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渋谷栄一校訂(C)

  

篝火

光る源氏の太政大臣時代三十六歳の初秋の物語

 [主要登場人物]

 光る源氏<ひかるげんじ>
呼称---源氏の大臣、三十六歳
 夕霧<ゆうぎり>
呼称---中将・源中将、光る源氏の長男
 玉鬘<たまかづら>
呼称---対の姫君・姫君・女君・女、内大臣の娘
 内大臣<ないだいじん>
呼称---父大臣・内の大殿
 柏木<かしわぎ>
呼称---頭中将・中将

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

  1. 近江君の世間の噂---このごろ、世の人の言種に
  2. 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう---秋になりぬ。初風涼しく吹き出でて
  3. 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏---御消息、「こなたになむ、いと影涼しき篝火に

【出典】
【校訂】

 

第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語

 [第一段 近江君の世間の噂]

 このごろ、世の人の言種に、「内の大殿の今姫君」と、ことに触れつつ言ひ散らすを、源氏の大臣聞こしめして、

 「ともあれ、かくもあれ、人見るまじくて籠もりゐたらむ女子を、なほざりのかことにても、さばかりにものめかし出でて、かく、人に見せ、言ひ伝へらるるこそ、心得ぬことなれ。いと際々しうものしたまふあまりに、深き心をも尋ねずもて出でて、心にもかなはねば、かくはしたなきなるべし。よろづのこと、もてなしからにこそ、なだらかなるものなめれ」

 と、いとほしがりたまふ。

 かかるにつけても、「げによくこそと、親と聞こえながらも、年ごろの御心を知りきこえず、馴れたてまつらましに、恥ぢがましきことやあらまし」と、対の姫君思し知るを、右近もいとよく聞こえ知らせけり。

 憎き御心こそ添ひたれど、さりとて、御心のままに押したちてなどもてなしたまはず、いとど深き御心のみまさりたまへば、やうやうなつかしううちとけきこえたまふ。

 [第二段 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう]

 秋になりぬ。初風涼しくき出でて、背子が衣もうらさびしき心地したまふに、忍びかねつつ、いとしばしば渡りたまひて、おはしまし暮らし、御琴なども習はしきこえたまふ。

 五、六日の夕月夜は疾く入りて、すこし雲隠るるけしき、荻の音もやうやうあはれるほどになりにけり。御琴を枕にて、もろともに添ひ臥したまへり。かかる類ひあらむやと、うち嘆きがちにて夜更かしたまふも、人の咎めたてまつらむことを思せば、渡りたまひなむとて、御前の篝火のすこし消えがたなるを、御供なる右近の大夫を召して、灯しつけさせたまふ。

 いと涼しげなる遣水のほとりに、けしきことに広ごり臥したる檀の木の下に、打松おどろおどろしからぬほどに置きて、さし退きて灯したれば、御前の方は、いと涼しくをかしきほどなる光に、女の御さま見るにかひあり。御髪の手あたりなど、いと冷やかにあてはかなる心地して、うちとけぬさまにものをつつましと思したるけしき、いとらうたげなり。帰り憂く思しやすらふ。

 「絶えず人さぶらひて、灯しつけよ。夏の月なきほどは、庭の光なき、いとものむつかしく、おぼつかなしや」

 とのたまふ。

 「篝火にたちそふ恋の煙こそ
  世には絶えせぬ炎なりけれ

 いつまでとかやふすぶるならでも、苦しき下燃えなりけり」

 と聞こえたまふ。女君、「あやしのありさまや」と思すに、

 「行方なき空に消ちてよ篝火の
  たよりにたぐふ煙とならば

 人のあやしと思ひはべらむこと」

 とわびたまへば、「くはや」とて、出でたまふに、東の対の方に、おもしろき笛の音、箏に吹きあはせたり。

 「中将の、例のあたり離れぬどち遊ぶにぞあなる。頭中将にこそあなれ。いとわざとも吹きなる音かな」

 とて、立ちとまりたまふ。

 [第三段 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏]

 御消息、「こなたになむ、いと影涼しき篝火に、とどめられてものする」
 とのたまへれば、うち連れて三人参りたまへり。

 「風の音秋になりけり、聞こえつる笛の音に、忍ばれでなむ」

 とて、御琴ひき出でて、なつかしきほどに弾きたまふ。源中将は、「盤渉調」にいとおもしろく吹きたり。頭中将、心づかひして出だし立てがたうす。「遅し」とあれば、弁少将、拍子打ち出でて、忍びやかに歌ふ声、鈴虫にまがひたり。二返りばかり歌はせたまひて、御琴は中将に譲らせたまひつ。げに、かの父大臣の御爪音に、をさをさ劣らずはなやかにおもしろし。

 「御簾のうちに、物の音聞き分く人ものしたまふらむかし。今宵は、盃など心してを。盛り過ぎたる人は、酔ひ泣きのついでに、忍ばぬこともこそ」

 とのたまへば、姫君もげにあはれと聞きたまふ。

 絶えせぬ仲の御契り、おろかなるまじきものなればにや、この君たちを人知れず目にも耳にもとどめたまへど、かけてさだに思ひ寄らず、この中将は、心の限り尽くして、思ふ筋にぞ、かかるついでにも、え忍び果つまじき心地すれど、さまよくもてなして、をさをさ心とけても掻きわたさず。

 【出典】
出典1 わが背子が衣の裾を吹き返しうらめづらしき秋の初風(古今集秋上-一七一 読人しらず)初風の涼しくもあるかわが背子の衣の裏のうらのさびしき(源氏釈所引、出典未詳)(戻)
出典2 秋風の荻の葉を吹く音聞けばいよいよ我も物をこそ思へ(古今六帖六-三七二二)(戻)
出典3 夏なれば宿にふすぶる蚊遣火のいつまでわが身下燃えにをせむ(古今集恋一-五〇〇 読人しらず)(戻)
出典4 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今集秋上-一六九 藤原敏行)(戻)

 【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 劣らず--おと(と/&と=と)らす(戻)

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現代語訳
注釈
大島本