設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
光る源氏 | ひかるげんじ | 内大臣 大臣 大殿 殿 |
三十一歳 |
齋宮女御 | さいぐうのにょうご | 前齋宮 齋宮の女御 齋宮 梅壺の御方 梅壺 宮 |
源氏の養女 |
冷泉帝 | れいぜいてい | 帝 内裏 主上 |
今上帝 |
頭中将 | とうのちゅうじょう | 権中納言 中納言 |
源氏の従兄弟 |
弘徽殿女御 | こうきでんのにょうご | 弘徽殿 女御 御女 |
頭中将の娘 |
朱雀院 | すざくいん | 院 院の帝 |
源氏の兄 |
藤壺宮 | ふじつぼのみや | 中宮 宮 |
冷泉帝の母 |
紫の上 | むらさきのうえ | 女君 |
源氏の正妻 |
第十六帖 関屋 光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語 |
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# |
本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語 |
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第一段 空蝉、夫と常陸国下向 |
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1.1.1 | 伊予介と言った人は、故院が御崩御あそばして、その翌年に、常陸介になって下行したので、あの帚木も一緒に連れられて行ったのであった。 須磨でのご生活も遥か遠くに聞いて、人知れずお偲び申し上げないではなかったが、お便りを差し上げる手段さえなくて、筑波嶺を吹き越して来る風聞も、不確かな気がして、わずかの噂さえ聞かなくて、歳月が過ぎてしまったのだった。 いつまでとは決まっていなかったご退去であったが、京に帰り住まわれることになって、その翌年の秋に、常陸介は上京したのであった。 |
以前の |
【伊予介といひしは、故院崩れさせたまひて、またの年、常陸になりて下りしかば、かの帚木もいざなはれにけり】- 桐壺院の崩御は「賢木」巻の源氏二十三歳の年。その翌年、朧月夜の君は尚侍になり、朝顔の姫君は齋院となり、藤壺宮は出家した。「帚木」という呼称は巻名に因んで呼ばれたもの。作者の命名。読者は「空蝉」と呼称する。 【よすがだになくて】- 大島本は「なくて」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「なく」と「て」を削除する。 【筑波嶺の山を吹き越す風も】- 「甲斐が嶺を嶺越し山越し吹く風を人にもがもや言づてやらむ」(古今集東歌、一〇九八)を踏まえ、「甲斐が嶺」を「筑波嶺」と言い換えた。 【いささかの伝へ】- 大島本は「いささかかの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いささかの」と「か」を削除する。 【限れることもなかりし御旅居なれど】- 源氏の須磨・明石退去をさす。「御旅居」と敬語表現。 【京に帰り住みたまひて、またの年の秋ぞ、常陸は上りける】- 『完訳』は「国守任命後、足かけ五年目に辞任、六年目(源氏帰京の翌年)に上京。澪標巻後半に相当」と注す。 |
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第二段 源氏、石山寺参詣 |
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1.2.1 | 逢坂の関に入る日、ちょうど、この殿が、石山寺にご願果たしに参詣なさったのであった。 京から、あの紀伊守などといった子どもや、迎えに来た人々、「この殿がこのように参詣なさる予定だ」と告げたので、「道中、きっと混雑するだろう」と思って、まだ暁のうちから急いだが、女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来たので、日が高くなってしまった。 |
一行が |
【関入る日しも、この殿、石山に御願果しに詣でたまひけり】- 常陸介一行が逢坂関を通る日に、源氏は石山寺にお礼参りに逢坂関にさしかかる。 |
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1.2.2 | 打出の浜にやって来た時に、「殿は、粟田山を既にお越えになった」と言って、御前駆の人々が、道も避けきれないほど大勢入り込んで来たので、関山で皆下りてかしこまって、あちらこちらの杉の木の下に幾台もの車の轅を下ろして、木蔭に座りかしこまってお通し申し上げる。 車などは行列の一部は遅らせたり、先にやったりしたが、それでもなお、一族が多く見える。 |
【打出の浜来るほどに、「殿は、粟田山越えたまひぬ」とて】- 「打出の浜」は大津の浜。「粟田山」は京山科との間の山。 【道もさりあへず来込みぬれば】- 『集成』は「梓弓春の山辺を越え来れば道もさりあへず花ぞちりける」(古今集春下、一一五、貫之)の言葉を借りた表現であることを指摘。 【木隠れに居かしこまりて】- 木蔭に隠れるように座って、源氏の一行の通り過ぎるのを待つ。 【車など】- 以下、常陸介一行の車をいう。敬語がついていない。 【先に立てなどしたれど】- 『集成』は「〔一部は〕前日に出発させたりしたが」と注す。 |
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1.2.3 | 車十台ほどから、袖口、衣装の色合いなども、こぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって、斎宮のご下向か何かの時の物見車が自然とお思い出しになられる。 殿も、このように世に栄え出なされた珍しさに、数知れない御前駆の者たちが、皆目を留めた。 |
そこには十台ほどの車があって、外に出した |
【車十ばかりぞ】- 係助詞「ぞ」は「見えたる」連体形に係るが、連体中止で、読点で下文に続き、その主格となる。 【思し出でらる】- 主語は源氏。「思す」という敬語表現による。 |
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第三段 逢坂の関での再会 |
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1.3.1 | 九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに、関屋からさっと現れ出た何人もの旅姿の、色とりどりの狩襖に似つかわしい刺繍をし、絞り染めした姿も、興趣深く見える。 お車は簾を下ろしなさって、あの昔の小君、今、右衛門佐である者を召し寄せて、 |
九月の三十日であったから、山の |
【九月晦日なれば、紅葉の色々こきまぜ、霜枯れの草むらむらをかしう見えわたるに、関屋より、さとくづれ出でたる旅姿どもの】- 大島本は「くつれいてたる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はづれ出でたる」と校訂する。晩秋九月の晦、山道に紅葉、霜枯れの草々、源氏一行の人々の動きを活写。 【今、右衛門佐】- 大島本は「いま右衛門のすけ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「今は衛門佐」と「は」を補訂し「右」を削除する。従五位上相当官。 |
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1.3.2 | 「今日のお関迎えは、無視なさるまいな」 |
「今日こうして関迎えをした私を姉さんは無関心にも見まいね」 |
【今日の御関迎へは、え思ひ捨てたまはじ】- 源氏の詞。「御関迎へ」は自分を逢坂関で出迎えることをいう。「思ひ捨てたまはじ」の主語は空蝉。冗談を交えた物の言い方。『完訳』は「私の逢坂の関での出迎えを空蝉は無視なさるまい、の意。偶然の再会を、「関迎へ」と言いなした」と注す。 |
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1.3.3 | などとおっしゃる、ご心中、まことにしみじみとお思い出しになることが数多いけれど、ありきたりの伝言では何の効もない。 女も人知れず昔のことを忘れないので、あの頃を思い出して、しみじみと胸一杯になる。 |
などと言った。心のうちにはいろいろな思いが浮かんで来て、恋しい人と直接言葉がかわしたかった源氏であるが、人目の多い場所ではどうしようもないことであった。女も悲しかった。昔が昨日のように思われて、 |
【のたまふ】- 『集成』は下文の「御心のうち」に続ける。『完訳』は句点で文を切る。 |
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1.3.4 | 「行く人と来る人の逢坂の関で、 せきとめがたく流れるわたしの涙を絶え |
行くと 絶えぬ |
【行くと来とせき止めがたき涙をや--絶えぬ清水と人は見るらむ】- 空蝉の独詠歌。「塞き止め難き」に「(逢坂の)関」を掛ける。「清水」は歌枕「関の清水」。『完訳』は「源氏にも理解されない孤心を形象」と注す。 |
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1.3.5 | お分かりいただけまい」と思うと、本当に効ない。 |
自分のこの心持ちはお知りにならないであろうと思うとはかなまれた。 |
【え知りたまはじかし】- 空蝉の心中。「知りたまはじ」の主語は源氏。 【いとかひなし】- 前に源氏に対して「おほぞうにてかひなし」とあった。「女も」「いとかひなし」という文脈。 |
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第二章 空蝉の物語 手紙を贈る |
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第一段 昔の小君と紀伊守 |
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2.1.1 | 石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上して、そのまま行き過ぎてしまったお詫びなどを申し上げる。 昔、童として、たいそう親しくかわいがっていらっしゃったので、五位の叙爵を得たまで、この殿のお蔭を蒙ったのだが、思いがけない世の騒動があったころ、世間の噂を気にして、常陸国に下行したのを、少し根に持ってここ数年はお思いになっていたが、顔色にもお出しにならず、昔のようにではないが、やはり親しい家人の中には数えていらっしゃっるのであった。 |
源氏が石山寺を出る日に右衛門佐が迎えに来た。源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことを |
【石山より出でたまふ御迎へに右衛門佐参りてぞ】- 大島本は「右衛門のすけまいりてそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「衛門佐参れり。一日」と校訂する。源氏が石山寺参詣を終えて、そのお迎え。 【まかり過ぎしかしこまり】- 『新大系』は「先日(逢坂の関で、源氏のお供もせず)通り過ぎたことのお詫び」と注す。 |
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2.1.2 | 紀伊守と言った人も、今は河内守になっていたのであった。 その弟の右近将監を解任されてお供に下った者を、格別にお引き立てになったので、そのことを誰も皆思い知って、「どうしてわずかでも、世におもねる心を起こしたのだろう」などと、後悔するのであった。 |
【紀伊守といひしも、今は河内守に】- 紀伊国は上国、河内国は大国。 【などてすこしも】- 以下「つかひけむ」まで、人々の心中。世におもねったことを誤悔。 |
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第二段 空蝉へ手紙を贈る |
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2.2.1 | 右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。 「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。 |
【御消息あり】- 源氏から空蝉への手紙。 【今は】- 以下「おはする」まで、右衛門佐の心中。源氏の空蝉を思い続ける変わらぬ愛情に感心する。 |
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2.2.2 | 「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。 |
あの日私は、あなたとの縁はよくよく前生で堅く結ばれて来たものであろうと感じましたが、あなたはどうお思いになりましたか。 |
【一日は】- 大島本は「つる(へる&つる、=一日イ<朱>)は」とある。すなわち初め「つ」とあったのを「へ」となぞり書き訂正し、その右傍らに朱筆で「一日イ」と傍記する。『新大系』『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「一日は」と校訂する。以下「めざましかりしかな」まで、源氏の空蝉への手紙文。 |
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2.2.3 | 偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが それも効ありませんね、 |
わくらはに行き なほかひなしや塩ならぬ海 |
【わくらばに行き逢ふ道を頼みしも--なほかひなしや潮ならぬ海】- 源氏から空蝉への贈歌。「逢ふ道」に「近江路」、「効」に「貝」を掛ける。「潮ならぬ海」だから「海布松(見る目)」が生えてなく、「貝(効)」がない、という。『集成』は「潮満たぬ海と聞けばや世とともにみるめなくして年の経ぬらむ」(後撰集恋一、五二六、貫之)を指摘。 |
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2.2.4 | 関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」 |
あなたの |
【関守の】- 「逢坂の関」の縁語で「関守」という。恋路を妨げる空蝉の夫常陸介という気持ち。 |
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2.2.5 | とあり。 |
とある。 |
という手紙である。 |
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2.2.6 | 「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。 あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」 |
「あれから長い時間がたっていて、きまりの悪い気もするが、忘れない私の心ではいつも現在の恋人のつもりでいるよ。でもこんなことをしてはいっそう |
【年ごろの】- 以下「いとど憎まれむや」まで、源氏の詞。右衛門佐に手紙を託す折の詞。 |
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2.2.7 | とて、 |
と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、 |
こう言って源氏は渡した。佐はもったいない気がしながら受け取って姉の所へ持参した。 |
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2.2.8 | 「なほ、 すさびごとぞ |
「とにかく、 お返事なさいませ。昔よりは少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひ としおありがたい。浮気事の取り持ちは、無用のことと思うが、とてもきっぱりとお断り申 し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難 |
「ぜひお返事をしてください。以前どおりにはしてくださらないだろう、疎外されるだろうと私は覚悟していましたが、やはり同じように親切にしてくださるのですよ。この使いだけは困ると思いましたけれど、お断わりなどできるものじゃありません。女のあなたがあの御愛情にほだされるのは当然で、だれも罪とは考えませんよ」 |
【なほ、聞こえたまへ】- 以下「罪ゆるされぬべし」まで、右衛門佐の空蝉への詞。 【女にては、負けきこえたまへらむに、罪ゆるされぬべし】- 『完訳』は「女の身としては、相手の説得に負けて応答したところで誰の避難も受けまい。「罪」は夫以外の男に通じる罪。それを楽観的に言う。不義の仲を取り持とうとするのは、権勢家への追従心によろう」と注す。右衛門佐の成長が感じられる。 |
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2.2.9 | などと言う。 今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、 |
などと右衛門佐は姉に言うのであった。今はましてがらでない気がする |
【めづらしきにや、え忍ばれざりけむ】- 「にや」連語(断定の助動詞「に」係助詞「や」)、「けむ」過去推量の助動詞。語り手の感情移入を伴った登場人物の心中を推測した表現。 |
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2.2.10 | 「逢坂の関は、 いったいどのような関なのでし |
【逢坂の関やいかなる関なれば--しげき嘆きの仲を分くらむ】- 空蝉の返歌。歌中の「近江路」「潮ならぬ海」は用いず、歌に添えた「関守」の語句を受けて、「逢坂の関」に「(人に)逢ふ」の意を掛け、また「嘆き」に「(投げ)木」を響かす。「仲を分くらむ」と、源氏の意を迎えた歌を返す。 |
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2.2.11 | 夢のような心地がします」 |
夢のような気がいたしました。 |
【夢のやうになむ】- 歌に添えた詞。 |
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2.2.12 | と あはれもつらさも、 |
と申し上げた。 いとしさも恨めしさも、忘られない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。 |
とある。恨めしかった点でも、恋しかった点でも源氏には忘れがたい人であったから、なおおりおりは空蝉の心を動かそうとする手紙を書いた。 |
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第三章 空蝉の物語 夫の死去後に出家 |
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第一段 夫常陸介死去 |
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3.1.1 | こうしているうちに、常陸介は、年取ったためか、病気がちになって、何かと心細い気がしたので、子どもたちに、もっぱらこの君のお事だけを遺言して、 |
そのうち |
【かかるほどに、この常陸守】- 常陸国は親王が大守となり遥任なので、介が実質上の守となるので、「常陸守」と呼称された。 |
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3.1.2 | 「万事の事、ただこの母君のお心にだけ従って、わたしの在世中と変わりなくお仕えせよ」 |
「何もかも私の妻の意志どおりにせい。私の生きている時と同じように仕えねばならん」 |
【よろづのこと、ただこの御心に】- 以下「仕うまつれ」まで、常陸介の遺言。万事空蝉の心に従って、自分の生前と同様に仕えなさい、という主旨。 |
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3.1.3 | とのみ、 |
とばかり、 |
と繰り返すのである。 |
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3.1.4 | 女君の、「辛い運命の下に生まれて、この人にまで先立たれて、どのように落ちぶれて途方に暮れることになっていくのだろうか」と、思い嘆いていらっしゃるのを見ると、 |
空蝉は薄命な自分はこの |
【心憂き宿世ありて】- 以下「惑ふべきにかあらむ」まで、空蝉の心中。地の文から心中文に自然と流れていく形で、その始まりは判然としない。 【思ひ嘆きたまふを見るに】- 「思い嘆く」空蝉には敬語がつき、「見る」常陸介にはつかない。 |
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3.1.5 | 「命には限りがあるものだから、惜しんだとて止めるすべはない。 何とかして、この方のために残して置く魂があったらいいのだが。 わが子どもの気心も分からないから」 |
生きていたいと思っても、それは自己の意志だけでどうすることもできないことであったから、 |
【命の限り】- 以下「心も知らぬを」まで、常陸介の心中。 【わが子どもの心も知らぬを】- 『集成』は「わが子とはいえ気心も知れないのに」と訳す。「を」間投助詞、詠嘆の意。 |
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3.1.6 | と、うしろめたう |
と、気掛かりで悲しいことだと、口にしたり思ったりしたが、思いどおりに行かないもので、亡くなってしまった。 |
せめて愛妻のために魂だけをこの世に残して置きたい、自分の息子たちの心も絶対には信ぜられないのであるからと、言いもし、思いもして悲しんだがやはり死んでしまった。 |
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第二段 空蝉、出家す |
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3.2.1 | 暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと、情けのあるように振る舞っていたが、うわべだけのことであって、辛いことが多かった。 それもこれもみな世の道理なので、わが身一つの不幸として、嘆きながら毎日を暮らしている。 ただ、この河内守だけは、昔から好色心があって、少し優しげに振る舞うのであった。 |
息子たちが、当分は、「あんなに父が頼んでいったのだから」と表面だけでも言っていてくれたが、空蝉の堪えられないような意地の悪さが追い追いに見えて来た。世間ありきたりの法則どおりに継母はこうして苦しめられるのであると思って、空蝉はすべてを自身の薄命のせいにして悲しんでいた。河内守だけは好色な心から、継母に今も追従をして、 |
【うはべこそあれ】- 「こそ」係助詞、「あれ」已然形、逆接用法で下文に続く。 【世の道理なれば】- 『完訳』は「継子が継母を疎略にすることをいう」と注す。 【昔より好き心ありて】- 前に「紀伊守、好き心に、この継母のありさまを、あたらしきものに思ひて」(「帚木」巻)とあった。 |
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3.2.2 | 「あはれにのたまひ |
「しみじみとご遺言なさってもおり、至らぬ者ですが、何なりとご遠慮なさらずにおっしゃってください」 |
「父があんなにあなたのことを頼んで行かれたのですから、無力ですが、それでもあなたの御用は勤めたいと思いますから、遠慮をなさらないでください」 |
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3.2.3 | など |
などと機嫌をとって近づいて来て、実にあきれた下心が見えたので、 |
などと言って来るのである。あさましい |
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3.2.4 | 「辛い運命の身で、このように生き残って、終いには、とんでもない事まで耳にすることよ」と、人知れず思い悟って、他人にはそれとは知らせずに、尼になってしまったのであった。 |
不幸な自分は良人に死に別れただけで済まず、またまたこんな情けないことが近づいてこようとすると悲しがって、だれにも相談をせずに尼になってしまった。 |
【憂き宿世ある身にて】- 以下「聞き添ふるかな」まで、空蝉の心中。 |
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3.2.5 | ある |
仕えている女房たち、何とも言いようがないと、悲しみ嘆く。 河内守もたいそう辛く、 |
常陸介の息子や娘もさすがにこれを惜しがった。河内守は恨めしかった。 |
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3.2.6 | 「わたしをお嫌いになってのことに。 まだ先の長いお年でいらっしゃろうに。 これから先、 |
「私をきらって尼におなりになったってまだ今後長く生きて行かねばならないのだから、どうして生活をするつもりだろう、余計なことをしたものだ」 |
【おのれを】- 以下「過ぐしたまふべき」まで、河内守の心中また詞。 |
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3.2.7 | などと、つまらぬおせっかいだなどと、申しているようである。 |
などと言った。 |
【あいなのさかしらやなどぞ、はべるめる】- 『集成』は「つまらぬおせっかいだ、などと人は申しているようです。世間の評判を伝える語り手の言葉。草子地」。『完訳』は「現身を不憫がる河内守への、世人の批評」と注す。 |
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