設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
光る源氏 | ひかるげんじ | 源氏の大臣 太政大臣 六条院 六条の大臣 六条殿 主人の大臣 大臣 大臣の君 殿 |
三十六歳から三十七歳 |
夕霧 | ゆうぎり | 中将の君 中将 中将の朝臣 |
光る源氏の長男 |
玉鬘 | たまかづら | 西の対 西の対の姫君 姫君 |
内大臣の娘 |
第二十八帖 野分 光る源氏の太政大臣時代三十六歳の秋野分の物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語 |
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第一段 八月野分の襲来 |
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1.1.1 | 中宮のお庭先に、秋の花をお植えあそばしていらっしゃることは、例年よりも見る価値が多くあって、ありとあらゆる種類の花を植えて、風情のある皮のある木と皮をはいだ木との籬垣を結い混ぜて、同じ花の枝ぶりや、姿は、朝夕の露の光も世間のと違って、玉かと輝いて、お造りになった野辺の色彩を見ると、一方では、春の山もつい忘れられて、さわやかで気分が晴々するようで、心も浮き立つほどである。 |
【中宮の御前に】- 今上(冷泉院)の中宮(秋好中宮)。その里邸六条院秋の御殿。 【植ゑさせたまへる】- 二重敬語、中宮への重々しい待遇。 【朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて】- 「植ゑたてて君がしめゆふ花なれば玉と見えてや露もおくらむ」(後撰集秋中、二八〇、伊勢) |
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1.1.2 | 春秋の優劣に、昔から秋に心を寄せる人は数多くいたが、名高い春のお庭先の花園に心を寄せた人々が、再び掌を返すように秋に心変わりする様子は、時勢におもねる世情と似ていた。 |
春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の |
【春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを】- 「ふゆごもり 春さりくれば なかざりし 鳥もきなきぬ さかざりし 花もさけれど 山をしげみ いりてもとらず 草ふかみ とりても見えず 秋山の 木のはを見ては もみぢをば とりてぞしのぶ あをきをば おきてぞなげく そこしうらみし 秋山ぞわれは」(万葉集巻一、一六)。「春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされりける(拾遺集雑下、五一一、読人しらず)。「春はただ花こそは散れ野辺ごと錦を張れる秋はまされり」(河海抄所引、出典未詳)。 【名立たる】- 「数知らず君が齢をのばへつつ名立たる宿の露とならなむ」(後撰集秋下、三九四、伊勢)。「露だにも名立たる宿の菊ならば花の主やいくよなるらむ(後撰集秋下、三九五、藤原雅正) 【春の御前】- 六条院春の御殿。 【移ろふけしき、世のありさまに似たり】- 「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」(古今集恋五、七九五、伊勢) |
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1.1.3 | この庭をお気に召して、里住みなさっていらっしゃる間に、管弦のお遊びなども催したいところであるが、八月は故前坊の御忌月にあたるので、気になさりながら毎日過ごしていらっしゃったが、この花の色がいよいよ美しくなっていく様子を御覧になっていると、野分が、いつもの年よりも激しく、空も変わって風が吹き出す。 |
中宮はこれにお心が |
【里居したまふ】- 中宮への重々しい待遇から普通の敬語になる。 【故前坊】- 中宮の父、故前皇太子。 |
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1.1.4 | いろいろの花が萎れるのを、それほどにも思わない人でさえも、まあ、困ったことと心を痛めるのに、まして、草むらの露の玉が乱れるにつれて、お気もどうにかなってしまいそうにご心配あそばしていらっしゃった。 大空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ欲しい感じがした。 日が暮れて行くにつれて、何も見えないほど吹き荒れて、たいそう気味が悪いなので、御格子などをお下ろしになったが、不安でたまらないと花の身をご心配あそばす。 |
草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて |
【露の玉の緒乱るる】- 「白露に風の吹きしく秋の野は貫きとめぬ玉ぞ散りける」(後撰集秋中、三〇八、文屋朝康)。「玉の緒」は歌語。 【おほふばかりの袖は】- 「大空に覆ふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず) |
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第二段 夕霧、紫の上を垣間見る |
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1.2.1 | 南の御殿でも、お庭先の植え込みを手入れさせていらっしゃったちょうどそのころ、このように野分が吹き出して、株もまばらな小萩が、待っていた風にしては激し過ぎる吹き具合である。 枝も折れ曲がって、露も結ばないほど吹き散らすのを、少し端近くに出て御覧になる。 |
南の御殿のほうも前の庭を修理させた直後であったから、この野分にもとあらの |
【南の御殿にも】- 六条院南の御殿、すなわち春の御殿、紫の上方。 【もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風のけしきなり】- 「宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそまて」(古今集恋四、六九四、読人しらず) 【折れ返り、露もとまるまじく】- 「折れ返り」「露」は、「萩」の縁語。 |
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1.2.2 | 大臣は、姫君のお側にいらっしゃった時に、中将の君が参上なさって、東の渡殿の小障子の上から、妻戸の開いている隙間を、何気なく覗き込みなさると、女房たちが大勢見えるので、立ち止まって、音を立てないで見る。 |
源氏は小姫君の所にいたころであったが、中将が来て東の |
【姫君】- 源氏の娘(明石の姫君)、八歳。 【中将の君】- 源氏の子息(夕霧)、従四位下相当官、十五歳。 【東の渡殿】- 寝殿と東の対を繋ぐ渡殿。 【妻戸】- 建物の四隅にある開き戸。 |
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1.2.3 | あぢきなく、 |
御屏風も、風がひどく吹いたので、押したたんで隅に寄せてあるので、すっかり見通せる廂の御座所に座っていらっしゃる方、他の人と間違えようもない、気高く清らかで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする。 どうにもならぬほど、拝見している自分の顔にもふりかかってくるように、魅力的な美しさが一面に広がって、二人といないご立派な方のお姿である。 |
【御屏風も】- 以下、夕霧の眼を通して語られる。 【廂の御座】- 寝殿の南廂の御座所。 【気高くきよらに】- 「気高し」は上品でおかしがたい感じ。「清ら」は源氏物語では天皇・皇族の超一流の美に対して使われる表現。 【春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す】- 「浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな」(拾遺集春、四〇、読人しらず)。「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(古今集恋一、四七九、貫之)。 |
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1.2.4 | 御簾の吹き上げられるのを、女房たちが押さえて、どうしたのであろうか、にっこりとなさっているのが、何とも美しく見える。 いろいろな花を心配なさって、見捨てて中にお入りになることができない。 お側に仕える女房たちも、それぞれにこざっぱりとした姿に見えるが、目が止まるはずもない。 |
【いかにしたるにかあらむ】- 夕霧の疑問、同時に語り手の疑問を介入させた句。 |
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1.2.5 | 「大臣がたいそう遠ざけていらっしゃるのは、このように見る人が心を動かさずにはいられないお美しさなので、用心深いご性質から、万一、このようなことがあってはいけないと、ご懸念になっていたのだ」 |
父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる |
【大臣の】- 以下「なりけり」まで、夕霧の心内。 |
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1.2.6 | と思うと、何となく恐ろしい気がして、立ち去ろうとする、その時、西のお部屋から、内の御障子を引き開けてお越しになる。 |
と思うと、中将は自身の |
【西の御方より】- 姫君のお部屋から。すなわち、ここは東西に細長い寝殿。姫君は西の間に、紫の上は東の間にいる。 |
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1.2.7 | 「とてもひどい、気ぜわしい風ですね。 御格子を下ろしなさいよ。 男たちがいるだろうに、丸見えになっては大変だ」 |
「いやな日だ。あわただしい風だね、格子を皆おろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」 |
【いとうたて】- 以下「あらはにもこそあれ」まで、源氏の紫の上への詞。 |
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1.2.8 | と申し上げなさるのを、再び近寄って見ると、何か申し上げて、大臣もにっこりしてお顔を拝していらっしゃる。 親とも思われず、若々しく美しく優雅で、素晴らしい盛りのお姿である。 |
と源氏が言っているのを聞いて、中将はまた元の場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものを言っていて源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。 |
【もの聞こえて】- 以下、夕霧の眼を通して語られる。 |
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1.2.9 | 女もすっかり成人なさって、何一つ不足のないお二方のご様子であるのを、身にしみて美しく感じられるが、この渡殿の格子も風が吹き放って、立っている所が丸見えになったので、恐ろしくなって立ち退いた。 今ちょうど参上したように咳払いして、簀子の方に歩き出しなさると、 |
女の美もまた完成の域に達した時であろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っている所が中から見えそうになったのに恐れて身を |
【女もねびととのひ】- 夕霧の眼は「女」と捉えている。 |
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1.2.10 | 「さればよ。 あらはなりつらむ」 |
「そらごらん。 見えたかもしれない」 |
「だから私が言ったように不用心だったのだ」 |
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1.2.11 | とて、「かの |
とおっしゃって、「あの妻戸が開いていたことよ」と、今見てお気づきになる。 |
こう言った源氏がはじめて東の妻戸のあいていたことを見つけた。 |
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1.2.12 | 「長年このようなことはちっともなかったものを。 風は、ほんとうに巌も吹き上げてしまうものなのだなあ。 あれほどご用心の深い方々のお心を騒がせて。 珍しく嬉しい目を見たものだ」と思わずにはいられない。 |
長い年月の間こうした機会がとらえられなかったのであるが、風は |
【年ごろかかることの】- 以下「見つるかな」まで、夕霧の心内。 |
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第三段 夕霧、三条宮邸へ赴く |
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1.3.1 | 家司たちが参上して、 |
【人びと参りて】- 家司たち。 |
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1.3.2 | 「たいそうひどい勢いになりそうでございます。 丑寅の方角から吹いて来ますので、こちらのお庭先は静かなのです。 馬場殿や南の釣殿などは危なそうです」 |
「たいへんな風力でございます。北東から来るのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の |
【いといかめしう】- 以下「危ふげになむ」まで、家司たちの詞。 【馬場の御殿、南の釣殿】- 六条院丑寅の町に夏の御殿として馬場殿と釣殿があり、花散里が住む。 |
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1.3.3 | とて、とかくこと |
と申して、 |
などと主人に報告して、 |
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1.3.4 | 「中将は、どこから参ったのか」 |
「中将はどこから来たか」 |
【中将は、いづこよりものしつるぞ】- 「中将」は夕霧。源氏の詞。 |
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1.3.5 | 「 かしこには、まして |
「三条宮におりましたが、『風が激しくなるだろう』と、人々が申しましたので、気がかりで参上いたしました。 あちらでは、ここ以上に心細く、風の音も、今ではかえって幼い子供のように恐がっていらっしゃるようなので。 おいたわしいので、失礼いたします」 |
「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお |
【三条の宮に】- 以下「まかではべりなむ」まで、夕霧の詞。三条の宮には夕霧の祖母大宮がいる。七十歳前後。 |
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1.3.6 | と |
とご挨拶申し上げなさると、 |
と中将は言った。 |
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1.3.7 | 「なるほど、早く、行って上げなさい。 年をとるにつれて、再び子供のようになることは、まったく考えられないことだが、なるほど、老人はそうしたものだ」 |
「ほんとうにそうだ。早く行くがいいね。年がいって若い子になるということは不思議なようでも実は皆そうなのだね」 |
【げに、はや】- 以下「こそあれ」まで、源氏の詞。 |
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1.3.8 | など、あはれがりきこえたまひて、 |
などと、ご同情申し上げなさって、 |
と源氏は大宮に御同情していた。 |
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1.3.9 | 「このように風が騒がしそうでございますが、この朝臣がお側におりましたらばと、存じまして代わらせました」 |
騒がしい天気でございますから、いかがとお案じしておりますが、この |
【かく騒がしげに】- 以下「譲りてなむ」まで、源氏の伝言。 【朝臣】- 親しみをこめて呼ぶ時に用いる。 |
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1.3.10 | と、 |
と、お手紙をお託しになる。 |
という |
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1.3.11 | 道中、激しく吹き荒れる風だが、几帳面でいらっしゃる君なので、三条宮と六条院とに参上して、お目通りなさらない日はない。 内裏の御物忌みなどで、どうしてもやむを得ず宿直しなければならない日以外は、忙しい公事や、節会などの、時間がかかり、用事が多い時に重なっても、真っ先にこの院に参上して、三条宮からご出仕なさったので、まして今日は、このような空模様によって、風より先に立ってあちこち動き回るのは、孝心深そうに見える。 |
途中も吹きまくる風があって |
【三条宮と六条院とに参りて、御覧ぜられたまはぬ日なし】- 夕霧の祖母大宮は母親代わりとなって育てた。「凡そ病患有るに非んば日々必ず親に謁すべし」(九条殿遺誡)。 【かかる空のけしきにより】- 「大風疾雨雷鳴地震水火の変、非常の時は早く親を訪ひ、次に朝に参る」(九条殿遺誡)。 |
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1.3.12 | 大宮は、たいそう嬉しく頼もしくお待ち受けになって、 |
宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。 |
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1.3.13 | 「この年になるまで、いまだこのように激しい野分には遭わなかった」 |
「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」 |
【ここらの齢に】- 以下「あはざりつれ」まで、大宮の詞。 |
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1.3.14 | と、ただわななきにわななきたまふ。 |
と、ただ震えに震えてばかりいらっしゃる。 |
とふるえておいでになった。 |
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1.3.15 | 大きな木の枝などが折れる音も、たいそう気味が悪い。 御殿の瓦まで残らず吹き飛ばすので、「よくぞおいで下さいましたこと」 |
大木の枝の折れる音などもすごかった。家々の |
【大きなる木の枝などの--かくてものしたまへること】- 大宮の詞。『集成』『新大系』は「かくてものしたまへること」を大宮の詞とする。 |
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1.3.16 | と、かつはのたまふ。 そこら |
と、脅えながらも挨拶なさる。 あれほど盛んだったご威勢も今はひっそりとして、この君一人を頼りに思っていらっしゃるのは、無常な世の中である。 今でも世間一般のご声望が衰えていらっしゃることはないけれども、内の大殿のご態度は、親子であるのにかえって疎遠のようであったのだ。 |
はなやかな御生活をあそばされたことも皆過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになる御現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度にあたたかさの欠けたところがあった。 |
【そこら所狭かりし御勢ひ】- 大宮は、帝(桐壷)の妹宮、太政大臣の北の方。今は、未亡人、孫の中将(夕霧)一人を頼りとする。 【内の大殿の御けはひ】- 大宮の嫡男、内大臣。元右大臣の四君に婿入りし、以後別居生活となる。 |
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1.3.17 | 中将は、一晩中激しい風の音の中でも、何となくせつなく悲しい気持ちがする。 心にかけて恋しいと思っていた人のことは、ついさしおかれて、先程の御面影が忘れられないのを、 |
夜通し吹き続ける風に眠りえない中将は、物哀れな気持ちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でした |
【心にかけて恋しと思ふ人】- 夕霧が。伯父内大臣の娘、従兄妹にあたる人(雲居雁)。 【ありつる御面影】- 継母(紫の上)の面影。 |
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1.3.18 | 「こは、いかにおぼゆる あるまじき いと |
「これは、どうしたことだろう。 だいそれた料簡を持ったら大変だ。 とても恐ろしいことだ」 |
これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないか |
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1.3.19 | と、みづから |
と、自分自身で気を紛らわして、他の事に考えを移したが、やはり、思わず御面影がちらついては、 |
と思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻が目に見えた。 |
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1.3.20 | 「過去にも将来にも、めったにいない素晴らしい方でいらっしゃったなあ。 このような素晴らしいご夫婦仲に、どうして東の御方が、夫人の一人として肩を並べなさったのだろうか。 比べようもないことだな。 ああ、お気の毒な」 |
過去にも未来にもないような |
【来し方行く末】- 以下「いとほし」まで、夕霧の心内。 【東の御方】- 六条院東北の町の御方、すなわち夕霧の母代の花散里。 |
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1.3.21 | とおぼゆ。 |
とつい思わずにはいられない。 大臣のお気持ちをご立派だとお分かりになる。 |
父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。 |
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1.3.22 | 人柄がたいそう誠実なので、不相応なことを考えはしないが、「あのような美しい方とこそ、同じ結婚をするなら、妻にして暮らしたいものだ。 限りのある寿命も、きっともう少しは延びるだろう」と、自然と思い続けられる。 |
まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはしないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるであろうなどと思い続けていた。 |
【さやうならむ人】- 以下「延びなむかし」まで、夕霧の心内。 |
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第四段 夕霧、暁方に六条院へ戻る |
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1.4.1 | 明け方に風が少し湿りを含んで、雨が村雨のように降り出す。 |
明け方に風が少し湿気を帯びた重い音になって |
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1.4.2 | 「六条院では、離れている建物が幾棟か倒れた」 |
「六条院では離れた建築物が皆倒れそうでございます」 |
【六条院には】- 以下「倒れたり」まで、人々の声。 |
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1.4.3 | など |
などと人々が申す。 |
などと侍が報じた。 |
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1.4.4 | 「風が吹き巻いているうちは、広々とはなはだ高い感じのする六条院には、家司たちは、殿のいらっしゃる御殿あたりには大勢詰めていようが、東の町などは、人少なで心細く思っていらっしゃることだろう」 |
風が |
【風の】- 以下「思されつらむ」まで、夕霧の心内。 |
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1.4.5 | とおどろきたまひて、まだほのぼのとするに |
とお気づきになって、まだ夜がほんのりとする時分に参上なさる。 |
と中将は驚いて、まだほのぼの |
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1.4.6 | 道中、横なぐりの雨がとても冷たく吹き込んでくる。 空模様も恐ろしいうえに、妙に魂も抜け出たような感じがして、 |
横雨が冷ややかに車へ吹き込んで来て、空の色もすごい道を行きながらも中将は、魂が何となく身に添わぬ気がした。 |
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1.4.7 | 「どうしたことか。 更に自分の心に物思いが加わったことよ」と思い出すと、「まことに似つかわしくないことでであるよ。 ああ、気違いじみている」 |
これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと |
【何ごとぞや。またわが心に思ひ加はれるよ】- 夕霧の心内。 【いと似げなきことなりけり。あな、もの狂ほし】- 夕霧の心内。 |
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1.4.8 | と、あれやこれやと思いながら、東の御方にまず参上なさると、脅えきっていらっしゃったところなるので、いろいろとお慰め申して、人を呼んで、あちこち修繕すべきことを命じ置いて、南の御殿に参上なさると、まだ御格子も上げていない。 |
自分は狂気したのかともいろいろに苦しんで六条院へ着いた中将は、すぐに東の夫人を見舞いに行った。非常におびえていた花散里をいろいろと慰めてから、 |
【懼ぢ極じて】- 『集成』は「極(ごう)」は「極(ごく)」の音便、疲れる意、『完訳』は通説の「困(こう)じて」とする。「極(ごう)ず」が適切。 【まだ御格子も参らず】- 御簾を上げてない。 |
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1.4.9 | おはしますに |
いらっしゃる近くの高欄に寄り掛かって、見渡すと、築山の多数の木を吹き倒して、枝がたくさん折れて落ちていた。 草むらは言うまでもなく、桧皮、瓦、あちこちの立蔀、透垣などのような物までが散乱していた。 |
中将は源氏の寝室の前にあたる高欄によりかかって庭をながめていた。風のあとの |
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1.4.10 | 日がわずかに差したところ、悲しい顔をしていた庭の露がきらきらと光って、空はたいそう冷え冷えと霧がかかっているので、何とはなしに涙が落ちるのを、拭い隠して、咳払いをなさると、 |
わずかだけさした日光に恨み顔な草の露がきらきらと光っていた。空はすごく曇って、霧におおわれているのである。こんな |
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1.4.11 | 「中将が挨拶しているようだ。 夜はまだ深いことだろうな」 |
「中将が来ているらしい。まだ早いだろうに」 |
【中将の】- 以下「深からむ」まで、源氏の詞。 |
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1.4.12 | とおっしゃって、お起きになる様子である。 何事であろうか、お話し申し上げなさる声はしないで、大臣がお笑いになって、 |
と言って源氏は起き出すのであった。何か夫人が言っているらしいが、その声は聞こえないで源氏の笑うのが聞こえた。 |
【何ごとにかあらむ】- 以下「笑ひたまひて」まで、夕霧と語手の疑問が一体になった表現。 |
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1.4.13 | 「昔でさえ味わわせることのなかった、暁の別れですよ。 今になって経験なさるのは、つらいことでしょう」 |
「昔もあなたに経験させたことのない夜明けの別れを、今はじめて知って寂しいでしょう」 |
【いにしへだに】- 以下「心苦しからむ」まで、源氏の詞。 |
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1.4.14 | とおっしゃって、しばらくの間仲睦まじくお語らいになっていらっしゃるお二方のご様子は、たいそう優雅である。 女のお返事は聞こえないが、かすかながら、このように冗談を申し上げなさる言葉の様子から、「水も漏らさないご夫婦仲だな」と、聞いていらっしゃった。 |
と言っているのが感じよく聞こえた。女王の言葉は聞こえないのであるが、一方の言葉から推して、こうした戯れを言い合う今も緊張した間柄であることが中将にわかった。 |
【ゆるびなき御仲らひかな】- 夕霧の感想。 |
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第五段 源氏、夕霧と語る |
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1.5.1 | 御格子をご自身でお上げになるので、あまりに近くにいたのが具合悪く、退いて控えていらっしゃる。 |
格子を源氏が手ずからあけるのを見て、あまり近くいることを遠慮して、中将は少し後へ |
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1.5.2 | 「どうであった。 昨夜は、大宮はお待ちかねでお喜びになったか」 |
「どうだったか、昨晩伺ったことで宮様はお喜びになったかね」 |
【いかにぞ】- 以下「たまひきや」まで、源氏の詞。 |
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1.5.3 | 「はい。 ちょっとしたことにつけても、涙もろくいらっしゃいますので、たいそう困ったことでございます」 |
「そうでございました。何でもないことにもお泣きになりますからお気の毒で」 |
【しか】- 以下「こそはべれ」まで、夕霧の詞。 |
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1.5.4 | と |
と申し上げなさると、お笑いになって、 |
と中将が言うと源氏は笑って、 |
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1.5.5 | 「 まめやかに さるは、 |
「もう先も長くはいらっしゃるまい。 ねんごろにお世話して上げるがよい。 内大臣は、こまかい情愛がないと、愚痴をこぼしていらっしゃった。 人柄は妙に派手で、男性的過ぎて、親に対する孝養なども、見ための立派さばかりを重んじて、世間の人の目を驚かそうというところがあって、心底のしみじみとした深い情愛はない方でいらっしゃった。 それはそれとして、物事に思慮深く、たいそう賢明な方で、この末世では過ぎたほど学問も並ぶ者がなく、閉口するほどだが。 人間として、このように欠点のないことは難しいことだなあ」 |
「もう長くはいらっしゃらないだろう。誠意をこめてお仕えしておくがいい。内大臣はそんなふうでないと私へおこぼしになったことがある。華美なきらきらしいことが好きで、親への孝行も人目を驚かすようにしたい人なのだね。情味を持ってどうしておあげしようというようなことのできない人なのだよ。複雑な性格で、非常な |
【今いくばくも】- 以下「ことはかたかりける」まで、源氏の詞。 |
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1.5.6 | などのたまふ。 |
などとおっしゃる。 |
などと源氏は言うのであった。 |
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1.5.7 | 「たいそうひどい風だったが、中宮の御方には、しっかりした宮司などは控えていただろうか」 |
「あの大風に |
【いとおどろおどろしかりつる】- 以下「さぶらひつらむや」まで、源氏の詞。 |
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1.5.8 | とて、この |
とおっしゃって、この中将の君を使者として、お見舞を差し上げなさる。 |
と言って、源氏は中将を見舞いに出すのであった。 |
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1.5.9 | 「昨夜の風の音は、どのようにお聞きあそばしましたでしょうか。 吹き荒れていましたが、あいにく風邪をひきまして、とてもつらいので、休んでいたところでございました」 |
昨晩の風のきついころはどうしておいでになりましたか。私は少しそのころから |
【夜の風の音は】- 以下「ほどになむ」まで、源氏の中宮への伝言。 |
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1.5.10 | と |
とご伝言申し上げなさる。 |
という |
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第六段 夕霧、中宮を見舞う |
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1.6.1 | 中将は御前を辞して、中の廊の戸を通って、参上なさる。 朝日をうけたお姿は、とても立派で素晴らしい。 東の対の南の側に立って、寝殿の方を遥かに御覧になると、御格子は、まだ二間ほど上げたばかりで、かすかな朝日の中に、御簾を巻き上げて、女房たちが座っていた。 |
そこを立ち廊の戸を通って中宮の町へ出て行く若い中将の朝の姿が美しかった。東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに |
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1.6.2 | 高欄にいく人も寄り掛かっている、若々しい女房ばかりが大勢見える。 気を許している姿はどんなものであろうか、はっきり見えない早朝では、色とりどりの衣装を着た姿は、どれもこれも美しく見えるものでる。 |
高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着に |
【うちとけたるはいかがあらむ】- 語り手の推測。 【さやかならぬ明けぼののほど】- 大島本は「あけほの(ほの=くれイ)ゝほと」とある。すなわち異本には「くれ」とあると傍記する。『新大系』は底本の本行本文に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「明けぐれ」とする。 |
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1.6.3 | 童女を庭にお下ろしになって、いくつもの虫籠に露をおやりになっていらっしゃるのであった。 紫苑、撫子、濃い薄い色の袙の上に、女郎花の汗衫などのような、季節にふさわしい衣装で、四、五人連れ立って、あちらこちらの草むらに近づいて、色とりどりの虫籠をいくつも持ち歩いて、撫子などの、たいそう可憐な枝をいく本も取って参上する、その霧の中に見え隠れする姿は、たいそう優艷に見えるのであった。 |
中宮は童女を庭へおろして |
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1.6.4 | あとから吹いて来る追風は、紫苑の花すべてが匂う空も、薫物の香も、お触れになった御移り香のせいかと、想像されるのもまことにみごとなので、つい緊張されて、御前に進みにくいけれども、小声で咳払いして、お歩き出しになると、女房たちははっきりと驚いた顔ではないが、皆奥に入ってしまった。 |
お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香の |
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1.6.5 | 御入内されたころなどは、子供だったので、御簾の中によくお入りなにっていたので、女房なども、たいしてよそよそしくはない。 お見舞いを言上させなさって、宰相の君や、内侍などのいる様子がするので、私事も小声でお話しになる。 こちらはこちらで、何といっても、気品高く暮らしていらっしゃる様子を見るにつけ、さまざまなことが思い出される。 |
宮の |
【御参りのほど】- 中宮の入内は「絵合」巻。夕霧、十歳の頃である。 【宰相の君、内侍など】- 宰相の君、内侍、いずれも女房。 |
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第二章 光源氏の物語 六条院の女方を見舞う物語 |
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第一段 源氏、中宮を見舞う |
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2.1.1 | 南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜、見捨てることのできなかった花々が、見るかげもなく萎れて倒れているのを御覧になった。 中将が、御階にお座りになって、お返事を申し上げなさる。 |
帰って来ると南御殿は格子が皆上げられてあって、夫人は |
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2.1.2 | 「激しい風を防いでくださいましょうかと、子供のように心細がっておりましたが、今はもう安心しました」 |
荒い風もお防ぎくださいますでしょうと若々しく頼みにさせていただいているのでございますから、お見舞いをいただきましてはじめて安心いたしました。 |
【荒き風をも】- 以下「はべりぬる」まで、夕霧の詞。中宮の返事。 |
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2.1.3 | と |
と申し上げなさると、 |
というのである。 |
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2.1.4 | 「妙に気が弱くいらっしゃる宮だ。 女ばかりでは、空恐ろしくお思いであったに違いない昨夜の様子だったから、おっしゃる通り、不親切だとお思いになったことであろう」 |
「弱々しい宮様なのだからね、そうだったろうね。女はだれも皆こわくてたまるまいという気のした夜だったからね、実際不親切に |
【あやしく】- 以下「思いつらむ」まで、源氏の詞。 |
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2.1.5 | とおっしゃって、すぐに参上なさる。 御直衣などをお召しになろうとして、御簾を引き上げてお入りになる時、「低い御几帳を引き寄せて、わずかに見えたお袖口は、きっとあの方であろう」と思うと、胸がどきどきと高鳴る気がするのも、いやな感じので、他の方へ視線をそらした。 |
と言って、源氏はすぐに御訪問をすることにした。 |
【短き御几帳】- 以下「こそはあらめ」まで、夕霧の眼を通して語る。 |
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2.1.6 | 殿が御鏡などを御覧になって、小声で、 |
源氏は鏡に向かいながら小声で夫人に言う、 |
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2.1.7 | 「中将の朝の姿は、美しいな。 今はまだ、子供のはずなのに、不体裁でなく見えるのも、親心の迷いからであろうか」 |
「中将の朝の姿はきれいじゃありませんか、まだ小さいのだが洗練されても見えるように思うのは親だからかしら」 |
【中将の朝けの姿は】- 以下「心の闇にや」まで、源氏の詞。「わが背子が朝明の姿よく見ずて今日のあひだを恋ひ暮らすかも」(万葉集巻十二、二八五二、読人知らず)。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。 |
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2.1.8 | と言って、ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のようです。 とてもたいそう気をおつかいになって、 |
鏡にある自分の顔はしかも最高の優越した美を持つものであると源氏は自信していた。身なりを整えるのに苦心をしたあとで、 |
【わが御顔は、古りがたくよしと見たまふべかめり】- 語り手の批評。 |
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2.1.9 | 「中宮にお目にかかるのは、気後れする感じがします。 特に人目につく趣味ありげなところも、お見えでない方だが、奥の深い感じがして何かと気をつかわされるお人柄も方です。 とてもおっとりして女らしい感じですが、なにかおもちのようでいらっしゃいますよ」 |
「中宮にお目にかかる時はいつも晴れがましい気がする。なんらの見識を表へ出しておいでになるのでないが、前へ出る者は気がつかわれる。おおように女らしくて、そして高い批評眼が備わっているというようなかただ」 |
【宮に】- 以下「おはするや」まで、源氏の詞。 |
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2.1.10 | とて、 |
とおっしゃって、外にお出になると、中将は物思いに耽って、すぐにはお気づきにならない様子で座っていらっしゃったので、察しのよい人のお目にはどのようにお映りになったことか、引き返してきて、女君に、 |
こう言いながら源氏は御簾から出ようとしたが、中将が一方を見つめて源氏の来ることにも気のつかぬふうであるのを、鋭敏な神経を持つ源氏はそれをどう見たか引き返して来て夫人に、 |
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2.1.11 | 「昨日、風の騷ぎに、中将はお隙見したのではないでしょうか。 あの妻戸が開いていたからね」 |
「 |
【昨日】- 以下「開きたりしによ」まで、源氏の詞。 |
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2.1.12 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、お顔を赤らめて、 |
と言うと女王は顔を赤くして、 |
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2.1.13 | 「どうして、そのようなことがございましょう。 渡殿の方には、人の物音もしませんでしたもの」 |
「そんなこと。 |
【いかでか】- 以下「せざりしものを」まで、紫上の詞。 |
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2.1.14 | と |
とお答え申し上げなさる。 |
と言っていた。 |
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2.1.15 | 「やはり、変だ」と独り言をおっしゃって、お渡りになりった。 |
「しかし、疑わしい」 |
【なほ、あやし】- 源氏の独語。 【渡りたまひぬ】- 中宮の御殿へ。 |
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2.1.16 | 御簾の中にお入りになってしまったので、中将は、渡殿の戸口に女房たちのいる様子がしたので近寄って、冗談を言ったりするが、悩むことのあれこれが嘆かわしくて、いつもよりもしんみりとしていらっしゃった。 |
源氏はこう |
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第二段 源氏、明石御方を見舞う |
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2.2.1 | こなたより、やがて |
こちらから、そのまま北の町に抜けて、明石の御方をお見舞いになると、これといった家司らしい人なども見えず、もの馴れた下女どもが、草の中を分け歩いている。 童女などは、美しい衵姿にくつろいで、心をこめて特別にお植えになった龍胆や、朝顔の蔓が這いまつわっている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれと引き出して、元の姿を求めているのであろう。 |
そこからすぐに北へ通って |
【こなたより】- 中宮の秋の御殿。 【とかく引き出で尋ぬるなるべし】- 語り手の想像。 |
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2.2.2 | 何となくもの悲しい気分で、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない不断着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、たいそう立派なものである。 端の方にちょっとお座りになって、風のお見舞いだけをおっしゃって、そっけなくお帰りになるのが、恨めしげである。 |
物哀れな気持ちになっていて明石は十三 |
【いといたし】- 語り手の感想。 【心やましげなり】- 語り手の感想。 |
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2.2.3 | 「ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も つらいわが身だけにはしみいるような気がして」 |
おほかたの うき身一つに |
【おほかたに荻の葉過ぐる風の音も--憂き身ひとつにしむ心地して】- 明石御方の独詠歌。「いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋と告げつる風のわびしさ」(後撰集秋上、二二〇、読人しらず)。 |
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2.2.4 | とひとりごちけり。 |
とつい独り言をいうのであった。 |
こんなことを口ずさんでいた。 |
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第三段 源氏、玉鬘を見舞う |
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2.3.1 | 西の対では、恐ろしく思って夜をお明かしになった、その影響で、寝過ごして、今やっと鏡などを御覧になるのであった。 |
源氏が東の町の西の対へ行った時は、夜の風が恐ろしくて明け方まで眠れなくて、やっと睡眠したあとの寝過ごしをした |
【西の対】- 花散里の東の御殿の西の対、玉鬘が住む。 |
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2.3.2 | 「仰々しく先払い、するな」 |
たいそうに先払いの声を出さないように |
【ことことしく前駆、な追ひそ】- 源氏の詞。 |
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2.3.3 | とおっしゃるので、特に音も立てないでお入りになる。 屏風などもみな畳んで隅に寄せ、乱雑にしてあったところに、日がぱあっと照らし出した時、くっきりとした美しい様子をして座っていらっしゃった。 その近くにお座りになって、いつものように、風の見舞いにかこつけても同じように、厄介な冗談を申し上げなさるので、たまらなく嫌だわと思って、 |
と源氏は注意していて、そっと座敷へはいった。 |
【聞こえ戯れ】- 源氏が玉鬘に。 【うたてと思ひて】- 主語は玉鬘。 |
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2.3.4 | 「このように情けないなので、昨夜の風と一緒に飛んで行ってしまいとうございましたわ」 |
「そんなふうなことを言って、私をお困らせになりますから、私はあの風に吹かれて行ってしまいたく思いました」 |
【かう心憂ければこそ】- 以下「はべりつれ」まで、玉鬘の詞。 |
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2.3.5 | と、むつかりたまへば、いとよくうち |
と、御機嫌を悪くなさると、たいそうおもしろそうにお笑いになって、 |
と |
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2.3.6 | 「風と一緒に飛んで行かれるとは、軽々しいことでしょう。 そうはいっても、落ち着くところがきっとあることでしょう。 だんだんこのようなお気持ちが出てきたのですね。 もっともなことです」 |
「風に吹かれてどこへでも行ってしまおうというのは少し軽々しいことですね。しかしどこか吹かれて行きたい目的の所があるでしょう。あなたも自我を現わすようになって、私を愛しないことも明らかにするようになりましたね。もっともですよ」 |
【風につきて】- 以下「ことわりや」まで、源氏の詞。 |
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2.3.7 | とのたまへば、 |
とおっしゃるので、 |
と源氏が言うと、 |
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2.3.8 | 「げに、うち |
「なるほど、ふと思ったままに申し上げてしまったわ」 |
【げに】- 以下「聞こえてけるかな」まで、玉鬘の心。 |
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2.3.9 | と まみのあまりわららかなるぞ、いとしも その |
とお思いになって、自分自身でもほほ笑んでいらっしゃるのが、とても美しい顔色であり、表情である。 酸漿などというもののようにふっくらとして、髪のかかった隙間から見える頬の色艶が美しく見える。 目もとのほがらか過ぎる感じが、特に上品とは見えなかったのであった。 その他は、少しも欠点のつけようがなかった。 |
玉鬘は思ったままを誤解されやすい言葉で言ったものであると自身ながらおかしくなって笑っている顔の色がはなやかに見えた。 |
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第四段 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る |
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2.4.1 | かく |
中将は、たいそう親しげにお話し申し上げていらっしゃるのを、「何とかこの姫君のご器量を見たいものだ」と思い続けていたので、隅の間の御簾を、その奥に几帳は立ててあったがきちんとしていなかったので、静かに引き上げて中を見ると、じゃま物が片づけてあったので、たいそうよく見える。 このようにふざけていらっしゃる様子がはっきりわかるので、 |
中将は父の源氏がゆっくりと話している間に、この異腹の姉の顔を一度のぞいて知りたいとは平生から願っていることであったから、 |
【いかでこの御容貌見てしがな】- 夕霧の心。 |
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2.4.2 | 「妙なことだ。 親子とは申せ、このように懐に抱かれるほど、馴れ馴れしくしてよいものだろうか」 |
親子であっても |
【あやしのわざや】- 以下「近かべきほどは」まで、夕霧の心。 |
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2.4.3 | と目がとまった。 「見つけられはしまいか」と恐ろしいけれども、変なので、びっくりして、なおも見ていると、柱の陰に少し隠れていらっしゃったのを、引き寄せなさると、御髪が横になびいて、はらはらとこぼれかかったところ、女も、とても嫌でつらいと思っていらっしゃる様子ながら、それでも穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃるのは、 |
と目がとまった。源氏に見つけられないかと恐ろしいのであったが、好奇心がつのってなおのぞいていると、柱のほうへ |
【見やつけたまはむ】- 夕霧の心。 【柱隠れに】- 以下、夕霧の視点で語られる。 |
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2.4.4 | 「ことと いで、あなうたて。 いかなることにかあらむ。 むべなりけりや。 あな、 |
「すっかり親密な仲になっているらしい。 いやはや、ああひどい。 どうしたことであろうか。 抜け目なくいらっしゃるご性分だから、最初からお育てにならなかった娘には、このようなお思いも加わるのだろう。 もっともなことだが。 ああ、嫌だ」 |
始終このなれなれしい場面の演ぜられていることも中将に |
【ことと馴れ馴れしきに】- 以下「あな疎まし」まで、夕霧の心を通して語られる。 |
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2.4.5 | と思う自分自身までが気恥ずかしい。 「女のご様子は、なるほど、姉弟といっても、少し縁遠くて、異母姉弟なのだ」などと思うと、「どうして、心得違いを起こさないだろうか」と思われる。 |
と真相を知らない中将にこう思われている源氏は気の毒である。玉鬘は兄弟であっても同腹でない、母が違うと思えば心の動くこともあろうと思われる美貌であることを中将は知った。 |
【と思ふ心も恥づかし】- 夕霧の性格に対する語り手の批評。 【女の御さま】- 以下「異腹ぞかし」まで夕霧の心。 【などか、心あやまりもせざらむ】- 夕霧の心。 |
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2.4.6 | 昨日拝見した方のご様子には、どこか劣って見えるが、一目見ればにっこりしてしまうところは、肩も並べられそうに見える。 八重山吹の花が咲き乱れた盛りに、露の置いた夕映えのようだと、ふと思い浮かべずにはいられない。 季節に合わないたとえだが、やはり、そのように思われるのであるよ。 花は美しいといっても限りがあり、ばらばらになった蘂などが混じっていることもあるが、姫君のお姿の美しさは、たとえようもないものなのであった。 |
昨日見た |
【昨日見し御けはひには、け劣りたれど】- 地の文でありながら、夕霧の判断を含ませた心の文と一体化した文章。 【折にあはぬよそへどもなれど】- 以下「たとへむ方なきものなりけり」まで、夕霧の譬喩が今の季節に合わないとする語り手の批評。 |
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2.4.7 | 御前には女房も出て来ず、たいそう親密に小声で話し合っていらっしゃったが、どうしたのであろうか、真面目な顔つきでお立ち上がりになる。 女君は、 |
だれも女房がそばへ出て来ない間、親しいふうに二人の男女は語っていたが、どうしたのかまじめな顔をして源氏が立ち上がった。玉鬘が、 |
【いかがあらむ】- 語り手の推測。 【女君】- 玉鬘。 |
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2.4.8 | 「吹き乱す風のせいで女郎花は 萎れてしまいそうな気持ちがいたします」 |
吹き乱る風のけしきに |
【吹き乱る風のけしきに女郎花--しをれしぬべき心地こそすれ】- 玉鬘の和歌。「濡れ濡れも明けばまづ見む宮城野のもとあらの萩はしをれぬらむ」(長能集、一三) |
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2.4.9 | はっきりとは聞こえないが、お口ずさみになるのをかすかに聞くと、憎らしい気がする一方で興味がわくので、やはり最後まで見届たいが、「近くにいたなと悟られ申すまい」と思って、立ち去った。 |
と言った。これはその人の言うのが中将に聞こえたのではなくて、源氏が口にした時に知ったのである。不快なことがまた好奇心を引きもして、もう少し見きわめたいと中将は思ったが、近くにいたことを見られまいとしてそこから |
【うち誦じたまふ】- 源氏が玉鬘の歌を。 【なほ見果てまほしけれど】- 夕霧の心を語り手が忖度。 【近かりけりと見えたてまつらじ】- 夕霧の心。 |
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2.4.10 | お返歌は、 |
源氏が、 |
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2.4.11 | 「下葉の露になびいたならば 女郎花は荒い風には萎れないでしょうに |
「しら露に 荒き風にはしをれざらまし |
【下露になびかましかば女郎花--荒き風にはしをれざらまし】- 源氏の返歌。「女郎花」「風」「しをれ」の語句を受けて返す。 |
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2.4.12 | なよ |
なよ竹を御覧なさい」 |
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2.4.13 | などと、聞き間違いであろうか、あまり聞きよい歌ではない。 |
と言ったと思ったのは、中将の |
【など、ひが耳にやありけむ、聞きよくもあらずぞ】- 源氏の返歌があまり上手な出来でないとする語り手の批評。 |
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第五段 源氏、花散里を見舞う |
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2.5.1 | 東の御方へ、ここからお渡りになる。 今朝の寒さのせいで内輪の仕事であろうか、裁縫などをする老女房たちが御前に大勢いて、細櫃らしい物に、真綿をひっかけて延ばしている若い女房たちもいる。 とても美しい朽葉色の羅や、流行色でみごとに艶出ししたのなどを、ひき散らかしていらっしゃった。 |
【東の御方へ】- 花散里のお部屋。 【これより】- 玉鬘の居所から。夏の御殿の西の対の文殿を改造した部屋。 【うちとけわざにや】- 源氏の眼を通して語られる。 |
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2.5.2 | 「中将の下襲か。 御前での壷前栽の宴もきっと中止になるだろう。 このように吹き散らしたのでは、何の催し事ができようか。 興ざめな秋になりそうだ」 |
「なんですこれは、中将の |
【中将の下襲か】- 以下「秋なめり」まで、源氏の花散里への詞。 |
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2.5.3 | などのたまひて、 |
などとおっしゃって、何の着物であろうか、さまざまな衣装の色が、とても美しいので、「このような技術は南の上にも負けない」とお思いになる。 御直衣、花文綾を、近頃摘んできた花で、薄く染め出しなさったのは、たいそう申し分ない色をしていた。 |
などと言いながら、何になるのかさまざまの染め物織り物の美しい色が集まっているのを見て、こうした見立ての巧みなことは南の女王にも劣っていない人であると源氏は花散里を思った。源氏の |
【何にかあらむ】- 源氏と語り手が一体化した推測。 【かやうなる方は、南の上にも劣らずかし】- 源氏の心内。花散里の裁縫染色の技量が南の上(紫の上)にも劣らないことを認める。 |
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2.5.4 | 「中将にこそ、このようなのをお着せなさるがよい。 若い人の直衣として無難でしょう」 |
「これは中将に着せたらいい色ですね。若い人には似合うでしょう」 |
【中将にこそ】- 以下「めやすかめり」まで、源氏の花散里への詞。 |
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2.5.5 | などというようなことを申し上げなさって、お渡りになった。 |
こんなことも言って源氏は帰って行った。 |
【などやうのことを】- 語り手の概括の加わった表現。 |
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第三章 夕霧の物語 幼恋の物語 |
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第一段 夕霧、雲井雁に手紙を書く |
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3.1.1 | 気疲れのする方々をお回りになるお供をして歩いて、中将は、何となく気持ちが晴れず、書きたい手紙など、日が高くなってしまうのを心配しながら、姫君のお部屋に参上なさった。 |
【姫君の御方】- 明石の姫君のお部屋。 |
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3.1.2 | 「まだあちらにおいであそばします。 風をお恐がりあそばして、今朝はお起きになれませんでしたこと」 |
「まだ御寝室にいらっしゃるのでございますよ。風をおこわがりになって、 |
【まだあなたに】- 以下「上がりたまはざりつる」まで、乳母の詞。 【え--ざりつる】- 「え」(副詞)--打消しの助動詞「ず」の構文。不可能の意を表す。 |
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3.1.3 | と、 |
と、御乳母が申し上げる。 |
と、 |
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3.1.4 | 「ひどい荒れようでしたから、宿直しようと存じましたが、宮が、たいそう恐がっていらっしゃったものですから。 お雛様の御殿は、いかがでいらっしゃいましたか」 |
「悪い天気でしたからね。こちらで |
【もの騒がしげ】- 以下「いかがおはすらむ」まで、夕霧の詞。 【思ひたまへしを】- 謙譲の補助動詞「たまへ」下二段活用。 |
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3.1.5 | と |
とお尋ねになると、女房たちは笑って、 |
女房たちは笑って言う、 |
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3.1.6 | 「扇の風でさえ吹けば、たいへんなことにお思いになっているのを、危うく吹き壊されるところでございました。 この御殿のお世話に、困りっております」などと話す。 |
「扇の風でもたいへんなのでございますからね。それにあの風でございましょう。私どもはどんなに困ったことでしょう」 |
【扇の風だに】- 以下「わびにてはべり」まで、女房の詞。 |
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3.1.7 | 「大げさでない紙はありませんか。 お局の硯を」 |
「何でもない紙がありませんか。それからあなたがたがお使いになる |
【ことことしからぬ】- 以下「御局の硯」まで、夕霧の詞。 |
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3.1.8 | と |
とお求めになると、御厨子に近寄って、紙一巻を、御硯箱の蓋に載せて差し上げたので、 |
と中将が言ったので女房は |
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3.1.9 | 「いや、これは恐れ多い」 |
「これはあまりよすぎて私の役にはたちにくい」 |
【いな、これはかたはらいたし】- 夕霧の詞。 |
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3.1.10 | とおっしゃるが、北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして、手紙をお書きになる。 |
と言いながらも、中将は姫君の生母が |
【北の御殿】- 明石の御方。 |
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3.1.11 | 紫の薄様の紙であった。 墨は、ていねいにすって、筆先を見い見いして、念を入れて書きながら筆を休めていらっしゃるのが、とても素晴らしい。 けれども、妙に型にはまって、感心しない詠みぶりでいらっしゃった。 |
それは淡紫の |
【紫の薄様なりけり】- 以下「ものしたまへ」まで、語り手の評。 |
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3.1.12 | 「風が騒いでむら雲が乱れる夕べにも 片時の間もなく忘れることのできないあなたです」 |
風騒ぎむら雲迷ふ夕べにも 忘るるまなく忘られぬ君 |
【風騒ぎむら雲まがふ夕べにも--忘るる間なく忘られぬ君】- 夕霧から雲井雁への贈歌。 |
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3.1.13 | 風に吹き乱れた刈萱にお付けになったので、女房たちは、 |
という歌の書かれた手紙を、穂の乱れた |
【吹き乱れたる苅萱】- 「まめなれどよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに」(古今六帖六、刈萱、三七八五)を踏まえて、共寝してみたいと詠んで贈った。 |
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3.1.14 | 「交野の少将は、紙の色と同じ色の物に揃えましたよ」と申し上げる。 |
「 |
【交野の少将は】- 以下「ととのへはべりりけれ」まで、女房の詞。 |
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3.1.15 | 「それくらいの色も考えつかなかったな。 どこの野の花を付けようか」 |
「そんな風流が私にはできないのですからね。送ってやる人だってまたそんなものなのですからね」 |
【さばかりの色も】- 以下「花よ」まで、夕霧の詞。 【いづこの野辺のほとりの花】- 引歌があるか、未詳。 |
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3.1.16 | など、かやうの |
などと、このような女房たちにも、言葉少なに応対して、気を許すふうもなく、とてもきまじめで気品がある。 |
中将はこうした女房にもあまりなれなれしくさせない |
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3.1.17 | もう一通お書きになって、右馬助にお渡しになったので、美しい童や、またたいそう心得ている御随身などに、ひそひそとささやいて渡すのを、若い女房たちは、ひどく知りたがっている。 |
中将はもう一通書いてから |
【馬の助に】- 夕霧の側近。 |
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第二段 夕霧、明石姫君を垣間見る |
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3.2.1 | お戻りあそばすというので、女房たちがざわめき、几帳を元に直したりする。 先ほど見た花の顔たちと、比べて見たくて、いつもは覗き見など関心もない人なのに、無理に、妻戸の御簾に身体を入れて、几帳の隙間を見ると、物蔭から、ちょうどいざっていらっしゃるところが、ふと目に入った。 |
姫君がこちらへ来ると言って、女房たちがにわかに立ち騒いで、 昨日から今朝にかけて見た麗人たちと比べて見ようとする気になって、平生はあまり興味を持たないことであったが、妻戸の |
【渡らせたまふ】- 「せ」(尊敬の助動詞)+「たまふ」(尊敬の補助動詞)、最高敬語。主語は、明石姫君。 【もののそばより】- 以下、夕霧の目を通して語られる明石姫君。 |
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3.2.2 | 女房が大勢行ったり来たりするので、はっきりわからないほどなので、たいそうじれったい。 薄紫色のお召物に、髪がまだ背丈には届いていない末の広がったような感じで、たいそう細く小さい身体つきが可憐でいじらしい。 |
女房が前を |
【髪のまだ丈には】- 明石姫君、八歳。 |
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3.2.3 | 「一昨年ぐらいまでは、偶然にもちらっとお姿を拝見したが、またすっかり成長なさったようだ。 まして盛りになったらどんなに美しいだろう」と思う。 「あの前に見た方々を、桜や山吹と言ったら、この方は藤の花と言うべきであろうか。 木高い木から咲きかかって、風になびいている美しさは、ちょうどこのような感じだ」と思い比べられる。 「このような方々を、思いのままに毎日拝見していたいものだ。 そうあってもよい身内の間柄なのに、事ごとに隔てを置いて厳しいのが恨めしいことだ」などと思うと、誠実な心も、何やら落ち着かない気がする。 |
一昨年ごろまでは |
【一昨年ばかりは】- 以下「いかならむ」まで、夕霧の心。 【かの見つる先々の、桜、山吹】- 以下「あるかし」まで、夕霧の心。「桜」は紫の上、「山吹」は玉鬘をさす。 【これは】- 明石姫君。 【かかる人びとを】- 以下「つらけれ」まで、夕霧の心。 |
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第三段 内大臣、大宮を訪う |
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3.3.1 | よろしき |
祖母宮のお側に参上なさると、静かにお勤めをなさっている。 まずまずの若い女房などは、こちらにも伺候しているが、物腰や様子、衣装なども、栄華を極めている所とは比較にもならない。 器量のよい尼君たちが、墨染の衣装で質素にしているのが、かえってこのような所では、それなりにしみじみとした感じがするのであった。 |
三条の宮へ行くと宮は静かに仏勤めをしておいでになった。若い美しい女房はここにもいるが、身なりも取りなしも盛りの家の夫人たちに使われている人たちに比べると見劣りがされた。顔だちのよい尼女房の墨染めを着たのなどはかえってこうした場所にふさわしい気がして感じよく思われた。 |
【祖母宮の御もとに】- 三条宮邸の祖母宮。 |
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3.3.2 | 内大臣も参上なさったので、御殿油などを灯して、のんびりとお話など申し上げになさる。 |
内大臣も宮を御訪問に来て、 |
【御物語など聞こえたまふ】- 内大臣と大宮との会話。夕霧はこの場面にいない。 |
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3.3.3 | 「 |
「姫君に久しくお目にかからないのが情けないこと」 |
「姫君に長く |
【姫君を】- 以下「あさましきこと」まで、大宮の詞。姫君とは雲居雁。 |
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3.3.4 | とて、ただ |
とおっしゃって、ただひたすらお泣きになる。 |
とお言い出しになって、宮はお泣きになった。 |
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3.3.5 | 「もうすぐこちらに参上させましょう。 自分からふさぎ込んでいまして、惜しいことに痩せてしまっているようです。 女の子は、はっきり申せば、持つべきではございませんでした。 何かにつけて、心配ばかりさせられました」 |
「近いうちにお伺わせいたします。自身から物思いをする人になって、哀れに衰えております。女の子というものは実際持たなくていいものですね。何につけかにつけ親の苦労の絶えないものです」 |
【今このごろのほどに】- 以下「尽くされはべりける」まで、内大臣の詞。 |
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3.3.6 | などと、依然として不快にこだわっている様子でおっしゃるので、情けなくて、ぜひにともお申し上げなさらない。 その話の折に、 |
内大臣はまだあの古い過失について許し切っていないように言うのを、宮は悲しくお思いになって、望んでおいでになることは口へお出しになれなかった。話の続きに大臣は、 |
【心憂くて】- 大宮の心。 |
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3.3.7 | 「たいそう不出来な娘を持ちまして、手を焼いてしまいました」 |
「ものにならない娘が一人出て来まして困っております」 |
【いと不調なる娘】- 以下「もてわづらひはべりぬ」まで、内大臣の詞。近江の君のこと。 |
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3.3.8 | と、 |
と、愚痴をおこぼしになって、にが笑いなさる。 宮、 |
と母宮に訴えた。 |
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3.3.9 | 「まあ、変ですこと。 あなたの娘という以上、出来の悪いことがありましょうか」 |
「どうしてでしょう。娘という名がある以上おとなしくないわけはないものですが」 |
【いで、あやし】- 以下「やうやある」まで、大宮の詞、皮肉を含む。 |
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3.3.10 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
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3.3.11 | 「それが体裁の悪いことなのでございます。 ぜひ、御覧に入れたいものです」 |
「それがそういかないのです。醜態でございます。お笑いぐさにお目にかけたいほどです」 |
【それなむ】- 以下「御覧ぜさせむ」まで、内大臣の詞。 |
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3.3.12 | と、 |
と申し上げなさったとか。 |
と大臣は言っていた。 |
【聞こえたまふとや】- 語り手が伝聞したということを表した形。 |
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