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第十二帖 須磨

光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語


第一段 源氏、須磨退去を決意

1.1.1 世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
当帝の外戚の大臣一派が極端な圧迫をして源氏に不愉快な目を見せることが多くなって行く。つとめて冷静にはしていても、このままで置けば今以上な(わざわ)いが起こって来るかもしれぬと源氏は思うようになった。
1.1.2
かの須磨(すま)は、(むかし)こそ(ひと)()みかなどもありけれ(いま)は、いと里離(さとはな)(こころ)すごくて、海人(あま)(いへ)だにまれに」など()きたまへど、(ひと)しげく、ひたたけたらむ()まひはいと本意(ほい)なかるべし
さりとて、(みやこ)(とほ)ざからむも、故郷(ふるさと)おぼつかなかるべきを」、人悪(ひとわる)くぞ(おぼ)(みだ)るる。
「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。
そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。
源氏が隠栖(いんせい)の地に擬している須磨(すま)という所は、昔は相当に家などもあったが、近ごろはさびれて人口も稀薄(きはく)になり、漁夫の住んでいる数もわずかであると源氏は聞いていたが、田舎(いなか)といっても人の多い所で、引き締まりのない隠栖になってしまってはいやであるし、そうかといって、京にあまり遠くては、人には言えぬことではあるが夫人のことが気がかりでならぬであろうしと、煩悶(はんもん)した結果須磨へ行こうと決心した。
1.1.3
よろづのこと、()方行(かたゆ)(すゑ)(おも)(つづ)けたまふに、(かな)しきこといとさまざまなり。
()きものと(おも)()てつる()も、(いま)はと()(はな)れなむことを(おぼ)すには、いと()てがたきこと(おほ)かるなかにも、姫君(ひめぎみ)の、()()れにそへては、(おも)(なげ)きたまへるさまの、心苦(こころぐる)しうあはれなるを、
すべてのこと、今までのこと将来のこと、お思い続けなさると、悲しいことさまざまである。
嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようなことお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が、気の毒で悲しいので、
この際は源氏の心に上ってくる過去も未来も皆悲しかった。いとわしく思った都も、いよいよ遠くへ離れて行こうとする時になっては、捨て去りがたい気のするものの多いことを源氏は感じていた。その中でも若い夫人が、近づく別れを日々に悲しんでいる様子の哀れさは何にもまさっていたましかった。
1.1.4
()きめぐりてもまた()()むことをかならず」と、(おぼ)さむにてだに、なほ(ひとひ)二日(ふつか)のほど、よそよそに()かし()らす折々(をりをり)だに、おぼつかなきものにおぼえ、女君(をんなぎみ)心細(こころぼそ)うのみ(おも)ひたまへるを、幾年(いくとせ)そのほどと(かぎ)りある(みち)にもあらず()ふを(かぎ)りに(へだ)たりゆかむも(さだ)めなき()に、やがて(わか)るべき門出(かどで)にもや」と、いみじうおぼえたまへば、(しの)びてもろともにもや」と、(おぼ)()(をり)あれど、さる心細(こころぼそ)からむ(うみ)づらの、波風(なみかぜ)よりほかに()ちまじる(ひと)もなからむに、かくらうたき(おほん)さまにて、()()たまへらむも、いとつきなく、わが(こころ)にも、「なかなか、もの(おも)ひのつまなるべきを」など(おぼ)(かへ)すを、女君(をんなぎみ)は、いみじからむ(みち)にも、(おく)れきこえずだにあらば」と、おもむけて、(うら)めしげに(おぼ)いたり。
「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒にでは」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子で、お連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、恨めしそうに思っていらっしゃった。
この人とはどんなことがあっても再会を遂げようという覚悟はあっても、考えてみれば、一日二日の外泊をしていても恋しさに堪えられなかったし、女王(にょおう)もその間は同じように心細がっていたそんな間柄であるから、幾年と期間の定まった別居でもなし、無常の人世では、仮の別れが永久の別れになるやも計られないのであると、源氏は悲しくて、そっといっしょに伴って行こうという気持ちになることもあるのであるが、そうした寂しい須磨のような所に、海岸へ波の寄ってくるほかは、人の来訪することもない住居(すまい)に、この華麗な貴女(きじょ)同棲(どうせい)していることは、あまりに不似合いなことではあるし、自身としても妻のいたましさに苦しまねばならぬであろうと源氏は思って、それはやめることにしたのを、夫人は、「どんなひどい所だって、ごいっしょでさえあれば私はいい」と言って、行きたい希望のこばまれるのを恨めしく思っていた。
1.1.5
かの花散里(はなちるさと)にも、おはし(かよ)ふことこそまれなれ心細(こころぼそ)くあはれなる(おほん)ありさまを、この御蔭(おほんかげ)(かく)れてものしたまへば、(おぼ)(なげ)きたるさまも、いとことわりなり。
なほざりにても、ほのかに()たてまつり(かよ)ひたまひし所々(ところどころ)人知(ひとし)れぬ(こころ)をくだきたまふ(ひと)(おほ)かりける。
あの花散里にも、お通いになることはまれであるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子も、いかにもごもっともである。
かりそめであっても、わずかにお逢い申しお通いにった所々では、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
花散里(はなちるさと)の君も、源氏の通って来ることは少なくても、一家の生活は全部源氏の保護があってできているのであるから、この変動の前に心をいためているのはもっともなことと言わねばならない。源氏の心にたいした愛があったのではなくても、とにかく情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。
1.1.6
入道(にふだう)(みや)よりも、ものの()こえや、またいかがとりなさむ」と、わが(おほん)ためつつましけれど、(しの)びつつ(おほん)とぶらひ(つね)にあり。
(むかし)、かやうに相思(あひおぼ)し、あはれをも()せたまはましかば」と、うち(おも)()でたまふにもさも、さまざまに、(こころ)をのみ()くすべかりける(ひと)御契(おほんちぎ)りかな」と、つらく(おも)ひきこえたまふ。
入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。
「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。
入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれぬという遠慮を世間へあそばしながらの御慰問が始終源氏にあった。昔の日にこの熱情が見せていただけたことであったならと源氏は思って、この方のために始終物思いをせねばならぬ運命が恨めしかった。

第二段 左大臣邸に離京の挨拶

1.2.1
三月二十日(やよひはつか)あまりのほどになむ、(みやこ)(はな)れたまひける
(ひと)にいつとしも()らせたまはずただいと(ちか)(つか)うまつり()れたる(かぎ)り、(しち)八人(はちにん)ばかり御供(おほんとも)にていとかすかに()()ちたまふ。
さるべき所々(ところどころ)に、御文(おほんふみ)ばかりうち(しの)びたまひしにも、あはれと(しの)ばるばかり()くいたまへるは、()どころもありぬべかりしかど、その(をり)の、心地(ここち)(まぎ)れに、はかばかしうも()()かずなりにけり
三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。
誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供として、たいそうひっそりとご出発になる。
しかるべき所々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の、気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
三月の二十幾日に京を立つことにしたのである。世間へは何とも発表せずに、きわめて親密に思っている家司(けいし)七、八人だけを供にして、簡単な人数で出かけることにしていた。恋人たちの所へは手紙だけを送って、ひそかに別れを告げた。形式的なものでなくて、真情のこもったもので、いつまでも自分を忘れさすまいとした手紙を書いたのであったから、きっと文学的におもしろいものもあったに違いないが、その時分に筆者はこのいたましい出来事に頭を混乱させていて、それらのことを注意して聞いておかなかったのが残念である。
1.2.2
(ふつか)三日(みか)かねて、()(かく)れて、大殿(おほいどの)(わた)りたまへり。
網代車(あんじろぐるま)のうちやつれたるにて、女車(をんなぐるま)のやうにて(かく)ろへ()りたまふも、いとあはれに、(ゆめ)とのみ()ゆ。
御方(おほんかた)いと(さび)しげにうち()れたる心地(ここち)して、若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)ども、(むかし)さぶらひし(ひと)のなかに、まかで()らぬ(かぎ)り、かく(わた)りたまへるをめづらしがりきこえて、()(のぼ)(つど)ひて()たてまつるにつけても、ことにもの(ふか)からぬ(わか)(ひと)びとさへ、()(つね)なさ(おも)()られて、(なみだ)にくれたり。
二、三日前に、夜の闇に隠れて、大殿にお渡りになった。
網代車の粗末なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと、夢かとばかり思われる。
お部屋は、とても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母どもや、生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて、涙にくれた。
出発前二、三日のことである、源氏はそっと左大臣家へ行った。簡単な網代車(あじろぐるま)で、女の乗っているようにして奥のほうへ寄っていることなども、近侍者には悲しい夢のようにばかり思われた。昔使っていた住居(すまい)のほうは源氏の目に寂しく荒れているような気がした。若君の乳母(めのと)たちとか、昔の夫人の侍女で今も残っている人たちとかが、源氏の来たのを珍しがって集まって来た。今日の不幸な源氏を見て、人生の認識のまだ十分できていない若い女房なども皆泣く。
1.2.3
若君(わかぎみ)はいとうつくしうてされ(はし)りおはしたり。
若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。
かわいい顔をした若君がふざけながら走って来た。
1.2.4 「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
「長く見ないでいても父を忘れないのだね」
1.2.5
とて、(ひざ)()ゑたまへる()けしき、(しの)びがたげなり。
と言って、膝の上にお乗せになったご様子、堪えきれなさそうである。
と言って、(ひざ)の上へ子をすわらせながらも源氏は悲しんでいた。
1.2.6
大臣(おとど)こなたに(わた)りたまひて、対面(たいめん)したまへり。
大臣、こちらにお越しになって、お会いになった。
左大臣がこちらへ来て源氏に()った。
1.2.7
つれづれに()もらせたまへらむほど(なに)とはべらぬ昔物語(むかしものがたり)も、(まゐ)りて、()こえさせむ(おも)うたまへれど、()病重(やまひおも)きにより、朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつらず、(くらゐ)をも(かへ)したてまつりてはべるに、(わたくし)ざまには(こし)のべてなむと、ものの()こえひがひがしかるべきを、(いま)()中憚(なかはばか)るべき()にもはべらねど、いちはやき()のいと(おそ)ろしうはべるなり。
かかる(おほん)ことを()たまふるにつけて、命長(いのちなが)きは心憂(こころう)(おも)うたまへらるる()(すゑ)にもはべるかな。
(あめ)(した)をさかさまになしても、(おも)うたまへ()らざりし(おほん)ありさまを()たまふれば、よろづいとあぢきなくなむ」
「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上して、お話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、私事には腰を伸ばして勝手にと、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。
このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末世でございますね。
天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」
「おひまな間に伺って、なんでもない昔の話ですがお目にかかってしたくてなりませんでしたものの、病気のために御奉公もしないで、官庁へ出ずにいて、私人としては暢気(のんき)に人の交際もすると言われるようでは、それももうどうでもいいのですが、今の社会はそんなことででもなんらかの危害が加えられますから(こわ)かったのでございます。あなたの御失脚を拝見して、私は長生きをしているから、こんな情けない世の中も見るのだと悲しいのでございます。末世です。天地をさかさまにしてもありうることでない現象でございます。何もかも私はいやになってしまいました」
1.2.8
()こえたまひて、いたうしほたれたまふ。
とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。
としおれながら言う大臣であった。
1.2.9
とあることも、かかることも(さき)()(むく)いにこそはべるなれば、()ひもてゆけば、ただ、みづからのおこたりになむはべる。
さして、かく、官爵(かんさく)()られずあさはかなることにかかづらひてだに、朝廷(おほやけ)のかしこまりなる(ひと)の、うつしざまにて()(なか)にあり()るは、咎重(とがおも)きわざに(ひと)(くに)にもしはべるなるを、(とほ)(はな)ちつかはすべき(さだ)などもはべるなるはさま(こと)なる(つみ)()たるべきにこそはべるなれ。
(にご)りなき(こころ)にまかせて、つれなく()ぐしはべらむも、いと(はばか)(おほ)く、これより(おほ)きなる(はぢ)にのぞまぬさきに、()(のが)れなむと(おも)うたまへ()ちぬる」
「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただ、わたくしの宿運のつたなさゆえでございます。
これと言った理由で、このように、官位を剥奪されず、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしているのは、罪の重いことに唐土でも致しておるということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。
潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
「何事も皆前生の報いなのでしょうから、根本的にいえば自分の罪なのです。私のように官位を剥奪(はくだつ)されるほどのことでなくても、勅勘(ちょっかん)の者は普通人と同じように生活していることはよろしくないとされるのはこの国ばかりのことでもありません。私などのは遠くへ追放するという条項もあるのですから、このまま京におりましてはなおなんらかの処罰を受けることと思われます。冤罪(えんざい)であるという自信を持って京に留まっていますことも朝廷へ済まない気がしますし、今以上の厳罰にあわない先に、自分から遠隔の地へ移ったほうがいいと思ったのです」
1.2.10
など、こまやかに()こえたまふ。
などと、詳しくお話し申し上げなさる。
などと、こまごま源氏は語っていた。
1.2.11
(むかし)御物語(おほんものがたり)(ゐん)(おほん)こと、(おぼ)しのたまはせし御心(みこころ)ばへなど()こえ()でたまひて御直衣(おほんなほし)(そで)もえ()(はな)ちたまはぬに(きみ)も、心強(こころづよ)くもてなしたまはず。
若君(わかぎみ)何心(なにごころ)なく(まぎ)れありきて、これかれに()れきこえたまふを、いみじと(おぼ)いたり。
昔のお話、院の御事、御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も、気丈夫に我慢がおできになれない。
若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。
大臣は昔の話をして、院がどれだけ源氏を愛しておいでになったかと、その例を引いて、涙をおさえる直衣(のうし)(そで)を顔から離すことができないのである。源氏も泣いていた。若君が無心に祖父と父の間を歩いて、二人に甘えることを楽しんでいるのに心が打たれるふうである。
1.2.12
()ぎはべりにし(ひと)()(おも)うたまへ(わす)るる()なくのみ、(いま)(かな)しびはべるを、この(おほん)ことになむ、もしはべる()ならましかば、いかやうに(おも)(なげ)きはべらまし。
よくぞ(みじか)くて、かかる(ゆめ)()ずなりにけると、(おも)うたまへ(なぐさ)めはべり。
(をさな)くものしたまふが、かく齢過(よはひす)ぎぬるなかにとまりたまひて、なづさひきこえぬ月日(つきひ)(へだ)たりたまはむと(おも)ひたまふるをなむ、よろづのことよりも、(かな)しうはべる。
いにしへの(ひと)も、まことに(をか)しあるにてしもかかることに()たらざりけり。
なほさるべきにて(ひと)朝廷(みかど)にもかかるたぐひ(おほ)うはべりけり。
されど、()()づる(ふし)ありてこそ、さることもはべりけれとざまかうざまに、(おも)ひたまへ()らむかたなくなむ」
「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでしょう。
よくぞ短命で、このような悪夢を見ないで済んだことだと、存じて僅かに慰めております。
あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして、悲しうございます。
昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。
やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。
けれど、言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」
()くなりました娘のことを、私は少しも忘れることができずに悲しんでおりましたが、今度の事によりまして、もしあれが生きておりましたなら、どんなに(なげ)くことであろうと、短命で死んで、この悪夢を見ずに済んだことではじめて慰めたのでございます。小さい方が老祖父母の中に残っておいでになって、りっぱな父君に接近されることのない月日の長かろうと思われますことが私には何よりも最も悲しゅうございます。昔の時代には真実罪を犯した者も、これほどの扱いは受けなかったものです。宿命だと見るほかはありません。外国の朝廷にもずいぶんありますように冤罪にお当たりになったのでございます。しかし、それにしてもなんとか言い出す者があって、世間が騒ぎ出して、処罰はそれからのものですが、どうも訳がわかりません」
1.2.13
など、(おほ)くの御物語聞(おほんものがたりき)こえたまふ。
などと、数々お話をお申し上げになる。
大臣はいろいろな意見を述べた。
1.2.14
三位中将(さんゐのちゅうじゃう)(まゐ)りあひたまひて、大御酒(おほみき)など(まゐ)りたまふに、夜更(よふ)けぬれば、()まりたまひて、(ひと)びと御前(おまへ)にさぶらはせたまひて、物語(ものがたり)などせさせたまふ。
(ひと)よりはこよなう(しの)(おぼ)中納言(ちゅうなごん)(きみ)()へばえに(かな)しう(おも)へるさまを、人知(ひとし)れずあはれと(おぼ)す。
人皆静(ひとみなしづ)まりぬるに、とりわきて(かた)らひたまふ。
これにより()まりたまへるなるべし
三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。
誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。
女房たちが皆寝静まったころ、格別に睦言をお交わしになる。
この人のためにお泊まりになったのであろう。
三位(さんみ)中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由はそこにあったのである。
1.2.15 夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお帰りになると、有明の月がとても美しい。
花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに残っている花の木蔭が、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。
隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。
翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉の(かげ)に咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだ(かすみ)がぼうとその中を白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。(すみ)の欄干によりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。
1.2.16 中納言の君、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて座っている。
中納言の君は見送ろうとして妻戸をあけてすわっていた。
1.2.17
また対面(たいめん)あらむことこそ(おも)へばいと(かた)けれ。
かかりける()()らで(こころ)やすくもありぬべかりし(つき)ごろ、さしも(いそ)がで、(へだ)てしよ」
「再びお会いしようことを、思うとまことに難しい。
このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日があったのに、そのように思わず、ご無沙汰してしまったことよ」
「あなたとまた再会ができるかどうか。むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
1.2.18
などのたまへば、ものも()こえず()く。
などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。
と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
1.2.19
若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)宰相(さいしゃう)(きみ)して、(みや)御前(おまへ)より御消息聞(おほんせうそこき)こえたまへり。
若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。
若君の乳母(めのと)の宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御挨拶(あいさつ)を伝えた。
1.2.20
()づから()こえまほしきをかきくらす(みだ)心地(ごこち)ためらひはべるほどに、いと夜深(よぶか)()でさせたまふなるも、さま()はりたる心地(ここち)のみしはべるかな。
心苦(こころぐる)しき(ひと)のいぎたなきほどは、しばしもやすらはせたまはで」
「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすというのも、以前とは違った感じばかり致しますこと。
不憫な子が眠っているうちを、少しもゆっくりともなさらず」
「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけになるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまでお待ちになりませんで」
1.2.21
()こえたまへれば、うち()きたまひて、
とお申し上げになさったので、ふと涙をお洩らしになって、
聞いていて源氏は、泣きながら、
1.2.22 「あの鳥辺山で焼いた煙に似てはいないかと
海人が塩を焼く煙を見に行きます」
鳥部(とりべ)山燃えし煙もまがふやと
海人(あま)の塩焼く浦見にぞ行く
1.2.23
御返(おほんかへ)りともなくうち()じたまひて、
お返事というわけでもなく口ずさみなさって、
これをお返事の(ことば)ともなく言っていた。
1.2.24
(あかつき)(わか)れはかうのみや心尽(こころづ)くしなる。
(おも)()りたまへる(ひと)もあらむかし」
「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。
お分かりの方もいらっしゃるでしょう」
「夜明けにする別れはみなこんなに悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
1.2.25
とのたまへば、
とおっしゃると、

1.2.26
いつとなく(わか)れといふ文字(もじ)こそうたてはべるなるなかにも、今朝(けさ)はなほたぐひあるまじう(おも)うたまへらるるほどかな」
「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり例があるまいと存じられますこと」
「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝(けさ)の悲しゅうございますことは何にも比較ができると思えません」
1.2.27
と、鼻声(はなごゑ)にて、げに(あさ)からず(おも)へり。
と、鼻声になって、なるほど深く悲しんでいる。
宰相の君の声は鼻声になっていて、言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
1.2.28
()こえさせまほしきことも(かへ)(がへ)(おも)うたまへながら、ただに(むす)ぼほれはべるほど、()(はか)らせたまへ。
いぎたなき(ひと)は、()たまへむにつけても、なかなか、()世逃(よのが)れがたう(おも)うたまへられぬべければ、心強(こころづよ)(おも)うたまへなして、(いそ)ぎまかではべり」
「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたこと、お察しください。
眠っている子は、顔を拝見するにつけても、かえって、辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」
「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも申し上げられませんで煩悶(はんもん)をしております心をお察しください。ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇(ちゅうちょ)させることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」
1.2.29
()こえたまふ。
とお申し上げになる。
と源氏は宮へ御挨拶(あいさつ)を返したのである。
1.2.30
()でたまふほどを、(ひと)びと(のぞ)きて()たてまつる。
お出ましになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。
帰って行く源氏の姿を女房たちは皆のぞいていた。
1.2.31 入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子、虎、狼でさえ、泣くにちがいない。
まして、お小さくいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。
落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶(せいえん)な容姿で、物思いをしながら出て行く源氏を見ては、(とら)(おおかみ)も泣かずにはいられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍していたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。
1.2.32
まことや御返(おほんかへ)り、
そうそう、ご返歌は、
源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、
1.2.33 「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
煙となった都の空のではないのでは」
()き人の別れやいとど隔たらん
煙となりし雲井ならでは
1.2.34
()()へて、あはれのみ()きせず、()でたまひぬる名残(なごり)ゆゆしきまで()きあへり。
とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、お帰りになった後、不吉なまで泣き合っていた。
というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。

第三段 二条院の人々との離別

1.3.1
殿(との)におはしたればわが御方(おほんかた)(ひと)びともまどろまざりけるけしきにて、所々(ところどころ)()れゐて、あさましとのみ()(おも)へるけしきなり。
(さぶらひ)には、(した)しう(つか)まつる(かぎ)りは、御供(おほんとも)(まゐ)るべき(こころ)まうけして、(わたくし)(わか)()しむほどにや(ひと)もなし
さらぬ(ひと)は、とぶらひ(まゐ)るも(おも)(とが)めあり、わづらはしきことまされば、所狭(ところせ)(つど)ひし(むま)(くるま)(かた)もなく、(さび)しきに、()()きものなりけり」と、(おぼ)()らる。
殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも、眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。
侍所では、親しくお仕えしている者だけは、お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。
その他の人は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬、車が跡形もなく、寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。
源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は(よい)からずっと(なげ)き明かしたふうで、所々にかたまって世の成り行きを悲しんでいた。家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、(たず)ねて来ることは官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに寂しいものであったのだと源氏は思った。
1.3.2
台盤(だいばん)なども、かたへは(ちり)ばみて、(たたみ)所々引(ところどころひ)(かへ)したり。
()るほどだにかかり。
ましていかに()れゆかむ」と(おぼ)す。
台盤所なども、半分は塵が積もって、畳も所々裏返ししてある。
「見ているうちでさえこんなである。
ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。
食堂の大食卓なども使用する人数が少なくて、半分ほどは(ちり)を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。
1.3.3
西(にし)(たい)(わた)りたまへれば、御格子(みかうし)(まゐ)らで(なが)()かしたまひければ、簀子(すのこ)などに、(わか)童女(わらはべ)所々(ところどころ)()して、(いま)()(さわ)ぐ。
宿直姿(とのゐすがた)どもをかしうてゐるを()たまふにも、心細(こころぼそ)う、年月経(としつきへ)ば、かかる(ひと)びとも、えしもあり()てでや、()()らむ」など、さしもあるまじきことさへ御目(おほんめ)のみとまりけり。
西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに、若い童女が、あちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。
宿直姿がかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なったら、このような子たちも、最後まで辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまで、お目が止まるのであった。
西の(たい)へ行くと、格子(こうし)を宵のままおろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている源氏はこんな時にも、何年かの留守(るす)の間にはこうした人たちも散り散りにほかへ移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて心細くなるのであった。
1.3.4
昨夜(よべ)は、しかしかして(よふ)けにしかばなむ
(れい)(おも)はずなるさまにや(おぼ)しなしつる。
かくてはべるほどだに御目離(おほんめか)れずと(おも)ふを、かく()(はな)るる(きは)には、心苦(こころぐる)しきことのおのづから(おほ)かりけるひたやごもりにてやは
(つね)なき()に、(ひと)にも(なさ)けなきものと(こころ)おかれ()てむと、いとほしうてなむ」
「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。
いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。
せめてこうしている間だけでも離れないようにと思うのが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多かったので、籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。
無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」
源氏は夫人に、左大臣家を別れに(たず)ねて、夜がふけて一泊したことを言った。「それをあなたはほかの事に疑って、くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」
1.3.5
()こえたまへば、
とお申し上げになると、

1.3.6
かかる()()るよりほかに、(おも)はずなることは、(なに)ごとにか」
「このような悲しい目を見るより他に、もっと心外な事とは、どのような事でしょうか」
「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなどは私にない」
1.3.7
とばかりのたまひて、いみじと(おぼ)()れたるさま、(ひと)よりことなるを、ことわりぞかし父親王(ちちみこ)いとおろかにもとより(おぼ)しつきにけるにまして、()()こえをわづらはしがりて、(おとづ)れきこえたまはず、(おほん)とぶらひにだに(わた)りたまはぬを、(ひと)()るらむことも()づかしく、なかなか()られたてまつらでやみなましを、継母(ままはは)(きた)(かた)などの、
とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子、人一倍であるのは、もっともなことで、父親王は、実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今は、世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに、継母の北の方などが、
とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王(にょおう)に、手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでにならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度をおとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままでいたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、ある人に、
1.3.8
にはかなりし(さいは)ひのあわたたしさ。
あな、ゆゆしや。
(おも)(ひと)方々(かたがた)につけて(わか)れたまふ(ひと)かな」
「束の間であった幸せの急がしさ。
ああ、縁起でもない。
大事な人が、それぞれに別れなさる人だわ」
「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。お(かあ)さん、お祖母(ばあ)さん、今度は良人(おっと)という順にだれにも短い縁よりない人らしい」
1.3.9
とのたまひけるを、さる便(たよ)りありて()()きたまふにも、いみじう心憂(こころう)ければ、これよりも()えて(おとづ)れきこえたまはず。
また(たの)もしき(ひと)もなく、げにぞ、あはれなる(おほん)ありさまなる
とおっしゃったのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。
他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。
と言った言葉を、宮のお(やしき)の事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかにはだれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。
1.3.10
なほ()(ゆる)されがたうて年月(としつき)()ば、(いはほ)(なか)にも(むか)へたてまつらむ。
ただ(いま)は、人聞(ひとぎ)きのいとつきなかるべきなり。
朝廷(おほやけ)にかしこまりきこゆる(ひと)は、(あき)らかなる月日(つきひ)(かげ)をだに()ず、(やす)らかに()()()ふことも、いと罪重(つみおも)かなり。
(あやま)ちなけれど、さるべきにこそかかることもあらめと(おも)ふに、まして(おも)人具(ひとぐ)するは、(れい)なきことなるを、ひたおもむきにものぐるほしき()にて、()ちまさることもありなむ」
「いつまでたっても赦免されずに、歳月が過ぎるようなら、巌の中でもお迎え申そう。
今すぐでは、人聞きがまことに悪いであろう。
朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ず、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことである。
過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思うが、まして愛する人を連れて行くのは、先例のないことなので、一方的で道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起ころう」
「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい()住居(ずまい)であってもあなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることになるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かでこんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないようなことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」
1.3.11
など()こえ()らせたまふ。
などと、お話し申し上げなさる。
などと源氏は語っていた。
1.3.12
()たくるまで大殿籠(おほとのご)もれり。
帥宮(そちのみや)三位中将(さんゐのちゅうじゃう)などおはしたり
対面(たいめん)したまはむとて、御直衣(おほんなほし)などたてまつる。
日が高くなるまでお寝みになっていた。
帥宮や三位中将などがいらっしゃった。
お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。
昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちに(そつ)の宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着がえをするのであったが、
1.3.13 「無位無官の者は」
「私は無位の人間だから」
1.3.14
とて、無紋(むもん)直衣(なほし)なかなか、いとなつかしきを()たまひて、うちやつれたまへる、いとめでたし。
御鬢(おほんびん)かきたまふとて、鏡台(きゃうだい)()りたまへるに、面痩(おもや)せたまへる(かげ)の、(われ)ながらいとあてにきよらなれば、
と言って、無紋の直衣、かえって、とても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。
鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が、自分ながらとても気品あって美しいので、
と言って、無地の直衣(のうし)にした。それでかえって(えん)な姿になったようである。(びん)()くために鏡台に向かった源氏は、()せの見える顔が我ながらきれいに思われた。
1.3.15
こよなうこそ、(おとろ)へにけれ
この(かげ)のやうにや()せてはべる。
あはれなるわざかな」
「すっかり、衰えてしまったな。
この影のように痩せていますか。
ああ、悲しいことだ」
「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」
1.3.16
とのたまへば、女君(をんなぎみ)涙一目(なみだひとめ)うけて()おこせたまへる、いと(しの)びがたし。
とおっしゃると、女君、涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。
と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。
1.3.17 「わが身はこのように流浪しようとも
鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていよう」
身はかくてさすらへぬとも君があたり
去らぬ鏡のかげははなれじ
1.3.18
と、()こえたまへば、
と、お申し上げになると、
と源氏が言うと、
1.3.19 「お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば
鏡を見て慰めることもできましょうに」
別れても影だにとまるものならば
鏡を見てもなぐさめてまし
1.3.20
柱隠(はしらがく)れにゐ(かく)れて、(なみだ)(まぎ)らはしたまへるさま、なほ、ここら()るなかにたぐひなかりけり」と、(おぼ)()らるる(ひと)(おほん)ありさまなり。
柱の蔭に隠れて座って、涙を隠していらっしゃる様子、「やはり、おおぜいの妻たちの中で類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。
言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。
1.3.21
親王(みこ)は、あはれなる御物語聞(おほんものがたりき)こえたまひて、()るるほどに(かへ)りたまひぬ。
親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。
親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。

第四段 花散里邸に離京の挨拶

1.4.1
花散里(はなちるさと)心細(こころぼそ)げに(おぼ)して(つね)()こえたまふもことわりにて、かの(ひと)も、(いま)ひとたび()ずは、つらしとや(おも)はむ」と(おぼ)せば、その()は、また()でたまふものから、いともの()くていたう()かしておはしたれば、女御(にょうご)
花散里邸が心細そうにお思いになって、常にお便り差し上げなさるのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思うだろうか」とお思いになると、その夜は、また一方でお出かけになるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御が、
花散里(はなちるさと)が心細がって、今度のことが決まって以来始終手紙をよこすのも、源氏にはもっともなことと思われて、あの人ももう一度逢いに行ってやらねば恨めしく思うであろうという気がして、今夜もまたそこへ行くために家を出るのを、源氏は自身ながらも物足らず寂しく思われて、気が進まなかったために、ずっとふけてから来たのを、
1.4.2 「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」
「ここまでも別れにお歩きになる所の一つにしてお寄りくださいましたとは」
1.4.3
と、よろこびきこえたまふさま、()(つづ)けむもうるさし
と、感謝申し上げるご様子、書き綴るのも煩わしい。
こんなことを言って喜んだ女御(にょご)のことなどは少し省略して置く。
1.4.4
いといみじう心細(こころぼそ)(おほん)ありさま、ただ御蔭(おほんかげ)(かく)れて()ぐいたまへる年月(としつき)いとど()れまさらむほど(おぼ)しやられて、殿(との)(うち)いとかすかなり。
とてもひどく心細いご様子で、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月、ますます荒れていくだろうことが、ご想像されて、邸内は、まことにひっそりとしている。
この心細い女兄弟は源氏の同情によってわずかに生活の体面を保っているのであるから、今後はどうなって行くかというような不安が、寂しい家の中に漂っているように源氏は見た。
1.4.5 月が朧ろに照らし出して、池が広く、築山の木深い辺り、心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活が、お思いやられる。
おぼろな月がさしてきて、広い池のあたり、木の多い築山(つきやま)のあたりが寂しく見渡された時、まして須磨の浦は寂しいであろうと源氏は思った。
1.4.6
西面(にしおもて)かうしも(わた)りたまはずや」と、うち()して(おぼ)しけるに、あはれ()へたる月影(つきかげ)の、なまめかしうしめやかなるに、うち()()ひたまへるにほひ、()るものなくて、いと(しの)びやかに()りたまへば、すこしゐざり()でてやがて(つき)()ておはす。
またここに御物語(おほんものがたり)のほどに、()方近(がたちか)うなりにけり。
西面では、「こうしたお越しもあるまいか」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が、美しくしっとりとしているところに、身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、少し膝行して出て来て、そのまま月を御覧になる。
またここでお話なさっているうちに、明け方近くになってしまった。
西座敷にいる姫君は、出発の前二日になってはもう源氏の来訪は受けられないものと思って、気をめいらせていたのであったが、しめやかな月の光の中を、源氏がこちらへ歩いて来たのを知って、静かに膝行(いざ)って出た。そしてそのまま二人は並んで月をながめながら語っているうちに明け方近い時になった。
1.4.7
短夜(みじかよ)のほどや
かばかりの対面(たいめん)も、またはえしもや(おも)ふこそことなしにて()ぐしつる(とし)ごろも(くや)しう、()方行(かたゆ)(さき)のためしになるべき()にて、(なに)となく(こころ)のどまる()なくこそありけれ」
「短い夜ですね。
このようにお会いすることも、再びはとてもと思うと、何事もなく過ごしてきてしまった歳月が残念に思われ、過去も未来も先例となってしまいそうな身の上で、何となく気持ちのゆっくりする間もなかったね」
「夜が短いのですね。ただこんなふうにだけでもいっしょにいられることがもうないかもしれませんね。私たちがまだこんないやな世の中の渦中(かちゅう)に巻き込まれないでいられたころを、なぜむだにばかりしたのでしょう。過去にも未来にも例の少ないような不幸な男になるのを知らないで、あなたといっしょにいてよい時間をなぜこれまでにたくさん作らなかったのだろう」
1.4.8
と、()ぎにし(かた)のことどものたまひて、(とり)もしばしば()けば、()につつみて(いそ)()でたまふ。
(れい)の、(つき)()()つるほど、よそへられて、あはれなり。
女君(をんなぎみ)()御衣(おほんぞ)(うつ)りて、げに、()るる(がほ)なれば
と、過ぎ去った事のあれこれをおっしゃって、鶏もしきりに鳴くので、人目を憚って急いでお帰りになる。
例によって、月がすっかり入るのになぞらえられて、悲しい。
女君の濃いお召物に映えて、なるほど、濡るる顔の風情なので、
恋の初めから今日までのことを源氏が言い出して、感傷的な話の尽きないのであるが、鶏ももうたびたび鳴いた。源氏はやはり世間をはばかって、ここからも早暁に出て行かねばならないのである。月がすっとはいってしまう時のような気がして女心は悲しかった。月の光がちょうど花散里(はなちるさと)の袖の上にさしているのである。「宿る月さへ()るる顔なる」という歌のようであった。
1.4.9 「月の光が映っているわたしの袖は狭いですが
そのまま留めて置きたいと思います、
月影の宿れる(そで)は狭くとも
とめてぞ見ばや飽かぬ光を
1.4.10
いみじと(おぼ)いたるが、心苦(こころぐる)しければ、かつは(なぐさ)めきこえたまふ。
悲しくお思いになっているのが、おいたわしいので、一方ではお慰め申し上げなさる。
こう言って、花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏のほうから慰めてやらねばならなかった。
1.4.11 「大空を行きめぐって、
ついには澄むはずの月の光ですからしばらくの間曇っ
「行きめぐりつひにすむべき月影の
しばし曇らん空なながめそ
1.4.12
(おも)へば、はかなしや
ただ、()らぬ(なみだ)のみこそ、(こころ)()らすものなれ」
考えてみれば、はかないことよ。
ただ、行方を知らない涙ばかりが、心を暗くさせるものですね」
はかないことだ。私は希望を持っているのだが、反対に涙が流れてきて心を暗くされますよ」
1.4.13
などのたまひて、()けぐれのほどに()でたまひぬ。
などとおっしゃって、まだ薄暗いうちにお帰りになった。
と源氏は言って、夜明け前の一時的に暗くなるころに帰って行った。

第五段 旅生活の準備と身辺整理

1.5.1
よろづのことどもしたためさせたまふ。
(した)しう(つか)まつり、()になびかぬ(かぎ)りの(ひと)びと、殿(との)(こと)とり(おこ)なふべき上下(かみしも)(さだ)()かせたまふ。
御供(おほんとも)(した)ひきこゆる(かぎ)りは、また()()でたまへり。
何から何まで整理をおさせになる。
親しくお仕えし、時勢に靡かない家臣たちだけの、邸の事務を執り行うべき上下の役目、お決め置きになる。
お供に随行申し上げる者は皆、別にお選びになった。
源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、現在の権勢に()びることを思わない人たちを選んで、家司(けいし)として留守(るす)中の事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から選ばれた至誠の士である。
1.5.2
かの山里(やまざと)御住(おほんす)みかの()は、えさらずとり使(つか)ひたまふべきものども、ことさらよそひもなくことそぎて、さるべき(ふみ)ども文集(ぶんしゅ)』など()りたる(はこ)さては琴一(きんひと)()たせたまふ。
所狭(ところせ)御調度(みてうど)はなやかなる(おほん)よそひなど、さらに()したまはず、あやしの山賤(やまがつ)めきてもてなしたまふ。
あの山里の生活の道具は、どうしてもご必要な品物類を、特に飾りけなく簡素にして、しかるべき漢籍類、『白氏文集』などの入った箱、その他には琴を一張を持たせなさる。
大げさなご調度類や、華やかなお装いなどは、まったくお持ちにならず、賎しい山里人のような振る舞いをなさる。
隠栖(いんせい)の用に持って行くのは日々必要な物だけで、それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や華奢(かしゃ)な工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうとするのである。
1.5.3
さぶらふ(ひと)びとよりはじめ、よろづのこと、みな西(にし)(たい)()こえわたしたまふ
(りゃう)じたまふ御荘(みさう)御牧(みまき)よりはじめて、さるべき所々(ところどころ)(けん)などみなたてまつり()きたまふ。
それよりほかの御倉町(みくらまち)納殿(をさめどの)などいふことまで、少納言(せうなごん)をはかばかしきものに見置(みお)きたまへれば、(した)しき家司(けいし)ども()して、しろしめすべきさまどものたまひ(あづ)く。
お仕えしている女房たちをはじめ、万事、すべて西の対にお頼み申し上げなさる。
ご所領の荘園、牧場をはじめとして、しかるべき領地、証文など、すべて差し上げ置きなさる。
その他の御倉町、納殿などという事まで、少納言を頼りになる者と見込んでいらっしゃるので、腹心の家司たちを付けて、取りしきられるように命じて置きなさる。
源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿(おさめどの)などのことも、信用する少納言の乳母(めのと)を上にして何人かの家司をそれにつけて、夫人の物としてある財産の管理上の事務を取らせることに計らったのである。
1.5.4 ご自身方の中務、中将などといった女房たち、何気ないお扱いとはいえ、お身近にお仕えしていた間は慰めることもできたが、「何を期待してか」と思うが、
これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務(なかつかさ)、中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、今後は何を楽しみに女房勤めができようと思ったのであるが、
1.5.5
(いのち)ありてこの()にまた(かへ)るやうもあらむを、()ちつけむと(おも)はむ(ひと)は、こなたにさぶらへ」
「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、こちらに伺候しなさい」
「長生きができてまた京へ帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいい」
1.5.6
とのたまひて、上下(かみしも)皆参(みなま)(のぼ)らせたまふ。
とおっしゃって、上下の女房たち、皆参上させなさる。
と源氏は言って、上から下まですべての女房を西の対へ来させた。
1.5.7
若君(わかぎみ)御乳母(おほんめのと)たち、花散里(はなちるさと)などもをかしきさまのはさるものにて、まめまめしき(すぢ)(おぼ)()らぬことなし。
若君の乳母たち、花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品までお気のつかない事がない。
そして女の生活に必要な絹布類を豊富に分けて与えた。左大臣家にいる若君の乳母たちへも、また花散里へもそのことをした。華美な物もあったが、何年間かに必要な実用的な物も多くそろえて贈ったのである。
1.5.8 尚侍の君の御許に、困難をおかしてお便りを差し上げなさる。
源氏はまた途中の人目を気づかいながら尚侍(ないしのかみ)の所へも別れの手紙を送った。
1.5.9
()はせたまはぬもことわりに(おも)ひたまへながら、(いま)はと、()(おも)()つるほどの()さもつらさも、たぐひなきことにこそはべりけれ。
「お見舞いくださらないのも、ごもっともに存じられますが、今は最後と、この世を諦めた時の嫌で辛い思いも、何とも言いようがございません。
あなたから何とも言ってくださらないのも道理なようには思えますが、いよいよ京を去る時になってみますと、悲しいと思われることも、恨めしさも強く感ぜられます。
1.5.10 あなたに逢えないことに涙を流したことが
流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか
逢瀬(あふせ)なき涙の川に沈みしや
流るるみをの初めなりけん
1.5.11 と思い出される事だけが、罪も逃れ難い事でございます」
こんなに人への執着が強くては仏様に救われる望みもありません。
1.5.12
(みち)のほども(あや)ふければ、こまかには()こえたまはず。
届くかどうか不安なので、詳しくはお書きにならない。
間で盗み見されることがあやぶまれて細かには書けなかったのである。
1.5.13
(をんな)いといみじうおぼえたまひて、(しの)びたまへど、御袖(おほんそで)よりあまるも所狭(ところせ)うなむ。
女、大層悲しく思われなさって、堪えていらしたが、お袖から涙がこぼれるのもどうしようもない。
手紙を読んだ尚侍は非常に悲しがった。流れて出る涙はとめどもなかった。
1.5.14 「涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう
生きながらえて再びお会いできる日を待たないで」
涙川浮ぶ水沫(みなわ)も消えぬべし
別れてのちの瀬をもまたずて
1.5.15
()()(みだ)()きたまへる御手(おほんて)いとをかしげなり。
(いま)ひとたび対面(たいめん)なくや(おぼ)すは、なほ口惜(くちを)しけれど、(おぼ)(かへ)して、()しと(おぼ)しなすゆかり(おほ)うておぼろけならず(しの)びたまへば、いとあながちにも()こえたまはずなりぬ
泣く泣く心乱れてお書きになったご筆跡、まことに深い味わいがある。
もう一度お逢いできないものかとお思いになるのは、やはり残念に思われるが、お考え直して、ひどいとお思いになる一族が多くて、一方ならず人目を忍んでいらっしゃるので、あまり無理をしてまでお便り申し上げることもなさらずに終わった。
泣き泣き乱れ心で書いた、乱れ書きの字の美しいのを見ても、源氏の心は多く()かれて、この人と最後の会見をしないで自分は行かれるであろうかとも思ったが、いろいろなことが源氏を反省させた。恋しい人の一族が源氏の排斥を企てたのであることを思って、またその人の立場の苦しさも推し量って、手紙を送る以上のことはしなかった。

第六段 藤壺に離京の挨拶

1.6.1
明日(あす)とて、(くれ)には、(ゐん)御墓拝(みはかをが)みたてまつりたまふとて北山(きたやま)(まう)でたまふ。
(あかつき)かけて月出(つきい)づるころなれば、まづ、入道(にふだう)(みや)()うでたまふ。
(ちか)御簾(みす)(まへ)御座参(おましまゐ)りて、(おほん)みづから()こえさせたまふ。
春宮(とうぐう)御事(おほんこと)をいみじううしろめたきものに(おも)ひきこえたまふ。
明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろうとして、北山へ参拝なさる。
明け方近くに月の出るころなので、最初、入道の宮にお伺いさる。
近くの御簾の前にご座所をお設けになって、ご自身でご応対あそばす。
東宮のお身の上をたいそうご心配申し上げなさる。
出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。明け方にかけて月の出るころであったから、それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞(いとまご)いに伺候した。お居間の御簾(みす)の前に源氏の座が設けられて、宮御自身でお話しになるのであった。宮は東宮のことを限りもなく不安に思召(おぼしめ)す御様子である。
1.6.2
かたみに心深(こころふか)きどちの御物語(おほんものがたり)よろづあはれまさりけむかし。
なつかしうめでたき(おほん)けはひの(むかし)()はらぬに、つらかりし御心(みこころ)ばへも、かすめきこえさせまほしけれど、(いま)さらにうたてと(おぼ)さるべしわが御心(みこころ)にも、なかなか(いま)ひときは(みだ)れまさりぬべければ、(ねん)(かへ)して、ただ、
お互いに感慨深くお感じになっている者同士のお話は、何事もしみじみと胸に迫るものがさぞ多かったことであろう。
慕わしく素晴らしいご様子が変わらないので、恨めしかったお気持ちも、それとなく申し上げたいが、いまさら嫌なこととお思いになろうし、自分自身でも、かえって一段と心が乱れるであろうから、思い直して、ただ、
聡明(そうめい)な男女が熱を内に包んで別れの言葉をかわしたのであるが、それには洗練された悲哀というようなものがあった。昔に少しも変わっておいでにならないなつかしい美しい感じの受け取れる源氏は、過去の十数年にわたる思慕に対して、冷たい理智(りち)の一面よりお見せにならなかった恨みも言ってみたい気になるのであったが、今は尼であって、いっそう道義的になっておいでになる方にうとましいと思われまいとも考え、自分ながらもその口火を切ってしまえば、どこまで頭が混乱してしまうかわからない恐れもあって心をおさえた。
1.6.3 「このように思いもかけない罪に問われますにつけても、思い当たるただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。
惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて東宮の御世だけでも、ご安泰でいらっしゃれば」
「こういたしました意外な罪に問われますことになりましても、私は良心に思い合わされることが一つございまして空恐ろしく存じます。私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば私は満足いたします」
1.6.4
とのみ()こえたまふぞ、ことわりなるや
とだけ申し上げなさるのも、もっともなことである。
とだけ言った。それは真実の告白であった。
1.6.5
(みや)も、みな(おぼ)()らるることにしあれば、御心(みこころ)のみ(うご)きて、()こえやりたまはず。
大将(だいしゃう)よろづのことかき(あつ)(おぼ)(つづ)けて、()きたまへるけしき、いと()きせずなまめきたり。
宮も、すっかりご存知のことであるので、お心がどきどきするばかりで、お返事申し上げられない。
大将、あれからこれへとお思い続けられて、お泣きになる様子、とても言いようのないほど優艷である。
宮も皆わかっておいでになることであったから源氏のこの言葉で大きな衝動をお受けになっただけで、何ともお返辞はあそばさなかった。初恋人への怨恨(えんこん)、父性愛、別離の悲しみが一つになって泣く源氏の姿はあくまでも優雅であった。
1.6.6 「山陵に詣でますが、お言伝は」
「これから御陵へ参りますが、お(こと)づてがございませんか」
1.6.7
()こえたまふに、とみにものも()こえたまはず、わりなくためらひたまふ()けしきなり。
と申し上げなさるが、すぐにはお返事なさらず、ひたすらお気持ちを鎮めようとなさるご様子である。
と源氏は言ったが、宮のお返辞はしばらくなかった。躊躇(ちゅうちょ)をしておいでになる御様子である。
1.6.8 「院は亡くなられ生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を
出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています」
見しは無く有るは悲しき世のはてを
(そむ)きしかひもなくなくぞ()
1.6.9
いみじき御心惑(みこころまど)ひどもに(おぼ)(あつ)むることどもも、えぞ(つづ)けさせたまはぬ。
ひどくお悲しみの二方なので、お思いになっていることがらも、十分にお詠みあそばされない。
宮はお悲しみの実感が余って、歌としては完全なものがおできにならなかった。
1.6.10 「故院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに
またもこの世のさらに辛いことに遭います」
別れしに悲しきことは尽きにしを
またもこの世の()さは(まさ)れる

第七段 桐壺院の御墓に離京の挨拶

1.7.1
月待(つきま)()でて()でたまふ。
御供(おほんとも)にただ()六人(ろくにん)ばかり、下人(しもびと)もむつましき(かぎ)りして、御馬(おほんむま)にてぞおはする。
さらなることなれど、ありし()(おほん)ありきに(こと)なり、(みな)いと(かな)しう(おも)ふなり。
なかにかの御禊(みそぎ)()(かり)御随身(みずいじん)にて(つか)うまつりし右近(うこん)将監(ぞう)蔵人(くらうど)()べきかうぶりもほど()ぎつるを、つひに御簡削(みふだけづ)られ、(つかさ)()られてはしたなければ、御供(おほんとも)(まゐ)るうちなり。
月を待ってお出かけになる。
お供にわずか五、六人ほど、下人も気心の知れた者だけを連れて、お馬でいらっしゃる。
言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思うのである。
その中で、あの御禊の日、仮の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人、当然得るはずの五位の位にも時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて、面目がないので、お供に参る一人である。
やっと月が出たので、三条の宮を源氏は出て御陵へ行こうとした。供はただ五、六人つれただけである。下の侍も親しい者ばかりにして馬で行った。今さらなことではあるが以前の源氏の外出に比べてなんという寂しい一行であろう。家従たちも皆悲しんでいたが、その中に昔の斎院の御禊(みそぎ)の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人(くろうど)を兼ねた右近衛将曹(うこんえしょうそう)は、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人所の出仕は止められ、官を奪われてしまったので、これも進んで須磨へ行く一人になっているのであるが、
1.7.2
賀茂(かも)(しも)御社(みやしろ)を、かれと見渡(みわた)すほど、ふと(おも)()でられて、()りて、御馬(おほんむま)(くち)()
賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと思い出されて、下りて、お馬の轡を取る。
この男が下加茂(しもがも)(やしろ)がはるかに見渡される所へ来ると、ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに源氏の馬の口を取って歌った。
1.7.3 「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと
御利益がなかったのかとつらく思われます、
ひきつれて(あふひ)かざせしそのかみを
思へばつらし加茂のみづがき
1.7.4
()ふを、げに、いかに(おも)ふらむ。
(ひと)よりけにはなやかなりしものを」と(おぼ)すも、心苦(こころぐる)し。
と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。
誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。
どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれてはなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。
1.7.5
(きみ)も、御馬(おほんむま)より()りたまひて、御社(みやしろ)のかた(をが)みたまふ。
(かみ)にまかり(まう)したまふ
君も御馬から下りなさって、御社の方、拝みなさる。
神にお暇乞い申し上げなさる。
自身もまた馬からおりて加茂の(やしろ)遥拝(ようはい)してお暇乞(いとまご)いを神にした。
1.7.6 「辛い世の中を今離れて行く、
後に残る
うき世をば今ぞ離るる(とど)まらん
名をばただすの神に任せて
1.7.7
とのたまふさま、ものめでする(わか)(ひと)にて()にしみてあはれにめでたしと()たてまつる。
とお詠みになる様子、感激しやすい若者なので、身にしみてご立派なと拝する。
と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
1.7.8
御山(みやま)()うでたまひて、おはしましし(おほん)ありさまただ()(まへ)のやうに(おぼ)()でらる。
(かぎ)りなきにても、()()くなりぬる(ひと)ぞ、()はむかたなく口惜(くちを)しきわざなりける。
よろづのことを()()(まう)したまひてもそのことわりをあらはに(うけたまは)りたまはねばさばかり(おぼ)しのたまはせしさまざまの御遺言(おほんゆいごん)は、いづちか()()せにけむ」と、いふかひなし。
御陵に参拝なさって、御在世中のお姿、まるで眼前の事にお思い出しになられる。
至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまった人は、何とも言いようもなく無念なことであった。
何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りにならないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。
父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君王も過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿をお出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。
1.7.9 御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする。
帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿、はっきりと現れなさった、鳥肌の立つ思いである。
自分のためにあそばされた数々の御遺言はどこへ皆失われたものであろうと、そんなことがまたここで悲しまれる源氏であった。御墓のある所は高い雑草がはえていて、分けてはいる人は露に全身が潤うのである。この時は月もちょうど雲の中へ隠れていて、前方の森が暗く続いているためにきわまりもなくものすごい。もうこのまま帰らないでもいいような気がして、一心に源氏が拝んでいる時に、昔のままのお姿が幻に見えた。それは寒けがするほどはっきりと見えた幻であった。
1.7.10 「亡き父上はどのように御覧になっていられることだろうか
父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった」
()き影やいかで見るらんよそへつつ
(なが)むる月も雲隠れぬる

第八段 東宮に離京の挨拶

1.8.1
()()つるほどに(かへ)りたまひて春宮(とうぐう)にも御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。
王命婦(わうみゃうぶ)御代(おほんか)はりにてさぶらはせたまへば、「その御局(みつぼね)」とて、
すっかり明けたころにお帰りになって、東宮にもお便りを差し上げなさる。
王命婦をお身代わりとして伺候させていらしたので、「そのお部屋に」と言って、
もう朝になるころ源氏は二条の院へ帰った。源氏は東宮へもお暇乞いの御挨拶(あいさつ)をした。中宮は王命婦(おうみょうぶ)を御自身の代わりに宮のおそばへつけておありになるので、その部屋のほうへ手紙を持たせてやったのである。
1.8.2
今日(けふ)なむ、都離(みやこはな)れはべる
また(まゐ)りはべらずなりぬるなむ、あまたの(うれ)へにまさりて(おも)うたまへられはべる。
よろづ()(はか)りて(けい)したまへ。
「今日、都を離れます。
もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。
すべてご推察いただき、
いよいよ今日京を立ちます。もう一度伺って宮に拝顔を得ませぬことが、何の悲しみよりも大きい悲しみに私は思われます。何事も胸中を御推察くだすって、よろしきように宮へ申し上げてください。
1.8.3 いつ再び春の都の花盛りを見ることができようか
時流を失った山賤のわが身になって」
いつかまた春の都の花を見ん
時うしなへる山がつにして
1.8.4
(さくら)()りすきたる(えだ)につけたまへり。
かくなむ」と御覧(ごらん)ぜさすれば、(をさな)御心地(みここち)にもまめだちておはします。
桜の散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃった。
「しかじかです」と御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。
この手紙は、桜の花の大部分は散った枝へつけてあった。命婦は源氏の今日の出立を申し上げて、この手紙を東宮にお目にかけると、御幼年ではあるがまじめになって読んでおいでになった。
1.8.5 「お返事はどのように申し上げましょうか」
「お返事はどう書きましたらよろしゅうございましょう」
1.8.6
(けい)すれば、
と啓上すると、

1.8.7
しばし()ぬだに(こひ)しきものを、(とほ)くはましていかに、()へかし」
「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」
「しばらく逢わないでも私は恋しいのであるから、遠くへ行ってしまったら、どんなに苦しくなるだろうと思うとお書き」
1.8.8
とのたまはす。
ものはかなの御返(おほんかへ)りや」と、あはれに()たてまつる。
あぢきなきことに御心(みこころ)をくだきたまひし(むかし)のこと、折々(をりをり)(おほん)ありさま、(おも)(つづ)けらるるにも、もの(おも)ひなくて(われ)(ひと)()ぐいたまひつべかりける()を、(こころ)(おぼ)(なげ)きけるを(くや)しう、わが(こころ)ひとつにかからむことのやうにぞおぼゆる。
御返(おほんかへ)りは、
と仰せになる。
「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。
どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のこと、季節折々のご様子、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを悔しくて、自分一人の責任のように思われる。
お返事は、
と宮は仰せられる。なんという御幼稚さだろうと思って命婦はいたましく宮をながめていた。苦しい恋に夢中になっていた昔の源氏、そのある日の場合、ある夜の場合を命婦は思い出して、その恋愛がなかったならお二人にあの長い苦労はさせないでよかったのであろうと思うと、自身に責任があるように思われて苦しかった。返事は、
1.8.9
さらに()こえさせやりはべらず
御前(おまへ)には(けい)しはべりぬ。
心細(こころぼそ)げに(おぼ)()したる()けしきもいみじくなむ」
「とても言葉に尽くして申し上げられません。
御前には啓上致しました。
心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしうございます」
何とも申しようがございません。宮様へは申し上げました。お心細そうな御様子を拝見いたします私も非常に悲しゅうございます。
1.8.10
と、そこはかとなく、(こころ)(みだ)れけるなるべし
と、とりとめなく、心が動揺しているからであろう。
と書いたあとは、悲しみに取り乱してよくわからぬ所があった。
1.8.11 「咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども
再び都に戻って春の都を御覧ください
咲きてとく散るは()けれど行く春は
花の都を立ちかへり見よ
1.8.12 季節がめぐり来れば」
また御運の開けることがきっとございましょう。
1.8.13
()こえて、名残(なごり)もあはれなる物語(ものがたり)をしつつ、一宮(ひとみや)のうち(しの)びて()きあへり。
と申し上げて、その後も悲しいお話をしいしい、御所中、声を抑えて泣きあっていた。
とも書いて出したが、そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。
1.8.14
一目(ひとめ)()たてまつれる(ひと)は、かく(おぼ)しくづほれぬる(おほん)ありさまを、(なげ)()しみきこえぬ(ひと)なし。
まして、(つね)(まゐ)()れたりしは、()(およ)びたまふまじき長女(をさめ)御厠人(みかはやうど)まで、ありがたき御顧(おほんかへり)みの(した)なりつるをしばしにても()たてまつらぬほどや()む」と、(おも)(なげ)きけり。
一目でも拝し上げた者は、このようにご悲嘆のご様子を、嘆き惜しまない人はいない。
まして、平素お仕えしてきた者は、ご存知になるはずもない下女、御厠人まで、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。
一日でも源氏を見た者は皆不幸な旅に立つことを悲しんで惜しまぬ人もないのである。まして常に源氏の出入りしていた所では、源氏のほうへは知られていない長女(おさめ)御厠人(みかわやうど)などの下級の女房までも源氏の慈愛を受けていて、たとえ短い期間で悪夢は終わるとしても、その間は源氏を見ることのできないのを(なげ)いていた。
1.8.15
おほかたの()(ひと)も、(たれ)かはよろしく(おも)ひきこえむ。
(なな)つになりたまひしこのかた(みかど)御前(おまへ)夜昼(よるひる)さぶらひたまひて、(そう)したまふことのならぬはなかりしかばこの(おほん)いたはりにかからぬ(ひと)なく、御徳(おほんとく)をよろこばぬやはありし
やむごとなき上達部(かんだちめ)弁官(べんかん)などのなかにも(おほ)かり。
それより(しも)数知(かずし)らぬを、(おも)()らぬにはあらねど、さしあたりて、いちはやき()(おも)(はばか)りて、(まゐ)()るもなし。
()ゆすりて()しみきこえ、(した)朝廷(おほやけ)をそしり(うら)みたてまつれど、()()ててとぶらひ(まゐ)らむにも、(なに)のかひかは」と(おも)ふにや、かかる(をり)人悪(ひとわ)ろく、(うら)めしき人多(ひとおほ)く、()(なか)はあぢきなきものかな」とのみ、よろづにつけて(おぼ)す。
世間一般の人々も、誰が並大抵に思い申し上げたりなどしようか。
七歳におなりになった時から今まで、帝の御前に昼夜となくご伺候なさって、ご奏上なさることでお聞き届けられぬことはなかったので、このご功労にあずからない者はなく、ご恩恵を喜ばない者がいたであろか。
高貴な上達部、弁官などの中にも多かった。
それより下では数も分からないが、ご恩を知らないのではないが、当面は、厳しい現実の世を憚って、寄って参る者はいない。
世を挙げて惜しみ申し、内心では朝廷を批判し、お恨み申し上げたが、「身を捨ててお見舞いに参上しても、何になろうか」と思うのであろうか、このような時には体裁悪く、恨めしく思う人々が多く、「世の中というものはおもしろくないものだな」とばかり、万事につけてお思いになる。
世間もだれ一人今度の当局者の処置を至当と認める者はないのであった。七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、源氏の言葉はことごとく通り、源氏の推薦はむだになることもなかった。官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。源氏に対して感謝の念のない者はないのである。大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。それ以下は無数である。皆が皆恩を忘れているのではないが、報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。社会全体が源氏を惜しみ、陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、恨んだりすることは紳士らしくないことであると思いながらも、源氏の心にはつい恨めしくなる人たちもさすがに多くて、人生はいやなものであると何につけても思われた。

第九段 離京の当日

1.9.1 出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし申し上げなさって、旅立ちの例で、夜明け前にお立ちになる。
狩衣のご衣装など、旅のご装束、たいそう質素なふうになさって、
当日は終日夫人と語り合っていて、そのころの例のとおりに早暁に源氏は出かけて行くのであった。狩衣(かりぎぬ)などを着て、簡単な旅装をしていた。
1.9.2
月出(つきい)でにけりな
なほすこし()でて、()だに(おく)りたまへかし。
いかに()こゆべきこと(おほ)くつもりにけりとおぼえむとすらむ。
一日(ひとひ)二日(ふつか)たまさかに(へだ)たる(をり)だにあやしういぶせき心地(ここち)するものを」
「月も出たなあ。
もう少し端に出て、せめて見送ってください。
どんなにお話申し上げたいことがたくさん積もったと思うことでしょう。
一日、二日まれに離れている時でさえ、不思議と気が晴れない思いがしますものを」
「月が出てきたようだ。もう少し端のほうへ出て来て、見送ってだけでもください。あなたに話すことがたくさん積もったと毎日毎日思わなければならないでしょうよ。一日二日ほかにいても話がたまり過ぎる苦しい私なのだ」
1.9.3
とて、御簾巻(みすま)()げて、(はし)にいざなひきこえたまへば、女君(をんなぎみ)()(しづ)みたまへるをためらひて、ゐざり()でたまへる、月影(つきかげ)に、いみじうをかしげにてゐたまへり。
わが()かくてはかなき()(わか)れなば、いかなるさまにさすらへたまはむ」と、うしろめたく(かな)しけれど、(おぼ)()りたるに、いとどしかるべければ、
とおっしゃって、御簾を巻き上げて、端近にお誘い申し上げなさると、女君、泣き沈んでいらっしゃたが、気持ちを抑えて、膝行して出ていらっしゃったのが、月の光にたいそう美しくお座りになった。
「わが身がこのようにはかない世の中を離れて行ったら、どのような状態でさすらって行かれるのであろうか」と、不安で悲しく思われるが、深いお悲しみの上に、ますます悲しませるようなので、
と言って、御簾(みす)を巻き上げて、縁側に近く女王(にょおう)を誘うと、泣き沈んでいた夫人はためらいながら膝行(いざ)って出た。月の光のさすところに非常に美しく女王はすわっていた。自分が旅中に死んでしまえばこの人はどんなふうになるであろうと思うと、源氏は残して行くのが気がかりになって悲しかったが、そんなことを思い出せば、いっそうこの人を悲しませることになると思って、
1.9.4 「生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
命のある限りは一緒にと信じていたことよ
「生ける世の別れを知らで契りつつ
命を人に限りけるかな
1.9.5 はかないことだ」
はかないことだった」
1.9.6
など、あさはかに()こえなしたまへば、
などと、わざとあっさりと申し上げなさったので、
とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。
1.9.7 「惜しくもないわたしの命に代えて、
今のこの別れを少しの間でも引きとどめて置きたい
惜しからぬ命に代へて目の前の
別れをしばしとどめてしがな
1.9.8
げに、さぞ(おぼ)さるらむ」と、いと見捨(みす)てがたけれど、()()てなば、はしたなかるべきにより、(いそ)()でたまひぬ。
「なるほど、そのようにもお思いだろう」と、たいそう見捨てて行きにくいが、夜がすっかり明けてしまったら、きまりが悪いので、急いでお立ちになった。
と夫人は言う。それが真実の心の叫びであろうと思うと、立って行けない源氏であったが、夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。
1.9.9
(みち)すがら、面影(おもかげ)につと()ひて、(むね)もふたがりながら、御舟(おほんふね)()りたまひぬ
日長(ひなが)きころなれば、追風(おひかぜ)さへ()ひて、まだ(さる)(とき)ばかりに、かの(うら)()きたまひぬ
かりそめの(みち)にてもかかる(たび)をならひたまはぬ心地(ここち)に、心細(こころぼそ)さもをかしさもめづらかなり。
大江殿(おほえどの)()ひける(ところ)いたう()れて、(まつ)ばかりぞしるしなる
道中、面影のようにありありとまぶたに浮かんで、胸もいっぱいのまま、お舟にお乗りになった。
日の長いころなので、追い風までが吹き加わって、まだ申の時刻に、あの浦にお着きになった。
ほんのちょっとのお出ましであっても、こうした旅路をご経験のない気持ちで、心細さも物珍しさも並大抵ではない。
大江殿と言った所は、ひどく荒れて、松の木だけが形跡をとどめているだけである。
道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。日の長いころであったし、追い風でもあって午後四時ごろに源氏の一行は須磨に着いた。旅をしたことのない源氏には、心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。大江殿という所は荒廃していて松だけが昔の名残(なごり)のものらしく立っていた。
1.9.10 「唐国で名を残した人以上に
行方も知らない侘住まいをするのだろうか」
唐国(からくに)に名を残しける人よりも
ゆくへ知られぬ家居(いへゐ)をやせん
1.9.11
(なぎさ)()(なみ)のかつ(かへ)るを()たまひて、うらやましくも」と、うち()じたまへるさま、さる()古言(ふること)なれど、(めづら)しう()きなされ、(かな)しとのみ御供(おほんとも)(ひと)びと(おも)へり。
うち(かへり)みたまへるに、()(かた)(やま)(かすみ)はるかにて、まことに「三千里(さんぜんり)(ほか)」の心地(ここち)するに、(かい)(しづく)()へがたし。
渚に打ち寄せる波の寄せては返すのを御覧になって、「うらやましくも」と口ずさみなさっているご様子、誰でも知っている古歌であるが、珍しく聞けて、悲しいとばかりお供の人々は思っている。
振り返って御覧になると、来た方角の山は霞が遠くにかかって、まことに、「三千里の外」という心地がすると、櫂の滴も耐えきれない。
と源氏は口ずさまれた。(なぎさ)へ寄る波がすぐにまた帰る波になるのをながめて、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」これも源氏の口に上った。だれも知った業平朝臣(なりひらあそん)の古歌であるが、感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。来たほうを見ると山々が遠く(かす)んでいて、三千里外の旅を歌って、(かい)(しずく)に泣いた詩の境地にいる気もした。
1.9.12 「住みなれた都を峰の霞は遠く隔てるが
悲しい気持ちで眺めている空は同じ空なのだ」
ふる里を峯の(かすみ)は隔つれど
(なが)むる空は同じ雲井か
1.9.13
つらからぬものなくなむ。
辛くなく思われないものはないのであった。
総てのものが寂しく悲しく見られた。

第二章 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語


第一段 須磨の住居

2.1.1
おはすべき(ところ)行平(ゆきひら)中納言(ちゅうなごん)の、藻塩垂(もしほた)れつつ」()びける家居近(いへゐちか)きわたりなりけり。
(うみ)づらはやや()りて、あはれにすごげなる山中(やまなか)なり。
お住まいになる所は、行平中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まい付近なのであった。
海岸からは少し入り込んで、身にしみるばかり寂しい山の中である。
隠栖(いんせい)の場所は行平(ゆきひら)が「藻塩(もしほ)()れつつ()ぶと答へよ」と歌って住んでいた所に近くて、海岸からはややはいったあたりで、きわめて寂しい山の中である。
2.1.2
(かき)のさまよりはじめて、めづらかに()たまふ。
茅屋(かやや)ども、葦葺(あしふ)ける(らう)めく()など、をかしうしつらひなしたり。
(ところ)につけたる御住(おほんす)まひ、やう()はりて、かからぬ(をり)ならば、をかしうもありなまし」と、(むかし)御心(みこころ)のすさび(おぼ)()づ。
垣根の様子をはじめとして、物珍しく御覧になる。
茅葺きの建物、葦で葺いた回廊のような建物など、風情のある造作がしてあった。
場所柄にふさわしいお住まい、風変わりに思われて、「このようなでない時ならば、興趣深くもあったであろうに」と、昔のお心にまかせたお忍び歩きのころをお思い出しになる。
めぐらせた垣根(かきね)見馴(みな)れぬ珍しい物に源氏は思った。茅葺(かやぶ)きの家であって、それに(あし)葺きの廊にあたるような建物が続けられた風流な住居(すまい)になっていた。都会の家とは全然変わったこの趣も、ただの旅にとどまる家であったならきっとおもしろく思われるに違いないと平生の趣味から源氏は思ってながめていた。
2.1.3
(ちか)所々(ところどころ)御荘(みさう)司召(つかさめ)して、さるべきことどもなど、良清朝臣(よしきよのあそん)(した)しき家司(けいし)にて、(おほ)(おこ)なふもあはれなり
(とき)()に、いと見所(みどころ)ありてしなさせたまふ。
水深(みづふか)()りなし、植木(うゑき)どもなどして、(いま)はと(しづ)まりたまふ心地(ここち)うつつならず。
(くに)(かみ)(した)しき殿人(とのびと)なれば、(しの)びて心寄(こころよ)(つか)うまつる。
かかる旅所(たびどころ)ともなう、人騒(ひとさわ)がしけれども、はかばかしう(もの)をものたまひあはすべき(ひと)しなければ、()らぬ(くに)心地(ここち)して、いと(むも)れいたく、「いかで年月(としつき)()ぐさまし」と(おぼ)しやらる。
近い所々のご荘園の管理者を呼び寄せて、しかるべき事どもを、良清朝臣が、側近の家司として、お命じになり取り仕切るのも感に耐えないことである。
暫くの間に、たいそう風情があるようにお手入れさせなさる。
遣水を深く流し、植木類を植えたりして、もうすっかりと落ち着きなさるお気持ち、夢のようである。
国守も親しい家来筋の者なので、こっそりと好意をもってお世話申し上げる。
このような旅の生活にも似ず、人がおおぜい出入りするが、まともにお話相手となりそうな人もいないので、知らない他国の心地がして、ひどく気も滅入って、「どのようにしてこれから先過ごして行こうか」と、お思いやらずにはいられない。
ここに近い領地の預かり人などを呼び出して、いろいろな仕事を命じたり、良清朝臣(よしきよあそん)などが家職の下役しかせぬことにも奔走するのも哀れであった。きわめて短時日のうちにその家もおもしろい上品な山荘になった。水の流れを深くさせたり、木を植えさせたりして落ち着いてみればみるほど夢の気がした。摂津守(せっつのかみ)も以前から源氏に隷属していた男であったから、公然ではないが好意を寄せていた。そんなことで、準配所であるべき家も人出入りは多いのであるが、はかばかしい話し相手はなくて外国にでもいるように源氏は思われるのであった。こうしたつれづれな生活に何年も辛抱(しんぼう)することができるであろうかと源氏はみずから(あやぶ)んだ。

第二段 京の人々へ手紙

2.2.1
やうやう事静(ことしづ)まりゆくに、長雨(ながあめ)のころになりて(きゃう)のことも(おぼ)しやらるるに、(こひ)しき人多(ひとおほ)く、女君(をんなぎみ)(おぼ)したりしさま、春宮(とうぐう)御事(おほんこと)若君(わかぎみ)何心(なにごころ)もなく(まぎ)れたまひしなどをはじめ、ここかしこ(おも)ひやりきこえたまふ。
だんだんと落ち着いて行くころ、梅雨時期になって、京のことがご心配になられて、恋しい人々が多く、女君の悲しんでいらした様子、東宮のお身の上、若君が無邪気に動き回っていらしたことなどをはじめとして、あちらこちら方をお思いやりになる。
住居(ずまい)がようやく整った形式を備えるようになったころは、もう五月雨(さみだれ)の季節になっていて、源氏は京の事がしきりに思い出された。恋しい人が多かった。(なげ)きに沈んでいた夫人、東宮のこと、無心に元気よく遊んでいた若君、そんなことばかりを思って悲しんでいた。
2.2.2
(きゃう)人出(ひとい)だし()てたまふ。
二条院(にでうのゐん)へたてまつりたまふと、入道(にふだう)(みや)のとは、()きもやりたまはず、(くら)されたまへり。
(みや)には、
京へ使者をお立てになる。
二条院に差し上げなさるのと、入道の宮のとは、筆も思うように進まず、涙に目も暮れなさった。
宮には、
源氏は京へ使いを出すことにした。二条の院へと入道の宮へとの手紙は容易に書けなかった。宮へは、
2.2.3 「出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか
わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです
松島のあまの苫屋(とまや)もいかならん
須磨の浦人しほたるる(ころ)
2.2.4
いつとはべらぬなかにも()方行(かたゆ)(さき)かきくらし、(みぎは)まさりて』なむ」
悲しさは常のことですが、過去も未来もまっ暗闇といった感じで、『汀まさりて』という思いです」
いつもそうでございますが、ことに五月雨にはいりましてからは、悲しいことも、昔の恋しいこともひときわ深く、ひときわ自分の世界が暗くなった気がいたされます。というのであった。
2.2.5
尚侍(ないしのかみ)(おほん)もとに、(れい)の、中納言(ちゅうなごん)(きみ)私事(わたくしごと)のやうにて、(なか)なるに、
尚侍のお許に、例によって、中納言の君への私事のようにして、その中に、
尚侍(ないしのかみ)の所へは、例のように中納言の君への私信のようにして、その中へ入れたのには、
2.2.6
つれづれと()ぎにし(かた)(おも)ひたまへ()でらるるにつけても、
「所在なく過ぎ去った日々の事柄が自然と思い出されるにつけても、
流人(るにん)のつれづれさに昔の追想されることが多くなればなるほど、お逢いしたくてならない気ばかりがされます。
2.2.7 性懲りもなくお逢いしたく思っていますが
あなた様はどう思っておいででしょうか」
こりずまの浦のみるめのゆかしきを
塩焼くあまやいかが思はん
2.2.8 いろいろとお心を尽くして書かれた言葉というのを想像してください。
と書いた。なお言葉は多かった。
2.2.9
大殿(おほいどの)にも、宰相(さいしゃう)乳母(めのと)にも、(つか)うまつるべきことなど()きつかはす。
大殿邸にも、宰相の乳母のもとに、ご養育に関する事柄をお書きつかわしになる。
左大臣へも書き、若君の乳母(めのと)の宰相の君へも育児についての注意を源氏は書いて送った。
2.2.10
(きゃう)には、この御文(おほんふみ)所々(ところどころ)()たまひつつ、御心乱(みこころみだ)れたまふ(ひと)びとのみ(おほ)かり。
二条院(にでうのゐん)(きみ)は、そのままに()きも()がりたまはず、()きせぬさまに(おぼ)しこがるれば、さぶらふ(ひと)びともこしらへわびつつ、心細(こころぼそ)(おも)ひあへり。
京では、このお手紙を、あちこちで御覧になって、お心を痛められる方々ばかりが多かった。
二条院の君は、あれからお枕も上がらず、尽きぬ悲しみに沈まれているので、伺候している女房たちもお慰め困じて、互いに心細く思っていた。
京では須磨の使いのもたらした手紙によって思い乱れる人が多かった。二条の院の女王(にょおう)は起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。(こが)れて泣く女王を女房たちはなだめかねて心細い思いをしていた。
2.2.11
もてならしたまひし御調度(みてうど)ども、()きならしたまひし御琴(おほんこと)()()てたまひつる御衣(おほんぞ)(にほ)ひなどにつけても、(いま)はと()になからむ(ひと)のやうにのみ(おぼ)したれば、かつはゆゆしうて、少納言(せうなごん)は、僧都(そうづ)御祈(おほんいの)りのことなど()こゆ。
二方(ふたかた)御修法(みしゅほふ)などせさせたまふ。
かつは、「(おぼ)(なげ)御心静(みこころしづ)めたまひて、(おも)ひなき()にあらせたてまつりたまへ」と、心苦(こころぐる)しきままに(いの)(まう)したまふ。
日頃お使いになっていらした御調度などや、お弾き馴れていらしたお琴、お脱ぎ置きになったお召し物の薫りなどにつけても、今はもうこの世にいない人のようにばかりお思いになっているので、ごもっともと思う一方で縁起でもないので、少納言は、僧都にご祈祷をお願い申し上げる。
お二方のために御修法などをおさせになる。
ご帰京を祈る一方では、「このようにお悲しみになっているお気持ちをお鎮めくださって、物思いのないお身の上にさせて上げてください」と、おいたわしい気持ちでお祈り申し上げなさる。
源氏の使っていた手道具、常に()いていた楽器、脱いで行った衣服の香などから受ける感じは、夫人にとっては人の死んだ跡のようにはげしいものらしかった。夫人のこの状態がまた苦労で、少納言は北山の僧都(そうず)祈祷(きとう)のことを頼んだ。北山では哀れな肉親の夫人のためと、源氏のために修法(しゅほう)をした。夫人の(なげ)きの心が静まっていくことと、幸福な日がまた二人の上に帰ってくることを仏に祈ったのである。
2.2.12
(たび)御宿直物(おほんとのゐもの)など、調(てう)じてたてまつりたまふ。
かとりの御直衣(おほんなほし)指貫(さしぬき)さま()はりたる心地(ここち)するもいみじきに、()らぬ(かがみ)」とのたまひし面影(おもかげ)の、げに()()ひたまへるもかひなし。
旅先でのご寝具など、作ってお届けなさる。
かとりのお直衣、指貫、変わった感じがするにつけても悲しいのに、「去らない鏡の」とお詠みになった面影が、なるほど目に浮かんで離れないのも詮のないことである。
二条の院では夏の夜着類も作って須磨へ送ることにした。無位無官の人の用いる(かとり)の絹の直衣(のうし)指貫(さしぬき)の仕立てられていくのを見ても、かつて思いも寄らなかった悲哀を夫人は多く感じた。鏡の影ほどの確かさで心は常にあなたから離れないだろうと言った、恋しい人の面影はその言葉のとおりに目から離れなくても、現実のことでないことは何にもならなかった。
2.2.13
()()りたまひし(かた)()りゐたまひし真木柱(まきばしら)などを()たまふにも、(むね)のみふたがりてものをとかう(おも)ひめぐらし、()にしほじみぬる(よはひ)(ひと)だにあり、まして、()れむつびきこえ、父母(ちちはは)にもなりて()ほし()てならはしたまへれば、(こひ)しう(おも)ひきこえたまへる、ことわりなり。
ひたすら()になくなりなむは、()はむ(かた)なくて、やうやう(わす)(ぐさ)()ひやすらむ()くほどは(ちか)けれど、いつまでと(かぎ)りある御別(おほんわか)れにもあらで、(おぼ)すに()きせずなむ。
始終出入りなさったあたり、寄り掛かりなさった真木柱などを御覧になるにつけても、胸ばかりが塞がって、よく物事の分別がついて、世間の経験を積ん年輩の人でさえそうであるのに、まして、お馴れ親しみ申し、父母にもなりかわってお育て申されてきたので、恋しくお思い申し上げなさるのも、ごもっともなことである。
まるでこの世から去られてしまうのは、何とも言いようがなく、だんだん忘れることもできようが、聞けば近い所であるが、いつまでと期限のあるお別れでもないので、思えば思うほど悲しみは尽きないのである。
源氏がそこから出入りした戸口、よりかかっていることの多かった柱も見ては胸が悲しみでふさがる夫人であった。今の悲しみの量を過去の幾つの事に比べてみることができたりする年配の人であっても、こんなことは堪えられないに違いないのを、だれよりも(むつ)まじく暮らして、ある時は父にも母にもなって愛撫(あいぶ)された保護者で良人(おっと)だった人ににわかに引き離されて女王が源氏を恋しく思うのはもっともである。死んだ人であれば悲しい中にも、時間があきらめを教えるのであるが、これは遠い十万億土ではないが、いつ帰るとも定めて思えない別れをしているのであるのを夫人はつらく思うのである。
2.2.14
入道宮(にふだうのみや)にも、春宮(とうぐう)御事(おほんこと)により(おぼ)(なげ)くさま、いとさらなり。
御宿世(おほんすくせ)のほどを(おぼ)すには、いかが(あさ)(おぼ)されむ
(とし)ごろはただものの()こえなどのつつましさに、すこし(なさ)けあるけしき()せばそれにつけて(ひと)のとがめ()づることもこそ」とのみ、ひとへに(おぼ)(しの)びつつ、あはれをも(おほ)御覧(ごらん)()ぐし、すくすくしうもてなしたまひしを、かばかり()()人言(ひとごと)なれど、かけてもこの(かた)には()()づることなくて()みぬるばかりの、(ひと)(おほん)おもむけも、あながちなりし(こころ)()(かた)にまかせず、かつはめやすくもて(かく)しつるぞかし」。
あはれに(こひ)しうも、いかが(おぼ)()でざらむ
御返(おほんかへ)りも、すこしこまやかにて、
入道の宮におかれても、春宮の御将来のことでお嘆きになるご様子、いうまでもない。
御宿縁をお考えになると、どうして並大抵のお気持ちでいられようか。
近年はただ世間の評判が憚られるので、「少しでも同情の素振りを見せたら、それにつけても誰か咎めだてすることがありはしまいか」とばかり、一途に堪え忍び忍びして、愛情をも多く知らないふりをして、そっけない態度をなさっていたが、「これほどにつらい世の噂ではあるが、少しもこのことについては噂されることなく終わったほどの、あの方の態度も、一途であった恋心の赴くままにまかせず、一方では無難に隠したのだ」。
しみじみと恋しいが、どうしてお思い出しになれずにいられようか。
お返事も、いつもより情愛こまやかに、
入道の宮も東宮のために源氏が逆境に沈んでいることを悲しんでおいでになった。そのほか源氏との宿命の深さから思っても宮のお(なげ)きは、複雑なものであるに違いない。これまではただ世間が恐ろしくて、少しの(あわれ)みを見せれば、源氏はそれによって身も世も忘れた行為に出ることが想像されて、動く心もおさえる一方にして、御自身の心までも無視して冷淡な態度を取り続けられたことによって、うるさい世間であるにもかかわらず何の(うわさ)も立たないで済んだのである。源氏の恋にも御自身の内の感情にも成長を与えなかったのは、ただ自分の苦しい努力があったからであると思召(おぼしめ)される宮が、尼におなりになって、源氏が対象とすべくもない解放された境地から源氏を悲しくも恋しくも今は思召されるのであった。お返事も以前のものに比べて情味があった。
2.2.15
このころはいとど、
「このごろは、ますます、
このごろはいっそう、
2.2.16 涙に濡れているのを仕事として
出家したわたしも嘆きを積み重ねています」
しほたるることをやくにて松島に
()るあまもなげきをぞ積むというのであった。
2.2.17
尚侍君(かんのきみ)御返(おほんかへ)りには、
尚侍の君のお返事には、
尚侍(ないしのかみ)のは、
2.2.18 「須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから
人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません
浦にたくあまたにつつむ恋なれば
(くゆ)る煙よ行く(かた)ぞなき
2.2.19 今さら言うまでもございませんことの数々は、申し上げるまでもなく」
今さら申し上げるまでもないことを略します。
2.2.20
とばかり、いささか()きて中納言(ちゅうなごん)(きみ)(なか)にあり。
(おぼ)(なげ)くさまなど、いみじう()ひたり
あはれと(おも)ひきこえたまふ節々(ふしぶし)もあれば、うち()かれたまひぬ。
とだけ、わずかに書いて、中納言の君の手紙の中にある。
お嘆きのご様子など、たくさん書かれてあった。
いとしいとお思い申されるところがあるので、ふとお泣きになってしまった。
という短いので、中納言の君は悲しんでいる尚侍の哀れな状態を報じて来た。身にしむ節々(ふしぶし)もあって源氏は涙がこぼれた。
2.2.21
姫君(ひめぎみ)御文(おほんふみ)は、(こころ)ことにこまかなりし御返(おほんかへ)りなれば、あはれなること(おほ)くて、
姫君のお手紙は、格別に心こめたお返事なので、しみじみと胸を打つことが多くて、
紫の女王のは特別にこまやかな情のこめられた源氏の手紙の返事であったから、身にしむことも多く書かれてあった。
2.2.22 「あなたのお袖とお比べになってみてください
遠く波路隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と」
浦人の塩()(そで)にくらべ見よ
波路隔つる夜の衣を
2.2.23
ものの(いろ)したまへるさまなど、いときよらなり。
(なに)ごともらうらうじうものしたまふを、(おも)ふさまにて、(いま)他事(ことごと)(こころ)あわたたしう、()きかかづらふ(かた)もなく、しめやかにてあるべきものを」と(おぼ)すに、いみじう口惜(くちを)しう、夜昼面影(よるひるおもかげ)におぼえて、()へがたう(おも)()でられたまへば、なほ(しの)びてや(むか)へまし」と(おぼ)す。
またうち(かへ)し、なぞや、かく()()に、(つみ)をだに(うしな)はむ」と(おぼ)せば、やがて御精進(みさうじん)にて、()()(おこ)なひておはす。
お召物の色合い、仕立て具合など、実に良く出来上がっていた。
何事につけてもいかにも上手にお出来になるのが、思い通りであるので、「今ではよけいな情事に心せわしく、かかずらうこともなく、落ち着いて暮らせるはずものを」とお思いになると、ひどく残念に、昼夜なく面影が目の前に浮かんで、堪え難く思わずにはいらっしゃれないので、「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」とお思いになる。
また一方で思い返して、「どうして出来ようか、このようにつらい世であるから、せめて罪障だけでも消滅させよう」とお考えになると、そのままご精進の生活に入って、明け暮れお勤めをなさる。
という夫人から、使いに託してよこした夜着や衣服類に洗練された趣味のよさが見えた。源氏はどんなことにもすぐれた女になった女王がうれしかった。青春時代の恋愛も清算して、この人と静かに生を楽しもうとする時になっていたものをと思うと、源氏は運命が恨めしかった。夜も昼も女王の面影を思うことになって、堪えられぬほど恋しい源氏は、やはり若紫は須磨へ迎えようという気になった。
2.2.24
大殿(おほとの)若君(わかぎみ)御事(おほんこと)などあるにも、いと(かな)しけれど、おのづから()()てむ
(たの)もしき(ひと)びとものしたまへば、うしろめたうはあらず」と、(おぼ)しなさるるは、なかなか、()(みち)(まど)はれぬにやあらむ
大殿の若君のお返事などあるにつけ、とても悲しい気がするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。
信頼できる人々がついていらっしゃるから、不安なことはない」と、思われなされるのは、子供を思う煩悩の方は、かえってお惑いにならないのであろうか。
左大臣からの返書には若君のことがいろいろと書かれてあって、それによってまた平生以上に子と別れている親の情は動くのであるが、頼もしい祖父母たちがついていられるのであるから、気がかりに思う必要はないとすぐに考えられて、子の(やみ)という言葉も、愛妻を思う煩悩(ぼんのう)の闇に比べて薄いものらしくこの人には見えた。

第三段 伊勢の御息所へ手紙

2.3.1
まことや、(さわ)がしかりしほどの(まぎ)れに()らしてけり
かの伊勢(いせ)(みや)へも御使(おほんつかひ)ありけり。
かれよりも、ふりはへ(たづ)(まゐ)れり。
(あさ)からぬことども()きたまへり。
(こと)()(ふで)づかひなどは、(ひと)よりことになまめかしく、いたり(ふか)()えたり。
ほんと、そうであった、混雑しているうちに言い落としてしまった。
あの伊勢の宮へもお使者があったのであった。
そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。
並々ならぬ事柄をお書きになっていた。
言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。
源氏が須磨へ移った初めの記事の中に筆者は書き()らしてしまったが伊勢(いせ)御息所(みやすどころ)のほうへも源氏は使いを出したのであった。あちらからもまたはるばると(ふみ)を持って使いがよこされた。熱情的に書かれた手紙で、典雅な筆つきと見えた。
2.3.2
なほうつつとは(おも)ひたまへられぬ御住(おほんすま)ひをうけたまはるも、()けぬ()心惑(こころまど)ひかとなむ。
さりとも、年月隔(としつきへだ)てたまはじと、(おも)ひやりきこえさするにも、罪深(つみふか)()のみこそ、また()こえさせむこともはるかなるべけれ。
「依然として現実のこととは存じられませぬお住まいの様を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。
そうは言っても、長の年月をお送りになることはありますまいと推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。
どうしましても現実のことと思われませんような御隠栖(いんせい)のことを承りました。あるいはこれもまだ私の暗い心から、夜の夢の続きを見ているのかもしれません。なお幾年もそうした運命の中にあなたがお置かれになることはおそらくなかろうと思われます。それを考えますと、罪の深い私は何時をはてともなくこの海の国にさすらえていなければならないことかと思われます。
2.3.3 辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし
やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から
うきめかる伊勢をの海人(あま)を思ひやれ
もしほ()るてふ須磨の浦にて
2.3.4
よろづに(おも)ひたまへ(みだ)るる()のありさまも、なほいかになり()つべきにか」
何事につけても思い乱れます世の中の有様も、やはりこれから先どのようになって行くのでしょうか」
世の中はどうなるのでしょう。
2.3.5
(おほ)かり。
と多く書いてある。
不安な思いばかりがいたされます。
2.3.6 「伊勢の海の干潟で貝取りしても
何の甲斐もないのはこのわたしです」
伊勢島や潮干(しほひ)のかたにあさりても
言ふかひなきはわが身なりけり
2.3.7
ものをあはれと(おぼ)しけるままに、うち()きうち()()きたまへる、(しろ)(から)(かみ)()五枚(ごまい)ばかりを()(つづ)けて、(すみ)つきなど見所(みどころ)あり。
しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き置いては書きなさっている、白い唐紙、四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合なども素晴らしい。
などという長いものである。源氏の手紙に衝動を受けた御息所はあとへあとへと書き()いで、白い支那(しな)の紙四、五枚を巻き続けてあった。書風も美しかった。
2.3.8
あはれに(おも)ひきこえし(ひと)ひとふし()しと(おも)ひきこえし(こころ)あやまりに、かの御息所(みやすんどころ)(おも)(うん)じて(わか)れたまひにし」と(おぼ)せば、(いま)にいとほしうかたじけなきものに(おも)ひきこえたまふ。
(をり)からの御文(おほんふみ)いとあはれなれば、御使(おほんつかひ)さへむつましうて、(ふつか)三日据(みかす)ゑさせたまひて、かしこの物語(ものがたり)などせさせて()こしめす。
「もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ」とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。
折からのお手紙、たいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留させなさって、あちらのお話などをさせてお聞きになる。
愛していた人であったが、その人の過失的な行為を、同情の欠けた心で見て恨んだりしたことから、御息所も恋をなげうって遠い国へ行ってしまったのであると思うと、源氏は今も心苦しくて、済まない目にあわせた人として御息所を思っているのである。そんな所へ情のある手紙が来たのであったから、使いまでも恋人のゆかりの親しい者に思われて、二、三日滞留させて伊勢の話を侍臣たちに問わせたりした。
2.3.9
(わか)やかにけしきある(さぶらひ)(ひと)なりけり。
かくあはれなる御住(おほんす)まひなれば、かやうの(ひと)もおのづからもの(とほ)からで、ほの()たてまつる(おほん)さま、容貌(かたち)を、いみじうめでたし涙落(なみだおと)しをりけり。
御返(おほんかへ)()きたまふ、(こと)()(おも)ひやるべし
若々しく教養ある侍所の人なのであった。
このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝する御様子、容貌を、たいそう立派である、と感涙するのであった。
お返事をお書きになる、文言、想像してみるがよいであろう。
若やかな気持ちのよい侍であった。閑居のことであるから、そんな人もやや近い所でほのかに源氏の風貌(ふうぼう)に接することもあって侍は喜びの涙を流していた。伊勢の消息に感動した源氏の書く返事の内容は想像されないこともない。
2.3.10
かく()(はな)るべき()(おも)ひたまへましかば(おな)じくは(した)ひきこえましものをなどなむ。
つれづれと、心細(こころぼそ)きままに、
「このように都から離れなければならない身の上と、分かっておりましたら、いっそのこと後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思えます。
所在のない、心淋しいままに、
こうした運命に出逢う日を予知していましたなら、どこよりも私はあなたとごいっしょの旅に出てしまうべきだったなどと、つれづれさから癖になりました物思いの中にはそれがよく思われます。心細いのです。
2.3.11 伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを
須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは
伊勢人の波の上漕ぐ小船(をぶね)にも
うきめは刈らで乗らましものを
2.3.12 海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて
いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう
あまがつむ(なげ)きの中にしほたれて
何時(いつ)まで須磨の浦に(なが)めん
2.3.13
()こえさせむことの、いつともはべらぬこそ、()きせぬ心地(ここち)しはべれ」
お目にかかれることが、いつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われてなりません」
いつ口ずからお話ができるであろうと思っては毎日同じように悲しんでおります。
2.3.14
などぞありける。
かやうに、いづこにもおぼつかなからず()こえかはしたまふ。
などとあったのだった。
このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。
というのである。こんなふうに、どの人へも相手の心の慰むに足るような愛情を書き送っては返事を得る喜びにまた自身を慰めている源氏であった。
2.3.15
花散里(はなちるさと)も、(かな)しと(おぼ)しけるままに()(あつ)めたまへる御心々見(みこころごころみ)たまふをかしきも()なれぬ心地(ここち)して、いづれもうち()つつ(なぐさ)めたまへど、もの(おも)ひのもよほしぐさなめり。
花散里も、悲しいとお思いになって書き集めなさったお二方の心を御覧になると、興趣あり珍しい心地もして、どちらも見ながら慰められなさるが、物思いを起こさせる種のようである。
花散里(はなちるさと)も悲しい心を書き送って来た。どれにも個性が見えて、恋人の手紙は源氏を慰めぬものもないが、また物思いの催される(たね)ともなるのである。
2.3.16 「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていると
ひどく涙の露に濡れる袖ですこと」
荒れまさる軒のしのぶを眺めつつ
(しげ)くも露のかかる袖かな
2.3.17
とあるを、げに、(むぐら)よりほかの後見(うしろみ)もなきさまにておはすらむ」と(おぼ)しやりて、長雨(ながあめ)築地所々崩(ついぢところどころくづ)れてなむ」と()きたまへば、(きゃう)家司(けいし)のもとに(おほ)せつかはして、(ちか)国々(くにぐに)御荘(みさう)(もの)などもよほさせて、(つか)うまつるべき(よし)のたまはす。
とあるのを、「なるほど、八重葎より他の後見もない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などとお聞きになったので、京の家司のもとにご命令なさって、近くの国々の荘園の者たちを徴用させて、修理をさせるようお命じになる。
と歌っている花散里は、高くなったという雑草のほかに後見(うしろみ)をする者のない身の上なのであると源氏は思いやって、長雨に土塀(どべい)がところどころ(くず)れたことも書いてあったために、京の家司(けいし)へ命じてやって、近国にある領地から人夫を呼ばせて花散里の(やしき)の修理をさせた。

第四段 朧月夜尚侍参内する

2.4.1
尚侍(かん)(きみ)は、人笑(ひとわら)へにいみじう(おぼ)しくづほるるを、大臣(おとど)いとかなしうしたまふ(きみ)にて、せちに、(みや)にも内裏(うち)にも(そう)したまひければ(かぎ)りある女御(にょうご)御息所(みやすんどころ)にもおはせず、(おほやけ)ざまの宮仕(みやづか)」と(おぼ)(なほ)また、「かの(にく)かりしゆゑこそ、いかめしきことも()()しか」。
(ゆる)されたまひて、(まゐ)りたまふべきにつけても、なほ(こころ)()みにし(かた)ぞ、あはれにおぼえたまける。
尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを、大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、無理やり、大后にも帝にもお許しを奏上なさったので、「決まりのある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕え人」とお考え直しになり、また、「あの一件が憎く思われたゆえに、厳しい処置も出て来たのだが」と。
赦されなさって、参内なさるにつけても、やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった。
尚侍(ないしのかみ)は源氏の追放された直接の原因になった女性であるから、世間からは嘲笑(ちょうしょう)的に注視され、恋人には遠く離れて、深い(なげ)きの中に(おぼ)れているのを、大臣は最も愛している娘であったから(あわ)れに思って、熱心に太后へ取りなしをしたし、(みかど)へもお詫びを申し上げたので、尚侍は公式の女官長であって、燕寝(えんしん)に侍する女御(にょご)更衣(こうい)が起こした問題ではないから、過失として勅免があればそれでよいということになった。帝の御愛寵(あいちょう)を裏切って情人を持った点をお憎みになったのであるが、赦免の宣旨(せんじ)が出て宮中へまたはいることになっても、尚侍の心は源氏の恋しさに満たされていた。
2.4.2 七月になって参内なさる。
格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言を言い、一方では愛情深く将来をお約束あそばす。
七月になってその事が実現された。非常なお気に入りであったのであるから、人の(そし)りも思召(おぼしめ)さずに、お常御殿の宿直所(とのいどころ)にばかり尚侍は置かれていた。お恨みになったり、永久に変わらぬ愛の誓いを仰せられたりする帝の-
2.4.3 お姿もお顔もとてもお優しく美しいのだが、思い出されることばかり多い心中こそ、恐れ多いことである。
管弦の御遊の折に、
風采(ふうさい)はごりっぱで、優美な方なのであるが、これを飽き足らぬものとは自覚していないが、なお尚侍には源氏ばかりが恋しいというのはもったいない次第である。音楽の合奏を侍臣たちにさせておいでになる時に、帝は尚侍へ、
2.4.4
その(ひと)のなきこそいとさうざうしけれ。
いかにましてさ(おも)人多(ひとおほ)からむ。
(なに)ごとも(ひかり)なき心地(ここち)するかな」とのたまはせて、(ゐん)(おぼ)しのたまはせし御心(みこころ)(たが)へつるかな。
罪得(つみう)らむかし
「あの人がいないのが、とても淋しいね。
どんなに自分以上にそのように思っている人が多いことであろう。
何事につけても、光のない心地がするね」と仰せになって、「院がお考えになり仰せになったお心に背いてしまったなあ。
きっと罰を得るだろう」
「あの人がいないことは寂しいことだ。私でもそう思うのだから、ほかにはもっと痛切にそう思われる人があるだろう。何の上にも光というものがなくなった気がする」と仰せられるのであった。それからまた、「院の御遺言にそむいてしまった。私は死んだあとで罰せられるに違いない」
2.4.5
とて、(なみだ)ぐませたまふに、(ねん)じたまはず
と言って、涙ぐみあそばすので、涙をお堪えきれになれない。
と涙ぐみながらお言いになるのを聞いて、尚侍は泣かずにいられなかった。
2.4.6
()(なか)こそ、あるにつけてもあぢきなきものなりけれ、(おも)()るままに、(ひさ)しく()にあらむものとなむ、さらに(おも)はぬ。
さもなりなむにいかが(おぼ)さるべき
(ちか)きほどの(わか)(おも)()とされむこそ、ねたけれ。
()ける()にとはげに、よからぬ(ひと)()()きけむ」
「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られるにつれて、長生きをしようなどとは、少しも思わない。
そうなった時には、どのようにお思いになるでしょう。
最近の別れよりも軽く思われるのが、悔しい。
生きている日のためというのは、なるほど、つまらない人が詠み残したのであろう」
「人生はつまらないものだという気がしてきて、それとともにもう決して長くは生きていられないように思われる。私がなくなってしまった時、あなたはどう思いますか、旅へ人の行った時の別れ以上に悲しんでくれないでは私は失望する。生きている限り愛し合おうという約束をして満足している人たちに、私のあなたを思う愛の深さはわからないだろう。私は来世に行ってまであなたと愛し合いたいのだ」
2.4.7
と、いとなつかしき(おほん)さまにて、ものをまことにあはれと(おぼ)()りてのたまはするにつけて、ほろほろとこぼれ()づれば、
と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるのにつけて、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、
となつかしい調子で仰せられる、それにはお心の底からあふれるような愛が示されていることであったから、尚侍の涙はほろほろとこぼれた。
2.4.8 「それごらん。
誰のために流すのだろうか」
「そら、涙が落ちる、どちらのために」
2.4.9
とのたまはす。
と仰せになる。
と帝はお言いになった。
2.4.10
(いま)まで御子(みこ)たちのなきこそさうざうしけれ。
春宮(とうぐう)(ゐん)ののたまはせしさまに(おも)へど、よからぬことども()()めれば、心苦(こころぐる)しう」
「今までお子様たちがいないのが、物足りないね。
東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」
「今まで私に男の子のないのが寂しい。東宮を院のお言葉どおりに自分の子のように私は考えているのだが、いろいろな人間が間にいて、私の愛が徹底しないから心苦しくてならない」
2.4.11
など、()御心(みこころ)のほかにまつりごちなしたまふ(ひと)びとのあるに、(わか)御心(みこころ)の、(つよ)きところなきほどにて、いとほしと(おぼ)したることも(おほ)かり。
などと、治世をお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若い思慮で、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。
などとお語りになる。御意志によらない政治を行なう者があって、それを若いお心の弱さはどうなされようもなくて御煩悶(はんもん)が絶えないらしい。

第三章 光る源氏の物語 須磨の秋の物語


第一段 須磨の秋

3.1.1
須磨(すま)には、いとど心尽(こころづ)くしの秋風(あきかぜ)(うみ)はすこし(とほ)けれど、行平中納言(ゆきひらのちゅうなごん)の、関吹(せきふ)()ゆる」と()ひけむ浦波(うらなみ)夜々(よるよる)げにいと(ちか)()こえて、またなくあはれなるものは、かかる(ところ)(あき)なりけり。
須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて、海は少し遠いけれども、行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという波音が、夜毎夜毎にそのとおりに耳元に聞こえて、またとないほど淋しく感じられるものは、こういう所の秋なのであった。
秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平(ゆきひら)が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居(たっきょ)の秋であった。
3.1.2
御前(おまへ)にいと人少(ひとずく)なにて、うち(やす)みわたれるに、一人目(ひとりめ)()まして、(まくら)をそばだてて四方(よも)(あらし)()きたまふに、(なみ)ただここもとに()ちくる心地(ここち)して、涙落(なみだお)つともおぼえぬに、枕浮(まくらう)くばかりになりにけり。
(きん)をすこしかき()らしたまへるが、(われ)ながらいとすごう()こゆれば、()きさしたまひて、
御前にはまったく人少なで、皆寝静まっている中で、独り目を覚まして、枕を立てて四方の嵐を聞いていらっしゃると、波がまるでここまで立ち寄せて来る感じがして、涙がこぼれたとも思われないうちに、枕が浮くほどになってしまった。
琴を少し掻き鳴らしていらっしゃったが、自分ながらひどく寂しく聞こえるので、お弾きさしになって、
居間に近く宿直(とのい)している少数の者も皆眠っていて、一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波が押し寄せて来るように思われた。落ちるともない涙にいつか(まくら)は流されるほどになっている。(きん)を少しばかり()いてみたが、自身ながらもすごく聞こえるので、弾きさして、
3.1.3 「恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが
それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか」
恋ひわびて泣く()(まが)ふ浦波は
思ふ方より風や吹くらん
3.1.4
(うた)ひたまへるに、(ひと)びとおどろきて、めでたうおぼゆるに、(しの)ばれで、あいなう()きゐつつ、(はな)(しの)びやかにかみわたす。
とお詠みになったことに、供の人々が目を覚まして、素晴らしいと感じられたが、堪えきれずに、わけもなく起き出して座り直し座り直しして、鼻をひそかに一人一人かんでいる。
と歌っていた。惟光(これみつ)たちは悽惨(せいさん)なこの歌声に目をさましてから、いつか起き上がって訳もなくすすり泣きの声を立てていた。
3.1.5
げに、いかに(おも)ふらむ
()()ひとつにより、(おや)兄弟(はらから)片時立(かたときた)(はな)れがたく、ほどにつけつつ(おも)ふらむ(いへ)(わか)れて、かく(まど)ひあへる」と(おぼ)すに、いみじくて、いとかく(おも)(しづ)むさまを、心細(こころぼそ)しと(おも)ふらむ」と(おぼ)せば、(ひる)(なに)くれとうちのたまひ(まぎ)らはしつれづれなるままに、色々(いろいろ)(かみ)()ぎつつ、手習(てなら)ひをしたまひ、めづらしきさまなる(から)(あや)などに、さまざまの()どもを()きすさびたまへる屏風(びゃうぶ)(おもて)どもなど、いとめでたく見所(みどころ)あり。
「なるほど、どのように思っていることだろう。
自分一人のために、親、兄弟が片時でも離れにくく、身分相応に大事に思っているだろう家人に別れて、このようにさまよっているとは」とお思いになると、ひどく気の毒で、「まことこのように沈んでいる様子を、心細いと思っているだろう」とお思いになると、昼間は何かとおっしゃってお紛らわしになり、なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさり、珍しい唐の綾などに、さまざまな絵を描いて気を紛らわしなさった屏風の絵など、とても素晴らしく見所がある。
その人たちの心を源氏が思いやるのも悲しかった。自分一人のために、親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に彼らはなっているのであると思うと、自分の深い物思いに落ちたりしていることは、その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、昼間は皆といっしょに戯談(じょうだん)を言って旅愁を紛らそうとしたり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那(しな)(あや)などに絵を()いたりした。その絵を屏風(びょうぶ)()らせてみると非常におもしろかった。
3.1.6
(ひと)びとの(かた)()こえし海山(うみやま)のありさまを、(はる)かに(おぼ)しやりしを、御目(おほんめ)(ちか)くては、げに(およ)ばぬ(いそ)のたたずまひ()なく()(あつ)めたまへり。
供の人々がお話申し上げた海や山の様子を、遠くからご想像なさっていらっしゃったが、お目に近くなさっては、なるほど想像も及ばない磯のたたずまいを、またとないほど素晴らしくたくさんお描きになった。
源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命(いのち)があって傑作が多かった。
3.1.7
このころの上手(じゃうず)にすめる千枝(ちえだ)常則(つねのり)などを()して、(つく)絵仕(ゑつか)うまつらせばや」
「近年の名人と言われる千枝や常則などを召して、彩色させたいものだ」
「現在での大家だといわれる千枝(ちえだ)とか、常則(つねのり)とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
3.1.8
と、(こころ)もとながりあへり。
なつかしうめでたき(おほん)さまに、()のもの(おも)(わす)れて、(ちか)()(つか)うまつるをうれしきことにて、()五人(ごにん)ばかりぞ、つとさぶらひける。
と言って、皆残念がっていた。
優しく立派なご様子に、世の中の憂さが忘れられて、お側に親しくお仕えできることを嬉しいことと思って、四、五人ほどが、ぴったりと伺候していたのであった。
とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。
3.1.9
前栽(せんさい)(はな)色々咲(いろいろさ)(みだ)れ、おもしろき夕暮(ゆふぐ)れに、海見(うみみ)やらるる(らう)()でたまひて、たたずみたまふさまの、ゆゆしうきよらなること、(ところ)からは、ましてこの()のものと()えたまはず。
(しろ)(あや)のなよよかなる、紫苑色(しをんいろ)などたてまつりて、こまやかなる御直衣(おほんなほし)(おび)しどけなくうち(みだ)れたまへる(おほん)さまにて、
前栽の花、色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、海が見える廊にお出ましになって、とばかり眺めていらっしゃる様子が、不吉なまでにお美しいこと、場所柄か、ましてこの世の方とはお見えにならない。
白い綾で柔らかなのと、紫苑色のなどをお召しになって、濃い縹色のお直衣、帯をゆったりと締めてくつろいだお姿で、
庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆素描(あらがき)()のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の(あや)に薄紫を重ねて、(あい)がかった直衣(のうし)を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち
3.1.10 「釈迦牟尼仏の弟子」
釈迦牟尼仏弟子(しゃかむにぶつでし)
3.1.11
()のりて、ゆるるかに()みたまへる、また()()らず()こゆ。
と唱えて、ゆっくりと読経なさっているのが、また聞いたことのないほど美しく聞こえる。
と名のって経文を暗誦(そらよ)みしている声もきわめて優雅に聞こえた。
3.1.12
(おき)より(ふね)どもの(うた)ひののしりて()()くなども()こゆ。
ほのかに、ただ(ちひ)さき(とり)()かべると()やらるるも、心細(こころぼそ)げなるに、(かり)(つら)ねて()(こゑ)(かぢ)(おと)にまがへるをうち(なが)めたまひて、(なみだ)こぼるるをかき(はら)ひたまへる御手(おほんて)つき、(くろ)御数珠(おほんずず)()えたまへる故郷(ふるさと)女恋(をんなこひ)しき(ひと)びと(こころ)みな(なぐさ)みにけり。
沖の方をいくつもの舟が大声で歌いながら漕いで行くのが聞こえてくる。
かすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように遠く見えるのも、頼りなさそうなところに、雁が列をつくって鳴く声、楫の音に似て聞こえるのを、物思いに耽りながら御覧になって、涙がこぼれるのを袖でお払いなさるお手つき、黒い数珠に映えていらっしゃるお美しさは、故郷の女性を恋しがっている人々の、心がすっかり慰めてしまったのであった。
幾つかの船が唄声(うたごえ)を立てながら沖のほうを()ぎまわっていた。形はほのかで鳥が浮いているほどにしか見えぬ船で心細い気がするのであった。上を通る一列の(かり)の声が(かじ)の音によく似ていた。涙を払う源氏の手の色が、掛けた黒木の数珠(じゅず)に引き立って見える美しさは、故郷(ふるさと)の女恋しくなっている青年たちの心を十分に緩和させる力があった。
3.1.13 「初雁は恋しい人の仲間なのだろうか
旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる」
初雁(はつかり)は恋しき人のつらなれや
旅の空飛ぶ声の悲しき
3.1.14
とのたまへば、良清(よしきよ)
とお詠みになると、良清、
と源氏が言う。良清(よしきよ)
3.1.15 「次々と昔の事が懐かしく思い出されます
雁は昔からの友達であったわけではないのだが」
かきつらね昔のことぞ思ほゆる
雁はそのよの友ならねども
3.1.16
民部大輔(みんぶのたいふ)
民部大輔、
民部大輔(みんぶたゆう)惟光(これみつ)
3.1.17 「自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を
ひとごとのように思っていたことよ」
心から常世(とこよ)を捨てて鳴く雁を
雲のよそにも思ひけるかな
3.1.18
前右近将督(さきのうこんのじょう)
前右近将監、
前右近丞(ぜんうこんのじょう)が、
3.1.19 「常世を出て旅の空にいる雁も
仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう
常世(とこよ)()でて旅の空なるかりがねも
(つら)(おく)れぬほどぞ慰む
3.1.20 道にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
仲間がなかったらどんなだろうと思います」
3.1.21
()ふ。
(おや)常陸(ひたち)になりて(くだ)りしにも(さそ)はれで、(まゐ)れるなりけり。
(した)には(おも)ひくだくべかめれど、ほこりかにもてなして、つれなきさまにしありく。
と言う。
親が常陸介になって、下ったのにも同行しないで、お供して参ったのであった。
心中では悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。
と言った。常陸介(ひたちのすけ)になった親の任地へも行かずに彼はこちらへ来ているのである。煩悶(はんもん)はしているであろうが、いつもはなやかな誇りを見せて、屈託なくふるまう青年である。

第二段 配所の月を眺める

3.2.1
(つき)のいとはなやかにさし()でたるに、今宵(こよひ)十五夜(じふごや)なりけり」と(おぼ)()でて、殿上(てんじゃう)御遊(おほんあそ)(こひ)しく、所々眺(ところどころなが)めたまふらむかし」と(おも)ひやりたまふにつけても、(つき)(かほ)のみまもられたまふ。
月がとても明るく出たので、「今夜は十五夜であったのだ」とお思い出しになって、殿上の御遊が恋しく思われ、「あちこち方で物思いにふけっていらっしゃるであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりがじっと見守られてしまう。
明るい月が出て、今日が中秋の十五夜であることに源氏は気がついた。宮廷の音楽が思いやられて、どこでもこの月をながめているであろうと思うと、月の顔ばかりが見られるのであった。
3.2.2 「二千里の外故人の心」
二千里外故人心(にせんりぐわいこじんのこころ)
3.2.3
()じたまへる、(れい)(なみだ)もとどめられず。
入道(にふだう)(みや)の、(きり)(へだ)つる」とのたまはせしほど、()はむ(かた)なく(こひ)しく、折々(をりをり)のこと(おも)()でたまふに、よよと、()かれたまふ。
と朗誦なさると、いつものように涙がとめどなく込み上げてくる。
入道の宮が、「九重には霧が隔てているのか」とお詠みになった折、何とも言いようもがなく恋しく、折々のことをお思い出しになると、よよと、泣かずにはいらっしゃれない。
と源氏は吟じた。青年たちは例のように涙を流して聞いているのである。この月を入道の宮が「霧や隔つる」とお言いになった去年の秋が恋しく、それからそれへといろいろな場合の初恋人への思い出に心が動いて、しまいには声を立てて源氏は泣いた。
3.2.4 「夜も更けてしまいました」
「もうよほど()けました」
3.2.5
()こゆれど、なほ()りたまはず。
と申し上げたが、なおも部屋にお入りにならない。
と言う者があっても源氏は寝室へはいろうとしない。
3.2.6 「見ている間は暫くの間だが心慰められる、
また廻り逢
見るほどぞしばし慰むめぐり合はん
月の都ははるかなれども
3.2.7
その()主上(うへ)のいとなつかしう昔物語(むかしものがたり)などしたまひし(おほん)さまの、(ゐん)()たてまつりたまへりしも、(こひ)しく(おも)()できこえたまひて、
その夜、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子、故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、
その去年の同じ夜に、なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。
3.2.8 「恩賜の御衣は今此に在る」
恩賜御衣今在此(おんしのぎょいいまここにあり)
3.2.9
()じつつ()りたまひぬ。
御衣(おほんぞ)はまことに()(はな)たずかたはらに()きたまへり。
と朗誦なさりながらお入りになった。
御衣は本当に肌身離さず、側にお置きになっていた。
と口ずさみながら源氏は居間へはいった。恩賜の御衣もそこにあるのである。
3.2.10 「辛いとばかり一途に思うこともできず
恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ」
()しとのみひとへに物は思ほえで
左右にも()るる(そで)かな

第三段 筑紫五節と和歌贈答

3.3.1
そのころ、大弐(だいに)(のぼ)りける
いかめしく類広(るいひろ)く、(むすめ)がちにて所狭(ところせ)かりければ、(きた)(かた)(ふね)にて(のぼ)る。
(うら)づたひに逍遥(せうえう)しつつ()るに、(ほか)よりもおもしろきわたりなれば、(こころ)とまるに、大将(だいしゃう)かくておはす」と()けば、あいなう()いたる(わか)(むすめ)たちは、(ふね)(うち)さへ()づかしう、心懸想(こころげさう)せらる。
まして、五節(ごせち)(きみ)綱手引(つなでひ)()ぐるも口惜(くちを)しきに、(きん)(こゑ)(かぜ)につきて(はる)かに()こゆるに、(ところ)のさま、(ひと)(おほん)ほど、(もの)()心細(こころぼそ)さ、()(あつ)め、(こころ)ある(かぎ)りみな()きにけり。
その頃、大弍は上京した。
ものものしいほど一族が多く、娘たちもおおぜいで大変だったので、北の方は舟で上京する。
浦伝いに風景を見ながら来たところ、他の場所よりも美しい辺りなので、心惹かれていると、「大将が退居していらっしゃる」と聞くと、関係のないことなのに、色めいた若い娘たちは、舟の中にいてさえ気になって、改まった気持ちにならずにはいられない。
まして、五節の君は、綱手を引いて通り過ぎるのも残念に思っていたので、琴の音が、風に乗って遠くから聞こえて来ると、場所の様子、君のお人柄、琴の音の淋しい感じなど、あわせて、風流を解する者たちは皆泣いてしまった。
このころに九州の長官の大弐(だいに)が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚(めいび)な須磨の浦に源氏の大将が隠栖(いんせい)していられるということを聞いて、若いお洒落(しゃれ)な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節(ごせち)の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の()く琴の()が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖(はっこう)な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。
3.3.2
(そち)御消息聞(おほんせうそこき)こえたり。
大宰の帥は、ご挨拶を申し上げた。
大弐は源氏へ挨拶(あいさつ)をした。
3.3.3
いと(はる)かなるほどよりまかり(のぼ)りては、まづいつしかさぶらひて、(みやこ)御物語(おほんものがたり)もとこそ、(おも)ひたまへはべりつれ、(おも)ひの(ほか)に、かくておはしましける御宿(おほんやど)をまかり()ぎはべる、かたじけなう(かな)しうもはべるかな。
あひ()りてはべる(ひと)びと、さるべきこれかれ、()来向(きむか)ひてあまたはべれば、所狭(ところせ)さを(おも)ひたまへ(はばか)りはべることどもはべりて、えさぶらはぬこと。
ことさらに(まゐ)りはべらむ」
「大変に遠い所から上京しては、まずはまっ先にお訪ね申して、都のお噂をもと存じておりましたが、意外なことに、こうしていらっしゃるお住まいを通り過ぎますこと、もったいなくも、また悲しうもございます。
知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、出迎えに多数来ておりますので、人目を憚ること多くございまして、お伺いできませんこと。
また改めて参上いたします」
「はるかな田舎(いなか)から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したものでございました。意外な政変のために御隠栖(いんせい)になっております土地を今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないのでございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
3.3.4
など()こえたり。
()筑前守(ちくぜんのかみ)(まゐ)れる。
この殿(との)の、蔵人(くらうど)になし(かへり)みたまひし(ひと)なれば、いとも(かな)し、いみじと(おも)へども、また()(ひと)びとのあれば、()こえを(おも)ひて、しばしもえ()()まらず。
などと申し上げた。
子の筑前守が参上した。
この殿が、蔵人にして目をかけてやった人なので、とても悲しく辛いと思うが、また人の目があるので、噂を憚って、暫くの間も立ち留まっていることもできない。
というのであって、子の筑前守(ちくぜんのかみ)が使いに行ったのである。源氏が蔵人(くろうど)に推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
3.3.5
都離(みやこはな)れて(のち)昔親(むかしした)しかりし(ひと)びと、あひ()ること(かた)うのみなりにたるに、かくわざと()()りものしたること」
「都を離れて後は、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」
「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか()えないことになっていたのに、わざわざ(たず)ねて来てくれたことを満足に思う」
3.3.6 とおっしゃる。
お返事も同様にあった。
と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。
3.3.7
(かみ)()()(かへ)りて、おはする(おほん)ありさま(かた)
(そち)よりはじめ、(むか)への(ひと)びと、まがまがしう()()ちたり。
五節(ごせち)は、とかくして()こえたり。
守は、泣く泣く戻って、いらっしゃるご様子を話す。
帥をはじめとして、迎えの人々も、不吉なほど一同泣き満ちた。
五節は、やっとの思いでお便りを差し上げた。
筑前守は泣く泣く帰って、源氏の住居(すまい)の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。五節(ごせち)の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。
3.3.8 「琴の音に引き止められた綱手縄のように
ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか
琴の音にひきとめらるる綱手縄(つなてなは)
たゆたふ心君知るらめや
3.3.9 色めいて聞こえるのも、お咎めくださいますな」
音楽の横好きをお笑いくださいますな。
3.3.10
()こえたり。
ほほ()みて()たまふ、いと()づかしげなり。
と申し上げた。
苦笑して御覧になるさま、まったく気後れする感じである。
と書かれてあるのを、源氏は微笑しながらながめていた。若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。
3.3.11 「わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば
通り過ぎて行きましょうか、
心ありてひくての綱のたゆたはば
打ち過ぎましや須磨の浦波
3.3.12 さすらおうとは思ってもみないことであった」
漁村の海人(あま)になってしまうとは思わなかったことです。
3.3.13
とあり。
(むまや)(をさ)句詩取(くしと)らする(ひと)もありけるを、まして、()ちとまりぬべくなむおぼえける。
とある。
駅長に口詩をお与えになった人もあったが、それ以上に、このまま留まってしまいそうに思うのであった。
これは源氏の書いた返事である。明石(あかし)の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。

第四段 都の人々の生活

3.4.1
(みやこ)には、月日過(つきひす)ぐるままに(みかど)(はじ)めたてまつりて、()ひきこゆる(をり)ふし(おほ)かり。
春宮(とうぐう)は、まして(つね)(おぼ)()でつつ(しの)びて()きたまふ
()たてまつる御乳母(おほんめのと)まして命婦(みゃうぶ)(きみ)は、いみじうあはれに()たてまつる。
都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ申して、恋い慕い申し上げる折節が多かった。
東宮は、まして誰よりも、いつでもお思い出しなさっては忍び泣きなさる。
拝見する御乳母や、それ以上に王命婦の君は、ひどく悲しく拝し上げる。
京では月日のたつにしたがって光源氏のない寂寥(せきりょう)を多く感じた。陛下もそのお一人であった。まして東宮は常に源氏を恋しく思召(おぼしめ)して、人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、乳母(めのと)たちは哀れに拝見していた。王命婦(おうみょうぶ)はその中でもことに複雑な御同情をしているのである。
3.4.2
入道(にふだう)(みや)は、春宮(とうぐう)(おほん)ことをゆゆしうのみ(おぼ)ししに、大将(だいしゃう)もかくさすらへたまひぬるを、いみじう(おぼ)(なげ)かる。
入道の宮は、東宮のお身の上をそら恐ろしくばかりお思いであったが、大将もこのように流浪の身となっておしまいになったのを、ひどく悲しくお嘆きになる。
入道の宮は東宮の御地位に動揺をきたすようなことのないかが常に御不安であった。源氏までも失脚してしまった今日では、ただただ心細くのみ思っておいでになった。
3.4.3
御兄弟(おほんはらから)親王(みこ)たちむつましう()こえたまひし上達部(かんだちめ)など、(はじ)めつ(かた)とぶらひきこえたまふなどありき
あはれなる(ふみ)(つく)()はしそれにつけても、()(なか)にのみめでられたまへば、(きさい)宮聞(みやき)こしめして、いみじうのたまひけり。
ご兄弟の親王たち、お親しみ申し上げていらした上達部など、初めのうちはお見舞い申し上げなさることもあった。
しみじみとした漢詩文を作り交わし、それにつけても、世間から素晴らしいとほめられてばかりいらっしゃるので、后宮がお聞きあそばして、きついことをおっしゃったのだった。
源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。人の身にしむ詩歌が取りかわされて、それらの源氏の作が世上にほめられることは非常に太后のお気に召さないことであった。
3.4.4 「朝廷の勅勘を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。
風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」
「勅勘を受けた人というものは、自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。風流な家に住んで現代を誹謗(ひぼう)して鹿(しか)を馬だと言おうとする人間に(おもね)る者がある」
3.4.5
など、()しきことども()こえければ、わづらはしとて、消息聞(せうそこき)こえたまふ(ひと)なし
などと、良くないことが聞こえてきたので、厄介なことだと思って、手紙を差し上げなさる方もいない。
とお言いになって、報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、もう消息を近来しなくなった。
3.4.6
二条院(にでうのゐん)姫君(ひめぎみ)は、ほど()るままに、(おぼ)(なぐさ)(をり)なし。
(ひんがし)(たい)にさぶらひし(ひと)びとも、みな(わた)(まゐ)りし(はじ)めは、などかさしもあらむ」と(おも)ひしかど、()たてまつり()るるままに、なつかしうをかしき(おほん)ありさま、まめやかなる御心(みこころ)ばへも、(おも)ひやり(ふか)うあはれなれば、まかで()るもなし。
なべてならぬ(きは)(ひと)びとには、ほの()えなどしたまふ
そこらのなかにすぐれたる御心(みこころ)ざしもことわりなりけり」と()たてまつる。
二条院の姫君は、時が経つにつれて、お心のやすらぐ折がない。
東の対にお仕えしていた女房たちも、みな移り参上した当初は、「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、お仕えし馴れていくうちに、お優しく美しいご様子、日常の生活面についてのお心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って出て行く者もいない。
身分のある女房たちには、ちらっとお姿をお見せなどなさる。
「たくさんいる夫人方の中でも格別のご寵愛も、
二条の院の姫君は時がたてばたつほど、悲しむ度も深くなっていった。東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、ただ源氏が特別に心を()かれているだけの女性であろうと女王を考えていたが、()れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、だれ一人(いとま)()う者もない。良い家から来ている人たちには夫人も顔を合わせていた。だれよりも源氏が愛している理由がわかったように彼女たちは思うのであった。

第五段 須磨の生活

3.5.1
かの御住(おほんす)まひには、(ひさ)しくなるままに(ねん)()ぐすまじうおぼえたまへど、()()だにあさましき宿世(すくせ)とおぼゆる()まひに、いかでかは、うち()しては、つきなからむ」さまを(おも)(かへ)したまふ。
(ところ)につけて、よろづのことさま()はり、()たまへ()らぬ下人(しもびと)のうへをも、()たまひ()らはぬ御心地(みここち)に、めざましうかたじけなうみづから(おぼ)さる。
(けぶり)のいと(ちか)時々立(ときどきた)()るを、これや海人(あま)塩焼(しほや)くならむ」と(おぼ)しわたるは、おはします(うしろ)(やま)に、(しば)といふものふすぶるなりけり
めづらかにて、
あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって、とても我慢できなくお思いになったが、「自分の身でさえ驚くばかりの運命だと思われる住まいなのに、どうして、一緒に暮らせようか、いかにもふさわしくない」さまをお考え直しになる。
場所が場所なだけに、すべて様子が違って、ご存じでない下人の身の上をも、見慣れていらっしゃらなかったことなので、心外にももったいなくも、ご自身思わずにはいらっしゃれない。
煙がとても近くに時々立ち上るのを、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっとお思いになっていたのは、お住まいになっている後ろの山で、柴というものをいぶしているのであった。
珍しいので、
須磨のほうでは紫の女王(にょおう)との別居生活がこのまま続いて行くことは堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事はあまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。下男や農民に何かと人の小言(こごと)を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。近所で時々煙の立つのを、これが海人(あま)の塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で(しば)()べている煙であった。これを聞いた時の作、
3.5.2 「賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように
しばしば訪ねて来てほしいわが恋しい都の人よ」
山がつの(いほり)()けるしばしばも
言問ひ来なむ恋ふる里人
3.5.3
(ふゆ)になりて雪降(ゆきふ)()れたるころ、(そら)のけしきもことにすごく(なが)めたまひて(きん)()きすさびたまひて、良清(よしきよ)(うた)うたはせ、大輔(たいふ)横笛吹(よこぶえふ)きて、(あそ)びたまふ
(こころ)とどめてあはれなる()など()きたまへるに、他物(こともの)(こゑ)どもはやめて、(なみだ)をのごひあへり。
冬になって雪が降り荒れたころ、空模様もことにぞっとするほど寂しく御覧になって、琴を心にまかせてお弾きになって、良清に歌をうたわせ、大輔、横笛を吹いて、お遊びなさる。
心をこめてしみじみとした曲をお弾きになると、他の楽器の音はみなやめて、涙を拭いあっていた。
冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を()いていた。良清(よしきよ)に歌を歌わせて、惟光(これみつ)には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。
3.5.4 昔、胡の国に遣わしたという女のことをお思いやりになって、「自分以上にどんな気持ちであったろう。
この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、実際に起こるように不吉に思われて、
漢帝が北夷(ほくい)の国へおつかわしになった宮女の琵琶(びわ)を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は
3.5.5 「胡角一声霜の後の夢」
胡角一声霜後夢(こかくいっせいそうごのゆめ)
3.5.6
()じたまふ。
と朗誦なさる。
王昭君(おうしょうくん)を歌った詩の句が口に上った。
3.5.7
(つき)いと(あか)うさし()りて、はかなき(たび)御座所(おましどころ)(おく)まで(くま)なし。
(ゆか)(うへ)夜深(よぶか)(そら)()
()(がた)月影(つきかげ)すごく()ゆるに、
月がたいそう明るく差し込んで、仮そめの旅のお住まいでは、奥の方まで素通しである。
床の上から夜の深い空も見える。
入り方の月の光が、寒々と見えるので、
月光が明るくて、狭い家は奥の隅々(すみずみ)まで(あら)わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、
3.5.8 「ただ月は西へ行くのである」
唯是西行不左遷(ただこれにしへゆくさせんにあらず)
3.5.9
と、ひとりごちたまて、
と独り口ずさみなさって、
と源氏は歌った。
3.5.10 「どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう
月が見ているだろうことも恥ずかしい」
何方(いづかた)の雲路にわれも迷ひなん
月の見るらんことも(はづ)かし
3.5.11
とひとりごちたまひて、(れい)のまどろまれぬ(あかつき)(そら)に、千鳥(ちどり)いとあはれに()く。
と独詠なさると、いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。
とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。
3.5.12 「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は
独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」
友千鳥諸声(もろごゑ)に鳴く暁は
一人寝覚(ねざ)めの(とこ)も頼もし
3.5.13
また()きたる(ひと)もなければ、(かへ)(がへ)すひとりごちて()したまへり。
他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていらっしゃった。
だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。
3.5.14
夜深(よぶか)御手水参(みてうづまゐ)り、御念誦(おほんねんず)などしたまふも、めづらしきことのやうに、めでたうのみおぼえたまへば、()たてまつり()てず、(いへ)にあからさまにもえ()でざりけり。
深夜にお手を洗い、御念誦などをお唱えになるのも、珍しいことのように、ただもう立派にお見えになるので、お見捨て申し上げることができず、家にちょっとでも退出することもできなかった。
まだ暗い間に手水(ちょうず)を済ませて念誦(ねんず)をしていることが侍臣たちに新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、仮に京の家へ出かけようとする者もない。

第六段 明石入道の娘

3.6.1
明石(あかし)(うら)は、ただはひ(わた)るほどなれば良清(よしきよ)朝臣(あそん)かの入道(にふだう)(むすめ)(おも)()でて、(ふみ)など()りけれど、(かへ)(こと)もせず、父入道(ちちにふだう)ぞ、
明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣、あの入道の娘を思い出して、手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、
明石(あかし)の浦は()ってでも行けるほどの近さであったから、良清朝臣(よしきよあそん)は明石の入道の娘を思い出して手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。
3.6.2
()こゆべきことなむ。
あからさまに対面(たいめん)もがな」
「申し上げたいことがある。
ちょっとお会いしたい」
父親の入道から相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。
3.6.3
()ひけれど、うけひかざらむものゆゑ()きかかりて、むなしく(かへ)らむ後手(うしろで)もをこなるべし」と、(くん)じいたうて()かず。
と言ったが、「承知してくれないようなのに、出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。
求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔でそこを出て来る恰好(かっこう)馬鹿(ばか)に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して行こうとしない。
3.6.4
()()らず心高(こころたか)(おも)へるに(くに)(うち)(かみ)のゆかりのみこそはかしこきことにすめれど、ひがめる(こころ)はさらにさも(おも)はで年月(としつき)()けるに、この(きみ)かくておはすと()きて、母君(ははぎみ)(かた)らふやう、
世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性はまったくそのようなことも思わず歳月を送るうちに、この君がこうして来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、
すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外にはだれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に隠栖(いんせい)をしていることを聞いて妻に言った。
3.6.5 「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の光る君は、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦にこもっていらっしゃるという。
わが娘のご運勢によって、思いがけないことがあるのです。
何とかこのような機会に、娘を差し上げたいものです」
桐壺(きりつぼ)更衣(こうい)のお生みした光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に娘を差し上げたいと思う」
3.6.6
()ふ。
(はは)
と言う。
母は、

3.6.7
あな、かたはや
(きゃう)(ひと)(かた)るを()けば、やむごとなき御妻(みめ)ども、いと(おほ)()ちたまひて、そのあまり、(しの)(しの)(みかど)御妻(みめ)さへあやまちたまひてかくも(さわ)がれたまふなる(ひと)は、まさにかくあやしき山賤(やまがつ)を、(こころ)とどめたまひてむや」
「まあ、とんでもない。
京の人の話すのを聞くと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらして、その他にも、こっそりと帝のお妃まで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」
「それはたいへんまちがったお考えですよ。あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人をお盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が田舎(いなか)育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」
3.6.8
()ふ。
腹立(はらだ)ちて、
と言う。
腹を立てて、
と妻は言った。入道は腹を立てて、
3.6.9
()りたまはじ
(おも)(こころ)ことなり。
さる(こころ)をしたまへ。
ついでして、ここにもおはしまさせむ」
「ご存知あるまい。
考えが違うのです。
その心づもりをしなさい。
機会を作って、ここにお出でいただこう」
「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」
3.6.10
と、(こころ)をやりて()ふもかたくなしく()ゆ。
まばゆきまでしつらひかしづきけり。
母君(ははぎみ)
と、思いのままに言うのも頑固に見える。
眩しいくらい立派に飾りたて大事にお世話していた。
母君は、
と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢(かしゃ)な設備のされてある入道の家であった。
3.6.11
などか、めでたくともものの(はじ)めに(つみ)()たりて(なが)されておはしたらむ(ひと)をしも(おも)ひかけむ。
さても(こころ)をとどめたまふべくはこそあらめたはぶれにてもあるまじきことなり」
「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらしたような方を考えるのでしょう。
それにしても、心をおとめくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」
「なぜそうしなければならないのでしょう。どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、そんなことは想像もされない。戯談(じょうだん)にでもそんなことはおっしゃらないでください」
3.6.12
()ふを、いといたくつぶやく
と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。
と妻が言うと、入道はくやしがって、何か口の中でぶつぶつ言っていた。
3.6.13
(つみ)()たることは唐土(もろこし)にも()朝廷(みかど)にも、かく()にすぐれ、(なに)ごとも(ひと)にことになりぬる(ひと)の、かならずあることなり。
いかにものしたまふ(きみ)ぞ。
故母御息所(こははみやすんどころ)は、おのが叔父(をぢ)にものしたまひし按察使大納言(あぜちのだいなごん)(むすめ)なり
いとかうざくなる()をとりて、宮仕(みやづか)へに()だしたまへりしに、国王(こくわう)すぐれて(とき)めかしたまふこと、(なら)びなかりけるほどに、(ひと)(そね)(おも)くて()せたまひにしかど、この(きみ)のとまりたまへる、いとめでたしかし。
(をんな)心高(こころたか)くつかふべきものなり。
おのれ、かかる田舎人(ゐなかびと)なりとて、(おぼ)()てじ」
「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。
どういうお方でいらっしゃると思うか。
亡くなった母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。
まことに素晴らしい評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばすこと、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃる、大変に喜ばしいことである。
女は気位を高く持つべきなのだ。
わたしが、このような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」
「罪に問われることは、支那(しな)でもここでも源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、源氏の君は何だと思う、私の叔父(おじ)だった按察使(あぜち)大納言の娘が母君なのだ。すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵(おんちょう)が一人に集まって、それで人の嫉妬(しっと)を多く受けて()くなられたが、源氏の君が残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆桐壺(きりつぼ)更衣(こうい)になろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」
3.6.14
など()ひゐたり。
などと言っていた。
などと入道は言っていた。
3.6.15
この(むすめ)すぐれたる容貌(かたち)ならねど、なつかしうあてはかに、(こころ)ばせあるさまなどぞ、げに、やむごとなき(ひと)(おと)るまじかりける。
()のありさまを、口惜(くちを)しきものに(おも)()りて、
この娘、すぐれた器量ではないが、優しく上品らしく、賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。
わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、
この娘はすぐれた容貌(ようぼう)を持っているのではないが、優雅な上品な女で、見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、
3.6.16
(たか)(ひと)は、(われ)(なに)(かず)にも(おぼ)さじ。
ほどにつけたる()をばさらに()
命長(いのちなが)くて、(おも)(ひと)びとに(おく)れなば、(あま)にもなりなむ、(うみ)(そこ)にも()りなむ」
「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。
身分相応の結婚はまっぴら嫌。
長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」
それかといって身分相当な男とは結婚をしようと思わない、長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。
3.6.17
などぞ(おも)ひける。
などと思っているのであった。

3.6.18
父君(ちちぎみ)所狭(ところせ)(おも)ひかしづきて、(とし)(ふた)たび、住吉(すみよし)(まう)でさせけり。
(かみ)(おほん)しるしをぞ、人知(ひとし)れず(たの)(おも)ひける。
父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。
神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。
入道は大事がって年に二度ずつ娘を住吉(すみよし)(やしろ)参詣(さんけい)させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。

第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語


第一段 須磨で新年を迎える

4.1.1
須磨(すま)には、年返(としかへ)りて日長(ひなが)くつれづれなるに、()ゑし若木(わかぎ)(さくら)ほのかに()()めて、(そら)のけしきうららかなるによろづのこと(おぼ)()でられて、うち()きたまふ折多(をりおほ)かり。
須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
須磨は日の(なが)い春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、(かす)んだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。
4.1.2
二月二十日(きさらぎのはつか)あまり()にし(とし)(きゃう)(わか)れし(とき)心苦(こころぐる)しかりし(ひと)びとの(おほん)ありさまなど、いと(こひ)しく、南殿(なでん)(さくら)(さか)りになりぬらむ
一年(ひととせ)(はな)(えん)(ゐん)()けしき、内裏(うち)主上(うへ)のいときよらになまめいて、わが(つく)れる()()じたまひし」も、(おも)()できこえたまふ。
二月二十日過ぎ、過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子など、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。
去る年の花の宴の折に、院の御様子、主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさった」のも、お思い出し申される。
二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代(みよ)の最後の桜花の宴の日の父帝、(えん)な東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。
4.1.3 「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
桜をかざして遊んだその日がまたやって来た」
いつとなく大宮人(おほみやびと)の恋しきに
桜かざしし今日も来にけり
4.1.4
いとつれづれなるに、大殿(おほいどの)三位中将(さんゐのちゅうじゃう)は、(いま)宰相(さいしゃう)になりて、人柄(ひとがら)のいとよければ、時世(ときよ)のおぼえ(おも)くてものしたまへど、()(なか)あはれにあぢきなく、ものの(をり)ごとに(こひ)しくおぼえたまへば、ことの()こえありて(つみ)()たるともいかがはせむ」と(おぼ)しなして、にはかに()うでたまふ。
何もすることもないころ、大殿の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
と源氏は歌った。源氏が日を暮らし()びているころ、須磨の謫居(たっきょ)へ左大臣家の三位(さんみ)中将が(たず)ねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。
4.1.5 一目見るなり、珍しく嬉しくて、同じく涙がこぼれるのであった。
親しい友人であって、しかも長く相見る時を得なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。
4.1.6
()まひたまへるさま、()はむかたなく(から)めいたり
(ところ)のさま、()()きたらむやうなるに、竹編(たけあ)める(かき)しわたして、(いし)(はし)(まつ)(はしら)おろそかなるものから、めづらかにをかし。
お住まいになっている様子、いいようもなく唐風である。
その場所の有様、絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだ(かき)がめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。
4.1.7
山賤(やまがつ)めきて、ゆるし(いろ)()がちなるに青鈍(あをにび)狩衣(かりぎぬ)指貫(さしぬき)うちやつれて、ことさらに田舎(いなか)びもてなしたまへるしも、いみじう、()るに()まれてきよらなり。
山人みたいに、許し色の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣(かりぎぬ)指貫(さしぬき)の質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。
4.1.8
()使(つか)ひたまへる調度(てうど)かりそめにしなして、御座所(おましどころ)もあらはに見入(みい)れらる。
()双六盤(すぐろくばん)調度(てうど)弾棊(たぎ)()など、田舎(ゐなか)わざにしなして、念誦(ねんず)()(おこ)なひ(つと)めたまひけりと()えたり。
もの(まゐ)れるなど、ことさら(ところ)につけ、(きょう)ありてしなしたり。
お使いになっていらっしゃる調度も、一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。
碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、勤行なさっていたように見えた。
お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥(きが)する部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六(すごろく)の盤、弾棊(たぎ)の具なども田舎(いなか)風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠(じゅず)などがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応(きょうおう)に出された膳部(ぜんぶ)にもおもしろい地方色が見えた。
4.1.9
海人(あま)ども(あさ)りして、(かひ)物持(ものも)(まゐ)れるを、()()でて御覧(ごらん)ず。
(うら)年経(としふ)るさまなど()はせたまふに、さまざま(やす)げなき()(うれ)へを(まう)す。
そこはかとなくさへづるも、(こころ)行方(ゆくへ)(おな)じこと。
(なに)(こと)なる」と、あはれに()たまふ。
御衣(おほんぞ)どもなどかづけさせたまふを、()けるかひありと(おも)へり
御馬(おほんむま)ども(ちか)()てて、()やりなる(くら)(なに)ぞなる稲取(いねと)()でて()ふなど、めづらしう()たまふ。
海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。
海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。
とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。
何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。
御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思った。
幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
漁から帰った海人(あま)たちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちは(あわれ)んでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾(ひき)も並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽(さいばら)
4.1.10
飛鳥井(あすかゐ)」すこし(うた)ひて、(つき)ごろの御物語(おほんものがたり)()きみ(わら)ひみ、
「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
飛鳥井(あすかい)を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。
4.1.11
若君(わかぎみ)(なに)とも()(おぼ)さでものしたまふ(かな)しさを、大臣(おとど)()()れにつけて(おぼ)(なげ)く」
「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終(なげ)いている
4.1.12
など(かた)りたまふに、()へがたく(おぼ)したり。
()きすべくもあらねば、なかなか片端(かたはし)もえまねばず
などとお話になると、たまらなくお思いになった。
お話し尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
という話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。
4.1.13
()もすがらまどろまず、文作(ふみつく)()かしたまふ。
()ひながらも、ものの()こえをつつみて、(いそ)(かへ)りたまふ。
いとなかなかなり。
御土器参(おほんかはらけまゐ)りて、
一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。
そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。
かえって辛い思いがする。
お杯を差し上げて、
終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら
4.1.14 「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」
酔悲泪灑春杯裏(ゑひのかなしみのなみだをそそぐはるのさかづきのうち)
4.1.15
と、諸声(もろごゑ)()じたまふ。
御供(おほんとも)(ひと)(なみだ)(なが)す。
おのがじし、はつかなる(わか)()しむべかめり。
と、一緒に朗誦なさる。
お供の人も涙を流す。
お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。
4.1.16
(あさ)ぼらけの(そら)雁連(かりつ)れて(わた)る。
主人(あるじ)(きみ)
明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。
主の君は、
朝ぼらけの空を行く(かり)の列があった。源氏は、
4.1.17 「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
羨ましいのは今帰って行く雁だ」
故郷(ふるさと)(いづ)れの春か行きて見ん
(うらや)ましきは帰るかりがね
4.1.18
宰相(さいしゃう)さらに()()でむ心地(ここち)せで、
宰相は、まったく立ち去る気もせず、
と言った。宰相は出て行く気がしないで、
4.1.19 「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
花の都への道にも惑いそうです」
飽かなくに雁の常世(とこよ)を立ち別れ
花の都に道やまどはん
4.1.20
さるべき(みやこ)(つと)など(よし)あるさまにてあり。
主人(あるじ)(きみ)かくかたじけなき御送(おほんおく)りにとて、黒駒(くろこま)たてまつりたまふ
しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。
主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産(みやげ)を源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
4.1.21 「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」
「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばで(いなな)くようにと思うからですよ」
4.1.22
(まう)したまふ。
()にありがたげなる御馬(おほんむま)のさまなり。
とお申し上げになる。
世にめったにないほどの名馬の様である。
と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
4.1.23 「わたしの形見として思い出してください」
「これは形見だと思っていただきたい」
4.1.24
とて、いみじき(ふえ)()ありけるなどばかり、人咎(ひととが)めつべきことは、かたみにえしたまはず。
と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。
宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。
4.1.25
()やうやうさし()がりて、(こころ)あわたたしければ、(かへり)みのみしつつ()でたまふを、見送(みおく)りたまふけしき、いとなかなかなり。
日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
4.1.26 「いつ再びお目にかからせていただけましょう」
「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
4.1.27
(まう)したまふに主人(あるじ)
と申し上げると、主人の君は、
と宰相は言った。
4.1.28 「雲の近くを飛びかっている鶴よ、
雲上人よ、はっきりと照覧あれわたしは春の日のようにいさ
「雲近く飛びかふ(たづ)も空に見よ
われは春日の曇りなき身ぞ
4.1.29
かつは(たの)まれながら、かくなりぬる(ひと)(むかし)のかしこき(ひと)だに、はかばかしう()にまたまじらふこと(かた)くはべりければ、(なに)か、(みやこ)のさかひをまた()むとなむ(おも)ひはべらぬ」
一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
4.1.30
などのたまふ。
宰相(さいしゃう)
などとおっしゃる。
宰相は、
こう源氏は答えて言うのであった。
4.1.31 「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら
「たづかなき雲井に(ひと)()をぞ鳴く
(つばさ)並べし友を恋ひつつ
4.1.32
かたじけなく()れきこえはべりて、いとしもと(くや)しう(おも)ひたまへらるる折多(をりおほ)く」
もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」
失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
4.1.33
など、しめやかにもあらで(かへ)りたまひぬる名残(なごり)いとど(かな)しう(なが)()らしたまふ。
などと、しんみりすることなくてお帰りになった、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。
と宰相は言いつつ去った。友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。

第二段 上巳の祓と嵐

4.2.1
弥生(やよひ)朔日(ついたち)()()たる()()
三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
今年は三月の一日に()の日があった。
4.2.2
今日(けふ)なむかく(おぼ)すことある(ひと)は、御禊(みそぎ)したまふべき」
「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊(みそぎ)をすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
4.2.3
と、なまさかしき(ひと)()こゆれば、(うみ)づらもゆかしうて()でたまふ。
いとおろそかに、軟障(ぜんじゃう)ばかりを()きめぐらして、この(くに)(かよ)ひける陰陽師召(おみゃうじめ)して、(はら)へせさせたまふ。
(ふね)にことことしき人形乗(ひとかたの)せて(なが)すを()たまふによそへられて、
と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。
ひどく簡略に、軟障だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせなになる。
舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、
賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場(みそぎば)を作り、旅の陰陽師(おんみょうじ)を雇って源氏は(はら)いをさせた。船にやや大きい禊いの人形を乗せて流すのを見ても、源氏はこれに似た自身のみじめさを思った。
4.2.4 「見も知らなかった大海原に流れきて
人形に一方ならず悲しく思われることよ」
知らざりし大海の原に流れ来て
一方にやは物は悲しき
4.2.5
とて、ゐたまへる(おほん)さま、さる()れに()でて、()ふよしなく()えたまふ。
と詠んで、じっとしていらっしゃるご様子、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
と歌いながら沙上(しゃじょう)の座に着く源氏は、こうした明るい所ではまして水ぎわだって見えた。
4.2.6
(うみ)(おもて)うらうらと()ぎわたりて、行方(ゆくへ)()らぬに、()方行(かたゆ)先思(さきおぼ)(つづ)けられて、
海の表面もうららかに凪わたって、際限も分からないので、過去のこと将来のことが次々と胸に浮かんできて、
少し(かす)んだ空と同じ色をした海がうらうらと()ぎ渡っていた。果てもない天地をながめていて、源氏は過去未来のことがいろいろと思われた。
4.2.7 「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
これといって犯した罪はないのだから」
八百(やほ)よろづ神も(あは)れと思ふらん
犯せる罪のそれとなければ
4.2.8
とのたまふに、にはかに風吹(かぜふ)()でて、(そら)もかき()れぬ。
御祓(おほんはら)へもし()てず、()(さわ)ぎたり。
肱笠雨(ひぢかさあめ)とか()りきていとあわたたしければ、みな(かへ)りたまはむとするに、(かさ)()りあへず。
さる(こころ)もなきによろづ()()らし、またなき(かぜ)なり。
(なみ)いといかめしう()ちて(ひと)びとの(あし)をそらなり
(うみ)(おもて)は、(ふすま)()りたらむやうに(ひか)()ちて、雷鳴(かみな)りひらめく。
()ちかかる心地(ここち)して、からうしてたどり()
とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。
お祓いもし終えないで、騒然となった。
肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。
こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろと吹き飛ばし、またとない大風である。
波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。
海の表面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。
落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、
と源氏が歌い終わった時に、風が吹き出して空が暗くなってきた。御禊(みそぎ)の式もまだまったく終わっていなかったが人々は立ち騒いだ。肱笠雨(ひじがさあめ)というものらしくにわか雨が降ってきてこの上もなくあわただしい。一行は浜べから引き上げようとするのであったが笠を取り寄せる間もない。そんな用意などは初めからされてなかった上に、海の風は何も何も吹き散らす。夢中で家のほうへ走り出すころに、海のほうは蒲団(ふとん)(ひろ)げたように(ふく)れながら光っていて、雷鳴と電光が襲うてきた。すぐ上に落ちて来る恐れも感じながら人々はやっと家に着いた。
4.2.9 「このような目には遭ったこともないな」
「こんなことに出あったことはない。
4.2.10
(かぜ)などは()くも、けしきづきてこそあれ。
あさましうめづらかなり」
「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。
思いもせぬ珍しいことだ」
風の吹くことはあっても、前から予告的に天気が悪くなるものであるが、
4.2.11
(まど)ふに、なほ()まず()りみちて、(あめ)脚当(あしあ)たる(ところ)(とほ)りぬべくはらめき()つ。
「かくて()()きぬるにや」と、心細(こころぼそ)(おも)(まど)ふに、(きみ)は、のどやかに(きゃう)うち()じておはす。
と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。
「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。
こんなににわかに暴風雨になるとは」こんなことを言いながら山荘の人々はこの天候を恐ろしがっていたが雷鳴もなおやまない。雨の(あし)の当たる所はどんな所も突き破られるような強雨(ごうう)が降るのである。こうして世界が滅亡するのかと皆が心細がっている時に、源氏は静かに経を読んでいた。
4.2.12
()れぬれば、(かみ)すこし()()みて、(かぜ)ぞ、(よる)()く。
日が暮れたので、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
日が暮れるころから雷は少し遠ざかったが、風は夜も吹いていた。
4.2.13 「たくさん立てた願の力なのでしょう」
神仏へ人々が大願を多く立てたその力の(あら)われがこれであろう。
4.2.14
(いま)しばし、かくあらば、(なみ)()かれて()りぬべかりけり」
「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
「もう少し暴風雨が続いたら、(なみ)に引かれて海へ行ってしまうに違いない。
4.2.15
高潮(たかしほ)といふものになむ、とりあへず(ひと)そこなはるるとは()けど、いと、かかることは、まだ()らず」
「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」
海嘯(つなみ)というものはにわかに起こって人死(ひとじ)にがあるものだと聞いていたが、今日のは雨風が原因になっていてそれとも違うようだ」
4.2.16
()ひあへり。
と言い合っていた。
などと人々は語っていた。
4.2.17
暁方(あかつきがた)みなうち(やす)みたり。
(きみ)もいささか寝入(ねい)りたまへれば、そのさまとも()えぬ人来(ひとき)
明け方、みな寝んでいた。
君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
夜の明け方になって皆が寝てしまったころ、源氏は少しうとうととしたかと思うと、人間でない姿の者が来て、
4.2.18 「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」
「なぜ王様が召していらっしゃるのにあちらへ来ないのか」
4.2.19
とて、たどりありくと()るに、おどろきて、さは、(うみ)(なか)龍王(りうわう)の、いといたうものめでするものにて、見入(みい)れたるなりけり」と(おぼ)すに、いとものむつかしう、この()まひ()へがたく(おぼ)しなりぬ。
と言って、手探りで捜してしるように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。
と言いながら、源氏を求めるようにしてその辺を歩きまわる夢を見た。さめた時に源氏は驚きながら、それではあの暴風雨も海の竜王(りゅうおう)が美しい人間に心を()かれて自分に見入っての仕業(しわざ)であったと気がついてみると、恐ろしくてこの家にいることが堪えられなくなった。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
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ローマ字版 Last updated 9/27/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
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(ローマ字版から)
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ひらがな版  ルビ抽出
挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 6/14/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)
2003年7月2日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年11月8日

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