。御自分が尊貴であればあの子も同じ |
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1.3.16 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
と源氏が言った。 |
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1.3.17 | 「来てくだされば、という人もございましたものを」 |
「来まさば(おほきみ来ませ婿にせん)というような人もあすこにはあるのではございませんか」 |
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1.3.18 | と |
と申し上げなさる。 |
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1.3.19 | 「いや、そんな大事に持てなされることは望んでいません。 ただ、幼い者同士が契り合った胸の思いが晴れないまま、長い年月、仲を裂いていらっしゃった大臣のやりかたがひどいのです。 まだ身分が低い、外聞が悪いとお思いならば、知らない顔で、こちらに任せて下されたとしても、何の心配がありましょうか」 |
「いや、何も婿に取られたいのではありませんがね。若い二人が作った夢をこわしたままにして幾年も置いておかれるのは残酷だと思うのです。まだ官位が低くて世間体がよろしくないと思われるのだったら、公然のことにはしないで私へお嬢さんを託しておかれるという形式だっていいじゃないのですか。私が責任を持てばいいはずだと思うのだが」 |
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1.3.20 | などと、不平をおっしゃる。 「では、このようなお心のしっくりいってないお間柄だったのだわ」とお聞きになるにつけても、親に知っていただけるのがいつか分からないのは、しみじみと悲しく胸の塞がる思いがなさる。 |
源氏は |
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第四段 源氏、玉鬘と和琴について語る |
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1.4.1 | 月もないころなので、燈籠に明りを入れた。 |
月がないころであったから |
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1.4.2 | 「やはり、近すぎて暑苦しいな。 篝火がよいなあ」 |
「灯が近すぎて暑苦しい、これよりは |
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1.4.3 | とて、 |
とおっしゃって、人を呼んで、 |
と言って、 |
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1.4.4 | 「篝火の台を一つ、こちらに」 |
「篝を一つこの庭で |
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1.4.5 | とお取り寄せになる。 美しい和琴があるのを、引き寄せなさって、掻き鳴らしなさると、律の調子にたいそうよく整えられていた。 音色もとてもよく出るので、少しお弾きになって、 |
と源氏は命じた。よい |
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1.4.6 | 「かやうのことは ことことしき |
「このようなことはお好きでない方面かと、今まで大したことはないとお思い申していました。 秋の夜の、月の光が涼しいころ、奥深い所ではなくて、虫の声に合わせて弾いたりするのには、親しみのあるはなやかな感じのする楽器です。 改まった演奏は、役割がしっかりと決まりませんね。 |
「こんなほうのことには趣味を持っていられないのかと、失礼な推測をしてましたよ。秋の涼しい月夜などに、虫の声に合わせるほどの気持ちでこれの弾かれるのははなやかでいいものです。これはもったいらしく弾く性質の楽器ではないのですが、不思議な楽器で、すべての楽器の基調になる音を持っている物はこれなのですよ。 |
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1.4.7 | この楽器は、そのままで多くの楽器の音色や、調子を備えているところが優れた点です。 大和琴と言って一見大したことのないように見えながら、極めて精巧に作られているものです。 広く外国の学芸を習わない女性のための楽器と思われます。 |
簡単にやまと琴という名をつけられながら無限の深味のあるものなのですね。ほかの楽器の扱いにくい女の人のために作られた物の気がします。 |
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1.4.8 | 同じ習うなら、気をつけて他の楽器に合わせてお習いなさい。 難しい手と言っても、特にあるわけではありませんが、また本当に弾きこなすことは難しいのでしょうか、現在では、あの内大臣に並ぶ人はいません。 |
おやりになるのならほかの物に合わせて熱心に練習なさい。むずかしいことがないような物で、さてこれに妙技を現わすということはむずかしいといったような楽器です。現在では内大臣が第一の名手です。 |
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1.4.9 | ただはかなき |
ただちょっとした同じ菅掻き一つの音色に、あらゆる楽器の音色が、含まれていて、何とも形容のしようがないほど、響き渡るのです」 |
ただ |
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1.4.10 | とご説明なさると、多少会得していて、ぜひともさらに上手になりたいとお思いのことなので、もっと聞きたくて、 |
と源氏は言った。玉鬘もそのことはかねてから聞いて知っていた。どうかして父の大臣の |
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1.4.11 | 「このわたりにて、さりぬべき あやしき さは、すぐれたるは、さまことにやはべらむ」 |
「こちらで、適当な管弦のお遊びがあります折などに、聞くことができましょうか。 賤しい田舎者の中でも、習う者が大勢おりますと言うことですから、総じて気楽に弾けるものかと存じておりました。 では、お上手な方は、まるで違っているのでしょうか」 |
「こちらにおりまして、音楽のお遊びがございます時などに聞くことができますでしょうか。 |
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1.4.12 | と、ゆかしげに、 |
と、さも聞きたそうに、熱心に気を入れていらっしゃるので、 |
玉鬘は熱心なふうに尋ねた。 |
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1.4.13 | 「そうです。 東琴と言って名前は低そうに聞こえますが、御前での管弦の御遊にも、まず第一に書司をお召しになるのは、異国はいざ知らず、わが国では和琴を楽器の第一としたのでしょう。 |
「そうですよ。あずま琴などとも言ってね、その名前だけでも |
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1.4.14 | そのなかにも、 ここになども、さるべからむ ものの |
そうした中でも、その第一人者である父親から直接習い取ったら、格別でしょう。 こちらにも、何かの機会にはおいでになるだろうが、和琴に、秘手を惜しまず、隠さず演奏するようなことはめったにないでしょう。 物の名人は、どの道の人でも気安くは手の内を見せないもののようです。 |
つまりあらゆる楽器の親にこれがされているわけです。 |
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1.4.15 | さりとも、つひには |
とは言っても、いずれはお聞きになれることでしょう」 |
しかしあなたはいつか聞けますよ」 |
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1.4.16 | とて、 ことつひいと 「これにもまされる |
とおっしゃって、楽曲を少しお弾きになる。 和琴を弾く姿はとても素晴らしく、はなやかで趣がある。 「これよりも優れた音色が出るのだろうか」と、親にお会いしたい気持ちが加わって、和琴のことにつけてまでも、「いつになったら、こんなふうにくつろいでお弾きになるところを聞くことができるのだろうか」などと、思っていらっしゃった。 |
こう言いながら源氏は少し弾いた。はなやかな音であった。これ以上な音が父には出るのであろうかと |
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1.4.17 | 「貫河の瀬々の柔らかな手枕」と、たいそう優しくお謡いになる。 「親が遠ざける夫」というところは、少しお笑いになりながら、ことさらにでもなくお弾きになる菅掻きの音、何とも言いようがなく美しく聞こえる。 |
「 |
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1.4.18 | 「さあ、お弾きなさい。 芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません。 「想夫恋」だけは、心中に秘めて、弾かない人があったようだが、遠慮なく、誰彼となく合奏したほうがよいのです」 |
「さあ弾いてごらんなさい。芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。『 |
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1.4.19 | と、しきりにお勧めになるが、あの辺鄙な田舎で、何やら京人と名乗った皇孫筋の老女がお教え申したので、誤りもあろうかと遠慮して、手をお触れにならない。 |
源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、京の人であることを |
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1.4.20 | 「少しの間でもお弾きになってほしい。 覚えることができるかも知れない」と聞きたくてたまらず、この和琴の事のために、お側近くにいざり寄って、 |
源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。いつとなく源氏のほうへ |
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1.4.21 | 「どのような風が吹き加わって、このような素晴らしい響きが出るのかしら」 |
「不思議な風が出てきて琴の |
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1.4.22 | とて、うち |
と言って、耳を傾けていらっしゃる様子、燈の光に映えてたいそうかわいらしげである。 お笑いになって、 |
と首を傾けている玉鬘の様子が |
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1.4.23 | 「耳聰いあなたのためには、身にしむ風も吹き加わるのでしょう」 |
「熱心に聞いていてくれない人には、外から身にしむ風も吹いてくるでしょう」 |
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1.4.24 | と言って、和琴を押しやりなさる。 何とも迷惑なことである。 |
と言って、源氏は和琴を押しやってしまった。玉鬘は失望に似たようなものを覚えた。 |
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第五段 源氏、玉鬘と和歌を唱和 |
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1.5.1 | 女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も申し上げなさらずに、 |
女房たちが近い所に来ているので、例のような |
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1.5.2 | 「撫子を十分に鑑賞もせずに、あの人たちは立ち去ってしまったな。 何とかして、内大臣にも、この花園をお見せ申したいものだ。 人の命はいつまでも続くものでないと思うと、昔も、何かの時にお話しになったことが、まるで昨日今日のことのように思われます」 |
「 |
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1.5.3 | とて、すこしのたまひ |
とおっしゃって、少しお口になさったのにつけても、たいそう感慨無量である。 |
源氏はその時の大臣の言葉を思い出して語った。玉鬘は悲しい気持ちになっていた。 |
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1.5.4 | 「撫子の花の色のようにいつ見ても美しいあなたを見ると 母親の行く方を内大臣は尋ねられることだろうな |
「なでしこの もとの |
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1.5.5 | このことが厄介に思われるので、引き籠められているのをお気の毒に思い申しています」 |
私にはあなたのお母さんのことで、やましい点があって、それでつい報告してあげることが遅れてしまうのです」 |
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1.5.6 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 姫君は、ちょっと涙を流して、 |
と源氏は言った。玉鬘は泣いて、 |
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1.5.7 | 「山家の賤しい垣根に生えた撫子のような わたしの母親など誰が尋ねたりしましょうか」 |
山がつの もとの根ざしをたれか尋ねん |
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1.5.8 | と人数にも入らないように謙遜してお答え申し上げなさった様子は、なるほどたいそう優しく若々しい感じである。 |
とはかないふうに言ってしまう様子が若々しくなつかしいものに思われた。 |
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1.5.9 | 「 |
「もし来なかったならば」 |
源氏の心はますますこの人へ |
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1.5.10 | とうち |
とお口ずさみになって、ひとしお募るお心は、苦しいまでに、やはり我慢しきれなくお思いになる。 |
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第六段 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩 |
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1.6.1 | ただこの |
お渡りになることも、あまり度重なって、女房が不審にお思い申しそうな時は、気が咎め自制なさって、しかるべきご用を作り出して、お手紙の通わない時はない。 ただこのお事だけがいつもお心に掛かっていた。 |
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1.6.2 | 「なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの さ 「さて、その わが |
「どうして、このような不相応な恋をして、心の休まらない物思いをするのだろう。 そんな苦しい物思いはするまいとして、心の赴くままにしたら、世間の人の非難を受ける軽々しさを、自分への悪評はそれはそれとして、この姫君のためにもお気の毒なことだろう。 際限もなく愛しているからと言っても、春の上のご寵愛に並ぶほどには、わが心ながらありえまい」と思っていらっしゃった。 「さて、そうしたわけで、それ以下の待遇では、どれほどのことがあろうか。 自分だけは、誰よりも立派だが、世話する女君が大勢いる中で、あくせくするような末席にいたのでは、何の大したことがあろう。 格別大したこともない大納言くらいの身分で、ただ姫君一人を妻とするのには、きっと及ばないことだろう」 |
なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、 |
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1.6.3 | と、ご自身お分りなので、たいそうお気の毒で、「いっそ、兵部卿宮か、大将などに許してしまおうか。 そうして自分も離れ、姫君も連れて行かれたら、諦めもつくだろうか。 言っても始まらないことだが、そうもしてみようか」とお思いになる時もある。 |
平凡な納言級の人の唯一の妻になるよりも決して女のために幸福でないと源氏は知っているのであったから、しいて情人にするのが哀れで、 |
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1.6.4 | されど、 |
しかし、お渡りになって、ご器量を御覧になり、今ではお琴をお教え申し上げなさることまで口実にして、近くに常に寄り添っていらっしゃる。 |
しかもまた西の対へ行って美しい玉鬘を見たり、このごろは琴を教えてもいたので、以前よりも近々と寄ったりしては決心していたことが |
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1.6.5 | 姫君も、初めのうちこそ気味悪く嫌だとお思いであったが、「このようになさっても、穏やかなので、心配なお気持ちはないのだ」と、だんだん馴れてきて、そうひどくお嫌い申されず、何かの折のお返事も、親し過ぎない程度に取り交わし申し上げなどして、御覧になるにしたがってとても可愛らしさが増し、はなやかな美しさがお加わりになるので、やはり結婚させてすませられないとお思い返しなさる。 |
玉鬘もこうしたふうに源氏が扱い始めたころは、恐ろしい気もし、反感を持ったが、それ以上のことはなくて、やはり信頼のできそうなのに安心して、しいて源氏の |
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1.6.6 | 「さはまた、さて、ここながらかしづき かくまだ |
「それならばまた、結婚させて、ここに置いたまま大切にお世話して、適当な折々に、こっそりと会い、お話申して心を慰めることにしようか。 このようにまだ結婚していないうちに、口説くことは面倒で、お気の毒であるが、自然と夫が手強くとも、男女の情が分るようになり、こちらがかわいそうだと思う気持ちがなくて、熱心に口説いたならば、いくら人目が多くても差し障りはあるまい」とお考えになる、実にけしからぬ考えである。 |
それでは今のままに自分の手もとへ置いて結婚をさせることにしよう、そして自分の恋人にもしておこう、処女である点が自分に |
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1.6.7 | ますます気が気でなくなり、なお恋し続けるというのもつらいことであろう。 ほどほどに思い諦めることが、何かにつけてできそうにないのが、世にも珍しく厄介なお二人の仲なのであった。 |
それを実行した暁にはいよいよ深い |
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第七段 玉鬘の噂 |
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1.7.1 | 内の大殿は、この新しい姫君のことを、「お邸の人々も姫として認めず、軽んじた批評をし、世間でも馬鹿げたことと非難申している」と、お聞きになると、少将が、何かの機会に、太政大臣が「本当のことか」とお尋ねになったことを、お話し申し上げると、 |
内大臣が娘だと名のって出た女を、直ちに自邸へ引き取った処置について、家族も |
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1.7.2 | 「さかし。 そこにこそは、 をさをさ これぞ、おぼえある |
「いかにも。 あちらでこそ、長年、噂にも立たなかった賤しい娘を迎え取って、大切にしているのだ。 めったに人の悪口をおっしゃらない大臣が、わたしの家のことは、聞き耳を立てて悪口をおっしゃるよ。 それで、面目を施して晴れがましい気がする」 |
「そうだ、あすこにも今まで |
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1.7.3 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 少将が、 |
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1.7.4 | 「あの西の対にお置きになっていらっしゃる姫君は、たいそう申し分ない方だそうでございます。 兵部卿宮などが、たいそうご熱心に苦心して求婚なさっていらっしゃるとか。 けっして並大抵の姫君ではあるまいと、世間の人々が推量しているようでございます」 |
「あちらの西の対の姫君はあまり欠点もない人らしゅうございます。 |
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1.7.5 | と |
と、お申し上げになると、 |
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1.7.6 | 「さあ、それは、あの大臣の御姫君と思う程度の評判の高さだ。 人の心は、皆そういうもののようだ。 必ずしもそんなに優れてはいないだろう。 人並みの身分であったら、今までに評判になっていよう。 |
「さあそれがね、源氏の大臣の令嬢である点でだけありがたく思われるのだよ。世間の人心というものは皆それなのだ。必ずしも優秀な姫君ではなかろう。相当な母親から生まれた人であれば以前から人が聞いているはずだよ。 |
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1.7.7 | 惜しいことに、大臣が、何一つ欠点もなく、この世では過ぎた方でいらっしゃるご信望やご様子でありながら、れっきとした奥方の腹に、姫君を大切にお世話して、なるほど申し分あるまいと察せられる素晴らしい方がいらっしゃらないとは。 |
円満な幸福を持っていられる方だが、りっぱな夫人から生まれた令嬢が一人もないのを思うと、 |
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1.7.8 | だいたい子供の数が少なくて、きっと心細いことだろうよ。 妾腹であるが、明石の御許が生んだ娘は、あの通りまたとない運命に恵まれて、将来にきっと頼もしかろうと思われる。 |
だいたい子供が少ないたちなんだね。劣り腹といって |
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1.7.9 | あの新しい姫君は、ひょっとしたら、実の姫君ではあるまいよ。 何といっても一癖も二癖もある方だから、大事にしていらっしゃるのだろう」 |
新しい令嬢はどうかすれば、それは実子でないかもしれない。そんな常識で考えられないようなこともあの人はされるのだよ」 |
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1.7.10 | と、 |
と、悪口をおっしゃる。 |
と内大臣は |
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1.7.11 | 「ところで、どのようにお決めになったのか。 親王がうまく靡かせて自分のものになさるだろう。 もともと格別にお仲がよいし、人物もご立派で婿君に相応しい間柄であろうよ」 |
「それにしても、だれが婿に決まるのだろう。兵部卿の宮の御熱心が結局勝利を占められることになるのだろう。もとから特別にお仲がいいのだし、大臣の趣味とよく一致した風流人だからね」 |
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1.7.12 | などとおっしゃっては、やはり、姫君のことが、残念でたまらない。 「あのように、勿体らしく扱って、どういうふうになさる気かなどと、やきもきさせてやりたかったものを」と癪なので、位が相当になったと見えない限りは、結婚を許せないようにお思いになるのであった。 |
と言ったあとに大臣は |
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1.7.13 | 大臣などが、丁重に口添えして覆しなさるなら、それに負けたようにして承認しようと思うが、男君の方は、一向に焦りもなさらないので、おもしろからぬことであった。 |
源氏がその問題の中へはいって来て懇請することがあれば、やむをえず負けた形式で同意をしようという大臣の腹であったが、中将のほうでは少しも |
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第八段 内大臣、雲井雁を訪う |
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1.8.1 | あれこれとご思案なさりながら、前ぶれもなく気軽にお渡りになった。 少将もお供しておいでになる。 |
こんなことをいろいろと考えていた大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間を |
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1.8.2 | 姫君は、お昼寝をなさっているところである。 羅の一重をお召しになって臥せっていらっしゃる様子、暑苦しくは見えず、とてもかわいらしく小柄な身体つきである。 透けて見える肌つきなどは、とてもかわいらしい手つきして、扇をお持ちになったまま、腕を枕にして、投げ出されたお髪の具合、そう大して長く多いというのではないが、たいそう美しい裾の様子である。 |
雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の |
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1.8.3 | 女房たちは物蔭で横になって休んでいたので、すぐにはお目覚めにならない。 扇をお鳴らしになると、何気なく見上げなさった目つき、かわいらしげで、顔が赤くなっているのも、親の目にはかわいく見えるばかりである。 |
女房たちも |
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1.8.4 | 「うたた寝はいけないと注意申していたのに。 どうして、ひどく無用心な恰好で寝ていらっしゃったのか。 女房たちも近く伺候させないで、どうしたことか。 |
「うたた寝はいけないことだのに、なぜこんなふうな寝方をしてましたか。女房なども近くに付いていないでけしからんことだ。 |
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1.8.5 | 女性は、身を常に注意して守っているのがよいのです。 気を許して無造作なふうにしているのは、品のないことです。 |
女というものは始終自身を |
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1.8.6 | さりとて、いとさかしく うつつの |
そうかといって、ひどく利口そうに身を堅くして、不動尊の陀羅尼を読んで、印を結んでいるようなのも憎らしい。 日頃接する人にあまりよそよそしく、遠慮がすぎるのなども、上品なようなこととはいっても、小憎らしくて、かわいらしげのないことです。 |
賢そうに不動の |
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1.8.7 | 太政大臣が、お后候補の姫君にしつけていらっしゃる教育は、何事でも一通りは心得ていて偏らず、特別目立つ特技もつけず、また不案内でうろうろすることもないようにと、余裕あるふうにとお考え置いていらっしゃるという。 |
太政大臣が未来のお |
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1.8.8 | なるほど、もっともなことですが、人というものは、考えにも行動にも、特に好き好む方面はどうしてもあるものだから、ご成長なさった後に特徴も現れるでしょう。 あの姫君が一人前になって、入内させなさる時の様子が、とても見たいものだ」 |
それはもっともなことだが、人間にはそれぞれの天分があるし、特に好きなこともあるのだから、何かの特色が自然出てくることだろうと思われる。 |
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1.8.9 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、 |
などと大臣は娘に言っていたが、 |
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1.8.10 | 「思い通りにお世話申そうと思っていた方面は、難しくなってしまったお身の上だが、何とか世間の物笑いにならないようにして差し上げようと、他人の身の上をあれこれと聞くたびに、心配しております。 |
「あなたをこうしてあげたいといろいろ思っていたことは空想になってしまったが、私はそれでもあなたを世間から笑われる人にはしたくないと、よその人のいろいろの話を聞くごとにあなたのことを思って |
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1.8.11 | 試しにとばかり熱心なふりをする男の言葉を、ここしばらくはお聞き入れになってはいけません。 考えていることがございます」 |
ためそうとするだけで、表面的な好意を寄せるような男に動揺させられるようなことがあってはいけませんよ。私は一つの考えがあるのだから」 |
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1.8.12 | など、いとらうたしと |
などと、たいそうかわいく思いながら申し上げなさる。 |
ともかわいく思いながら |
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1.8.13 | 「昔は、どのようなことも深くも考えないで、かえって、あの当座のつらい思いをした騒動にも、平気な顔をして父君にお会い申していたことよ」と、今になって思い出すと、胸が塞がってひどく、恥ずかしい。 |
昔は何も深く考えることができずに、あの騒ぎのあった時も恥知らずに平気で父に対していたと思い出すだけでも胸がふさがるように雲井の雁は思った。 |
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1.8.14 | 大宮からも、いつも会えないことをお恨み申されるが、このようにおっしゃるのに遠慮されて、お出かけになってお目に掛かることがおできになれない。 |
大宮の所からは始終 |
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第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語 |
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第一段 内大臣、近江君の処遇に苦慮 |
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2.1.1 | 大臣は、この北の対の今姫君を、 |
大臣は北の対に住ませてある令嬢を |
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2.1.2 | 「どうしたものか。 よけいなことをして迎え取って。 世間の人がこのように悪口を言うからといって、送り返したりするのも、まことに軽率で、気違いじみたことのようだ。 こうして置いているので、本当に大切にお世話する気があるのかと、他人が噂するのも癪だ。 女御の御方などに宮仕えさせて、そうした笑い者にしてしまおう。 女房たちがたいそう不細工だとけなしているらしい容貌も、そんなに言われるほどのものではない」 |
どうすればよいか、よけいなことをして引き取ったあとで、また人が |
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2.1.3 | など |
などとお思いになって、女御の君に、 |
と思って、大臣は女御に、 |
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2.1.4 | 「あの人を出仕させましょう。 見ていられないようなことなどは、老いぼれた女房などをして、遠慮なく教えさせなさってお使いなさい。 若い女房たちの噂の種になるような、笑い者にはなさらないでください。 それではあまりに軽率のようだ」 |
「あの娘をあなたの所へよこすことにしよう。悪いことは年のいった女房などに遠慮なく |
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2.1.5 | と、 |
と、笑いながら申し上げなさる。 |
と笑いながら言った。 |
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2.1.6 | 「どうして、そんなひどいことがございましょう。 中将などが、たいそうまたとなく素晴らしいと吹聴したらしい前触れに及ばないというだけございましょう。 このようにお騒ぎになるので、きまり悪くお思いになるにつけ、一つには気後れしているのでございましょう」 |
「だれがどう言いましても、そんなつまらない人ではきっとないと思います。中将の兄様などの非常な期待に添わなかったというだけでしょう。こちらへ来ましてからいろんな取り沙汰などをされて、一つはそれでのぼせて |
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2.1.7 | と、いと この |
と、たいそうこちらが気恥ずかしくなるような面持ちで申し上げなさる。 この女御のご様子は、何もかも整っていて美しいというのではなくて、たいそう上品で澄ましていらっしゃるが、やさしさがあって、美しい梅の花が咲き初めた朝のような感じがして、おっしゃりたいことも差し控えて微笑んでいらっしゃるのが、人とは違う、と拝見なさる。 |
と女御は |
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2.1.8 | 「中将が、何といっても、思慮が足りなく調査が不十分だったので」 |
「しかしなんといっても中将の無経験がさせた失敗だ」 |
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2.1.9 | などと申し上げなさるが、お気の毒なお扱いであることよ。 |
などとも父に言われている新令嬢は気の毒である。 |
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第二段 内大臣、近江君を訪う |
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2.2.1 | そのまま、この女御の御方を訪ねたついでに、ぶらぶらお歩きになって、お覗きになると、簾を高く押し出して、五節の君といって、気の利いた若い女房がいるのと、双六を打っていらっしゃる。 手をしきりに揉んで、 |
大臣は女房を |
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2.2.2 | 「小賽、小賽」 |
「しょうさい、しょうさい」 |
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2.2.3 | と祈る声は、とても早口であるよ。 「ああ、情ない」とお思いになって、お供の人が先払いするのをも、手で制しなさって、やはり、妻戸の細い隙間から、襖の開いているところをお覗き込みなさる。 |
と両手をすりすり |
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2.2.4 | この従姉妹も、同じく、興奮していて、 |
五節も |
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2.2.5 | 「お返しよ、お返しよ」 |
「御返報しますよ。御返報しますよ」 |
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2.2.6 | と、筒をひねり回して、なかなか振り出さない。 心中に思っていることはあるのかも知れないが、たいそう軽薄な振舞をしている。 |
賽の筒を手でひねりながらすぐには撒こうとしない。 |
||||||||||||||||||||||
2.2.7 | 器量は親しみやすく、かわいらしい様子をしていて、髪は立派で、欠点はあまりなさそうだが、額がひどく狭いのと、声の上っ調子なのとで台なしになっているようである。 取り立てて良いというのではないが、他人だと抗弁することもできず、鏡に映る顔が似ていらっしゃるので、まったく運命が恨めしく思われる。 |
姫君の容貌は、ちょっと人好きのする |
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2.2.8 | 「こうしていらっしゃるのは、落ち着かず馴染めないのではありませんか。 大変に忙しいばかりで、お訪ねできませんが」 |
「こちらで暮らすようになって、あなたに何か気に入らないことがありますか。つい忙しくて |
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2.2.9 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、例によって、とても早口で、 |
と大臣が言うと、例の調子で新令嬢は言う。 |
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2.2.10 | 「こうして伺候しておりますのは、何の心配がございましょうか。 長年、どんなお方かとお会いしたいとお思い申し上げておりましたお顔を、常に拝見できないのだけが、よい手を打たぬ時のようなじれったい気が致します」 |
「こうしていられますことに何の不足があるものでございますか。長い間お目にかかりたいと念がけておりましたお顔を、始終拝見できませんことだけは成功したものとは思われませんが」 |
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2.2.11 | と |
とお申し上げになさる。 |
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2.2.12 | 「げに、 なべての それだに、その まして」 |
「なるほど、身近に使う人もあまりいないので、側に置いていつも拝見していようと、以前は思っていましたが、そうもできかねることでした。 普通の宮仕人であれば、どうあろうとも、自然と立ち混じって、誰の目にも耳にも、必ずしもつかないものですから、安心していられましょう。 それであってさえ、誰それの娘、何がしの子と知られる身分となると、親兄弟の面目を潰す例が多いようだ。 ましてや」 |
「そうだ、私もそばで手足の代わりに使う者もあまりないのだから、あなたが来たらそんな用でもしてもらおうかと思っていたが、やはりそうはいかないものだからね。ただの女房たちというものは、多少の身分の高下はあっても、皆いっしょに用事をしていては目だたずに済んで気安いものなのだが、それでもだれの娘、だれの子ということが知られているほどの身の上の者は、親兄弟の名誉を傷つけるようなことも自然起こってきておもしろくないものだろうが、まして」 |
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2.2.13 | と言いかけてお止めになった、そのご立派さも分からず、 |
言いさして話をやめた父の自尊心などに令嬢は |
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2.2.14 | 「いえいえ、それは、大層に思いなさって宮仕え致しましたら、窮屈でしょう。 大御大壷の係なりともお仕え致しましょう」 |
「いいえ、かまいませんとも、令嬢だなどと |
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2.2.15 | と |
とお答え申し上げるので、お堪えになることができず、ついお笑いになって、 |
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2.2.16 | 「似つかわしくない役のようだ。 このようにたまに会える親に孝行する気持ちがあるならば、その物をおっしゃる声を、少しゆっくりにしてお聞かせ下さい。 そうすれば、 |
「それはあまりに不似合いな役でしょう。たまたま巡り合った親に孝行をしてくれる心があれば、その物言いを少し静かにして聞かせてください。それができれば私の命も延びるだろう」 |
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2.2.17 | と、おどけたところのある大臣なので、苦笑しながらおっしゃる。 |
道化たことを言うのも好きな大臣は笑いながら言っていた。 |
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第三段 近江君の性情 |
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2.3.1 | 「舌の生まれつきなのでございましょう。 子供でした時でさえ、亡くなった母君がいつも嫌がって注意しておりました。 妙法寺の別当の大徳が、産屋に詰めておりましたので、それにあやかってしまったと嘆いていらっしゃいました。 何とかしてこの早口は直しましょう」 |
「私の舌の性質がそうなんですね。小さい時にも母が心配しましてよく訓戒されました。妙法寺の別当の坊様が私の生まれる時 |
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2.3.2 | と大変だと思っているのも、たいそう孝行心が深く、けなげだとお思いになる。 |
むきになってこう言うのを聞いても孝心はある娘であると大臣は思った。 |
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2.3.3 | 「その、側近くまで入り込んだ大徳こそ、困ったものです。 ただその人の前世で犯した罪の報いなのでしょう。 唖とどもりは、法華経を悪く言った罪の中にも、数えているよ」 |
「 |
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2.3.4 | とのたまひて、「 いかに |
とおっしゃって、「わが子ながらも気の引けるほどの御方に、お目に掛けるのは気が引ける。 どのよう考えて、こんな変な人を調べもせずに迎え取ったのだろう」とお思いになって、「女房たちが次々と見ては言い触らすだろう」と、考え直しなさるが、 |
と大臣は言っていたが、子ながらも |
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2.3.5 | 「女御が里下りしていらっしゃる時々には、お伺いして、女房たちの行儀作法を見習いなさい。 特に優れたところのない人でも、自然と大勢の中に混じって、その立場に立つと、いつか恰好もつくものです。 そのような心積もりをして、お目通りなさってはいかがですか」 |
「女御が |
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2.3.6 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
とも言った。 |
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2.3.7 | 「いとうれしきことにこそはべるなれ。 ただ、いかでもいかでも、 |
「とても嬉しいことでございますわ。 ただただ、何としてでも、皆様方にお認めいただくことばかりを、寝ても覚めても、長年この願い以外のことは思ってもいませんでした。 お許しさえあれば、水を汲んで頭上に乗せて運びましても、お仕え致しましょう」 |
「まあうれしい。私はどうかして皆さんから兄弟だと認めていただきたいと寝ても |
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2.3.8 | と、いとよげに、 |
と、たいそういい気になって、一段と早口にしゃべるので、どうしようもないとお思いになって、 |
なお早口にしゃべり続けるのを聞いていて大臣はますます |
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2.3.9 | 「そんなにまで、自分自身で薪をお拾いにならなくても、参上なさればよいでしょう。 ただあのあやかったという法師さえ離れたならばね」 |
「そんな労働などはしないでもいいがお行きなさい。あやかったお坊さんはなるべく遠方のほうへやっておいてね」 |
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2.3.10 | と、冗談事に紛らわしておしまいになるのも気づかずに、同じ大臣と申し上げる中でも、たいそう美しく堂々として、きらびやかな感じがして、並々の人では顔を合わせにくい程立派な方とも分からずに、 |
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2.3.11 | 「それでは、いつ女御殿の許に参上するといたしましょう」 |
「それではいつ女御さんの所へ参りましょう」 |
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2.3.12 | と |
とお尋ね申すので、 |
||||||||||||||||||||||
2.3.13 | 「吉日などと言うのが良いでしょう。 いや何、 大げさにすることはない。そのようにお思 |
「そう、吉日でなければならないかね。なにいいよ、そんなたいそうなふうには考えずに、行こうと思えば今日にでも」 |
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2.3.14 | とのたまひ |
と、お言い捨てになって、 |
言い捨てて大臣は出て行った。 |
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第四段 近江君、血筋を誇りに思う |
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2.4.1 | 立派な四位五位たちが、うやうやしくお供申し上げて、ちょっとどこかへお出ましになるにも、たいそう堂々とした御威勢なのを、お見送り申し上げて、 |
四位五位の官人が多くあとに従った、権勢の強さの思われる父君を見送っていた令嬢は言う。 |
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2.4.2 | 「何と、まあ、ご立派なお父様ですわ。 このような方の子供でありながら、賤しい小さい家で育ったこととは」 |
「ごりっぱなお父様だこと、あんな方の種なんだのに、ずいぶん小さい家で育ったものだ私は」 |
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2.4.3 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 五節は、 |
||||||||||||||||||||||
2.4.4 | 「あまり立派過ぎて、こちらが恥ずかしくなる方でいらっしゃいますわ。 相応な親で、大切にしてくれる方に、捜し出しされなさったならよかったのに」 |
「でもあまりおいばりになりすぎますわ、もっと御自分はよくなくても、ほんとうに愛してくださるようなお父様に引き取られていらっしゃればよかった」 |
||||||||||||||||||||||
2.4.5 | と言うのも、無理な話である。 |
と言った。真理がありそうである。 |
||||||||||||||||||||||
2.4.6 | 「いつもの、あなたが、わたしの言うことをぶちこわしなさって、心外だわ。 今は、友達みたいな口をきかないでよ。 将来のある身の上なのようですから」 |
「まああんた、ぶちこわしを言うのね。失礼だわ。私と自分とを同じように言うようなことはよしてくださいよ。私はあなたなどとは違った者なのだから」 |
||||||||||||||||||||||
2.4.7 | と、 |
と、腹をお立てになる顔つきが、親しみがあり、かわいらしくて、ふざけたところは、それなりに美しく大目に見られた。 |
腹をたてて言う令嬢の顔つきに |
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2.4.8 | ただ、いと ことなるゆゑなき |
ただひどい田舎で、賤しい下人の中でお育ちになっていたので、物の言い方も知らない。 大したことのない話でも、声をゆっくりと静かな調子で言い出したのは、ふと聞く耳でも、格別に思われ、おもしろくない歌語りをするのも、声の調子がしっくりしていて、先が聞きたくなり、歌の初めと終わりとをはっきり聞こえないように口ずさむのは、深い内容までは理解しないまでもの、ちょっと聞いたところでは、おもしろそうだと、聞き耳を立てるものである。 |
ただきわめて下層の家で育てられた人であったから、ものの言いようを知らないのである。何でもない言葉もゆるく落ち着いて言えば聞き手はよいことのように聞くであろうし、巧妙でない歌を話に入れて言う時も、 |
|||||||||||||||||||||
2.4.9 | いと |
たとえまことに深い内容の趣向ある話をしたとしても、相当な嗜みがあるとも聞こえるはずもない、うわずった声づかいをしておっしゃる言葉はごつごつして、訛があって、気ままに威張りちらした乳母に今も馴れきっているふうに、態度がたいそう不作法なので、悪く聞こえるのであった。 |
||||||||||||||||||||||
2.4.10 | まったくお話にならないというのではないが、三十一文字の、上句と下句との意味が通じない歌を、早口で続けざまに作ったりなさる。 |
そう頭が悪いのでもなかった。三十一字の初めと終わりの一貫してないような歌を早く作って見せるくらいの才もあるのである。 |
||||||||||||||||||||||
第五段 近江君の手紙 |
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2.5.1 | 「ところで、女御様に参上せよとおっしゃったのを、しぶるように見えたら、不快にお思いになるでしょう。 夜になったら参上しましょう。 大臣の君が、世界一大切に思ってくださっても、ご姉妹の方々が冷たくなさったら、お邸の中には居られましょうか」 |
「女御さんの所へ行けとお言いになったのだから、私がしぶしぶにして気が進まないふうに見えては感情をお害しになるだろう。私は今夜のうちに出かけることにする。大臣がいらっしゃっても女御さんなどから冷淡にされてはこの家で立って行きようがないじゃないか」 |
||||||||||||||||||||||
2.5.2 | とおっしゃる。 ご声望のほどは、たいそう軽いことであるよ。 |
と令嬢は言っていた。自信のなさが気の毒である。 |
||||||||||||||||||||||
2.5.3 | まづ |
さっそくお手紙を差し上げなさる。 |
手紙を先に書いた。 |
|||||||||||||||||||||
2.5.4 | 「お側近くにおりながら、今までお伺いする幸せを得ませんのは、来るなと関所をお設けになったのでしょうか。 お目にかかってはいませんのに、お血続きの者ですと申し上げるのは、恐れ多いことですが。 まことに失礼ながら、失礼ながら」 |
|||||||||||||||||||||||
2.5.5 | と、点ばかり多い書き方で、その裏には、 |
点の多い書き方で、裏にはまた、 |
||||||||||||||||||||||
2.5.6 | 「実は、今晩にも参上しようと存じますのは、お厭いになるとかえって思いが募るのでしょうか。 いいえ、いいえ、見苦しい字は大目に見ていただきたく」 |
まことや、暮れにも参りこむと思ひ給へ立つは、 |
||||||||||||||||||||||
2.5.7 | とて、また |
とあって、また端の方に、このように、 |
と書かれ、端のほうに歌もあった。 |
|||||||||||||||||||||
2.5.8 | 「未熟者ですが、 いかがでしょうかと何とかしてお目 |
草若みひたちの海のいかが いかで相見む田子の浦波 |
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2.5.9 | 並一通りの思いではございません」 |
大川水の(みよし野の大川水のゆほびかに思ふものゆゑ |
||||||||||||||||||||||
2.5.10 | と、 |
と、青い色紙一重ねに、たいそう草仮名がちの、角張った筆跡で、誰の書風を継ぐとも分からない、ふらふらした書き方も下長で、むやみに気取っているようである。 行の具合は、端に行くほど曲がって来て、倒れそうに見えるのを、にっこりしながら見て、それでもたいそう細く小さく巻き結んで、撫子の花に付けてあった。 |
青い色紙一重ねに漢字がちに書かれてあった。肩がいかって、しかも漂って見えるほど力のない字、しという字を長く気どって書いてある。一行一行が曲がって倒れそうな自身の字を、満足そうに令嬢は微笑して読み返したあとで、さすがに細く小さく巻いて |
|||||||||||||||||||||
第六段 女御の返事 |
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2.6.1 | 樋洗童は、たいそうもの馴れた態度できれいな子で、新参者なのであった。 女御の御方の台盤所に寄って、 |
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2.6.2 | 「これを差し上げてください」 |
「これを差し上げてください」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.3 | と言う。 下仕えが顔を知っていて、 |
と言って出した。 |
||||||||||||||||||||||
2.6.4 | 「北の対に仕えている童だわ」 |
北の対に使われている女の子だ |
||||||||||||||||||||||
2.6.5 | と言って、お手紙を受け取る。 大輔の君というのが、持参して、開いて御覧に入れる。 |
といって、撫子を受け取った。 |
||||||||||||||||||||||
2.6.6 | 女御が、苦笑してお置きあそばしたのを、中納言の君という者が、お近くにいて、横目でちらちらと見た。 |
女御は微笑をしながら下へ置いた手紙を、中納言という女房がそばにいて少し読んだ。 |
||||||||||||||||||||||
2.6.7 | 「いと |
「たいそうしゃれたお手紙のようでございますね」 |
「何でございますか、新しい書き方のお手紙のようでございますね」 |
|||||||||||||||||||||
2.6.8 | と、ゆかしげに |
と、見たそうにしているので、 |
となお見たそうに言うのを聞いて、女御は、 |
|||||||||||||||||||||
2.6.9 | 「草仮名の文字は、読めないからかしら、歌の意味が続かないように見えます」 |
「漢字は見つけないせいかしら、前後が一貫してないように私などには思われる手紙よ」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.10 | とて、 |
とおっしゃって、お下しになった。 |
と言いながら渡した。 |
|||||||||||||||||||||
2.6.11 | 「お返事は、このように由緒ありげに書かなかったら、なっていないと軽蔑されましょう。 そのままお書きなさい」 |
「返事もそんなふうにたいそうに書かないでは低級だと言って |
||||||||||||||||||||||
2.6.12 | と、お任せになる。 そう露骨に現しはしないが、若い女房たちは、何ともおかしくて、皆笑ってしまった。 お返事を催促するので、 |
と女御は言うのであった。露骨に笑い声はたてないが若い女房は皆笑っていた。使いが返事を請求していると言ってきた。 |
||||||||||||||||||||||
2.6.13 | 「風流な引歌ばかり使ってございますので、お返事が難しゅうございます。 代筆めいては、お気の毒でしょう」 |
「風流なお言葉ばかりでできているお手紙ですから、お返事はむずかしゅうございます。仰せはこうこうと書いて差し上げるのも失礼ですし」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.14 | とて、ただ、 |
と言って、まるで、 |
と言って、中納言は女御の手紙のようにして書いた。 |
|||||||||||||||||||||
2.6.15 | 「お近くにいらっしゃるのにその甲斐なく、お目にかかれないのは、恨めしく存じられまして、 |
近きしるしなきおぼつかなさは恨めしく、 |
||||||||||||||||||||||
2.6.16 | 常陸にある駿河の海の須磨の浦に お出かけください、 |
ひたちなる |
||||||||||||||||||||||
2.6.17 | と |
と書いて、読んでお聞かせす申すと、 |
中納言が読むのを聞いて女御は、 |
|||||||||||||||||||||
2.6.18 | 「まあ、困りますわ。 ほんとうにわたしが書いたのだと言ったらどうしましょう」 |
「そんなこと、私が言ったように人が皆思うだろうから」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.19 | と、かたはらいたげに |
と、迷惑そうに思っていらっしゃったが、 |
と言って困ったような顔をしていると、 |
|||||||||||||||||||||
2.6.20 | 「それは聞く人がお分かりでございましょう」 |
「大丈夫でございますよ。聞いた人が判断いたしますよ」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.21 | とて、おし |
と言って、紙に包んで使いにやった。 |
と中納言は言って、そのまま包んで出した。 |
|||||||||||||||||||||
2.6.22 | 御方が見て、 |
新令嬢はそれを見て、 |
||||||||||||||||||||||
2.6.23 | 「しゃれたお歌ですこと。 待っているとおっしゃっているわ」 |
「うまいお歌だこと、まつとお言いになったのだから」 |
||||||||||||||||||||||
2.6.24 | とて、いとあまえたる |
と言って、たいそう甘ったるい薫物の香を、何度も何度も着物にた焚きしめていらっしゃった。 紅というものを、たいそう赤く付けて、髪を梳いて化粧なさったのは、それなりに派手で愛嬌があった。 ご対面の時、さぞ出過ぎたこともあったであろう。 |
と言って、甘いにおいの |
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