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渋谷栄一注釈(C)

  

花散里


 [底本]
原装影印 古典籍覆製叢刊『青表紙原本 源氏物語』 一九七八年 雄松堂

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第一巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第三巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九九三年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第二巻 一九八三年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第二巻 一九七七年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第二巻 一九七二年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第二巻 一九六五年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第一巻 一九五八年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第二巻 一九四九年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

 [本文について]
 本文は、現存する藤原定家本四帖の一つである尊経閣文庫本である。当帖には、奥入はない。その代わりに引き歌を指摘した付箋が二枚貼付されている。また朱の合点も二ケ所打たれている。なお本文は定家自筆ではなく定家風の書跡である。定家監修のもとに書写された一帖であろう。

  1. 花散里訪問を決意---人知れぬ、御心づからのもの思はしさは
  2. 中川の女と和歌を贈答---何ばかりの御よそひなく、うちやつして
  3. 姉麗景殿女御と昔を語る---かの本意の所は、思しやりつるもしるく
  4. 花散里を訪問---西面には、わざとなく

 

花散里の物語

 [第一段 花散里訪問を決意]

【人知れぬ御心づからのもの思はしさは】−『集成』は「人知れず、ご自分から求めて物思いに悩むことは。藤壷や朧月夜などへの恋の悩み」と注す。
【いつとなきことなめれど】−尊経閣文庫本「め」補入。「めれ」(推量の助動詞)は語り手の推量。
【かくおほかたの世につけてさへ】−「さへ」(副助詞)、添加の意。---まで。---までも。『完訳』は「桐壷院崩御後の社会的状況。恋ゆえの人生を主に、それに社会的な存在の奥行を与え語る趣」と注す。
【ことのみ】−しかのみ横
【世中なべて厭はしう】−『完訳』は「葵の上の死を契機とする厭世観が持続している」と指摘。源氏、二十二歳秋八月に妻の死去、翌二十三歳の冬十一月に父桐壷院の崩御、と二年連続して、近親の死に遭遇し、世の中は右大臣家方の時代と変化。
【思しならるるに】−「に」(接続助詞)は逆接の意。
【さすがなること多かり】−『集成』は「そうはいかないこと」の意に解す。『完訳』は「いざ出家となると踏み切れぬ気持。これまでも繰り返された」と注す。

【麗景殿と聞こえしは】−れいけんてん明三 桐壷院の麗景殿女御。「賢木」巻の右大臣家の藤大納言の娘で頭弁の姉(朱雀院の麗景殿女御)とは別人。
【あはれなる御ありさまを】−『集成』は「おさびしいお暮らしなのを」と解し、『完訳』は「経済的不如意をさす」と注す。
【御心に】−おほん心に横 「御」の読み方が「おほん」とある例。
【過ぐしたまふなるべし】−「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)は語り手の判断推量。

【御おとうとの三の君】−後に「花散里」と呼称される女性。しかしこの巻では姉に付随して語られる存在。なお、「おとうと」は「おとひと」(乙人)の転で、男女にかかわらず同性の兄弟姉妹のうちの年下の人をいった。
【なごりの】−なこり明三証
【はかなう】−は(は/$は)かなう大 大島本は字母「八」を朱筆でミセケチにして字母「者」と訂正。すなわち、前文「わたりにて」「は」と係助詞に誤読されることを危惧して他の字母「者」に訂正したもの。
【例の御心なれば】−『集成』は「いつものお心癖なので。一度逢った女は忘れないという源氏の性質」と解し、また『完訳』は「源氏の性分。一度逢った女を捨て去ることもないが、特別熱心に通い続けることもない、という」と解す。すなわち、前者は「さすがに忘れもはて給はず」の句にだけ掛かると解し、後者は「わざとももてなし給はぬに」の句まで掛かると解す。
【このごろ】−『集成』は「このころ」と清音、『完訳』は「このごろ」と濁音に読む。『図書寮本名義抄』に「比日 コノゴロ」とある。
【もてなしたまはぬに】−「に」接続助詞、原因理由を表す。
【人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも】−「人」は花散里をさす。「べか」(推量の助動詞)「める」(推量の助動詞)は語り手の推量。
【残ることなく思し乱るる】−源氏の物思いをいう。
【世のあはれのくさはひには】−『集成』は「人生の哀しみをそそるものの一つとしては」の意に解し、『完訳』は「世の中の何事につけても心を痛めていらっしゃる、そうした一つとしては」の意に解す。
【たまふには】−たまふには定大横−給には(は/$)三−たまふに明書 河内本も定家本等と同文。別本の御物本と陽明文庫本は為明本等と同文。「くさはひには思ひ出でたまふには」というやや不自然さを感じさせる文脈ではあるが、定家本本来の文章表現である。
【五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ】−季節は夏、五月雨の時期。この物語(花散里物語)は夏を季節的背景として語られる。

 [第二段 中川の女と和歌を贈答]

【なにばかりの御よそひなく】−御前駆などもなく恋の忍び歩きのさま。
【御前】−御せん定大三 「ごぜん」と読む例。
【中川のほど】−京極川の二条以北をいう。「帚木」巻にも中川が出てきた。貴族の別荘が多い辺り。
【あづまに調べて】−「東の調べ」については不詳。河内本「さうの琴にあつまをしらへあはせて」(箏の琴に和琴を合奏させて)とある。
【掻き合はせ】−『集成』は「調絃してから、調子を整えるために弾く短い曲。各調子に1つずつある」と注し、また『完訳』は「短小の曲の合奏で調子を整えること、または合奏すること」と注す。
【弾きなすなり】−「なり」伝聞推量の助動詞。伝聞の意。牛車の中にいる源氏の耳に聞こえてくる。

【さし出でて見入れたまへば】−源氏が牛車の御簾の間から体を出して覗き見ること。
【思し出でられて】−「られ」自発の助動詞。
【ただ一目見たまひし宿りなり】−敬語「たまふ」があるので、地の文から源氏の心中を叙述したかたち。
【ほど経にけるおぼめかしくや】−源氏の心中。
【過ぎがてにやすらひたまふ折しもほととぎす】−『異本紫明抄』は「夜や暗き道やまどへる郭公わが宿をしも過ぎがてに鳴く」(古今集夏、一五四、紀友則)を指摘する。歌中より第三句「郭公」第五句「過ぎがてに」の語句を用いる。

【をちかへりえぞしのばれぬほととぎすほの語らひし宿の垣根に】−源氏の贈歌。惟光が朗誦する。昔のころが堪えられなく思い出されて、お逢いしたいの意。

【声づくりけしきとりて御消息聞こゆ】−主語は惟光。
【おぼめくなるべし】−「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)は、惟光と語り手の判断や推量。

【ほととぎす言問ふ声はそれなれどあなおぼつかな五月雨の空】−女の返歌。源氏の君とは分かるが、今ごろ何のご用ですか、ととぼけた意。
【言問ふ】−ことゝふ定大横−かたろふ明−かたらふ三書

【ことさらたどる】−わざと不審がって見せる、の意。
【よしよし植ゑし垣根も】−惟光の詞。『異本紫明抄』は「花散りし庭の木の葉も茂りあひて植ゑし垣根も見こそわかれね」(出典未詳)を指摘する。第四句の「植ゑし垣根も」による。垣根が見分けられない、家を間違えたのか、と引き下がる意。
【人知れぬ心にはねたうもあはれにも思ひけり】−『完訳』は「女は内心では悔まれ感慨も深い。源氏への執着も捨てていない」と注す。このような人物描写がこの物語の奥行きを深くしているところ。
【さもつつむべきことぞかし】−以下「らうたげなりしはや」まで、源氏の心中。『完訳』は「遠慮すべき事情。新しい男が通っているのでは、と直観される」と指摘。
【かやうの際に】−『完訳』は以下「らうたげなりしはや」までを、源氏の心中とする。

【年月を経てもなほかやうに見しあたり情け過ぐしたまはぬにしもなかなかあまたの人のもの思ひぐさなり】−源氏の性癖とそれゆえに女の物思いの種であるという関係。

 [第三段 姉麗景殿女御と昔を語る]

【かの本意の所は】−訪問目的の花散里邸。
【いとあはれなり】−『完訳』は「世の移り変りを見る気持」と注す。
【二十の月さし出づるほどに】−五月二十日の月。午後十時ころ出る。
【いとど木高き蔭ども小暗く見えわたりて近き橘の薫りなつかしく匂ひて】−五月の季節描写。
【らうたげなり】−『完訳』は「かばってやりたい弱々しさ」と注す。

【すぐれてはなやかなる】−以下「思したりしものを」まで、源氏の心中。麗景殿女御に対する感想。

【ありつる垣根のにや】−語り手の挿入句。
【慕ひ来にけるよ】−源氏の心。『集成』は「郭公を擬人化して考えるのは『万葉集』以来の文学的伝統である」と注す。
【いかに知りてか】−『源氏釈』は「いにしへのこと語らへば郭公いかに知りてか古声のする」(古今六帖五、物語)を指摘する。

【橘の香をなつかしみほととぎす花散里をたづねてぞとふ】−源氏の麗景殿女御への贈歌。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集夏、一三九、読人知らず)「橘の花散里の郭公片恋しつつ鳴く日しぞ多き(万葉集八、一四七七、大伴旅人)を踏まえる。以下「思さるらむ」まで、源氏の詞。「花散里」はここでは邸の名前、後に妹三の君の呼称となる。

【おほかたの世に従ふものなれば】−格助詞「の」は主格を表す。
【まして】−ましていかに横明三 なお河内本、別本にも「いかに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「ましていかに」と校訂する。

【思し続けたる御けしきの】−主語は麗景殿女御。

【人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ】−麗景殿女御の返歌。「橘」の語句を受けて返す。「つま」は「端」の意と「手がかり」の意を掛ける。『完訳』は「橘の花が軒端に咲いて、懐旧の念を抱くあなたを誘い出すよすがになった、の意。ここにも源氏をほととぎすに見立て、故院時代の記憶に生きる人とする」と注す。

【さはいへど人にはいとことなりけり】−源氏の感想。

 [第四段 花散里を訪問]

【西面にはわざとなく忍びやかに】−寝殿の西面に花散里(三の君)を訪う。
【わさとなくしのひやかにうちふるまひ給ひて】−主語は源氏。
【つらさも忘れぬべし】−「べし」推量の助動詞、語り手の推量。
【あらざるべし】−「べし」推量の助動詞、語り手の推量。『完訳』は「源氏の誠実さを語り手が推測」と注す。

【かりにも見たまふかぎりは】−以下、語り手の文章。『岷江入楚』所引三光院実枝説は「草子地」と指摘。
【それをあいなしと思ふ人は】−『集成』は「そうした仲を気に入らない、つまらないと思う人は」の意に解し、『完訳』は「途絶えがちな源氏の態度を、ふさわしからぬものと思う女は」の意に解す。
【ことわりの世のさが】−源氏の心。『完訳』は「中川の女を典型に、人の心変りを嘆く」と注す。
【ありつる垣根も】−『岷江入楚』は「草子地とみえたり」と指摘。
【さやうにて】−『集成』は「そんなわけで。大勢の恋人の一人として、嫉妬もせずに過すのは、つまらぬことだと思って、の意」と解す。

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