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第十三帖 明石

光る源氏の二十七歳春から二十八歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語


第一段 須磨の嵐続く

1.1.1
なほ雨風(あめかぜ)やまず雷鳴(かみな)(しづ)まらで、()ごろになりぬ。
いとどものわびしきこと、数知(かずし)らず、()方行(かたゆ)(さき)(かな)しき(おほん)ありさまに、心強(こころづよ)うしもえ(おぼ)しなさず、いかにせまし
かかりとて(みやこ)(かへ)らむことも、まだ()(ゆる)されもなくては、人笑(ひとわら)はれなることこそまさらめ。
なほ、これより(ふか)(やま)(もと)めてや、あと()えなまし」と(おぼ)すにも、波風(なみかぜ)(さわ)がれてなど、(ひと)()(つた)へむこと、(のち)()まで、いと軽々(かろがろ)しき()(なが)()てむ」と(おぼ)(みだ)る。
依然として雨風が止まず、雷も鳴り静まらないで、数日がたった。
ますます心細いこと、数限りなく、過去も未来も、悲しいお身の上で、気強くもお考えになることもできず、「どうしよう。
こうだからといって、都に帰るようなことも、まだ赦免がなくては、物笑いになることが増そう。
やはり、ここより深い山を求めて、姿をくらましてしまおうか」とお思いになるにつけても、「波風に脅かされてなど、人が言い伝えるようなこと、後世にまで、たいそう軽率な浮名を流してしまうことになろう」とお迷いになる。
まだ雨風はやまないし、雷鳴が始終することも同じで幾日かたった。今は極度に(わび)しい須磨(すま)の人たちであった。今日までのことも明日からのことも心細いことばかりで、源氏も冷静にはしていられなかった。どうすればいいであろう、京へ帰ることもまだ免職になったままで本官に復したわけでもなんでもないのであるから見苦しい結果を生むことになるであろうし、まだもっと深い山のほうへはいってしまうことも波風に威嚇(いかく)されて恐怖した行為だと人に見られ、後世に誤られることも堪えられないことであるからと源氏は煩悶(はんもん)していた。
1.1.2
(ゆめ)にも、ただ(おな)じさまなる(もの)のみ()つつまつはしきこゆと()たまふ。
雲間(くもま)なくて()()るる日数(ひかず)()へて、(きゃう)(かた)もいとどおぼつかなく、かくながら()をはふらかしつるにや」と、心細(こころぼそ)(おぼ)せど、(かしら)さし()づべくもあらぬ(そら)(みだ)れに、()()(まゐ)(ひと)もなし
夢にも、まるで同じ恰好をした物ばかりが現れては現れて、お引き寄せ申すと御覧になる。
雲の晴れ間もなくて、明け暮らす日数が過ぎていくと、京の方面もますます気がかりになって、「こうしたまま身を滅ぼしてしまうのだろうか」と、心細くお思いになるが、頭をさし出すこともできない空の荒れ具合に、やって参る者もいない。
このごろの夢は怪しい者が来て誘おうとする初めの夜に見たのと同じ夢ばかりであった。幾日も雲の切れ目がないような空ばかりをながめて暮らしていると京のことも気がかりになって、自分という者はこうした心細い中で死んで行くのかと源氏は思われるのであるが、首だけでも外へ出すことのできない天気であったから京へ使いの出しようもない。
1.1.3 二条院から、無理をしてみすぼらしい姿で、ずぶ濡れになって参ったのだ。
道ですれ違っても、人か何物かとさえ御覧じ分けられない、早速追い払ってしまうにちがいない賤しい男を、慕わしくしみじみとお感じになるのも、自分ながらももったいなくも、卑屈になってしまった心の程を思わずにはいられない。
お手紙に、
二条の院のほうからその中を人が来た。()(ねずみ)になった使いである。雨具で何重にも身を固めているから、途中で行き逢っても人間か何かわからぬ形をした、まず奇怪な者として追い払わなければならない下侍に親しみを感じる点だけでも、自分はみじめな者になったと源氏はみずから思われた。夫人の手紙は、
1.1.4
あさましくを()みなきころのけしきに、いとど(そら)さへ()づる心地(ここち)して、(なが)めやる(かた)なくなむ
「驚くほどの止むことのない日頃の天気に、ますます空までが塞がってしまう心地がして、心の晴らしようがなく、
申しようのない長雨は空までもなくしてしまうのではないかという気がしまして須磨の方角をながめることもできません。
1.1.5 須磨の浦ではどんなに激しく風が吹いていることでしょう
心配で袖を涙で濡らしている今日このごろです」
浦風やいかに吹くらん思ひやる
(そで)うち濡らし波間なき(ころ)
1.1.6
あはれに(かな)しきことども()(あつ)めたまへり。
いとど(みぎは)まさりぬべくかきくらす心地(ここち)したまふ。
しみじみとした悲しい気持ちがいっぱい書き連ねてある。
ますます涙があふれてしまいそうで、まっ暗になる気がなさる。
というような身にしむことが数々書かれてある。開封した時からもう源氏の涙は潮時(しおどき)が来たような勢いで、内から()き上がってくる気がしたものであった。
1.1.7
(きゃう)にも、この雨風(あめかぜ)あやしき(もの)のさとしなりとて、仁王会(にんわうゑ)など(おこな)はるべしなむ()こえはべりし
内裏(うち)(まゐ)りたまふ上達部(かんだちめ)なども、すべて道閉(みちと)ぢて、政事(まつりごと)()えてなむはべる
「京でも、この雨風は、不思議な天の啓示であると言って、仁王会などを催す予定だと噂していました。
宮中に参内なさる上達部なども、まったく道路が塞がって、政道も途絶えております」
「京でもこの雨風は天変だと申して、なんらかを暗示するものだと解釈しておられるようでございます。仁王会(にんおうえ)を宮中であそばすようなことも承っております。大官方が参内(さんだい)もできないのでございますから、政治も雨風のために中止の形でございます」
1.1.8
など、はかばかしうもあらず、かたくなしう(かた)りなせど、(きゃう)(かた)のことと(おぼ)せばいぶかしうて、御前(おまへ)()()でて、()はせたまふ
などと、はきはきともせず、たどたどしく話すが、京のこととお思いになると知りたくて、御前に召し出して、お尋ねあそばす。
こんな話を、はかばかしくもなく下士級の頭で理解しているだけのことを言うのであるが、京のことに無関心でありえない源氏は、居間の近くへその男を呼び出していろいろな質問をしてみた。
1.1.9
「ただ、(れい)(あめ)のを()みなく()りて、(かぜ)時々吹(ときどきふ)()でて()ごろになりはべるを、(れい)ならぬことに(おどろ)きはべるなり
いとかく、()底徹(そことほ)るばかりの氷降(ひふ)り、(いかづち)(しづ)まらぬことははべらざりき
「ただ、例によって雨が小止みなく降って、風は時々吹き出して、数日来になりますのを、ただ事でないと驚いているのです。
まことにこのように、地の底に通るほどの雹が降り、雷の静まらないことはございませんでした」
「ただ例のような雨が少しの絶え間もなく降っておりまして、その中に風も時々吹き出すというような日が幾日も続くのでございますから、それで皆様の御心配が始まったものだと存じます。今度のように地の底までも通るような荒い(ひょう)が降ったり、雷鳴の静まらないことはこれまでにないことでございます」
1.1.10
など、いみじきさまに(おどろ)()ぢてをる(かほ)のいとからきにも、心細(こころぼそ)さまさりける
などと、大変な様子で驚き脅えて畏まっている顔がとてもつらそうなのにつけても、心細さがつのるのだった。
などと言う男の表情にも深刻な恐怖の色の見えるのも源氏をより心細くさせた。

第二段 光る源氏の祈り

1.2.1
かくしつつ()()きぬべきにや」と(おぼ)さるるにそのまたの()(あかつき)より、(かぜ)いみじう()き、潮高(しほたか)()ちて、(なみ)音荒(おとあら)きこと、(いはほ)(やま)(のこ)るまじきけしきなり。
(かみ)()りひらめくさま、さらに()はむ(かた)なくて、()ちかかりぬ」とおぼゆるに、ある(かぎ)さかしき(ひと)なし。
「こうしながらこの世は滅びてしまうのであろうか」と思わずにはいらっしゃれないでいると、その翌日の明け方から、風が激しく吹き、潮が高く満ちきて、波の音の荒々しいこと、巌も山をも無くしてしまいそうである。
雷の鳴りひらめく様子、さらに言いようがなくて、「そら、落ちてきた」と思われると、その場に居合わせた者でしっかりした人はいない。
こんなことでこの世は滅んでいくのでないかと源氏は思っていたが、その翌日からまた大風が吹いて、海潮が満ち、高く立つ波の音は岩も山も(くず)してしまうように響いた。雷鳴と電光のさすことの(はげ)しくなったことは想像もできないほどである。この家へ雷が落ちそうにも近く鳴った。もう理智(りち)で物を見る人もなくなっていた。
1.2.2
(われ)はいかなる(つみ)(をか)して、かく(かな)しき()()るらむ
父母(ちちはは)にもあひ()ず、かなしき妻子(めこ)(かほ)をも()で、()ぬべきこと
「自分はどのような罪を犯して、このような悲しい憂き目に遭うのだろう。
父母にも互いに顔を見ず、いとしい妻や子どもにも会えずに、死なねばならぬとは」
「私はどんな罪を前生で犯してこうした悲しい目に()うのだろう。親たちにも逢えずかわいい妻子の顔も見ずに死なねばならぬとは」
1.2.3
(なげ)く。
(きみ)御心(みこころ)(しづ)めて、(なに)ばかりのあやまちにてかこの(なぎさ)(いのち)をば(きは)めむ」と、(つよ)(おぼ)しなせど、いともの(さわ)がしければ、色々(いろいろ)幣帛(みてぐら)ささげさせたまひて
と嘆く。
君は、お心を静めて、「どれほどの過失によって、この海辺に命を落とすというのか」と、気を強くお持ちになるが、ひどく脅え騒いでいるので、色とりどりの幣帛を奉らせなさって、
こんなふうに言って歎く者がある。源氏は心を静めて、自分にはこの寂しい海辺で命を落とさねばならぬ罪業(ざいごう)はないわけであると自信するのであるが、ともかくも異常である天候のためにはいろいろの幣帛(へいはく)を神にささげて祈るほかがなかった。
1.2.4
住吉(すみよし)(かみ)(ちか)(さかひ)(しづ)(まも)りたまふ。
まことに(あと)()れたまふ(かみ)ならば、(たす)けたまへ」
「住吉の神、この近辺一帯をご鎮護なさる。
真に現世に迹を現しなさる神ならば、我らを助けたまえ」
住吉(すみよし)の神、この付近の悪天候をお(しず)めください。真実垂跡(すいじゃく)の神でおいでになるのでしたら慈悲そのものであなたはいらっしゃるはずですから」
1.2.5
と、(おほ)くの大願(だいがん)()てたまふ。
おのおのみづからの(いのち)をば、さるものにて、かかる御身(おほんみ)のまたなき(れい)(しづ)みたまひぬべきことのいみじう(かな)しき(こころ)()こして、すこしものおぼゆる(かぎ)りは、()()へてこの御身一(おほんみひと)つを(すく)ひたてまつらむ」と、とよみて諸声(もろごゑ)(ほとけ)(かみ)(ねん)じたてまつる。
と、数多くの大願を立てなさる。
各自めいめいの命は、それはそれとして、このような方がまたとない例にお命を落としてしまいそうなことがひどく悲しい、心を奮い起こして、わずかに気を確かに持っている者は皆、「わが身に代えて、この御身ひとつをお救い申し上げよう」と、大声を上げて、声を合わせて仏、神をお祈り申し上げる。
と源氏は言って多くの大願を立てた。惟光(これみつ)良清(よしきよ)らは、自身たちの命はともかくも源氏のような人が未曾有(みぞう)な不幸に終わってしまうことが大きな悲しみであることから、気を引き立てて、少し人心地(ひとごこち)のする者は皆命に代えて源氏を救おうと一所懸命になった。彼らは声を合わせて仏神に祈るのであった。
1.2.6
帝王(ていわう)(ふか)(みや)(やしな)はれたまひていろいろの(たの)しみにおごりたまひしかど、(ふか)御慈(おほんうつく)しみ大八洲(おほやしま)にあまねく、(しづ)める(ともがら)をこそ(おほ)()かべたまひしか。
(いま)(なに)(むく)いにかここら横様(よこさま)なる波風(なみかぜ)には(おぼ)ほれたまはむ
天地(あめつち)ことわりたまへ。
(つみ)なくて(つみ)()たり(つかさ)(くらゐ)()られ、(いへ)(はな)れ、(さかひ)()りて、()()(やす)(そら)なく、(なげ)きたまふにかく(かな)しき()をさへ()命尽(いのちつ)きなむとするは、(さき)()(むく)いか、この()(をか)しか(かみ)(ほとけ)(あき)らかにましまさば、この(うれ)へやすめたまへ」
「帝王の、深宮に育てられなさって、さまざまな楽しみをほしいままになさったが、深い御仁徳は、大八洲にあまねく、沈淪していた人々を数多く浮かび上がらせなさった。
今、何の報いによってか、こんなに非道な波風に溺れ死ななければならないのか。
天地の神々よ、ご判断ください。
罪なくして罪に当たり、官職、爵位を剥奪され、家を離れ、都を去って、日夜お心の安まる時なく、お嘆きになっていらっしゃる上に、このような悲しい憂き目にまで遭い、命を失ってしまいそうになるのは、前世からの報いか、この世での犯しによるのかと、神、仏、確かにいらっしゃるならば、この災いをお鎮めください」
「帝王の深宮に育ちたまい、もろもろの歓楽に(おご)りたまいしが、絶大の愛を心に持ちたまい、慈悲をあまねく日本国じゅうに()れたまい、不幸なる者を救いたまえること数を知らず、今何の報いにて風波の(にえ)となりたまわん。この理を明らかにさせたまえ。罪なくして罪に当たり、官位を剥奪(はくだつ)され、家を離れ、故郷を捨て、朝暮歎きに沈淪(ちんりん)したもう。今またかかる悲しみを見て命の尽きなんとするは何事によるか、前生の報いか、この世の犯しか、神、仏、明らかにましまさばこの(うれ)いを(やす)めたまえ」
1.2.7
と、御社(みやしろ)(かた)()きてさまざまの(がん)()てたまふ。
と、お社の方を向いて、さまざまな願を立てなさる。
住吉(すみよし)御社(みやしろ)のほうへ向いてこう叫ぶ人々はさまざまの願を立てた。
1.2.8
また、(うみ)(なか)龍王(りうわう)よろづの(かみ)たちに(がん)()てさせたまふにいよいよ()りとどろきておはしますに(つづ)きたる(らう)()ちかかりぬ
炎燃(ほのほも)()がりて、(らう)()けぬ。
心魂(こころたましひ)なくて、ある(かぎ)(まど)ふ。
(うしろ)(かた)なる大炊殿(おほひどの)とおぼしき()(うつ)したてまつりて上下(かみしも)となく()()みて、いとらうがはしく()きとよむ(こゑ)(いかづち)にも(おと)らず。
(そら)(すみ)をすりたるやうにて、()()れにけり
また、海の中の龍王、八百万の神々に願をお立てさせになると、ますます雷が鳴り轟いて、いらっしゃるご座所に続いている廊に落ちてきた。
炎が燃え上がって、廊は焼けてしまった。
生きた心地もせず、皆が皆あわてふためく。
後方にある大炊殿とおぼしい建物にお移し申して、上下なく人々が入り込んで、ひどく騒がしく泣き叫ぶ声、雷鳴にも負けない。
空は黒墨を擦ったようで、日も暮れてしまった。
また竜王(りゅうおう)をはじめ大海の諸神にも源氏は願を立てた。いよいよ雷鳴ははげしくとどろいて源氏の居間に続いた廊へ落雷した。火が燃え上がって廊は焼けていく。人々は心も(きも)も皆失ったようになっていた。後ろのほうの(くりや)その他に使っている建物のほうへ源氏を移転させ、上下の者が皆いっしょにいて泣く声は一つの大きな音響を作って雷鳴にも劣らないのである。空は墨を()ったように黒くなって日も暮れた。

第三段 嵐収まる

1.3.1
やうやう(かぜ)なほり、(あめ)(あし)しめり、(ほし)(ひかり)()ゆるにこの御座所(おましどころ)のいとめづらかなるも、いとかたじけなくて寝殿(しんでん)(かへ)(うつ)したてまつらむとするに
だんだん風が弱まり、雨脚が衰え、星の光も見えるので、このご座所もひどく見慣れないのも、まことに恐れ多いので、寝殿にお戻りいただこうとするが、
そのうち風が穏やかになり、雨が小降りになって星の光も見えてきた。そうなるとこの人々は源氏の居場所があまりにもったいなく思われて、寝殿のほうへ席を移そうとしたが、
1.3.2 「焼け残った所も気味が悪く、おおぜいの人々が踏み荒らした上に、御簾などもみな吹き飛んでしまった」
そこも焼け残った建物がすさまじく見え、座敷は多数の人間が逃げまわった時に踏みしだかれてあるし、御簾(みす)なども皆風に吹き落とされていた。
1.3.3 「夜を明かしてからは」
今夜夜通しに
1.3.4
たどりあへるに(きみ)御念誦(おほんねんず)したまひて(おぼ)しめぐらすにいと(こころ)あわたたし。
とあれこれしている間に、君は御念誦を唱えながら、いろいろお考えめぐらしになるが、気持ちが落ち着かない。
後始末(あとしまつ)をしてからのことに決めて、皆がそんなことに奔走している時、源氏は心経(しんぎょう)を唱えながら、静かに考えてみるとあわただしい一日であった。
1.3.5
(つき)さし()でて、(しほ)(ちか)()()ける(あと)もあらはに、名残(なごり)なほ()(かへ)波荒(なみあら)きを、(しば)戸押(とお)()けて、(なが)めおはします。
(ちか)世界(せかい)に、ものの(こころ)()り、()方行(かたゆ)(さき)のことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしう(さと)(ひと)もなし
あやしき海人(あま)どもなどの、(たか)(ひと)おはする(ところ)とて、(あつま)(まゐ)りて、()きも()りたまはぬことどもをさへづりあへるもいとめづらかなれど、()ひも(はら)はず
月が出て、潮が近くまで満ちてきた跡がはっきりと分かり、その後も依然として寄せては返す波の荒いのを、柴の戸を押し開けて、物思いに耽りながら眺めていらっしゃる。
この界隈には、ものの道理をわきまえ、過去将来のことを判断して、あれこれとはっきりと理解する者もいない。
賤しい海人どもなどが、高貴な方のいらっしゃるところといって、集まって参って、お聞きになっても分からないようなことがらをぺちゃくちゃしゃべり合っているのも、ひどく珍しいことであるが、追い払うこともできない。
月が出てきて海潮の寄せた跡が(あら)わにながめられる。遠く退()いてもまだ寄せ返しする(なみ)の荒い海べのほうを戸をあけて源氏はながめていた。今日までのこと明日からのことを意識していて、対策を講じ合うに足るような人は近い世界に絶無であると源氏は感じた。漁村の住民たちが貴人の居所を気にかけて、集まって来て訳のわからぬ言葉でしゃべり合っているのも礼儀のないことであるが、それを追い払う者すらない。
1.3.6
この(かぜ)(いま)しばし()まざらましかば潮上(しほのぼ)りて(のこ)(ところ)なからまし。
(かみ)(たす)けおろかならざりけり」
「この風が、今しばらく止まなかったら、潮が上がって来て、残るところなく攫われてしまったことでしょう。
神のご加護は大変なものであった」
「あの大風がもうしばらくやまなかったら、潮はもっと遠くへまで上って、この辺なども形を残していまい。やはり神様のお助けじゃ」
1.3.7 と言うのをお聞きになるのも、とても心細いといったのでは言い足りないくらいである。
こんなことの言われているのも聞く身にとっては非常に心細いことであった。
1.3.8 「海に鎮座まします神の御加護がなかったならば
潮の渦巻く遥か沖合に流されていたことであろう」
海にます神のたすけにかからずば
潮の八百会(やほあひ)にさすらへなまし
1.3.9
ひねもすにいりもみつる(かみ)(さわ)ぎにさこそいへいたう(こう)じたまひにければ(こころ)にもあらずうちまどろみたまふ。
かたじけなき御座所(おましどころ)なれば、ただ()りゐたまへるに故院(こゐん)ただおはしまししさまながら()ちたまひて、
一日中、激しく物を煎り揉みしていた雷の騷ぎのために、そうはいっても、ひどくお疲れになったので、思わずうとうととなさる。
恐れ多いほど粗末なご座所なので、ちょっと寄り掛かっていらっしゃると、故院が、まるで御生前おいであそばしたお姿のままお立ちになって、
と源氏は口にした。終日風の()み抜いた家にいたのであるから、源氏も疲労して思わず眠った。ひどい場所であったから、横になったのではなく、ただ物によりかかって見る夢に、お()くなりになった院がはいっておいでになったかと思うと、すぐそこへお立ちになって、
1.3.10 「どうして、このような見苦しい所にいるのだ」
「どうしてこんなひどい所にいるか」
1.3.11
とて、御手(おほんて)()りて()()てたまふ。
と仰せになって、
こうお言いになりながら、源氏の手を取って引き立てようとあそばされる。
1.3.12
住吉(すみよし)(かみ)(みちび)きたまふままにははや舟出(ふなで)して、この(うら)()りね」
「住吉の神がお導きになるのに従って、早く船出して、この浦を去りなさい」
「住吉の神が導いてくださるのについて、早くこの浦を去ってしまうがよい」
1.3.13
のたまはす
いとうれしくて、
と仰せあそばす。
とても嬉しくなって、
と仰せられる。源氏はうれしくて、
1.3.14 「畏れ多い父上のお姿にお別れ申して以来、さまざまな悲しいことばかり多くございますので、今はこの海辺に命を捨ててしまいましょうかしら」
「陛下とお別れいたしましてからは、いろいろと悲しいことばかりがございますから私はもうこの海岸で死のうかと思います」
1.3.15 と申し上げなさると、

1.3.16 「実にとんでもないことだ。
これは、ちょっとしたことの報いである。
朕は、在位中に、過失はなかったけれど、知らず知らずのうちに犯した罪があったので、その罪を償うのに暇がなくて、この世を顧みなかったが、大変な難儀に苦しんでいるのを見ると、堪え難くて、海に入り渚に上がり、たいそう疲れたけれど、このような機会に、奏上しなければならないことがあるので、急いで上るのだ」
「とんでもない。これはね、ただおまえが受けるちょっとしたことの報いにすぎないのだ。私は位にいる間に過失もなかったつもりであったが、犯した罪があって、その罪の(つぐな)いをする間は(せわ)しくてこの世を顧みる暇がなかったのだが、おまえが非常に不幸で、悲しんでいるのを見ると堪えられなくて、海の中を来たり、海べを通ったりまったく困ったがやっとここまで来ることができた。このついでに陛下へ申し上げることがあるから、すぐに京へ行く」
1.3.17
とて、()()りたまひぬ。
と言って、お立ち去りになってしまった。
と仰せになってそのまま行っておしまいになろうとした。
1.3.18
()かず(かな)しくて御供(おほんとも)(まゐ)りなむ」と()()りたまひて、見上(みあ)げたまへれば(ひと)もなく、(つき)(かほ)のみきらきらとして、(ゆめ)心地(ここち)もせず、(おほん)けはひ()まれる心地(ここち)して、(そら)(くも)あはれにたなびけり
名残惜しく悲しくて、「お供して参りたい」とお泣き入りになって、お見上げなさると、人影もなく、月の面だけが耿々として、夢とも思えず、お姿が残っていらっしゃるような気がして、空の雲がしみじみとたなびいているのであった。
源氏は悲しくて、「私もお供してまいります」と泣き入って、父帝のお顔を見上げようとした時に、人は見えないで、月の顔だけがきらきらとして前にあった。源氏は夢とは思われないで、まだ名残(なごり)がそこらに漂っているように思われた。空の雲が身にしむように動いてもいるのである。
1.3.19 ここ数年来、夢の中でもお会い申さず、恋しくお会いしたいお姿を、わずかな時間ではあるが、はっきりと拝見したお顔だけが、眼前にお浮かびになって、「自分がこのように悲しみを窮め尽くし、命を失いそうになったのを、助けるために天翔っていらした」と、しみじみと有り難くお思いになると、「よくぞこんな騷ぎもあったものよ」と、夢の後も頼もしくうれしく思われなさること、限りない。
長い間夢の中で見ることもできなかった恋しい父帝をしばらくだけではあったが明瞭(めいりょう)に見ることのできた、そのお顔が面影に見えて、自分がこんなふうに不幸の底に落ちて、生命(いのち)も危うくなったのを、助けるために遠い世界からおいでになったのであろうと思うと、よくあの騒ぎがあったことであると、こんなことを源氏は思うようになった。なんとなく力がついてきた。
1.3.20
(むね)つとふたがりて、なかなかなる御心惑(みこころまど)ひにうつつの(かな)しきこともうち(わす)れ、(ゆめ)にも御応(おほんいら)へを(いま)すこし()こえずなりぬること」といぶせさに「またや()えたまふ」と、ことさらに寝入(ねい)りたまへど、さらに御目(おほんめ)()はで暁方(あかつきがた)になりにけり。
胸がぴたっと塞がって、かえってお心の迷いに、現実の悲しいこともつい忘れ、「夢の中でお返事をもう少し申し上げずに終わってしまったこと」と残念で、「再びお見えになろうか」と、無理にお寝みになるが、さっぱりお目も合わず、明け方になってしまった。
その時は胸がはっとした思いでいっぱいになって、現実の悲しいことも皆忘れていたが、夢の中でももう少しお話をすればよかったと飽き足らぬ気のする源氏は、もう一度続きの夢が見られるかとわざわざ寝入ろうとしたが、眠りえないままで夜明けになった。

第四段 明石入道の迎えの舟

1.4.1 渚に小さい舟を寄せて、人が二、三人ほど、この旅のお館をめざして来る。
何者だろうと尋ねると、
(なぎさ)のほうに小さな船を寄せて、二、三人が源氏の家のほうへ歩いて来た。だれかと山荘の者が問うてみると、
1.4.2 「明石の浦から、前の播磨守の新発意が、お舟支度して参上したのです。
源少納言、伺候していらしたら、面会して事の子細を申し上げたい」
明石(あかし)の浦から前播磨守(さきのはりまのかみ)入道が船で(たず)ねて来ていて、その使いとして来た者であった。
(げん)少納言さんがいられましたら、お目にかかって、お訪ねいたしました理由を申し上げます」
1.4.3
()ふ。
良清(よしきよ)おどろきて、
と言う。
良清、驚いて、
と使いは入道の言葉を述べた。驚いていた良清(よしきよ)は、
1.4.4
入道(にふだう)は、かの(くに)得意(とくい)にて(とし)ごろあひ(かた)らひはべりつれど(わたくし)に、いささかあひ(うら)むることはべりて、ことなる消息(せうそこ)をだに(かよ)はさで(ひさ)しうなりはべりぬるを、(なみ)(まぎ)れに、いかなることかあらむ」
「入道は、あの国での知人として、長年互いに親しくお付き合いしてきましたが、私事で、いささか恨めしく思うことがございまして、特別の手紙でさえも交わさないで、久しくなっておりましたが、この荒波に紛れて、何の用であろうか」
「入道は播磨での知人で、ずっと以前から知っておりますが、私との間には双方で感情の害されていることがあって、格別に交際(つきあい)をしなくなっております。それが風波の害のあった際に何を言って来たのでしょう」
1.4.5
と、おぼめく
(きみ)御夢(おほんゆめ)なども(おぼ)()はすることもありて、「はや()へ」とのたまへば、(ふね)()きて()ひたり
さばかり(はげ)しかりつる波風(なみかぜ)いつの()にか舟出(ふなで)しつらむ」と、心得(こころえ)がたく(おも)へり
と言って、不審がる。
君が、お夢などもご連想なさることもあって、「早く会え」とおっしゃるので、舟まで行って会った。
「あれほど激しかった波風なのに、いつの間に船出したのだろう」と、合点が行かず思っていた。
と言って訳がわからないふうであった。源氏は昨夜の夢のことが胸中にあって、「早く()ってやれ」と言ったので、良清(よしきよ)は船へ行って入道に面会した。あんなにはげしい天気のあとでどうして船が出されたのであろうと良清はまず不思議に思った。
1.4.6
()ぬる朔日(ついたち)()(ゆめ)さま(こと)なるものの()()らすることはべりしかば、(しん)じがたきことと(おも)うたまへしかど、十三日(じふさんにち)にあらたなるしるし()せむ
舟装(ふねよそ)ひまうけてかならず、雨風止(あめかぜや)まば、この(うら)にを()せよ』と、かねて(しめ)すことのはべりしかば
「去る上旬の日の夢に、異形のものが告げ知らせることがございましたので、信じがたいこととは存じましたが、『十三日にあらたかな霊験を見せよう。
舟の準備をして、必ず、この雨風が止んだら、この浦に寄せ着けよ』と、前もって告げていたことがございましたので、
「この月一日の夜に見ました夢で異形(いぎょう)の者からお告げを受けたのです。信じがたいこととは思いましたが、十三日が来れば明瞭になる、船の仕度(したく)をしておいて、必ず雨風がやんだら須磨の源氏の君の住居(すまい)へ行けというようなお告げがありましたから、
1.4.7
(こころ)みに(ふね)(よそ)ひをまうけて()ちはべりしに、いかめしき(あめ)(かぜ)(いかづち)のおどろかしはべりつれば(ひと)朝廷(みかど)にも、(ゆめ)(しん)じて(くに)(たす)くるたぐひ(おほ)うはべりけるを(もち)ゐさせたまはぬまでもこのいましめの()()ぐさず、このよしを()(まう)しはべらむとて、舟出(ふねい)だしはべりつるに、あやしき風細(かぜほそ)()きてこの(うら)()きはべることまことに(かみ)のしるべ(たが)はずなむ
ここにも、もししろしめすことやはべりつらむ、とてなむ
いと(はばか)(おほ)くはべれど、このよし、(まう)したまへ
試しに舟の用意をして待っておりましたところ、激しい雨、風、雷がそれと気づかせてくれましたので、異国の朝廷でも、夢を信じて国を助けるた例が多くございましたので、お取り上げにならないにしても、この予告の日をやり過さず、この由をお知らせ申し上げましょうと思って、舟出しましたところ、不思議な風が細く吹いて、この浦に着きましたこと、ほんとうに神のお導きは間違いがございません。
こちらにも、もしやお心あたりのこともございましたでしょうか、と存じまして。
大変に恐縮ですが、この由、お伝え申し上げてください」
試みに船の用意をして待っていますと、たいへんな雨風でしょう、そして雷でしょう、支那(しな)などでも夢の告げを信じてそれで国難を救うことができたりした例もあるのですから、こちら様ではお信じにならなくても、示しのあった十三日にはこちらへ伺ってお話だけは申し上げようと思いまして、船を出してみますと、特別なような風が細く、私の船だけを吹き送ってくれますような風でこちらへ着きましたが、やはり神様の御案内だったと思います。何かこちらでも神の告げというようなことがなかったでしょうか、と申すことを失礼ですがあなたからお取り次ぎくださいませんか」
1.4.8
()ふ。
良清(よしきよ)(しの)びやかに(つた)(まう)す。
と言う。
良清、こっそりとお伝え申し上げる。
と入道は言うのである。良清はそっと源氏へこのことを伝えた。
1.4.9
(きみ)(おぼ)しまはすに、(ゆめ)うつつさまざま(しづ)かならず、さとしのやうなることどもを、()方行(かたゆ)末思(すゑおぼ)()はせて、
君、お考えめぐらすと、夢や現実にいろいろと穏やかでなく、もののさとしのようなことを、過去未来とお考え合わせになって、
源氏は夢も現実も静かでなく、何かの暗示らしい点の多かったことを思って、
1.4.10
()(ひと)()(つた)へむ(のち)のそしりもやすからざるべきを(はばか)りて、まことの(かみ)(たす)けにもあらむを(そむ)くものならば、またこれよりまさりて、人笑(ひとわら)はれなる()をや()む。
うつつざまの(ひと)(こころ)だになほ(くる)
はかなきことをもつつみて、(われ)より(よはひ)まさり、もしは位高(くらゐたか)く、時世(ときよ)()今一際(いまひときは)まさる(ひと)には、なびき(したが)ひて、その(こころ)むけをたどるべきものなりけり。
退(しりぞ)きて(とが)なしこそ(むかし)、さかしき(ひと)()()きけれ
「世間の人々がこれを聞き伝えるような後世の非難も穏やかではないだろうことを恐れて、本当の神の助けであるのに、背いたものなら、またそれ以上に、物笑いを受けることになるだろうか。
現実の世界の人の意向でさえ背くのは難しい。
ちょっとしたことでも慎重にして、自分より年齢もまさるとか、もしくは爵位が高いとか、世間の信望がいま一段まさる人とかには、言葉に従って、その意向を考え入れるべきである。
謙虚に振る舞って非難されることはないと、昔、賢人も言い残していた。
世間の(そし)りなどばかりを気にかけ神の冥助(みょうじょ)にそむくことをすれば、またこれ以上の苦しみを見る日が来るであろう、人間を怒らせることすら結果は相当に恐ろしいのである、気の進まぬことも自分より年長者であったり、上の地位にいる人の言葉には(したが)うべきである。退いて(とが)なしと昔の賢人も言った、あくまで謙遜(けんそん)であるべきである。
1.4.11
げに、かく(いのち)(きは)()にまたなき()(かぎ)りを見尽(みつ)くしつ。
さらに(のち)のあとの()をはぶくとてもたけきこともあらじ。
(ゆめ)(なか)にも父帝(ちちみかど)御教(おほんをし)へありつれば、また(なに)ごとか(うたが)はむ
なるほど、このような命の極限まで辿り着き、この世にまたとないほどの困難の限りを体験し尽くした。
今さら後世の悪評を避けたところで、たいしたこともあるまい。
夢の中にも父帝のお導きがあったのだから、また何を疑おうか」
もう自分は生命(いのち)(あぶな)いほどの目を幾つも見せられた、臆病(おくびょう)であったと言われることを不名誉だと考える必要もない。夢の中でも父帝は住吉(すみよし)の神のことを仰せられたのであるから、疑うことは一つも残っていない
1.4.12
(おぼ)して、御返(おほんかへ)りのたまふ。
と思いになって、お返事をおっしゃる。
と思って、源氏は明石へ居を移す決心をして、入道へ返辞を伝えさせた。
1.4.13
()らぬ世界(せかい)めづらしき(うれ)への(かぎ)()つれど、(みやこ)(かた)よりとて、言問(ことと)ひおこする(ひと)もなし。
ただ行方(ゆくへ)なき(そら)月日(つきひ)(ひかり)ばかりを、故郷(ふるさと)(とも)(なが)めはべるに、うれしき釣舟(つりぶね)をなむ
かの(うら)に、(しづ)やかに(かく)ろふべき(くま)はべりなむや」
「知らない世界で、珍しい困難の極みに遭ってきたが、都の方からといって、安否を尋ねて来る人もいない。
ただ茫漠とした空の月と日の光だけを、故郷の友として眺めていますが、うれしい釣舟と思うぞ。
あちらの浦で、静かに隠れていられる所がありますか」
「知るべのない所へ来まして、いろいろな災厄(さいやく)にあっていましても、京のほうからは見舞いを言い送ってくれる者もありませんから、ただ大空の月日だけを昔馴染(なじみ)のものと思ってながめているのですが、今日船を私のために寄せてくだすってありがたく思います。明石には私の隠栖(いんせい)に適した場所があるでしょうか」
1.4.14
とのたまふ。
(かぎ)りなくよろこび、かしこまり(まう)す。
とおっしゃる。
この上なく喜んで、お礼申し上げる。
入道は申し入れの受けられたことを非常によろこんで、恐縮の意を表してきた。
1.4.15
ともあれ、かくもあれ、()()()てぬ(さき)御舟(おほんふね)にたてまつれ」
「ともかくも、夜のすっかり明けない前にお舟にお乗りください」
ともかく夜が明けきらぬうちに船へお乗りになるがよい
1.4.16 ということで、いつもの側近の者だけ、四、五人ほど供にしてお乗りになった。
ということになって、例の四、五人だけが源氏を(まも)って乗船した。
1.4.17
(れい)(かぜい)()て、()ぶやうに明石(あかし)()きたまひぬ。
ただはひ(わた)るほどに片時(かたとき)()といへど、なほあやしきまで()ゆる(かぜ)(こころ)なり
例の不思議な風が吹き出してきて、飛ぶように明石にお着きになった。
わずか這って行けそうな距離は時間もかからないとはいえ、やはり不思議にまで思える風の動きである。
入道の話のような清い涼しい風が吹いて来て、船は飛ぶように明石へ着いた。それはほんの短い時間のことであったが不思議な海上の気であった。

第二章 明石の君の物語 明石での新生活の物語


第一段 明石入道の浜の館

2.1.1
(はま)のさま、げにいと(こころ)ことなり
(ひと)しげう()ゆるのみなむ、御願(おほんねが)ひに(そむ)きける
入道(にふだう)領占(りゃうじ)めたる所々(ところどころ)(うみ)のつらにも山隠(やまがく)れにも、時々(ときどき)につけて、(きょう)をさかすべき(なぎさ)苫屋(とまや)(おこ)なひをして(のち)()のことを(おも)()ましつべき山水(やまみづ)のつらに、いかめしき(だう)()てて三昧(さんまい)(おこ)なひ、この()のまうけに、(あき)()()()(をさ)(のこ)りの齢積(よはひつ)むべき(いね)倉町(くらまち)どもなど、折々(をりをり)(ところ)につけたる()どころありてし(あつ)めたり。
浜の様子は、なるほどまことに格別である。
人が多く見える点だけが、ご希望に添わないのであった。
入道の所領している所々、海岸にも山蔭にも、季節折々につけて、興趣をわかすにちがいない海辺の苫屋、勤行をして来世のことを思い澄ますにふさわしい山川のほとりに、厳かな堂を建てて念仏三昧を行い、この世の生活には、秋の田の実を刈り収めて、余生を暮らすための稲の倉町が幾倉もなど、四季折々につけて、場所にふさわしい見所を多く集めている。
明石の浦の風光は、源氏がかねて聞いていたように美しかった。ただ須磨に比べて住む人間の多いことだけが源氏の本意に反したことのようである。入道の持っている土地は広くて、海岸のほうにも、山手のほうにも大きな邸宅があった。(なぎさ)には風流な小亭(しょうてい)が作ってあり、山手のほうには、渓流(けいりゅう)に沿った場所に、入道がこもって後世(ごせ)の祈りをする三昧堂(さんまいどう)があって、老後のために蓄積してある財物のための倉庫町もある。
2.1.2
高潮(たかしほ)()ぢて、このころ、(むすめ)などは岡辺(をかべ)宿(やど)(うつ)して()ませければ、この(はま)(たち)(こころ)やすくおはします
高潮を恐れて、近頃は、娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この海辺の館に気楽にお過ごになる。
高潮を恐れてこのごろは娘その他の家族は山手の家のほうに移らせてあったから、浜のほうの本邸に源氏一行は気楽に住んでいることができるのであった。
2.1.3
(ふね)より御車(おほんくるま)にたてまつり(うつ)るほど()やうやうさし()がりて、ほのかに()たてまつるより老忘(おいわす)れ、齢延(よはひの)ぶる心地(ここち)して、()みさかえて、まづ住吉(すみよし)(かみ)を、かつがつ(をが)みたてまつる。
月日(つきひ)(ひかり)()()たてまつりたる心地(ここち)していとなみ(つか)うまつること、ことわりなり。
舟からお車にお乗り移りになるころ、日がだんだん高くなって、ほのかに拝するやいなや、老いも忘れ、寿命も延びる心地がして、笑みを浮かべて、まずは住吉の神をとりあえず拝み申し上げる。
月と日の光を手にお入れ申した心地がして、お世話申し上げること、ごもっともである。
船から車に乗り移るころにようやく朝日が上って、ほのかに見ることのできた源氏の美貌(びぼう)に入道は老いを忘れることもでき、命も延びる気がした。満面に()みを見せてまず住吉の神をはるかに拝んだ。月と日を(てのひら)の中に得たような喜びをして、入道が源氏を大事がるのはもっともなことである。
2.1.4
(ところ)のさまをばさらにも()はず、(つく)りなしたる(こころ)ばへ、木立(こだち)立石(たていし)前栽(せんさい)などのありさま、えも()はぬ入江(いりえ)(みづ)など、()()かば、(こころ)のいたり(すく)なからむ絵師(ゑし)()(およ)ぶまじ()ゆ。
(つき)ごろの御住(おほんす)まひよりは、こよなくあきらかに、なつかしき
(おほん)しつらひなど、えならずして()まひけるさまなど、げに(みやこ)のやむごとなき所々(ところどころ)(こと)ならず、(えん)にまばゆきさまは、まさりざまにぞ()ゆる。
天然の景勝はいうまでもなく、こしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。
数か月来の住まいよりは、この上なく明るく、好もしい感じがする。
お部屋の飾りつけなど、立派にしてあって、生活していた様子などは、なるほど都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しいさまは、むしろ勝っているように見える。
おのずから風景の明媚(めいび)な土地に、林泉の美が巧みに加えられた庭が座敷の周囲にあった。入り江の水の姿の趣などは想像力の乏しい画家には()けないであろうと思われた。須磨の家に比べるとここは非常に明るくて朗らかであった。座敷の中の設備にも華奢(かしゃ)が尽くされてあった。生活ぶりは都の大貴族と少しも変わっていないのである。それよりもまだ派手(はで)なところが見えないでもない。

第二段 京への手紙

2.2.1 少しお心が落ち着いて、京へのお手紙をお書き申し上げになる。
参っていた使者は、現在、
明石へ移って来た初めの落ち着かぬ心が少しなおってから、源氏は京へ手紙を書いた。
2.2.2
いみじき(みち)()()ちて(かな)しき()()る」
「ひどい時に使いに立って辛い思いをした」
「こんなことになろうとは知らずに来て、ここで死ぬ運命だった」
2.2.3
()(しづ)みて、あの須磨(すま)()まりたるを()して、()にあまれる(もの)ども(おほ)くたまひて(つか)はす
むつましき御祈(おほんいの)りの()ども、さるべき所々(ところどころ)にはこのほどの(おほん)ありさま、(くは)しく()(つか)はすべし。
と泣き沈んで、あの須磨に留まっていたのを召して、身にあまるほどの褒美を多く賜って遣わす。
親しいご祈祷の師たち、しかるべき所々には、このほどのご様子を、詳しく書いて遣わすのであろう。
などと言って、悲しんでいた京の使いが須磨にまだいたのを呼んで、過分な物を報酬に与えた上で、京でするいろいろの用が命ぜられた。頼みつけの祈りの僧たちや寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。
2.2.4
入道(にふだう)(みや)ばかりにはめづらかにてよみがへるさまなど()こえたまふ
二条院(にでうのゐん)のあはれなりしほどの御返(おほんかへ)りは、()きもやりたまはず、うち()きうち()き、おしのごひつつ()こえたまふ()けしき、なほことなり。
入道の宮だけには、不思議にも生き返った様子などをお書き申し上げなさる。
二条院からの胸を打つ手紙のお返事には、すらすらと筆もお運びにならず、筆をうち置きうち置き、涙を拭いながらお書き申し上げになるご様子、やはり格別である。
私人には入道の宮へだけ、稀有(けう)にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知らせした。二条の院の(あわ)れな手紙の返事は一気には書かれずに、一章を書いては泣き一章を書いては涙を()きして書いている様子にも源氏がその人を思う深さが見られるのであった。
2.2.5 「繰り返し繰り返し、恐ろしい目の極限を体験し尽くした状態なので、今は俗世を離れたいという気持ちだけが募っていますが、『鏡を見ても』とお詠みになった面影が離れる間がないので、このように遠く離れたまま出来ようかと思うと、たくさんのさまざまな心配事は、二の次に自然と思われて、
あとへあとへと悲しいことが起こってきて、もう苦しい経験はし尽くしたような私ですからしきりに出家したい心も()きますが、鏡を見てもとお言いになったあなたの面影が目を離れないのですから、あなたに再会をしないでは、それを実行することもできません。何の苦しみよりも私にはあなたと離れている苦痛が最もつらいことに思われます。あなたにまた逢うことができれば、ほかのいとわしいことは皆忍んでいこうと思います。
2.2.6 遠く遥かより思いやっております
知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても
はるかにも思ひやるかな知らざりし
浦より(をち)に浦づたひして
2.2.7
(ゆめ)のうちなる心地(ここち)のみして、()()てぬほど、いかにひがこと(おほ)からむ」
夢の中の心地ばかりして、まだ覚めきらないでいるうちは、どんなにか変なことを多く書いたことでしょう」
まだ夢の続きで、明石の浦にまで来ているような気がしてなりません。こんな時に書く手紙はまちがったこともあるでしょうが許してください。
2.2.8
と、げに、そこはかとなく()(みだ)りたまへるしもぞ、いと()まほしき側目(そばめ)なるを「いとこよなき御心(みこころ)ざしのほど」と、(ひと)びと()たてまつる。
と、なるほど、とりとめもなくお書き散らしになっているが、まことに側からのぞき込みたくなるようなのを、「たいそう並々ならぬご寵愛のほどだ」と、供の人々は拝見する。
正しくは書かれずに乱れ書きになっているような美しい手紙を、横から見ていて、源氏が二条の院の夫人を愛する深さを惟光(これみつ)たちは思った。
2.2.9
おのおの、故郷(ふるさと)心細(こころぼそ)げなる言伝(ことづ)てすべかめり
それぞれも、故郷に心細そうな言伝をしているようである。
そうした人たちもわが家への音信をこの使いへ託した。
2.2.10
()みなかりし(そら)のけしき、名残(なごり)なく()みわたりて、(あさり)する海人(あま)ども(ほこ)らしげなり
須磨(すま)はいと心細(こころぼそ)く、海人(あま)岩屋(いはや)もまれなりしを、(ひと)しげき(いと)ひはしたまひしかど、ここはまた、さまことにあはれなること(おほ)くて、よろづに(おぼ)(なぐさ)まる。
絶え間なく降り続いた空模様も、すっかり晴れわたって、漁をする海人たちも元気がよさそうである。
須磨はとても心細く、海人の岩屋さえ数少なかったのに、人の多い嫌悪感はなさったものの、ここはまた一方で、格別にしみじみと心を打つことが多くて、何かにつけて自然と慰められるのであった。
あの晴れ間もないようだった天気は名残(なごり)なく晴れて、明石の浦の空は澄み返っていた。ここの漁業をする人たちは得意そうだった。須磨は寂しく静かで、漁師の家もまばらにしかなかったのである。最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、いとわしく思った源氏も、ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、発見されていって慰んでいた。

第三段 明石の入道とその娘

2.3.1
明石(あかし)入道(にふだう)(おこ)なひ(つと)めたるさま、いみじう(おも)()ましたるを、ただこの娘一人(むすめひとり)をもてわづらひたるけしき、いとかたはらいたきまで、時々漏(ときどきも)らし(うれ)へきこゆ
明石の入道、その勤行の態度は、たいそう悟り澄ましているが、ただその娘一人を心配している様子は、とても側で見ているのも気の毒なくらいに、時々愚痴をこぼし申し上げる。
主人(あるじ)の入道は信仰生活をする精神的な人物で、俗気(ぞっけ)のない愛すべき男であるが、溺愛(できあい)する一人娘のことでは、源氏の迷惑に思うことを知らずに、注意を引こうとする言葉もおりおり()らすのである。
2.3.2 ご心中にも、興味をお持ちになった女なので、「このように意外にも廻り合わせなさったのも、そうなるはずの前世からの宿縁があるのか」とお思いになるものの、「やはり、このように身を沈めている間は、勤行より他のことは考えまい。
都の人も、普通の場合以上に、約束したことと違うとお思いになるのも、気恥ずかしい」と思われなさると、素振りをお見せになることはない。
源氏もかねて興味を持って(うわさ)を聞いていた女であったから、こんな意外な土地へ来ることになったのは、その人との前生の縁に引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。京の女王(にょおう)に聞かれてもやましくない生活をしているのとは違って、そうなれば誓ってきたことも皆(うそ)にとられるのが恥ずかしいと思って、入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。
2.3.3 折にふれて、「気立てや、容姿など、並み大抵ではないのかなあ」と、心惹かれないでもない。
何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると心の動いて行くことはないのではなかった。
2.3.4
ここにはかしこまりてみづからもをさをさ(まゐ)らず、もの(へだ)たりたる(しも)()にさぶらふ。
さるは()()()たてまつらまほしう()かず(おも)ひきこえて、(おも)(こころ)(かな)へむ」と、(ほとけ)(かみ)をいよいよ(ねん)じたてまつる。
こちらではご遠慮申し上げて、自身はめったに参上せず、離れた下屋に控えている。
その実、毎日お世話申し上げたく思い、物足りなくお思い申して、「何とか願いを叶えたい」と、仏、神をますますお祈り申し上げる。
源氏のいる所へは入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。ぜひ希望することを実現させたいと思って、いよいよ仏神を念じていた。
2.3.5
(とし)六十(ろくじふ)ばかりになりたれどいときよげにあらまほしう、(おこ)なひさらぼひて(ひと)のほどのあてはかなればにやあらむうちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへのことをも()りてものきたなからず、よしづきたることも(まじ)れれば、昔物語(むかしものがたり)などせさせて()きたまふにすこしつれづれの(まぎ)れなり。
年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事をもよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっているので、古い話などをさせてお聞きになると、少しは所在なさも紛れるのであった。
年は六十くらいであるがきれいな老人で、仏勤めに()せて、もとの身柄のよいせいであるか、頑固(がんこ)な、そしてまた老いぼけたようなところもありながら、古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、若い時に見聞したことを語らせて聞くことで源氏のつれづれさも紛れることがあった。
2.3.6 ここ数年来、公私にお忙しくて、こんなにお聞きになったことのない世の中の故事来歴を少しずつ説きおこすので、「このような土地や人をも、知らなかったら、残念なことであったろう」とまで、おもしろいとお思いになることもある。
昔から公人として、私人として少しの閑暇(ひま)もない生活をしていた源氏であったから、古い時代にあった実話などをぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは珍重すべきであると思った。この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことはわからないでしまったかもしれぬとまでおもしろく思われることも話の中にはあった。
2.3.7
かうは()れきこゆれど、いと気高(けだか)心恥(こころは)づかしき(おほん)ありさまに、さこそ()ひしかつつましうなりて、わが(おも)ふことは(こころ)のままにもえうち()できこえぬを(こころ)もとなう、口惜(くちを)」と、母君(ははぎみ)()()はせて(なげ)
このようにお親しみ申し上げてはいるが、たいそう気高く立派なご様子に、そうはいったものの、遠慮されて、自分の思うことは思うようにもお話し申し上げることができないので、「気がせいてならぬ、残念だ」と、母君と話して嘆く。
こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、この気高(けだか)い貴人に対しては、以前はあんなに(ひと)り決めをしていた入道ではあっても、無遠慮に娘の婿になってほしいなどとは言い出せないのを、自身で歯がゆく思っては妻と二人で(なげ)いていた。
2.3.8 ご本人は、「普通の身分の男性でさえ、まあまあの人は見当たらないこの田舎に、世の中にはこのような方もいらっしゃっるのだ」と拝見したのにつけても、わが身のほどが思い知らされて、とても及びがたくお思い申し上げるのであった。
両親がこのように事を進めているのを聞くにも、「不釣り合いなことだわ」と思うと、何でもなかった時よりもかえって物思いがまさるのであった。
娘自身も並み並みの男さえも見ることの(まれ)田舎(いなか)に育って、源氏を隙見(すきみ)した時から、こんな美貌(びぼう)を持つ人もこの世にはいるのであったかと驚歎(きょうたん)はしたが、それによっていよいよ自身とその人との懸隔(けんかく)明瞭(めいりょう)に悟ることになって、恋愛の対象などにすべきでないと思っていた。親たちが熱心にその成立を祈っているのを見聞きしては、不似合いなことを思うものであると見ているのであるが、それとともに低い身のほどの悲しみを覚え始めた。

第四段 夏四月となる

2.4.1
四月(しがち)になりぬ。
更衣(ころもがへ)御装束(おほんさうぞく)御帳(みちゃう)帷子(かたびら)などよしあるさまにし()でつつよろづに(つか)うまつりいとなむを、いとほしう、すずろなり」と(おぼ)せど、(ひと)ざまのあくまで(おも)()がりたるさまのあてなるに、(おぼ)しゆるして()たまふ。
四月になった。
衣更えのご装束、御帳台の帷子など、風流な様に作って調進しながら、万事にわたってお世話申し上げるのを、「気の毒でもあり、これほどしてくれなくてもよいものを」とお思いになるが、人柄がどこまでも気位を高くもって上品なので、そのままになさっていらっしゃる。
四月になった。衣がえの衣服、美しい夏の(とばり)などを入道は自家で調製した。よけいなことをするものであるとも源氏は思うのであるが、入道の思い上がった人品に対しては何とも言えなかった。
2.4.2
(きゃう)よりも、うちしきりたる(おほん)とぶらひども、たゆみなく(おほ)かり。
のどやかなる夕月夜(ゆふづくよ)に、(うみ)上曇(うへくも)りなく()えわたれるも、()()れたまひし故郷(ふるさと)池水(いけみづ)(おも)ひまがへられたまふに、()はむかたなく(こひ)しきこと、何方(いづかた)となく行方(ゆくへ)なき心地(ここち)したまひてただ()(まへ)()やらるるは、淡路島(あはぢしま)なりけり。
京からも、ひっきりなしにお見舞いの手紙が、つぎつぎと多かった。
のんびりとした夕月夜の晩に、海上に雲もなくはるかに見渡されるのが、お住みなれたお邸の池の水のように、思わず見間違えられなさると、何とも言いようなく恋しい気持ちは、どこへともなくさすらって行く気がなさって、ただ目の前に見やられるのは、淡路島なのであった。
京からも始終そうした品物が届けられるのである。のどかな初夏の夕月夜に海上が広く明るく見渡される所にいて、源氏はこれを二条の院の月夜の池のように思われた。恋しい紫の女王(にょおう)がいるはずでいてその人の影すらもない。ただ目の前にあるのは淡路(あわじ)の島であった。
2.4.3
あはと、(はる)かに」などのたまひて、
「ああ、と遥かに」などとおっしゃって、
(あわ)とはるかに見し月の」などと源氏は口ずさんでいた。
2.4.4 「ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで
すっかり照らしだす今宵の月であることよ」
泡と見る淡路の島のあはれさへ
残るくまなく澄める夜の月
2.4.5
(ひさ)しう手触(てふ)れたまはぬ(きん)(ふくろ)より()()でたまひて、はかなくかき()らしたまへる(おほん)さまを、()たてまつる(ひと)やすからず、あはれに(かな)しう(おも)ひあへり。
長いこと手をお触れにならなかった琴を、袋からお取り出しになって、ほんのちょっとお掻き鳴らしになっているご様子を、拝し上げる人々も心が動いて、しみじみと悲しく思い合っている。
と歌ってから、源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、はかないふうに()いていた。惟光(これみつ)たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。源氏は
2.4.6
広陵(かうりゃう)」といふ()を、ある(かぎ)()きすましたまへるにかの岡辺(をかべ)(いへ)も、(まつ)(ひび)(なみ)(おと)()ひて、(こころ)ばせある若人(わかうど)()にしみて(おも)ふべかめり
(なに)とも()きわくまじきこのもかのものしはふる(ひと)どもも、すずろはしくて、浜風(はまかぜ)をひきありく
「広陵」という曲を、秘術の限りを尽くして一心に弾いていらっしゃると、あの岡辺の家でも、松風の音や波の音に響き合って、音楽に嗜みのある若い女房たちは身にしみて感じているようである。
何の楽の音とも聞き分けることのできそうにないあちこちの山賤どもも、そわそわと浜辺に浮かれ出て、風邪をひくありさまである。
広陵(こうりょう)」という曲を細やかに弾いているのであった。山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。

第五段 源氏、入道と琴を合奏

2.5.1
入道(にふだう)もえ()へで、供養法(くやうほふ)たゆみて、(いそ)(まゐ)れり。
入道もじっとしていられず、供養法を怠って、急いで参上した。
入道も供養法を修していたが、中止することにして、急いで源氏の居間へ来た。
2.5.2
さらに、(そむ)きにし()(なか)()(かへ)(おも)()でぬべくはべり
(のち)()(ねが)ひはべる(ところ)のありさまも、(おも)うたまへやらるる()の、さまかな」
「まったく、一度捨て去った俗世も改めて思い出されそうでございます。
来世に願っております極楽の有様も、かくやと想像される今宵の、妙なる笛の音でございますね」
「私は捨てた世の中がまた恋しくなるのではないかと思われますほど、あなた様の琴の音で昔が思い出されます。また死後に参りたいと願っております世界もこんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
2.5.3
()()く、めできこゆ。
と感涙にむせんで、お褒め申し上げる。
入道は泣く泣くほめたたえていた。
2.5.4
わが御心(みこころ)にも、折々(をりをり)御遊(おほんあそ)その(ひと)かの(ひと)琴笛(ことふえ)もしは(こゑ)()でしさまに時々(ときどき)につけて、()にめでられたまひしありさま、(みかど)よりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてまつりたまひしを(ひと)(うへ)もわが御身(おほんみ)のありさまも、(おぼ)()でられて、(ゆめ)心地(ここち)したまふままに、かき()らしたまへる(こゑ)も、(こころ)すごく()こゆ。
ご自身でも、四季折々の管弦の御遊、その人あの人の琴や笛の音、または声の出し具合、その時々の催しにおいて絶賛されなさった様子、帝をはじめたてまつり、多くの方々が大切に敬い申し上げなさったことを、他人の身の上もご自身の様子も、お思い出しになられて、夢のような気がなさるままに、掻き鳴らしなさっている琴の音も、寂寞として聞こえる。
源氏自身も心に、おりおりの宮中の音楽の催し、その時のだれの琴、だれの笛、歌手を勤めた人の歌いぶり、いろいろ時々につけて自身の芸のもてはやされたこと、帝をはじめとして音楽の天才として周囲から自身に尊敬の寄せられたことなどについての追憶がこもごも起こってきて、今日は見がたい他の人も、不運な自身の今も深く思えば夢のような気ばかりがして、深刻な(うれ)いを感じながら弾いているのであったから、すごい音楽といってよいものであった。
2.5.5
古人(ふるひと)(なみだ)もとどめあへず岡辺(をかべ)に、琵琶(びわ)(しゃう)琴取(ことと)りにやりて、入道(にふだう)琵琶(びわ)法師(ほふし)になりていとをかしう(めづら)しき手一(てひと)(ふた)()きたり
老人は涙も止めることができず、岡辺の家に、琵琶、箏の琴を取りにやって、入道は、琵琶法師になって、たいそう興趣ある珍しい曲を一つ二つ弾き出した。
老人は涙を流しながら、山手の家から琵琶(びわ)と十三(げん)の琴を取り寄せて、入道は琵琶法師然とした姿で、おもしろくて珍しい手を一つ二つ弾いた。
2.5.6
(しゃう)御琴参(おほんことまゐ)りたれば(すこ)()きたまふも、さまざまいみじうのみ(おも)ひきこえたり。
いと、さしも()こえぬ(もの)()だに、(をり)からこそはまさるものなるをはるばると(もの)のとどこほりなき(うみ)づらなるに、なかなか、春秋(はるあき)花紅葉(はなもみぢ)(さか)りなるよりはただそこはかとなう(しげ)れる(かげ)ども、なまめかしきに、水鶏(くひな)のうちたたきたるは、()(かど)さして」と、あはれにおぼゆ。
箏の琴をお進め申したところ、少しお弾きになるのも、さまざまな方面にも、たいそうご堪能だとばかり感じ入り申し上げた。
実際には、さほどだと思えない楽の音でさえ、その状況によって引き立つものであるが、広々と何物もない海辺である上に、かえって、春秋の花や紅葉の盛りである時よりも、ただ何ということなく青々と繁っている木蔭が、美しい感じがするので、水鶏が鳴いているのは、「誰が門さして」と、しみじみと興趣が催される。
十三絃を源氏の前に置くと源氏はそれも少し弾いた。また入道は敬服してしまった。あまり上手(じょうず)がする音楽でなくても場所場所で感じ深く思われることの多いものであるから、これははるかに広い月夜の海を前にして春秋の花紅葉(もみじ)の盛りに劣らないいろいろの木の若葉がそこここに盛り上がっていて、そのまた陰影の地に落ちたところなどに水鶏(くいな)が戸をたたく音に似た声で鳴いているのもおもしろい庭も控えたこうした所で、
2.5.7
()もいと()なう()づる(こと)どもを、いとなつかしう()()らしたるも、御心(みこころ)とまりて、
音色もまこと二つとないくらい素晴らしく出す二つの琴を、たいそう優しく弾き鳴らしたのも、感心なさって、
優秀な楽器に対していることに源氏は興味を覚えて、
2.5.8 「この琴は、女性が優しい姿態でくつろいだ感じに弾いたのが、おもしろいですね」
「この十三絃という物は、女が柔らかみをもってあまり()まらないふうに弾いたのが、おもしろくていいのです」
2.5.9 と、何気なくおっしゃるのを、入道はわけもなく微笑んで、
などと言っていた。源氏の意はただおおまかに女ということであったが、入道は訳もなくうれしい言葉を聞きつけたように、()みながら言う、
2.5.10 「お弾きあそばす以上に優しい姿態の人は、どこにございましょうか。
わたくしは、延喜の帝のご奏法から弾き伝えること、四代になるのでございますが、このようにふがいない身の上で、この世のことは捨て忘れておりましたが、ひどく気の滅入ります時々は、掻き鳴らしておりましたが、不思議にも、それを見よう見真似で弾く者がおりまして、自然とあの先大王のご奏法に似ているのでございます。
山伏のようなひが耳では、松風をその音を妙なる音と聞き誤ったのでございましょうか。
何とかして、
「あなた様があそばす以上におもしろい()を出しうるものがどこにございましょう。私は延喜(えんぎ)の聖帝から伝わりまして三代目の芸を継いだ者でございますが、不運な私は俗界のこととともに音楽もいったんは捨ててしまったのでございましたが、憂鬱(ゆううつ)な気分になっております時などに時々弾いておりますのを、聞き覚えて弾きます子供が、どうしたのでございますか私の祖父の親王によく似た音を出します。それは法師の僻耳(ひがみみ)で、松風の音をそう感じているのかもしれませんが、一度お聞きに入れたいものでございます」
2.5.11
()こゆるままに、うちわななきて、涙落(なみだお)とすべかめり
と申し上げるにつれて、身をふるわして、涙を落としているようである。
興奮して(ふる)えている入道は涙もこぼしているようである。
2.5.12
(きみ)
君は、
君は、
2.5.13 「琴など、琴ともお聞きになるなずのない名人揃いの所で、悔しいことをしたなあ」
「松風が邪魔(じゃま)をしそうな所で、よくそんなにお稽古(けいこ)ができたものですね、うらやましいことですよ」
2.5.14
とて、()しやりたまふに、
と言って、押しやりなさって、
源氏は琴を前へ押しやりながらまた言葉を続けた。
2.5.15
あやしう、(むかし)より(しゃう)は、(をんな)なむ()()るものなりける。
嵯峨(さが)御伝(おほんつた)へにて、女五(をんなご)(みや)さる()(なか)上手(じゃうず)にものしたまひけるをその御筋(おほんすぢ)にて、()()てて(つた)ふる(ひと)なし。
すべて、ただ今世(いま)()()れる(ひと)びと、()()での(こころ)やりばかりにのみあるをここにかう()きこめたまへりけるいと(きょう)ありけることかな。
いかでかは、()くべき」
「不思議なことに、昔から箏は、女が習得するものであった。
嵯峨の帝のご伝授で、女五の宮が、その当時の名人でいらっしゃったが、その御系統で、格別に伝授する人はいません。
総じて、ただ現在に著名な人々は、通り一遍の自己満足程度に過ぎないが、ここにそのように隠れて伝えていらっしゃるとは、実に興味深いものですね。
ぜひとも、聴いてみたいものです」
「不思議に昔から十三絃の琴には女の名手が多いようです。嵯峨(さが)帝のお伝えで女五(にょご)(みや)が名人でおありになったそうですが、その芸の系統は取り立てて続いていると思われる人が見受けられない。現在の上手(じょうず)というのは、ただちょっとその場きりな巧みさだけしかないようですが、ほんとうの上手がこんな所に隠されているとはおもしろいことですね。ぜひお嬢さんのを聞かせていただきたいものです」
2.5.16
とのたまふ。
とおっしゃる。

2.5.17
()こしめさむには(なに)(はばか)りかはべらむ。
御前(おまへ)()しても。
商人(あきうど)(なか)にてだにこそ、古琴聞(ふることき)きはやす(ひと)は、はべりけれ
琵琶(びわ)なむ、まことの()()きしづむる(ひと)いにしへも(かた)うはべりしを、をさをさとどこほることなうなつかしき()など、(すぢ)ことになむ
いかでたどるにかはべらむ
(あら)(なみ)(こゑ)(まじ)るは、(かな)しくも(おも)うたまへられながら、かき()むるもの(なげ)かしさ、(まぎ)るる折々(をりをり)もはべり」
「お聴きあそばすについては、何の支障がございましょう。
御前にお召しになっても。
商人の中でさえ、古曲を賞美した人も、ございました。
琵琶は、本当の音色を弾きこなす人、昔も少のうございましたが、少しも滞ることない優しい弾き方など、格別でございます。
どのように習得したものでございましょう。
荒い波の音と一緒なのは、悲しく存じられますが、積もる愁え、慰められる折々もございます」
「お聞きくださいますのに何の御遠慮もいることではございません。おそばへお召しになりましても済むことでございます。潯陽江(じんようこう)では商人のためにも名曲をかなでる人があったのでございますから。そのまた琵琶と申す物はやっかいなものでございまして、昔にもあまり琵琶の名人という者はなかったようでございますが、これも宅の娘はかなりすらすらと弾きこなします。品のよい手筋が見えるのでございます。どうしてその域に達しましたか。娘のそうした芸をただ荒い波の音が合奏してくるばかりの所へ置きますことは私として悲しいことに違いございませんが、不快なことのあったりいたします節にはそれを聞いて心の慰めにいたすこともございます」
2.5.18
など()きゐたれば、をかしと(おぼ)して、(しゃう)琴取(ことと)()へて(たま)はせたり。
などと風流がっているので、おもしろいとお思いになって、箏の琴を取り替えてお与えになった。
音楽通の自信があるような入道の言葉を、源氏はおもしろく思って、今度は十三絃を入道に与えて弾かせた。
2.5.19
げに、いとすぐしてかい()きたり。
(いま)()()こえぬ筋弾(すぢひ)きつけて、()づかひいといたう(から)めき、ゆの音深(ねふか)()ましたり。
伊勢(いせ)(うみ)」ならねど、(きよ)(なぎさ)(かひ)(ひろ)はむ」など、(こゑ)よき(ひと)(うた)はせて、(われ)時々拍子(ときどきひゃうし)とりて、(こゑ)うち()へたまふを、琴弾(ことひ)きさしつつ、めできこゆ
(おほん)くだものなど、めづらしきさまにて(まゐ)らせ、(ひと)びとに酒強(さけし)ひそしなどして、おのづからもの(わす)れしぬべき()のさまなり
なるほど、たいそう上手に掻き鳴らした。
現在では知られていない奏法を身につけていて、手さばきもたいそう唐風で、揺の音が深く澄んで聞こえた。
「伊勢の海」ではないが、「清い渚で貝を拾おう」などと、声の美しい人に歌わせて、自分でも時々拍子をとって、お声を添えなさるのを、琴の手を度々弾きやめて、お褒め申し上げる。
お菓子など、珍しいさまに盛って差し上げ、供の人々に酒を大いに勧めたりして、いつしか物憂さも忘れてしまいそうな夜の様子である。
実際入道は玄人(くろうと)らしく弾く。現代では聞けないような手も出てきた。弾く指の運びに唐風が多く混じっているのである。左手でおさえて出す音などはことに深く出される。ここは伊勢(いせ)の海ではないが「清き(なぎさ)に貝や拾はん」という催馬楽(さいばら)を美音の者に歌わせて、源氏自身も時々拍子を取り、声を添えることがあると、入道は琴を弾きながらそれをほめていた。珍しいふうに作られた菓子も席上に出て、人々には酒も勧められるのであったから、だれの旅愁も今夜は紛れてしまいそうであった。

第六段 入道の問わず語り

2.6.1
いたく()けゆくままに浜風涼(はまかぜすず)しうて、(つき)()(がた)になるままに、()みまさり、(しづ)かなるほどに御物語残(おほんものがたりのこ)りなく()こえてこの(うら)()みはじめしほどの(こころ)づかひ、(のち)()(つと)むるさま、かきくづし()こえて、この(むすめ)のありさま、()はず(がた)りに()こゆ。
をかしきものの、さすがにあはれと()きたまふ(ふし)もあり
たいそう更けて行くにつれて、浜風が涼しくなってきて、月も入り方になるにつれて、ますます澄みきって、静かになった時分に、お話を残らず申し上げて、この浦に住み初めたころの心づもりや、来世を願う模様など、ぽつりぽつりお話し申して、自分の娘の様子を、問わず語りに申し上げる。
おかしくおもしろいと聞く一面で、やはりしみじみ不憫なとお聞きになる点もある。
夜がふけて浜の風が涼しくなった。落ちようとする月が明るくなって、また静かな時に、入道は過去から現在までの身の上話をしだした。明石へ来たころに苦労のあったこと、出家を遂げた経路などを語る。娘のことも問わず語りにする。源氏はおかしくもあるが、さすがに身にしむ(ふし)もあるのであった。
2.6.2
いと()(まう)しがたきことなれどわが(きみ)かうおぼえなき世界(せかい)に、(かり)にても、(うつ)ろひおはしましたるはもし、(とし)ごろ老法師(おいほふし)(いの)(まう)しはべる神仏(かみほとけ)のあはれびおはしまして、しばしのほど、御心(みこころ)をも(なや)ましたてまつるにやとなむ(おも)うたまふる
「とても取り立てては申し上げにくいことでございますが、あなた様が、このような思いがけない土地に、一時的にせよ、移っていらっしゃいましたことは、もしや、長年この老法師めがお祈り申していました神仏がお憐れみになって、しばらくの間、あなた様にご心労をお掛け申し上げることになったのではないかと存ぜられます。
「申し上げにくいことではございますが、あなた様が思いがけなくこの土地へ、仮にもせよ移っておいでになることになりましたのは、もしかいたしますと、長年の間老いた法師がお祈りいたしております神や仏が(あわれ)みを一家におかけくださいまして、それでしばらくこの僻地(へきち)へあなた様がおいでになったのではないかと思われます。
2.6.3 そのわけは、住吉の神をご祈願申し始めて、ここ十八年になりました。
娘がほんの幼少でございました時から、思う子細がございまして、毎年の春秋ごとに、必ずあの住吉の御社に参詣することに致しております。
昼夜の六時の勤行に、自分自身の極楽往生の願いは、それはそれとして、ただ自分の娘に高い望みを叶えてくださいと、祈っております。
その理由は住吉の神をお頼み申すことになりまして十八年になるのでございます。女の子の小さい時から私は特別なお願いを起こしまして、毎年の春秋に子供を住吉へ参詣(さんけい)させることにいたしております。また昼夜に六回の仏前のお勤めをいたしますのにも自分の極楽往生はさしおいて私はただこの子によい配偶者を与えたまえと祈っております。
2.6.4
(さき)()(ちぎ)りつたなくてこそ、かく口惜(くちを)しき山賤(やまがつ)となりはべりけめ、(おや)大臣(だいじん)(くらゐ)(たも)ちたまへりき
みづからかく田舎(ゐなか)(たみ)となりにてはべり。
次々(つぎつぎ)さのみ(おと)りまからば、(なに)()にかなりはべらむと、(かな)しく(おも)ひはべるを、これは、(むま)れし(とき)より(たの)むところなむはべる
いかにして(みやこ)(たか)(ひと)にたてまつらむと(おも)(こころ)(ふか)きにより、ほどほどにつけて、あまたの(ひと)(そね)みを()()のためからき()()折々(をりをり)(おほ)くはべれど、さらに(くる)しみと(おも)ひはべらず。
(いのち)(かぎ)りは(せば)(ころも)にもはぐくみはべりなむ。
かくながら見捨(みす)てはべりなば、(なみ)のなかにも(まじ)()せね、となむ(おき)てはべる」
前世からの宿縁に恵まれませんもので、このようなつまらない下賤な者になってしまったのでございますが、父親は、大臣の位を保っておられました。
自分からこのような田舎の民となってしまったのでございます。
子々孫々と、落ちぶれる一方では、終いにはどのようになってしまうのかと悲しく思っておりますが、わが娘は生まれた時から頼もしく思うところがございます。
何とかして都の高貴な方に差し上げたいと思う決心、固いものですから、身分が低ければ低いなりに、多数の人々の嫉妬を受け、わたしにとってもつらい目に遭う折々多くございましたが、少しも苦しみとは思っておりません。
自分が生きておりますうちは微力ながら育てましょう。
このまま先立ってしまったら、海の中にでも身を投げてしまいなさい、と申しつけております」
私自身は前生の因縁が悪くて、こんな地方人に成り下がっておりましても、親は大臣にもなった人でございます。自分はこの地位に甘んじていましても子はまたこれに準じたほどの者にしかなれませんでは、孫、曾孫(そうそん)の末は何になることであろうと悲しんでおりましたが、この娘は小さい時から親に希望を持たせてくれました。どうかして京の貴人に(めと)っていただきたいと思います心から、私どもと同じ階級の者の間に反感を買い、敵を作りましたし、つらい目にもあわされましたが、私はそんなことを何とも思っておりません。命のある限りは微力でも親が保護をしよう、結婚をさせないままで親が死ねば海へでも身を投げてしまえと私は遺言がしてございます」
2.6.5
など、すべてまねぶべくもあらぬことどもをうち()きうち()()こゆ。
などと、全部はお話できそうにもないことを、泣く泣く申し上げる。
などと書き尽くせないほどのことを泣く泣く言うのであった。
2.6.6
(きみ)も、ものをさまざま(おぼ)(つづ)くる(をり)からはうち(なみだ)ぐみつつ()こしめす
君も、いろいろと物思いに沈んでいらっしゃる時なので、涙ぐみながら聞いていらっしゃる。
源氏も涙ぐみながら聞いていた。
2.6.7
(よこ)さまの(つみ)()たりて(おも)ひかけぬ世界(せかい)にただよふも、(なに)(つみ)にかとおぼつかなく(おも)ひつる今宵(こよひ)御物語(おほんものがたり)()()はすれば、げに(あさ)からぬ(さき)()(ちぎ)りにこそはと、あはれになむ
などかは、かくさだかに(おも)()りたまひけることを(いま)までは()げたまはざりつらむ。
都離(みやこはな)れし(とき)より、()(つね)なきもあぢきなう、(おこ)なひより(ほか)のことなくて月日(つきひ)()るに(こころ)(みな)くづほれにけり。
かかる(ひと)ものしたまふとは、ほの()きながら、いたづら(びと)をばゆゆしきものにこそ(おも)()てたまふらめと(おも)()しつるを、さらば(みちび)きたまふべきにこそあなれ
心細(こころぼそ)一人寝(ひとりね)(なぐさ)めにも
「無実の罪に当たって、思いもよらない地方にさすらうのも、何の罪によるのかと分からなく思っていたが、今夜のお話をうかがって考え合わせてみると、なるほど浅くはない前世からの宿縁であったのだと、しみじみと分かった。
どうして、このようにはっきりとご存じであったことを、今までお話してくださらなかったのか。
都を離れた時から、世の無常に嫌気がさし、勤行以外のことはせずに月日を送っているうちに、すっかり意気地がなくなってしまった。
そのような人がいらっしゃるとは、ほのかに聞いてはいたが、役立たずの者では縁起でもなく思って相手にもなさらぬであろうと、自信をなくしていたが、それではご案内してくださるというのだね。
心細い独り寝の慰めにも」
冤罪(えんざい)のために、思いも寄らぬ国へ漂泊(さまよ)って来ていますことを、前生に犯したどんな罪によってであるかとわからなく思っておりましたが、今晩のお話で考え合わせますと、深い因縁によってのことだったとはじめて気がつかれます。なぜ明瞭にわかっておいでになったあなたが早く言ってくださらなかったのでしょう。京を出ました時から私はもう無常の世が悲しくて、信仰のこと以外には何も思わずに時を送っていましたが、いつかそれが習慣になって、若い男らしい望みも何もなくなっておりました。今お話のようなお嬢さんのいられるということだけは聞いていましたが、罪人にされている私を不吉にお思いになるだろうと思いまして希望もかけなかったのですが、それではお許しくださるのですね、心細い(ひと)り住みの心が慰められることでしょう」
2.6.8
などのたまふを、(かぎ)りなくうれしと(おも)へり。
などとおっしゃるのを、この上なく光栄に思った。
などと源氏の言ってくれるのを入道は非常に喜んでいた。
2.6.9 「独り寝はあなた様もお分かりになったでしょうか
所在なく物思いに夜を明かす明石の浦の心淋しさを
「ひとり寝は君も知りぬやつれづれと
思ひあかしのうら寂しさを
2.6.10 まして長い年月ずっと願い続けてまいった気のふさぎようを、お察しくださいませ」
私はまた長い間口へ出してお願いすることができませんで悶々(もんもん)としておりました」
2.6.11 と申し上げる様子、身を震わせていたが、それでも気品は失っていない。
こう言うのに身は(ふる)わせているが、さすがに上品なところはあった。
2.6.12 「それでも、
「寂しいと言ってもあなたはもう法師生活に慣れていらっしゃるのですから」それから、
2.6.13 「旅の生活の寂しさに夜を明かしかねて
安らかな夢を見ることもありません」
旅衣うら悲しさにあかしかね
草の(まくら)は夢も結ばず
2.6.14 と、ちょっと寛いでいらっしゃるご様子は、たいそう魅力的で、何ともいいようのないお美しさである。
数えきれないほどのことどもを申し上げたが、何とも煩わしいことよ。
誇張をまじえて書いたので、ますます、馬鹿げて頑固な入道の性質も、現れてしまったことであろう。
戯談(じょうだん)まじりに言う、源氏にはまた平生入道の知らない愛嬌(あいきょう)が見えた。入道はなおいろいろと娘について言っていたが、読者はうるさいであろうから省いておく。まちがって書けばいっそう非常識な入道に見えるであろうから。

第七段 明石の娘へ懸想文

2.7.1 願いが、まずまず叶った心地がして、すがすがしい気持ちでいると、翌日の昼頃に、岡辺の家にお手紙をおつかわしになる。
奥ゆかしい方らしいのも、かえって、このような辺鄙な土地に、意外な素晴らしい人が埋もれているようだと、お気づかいなさって、高麗の胡桃色の紙に、何ともいえないくらい念入りに趣向を調えて、
やっと思いがかなった気がして、涼しい心に入道はなっていた。その翌日の昼ごろに源氏は山手の家へ手紙を持たせてやることにした。ある見識をもつ娘らしい、かえってこんなところに意外なすぐれた女がいるのかもしれないからと思って、心づかいをしながら手紙を書いた。朝鮮紙の胡桃(くるみ)色のものへきれいな字で書いた。
2.7.2 「何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが
お噂を耳にしてお便りを差し上げます
遠近(をちこち)もしらぬ雲井に(なが)めわび
かすめし宿の(こずゑ)をぞとふ
2.7.3 『思ふには』」
思うには。(思ふには忍ぶることぞ負けにける色に()でじと思ひしものを)
2.7.4 というぐらいあったのであろうか。
こんなものであったようである。
2.7.5
入道(にふだう)も、人知(ひとし)れず()ちきこゆとて、かの(いへ)()ゐたりけるもしるければ御使(おほんつかひ)いとまばゆきまで()はす。
入道も、こっそりとお待ち申し上げようとして、あちらの家に来ていたのも期待どおりなので、御使者をたいそうおもはゆく思うほど酔わせる。
人知れずこの音信を待つために山手の家へ来ていた入道は、予期どおりに送られた手紙の使いを大騒ぎしてもてなした。
2.7.6
御返(おほんかへ)り、いと(ひさ)し。
(うち)()りてそそのかせど(むすめ)さらに()かず
()づかしげなる御文(おほんふみ)のさまに、さし()でむ()つきも、()づかしうつつまし
(ひと)(おほん)ほど、わが()のほど(おも)ふに、こよなくて心地悪(ここちあ)しとて()()しぬ。
お返事には、たいそう時間がかかる。
奥に入って催促するが、娘は一向に聞き入れない。
気後れするようなお手紙の様子に、お返事をしたためる筆跡も、恥ずかしく気後れする。
相手のご身分と、わが身の程を思い比べると、比較にもならない思いがして、気分が悪いといって、物に寄り伏してしまった。
娘は返事を容易に書かなかった。娘の居間へはいって行って勧めても娘は父の言葉を聞き入れない。返事を書くのを恥ずかしくきまり悪く思われるのといっしょに、源氏の身分、自己の身分の比較される悲しみを心に持って、気分が悪いと言って横になってしまった。
2.7.7
()ひわびて、入道(にふだう)()く。
説得に困って、入道が書く。
これ以上勧められなくなって入道は自身で返事を書いた。
2.7.8 「とても恐れ多い仰せ言は、田舎者には、身に余るほどのことだからでございましょうか。
まったく拝見させて戴くことなど、思いも及ばぬもったいなさでございます。
それでも、
もったいないお手紙を得ましたことで、過分な幸福をどう処置してよいかわからぬふうでございます。それをこんなふうに私は見るのでございます。
2.7.9 物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは
きっと同じ気持ちだからなのでしょう
眺むらん同じ雲井を眺むるは
思ひも同じ思ひなるらん
2.7.10
となむ()たまふる。
いと()()きしや
と拝見してます。
大変に色めいて恐縮でございます」
だろうと私には思われます。柄にもない風流気を私の出しましたことをお許しください。
2.7.11 と申し上げた。
陸奥紙に、ひどく古風な書き方だが、筆跡はしゃれていた。
「なるほど、色っぽく書いたものだ」と、目を見張って御覧になる。
御使者に、並々ならぬ女装束などを与えた。
とあった。檀紙に古風ではあるが書き方に一つの風格のある字で書かれてあった。なるほど風流気を出したものであると源氏は入道を思い、返事を書かぬ娘には軽い反感が起こった。使いはたいした贈り物を得て来たのである。
2.7.12
またの()
翌日、
翌日また源氏は書いた。
2.7.13 「代筆のお手紙を頂戴したのは、初めてです」とあって、
代筆のお返事などは必要がありません。と書いて、
2.7.14 「悶々として心の中で悩んでおります
いかがですかと尋ねてくださる人もいないので
いぶせくも心に物を思ふかな
やよやいかにと問ふ人もなみ
2.7.15 『言ひがたみ』」
言うことを許されないのですから。
2.7.16
と、このたびは、いといたうなよびたる薄様(うすやう)に、いとうつくしげに()きたまへり
(わか)(ひと)のめでざらむも、いとあまり(むも)れいたからむ
めでたしとは()れどなずらひならぬ()のほどの、いみじうかひなければ、なかなか、()にあるものと、(たづ)()りたまふにつけて、(なみだ)ぐまれて、さらに(れい)(どう)なきを、せめて()はれて、(あさ)からず()めたる(むらさき)(かみ)に、(すみ)つき()(うす)(まぎ)らはして
と、今度は、たいそうしなやかな薄様に、とても美しそうにお書きになっていた。
若い女性が素晴らしいと思わなかったら、あまりに引っ込み思案というものであろう。
ご立派なとは思うものの、比較にならないわが身の程が、ひどくふがいないので、かえって、自分のような女がいるということを、お知りになり訪ねてくださるにつけて、自然と涙ぐまれて、まったく例によって動こうとしないのを、責められ促されて、深く染めた紫の紙に、墨つきも濃く薄く書き紛らわして、
今度のは柔らかい薄様(うすよう)へはなやかに書いてやった。若い女がこれを不感覚に見てしまったと思われるのは残念であるが、その人は尊敬してもつりあわぬ女であることを痛切に覚える自分を、さも相手らしく認めて手紙の送られることに涙ぐまれて返事を書く気に娘はならないのを、入道に責められて、香のにおいの()んだ紫の紙に、字を濃く(うす)くして紛らすようにして娘は書いた。
2.7.17 「思って下さるとおっしゃいますが、
その真意はいかがなものでしょうかまだ見たこともない方が噂だけで
思ふらん心のほどややよいかに
まだ見ぬ人の聞きか悩まん
2.7.18 筆跡や、出来ぐあいなど、高貴な婦人方に比べてもたいして見劣りがせず、貴婦人といった感じである。
手も書き方も京の貴女(きじょ)にあまり劣らないほど上手(じょうず)であった。
2.7.19
(きゃう)のことおぼえて、をかしと()たまへど、うちしきりて(つか)はさむも、人目(ひとめ)つつましければ、(ふつか)三日隔(みかへだ)てつつつれづれなる夕暮(ゆふぐ)れ、もしは、ものあはれなる(あけぼの)などやうに(まぎ)らはして折々(をりをり)(おな)(こころ)見知(みし)りぬべきほど()(はか)りて、()()はしたまふに、()げなからず
京の事が思い出されて、興趣深いと御覧になるが、続けざまに手紙を出すのも、人目が憚られるので、二、三日置きに、所在ない夕暮や、もしくは、しみじみとした明け方などに紛らわして、それらの時々に、同じ思いをしているにちがいない時を推量して、書き交わしなさると、不似合いではない。
こんな女の手紙を見ていると京の生活が思い出されて源氏の心は楽しかったが、続いて毎日手紙をやることも人目がうるさかったから、二、三日置きくらいに、寂しい夕方とか、物哀れな気のする夜明けとかに書いてはそっと送っていた。あちらからも返事は来た。
2.7.20 思慮深く気位高くかまえている様子も、是非とも会わないと気がすまないと、お思いになる一方で、良清がわがもの顔に言っていた様子もしゃくにさわるし、長年心にかけていただろうことを、目の前で失望させるのも気の毒にご思案されて、「相手が進んで参ったような恰好ならば、そのようなことにして、うやむやのうちに事をはこぼう」とお思いになるが、女は女で、かえって高貴な身分の方以上に、たいそう気位高くかまえていて、いまいましく思うようにお仕向け申しているので、意地の張り合いで日が過ぎて行ったのであった。
相手をするに不足のない思い上がった娘であることがわかってきて、源氏の心は自然()かれていくのであるが、良清(よしきよ)が自身の縄張(なわば)りの中であるように言っていた女であったから、今眼前横取りする形になることは彼にかわいそうであるとなお躊躇(ちゅうちょ)はされた。あちらから積極的な態度をとってくれば良清への責任も少なくなるわけであるからと、そんなことも源氏は期待していたが女のほうは貴女と言われる階級の女以上に思い上がった性質であったから、自分を卑しくして源氏に接近しようなどとは夢にも思わないのである。結局どちらが負けるかわからない。
2.7.21
(きゃう)のことを、かく関隔(せきへだ)たりては、いよいよおぼつかなく(おも)ひきこえたまひて、いかにせまし
たはぶれにくくもあるかな
(しの)びてや、(むか)へたてまつりてまし」と、(おぼ)(よわ)折々(をりをり)あれど、さりとも、かくてやは、(とし)(かさ)ねむと(いま)さらに人悪(ひとわ)ろきことをば」と、(おぼ)(しづ)めたり。
京の事を、このように関よりも遠くに行った今では、ますます気がかりにお思い申し上げなさって、「どうしたものだろう。
冗談でないことだ。
こっそりと、お迎え申してしまおうか」と、お気弱になられる時々もあるが、「そうかといって、こうして何年も過せようかと、今さら体裁の悪いことを」と、お思い静めになった。
何ほども遠くなってはいないのであるが、ともかくも須磨の関が中にあることになってからは、京の女王がいっそう恋しくて、どうすればいいことであろう、短期間の別れであるとも思って捨てて来たことが残念で、そっとここへ迎えることを実現させてみようかと時々は思うのではあるが、しかしもうこの境遇に置かれていることも先の長いことと思われない今になって、世間体のよろしくないことはやはり忍ぶほうがよいのであるとして、源氏はしいて恋しさをおさえていた。

第八段 都の天変地異

2.8.1 その年、朝廷では、神仏のお告げが続いてあって、物騒がしいことが多くあった。
三月十三日、雷が鳴りひらめき、雨風が激しかった夜に、帝の御夢に、院の帝が、御前の階段の下にお立ちあそばして、御機嫌がひどく悪くて、お睨み申し上げあそばすので、畏まっておいであそばす。
お申し上げあそばすこと多かった。
源氏のお身の上の事であったのだろう。
この年は日本に天変地異ともいうべきことがいくつも現われてきた。三月十三日の雷雨の(はげ)しかった夜、(みかど)の御夢に先帝が清涼殿の階段(きざはし)の所へお立ちになって、非常に御機嫌(ごきげん)の悪い顔つきでおにらみになったので、帝がかしこまっておいでになると、先帝からはいろいろの仰せがあった。それは多く源氏のことが申されたらしい。
2.8.2 たいそう恐ろしく、またおいたわしく思し召して、大后にお申し上げあそばしたのだが、
おさめになったあとで帝は恐ろしく思召(おぼしめ)した。また御子として、他界におわしましてなお御心労を負わせられることが堪えられないことであると悲しく思召した。太后へお話しになると、
2.8.3
(あめ)など()り、空乱(そらみだ)れたる(よる)(おも)ひなしなることはさぞはべる。
軽々(かろがろ)しきやうに、(おぼ)(おどろ)くまじきこと」
「雨などが降り、天候が荒れている夜には、思い込んでいることが夢に現れるのでございます。
軽々しい態度に、お驚きあそばすものではありませぬ」
「雨などが降って、天気の荒れている夜などというものは、平生神経を悩ましていることが悪夢にもなって見えるものですから、それに動かされたと外へ見えるようなことはなさらないほうがよい。軽々しく思われます」
2.8.4
()こえたまふ。
とお諌めになる。
と母君は申されるのであった。
2.8.5
にらみたまひしに、目見合(めみあ)はせたまふ()しけにや、御目患(おほんめわづら)ひたまひて()へがたう(なや)みたまふ。
(おほん)つつしみ、内裏(うち)にも(みや)にも(かぎ)りなくせさせたまふ。
お睨みになったとき、眼をお見合わせになったと思し召してか、眼病をお患になって、堪えきれないほどお苦しみになる。
御物忌み、宮中でも大后宮でも、数知れずお執り行わせあそばす。
おにらみになる父帝の目と視線をお合わせになったためでか、帝は眼病におかかりになって重くお(わずら)いになることになった。御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、太后の宮でもしておいでになった。
2.8.6 太政大臣がお亡くなりになった。
無理もないお年であるが、次々に自然と騒がしいことが起こって来る上に、大后宮もどことなくお具合が悪くなって、日がたつにつれ弱って行くようなので、主上におかれてもお嘆きになること、あれやこれやと尽きない。
また太政大臣が突然()くなった。もう高齢であったから不思議でもないのであるが、そのことから不穏な空気が世上に(かも)されていくことにもなったし、太后も何ということなしに寝ついておしまいになって、長く御平癒(へいゆ)のことがない。御衰弱が進んでいくことで帝は御心痛をあそばされた。
2.8.7
なほ、この源氏(げんじ)(きみ)まことに(をか)しなきにてかく(しづ)むならば、かならずこの(むく)いありなむとなむおぼえはべる。
(いま)は、なほもとの(くらゐ)をも(たま)ひてむ
「やはり、この源氏の君が、真実に無実の罪でこのように沈んでいるならば、必ずその報いがあるだろうと思われます。
今は、やはり元の位階を授けよう」
「私はやはり源氏の君が犯した罪もないのに、官位を剥奪(はくだつ)されているようなことは、われわれの上に報いてくることだろうと思います。どうしても本官に復させてやらねばなりません」
2.8.8
とたびたび(おぼ)しのたまふを、
と度々お考えになり仰せになるが、
このことをたびたび帝は太后へ仰せになるのであった。
2.8.9
()のもどき、軽々(かろがろ)しきやうなるべし
(つみ)()ぢて(みやこ)()りし(ひと)を、三年(さんねん)をだに()ぐさず(ゆる)されむことは、()(ひと)もいかが()(つた)へはべらむ」
「世間の非難、軽々しいようでしょう。
罪を恐れて都を去った人を、わずか三年も過ぎないうちに赦されるようなことは、世間の人もどのように言い伝えることでしょう」
「それは世間の非難を招くことですよ。罪を恐れて都を出て行った人を、三年もたたないでお許しになっては天下の識者が何と言うでしょう」
2.8.10
など、(きさき)かたく(いさ)めたまふに、(おぼ)(はばか)るほどに月日(つきひ)かさなりて、御悩(おほんなや)みどもさまざまに(おも)りまさらせたまふ
などと、大后は固くお諌めになるので、ためらっていらっしゃるうちに月日がたって、お二方の御病気も、それぞれ次第に重くなって行かれる。
などとお言いになって、太后はあくまでも源氏の復職に賛成をあそばさないままで月日がたち、帝と太后の御病気は依然としておよろしくないのであった。

第三章 明石の君の物語 結婚の喜びと嘆きの物語


第一段 明石の侘び住まい

3.1.1 明石では、例によって、秋、浜風が格別で、独り寝も本当に何となく淋しくて、入道にも時々話をおもちかけになる。
明石ではまた秋の浦風の(はげ)しく吹く季節になって、源氏もしみじみ独棲(ひとりず)みの寂しさを感じるようであった。入道へ娘のことをおりおり言い出す源氏であった。
3.1.2 「何とか人目に立たないようにして、こちらに差し向けなさい」
「目だたぬようにしてこちらの(やしき)へよこさせてはどうですか」
3.1.3 とおっしゃって、いらっしゃることは決してないようにお思いになっているが、娘は娘でまた、まったく出向く気などない。
こんなふうに言っていて、自分から娘の住居(すまい)へ通って行くことなどはあるまじいことのように思っていた。女にはまたそうしたことのできない自尊心があった。
3.1.4
いと口惜(くちを)しき(きは)田舎人(ゐなかびと)こそ(かり)(くだ)りたる(ひと)のうちとけ(ごと)につきて、さやうに(かろ)らかに(かた)らふわざをもすなれ、人数(ひとかず)にも(おぼ)されざらむものゆゑ(われ)はいみじきもの(おも)ひをや()へむ
「とても取るに足りない身分の田舎者は、一時的に下向した人の甘い言葉に乗って、そのように軽く良い仲になることもあろうが、一人前の夫人として思ってくださらないだろうから、わたしはたいへんつらい物思いの種を増すことだろう。
田舎(いなか)の並み並みの家の娘は、仮に来て住んでいる京の人が誘惑すれば、そのまま軽率に情人にもなってしまうのであるが、自身の人格が尊重されてかかったことではないのであるから、そのあとで一生物思いをする女になるようなことはいやである。
3.1.5
かく(およ)びなき(こころ)(おも)へる(おや)たちも、世籠(よご)もりて()ぐす年月(としつき)こそあいな(だの)みに、()末心(すゑこころ)にくく(おも)ふらめなかなかなる(こころ)をや()くさむ」と(おも)ひて、ただこの(うら)におはせむほどかかる御文(おほんふみ)ばかりを()こえかはさむこそ、おろかならね
(とし)ごろ(おと)にのみ()きて、いつかはさる(ひと)(おほん)ありさまをほのかにも()たてまつらむなど、(おも)ひかけざりし御住(おほんす)まひにて、まほならねどほのかにも()たてまつり、()になきものと()(つた)へし御琴(おほんこと)()をも(かぜ)につけて()き、()()れの(おほん)ありさまおぼつかなからで、かくまで()にあるものと(おぼ)(たづ)ぬるなどこそかかる海人(あま)のなかに()ちぬる()にあまることなれ」
あのように及びもつかぬ高望みをしている両親も、未婚の間で過ごしているうちは、当てにならないことを当てにして、将来に希望をかけていようが、かえって心配が増ることであろう」と思って、「ただこの浦にいらっしゃる間は、このようなお手紙だけをやりとりさせていただけるのは、並々ならぬこと。
長年噂にだけ聞いて、いつの日にかそのような方のご様子をちらっとでも拝見しようなどと、思いもしなかったお住まいで、よそながらもちらと拝見し、世にも素晴らしいと聞き伝えていたお琴の音をも風に乗せて聴き、毎日のお暮らしぶりもはっきりと見聞きし、このようにまでわたしに対してご関心いただくのは、このような海人の中に混じって朽ち果てた身にとっては、過分の幸せだわ」
不つりあいの結婚をありがたいことのように思って、成り立たせようと心配している親たちも、自分が娘でいる間はいろいろな空想も作れていいわけなのであるが、そうなった時から親たちは別なつらい苦しみをするに違いない。源氏が明石に滞留している間だけ、自分は手紙を書きかわす女として許されるということがほんとうの幸福である。長い間(うわさ)だけを聞いていて、いつの日にそうした方を隙見(すきみ)することができるだろうと、はるかなことに思っていた方が思いがけなくこの土地へおいでになって、隙見ではあったがお顔を見ることができたし、有名な琴の音を聞くこともかない、日常の御様子も詳しく聞くことができている、その上自分へお心をお語りになるような手紙も来る。もうこれ以上を自分は望みたくない。こんな田舎に生まれた娘にこれだけの幸いのあったのは確かに果報のあった自分と思わなければならない
3.1.6
など(おも)ふに、いよいよ()づかしうて、つゆも気近(けぢか)きことは(おも)()らず。
などと思うと、ますます気後れがして、少しもお側近くに上がることなどは考えもしない。
と思っているのであって、源氏の情人になる夢などは見ていないのである。
3.1.7
(おや)たちは、ここらの(とし)ごろの(いの)りの(かな)ふべきを(おも)ひながら
両親は、長年の念願が今にも叶いそうに思いながら、
親たちは長い間祈ったことの事実になろうとする時になったことを知りながら、
3.1.8
ゆくりかに()せたてまつりて(おぼ)(かず)まへざらむ(とき)いかなる(なげ)きをかせむ」
「不用意にお見せ申して、もし相手にもしてくださらなかった時は、どんなに悲しい思いをするだろうか」
結婚をさせて源氏の愛の得られなかった時はどうだろうと、」
3.1.9
(おも)ひやるに、ゆゆしくて、
と想像すると、心配でたまらず、
悲惨な結果も想像されて、
3.1.10 「立派な方とは申しても、辛く堪らないことであるよ。
目に見えない仏、神を信じ申して、君のお心や、娘の運命をも分からないままに」
どんなりっぱな方であっても、その時は恨めしいことであろうし、悲しいことでもあろう、目に見ることもない仏とか神とかいうものにばかり信頼していたが、それは源氏の心持ちも娘の運命も考えに入れずにしていたことであった
3.1.11
など、うち(かへ)(おも)(みだ)れたり。
(きみ)は、
などと、改めて思い悩んでいた。
君は、
などと、今になって二の足が踏まれ、それについてする煩悶(はんもん)もはなはだしかった。源氏は、
3.1.12 「この頃の波の音に合わせて、あの琴の音色を聴きたいものだ。
それでなかったら、何にもならない」
「この秋の季節のうちにお嬢さんの音楽を聞かせてほしいものです。前から期待していたのですから」
3.1.13
など、(つね)はのたまふ。
などと、いつもおっしゃる。
などとよく入道に言っていた。

第二段 明石の君を初めて訪ねる

3.2.1
(しの)びて(よろ)しき日見(ひみ)母君(ははぎみ)のとかく(おも)ひわづらふを()()れず、弟子(でし)どもなどにだに()らせず、心一(こころひと)つに()ちゐ、かかやくばかりしつらひて、十三日(じふさんにち)(つき)のはなやかにさし()でたるに、ただ「あたら()」と()こえたり。
こっそりと吉日を調べて、母君があれこれと心配するのには耳もかさず、弟子たちにさえ知らせず、自分の一存で世話をやき、輝くばかりに整えて、十三日の月の明るくさし出た時分に、ただ「あたら夜の」と申し上げた。
入道はそっと婚姻の吉日を暦で調べさせて、まだ心の決まらないように言っている妻を無視して、弟子(でし)にも言わずに自身でいろいろと仕度(したく)をしていた。そうして娘のいる家の設備を美しく整えた。十三日の月がはなやかに上ったころに、ただ「あたら夜の」(月と花とを同じくば心知られん人に見せばや)とだけ書いた迎えの手紙を浜の(やかた)の源氏の所へ持たせてやった。
3.2.2
(きみ)は、()きのさまや」と(おぼ)せど、御直衣(おほんなほし)たてまつりひきつくろひて、夜更(よふ)かして()でたまふ
御車(みくるま)()なく(つく)りたれど、所狭(ところせ)しとて、御馬(おほんむま)にて()でたまふ。
惟光(これみつ)などばかりをさぶらはせたまふ
やや(とほ)()(ところ)なりけり。
(みち)のほども、四方(よも)浦々見(うらうらみ)わたしたまひて、(おも)ふどち()まほしき入江(いりえ)月影(つきかげ)にもまづ(こひ)しき(ひと)(おほん)ことを(おも)()できこえたまふにやがて馬引(むまひ)()ぎて、(おもむ)きぬべく(おぼ)
君は、「風流ぶっているな」とお思いになるが、お直衣をお召しになり身なりを整えて、夜が更けるのを待ってお出かけになる。
お車はまたとなく立派に整えたが、仰々しいと考えて、お馬でお出かけになる。
惟光などばかりをお従わせになる。
少し遠く奥まった所であった。
道すがら、四方の浦々をお見渡しになって、恋人どうしで眺めたい入江の月影を見るにつけても、まずは恋しい人の御ことをお思い出し申さずにはいらっしゃれないので、そのまま馬で通り過ぎて、上京してしまいたく思われなさる。
風流がりな男であると思いながら源氏は直衣(のうし)をきれいに着かえて、夜がふけてから出かけた。よい車も用意されてあったが、目だたせぬために馬で行くのである。惟光(これみつ)などばかりの一人二人の供をつれただけである。山手の家はやや遠く離れていた。途中の入り江の月夜の景色(けしき)が美しい。紫の女王(にょおう)が源氏の心に恋しかった。この馬に乗ったままで京へ行ってしまいたい気がした。
3.2.3 「秋の夜の月毛の駒よ、
わが恋する都へ天翔っておくれ束
秋の夜の月毛の(こま)よ我が恋ふる
雲井に()けれ時の間も見ん
3.2.4 とつい独り口をついて出る。
独言(ひとりごと)が出た。
3.2.5
(つく)れるさま、木深(こぶか)く、いたき(ところ)まさりて()どころある()まひなり。
(うみ)のつらはいかめしうおもしろく、これは心細(こころぼそ)()みたるさま「ここにゐて、(おも)(のこ)すことはあらじ」と(おぼ)しやらるるにものあはれなり。
三昧堂近(さんまいだうちか)くて、(かね)(こゑ)松風(まつかぜ)(ひび)きあひて、もの(かな)しう、(いは)()ひたる(まつ)()ざしも、(こころ)ばへあるさまなり
前栽(せんさい)どもに(むし)(こゑ)()くしたり
ここかしこのありさまなど御覧(ごらん)ず。
造りざまは、木が深く繁って、ひどく感心する所があって、結構な住まいである。
海辺の住まいは堂々として興趣に富み、こちらの家はひっそりとした住まいの様子で、「ここで暮らしたら、どんな物思いもし残すことはなかろう」と自然と想像されて、しみじみとした思いにかられる。
三昧堂が近くにあって、鐘の音、松風に響き合って、もの悲しく、巌に生えている松の根ざしも、情趣ある様子である。
いくつもの前栽に虫が声いっぱいに鳴いている。
あちらこちらの様子を御覧になる。
山手の家は林泉の美が浜の(やしき)にまさっていた。浜の(やかた)派手(はで)に作り、これは幽邃(ゆうすい)であることを主にしてあった。若い女のいる所としてはきわめて寂しい。こんな所にいては人生のことが皆身にしむことに思えるであろうと源氏は恋人に同情した。三昧堂(さんまいどう)が近くて、そこで鳴らす鐘の音が松風に響き合って悲しい。岩にはえた松の形が皆よかった。植え込みの中にはあらゆる秋の虫が集まって鳴いているのである。源氏は邸内をしばらくあちらこちらと歩いてみた。
3.2.6
娘住(むすめす)ませたる(かた)は、(こころ)ことに(みが)きて、月入(つきい)れたる真木(まき)戸口(とぐち)けしきばかり()()けたり
娘を住ませている建物は、格別に美しくしてあって、月の光を入れた真木の戸口は、ほんの気持ちばかり開けてある。
娘の住居(すまい)になっている建物はことによく作られてあった。月のさし込んだ妻戸が少しばかり開かれてある。
3.2.7
うちやすらひ、(なに)かとのたまふにもかうまでは()えたてまつらじ」と(ふか)(おも)ふに、もの(なげ)かしうて、うちとけぬ(こころ)ざまをこよなうも(ひと)めきたるかな
さしもあるまじき(きは)(ひと)だにかばかり()()りぬれば、心強(こころづよ)うしもあらずならひたりしを、いとかくやつれたるにあなづらはしきにや」とねたう、さまざまに(おぼ)(なや)めり。
(なさ)けなうおし()たむも、ことのさまに(たが)へり。
心比(こころくら)べに()けむこそ、人悪(ひとわ)ろけれ」など、(みだ)(うら)みたまふさま、げにもの(おも)()らむ(ひと)にこそ()せまほしけれ
少しためらいがちに、何かと言葉をおかけになるが、「こんなにまでお側近くには上がるまい」と深く決心していたので、何となく悲しくて、気を許さない態度を、「ずいぶんと貴婦人ぶっているな。
容易に近づきがたい高貴な身分の女でさえ、これほど近づき言葉をかけてしまえば、気強く拒むことはないのであったが、このように落ちぶれているので、見くびっているのだろうか」としゃくで、いろいろと悩んでいるようである。
「容赦なく無理じいするのも、意向に背くことになる。
根比べに負けたりしたら、体裁の悪いことだ」などと、千々に心乱れてお恨みになるご様子、本当に物の情趣を理解する人に見せたいものである。
そこの縁へ上がって、源氏は娘へものを言いかけた。これほどには接近して逢おうとは思わなかった娘であるから、よそよそしくしか答えない。貴族らしく気どる女である。もっとすぐれた身分の女でも今日までこの女に言い送ってあるほどの熱情を見せれば、皆好意を表するものであると過去の経験から教えられている。この女は現在の自分を(あなど)って見ているのではないかなどと、焦慮の中には、こんなことも源氏は思われた。力で勝つことは初めからの本意でもない、女の心を動かすことができずに帰るのは見苦しいとも思う源氏が追い追いに熱してくる言葉などは、明石の浦でされることが少し場所違いでもったいなく思われるものであった。
3.2.8 近くの几帳の紐に触れて、箏の琴が音をたてたのも、感じが取り繕ってなく、くつろいだ普段のまま琴を弄んでいた様子が想像されて、興趣あるので、
几帳(きちょう)(ひも)が動いて触れた時に、十三(げん)の琴の()が鳴った。それによってさっきまで琴などを()いていた若い女の美しい室内の生活ぶりが想像されて、源氏はますます熱していく。
3.2.9 「この、噂に聞いていた琴までも聴かせてくれないのですか」
「今音が少ししたようですね。琴だけでも私に聞かせてくださいませんか」
3.2.10
など、よろづにのたまふ。
などと、いろいろとおっしゃる。
とも源氏は言った。
3.2.11 「睦言を語り合える相手が欲しいものです
この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと」
むつ言を語りあはせん人もがな
うき世の夢もなかば()むやと
3.2.12 「闇の夜にそのまま迷っておりますわたしには
どちらが夢か現実か区別してお話し相手になれましょう」
明けぬ夜にやがてまどへる心には
(いづ)れを夢と()きて語らん
3.2.13
ほのかなるけはひ伊勢(いせ)御息所(みやすんどころ)にいとようおぼえたり。
何心(なにごころ)もなくうちとけてゐたりけるを、かうものおぼえぬにいとわりなくて(ちか)かりける曹司(ざうし)(うち)()りて、いかで(かた)めけるにかいと(つよ)きを、しひてもおし()ちたまはぬさまなり。
されど、さのみもいかでかあらむ
かすかな感じは、伊勢の御息所にとてもよく似ていた。
何も知らずにくつろいでいたところを、こう意外なお出ましとなったので、たいそう困って、近くにある曹司の中に入って、どのように戸締りしたものか、固いのだが、無理して開けようとはなさらない様子である。
けれども、
前のは源氏の歌で、あとのは女の答えたものである。ほのかに言う様子は伊勢(いせ)御息所(みやすどころ)にそっくり似た人であった。源氏がそこへはいって来ようなどとは娘の予期しなかったことであったから、それが突然なことでもあって、娘は立って近い一つの部屋へはいってしまった。そしてどうしたのか、戸はまたあけられないようにしてしまった。源氏はしいてはいろうとする気にもなっていなかった。しかし源氏が躊躇(ちゅうちょ)したのはほんの一瞬間のことで、結局は行く所まで行ってしまったわけである。
3.2.14
(ひと)ざま、いとあてに、そびえて、心恥(こころは)づかしきけはひぞしたる
かうあながちなりける(ちぎ)りを(おぼ)すにも、(あさ)からずあはれなり
御心(みこころ)ざしの、(ちか)まさりするなるべし、(つね)(いと)はしき(よる)(なが)さも、とく()けぬる心地(ここち)すれば(ひと)()られじ」と(おぼ)すも、(こころ)あわたたしうて、こまかに(かた)らひ()きて、()でたまひぬ。
人柄は、とても上品で、すらりとして、気後れするような感じがする。
このような無理に結んだ契りをお思いになるにつけても、ひとしおいとしい思いが増すのである。
情愛が、逢ってますます思いが募るのであろう、いつもは嫌でたまらない秋の夜の長さも、すぐに明けてしまった気持ちがするので、「人に知られまい」とお思いになると、気がせかれて、心をこめたお言葉を残して、お立ちになった。
女はやや背が高くて、気高(けだか)い様子の受け取れる人であった。源氏自身の内にたいした衝動も受けていないでこうなったことも、前生の因縁であろうと思うと、そのことで愛が()いてくるように思われた。源氏から見て近まさりのした恋と言ってよいのである。平生は苦しくばかり思われる秋の長夜もすぐ明けていく気がした。人に知らせたくないと思う心から、誠意のある約束をした源氏は朝にならぬうちに帰った。
3.2.15 後朝のお手紙、こっそりと今日はある。
つまらない良心の呵責であるよ。
こちらでも、このようなことを何とか世間に知られまいと隠して、御使者を仰々しくもてなさないのを、残念に思った。
その翌日は手紙を送るのに以前よりも人目がはばかられる気もした。源氏の心の鬼からである。入道のほうでも公然のことにはしたくなくて、結婚の第二日の使いも、そのこととして派手(はで)に扱うようなことはしなかった。こんなことにも娘の自尊心は傷つけられたようである。
3.2.16
かくて(のち)は、(しの)びつつ時々(ときどき)おはす。
ほどもすこし(はな)れたるにおのづからもの()ひさがなき海人(あま)()もや()ちまじらむ」と(おぼ)(はばか)るほどをさればよ」と(おも)(なげ)きたるをげに、いかならむ」と、入道(にふだう)極楽(ごくらく)(ねが)ひをば(わす)れて、ただこの()けしきを()つことにはす
(いま)さらに(こころ)(みだ)るも、いといとほしげなり
こうして後は、こっそりと時々お通いになる。
「距離も少し離れているので、自然と口さがない海人の子どもがいるかも知れない」とおためらいになる途絶えを、「やはり、思っていたとおりだわ」と嘆いているので、「なるほど、どうなることやら」と、入道も極楽往生の願いも忘れて、ただ君のお通いを待つことばかりである。
今さら心を乱すのも、とても気の毒なことである。
それ以後時々源氏は通って行った。少し道程(みちのり)のある所でもあったから、土地の者の目につくことも思って間を置くのであるが、女のほうではあらかじめ(うれ)えていたことが事実になったように取って、煩悶(はんもん)しているのを見ては親の入道も不安になって、極楽の願いも忘れたように、仏勤めは(なま)けて、源氏の君の通って来ることを大事だと考えている。入道からいえば事が成就しているのであるが、その境地で新しく物思いをしているのが(あわ)れであった。

第三段 紫の君に手紙

3.3.1 二条院の君が、風の便りにも漏れお聞きなさるようなことは、「冗談にもせよ、隠しだてをしたのだと、お疎み申されるのは、申し訳なくも恥ずかしいことだ」とお思いになるのも、あまりなご愛情の深さというものであろう。
「こういう方面のことは、穏和な方とはいえ、気になさってお恨みになった折々、どうして、つまらない忍び歩きにつけても、そのようなつらい思いをおさせ申したのだろうか」などと、昔を今に取り戻したく、女の有様を御覧になるにつけても、恋しく思う気持ちが慰めようがないので、いつもよりお手紙を心こめてお書きになって、
二条の院の女王(にょおう)にこの(うわさ)が伝わっては、恋愛問題では嫉妬(しっと)する価値のあることでないとわかっていても、秘密にしておく自分の態度を恨めしがられては苦しくもあり、気恥ずかしくもあると思っていた源氏が紫夫人をどれほど愛しているかはこれだけでも想像することができるのである。女王も源氏を愛することの深いだけ、他の愛人との関係に不快な色を見せたそのおりおりのことを今思い出して、なぜつまらぬことで恨めしい心にさせたかと、取り返したいくらいにそれを後悔している源氏なのである。新しい恋人は得ても女王へ(こが)れている心は慰められるものでもなかったから、平生よりもまた情けのこもった手紙を源氏は京へ書いたのであるが、奥に今度のことを書いた。
3.3.2
まことや(われ)ながら(こころ)より(ほか)なるなほざりごとにて、(うと)まれたてまつりし節々(ふしぶし)を、(おも)()づるさへ(むね)いたきに、また、あやしうものはかなき(ゆめ)をこそ()はべりしか。
かう()こゆる()はず(がた)りに、(へだ)てなき(こころ)のほどは(おぼ)()はせよ。
(ちか)ひしことも』」など()きて、
「ところで、そうそう、自分ながら心にもない出来心を起こして、お恨まれ申した時々のことを、思い出すのさえ胸が痛くなりますのに、またしても、変なつまらない夢を見たのです。
このように申し上げます問わず語りに、隠しだてしない胸の中だけはご理解ください。
『誓ひしことも』」などと書いて、
私は過去の自分のしたことではあるが、あなたを不快にさせたつまらぬいろいろな事件を思い出しては胸が苦しくなるのですが、それだのにまたここでよけいな夢を一つ見ました。この告白でどれだけあなたに隔てのない心を持っているかを思ってみてください。「誓ひしことも」(忘れじと誓ひしことをあやまたば三笠(みかさ)の山の神もことわれ)という歌のように私は信じています。と書いて、また、
3.3.3 「何事につけても、
何事も、
3.3.4 あなたのことが思い出されて、
さめざめと泣けてしまいますかりそめの恋は海人の
しほしほと()づぞ泣かるるかりそめの
みるめは海人(あま)のすさびなれども
3.3.5 とあるお返事、何のこだわりもなくかわいらしげに書いて、
と書き添えた手紙であった。京の返事は無邪気な可憐(かれん)なものであったが、それも奥に源氏の告白による感想が書かれてあった。
3.3.6 「隠しきれずに打ち明けてくださった夢のお話につけても、思い当たることが多くございますが、
お言いにならないではいらっしゃれないほど現在のお心を占めていますことをお()らせくださいまして承知いたしましたが、私には新しい恋人に傾倒していらっしゃる御様子が昔のいろいろな場合と思い合わせて想像することもできます。
3.3.7 固い約束をしましたので、
何の疑いもなく信じ
うらなくも思ひけるかな契りしを
松より波は越えじものぞと
3.3.8
おいらかなるものから、ただならずかすめたまへるを、いとあはれに、うち()きがたく()たまひて、名残久(なごりひさ)しう、(しの)びの旅寝(たびね)もしたまはず
鷹揚な書きぶりながら、お恨みをこめてほのめかしていらっしゃるのを、とてもしみじみと思われ、下に置くこともできず御覧になって、その後は、久しい間忍びのお通いもなさらない。
おおようではあるがくやしいと思う心も確かにかすめて書かれたものであるのを、源氏は哀れに思った。この手紙を手から離しがたくじっとながめていた。この当座幾日は山手の家へ行く気もしなかった。

第四段 明石の君の嘆き

3.4.1 女は、予想通りの結果になったので、今こそほんとうに身を海に投げ入れてしまいたい心地がする。
女は長い途絶えを見て、この予感はすでに初めからあったことであると(なげ)いて、この親子の間では最後には海へ身を投げればよいという言葉が以前によく言われたものであるが、いよいよそうしたいほどつらく思った。
3.4.2 「老い先短い両親だけを頼りにして、いつになったら人並みの境遇になれる身の上とは思っていなかったが、ただとりとめもなく過ごしてきた年月の間は、何事に心を悩ましたろうか、このようにひどく物思いのする結婚生活であったのだ」
年取った親たちだけをたよりにして、いつ人並みの娘のような幸福が得られるものとも知れなかった過去は、今に比べて懊悩(おうのう)の片はしも知らない自分だった。世の中のことはこんなに苦しいものなのであろうか、恋愛も結婚も処女の時に考えていたより悲しいものであると、
3.4.3
と、かねて()(はか)(おも)ひしよりも、よろづに(かな)しけれど、なだらかにもてなして、(にく)からぬさまに()えたてまつる
と、以前から想像していた以上に、何事につけ悲しいけれど、穏やかに振る舞って、憎らしげのない態度でお会い申し上げる。
女は心に思いながらも源氏には平静なふうを見せて、不快を買うような言動もしない。
3.4.4 いとしいと月日がたつにつれてますますお思いになっていくが、れっきとした方が、いつかいつかと帰りを待って年月を送っていられるのが、一方ならずご心配なさっていらっしゃるだろうことが、とても気の毒なので、独り寝がちにお過ごしになる。
源氏の愛は月日とともに深くなっていくのであるが、最愛の夫人が一人京に残っていて、今の女の関係をいろいろに想像すれば恨めしい心が動くことであろうと思われる苦しさから、浜の(やかた)のほうで一人寝をする夜のほうが多かった。
3.4.5 絵をいろいろとお描きになって、思うことを書きつけて、返歌を聞かれるようにという趣向にお作りなった。
見る人の心にしみ入るような絵の様子である。
どうして、お心が通じあっているのであろうか、二条院の君も、悲しい気持ちが紛れることなくお思いになる時々は、同じように絵をたくさんお描きになって、そのままご自分の有様を、日記のようにお書きになっていた。
どうなって行かれるお二方の身の上であろうか。
源氏はいろいろに絵を()いて、その時々の心を文章にしてつけていった。京の人に訴える気持ちで描いているのである。女王の返辞がこの絵巻から得られる期待で作られているのであった。感傷的な文学および絵画としてすぐれた作品である。どうして心が通じたのか二条の院の女王もものの身にしむ悲しい時々に、同じようにいろいろの絵を()いていた。そしてそれに自身の生活を日記のようにして書いていた。この二つの絵巻の内容は興味の多いものに違いない。

第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語


第一段 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る

4.1.1 年が変わった。
主上におかせられては御不例のことがあって、世の中ではいろいろと取り沙汰する。
今上の御子は、右大臣の娘で、承香殿の女御がお生みになった男御子がいらっしゃるが、二歳におなりなので、たいそう幼い。
東宮に御譲位申されることであろう。
朝廷の御後見をし、政権を担当すべき人をお考え廻らすと、この源氏の君がこのように沈んでいらっしゃること、まことに惜しく不都合なことなので、ついに皇太后の御諌言にも背いて、御赦免になられる評定が下された。
春になったが(みかど)御悩(ごのう)があって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣の(むすめ)承香殿(じょうきょうでん)女御(にょご)の腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位(みくらい)はお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪(ちんりん)させておいて、起用しないことは国家の損失であると思召(おぼしめ)して、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰(ごさた)が、源氏へ下ることになった。
4.1.2
去年(こぞ)より、(きさき)(おほん)もののけ(なや)みたまひさまざまのもののさとししきり、(さわ)がしきを、いみじき(おほん)つつしみどもをしたまふしるしにやよろしうおはしましける御目(おほんめ)(なや)みさへ、このころ(おも)くならせたまひて、もの心細(こころぼそ)(おぼ)されければ、七月二十余日(しちがちにじふよにち)のほどに、また(かさ)ねて、(きゃう)(かへ)りたまふべき宣旨下(せんじくだ)
去年から、皇太后も御物の怪をお悩みになり、さまざまな前兆ががしきりにあり、世間も騒がしいので、厳重な御物忌みなどをなさった効果があってか、悪くなくおいであそばした御眼病までもが、この頃重くおなりあそばして、何となく心細く思わずにはいらっしゃれなかったので、七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る。
去年から太后も物怪(もののけ)のために病んでおいでになり、そのほか天の(さと)しめいたことがしきりに起こることでもあったし、祈祷(きとう)と御精進(しょうじん)で一時およろしかった御眼疾もまたこのごろお悪くばかりなっていくことに心細く思召して、七月二十幾日に再度御沙汰(ごさた)があって、京へ帰ることを源氏は命ぜられた。
4.1.3
つひのことと(おも)ひしかど()(つね)なきにつけても、「いかになり()つべきにか」と(なげ)きたまふを、かうにはかなればうれしきに()へても、また、この(うら)(いま)はと(おも)(はな)れむことを(おぼ)(なげ)くに、入道(にふだう)さるべきこと(おも)ひながら、うち()くより(むね)ふたがりておぼゆれど、(おも)ひのごと(さか)えたまはばこそは、()(おも)ひの(かな)ふにはあらめ」など、(おも)(なほ)す。
いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きになるが、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。
いずれはそうなることと源氏も期していたのではあるが、無常の人生であるから、それがまたどんな変わったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨(せんじ)帰洛(きらく)のことの決まったのはうれしいことではあったが、明石(あかし)の浦を捨てて出ねばならぬことは相当に源氏を苦しませた。入道も当然であると思いながらも、胸に(ふた)がされたほど悲しい気持ちもするのであったが、源氏が都合よく栄えねば自分のかねての理想は実現されないのであるからと思い直した。

第二段 明石の君の懐妊

4.2.1
そのころは、夜離(よが)れなく(かた)らひたまふ。
六月(ろくがち)ばかりより心苦(こころぐる)しきけしきありて(なや)みけり
かく(わか)れたまふべきほどなれば、あやにくなるにやありけむありしよりもあはれに(おぼ)して、あやしうもの(おも)ふべき()にもありけるかな」と(おぼ)(みだ)る。
そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。
六月頃から懐妊の兆候が現れて苦しんでいるのであった。
このようにお別れなさらねばならない時なので、あいにくご愛情もいや増すというのであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。
その時分は毎夜山手の家へ通う源氏であった。今年の六月ごろから女は妊娠していた。別離の近づくことによってあやにくなと言ってもよいように源氏は女を深く好きになった。どこまでも恋の苦から離れられない自分なのであろうと源氏は煩悶(はんもん)していた。
4.2.2
(をんな)は、さらにも()はず(おも)(しづ)みたり。
いとことわりなりや
(おも)ひの(ほか)(かな)しき(みち)()()ちたまひしかど、つひには()きめぐり()なむ」と、かつは(おぼ)(なぐさ)めき。
女は、さらにいうまでもなく思い沈んでいる。
まことに無理もないことであるよ。
思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったが、「けっきょくは帰京するであろう」と、一方ではお慰めになっていた。
女はもとより思い乱れていた。もっともなことである。思いがけぬ旅に京は捨ててもまた帰る日のないことなどは源氏の思わなかったことであった。慰める所がそれにはあった。
4.2.3
このたびはうれしき(かた)御出(おほんい)()ちのまたやは(かへ)()るべき」と(おぼ)すに、あはれなり。
今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、しみじみと感慨無量である。
今度は幸福な都へ帰るのであって、この土地との縁はこれで終わると見ねばならないと思うと、源氏は物哀れでならなかった。
4.2.4
さぶらふ(ひと)びと、ほどほどにつけてはよろこび(おも)ふ。
(きゃう)よりも御迎(おほんむか)へに(ひと)びと(まゐ)り、心地(ここち)よげなるを、主人(あるじ)入道(にふだう)(なみだ)にくれて、(つき)()ちぬ
お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。
京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道、涙にくれているうちに、月が替わった。
侍臣たちにも幸運は分かたれていて、だれもおどる心を持っていた。京の迎えの人たちもその日からすぐに下って来た者が多数にあって、それらも皆人生が楽しくばかり思われるふうであるのに、主人の入道だけは泣いてばかりいた。そして七月が八月になった。
4.2.5
ほどさへあはれなる(そら)のけしきに、なぞや、(こころ)づから(いま)(むかし)も、すずろなることにて()をはふらかすらむ」と、さまざまに(おぼ)(みだ)れたるを、心知(こころし)れる(ひと)びとは
季節までもしみじみとした空の様子なので、「どうして、自分から求めて今も昔も、埒もない恋のために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまにお思い悩んでいられるのを、事情を知っている人々は、
色の身にしむ秋の空をながめて、自分は今も昔も恋愛のために絶えない苦を負わされる、思い死にもしなければならないようにと源氏は思い(もだ)えていた。女との関係を知っている者は、
4.2.6 「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」
「反感が起こるよ。例のお癖だね」
4.2.7 と拝、
と言って、困ったことだと思っていた。
4.2.8
(つき)ごろはつゆ(ひと)にけしき()せず、時々(ときどき)はひ(まぎ)れなどしたまへるつれなさを」
「ここ数月来、全然、誰にもそぶりもお見せにならず、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」
源氏が長い間この関係を秘密にしていて、人目を紛らして通っていたことが近ごろになって人々にわかったのであったから、
4.2.9
「このころ、あやにくに、なかなかの、(ひと)(こころ)づくしにか
「最近は、あいにくと、かえって、女が嘆きを増すことであろうに」
「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」
4.2.10
と、つきしろふ。
少納言(せうなごん)しるべして()こえ()でし(はじ)めのことなど、ささめきあへるを、ただならず(おも)へり
と、互いに陰口をたたき合う。
源少納言は、ご紹介申した当初の頃のことなどを、ささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。
とも言ったりした。少納言がよく話していた女であるともその連中が言っていた時、良清(よしきよ)は少しくやしかった。

第三段 離別間近の日

4.3.1
明後日(あさて)ばかりになりて(れい)のやうにいたくも()かさで(わた)りたまへり。
さやかにもまだ()たまはぬ容貌(かたち)など、いとよしよししう気高(けだか)きさまして、めざましうもありけるかな」と、見捨(みす)てがたく口惜(くちを)しう(おぼ)さる。
さるべきさまにして(むか)へむ」と(おぼ)しなりぬ。
さやうにぞ(かた)らひ(なぐさ)めたまふ
明後日ほどになって、いつものようにあまり夜が更けないうちにお越しになった。
まだはっきりと御覧になっていない容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだ」と、見捨てにくく残念にお思いになる。
「しかるべき手筈を整えて迎えよう」とお考えになった。
そのように約束してお慰めになる。
出発が明後日に近づいた夜、いつもよりは早く山手の家へ源氏は出かけた。まだはっきりとは今日までよく見なかった女は、貴女(きじょ)らしい気高(けだか)い様子が見えて、この身分にふさわしくない端麗さが備わっていた。捨てて行きがたい気がして、源氏はなんらかの形式で京へ迎えようという気になったのであった。そんなふうに言って女を慰めていた。
4.3.2
(をとこ)御容貌(おほんかたち)ありさまはた、さらにも()はず。
(とし)ごろの御行(おほんおこ)なひにいたく面痩(おもや)せたまへるしも、()(かた)なくめでたき(おほん)ありさまにて、心苦(こころぐる)しげなるけしきにうち(なみだ)ぐみつつ、あはれ(ふか)(ちぎ)りたまへるは、ただかばかりを、(さいは)ひにても、などか()まざらむ」とまでぞ()ゆめれどめでたきにしも、()()のほどを(おも)ふも、()きせず。
(なみ)(こゑ)(あき)(かぜ)には、なほ(ひび)きことなり。
塩焼(しほや)(けぶり)かすかにたなびきて、とりあつめたる(ところ)のさまなり
男のお顔だち、お姿は、改めていうまでもない。
長い間のご勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのが、いいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながら、しみじみと固いお約束なさるのは、「ただ一時の逢瀬でも、幸せと思って、諦めてもいいではないか」とまで思われもするが、ご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。
波の音、秋の風の中では、やはり響きは格別である。
塩焼く煙が、かすかにたなびいて、何もかもが悲しい所の様子である。
女からもつくづくと源氏の見られるのも今夜がはじめてであった。長い苦労のあとは源氏の顔に()せが見えるのであるが、それがまた言いようもなく(えん)であった。あふれるような愛を持って、涙ぐみながら将来の約束を女にする源氏を見ては、これだけの幸福をうければもうこの上を願わないであきらめることもできるはずであると思われるのであるが、女は源氏が美しければ美しいだけ自身の価値の低さが思われて悲しいのであった。秋風の中で聞く時にことに寂しい波の音がする。塩を焼く煙がうっすり空の前に浮かんでいて、感傷的にならざるをえない風景がそこにはあった。
4.3.3 「今はいったんお別れしますが、
藻塩焼く煙のように上京したら一
このたびは立ち別るとも藻塩(もしほ)焼く
煙は同じ(かた)になびかん
4.3.4
とのたまへば、
とお詠みになると、
と源氏が言うと、
4.3.5 「何とも悲しい気持ちでいっぱいですが
今は申しても甲斐のないことですから、
かきつめて海人(あま)の焼く()の思ひにも
今はかひなき恨みだにせじ
4.3.6
あはれにうち()きて、言少(ことずく)ななるものから、さるべき(ふし)御応(おほんいら)へなど(あさ)からず()こゆ。
この、(つね)にゆかしがりたまふ(もの)()などさらに()かせたてまつらざりつるをいみじう(うら)みたまふ。
せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。
あの、いつもお聴きになりたがっていらした琴の音色など、まったくお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
とだけ言って、可憐(かれん)なふうに泣いていて多くは言わないのであるが、源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。源氏が始終聞きたく思っていた琴を今日まで女の()こうとしなかったことを言って源氏は恨んだ。
4.3.7 「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」
「ではあとであなたに思い出してもらうために私も弾くことにしよう」
4.3.8
とのたまひて、(きゃう)より()ておはしたりし(きん)御琴取(おほんことと)りに(つか)はして(こころ)ことなる調(しら)べをほのかにかき()らしたまへる、(ふか)(よる)()めるは、たとへむ(かた)なし。
とおっしゃって、京から持っていらした琴のお琴を取りにやって、格別に風情のある一曲をかすかに掻き鳴らしていらっしゃる、夜更けの澄んだ音色は、たとえようもなく素晴しい。
と源氏は、京から持って来た琴を浜の家へ取りにやって、すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。
4.3.9
入道(にふだう)()へで(さう)琴取(ことと)りてさし()れたり。
みづからも、いとど(なみだ)さへそそのかされてとどむべき(かた)なきに、(さそ)はるるなるべし(しの)びやかに調(しら)べたるほど、いと上衆(じゃうず)めきたり。
入道(にふだう)(みや)御琴(おほんこと)()ただ(いま)のまたなきものに(おも)ひきこえたるは、(いま)めかしう、あなめでた」と、()(ひと)(こころ)ゆきて、容貌(かたち)さへ(おも)ひやらるることは、げに、いと(かぎ)りなき御琴(おほんこと)()なり。
入道も、たまりかねて箏の琴を取って差し入れた。
娘自身も、ますます涙まで催されて、止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、ひっそりと音色を調べた具合、まことに気品のある奏法である。
入道の宮のお琴の音色を、今の世に類のないものとお思い申し上げていたのは、「当世風で、ああ、素晴らしい」と、聴く人の心がほれぼれとして、御器量までが自然と想像されることは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色である。
入道は感動して、娘へも促すように自身で十三絃の琴を几帳(きちょう)の中へ差し入れた。女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。きわめて上手(じょうず)である。入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、弾き手の美しさも目に髣髴(ほうふつ)と描かれる点などが非常な名手と思われる点である。
4.3.10
これはあくまで()()まし、(こころ)にくくねたき()ぞまされる。
この御心(みこころ)にだに(はじ)めてあはれになつかしう、まだ(みみ)なれたまはぬ()など、(こころ)やましきほどに()きさしつつ()かず(おぼ)さるるにも、(つき)ごろ、など()ひても、()きならさざりつらむ」と、(くや)しう(おぼ)さる。
(こころ)(かぎ)()(さき)(ちぎ)りをのみしたまふ
これはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れていた。
この君でさえ、初めてしみじみと心惹きつけられる感じで、まだお聴きつけにならない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程度に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。
心をこめて将来のお約束をなさるばかりである。
これはあくまでも澄み切った芸で、真の音楽として批判すれば一段上の技倆(ぎりょう)があるとも言えると、こんなふうに源氏は思った。源氏のような音楽の天才である人が、はじめて味わう妙味であると思うような手もあった。飽満するまでには聞かせずにやめてしまったのであるが、源氏はなぜ今日までにしいても弾かせなかったかと残念でならない。熱情をこめた言葉で源氏はいろいろに将来を誓った。
4.3.11 「琴は、再び掻き合わせをするまでの形見に」
「この琴はまた二人で合わせて弾く日まで形見にあげておきましょう」
4.3.12
とのたまふ。
(をんな)
とおっしゃる。
女、
と源氏が琴のことを言うと、女は、
4.3.13 「軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが
その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、
なほざりに頼めおくめる一ことを
つきせぬ()にやかけてしのばん
4.3.14
()ふともなき(くち)すさびを、(うら)みたまひて、
と言うともなく口ずさみなさるのを、お恨みになって、
言うともなくこう言うのを、源氏は恨んで、
4.3.15 「今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように
二人の仲の愛情も、
()ふまでのかたみに契る中の()
しらべはことに変はらざらなん
4.3.16 この琴の絃の調子が狂わないうちに必ず逢いましょう」
と言ったが、なおこの琴の調子が狂わない間に必ず逢おうとも言いなだめていた。
4.3.17
(たの)めたまふめり
されど、ただ(わか)れむほどのわりなさを(おも)()せたるも、いとことわりなり。
とお約束なさるようである。
それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。
信頼はしていても目の前の別れがただただ女には悲しいのである。もっともなことと言わねばならない。

第四段 離別の朝

4.4.1
()ちたまふ(あかつき)夜深(よぶか)()でたまひて、御迎(おほんむか)への(ひと)びとも(さわ)がしければ、(こころ)(そら)なれど、(ひと)まをはからひて、
ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、お迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない隙間を見はからって、
もう出立の朝になって、しかも迎えの人たちもおおぜい来ている騒ぎの中に、時間と人目を盗んで源氏は女へ書き送った。
4.4.2 「あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが
後に残ったあなたはさぞやどのような気持ちでいられるかお察しします」
うち捨てて立つも悲しき浦波の
名残(なごり)いかにと思ひやるかな
4.4.3
御返(おほんかへ)り、
お返事は、
返事、
4.4.4 「長年住みなれたこの苫屋も、
あなた様が立ち去った後は荒れ
年経つる苫屋(とまや)も荒れてうき波の
帰る方にや身をたぐへまし
4.4.5
と、うち(おも)ひけるままなるを()たまふに、(しの)びたまへど、ほろほろとこぼれぬ
心知(こころし)らぬ(ひと)びとは、
と、気持ちのままなのを御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。
事情を知らない人々は、
これは実感そのまま書いただけの歌であるが、手紙をながめている源氏はほろほろと涙をこぼしていた。
4.4.6
なほかかる御住(おほんす)まひなれど(とし)ごろといふばかり()れたまへるを、(いま)はと(おぼ)すは、さもあることぞかし」
「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほどもお住み馴れになったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」
女の関係を知らない人々はこんな住居(すまい)も、一年以上いられて別れて行く時は名残があれほど惜しまれるものなのであろうと単純に同情していた。
4.4.7
など()たてまつる。
などと、拝見する。

4.4.8
良清(よしきよ)などは、おろかならず(おぼ)すなめりかし」と、(にく)くぞ(おも)ふ。
良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」と、いまいましく思っている。
良清などはよほどお気に入った女なのであろうと憎く思った。
4.4.9 嬉しいにつけても、「なるほど、今日限りで、この浦を去ることよ」などと、名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。
けれど、いちいちお話する必要もあるまい。
侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、今日限りに立って行く明石の浦との別れに湿っぽい歌を作りもしていたが、それは省いておく。
4.4.10
入道(にふだう)今日(けふ)(おほん)まうけ、いといかめしう(つか)うまつれり。
(ひと)びと、(しも)(しな)まで、(たび)装束(さうぞく)めづらしきさまなり。
いつの()にかしあへけむと()えたり。
(おほん)よそひは()ふべくもあらず。
御衣櫃(みぞびつ)あまたかけさぶらはす
まことの(みやこ)(つと)にしつべき御贈(おほんおく)(もの)ども、ゆゑづきて、(おも)()らぬ(くま)なし。
今日(けふ)たてまつるべき(かり)御装束(おほんさうぞく)に、
入道、今日のお支度を、たいそう盛大に用意した。
お供の人々、下々のまで、旅の装束を立派に整えてある。
いつの間にこんなに準備したのだろうかと思われた。
ご装束はいうまでもない。
御衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。
実に都への土産にできるお贈り物類、立派な物で、気のつかないところがない。
今日お召しになるはずの狩衣のご装束に、
出立の日の饗応(きょうおう)を入道は派手(はで)に設けた。全体の人へ餞別(せんべつ)にりっぱな旅装一(そろ)いずつを出すこともした。いつの間にこの用意がされたのであるかと驚くばかりであった。源氏の衣服はもとより質を精選して調製してあった。幾個かの衣櫃(ころもびつ)が列に加わって行くことになっているのである。今日着て行く狩衣(かりぎぬ)の一所に女の歌が、
4.4.11 「ご用意致しました旅のご装束は寄る波の
涙に濡れていまので、
寄る波にたち重ねたる旅衣
しほどけしとや人のいとはん
4.4.12
とあるを御覧(ごらん)じつけて、(さわ)がしけれど、
とあるのを御発見なさって、騒がしい最中であるが、
と書かれてあるのを見つけて、立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。
4.4.13 「お互いに形見として着物を交換しましょう
また逢える日までの間の二人の仲の、
かたみにぞかふべかりける逢ふことの
日数へだてん中の衣を
4.4.14
とて、「(こころ)ざしあるを」とて、たてまつり()ふ。
御身(おほんみ)になれたるどもを(つか)はす。
げに、今一重偲(いまひとへしの)ばれたまふべきことを()ふる形見(かたみ)なめり
えならぬ御衣(おほんぞ)(にほ)ひの(うつ)りたるを、いかが(ひと)(こころ)にも()めざらむ
とおっしゃって、「せっかくの好意だから」と言って、お召し替えになる。
お身につけていらしたのをお遣わしになる。
なるほど、もう一つお偲びになるよすがを添えた形見のようである。
素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。
というのである。「せっかくよこしたのだから」と言いながらそれに着かえた。今まで着ていた衣服は女の所へやった。思い出させる恋の技巧というものである。自身のにおいの()んだ着物がどれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
4.4.15
入道(にふだう)
入道は、

4.4.16
(いま)はと()(はな)はべりにし()なれども、今日(けふ)御送(おほんおく)りに(つか)うまつらぬこと」
「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが」
「もう捨てました世の中ですが、今日のお送りのできませんことだけは残念です」
4.4.17
など(まう)して、かひをつくるもいとほしながら、(わか)(ひと)(わら)ひぬべし。
などと申し上げて、べそをかいているのも気の毒だが、若い人ならきっと笑ってしまうであろう。
などと言っている入道が、両手で涙を隠しているのがかわいそうであると源氏は思ったが、他の若い人たちの目にはおかしかったに違いない。
4.4.18 「世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来たが
なお依然として子の故に此岸を離れることができずにおります
「世をうみにここらしほじむ身となりて
なほこの岸をえこそ離れね
4.4.19
(こころ)(やみ)は、いとど(まど)ひぬべくはべれば、(さかひ)までだに」と()こえて、
娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」と入道は言ってから、
4.4.20
()()きしきさまなれど(おぼ)()でさせたまふ(をり)はべらば」
「あだめいた事を申すようでございますが、もしお思い出しあそばすことがございましたら」
「出すぎた申し分でございますが、思い出しておやりくださいます時がございましたら御音信をいただかせてくださいませ」
4.4.21
など、()けしき(たま)はる。
いみじうものをあはれと(おぼ)して、所々(ところどころ)うち(あか)みたまへる(おほん)まみのわたりなど、()はむかたなく()えたまふ。
などと、ご内意を頂戴する。
たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりがなどが、何ともいいようなくお見えになる。
などと頼んだ。悲しそうで目のあたりの赤くなっている源氏の顔が美しかった。
4.4.22
(おも)()てがたき(すぢ)もあめれば、(いま)いととく見直(みなほ)したまひてむ
ただこの()みかこそ見捨(みす)てがたけれ。
いかがすべき」とて、
「放っておきがたい事情もあるので、きっと今すぐにお思い直しくださるでしょう。
ただ、この住まいが見捨てがたいのです。
どうしたものでしょう」とおっしゃって、
「私には当然の義務であることもあるのですから、決して不人情な者でないとすぐにまたよく思っていただくような日もあるでしょう。私はただこの家と離れることが名残(なごり)惜しくてならない、どうすればいいことなんだか」と言って、
4.4.23 「都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか
年月を過ごしてきたこの浦を離れる悲しい秋は」
()でし春の(なげ)きに劣らめや
年ふる浦を別れぬる秋
4.4.24
とて、おし(のご)ひたまへるに、いとどものおぼえずしほたれまさる。
()ちゐもあさましうよろぼふ。
とお詠みになって、涙を拭っていらっしゃると、ますます分別を失って、涙をさらに流す。
立居もままならず転びそうになる。
と涙を(そで)で源氏は(ぬぐ)っていた。これを見ると入道は気も遠くなったように(しお)れてしまった。それきり起居(たちい)もよろよろとするふうである。

第五段 残された明石の君の嘆き

4.5.1
正身(さうじみ)心地(ここち)たとふべき(かた)なくて、かうしも(ひと)()えじ(おも)(しづ)むれど、()()きをもとにて、わりなきことなれどうち()てたまへる(うら)みのやる(かた)なきにたけきこととは、ただ(なみだ)(しづ)めり。
母君(ははぎみ)(なぐさ)めわびては
娘ご本人の気持ちは、たとえようもないくらいで、こんなに深く悲嘆していると誰にも見せまいと気持ちを沈めていたが、わが身のつたなさがもとで、無理のないことであるが、お残しになって行かれた恨みの晴らしようがないが、せいぜいできることは、ただ涙に沈むばかりである。
母君も慰めるのに困って、
明石の君の心は悲しみに満たされていた。外へは現わすまいとするのであるが、自身の薄倖(はっこう)であることが悲しみの根本になっていて、捨てて行く恨めしい源氏がまた恋しい面影になって見えるせつなさは、泣いて僅かに()らすほかはどうしようもない。母の夫人もなだめかねていた。
4.5.2
(なに)に、かく心尽(こころづ)くしなることを(おも)ひそめけむ。
すべて、ひがひがしき(ひと)(したが)ひける(こころ)のおこたりぞ」
「どうして、こんなに気を揉むようなことを思いついたのでしょう。
あれもこれも、
「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたろう。固意地(かたいじ)な方の言いなりに私までもがついて行ったのがまちがいだった」
4.5.3
()ふ。
と言う。
と夫人は歎息(たんそく)していた。
4.5.4
あなかまや
(おぼ)()つまじきこともものしたまふめれば、さりとも、(おぼ)すところあらむ
(おも)(なぐさ)めて、御湯(おほんゆ)などをだに(まゐ)れ。
あな、ゆゆしや」
「まあ、静かに。
お捨て置きになれない事情もおありになるようですから、今は別れたといっても、お考えになっていることがございましょう。
気持ちを落ち着かせて、せめてお薬湯などでも召し上がれ。
ああ、縁起でもない」
「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。ああ苦しいことが起こってきた」
4.5.5
とて、片隅(かたすみ)()りゐたり
乳母(めのと)母君(ははぎみ)など、ひがめる(こころ)()()はせつつ、
と言って、片隅に座っていた。
乳母、母君などは、偏屈な心をそしり合いながら、
入道はこう妻と娘に言ったままで、室の片隅(かたすみ)に寄っていた。妻と乳母(めのと)とが口々に入道を批難した。
4.5.6
いつしか、いかで(おも)ふさまにて()たてまつらむと、年月(としつき)(たの)()ぐし、(いま)や、(おも)(かな)ふとこそ(たの)みきこえつれ心苦(こころぐる)しきことをも、もののはじめに()るかな」
「早く早く、何とか願い通りにしてお世話申そうと、長い年月を期待して過ごしてき、今や、その願いが叶ったと頼もしくお思い申したのに、気の毒にも、事の初めから味わおうとは」
「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。最初の御結婚で」
4.5.7
(なげ)くを()るにも、いとほしければ、いとどほけられて(ひる)日一日(ひひとひ)()をのみ寝暮(ねく)らし、(よる)はすくよかに()きゐて、数珠(ずず)行方(ゆくへ)()らずなりにけり」とて、()をおしすりて(あふ)ぎゐたり。
と嘆くのを見るにつけても、かわいそうなので、ますます頭がぼんやりしてきて、昼は一日中、寝てばかり暮らし、夜はすっくと起き出して、「数珠の在りかも分からなくなってしまった」と言って、手をすり合わさせて茫然としていた。
こう言って(なげ)く人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、夜は起き出して行く。「数珠(じゅず)の置き所も知れなくしてしまった」と両手を()り合わせて絶望的な歎息(たんそく)をしているのであった。
4.5.8
弟子(でし)どもにあはめられて、月夜(つきよ)()でて行道(ぎゃうだう)するものは遣水(やりみづ)(たふ)()りにけり。
よしある(いは)片側(かたそば)(こし)もつきそこなひて、()()したるほどになむ、すこしもの(まぎ)れける。
弟子たちに軽蔑されて、月夜に庭先に出て行道をしたにはしたのだが、遣水の中に落ち込んだりするのであった。
風流な岩の突き出た角に腰をぶっつけて怪我をして、寝込むことになってようやく、物思いも少し紛れるのであった。
弟子(でし)たちに批難されては月夜に出て御堂(みどう)行道(ぎょうどう)をするが池に落ちてしまう。風流に作った庭の岩角(いわかど)に腰をおろしそこねて怪我(けが)をした時には、その痛みのある間だけ煩悶(はんもん)をせずにいた。

第五章 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語


第一段 難波の御祓い

5.1.1
(きみ)は、難波(なには)(かた)(わた)りて御祓(おほんはら)へしたまひて、住吉(すみよし)にも、(たひ)らかにていろいろの願果(がんは)たし(まう)すべきよし、御使(おほんつかひ)して(まう)させたまふ
にはかに所狭(ところせ)うて、みづからはこのたびえ(まう)でたまはず、ことなる御逍遥(おほんせうえう)などなくて、(いそ)()りたまひぬ。
君は、難波の方面に渡ってお祓いをなさって、住吉の神にも、お蔭で無事であったので、改めていろいろと願ほどき申し上げる旨を、お使いの者に申させなさる。
急に大勢の供回りとなったので、ご自身は今回はお参りすることがおできになれず、格別のご遊覧などもなくて、急いで京にお入りになった。
源氏は浪速(なにわ)に船を着けて、そこで(はら)いをした。住吉(すみよし)の神へも無事に帰洛(きらく)の日の来た報告をして、幾つかの(がん)を実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣(さんけい)しなかった。途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
5.1.2
二条院(にでうのゐん)におはしまし()きて、(みやこ)(ひと)も、御供(おほんとも)(ひと)(ゆめ)心地(ここち)して()()ひ、(よろこ)()きどもゆゆしきまで()(さわ)ぎたり。
二条院にお着きあそばして、都の人も、お供の人も、夢のような心地がして再会し、喜んで泣くのも縁起が悪いくらいまで大騷した。
二条の院へ着いた一行の人々と京にいた人々は夢心地(ゆめごこち)で逢い、夢心地で話が取りかわされた。喜び泣きの声も騒がしい二条の院であった。
5.1.3
女君(をんなぎみ)も、かひなきものに(おぼ)()てつる(いのち)うれしう(おぼ)さるらむかし
いとうつくしげにねびととのほりて、(おほん)もの(おも)ひのほどに、所狭(ところせ)かりし御髪(みぐし)のすこしへがれたるしも、いみじうめでたきを、(いま)はかくて()るべきぞかし」と、御心落(みこころお)ちゐるにつけては、また、かの()かず(わか)れし(ひと)(おも)へりしさま、心苦(こころぐる)しう(おぼ)しやらる
なほ()とともに、かかる(かた)にて御心(みこころ)(いとま)ぞなきや
女君も、生きていても甲斐ないとまでお思い棄てていた命、嬉しくお思いのことであろう。
とても美しくご成人なさって、ご苦労の間に、うるさいほどあったお髪が少し減ったのも、かえってたいそう素晴らしいのを、「今はもうこうして毎日お会いできるのだ」と、お心が落ち着くにつけて、また一方では、心残りの別れをしてきた人が悲しんでいた様子、痛々しくお思いやらずにはいられない。
やはり、いつになっても、このような方面では、お心の休まる時のないことよ。
紫夫人も生きがいなく思っていた命が、今日まであって、源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。美しかった人のさらに完成された姿を二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、源氏の心の落ち着いたのとともに、またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。
5.1.4
その(ひと)のことどもなど()こえ()でたまへり。
(おぼ)()でたる()けしき(あさ)からず()ゆるを、ただならずや()たてまつりたまふらむわざとならず、()をば(おも)はず」など、ほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく(おも)ひきこえたまふ。
かつ、()るにだに()かぬ(おほん)さまを、いかで(へだ)てつる年月(としつき)ぞ」と、あさましきまで(おも)ほすに、()(かへ)し、()(なか)いと(うら)めしうなむ。
その女のことなどをお話し申し上げなさった。
お思い出しになるご様子が一通りのお気持ちでなく見えるので、並々のご愛着ではないと拝見するのであろうか、さりげなく、「わたしの身の上は思いませんが」などと、ちらっと嫉妬なさるのが、しゃれていていじらしいとお思い申し上げなさる。
また一方で、「見ていてさえ見飽きることのないご様子を、どうして長い年月会わずにいられたのだろうか」と、信じられないまでの気持ちがするので、今さらながら、まことに世の中が恨めしく思われる。
源氏は夫人に明石の君のことを話した。女王はどう感じたか、恨みを言うともなしに「身をば思はず」(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)などとはかなそうに言っているのを、美しいとも可憐(かれん)であるとも源氏は思った。見ても見ても見飽かぬこの人と別れ別れにいるようなことは何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。
5.1.5
ほどもなく、(もと)御位(おほんくらゐ)あらたまりて、(かず)より(ほか)権大納言(ごんのだいなごん)になりたまふ
次々(つぎつぎ)(ひと)さるべき(かぎ)りは(もと)官返(つかさかへ)(たま)はり、()(ゆる)さるるほど、()れたりし()(はる)にあへる心地(ここち)して、いとめでたげなり。
まもなく、元のお位に復して、員外の権大納言におなりになる。
以下の人々も、しかるべき者は皆元の官を返し賜わり、世に復帰するのは、枯れていた木が春にめぐりあった有様で、たいそうめでたい感じである。
間もなく源氏は本官に復した上、権大納言(ごんだいなごん)も兼ねる辞令を得た。侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。

第二段 源氏、参内

5.2.1
()しありて、内裏(うち)(まゐ)りたまふ
御前(おまへ)にさぶらひたまふに、ねびまさりていかで、さるものむつかしき()まひに年経(としへ)たまひつらむ」と()たてまつる。
女房(にょうばう)などの、(ゐん)御時(おほんとき)さぶらひて()いしらへるどもは、(かな)しくて、(いま)さらに()(さわ)ぎめできこゆ。
お召しがあって、参内なさる。
御前に伺候していられると、いよいよ立派になられて、「どうしてあのような辺鄙な土地で、長年お暮らしになったのだろう」と拝見する。
女房などの中で、故院の御在世中にお仕えして、年老いた連中は、悲しくて、今さらのように泣き騒いでお褒め申し上げる。
お召しがあって源氏は参内した。お常御殿に上がると、源氏のさらに美しくなった姿をあれで田舎(いなか)住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。
5.2.2
主上(うへ)も、()づかしうさへ(おぼ)()されて、(おほん)よそひなどことに()きつくろひて()でおはします。
御心地(みここち)(れい)ならで、()ごろ()させたまひければ、いたう(おとろ)へさせたまへるを、昨日今日(きのふけふ)ぞ、すこしよろしう(おぼ)されける。
御物語(おほんものがたり)しめやかにありて、(よる)()りぬ。
主上も、恥ずかしくまで思し召されて、御装束なども格別におつくろいになってお出ましになる。
お加減が、すぐれない状態で、ここ数日おいであそばしたので、ひどくお弱りあそばしていらっしゃったが、昨日今日は、少しよろしくお感じになるのであった。
お話をしみじみとなさって、夜に入った。
(みかど)も源氏にお逢いになるのを晴れがましく思召(おぼしめ)されて、お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。ずっと御病気でおありになったために、衰弱が御見えになるのであるが、昨今になって陛下の御気分はおよろしかった。しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。
5.2.3 十五夜の月が美しく静かなので、昔のことを、一つ一つ自然とお思い出しになられて、お泣きあそばす。
何となく心細くお思いあそばさずにはいられないのであろう。
十五夜の月の美しく静かなもとで昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。お心細い御様子である。
5.2.4
(あそ)びなどもせず昔聞(むかしき)きし(もの)()なども()かで、(ひさ)しうなりにけるかな」
「管弦の催しなどもせず、昔聞いた楽の音なども聞かないで、久しくなってしまったな」
「音楽をやらせることも近ごろはない。あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」
5.2.5
とのたまはするに、
と仰せになるので、
と仰せられた時、
5.2.6 「海浜でうちしおれて落ちぶれながら蛭子のように
立つこともできず三年を過ごして来ました」
わたつみに沈みうらぶれひるの子の
足立たざりし年は経にけり
5.2.7
()こえたまへり
いとあはれに心恥(こころは)づかしう(おぼ)されて、
とお応え申し上げなさった。
とても胸をうち心恥しく思わずにはいらっしゃれないで、
と源氏が申し上げると、帝は兄君らしい(あわれ)みと、君主としての過失をみずからお認めになる情を優しくお見せになって、
5.2.8 「こうしてめぐり会える時があったのだから
あの別れた春の恨みはもう忘れてください」
宮ばしらめぐり逢ひける時しあれば
別れし春の恨み残すな
5.2.9
いとなまめかしき(おほん)ありさまなり。
実に優美な御様子である。
と仰せられた。(えん)な御様子であった。
5.2.10
(ゐん)(おほん)ために、八講行(はかうおこな)はるべきこと、まづ(いそ)がせたまふ
春宮(とうぐう)()たてまつりたまふに、こよなくおよすげさせたまひて、めづらしう(おぼ)しよろこびたるを(かぎ)りなくあはれと()たてまつりたまふ
御才(おほんざえ)もこよなくまさらせたまひて、()をたもたせたまはむに、(はばか)りあるまじく、かしこく()えさせたまふ
故院の御追善供養のために、法華御八講を催しなさることを、何より先にご準備させなさる。
東宮にお目にかかりなさると、すっかりと御成人あそばして、珍しくお喜びになっているのを、感慨無量のお気持ちで拝しなさる。
御学問もこの上なくご上達になって、天下をお治めあそばすにも、何の心配もいらないように、ご立派にお見えあそばす。
源氏は院の御為(おんため)法華経(ほけきょう)の八講を行なう準備をさせていた。東宮にお目にかかると、ずっとお身大きくなっておいでになって、珍しい源氏の出仕をお喜びになるのを、限りもなくおかわいそうに源氏は思った。学問もよくおできになって、御位(みくらい)におつきになってもさしつかえはないと思われるほど御聡明(そうめい)であることがうかがわれた。
5.2.11
入道(にふだう)(みや)にも、御心(みこころ)すこし(しづ)めて、御対面(おほんたいめん)のほどにも、あはれなることどもあらむかし
入道の宮にも、お心が少し落ち着いて、ご対面の折には、しみじみとしたお話がきっとあったであろう。
少し日がたって気の落ち着いたころに御訪問した入道の宮ででも、感慨無量な御会談があったはずである。

第三段 明石の君への手紙、他

5.3.1 そうそう、あの明石には、送って来た者たちの帰りにことづけて、お手紙をお遣はしになる。
人目に立たないようにして情愛こまやかにお書きになるようである。
源氏は明石から送って来た使いに手紙を持たせて帰した。夫人にはばかりながらこまやかな情を女に書き送ったのである。毎夜毎夜悲しく思っているのですか、
5.3.2 「波の寄せる夜々は、

5.3.3 お嘆きになりながら暮らしていらっしゃる明石の浦に
嘆きの息が朝霧となって立ちこめているのではないかと想像しています」
歎きつつ明石の浦に朝霧の
立つやと人を思ひやるかな
5.3.4 あの大宰帥の娘の五節は、どうにもならないことだが、人知れずご好意をお寄せ申していたのもさめてしまった感じがして、目くばせさせて置いて行かせたのであった。
こんな内容であった。大弐(だいに)の娘の五節(ごせち)は、一人でしていた心の苦も解消したように喜んで、どこからとも言わせない使いを出して、二条の院へ歌を置かせた。
5.3.5 「須磨の浦で好意をお寄せ申した舟人が
そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます」
須磨の浦に心を寄せし船人の
やがて()たせる(そで)を見せばや
5.3.6
()などこよなくまさりにけり」と、()おほせたまひて、(つか)はす。
「筆跡などもたいそう上手になったな」と、お見抜きになって、お遣わしになる。
字は以前よりずっと上手(じょうず)になっているが、五節に違いないと源氏は思って返事を送った。
5.3.7 「かえってこちらこそ愚痴を言いたいくらいです、
ご好意を寄せていただいてそれ以来涙に濡れて
かへりてはかごとやせまし寄せたりし
名残(なごり)に袖の()がたかりしを
5.3.8
()かずをかし」と(おぼ)しし名残(なごり)なれば、おどろかされたまひて、いとど(おぼ)()づれど、このごろは、さやうの御振(おほんふ)()ひ、さらにつつみたまふめり
「いかにもかわいい」とお思いになった昔の思い出もあるので、はっとびっくりさせられなさって、ますますいとしくお思い出しになるが、最近は、そのようなお忍び歩きはまったく慎んでいらっしゃるようである。
源氏はずいぶん好きであった女であるから、誘いかけた手紙を見ては訪ねたい気がしきりにするのであるが、当分は不謹慎なこともできないように思われた。
5.3.9
花散里(はなちるさと)などにも、ただ御消息(おほんせうそこ)などばかりにて、おぼつかなく、なかなか(うら)めしげなり。
花散里などにも、ただお手紙などばかりなので、心もとなく思われて、かえって恨めしい様子である。
花散里(はなちるさと)などへも手紙を送るだけで、逢いには行こうとしないのであったから、かえって京に源氏のいなかったころよりも寂しく思っていた。
著作権
底本 大島本
校訂 Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
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ローマ字版 Last updated 10/3/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
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(ローマ字版から)
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挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Latest updated 6/21/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)
2003年7月16日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2006年1月6日

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