設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | ||
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第三十一帖 真木柱 光る源氏の太政大臣時代三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
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第一章 玉鬘の物語 玉鬘、鬚黒大将と結婚 |
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第一段 鬚黒、玉鬘を得る |
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1.1.1 | 「 しばし ほど |
「帝がお聞きあそばすことも恐れ多い。 少しの間は広く世間には知らせまい」とご注意申し上げなさるが、そう隠してもお隠しきれになれない。 何日かたったが、少しもお心を開くご様子もなく、「思いの他の不運な身の上だわ」と、思い詰めていらっしゃる様子がいつまでも続くので、「ひどく恨めしい」と思うが、浅からぬご縁、しみじみと嬉しく思う。 |
「 と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでも |
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1.1.2 | 見れば見るほどにご立派で、理想的なご器量、様子を、「他人のものにしてしまうところであったよ」と思うだけでも胸がどきどきして、石山寺の観音も、弁の御許も並べて拝みたく思うが、女君がほんとうに不愉快だと嫌ったので、出仕もせずに自宅に引き籠もっているのであった。 |
予想したにも過ぎた佳麗な人を見ては、自分が得なかった場合にはこのすぐれた人は他人の妻になっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の |
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1.1.3 | なるほど、たくさんお気の毒な例を、いろいろと見て来たが、思慮の浅い人のために、お寺の霊験が現れたのであった。 |
仏の |
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1.1.4 | 大臣も「不満足で残念だ」とお思いになるが、今さら言ってもしかたのないことなので、「誰も彼もこのようにご承知なさったことなので、今さら態度を変えるのも、相手のためにたいそうお気の毒であり、筋違いである」とお考えになって、結婚の儀式をたいそうまたとなく立派にお世話なさる。 |
源氏も快心のこととはこの問題を見られなかったが、もう成立したことであって、当人はもとより実父も許容した婿を自分だけが認めない態度をとることは、自分の愛している玉鬘のためにもかわいそうであると思って、新婦の家としてする儀式を華麗に行なって、婿かしずきも重々しくした。 |
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1.1.5 | 一日も早く、自分の邸にお迎え申し上げることをご準備なさるが、軽率にひょいとお移りなさる場合、あちらに待ち受けて、きっと好ましく思うはずのない人がいらっしゃるらしいのが、気の毒なことにかこつけなさって、 |
早くそのうちに自邸へ新夫人を引き取って行きたいと大将は思っているのであるが、源氏は簡単に |
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1.1.6 | 「やはり、ゆっくりと、波風を立てないようにして、騒がれないで、どこからも人の非難や妬みを受けないよう、お振る舞いなさい」 |
「何もかも穏やかに行くようにして、双方とも |
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1.1.7 | とぞ |
とお申し上げなさる。 |
と源氏は言うのである。 |
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第二段 内大臣、源氏に感謝 |
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1.2.1 | 父内大臣は、 |
実父の大臣は、 |
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1.2.2 | 「なかなかめやすかめり。 ことにこまかなる |
「かえって無難であろう。 格別親身に世話してくれる後見のない人が、なまじっかの色めいた宮仕えに出ては、辛いことであろうと、不安に思っていた。 大切にしたい気持ちはあるが、女御がこのようにいらっしゃるのを差し置いて、どうして世話できようか」 |
この結婚がかえってあなたのために幸福だと思う。忠実な支持者がなくて |
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1.2.3 | などと、内々におっしゃっているのであった。 なるほど、帝だと申しても、人より軽くおぼし召し、時たまお目にかかりなさって、堂々としたお扱いをなさらなかったら、軽率な出仕ということになりかねないのであった。 |
と、こんな意味の手紙を玉鬘へ送った。それは真理である。相手が帝でおありになっても、第一の |
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1.2.4 | 三日の夜のお手紙を、取り交わしなさった様子を伝え聞きなさって、こちらの大臣のお気持ちを、「ほんとうにもったいなく、ありがたい」と感謝申し上げなさるのであった。 |
三日の夜の式に源氏が右大将と |
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1.2.5 | このように隠れたご関係であるが、自然と、世間の人がおもしろい話として語り伝えては、次から次へと漏れ聞いて、めったにない世間話として言いはやすのであった。 帝におかれてもお聞きあそばしたのであった。 |
皆ともかくも人に知らすまいとした結婚であったが、まもなくおもしろい新事実として世間はこのことを話題にし出した。帝もお聞きになった。 |
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1.2.6 | 「残念にも、縁のなかった人であるが、あのように望んでいられた願いもあるのだから。 宮仕えなど、妃の一人としてでは、お諦めになるのもよかろうが」 |
「残念だが、しかしそうした因縁だった人も、一度自分の決めたことだから後宮にはいることとは違った |
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1.2.7 | などと仰せられるのであった。 |
という仰せを源氏へ下された。 |
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第三段 玉鬘、宮仕えと結婚の新生活 |
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1.3.1 | 十一月になった。 神事などが多く、内侍所にも仕事の多いころなので、女官連中、内侍連中が参上しては、はなやかに騒々しいので、大将殿は、昼もたいそう隠れたようにして籠もっていらっしゃるのを、たいそう気にくわなく、尚侍の君はお思いになっていた。 |
十月になった。神事が多くて |
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1.3.2 | 兵部卿宮などは、それ以上に残念にお思いになる。 兵衛督は、妹の北の方の事までを外聞が悪いと嘆いて、重ね重ね憂鬱であったが、「馬鹿らしく、恨んでみても今はどうにもならない」と考え直す。 |
失恋の悲しみをした人のたくさんある中にも |
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1.3.3 | 大将は、有名な堅物で、長年少しも浮気沙汰もなくて過ごしてこられたのが、すっかり変わってご満悦で、別人のようなご様子で、夜や早朝の人目を忍んでいらっしゃる出入りも、恋人らしく振る舞っていらっしゃるのを、おもしろいと女房たちは拝する。 |
大将は以前からまじめで通った人で、過去においては何らの恋愛問題も起こさずに来たことなどは忘れたように、生まれ変わったような恋の |
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1.3.4 | 女は、陽気にはなやかにお振る舞いなさるご性分も表に出さず、とてもひどくふさぎ込んで、自分から求めて一緒になったのでないことは誰の目からも明らかであるが、「大臣がどうお思いであろうか、兵部卿宮のお気持ちの深くやさしくいらっしゃったこと」などを思い出しなさると、「恥ずかしく、残念だ」とばかりお思いになると、何かと気に入らないご様子が絶えない。 |
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第四段 源氏、玉鬘と和歌を詠み交す |
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1.4.1 | 殿も、気の毒だと女房たちも疑っていたことに、潔白であることを証明なさって、「自分の心中でも、その場限りの間違ったことは好まないのだ」と、昔からのこともお思い出しになって、紫の上にも、 |
源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、 |
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1.4.2 | 「 |
「お疑いでしたね」 |
「あなたは疑ってもいたではありませんか」 |
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1.4.3 | などと申し上げなさる。 「今さら、厄介な癖が出ても困る」とお思いになる一方で、何かたまらなくお思いになった時、「いっそ自分の物にしてしまおうか」と、お考えになったこともあるので、やはりご愛情も切れない。 |
と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であった玉鬘の所へ、 |
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1.4.4 | 大将のおいでにならない昼ころ、 お渡りになった。女君は、不思議なほど悩ましそうにばかりお振る舞いになって、さわやかな気分の時もなく萎れていらっしゃったが、このようにしてお越しになると、少し起き上がりなさって、御几帳に隠れ |
大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がって、 |
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1.4.5 | すくよかなる |
殿も、改まった態度で、少し他人行儀にお振る舞いになって、世間一般の話などを申し上げなさる。 真面目な普通の人を夫として迎えるようになってからは、今まで以上に言いようのないご様子や有様をお分りになるにつけ、意外な運命の身の、置き所もないような恥ずかしさにも、涙がこぼれるのであった。 |
源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかしくて涙がこぼれるのであった。 |
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1.4.6 | やうやう、こまやかなる いとをかしげに |
だんだんと、情のこもったお話になって、近くにある御脇息に寄り掛かって、少し覗き見しながら、お話し申し上げになさる。 たいそう美しげに面やつれしておいでの様子が、見飽きず、いじらしさがお加わりになっているにつけても、「他人に手放してしまうのも、あまりな気まぐれだな」と残念である。 |
繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は |
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1.4.7 | 「あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、 三途の川を渡る時、他の男に背負われて渡るようにはお約束 |
「 人のせとはた契らざりしを |
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1.4.8 | 思ってもみなかったことです」 |
意外なことになりましたね」 |
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1.4.9 | と言って、鼻をおかみになる様子、やさしく心を打つ風情である。 |
涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。 |
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1.4.10 | 女は顔を隠して、 |
女は顔を隠しながら言う。 |
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1.4.11 | 「三途の川を渡らない前に何とかしてやはり 涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです」 |
みつせ川渡らぬさきにいかでなほ 涙のみをの |
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1.4.12 | 「幼稚なお考えですね。 それにしても、あの三途の川の瀬は避けることのできない道だそうですから、お手先だけは、引いてお助け申しましょうか」と、ほほ笑みなさって、 |
源氏は微笑を見せて、 「悪い場所で消えようというのですね。しかし と言った。 |
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1.4.13 | 「真面目な話、お分かりになることもあるでしょう。 世間にまたといない馬鹿さ加減も、また一方で安心できるのも、この世に類のないくらいなのを、いくら何でもと、頼もしく思っています」 |
また、「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼のできる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思うと私はみずから慰めることもできます」 |
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1.4.14 | と |
と申し上げなさるのを、ほんとうにどうすることもできず、聞き苦しいとお思いでいらっしゃるので、お気の毒になって、話をおそらしになりながら、 |
こんなことも言われて、苦しそうに見える |
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1.4.15 | 「 おのがものと |
「帝が仰せになることがお気の毒なので、やはり、ちょっとでも出仕おさせ申しましょう。 自分の物と家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めもできにくいお身の上となりましょう。 当初の考えとは違ったかっこうですが、二条の大臣は、ご満足のようなので、安心です」 |
「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」 |
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1.4.16 | など、こまかに あはれにも いとかう かしこに |
などと、こまごまとお話し申し上げなさる。 ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多いけれど、ただ涙に濡れていらっしゃる。 たいそうこんなにまで悩んでおいでの様子がお気の毒なので、お思いのままに無体な振る舞いはなさらず、ただ、心得や、ご注意をお教え申し上げなさる。 あちらにお移りになることを、直ぐにはお許し申し上げなさらないご様子である。 |
などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれることは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。 |
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第二章 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動 |
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第一段 鬚黒の北の方の嘆き |
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2.1.1 | かく |
宮中に参内なさることを、心配なことと大将はお思いになるが、その機会に、そのまま退出おさせ申そうかとのお考えを思いつかれて、ただちょっとの暇のお許しを申し上げなさる。 このように人目を忍んでお通いになることも、お慣れにならない感じで辛いので、ご自分の邸内の修理し整えて、長年荒れさせ埋もれ、放って置かれたお部屋飾り、すべての飾りつけを立派にしてご準備なさる。 |
御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは |
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2.1.2 | 北の方がお嘆きになろうお気持ちもお考えにならず、かわいがっていらっしゃったお子たちにも、お目もくれなさらず、やさしく情け深い気持ちのある人ならば、何かのことにつけても、女にとって恥になるようなことには、考え及ぶところもあろうが、一徹で融通のきかないご性分なので、人のお気に障るようなことが多いのであった。 |
夫人の悲しむ心も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。好色な風流男というものは、ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置をとるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと |
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2.1.3 | 女君は、人にひけをお取りになるようなところはない。 お人柄も、あのような高貴な父親王がたいそう大切にお育て申された世間の評判、けっして軽々しくなく、ご器量なども、たいそう素晴らしくいらっしゃったが、妙に、しつこい物の怪をお患いになって、ここ数年来、普通の人とはお変わりになって、正気のない時々が多くおありになって、ご夫婦仲も疎遠になって長くなったが、れっきとした本妻としては、また並ぶ人もなくお思い申し上げていらっしゃったが、珍しくお心惹かれる方が、一通りどころの方でなく、人より勝れていらっしゃるご様子よりも、あの疑いを持って皆が想像していたことさえ、潔白の身でお過ごしになっていらしたことなどを、めったにない立派な態度だと、ますます深くお思い申し上げなさるのも、もっともなことである。 |
夫人は人に劣った女性でもなかった。身分は尊貴な |
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2.1.4 | 式部卿宮がお聞きになって、 |
式部卿の宮はこの事情をお聞きになって、 |
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2.1.5 | 「今は、あのような若い女を迎えて、大切にするだろう片隅で、みっともなく連れ添っていらっしゃるのも、外聞も痩せるほど恥ずかしいだろう。 自分が生きているうちは、まことに世間に恥をさらして言いなりにならなくても、お過ごしになられよう」 |
「今後そうした若い夫人を入れて |
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2.1.6 | とのたまひて、 |
とおっしゃって、宮邸の東の対を掃除し整えて、「お迎え申そう」とお考えになっておっしゃるのを、「親の御家と言っても、夫に捨てられた身の上で、再び実家に戻ってお顔を合わせ申すのも」と、思い悩みなさると、ますますご気分も悪くなって、ずっと病床にお臥せりになる。 |
と御意見をお言いになった。御自邸の東の対を |
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2.1.7 | 生まれつきは、たいそう静かで気立てもよく、おっとりとしていらっしゃる方で、時々、気がおかしくなって、人から嫌われてしまうようなことが、時たまおありなのであった。 |
性質の静かな善良な人で、子供らしいおおようさもある人でいながら、時々人からうとまれるような病的な発作があるのである。 |
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第二段 鬚黒、北の方を慰める(一) |
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2.2.1 | お住まいなどが、とんでもなく乱雑で、綺麗さもなく汚れて、たいそう塞ぎ込んでいらっしゃるのを、玉を磨いたような所を見て来た目には、気に入らないが、長年連れ添ってきた愛情が急に変わるものでもないので、心中では、たいそう気の毒にとお思い申し上げる。 |
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2.2.2 | 「昨日今日の、たいそう浅い夫婦仲でさえ、悪くはない身分の人となれば、皆我慢することがあって添い遂げるものだ。 たいそう身体も苦しそうにしていらっしゃったので、申し上げなければならないこともお話し申し上げにくくてね。 |
「ただ |
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2.2.3 | 長年添い遂げ申して来た仲ではありませんか。 世間の人と違ったご様子を、最後までお世話申そうと、ずいぶんと我慢して過ごして来たのに、とてもそうは行かないようなお考えで、お嫌いなさるのですね。 |
以前からあなたと約束していることでしょう、あなたに病気はあっても私は一生あなたといるつもりだって、私はどんな |
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2.2.4 | ひとわたり |
幼い子どもたちもいますので、何かにつけて、いいかげんにはしまいとずっと存じ上げてきたのに、女心の考えなさから、このように恨み続けていらっしゃる。 最後まで見届けないうちは、そうかも知れないことですが、信頼してこそ、もう少し御覧になっていてください。 |
子供もあるのだから、その点から言っても私は一生あなたを大事にすると言っているのに、女の人には困った |
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2.2.5 | まことに |
式部卿宮がお聞きになりお疎みになって、はっきりとすぐにお迎え申そうとお考えになっておっしゃっているのが、かえってたいそう軽率です。 ほんとうに決心なさったことなのか、暫く懲らしめなさろうというのでしょうか」 |
宮様が不快にお思いになって、今すぐにお |
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2.2.6 | と、ちょっと笑っておっしゃる、たいそう憎らしくおもしろくない。 |
と笑いながら言う大将の様子には、だれからも反感を持たれるのに十分な利己主義者らしいところがあった。 |
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第三段 鬚黒、北の方を慰める(二) |
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2.3.1 | 殿の召人といったふうで、親しく仕えている木工の君、中将の御許などという女房たちでさえ、身分相応につけて、「おもしろくなく辛い」と思い申し上げているのだから、まして北の方は、正気でいらっしゃる時なので、たいそうしおらしく泣いていらっしゃった。 |
大将の |
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2.3.2 | 「わたしを、惚けている、僻んでいる、とおっしゃって、馬鹿にするのは、けっこうなことです。 父宮のことまでを引き合いに出しておっしゃるのは、もし、お耳に入ったらお気の毒だし、つたないわが身の縁から軽々しいようです。 耳馴れていますから、今さら何とも思いません」 |
「私を老いぼけた、病的な女だと侮辱なさいますのはごもっともなことですが、そんなお言葉の中に宮様のことをお混ぜになるのを聞きますと、私のような者と親子でおありになるばかりにと思われて宮様がお気の毒でなりません。私はあなたのお |
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2.3.3 | と言って、横を向いていらっしゃる、いじらしい。 |
と言って横向く顔が |
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2.3.4 | たいそう小柄な人で、いつものご病気で痩せ衰え、ひ弱で、髪はとても清らかに長かったが、半分にしたように抜け落ちて細くなって、櫛梳ることもほとんどなさらず、涙で固まっているのは、とてもお気の毒である。 |
小柄な人が持病のために |
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2.3.5 | つややかに美しいところはなくて、父宮にお似申して、優美な器量をなさっていたが、身なりを構わないでいられるので、どこに華やかな感じがあろうか。 |
一つ一つの顔の道具が美しいのではなくて、式部卿の宮によく似て、全体に |
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2.3.6 | 「宮の御事を、軽んじたりどうして思い申そう。 恐ろしい、人聞きの悪いおっしゃりようをなさいますな」となだめて、 |
「宮様のことを軽々しくなど私が言うものですか。人に聞かれても恐ろしいようなことを言うものでない」などと大将はなだめて、 |
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2.3.7 | 「あの通っております所の、たいそう眩しい玉の御殿に、もの馴れない、生真面目な恰好で出入りしているのも、あれこれ人目に立つだろうと、気がひけるので、気楽に迎えてしまおうと考えているのです。 |
「私の通って行く所はいわゆる玉の |
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2.3.8 | 太政大臣が、ああした世に比べるものもないご声望を、今さら申し上げるまでもなく、恥ずかしくなるほど、行き届いていらっしゃるお邸に、よくない噂が漏れ聞こえては、たいそうお気の毒であるし、恐れ多いことでしょう。 |
太政大臣が今日の時代にどれだけ勢力のある方だというようなことは今さらなことだが、あのりっぱな人格者の所へ、ここの |
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2.3.9 | 穏やかにして、お二人仲を好くして、親しく付き合ってください。 宮邸にお渡りになっても、忘れることはございませんでしょう。 いずれにせよ、今さらわたしの気持ちが遠ざかることはあるはずはないのですが、世間の噂や物笑いに、わたしにとっても軽々しいことでございましょうから、長年の約束を違えず、お互いに力になり合おうと、お考えください」 |
穏やかに仲よく暮らすように心がけなければならないよ。宮のお邸へあなたが行ってしまったからといっても、私はやはりあなたを愛するだろう。夫婦の形はどうなっても今さら愛のなくなることはないのだが、世間があなたを軽率なように言うだろうし、私のためにも軽々しいことになる。長い間愛し合ってきた二人なのだから、これからも私のためになることをあなたも考えて、世話をし合おうじゃありませんか」 |
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2.3.10 | と、こしらへ |
と、とりなし申し上げなさると、 |
とも言った。 |
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2.3.11 | 「あなたのお仕打ちは、どうこうと申しません。 世間の人と違った身の病を、父宮におかれてもお嘆きになって、今さら物笑いになることと、お心を痛めていらっしゃるとのことなので、お気の毒で、どうしてお目にかかれましょう、と思うのです。 |
「あなたの冷酷なことがいいことか悪いことか私はもう考えません。何とも思いません。ただ私が健全な女でないことを悲しんでいます。宮様がお案じになって、娘の私の名誉などをたいそうにお考えになったり、御 |
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2.3.12 | かれは、 もてないたまはむさまを |
大殿の北の方と申し上げる方も、他人でいらっしゃいましょうか。 あの方は、知らない状態で成長なさった方で、後になって、このように人の親のように振る舞っていらっしゃる辛さを考えて、お口になさるようですが、わたしの方では何とも思っていませんわ。 なさりよう見ているばかりです」 |
六条の大臣の奥様は私のために他人ではありません。よそで育ったその人が |
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2.3.13 | とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
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2.3.14 | 「いとようのたまふを、 いつき かかることの |
「たいそう良いことをおっしゃるが、いつものご乱心では、困ったことも起こるでしょう。 大殿の北の方がご存知になることでもございません。 箱入り娘のようでいらっしゃっるので、このように軽蔑された人の身の上まではご存知のはずがありません。 あの人の親らしくなくおいでのようです。 このようなことが耳に入ったら、ますます困ることでしょう」 |
「こんなにあなたはよく筋道の立つ話ができるのだがね。病気の起こることがあって、取り返しもつかないようなことがこれからも起こるだろうと気の毒だね。この問題に六条院の |
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2.3.15 | などと、一日中お側で、お慰め申し上げなさる。 |
などと、終日夫人のそばにいて大将は語っていた。 |
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第四段 鬚黒、玉鬘のもとへ出かけようとする |
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2.4.1 | かかる |
日が暮れたので、気もそぞろになって、何とか出かけたいとお思いになるが、雪がまっくらにして降っている。 このような天候にあえて出かけるのも、人目に立ってお気の毒であるし、このご様子も憎らしく嫉妬して恨みなどなさるならば、かえってそれを口実にして、自分も対抗して出て行くのだが、たいそうおっとりと、気にかけていらっしゃらない様子が、たいそうお気の毒なので、どうしようか、と迷いながら、格子なども上げたまま、端近くに物思いに耽っていらっしゃった。 |
日が暮れると大将の心はもう静めようもなく浮き立って、どうかして自邸から一刻も早く出たいとばかり願うのであったが、大降りに雪が降っていた。こんな天候の時に家を出て行くことは人目に不人情なことに映ることであろうし、妻が見さかいなしの |
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2.4.2 | 北の方がその様子を見て、 |
夫人が見て、 |
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2.4.3 | 「あいにくな雪ですが、どう踏み分けてお出かけなさろうとするのでしょう。 夜も更けたようですわ」 |
「あやにくな雪はだんだん深くなるようですよ。時間だってもうおそいでしょう」 |
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2.4.4 | とお促しになる。 「今はもうおしまいだ、引き止めたところで」と思案なさっている様子、まことに不憫である。 |
と外出を促して、もう自分といることに全然良人は興味を失っているのであるから、とめてもむだであると考えているらしいのが哀れに見られた。 |
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2.4.5 | 「このような雪では、どうして出かけられようか」 |
「こんな夜にどうして」 |
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2.4.6 | とのたまふものから、 |
とおっしゃる一方で、 |
と大将は言ったのであるが、そのあとではまた反対な意味のことを、 |
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2.4.7 | 「なほ、このころばかり。 ここになど かく |
「やはり、ここ当分の間だけは。 わたしの気持ちを知らないで、何かと人が噂し、大臣たちもあれこれとお耳になさろうことを憚って、途絶えを置くのは気の毒です。 落ち着いて、やはりわたしの気持ちをお見届けください。 こちらになど迎えたら、気がねもなくなるでしょう。 このように普通のご様子をしていらっしゃる時は、他の女に心を移すこともなくなって、いとおしくお思い申し上げます」 |
「当分はこちらの心持ちを知らずに、そばにいる女房などからいろんなことを言われたりして疑ったりすることもあるだろうし、また両方で大臣がこちらの態度を監視していられもするのだから、間を置かないで行く必要がある。あなたは落ち着いて、気長に私を見ていてください。 |
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2.4.8 | など、 |
などと、お慰めなさると、 |
こんなに言っていた。 |
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2.4.9 | 「お止まりになっても、お心が他に行っているのなら、かえってつらいことでございましょう。 他の所にいても、せめて思い出してくだされば、涙に濡れた袖の氷もきっと解けることでしょう」 |
「家においでになっても、お心だけは外へ行っていては私も苦しゅうございます。よそにいらっしってもこちらのことを思いやっていてさえくだされば私の |
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2.4.10 | など、なごやかに |
などと、穏やかにおっしゃっていられる。 |
夫人は柔らかに言っていた。 |
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第五段 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける |
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2.5.1 | みづからは、 しめりておはする、いと |
御香炉を取り寄せて、ますます香をたきしめさせてお上げになる。 自分自身は、皺になったお召物類で、身なりを構わないお姿が、ますますほっそりとか弱げである。 沈んでいらっしゃるのは、たいそうお気の毒である。 お目をたいそう泣き腫らしているのは、少し疎ましいが、しみじみといとおしいと見る時は、咎める気もお消えになって、 |
火入れを持って来させて夫人は |
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2.5.2 | 「どうして今まで疎遠にしてきたのか」と、「すっかり心変わりした自分が何とも軽薄だ」とは思いながらも、やはり気持ちははやって、溜息をつきながら、やはりお召物を整えなさって、小さい香炉を取り寄せて、袖に入れてたきしめていらっしゃった。 |
長い年月の間二人だけが愛し合ってきたのであると思うと、新しい妻に傾倒してしまった自分は軽薄な男であると、大将は反省をしながらも、行って |
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2.5.3 | やさしいほどに着馴れたお召物で、器量も、あの並ぶ人のないお方には圧倒されるが、たいそうすっきりした男性らしい感じで、普通の人とは見えず、気おくれするほど立派である。 |
ちょうどよいほどに着なれた衣服に身を装うた大将は、源氏の |
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2.5.4 | 侍所で、供人たちが声立てて、 |
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2.5.5 | 「雪が小止みです。 夜が更けてしまいましょう」 |
「ちょっと雪もやんだようだ。もうおそかろう」 |
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2.5.6 | などと、それでもあらわには言わないで、お促し申して、咳払いをし合っている。 |
などと言って、さすがに真正面から促すのでなく、 |
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2.5.7 | 中将の君や、木工の君などは、「おいたわしいことだわ」などと嘆きながら、話し合って臥しているが、ご本人は、ひどく落ち着いていじらしく寄りかかっていらっしゃる、と見るうちに、急に起き上がって、大きな籠の下にあった香炉を取り寄せて、殿の後ろに近寄って、さっと浴びせかけなさる間、人の制止する間もなく、不意のことなので、呆然としていらっしゃる。 |
中将の君や 「悲しいことになってしまいましたね」 などと話して、 |
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2.5.8 | あのような細かい灰が、目や鼻にも入って、ぼうっとして何も分からない。 払い除けなさるが、立ちこめているので、お召物をお脱ぎになった。 |
細かな灰が目にも鼻にもはいって何もわからなくなっていた。やがて払い捨てたが、部屋じゅうにもうもうと灰が立っていたから大将は衣服も脱いでしまった。 |
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2.5.9 | 正気でこのようなことをなさると思ったら、二度と見向く気にもなれず驚くほかないが、 |
正気でこんなことをする夫人であったら、だれも顧みる者はないであろうが、 |
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2.5.10 | 「例の物の怪が、人から嫌われるようにしようとしていることだ」 |
いつもの |
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2.5.11 | と、 |
と、お側の女房たちもお気の毒に拝し上げる。 |
夫人は気の毒であると女房らも見ていた。 |
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2.5.12 | 大騒ぎになって、お召物をお召し替えなどするが、たくさんの灰が鬢のあたりにも舞い上がり、すべての所にいっぱいの気がするので、善美を尽くしていらっしゃる所に、このまま参上なさることはできない。 |
皆が大騒ぎをして大将に着がえをさせたりしたが、灰が髪などにもたくさん降りかかって、どこもかしこも灰になった気がするので、きれいな六条院へこのままで行けるわけのものではなかった。 |
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2.5.13 | 「 |
「気が違っているとはいっても、やはり珍しい、見たこともないご様子だ」と愛想も尽き、疎ましくなって、いとしいと思っていた気持ちも消え失せたが、「今、事を荒立てたら、大変なことになるだろう」と心を鎮めて、夜中になったが、僧などを呼んで、加持をさせる騷ぎとなる。 わめき叫んでいらっしゃる声など、お嫌いになるのもごもっともである。 |
大将は |
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第六段 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る |
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2.6.1 | 一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。 |
夜通し夫人は僧から打たれたり、引きずられたりしていたあとで、少し眠ったのを見て、大将はその間に |
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2.6.2 | 「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいました。 あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」 |
昨夜から容体のよろしくない病人ができまして、おりから降る雪もひどく、こんな時に出て行くことはどうかと、そちらへ行くのをやむなく断念することにしましたが、外界の雪のためでもなく、私の身の内は凍ってしまうほど寂しく思われました。あなたは信じていてくださるでしょうが、そばの者が何とかいいかげんなことを |
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2.6.3 | と、きすくに |
と、生真面目にお書きになっている。 |
という文学的でない文章であった。 |
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2.6.4 | 「心までが中空に思い乱れましたこの雪に 独り冷たい片袖を敷いて寝ました |
心さへそらに乱れし雪もよに 一人さえつる |
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2.6.5 | 耐えられませんでした」 |
堪えがたいことです。 |
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2.6.6 | と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。 筆跡はたいそうみごとである。 漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。 |
ともあった。白い |
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2.6.7 | 尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃるのを、御覧にもならないので、お返事もない。 男は、落胆して、一日中物思いをなさる。 |
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2.6.8 | 北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。 心の中でも、「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃってください」とお祈りになる。 「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。 |
夫人はなお今日も苦しんでいたから、大将は |
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第七段 翌日、鬚黒、玉鬘を訪う |
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2.7.1 | 日が暮れると、いつものように急いでお出かけになる。 お召物のことなども、体裁よく整えなさらず、まことに奇妙で身にそぐわないとばかり不機嫌でいらっしゃるが、立派な御直衣などは、間に合わせることがおできになれず、たいそう見苦しい。 |
大将は日が暮れるとすぐに出かける用意にかかったのである。大将の服装などについても、夫人は行き届いた妻らしい世話の十分できない人なのである。自分の着せられるものは流行おくれの調子のそろわないものだと大将は不足を言っていたが、きれいな |
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2.7.2 | ふすべられけるほどあらはに、 |
昨夜のは、焼け穴があいて、気味悪く焦げた匂いがするのも異様である。 御下着にまでその匂いが染みていた。 嫉妬された跡がはっきりして、相手もお嫌いになるに違いないので、脱ぎ替えて、御湯殿などで、たいそう身繕いをなさる。 |
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2.7.3 | 木工の君、お召物に香をたきしめながら、 |
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2.7.4 | 「北の方が独り残されて、 思い焦がれる胸の苦しさが思い余って炎と |
「一人ゐて 思ひ余れる |
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2.7.5 | すっかり変わったお仕打ちは、お側で拝見する者でさえも、平気でいられましょうか」 |
あまりに露骨な態度をおとりになりますから、拝見する私たちまでもお気の毒になってなりません」 |
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2.7.6 | と、口もとをおおっている、目もとは、たいそう魅力的である。 けれども、「どのような気持ちからこのような女に情けをかけたのだろう」などとだけ思われなさるのであった。 薄情なことであるよ。 |
袖で口をおおうて言っている木工の君の目つきは大将を十分にとがめているのであったが、 |
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2.7.7 | 「嫌なことを思って心が騒ぐので、 あれこれと後悔の炎がます |
「うきことを思ひ騒げばさまざまに くゆる煙ぞいとど立ち添ふ |
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2.7.8 | まったくとんでもない事が、もし先方の耳に入ったら、宙ぶらりな身の上となるだろう」 |
ああした醜態が |
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2.7.9 | と、うち |
と、溜息ついてお出かけになった。 |
などと |
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2.7.10 | 一夜会わなかっただけなのに、改めて珍しいほどに、美しさが増して見えなさるご様子に、ますます心を他の女に分けることもできないように思われて、憂鬱なので、長い間居続けていらっしゃった。 |
中一夜置いただけで美しさがまた加わったように見える玉鬘であったから、大将の愛はいっそうこの一人に集まる気がして、自邸へ帰ることができずにそのままずっと玉鬘のほうにいた。 |
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第三章 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る |
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第一段 式部卿宮、北の方を迎えに来る |
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3.1.1 | 修法などを盛んにしたが、物の怪がうるさく起こってわめいているのをお聞きになると、「あってはならない不名誉なことにもなり、外聞の悪いことが、きっと出てこよう」と、恐ろしくて寄りつきなさらない。 |
大騒ぎして修法などをしていても夫人の病気は相変わらず起こって大声を上げて人をののしるようなことのある報知を得ている大将は、妻のためにもよくない、自分のためにも不名誉なことが必ず近くにいれば起こることを予想して、 |
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3.1.2 | 邸にお帰りになる時も、別の部屋に離れていらして、子どもたちだけを呼び出してお会い申しなさる。 女の子が一人、十二、三歳ほどで、またその下に、男の子が二人いらっしゃるのであった。 最近になって、ご夫婦仲も離れがちでいらっしゃるが、れっきとした方として、肩を並べる人もなくて暮らして来られたので、「いよいよ最後だ」とお考えになると、お仕えしている女房たちも「ひどく悲しい」と思う。 |
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3.1.3 | 父宮が、お聞きになって、 |
父宮がそのことをお聞きになって、 |
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3.1.4 | 「今は、あのように別居して、はっきりした態度をとっておいでだというのに、それにしても、辛抱していらっしゃる、たいそう不面目な物笑いなことだ。 自分が生きている間は、そう一途に、どうして相手の言いなりに従っていらっしゃることがあろうか」 |
「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ |
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3.1.5 | と |
と申し上げなさって、急にお迎えがある。 |
と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。 |
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3.1.6 | 北の方は、ご気分が少し平常になって、夫婦仲を情けなく思い嘆いていらっしゃると、このようにお申し上げになっているので、 |
夫人はやっと常態になっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、 |
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3.1.7 | 「無理して立ち止まって、すっかり見捨てられるのを見届けて、諦めをつけるのも、さらに物笑いになるだろう」 |
まったく良人から捨てられてしまう日を待つことは、現在以上の恥になることであろう |
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3.1.8 | など |
などと、ご決心なさる。 |
などと思って、実家へ行くことにしたのであった。 |
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3.1.9 | ご兄弟の公達、兵衛督は、上達部でいらっしゃるので、仰々しいというので、中将、侍従、民部大輔など、お車三台程でいらっしゃった。 「きっとそうなるだろう」と、以前から思っていたことであるが、目の前に、今日がその終わりと思うと、仕えている女房たちも、ぽろぽろと涙をこぼし泣き合っていた。 |
夫人の弟の公子たちは、 |
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3.1.10 | 「長年ご経験のないよそでのお住まいで、手狭で気の置ける所では、どうして大勢の女房が仕えられようか。 何人かは、それぞれ実家に下がって、落ち着きになられてから」 |
「これまでのようでないかかり |
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3.1.11 | などと決めて、女房たちはそれぞれ、ちょっとした荷物など、実家に運び出したりして、散り散りになるのであろう。 お道具類は、必要な物は皆荷作りなどしながら、上の者や下の者が泣き騒いでいるのは、たいそう不吉に見える。 |
などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いている光景は悲しいものであった。 |
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第二段 母君、子供たちを諭す |
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3.2.1 | お子様たちは、無心に歩き回っていられるのを、母君、皆を呼んで座らせなさって、 |
姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩きまわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。 |
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3.2.2 | 「わたしは、このようにつらい運命を、今は見届けてしまったので、この世に生き続ける気もありません。どうなりとなって行くことでしょう。 将来があるのに、何といっても、散り散りになって行かれる様子が、悲しいことです。 |
お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわなければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないのはかわいそうだね。 |
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3.2.3 | 姫君は、どうなるにせよ、わたしについていらっしゃい。 かえって、男の子たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構ってもくださらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。 |
姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさい。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがってくださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないからね。お |
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3.2.4 | さりとて、 |
父宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。 それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」 |
お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわれている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては死んでからのちまで罪になります」 |
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3.2.5 | と |
とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。 |
と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。 |
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3.2.6 | 「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、人の言うままになって、冷たくなって行くものです。 まして、形だけの親のようで、見ている前でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」 |
「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなことの影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在でさえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるようなことはないと思います」 |
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3.2.7 | と、乳母たちも集まって、おっしゃり嘆く。 |
と |
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第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す |
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3.3.1 | 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も、心細く見える夕方である。 |
日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。 |
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3.3.2 | 「ひどく荒れて来ましょう。 お早く」 |
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」 |
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3.3.3 | と、お迎えの公達はお促し申し上げるが、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。 姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃっるので、 |
と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父に |
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3.3.4 | 「お目にかからないではどうして行けようか。 『これで』などと挨拶しないで、再び会えないことになるかもしれない」 |
今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれない |
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3.3.5 | と |
とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、 |
と思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、 |
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3.3.6 | 「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」 |
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」 |
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3.3.7 | などと、おなだめ申し上げなさる。 「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。 |
などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。 |
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3.3.8 | いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を、他人に譲る気がなさるのも悲しくて、姫君、桧皮色の紙を重ねたのに、ほんのちょっと書いて、柱のひび割れた隙間に、笄の先でお差し込みなさる。 |
姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は |
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3.3.9 | 「今はもうこの家を離れて行きますが、 わたしが馴れ親しんだ真木の柱は |
今はとて宿借れぬとも 真木の柱はわれを忘るな |
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3.3.10 | えも |
最後まで書き終わることもできずお泣きになる。 母君、「いえ、なんの」と言って、 |
この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、「そんなことを」と言いながら、 |
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3.3.11 | 「長年馴れ親しんで来た真木柱だと思い出しても どうしてここに止まっていられましょうか」 |
馴れきとは思ひ 立ちとまるべき真木の柱ぞ |
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3.3.12 | お側に仕える女房たちも、それぞれに悲しく、「それほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しいことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。 |
と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。 |
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3.3.13 | 木工の君は、殿の女房として留まるので、中将の御許は、 |
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3.3.14 | 「浅い関係のあなたが残って、 邸を守るはずの北の方様が出て行かれること |
「浅けれど 宿 |
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3.3.15 | 思いもしなかったことです。 こうしてお別れ申すとは」 |
思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」 |
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3.3.16 | と |
と言うと、木工の君は、 |
と中将の君が言うと、 |
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3.3.17 | 「どのように言われても、 わたしの心は悲しみに閉ざされて |
「ともかくも かげとむべくも思ほえぬ世を |
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3.3.18 | いでや」 |
いや、そのような」 |
何が何だかどうなるのだか」 |
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3.3.19 | とてうち |
と言って泣く。 |
と言って泣いていた。 |
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3.3.20 | お車を引き出して振り返って見るのも、「再び見ることができようか」と、心細い気がする。 梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。 君が住んでいるからではなく、長年お住まいになった所が、どうして名残惜しくないことがあろうか。 |
車が引き出されて人々は |
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第四段 式部卿宮家の悲憤慷慨 |
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3.4.1 | 宮邸では待ち受けて、たいそうお悲しみである。 母の北の方、泣き騷ぎなさって、 |
大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。 |
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3.4.2 | 「太政大臣を、結構なご親戚とお思い申し上げていらっしゃるが、どれほどの昔からの仇敵でいらっしゃったのだろうと思われます。 |
「太政大臣のことをよい |
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3.4.3 | 女御にも、何かにつけて、冷淡なお仕打ちをなさったが、それは、お二人の間の恨み事が解けなかったころ、思い知れということであったであろうと、思ったりおっしゃったりもし、世間の人もそう言っていたのでさえ、やはり、そあってよいことでしょうか。 |
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3.4.4 | 一人を大切になさるのであれば、その周辺までもお蔭を蒙るという例はあるものだと、納得行きませんでしたが、まして、このような晩年になって、わけの分からない継子の世話をして、自分が飽きたのを気の毒に思って、律儀者で浮気しそうのない人をと思って、婿に迎えて大切になさるのは、どうして辛くないことでしょうか」 |
それだのにまた今になって、養女を取ったりなどして、自分が御 |
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3.4.5 | と、 |
と、大声で言い続けなさるので、宮は、 |
こう言い続けるのである。 |
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3.4.6 | 「ああ、聞き苦しい。 世間から非難されることのおありでない大臣を、口から出任せに悪くおっしゃるものではありませんよ。 賢明な方は、かねてから考えていて、このような報復をしようと、思うことがおありだったのだろう。 そのように思われるわが身の不幸なのだろう。 |
「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大臣を、出まかせな |
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3.4.7 | つれなうて、 おのれ それをこの |
なにげないふうで、すべてあの苦しみなさった報復は、引き上げたり落としたり、たいそう賢く考えていらっしゃるようだ。 わたし一人は、しかるべき親戚だと思って、先年も、あのような世間の評判になるほどに、わが家には過ぎたお祝賀があった。 そのことを生涯の名誉と思って、 |
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3.4.8 | とおっしゃると、ますます腹が立って、不吉な言葉を言い散らしなさる。 この大北の方は、性悪な人だったのである。 |
と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよ |
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3.4.9 | 大将の君は、このようにお移りになってしまったことを聞いて、 |
大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いて |
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3.4.10 | 「まことに妙な、年若い夫婦のように、やきもちを焼いたようなことをなさったものだなあ。 ご本人には、そのようなせっかちできっぱりした性分もないのに、宮があのように軽率でいらっしゃる」 |
ほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるような争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質ではないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのである |
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3.4.11 | と思って、御子息もあり、世間体も悪いので、いろいろと思案に困って、尚侍の君に、 |
と思って、子供もあることであったし、夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと |
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3.4.12 | 「かくあやしきことなむはべる。 なかなか |
「こんな妙なことがございましたようです。 かえって気楽に存じられますが、そのまま邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人と、安心しておりましたのに、急にあの宮がなさったのでしょう。 世間が見たり聞いたりことも薄情なので、ちょっと顔を出して、すぐに戻ってまいりましょう」 |
「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の |
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3.4.13 | とて |
と言って、お出になる。 |
とも言って出かけるのであった。 |
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3.4.14 | よき 「などかは |
立派な袍のお召物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫をお召しになって、身なりを整えていらっしゃる、まことに堂々としている。 「どうして不似合いなところがあろうか」と、女房たちは拝見するが、尚侍の君は、このようなことをお聞きになるにつけても、わが身が情けなく思わずにはいらっしゃれないので、見向きもなさらない。 |
よいできの |
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第五段 鬚黒、式部卿宮家を訪問 |
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3.5.1 | 宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに、先に、自邸にいらっしゃると、木工の君などが出てきて、その時の様子をお話し申し上げる。 姫君のご様子をお聞きになって、男らしく堪えていらっしゃるが、ぽろぽろと涙がこぼれるご様子、たいそうお気の毒である。 |
宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。 |
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3.5.2 | 「さても、 いと よし、かの |
「それにしても、世間の人と違い、おかしな振る舞いの数々を大目に見てきた長年の気持ちを、ご理解なさらなかったのかな。 ひどくわがままな人は、今までも一緒にいただろうか。 まあよい、あの本人は、どうなったところで、廃人にお見えになるから、同じことだ。 子どもたちも、どうなさろうというのだろうか」 |
「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たかがわかってもらえないのだね。軽薄な男なら |
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3.5.3 | と、嘆息しながら、あの真木の柱を御覧になると、筆跡も幼稚だが、気立てがしみじみといじらしくて、道すがら、涙を押し拭い押し拭い参上なさると、お会いになれるはずもない。 |
大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人は |
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3.5.4 | 「何の。 ただ時勢におもねる心が、今初めてお変わりになったのではない。 年来うつつを抜かしていらっしゃる様子を、長いこと聞いてはいたが、いつを再び改心する時かと待てようか。 ますます、奇妙な姿を現すばかりで終わることにおなりになろう」 |
「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あの人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな |
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3.5.5 | とご意見申される、もっともなことである。 |
と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。 |
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3.5.6 | 「いと、 |
「まったく、大人げない気がしますな。 お見捨てになるはずもない子供たちもいますのでと、のんきに構えておりましたわたしの不行届を、繰り返しお詫び申しても、お詫びの申しようがありません。 今はただ、穏便に大目に見て下さって、罪は免れがたく、世間の人にも分からせた上で、このようにもなさるのがよい」 |
「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛すべき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう処置もとられたらいいでしょう」 |
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3.5.7 | などと、説得申すのに苦慮していらっしゃる。 「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさっているが、お出し申すはずもない。 |
などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出しそうもない。 |
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3.5.8 | いとうつくし。 |
男の子たち、十歳になるのは、童殿上なさっている。 とてもかわいらしい。 人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらした。 |
男の子の |
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3.5.9 | 次の君は、八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、 |
二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君にも似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、 |
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3.5.10 | 「あこをこそは、 |
「おまえを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」 |
「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」 |
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3.5.11 | などと、涙を流してお話しなさる。 宮にも、ご内意を伺ったが、 |
などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、 |
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3.5.12 | 「風邪がひどくて、養生しております時なので」 |
「 |
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3.5.13 | とあれば、はしたなくて |
と言うので、不体裁な思いで退出なさった。 |
と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。 |
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第六段 鬚黒、男子二人を連れ帰る |
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3.6.1 | 幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。 六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、 |
二人の男の子を車に乗せて話しながら来たのであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、 |
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3.6.2 | 「やはり、ここにいなさい。 会いに来るのにも安心して来られるであろうから」 |
「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」 |
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3.6.3 | とおっしゃる。 悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子、たいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が、見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると、格段の相違で、すべてお慰めになる。 |
と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将は予期しなかった物思いの加わった気がしたものの、美しい |
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3.6.4 | うち |
さっぱり途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれて、ひどく不愉快にお嘆きになる。 |
それきり夫人のほうへ大将は何とも言ってやらなかった。侮辱的なあの日の待遇がもたらした反動的な現象のように、冷淡にしていると宮邸の人をくやしがらせていた。 |
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3.6.5 | 春の上もお聞きになって、 |
紫の |
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3.6.6 | 「わたしまで、恨まれる原因になるのがつらいこと」 |
「私までも恨まれることになるのがつらい」 |
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3.6.7 | とお嘆きになるので、大臣の君は、気の毒だとお思いになって、 |
と |
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3.6.8 | 「難しいことだ。 自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられても、こだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。 兵部卿宮なども、お恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても、思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って、恨みもお解けになったようだ。 自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っております」 |
「むつかしいものですよ。自分の思いどおりにもできない人なのだから、この問題で陛下も御不快に |
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3.6.9 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
とも言っていた。 |
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第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ |
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第一段 玉鬘、新年になって参内 |
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4.1.1 | かかることどもの |
このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分は、ますます晴れる間もないでいるのを、大将は、お気の毒にとお気づかい申し上げて、 |
大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう |
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4.1.2 | 「あの参内なさる予定であったことも、沙汰止みになって、お妨げ申したのを、帝におかせられても、快からず何か含むところがあるようにお聞きあそばし、方々もお考えになるところがあるだろう。 宮仕えの女性を妻にしている男もいないではないが」 |
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4.1.3 | と思い返して、年が改まってから、参内させ申し上げなさる。 男踏歌があったので、ちょうどその折に、参内の儀式をたいそう立派に、この上なく整えて参内なさる。 |
と言い出したので、春になっていよいよ尚侍の出仕のことが実現された。 |
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4.1.4 | お二方の大臣たち、この大将のご威勢までが加わり、宰相中将、熱心に気を配ってお世話申し上げなさる。 兄弟の公達も、このような機会にと集まって、ご機嫌を取りに近づいて、大事になさる様子、たいそう素晴らしい。 |
二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢いが添ったのであるから、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしていた。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うらやましいほどにぎわしかった。 |
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4.1.5 | ことに |
承香殿の東面にお局を設けてある。 西に宮の女御がいらしたので、馬道だけの間隔であるが、お心の中は、遠く離れていらっしゃったであろう。 御方々は、どの方となく競争なさい合って、宮中では、奥ゆかしくはなやいだ時分である。 格別家柄の劣った更衣たち、多くも伺候なさっていない。 |
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4.1.6 | 中宮、弘徽殿女御、この宮の王女御、左大臣の女御などが伺候していらっしゃる。 その他には、中納言、宰相の御息女が二人ほどが伺候していらっしゃるのであった。 |
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第二段 男踏歌、貴顕の邸を回る |
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4.2.1 | 踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違って、ことに賑やかな見物なので、どなたもどなたも綺羅を尽くし、袖口の色の重なり、うるさいほど立派に整えていらっしゃる。 春宮の女御も、たいそう華やかになさって、春宮は、まだお若くいらっしゃるが、すべての面でたいそう風流である。 |
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4.2.2 | 帝の御前、中宮の御方、朱雀院と参って、夜がたいそう更けてしまったので、六条院には、今回は仰々しいのでとお取り止めになる。 朱雀院から帰参して、春宮の御方々を回るうちに、夜が明けた。 |
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4.2.3 | ほのぼのと美しい夜明けに、たいそう酔い乱れた恰好をして、「竹河」を謡っているところを見ると、内大臣家の御子息が、四、五人ほど、殿上人の中で、声が優れ、器量も美しくて、うち揃っていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。 |
ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「 |
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4.2.4 | やむごとなくまじらひ |
殿上童の八郎君は、正妻腹の子で、たいそう大切になさっているのが、とてもかわいらしくて、大将殿の太郎君と立ち並んでいるのを、尚侍の君も、他人とはお思いにならないので、お目が止まった。 高貴な身分で長く宮仕えしていらっしゃる方々よりも、この御局の袖口は、全体の感じが今風で、同じ衣装の色合い、襲なりであるが、他の所より格別華やかである。 |
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4.2.5 | ご本人も女房たちも、このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら、と思い合っていた。 |
尚侍自身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活をしばらくは続けてみたいと思っていた。 |
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4.2.6 | どこでも同じように、肩にお被けになる綿の様子も、色艶も格別に洗練なさって、こちらは水駅であったが、様子が賑やかで、女房たちが心づかいし過ぎるほどで、一定の作法通りの御饗応など、用意がしてある様子は、特別に気を配って、大将殿がおさせになったのであった。 |
どちらでも |
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第三段 玉鬘の宮中生活 |
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4.3.1 | 宿直所にいらっしゃって、一日中、申し上げなさることは、 |
大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、 |
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4.3.2 | 「夜になったら、ご退出おさせ申そう。 このような機会にと、急にお考えが変わる宮仕えは安心でない」 |
退出を今夜のことにしたいと思います。出仕した以上はなおとどまっていたいと、あなたが考えるであろう宮仕えというものは、私にとって苦痛です。 |
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4.3.3 | とのみ、 さぶらふ |
とばかり、同じことをご催促申し上げなさるが、お返事はない。 伺候している女房たちが、 |
こんなことばかりを書いて送るのであったが、 |
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4.3.4 | 「大臣が、『急いで退出することなく、めったにない参内なので、ご満足あそばされるくらいに。 お許しがあってから、退出なさるよう』と、申し上げていらしたので、今夜は、あまりにも急すぎませんか」 |
源氏の大臣が、あまり短時日でなく、たまたま上がったのであるから、陛下がもう帰ってもよいと仰せになるまで上がっていて帰るようにとおっしゃいましたことですから。それに今晩とはあまり御無愛想なことになりませんかと私たちは存じます。 |
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4.3.5 | と申し上げたのを、たいそうつらく思って、 |
と大将の所へ書いて来た。大将は |
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4.3.6 | 「あれほど申し上げたのに、何とも思い通りに行かない夫婦仲だなあ」 |
「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」 |
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4.3.7 | とうち |
とお嘆きになっていらっしゃった。 |
と |
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4.3.8 | 「これより」とて |
兵部卿宮、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても、気が落ち着かず、このお局あたりを思わずにはいらっしゃれないので、堪えきれずにお便りを申し上げなさった。 大将は、近衛府の御曹司にいらっしゃる時であった。 「そこから」と言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。 |
兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自身の |
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4.3.9 | 「深山木と仲よくしていらっしゃる鳥が またなく疎ましく思われる春ですねえ |
またなく |
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4.3.10 | 鳥の囀る声が耳に止まりまして」 |
さえずる声にも耳がとどめられてなりません。 |
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4.3.11 | とある。 お気の毒に思って、顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。 |
とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へ |
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第四段 帝,玉鬘のもとを訪う |
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4.4.1 | 「かかる かの いとなつかしげに、 |
月が明るいので、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まるで、あの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。 「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、拝見なさる。 あの方のお気持ちは浅くはないが、嫌な物思いをしたけれど、こちらは、どうしてそのように思わせなさろう。 たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もないほどにお思いなさるよ。 顔を袖で隠して、お返事も申し上げなさらないので、 |
明るい月の光にお美しい |
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4.4.2 | 「妙に黙っていらっしゃるのですね。 昇進なども、ご存知であろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性格なのですね」 |
「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのですね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」 |
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4.4.3 | とのたまはせて、 |
と仰せになって、 |
と仰せになって、 |
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4.4.4 | 「どうしてこう一緒になりがたいあなたを 深く思い染めてしまったのでしょう |
「などてかくはひ合ひがたき紫を 心に深く思ひ |
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4.4.5 | これ以上深くはなれないのでしょうか」 |
濃くはなれない運命だろうか」 |
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4.4.6 | と仰せになる様子、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいので、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。 宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。 |
若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、 |
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4.4.7 | 「どのようなお気持ちからとも存じませんでした この紫の色は、 |
「いかならん色とも知らぬ紫を 心してこそ人はそめけれ |
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4.4.8 | ただ今からはそのように存じましょう」 |
ただ今から改めて御恩を思います」 |
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4.4.9 | と |
と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、 |
と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、 |
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4.4.10 | 「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。 訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」 |
「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きたい。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」 |
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4.4.11 | と、いたう |
と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても嫌だわ」と思われて、「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって伺候していらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。 |
と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに |
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第五段 玉鬘、帝と和歌を詠み交す |
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4.5.1 | みづからも、「 |
大将は、このようにお越しあそばしたのをお聞きになって、ますます心が落ち着かないので、急いでせき立てなさる。 ご自身も、「身分不相応なことも出て来かねない身の上だなあ」と情けなく思うので、落ち着いていらっしゃれず、退出させなさる段取り、もっともらしい口実を作り出して、父大臣など、うまく取り繕いなさって、御退出を許されなさったのであった。 |
大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることがいよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実も作って実父の大臣を |
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4.5.2 | 「それでは。 これに懲りて、二度と出仕をさせない人があっては困る。 たいそうつらい。 誰より先に望んだ気持ちが、人に先を越されて、その人の御機嫌を伺うことよ。 昔の誰それの例も、持ち出したい気がします」 |
「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてくれない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の |
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4.5.3 | とて、まことにいと |
と仰せになって、 |
と仰せになって、 |
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4.5.4 | お聞きあそばしていた時よりも、格段に実際に素晴らしいのを、初めからそのような気持ちがないにせよ、お見逃しになれないだろうに、なおさらたいそう悔しく、残念にお思いなさる。 |
聞こし召したのに数倍した |
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4.5.5 | けれども、まったく出来心からと、疎んじられまいとして、たいそう愛情深い程度にお約束なさって、親しみなさるのも、恐れ多く、「わたしは、わたしだわ、と思っているのに」とお思いになる。 |
こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、 |
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4.5.6 | 御輦車を寄せて、こちら方、あちら方の、お世話役の人々が待ち遠しがって、大将も、たいそううるさいほどお側を離れず、世話をお焼きになる時まで、お離れあそばされない。 |
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4.5.7 | 「こんなに厳重な付ききりの警護は不愉快だ」 |
「 |
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4.5.8 | と |
とお憎みあそばす。 |
と帝はお憎みになった。 |
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4.5.9 | 「幾重にも霞が隔てたならば、 梅の花の香は宮中まで匂って来な |
ただかばかりも |
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4.5.10 | 格別どうという歌ではないが、ご様子、物腰を拝見している時は、結構に思われたのであろうか。 |
何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。 |
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4.5.11 | 「野原が懐かしいので、このまま夜明かしをしたいが、そうさせたくないでいる人が、自分の身につまされて気の毒に思う。 どのようにお便りしたらよいものか」 |
「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」 |
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4.5.12 | とお悩みあそばすのも、「まことに恐れ多いこと」と、拝する。 |
と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。 |
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4.5.13 | 「香りだけは風におことづけください 美しい花の枝に並ぶべくもないわたしですが」 |
かばかりは風にもつてよ花の 立ち並ぶべき |
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4.5.14 | やはり冷たく扱われない様子を、しみじみとお思いになりながら、振り返りがちにお帰りあそばした。 |
と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。 |
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第六段 玉鬘、鬚黒邸に退出 |
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4.6.1 | そのまま今夜、あの邸にとお考えになっていたが、前もってはお許しが出ないだろうから、打ち明け申されずに、 |
すぐに大将は自邸へ |
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4.6.2 | 「急にたいそう風邪で気分が悪くなったものですから、気楽な所で休ませます間、よそに離れていてはたいそう不安でございますから」 |
「にわかに |
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4.6.3 | と、穏やかに申し上げなさって、そのままお移し申し上げなさる。 |
と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま |
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4.6.4 | 父内大臣は、急なことで、「格式が欠けるようではないか」とお思いになるが、「強引に、そのくらいのことで反対するのも、気を悪くするだろう」とお思いになると、 |
内大臣は婚家へ娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の大将の感情を害することになろうと思って、 |
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4.6.5 | 「どのようにでも。 もともとわたしの自由にならないお方のことだから」 |
「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」 |
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4.6.6 | と、申し上げなさるのであった。 |
という返事を内大臣はした。 |
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4.6.7 | 六条殿は、「あまりに急で不本意だ」とお思いになるが、どうしようもない。 女も、思ってもみなかった身の上を、情けないとお思いになるが、盗んで来たらと、たいそう嬉しく安心した。 |
源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無理なことのようである。玉鬘も心にない |
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4.6.8 | あの、お入りあそばしたことを、たいそう嫉妬申し上げなさるのも、不愉快で、やはりつまらない人のような気がして、夫婦仲は疎々しい態度で、ますます機嫌が悪い。 |
帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に |
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4.6.9 | あの宮家でも、あのようにきつくおっしゃったが、たいそう後悔なさっているが、まったく音沙汰もない。 ただ念願が叶ったお世話で、毎日いそしんでお過ごしになる。 |
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第七段 二月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る |
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4.7.1 | 二月になった。 大殿は、 |
二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。 |
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4.7.2 | 「それにしても、 無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」、と、体裁悪く、何から何までお気にならない時とてなく、恋しく思い出さずには |
これほどはっきりと玉鬘を自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。 |
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4.7.3 | 「運命などと言うのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように誰のせいでもなく物思いをするのだ」 |
宿縁は無視できないものであっても、自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのである |
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4.7.4 | と、 |
と、寝ても起きても幻のようにまぶたにお見えになる。 |
と、日夜面影にその人を見ていた。 |
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4.7.5 | 大将のような、趣味も、愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮されつまらなく思われなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降って、とてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所にお行きになって、お話しになったことなどが、たいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。 |
風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにして今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。 |
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4.7.6 | 右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。 |
右近の所へそっとその手紙は送られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思うことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。 |
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4.7.7 | 「降りこめられてのどやかな春雨のころ 昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか |
かきたれてのどけきころの春雨に ふるさと人をいかに忍ぶや |
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4.7.8 | 所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くございますが、どのようにして分かるように申し上げたらよいのでしょうか」 |
私も退屈なものですから、いろいろ恨めしくなったりすることがあるのですが、どうしてそれをお聞かせしてよいかわかりません。 |
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4.7.9 | などあり。 |
などとある。 |
などと書かれてあった。 |
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4.7.10 | 人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心でも、月日のたつにつれて、思い出さずにはいらっしゃれないご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。 |
人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、恋しい、どうかして |
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4.7.11 | いかなりけることならむとは、 |
時々、厄介であったご様子を、気にくわなくお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。 実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。 |
時々源氏の不純な |
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4.7.12 | お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご不審に思われようか」と思って、お書きになる。 |
返事を、「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」 と言って、 |
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4.7.13 | 「物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか |
ながめする軒の うたかた人を忍ばざらめや |
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4.7.14 | 時がたつと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。 あなかしこ」 |
それが長い時間でございますから、 |
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4.7.15 | と、ゐやゐやしく |
と、恭しくお書きになっていた。 |
とうやうやしく書かれてあった。 |
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第八段 源氏、玉鬘の返書を読む |
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4.8.1 | 手紙を広げて、玉水がこぼれるように思わずにはいらっしゃれないが、「人が見たら、体裁悪いことだろう」と、平静を装っていらっしゃるが、胸が一杯になる思いがして、あの昔の、尚侍の君を朱雀院の母后が無理に逢わせまいとなさった時のことなどをお思い出しになるが、目前のことだからであろうか、こちらは普通と変わって、しみじみと心うつのであった。 |
それを前に |
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4.8.2 | 「色好みの人は、本心から求めて物思いの絶えない人なのだ。 今は何のために心を悩まそうか。 似つかわしくない恋の相手であるよ」 |
好色な男はみずから求めて苦しみをするものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないか |
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4.8.3 | と、冷静になるのに困って、お琴を掻き鳴らして、やさしくしいてお弾きになった爪音が、思い出さずにはいらっしゃれない。 和琴の調べを、すが掻きにして、 |
と源氏は思って、忘れようとする心から琴を |
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4.8.4 | 「 |
「玉藻はお刈りにならないで」 |
「 |
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4.8.5 | と、謡い興じていらっしゃるのも、恋しい人に見せたならば、感動せずにはいられないご様子である。 |
と歌っているこのふうを、恋しい人に見せることができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。 |
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4.8.6 | 帝におかせられても、わずかに御覧あそばしたご器量ご様子を、お忘れにならず、 |
帝もほのかに御覧になった玉鬘の |
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4.8.7 | 「赤裳を垂れ引いて去っていってしまった姿を」 |
「 |
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4.8.8 | と、 |
と、耳馴れない古歌であるが、お口癖になさって、物思いに耽っておいであそばすのであった。 お手紙は、そっと時々あるのであった。 わが身を不運な境遇と思い込みなさって、このような軽い気持ちのお手紙のやりとりも、似合わなくお思いになるので、うち解けたお返事も申し上げなさらない。 |
という古歌は露骨に感情を言っただけのものであるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになったもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。 |
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4.8.9 | やはり、あの、またとないほどであったお心配りを、何かにつけて深くありがたく思い込んでいらっしゃるお気持ちが、忘れられないのであった。 |
玉鬘は今になって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。 |
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第九段 三月、源氏、玉鬘を思う |
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4.9.1 | 三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに見る目にも美しい姿でお座りになっていらしたご様子ばかりが思い出さずにはいらっしゃれないので、春の御前を放って、こちらの殿に渡って御覧になる。 |
三月になって、六条院の庭の |
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4.9.2 | 呉竹の籬に、自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。 |
竹のませ |
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4.9.3 | 「 |
「色に衣を」 |
「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」 |
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4.9.4 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、 |
この歌を源氏は口ずさんでいた。 |
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4.9.5 | 「思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが 心の中では恋い慕っている山吹の花よ |
思はずも井手の中みち隔つとも 言はでぞ恋ふる山吹の花 |
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4.9.6 | 面影に見え見えして」 |
とも言っていた。 |
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4.9.7 | などとおっしゃっても、聞く人もいない。 このように、さすがに諦めていることは、今になってお分かりになるのであった。 なるほど、妙なおたわむれの心であるよ。 |
「夕されば |
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4.9.8 | 鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。 お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、 |
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4.9.9 | 「お目にかからない月日がたちましたが、思いがけないおあしらいだとお恨み申し上げるのも、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくては、お目にかかることの難しいことを、残念に存じております」 |
お逢いできない月日が重なりました。あまりに同情がないというように恨んではいますが、しかし御良人の御同意がなければ万事あなたの御意志だけではできないことを承知していますから、何かの場合でなければお許しの出ることはなかろうと残念に思っています。 |
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4.9.10 | など、 |
などと、親めいてお書きになって、 |
などと親らしく言ってあるのである。 |
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4.9.11 | 「せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね どんな人が手に握っているのでしょう |
おなじ巣にかへりしかひの見えぬかな いかなる人か手ににぎるらん |
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4.9.12 | どうして、こんなにまでもなどと、おもしろくなくて」 |
そんなにまでせずともとくやしがったりしています。 |
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4.9.13 | などあるを、 |
などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、 |
この手紙を大将も見て笑いながら、 |
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4.9.14 | 「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。 まして、どうして、この大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」 |
「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになっているのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」 |
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4.9.15 | と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。 |
こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、 |
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4.9.16 | 「お返事は、わたしは差し上げられません」 |
「私は書けない」 |
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4.9.17 | と、 |
と、書きにくくお思いになっているので、 |
と玉鬘が渋っていると、 |
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4.9.18 | 「まろ |
「わたしがお書き申そう」 |
「今日は私がお返事をしよう」 |
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4.9.19 | と代わるのも、はらはらする思いである。 |
大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。 |
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4.9.20 | 「巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか |
巣隠れて数にもあらぬ いづ方にかはとりかくすべき |
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4.9.21 | 不機嫌なご様子にびっくりしまして。 懸想文めいていましょうか」 |
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4.9.22 | と |
とお返事申し上げた。 |
大将の書いたものはこうであった。 |
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4.9.23 | 「この大将が、このような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。 珍しくて」 |
「この人が |
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4.9.24 | とて、 |
と言って、お笑いになる。 心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。 |
と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。 |
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第五章 鬚黒大将家と内大臣家の物語 玉鬘と近江の君 |
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第一段 北の方、病状進む |
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5.1.1 | かの、もとの |
あの、もとの北の方は、月日のたつにしたがって、あまりな仕打ちだと、物思いに沈んで、ますます気が変になっていらっしゃる。 大将殿の一通りのお世話、どんなことでも細かくご配慮なさって、男の子たちは、変わらずかわいがっていらっしゃるので、すっかり縁を切っておしまいにならず、生活上の頼りだけは、同様にしていらっしゃるのであった。 |
もとの大将夫人は月日のたつにしたがって |
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5.1.2 | 姫君を、たまらなく恋しくお思い申し上げなさるが、全然お会わせ申し上げなさらない。 子供心にも、この父君を、誰もが、みな許すことなくお恨み申し上げて、ますます遠ざけることばかりが増えて行くので、心細く悲しいが、男の子たちは、いつも一緒に行き来しているので、尚侍の君のご様子などを、自然と何かにつけて話し出して、 |
大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせてもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終 |
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5.1.3 | 「わたしたちをも、かわいがってやさしくして下さいます。 毎日おもしろいことばかりして暮らしていらっしゃいます」 |
「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」 |
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5.1.4 | などと言うと、羨ましくなって、このようにして自由に振る舞える男の身に生まれてこなかったことをお嘆きになる。 妙に、男にも女にも物思いをさせる尚侍の君でいらっしゃるのであった。 |
などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。 |
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第二段 十一月に玉鬘、男子を出産 |
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5.2.1 | その そのほどのありさま、 |
その年の十一月に、たいそうかわいい赤子までお生みになったので、大将も、願っていたようにめでたいと、大切にお世話なさること、この上ない。 その時の様子、言わなくても想像できることであろう。 父大臣も、自然に願っていた通りのご運命だとお思いになっていた。 |
その十一月には美しい子供さえも |
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5.2.2 | 特別に大切にお世話なさっているお子様たちにも、ご器量などは劣っていらっしゃらない。 頭中将も、この尚侍の君を、たいそう仲の好い姉弟として、お付き合い申し上げていらっしゃるものの、やはりすっきりしない御そぶりを時々は見せながら、 |
大将の大事にする長男、二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。 |
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5.2.3 | 「入内なさって、その甲斐あってのご出産であったらよかったのに」 |
尚侍として君側に侍した場合を想像していて、 |
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5.2.4 | と、この |
と、この若君のかわいらしさにつけても、 |
生まれた大将の三男の美しい顔を見ても、 |
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5.2.5 | 「今まで皇子たちがいらっしゃらないお嘆きを拝見しているので、どんなに名誉なことであろう」 |
「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門の名誉になることだろう」 |
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5.2.6 | と、あまりのことをぞ |
と、あまりに身勝手なことを思っておっしゃる。 |
となおこの上のことを言って残念がった。 |
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5.2.7 | 公務は、しかるべく取り仕切っているが、参内なさることは、このままこうして終わってしまいそうである。 それもやむをえないことである。 |
尚侍の公務を自宅で不都合なく |
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第三段 近江の君、活発に振る舞う |
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5.3.1 | そうそう、あの内の大殿のご息女で、尚侍を望んでいた女君も、ああした類の人の癖として、色気まで加わって、そわそわし出して、持て余していらっしゃる。 女御も、「今に、軽率なことが、この君はきっとしでかすだろう」と、何かにつけ、はらはらしていらっしゃるが、大臣が、 |
あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた |
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5.3.2 | 「今後は、人前に出てはいけません」 |
「もう女御の所へ行かないように」 |
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5.3.3 | と、戒めておっしゃるのさえ聞き入れず、人中に出て仕えていらっしゃる。 |
と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。 |
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5.3.4 | いかなる |
どのような時であったろうか、殿上人が大勢、立派な方々ばかりが、この女御の御方に参上して、いろいろな楽器を奏して、くつろいだ感じの拍子を打って遊んでいる。 秋の夕方の、どことなく風情のあるところに、宰相中将もお寄りになって、いつもと違ってふざけて冗談をおっしゃるのを、女房たちは珍しく思って、 |
どんな時であったか、女御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていて |
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5.3.5 | 「やはり、どの人よりも格別だわ」 |
「やはり出抜けていらっしゃる方」 |
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5.3.6 | とめづるに、この |
と誉めると、この近江の君、女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる。 |
とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして |
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5.3.7 | 「あら、嫌だわ。 これはどうなさるおつもり」 |
「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」 |
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5.3.8 | と |
と引き止めるが、たいそう意地悪そうに睨んで、目を吊り上げているので、厄介になって、 |
とひそかに |
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5.3.9 | 「軽率なことを、おっしゃらないかしら」 |
「これでしょう、これでしょう」 |
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5.3.10 | と、つき |
と、お互いにつつき合っていると、この世にも珍しい真面目な方を、 |
と言って源中将のきれいであることをほめて |
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5.3.11 | 「この人よ、この人よ」 |
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5.3.12 | と誉めて、小声で騷ぎ立てる声、まことにはっきり聞こえる。 女房たち、とても困ったと思うが、声はとてもはっきりした調子で、 |
騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであった。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、 |
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5.3.13 | 「沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら わたしが棹さして近づいて行きますから、 |
「おきつ船よるべ |
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5.3.14 | 棚なし小舟みたいに、いつまでも一人の方ばかり思い続けていらっしゃるのね。 あら、ごめんなさい」 |
『たななし |
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5.3.15 | と |
と言うので、たいそう不審に思って、 |
と言った。源中将は異様なことであると思った。 |
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5.3.16 | 「こちらの御方には、このようなぶしつけなこと、聞かないのに」と思いめぐらすと、「あの噂の姫君であったのか」 |
女御の所には洗練された女房たちがそろっているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみるとそれは |
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5.3.17 | と、をかしうて、 |
と、おもしろく思って、 |
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5.3.18 | 「寄る所がなく風がもてあそんでいる舟人でも 思ってもいない所には磯伝いしません」 |
よるべなみ風の騒がす船人も 思はぬ方に |
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5.3.19 | とおっしゃったので、引っ込みがつかなかったであろう、とか。 |
と源中将に言われた。「そんなことをしては恥知らずです」とも。 |
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