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渋谷栄一注釈(C)

  

常夏


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第五巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第二巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第七巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第三巻 一九九五年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第五巻 一九八五年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第四巻 一九七九年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第三巻 一九七二年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第五巻 一九六五年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第三巻 一九六一年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第三巻 一九五〇年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

  1. 六条院釣殿の納涼---いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて
  2. 近江君の噂---「いかで聞きしことぞや、大臣のほか腹の娘
  3. 源氏、玉鬘を訪う---夕つけゆく風、いと涼しくて
  4. 源氏、玉鬘と和琴について語る---月もなきころなれば、燈籠に
  5. 源氏、玉鬘と和歌を唱和---人々近くさぶらへば、例の戯れごとも
  6. 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩---渡りたまふことも、あまりうちしきり
  7. 玉鬘の噂---内の大殿は、この今の御女のことを
  8. 内大臣、雲井雁を訪う---とかく思しめぐらすままに、ゆくりもなく
第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語
  1. 内大臣、近江君の処遇に苦慮---大臣、この北の対の今姫君を
  2. 内大臣、近江君を訪う---やがて、この御方のたよりに、たたずみおはして
  3. 近江君の性情---「舌の本性にこそははべらめ
  4. 近江君、血筋を誇りに思う---よき四位五位たちの、いつききこえて
  5. 近江君の手紙---「さて、女御殿に参れとのたまひつるを
  6. 女御の返事---樋洗童しも、いと馴れてきよげなる

 

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

 [第一段 六条院釣殿の納涼]

【いと暑き日東の釣殿に出でたまひて】−源氏三十六歳夏のある日。六条院南の町(春の町)の東の釣殿。
【中将の君もさぶらひたまふ】−夕霧をいう。
【西川よりたてまつれる】−桂川をさす。
【近き川の】−中川(京極川)や鴨川をさす。
【例の大殿の君達】−内大臣のご子息たち、柏木らをさす。

【さうざうしく】−以下「折よくものしたまへるかな」まで、源氏の詞。

【水の上無徳なる】−以下「許されなむや」まで、源氏の詞。「れ」尊敬の助動詞。「な」完了の助動詞、確述の意。推量の助動詞「む」。係助詞「や」疑問の意。

【いとかかるころは】−以下「おぼつかなしや」まで、源氏の詞。
【堪へがたからむな帯も解かぬほどよ】−大島本は「たへかたからむな越ひもとかぬほとよ」とある。他の青表紙本諸本は「たえかたからむなおひひもとかぬ程は」(横)−「たえかたからんおひゝもとかぬほとよ」(為)−「たえかたからんなおひゝもとかぬほとよ」(池三)−「たへかたからむなをしひもゝとかぬほとよ」(佐)−「たえかたからんなをしひもとかぬ程よ」(肖)とある。『集成』は「堪へがたからむな。帯紐解かぬ程よ」と校訂。「帯・紐」は横山本・為家本・池田本・三条西家本、「帯」は大島本のみ、「直衣・紐」は佐々木本・肖柏本そして書陵部本である。河内本は「たえかたからむかしなをひゝもゝとかぬ」とある。

 [第二段 近江君の噂]

【いかで聞きしことぞや】−以下「ありしかばまことや」まで、源氏の詞。
【まねぶ人ありしかば】−大島本は「あ(△&あ)りしかハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ありしは」と「か」を削除する。

【弁少将に】−内大臣の次男、柏木(中将)の弟。

【ことことしくさまで】−以下「家損なるわざにはべりけれ」まで、弁少将の詞。
【夢語りしたまひけるを】−内大臣が見た夢の話をしたところの意。
【中将の朝臣なむ聞きつけて】−弁少将の兄、柏木をいう。源氏の前なので「中将の朝臣」という呼び方をする。
【かやうのことにぞ】−大島本は「ことにそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことにこそ」と校訂する。下文に「はべりけれ」(已然形)とあるので、係助詞「こそ」が適切。

【いと多かめる列に】−以下「いかでかあらむ」まで、源氏の詞。「類よりもひとり離れて飛ぶ雁の友に後るる我が身悲しも」(曽丹集、四三一)を踏まえる。
【いとともしきに】−源氏、自分自身には子の少ないことをいう。
【見出でまほしけれど】−大島本は「みてまほしけれと」とある。「見出で」の「い」脱字とみて補訂する。
【底清く澄まぬ水にやどる月は曇りなきやういかでかあらむ】−打消の助動詞「ぬ」は「清し」と「澄む」の両語を打消す。身分の低い女の腹にすぐれた子は生まれないという喩え。

【詳しく聞きたまふことなれば】−大島本は「きゝ給ふこと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞きたまへること」と校訂する。

【朝臣や】−以下「なでふことかあらむ」まで、源氏の詞。
【さやうの落葉をだに拾へ】−内大臣の落胤の娘をもらったらどうだ、の意。内大臣家の子息が聞いている前での発言なので、相手方への皮肉となる。
【同じかざしにて】−「わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしてこそはせめ」(後撰集恋四、八〇九、伊勢)。

【かやうのことにてぞ】−『完訳』は「以下、語り手の言辞」と注す。
【なまねたしとも】−主語は内大臣。

【かく聞きたまふにつけても】−源氏が内大臣の落胤の噂を聞くにつけても、の意。
【対の姫君を】−以下「もてなしてむ」まで、源氏の心中。
【もてなされむはや】−連語「はや」反語表現。
【いとものきらきらしくかひあるところつきたまへる人にて】−内大臣の性格。『集成』は「万事はっきりしていて打てば響くようなところがおありになる方なので」。『完訳』は「まったく万事にきちんと折目正しく、根性がおありの人で」と訳す。
【え軽くは思さじ】−『集成』は「(養育の恩を)おろそかにはお考えになれまい、ずいぶんありがたく思うような態度に出てやろう」と訳す。

 [第三段 源氏、玉鬘を訪う]

【心やすくうち休み】−以下「齢にもなりにけりや」まで、源氏の詞。
【涼まむや】−推量の助動詞「む」勧誘の意。間投助詞「や」呼び掛けの意。
【なりにけりや】−過去の助動詞「けり」詠嘆の意。間投助詞「や」詠嘆の意。

【何ともわきまへられぬに】−接続助詞「に」順接の意。

【すこし外出でたまへ】−源氏の詞。

【忍びて】−玉鬘に向かってこっそりとささやく。

【少将侍従など率てまうで来たり】−以下「心ちしける」まで、源氏の詞。
【中将のいと実法の人にて】−夕霧をさす。

【窓の内なるほどは】−深窓に養われる未婚時代。「養はれて深閨(深窓)に在り人未だ識らず」(白氏文集・長恨歌)。
【この家のおぼえ】−『完訳』は「「--だに」の文脈を受ける。まして、六条院への世間の思惑は」と注す。
【かたがたものすめれど】−推量の助動詞「めり」婉曲の意。『集成』は「源氏の夫人たちは、年長けて、若い貴公子の相手にはふさわしくないという」。『完訳』は「六条院の女君たち。秋好は現在の中宮、明石の姫君は将来の后と目され、恋の相手たりえない」と注す。

【かくてものしたまふは】−玉鬘が六条院にいることをさす。

【唐の大和の籬いとなつかしく結ひなして咲き乱れたる夕ばえ】−『完訳』は「唐の、大和のと、とりどりに垣根をじつに上品に作って咲き乱れているのが夕明りのなかに浮き立って見えるのは」と訳す。
【心のままに折り取らぬを飽かず思つつやすらふ】−主語は少将や侍従たち。「折り取らぬ」は不可能の意を表す。『集成』は「撫子を玉鬘に見立て、思うままにわがものとできないのをくやしく思っていることを暗示する」と注す。

【有職どもなりな】−以下「なさし放ちたまひそ」まで、源氏の詞。玉鬘に話しかけたもの。
【右の中将はまして】−柏木は、弟の少将や侍従らよりもの意。
【いかにぞや】−大島本は「いかにそ(そ+や<朱>)」とある。すなわち朱筆で「や」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「いかにぞ」と校訂する。
【おとづれ聞こゆや】−柏木が玉鬘に手紙をよこしているか、の意。

【中将の君はかくよきなかに】−夕霧をさす。

【中将を厭ひたまふこそ】−以下「かたくななりとにや」まで、源氏の詞。内大臣への皮肉の言。
【かたくななりとにや】−『集成』は「旧式だとでもお思いなのだろうか」。『完訳』は「みっともないというのでしょうか」と訳す。

【来まさばといふ人もはべりけるを】−玉鬘の詞。源氏の「大君だつ」を受けて、催馬楽「我家」の「--大君来ませ、婿にせむ--」を踏まえて応える。『集成』「夕霧の方から事を進めれば、内大臣も喜んで婿として迎えるだろうにと、内大臣をとりなしていう」と注す。

【いでその御肴】−以下「ありなましや」まで、源氏の詞。同じく催馬楽「我家」の「--御肴に、何よけむ--」を踏まえて言う。
【心も解けず年月隔てたまふ心むけの】−「隔て」は年月を隔てる意と仲を隔てる意とが掛けられている。「心むけ」は内大臣の心向け。幼恋の仲がさかれて三年を経過。
【ここに任せたまへらむに】−「ここ」は源氏をさす。「ら」完了の助動詞、完了の意。「む」推量の助動詞、仮定の意。
【ありなましや】−「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、反実仮想。「や」間投助詞、反語の意。

【さはかかる御心の隔てある御仲なりけり】−玉鬘の心中。

 [第四段 源氏、玉鬘と和琴について語る]

【なほ気近くて暑かはしや篝火こそよけれ】−源氏の詞。

【篝火の台一つこなたに】−源氏の詞。

【律にいとよく調べられたり】−玉鬘が調絃した。

【かやうのことは】−以下「響きのぼれ」まで、源氏の詞。『完訳』は「田舎育ちを見くびったが、調絃から意外な趣味を知った」と注す。源氏の和琴論。

【このものよ】−和琴をさす。
【さながら多くの遊び物の音拍子を整へとりたるなむいとかしこき】−『集成』は「そっくり多くの楽器の音色や拍子をきちんと演奏できるのが大したものです」と訳す。この物語の「大和魂」の思想に通じる。
【広く異国のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる】−『完訳』は「このあたり、渡来の文物の優秀さを前提にしながらも、日本古来の捨てがたい価値を称揚。和琴をその典型とする」と注す。一般に唐来物を最上、高麗物を次善とし、国産のものは低く見ている。

【深き心とて】−『集成』は「深遠な奥義といったものは」。『完訳』は「高度の演奏技術といっても」と訳す。

【いかでと思すことなれば】−「いかで」の下には「勝らむ」などの語句が省略。

【このわたりにて】−以下「さまことにやはべらむ」まで、玉鬘の詞。
【さりぬべき御遊びの折など】−大島本は「おりなと」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「をりなどに」と「に」を補訂する。
【聞きはべりなむや】−内大臣の演奏をさす。「な」完了の助動詞。「む」推量の助動詞。「や」係助詞、疑問の意。
【さまことにやはべらむ】−係助詞「や」疑問の意。推量の助動詞「む」、推量の意。軽い疑問の意。

【さかし】−以下「聞きたまひてむかし」まで、源氏の詞。
【人の国は知らずここには】−異国と日本を比較。
【ものの親としたるにこそあめれ】−『集成』は「和琴を一番大切なものとしているからでしょう」。『完訳』は「これを第一番の楽器としているためなのでしょう」と訳す。

【親としつべき御手より弾き取りたまへらむは心ことなりなむかし】−『集成』は「第一人者というべき内大臣のご演奏からじかに学び取られたら、すばらしいことでしょう」と訳す。
【ことやかたからむ】−間投助詞「や」詠嘆。
【いづれの道にも心やすからずのみぞあめる】−『集成』「どの道の人もむやみに重々しく振舞うようです」。『完訳』は「どの道の人でもそう気軽に手の内を見せるということはないもののようです」と訳す。

【ことつひいと二なく】−「ことつひ」は語義未詳。『集成』は「和琴を弾く姿とも、琴さき(爪)ともいう」。『完訳』は「弾奏する姿の意か」と注す。
【これにもまさる音や出づらむ】−玉鬘の心中。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び。
【いかならむ世にさてうちとけ弾きたまはむを聞かむ】−玉鬘の心中。

【貫河の瀬々のやはらた】−催馬楽「貫河」の歌詞の一節。
【親避くるつま】−この語句も催馬楽「貫河」の歌詞の一節。

【いで弾きたまへ】−以下「合はせつるなむよき」まで、源氏の詞。

【ほのかに京人と名のりける】−『集成』は「何かにかこつけて都人だと自称していた」。『完訳』は「何やら京生れと名のっていた」と訳す。
【古大君女教へきこえければ】−大島本は「ふるおほきミ女」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「古大君女の」と「の」を補訂する。

【しばしも弾きたまはなむ聞き取ることもや】−玉鬘の心中。終助詞「なむ」願望の意。「もや」連語、下に「あらむ」連体形などの語句が省略。源氏にもう少し和琴を弾いていてほしい、と思う。
【この御琴により】−「こと」は「事」と「琴」の掛詞。
【近くゐざり寄りて】−主語は玉鬘。

【いかなる風の吹き添ひてかくは響きはべるぞとよ】−玉鬘の詞。「琴の音に峯の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を踏まえる。

【耳固からぬ人の】−以下「風も吹き添ふかし」まで、源氏の詞。
【身にしむ風も】−「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花集秋、一〇九、和泉式部)。琴の音色は聴きわけるのにわたしの言うことは理解してくれない、という皮肉の意をこめる。

【いと心やまし】−『集成』は「玉鬘の思いがそのまま地の文に重なる書き方」。『完訳』は「玉鬘の心情に即した地の文」と注す。

 [第五段 源氏、玉鬘と和歌を唱和]

【撫子を飽かでも】−以下「ことぞおぼゆる」まで、源氏の詞。
【語り出でたまへりしも】−内大臣が玉鬘のことを。「帚木」巻の雨夜の品定めの段をさす。

【撫子のとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ】−源氏から玉鬘への贈歌。「とこなつかしき」と「常夏」(撫子の別名)の掛詞。「もとの垣根」は母夕顔をさす。

【このことのわづらはしさに】−以下「思ひきこゆる」まで、歌に続けた源氏の詞。「このこと」は内大臣が夕顔の行方を詮索すること。
【繭ごもりも心苦しう】−「たらちねの親の飼ふ蚕の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」(拾遺集恋四、八九五、人麿)を踏まえる。

【山賤の垣ほに生ひし撫子のもとの根ざしを誰れか尋ねむ】−玉鬘の返歌。「撫子」「尋ね」の言葉を引用し、「人や尋ねむ」を「誰か尋ねむ」と返す。「あな恋し今も見てしか山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集恋四、六九五、読人しらず)を踏まえる。

【げにいとなつかしく】−「げに」は語り手が源氏の「とこなつかしき」と言った言葉を受けたもの。

【来ざらましかば】−源氏の詞。「うち誦じたまひて」とあるので、引歌があるらしいが、未詳。

 [第六段 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩]

【なぞかくあいなきわざをして】−以下「えあるまじく」まで、源氏の心中。【集成】は「以下、源氏の、あれこれの場合を想定しての心中の悩みを書く」。『完訳』は「以下、「あるまじく」まで、源氏の自制的な心語」と注す。
【さ思はじとて心のままにもあらば】−「さ」は苦しい思い、「心のまま」は玉鬘を自分の妻妾の一人にすることをさす。
【春の上の御おぼえに】−「春の上」は紫の上、源氏の心中文中の呼称に注意。
【えあるまじく】−連用中止法。心中文から地の文に続く表現。
【さてその劣りの列にては】−以下「劣りぬべきことぞ」まで、源氏の心中。花散里や明石御方などの劣った妻妾と同待遇をさす。
【なにばかりかはあらむ】−「かは--む」反語表現。『集成』は「大した幸福とはいえない」と訳す。
【わが身ひとつこそ人よりは異なれ】−源氏は太政大臣の地位にあることをさす。「こそ--なれ」係結び、逆接用法。

【宮大将などにや】−以下「さもしてむ」まで、源氏の心中。
【さてもて離れいざなひ取りては】−『集成』は「結婚してすっかり自分とは無関係に、(宮や大将が)自分の家に連れて行ってしまったなら、執着も絶えようか」。『完訳』は「そして自分とは縁が切れて、その人たちが引き取るというのだったら」と訳す。

【姫君も初めこそ】−「思ひたまひしか」に係る係結び、逆接用法。
【かくてもなだらかにうしろめたき御心はあらざりけり】−玉鬘の心中。「かくてもなだらかに」は『集成』は「こんなにおっしゃりながらも、人目に立つようなことはなさらないで」、『完訳』は「こうしていらっしゃっても、無体なことはなさらずおとなしくしておられるので」と訳す。
【なほさてもえ過ぐしやるまじく】−『集成』は「やはりおめおめ結婚させられないと」。『完訳』は「やはりそのまではとても過せそうもない」と訳す。

【さはまたさてここながら】−以下「障はらじかし」まで、源氏の心中。
【かくまだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心苦しけれ】−「こそ--けれ」係結び、逆接用法。『集成』は「今のように、まだ男を知らぬ娘心を靡かせようとあれこれ気を遣って策を弄するのは、(玉鬘に対して)気の毒だけれど」。『完訳』は「こうして姫君がまだ男女の情を知らないうちに手出しするのは面倒だし、またかわいそうに思えるけれども」と訳す。
【関守強くとも】−「関守」は玉鬘の夫をさす。「人知れぬわが通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ」(古今集恋三、六三二、業平朝臣・伊勢物語五段)。
【ものの心知りそめ】−主語は玉鬘。玉鬘が男女の情を知るようになる。
【いとほしき思ひなくて】−源氏側の思い。『集成』は「こちら(源氏)も、仮にも娘分をと、ひるむ気持がなくて」。『完訳』は「「心のままにも--いとほしかるべし」に照応。女が夫ある身なら不憫さも感じまい、とする」「こちらでもいたわしく思う気がねがなくなるわけだし」と注す。
【思ひ入りなばしげくとも障はらじかし】−「筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るには障らざりけり」(新古今集恋一、一〇一三、源重之・重之集)を踏まえる。
【いとけしからぬことなりや】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の源氏への批評」と注す。

【いよいよ心やすからず】−『完訳』は「源氏の心に即した語り手の言辞」と注す。
【思ひわたらむ苦しからむ】−大島本は「思ひわたらむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひわたらむも」と「も」を補訂する。
【なのめに思ひ過ぐさむことの】−玉鬘をほどほどに諦めることの意。

 [第七段 玉鬘の噂]

【この今の御女のことを】−近江君をさす。
【殿の人も許さず】−以下「誹りきこゆ」まで、内大臣の耳に入ってくる内容。
【さることやととぶらひたまひしこと】−大島本は「さることやとふらひ給し事」とある。『集成』は「さることやと問ひたまひし」と校訂する。『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「さることやととぶらひたまひし」と「と」を補訂する。

【さかしそこにこそは】−以下「おぼえある心地しける」まで、内大臣の詞。
【これぞおぼえある心地しける】−『集成』は「それで、面目を施した気がする。源氏がとかく関心を持ってくれるので晴れがましい、と言う。源氏に突っかかるようなとげとげしいもの言い」。『完訳』は「負け惜しみからの皮肉である」と注す。

【かの西の対に据ゑたまへる人は】−以下「推し量りはべめる」まで、内大臣の次男の少将の詞。六条院夏の町の玉鬘をさしていう。「据ゑたまへる」の主語は源氏。

【いでそれは】−以下「もてないたまふならむ」まで、内大臣の詞。
【人びとしきほどならば年ごろ聞こえなまし】−「ならば--まし」反実仮想の構文。『完訳』は「もしひとかどのお人なのだったら、これまでにも評判が立っていただろうに」と訳す。

【おもだたしき腹に】−正妻の紫の上に実子のないことをいう。
【ものしたまはぬは】−下に「惜しい」などの語句が省略。余意・余情表現。

【おほかたの子の少なくて】−大島本は「おほかたのこのすくなくて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おほかた子の少なくて」と「の」を削除する。
【明石の御許の】−内大臣の詞文中の明石の君の呼称のされ方。
【あるやうあらむとおぼゆかし】−『完訳』は「きっとこれからさき相当なところに落ち着く人なのだろうと、気にもならずにはいられない」と訳す。源氏の一人娘として、きっと入内するであろう、という予測。

【今姫君は】−玉鬘をさす。
【いとけしきあるところつきたまへる人にて】−源氏をさしていう。

【さていかが定めらるなる】−以下「御あはひともならむかし」まで、内大臣の詞。「らる」受身の助動詞、「なる」伝聞推定の助動詞。

【姫君の御こと】−雲居雁をさす。
【かやうに心にくくもてなして】−以下「いぶかしがらせましものを」まで、内大臣の心中。「かやうに」とは源氏が玉鬘を大事にするように、の意。
【いかにしなさむ】−世間の人の噂を想定。
【いぶかしがらせましものを】−「まし」反実仮想の助動詞。
【位さばかりと】−夕霧の官位をさす。

【大臣なども】−以下「負くるやうにてもなびかめ」まで、内大臣の心中に即した叙述。「大臣」は源氏をさす。
【男方は】−夕霧をさす。
【心やましくなむ】−『集成』は「内大臣の気持をそのまま記したもの」と注す。

 [第八段 内大臣、雲井雁を訪う]

【とかく思しめぐらすままに】−主語は内大臣。
【ゆくりもなく軽らかにはひ渡りたまへり】−雲居雁の部屋を訪れる。

【姫君は昼寝したまへるほどなり】−雲居雁は昼寝の最中。
【羅の単衣を着たまひて臥したまへるさま】−羅の単衣。上半身は透けて見える。国宝源氏物語絵巻「夕霧」の雲居雁の装束がそれである。

【人びとものの後に寄り臥しつつ】−女房たちは屏風や几帳の物陰にいる。
【ふともおどろいたまはず】−主語は雲居雁。女房たちが起こさないから。
【扇を鳴らしたまへるに】−主語は内大臣。

【うたた寝はいさめきこゆるものを】−以下「いとゆかしけれ」まで、内大臣の詞。「たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける」(拾遺集恋四、八九七、読人しらず)を踏まえる。

【太政大臣の后がねの姫君】−源氏の明石姫君。将来は皇后にという教育。
【よろづのことに通はしなだらめてかどかどしきゆゑもつけじ】−広く一通りの教養を身につけ、かたよった特技というのは身につけない方針。

【この君の人となり】−明石姫君をさす。「この」は今話題にしているという近称の指示代名詞。内大臣の姫君をさすのではない。
【宮仕へに出だし立てたまはむ世の】−主語は源氏。

【思ふやうに見たてまつらむと】−以下「思ふさまはべり」まで、内大臣の詞。内大臣が雲居雁を東宮に入内させようと思っていたことをさす(少女巻)。
【人の上のさまざまなるを】−世間一般の女性の身の上をさす。

【ねぎごとに】−「ねぎごとをさのみ聞きけむ社こそ果てはなげきの森となるらめ」(古今集誹諧歌、一〇五五、讃岐)。夕霧の訴えをさす。

【昔は何ごとも】−以下「見えたてまつりけるよ」まで、雲居雁の心中。「昔」は三条宮邸にいたころをさす。
【なかなか】−「おもなくて」に係る。
【いとほしかりしことの騒ぎにも】−『集成』は「目も当てられなかった事件の時にも」。『完訳』は「夕霧に不憫なことをした、かつての騷ぎ」と注す。

【かくのたまふるがつつましくて】−大島本は「の給ふるか」とある。「のたまふ」は四段活用の動詞。連体形「のたまふる」は誤用法だが、今底本のままとする。父内大臣のおっしゃることに雲居雁は遠慮されて、の文意。
【え渡り見たてまつりたまはず】−雲居雁が三条宮邸に行き大宮にお目にかかることができない。

 

第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語

 [第一段 内大臣、近江君の処遇に苦慮]

【大臣この北の対の今姫君を】−大島本は「いま姫君」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「今君」と「姫」を削除する。内大臣、近江の君の処遇に苦慮する。近江の君が「北の対」にいることが注意される。

【いかにせむ】−以下「さ言ふばかりにやはある」まで、内大臣の心中。
【さかしらに】−『集成』は「独り合点で」。『完訳』は「あらずもがなのことをして」と訳す。
【籠めおきてたれは】−邸の奥に置いているので。已然形+「ば」順接条件。
【女御の御方などに】−内大臣の娘弘徽殿女御。
【さるをこのものにしないてむ】−『完訳』は「内大臣は、自分の不見識を難じられぬよう、近江の君を道化者にすべく迎えたと装う」と注す。
【人の】−女房をさす。
【言ひ落とすなる】−「なり」伝聞推定の助動詞。
【やはある】−反語表現。そう大してひどくもない、の意。

【かの人参らせむ】−以下「あはつけきやうなり」まで、内大臣の詞。
【な笑はせさせたまひそ】−大島本は「なわらはせさせ給ふそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「な笑はせさせたまひそ」と校訂する。
【つつまず言ひ教へさせたまひて御覧ぜよ】−『集成』は「びしびし叱って教育させなさってお使い下さい」。『完訳』は「遠慮なくお言い聞かせになって面倒を見ていただきたい」と訳す。

【などかいとことのほかにははべらむ】−以下「かかやかしきにや」まで、弘徽殿女御の詞。「などか--はべらむ」反語表現。
【中将などの】−柏木をさす。
【かね言に足らず】−大島本は「かねことにたらすと」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「かね言にたへず」と校訂する。
【かくのたまひ騒ぐをはしたなう思はるるにも】−「のたまひ騒ぐ」の主語は内大臣。「はしたなう思はるる」の主語は近江の君。「るる」は軽い尊敬の助動詞。
【かたへはかかやかしきにや】−『集成』は「一つには面映ゆいのではないでしょうか。それで気後れしてつい失敗が多いのではないか、と取りなす」と注す。

【いと恥づかしげにて聞こえさせたまふ】−『完訳』は「父を圧倒するほどの正論で」と訳す。
【をかしげさはなくて】−接続助詞「て」弱い逆接の意。
【あてに澄みたるものの】−接続助詞「ものの」弱い逆接の意。
【おもしろき梅の花の開けさしたる朝ぼらけ】−弘徽殿女御の美貌の譬喩。「匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながむれ」(曽丹集、二六)。
【ほほ笑みたまへるぞ人に異なりけると見たてまつりたまふ】−地の文がいつしか内大臣の心中文となって、引用句「と見たてまつりたまふ」と表現される。

【中将のいとさ言へど心若きたどり少なさに】−内大臣の詞。『集成』は「一人前だとはいっても、まだ世間知らずでよく考えもせずに」。『完訳』は「賢いとはいえ、思慮が足りず、調査が周到でなかったので。内大臣は柏木に責任を転嫁」と注す。

【いとほしげなる人の御おぼえかな】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の、近江の君への同情」と注す。

 [第二段 内大臣、近江君を訪う]

【やがてこの御方のたよりに】−弘徽殿女御は里下がりして、現在、寝殿にいる。そこから、内大臣は北の対の近江の君のもとを訪れようとする。
【簾高くおし張りて】−『集成』は「簾を外に大きく張り出して。身体ごと簾を押し出すのであろう。つつしみのない端居のさま」と注す。

【せうさいせうさい】−近江の君の詞。『古典セレクション』は「小賽、小賽」と表記する。

【いと舌疾きやあなうたて】−「いと舌疾きや」は語り手の感想。「あなうたて」は内大臣の心中。また、全体が内大臣の心中とも考えらえる文章表現。

【この従姉妹も】−五節の君をさす。

【御返しや御返しや】−五節の君の詞。

【とみに打ち出でず】−大島本は「とみに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とみにも」と「も」を補訂する。
【中に思ひはありやすらむ】−語り手の推測、挿入句。「さざれ石の中に思ひはありながらうち出づることのかたくもあるかな」(紫明抄所引、出典未詳)を踏まえる。

【そこなはれたるなめり】−連語「なめり」断定の助動詞+推量の助動詞、語り手の主観的推量のニュアンス。
【異人とあらがふべくもあらず】−『完訳』は「自分(内大臣)と近江の君とが、他人であるとは思われない意」と注す。
【鏡に思ひあはせられたまふに】−主語は内大臣。
【いと宿世心づきなし】−『集成』は「内大臣の思いをそのまま地の文にした書き方」と注す。

【かくてものしたまふは】−以下「訪らひまうでずや」まで、内大臣の詞。
【訪らひまうでずや】−内大臣が近江の君を。「や」間投助詞、詠嘆。

【かくてさぶらふは】−以下「心地しはべれ」まで、近江の君の詞。
【何のもの思ひかはべらむ】−反語表現。
【手打たぬ心地しはべれ】−『集成』は「まるでよい手を打たぬ時のような(焦れったい)気がいたします。「手打つ」は、双六で、巧みな手を打つこと」と注す。

【げに身に近くさぶらふ人も】−以下「まして」まで、内大臣の詞。「身に近くさぶらふ人」とは、内大臣の身辺をさしていう。
【さやうにても見ならしたてまつらむと】−『集成』は「内大臣づきの女房役にするつもりだった、と言う」と注す。
【えさしもあるまじきわざなりけり】−実の娘ゆえにそのようにもできかねる、という意。
【それだに】−「それ」は「なべての仕うまつり人」をさす。『集成』は「その場合でも、誰それの娘、何がしの子と、名の通った家の生れとなると、親兄弟の面目を潰すような者が多いようだ。娘が至らぬ場合、名家の出身ほで家門の恥になる。家風を云々されるからである」と注す。
【まして】−下に、内大臣家の娘とあっては、の意が省略。

【恥づかしきも知らず】−大島本は「はつかしきもしらす」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見知らず」と「見」を補訂する。

【何かそは】−以下「仕うまつりなむ」まで、近江の君の詞。
【ことことしく思ひたまひて】−大島本は「おもひ給ひて」とある。『古典セレクション』は底本のままとする。『集成』『新大系』は諸本に従って「思ひたまへて」と校訂する。本来「思ひたまへて」と謙譲表現であるべきところ。底本のままとする

【似つかはしからぬ役ななり】−以下「延びなむかし」まで、内大臣の詞。連語「ななり」断定の助動詞+伝聞推定の助動詞。

【ほほ笑みてのたまふ】−大島本は「ほゝゑミてのまふ」とある。大島本は「のたまふ」の「た」脱字とみて「た」を補訂する。

 [第三段 近江君の性情]

【舌の本性にこそははべらめ】−以下「いかでこの舌疾さやめはべらむ」まで、近江の君の詞。
【妙法寺の別当大徳】−妙法寺(近江国神崎郡高屋郷にあった寺)の別当大徳。
【あへものに】−別当大徳のあやかり者という意。その大徳は早口であったらしい。

【いと孝養の心深く】−『集成』は「内大臣の言葉の真意を解せず、素直に応じる近江の君をややからかった言い方」と注す。

【その気近く】−以下「数へたるかし」まで、内大臣の詞。
【報いななり】−連語「ななり」断定の助動詞+伝聞推定の助動詞。
【唖言吃とぞ大乗誹りたる罪】−「若し人と為ることを得れば、聾盲おんあにして、貧窮諸衰、以自ら荘厳し、(中略)斯の経を謗るが故に、罪を獲ること是くの如し」(法華経、譬喩品)。

【子ながら恥づかしくおはする御さまに】−以下「迎へ寄せけむ」まで、内大臣の心中。弘徽殿女御をさしていう。近江の君を引き取ったことを後悔する。
【見えたてまつらむこそ】−近江の君を弘徽殿女御にお目にかける、の意。
【人びともあまた見つぎ言ひ散らさむこと】−内大臣の心中。
【思ひ返したまふものから】−近江の君を弘徽殿女御に仕えさせることを、考え直させる、の意。

【女御里にものしたまふ時々】−以下「見たてまつりたまひなむや」まで、内大臣の詞。
【さる心して】−直前の「ことなることなき人もおのづから人に交じらひ、さる方になればさてもありぬかし」をさす。
【見たてまつりたまひなむや】−「なむや」、完了の助動詞「な」確述。推量の助動詞「む」勧誘。係助詞「や」疑問の意。〜なさいませんか。

【いとうれしきことにこそはべるなれ】−以下「仕うまつりなむ」まで、近江の君の詞。「なれ」断定の助動詞。
【御方々に数まへ】−弘徽殿女御や雲居雁をさす。姉妹の一人としての意。
【水を汲みいただきても仕うまつりなむ】−「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水を汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)を踏まえる。

【いとしかおりたちて】−以下「法の師だに遠くは」まで、内大臣の詞。
【薪拾ひたまはずとも】−前の大僧正行基の和歌を踏まえる。
【参りたまひなむ】−「なむ」は完了の助動詞「な」確述。推量の助動詞「む」適当。

【をこごとにのたまひなすをも知らず】−「見えにくき御けしきをも見知らず」と並列の構文。
【おぼろけの人見えにくき御けしき】−普通の人であったら気後れするほど立派な内大臣に対しての意。

【さていつか女御殿には参りはべらむずる】−近江の君の詞。枕草子では「むず」を下品な言葉遣いとする。

【よろしき日などや】−以下「今日にても」まで、内大臣の詞。

 [第四段 近江君、血筋を誇りに思う]

【うち身じろきたまふにも】−内大臣がちょっとどこかへお出ましになるにも、の意。

【いであなめでたのわが親や】−以下「生ひ出でたること」まで、近江の君の詞。

【あまりことことしく】−以下「尋ね出でられたまはまし」まで、五節君の詞。
【尋ね出でられたまはまし】−「られ」受身の助動詞。「まし」推量の助動詞、反実仮想の意。『完訳』は「ほどほどの身分の親で、大切に愛育してくれそうな方に引き取ってもらえばよかったのに。素直な感想だが、内大臣の娘としては不相応、の意にも解せる」と注す。

【わりなし】−『集成』は「草子地」と注す。語り手の批評の言葉。

【例の君の人の言ふこと】−以下「こそあめれ」まで、近江の君の詞。「君」は、あなた五節の君をさしていう。「人の」は、わたしの、の意。『完訳』は「五節の言葉を、自分への言いがかりと解した」と注す。
【今はひとつ口に言葉な交ぜられそ】−『集成』は「友だちみたいに、口出ししないで下さい」。『完訳』は「私が内大臣の娘と分った今は、気やすく口をきかないでくれ」と訳す。「られ」軽い尊敬の助動詞。
【あるやうあるべき身にこそあめれ】−『集成』は「きっと何か仔細のある身の上なのでしょう。内大臣に見出されたからには、特別の運勢に恵まれているのだろう、の意」と注す。

【打ち聞き】−大島本は「うちきく(く=き<朱>)」とある。すなわち「く」の右傍らに朱筆で「き」と傍記する。『集成』『新大系』は底本の朱筆傍記に従う。『古典セレクション』は訂正以前本文に従う。
【ことなるゆゑなき言葉をも】−『完訳』は「「耳もとまるかし」まで、近江の君評の前提となる一般論」と注す。
【本末惜しみたるさまにてうち誦じたるは】−『集成』は「歌の上の句、下の句いずれにしろ、皆まで言わないように、ひそかに吟じたのは」と訳す。

【いと心深くよしあることを言ひゐたりとも】−『完訳』は「以下、近江の君の場合。たとえ深い内容で趣向のあることを」と注す。
【言葉たみて】−「東にて養はれたる人の子は舌たみてこそものは言ひけれ」(拾遺集物名、四一三、読人しらず)。

【いと言ふかひなくはあらず】−『完訳』は「以下、語り手の揶揄」と注す。

 [第五段 近江君の手紙]

【さて女御殿に】−以下「殿のうちには立てりなむや」まで、近江の君の詞。
【ものしくもこそ思せ】−主語は内大臣。
【天下に思すとも】−強調表現、大袈裟な言い方。

【御おぼえのほどいとかろかなりや】−『集成』は「からかいの草子地」。『完訳』は「語り手のからかい気味の同情」と注す。

【葦垣きのま近きほどに】−以下「あなかしこやあなかしこや」まで、近江の君の手紙文。「人知れぬ思ひやなぞと葦垣のま近けれども逢ふよしのなき」(古今集恋一、五〇六、読人しらず)。
【影踏むばかりのしるしもはべらぬは】−「立ち寄らば影ふむばかり近けれど誰か勿来の関を据ゑけむ」(後撰集恋二、六八二、小八条御息所)。「勿来の関」は陸奥の枕詞。
【知らねども武蔵野といへば】−「知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ」(古今六帖五、むらさき、三五〇七)。

【点がちにて】−字画の点が目立つ書き方かといわれる。

【まことや暮にも】−以下「水無瀬川にを」まで、近江の君の手紙の裏書き。
【厭ふにはゆるにや】−「あやしくもいとふにはゆる心かないかにしてかは思ひやむべき」(後撰集恋二、六〇八、読人しらず)。
【水無瀬川にを】−「悪しき手をなほよきさまにみなせ川底の水屑の数ならずとも」(源氏釈所引、出典未詳)。

【草若み常陸の浦のいかが崎いかであひ見む田子の浦波】−近江の君の弘徽殿女御への贈歌。『集成』は「「いかが崎」は、「いかで」を言い出す序。河内の国の枕詞(あるいは近江とも)。「田子の浦」は駿河の国の枕詞。第一句「草若み」は、自分を卑下したつもりか。三箇所の関係のない名所を詠み込み、「本末あはぬ歌」の実例」と注す。
【大川水の】−歌に添えた言葉。「み吉野の大川野辺の藤波の並に思はば我が恋ひめやは」(古今集恋四、六九九、読人しらず)。

【下長に】−文字の下半分が長い書き方。

 [第六段 女御の返事]

【樋洗童しも】−大島本は「ひすましわらハゝ(ゝ#<朱>)しも」とある。すなわち底本は踊り字「ゝ」を朱筆で抹消する。『新大系』は底本の朱筆訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「樋洗童はしも」と校訂する。
【女御の御方の台盤所に寄りて】−弘徽殿女御方の女房の詰所。

【これ参らせたまへ】−使者の詞。

【下仕へ見知りて】−女御方の下仕え。

【北の対にさぶらふ童なりけり】−女御方の下仕えの詞。
【大輔の君】−女御方の女房。
【持て参りて】−大島本は「もてままいりて」とある。「ま」は衍字であろう。
【中納言の君】−女御方の女房。女房名からして上臈の女房。
【近くゐて】−大島本は「ちかくいて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「近くさぶらひて」と校訂する。

【いと今めかしき】−以下「はべめるかな」まで、中納言の君の詞。

【草の文字は】−以下「見ゆるかな」まで、弘徽殿女御の詞。『集成』は「草仮名の読みにくさにかこつけて、やんわりと批評したもの」と注す。

【返りこと】−以下「書きたまへ」まで、弘徽殿女御の詞。

【もて出でてこそあらね】−挿入句。『集成』は「(ご姉妹のことゆえ)おおっぴらにではないが」。『完訳』は「そう露骨に示しはしないが」と訳す。
【御返り乞へば】−主語は使者の樋洗童。

【をかしきことの】−以下「いとほしからむ」まで、中納言の君の詞。
【聞こえにくくこそ】−係助詞「こそ」の下に「侍れ」などの語句が省略。

【近きしるしなき】−以下、和歌の終わり「筥崎の松」まで、中納言の君が書いた返事。

【常陸なる駿河の海の須磨の浦に波立ち出でよ筥崎の松】−「常陸の浦」「田子の浦波」の語句を受けて、「常陸なる駿河の海」と返し、また「須磨の浦」「筥崎の松」という歌枕を詠んで返す。「松」は「待つ」の掛詞。「波」と「立つ」は縁語。歌意は「立ち出でよ」「待つ」にある。

【あなうたて】−以下「もこそ言ひなせ」まで、弘徽殿女御の詞。連語「もこそ」は、懸念の意を表す。

【それは聞かむ人わきまへはべりなむ】−中納言の君の詞。

【おし包みて出だしつ】−『完訳』は「正式な書状の形式の立文にした。女同士の文通には用いない」と注す。
【御方見て】−近江の君をさす。「御方」という敬語表現が皮肉。

【をかしの御口つきや待つとのたまへるを】−近江の君の詞。間投助詞「を」詠嘆。

【御対面のほどさし過ぐしたることもあらむかし】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の言辞。この夜の出仕のさまを読者の想像にまかせる」と注す。

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