設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
光る源氏 | ひかるげんじ | ナシ |
五十一歳 |
蛍兵部卿宮 | ほたるひょうぶきょうのみや | 兵部卿宮 宮 |
源氏の弟 |
女三の宮 | おんなさんのみや | 入道の宮 宮 |
源氏の正妻 |
匂宮 | におうのみや | 三の宮 若宮 味や 君 |
今上帝の第三親王 |
明石の中宮 | あかしのちゅうぐう | 后の宮 |
今上帝の后 |
明石の御方 | あかしのおおんかた | 明石 女 |
源氏の妻 |
花散里 | はなちるさと | 夏の御方 |
源氏の妻 |
夕霧 | ゆうぎり | 大将の君 大将 大将殿 |
源氏の長男 |
第四十帖 御法 光る源氏の准太上天皇時代五十一歳三月から八月までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語 |
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第一段 紫の上、出家を願うが許されず |
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1.1.1 | 紫の上、ひどくお患いになったご病気の後、とても衰弱がひどくおなりになって、どこそこがお悪いというのでなくご気分がすぐれない状態が長くなった。 |
紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終 |
【紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後】- 四年前の正月の女楽の直後発病し、四月危篤状態まで陥ったが(若菜下)、その後全快せず今日にいたっている。冒頭「紫の上」、と女主人公を提示し、以下にも体言の下に格助詞や係助詞を伴わない、物語としての文章の生動に注意べき。 |
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1.1.2 | いとおどろおどろしうはあらねど、 しばしにても |
たいして重病ではないが、年月が重なるので、頼りなさそうに、ますます衰弱をお増しになったのを、院がご心痛になること、この上ない。 少しの間でも先立たれ申されることは、堪えがたくお思いになり、ご自身のお気持ちは、この世に何の不足なこともなく、気がかりな子供たちさえおいででないお身の上なので、無理に生き残っていたいお命ともお思いなされないのだが、長年のご夫婦の縁を別れ、ご悲嘆申させるだろうことだけが、人知れず心の中でも、何となく悲しく思われなさるのであった。 来世のためにと、尊い仏事を数多くなさりながら、「何とかしてやはり出家の本願を遂げて、暫くの間でも生きている命の限りは、勤行を一途に行いたい」と、いつもお思いになりお願いなさるが、まったくお許し申し上げなさらない。 |
たいした悪い容体になるのではなかったが、すぐれない、同じような不健康さが一年余りも続いた今では目に立って弱々しい姿になったことで、院は非常に心痛をしておいでになった。しばらくでもこの人の死んだあとのこの世にいるのは悲しいことであろうと知っておいでになったし、夫人自身も人生の幸福には不足を感じるところとてもなく、気がかりな思いの残る子もない人なのであるから、こまやかに思い合った過去を持っていて自分の先に欠けてしまうことは、院をどんなに不幸なお心持ちにすることであろうという点だけを心の中で物哀れに感じているのであった。未来の世のためにと思って夫人は功徳になることを多くしながらも、やはり出家して今後しばらくでも命のある間は仏勤めを十分にしたいということを始終院へお話しして、夫人は許しを得たがっているのであるが、院は御同意をあそばさなかった。 |
【院の思ほし嘆くこと、限りなし】- 源氏の悲嘆。 【しばしにても】- 以下「いみじかるべく思し」まで、源氏の心中を地の文で語る。 【みづからの御心地には】- 以下、紫の上の心中を地の文で語る。 【思されぬを】- 「れ」自発の助動詞。接続助詞「を」逆接の意。 【年ごろの御契りかけ離れ】- 『集成』は「死別によって今生の契りを断つこと」。『完訳』は「源氏との年来の縁。「契り」に注意。単なる「仲」でない。子への執着がない代りに、源氏との宿縁の仲が現世の絆となっている」と注す。 【思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ】- 源氏を嘆かせる。『休聞抄』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。 【思されける】- 「れ」自発の助動詞。係助詞「ぞ」--「ける」係結びの構文の強調表現。 【いかでなほ本意あるさまになりて】- 紫の上の出家願望は、「若菜下」巻に語られていた。 【しばしもかかづらはむ命のほどは】- 『河海抄』は「ありはてぬ命待つ間の程ばかり憂きことしげく思はずもがな」(古今集雑下、九六五、平貞文)を指摘。 【さらに許しきこえたまはず】- 主語は源氏。 |
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1.1.3 | さるは、わが |
そうは言うものの、ご自分のお気持ちにも、そのようにご決心なさっていることなので、このように熱心に思っていらっしゃる機会に促されて、一緒に出家生活に入ろうとお思いになるが、一度、出家をなさったらば、仮にもこの世の事を顧みようとはお思いにならず、来世では、一つの蓮の座を分け合おうと、お約束申し上げなさって、頼りにしていらっしゃるご夫婦仲であるが、この世のままで勤行なさる間は、同じ奥山であっても、峰を隔てて、お互いに顔を会わせない住まいで離れて生活することばかりをお考えになっていたので、このようにとても頼りない状態で病が篤くなってゆかれるので、とてもお気の毒なご様子を、いよいよ出家しようという時機には捨てることができず、かえって、山水の清い生活も濁ってしまいそうで、ぐずぐずしていらっしゃるうちに、ほんの浅い考えで、思うまま出家心を起こす人々に比べて、すっかり後れを取っておしまいになりそうである。 |
それは院御自身にも出家は希望していられることなのであるが、夫人が熱心にそうしたいと言っている時に、御自身もいっしょにそれを断行しようかというお心もないではないものの、いったん仏道にはいった以上は、仮にもこの世を顧みることはしたくないというお考えで、未来の世では一つの |
【さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば】- 「さるは」反転して、また一方では。以下、源氏の心中。源氏の出家願望は、「若紫」「葵」「絵合」「藤裏葉」の諸巻に見られる。 【同じ道にも入りなむ】- 源氏の心中。連語「なむ」(完了の助動詞、確述+推量の助動詞、意志)、源氏の強い意志を表す。 【思せど】- 「ど」逆接の接続助詞、いったんは出家をと思うが、以下に躊躇される気持ちが語られる。 【一度、家を出でたまひなば】- 以下、源氏の心中。出家の覚悟とそれを躊躇される源氏の気持ちを地の文に語る。心情の流れに即した紆余曲折のある長文の文章表現に注意。 【かけ離れなむことをのみ】- 連語「なむ」、完了の助動詞、確述の意+推量の助動詞、意志の意。副助詞「のみ」限定強調の意、源氏の強い決意を表す。 【思しまうけたるに】- 接続助詞「に」順接、原因理由を表す。源氏のかねての考え方をいう。以下、逆接の文脈になり、それがかなわないことをいう。 【悩み篤いたまへば】- 動詞「篤え」の転、連用形しか文献には見えないという(岩波古語辞典)。容態が重くなる意。 【山水の住み処濁りぬべく】- 地の文中だが、「澄む」「住む」の掛詞、「水」と「濁る」「澄む」の縁語、という修辞が見られる。 【ただうちあさへたる、思ひのままの道心起こす人びとには、こよなう後れたまひぬべかめり】- 推量の助動詞「べかめり」は語り手が源氏の心中と行動を推測した言辞。『評釈』は「当時の貴族たちにとっては、出家は理想の生活として考えられていたらしい。(中略)それを光る源氏をめぐる婦人たちでさえ行なっているのに、光る源氏が今まで口には言いながら実行しないのはどうしたことなのか。そういった読者の疑問に答えるための、作者の弁解がこの「御法」の冒頭文ではないかと思われる」と注す。 |
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1.1.4 | お許しがなくて、一存でご決心なさるのも、体裁が悪く不本意のようなので、この一事によって、女君は、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。 ご自身でも、罪障が浅くない身の上ゆえかと、気がかりに思わずにはいらっしゃれないのであった。 |
院の同意されぬのを見ぬ顔にして尼になってしまうことも見苦しいことであるし、自分の心にも満足のできぬことであろうからと思って、この点で夫人は院をお恨めしく思った。また自分自身も前生の罪の深いものであろうと不安がりもした。 |
【御許しなくて】- 源氏の許可がなくて紫の上は出家を。 【このことによりてぞ】- 源氏が出家を許さないことをさす。係助詞「ぞ」--「思ひきこえたまひける」、係結びの構文による強調表現。 【女君は】- 紫の上。あえて主語を提示することによって強調したもの。 【わが御身をも、罪軽かるまじきにやと】- 紫の上自身の反省。接続助詞「に」順接、原因理由の意。我が身の罪障が深いために、出家も許されないのだろうか、と考える。『完訳』は「源氏を恨むよりも、わが運命を悲しむ」と注す。 |
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第二段 二条院の法華経供養 |
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1.2.1 | わが おほかた |
長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。 ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。 七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。 法服の染色や、仕立て方をはじめとして、美しいこと、この上ない。 だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。 |
以前から自身の |
【法華経』千部】- 『法華経』は全八巻、二十八品の経。それを千部写経させた。大勢の写経者が必要。大事業である。 【わが御殿と思す二条院にて】- 「若菜上」巻にも「わが御私の殿と思す二条の院にて」(第九章二段)とあった。 【七僧の法服など】- 講師(こうじ)・読師(とくじ)・呪願(しゅがん)・三礼(さんらい)・唄(ばい)・散花(さんげ)・堂達(どうだつ)の役僧たちの法服。 |
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1.2.2 | ことことしきさまにも |
大層な催しには致されなかったので、詳細な事柄はお教えなさらなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ大体のお飾り、何やかのことだけを、お世話なさるのであった。 楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。 |
【ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ】- 紫の上は源氏に。 【詳しきことどもも知らせたまはざりけるに】- 主語は源氏。『集成』は「こまかいところまで何もご存じでなかったのに」。『完訳』は「院は立ち入った数々のことをお教えにならなかったのに」。両解釈あるが、こうした表現は、二者択一的解釈より多重的解釈(掛詞的)のほうがより適切か。 【仏の道にさへ通ひたまひける】- 『完訳』は「仏の儀式にまでよく通じて」と注す。 【営ませたまひける】- 「せたまひ」は、主語が「院は」とあるので、最高敬語とみてよい。 【大将の君】- 夕霧。近衛府の官人という立場から。 |
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1.2.3 | 「いつのほどに、いとかくいろいろ げに、 |
帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえ所狭しなのに、それ以上に、その当時は、このご準備のご用をお務めしない人がないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。 「いつのまに、とてもこのようにいろいろとご用意なさったのであろう。 なるほど、古い昔からの御願であろうか」と見えた。 |
宮中、東宮、院の |
【内裏、春宮、后の宮たちをはじめ】- 今上帝は朱雀院の御子。春宮は今上帝と明石女御の間に生まれた御子。「后宮たち」と複数形で語られているので、秋好中宮の他に明石女御が中宮になったことが暗示されている。明石女御の立后は初見の記事。 【御方々、ここかしこに】- 六条院のご夫人方、花散里や明石御方をさす。 【いとこちたきことどもあり】- 『評釈』は「作者の批評」と注す。 【いつのほどに】- 以下「御願にや」まで、源氏の心中。 【石上の世々経たる】- 「石上」は「ふる」に係る枕詞。ここは「世々経たる」にかけた修辞。古くから、の意。『源氏釈』は「塵泥(ちりひぢ)の世々のみかずにありへてぞ思ひあつむることもおほかる」(出典未詳)を指摘。 【御願にや】- 係助詞「や」の下に「あらむ」などの語句が省略。 |
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1.2.4 | 花散里と申し上げた御方、明石などもお越しになった。 東南の妻戸を開けていらっしゃる。 寝殿の西の塗籠であった。 北の廂に、御方々のお席は、襖障子だけを仕切って設えてあった。 |
【花散里と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり】- 花散里と明石御方に対する待遇の違いに注意。『完訳』は「花散里との身分差を表すべく、「明石」と呼び捨てた呼称」と注す。 【南東の戸を開けておはします】- 主語は紫の上。 【寝殿の西の塗籠なりけり】- 前文を補足説明した叙述。 |
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第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答 |
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1.3.1 | 三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども、うららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が、身近に想像されて、格別である。 信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。 薪こる行道の声も、大勢集い響き、あたりをゆるがすが、声が中断して静かになった時でさえしみじみ寂しく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、最近になっては、何につけても、心細くばかりお感じになられる。 明石の御方に、三の宮を使いにして、申し上げなさる。 |
三月の十日であったから花の |
【三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく】- 三月十日の季節描写。桜の満開、空模様の麗かさ。 【仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり】- 大島本「ことなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなる」とし「深き心」を修飾する。『新大系』は底本のままとする。極楽浄土をさす。「時に、世尊、韋提希に告げたまふ、汝今知るやいなや、阿彌陀仏、此を去ること遠からず」(観無量寿経)。 【薪こる讃嘆の声も】- 『奥入』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)を指摘。『異本紫明抄』は「薪こる事は昨日につきにしをいざ斧の柄はここに朽たさむ」(拾遺集哀傷、一三三九、道綱母)をも指摘。 【静まりたるほどだにあはれに思さるるを】- 『集成』は「静まり返った時でさえしみじみさびしく」。『完訳』は「静寂のおとずれるとき、それすらしみじみと寂しく思わずにはいらっしゃれないものだから」と訳す。副助詞「だに」--副詞「まして」の構文。「るる」自発の助動詞。 【まして、このころとなりては】- 『集成』は「死期の近きを悟るこの頃、という含み」と注す。 【明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる】- 明石の御方に、孫の匂宮を遣いにして紫の上が和歌を贈る。 |
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1.3.2 | 「惜しくもないこの身ですが、 これを最後として薪の尽きることを思うと |
惜しからぬこの身ながらも限りとて |
【惜しからぬこの身ながらもかぎりとて--薪尽きなむことの悲しさ】- 『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷、一三四六、大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如し」(法華経、序品)を指摘。「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。 |
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1.3.3 | お返事は、心細い歌意のことは、後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。 |
夫人の心細い気持ちに共鳴したふうのものを返しにしては、認識不足を人から |
【御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる】- 「にや」「あめる」は語り手の推測を介入させた叙述。『評釈』は「作者は、「心細き筋は、のちのきこえも心おくれたるわさにや」という。かように挨拶にすぎない歌を明石によませた弁解を試みたのである。--『源氏物語』には、作中人物が歌をよむ場合、作者はその歌に弁解的な批評を試みることが時にある。--しかし、今の明石の場合については今一つの解釈が可能である。--そこには、後世の思わくを気にする明石の御方の態度を、非難するかのような口ぶりさえみえる。明石の御方に、何事にも行きとどいた人として、礼儀正しい返歌をさせ、しかも、その礼儀正さが物足りないと非難するのである」。『集成』は「次の明石の上の歌に対する語り手の解説」と注す。 |
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1.3.4 | 「仏道へのお思いは今日を初めの日として この世で願う仏法のために千年も祈り続けられることでしょう」 |
薪こる思ひは今日を初めにて この世に願ふ |
【薪こる思ひは今日を初めにて--この世に願ふ法ぞはるけき】- 明石の御方の返歌。「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。「薪尽きなむ」を「薪こる」、「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にして返す。『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄華物語、鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物語、鳥辺野)を指摘。 |
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1.3.5 | ほのぼのと |
一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音、鳴り続けておもしろい。 ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、なおも春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも、笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった感じで、陵王の舞が急の調べにさしかかった最後のほうの楽、はなやかに賑やかに聞こえるので、一座の人々が脱いで掛けていた衣装のさまざまな色なども、折からの情景に美しく見える。 |
経声も楽音も混じっておもしろく夜は明けていくのであった。朝ぼらけの |
【ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色々】- 『休聞抄』は「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(古今集恋一、四七九、貫之)を指摘。 【百千鳥のさへづりも】- 『源氏釈』は「百千鳥さへづる春は色ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今集 春上、二八、読人しらず)。『源注余滴』は「わが門の榎の実もりはむ百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」(万葉集巻十六)を指摘。 【陵王の舞ひ手急になるほど】- 『集成』は「陵王の場合には、終曲にテンポの早くなることか。一般には序破急の急であるが、陵王には急がない」と注す。 |
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1.3.6 | 親王たち、上達部の中でも、音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。 身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにも、余命少ないと身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しく思われなさる。 |
親王がた、高官らも音楽に名のある人はみずからその芸を惜しまずこの場で見せて遊んだ。上から下まで来会者が歓楽に酔っているのを見ても、余命の少ないことを知っている夫人の心だけは悲しかった。 |
【上下心地よげに、興あるけしきどもなるを見たまふにも、残り少なしと身を思したる御心のうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ】- 『完訳』は「紫の上の感懐。歌楽にふける参会者の「心地よげ」とは対照的」と注す。 |
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第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答 |
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1.4.1 | 昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。 長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。 |
昨日は例外に終日起きていたせいか夫人は苦しがって横になっていた。これまでこうしたおりごとに必ず集まって来て、音楽舞楽の何かの一役を勤める人たちの |
【昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや】- 法華経千部供養の翌日。「にや」は語り手の推測を交えた表現。『湖月抄』は「地」と注す。 【今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば】- 紫の上の心中。『完訳』は「死の予感から、法会を、知人との最期の惜別だったと思い返す」と注す。副助詞「のみ」限定の意。「るれ」自発の助動詞。 【あはれに見えわたされたまふ】- 「れ」自発の助動詞。紫の上の自然と一人一人に目がとまる気持ちが表されている。『完訳』は「平常は格別目にとまらない些細な物事にまで、深い感慨を抱く。末期の目にはすべてが印象的」と注す。 |
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1.4.2 | まして、 |
それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。 |
まして四季の遊び事に競争心は必ずあっても、さすがに長くつちかわれた友情というもののあった夫人たちに対しては、だれも永久に生き残る人はないであろうが、まず自分一人がこの中から消えていくのであると思われるのが女王の心に悲しかった。 |
【おのづから立ちまじりもすらめど】- 推量の助動詞「らめ」視界外推量は、語り手が紫の上の心情を推測したもの。 【情けを交はしたまふ方々は】- 六条院の夫人方。 【誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我一人行方知らずなりなむを】- 紫の上の心中を地の文に語る。一人先立つ悲しみを思う。『完訳』は「死の予感が彼女らへの親近感を強める」「死の至り着く先が分らず、往生や救済の確信も持てない絶望的な気持」と注す。 |
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1.4.3 | 法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。 花散里の御方に、 |
宴が終わってそれぞれの夫人が帰って行く時なども、生死の別れほど別れが惜しまれた。花散里夫人の所へ、 |
【遠き別れめきて惜しまる】- 紫の上の気持ち。「る」自発の助動詞。 |
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1.4.4 | 「これが最後と思われます法会ですが、 頼もしく思われます生々世々にかけてと結 |
絶えぬべき 世々にと結ぶ中の契りを |
【絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる--世々にと結ぶ中の契りを】- 「御法」の「み」と「身」の掛詞。法会の結縁の席で同席した親近感を訴える。 |
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1.4.5 | お返事は、 |
と書いて紫の女王は送った。 |
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1.4.6 | 「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう 普通の人には残り少ない命とて、 |
結びおく契りは絶えじおほかたの 残り少なき御法なりとも |
【結びおく契りは絶えじおほかたの--残りすくなき御法なりとも】- 「絶えぬ」「御法」「結ぶ」「契り」の語句を受けて、縁は絶えないでしょう、と同意した歌。『集成』は「「おほかたの」は、世間一般には、の意。そのなかに自分をこめ、しかし紫の上は特別で、末長いお命を保たれ、法会も営まれましょう、という祝意がある」と注す。 |
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1.4.7 | 引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。 御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。 |
これは返事である。供養に続いて不断の |
【不断の読経、懺法など、たゆみなく】- 僧侶が輪番で昼夜間断なく読み続ける読経と罪障を懺悔し滅罪を願う法華懺法。 【尊きことども】- 大島本は「たうとき事とも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことどもを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【ほども経ぬれば】- 大島本は「ほとも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ほど」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。 |
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第五段 紫の上、明石中宮と対面 |
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1.5.1 | そのことと、おどろおどろしからぬ さぶらふ |
夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失っておしまいになりそうな時々が多かった。 どこといって、特に苦しんだりなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになったので、いかにも病人めいてたいそうにお悩みになることもない。 伺候している女房たちも、この先どうおなりになるのだろうか、と思うにつけても、もう目の前がまっくらになって、もったいなくも悲しいご様子と拝する。 |
夏になると夫人は暑気のためにも死ぬようになることが多かった。病名も定まらぬ程度のものであるが、ただ衰弱がひどかった。堪えがたい苦しみをするというのでもない。女房たちの心にも、どうおなりになるのであろう、このまま危篤になっておしまいになるのではなかろうかという不安が生じてきて、惜しく悲しくばかりそれらの人々も思って歎いていた。 |
【夏になりては、例の暑さにさへ】- 物語は法華経千部供養の行われた三月十日から夏四月に移る。この間およそ二十日間が経過。 【そのことと、おどろおどろしからぬ御心地なれど】- 『集成』は「どこが悪いと、ひどく苦しんだりはなさらぬ病状であるが」と注す。 【むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし】- 『完訳』は「いかにも重病人めいてひどくお苦しみになるといったこともない」と注す。衰弱がひどくなっていく様子。 |
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1.5.2 | かくのみおはすれば、 |
こうした状態ばかりでいらっしゃるので、中宮が、この二条院に御退出あそばされる。 東の対に御滞在あそばす予定なので、こちらでお待ち申し上げていらっしゃる。 儀式など、いつもと変わらないが、この世の作法もこれが見納めだろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。 名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。 上達部なども大勢供奉なさっていた。 |
こんなふうであったから院は中宮を御所から二条の院へ退出おさせになった。当分東の |
【中宮、この院にまかでさせたまふ】- 明石中宮、二条院に養母紫の上を見舞うべく退出する。「させたまふ」最高敬語表現。 【東の対におはしますべければ、こなたにはた待ちきこえたまふ】- 東の対を明石中宮の居所と予定される。紫の上は病室の西の対から東の対に移って、そこで中宮を待つ。 【この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ】- 紫の上の心中を地の文に語る。見果てないで終わってしまう、が原文の逐語的表現。見納めになる、の意。 【名対面を聞きたまふにも】- 行啓供奉の公卿などが入御の後、名を名乗ること。 |
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1.5.3 | 久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。 院がお入りになって、 |
しばらくぶりに、実母子以上の愛情が相互にある二人の女性はしめやかに語り合っておいでになった。院がはいっておいでになったが、 |
【めづらしく思して】- 主語は紫の上。 |
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1.5.4 | 「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですね。 退出して寝るとしよう」 |
「今夜は巣を追われた鳥のようでかわいそうな私はどこかで寝ることにしよう」 |
【今宵は】- 以下「休みはべらむ」まで、源氏の詞。主語は自分源氏自身。『集成』は「今夜は、巣を無くしたような気がして、体裁の悪いことだ。紫の上は中宮と語り合っていて、側へ寄れないことを戯れて言ったもの」と注す。 |
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1.5.5 | と言って、お帰りになってしまった。 起きていらっしゃるのを、嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。 |
と言って、他の |
【起きゐたまへるを、いとうれしと思したるも】- 紫の上が起きていらっしゃるのを源氏は嬉しくお思いになるが、の意。 |
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1.5.6 | 「別々のお部屋にいらっしゃったのでは、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。 お伺いすること、それもできにくくなってしまいましたので」 |
「離れた所では、こちらからあちらへ歩いてお帰りになることがたいへんですし、私もまたあちらへ上がることはもうできなくなっていますから」 |
【方々におはしましては】- 以下「なりにてはべれば」まで、紫の上の詞。中宮と自分紫の上が二条院の別々の対に離れていたのでは、の意。 【あなたに渡らせたまはむも】- 紫の上の病室である西の対へ中宮が。「せたまふ」は中宮に対する最高敬語。 |
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1.5.7 | と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。 |
と夫人は言っていて、中宮はしばらくこの病室のあるほうの対におとどまりになることになった。 |
【しばらくは】- 大島本は「しハし(し$らく<朱墨>)ハ」とある。すなわち、「し」を朱筆と墨筆でミセケチにして「らく」と訂正する。『集成』『完本』は訂正以前本文と諸本に従って「しばし」と校訂する。『新大系』は底本の訂正に従う。「しばらく」は「平安時代、漢文訓読体に使われ、女流文学では一般に「しばし」を使ったが、鎌倉時代以後、区別が失われた」(岩波古語辞典)。 |
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第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉 |
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1.6.1 | ただなべての |
紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。 ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。 宮たちを拝見なさっても、 |
女王の心の中では頼みたく、言っておきたく思うことが幾つかあったが、賢そうに死後のことを今から言うように取られるのを恥じて、そうした問題には触れないのであった。ただ人生のはかなさをおおように、言葉少なに、しかも軽々しくはなしに話すのが、露骨に死期の近いことを言うよりもどんなに心細い気持ちでいるかを思わせた。 |
【亡からむ後などのたまひ出づることもなし】- 『完訳』は「紫の上は、遺言したいが、死期を予知して冷静にふるまうのを、女らしからぬ態度として避ける」と注す。 【あさはかにはあらず】- 『集成』は「おざなりなおっしゃりようではなく」。『完訳』は「心深くおっしゃる」と訳す。 【言に出でたらむよりも】- 言葉に表して言うよりも。 【宮たちを見たてまつりたまうても】- 明石中宮腹の皇子皇女たち。女一の宮、三の宮(匂宮)たちをさす。 |
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1.6.2 | 「それぞれのご将来を、見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」 |
「あなたがたがどうおなりになるだろうと、将来が見たいような気がしましたのも、私のようにつまらない者でいながら、知らず知らず命を惜しんでいたわけでしょうか」 |
【おのおのの御行く末を】- 以下「心のまじりけるにや」まで、紫の上の詞。 |
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1.6.3 | とて、 「などかうのみ ゆゆしげになどは |
と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の美しさ、素晴らしく見事である。 「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は、思わずお泣きになってしまった。 縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな、この人、あの人を、 |
こんなことを言って涙ぐむその顔が非常に美しかった。なぜそんなふうにばかり感ぜられるのであろうとお思いになって、中宮はお泣きになった。遺言のようにはせず話の中などで時々、「長く私に仕えてくれました人たちの中で、たいした身寄りのないようなかわいそうなだれだれなどを、 |
【などかうのみ思したらむ】- 明石中宮の心中。 【ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず】- 主語は紫の上。遺言めいた言い方。 【この人、かの人、--「はべらずなりなむ後に、御心とどめて、尋ね思ほせ】- 『集成』は「地の文からすぐ紫の上の言葉に続く語り口」。『完訳』は「はべらず」以下を紫の上の詞とする。 |
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1.6.4 | 「私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」 |
私がいなくなりましたあとで、あなたから気をつけてやってください」 |
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1.6.5 | などとだけ申し上げなさるのであった。 御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。 |
などというほどにしか死後のことは言わないのである。病室で |
【御読経などによりてぞ】- 季の御読経。中宮主催の催し。中宮里邸退出の折には里邸で行う。 【例のわが御方に】- 紫の上は西の対に戻る。 |
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1.6.6 | 三の宮は、大勢の皇子たちの中で、とてもかわいらしくお歩きになるのを、ご気分の好い間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、 |
三の宮は幾人もの宮様がたの中にことに愛らしいお姿でそばへ遊びにおいでになるのを、病苦の薄らいだ時などに女王は前へおすわらせして、女房たちの聞いていないのを見ると、 |
【三の宮】- 匂宮。 |
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1.6.7 | 「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」 |
「私がいなくなりましたら、あなたは思い出してくださるでしょうね」 |
【まろがはべらざらむに、思し出でなむや】- 紫の上の詞。「む」推量の助動詞、連体形、仮定の意。「に」接続助詞、単純な接続。「な」完了の助動詞、確述の意。「む」推量の助動詞、推量の意。「や」係助詞、疑問の意。 |
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1.6.8 | と |
とお尋ね申し上げなさると、 |
などと言うのであったが、宮は、 |
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1.6.9 | 「きっととても恋しいことでしょう。 わたしは、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなくなったら、機嫌が悪くなりますよ」 |
「恋しいでしょう。私は御所の陛下よりも中宮様よりもお |
【いと恋しかりなむ】- 以下「心地むつかしかりなむ」まで、匂宮の詞。 【内裏の上よりも宮よりも】- 「内裏の上」は父帝、「宮」は母明石中宮をさす。 【婆をこそまさりて】- 大島本は「はゝ」と表記する。『集成』は「はは」、『完本』は「母」、『新大系』は「ばゞ」と整定する。「婆」は祖母紫の上をさす。『集成』は「「はは」は古くから澄んで読むが、祖母の意であろう」。『新大系』は「幼児語に、祖父・祖母を「ぢぢ(爺)」「ばば(婆)」と称したろう、と推定しておく」と注す。 |
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1.6.10 | とて、 |
と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子、いじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。 |
とお言いになって、目をこすって涙を紛らしておいでになる宮のお姿のおかわいいために、夫人は微笑をして見ているのであったが、目からは涙がこぼれた。 |
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1.6.11 | 「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には、大切にご鑑賞なさい。 何かの折には、仏前にもお供えください」 |
「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね」 |
【大人になりたまひなば】- 以下「仏にもたてまつりたまへ」まで、紫の上の詞。 【この対の前なる紅梅と桜とは】- 二条院の西の対の前にある紅梅と桜の木。『集成』は「春を好む紫の上らしい遺言」と注す。 【さるべからむ折は、仏にもたてまつりたまへ】- 「仏」とは、暗に自分の供養のために、という意。 |
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1.6.12 | と申し上げなさると、こっくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので、立って行っておしまいになった。 特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。 |
と言うと、宮はおうなずきになりながら、夫人の顔を見守っておいでになったが、涙が落ちそうになったので、立ってお行きになった。手もとでお育てしたために夫人はこの宮と姫君にお別れすることをことに悲しく思っていた。 |
【生ほしたてまつりたまへれば】- 大島本は「おほしたてまつり給へれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「生ほしたてたてまつり」と「たて」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【この宮と姫宮とをぞ】- 匂宮と女一の宮。 |
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第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀 |
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第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける |
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2.1.1 | ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると、何かにつけ悪くなることがある。 といっても、身にしみるほどに思われなさる秋風ではないが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。 |
ようやく秋が来て京の中も涼しくなると、紫夫人の病気も少し快くなったようには見えるのであるが、どうかするとまたもとのような容体にかえるのであった。まだ身にしむほどの秋風が吹くのではないが、しめっぽく曇る心をばかり持って夫人は日を送った。 |
【秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては】- 季節は夏から秋に推移。病人にとってもしのぎやすい季節となる。『完訳』は「ようやく待ちかねた秋になって」と訳す。 【なほともすれば、かことがまし】- 『集成』は「「かことがまし」は、何かにつけて恨みたくなる、の意。何かにつけて、すぐぶり返す状態をいう」と注す。 【身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて】- 【身にしむばかり思さるべき秋風ならねど】-『源氏釈』は「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花集秋、和泉式部)。『源注拾遺』は「吹きくれば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」(古今六帖、秋の風)を指摘。 【秋風ならねど、露けき折がちにて】-「露」は「秋風」の縁語。涙にしめりがち、の意。 |
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2.1.2 | 中宮は、宮中に参内なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるが、差し出がましいような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも厄介なので、そのようにはお申し上げなさらず、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しなさった。 |
【中宮は、参りたまひなむと】- 以下「消え果てたまひぬ」まで、国宝「源氏物語絵巻」詞書にある。 【今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども】- 主語は紫の上。 【あなたにも】- 西の対から東の対へ。 【宮ぞ渡りたまひける】- 中宮がじきじきに西の対にお越しになった。 |
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2.1.3 | かたはらいたけれど、げに 「こよなう |
恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには張り合いがないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。 「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、こうしても、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段と素晴らしく見事である」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子、他に似るものもなくおいたわしく、何となく物悲しい。 |
失礼であると思い心苦しく思いながらも、お目にかからないでいることも悲しくて、西の対へ宮のお居間を設けさせて、夫人はなつかしい宮をお迎えしたのであった。夫人は非常に |
【こよなう痩せ細りたまへれど】- 「れ」完了の助動詞、存続の意。『完訳』は「以下、中宮の目に映る紫の上」と注す。 【かくてこそ】- 『集成』「かえってこのほうが」。『完訳』は「当時の美人はふっくらした感じ。その常識に反して、痩せても美しいと讃嘆」と注す。以下「めでたかりけれ」まで、明石中宮の感想。 【めでたかりけれ」と】- 「限りもなくらうたげに」に続く。「来し方」以下「よそへられたまひしを」まで、挿入句。 【いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく】- 大島本は「かりそめに(に+世をイ)思給へる」とある。すなわち「に」の後に「世を」と異本校合を記す。『集成』『完本』は底本の異本と諸本に従って「世を」を補訂する。『新大系』は底本の本行本文のままとする。『休聞抄』は「朝露のおくての山田かりそめに憂き世の中を思ひぬるかな」(古今集哀傷、八四二、貫之)を指摘。 |
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第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す |
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2.2.1 | 風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、 |
風がすごく吹く日の夕方に、前の庭をながめるために、夫人は起きて |
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2.2.2 | 「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。 この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」 |
「今日はそんなに起きていられるのですね。宮がおいでになる時にだけ気分が晴れやかになるようですね」 |
【今日は、いとよく】- 以下「はればれしげなめりかし」まで、源氏の詞。 【起きゐたまふめるは】- 終助詞「は」詠嘆の意。 |
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2.2.3 | と申し上げなさる。 この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、 |
とお言いになった。わずかに小康を得ているだけのことにも喜んでおいでになる院のお気持ちが、夫人には心苦しくて、この命がいよいよ終わった時にはどれほどお悲しみになるであろうと思うと物哀れになって、 |
【いとうれしと思ひきこえたまへる】- 主語は源氏。 【御けしきを見たまふも、心苦しく】- 紫の上が源氏の様子を。 【つひに、いかに思し騒がむ】- 紫の上の心中。 |
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2.2.4 | 「起きていると見えますのも暫くの間のこと ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です」 |
おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる |
【おくと見るほどぞはかなきともすれば--風に乱るる萩のうは露】- 紫の上の和歌。「置く」「起く」の掛詞。「露」「置く」縁語。わが身を露に喩えてはかない命を詠む。 |
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2.2.5 | なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、 |
と言った。そのとおりに折れ返った萩の枝にとどまっているべくもない露にその命を比べたのであったし、時もまた秋風の立っている悲しい夕べであったから、 |
【げにぞ】- 庭の光景に紫の上の歌をいかにもと思う、源氏の心中。『完訳』は「紫の上の詠歌どおり、庭前の萩は風に折れ返って、露がこぼれ落ちそう。それがむらあきの上のはかない生命に擬えられる。紫の上を思う源氏の心象風景である」と注す。 |
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2.2.6 | 「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」 |
ややもせば消えを争ふ露の世に |
【ややもせば消えをあらそふ露の世に--後れ先だつほど経ずもがな】- 源氏の唱和歌。「おく」「ほど」「露」の語句を受けて、自分も一緒に死にたいという歌。『異本紫明抄』は「ややもせば消えぞしぬべきとにかくに思ひ乱るる刈萱の露」(出典未詳)。『河海抄』は「ややもせば風にしたがふ雨の音を絶えぬ心にかけずもあらなむ」(出典未詳)、「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)を指摘。 |
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2.2.7 | とて、 |
と言って、お涙もお拭いになることができない。 中宮、 |
とお言いになる院は、涙をお隠しになる余裕もないふうでおありになった。宮は、 |
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2.2.8 | 「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を 誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」 |
秋風にしばし留まらぬ露の世を たれか草葉の上とのみ見ん |
【秋風にしばしとまらぬ露の世を--誰れか草葉のうへとのみ見む】- 明石中宮の歌。紫の上の歌の「風」、源氏の歌の「露の世」の語句を受けて、わが身も同じことと、紫の上を慰める歌。『河海抄』は「暁の露は枕に置きにけるを草葉の上と何思ひけむ」(後拾遺集恋二、七〇一、馬内侍)を指摘。 |
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2.2.9 | と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。 |
とお告げになるのであった。 |
【見るかひあるにつけても】- 『孟津抄』は「草子地也」と注す。 【かくて千年を過ぐすわざもがな】- 『河海抄』は「暮るる間は千歳を過す心地して待つはまことに久しかりけり」(後拾遺集恋二、六六七、藤原隆方)。『花鳥余情』は「頼むるに命の延ぶる物ならば千歳もかくてあらむとや思ふ」(後拾遺集恋一、六五四、小野宮太政大臣女)。『集成』は「桜花今宵かざしにさしながらかくて千歳の春をこそ経め」(拾遺集賀、九条右大臣)を指摘。 |
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2.2.10 | 「もうお帰りなさいませ。 気分がひどく悪くなりました。 お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」 |
「もうあちらへおいでなさいね。私は気分が悪くなってまいりました。病中と申してもあまり失礼ですから」 |
【今は渡らせたまひね】- 以下「いとなめげにはべりや」まで、紫の上の詞。 |
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2.2.11 | とて、 |
と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、 |
といって、女王は |
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2.2.12 | 「いかに |
「どうあそばしましたか」 |
どんな気持ちがするのか |
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2.2.13 | とて、 |
とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。 以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかと疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。 |
と不安に |
【まことに消えゆく露の心地して】- 『集成』は「さきほどの露に寄せた最後の唱和が想起される」。『完訳』は「三人の唱和した「露」を、さらに当時の通念としての「露の命」の語をも受け、「まことに」とする」。 【先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて】- 「若菜下」巻(第八章一段)に紫の上の蘇生が語られていた。 【さまざまのことをし尽くさせたまへど】- 加持祈祷のあらん限りを。 【明け果つるほどに消え果てたまひぬ】- 紫の上の臨終のさま。露の消え果てるさまに擬えられる。 |
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第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る |
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2.3.1 | 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。 どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。 |
宮もお居間にお帰りにならぬままで臨終に立ち会えたことを、うれしくも悲しくも思召した。 |
【宮も、帰りたまはで】- 帝から宮中に帰るようにとの催促があった。 【限りなく思す】- 臨終に立ち会えたことを前世からの因縁と感慨無量に思う。 【明けぐれの夢に惑ひたまふほど、さらなりや】- 語り手の感情移入による表現。『万水一露』は「双紙の批判の詞也」と注す。 |
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2.3.2 | しっかりとした人はいらっしゃらなかった。 伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。 院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、 |
二条の院の中は絶望して心を取り乱した人ばかりになった。院はお心の静めようもないふうで、大将を几帳のそばへお呼び寄せになって、 |
【さかしき人おはせざりけり】- 『集成』は「取り乱さない方はおられないのだった」。『完訳』は「しかと正気の方はいらっしゃらないのだった」と訳す。 |
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2.3.3 | 「かく この さるべき |
「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。 御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。 この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。 適当な僧で、誰が残っているか」 |
「もうだめになったことは確かなようだ。長く希望していた出家のことをこの際に遂げさせてやらないのは惨酷なように思われるが、加持に来ていた僧たちも |
【かく今は限りの】- 以下「誰れかとまりたる」まで、源氏の詞。 【さまなめるを】- 以下、接続助詞とも間投助詞ともつかぬ「を」の多用に注意。源氏の気持ちがよく表出されている。 【年ごろの本意ありて思ひつること】- 主語は紫の上。敬語はつかない。たんたんとした述懐の表れ。 【いといとほしき】- 大島本は「いと/\おしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いといとほしきを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。 【今はかの冥き途のとぶらひにだに】- 『花鳥余情』は「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集哀傷、一三四二、和泉式部)を指摘。『法華経』「従冥入於冥、永不聞仏名」(化城喩品)に基づく。『集成』は「今はせめてあの冥土の道案内としてでも」と注す。 |
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2.3.4 | などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。 |
こうお言いになる御様子にも、自制しておいでになるのであろうが、御血色もまったくないようで、涙がとまらず流れているお顔を、ごもっともなことであると大将は悲しく見た。 |
【心強く思しなすべかめれど】- 推量の助動詞「べかめれ」は語り手の推量。 【ことわりに悲しく見たてまつりたまふ】- 主語は夕霧。 |
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2.3.5 | 「 さらば、とてもかくても、 まことにいふかひなくなり |
「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。 それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。 一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。 本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」 |
「物怪などが周囲の者を驚かすために、そうしたことをすることもあるのですが、絶望の御状態とはそうしたわけではないのでございましょうか。それでございましたら、ただ今承りましたことは結構なことでございまして、一日一夜でも道におはいりになっただけのことは報いられるでしょうが、しかしもうまったくお |
【御もののけなどの】- 以下「いかがはべるべからむ」まで、夕霧の詞。 【さもやおはしますらむ】- 「さ」は仮死状態をさす。 【さらば、とてもかくても】- 生きている時に出家の作法をすることをさす。 【一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ】- 「観無量寿経」の中品中生に見える思想。「なれ」伝聞推定の助動詞。 【御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて】- 「ものから」は順接の原因理由を表す接続助詞。なお、『例解古語辞典』(三省堂)では「中世に下って急速に文語化し、同時に、--ので、--だから、の意を表わす用法が生じた」という。しかし、『岩波古語辞典』では「「から」「ゆゑ」は順接条件も逆接条件も示しうる語なので、「ものから」「ものゆゑ」も、順接、逆接両方の例がある。平安時代には「ものゆゑ」は古語となり、「ものから」の方が歌などに多く使われ、「--ながら」「--だのに」の意味を表わした」と注す。 |
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2.3.6 | と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。 |
と大将は言って、忌中をこの院でこもり続けようとする志のある僧たちの中から人選して念仏をさせることを命じたりすることなども皆この人がした。 |
【御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧】- 『集成』「死穢のため、三十日間、使者の近親が引き籠ること。僧もその間の仏事に従う」と注す。 |
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第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る |
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2.4.1 | ほのかにも |
長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが、「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。 かすかにお声さえ聞かなかったことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、「声はとうとうお聞かせなさらないで終わったようだが、むなしい御亡骸なりとも、もう一度拝見したい気持ちが叶えられる折は、ただ今の時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできずつい泣けて、女房たちで、側に伺候する人たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、 |
今日までだいそれた恋の心をいだくというのではなかったが、どんな時にまたあの |
【年ごろ、何やかやと】- 以下「いかでかあらむ」まで、夕霧の心中と地の文が綾をなして織り込まれている。『集成』は「以下、夕霧の心中の思い」と注す。『完訳』は地の文扱い。「おほけなき心はなかりしかど」という文章を地の文(語り手の叙述)と解すか、心中文(夕霧の内省)と解すかで、夕霧の人物像が違ってくる。文章は地の文から徐々に夕霧の心中文になっていく表現である。明確にどこからとは峻別しがたい。 【おほけなき心】- 継母紫の上に対する恋慕の情。 【ほのかにも御声をだに聞かぬこと】- 『河海抄』は「声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ恋しき」(古今集哀傷、八五八、読人しらず)を指摘。 【こそはあめれ】- 推量の助動詞「めり」主観的推量。夕霧の推量。紫の上の死をまだ確定的には思っていないニュアンス。 |
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2.4.2 | 「あなかま、しばし」 |
「静かに。暫く」 |
「少し静かに、しばらく静かに」 |
【あなかま、しばし】- 夕霧の詞。 |
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2.4.3 | と、しづめ |
と制止するふりして、御几帳の帷子を、何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので、大殿油を近くにかかげて拝見なさると、どこまでもかわいらしげに、立派で美しく見えるお顔のもったいなさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、無理に隠そうとのお気持ちも起こらないようである。 |
と制するようにして、ものを言う間に几帳の垂れ絹を手で上げて見たが、まだほのぼのとしはじめたばかりの夜明けの光でよく見えないために、 |
【見たてまつりたまふに】- 接続助詞「に」弱い逆接条件の文脈。拝見なさると、死人であるのにもかかわらず、というニュアンス。 【この君のかくのぞきたまふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり】- 「なめり」語り手の源氏の心理状態を推測した叙述。『完訳』は「無理に隠そうとの気持にもなれぬようだ。源氏の茫然自失の体。紫の上の姿を夕霧に見られるとは、以前の源氏では考えられない」と注す。 |
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2.4.4 | 「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期の様子ははっきりしているのです」 |
「このとおりにまだなんら変わったところはないが、生きた人でないことだけはだれにもわかるではないか」 |
【かく何ごとも】- 以下「しるかりけるこそ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」の下に「はべれ」などの語句が省略。 |
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2.4.5 | とて、 |
と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も、涙にくれて、目も見えなさらないのを、無理に涙を絞り出すように目を開いて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなく、本当に心もかき乱れてしまいそうである。 御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様子、ふさふさと美しくて、一筋も乱れた様子はなく、つやつやと美しそうな様子、この上ない。 |
こうお言いになって、 |
【しひてしぼり開けて】- 涙を絞り出すように目を開けるさま。 【なかなか飽かず悲しきことたぐひなきに、まことに心惑ひもしぬべし】- 推量の助動詞「べし」は、語り手が夕霧の心中を推測したもの。『集成』は「夕霧の心中を叙べる」。『完訳』は「以下、夕霧の惑乱しそうな悲嘆ぶり」と注す。 【御髪のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて】- 『弄花抄』は「双紙詞歟、女たち歟、夕霧のみるめ歟。次詞になのめにたにあらす夕霧の心也」。『評釈』は「作者の見る目で描写する近代小説と違い、作中人物の目を通して語る物語は、今の場合、光る源氏をはずせば、女房の目をかりるべきだが、女房ふぜいに語る余裕はない。光る源氏も女房もだめなら、と、あえて夕霧を紀要したのである」。『集成』は「以下「--臥したまへる御ありさま」まで、夕霧の目に映る紫の上のさま」。『完訳』は「髪の毛が枕辺にわだかまる様子を擬人的に表現。剃髪はしなかったらしい。以下、夕霧の目と心に即して使者の美しさを叙述」と注す。臨終に際して出家の作法尼削ぎはしなかったらしい。 |
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2.4.6 | なのめにだにあらず、たぐひなきを |
灯火がたいそう明るいので、お顔色はとても白く光るようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった、生前のご様子よりも、今さら嘆いても嘆くかいのない、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのも、ことさらめいたことである。 並一通りの美しさどころか、類のない美しさを拝見すると、「死に入ろうとする魂がそのままこの御亡骸に止まっていてほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。 |
明るい灯のもとに顔の色は白く光るようで、生きた佳人の、人から見られぬよう見られぬようと願う心の休みなく働いているのよりも、 |
【灯のいと明かきに】- 灯火の明かり。『紹巴抄』は「是より又源の御覧の心か、双地とも可見」と注す。 【いふかひなきさまにて】- 大島本は「さまにて」とある。『完本』は諸本に従って「さまに」と「て」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。 【何心なくて臥したまへる御ありさまの】- 『集成』は「もう正体もない有様で。亡くなって意識のない状態」と注す。死者を「何心なく」(無心に)と生きている人のごとく描写している。 【飽かぬ所なしと言はむもさらなりや】- 語り手の評言。 【死に入る魂の、やがてこの御骸にとまらなむ」と思ほゆるも、わりなきことなりや】- 「清(林逸抄所引)」は「双紙の詞也」と指摘。『集成』は「悲しみに正気を失って、消え入りそうなわが魂が、この紫の上のご遺骸に留まってほしいと思われるのも。紫の上の亡骸にでも取り憑きたい夕霧の気持」。『完訳』は「死せる紫の上の魂がそのままこの亡骸にとどまってほしい意。一説には、正気を失った夕霧の魂が紫の上の亡骸に、とするがとらない」と注す。終助詞「なむ」願望の意は、他に対する願望の用法である。 【わりなきことなりや】-語り手の批評。 |
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第五段 紫の上の葬儀 |
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2.5.1 | いにしへも、 |
お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので、院が、何事もお分かりにならないように思われなさるお気持ちを、無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。 昔も、悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でもってお指図なさることはご経験なさらなかったことなので、すべて過去にも未来にも、またとない気がなさる。 |
長く仕えていた女房の中に意識の確かにあるような者はない状態であったから、院は非常に悲しい気持ちをしいておしずめになって、遺骸の始末などをあそばすのであった。昔も愛人や妻の死におあいになった経験はおありになっても、まだこんなことまでも手ずから世話あそばされたことはなかったから、自身としては空前絶後の悲しみであると見ておいでになるのであった。 |
【院ぞ】- 「限りの御ことどもしたまふ」に続く。「何ごとも」以下「静めたまひて」は挿入句。 【いにしへも、悲しと思すこともあまた見たまひし御身なれど】- 源氏の身近な人との死別は、母桐壺更衣(桐壺)、祖母(桐壺)、夕顔(夕顔)、葵の上(葵)、父帝(賢木)、六条御息所(澪標)、藤壺(薄雲)等がある。 |
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2.5.2 | やがて、その はるばると |
そのまま、その当日に、あれこれしてご葬儀をお営み申し上げる。 所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが、情けない人の世なのであった。 広々とした広い野原に、いっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳めしい葬儀であるが、まことにあっけない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるが、あっけなく何とも悲しい。 |
紫の女王の遺骸はその日のうちに納棺された。どれほど愛すればとて遺骸は遺骸として葬送せねばならぬのが人生の悲しい |
【やがて、その日、とかく収めたてまつる】- 亡くなったその日のうちに葬儀をとり行う。八月十四日暁に亡くなって、その日の夜に荼毘にふし、十五日の暁に遺骨を拾って帰る、という手順。 【骸を見つつもえ過ぐしたまふまじかりけるぞ】- 『源氏釈』は「空蝉はからを見つつも慰めつ深草の山煙だにたて」(古今集哀傷、八三一、僧都勝延)を指摘。 【はるばると広き野の】- 『完訳』は「愛宕か」。『新大系』は「鳥辺野であろう」と注す。 【例のことなれど、あへなくいみじ】- 語り手の感情移入の評言。 |
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2.5.3 | 地に足が付かない感じで、人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も、「あれほど威厳のあるお方が」と、わけも分からない下衆まで泣かない者はいなかった。 ご葬送の女房は、それ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに、手を焼くのであった。 |
空を歩いているような気持ちで院は人によりかかって足を運んでおいでになるのを見ては、あの高貴な御身分でと低級な頭のものさえも御同情して泣かない者はなかった。遺骸の供をして来た女房たちはまして夢の中に |
【空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを】- 主語は源氏。 【さばかりいつかしき御身を」と】- 『集成』は「あれほどのご立派なお方なのにと」。『完訳』は「あれほどにも尊くご立派なお方なのにと」と訳す。「を」接続助詞、逆接の意。また間投助詞、詠嘆の意にも解せる。 【女房は、まして夢路に惑ふ心地して】- 副詞「まして」は源氏の「空を歩む心地して」に比較。 【車よりもまろび落ちぬべきをぞ】- 「桐壺」巻(第一章五段)にも同じような表現があった。 |
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2.5.4 | 昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことをお思い出しになっても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。 |
昔、大将の母君の |
【昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも】- 夕霧の母葵の上の葬儀。「葵」巻に「八月二十余日の有明なれば、空のけしき」(第二章七段))云々とあった。 【かれは、なほもののおぼえけるにや、月の顔の明らかにおぼえしを、今宵はただくれ惑ひたまへり】- 「かれは」と「これは」、「月の顔の明らか」と「暮れまどひ」の対比構文。 |
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2.5.5 | かかる |
十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。 日はたいそう明るくさし昇って、野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をお思い続けなさると、ますます厭わしく悲しいので、「先立たれたとて、何年生きられようか。 このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたく」お思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、「この時期を過ごしてから」とお思いなさるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。 |
女王は十四日に |
【十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり】- 事の後から説明する性格の叙述。「これ」は遺骨を拾って帰ることをさす。 【野辺の露も隠れたる隈なくて、世の中思し続くるに】- 『完訳』は「野辺の露も日の光に隠れるところなく照らし出され。「露も」に、源氏の涙も、の意をこめる。日射しの中で露の消えるはかなさが、源氏の心象風景として厭世観を導く」と注す。 【後るとても、幾世かは経べき】- 『集成』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)にもとづく行文と注す。源氏の心中文と地の文が綯い交ぜになった表現。 【かかる悲しさの紛れに】- 『玉の小櫛』は「源氏君の心を、ただにいふ語より、冊子地よりいふ語へ、ただに続きて堺なし、大かた此物語、ここらの巻々、いともいとも長く大きなる文なれば、その間にはまれまれにはかうやうのとりはずしもなどかなからむ」と指摘。 |
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第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち |
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第一段 源氏の悲嘆と弔問客 |
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3.1.1 | 大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも退出なさらず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子を、もっともなことだと悲しく拝し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。 |
夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御 |
【大将の君も、御忌に籠もりたまひて】- 三十日間の忌み籠もり。 |
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3.1.2 | 野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また「最期の時が夢のような気がした」など、心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、 |
風が |
【風野分だちて吹く夕暮に、昔のこと思し出でて】- 主語は夕霧。「野分」巻(第一章二段)の紫の上垣間見を思い出す。『完訳』は「夕暮は人恋しい時。夕霧の追慕と悲愁の心象景」。「桐壺」巻の野分の段にも通底する。 【ほのかに見たてまつりしものを」と】- 以下、夕霧の心中に即した叙述。過去の助動詞「き」を多用。間投助詞「を」詠嘆の意。 【人目にはさしも見えじ、と】- 『完訳』は「義母をひそかに慕う気持を、他人に気づかれぬようはばかる」と注す。 |
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3.1.3 | 「阿彌陀仏、阿彌陀仏」 |
【阿弥陀仏、阿弥陀仏】- 夕霧の詞。 |
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3.1.4 | と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。 |
と唱えて |
【数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消ちたまひける】- 大島本は「もちけち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もて消ち」と訂正する。『新大系』は底本のままとする。『花鳥余情』は「より合はせて泣くなる声を糸にして我が涙をば玉にぬかなむ」(伊勢集)を指摘。『岷江入楚』は「不及此歌歟」と注す。 |
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3.1.5 | 「昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても 御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする」 |
いにしへの秋の夕べの恋しきに 今はと見えし明け |
【いにしへの秋の夕べの恋しきに--今はと見えし明けぐれの夢】- 夕霧の独詠歌。『集成』は「歌の末尾が地の文に続く。夕霧の独詠、心中の思いである」と注す。『一葉集』は「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは」(古今集雑下、九七〇、業平朝臣)を指摘。 |
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3.1.6 | のが、その名残までがつらいのであった。 尊い僧たちを伺候させなさって、決められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。 あれこれとまた実に悲しい。 |
この夢の酔いごこちは永遠の悲しみの |
【法華経など誦ぜさせたまふ】- 主語は夕霧。「させ」使役の助動詞。 【かたがたいとあはれなり】- 『評釈』は「作者が批評している」と注す。 |
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3.1.7 | 寝ても起きても、涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。 昔からご自身の様子をお思い続けると、 |
寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、 |
【臥しても起きても涙の干る世なく、霧りふたがりて明かし暮らしたまふ】- 主語は源氏。 |
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3.1.8 | 「 ひたみちに |
「鏡に映る姿をはじめとして、普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から、悲しく無常なわが人生を悟るべく、仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。 今はもう、この世に気がかりなこともなくなった。 ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない惑乱状態では、願っている仏の道に入れないないのでは」 |
鏡に写る |
【鏡に見ゆる影をはじめて】- 以下「道にも入りがたくや」まで、源氏の心中。ただしその始まり方は地の文が自然と心中文になっていく叙述のしかた。 【今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ】- 『完訳』は「源氏の出家を引きとめてきた最大の絆は紫の上の存在であった」と注す。 【いとかく収めむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入りがたくや】- 『集成』は「紫の上への愛執の思いの絶ちがたいことを嘆く」と注す。 |
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3.1.9 | と、ややましきを、 |
と気が咎めるので、 |
とみずからおあやぶまれになる院は、 |
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3.1.10 | 「この悲しみを少し和らげて、忘れさせてください」 |
の心持ちを少しゆるやかにされたい |
【この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ】- 源氏の心中。仏への願い。 |
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3.1.11 | と、 |
と、阿彌陀仏をお念じ申し上げなさる。 |
と阿弥陀仏を念じておいでになった。 |
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第二段 帝,致仕大臣の弔問 |
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3.2.1 | あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの作法だけでなく、たいそう数多く申し上げなさる。 ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、心に掛りなさること、ないはずであるが、「人から惚けた様子に見られまい。 今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑乱から出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお考えになるので、思うに任せない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。 |
忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭から |
【所々の御とぶらひ】- 方々からの源氏への弔問。 【思しめしたる心のほどには】- 『湖月抄』は「源の心を草子地よりいふ也」と注す。 【目にも耳にもとまらず】- 大島本は「とまらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とどまらず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。 【人にほけほけしきさまに見えじ】- 以下「背きにける」まで源氏の心中。文末は地の文に流れる。 【流れとどまらむ名を思しつつむに】- 心中文であるはずの内容が地の文に語られる。 【身を心にまかせぬ嘆きを】- 『河海抄』は「いなせとも言ひ放たれず憂き物は身を心ともせぬ世なりけり」(後撰集恋五、九三八、伊勢)を指摘。『集成』は「悲しみにばかり浸っていられず、弔問にも答えねばならぬという嘆き」と注す。 |
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3.2.2 | 致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらした方が、はかなくお亡くなりになったことを、残念に悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。 |
太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。 |
【かく世にたぐひなくものしたまふ人の】- 紫の上をさす。 |
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3.2.3 | 「昔、大将の御母堂がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても何となく悲しくて、 |
昔大将の母君が |
【昔、大将の御母亡せたまへりしも、このころのことぞかし」と】- 大島本は「御はゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御母上」と「上」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。致仕大臣の心中。葵の上の死去は今から三十年前の秋、八月二十余日であった。 |
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3.2.4 | 「あの時の、あの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったな。 死に後れたり先立ったりしても、 |
その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、 |
【その折、かの御身を】- 以下「世なりけりや」まで、致仕大臣の心中。 【惜しみきこえたまひし人の、多くも亡せたまひにけるかな】- 『集成』は「父左大臣や母大宮など」。『完訳』は「葵の上の死を悲嘆した人々の多くは故人。時の経過を思う」と注す。 【後れ先だつほどなき世なりけりや】- 『異本紫明抄』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)を引歌として指摘。 |
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3.2.5 | などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。 空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。 しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、 |
などと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。 |
【蔵人少将】- 致仕大臣の子。故柏木や左大弁の弟。 |
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3.2.6 | 「昔の秋までが今のような気がして 涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています」 |
【いにしへの秋さへ今の心地して--濡れにし袖に露ぞおきそふ】- 致仕大臣の贈歌。三十年前の妹葵の上の死別を思い合わせながらこのたびの紫の上の死去に対する弔問の歌。 |
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3.2.7 | お返事、 |
という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。 |
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3.2.8 | 「涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです」 |
露けさは昔今とも思ほえず おほかた秋の世こそつらけれ |
【露けさは昔今ともおもほえず--おほかた秋の夜こそつらけれ】- 源氏の返歌。「秋」「今」「露」の語句を用い、「いにしへ」は「昔」と言い換えて返す。 |
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3.2.9 | 何事も悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しと、見咎めなさるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、 |
悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、 |
【待ちとりたまひて】- 主語は致仕大臣。 |
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3.2.10 | 「たびたびのなほざりならぬ |
「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」 |
たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、 |
【たびたびのなほざりならぬ】- 以下「重なりぬること」まで、弔問に対する源氏のお礼の詞。 |
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3.2.11 | と |
とお礼申し上げなさる。 |
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3.2.12 | 「 |
「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっていらっしゃった。 世の中に幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけ、この上なくおごり高ぶって、他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで、無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、どのようなことでも、世間から誉められ、奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。 |
薄墨色を着ると |
【薄墨」とのたまひしより】- 源氏が「限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける」(「葵」第二章七段)と詠んだことをさす。 【世の中に幸ひありめでたき人も】- 『林逸抄』は「紫上の事をほむる詞也さうし也」。『万水一露』は「双帋の地也」と指摘。『集成』は「この世で幸運に恵まれた結構な方でも、困ったことに一般の世間から嫉まれ。以下「人のため苦しき人もあるを」まで、一般論を述べ、しかし紫の上はそうではないと、「あやしきまで」からあと、紫の上への讃辞を書く。このあたりの文章は、薄雲の巻の、藤壷崩御に当って、その仁慈を讃える文を連想させる」と注す。 |
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3.2.13 | さしもあるまじきおほよその まして、ほのかにも |
さほど縁のなさそうな世間一般の人でさえ、その当時は、風の音、虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。 まして、ちょっとでも拝した人では、悲しみの晴れる時がない。 長年親しくお仕え馴れてきた人々、寿命が少しでも生き残っている命が、恨めしいことを嘆き嘆き、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。 |
善良な |
【さしもあるまじきおほよその人さへ】- 『完訳』は「以下、紫の上を惜しむ人々を、他に「ほのかにも--人」「年ごろ--人々」と、三段階に分けて叙述」と注す。 |
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第三段 秋好中宮の弔問 |
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3.3.1 | 冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、 |
【冷泉院の后の宮】- 秋好中宮。 |
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3.3.2 | 「枯れ果てた野辺を嫌ってか、 亡くなられたお方は秋をお好きになら |
枯れはつる野べをうしとや 秋に心をとどめざりけん |
【枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の--秋に心をとどめざりけむ】- 秋好中宮から源氏への見舞いの贈歌。『河海抄』は「霜枯れの野辺を憂しと思へばや垣ほの草と人のあるらむ」(古今六帖拾遺)と指摘。『集成』は「昔、春秋の争いに、紫の上は春を好んだことによって詠む」。『完訳』は「「秋に--けん」は、秋に亡くなったのは秋を好まなかったためか、の意。「枯れはつる」は秋の終りとともに、人生の終末をも連想」と注す。 |
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3.3.3 | 今になって理由が分かりました」 |
はじめてわかった気もいたします。 |
【今なむことわり知られはべりぬる】- 歌に添えた消息文。 |
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3.3.4 | とありけるを、ものおぼえぬ 「いふかひあり、をかしからむ |
とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。 「話相手になれる風情ある歌のやりとりをして気を慰める人としては、この中宮だけがいらっしゃった」と、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けても、涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、返歌をなかなかお書きになれない。 |
とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。 |
【いふかひあり】- 以下「おはしけれ」まで、源氏の心中。 |
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3.3.5 | 「煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました」 |
われ飽きはてぬ常ならぬ世に |
【昇りにし雲居ながらもかへり見よ--われ飽きはてぬ常ならぬ世に】- 源氏の返歌。「果つ」「秋」の語句を用いる。「かへり見よ」の主語は荼毘にふされて空にのぼった紫の上。紫の上に呼び掛けている。「あき」に「秋」と「飽き」を掛ける。『完訳』は「贈答歌としては中宮への返歌になりきらない。しかし、「のぼりにし雲居」を中宮の位と解し、中宮に呼びかけたとする一説はとらない」と注す。 |
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3.3.6 | お包みになっても、そのまま茫然と、物思いに耽っていらっしゃる。 |
お返事をお書き |
【おし包みたまひても】- 手紙を上包みの紙に包む。きちんとした体裁の返書。 |
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3.3.7 | しっかりとしたお心もなく、自分ながら、ことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために、女房のほうにいらっしゃる。 |
お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。 |
【女方にぞおはします】- 『集成』は「女房たちのいる所。奥向き。男性の出入りする表向きの場所での緊張に耐えない」と注す。 |
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3.3.8 | されど、 |
仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。 千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れが実に残念なことであった。 今は、極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ち、揺ぎもない。 けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。 |
仏像をお |
【千年をももろともにと思ししかど】- 『集成』は「源氏の気持を地の文の形で書く」と注す。 【今は、蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つこと】- 『河海抄』は「蓮葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(古今集夏、一六五、僧正遍昭)を指摘。『集成』は「今は極楽往生の願いも、ほかのことで紛れるはずもなく、後世のことをと」と訳す。『完訳』は「往生して紫の上と一つ蓮台に座れるのに専念」と注す。 【人聞きを憚りたまふなむ、あぢきなかりける】- 『紹巴抄』は「双地」と注す。 |
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3.3.9 | 御法要の事も、はっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が、万事引き受けてお営みなさるのであった。 今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか、月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。 中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。 |
夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて |
【御わざのことども】- 七日ごとの法要。「ども」複数を表す接尾語。『完訳』は「四十九日とすれば十月初旬」と注す。 【のたまひおきつることども】- 大島本は「ことゝも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「ども」を削除する。『新大系』は底本のままとする。主語は源氏。 【今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふ】- 『河海抄』は「わびつつも昨日ばかりは過ぐして今日や我が身の限りなるらむ」(拾遺集恋一、六九四、読人しらず)を指摘。 【はかなくて、積もりにけるも】- 『完訳』は「実りのない月日が迅速に経過」と注す。 【中宮なども】- 明石中宮。 |
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