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渋谷栄一注釈(C)

  

御法


 [底本]
財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第七巻 一九九六年 角川書店

 [参考文献]
池田亀鑑編著『源氏物語大成』第三巻「校異篇」一九五六年 中央公論社

阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第十一巻 一九九八年 小学館
柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第四巻 一九九六年 岩波書店
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第七巻 一九八七年 小学館
石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第六巻 一九八二年 新潮社
阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第四巻 一九七四年 小学館
玉上琢弥著『源氏物語評釈』第九巻 一九六七年 角川書店
山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第四巻 一九六二年 岩波書店
池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第五巻 一九五四年 朝日新聞社

伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院
榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院

第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語

  1. 紫の上、出家を願うが許されず---紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後
  2. 二条院の法華経供養---年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける
  3. 紫の上、明石御方と和歌を贈答---三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども
  4. 紫の上、花散里と和歌を贈答---昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや
  5. 紫の上、明石中宮と対面---夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入り
  6. 紫の上、匂宮に別れの言葉---上は、御心のうちに思しめぐらすこと多かれど
第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
  1. 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける---秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては
  2. 明石中宮に看取られ紫の上、死去す---風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて
  3. 源氏、紫の上の落飾のことを諮る---宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを
  4. 夕霧、紫の上の死に顔を見る---年ごろ、何やかやと、おほけなき心はなかりしかど
  5. 紫の上の葬儀---仕うまつり馴れたる女房などの、ものおぼゆるもなければ
第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち
  1. 源氏の悲嘆と弔問客---大将の君も、御忌に籠りたまひて、あからさまに癌
  2. 帝、致仕大臣の弔問---所々の御とぶらひ、内裏をはじめたてまつりて
  3. 秋好中宮の弔問---冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず

 

第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語

 [第一段 紫の上、出家を願うが許されず]

【紫の上いたうわづらひたまひし御心地の後】−四年前の正月の女楽の直後発病し、四月危篤状態まで陥ったが(若菜下)、その後全快せず今日にいたっている。冒頭「紫の上」、と女主人公を提示し、以下にも体言の下に格助詞や係助詞を伴わない、物語としての文章の生動に注意べき。

【院の思ほし嘆くこと限りなし】−源氏の悲嘆。
【しばしにても】−以下「いみじかるべく思し」まで、源氏の心中を地の文で語る。
【みづからの御心地には】−以下、紫の上の心中を地の文で語る。
【思されぬを】−「れ」自発の助動詞。接続助詞「を」逆接の意。
【年ごろの御契りかけ離れ】−『集成』は「死別によって今生の契りを断つこと」。『完訳』は「源氏との年来の縁。「契り」に注意。単なる「仲」でない。子への執着がない代りに、源氏との宿縁の仲が現世の絆となっている」と注す。
【思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ】−源氏を嘆かせる。『休聞抄』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。
【思されける】−「れ」自発の助動詞。係助詞「ぞ」--「ける」係結びの構文の強調表現。
【いかでなほ本意あるさまになりて】−紫の上の出家願望は、「若菜下」巻に語られていた。
【しばしもかかづらはむ命のほどは】−『河海抄』は「ありはてぬ命待つ間の程ばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)を指摘。
【さらに許しきこえたまはず】−主語は源氏。

【さるはわが御心にもしか思しそめたる筋なれば】−「さるは」反転して、また一方では。以下、源氏の心中。源氏の出家願望は、「若紫」「葵」「絵合」「藤裏葉」の諸巻に見られる。
【同じ道に入りなむ】−源氏の心中。連語「なむ」(完了の助動詞、確述+推量の助動詞、意志)、源氏の強い意志を表す。
【思せど】−「ど」逆接の接続助詞、いったんは出家をと思うが、以下に躊躇される気持ちが語られる。
【一度家を出でたまひなば】−以下、源氏の心中。出家の覚悟とそれを躊躇される源氏の気持ちを地の文に語る。心情の流れに即した紆余曲折のある長文の文章表現に注意。
【かけ離れなむことをのみ】−連語「なむ」、完了の助動詞、確述の意+推量の助動詞、意志の意。副助詞「のみ」限定強調の意、源氏の強い決意を表す。
【思しまうけたるに】−接続助詞「に」順接、原因理由を表す。源氏のかねての考え方をいう。以下、逆接の文脈になり、それがかなわないことをいう。
【悩み篤いたまへば】−動詞「篤え」の転、連用形しか文献には見えないという(岩波古語辞典)。容態が重くなる意。
【山水の住み処濁りぬべく】−地の文中だが、「澄む」「住む」の掛詞、「水」と「濁る」「澄む」の縁語、という修辞が見られる。
【ただうちあさへたる思ひのままの道心起こす人びとにはこよなう後れたまひぬべかめり】−推量の助動詞「べかめり」は語り手が源氏の心中と行動を推測した言辞。『評釈』は「当時の貴族たちにとっては、出家は理想の生活として考えられていたらしい。(中略)それを光る源氏をめぐる婦人たちでさえ行なっているのに、光る源氏が今まで口には言いながら実行しないのはどうしたことなのか。そういった読者の疑問に答えるための、作者の弁解がこの「御法」の冒頭文ではないかと思われる」と注す。

【御許しなくて】−源氏の許可がなくて紫の上は出家を。
【このことによりてぞ】−源氏が出家を許さないことをさす。係助詞「ぞ」--「思ひきこえたまひける」、係結びの構文による強調表現。
【女君は】−紫の上。あえて主語を提示することによって強調したもの。
【わが御身をも罪軽かるまじきにやと】−紫の上自身の反省。接続助詞「に」順接、原因理由の意。我が身の罪障が深いために、出家も許されないのだろうか、と考える。『完訳』は「源氏を恨むよりも、わが運命を悲しむ」と注す。

 [第二段 二条院の法華経供養]

【法華経千部】−『法華経』は全八巻、二十八品の経。それを千部写経させた。大勢の写経者が必要。大事業である。
【わが御殿と思す二条院にて】−「若菜上」巻にも「わが御私の殿と思す二条の院にて」(第九章二段)とあった。
【七僧の法服など】−講師(こうじ)・読師(とくじ)・呪願(しゅがん)・三礼(さんらい)・唄(ばい)・散花(さんげ)・堂達(どうだつ)の役僧たちの法服。

【ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ】−紫の上は源氏に。
【詳しきことどもも知らせたまはざりけるに】−主語は源氏。『集成』は「こまかいところまで何もご存じでなかったのに」。『完訳』は「院は立ち入った数々のことをお教えにならなかったのに」。両解釈あるが、こうした表現は、二者択一的解釈より多重的解釈(掛詞的)のほうがより適切か。
【仏の道にさへ通ひたまひける】−『完訳』は「仏の儀式にまでよく通じて」と注す。
【営ませたまひける】−「せたまひ」は、主語が「院は」とあるので、最高敬語とみてよい。
【大将の君】−夕霧。近衛府の官人という立場から。

【内裏春宮后の宮たちをはじめ】−今上帝は朱雀院の御子。春宮は今上帝と明石女御の間に生まれた御子。「后宮たち」と複数形で語られているので、秋好中宮の他に明石女御が中宮になったことが暗示されている。明石女御の立后は初見の記事。
【御かたがたここかしこに】−六条院のご夫人方、花散里や明石御方をさす。
【いとこちたきことどもあり】−『評釈』は「作者の批評」と注す。
【いつのほどに】−以下「御願にや」まで、源氏の心中。
【石上の世々経たる】−「石上」は「ふる」に係る枕詞。ここは「世々経たる」にかけた修辞。古くから、の意。『源氏釈』は「塵泥(ちりひぢ)の世々のみかずにありへてぞ思ひあつむることもおほかる」(出典未詳)を指摘。
【御願にや】−係助詞「や」の下に「あらむ」などの語句が省略。

【花散里と聞こえし御方明石なども渡りたまへり】−花散里と明石御方に対する待遇の違いに注意。『完訳』は「花散里との身分差を表すべく、「明石」と呼び捨てた呼称」と注す。
【南東の戸を開けておはします】−主語は紫の上。
【寝殿の西の塗籠なりけり】−前文を補足説明した叙述。

 [第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答]

【三月の十日なれば花盛りにて空の気色などもうららかにものおもしろく】−三月十日の季節描写。桜の満開、空模様の麗かさ。
【仏のおはする所のありさま遠からず思ひやられてことなり】−大島本「ことなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなる」とし「深き心」を修飾する。『新大系』は底本のままとする。極楽浄土をさす。「時に、世尊、韋提希に告げたまふ、汝今知るやいなや、阿彌陀仏、此を去ること遠からず」(観無量寿経)。
【薪こる讃嘆の声も】−『奥入』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)を指摘。『異本紫明抄』は「薪こる事は昨日につきにしをいざ斧の柄はここに朽たさむ」(拾遺集哀傷、一三三九、道綱母)をも指摘。
【静まりたるほどだにあはれに思さるるを】−『集成』は「静まり返った時でさえしみじみさびしく」。『完訳』は「静寂のおとずれるとき、それすらしみじみと寂しく思わずにはいらっしゃれないものだから」と訳す。副助詞「だに」--副詞「まして」の構文。「るる」自発の助動詞。
【ましてこのころとなりては】−『集成』は「死期の近きを悟るこの頃、という含み」と注す。
【明石の御方に三の宮して聞こえたまへる】−明石の御方に、孫の匂宮を遣いにして紫の上が和歌を贈る。

【惜しからぬこの身ながらも限りにて薪尽きなむことの悲しさ】−『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如し」(法華経、序品)を指摘。「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。

【御返り心細き筋は後の聞こえも心後れたるわざにやそこはかとなくぞあめる】−「にや」「あめる」は語り手の推測を介入させた叙述。『評釈』は「作者は、「心細き筋は、のちのきこえも心おくれたるわさにや」という。かように挨拶にすぎない歌を明石によませた弁解を試みたのである。--『源氏物語』には、作中人物が歌をよむ場合、作者はその歌に弁解的な批評を試みることが時にある。--しかし、今の明石の場合については今一つの解釈が可能である。--そこには、後世の思わくを気にする明石の御方の態度を、非難するかのような口ぶりさえみえる。明石の御方に、何事にも行きとどいた人として、礼儀正しい返歌をさせ、しかも、その礼儀正さが物足りないと非難するのである」。『集成』は「次の明石の上の歌に対する語り手の解説」と注す。

【薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき】−明石の御方の返歌。「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。「薪尽きなむ」を「薪こる」、「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にして返す。『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄華物語、鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物語、鳥辺野)を指摘。

【ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ霞の間より見えたる花の色いろ】−『休聞抄』は「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(古今集恋一、四七九、貫之)を指摘。
【百千鳥のさへづりも】−『源氏釈』は「百千鳥さへづる春は色ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今集 春上、二八、読人しらず)。『源注余滴』は「わが門の榎の実もりはむ百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」(万葉集巻十六)を指摘。
【陵王の舞ひ手急になるほど】−『集成』は「陵王の場合には、終曲にテンポの早くなることか。一般には序破急の急であるが、陵王には急がない」と注す。

【上下心地よげに興あるけしきどもなるを見たまふにも残り少なしと身を思したる御心のうちにはよろづのことあはれにおぼえたまふ】−『完訳』は「紫の上の感懐。歌楽にふける参会者の「心地よげ」とは対照的」と注す。

 [第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答]

【昨日は例ならず起きゐたまへりし名残にや】−法華経千部供養の翌日。「にや」は語り手の推測を交えた表現。『湖月抄』は「地」と注す。
【今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむとのみ思さるれば】−紫の上の心中。『完訳』は「死の予感から、法会を、知人との最期の惜別だったと思い返す」と注す。副助詞「のみ」限定の意。「るれ」自発の助動詞。
【あはれに見えわたされたまふ】−「れ」自発の助動詞。紫の上の自然と一人一人に目がとまる気持ちが表されている。『完訳』は「平常は格別目にとまらない些細な物事にまで、深い感慨を抱く。末期の目にはすべてが印象的」と注す。

【おのづから立ちまじりもすらめど】−推量の助動詞「らめ」視界外推量は、語り手が紫の上の心情を推測したもの。
【情けを交はしたまふかたがたは】−六条院の夫人方。
【誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれどまづ我一人行方知らずなりなむを】−紫の上の心中を地の文に語る。一人先立つ悲しみを思う。『完訳』は「死の予感が彼女らへの親近感を強める」「死の至り着く先が分らず、往生や救済の確信も持てない絶望的な気持」と注す。

【遠き別れめきて惜しまる】−紫の上の気持ち。「る」自発の助動詞。

【絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを】−「御法」の「み」と「身」の掛詞。法会の結縁の席で同席した親近感を訴える。

【結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなき御法なりとも】−「絶えぬ」「御法」「結ぶ」「契り」の語句を受けて、縁は絶えないでしょう、と同意した歌。『集成』は「「おほかたの」は、世間一般には、の意。そのなかに自分をこめ、しかし紫の上は特別で、末長いお命を保たれ、法会も営まれましょう、という祝意がある」と注す。

【不断の読経懺法などたゆみなく】−僧侶が輪番で昼夜間断なく読み続ける読経と罪障を懺悔し滅罪を願う法華懺法。

【尊きことども】−大島本は「たうとき事とも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことどもを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。

【ほども経ぬれば】−大島本は「ほとも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ほど」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。

 [第五段 紫の上、明石中宮と対面]

【夏になりては例の暑さにさへ】−物語は法華経千部供養の行われた三月十日から夏四月に移る。この間およそ二十日間が経過。
【そのことおどろおどろしからぬ御心地なれど】−『集成』は「どこが悪いと、ひどく苦しんだりはなさらぬ病状であるが」と注す。
【むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし】−『完訳』は「いかにも重病人めいてひどくお苦しみになるといったこともない」と注す。衰弱がひどくなっていく様子。

【中宮この院にまかでさせたまふ】−明石中宮、二条院に養母紫の上を見舞うべく退出する。「させたまふ」最高敬語表現。
【東の対におはしますべければこなたにはた待ちきこえたまふ】−東の対を明石中宮の居所と予定される。紫の上は病室の西の対から東の対に移って、そこで中宮を待つ。
【この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ】−紫の上の心中を地の文に語る。見果てないで終わってしまう、が原文の逐語的表現。見納めになる、の意。
【名対面を聞きたまふにも】−行啓供奉の公卿などが入御の後、名を名乗ること。

【めつらしく思して】−主語は紫の上。

【今宵は】−以下「休みはべらむ」まで、源氏の詞。主語は自分源氏自身。『集成』は「今夜は、巣を無くしたような気がして、体裁の悪いことだ。紫の上は中宮と語り合っていて、側へ寄れないことを戯れて言ったもの」と注す。

【起きゐたまへるをいとうれしと思したるも】−紫の上が起きていらっしゃるのを源氏は嬉しくお思いになるが、の意。

【方々におはしましては】−以下「なりにてはべれば」まで、紫の上の詞。中宮と自分紫の上が二条院の別々の対に離れていたのでは、の意。
【あなたに渡らせたまはむも】−紫の上の病室である西の対へ中宮が。「せたまふ」は中宮に対する最高敬語。

【しばらくは】−大島本は「しハし(し$らく<朱墨>)ハ」とある。すなわち、「し」を朱筆と墨筆でミセケチにして「らく」と訂正する。『集成』『完本』は訂正以前本文と諸本に従って「しばし」と校訂する。『新大系』は底本の訂正に従う。「しばらく」は「平安時代、漢文訓読体に使われ、女流文学では一般に「しばし」を使ったが、鎌倉時代以後、区別が失われた」(岩波古語辞典)。

 [第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉]

【亡から後ちなどのたまひ出づることもなし】−『完訳』は「紫の上は、遺言したいが、死期を予知して冷静にふるまうのを、女らしからぬ態度として避ける」と注す。
【あさはかにはあらず】−『集成』は「おざなりなおっしゃりようではなく」。『完訳』は「心深くおっしゃる」と訳す。
【言に出でたらむよりも】−言葉に表して言うよりも。
【宮たちを見たてまつりたまうても】−明石中宮腹の皇子皇女たち。女一の宮、三の宮(匂宮)たちをさす。

【おのおのの御行く末を】−以下「心のまじりけるにや」まで、紫の上の詞。

【などかうのみ思したらむ】−明石中宮の心中。
【ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず】−主語は紫の上。遺言めいた言い方。
【この人かの人はべらずなりなむ後に御心とどめて尋ね思ほせ】−『集成』は「地の文からすぐ紫の上の言葉に続く語り口」。『完訳』は「はべらず」以下を紫の上の詞とする。

【御読経などによりてぞ】−季の御読経。中宮主催の催し。中宮里邸退出の折には里邸で行う。
【例のわが御方に】−紫の上は西の対に戻る。

【三の宮】−匂宮。

【まろがはべらざらむに思し出でなむや】−紫の上の詞。「む」推量の助動詞、連体形、仮定の意。「に」接続助詞、単純な接続。「な」完了の助動詞、確述の意。「む」推量の助動詞、推量の意。「や」係助詞、疑問の意。

【いと恋しかりなむ】−以下「心地むつかしかりなむ」まで、匂宮の詞。
【内裏の上よりも宮よりも】−「内裏の上」は父帝、「宮」は母明石中宮をさす。
【婆をこそまさりて】−大島本は「はゝ」と表記する。『集成』は「はは」、『完本』は「母」、『新大系』は「ばゞ」と整定する。「婆」は祖母紫の上をさす。『集成』は「「はは」は古くから澄んで読むが、祖母の意であろう」。『新大系』は「幼児語に、祖父・祖母を「ぢぢ(爺)」「ばば(婆)」と称したろう、と推定しておく」と注す。

【大人になりたまひなば】−以下「仏にもたてまつりたまへ」まで、紫の上の詞。
【この対の前なる紅梅と桜とは】−二条院の西の対の前にある紅梅と桜の木。『集成』は「春を好む紫の上らしい遺言」と注す。
【さるべからむ折は仏にもたてまつりたまへ】−「仏」とは、暗に自分の供養のために、という意。

【生ほしたてまつりたまへれば】−大島本は「おほしたてまつり給へれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「生ほしたてたてまつり」と「たて」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【この宮と姫宮とをぞ】−匂宮と女一の宮。

 

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀

 [第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける]

【秋待ちつけて世の中すこし涼しくなりては】−季節は夏から秋に推移。病人にとってもしのぎやすい季節となる。『完訳』は「ようやく待ちかねた秋になって」と訳す。
【なほともすればかごとがまし】−『集成』は「「かことがまし」は、何かにつけて恨みたくなる、の意。何かにつけて、すぐぶり返す状態をいう」と注す。
【身にしむばかり思さるべき秋風ならねど】−『源氏釈』は「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花集秋、和泉式部)。『源注拾遺』は「吹きくれば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」(古今六帖、秋の風)を指摘。
【秋風ならねと露けきおりかちにて】−「露」は「秋風」の縁語。涙にしめりがち、の意。

【中宮は参りたまひなむと】−以下「消え果てたまひぬ」まで、国宝「源氏物語絵巻」詞書にある。
【今しばしは御覧ぜよとも聞こえまほしう思せども】−主語は紫の上。
【あなたにも】−西の対から東の対へ。
【宮ぞわたりたまひける】−中宮がじきじきに西の対にお越しになった。

【こよなう痩せ細りたまへれど】−「れ」完了の助動詞、存続の意。『完訳』は「以下、中宮の目に映る紫の上」と注す。
【かくてこそ】−『集成』「かえってこのほうが」。『完訳』は「当時の美人はふっくらした感じ。その常識に反して、痩せても美しいと讃嘆」と注す。以下「めでたかりけれ」まで、明石中宮の感想。
【めでたかりけれと】−「限りもなくらうたげに」に続く。「来し方」以下「よそへられたまひしを」まで、挿入句。
【いとかりそめに世を思ひたまへるけしき似るものなく心苦しく】−大島本は「かりそめに(に+世をイ)思給へる」とある。すなわち「に」の後に「世を」と異本校合を記す。『集成』『完本』は底本の異本と諸本に従って「世を」を補訂する。『新大系』は底本の本行本文のままとする。『休聞抄』は「朝露のおくての山田かりそめに憂き世の中を思ひぬるかな」(古今集哀傷、八四二、貫之)を指摘。

 [第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す]

【今日はいとよく】−以下「はればれしげなめりかし」まで、源氏の詞。
【おきゐたまふめるは】−終助詞「は」詠嘆の意。

【いとうれしと思ひきこえたまへる】−主語は源氏。
【御けしきを見たまふも心苦しく】−紫の上が源氏の様子を。
【つひにいかに思し騒がむ】−紫の上の心中。

【おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露】−紫の上の和歌。「置く」「起く」の掛詞。「露」「置く」縁語。わが身を露に喩えてはかない命を詠む。

【げにぞ】−庭の光景に紫の上の歌をいかにもと思う、源氏の心中。『完訳』は「紫の上の詠歌どおり、庭前の萩は風に折れ返って、露がこぼれ落ちそう。それがむらあきの上のはかない生命に擬えられる。紫の上を思う源氏の心象風景である」と注す。

【ややもせば消えをあらそふ露の世に後れ先立つほど経ずもがな】−源氏の唱和歌。「おく」「ほど」「露」の語句を受けて、自分も一緒に死にたいという歌。『異本紫明抄』は「ややもせば消えぞしぬべきとにかくに思ひ乱るる刈萱の露」(出典未詳)。『河海抄』は「ややもせば風にしたがふ雨の音を絶えぬ心にかけずもあらなむ」(出典未詳)、「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)を指摘。

【秋風にしばしとまらぬ露の世を誰れか草葉のうへとのみ見む】−明石中宮の歌。紫の上の歌の「風」、源氏の歌の「露の世」の語句を受けて、わが身も同じことと、紫の上を慰める歌。『河海抄』は「暁の露は枕に置きにけるを草葉の上と何思ひけむ」(後拾遺集恋二、七〇一、馬内侍)を指摘。

【見るかひあるにつけても】−『孟津抄』は「草子地也」と注す。
【かくて千年を過ぐす限りもがなと】−『河海抄』は「暮るる間は千歳を過す心地して待つはまことに久しかりけり」(後拾遺集恋二、六六七、藤原隆方)。『花鳥余情』は「頼むるに命の延ぶる物ならば千歳もかくてあらむとや思ふ」(後拾遺集恋一、六五四、小野宮太政大臣女)。『集成』は「桜花今宵かざしにさしながらかくて千歳の春をこそ経め」(拾遺集賀、九条右大臣)を指摘。

【今は渡らせたまひね】−以下「いとなめげにはべりや」まで、紫の上の詞。

【まことに消えゆく露の心地して】−『集成』は「さきほどの露に寄せた最後の唱和が想起される」。『完訳』は「三人の唱和した「露」を、さらに当時の通念としての「露の命」の語をも受け、「まことに」とする」。
【先ざきもかくて生き出でたまふ折にならひて】−「若菜下」巻(第八章一段)に紫の上の蘇生が語られていた。
【さまざまのことをし尽くさせたまへど】−加持祈祷のあらん限りを。
【明け果つるほどに消え果てたまひぬ】−紫の上の臨終のさま。露の消え果てるさまに擬えられる。

 [第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る]

【宮も帰りたまはで】−帝から宮中に帰るようにとの催促があった。
【限りなく思す】−臨終に立ち会えたことを前世からの因縁と感慨無量に思う。
【明けぐれの夢に惑ひたまふほどさらなりや】−語り手の感情移入による表現。『万水一露』は「双紙の批判の詞也」と注す。

【さかしき人おはせさざりけり】−『集成』は「取り乱さない方はおられないのだった」。『完訳』は「しかと正気の方はいらっしゃらないのだった」と訳す。

【かく今はの限りの】−以下「誰れかとまりたる」まで、源氏の詞。
【さまなめるを】−以下、接続助詞とも間投助詞ともつかぬ「を」の多用に注意。源氏の気持ちがよく表出されている。
【年ごろの本意ありて思ひつること】−主語は紫の上。敬語はつかない。たんたんとした述懐の表れ。
【いといとほしき】−大島本は「いと/\おしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いといとほしきを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。
【今はかの冥き途のとぶらひにだに】−『花鳥余情』は「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集哀傷、一三四二、和泉式部)を指摘。『法華経』「従冥入於冥、永不聞仏名」(化城喩品)に基づく。『集成』は「今はせめてあの冥土の道案内としてでも」と注す。

【心強く思しなすべかめれど】−推量の助動詞「べかめれ」は語り手の推量。
【ことわりに悲しく見たてまつりたまふ】−主語は夕霧。

【御もののけなどの】−以下「いかがはべるべからむ」まで、夕霧の詞。
【さもやおはしますらむ】−「さ」は仮死状態をさす。
【さらばとてもかくても】−生きている時に出家の作法をすることをさす。
【一日一夜忌むことのしるしこそはむなしからずははべなれ】−「観無量寿経」の中品中生に見える思想。「なれ」伝聞推定の助動詞。
【御光ともならせたまはざらむものから目の前の悲しびのみまさるやうにて】−「ものから」は順接の原因理由を表す接続助詞。なお、『例解古語辞典』(三省堂)では「中世に下って急速に文語化し、同時に、--ので、--だから、の意を表わす用法が生じた」という。しかし、『岩波古語辞典』では「「から」「ゆゑ」は順接条件も逆接条件も示しうる語なので、「ものから」「ものゆゑ」も、順接、逆接両方の例がある。平安時代には「ものゆゑ」は古語となり、「ものから」の方が歌などに多く使われ、「--ながら」「--だのに」の意味を表わした」と注す。

【御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧】−『集成』「死穢のため、三十日間、使者の近親が引き籠ること。僧もその間の仏事に従う」と注す。

 [第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る]

【年ごろ何やかやと】−以下「いかでかあらむ」まで、夕霧の心中と地の文が綾をなして織り込まれている。『集成』は「以下、夕霧の心中の思い」と注す。『完訳』は地の文扱い。「おほけなき心はなかりしかど」という文章を地の文(語り手の叙述)と解すか、心中文(夕霧の内省)と解すかで、夕霧の人物像が違ってくる。文章は地の文から徐々に夕霧の心中文になっていく表現である。明確にどこからとは峻別しがたい。
【おほけなき心】−継母紫の上に対する恋慕の情。
【ほのかにも御声をだに聞かぬこと】−『河海抄』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ恋しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。
【こそはあめれ】−推量の助動詞「めり」主観的推量。夕霧の推量。紫の上の死をまだ確定的には思っていないニュアンス。

【あなかましばし】−夕霧の詞。

【見たてまつりたまふに】−接続助詞「に」弱い逆接条件の文脈。拝見なさると、死人であるのにもかかわらず、というニュアンス。
【この君のかくのぞきたまふを見る見るもあながちに隠さむの御心もおぼされぬなめり】−「なめり」語り手の源氏の心理状態を推測した叙述。『完訳』は「無理に隠そうとの気持にもなれぬようだ。源氏の茫然自失の体。紫の上の姿を夕霧に見られるとは、以前の源氏では考えられない」と注す。

【かく何ごとも】−以下「しるかりけるこそ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」の下に「はべれ」などの語句が省略。

【しひてしぼり開けて】−涙を絞り出すように目を開けるさま。
【なかなか飽かず悲しきことたぐひなきにまことに心惑ひもしぬべし】−推量の助動詞「べし」は、語り手が夕霧の心中を推測したもの。『集成』は「夕霧の心中を叙べる」。『完訳』は「以下、夕霧の惑乱しそうな悲嘆ぶり」と注す。
【御髪のただうちやられたまへるほどこちたくけうらにて】−『弄花抄』は「双紙詞歟、女たち歟、夕霧のみるめ歟。次詞になのめにたにあらす夕霧の心也」。『評釈』は「作者の見る目で描写する近代小説と違い、作中人物の目を通して語る物語は、今の場合、光る源氏をはずせば、女房の目をかりるべきだが、女房ふぜいに語る余裕はない。光る源氏も女房もだめなら、と、あえて夕霧を紀要したのである」。『集成』は「以下「--臥したまへる御あり さま」まで、夕霧の目に映る紫の上のさま」。『完訳』は「髪の毛が枕辺にわだかまる様子を擬人的に表現。剃髪はしなかったらしい。以下、夕霧の目と心に即して使者の美しさを叙述」と注す。臨終に際して出家の作法尼削ぎはしなかったらしい。

【灯のいと明かきに】−灯火の明かり。『紹巴抄』は「是より又源の御覧の心か、双地とも可見」と注す。
【いふかひなきさまにて】−大島本は「さまにて」とある。『完本』は諸本に従って「さまに」と「て」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。
【何心なくて臥したまへる御ありさまの】−『集成』は「もう正体もない有様で。亡くなって意識のない状態」と注す。死者を「何心なく」(無心に)と生きている人のごとく描写している。
【飽かぬ所なしと言はむもさらなりや】−語り手の評言。
【死に入る魂のやがてこの御骸にとまらなむと思ほゆるもわりなきことなりや】−「清(林逸抄所引)」は「双紙の詞也」と指摘。『集成』は「悲しみに正気を失って、消え入りそうなわが魂が、この紫の上のご遺骸に留まってほしいと思われるのも。紫の上の亡骸にでも取り憑きたい夕霧の気持」。『完訳』は「死せる紫の上の魂がそのままこの亡骸にとどまってほしい意。一説には、正気を失った夕霧の魂が紫の上の亡骸に、とするがとらない」と注す。終助詞「なむ」願望の意は、他に対する願望の用法である。
【わりなきことなりや】−語り手の批評。

 [第五段 紫の上の葬儀]

【院ぞ】−「限りの御ことどもしたまふ」に続く。「何ごとも」以下「静めたまひて」は挿入句。
【いにしへも悲しと思すこともあまた見たまひし御身なれど】−源氏の身近な人との死別は、母桐壺更衣(桐壺)、祖母(桐壺)、夕顔(夕顔)、葵の上(葵)、父帝(賢木)、六条御息所(澪標)、藤壺(薄雲)等がある。

【やがてその日とかく収めたてまつる】−亡くなったその日のうちに葬儀をとり行う。八月十四日暁に亡くなって、その日の夜に荼毘にふし、十五日の暁に遺骨を拾って帰る、という手順。
【骸を見つつもえ過ぐしたまはまじかりけるぞ】−『源氏釈』は「空蝉はからを見つつも慰めつ深草の山煙だにたて」(古今集哀傷、八三一、僧都勝延)を指摘。
【はるばると広き野に】−『完訳』は「愛宕か」。『新大系』は「鳥辺野であろう」と注す。
【例のことなれどあへなくいみじ】−語り手の感情移入の評言。

【空を歩む心地して人にかかりてぞおはしましけるを】−主語は源氏。
【さばかりいつかしき御身をと】−『集成』は「あれほどのご立派なお方なのにと」。『完訳』は「あれほどにも尊くご立派なお方なのにと」と訳す。「を」接続助詞、逆接の意。また間投助詞、詠嘆の意にも解せる。
【女房はまして夢路に惑ふ心地して】−副詞「まして」は源氏の「空を歩む心地して」に比較。
【車よりもまろび落ちぬべきをぞ】−「桐壺」巻(第一章五段)にも同じような表現があった。

【昔大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも】−夕霧の母葵の上の葬儀。「葵」巻に「八月二十余日の有明なれば、空のけしき」(第二章七段))云々とあった。
【かれはなほもののおぼえけるにや月の顔のあきらかにおぼえしを今宵はただくれ惑ひたまへり】−「かれは」と「これは」、「月の顔の明らか」と「暮れまどひ」の対比構文。

【十四日に亡せたまひてこれは十五日の暁なりけり】−事の後から説明する性格の叙述。「これ」は遺骨を拾って帰ることをさす。
【野辺の露も隠れたる隈なくて世の中思し続くるに】−『完訳』は「野辺の露も日の光に隠れるところなく照らし出され。「露も」に、源氏の涙も、の意をこめる。日射しの中で露の消えるはかなさが、源氏の心象風景として厭世観を導く」と注す。
【後るとても幾世かは経べき】−『集成』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)にもとづく行文と注す。源氏の心中文と地の文が綯い交ぜになった表現。
【かかる悲しさの紛れに】−『玉の小櫛』は「源氏君の心を、ただにいふ語より、冊子地よりいふ語へ、ただに続きて堺なし、大かた此物語、ここらの巻々、いともいとも長く大きなる文なれば、その間にはまれまれにはかうやうのとりはずしもなどかなからむ」と指摘。

 

第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち

 [第一段 源氏の悲嘆と弔問客]

【大将の君も御忌に籠もりたまひて】−三十日間の忌み籠もり。

【風野分だちて吹く夕暮に昔のこと思し出でて】−主語は夕霧。「野分」巻(第一章二段)の紫の上垣間見を思い出す。『完訳』は「夕暮は人恋しい時。夕霧の追慕と悲愁の心象景」。「桐壺」巻の野分の段にも通底する。
【ほのかに見たてまつりしものをと】−以下、夕霧の心中に即した叙述。過去の助動詞「き」を多用。間投助詞「を」詠嘆の意。
【人目にはさしも見えじと】−『完訳』は「義母をひそかに慕う気持を、他人に気づかれぬようはばかる」と注す。

【阿弥陀仏阿弥陀仏】−夕霧の詞。

【数珠の数に紛らはしてぞ涙の玉をばもて消ちたまひける】−大島本は「もちけち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もて消ち」と訂正する。『新大系』は底本のままとする。『花鳥余情』は「より合はせて泣くなる声を糸にして我が涙をば玉にぬかなむ」(伊勢集)を指摘。『岷江入楚』は「不及此歌歟」と注す。

【いにしへの秋の夕べの恋しきに今はと見えし明けぐれの夢】−夕霧の独詠歌。『集成』は「歌の末尾が地の文に続く。夕霧の独詠、心中の思いである」と注す。『一葉集』は「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは」(古今集雑下、九七〇、業平朝臣)を指摘。

【法華経など誦ぜさせたまふ】−主語は夕霧。「させ」使役の助動詞。
【かたがたいとあはれなり】−『評釈』は「作者が批評している」と注す。

【臥しても起きても涙の干る世なく霧りふたがりて明かし暮らしたまふ】−主語は源氏。

【鏡に見ゆる影をはじめて】−以下「道にも入りがたくや」まで、源氏の心中。ただしその始まり方は地の文が自然と心中文になっていく叙述のしかた。
【今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ】−『完訳』は「源氏の出家を引きとめてきた最大の絆は紫の上の存在であった」と注す。
【いとかく収めむかたなき心惑ひにては願はむ道にも入りがたくや】−『集成』は「紫の上への愛執の思いの絶ちがたいことを嘆く」と注す。

【この思ひすこしなのめに忘れさせたまへ】−源氏の心中。仏への願い。

 [第二段 帝、致仕大臣の弔問]

【所々の御とぶらひ】−方々からの源氏への弔問。
【思しめしたる心のほどには】−『湖月抄』は「源の心を草子地よりいふ也」と注す。
【目にも耳にもとまらず】−大島本は「とまらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とどまらず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。
【人にほけほけしきさまには見えじ】−以下「背きにける」まで源氏の心中。文末は地の文に流れる。
【流れとどまらむ名を思しつつむに】−心中文であるはずの内容が地の文に語られる。
【身を心にまかせぬ嘆きを】−『河海抄』は「いなせとも言ひ放たれず憂き物は身を心ともせぬ世なりけり」(後撰集恋五、九三八、伊勢)を指摘。『集成』は「悲しみにばかり浸っていられず、弔問にも答えねばならぬという嘆き」と注す。

【かく世にたぐひなくものしたまふ人の】−紫の上をさす。

【昔大将の御母亡せたまへりしもこのころのことぞかしと】−大島本は「御はゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御母上」と「上」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。致仕大臣の心中。葵の上の死去は今から三十年前の秋、八月二十余日であった。

【その折かの御身を】−以下「世なりけりや」まで、致仕大臣の心中。
【惜しみきこえたまひし人の多くも亡せたまひにけるかな】−『集成』は「父左大臣や母大宮など」。『完訳』は「葵の上の死を悲嘆した人々の多くは故人。時の経過を思う」と注す。
【後れ先だつほどなき世なりけりや】−『異本紫明抄』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)を引歌として指摘。

【蔵人少将】−致仕大臣の子。故柏木や左大弁の弟。

【いにしへの秋さへ今の心地して濡れにし袖に露ぞおきそふ】−致仕大臣の贈歌。三十年前の妹葵の上の死別を思い合わせながらこのたびの紫の上の死去に対する弔問の歌。

【露けさは昔今ともおもほえずおほかたの秋の世こそつらけれ】−源氏の返歌。「秋」「今」「露」の語句を用い、「いにしへ」は「昔」と言い換えて返す。

【待ちとりたまひて】−主語は致仕大臣。

【たびたびのなほざりならぬ】−以下「重なりぬること」まで、弔問に対する源氏のお礼の詞。

【薄墨とのたまひしより】−源氏が「限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける」(「葵」第二章七段)と詠んだことをさす。
【世の中に幸ひありめでたき人も】−『林逸抄』は「紫上の事をほむる詞也さうし也」。『万水一露』は「双帋の地也」と指摘。『集成』は「この世で幸運に恵まれた結構な方でも、困ったことに一般の世間から嫉まれ。以下「人のため苦しき人もあるを」まで、一般論を述べ、しかし紫の上はそうではないと、「あやしきまで」からあと、紫の上への讃辞を書く。このあたりの文章は、薄雲の巻の、藤壷崩御に当って、その仁慈を讃える文を連想させる」と注す。

【さしもあるまじきおほよその人さへ】−『完訳』は「以下、紫の上を惜しむ人々を、他に「ほのかにも--人」「年ごろ--人々」と、三段階に分けて叙述」と注す。

 [第三段 秋好中宮の弔問]

【冷泉院の后の宮】−秋好中宮。

【枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の秋に心をとどめざりけむ】−秋好中宮から源氏への見舞いの贈歌。『河海抄』は「霜枯れの野辺を憂しと思へばや垣ほの草と人のあるらむ」(古今六帖拾遺)と指摘。『集成』は「昔、春秋の争いに、紫の上は春を好んだことによって詠む」。『完訳』は「「秋に--けん」は、秋に亡くなったのは秋を好まなかったためか、の意。「枯れはつる」は秋の終りとともに、人生の終末をも連想」と注す。

【今なむことわり知られはべりぬる】−歌に添えた消息文。

【いふかひあり】−以下「おはしけれ」まで、源氏の心中。

【昇りにし雲居ながらもかへり見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に】−源氏の返歌。「果つ」「秋」の語句を用いる。「かへり見よ」の主語は荼毘にふされて空にのぼった紫の上。紫の上に呼び掛けている。「あき」に「秋」と「飽き」を掛ける。『完訳』は「贈答歌としては中宮への返歌になりきらない。しかし、「のぼりにし雲居」を中宮の位と解し、中宮に呼びかけたとする一説はとらない」と注す。

【おし包みたまひても】−手紙を上包みの紙に包む。きちんとした体裁の返書。

【女方にぞおはします】−『集成』は「女房たちのいる所。奥向き。男性の出入りする表向きの場所での緊張に耐えない」と注す。

【千年をももろともにと思ししかど】−『集成』は「源氏の気持を地の文の形で書く」と注す。
【今は蓮の露も異事に紛るまじく思し立つこと】−『河海抄』は「蓮葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(古今集夏、一六五、僧正遍昭)を指摘。『集成』は「今は極楽往生の願いも、ほかのことで紛れるはずもなく、後世のことをと」と訳す。『完訳』は「往生して紫の上と一つ蓮台に座れるのに専念」と注す。
【人聞きを憚りたまひなむあぢきなかりける】−『紹巴抄』は「双地」と注す。

【御わざのことども】−七日ごとの法要。「ども」複数を表す接尾語。『完訳』は「四十九日とすれば十月初旬」と注す。
【のたまひおきつることども】−大島本は「ことゝも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「ども」を削除する。『新大系』は底本のままとする。主語は源氏。
【今日やとのみわが身も心づかひせられたまふ】−『河海抄』は「わびつつも昨日ばかりは過ぐして今日や我が身の限りなるらむ」(拾遺集恋一、六九四、読人しらず)を指摘。
【はかなくて積もりにけるも】−『完訳』は「実りのない月日が迅速に経過」と注す。
【中宮なども】−明石中宮。

源氏物語の世界ヘ
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ローマ字版
現代語訳
大島本
自筆本奥入