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第三十帖 藤袴

光る源氏の太政大臣時代三十七歳秋八月から九月の物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係


第一段 玉鬘、内侍出仕前の不安

1.1.1 尚侍としての御出仕のことを、どなたもどなたもお勧めなさるが、
尚侍(ないしのかみ)になって御所へお勤めするようにと、
1.1.2
いかならむ
(おや)(おも)ひきこゆる(ひと)御心(みこころ)だに、うちとくまじき()なりければましてさやうの()じらひにつけて、(こころ)よりほかに便(びん)なきこともあらば中宮(ちゅうぐう)女御(にょうご)も、(かた)がたにつけて(こころ)おきたまはば、はしたなからむに、わが()はかくはかなきさまにて、いづ(かた)にも(ふか)(おも)ひとどめられたてまつれるほどもなく(あさ)きおぼえにて、ただならず(おも)()ひ、いかで人笑(ひとわら)へなるさまに見聞(みき)きなさむとうけひたまふ(ひと)びとも(おほ)とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべき」を、もの(おぼ)()るまじきほどにしあらねばさまざまに(おも)ほし(みだ)れ、人知(ひとし)れずもの(なげ)かし。
「どうしたものだろうか。
親とお思い申し上げる方のお気持ちでさえ、気を許すことのできない世の中なので、ましてそのような宮仕えにつけて、思いがけない不都合なことが生じたら、中宮にも女御にも、それぞれ気まずい思いをお持ちになったら、立つ瀬がなくなるだろうから、自分の身の上はこのように頼りない状態で、どちらの親からも深く愛していただける縁もなく、世間からも軽く見られているので、いろいろと取り沙汰されたり、何とか物笑いの種にしようと呪っている人々も多く、何かにつけて、嫌なことばかりあるにちがいない」からと、分別のないお年頃でもないから、いろいろとお思い悩んで、独り嘆いていらっしゃる。
源氏はもとより実父の内大臣のほうからも勧めてくることで玉鬘(たまかずら)煩悶(はんもん)をしていた。それがいいことなのであろうか、養父のはずである源氏さえも絶対の信頼はできぬ男性の好色癖をややもすれば見せて自分に臨むのであるから、お仕えする君との間に、こちらは受動的にもせよ情人関係ができた時は、中宮(ちゅうぐう)女御(にょご)も不快に思われるに違いない、そして自分は両家のどちらにも薄弱な根底しかない娘である。中宮や女御における後援は期して得られるものでない上に、自分の幸運げな外見をうらやんで何か悪口をする機会がないかとうかがっている人を多く持っていてはその時の苦しさが想像されると、若いといってももう少女でない玉鬘は思って苦しんでいるのである。
1.1.3
さりとてかかるありさまも()しきことはなけれど、この大臣(おとど)御心(みこころ)ばへの、むつかしく(こころ)づきなきも、いかなるついでにかはもて(はな)れて、(ひと)()(はか)るべかめる(すぢ)を、(こころ)きよくもあり()つべき。
「そうかといって、このままの状態も悪いことはないけれども、この大臣のお気持ちの、厄介で厭わしいのも、どのような機会に、すっきりと断ち切って、世間の人が邪推しているらしいことを、潔白で通すことができようか。
そうかといって今のままで境遇を変えずにいることはいやなことではないが、源氏の恋から離れて、世間の臆測(おくそく)したことが真実でなかったと人に知らせる機会というものの得られないのは苦しい。
1.1.4
まことの父大臣(ちちおとど)も、この殿(との)(おぼ)さむところ(はばか)りたまひて、うけばりてとり(はな)ち、けざやぎたまふべきことにもあらねば、なほとてもかくても見苦(みぐる)しう、かけかけしきありさまにて、(こころ)(なや)まし、(ひと)にもて(さわ)がるべき()なめり」
実の父大臣も、こちらの殿のお考えに、遠慮なさって、堂々と引き取って、はっきり娘としてお扱いになることはないのだから、やはりいずれにしても、外聞悪く、色めいた有様で、心を悩まし、世間の人から噂される身の上のようだ」
実父も源氏の感情をはばかって、親として乗り出して世話をしてくれるようなことはないと見なければならない。曖昧(あいまい)な立場にいて自身は苦労をし、人からは嫉妬(しっと)をされなければならない自分であるらしいと玉鬘は(なげ)かれるのであった。
1.1.5
と、なかなかこの親尋(おやたづ)ねきこえたまひて(のち)は、ことに(はばか)りたまふけしきもなき大臣(おとど)(きみ)(おほん)もてなしを()(くは)へつつ人知(ひとし)れずなむ(なげ)かしかりける。
と、かえって実の親をお捜し当てなさった後は、とくに遠慮なさるご様子もない大臣の君のお扱いを加え加えして、独り嘆いているのであった。
実父に引き合わせてからはもう源氏は道徳的にはばからねばならぬことから解放されたように、戯れかかることの多くなったことも玉鬘を憂鬱(ゆううつ)にした。
1.1.6
(おも)ふことを、まほならずとも、片端(かたはし)にてもうちかすめつべき女親(をんなおや)もおはせず、いづ(かた)もいづ(かた)も、いと()づかしげに、いとうるはしき(おほん)さまどもには、(なに)ごとをかはさなむ、かくなむとも()こえ()きたまはむ。
()(ひと)()()のありさまを、うち(なが)めつつ、夕暮(ゆふぐれ)(そら)あはれげなるけしきを、端近(はしちか)うて見出(みい)だしたまへるさま、いとをかし。
悩み事を、すっかりでなくとも、一部分だけでも漏らすことのできる女親もいらっしゃず、どちらの親も、とても立派で近づきがたいご様子では、どのようなことを、ああですとか、こうですとか申し上げて理解していただけようか。
世間の人とは違ったわが身の上を、物思いに耽りながら、夕暮の空のしみじみとした様子を、端近くに出て眺めていらっしゃる姿、たいそう美しい。
自分の心持ちをにおわしてだけでも言うことのできる母というものを玉鬘は持っていなかった。東の夫人にせよ、南の夫人にせよ、娘らしく、また母らしくはして交わってくれるが、どうしてそんな貴婦人に内密の相談などが持ちかけられようと思うと、だれよりも哀れなのは自分の身の上であるような気がして、夕方の空の身にしむ色を、縁に近い座敷からながめて物思いをしているのであったが、その様子はきわめて美しかった。

第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問

1.2.1
(うす)鈍色(にびいろ)御衣(おほんぞ)なつかしきほどにやつれて(れい)()はりたる(いろ)あひにしも、容貌(かたち)はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前(おまへ)なる(ひと)びとは、うち()みて()たてまつるに、宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)(おな)(いろ)の、(いま)すこしこまやかなる直衣姿(なほしすがた)にて纓巻(えいま)きたまへる姿(すがた)しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。
薄色の御喪服を、しっとりと身にまとって、いつもと変わった色合いに、かえってその器量が引き立って美しくいらっしゃるのを、御前の女房たちは、にっこりして拝しているところに、宰相中将が、同じ喪服の、もう少し色の濃い直衣姿で、纓を巻いていらっしゃる姿が、またたいそう優雅で美しくいらっしゃった。
淡鈍(うすにび)色の喪服を玉鬘は祖母の宮のために着ていた。そのために顔がいっそうはなやかに引き立って見えるのを、女房たちは楽しんでながめている所へ、源宰相の中将が、これも(にび)色の今少し濃い目な直衣(のうし)を着て、冠を巻纓(まきえい)にしているのが平生よりも(えん)に思われる姿で(たず)ねて来た。
1.2.2
(はじ)めより、ものまめやかに心寄(こころよ)せきこえたまへば、もて(はな)れて疎々(うとうと)しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、(いま)あらざりけりとて、こよなく()はらむもうたてあれば、なほ御簾(みす)几帳添(きちゃうそ)へたる御対面(おほんたいめん)は、人伝(ひとづ)てならでありけり。
殿(との)御消息(おほんせうそこ)にて内裏(うち)より(おほ)(ごと)あるさまやがてこの(きみ)のうけたまはりたまへるなりけり。
初めから、誠意を持って好意をお寄せ申し上げていらっしゃったので、他人行儀にはなさらなかった習慣から、今、姉弟ではなかったといって、すっかりと態度を改めるのもいやなので、やはり御簾に几帳を加えたご面会は、取り次ぎなしでなさるのであった。
殿のお使いとして、宮中からのお言葉の内容を、そのままこの君がお承りなさったのであった。
最初のころから好意を表してくれる人であったから、玉鬘のほうでも親しく取り扱った習慣から、今になっても兄弟ではないというような態度をとることはよろしくないと思って、御簾(みす)几帳(きちょう)を添えただけの隔てで、話は取り次ぎなしでした。今日は源氏の用で来たのである。宮中からあった仰せを源氏は子息によって伝えさせたのである。
1.2.3
御返(おほんかへ)り、おほどかなるものから、いとめやすく()こえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かの野分(のわき)(あした)御朝顔(おほんあさがほ)(こころ)にかかりて(こひ)しきを、うたてある(すぢ)(おも)ひし、()(あき)らめて(のち)は、なほもあらぬ心地添(ここちそ)ひて、
お返事は、おっとりとしたものの、たいそう難のなくお答え申し上げなさる態度が、いかにも才気があって女性らしいのにつけても、あの野分の朝のお顔が心にかかって恋しいので、いやなことだと思ったが、真相を聞き知ってから後は、やはり平静ではいられない気持ちが加わって、
おおようではあるが要領を得た返辞をする様子に、中将は貴女(きじょ)と話し合う快感が覚えられた。野分(のわき)の朝にのぞいた顔の美しさの忘られないのを、その人は姉ではないかと恋しくなる心を責めていた中将であったが、そうした(さわ)りの除かれた今は恋人としてこの人を中将は考えていた。
1.2.4 「この宮仕えをなさっても、普通のことではお諦めになるまい。
あれほどに見事なご夫人たちとの間柄でも、美しい人であるための厄介なことが、きっと起こるだろう」
尚侍の職をお勤めさせになるだけで(みかど)は御満足をあそばすまい、この世で第一の美貌(びぼう)をお持ちになる帝との間に恋愛関係は必ずできてくることであろう
1.2.5
(おも)ふに、ただならず、(むね)ふたがる心地(ここち)すれど、つれなくすくよかにて、
と思うと、気が気でなく、胸のふさがる思いがするが、素知らぬ顔で真面目に、
と思うと、中将は胸を何かでおさえつけられる気もするのであったが自制していた。
1.2.6
(ひと)()かすまじとはべりつることを()こえさせむに、いかがはべるべき」
「誰にも聞かせるなとのことでございましたお言葉を申し上げますので、どう致しましょうか」
「人に聞かせぬようにと父が申されましたことを申し上げようと思いますが、よろしいのでしょうか」
1.2.7
とけしき()てば、(ちか)くさぶらふ(ひと)も、すこし退(しりぞ)きつつ、御几帳(みきちゃう)のうしろなどにそばみあへり
と意味ありげに言うので、近くに伺候している女房たちも、少し下がり下がりして、御几帳の後ろなどに顔を横に向け合っていた。
と意味ありげに言っているのを聞いて、女房たちは少し離れた場所を捜して、几帳の後ろのほうなどへ皆行ってしまった。

第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る

1.3.1
そら消息(せうそこ)をつきづきしくとり(つづ)けて、こまやかに()こえたまふ。
主上(うへ)()けしきのただならぬ(すぢ)を、さる御心(みこころ)したまへ、などやうの(すぢ)なり
いらへたまはむ(こと)もなくて、ただうち(なげ)きたまへるほど、(しの)びやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえ(しの)ぶまじく、
嘘の伝言をそれらしく次々と続けて、こまごまと申し上げなさる。
主上のご執心が並大抵ではないのを、ご注意なさい、などというようなことである。
お答えなさる言葉もなくて、ただそっと溜息をついていらっしゃるのが、ひっそりとして、かわいらしくとても優しいので、やはり我慢できず、
中将は源氏の言ったのでもない言葉を、真実らしくいろいろと伝えていた。帝が尚侍にお召しになる御真意は別にあるらしいから、きれいに身を(まも)ろうとすれば始終その心得がなくてはならないというような話である。返辞のできることでもなくて、玉鬘(たまかずら)がただ吐息(といき)をついているのが美しく感ぜられた時に、中将の心にはおさえ切れないものが()き上がってきた。
1.3.2
御服(おほんぶく)も、この(つき)には()がせたまふべきを、()ついでなむ()ろしからざりける。
十三日(じふさんにち)に、河原(かはら)()でさせたまふべきよしのたまはせつ
なにがしも御供(おほんとも)にさぶらふべくなむ(おも)ひたまふる」
「ご服喪も、今月にはお脱ぎになる予定ですが、日が吉くありませんでした。
十三日に、河原へお出であそばすようにとおっしゃっていました。
わたしもお供致したいと存じております」
「私たちの喪服はこの月で()ぐはずですが、暦で調べますと月末はいい日でありませんから延びることになりますね。十三日に加茂の河原へ除服(じょふく)御祓(みそぎ)にあなたがおいでになるように父は決めていられるようです。私もごいっしょに参ろうと思っています」
1.3.3
()こえたまへば、
と申し上げなさると、

1.3.4
たぐひたまはむもことことしきやうにやはべらむ。
(しの)びやかにてこそよくはべらめ」
「ご一緒くださると事が仰々しくございませんか。
人目に立たないほうがよいでしょう」
「ごいっしょでは目だつことになるでしょう。だれにもあまり知られないようにして行くほうがいいかと思います」
1.3.5 とおっしゃる。
このご服喪などの詳細なことを、世間の人に広く知らすまいとしていらっしゃる配慮、たいそう行き届いている。
中将も、
と玉鬘は言っていた。内大臣の娘として大宮の喪に服したことなどは世間へ知らせぬようにせねばならぬと考えるところにこの人の聡明(そうめい)と源氏への思いやりが現われていた。
1.3.6
()らさじと、つつませたまふらむこそ心憂(こころう)けれ。
(しの)びがたく(おも)ひたまへらるる形見(かたみ)なれば、()()てはべらむことも、いともの()くはべるものを
さても、あやしうもて(はな)れぬことの、また心得(こころえ)がたきにこそはべれ
この(おほん)あらはし(ごろも)(いろ)なくは、えこそ(おも)ひたまへ()くまじかりけれ」
「世間の人に知られまいと、隠していらっしゃるのが、たいそう情ないのです。
恋しくてたまらなく存じました方の形見なので、脱いでしまいますのも、たいそう辛うございますのに。
それにしても、不思議にご縁のありますことが、また腑に落ちないのでございます。
この喪服の色を着ていなかったら、とても分からなかったことでしょう」
「隠したくお思いになることが私には恨めしい気もいたしますよ。悲しい祖母のかたみのような喪服ですから、私は脱いでしまうのも惜しく思われるのです。それにしましてもやはりあなたと私とは一人の方を祖母に持っているのですから不思議な気がいたしますね。喪服をお着になることがありませんでしたら、真実のことを私は知らずじまいになったのかもしれません」
1.3.7
とのたまへば、
とおっしゃると、

1.3.8
(なに)ごとも(おも)()かぬ(こころ)にはましてともかくも(おも)ひたまへたどられはべらねど、かかる(いろ)こそ、あやしくものあはれなるわざにはべりけれ」
「何も分別のないわたしには、ましてどういうことか筋道も辿れませんが、このような色は、妙にしみじみと感じさせられるものでございますね」
「私などにはましてよくわかりませんが、とにかく喪服を着ております気持ちは身にしむものですね」
1.3.9
とて、(れい)よりもしめりたる()けしき、いとらうたげにをかし。
と言って、いつもよりしんみりしたご様子、たいそう可憐で美しい。
こう言う玉鬘の平生よりもしんみりとした調子が中将にうれしかった。

第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す

1.4.1
かかるついでにとや(おも)()りけむ(らに)(はな)のいとおもしろきを()たまへりけるを、御簾(みす)のつまよりさし()れて、
このような機会にとでも思ったのであろうか、蘭の花のたいそう美しいのを持っていらっしゃったが、御簾の端から差し入れて、
この時にと思ったのか、手に持っていた(ふじばかま)のきれいな花を御簾(みす)の下から中へ入れて、
1.4.2 「この花も御覧になるわけのあるものです」
「この花も今の私たちにふさわしい花ですから」
1.4.3
とて、とみにも(ゆる)さで()たまへれば、うつたへに(おも)()らで()りたまふ御袖(おほんそで)を、()(うご)かしたり。
と言って、すぐには手放さないで持っていらっしゃったので、全然気づかないで、お取りになろうとするお袖を引いた。
と言って、玉鬘が受け取るまで放さずにいたので、やむをえず手を出して取ろうとする(そで)を中将は引いた。
1.4.4 「あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です
やさしい言葉をかけて下さい、
「おなじ野の露にやつるる藤袴(ふぢばかま)
哀れはかけよかごとばかりも
1.4.5
(みち)()てなる」とかやいと(こころ)づきなくうたてなりぬれど、見知(みし)らぬさまに、やをら()()りて、
「道の果てにある」というのかと思うと、とても疎ましく嫌な気になったが、素知らない様子に、そっと奥へ引き下がって、
道のはてなる(東路(あづまぢ)の道のはてなる常陸帯(ひたちおび)のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」こんなことが言いかけられたのであった。玉鬘にとっては思いがけぬことに当惑を感じながらも、気づかないふうをして、少しずつ身を後ろへ引いて行った。
1.4.6 「尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば
薄紫のご縁とは言いがかりでしょう
「たづぬるに(はる)けき野辺(のべ)の露ならば
うす紫やかごとならまし
1.4.7 このようにして申し上げる以上に、深い因縁はございましょうか」
従姉(いとこ)ということは事実だからいいでしょう。そのほかのことは何も」
1.4.8
とのたまへば、すこしうち(わら)ひて、
とおっしゃるので、少しにっこりして、
と言うと、中将は少し笑って、
1.4.9
(あさ)きも(ふか)きも(おぼ)()(かた)ははべりなむと(おも)ひたまふる。
まめやかには、いとかたじけなき(すぢ)(おも)()りながら、えしづめはべらぬ(こころ)のうちを、いかでかしろしめさるべき。
なかなか(おぼ)(うと)まむがわびしさに、いみじく()めはべるを、(いま)はた(おな)じと(おも)ひたまへわびてなむ
「浅くも深くも、きっとお分かりになることでございましょうと存じます。
実際は、まことに恐れ多い宮仕えのことを存じながら、抑えきれません思いのほどを、どのようにしてお分りになっていただけましょうか。
かえってお疎みになろうことがつらいので、ひどく堪えておりましたのが、今はもう同じこと、ぜひともと思い余って申し上げたのです。
「その事実のほかに考えてくださらなければならないこともおわかりになるはずですがね。常識ではもったいないことだと思っているのですが、この感情はおさえられるものでないのですからお察しください。こんなことを告白してはかえってお憎みを受けることになろうと思って今までは黙っていたのですが、ただ哀れだと思っていただくだけのことで満足したい心にもなっているのです。
1.4.10
頭中将(とうのちゅうじゃう)のけしきは御覧(ごらん)()りきや。
(ひと)(うへ)に、なんど(おも)ひはべりけむ
()にてこそ、いとをこがましく、かつは(おも)ひたまへ()られけれ
なかなか、かの(きみ)(おも)ひさまして、つひに、(おほん)あたり(はな)るまじき(たの)みに(おも)(なぐさ)めたるけしきなど()はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに(おぼ)しおけよ」
頭中将の気持ちはご存知でしたか。
他人事のように、どうして思ったのでございましょう。
自分の身になってみて、たいそう愚かなことだと、その一方でよく分りました。
かえって、あの君は落ち着いていて、結局、ご姉弟の縁の切れないことをあてにして、思い慰めている様子などを拝見致しますのも、たいそう羨ましく憎らしいので、せめてかわいそうだとでもお心に留めてやってください」
(とうの)中将の近ごろの様子をご存じですか、あのころは明らかに第三者だと思っていた私が、こんなに恋の苦しみを味わうようになるなどということは冷淡にした時の報いです。今ではあの人が冷静になってしかもつながる縁のあることに満足しているのですから、うらやましくてなりません。かわいそうだとだけでも私をお心にとめておいてください」
1.4.11
など、こまかに()こえ()らせたまふこと(おほ)かれど、かたはらいたければ()かぬなり
などと、こまごまと申し上げなさることが多かったが、どうかと思われるので書かないのである。
まだいろいろに言ったのであるが、中将のために筆者は遠慮しておく。
1.4.12
尚侍(かん)(きみ)やうやう()()りつつ、むつかしと(おぼ)したれば、
尚侍の君は、だんだんと奥に引っ込みながら、厄介なことだとお思いでいたので、
玉鬘(たまかずら)に気味悪く思うふうの見えるのを知って、
1.4.13
心憂(こころう)()けしきかな
(あやま)ちすまじき(こころ)のほどは、おのづから御覧(ごらん)()らるるやうもはべらむものを」
「冷たいそぶりをなさいますね。
間違い事は決して致さない性格であることは、自然とご存知でありましょうに」
「私を信じてくださらないのですね。ばかな真似(まね)などをする人間でないことはおわかりになっているはずですが」
1.4.14
とて、かかるついでに、(いま)すこし()らさまほしけれど
と言って、このような機会に、もう少し打ち明けたいのだが、
こう中将は言った。この機会にもう少し告げたい感情もあるのであったが、
1.4.15 「妙に気分が悪くなりまして」
「少し気分が悪くなってきましたから」
1.4.16
とて、()()てたまひぬれば、いといたくうち(なげ)きて()ちたまひぬ。
と言って、すっかり入っておしまいになったので、とてもひどくお嘆きになってお立ちになった。
と言って、玉鬘が向こうへはいってしまったのを見て、深く中将は歎息(たんそく)しながら去った。

第五段 夕霧、源氏に復命

1.5.1
なかなかにもうち()でてけるかな」と、口惜(くちを)しきにつけても、かの、(いま)すこし()にしみておぼえし(おほん)けはひを、かばかりの物越(ものご)しにても、「ほのかに御声(おほんこゑ)をだに、いかならむついでにか()かむ」と、やすからず(おも)ひつつ、御前(おまへ)(まゐ)りたまへれば、()でたまひて、御返(おほんかへ)りなど()こえたまふ。
「言わないでもよいことを言ってしまった」と、悔やまれるにつけても、あの、もう少し身にしみて恋しく思われた御方のご様子を、このような几帳越しにでも、「せめてかすかにお声だけでも、どのような機会に聞くことができようか」と、穏やかならず思いながら、殿の御前に参上なさると、お出ましになったので、ご報告など申し上げなさる。
よけいな告白をしたと中将は後悔をしたのであったが、この人以上に身に()んで恋しく思われた紫の女王(にょおう)と、せめてこれほどの接触が許されてほのかな声でも聞きうる機会をどんな時にとらえることができるであろうと、その困難さを思って心を苦しめながら中将は南の町へ来た。源氏はすぐ出て来たので、中将は聞いて来た返事をした。
1.5.2
この宮仕(みやづか)へをしぶげにこそ(おも)ひたまへれ。
(みや)などの、(れん)じたまへる(ひと)にていと心深(こころふか)きあはれを()くし、()(なや)ましたまふになむ(こころ)やしみたまふらむと(おも)ふになむ、心苦(こころぐる)しき。
「この宮仕えを、億劫に思っていらっしゃる。
兵部卿宮などの、恋の道には練達していらっしゃる方で、たいそう深い恋心のありたけを見せて、お口説きなさるのに、心をお惹かれになっていらっしゃるのだろうと思われるのが、お気の毒なのだ。
「御所へ上がるのを、やっとしぶしぶ承諾した形なのだから困る。兵部卿(ひょうぶきょう)の宮などが求婚者で、深刻な情熱の盛られたお手紙が送られていて、そのほうへ心が()かれるのではなかろうかと思うと気の毒な気にもなる。
1.5.3
されど、大原野(おほはらの)行幸(みゆき)に、主上(うへ)()たてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、(おも)ひたまへりき。
(わか)(ひと)は、ほのかにも()たてまつりて、えしも宮仕(みやづか)への(すぢ)もて(はな)れじ。
(おも)ひてなむ、このこともかくものせし」
けれども、大原野の行幸に、主上を拝見なさってからは、たいそうご立派な方でいらっしゃったと、思っておいでであった。
若い人は、ちらっとでも拝見しては、とても宮仕えのことを思い切れまい。
そのように思って、このこともこうしたのだ」
しかし大原野の行幸の時にお(かみ)を拝見して、お美しいと思った様子だったのだからね。若い女は一目でもお顔を拝見すれば宮仕えのできる者は皆出ないではいられまいと思って、最初に私の計らったことなのだが」
1.5.4
などのたまへば、
などとおっしゃると、
などと源氏は言う。
1.5.5
さても、(ひと)ざまはいづ(かた)につけてかは、たぐひてものしたまふらむ
中宮(ちゅうぐう)かく(なら)びなき(すぢ)にておはしまし、また、弘徽殿(こうきでん)やむごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじき御思(おほんおも)ひありとも、()(なら)びたまふこと、かたくこそはべらめ。
「それにしても、お人柄は、どちらの方とご一緒になっても、相応しくいらっしゃるでしょう。
中宮が、このように並ぶ者もない地位でいらっしゃいますし、また、弘徽殿女御も、立派な家柄で、ご寵愛も格別でいらっしゃるので、たいそうご寵愛を受けても、肩をお並べなさることは、難しいことでございましょう。
「それにしましてもあの方はどんなふうになられるのがいちばん適したことでしょう。御所には中宮(ちゅうぐう)が特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また弘徽殿(こきでん)女御(にょご)という寵姫(ちょうき)もおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。
1.5.6
(みや)いとねむごろに(おぼ)したなるを、わざと、さる(すぢ)御宮仕(おほんみやづか)にもあらぬものから、ひき(たが)へたらむさまに御心(みこころ)おきたまはむも、さる御仲(おほんなか)らひにてはいといとほしくなむ()きたまふる」
兵部卿宮は、たいそう熱心にお思いでいらっしゃるようですが、特別に、そうした筋合の宮仕えでなくても、無視されたようにお思い置かれなさるのも、ご兄弟の間柄では、たいそうお気の毒に存じられます」
兵部卿の宮は熱烈に御結婚を望んでおいでになるのですから、表面は後宮の人ではありませんでも、尚侍(ないしのかみ)などにお出しになることによって、これまでの親密な御交情がそこなわれはしないかと私は思いますが」
1.5.7
と、おとなおとなしく(まう)したまふ。
と大人びて申し上げなさる。
中将は老成な口調で意見を述べた。

第六段 源氏の考え方

1.6.1
かたしや
わが(こころ)ひとつなる(ひと)(うへ)にもあらぬを、大将(だいしゃう)さへ、(われ)をこそ(うら)むなれ
すべて、かかることの心苦(こころぐる)しさを見過(みす)ぐさで、あやなき(ひと)(うら)()かへりては軽々(かるがる)しきわざなりけり。
かの母君(ははぎみ)あはれに()ひおきしことの(わす)れざりしかば心細(こころぼそ)山里(やまざと)になど()きしをかの大臣(おとど)はた、()()れたまふべくもあらずと(うれ)へしにいとほしくて、かく(わた)しはじめたるなり。
ここにかくものめかすとて、かの大臣(おとど)(ひと)めかいたまふなめり」
「難しいことだ。
自分の思いのままに行く人のことではないので、大将までが、わたしを恨んでいるそうだ。
何事も、このような気の毒なことは見ていられないので、わけもなく人の恨みを負うのは、かえって軽率なことであった。
あの母君が、しみじみと遺言したことを忘れなかったので、寂しい山里になどと聞いたが、あの内大臣は、やはり、お聞きになるはずもあるまいと訴えたので、気の毒に思って、このように引き取ることにしたのだ。
わたしがこう大切にしていると聞いて、あの大臣も人並みの扱いをなさるようだ」
「むずかしいことだね。私だけの意志でどう決めることもできない人のことではないか。それだのに右大将なども私を恨みの標的(まと)にしているそうだ。一人の求婚者に同情して与えてしまえばほかの人は皆失恋することになるのだから、うかと縁談が決められないのだよ。あの人を生んだ母親が哀れな遺言をしておいたのでね、郊外であの人が心細く暮らしているということを聞いて、内大臣も子と認めようとするふうは見えないと悲観しているようだったから、最初私の子として引き取ることにしたのだよ。私が大事がるのでやっと大臣も価値を認めてきたのだ」
1.6.2
と、つきづきしくのたまひなす。
と、もっともらしくおっしゃる。
源氏は真実らしくこう言っていた。
1.6.3
人柄(ひとがら)(みや)御人(おほんひと)にていとよかるべし。
(いま)めかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、(あやま)ちすまじくなどしてあはひはめやすからむ。
さてまた、宮仕(みやづか)へにも、いとよく()らひたらむかし。
容貌(かたち)よく、らうらうじきものの、公事(おほやけごと)などにもおぼめかしからず、はかばかしくて、主上(うへ)(つね)(ねが)はせたまふ御心(みこころ)には、(たが)ふまじ
「人柄は、宮の夫人としてたいそう適任であろう。
今風な感じで、たいそう優美な感じがして、それでいて賢明で、間違いなどしそうになくて、夫婦仲もうまく行くだろう。
そしてまた、宮仕えにも十分適しているだろう。
器量もよく才気あるようだが、公務などにも暗いところがなく、てきぱきと処理して、主上がいつもお望みあそばすお考えには、外れないだろう」
「人物は宮の夫人であることに最も適していると思う。近代的で、(えん)な容姿を持っていて、しかも聡明(そうめい)で、過失などはしそうでない女性だから、いい宮の夫人だと思う。そしてまた尚侍の適任者でもあるのだよ。美貌(びぼう)で、貴女(きじょ)らしい貴女で、職責も十分に果たしうるような人物というお上の御註文どおりなのはあの人だと思う」
1.6.4
などのたまふけしきの()まほしければ、
などとおっしゃる真意が知りたいので、
とも言った。中将は源氏自身の胸中の秘事も探りたくなった。
1.6.5
(とし)ごろかくて(はぐく)みきこえたまひける御心(みこころ)ざしを、ひがざまにこそ(ひと)(まう)すなれ
かの大臣(おとど)も、さやうになむおもむけて、大将(だいしゃう)の、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、(いら)へける
「長年このようにお育てなさったお気持ちを、変なふうに世間の人は噂申しているようです。
あの大臣もそのように思って、大将が、あちらに伝を頼って申し込んできた時にも、答えました」
「今日まで実父に隠してお手もとへお置きになったことで、いろいろな忖度(そんたく)を世間はしております。内大臣もそんな意味を含んだことを、右大将からあちらへの申し込みに答えて言ったそうです」
1.6.6
()こえたまへば、うち(わら)ひて、
と申し上げなさると、ちょっと笑って、
と中将が言うと、源氏は笑いながら、
1.6.7 「それもこれもまったく違っていることだな。
やはり、宮仕えでも、お許しがあって、そのようにとお考えになることに従うのがよいだろう。
女は三つのことに従うものだというが、順序を取り違えて、わたしの考えにまかせることは、とんでもないことだ」
「それは思いやりのありすぎる迷惑な話だね。宮仕えだって何だって内大臣の意志を尊重して、私はできる世話だけをする気なのだがね。女の三従の道は親に従うのがまず第一なのだからね。その美風を破るようなことはとんでもないことだ」
1.6.8
とのたまふ。
とおっしゃる。
と言った。

第七段 玉鬘の出仕を十月と決定

1.7.1
うちうちにもやむごとなきこれかれ、(とし)ごろを()てものしたまへばその(すぢ)人数(ひとかず)にはものしたまはで、()てがてらにかく(ゆづ)りつけ、おほぞうの宮仕(みやづか)への(すぢ)に、(らう)ぜむと(おぼ)しおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、よろこび(まう)されけるとたしかに(ひと)(かた)(まう)しはべりしなり」
「内々でも、立派な方々が、長年連れ添っていらっしゃるので、その夫人の一人にはなさることができないので、捨てる気持ち半分でこのように譲ることにし、通り一遍の宮仕えをさせて、自分のものにしようとお考えになっているのは、たいそう賢くよいやり方だと、感謝申されていたと、はっきりとある人が言っておりましたことです」
「こちらには以前からりっぱな夫人がたがおいでになって、新しくその数へお入れになることができないため、世間体だけを官職におつけになることにして、やはりいつまでも愛人でお置きになることのできるようなお計らいは、賢明な処置だといって、大臣が喜ばれたということを、確かな人から私は聞きました」
1.7.2
と、いとうるはしきさまに(かた)(まう)したまへば、げに、さは(おも)ひたまふらむかし」と(おぼ)すに、いとほしくて
と、たいそう改まった態度でお話し申し上げなさるので、「なるほど、そのようにお考えなのだろう」とお思いになると、気の毒になって、
中将が真正面からこう言うのを聞いて、源氏は内大臣としてはそうも想像するであろうと気の毒に思った。
1.7.3
いとまがまがしき(すぢ)にも(おも)()りたまひけるかな。
いたり(ふか)御心(みこころ)ならひならむかし。
(いま)おのづから、いづ(かた)につけても、あらはなることありなむ。
(おも)(くま)なしや
「たいそうとんでもないふうにお考えになったものだな。
隅々まで考えを廻らすご気性からなのだろう。
今に自然と、どちらにしても、はっきりすることがあろう。
思慮の浅いことよ」
「曲がった解釈をされているものだね。それが賢明な人の観察というものかもしれない。もうすぐに事実が万事を明らかにするだろう。しかし、どうなるにしても余りにひどい想像だ」
1.7.4
(わら)ひたまふ。
()けしきはけざやかなれどなほ、(うたが)ひは()かる。
大臣(おとど)も、
とお笑いになる。
ご様子はきっぱりしているが、やはり、疑問は残る。
大臣も、
と源氏は笑っていた。あざやかな弁解をしたつもりであろうが、まだ疑いは十分に残してよいことであると中将は思っていた。源氏も心の中で、
1.7.5
さりや。
かく(ひと)()(はか)る、(あん)()つることもあらましかばいと口惜(くちを)しくねぢけたらまし。
かの大臣(おとど)に、いかで、かく心清(こころぎよ)きさまを()らせたてまつらむ」
「やはりそうか。
このように人は推量するのに、その思惑どおりのことがあったら、まことに残念でひねくれたようだろうに。
あの内大臣に、何とかして、このような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」
こう人の(うわさ)する筋書きどおりのあやまった道は踏むまいとみずから(いまし)めた。このきれいな気持ちを大臣にも徹底的に知らせたい
1.7.6
(おぼ)すにぞ、げに、宮仕(みやづか)への(すぢ)にてけざやかなるまじく(まぎ)れたるおぼえを、かしこくも(おも)()りたまひけるかな」と、むくつけく(おぼ)さる。
とお思いになると、「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどに思わずにはいらっしゃれない。
と源氏は思ったが、玉鬘(たまかずら)を官職につけておいて情人関係を永久に失うまいとすることなどを、どうして大臣に観測されたのであろうと薄気味悪くさえなった。
1.7.7
かくて御服(おほんぶく)など()ぎたまひて、
こうして御喪服などをお脱ぎになって、
玉鬘は除服(じょふく)したが、
1.7.8 「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。
十月ごろに」
翌月の九月は女の宮中へはいることに忌む月でもあったから、十月になってから出仕することに源氏が決めたのを、
1.7.9
(おぼ)しのたまふを、内裏(うち)にも(こころ)もとなく()こし()し、()こえたまふ(ひと)びとは、(たれ)(たれ)も、いと口惜(くちを)しくて、この御参(おほんまゐ)りの(さき)にと、心寄(こころよ)せのよすがよすがに()めわびたまへど、
とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、
お聞きになって(みかど)は待ち遠しく思召(おぼしめ)した。求婚者は皆尚侍に決定したことを聞いて残念がった。それまでに縁組みを決めて、御所へはいるのを阻止したいと皆あせって、仲介者になっている女房たちを責めるのであるが、尚侍の出仕を阻止するようなことは、
1.7.10 「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」
吉野(よしの)の滝をふさぎ止めるよりもなお不可能なことである
1.7.11
と、おのおの(いら)ふ。
と、それぞれ返事をする。
とそれらの女たちは言っていた。
1.7.12
中将(ちゅうじゃう)なかなかなることをうち()でて、いかに(おぼ)すらむ」と(くる)しきままに、()けりありきて、いとねむごろに、おほかたの御後見(おほんうしろみ)(おも)ひあつかひたるさまにて追従(ついせう)しありきたまふ。
たはやすく、(かる)らかにうち()でては()こえかかりたまはず、めやすくもてしづめたまへり。
中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま、駆けずり回って、たいそう熱心に、全般的なお世話をする体で、ご機嫌をとっていらっしゃる。
簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。
源中将はしないでよい告白をしたことで感情を害しなかったかと不安で、この苦しみを紛らわすために一所懸命に尚侍の出仕についての用などに奔走して好意を見せることにつとめていた。もうあれ以来軽率に感情を告げたりすることもなく慎んでいるのである。

第二章 玉鬘の物語 玉鬘と柏木との新関係


第一段 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問

2.1.1
まことの(おほん)はらからの(きみ)たちは、()()ず、宮仕(みやづか)へのほどの御後見(おほんうしろみ)を」と、おのおの(こころ)もとなくぞ(おも)ひける。
実のご兄弟の公達は、近づくことができず、「宮仕えの時のご後見役をしよう」と、それぞれ待ち兼ねているのであった。
兄弟である内大臣の子息たちはまだ遠慮が多くて出入りをようしないのである。御所で尚侍の後援をするためにはもっと親しくなっておかないでは都合が悪いのにと、その人たちは不安に思っていた。
2.1.2
頭中将(とうのちゅうじゃう)(こころ)()くしわびしことは、かき()えにたるを、うちつけなりける御心(みこころ)かな」と、(ひと)びとはをかしがるに殿(との)御使(おほんつかひ)にておはしたり
なほもて()でず、(しの)びやかに御消息(おほんせうそこ)なども()こえ()はしたまひければ、(つき)()かき()(かつら)(かげ)(かく)れてものしたまへり。
見聞(みき)()るべくもあらざりしを、名残(なごり)なく(みなみ)御簾(みす)(まへ)()ゑたてまつる。
頭中将は、心の底から恋い焦がれていたことは、すっかりなくなったのを、「てきめんに変わるお心だわ」と、女房たちがおもしろがっているところに、殿のお使いとしていらっしゃった。
やはり表向きに出さず、こっそりとお手紙なども差し上げなさったので、月の明るい夜、桂の蔭に隠れていらっしゃった。
手紙を見たり聞いたりしなかったのに、すっかり変わって南の御簾の前にお通し申し上げる。
(とう)の中将は恋の(やっこ)になって幾通となく手紙を送ってきたようなこともなくなったのを正直だといって女房たちはおかしがっていたのであるが、父の大臣の使いになって(たず)ねて来た。まだ公然に親であり娘であるという往来(ゆきき)ははばかって、そっと手紙を送って、そっと返事を玉鬘(たまかずら)が出すほどにしかしていないのであったから、こうした月明の晩に隠れて頭の中将も訪ねて来たのである。以前はだれからも訪問者として取り扱おうとされなかった中将が、今夜は南の縁側に座を設けて招ぜられた。
2.1.3
みづから()こえたまはむことはしも、なほつつましければ、宰相(さいしゃう)(きみ)して(いら)()こえたまふ。
ご自身からお返事を申し上げなさることは、やはり遠慮されるので、宰相の君を介してお答え申し上げなさる。
玉鬘は自身で出て話をすることはまだ恥ずかしくてできずに、返辞だけは宰相の君を取り次ぎにしてした。
2.1.4
なにがしらを(えら)びてたてまつりたまへるは、人伝(ひとづ)てならぬ御消息(おほんせうそこ)にこそはべらめ。
かくもの(とほ)くては、いかが()こえさすべからむ
みづからこそ、(かず)にもはべらねど、()えぬたとひもはべなるは。
いかにぞや、古代(こたい)のことなれど、(たの)もしくぞ(おも)ひたまへける」
「わたしを選んで差し向け申されたのは、直に伝えよとのお便りだからでございましょう。
このように離れていては、どのように申し上げたらよいのでしょう。
わたしなど、物の数にも入りませんが、切っても切れない縁と言う喩えもありましょう。
何と言いましょうか、古風な言い方ですが、頼みに存じておりますよ」
「私が使いに選ばれて来ましたのは、お取り次ぎなしにお話を申すようにという父の考えだったかと思いますが、こんなふうな遠々しいお扱いでは、それを申し上げられない気がいたします。私はつまらぬ者ですが、あなたとは離しようもなくつながった縁のありますことで、自信に似たものができております」
2.1.5
とて、ものしと(おも)ひたまへり。
と言って、おもしろくなく思っていらっしゃった。
と言って、中将はもう一段親しくしたい様子を見せた。
2.1.6
げに、(とし)ごろの()もりも()()へて、()こえまほしけれど、()ごろあやしく(なや)ましくはべれば、()()がりなどもえしはべらでなむ。
かくまでとがめたまふも、なかなか疎々(うとうと)しき心地(ここち)なむしはべりける」
「お言葉通り、これまでの積もる話なども加えて、申し上げたいのですが、ここのところ妙に気分がすぐれませんので、起き上がることなどもできずにおります。
こんなにまでお責めになるのも、かえって疎ましい気持ちが致しますわ」
「ごもっともでございます。長い間失礼しておりましたお()びも直接申し上げたいのでございますが、身体(からだ)が何ということなしに悪うございまして、起き上がりますのも大儀でできませんものですから、こうさせていただいているのでございます。ただ今のようなお恨みを承りますのは、かえって他人らしいことだと存じます」
2.1.7
と、いとまめだちて()こえ()だしたまへり
と、たいそう真面目に申し上げさせなさった。
まじめな挨拶(あいさつ)を玉鬘はした。
2.1.8
(なや)ましく(おぼ)さるらむ御几帳(みきちゃう)のもとをば、(ゆる)させたまふまじくや。
よしよし。
げに、()こえさするも、心地(ここち)なかりけり
「ご気分がすぐれないとおっしゃる御几帳の側に、入れさせて下さいませんか。
よいよい。
なるほど、このようなことを申し上げるのも、気の利かないことだな」
「御気分が悪くてお(やす)みになっていらっしゃる所の几帳(きちょう)の前へ通していただけませんか。しかし、よろしゅうございます、しいていろんなお願いをするのも失礼ですから」
2.1.9
とて、大臣(おとど)御消息(おほんせうそこ)ども(しの)びやかに()こえたまふ用意(ようい)など、(ひと)には(おと)りたまはず、いとめやすし。
と言って、大臣のご伝言の数々をひっそりと申し上げなさる態度など、誰にも引けをおとりにならず、まことに結構である。
と言って頭の中将は大臣の言葉を静かに伝えるのであった。身の取りなしも様子も源中将に匹敵するもので、感じのいい人である。

第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す

2.2.1
(まゐ)りたまはむほどの案内(あない)(くは)しきさまも()かぬをうちうちにのたまはむなむよからむ。
(なに)ごとも人目(ひとめ)(はばか)りて、(まゐ)()ず、()こえぬことをなむ、なかなかいぶせく(おぼ)したる
「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないので、内々にご相談下さるのがよいでしょう。
何事も人目を遠慮して、参上することができず、相談申し上げられないことを、かえって気がかりに思っていらっやいます」
「御所へおいでになることでは、くわしいお()らせもまだいただいていませんが、あなたからその際にはこうしてほしい、何が入り用であるとかいうことを言ってくだすったら、そのとおりにしたいと思っています。世間の目にたつことが遠慮されて(たず)ねて行くこともできず、思うことを直接お話しできないのを遺憾に思っています」
2.2.2
など、(かた)りきこえたまふついでに、
などと、お話し申し上げるついでに、
というのが父の大臣から玉鬘へ伝えさせた言葉であった。
2.2.3 「いやはや、馬鹿らしい手紙も、差し上げられないことです。
どちらにしても、わたしの気持ちを知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。
まずは、今夜などの、
このお扱いぶりですよ。奥向きといったようなお部屋に招き入れて、あなたたちはお嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、話を
してみたいものですね。他ではこの
ような扱いはあるまい。いろいろと
「私が過去に申し上げたことについては、それほど訂正しないでもいいと思います。どちらにもせよ愛していただけばいいのです。そう思いますとまた恨めしい気にもなります。今夜の御待遇などからそう思うのです。北側のお部屋(へや)へお入れになって、いい女房がたは失礼だとお思いになるでしょうが、下仕え級の方とでも話して行くようなことがしたいのです。兄弟をこんなふうにお扱いになるようなことは、これも不思議なことといわなければなりませんよ」
2.2.4
と、うち(かたぶ)きつつ、(うら)(つづ)けたるもをかしければ、かくなむと()こゆ
と、首を傾けながら、恨みを言い続けているのもおもしろいので、これこれと申し上げる。
批難するふうに言っているのもおかしくて、宰相の君に玉鬘は言わせた。
2.2.5 「おっしゃるとおり、他人の手前、急な変わりようだと言われはしまいかと気にしておりましたところ、長年の引き籠もっていた苦しさを、晴らしませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」
「人聞きが遠慮いたされまして、あまりにわかな変わり方は見せられないように思うものですから、お話し申し上げたい長い年月のことも、聞いていただけませんことで、私もお言葉のように残念でならないのでございます」
2.2.6
と、ただすくよかに()こえなしたまふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。
と、ただ素っ気なくお答え申されるので、きまり悪くて、何も申し上げられずにいた。
ときまじめな挨拶(あいさつ)をされ、頭の中将はきまりが悪くなって、この上のことは言わないことにした。
2.2.7 「実の姉弟という関係を知らずに
遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことです」
妹背(いもせ)山深き道をば尋ねずて
をだえの橋にふみまどひける
2.2.8
よ」
よ」
そうでしたよ」
2.2.9
(うら)むるも、(ひと)やりならず。
と恨むのも、自分から招いたことである。
と真底から感じているふうで中将は言った。
2.2.10 「事情をご存知なかったとは知らず
どうしてよいか分からないお手紙を拝見しました」
「まどひける道をば知らず妹背山
たどたどしくぞたれもふみ見し
2.2.11
いづ(かた)のゆゑとなむ(おぼ)()かざめりし
(なに)ごとも、わりなきまで、おほかたの()(はばか)らせたまふめれば、()こえさせたまはぬになむ
おのづからかくのみもはべらじ」
「どういうわけのものか、お分かりでなかったようでした。
何事も、あまりなまで、世間に遠慮なさっておいでのようなので、お返事もなされないのでしょう。
自然とこうしてばかりいられないでしょう」
と申されます」と女主人の歌を伝えてからまた宰相は言う、「どのことをお言いになりますことかそのころはおわかりにならなかったようでございます。ただあまり御おとなしくて御遠慮ばかりあそばすものですから、どなた様へもお返事をお出しになることがなかったのでございます。これからは決してそうでもございませんでしょう」
2.2.12
()こゆるも、さることなれば、
と申し上げるのもと、それもそうなので、
もっともなことでもあったから、
2.2.13
よし、長居(ながゐ)しはべらむもすさまじきほどなり。
やうやう労積(らうつ)もりてこそは、かことをも
「いや、長居をしますのも、時期尚早の感じだ。
だんだんお役にたってから、恨み言も」
ではまあよろしいことにしまして、ここで長居をしていましてもつまりません。誠意を認めていただくことに骨を折りましょう。これからは毎日精勤することにして」
2.2.14
とて、()ちたまふ。
とおっしゃって、お立ちになる。
と言って中将は帰って行くのであった。
2.2.15
月隈(つきくま)なくさし()がりて、(そら)のけしきも(えん)なるに、いとあてやかにきよげなる容貌(かたち)して、御直衣(おほんなほし)姿(すがた)(この)ましくはなやかにて、いとをかし。
月が明るく高く上がって、空の様子も美しいところに、たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿、好感が持て派手で、たいそう立派である。
月が明るく中天に上っていて、(えん)な深夜に上品な風采(ふうさい)の若い殿上人の歩いて行くことははなやかな見ものであった。
2.2.16
宰相中将(さいしゃうのちゅうじゃう)のけはひありさまには、(なら)びたまはねど、これもをかしかめるは、いかでかかる御仲(おほんなか)らひなりけむ」と、(わか)(ひと)びとは、(れい)の、さるまじきことをも()()ててめであへり。
宰相中将の感じや、容姿には、並ぶことはおできになれないが、こちらも立派に見えるのは、「どうしてこう揃いも揃って美しいご一族なのだろう」と、若い女房たちは、例によって、さほどでもないことをもとり立ててほめ合っていた。
源中将ほどには美しくないが、これはこれでまたよく思われるのは、どうしてこうまでだれもすぐれた人ぞろいなのであろうと、若い女房たちは例のように、より誇張した言葉でほめたてていた。

第三章 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将


第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る

3.1.1
大将(だいしゃう)は、この中将(ちゅうじゃう)(おな)(みぎ)次将(すけ)なれば(つね)()()りつつ、ねむごろに(かた)らひ、大臣(おとど)にも(まう)させたまひけり。
人柄(ひとがら)もいとよく、朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)となるべかめる下形(したかた)なるを、などかはあらむ」と(おぼ)しながらかの大臣(おとど)かくしたまへることを、いかがは()こえ(かへ)すべからむ
さるやうあることにこそ」と、心得(こころえ)たまへる(すぢ)さへあれば、(まか)せきこえたまへり。
大将は、この中将は同じ右近衛の次官なので、いつも呼んでは熱心に相談し、内大臣にも申し上げさせなさった。
人柄もたいそうよく、朝廷の御後見となるはずの地盤も築いているので、「何の難があろうか」とお思いになる一方で、「あの大臣がこうお決めになったことを、どのように反対申し上げられようか。
それにはそれだけの理由があるのだろう」と、合点なさることまであるので、お任せ申し上げていらっしゃった。
大将はこの中将のいる右近衛(うこんえ)のほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘(たまかずら)との縁組みについて熟談していた。内大臣へも希望を取り次いでもらっていたのである。人物もりっぱであったし、将来の大臣として活躍する素地のある人であったから、娘のために悪い配偶者ではないと大臣は認めていたが、源氏が尚侍(ないしのかみ)をばどうしようとするかには抗議の持ち出しようもなく、またそうすることには深い理由もあることであろうと思っていたから、すべて源氏に一任していると返辞をさせていた。
3.1.2 この右大将は、春宮の女御のご兄弟でいらっしゃった。
大臣たちをお除き申せば、次いでの御信任が、すこぶる厚い方である。
年は三十二三歳くらいになっていらっしゃる。
この大将は東宮の母君である女御(にょご)とは兄弟であった。源氏と内大臣に続いての大きい勢力があった。年は三十二である。
3.1.3
(きた)(かた)は、(むらさき)(うへ)御姉(おほんあね)ぞかし。
式部卿宮(しきぶきゃうのみや)御大君(おほんおほいきみ)
(とし)のほど()()つがこのかみは、ことなるかたはにもあらぬを、人柄(ひとがら)やいかがおはしけむ(おうな)」とつけて(こころ)にも()れず、いかで(そむ)きなむ(おも)へり。
北の方は、紫の上の姉君である。
式部卿宮の大君であるよ。
年が三、四歳年長なのは、これといった欠点ではないが、人柄がどうでいらっしゃったのか、「おばあさん」と呼んで大事にもせず、何とかして離縁したい思っていた。
夫人は紫の女王(にょおう)の姉君であった。式部卿(しきぶきょう)の宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様(ばあさま)と呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。
3.1.4
その(すぢ)より、六条(ろくでう)大臣(おとど)は、大将(だいしゃう)(おほん)ことは、()げなくいとほしからむ」と(おぼ)したるなめり。
(いろ)めかしくうち(みだ)れたるところなきさまながら、いみじくぞ(こころ)()くしありきたまひける。
その縁故から、六条の大臣は、右大将のことは、「似合いでなく気の毒なことになるだろう」と思っていらっしゃるようである。
好色っぽく道を踏み外すところはないようだが、ひどく熱心に奔走なさっているのであった。
そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。
3.1.5
かの大臣(おとど)もて(はな)れても(おぼ)したらざなり。
(をんな)宮仕(みやづか)へをもの()げに(おぼ)いたなり」と、うちうちのけしきも、さる(くは)しきたよりあれば()()きて、
「あの大臣も、全く問題外だとお考えでないようだ。
女は、宮仕えを億劫に思っていらっしゃるらしい」と、内々の様子も、しかるべき詳しいつてがあるので漏れ聞いて、
「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。
3.1.6
ただ大殿(おほとの)(おほん)おもむけの(こと)なるにこそはあなれ。
まことの(おや)御心(みこころ)だに(たが)はずは」
「ただ大殿のご意向だけが違っていらっしゃるようだ。
せめて実の親のお考えにさえ違わなければ」
実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」
3.1.7
と、この(べん)御許(おもと)にも()ためたまふ。
と、この弁の御許にも催促なさる。
と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。

第二段 九月、多数の恋文が集まる

3.2.1
九月(ながつき)にもなりぬ。
初霜(はつしも)むすぼほれ、(えん)なる(あした)(れい)の、とりどりなる御後見(おほんうしろみ)どもの()きそばみつつ()(まゐ)御文(おほんふみ)どもを、()たまふこともなくて、()みきこゆるばかりを()きたまふ。
大将殿(だいしゃうどの)のには、
九月になった。
初霜が降りて、心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちが、目立たないようにしては参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。
右大将殿の手紙には、
九月になった。初霜が庭をほの白くした(えん)な朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘(たまかずら)の居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
3.2.2
なほ(たの)()しも()ぎゆく(そら)のけしきこそ、心尽(こころづ)くしに、
「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶(はんもん)しております。
3.2.3 人並みであったら嫌いもしましょうに、
九月を頼みにして
数ならばいとひもせまし長月に
命をかくるほどぞはかなき
3.2.4
(つき)たたば」とある(さだ)めを、いとよく()きたまふなめり
「来月になったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。
3.2.5
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)は、
兵部卿宮は、
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮は、
3.2.6
いふかひなき()()こえむ(かた)なきを、
「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、
3.2.7 朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても
霜のようにはかないわたしのことを忘れないでください
朝日さす光を見ても玉笹(たまざさ)
葉分(はわけ)の霜は()たずもあらなん
3.2.8
(おぼ)しだに()らば(なぐさ)(かた)もありぬべくなむ」
お分りいただければ、慰められましょう」
私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。
3.2.9
とて、いとかしけたる下折(したを)れの(しも)()とさず()(まゐ)れる御使(おほんつかひ)さへぞ、うちあひたるや
とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。
3.2.10
式部卿宮(しきぶきゃうのみや)左兵衛督(さひゃうゑのかみ)は、殿(との)(うへ)(おほん)はらからぞかし
(した)しく(まゐ)りなどしたまふ(きみ)なればおのづからいとよくものの案内(あない)()きて、いみじくぞ(おも)ひわびける。
いと(おほ)(うら)(つづ)けて、
式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟であるよ。
親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。
長々と恨み言を綴って、
式部卿(しきぶきょう)の宮の左兵衛督(さひょうえのかみ)は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。
3.2.11 「忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを
どのようにしてどのようにしたらよいものでしょうか」
忘れなんと思ふも物の悲しきを
いかさまにしていかさまにせん
3.2.12
(かみ)(いろ)(すみ)つき、しめたる(にほ)ひも、さまざまなるを(ひと)びとも(みな)
紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、
選んだ紙の色、書きよう、()きしめた薫香(くんこう)(にお)いもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。
3.2.13 「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」
玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。
3.2.14
など()ふ。
などと言っている。

3.2.15
(みや)御返(おほんかへ)りをぞ、いかが(おぼ)すらむただいささかにて、
宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。
3.2.16 「自分から光に向かう葵でさえ
朝置いた霜を自分から消しましょうか」
心もて日かげに向かふ(あふひ)だに
朝置く露をおのれやは()
3.2.17
とほのかなるを、いとめづらしと()たまふにみづからはあはれを()りぬべき()けしきにかけたまひつればつゆばかりなれどいとうれしかりけり。
とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。
3.2.18
かやうに(なに)となけれど、さまざまなる(ひと)びとの、(おほん)わびごとも(おほ)かり。
このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。
こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。
3.2.19
(をんな)御心(みこころ)ばへは、この(きみ)をなむ(もと)にすべきと、大臣(おとど)たち(さだ)めきこえたまひけりとや
女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。
求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
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伊藤時也(青空文庫)
2003年9月10日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2008年3月22日

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