Last updated 5/17/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)

  

手習

薫君の大納言時代二十七歳三月末頃から二十八歳の夏までの物語

第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる

  1. 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病---そのころ、横川に、某僧都とか言って
  2. 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う---まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて
  3. 若い女であることを確認し、救出する---変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た
  4. 妹尼、若い女を介抱す---お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って
  5. 若い女生き返るが、死を望む---僧都もちょっと覗いて、「どうですか。何のしわざかと
  6. 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る---二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り
  7. 尼君ら一行、小野に帰る---尼君がよくおなりになった。方角も開いたので
第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活
  1. 僧都、小野山荘へ下山---ずっとこうしてお世話するうちに、四月、五月も過ぎた
  2. もののけ出現---「朝廷のお召しでさえお受けせず、深く籠もっている山を
  3. 浮舟、意識を回復---ご本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして
  4. 浮舟、五戒を受く---「どうして、このように頼りなさそうにばかりいらっしゃるのですか
  5. 浮舟、素性を隠す---「夢に見たような人をお世話申し上げることだわ」と尼君は喜んで
  6. 小野山荘の風情---ここの主人も高貴な方であった。娘の尼君は
  7. 浮舟、手習して述懐---尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる
  8. 浮舟の日常生活---若い女で、このような山里に、もうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは
第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
  1. 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問---尼君の亡き娘の婿の君で、今は中将におなりになっていたが
  2. 浮舟の思い---供の人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などの
  3. 中将、浮舟を垣間見る---尼君が奥にお入りになる間に、客人は、雨の様子に困って
  4. 中将、横川の僧都と語る---お庭先の女郎花を手折って、「どうしてここにいらっしゃるのだろう」と口ずさんで
  5. 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る---翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」
  6. 中将、三度山荘を訪問---手紙などをわざわざやるのは、何といっても不慣れな感じで
  7. 尼君、中将を引き留める---そうはいっても、このような古風な気質とは不似合いに
  8. 母尼君、琴を弾く---「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが
  9. 翌朝、中将から和歌が贈られる---これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も
第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す
  1. 九月、尼君、再度初瀬に詣でる---九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する
  2. 浮舟、少将の尼と碁を打つ---皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを
  3. 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む---月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将が
  4. 老尼君たちのいびき---姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に
  5. 浮舟、悲運のわが身を思う---昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも
  6. 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る---身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て
  7. 浮舟、僧都に出家を懇願---立ってこちらにいらして、「ここに
  8. 浮舟、出家す---「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を
第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語
  1. 少将の尼、浮舟の出家に気も動転---このような間に、少将の尼は、兄の阿闍梨が
  2. 浮舟、手習に心を託す---僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは
  3. 中将からの和歌に返歌す---同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに
  4. 僧都、女一宮に伺候---一品の宮のご病気は、なるほど、あの弟子が言っていたとおりに
  5. 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る---御物の怪の執念深いことや、いろいろと
  6. 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る---姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山
  7. 中将、小野山荘に来訪---今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに
  8. 中将、浮舟に和歌を贈って帰る---「これほどの器量をした人を失って
第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る
  1. 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す---年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた
  2. 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪---大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京し
  3. 浮舟、薫の噂など漏れ聞く---「あの方の親しい人であった」と見るにつけても
  4. 浮舟、尼君と語り交す---「お忘れになっていないのだ」としみじみと思うが
  5. 薫、明石中宮のもとに参上---大将は、この一周忌の法事なをおさせにになって
  6. 小宰相、薫に僧都の話を語る---立ち寄ってお話などなさるついでに
  7. 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く---「思いがけないことで、亡くなってしまったと存じておりました女が

 

第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる

 [第一段 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病]
 そのころ、横川に、某僧都とか言って、たいそう尊い人が住んでいた。八十歳過ぎの母と、五十歳ほどの妹とがいたのであった。昔からの願があって、初瀬に詣でたのであった。
 親しく重んじている弟子の阿闍梨を連れて、仏やお経を供養することを行うのであった。いろいろなことをたくさんして帰る道中で、奈良坂という山を越えたころから、この母の尼君が、気分が悪くなったので、「こんなでは、どうして帰りの道を行きつけようか」と大騒ぎして、宇治の辺りに知っていた人の家があったので、そこにとどめて、今日一日お休め申したが、依然としてひどく苦しがっているので、横川に消息を出した。
 山籠もりの本願が強く、今年は下山しまいと思っていたが、「晩年の状態の母親が、道中で亡くなるのだろうか」と驚いて、急いでいらっしゃった。惜しむほどでもない年齢の人だが、自分自身でも、弟子の中でも効験のある者をして、加持し大騒ぎするのを、家の主人が聞いて、
 「御嶽精進をしたが、たいそう高齢でおいでの方が、重病でいらっしゃるのは、どうしたものか」
 と不安そうに思って言ったので、そうも言うにちがいないことを、気の毒に思って、ひどく狭くむさ苦しい所なので、だんだんお連れ申せるほどになったが、中神の方角が塞がって、いつも住んでいらっしゃる所は避けなければならなかったので、「故朱雀院の御領で、宇治院といった所が、この近辺だろう」と思い出して、院守を、僧都は知っていらっしゃったので、「一、二日泊まりたい」と言いにおやりになったところ、
 「初瀬に、昨日皆詣でてしまいました」
 と言って、ひどくみすぼらしい宿守の老人を呼んで連れて来た。
 「いらっしゃるなら、早いほうがよい。誰も使っていない院の寝殿でございますようです。物詣での方は、いつもお泊まりになります」
 と言うので、
 「実に結構なことだ。公の建物だが、誰もいなくて気楽な所だから」
 と言って、様子を見におやりになる。この老人、いつもこのように泊まる人を見慣れていたので、簡略な設営などをして戻って来た。

 [第二段 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う]
 まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて、恐ろしそうな所だな」と御覧になる。
 「大徳たち、読経せよ」
 などとおっしゃる。この初瀬に付いていった阿闍梨と同じような者が、何事があったのか、お供するにふさわしい下臈の法師に、松明を灯させて、人も近寄らない建物の後ろの方に行った。森かと見える木の下を、「気持ち悪い所だ」と見ていると、白い物が広がっているのが見える。
 「あれは、何だ」
 と、立ち止まって、松明を明るくして見ると、何かが座っているような格好である。
 「狐が化けた物だ。憎い。正体を暴いてやろう」
 と言って、一人はもう少し近寄る。もう一人は、
 「まあ、よしなさい。よくない物であろう」
 と言って、そのような物が引き下がるような印を作りながら、そうは言ってもやはり見つめている。頭の髪があったら太くなりそうな気がするが、この松明を灯した大徳は、恐れもせず、深い考えもなく様子で、近寄ってその様子を見ると、髪は長く艶々として、大きな木の根がとても荒々しくある所に寄りかかって、ひどく泣いている。
 「珍しいことでございますな。僧都の御坊に御覧に入れましょう」
 と言うと、
 「なるほど、不思議な事だ」
 と言って、一人は参上して、「これこれしかじかです」と申し上げる。
 「狐が人に化けるということは昔から聞いたが、まだ見たことがないものだ」
 と言って、わざわざ下りていらっしゃる。
 あちらにお越しになろうとしたところで、下衆どもで、役に立ちそうな者は皆、御厨子所などで、準備すべきことをいろいろと、こちらではかかりきりでいたので、ひっそりしていたので、わずか四、五人で、ここにいる物を見るが、変化する様子も見えない。
 不思議に思って、一時の移るまで見る。「早く夜も明けてほしい。人か何物か、正体を暴こう」と、心中でしかるべき真言を読み、印を作って試みると、はっきり見極めがついたのであろうか、
 「これは、人である。まったく異常なけしからぬ物ではない。近寄って問え。死んでいる人ではないようだ。もしや死んだ人を捨てたのが、生き返ったのだろうか」
 と言う。
 「どうして、そのような人を、この院の邸内に捨てましょうか。たとい、ほんとうに人であったとしても、狐や木霊のようなものが、たぶらかして連れて来たのでございましょうと、不都合なことでございますなあ。穢れのある所のようでございます」
 と言って、先程の宿守の男を呼ぶ。山彦が答えるのも、まことに恐ろしい。

 [第三段 若い女であることを確認し、救出する]
 変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た。
 「ここには、若い女などが住んでいるのか。このようなことがある」
 と言って見せると、
 「狐がしたことだ。この木の下に、時々変なことをします。一昨年の秋も、ここに住んでいました人の子で、二歳ほどになったのを、さらって参ったが、驚きもしませんでした」
 「それでは、その子は死んでしまったのか」
 と問うと、
 「生きております。狐は、そのように人を脅かすが、何ということもないやつです」
 と言う態度は、とても物慣れたさまである。あちらの深夜に食事の準備している所に、気を取られているのであろう。僧都は、
 「それでは、そのような物がしたことかどうか。やはり、よく見よ」
 と言って、この恐いもの知らずの法師を近づけると、
 「鬼か神か狐か木霊か。これほどの天下第一の験者がいらっしゃるのには、隠れ申すことはできまい。正体を名のりなさい。正体を名のりなさい」
 と、衣を取って引くと、顔を隠してますます泣く。
 「さてもまあ、何と、たちの悪い木霊の鬼だ。正体を隠しきれようか」
 と言いながら、顔を見ようとすると、「昔いたという目も鼻もなかった女鬼であろうか」と、気味悪いが、頼もしく威勢のよいところを人に見せようと思って、衣を脱がせようとすると、うつ臥して声を立てるほどに泣く。
 「何にあれ、このような不思議なことは、普通、世間にはない」
 と言って、見極めようと思っていると、
 「雨がひどく降って来そうだ。こ侃しておいたら、死んでしまいましょう。築地塀の外に出しましょう」
 と言う。僧都は、
 「ほんとうに人の姿だ。その命が今にも絶えてしまいそうなのを見ながら放っておくことは、もっての外のことだ。池で泳ぐ魚、山で鳴く鹿でさえ、人に捕えられて死にそうなのを見て、助けないのは、まことに悲しいことだろう。人の命は長くはないものだが、残りの命の、一、二日を惜しまないものはない。鬼にもあれ神にもあれ、取り憑かれたり、人に追出されたり、人に騙されたりしても、これ顔は横死をするにちがいないものだが、仏が必ずお救いになる艦ずの人である。
 やはり、試みに、しばらく薬湯を飲ませたりして、助けてみよう。結局、死んでしまったら、しかたのないことだ」
 とおっしゃって、この大徳に抱いて中に入れさせなさるのを、弟子どもは、
 「不都合なことだなあ。ひどく患っていらっしゃる方のお側近くに、よくないものを近づけて、穢れがきっと出て来よう」
 と、非難する者もいる。また、
 「変化の物であれ、目前に見ながら、生きている人を、このような雨に打たれ死なせるのは、よくないことなので」
 などと、思い思いに言う。下衆などは、たいそう騒がしく、口さがなく言い立てるものなので、人の大勢いない隠れた所に寝かせたのであった。

 [第四段 妹尼、若い女を介抱す]
 お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、
 「先程の人は、どのようになった」
 とお尋ねになる。
 「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」
 と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、
 「何事ですか」
 と尋ねる。
 「これこれしかじかの事を、六十歳を過ぎた年齢になって、珍しい物を拝見しました」
 とおっしゃる。それを聞くなり、
 「わたしが寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」
 と泣いておっしゃる。
 「ちょうどこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」
 と言うので、急いで行って見ると、誰も側近くにおらずに、放置してあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。
 「まるで、わたしが恋い悲しんでいた娘が、帰潅ていらしたようだ」
 と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも、事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、
 「何かおっしゃいなさい。どのようなお人か、こうして、いらっしゃるのは」
 と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って、ご自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱って死にそうだったので、
 「かえって大変な事になりました」と言って、「この人は死にそうです。加持をしなさい」
 と、験者の阿闍梨に言う。
 「それだから言ったのに。つまらないお世話です」
 とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。

 [第五段 若い女生き返るが、死を望む]
 僧都もちょっと覗いて、
 「どうですか。何のしわざかと、よく調伏して問え」
 とおっしゃるが、ひどく弱そうに死んで行きそうなので、
 「生きられそうにない。思いがけない穢れに籠もって、厄介なことになりますこと」
 「そうは言っても、とても高貴な方でございましょう。死んだとしても、普通の人のようにはお捨て置きになることはできまい。面倒なことになったな」
 と言い合っていた。
 「お静かに。人に聞かせるな。厄介なことでも起こったら大変です」
 などと口封じしながら、尼君は、親が患っていらっしゃるのよりも、この人を生き返らせてみたく惜しんで、もうすっかりこちらに付きっきりになっていた。知らない人であるが、顔容姿がこの上なく美しいので、死なせまいと、見る人びとも皆でお世話した。そうは言っても、時々、目を開けたりなどして、涙が止まらず流れるのを、
 「まあ、お気の毒な。たいそう悲しいと思う娘の代わりに、仏がお導きなさったとお思い申し上げていたのに。亡くなってしまわれたら、かえって悲しい思いが加わることでしょう。こうなるはずの宿縁で、こうしてお会い申したのでしょう。ぜひ、少しは何とかおっしゃってください」
 と言い続けるが、やっとのことで、
 「生き返ったとしても、つまらない無用の者です。誰にも見せないで、夜にこの川に投げ込んでくださいまし」
 と、息の下に言う。
 「やっとのこと何かおっしゃるのを嬉しいと思ったら、まあ、大変な。どうして、そのようなことをおっしゃるのですか。なぜ、あのような所にいらっしゃったのですか」
 と尋ねるが、何もおっしゃらなくなってしまった。「身体にもしやおかしなところなどがあろうか」と思って見たが、これと思える所はなくかわいらしいので、驚き呆れて悲しく、「ほんとうに、人の心を惑わそうとして出て来た仮の姿をした変化の物か」と疑う。

 [第六段 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る]
 二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り加持する声がひっきりなしで、不思議な事件だと思ってあれこれ言う。その近辺の下衆などで、僧都にお仕え申していた者が、こうしてお出でになっていると聞いて、挨拶に出て来たが、世間話などして言うのを聞くと、
 「故八の宮の姫君で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気になったということもなくて、急にお亡くなりになったと言って、大騒ぎしております。そのご葬送の雑事類にお仕え致しますために、昨日は参上することができませんでした」
 と言う。「そのような人の魂を、鬼が取って持って来たのであろうか」と思うにも、一方では見ながら、「生きている人とも思えず、危なっかしく恐ろしい」とお思いになる。人びとは、
 「昨夜見やられた火は、そのように大げさなふうには見えませんでしたが」
 と言う。
 「格別に簡略にして、盛大ではございませんでした」
 と言う。死穢に触れた人だからというので、立ったままで帰らせた。
 「大将殿は、宮の姫君をお持ちになっていたのは、お亡くなりになって、何年にもなったが、誰を言うのでしょうか。姫宮をさし置き申しては、まさか浮気心はおありでない」
 などと言う。

 [第七段 尼君ら一行、小野に帰る]
 尼君がよくおなりになった。方角も開いたので、「このような嫌な所に長く逗留されるのも不都合である」と言って帰る。
 「この人は、依然としてとても弱々しそうだ。道中もいかがでいらっしゃろうかと、おいたわしいこと」
 と話し合っていた。車二台で、老人がお乗りになったのには、お仕えする尼が二人、次のにはこの人を寝かせて、側にもう一人付き添って、道中もはかどらず、車を止めて薬湯などを飲ませなさる。
 比叡の坂本で、小野という所にお住みになっていた。そこにお着きになるまで、まことに遠い。
 「休憩所を準備すべきであった」
 などと言って、夜が更けてお着きになった。
 僧都は、母親を世話し、娘の尼君は、この知らない女を介抱して、みな抱いて降ろし降ろしして休む。老人の病気はいつということもないが、苦しいと思っていた遠路のせいで、少しお疲れになったが、だんだんとよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。
 「このような女を連れて来た」などと、法師の間ではよくないことなので、知らなかった人には事情を話さない。尼君も、みな口封じをさせたが、「もしや探しに来る人もいようか」と思うと、気が落ち着かない。「何とか、そのような田舎者の住む辺りに、このような方がさまよっていたのだろうか。物詣でなどした人で、気分が悪くなったのを、継母などのような人が、だまして置いていったのであろうか」と推測してみるのだった。
 「川に流してください」と言った一言以外に、何もまったくおっしゃらないので、とても分からなく思って、「はやく人並みの健康にしよう」と思うと、ぐったりとして起き上がる時もなく、まことに心配な容態ばかりしていらっしゃるので、「結局は生きられない人であろうか」と思いながら、放っておくのもお気の毒でたまらない。夢の話もし出しては、最初から祈祷させた阿闍梨にも、こっそりと芥子を焼くことをおさせになる。

 

第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活

 [第一段 僧都、小野山荘へ下山]
 ずっとこうしてお世話するうちに、四月、五月も過ぎた。まことに心細く看護の効のないことに困りはてて、僧都のもとに、
 「もう一度下山してください。この人を、助けてください。何といっても今日まで生きていたのは、死ぬはずのない運命の人に、取り憑いて離れない物の怪が去らないのにちがいありません。どうかあなた様、京にお出になるのは無理でしょうが、ここまでは来てください」
 などと、切なる気持ちを書き綴って、差し上げなさると、
 「まことに不思議なことだな。こんなにまで生きている人の命を、そのまま見捨ててしまったら。そうなるはずの縁があって、わたしが見つけたのであろう。ためしに最後まで助けてやろう。それでだめなら、命数が尽きたのだと思おう」
 と思って、下山なさった。
 喜んで拝して、いく月日の間の様子を話す。
 「このように長い間患っている人は、見苦しい感じが、自然と出て来るものですが、少しも衰弱せず、とても美しげで、諌ねくれたところもなくいらっしゃって、最期と見えながらも、こうして生きていることです」
 などと、本気になって泣きながらおっしゃるので、
 「見つけた時から、めったにいないご様子の方であったな。さあ」
 と言って、さし覗いて御覧になって、
 「なるほど、まことに優れたご容貌の方であるなあ。功徳の報恩で、このような器量にお生まれになったのであろう。どのような行き違いで、ひどいことにおなりになったのであろう。もしや、それか、と思い当たるような噂を聞いたことはありませんか」
 と尋ねなさる。
 「まったく聞いたことありません。何の、初瀬の観音が授けてくださった人です」
 とおっしゃるので、
 「いや何。宿縁によってお導きくださったものでしょう。因縁のないことはどうして起ころうか」
 などと、おっしゃるのが、不思議がりなさって、修法を始めた。

 [第二段 もののけ出現]
 「朝廷のお召しでさえお受けせず、深く籠もっている山をお出になって、わけもなくこのような人のために修法をなさっていると、噂が聞こえた時には、まことに聞きにくいことであろう」とお思いになり、弟子どももそう意見して、「人に聞かせまい」と隠す。僧都、
 「まあ、お静かに。大徳たち。わたしは破戒無慚の法師で、戒律の中で、破った戒律は多かろうが、女の方面ではまだ非難されたことなく、過ったこともない。年齢も六十を過ぎて、今さら人の非難を受けるのは、前世の因縁なのであろう」
 とおっしゃると、
 「口さがない連中が、何か不都合な事にとりなして言いました時には、仏法の恥となりますことです」
 と、不機嫌に思って言う。
 「この修法によって効験が現れなかったら」
 と、非常な決意をなさって、夜一晩中、加持なさった翌早朝に、人に乗り移らせて、「どのような物の怪がこのように人を惑わしていたのであろう」と、様子だけでも言わせたくて、弟子の阿闍梨が、交替で加持なさる。何か月もの間、少しも現れなかった物の怪が、調伏されて、
 「自分は、ここまで参って、このように調伏され申すべき身ではない。生前は、修業に励んだ法師で、わずかにこの世に恨みを残して、中有にさまよっていたときに、よい女が大勢住んでいられた辺りに住み着いて、一人は失わせたが、この人は、自分から世を恨みなさって、自分は何とかして死にたい、ということを、昼夜おっしゃっていたのを手がかりと得て、まことに暗い夜に、一人でいらした時に奪ったのである。けれども、観音があれやこれやと加護なさったので、この僧都にお負け申してしまった。今は、立ち去ろう」
 と声を立てる。
 「こう言うのは、何者だ」
 と問うが、乗り移らせた人が、力のないせいか、はっきりとも言わない。

 [第三段 浮舟、意識を回復]
 ご本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして見回すと、一人も見たことのある顔はなくて、皆、老法師か腰の曲がった者ばかり多いので、知らない国に来たような気がして、実に悲しい。
 以前のことを思い出すが、住んでいた所、何という名前であったかさえ、確かにはっきりとも思い出せない。ただ、
 「自分は、最期と思って身を投げた者である。どこに来たのか」と無理に思い出すと、
 「とてもつらいことよと、悲しい思いを抱いて、皆が寝静まったときに、妻戸を開けて外に出たが、風が烈しく、川波も荒々しく聞こえたが、独りぼっちで恐かったので、過去や将来も分からず、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くはずの所も迷って、引き返すのも中途半端で、気強くこの世から消えようと決心したが、『馬鹿らしく人に見つけられるよりは鬼でも何でも喰って亡くしてくれよ』と言いながら、つくづくと座っていたが、とても美しそうな男が近寄って来て、『さあ、いらっしゃい。わたしの所へ』と言って、抱く気がしたが、宮様と申し上げた方がなさる、と思われた時から、意識がはっきりしなくなったようだ。知らない所に置いて、この男は消えてしまった、と見えたが、とうとうこのように目的も果たせずになってしまった、と思いながら、ひどく泣いている、と思ったときから、その後のことはまったく、何もかも覚えていない。
 人が言うのを聞くと、たくさんの日数を経てしまった。どのように嫌な様子を、知らない人にお世話されたのであろう、と恥ずかしく、とうとうこうして生き返ってしまったのか」
 と思うのも残念なので、ひどく悲しく思われて、かえって、沈んでいらした日ごろは、正気もない様子で、何か食物も少し召し上がることもあったが、露ほどの薬湯でさえお飲みにならない。

 [第四段 浮舟、五戒を受く]
 「どうして、このように頼りなさそうにばかりいらっしゃるのですか。ずっと熱がおありだったのは下がりなさって、さわやかにお見えになるので、嬉しくお思い申し上げていましたのに」
 と、泣きながら、気を緩めることなく付き添ってお世話申し上げなさる。仕える女房たちも、惜しいお姿や容貌を見ると、誠心誠意惜しんで看病したのであった。内心では、「やはり何とかして死にたい」と思い続けていらしたが、あれほどの状態で、生き返った人の命なので、とてもねばり強くて、だんだんと頭もお上げになったので、食物を召し上がりなさるが、かえって容貌もひきしまって行く。はやく好くなってほしいと嬉しくお思い申し上げていたところ、
 「尼にしてください。そうしたら生きて行くようもありましょう」
 とおっしゃるので、
 「あたら惜しいお身を。どうして、そのように致せましょう」
 と言って、ただ頂の髪だけを削いで、五戒だけを受けさせ申し上げる。不安であるが、もともとはきはきしない性分で、さし出て強くもおっしゃらない。僧都は、
 「今はもう、このくらいにしておいて、看病して差し上げなさい」
 と言い置いて、山へ登っておしまいになった。

 [第五段 浮舟、素性を隠す]
 「夢に見たような人をお世話申し上げることだわ」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせながら、お髪をご自身でお梳かしになる。あのように驚きあきれ、結んでおいたが、ひどくは乱れず、解き放ってみると、つやつやとして美しい。白髪の人の多い所なので、目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように思うのも、不安な気がするが、
 「どうして、とても情けなく、こんなにたいそうお世話申し上げていますのに、強情をはっていらっしゃるのですか。どこの誰と申し上げた方が、そのような所にどうしておいでになったのですか」
 と、しいて尋ねるのを、とても恥ずかしいと思って、
 「意識を失っている間に、すっかり忘れてしまったのでしょうか、以前の様子などもまったく覚えておりません。ただ、かすかに思い出すこととしては、ただ、何とかしてこの世から消えたいと思いながら、夕暮になると端近くで物思いをしていたときに、前の近くにある大きな木があった下から、人が出て来て、連れて行く気がしました。それ以外のことは、自分自身でも、誰とも思い出すことができません」
 と、とてもかわいらしげに言って、
 「この世に、やはり生きていたと、何とか人に知られたくない。聞きつける人がいたら、とても悲しい」
 と言ってお泣きになる。あまり尋ねるのを、つらいとお思いなので、尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい気がするので、「どのような何かの機会に姿が消え失せてしまうのか」と、落ち着かない気持ちでいた。

 [第六段 小野山荘の風情]
 ここの主人も高貴な方であった。娘の尼君は、上達部の北の方であったが、その方がお亡くなりになって後、娘をただ一人大切にお世話して、立派な公達を婿に迎えて大切にしていたが、その娘が亡くなってしまったので、情けない、悲しい、と思いつめて、尼姿になって、このような山里に住み始めたのであった。
 「歳月とともに恋い慕っていた娘の形見にでも、せめて思いよそえられるような人を見つけたい」と、所在ない心細い思いで嘆いていたところ、このように、思いがけない人で、器量や感じも優っているような人を得たので、現実のこととも思われず、不思議な気がしながらも、嬉しいと思う。年は召しているが、とても美しそうで嗜みがあり、態度も上品である。
 昔の山里よりは、川の音も物やわらかである。家の造りは、風流な所の、木立も趣があり、前栽なども興趣あり、風流をし尽くしている。秋になって行くと、空の様子もしみじみとしている。門田の稲を刈ろうとして、その土地の者の真似をしては、若い女房たちが、民謡を謡いながらおもしろがっていた。引板を鳴らす音もおもしろく、かつて見た東国のことなども思い出されて。
 あの夕霧の御息所がおいでになった山里よりは、もう少し奥に入って、山の斜面に建ててある家なので、松の木蔭が鬱蒼として、風の音もまことに心細いので、することもなく勤行ばかりして、いつとなくひっそりとしている。

 [第七段 浮舟、手習して述懐]
 尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる。少将の尼君などという女房は、琵琶を弾いたりして遊ぶ。
 「このようなことはなさいますか。何もすることがないので」
 などと言う。昔も、賤しかった身の上で、のんびりと、「そのようなことをする境遇でもなかったので、少しも風流なところもなく成長したことよ」と、このように盛りを過ぎた人が、心を晴らしているような時々につけては、思い出すが、「何とも言いようのない身の上であった」と、自分ながら残念なので、手習いに、
 「涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを
  堰き止めて誰がわたしを救い上げたのでしょう」
 思いがけないことに情けないので、将来も不安で、疎ましいまでに思われる。
 月の明るい夜毎に、老人たちは優雅に和歌を詠み、昔を思い出しながら、いろいろな話などをするが、答えることもできないので、つくづくと物思いに沈んで、
 「わたしがこのように嫌なこの世に生きているとも
  誰が知ろうか、あの月が照らしている都の人で」
 今を最期と思い切ったときは、恋しい人が多かったが、その他の人びとはそれほども思い出されず、ただ、
 「母親がどんなにお嘆きになったろう。乳母が、いろいろと、何とか一人前にしようと一生懸命であったが、どんなにがっかりしたろう。どこにいるのだろう。わたしが、生きていようとはどうして知ろう」
 同じ気持ちの人もいなかったが、何事も隠すことなく相談し親しくしていた右近なども、時々は思い出される。

 [第八段 浮舟の日常生活]
 若い女で、このような山里に、もうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは、難しいことなので、ただひどく年をとった尼、七、八人が、いつも仕えていた人であった。その人たちの娘や孫のような者たちで、京で宮仕えするものや、結婚している者が、時々行き来するのであった。
 「このような人がいることにつけて、以前見た近辺に出入りして、自然と、生きていたとどちら様にも聞かれ申すことは、ひどく恥ずかしいことであろう。どのような様子でさすらっていていたのだろう」
 などと、想像されて並外れたみすぼらしい有様を思うにちがいないのを思うと、このような人びとに、少しも姿を見せない。ただ、侍従と、こもきといって、尼君が私的に使っている二人だけを、この御方に特別に言って分けておいたのだった。容貌も気立ても、昔見た都人に似た者はいない。何事につけても、「世の中で身を隠す所はここであろうか」と、一方では思われるのであった。
 こうしてばかり、人には知られまいと隠れていらっしゃるので、「ほんとうに厄介な理由のある人でいらっしゃるのだろう」と思って、詳しいことは、仕えている女房にも知らせない。

 

第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る

 [第一段 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問]
 尼君の亡き娘の婿の君で、今は中将におなりになっていたが、その弟の禅師の君は、僧都のお側にいらっしゃったが、その山籠もりなさっているのを尋ねるために、兄弟の公達がよく山に登るのであった。
 横川に通じる道のついでにかこつけて、中将がここにいらした。前駆が先払いして、身分高そうな男が入ってくるのを見出して、ひっそりとしていらしたあの方のご様子が、くっきりと思い出される。
 ここもまことに心細い住まいの所在なさであるが、住み馴れた人びとは、どことなくこぎれいに興趣深くして、垣根に植えた撫子が美しく、女郎花や、桔梗などが咲き初めたところに、色とりどりの狩衣姿の男どもの若い人が大勢して、君も同じ装束で、南面に迎えて座らせたので、あたりを眺めていた。年齢は二十七、八歳くらいで、すっかり立派になって、嗜みのなくはない態度が身についていた。
 尼君、襖障子口に几帳を立てて、お会いなさる。何より先に泣き出して、
 「何年にもなりますと、過ぎ去った当時がますます遠くなるばかりでございますが、山里の光栄としてやはりお待ち申し上げております気持ちが、忘れず続いておりますのが、一方では不思議に存じられます」
 とおっしゃると、
 「心の中ではしみじみと、過ぎ去った当時のことが、思い出されないことはないが、ひたすら俗世を離れたご生活なので、ついご遠慮申し上げまして。山籠もり生活も羨ましく、よく出かけてきますので、同じことならなどと、同行したがる人びとに、邪魔されるような恰好でおりました。今日は、すっかり断って参りました」
 とおっしゃる。
 「山籠もり生活のご羨望は、かえって当世風の物真似のようです。故人をお忘れにならないお気持ちも、世間の風潮にお染まりにならなかったと、一方ならず厚く存じられます折がたびたびです」
 などと言う。

 [第二段 浮舟の思い]
 供の人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などのような物を出したので、昵懇の所なので、そのようなことにも遠慮のいらない気がして、村雨が降り出したのに引き止められて、お話をひっそりとなさる。
 「亡くなってしまった娘のことよりも、この婿君のお気持ちなどが、実に申し分なかったので、他人と思うのが、とても悲しい。どうして、せめて子供だけでもお残しにならなかったのだろう」
 と、恋い偲ぶ気持ちなので、たまたまこのようにお越しになったのにつけても、珍しくしみじみと思われるような問わず語りもしてしまいそうである。
 姫君は、わたしはわたしと、思い出されることが多くて、外を眺めていらっしゃる様子、とても美しい。白い単衣で、とても風情もなくさっぱりとしたものに、袴も桧皮色に見倣ったのか、色艶も見えない黒いのをお着せ申していたので、「このようなことなども、昔と違って不思議なことだ」と思いながらも、ごわごわとした肌触りのよくないのを何枚も着重ねていらっしゃるのが、実に風情ある姿なのである。御前の女房たちも、
 「亡き姫君が生き返りなさった気ばかりがしますので、中将殿までを拝見すると、とても感慨無量です。同じことなら、昔のようにおいで願いたいものですね。とてもお似合いのご夫婦でしょう」
 と話し合っているのを、
 「まあ、大変な。生き残って、どのようなことがあっても、男性と結婚するようなことは。それにつけても昔のことが思い出されよう。そのようなことは、すっかり断ち切って忘れよう」と思う。

 [第三段 中将、浮舟を垣間見る]
 尼君が奥にお入りになる間に、客人は、雨の様子に困って、少将といった女房の声を聞き知って、呼び寄せなさった。
 「昔見た女房たちは、みなここにいられようか、と思いながらも、このようにやって参ることも難しくなってしまったのを、薄情なように、皆がお思いになりましょう」
 などとおっしゃる。親しくお世話してくれた女房なので、恋しかった当時のことが思い出される折に、
 「あの渡廊の端の所で、風が烈しかった騷ぎに、簾の隙間から、並々の器量ではなかった人で、打ち垂れ髪が見えたのは、出家なさった家に、いったい誰なのかと驚かされました」
 とおっしゃる。「姫君が立って出て行かれた後ろ姿を、御覧になったようだ」と思って、「これ以上に詳細に見せたら、きっとお心がお止まりになろう。故人は、とても格段に劣っていらっしゃったのさえ、今だに忘れがたく思っていらっしゃるようだから」と、独り決めにして、
 「亡くなったお方のことを忘れがたく、慰めかねていらっしゃるようだったころ、思いがけない女性をお手に入れ申されて、明け暮れの慰めにお思い申し上げていらっしゃったようですが、寛いでいらっしゃるご様子を、どうして御覧になったのでしょうか」
 と言う。「このようなことがあるものだ」と興味深くて、「どのような人なのだろう。なるほど、実に美しかった」と、ちらっと垣間見たのを、かえって思い出す。詳しく尋ねるが、すっかりとは答えず、
 「自然とお分かりになりましょう」
 とばかり言うので、急に詮索するのも、体裁の悪い気がして、
 「雨も止んだ。日も暮れそうだ」
 と言うのに促されて、お帰りになる。

 [第四段 中将、横川の僧都と語る]
 お庭先の女郎花を手折って、「どうしてここにいらっしゃるのだろう」と口ずさんで、独り言をいって立っていた。
 「人の噂を、さすがに気になさるとは」
 などと、古風な老人たちは、誉めあっていた。
 「とても美しげで、理想的にご成人なさったことよ。同じことなら、昔のようにお世話したいものだ」と思って、
 「藤中納言のお所には、今も通っていらっしゃるようだが、ご執心でもなく、親の邸にいらっしゃりがちだと言っているようだが」
 と、尼君もおっしゃって、
 「情けなく、よそよそしくしてばかりいらっしゃるのが、とてもつらい。今はもう、やはり、これも宿縁だとお思いになって、気を晴れやかになさってください。この五年、六年、束の間も忘れず、恋しく悲しいと思っていた娘のことも、こうしてお目にかかって後は、すっかり悲しみも忘れております。ご心配申し上げなさる方々がいらっしゃっても、今はもう亡くなったのだと、だんだんお諦めになりましょう。どのような事でも、その当座のようには、必ずしも思わないものです」
 と言うにつけても、ますます涙ぐんで、
 「よそよそしくお思い申し上げる気持ちは、ございませんが、不思議に生き返ったうちに、すべての事が夢のようにはっきり分からなくなりまして。違った世界に生まれた人は、このような気がするものだろうか、と思われておりますので、今は、知っている人がこの世に生きていようとも思い出されません。ひたすらに、慕わしく存じ上げております」
 とおっしゃる様子も、なるほど、無心でかわいらしく、にっこりとして見つめていらっしゃった。
 中将は、山にお着きになって、僧都も珍しく思って、世間の話をなさる。その夜は泊まって、声の尊い僧たちに読経などさせて、一晩中、管弦の遊びをなさる。禅師の君が、うちとけた話をした折に、
 「小野に立ち寄って、しみじみと感慨深いことがあったね。世を捨てているが、やはり、あれほど嗜みの深い方は、めったにいらっしゃらないものだ」
 などとおっしゃるついでに、
 「風が吹き上げた御簾の隙間から、髪がたいそう長く、美しそうな女性が見えた。人目につくと思ったのだろうか、立ってあちらに入って行く後ろ姿は、並の女性とは見えなかった。あのような所に、身分のある女性を住まわせておくべきではないでしょう。明け暮れ目にするものは法師だ。自然と見慣れてそれが普通と思われよう。不都合なことだ」
 とおっしゃる。禅師の君は、
 「この春、初瀬に参詣して、不思議にも発見した女性だ、と聞きました」
 と言って、見てないことなので、詳しくは言わない。
 「興味深い話だね。どのような人であろうか。世の中を厭って、そのような所に隠れていたのだろう。昔物語にあったような気がするね」
 とおっしゃる。

 [第五段 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る]
 翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」と言っていらっしゃった。しかるべき用意などしていたので、昔が思い出されるお世話の少将の尼なども、袖口の色は異なっているが、趣がある。ますます涙がちの目で、尼君はいらっしゃる。話のついでに、
 「こっそりと姿を隠していらっしゃるような方は、どなたですか」
 とお尋ねになる。厄介なことだが、ちらっと見つけたのを、隠しているようなのも変だと思って、
 「忘れかねまして、ますます罪深くばかり思われましたその慰めに、ここ数か月お世話している人です。どのような理由でか、とても悲しみの深い様子で、この世に生きていると誰からも知られることを、つらいことに思っておいでなので、このような山あいの奥深くまで誰がお尋ね求めよう、と思っておりましたが、どうしてお聞きつけあそばしたのですか」
 と答える。
 「一時の物好きな心があってやって来るのでさえ、山深い道の恨み言は申し上げましょう。まして、亡き姫君の代わりとお思いなさっていることでは、まったく関係ないこととお隔てになることでしょうか。どのようなことで、この世を厭いなさる人なのでしょうか。お慰め申し上げたい」
 などと、関心深そうにおっしゃる。
 お帰りになるに当たって、畳紙に、
 「浮気な風に靡くなよ、女郎花
  わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども」
 と書いて、少将の尼を介して入れた。尼君も御覧になって、
 「このお返事をお書きあそばせ。とても奥ゆかしいところのおありの方だから、不安なことはありますまい」
 と促すと、
 「ひどく醜い筆跡を、どうして」
 と言って、まったく承知なさらないので、
 「体裁の悪きことです」
 と言って、尼君が、
 「申し上げましたように、世間知らずで、普通の人とは違っておりますので。
  ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です
  嫌な世の中を逃れたこの草庵で」
 とある。「今回は、きっとそういうことだろう」と大目に見て帰った。

 [第六段 中将、三度山荘を訪問]
 手紙などをわざわざやるのは、何といっても不慣れな感じで、ちらっと見た様子は忘れず、何を悩んでいるのか知らないが、心を惹かれるので、八月十日過ぎに、小鷹狩のついでにいらっしゃった。いつものように、尼を呼び出して、
 「先日ちらっと見てから、心が落ち着かなくて」
 とおっしゃった。お答えなさるはずもないので、尼君は、
 「待乳の山の、誰か他に思う人がいるように拝します」
 と中から言い出させなさる。お会いなさっても、
 「お気の毒な様子でいらっしゃると伺いました方のお身の上が、もっと詳しく知りたく存じます。何事も思った通りにならない気ばかりがしますので、出家生活をしたい考えはありながら、お許しなさるはずのない方々に妨げられて過ごしております。いかにも屈託なげな今の妻のことは、このように沈みがちな身の上のせいか、似合わないのです。悩んでいらっしゃるらしい方に、思っている気持ちを申し上げたい」
 などと、とてもご執心なさってようにお話なさる。
 「もの思わしげな方をとのご希望は、いろいろお話し合いなさるに、不似合いではないように見えますが、普通の人のようにはありたくないと、実に嫌に思われるくらい世の中を厭っていらっしゃるようなので。残り少ない寿命のわたしでさえ、今を最後と出家します時には、とても何となく心細く思われましたものを。将来の長い盛りの時では、最後まで出家生活を送れるかどうかと、心配でおります」
 と、親ぶって言う。奥に入って行っても、
 「思いやりのないこと。やはり、少しでもお返事申し上げなさい。このようなお暮らしは、ちょっとしたつまらないことでも、人の気持ちを汲むのは世間の常識というものです」
 などと、なだめすかして言うが、
 「人にものを申し上げるすべも知らず、何事もお話にならないわたしで」
 と、とてもそっけなく臥せっていらっしゃった。
 客人は、
 「どうでしたか。何と、情けない。秋になったらとお約束したのは、おだましになったのですね」
 などと、恨みながら、
 「松虫の声を尋ねて来ましたが
  再び萩原の露に迷ってしまいました」
 「まあ、お気の毒な。せめてこのお返事だけでも」
 などと責めると、そのような色恋めいた事に返事するのもたいそう嫌で、また一方、いったん返歌をしては、このような折々に責められるのも、厄介に思われるので、返歌をさえなさらないので、あまりにいいようもなく思い合っていた。尼君は、出家前は当世風の方であった気が残っているのであろう。
 「秋の野原の露を分けて来たため濡れた狩衣は
  葎の茂ったわが宿のせいになさいますな
 と、わずらわしがり申していらっしゃるようです」
 と言うのを、簾中でも、やはり「このように思いの外にこの世に生きていると知られ出したのを、とてもつらい」とお思いになる心中を知らないで、男君のことをも尽きせず思い出しては、恋い慕っている人びとなので、
 「このような、ちょっとした機会にも、お話し合い申し上げなさるのも、お気持ちにそむいて、油断ならないことはなさらない方ですから。世間並の色恋とお思いなさらなくても、人情のわかる程度に、お返事を申し上げなさいませ」
 などと、引き動かさんばかりに言う。

 [第七段 尼君、中将を引き留める]
 そうはいっても、このような古風な気質とは不似合いに、当世風に気取っては、下手な歌を詠みたがって、はしゃいでいる様子は、とても不安に思われる。
 「この上なく嫌な身の上であった、と見極めた命までが、あきれるくらい長くて、どのようなふうにさまよって行くのだろう。ひたすら亡くなった者として誰からもすっかり忘れられて終わりたい」
 と思って臥せっていらっしゃるのに、中将は、およそ何か物思いの種があるのだろうか。とてもひどく嘆き、ひっそりと笛を吹き鳴らして、
 「鹿の鳴く声に」
 などと独り言をいう感じは、ほんとうに弁えのない人ではなさそうである。
 「過ぎ去った昔が思い出されるにつけても、かえって心尽くしに、今初めて慕わしいと思ってくれるはずの人も、またいそうもないので、つらいことのない山奥とは思うことができません」
 と、恨めしそうにしてお帰りになろうとする時に、尼君が、
 「どうして、せっかくの素晴らしい夜を御覧になりませぬ」
 と言って、膝行して出ていらっしゃった。
 「いえ。あちらのお気持ちも、分かりましたので」
 と軽く言って、「あまり好色めいて振る舞うのも、やはり不都合だ。ほんのちらっと見えた姿が、目にとまったほどで、所在ない心の慰めに思い出したが、あまりによそよそしくて、奥ゆかしい感じ過ぎるのも場所柄にも似合わず興醒めな感じがする」と思ので、帰ろうとするのを、笛の音まで物足りなく、ますます思われて、
 「夜更けの月をしみじみと御覧にならない方が
  山の端に近いこの宿にお泊まりになりませんか」
 と、どこか整わない歌を、
 「このように、申し上げていらっしゃいます」
 と言うと、心をときめかして、
 「山の端に隠れるまで月を眺ましょう
  その効あってお目にかかれようかと」
 などと言っていると、この大尼君、笛の音をかすかに聞きつけたので、老齢ではいてもやはり心惹かれて出て来た。
 話のあちこちで咳をし、呆れるほどの震え声で、かえって昔のことなどは口にしない。誰であるかも分からないのであろう。
 「さあ、その琴の琴をお弾きなさい。横笛は、月にはとても趣深いものです。どこですか、そなたたち。琴を持って参れ」
 と言うので、母尼君らしい、と推察して聞くが、「どのような所に、このような老人が、どうして籠もっているのだろう。無常の世だ」と、このことにつけても感慨無量である。盤渉調をたいそう趣深く吹いて、
 「どうですか。さあ」
 とおっしゃる。
 娘尼君は、この方も相当な風流人なので、
 「昔聞きましたときよりも、この上なく素晴らしく思われますのは、山風ばかりを聞き馴れていました耳のせいでしょうか」と言って、「それでは、わたしのはでたらめになっていましょう」
 と言いながら弾く。当世風では、ほとんど普通の人は、今は好まなくなって行くものなので、かえって珍しくしみじみと聞こえる。松風も実によく調和する。吹き合わせた笛の音に、月も調子を合わせて澄んでいる気がするので、ますます興趣が乗って、眠気も催さず、起きていた。

 [第八段 母尼君、琴を弾く]
 「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが、今の世では、変わったのでしょうか。息子の僧都が『聞きにくい。念仏以外のつまらないことはするな』と叱られましたので、それならと、もう弾かないのでございます。それにしても、とてもよい響きの琴もございます」
 と言い続けて、とても弾きたく思っているので、たいそうこっそりとほほ笑んで、
 「まことに変なことをお制止申し上げなさった僧都ですね。極楽という所には、菩薩なども皆このようなことをして、天人なども舞い遊ぶのが尊いものだと言います。勤行を怠り、罪を得ることだろうか。今夜はお聞き致したい」
 とお世辞を言うと、「とても嬉しい」と思って、
 「さあ、主殿の君さん、東琴を取って」
 と言うにも、咳は止まらない。女房たちは、見苦しいと思うが、僧都をまで、憎らしく不平を言って聞かせるので、お気の毒なのでそのままにしていた。東琴を取り寄せて、今の笛の調子もおかまいなしに、ただ自分勝手に弾いて、東の調子を爪弾きさわやかに調べる。他の楽器の演奏をみな止めてしまったので、「これにばかり聞きほれているのだ」と思って、
 「たけふ、ちちりちちり、たりたんな」
 などと、撥を掻き返し、さっそうと弾いている、その言葉などは、やたらと古めかしい。
 「実に素晴らしく、今の世には聞かれぬ歌を、お弾きになりました」
 と褒めると、耳も遠くなっているので、側にいる女房に尋ね聞いて、
 「今風の若い人は、このようなことをお好きでないね。ここに何か月もいらっしゃる姫君は、容貌はとても美しくいらっしゃるようだが、もっぱら、このようなつまらない遊びはなさらず、引き籠もっていらっしゃるようです」
 と、得意顔に大声で笑って話すのを、尼君などは、聞き苦しいとお思いである。

 [第九段 翌朝、中将から和歌が贈られる]
 これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も、山下ろしが吹いて、聞こえて来る笛の音も、とても素晴らしく聞こえて、起き明かしていた翌朝、
 「昨夜は、あれこれと心が乱れましたので、急いで帰りました。
  忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ
  声を立てて泣いてしまいました
 やはり、もう少し気持ちをご理解いただけるよう説得申し上げてください。堪えきれるものでしたら、好色がましい態度にまで、どうして出ましょうか」
 とあるので、ますます困っている尼君は、涙を止めがたい様子で、お書きになる。
 「笛の音に昔のことも偲ばれまして
  お帰りになった後も袖が濡れました
 不思議なことに、人の情けも知らないのではないか、と見えました様子は、年寄の問わず語りで、お聞きあそばしたでしょう」
 とある。珍しくもない見栄えのしない気がして、つい読み捨てたことであろう。
 荻の葉に秋風が訪れるのに負けないくらい頻繁に便りがあるのが、「とても煩わしいことよ。男の心はむてっぽうなものだ」と分かった時々のことも、だんだん思い出すにつれて、
 「やはり、このような方面のことは、相手にも諦めさせるように、早くしてくださいませ」
 と言って、お経を習って読んでいらっしゃる。心中でも祈っていらっしゃった。このように何かにつけて世の中を捨てているので、「若い女だといっても華やかなところも特になく、陰気な性格なのだろう」と思う。器量が見飽きず、かわいらしいので、他の欠点はすべて大目に見て、明け暮れの心の慰めにしていた。少しにっこりなさるときには、めったになく素晴らしい方だと思っていた。

 

第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す

 [第一段 九月、尼君、再度初瀬に詣でる]
 九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する。長年とても心細い身の上で、恋しい娘の身の上も諦めきれなかったが、このように他人とも思われない女性を心の慰めに得たので、観音のご霊験が嬉しいと、お礼参りのような具合で、参詣なさるのであった。
 「さあ、ご一緒に。誰に知られたりするものですか。同じ仏様ですが、あのような所で勤行するのが、霊験あらたかで、良いことが多いのです」
 と言って促すが、「昔、母君や、乳母などが、このように言って聞かせては、たびたび参詣させたが、何にもその効がなかったようだ。死のうと思ったことも思う通りにならず、又とないひどい目を見るとは」と、ひどく厭わしい心中にも、「知らない人と一緒に、そのような遠出をするとは」と、何となく恐ろしく思う。
 強情なふうにはあえて言わないで、
 「気分がとてもすぐれませんので、そのような遠出もどんなものかしらなどと、気がひけまして」
 とおっしゃる。「恐がる気持ちは、きっとそうなさるにちがいない方だ」と思って、無理にも誘わない。
 「はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身は
  あの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある」
 と手習いに混じっているのを、尼君が見つけて、
 「二本とは、再びお会い申したいと思っていらっしゃる方がいるのでしょう」
 と、冗談に言い当てたので、胸がどきりとして、顔を赤くなさったのも、とても魅力的でかわいらしげである。
 「あなたの昔の人のことは存じませんが
  わたしはあなたを亡くなった娘と思っております」
 格別すぐれたのでもない返歌をすばやく言う。人目を忍んで、と言うが、皆がお供したがって、こちらが人少なにおなりになることを気の毒がって、気の利いた少将の尼と左衛門という大人の女房と、童女だけを残したのであった。

 [第二段 浮舟、少将の尼と碁を打つ]
 皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを思いながらも、「今さらどうしようもない」と、「頼りに思う人が一人もいらっしゃらないのは、心細いことだわ」と、とても所在ないところに、中将からのお手紙がある。
 「御覧ください」と言うが、聞き入れなさらない。いっそう女房も少なくて、何もするこなく過去や将来を考え沈み込んでいらっしゃる。
 「つらいほど物思いに沈んでいらっしゃること。御碁をお打ちなさい」
 と言う。
 「とても下手でした」
 とはおっしゃるが、打とうとお思いになったので、碁盤を取りにやって、自分こそはと思って先手をお打たせ申したが、たいそう強いので、また先手後手を変えて打つ。
 「尼上が早くお帰りあそばしたらよいに。この御碁をお見せ申し上げよう。あの方の御碁は、とても強かったわ。僧都の君は、若い時からたいそうお好みになって、まんざらではないとお思いになっていたが、ほんと碁聖大徳気取りで、『出しゃばって打つ気はないが、あなたの御碁にはお負けしませんでしょうね』と申し上げなさったが、とうとう僧都が二敗なさった。碁聖の碁よりもお強くいらっしゃるようです。まあ、強い」
 とおもしろがるので、盛りを過ぎた尼額が見苦しいのに、遊びに熱中するので、「厄介なことに手を出してしまったわ」と思って、「気分が悪い」と言って横におなりになった。
 「時々は、気分が晴々するようにお振る舞いなさいませ。あたら若いお身を。ひどく沈んでおいであそばすのは残念で、玉の瑕のような気がいたします」
 と言う。夕暮の風の音もしみじみとして、思い出すことが多くて、
 「わたしには秋の情趣も分からないが
  物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる」

 [第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む]
 月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将がおいでになった。「まあ、嫌な。これは、どうしたことか」と思われなさって、奥深いところにお入りになるのを、
 「そうなさるとは、あまりのお振る舞いでいらっしゃいますわ。ご厚志も、ひとしお身にしむときでございましょう。ちらっとでも申し上げなさるお言葉をお聞きなさいませ。それだけでも深い仲になったようにお思いあそばしているとは」
 などと言うので、とても不安に思われる。いらっしゃらない旨を言うが、昼の使者が、一人残っていると尋ね聞いたのであろう、とても長々と恨み言をいって、
 「お声も聞かなくて結構です。ただ、お側近くで申し上げることを、聞きにくいとも何なりとも、どうぞご判断くださいませ」
 と、あれこれ言いあぐねて、
 「まことに情けない。場所に応じてこそ、物のあわれもまさるものです。これではあんまりです」
 などと、非難しながら、
 「山里の秋の夜更けの情趣を
  物思いなさる方はご存知でしょう
 自然とお心も通じ合いましょうに」
 などと言うので、
 「尼君がいらっしゃらないので、うまく取り繕い申し上げる者もいません。とても世間知らずのようでしょう」
 と責めるので、
 「情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを
  物思う人だと他人が分かるのですね」
 特に返歌というのでもないのを、聞いてお伝え申し上げると、とても感激して、
 「もっと、もう少しだけでもお出でください、とお勧め申せ」
 と、この女房たちを困り果てるまで恨み言をおっしゃる。
 「変なまでに、冷淡にお見えになることです」
 と言って、奥に入って見ると、いつもは少しもお入りにならない老人のお部屋にお入りになっていたのであった。驚きあきれて、「これこれです」と申し上げると、
 「このような所で物思いに耽っていらっしゃる方のご心中がお気の毒で、世間一般の様子などにつけても情けの分からない方ではないはずなのに、まるで情けを分からない人よりも、冷淡なおあしらいなさるようです。それも何かひどい経験をなさってのことだろうか。やはり、どのようなことで世の中を厭って、いつまでここにいらっしゃる予定の方ですか」
 などと、様子を尋ねて、たいそう知りたげにお思いになっているが、詳細なことはどうして申し上げられよう。ただ、
 「お世話申し上げなさらねばならない方で、長年、疎遠な関係で過していらっしゃったのを、互いに初瀬に参詣なさって、お探し申し上げなさったのです」
 と言う。

 [第四段 老尼君たちのいびき]
 姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に横になって、眠ることもできない。夕方から眠くなるのは、何とも言えないほど大きな鼾をしいしい、その前にも、似たような老尼どもが二人横になっていて、負けじ劣らじと鼾をかき合っていた。たいそう恐ろしく、「今夜、この人たちに喰われてしまうのではないか」と思うのも、惜しい身の上ではないが、いつもの心弱さは、一本橋を危ながって引き返したという者のように、心細く思われる。
 こもきを、供に連れて行かれたが、色気づく年頃で、このめずらしい男性が優雅に振る舞っていらっしゃる方に帰って行ってしまった。「今戻って来ようか、今戻って来ようか」と待っていらしたが、まことに頼りないお付であるよ。中将は、言いあぐねて帰ってしまったので、
 「まことに情けなく、引き籠もっていらっしゃること。あたら惜しいご器量を」
 などと悪口を言って、一同一緒に寝た。
 「夜半になったか」と思うころに、尼君が咳こんで寝惚けて起き出した。灯火の光で、頭の具合はまっ白い上に、黒いものを被って、この君が横になっているのを、変に思って、鼬とかいうものが、そのようなことをする、額に手を当てて、
 「おや。これは、誰ですか」
 と、しつこそうな声で見やっているのが、その上、「今すぐにでも取って喰ってしまおうとする」かのように思われる。鬼が取って連れて来た時は、何も考えられなかったので、かえって安心であった。「どうするのだろう」と思われる不気味さにも、「みじめな姿で生き返り、人並に戻って、再び以前のいろいろな嫌なことに悩み、厭わしいとか恐ろしいとか、物思いすることよ。死んでしまっていたら、これよりも恐ろしそうなものの中にいたことだろうか」と想像される。

 [第五段 浮舟、悲運のわが身を思う]
 昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも思い続けていると、
 「とても情けなく、父親と申し上げた方のお顔も拝し上げず、遥か遠い東国で代わる代わる年月を過ごして、たまたま探し求めて、嬉しく頼もしくお思い申し上げた姉君のお側を、不本意のままに縁が切れてしまい、しかるべき方面にとお考えくださった方によって、だんだんと身の不運から抜け出そうとした矢先に、驚きあきれたように身を過ったのを考えて行くと、宮を、わずかにいとしいとお思い申し上げた心が、まことに良くないことであった。ただ、あの方に巡り合った御縁で流れ流れて来たのだ」
 と思うと、「橘の小島の色を例にお誓いなさったのを、どうしてすてきだと思ったのだろう」と、すっかり熱もさめたような気がする。初めから、深い愛情ではなかったがゆったりとした方のことは、この折あの折になどと、思い出すことは比べものにならなかった。「こうして生きていたのだ」と、お耳にされ申すときの恥ずかしさは、誰よりも一番であろう。何といっても、「この世では、以前のご様子を他人ながらでもいつかは見ようと、ふと思うのは、やはり、悪い考えだ。それさえ思うまい」などと、自分独りで思い直す。
 やっとのことで鶏が鳴くのを聞いて、とても嬉しい。「母親のお声を聞いた時には、それ以上にどんな気がするだろう」と思って夜を明かして、気分もとても悪い。付人としてあちらに行くはずの人もすぐには来ないので、依然として臥せっていらっしゃると、鼾の老婆は、たいそう早く起きて、粥など見向きもしたくない食事を大騒ぎして、
 「あなたも、早くお召し上がれ」
 などと寄って来て言うが、給仕役もまこと気に入らず、嫌な見知らない気がするので、
 「気分が悪いので」
 と、さりげなく断りなさるのを、無理に勧めるのもとても気がきかない。

 [第六段 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る]
 身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て、
 「僧都が、今日下山あそばしますでしょう」
 「どうして急に」
 と尋ねるようなので、
 「一品の宮が、御物の怪にお悩みあそばしたのを、山の座主が、御修法をして差し上げなさったが、やはり、僧都が参上なさらなくては効験がないといって、昨日、二度お召しがございました。右大臣殿の四位少将が、昨夜、夜が更けて登山あそばして、后宮のお手紙などがございましたので、下山あそばすのです」
 などと、とても得意になって言う。「恥ずかしくても、お目にかかって、尼にしてください、と言おう。口出しする人も少なくて、ちょうどよい機会だ」と思うと、起きて、
 「気分が悪くばかりいますので、僧都が下山あそばしますときに、受戒をしていただこうと思っておりますが、そのように申し上げてください」
 と相談なさると、惚けた感じで、ちょっとうなずく。
 いつもの部屋のいらして、髪は尼君だけがお梳きになるのを、他人に手を触れさせるのも嫌に思われるが、自分自身では、できないことなので、ただわずかに梳きおろして、母親にもう一度こうした姿をお見せすることがなくなってしまうのは、自分から望んだこととはいえ、とても悲しい。ひどく病んだせいだろうか、髪も少し抜けて細くなってしまった感じがするが、それほども衰えていず、たいそう多くて、六尺ほどある末などは、とても美しかった。髪の毛などもたいそうこまやかで美しそうである。
 「こうなれと思って髪の世話はしなかったろうに」
 と、独り言をおっしゃっていた。
 暮れ方に、僧都がおいでになった。南面を片づけ準備して、丸い頭の恰好が、あちこち行ったり来たりしてがやがやしているのも、いつもと違って、とても恐ろしい気がする。母尼のお側に参上なさって、
 「いかがですか、このごろは」
 などと言う。
 「東の御方は物詣でをなさったとか。ここにいらっしゃった方は、今でもおいでになりますか」
 などとお尋ねになる。
 「ええ。ここに残っています。気分が悪いとおっしゃって、受戒をお授かり申したい、とおっしゃいました」
 と話す。

 [第七段 浮舟、僧都に出家を懇願]
 立ってこちらにいらして、「ここに、いらっしゃいますか」と言って、几帳の側にお座りになると、遠慮されるが、膝行して近寄って、お返事をなさる。
 「思いもよらずお目にかかったのも、こうなるはずの前世からの宿縁があったのだ、と存じられまして。御祈祷なども、親身にお仕えいたしましたが、法師は、特別の用件もなく、お手紙を差し上げたり頂戴したりするのは不都合なので、自然と御無沙汰が続いてしまいました。実に見苦しい様子で、出家をなさっている方のお側に、どのようにしておいででしたか」
 とおっしゃる。
 「この世に生きていまいと決心いたしました身が、とても不思議にも今日まで生きておりましたが、つらいと思います一方で、あれこれとお世話いただいたご厚志を、何とも申し上げようもないわが身ながら、深く存じられますが、やはり、世間並のようには生きて行けず、とうとうこの世になじめそうになく存じられますので、尼にしてくださいませ。この世に生きていましても、普通の人のように長生きできない身の上です」
 と申し上げなさる。
 「まだ、たいそう将来の長いお年なのに、どうして一途にそのように、ご決心なさったのですか。かえって罪を作ることになります。思い立って、決心なさった時は強くお思いになっても、年月がたつと、女のお身の上というものは、まことに不都合なものなのです」
 とおっしゃるので、
 「子供の時から、物思いばかりをしているような状態で、母親なども、尼にして育てようか、などと思いおっしゃいました。ましてや、少し物心がつきまして後は、普通の人と違って、せめて来世だけでも、と思う考えが深かったが、死ぬ時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がとても心細くばかりなりましたが、やはり、どうか出家を」
 と、泣きながらおっしゃる。

 [第八段 浮舟、出家す]
 「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を厭わしく思い始めなさったのだろうか。物の怪もそのように言っていたようだが」と思い合わせると、「何か深い事情があるのだろう。今までも生きているはずもなかった人なのだ。悪霊が目をつけ始めたので、とても恐ろしく危険なことだ」とお思いになって、
 「ともあれ、かくもあれ、ご決心しておっしゃるのを、三宝がたいそう尊くお誉めになることだ。法師の身として反対申し上げるべきことでない。御受戒は、実にたやすくお授けいたしましょうが、急ぎの用事で下山したので、今夜は、あちらの宮に参上しなければなりません。明日から、御修法が始まる予定です。その七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」
 とおっしゃると、「あの尼君がおいでになったら、きっと反対するだろう」と、とても残念なので、
 「あの気分が悪かったときと同じようで、ひどく悪うございますので、重くなったら、受戒を授かってもその効がなくなりましょう。やはり、今日は嬉しい機会だと存じられます」
 と言って、ひどくお泣きになるので、聖心にもたいそう気の毒に思って、
 「夜が更けてしまいましょう。下山しますことは、昔は何とも存じませんでしたが、年をとるにつれて、つらく思われましたので、ひと休みして内裏へは参上しよう、と思いましたが、そのようにお急ぎになることならば、今日お授けいたしましょう」
 とおっしゃるので、とても嬉しくなった。
 鋏を取って、櫛の箱の蓋を差し出すと、
 「どこですか、大徳たち。こちらへ」
 と呼ぶ。最初にお見つけ申した二人がそのままお供していたので、呼び入れて、
 「お髪を下ろし申せ」
 と言う。なるほど、あの大変であった方のご様子なので、「普通の人としては、この世に生きていらっしゃるのも嫌なことなのであろう」と、この阿闍梨も道理と思うので、几帳の帷子の隙間から、お髪を掻き出しなさったのが、たいそう惜しく美しいので、しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇するのであった。

 

第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語

 [第一段 少将の尼、浮舟の出家に気も動転]
 このような間に、少将の尼は、兄の阿闍梨が来ていたのと会って、下の方にいた。左衛門は、自分の知り合いに応対するということで、このような所ではと、みなそれぞれに、好意をもっている人たちが久しぶりにやって来たので、簡単なもてなしをし、あれこれ気を配っていたりしたところに、こもきただ一人が、「これこれです」と少将の尼に知らせたので、驚いて来て見ると、ご自分の法衣や、袈裟などを、形式ばかりとお着せ申して、
 「親のいられる方角をお拝み申し上げなされ」
 と言うと、どの方角とも分からないので、堪えきれなくなって、泣いてしまわれなさった。
 「まあ、何と情けない。どうして、このような早まったことをあそばしたのですか。尼上が、お帰りあそばしたら、何とおっしゃることでしょう」
 と言うが、これほど進んでしまったところで、とかく言って迷わせるのもよくないと思って、僧都が制止なさるので、近寄って妨げることもできない。
 「流転三界中」
 などと言うのにも、「既に断ち切ったものを」と思い出すのも、さすがに悲しいのであった。お髪も削ぎかねて、
 「ゆっくりと、尼君たちに、直していただきなさい」
 と言う。額髪は僧都がお削ぎになる。
 「このようなご器量を剃髪なさって、後悔なさるなよ」
 などと、有り難いお言葉を説いて聞かせなさる。「すぐにも許していただけそうもなく、皆が言い利かせていらしたことを、嬉しいことに果たしたこと」と、このことだけを生きている甲斐があったように思われなさるのであった。

 [第二段 浮舟、手習に心を託す]
 僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは、
 「心細いご生活も、もうしばらくの間のことだ。すぐにとても素晴らしい良縁がおありになろう、と期待申していたお身の上を、このようになさって、生い先長いご将来を、どのようになさろうとするのだろうか。老いて弱った人でさえ、今は最期と思われて、とても悲しい気がするものでございます」
 と言って聞かせるが、「やはり、ただ今は、気が楽になって嬉しい。この世に生きて行かねばならないと、考えずにすむようになったことは、とても結構なことだ」と、胸がほっとした気がなさるのであった。
 翌朝は、何といっても人の認めない出家なので、尼姿を見せるのもとても恥ずかしく、髪の裾が、急にばらばらになったように、しかもだらしなく削がれているのを、「うるさいことを言わないで、繕ってくれる人がいたら」と、何事につけても、気がねされて、あたりをわざと暗くしていらっしゃる。思っていることを人に詳しく説明するようなことは、もともと上手でない身なのに、まして親しく事の経緯を説明するにふさわしい人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時は、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになる。
 「死のうとわが身をも人をも思いながら
  捨てた世をさらにまた捨てたのだ
 今は、こうしてすべてを終わりにしたのだ」
 と書いても、やはり、自然としみじみと御覧になる。
 「最期と思い決めた世の中を
  繰り返し背くことになったわ」

 [第三段 中将からの和歌に返歌す]
 同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに、中将からのお手紙がある。何かと騒がしくあきれて動転しているときなので、「これこれしかじかの事でした」などと返事したのだった。たいそうがっかりして、
 「このような考えが深くあった人だったので、ちょっとした返事も出すまいと、思い離れていたのだなあ。それにしてもがっかりしたなあ。たいそう美しく見えた髪を、はっきりと見せてくださいと、先夜も頼んだところ、適当な機会に、と言っていたものを」
 と、たいそう残念で、すぐ折り返して、
 「何とも申し上げようのない気持ちは、
  岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟に
  わたしも乗り後れまいと急がれる気がします」
 いつもと違って取って御覧になる。何となくしみじみとした時に、これで終わりと思うのも感慨深いが、どのようにお思いなさったのだろう、とても粗末な紙の端に、
 「心は厭わしい世の中を離れたが
  その行く方もわからず漂っている海人の浮木です」
 と、いつもの、手習いなさっていたのを、包んで差し上げる。
 「せめて書き写して」
 とおっしゃるが、
 「かえって書き損じましょう」
 と言って送った。珍しいにつけても、何とも言いようなく悲しく思われるのだった。
 物詣での人はお帰りになって、悲しみ驚きなさること、この上ない。
 「このような尼の身としては、お勧め申すのこそが本来だ、と思っていますが、将来の長いお身の上を、どのようにお過ごしなさるのでしょうか。わたしが、この世に生きておりますことは、今日、明日とも分からないのに、何とか安心してお残し申してゆこうと、いろいろと考えまして、仏様にもお祈り申し上げておりましたのに」
 と、泣き臥し倒れながら、ひどく悲しげに思っていらっしゃるので、実の母親が、あのまま亡骸さえないものよと、お嘆き悲しみなさったろうことが推量されるのが、まっさきにとても悲しかった。いつものように、返事もしないで背を向けていらっしゃる様子、とても若々しくかわいらしいので、「とても頼りなくいらっしゃるお心だこと」と、泣きながら御法衣のことなど準備なさる。
 鈍色の法衣は手馴れたことなので、小袿や、袈裟などを仕立てた。仕えている女房たちも、このような色を縫ってお着せ申し上げるにつけても、「まことに思いがけず、嬉しい山里の光明だと、明け暮れ拝しておりましたものを、残念なことだわ」
 と惜しがりながら、僧都を恨み非難するのであった。

 [第四段 僧都、女一宮に伺候]
 一品の宮のご病気は、なるほど、あの弟子が言っていたとおりに、はっきりした効験があって、ご平癒あそばしたので、ますますまことに尊い方だと大騒ぎする。病後も油断ならないとして、御修法を延長させなさったので、すぐにも帰山することができず伺候なさっていたが、雨などが降って、ひっそりとした夜、お召しがあって、夜居に伺候させなさる。
 何日もの看病に疲れた女房は、みな休みをとって、御前には人少なで、近くに起きている女房も少ないときに、一品の宮と同じ御帳台においであそばして、
 「昔からご信頼申し上げていらっしゃる中でも、今度のことでは、ますます来世もこのように救ってくれるものと、頼もしさが一段と増しました」
 などと仰せになる。
 「この世に長く生きていられそうにないように、仏もお諭しになっていることどもがございます中で、今年、来年は、過ごしがたいようでございますので、仏を一心にお祈り申しっましょうと思って、深く籠もっておりましたが、このような仰せ言で、下山して参りました」
 などと申し上げなさる。

 [第五段 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る]
 御物の怪の執念深いことや、いろいろと正体を明かすのが恐ろしいことなどをおっしゃるついでに、
 「まことに不思議な、珍しいことを拝見しました。この三月に、年老いております母が、願があって初瀬に参詣しましたが、その帰りの休憩所に、宇治院といいます所に泊まりましたが、あのように、人が住まなくなって何年もたった大きな邸は、けしからぬものが必ず通い住んで、重病の者にとっては不都合なことが、と存じておりましたのも、そのとおりで」
 と言って、あの見つけた女のことなどをお話し申し上げなさる。
 「なるほど、まことに珍しいこと」
 と言って、近くに伺候する女房たちがみな眠っているので、恐ろしくお思いになって、お起こしあそばす。大将が親しくなさっている宰相の君がおりしも、このことを聞いたのであった。目を覚まさせた女房たちは、何の関心も示さない。僧都は、恐がっておいであそばすご様子なので、「つまらないことを申し上げてしまった」と思って、詳しくその時のことを申し上げることは言い止めた。
 「その女人は、今度下山しました機会に、小野におります僧尼たちを訪ねようと思って、立ち寄ったところ、泣く泣く出家の念願の強い旨を、熱心に頼まれましたので、髪を下ろしてやりました。
 わたしの妹は、故衛門督の妻でございました尼で、亡くなった娘の代わりにと、思って喜びまして、随分大切にお世話しましたが、このように出家してしまったので、恨んでいるのでございます。なるほど、器量はまことによく整って美しくて、勤行のため身をやつすのもお気の毒でございました。どのような人であったのでしょうか」
 と、よくしゃべる僧都なので、話し続けて申し上げなさるので、
 「どうして、そのような所に、身分のある人を連れて行ったのでしょうか。いくら何でも、今では素性は知られたでしょう」
 などと、この宰相の君が尋ねる。
 「分かりません。でもそのように、ひそかに打ち明けているかも知れません。ほんとうに高貴な方ならば、どうして、分からないままでいましょうか。田舎者の娘も、そのような恰好をした者はございましょう。龍の中から、仏がお生まれにならないことがございましょうか。普通の人としては、まことに前世の罪障が軽いと思われる人でございました」
 などと申し上げなさる。
 そのころ、あの近辺で消えていなくなった人をお思い出しになる。この御前に伺候する女房も、姉君の伝聞で、不思議に亡くなった人とは聞いていたので、「その人であろうか」とは思ったが、はっきりしないことである。僧都も、
 「あの人は、この世に生きていると知られまいと、よからぬ敵のような人でもいるようにほのめかして、こっそり隠れておりますのを、事の様子が異常なので、申し上げたのです」
 と、何か隠している様子なので、誰にも話さない。中宮は、
 「その人であろうか。大将に聞かせたい」
 と、この人におっしゃったが、どちらの方も隠しておきたいはずのことを、確かにそうとも分からないうちに、気恥ずかしい方に、話し出すのも気がひけて思われなさって、そのままになった。

 [第六段 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る]
 姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山なさった。あちらにお寄りになると、ひどく恨んで、
 「かえって、このようなお姿になっては、罪障を受くることになりましょうに、ご相談もなさらずじまいだったとは、何ともおかしなこと」
 などとおっしゃるが、どうにもならない。
 「今はもう、ひたすらお勤めをなさいませ。老人も、若い人も、生死は無常の世です。はかないこの世とお悟りになっているのも、ごもっともなお身の上ですから」
 とおっしゃるにつけても、たいそう恥ずかしく思われるのであった。
 「御法服を新しくなさい」
 と言って、綾、羅、絹などという物を、差し上げ置きなさる。
 「拙僧が生きております間は、お世話いたしましょう。何をご心配なさることがありましょう。この世に生まれ来て、俗世の栄華を願い執着している限りは、不自由で世を捨てがたく、誰も彼もお思いのことのようです。このような林の中でお勤めなさる身の上は、何事に不満を抱いたり引けめを感じることがありましょうか。人の寿命は、葉の薄いようなものです」
 と説教して、
 「松の門に暁となって月が徘徊す」
 と、法師であるが、たいそう風流で気恥ずかしい態度におっしゃることどもを、「期待していたとおりにおっしゃってくださることだ」と聞いていた。

 [第七段 中将、小野山荘に来訪]
 今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに、お立ち寄りになった僧都も、
 「ああ、山伏は、このような日には、声を出して泣けるということだ」
 と言うのを聞いて、「わたしも今では山伏と同じである。もっともなことで涙が止まらないのだ」と思いながら、端の方に立ち出て見ると、遥か遠く軒端から、狩衣姿が色とりどりに混じって見える。山へ登って行く人だといっても、こちらの道は、行き来する人もたまにしかいないのである。黒谷とかいう方面から歩いて来る法師の道だけが、まれには見られるが、俗世の人の姿を見つけたのは、場違いに珍しいが、あの恨みあぐねていた中将なのであった。
 今さら言ってもはじまらないことを言おうと思ってやって来たのだが、紅葉がたいそう美しく、他の紅葉よりいっそう色染めているのが色鮮やかなので、入って来るなり感慨深いのであった。「ここに、とても屈託なさそうな人を見つけたら、奇妙な気がするだろう」などと思って、
 「暇があって、何もすることのない気がしましたので、紅葉もどのようなものかしらと存じまして。やはり、昔に返って泊まって行きたい紅葉の木の下ですね」
 と言って、外を見やっていらっしゃる。尼君が、例によって、涙もろくて、
 「木枯らしが吹いた山の麓では
  もう姿を隠す場所さえありません」
 とおっしゃると、
 「待っている人もいないと思う山里の
  梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです」
 言ってもはじまらないお方のことを、やはり諦めきれずにおっしゃって、
 「出家なさった姿を、少し見せよ」
 と、少将の尼におっしゃる。
 「せめてそれだけでも、以前の約束の証とせよ」
 と責めなさるので、入って見ると、わざわざとでも人に見せてやりたいほどの美しいお姿をしていらっしゃる。薄鈍色の綾、その下には萱草などの、澄んだ色を着て、とても小柄な感じで、姿形が美しく、はなやかなお顔だちで、髪は五重の扇を広げたように、豊かな裾である。
 こまやかに美しい顔だちで、化粧をたいそうしたように、明るくかがやいていた。お勤めなどをなさるにも、やはり数珠は近くの几帳にちょっと懸けて、お経を一心に読んでいらっしゃる様子は、絵にも描きたいほどである。
 ちらっと見るたびに涙が止めがたい気がするのを、「まして懸想をなさっている男は、どのように拝見なさっていようか」と思って、ちょうどよい機会だったのか、障子の掛金の側に開いている穴を教えて、邪魔になる几帳などを取り除けた。
 「とてもこれほど美しい人だとは思わなかった。ひどく物思いに沈んでいるような人であったが」と、自分が出家させた過ちのように、惜しく悔しく悲しいので、抑えることもできず、気も狂わんばかりの、気持ちを感づかれては困るので、引き下がった。

 [第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る]
 「これほどの器量をした人を失って、探さない人があったりしようか。また、誰それの人の娘が、行く方知れずに見えなくなったとか、もしくは何か恨んで、出家してしまったなど、自然と知れてしまうものだが」などと、不思議と繰り返し思う。
 「尼であっても、このような様子をしたような人は嫌な感じもするまい」などと、「かえって一段と見栄えがしてお気の毒なはずが、人目を忍んでいる様子なので、やはり自分の物にしてしまおう」と思うと、真剣に話しかける。
 「普通の人の時にはご遠慮なさることもあったでしょうが、このような尼姿におなりになっては、気がねなく申し上げられそうでございます。そのようにお諭し申し上げてください。過去のことが忘れがたくて、このようにやって参ったのですが、さらにまた、もう一つの気持ちも加わりまして」
 などとおっしゃる。
 「まことに将来が心細く、不安な様子でございますので、真剣な態度でお忘れにならずお訪ねくださることは、とても嬉しく、存じておきましょう。亡くなりました後は、不憫に存じられましょう」
 と言って、お泣きになるので、「この尼君も遠縁に当たる人なのであろう。誰なのだろう」と思い当たらない。
 「将来のご後見は、寿命も分からず頼りない身ですが、このように申し上げました以上は、けっして変わりません。お探し申し上げなさるはずの方は、本当にいらっしゃらないのですか。そのようなことがはっきりしませんので、気がねすべきことでもございませんが、やはり水くさい気がしてなりません」
 とおっしゃると、
 「人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら、もしや探し出す人もございましょう。今は、このような生活を、決意した様子です。気持ちの向きも、そのようにばかり見えます」
 などとお話しになる。
 こちらにも言葉をお掛けになった。
 「一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですが
  わたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます」
 心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。
 「兄弟とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、お慰めしましょう」
 などと言い続ける。
 「むつかしいお話など、分かるはずもないのが残念です」
 と答えて、この嫌っているということへの返事はなさらない。「思いもかけなかった情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって、世間から忘れられて終わりたい」とおあしらいになる。
 だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらしたのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもない。他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。雪が深く降り積もって、人目もなくなったころは、ほんとうに心のやりばがなかった。

 

第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る

 [第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す]
 年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた川の水が音を立てないのまでが心細くて、「あなたに迷っています」とおっしゃった方は、嫌だとすっかり思い捨てていたが、やはりその当時のことなどは忘れなていない。
 「降りしきる野山の雪を眺めていても
  昔のことが今日も悲しく思い出される」
 などと、いつもの、慰めの手習いを、お勤めの合間になさる。「わたしがいなくなって、年も変わったが、思い出す人もきっといるだろう」などと、思い出す時も多かった。若菜を粗末な籠に入れて、人が持って来たのを、尼君が見て、
 「山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝っては
  やはりあなたの将来が期待されます」
 と言って、こちらに差し上げなさったので、
 「雪の深い野辺の若菜も今日からは
  あなた様のために長寿を祈って摘みましょう」
 とあるのを、「きっとそのようにお思いであろう」と感慨深くなるのも、「これがお世話しがいのあるお姿と思えたら」と、本気でお泣きになる。
 寝室の近くの紅梅が色も香も昔と変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこの花に愛着を感じるのは、はかなかった宮のことが忘れられなかったからあろうか。後夜に閼伽を奉りなさる。身分の低い尼で少し若いのがいるのを、呼び出して折らせると、恨みがましく散るにつけて、ますます匂って来るので、
 「袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香が
  あの人の香と同じように匂って来る、春の夜明けよ」

 [第二段 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪]
 大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京して来た。三十歳ほどで、容貌も美しげで誇らしい様子をしていた。
 「いかがでしたか、去年や、一昨年は」
 などとお尋ねになるが、耄碌した様子なので、こちらに来て、
 「とてもすっかり、耄碌しておしまいになった。お気の毒なことですね。残り少ないご様子を、拝し上げることもむずかしくて、遠い所で年月を過ごしておりますことよ。両親がお亡くなりになって以後は、祖母お一方を、親代わりにお思い申し上げておりました。常陸介の北の方は、お便り差し上げなさいますか」
 と言うのは、その妹なのであろう。
 「年月のたつにつれて、することもないままに悲しいことばかりが増えて。常陸は、長いことお便り申し上げなさらないようです。お待ち申し上げることもできないようにお見えになります」
 とおっしゃるので、「自分の親の名前だ」と、無関係ながらも耳にとまったが、また言うことには、
 「上京して何日にもなりましたが、公務がたいそう忙しくて、面倒なことばかりにかかずらっておりまして。昨日もお伺いしようと存じておりましたのに、右大将殿が宇治へお出かけになるお供にお仕えしまして、故八の宮がお住まいになっていた所にいらして、一日中お過ごしになりました。
 故宮の娘にお通いになっていたが、まずお一方は先年お亡くなりになりました。その妹に、再びこっそりと住まわせ申していらしたが、去年の春またお亡くなりになったので、その一周忌のご法事をあそばしますことを、あの寺の律師に、しかるべき事柄をお命じになって、わたしも、その女装束一領を、調製しなければならないのですが、こちらで作ってくださいませんでしょうか。織る材料は、急いで準備させましょう」
 と言うのを聞くと、どうして胸を打たないことがあろう。「人が変だと見るだろう」と気がひけて、奥の方を向いて座っていた。尼君が、
 「あの聖の親王の姫君は、お二方と聞いていたが、兵部卿宮の北の方は、どちらですか」
 とおっしゃると、
 「この大将殿の二人目の方は、妾腹なのでしょう。特に表立った扱いをしなかったのですが、ひどくお悲しみになっているのです。最初の方は、また大変なお悲しみようでした。もう少しのところで出家なさってしまいそうなところでした」
 などと話す。

 [第三段 浮舟、薫の噂など漏れ聞く]
 「あの方の親しい人であった」と見るにつけても、やはり恐ろしい。
 「不思議と、二人も同じように、あそこでお亡くなりなったことだ。昨日も、たいそうおいたわしゅうございました。宇治川に近い所で、川の水を覗き込みなさって、ひどくお泣きになった。上の部屋にお上りになって、柱にお書きつけなさった、
  あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面に
  いっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ
 とございました。言葉に現しておっしゃることは少ないが、ただ、態度には、まことにおいたわしいご様子にお見えでした。女は、たいそう賞賛するにちがいないほどでした。若うございました時から、ご立派でいらっしゃるとすっかり拝見していましたので、世の中の第一の権力者のところも、何とも思いませんで、ただ、この殿だけを信頼申し上げて、過ごして参りました」
 と話すので、「特別に深い思慮もなさそうなこのような人でさえ、ご様子はお分かりになったのだ」と思う。尼君は、
 「光る君と申し上げた故院のご様子には、お並びになることはできまいと思われますが、ただ今の世で、この一族が賞賛されているそうですね。右の大殿とはどうですか」
 とおっしゃると、
 「あの方は、器量もまことに凛々しく美しくて、貫祿があって、身分が格別なようでいらっしゃいます。兵部卿宮が、たいそう美しくいらっしゃいますね。女の身として親しくお仕えいたしたい、と思われます」
 などと、誰かが教えたように言い続ける。感慨深く興味深くも聞くにつけ、わが身の上もこの世のことと思われない。すっかり話しおいて出て行った。

 [第四段 浮舟、尼君と語り交す]
 「お忘れになっていないのだ」としみじみと思うが、ますます母君のご心中が推し量られるが、かえって何とも言いようのない姿をお見せ申し上げるのは、やはりとても気がひけるのであった。あの人が言ったことなど、衣装の染める準備をするのを見るにつけても、不思議な有りえないような気がするが、とても口にはお出しになれない。物を裁ったり縫ったりなどするのを、
 「これを手伝ってください。とても上手に折り曲げなされるから」
 と言って、小袿の単衣をお渡し申すのを、嫌な気がするので、「気分が悪い」と言って、手も触れず横になっていらっしゃった。尼君は、急ぐことを放って、「どのようなお加減か」などと心配なさる。紅に桜の織物の袿を重ねて、
 「御前様には、このような物をお召しになるのがよいでしょうに。あさましい墨染ですこと」
 と言う女房もいる。
 「尼衣に変わった身の上で、昔の形見として
  この華やかな衣装を身につけて、今さら昔を偲ぼうか」
 と書いて、「お気の毒に、亡くなった後に、隠し通すこともできない世の中なので、聞き合わせたりなどして、疎ましいまでに隠していた、と思うだろうか」などと、いろいろと思いながら、
 「過ぎ去ったことは、すっかり忘れてしまいましたので、このようなことをお急ぎになることにつけ、何かしらしみじみと感じられるのです」
 とおっとりとおっしゃる。
 「そうはおっしゃっても、お思い出しになることは多くありましょうが、いつまでもお隠しになっているのが情けないですわ。わたしは、このような世俗の人の着る色合いなどは、長いこと忘れてしまったので、平凡にしかできませんので、亡くなった娘が生きていたら、などと思い出されます。そのようにお世話申し上げなさった母君は、この世においでですか。そのまま、娘を亡くした母でさえ、やはりどこかに生きていようか、その居場所だけでも尋ね聞きたく思われますのに、その行く方も分からず、ご心配申し上げていらっしゃる方々がございましょう」
 とおっしゃるので、
 「俗世にいた時は、片親ございました。ここ数か月の間にお亡くなりなったかも知れません」
 と言って、涙が落ちるのを紛らわして、
 「かえって思い出しますことにつけて、嫌に思われますので、申し上げることができません。隠し事はどうしてございましょうか」
 と、言葉少なにおっしゃった。

 [第五段 薫、明石中宮のもとに参上]
 大将は、この一周忌の法事なをおさせにになって、「あっけなくて、終わってしまったな」としみじみとお思いになる。あの常陸の子どもは、元服した者は、蔵人にして、ご自分の近衛府の将監に就けたりなど、面倒を見ておやりになった。「童であるが、中に小綺麗なのを、お側近くに召し使おう」とお思いになっていたのであった。
 雨などが降ってひっそりとした夜に、后の宮に参上なさった。御前はのんびりとした日なので、お話などを申し上げるついでに、
 「辺鄙な山里に、何年も通っておりましたところ、人の非難もございましたが、そのようになるはずの運命であったのでしょう。誰でも気に入った向きのことは、同じなのだ、と納得させながら、やはり時々逢っておりましたところ、場所柄のせいかと、嫌に思うことがございまして以後は、道のりも遠くに感じられまして、長いこと通わないでいましたが、最近、ある機会に行きまして、はかないこの世の有様を重ね重ね存じられましたので、ことさらにわが道心を起こすために造っておかれた、聖の住処のように思われました」
 と申し上げなさるので、あのことをお思い出しになって、とてもお気の毒なので、
 「そこには、恐ろしいものが住んでいるのでしょうか。どのようにして、その方は亡くなったのですか」
 とお尋ねあそばすのを、「やはり、引き続いての死去をお考えになってか」と思って、
 「そうかも知れません。そのような人里離れた所には、けしからぬものがきっと住みついているのでしょうよ。亡くなった様子も、まことに不思議でございました」
 と言って、詳しくは申し上げなさらない。「やはり、このように隠している事柄を、すっかり聞き出してるのだわ」とお思いなさるようなのが、実に気の毒にお思いになり、宮が、物思いに沈んで、その当時病気におなりになったのを、思い合わせなさると、やはり何といっても心が痛んで、「どちらの立場からも口出しにくい方の話だ」とおやめになった。
 小宰相に、こっそりと、
 「大将は、あの人のことを、とてもしみじみと思ってお話になったが、お気の毒で、打ち明けてしまいそうだったが、その人かどうかも分からないからと、気がひけてね。あなたは、あれこれ聞いていたわね。不都合と思われるようなことは隠して、こういうことがあったと、世間話のついでに、僧都が言ったことを話しなさい」
 と仰せになる。
 「御前様でさえ遠慮あそばしているようなことを。まして、他人のわたしにはお話しできません」
 申し上げるが、
 「時と場合によります。また、わたしには不都合な事情があるのですよ」
 と仰せになるが、真意を理解して、素晴らしい心遣いだと拝する。

 [第六段 小宰相、薫に僧都の話を語る]
 立ち寄ってお話などなさるついでに、言い出した。珍しくも不思議なことだと、どうして驚かないことがあろう。「宮がお尋ねあそばしたことも、このようなことを、ちらっとお聞きあそばしてのことだったのだ。どうして、すっかり話してくださらなかったのだろう」とつらい思いがするが、
 「自分もまた初めからの様子を申し上げなかったのだから、こうして聞いた後にも、やはり馬鹿らしい気がして、他人には全部話さないのを、かえって他では聞いていることもあろう。現実の人びとの中で隠していることでさえ、隠し通せる世の中だろうか」
 などと考え込んで、「この人にも、これこれであった」などと、打ち明けなさることは、やはり話にくい気がして、
 「やはり、不思議に思った女の身の上と、似ていた人の様子ですね。ところで、その人は、今も無事でいますか」
 とお尋ねになると、
 「あの僧都が山から下りた日に、尼にしました。ひどく病んでいた時には、世話する人が惜しんでさせなかったが、ご本人が深い念願だと言ってなってしまったのだ、ということでございました」
 と言う。場所も違わず、その当時のありさまなどを思い合わせると、違うところがないので、
 「本当にその女だと探し出したら、とても嫌な気がするだろうな。どうしたら、確実なことが聞けようか。自分自身で直接訪ねて行くのも、愚かしいなどと人が言ったりしようか。また、あの宮が聞きつけなさったら、きっと思い出しなさって、決心なさっていた仏道もお妨げなさることであろう。
 そのようなわけで、『そのようなことをおっしゃるな』などと、申し上げおきなさったせいであろうか、わたしには、そのようなことを聞いたと、そのような珍しいことをお聞きあそばしながら、仰せにならなかったのであろうか。宮も関係なさっていては、せつなくいとしいと思いながらも、きっぱりと、そのまま亡くなってしまったものと思い諦めよう。
 この世の人として立ち戻ったならば、いつの日にか、黄泉のほとりの話を、自然と話し合える時もきっとあろう。自分の女として取り戻して世話するような考えは、二度と持つまい」
 などと思い乱れて、「やはり、仰せにならないだろう」という気はするが、ご様子が気にかかるので、大宮に、適当な機会を作り出して、申し上げなさる。

 [第七段 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く]
 「思いがけないことで、亡くなってしまったと存じておりました女が、この世に落ちぶれて生きているように、人が話してくれました。どうして、そのようなことがございましょうか、と存じますが、自分から大胆なことをして、離れて行くようなことはしないであろうか、とずっと思い続けていた女の様子でございますので、人の話してくれたような事情では、そのようなこともございましょうかと、似ているように存じられました」
 と言って、もう少し申し上げなさる。宮のお身の上の事を、とても憚りあるように、そうはいっても恨んでいるようにはおっしゃらないで、
 「あのことを、またこれこれとお耳になさいましたら、頑固で好色なようにお思いなさるでしょう。まったく、そうして生きていたとしても、知らない顔をして過ごしましょう」
 と申し上げなさると、
 「僧都が話したことですが、とても気味の悪かった夜のことで、耳も止めなかったことなのです。宮は、どうしてご存知でしょう。何とも申し上げようのないご料簡だ、と思いますので、ましてその話をお聞きつけなさるのは、まことに困ったことです。このようなことにつけて、まことに軽々しく困った方だとばかり、世間にお知られになっているようなので、情けなく思っています」
 などと仰せになる。「とても慎重なお人柄なので、必ずしも、気安い世間話であっても、誰かがこっそりと申し上げたことを、お漏らしあそばすまい」などとお思いになる。
 「その住んでいるという山里はどの辺であろうか。どのようにして、体裁悪くなく探し出せようか。僧都に会って、確かな様子を聞き合わせたりして、ともかく訪ねるのがよかろう」などと、ただ、このことばかりを寝ても覚めてもお考えになる。
 毎月の八日は、必ず仏事をおさせになるので、薬師仏にご寄進申し上げなさろうとお出かけになるついでに、根本中堂には、時々お参りになった。そこからそのまま横川においでになろうとお考えになって、あの弟の童である者を、連れておいでになる。「その人たちには、すぐには知らせまい。その時の状況を見てからにしよう」とお思いになるが、再会した時の夢のような心地の上につけて、しみじみとした感慨を加えようというつもりであったのだろうか。そうはいっても、「その人だと分かったものの、みすぼらしい姿で、尼姿の人たちの中に暮らしていて、嫌なことを耳にしたりするのは、ひどくつらいことであろう」と、いろいろと道すがら思い乱れなさったことだろうか。

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本文
ローマ字版
注釈
大島本
自筆本奥入