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第三十四帖 若菜上

光る源氏の准太上天皇時代三十九歳暮から四十一歳三月までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳

第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び


第一段 朱雀院、女三の宮の将来を案じる

1.1.1
朱雀院(すじゃくゐん)(みかど)ありし御幸(みゆき)ののち、そのころほひより、(れい)ならず(なや)みわたらせたまふ
もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細(こころぼそ)(おぼ)()されて、
朱雀院の帝、先日の行幸の後、そのころから、御不例でずっと御病気でおいであそばす。
もともと御病気がちでいらせられるが、今回は何となく心細くお思いあさばされて、
あの六条院の行幸(みゆき)のあった直後から朱雀(すざく)院の(みかど)は御病気になっておいでになった。平生から御病身な方ではあったが、今度の病におなりになってからは非常に心細く前途を思召(おぼしめ)すのであった。
1.1.2
(とし)ごろ(おこ)なひの本意(ほいふか)きを、(きさい)(みや)おはしましつるほどはよろづ(はばか)りきこえさせたまひて(いま)まで(おぼ)しとどこほりつるを、なほその(かた)にもよほすにやあらむ、()(ひさ)しかるまじき心地(ここち)なむする」
「長年出家の願望は強いが、后の宮がご存命であった間は、いろいろと御遠慮申し上げなさって、今まで決意しないでいたが、やはりその方面に心が向くのだろうか、長くは生きていられないような気がする」
「私はもうずっと以前から信仰生活にはいりたかったのだが、太后がおいでになる間は自身の感情のおもむくままなことができないで今日に及んだのだが、これも仏の御催促なのか、もう余命のいくばくもないことばかりが思われてならない」
1.1.3
などのたまはせて、さるべき御心(みこころ)まうけどもせさせたまふ。
などと仰せられて、しかるべきお心づもりをいろいろ御準備あそばす。
などと仰せになって、御出家をあそばされる場合の用意をしておいでになった。
1.1.4
御子(みこ)たちは、春宮(とうぐう)をおきたてまつりて、女宮(をんなみや)たちなむ四所(よところ)おはしましける。
その(なか)に、藤壺(ふぢつぼ)()こえしは、先帝(せんだい)源氏(げんじ)にぞおはしましける
御子たちは、東宮を別に申して、女宮たちがお四方いらっしゃった。
その中でも、藤壷と申し上げた方は、先帝の源氏でいらっしゃった。
皇子は東宮のほかに女宮様がただけが四人おいでになった。その中で藤壺(ふじつぼ)女御(にょご)と以前言われていたのは三代前の帝の皇女で源姓(みなもとせい)を得た人であるが、
1.1.5
まだ(ばう)()こえさせし時参(ときまゐ)りたまひて、(たか)(くらゐ)にも(さだ)まりたまべかりし(ひと)の、()()てたる御後見(おほんうしろみ)もおはせず、母方(ははかた)もその(すぢ)となく、ものはかなき更衣腹(かういばら)にてものしたまひければ、御交(おほんま)じらひのほども心細(こころぼそ)げにて、大后(おほきさき)の、尚侍(ないしのかみ)(まゐ)らせたてまつりたまひて、かたはらに(なら)(ひと)なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧(けお)されて、(みかど)御心(みこころ)のうちに、いとほしきものには(おも)ひきこえさせたまひながら、()りさせたまひにしかば、かひなく口惜(くちを)しくて、()(なか)(うら)みたるやうにて()せたまひにし
まだ東宮と申し上げた時代に入内なさって、高い地位にもおつきになるはずであった方が、これと言ったご後見役もいらっしゃらず、母方も名門の家柄でなく、微力の更衣腹でいらっしゃったので、ご交際ぶりも頼りなさそうで、大后が尚侍の君をお入れ申し上げなさって、側に競争相手がいないほど重くお扱い申し上げなさったりしたので、圧倒されて、帝も御心中に、お気の毒にはお思い申し上げあそばしながら、御譲位あそばしたので、入内した甲斐もなく残念で、世の中を恨むような有様でお亡くなりになった。
院がまだ東宮でいらせられた時代から侍していて、(きさき)の位にも上ってよい人であったが、たいした後援をする人たちもなく、母方といっても無勢力で、更衣(こうい)から生まれた人だったから、競争のはげしい後宮の生活もこの人には苦しそうであって、一方では皇太后が尚侍(ないしのかみ)をお入れになって、第一人者の位置をそれ以外の人に与えまいという強い援助をなされたのであったから、帝も御心(みこころ)の中では愍然(びんぜん)に思召しながら后に擬してお考えになることもなく、しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壺の女御にもう光明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり薨去(こうきょ)したが、
1.1.6
その御腹(おほんはら)女三(をんなさん)(みや)を、あまたの御中(おほんなか)に、すぐれてかなしきものに(おも)ひかしづききこえたまふ。
その腹の女三の宮を、大勢の御子たちの中で、特別にかわいがって大事になさっておいでになる。
その人のお生みした女三(にょさん)(みや)御子(みこ)の中のだれよりも院はお愛しになった。
1.1.7
そのほど、御年(おほんとし)十三(じふさん)()ばかりおはす。
その当時、お年、十三、四歳ほどでいらっしゃる。
このころは十三、四でいらせられる。
1.1.8
(いま)はと(そむ)()山籠(やまご)もりしなむ(のち)()にたちとまりて、(たれ)(たの)(かげ)にてものしたまはむとすらむ」
「今を限りと世を捨てて、山籠もりした後に残って、誰を頼りとして行かれるのだろうか」
世の中を捨てて山寺へはいったあとに、残された内親王はだれをたよりに暮らすか
1.1.9
と、ただこの(おほん)ことをうしろめたく(おぼ)(なげ)く。
と、ただこの御方のことだけが気がかりにお嘆きになる。
と思召されることが院の第一の御苦痛であった。
1.1.10
西山(にしやま)なる御寺造(みてらつく)()てて(うつ)ろはせたまはむほどの(おほん)いそぎをせさせたまふに()へて、またこの(みや)御裳着(おほんもぎ)のことを(おぼ)しいそがせたまふ。
西山にある御寺を完成させて、お移りあそばすための御準備をあそばすにつけても、またこの宮の御裳着の儀式を御準備あそばす。
西山に御堂(みどう)の御建築ができて、お移りになる用意をあそばしながらも、一方では女三の宮の裳着(もぎ)の挙式の仕度(したく)をさせておいでになった。
1.1.11
(ゐん)のうちにやむごとなく(おぼ)御宝物(おほんたからもの)御調度(みてうど)どもをばさらにもいはず、はかなき御遊(おほんあそ)びものまですこしゆゑある(かぎ)りをば、ただこの御方(おほんかた)()りわたしたてまつらせたまひて、その次々(つぎつぎ)をなむ、異御子(ことみこ)たちには、御処分(おほんそうぶん)どもありける。
院の中に秘蔵していらっしゃる御宝物、御調度類は言うまでもなく、ちょっとしたお遊び道具類まで、少しでも由緒ある物は全て、ただこの御方にお譲り申し上げなさって、それに次ぐ品々を、他の御子たちには、御分配なさったのであった。
貴重な多くの御財産、美術の価値のあるお品々などはもとより、楽器や遊戯の具なども名品に近いような物は皆この宮へお譲りになって、その他の御財産、お道具類を他の宮がたへ御分配あそばされた。

第二段 東宮、父朱雀院を見舞う

1.2.1
春宮(とうぐう)は、「かかる御悩(おほんなや)みに()へて、()(そむ)かせたまふべき御心(みこころ)づかひになむ」と()かせたまひて、(わた)らせたまへり。
母女御(ははにょうご)()ひきこえさせたまひて(まゐ)りたまへり。
すぐれたる(おほん)おぼえにしもあらざりしかど、(みや)のかくておはします御宿世(おほんすくせ)の、(かぎ)りなくめでたければ、(とし)ごろの御物語(おほんものがたり)こまやかに()こえさせたまひけり
東宮は、「このような御病気に加えて、御出家あそばすお心づもりだ」とお聞きあそばして、お越しあそばした。
母女御、ご一緒申されておいでになった。
格別のご寵愛というほどでもなかったが、東宮がこうしていらっしゃるご運勢が、この上なく素晴らしいので、久しぶりのお話、親しくお話し合いになったのであった。
東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの行啓をあそばされた。母君の女御もお付き添いして行った。殊寵(しゅちょう)があったわけではないが、東宮の御母となる宿縁のあった人を御尊重あそばされて、院はこの方にもこまやかにお話をあそばされた。
1.2.2
(みや)にも、よろづのこと、()をたもちたまはむ御心(みこころ)づかひなど、()こえ()らせたまふ
御年(おほんとし)のほどよりはいとよく大人(おとな)びさせたまひて御後見(おほんうしろみ)どもも、こなたかなた、軽々(かろがろ)しからぬ(なか)らひにものしたまへば、いとうしろやすく(おも)ひきこえさせたまふ。
東宮にも、いろいろなこと、国をお治めになる時の御注意など、お教え申し上げなさる。
お年のわりにはとてもよくご成人あそばされていて、ご後見役たちも、あちらこちらと、重々しい立派なお間柄でいらっしゃるので、たいそう安心だとお思い申し上げていらっしゃる。
東宮にも帝王とおなりになる日のお心得事などをお教えあそばされるのであった。御年齢(とし)よりも大人(おとな)びておいでになったし、御後援をする人が母方のそばにも多くある方であったから、院は御安心をしておいでになるのである。
1.2.3
この()(うら)(のこ)ることもはべらず
女宮(をんなみや)たちのあまた(のこ)りとどまる()(さき)(おも)ひやるなむ、さらぬ(わか)れにもほだしなりぬべかりける
さきざき、(ひと)(うへ)見聞(みき)きしにも、(をんな)(こころ)よりほかに、あはあはしく、(ひと)におとしめらるる宿世(すくせ)あるなむ、いと口惜(くちを)しく(かな)しき。
「この世に不満の残ることはございません。
女宮たちが大勢後に残るその行く末を思いやると、それがいざ別れとなる時にきっと障りとなることでしょう。
これまで、他人事として見たり聞いたりしてきたことが、女は思いがけず、軽々しく、世間から批判される運命であるのが、たいそう残念で悲しいことだ。
「私はもうこの世に遺憾だと心に残るようなこともない。ただ内親王たちが幾人もいることで将来どうなるかと案ぜられることは、今の場合だけでなくこの世を離れる際にも(ほだし)になるであろうと思われる。今まで一般の世の中に見ていても、女というものは、その人の意志でもなしに、ほかから働きかける者のために悪名も立てられ、恥辱も受けるような運命になっていくのがかわいそうだ。
1.2.4
いづれをも、(おも)ふやうならむ御世(みよ)にはさまざまにつけて、御心(みこころ)とどめて(おぼ)(たづ)ねよ。
その(なか)に、後見(うしろみ)などあるは、さる(かた)にも(おも)(ゆづ)りはべり。
どなたをも、御即位なさった御代には、何かにつけて、お心にかけてお世話なさって下さい。
その中で、後見人のいる方は、そちらに任せてよいと思います。
どの姉妹(きょうだい)にもあなたの御代(みよ)が来た時にはあたたかい庇護を加えてやってもらいたい。その中でも後見をする母などのついている者は託して行く所があるような気もしてまずいいが、
1.2.5
(さん)(みや)なむ、いはけなき(よはひ)にて、ただ一人(ひとり)(たの)もしきものとならひて、うち()ててむ(のち)()に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく(かな)しくはべる」
三の宮は、幼いお年頃で、ただわたし一人をずっと頼りとしてきたので、出家した後の世に、寄るべもなく心細い生活をするだろうことを、とてもまことに気がかりで悲しく思っております」
女三の宮は年のゆかないのに母のない内親王なのだから、私だけをたよりにして育ってきたことを思うと、私が寺へはいったあとではどんな心細い身の上になることかと気がかりでならない」
1.2.6
と、御目(おほんめ)おし(のご)ひつつ、()こえ()らせさせたまふ。
と、お目を拭いながら、お聞かせ申し上げあそばす。
と、涙をお(ぬぐ)いになりながら東宮へ後事をお頼みになるのであった。
1.2.7
女御(にょうご)にもうつくしきさまに()こえつけさせたまふ。
されど、女御(にょうご)(ひと)よりはまさりて(とき)めきたまひしに、皆挑(みないど)()はしたまひしほど、御仲(おほんなか)らひども、えうるはしからざりしかば、その名残(なごり)にて、「げに、(いま)はわざと(にく)しなどはなくとも、まことに(こころ)とどめて(おも)後見(うしろみ)むとまでは(おぼ)さずもや」とぞ()(はか)らるるかし。
女御にも、やさしくして下さるようお頼み申し上げあそばす。
けれども、母女御が、他の人よりは優れて御寵愛が厚かったために、皆が競争なさい合ったころ、お妃方の御仲も、あまりよろしくできなかったので、その影響で、「なるほど、今では特に憎いなどとは思わなくても、本当に心にかけてお世話しようとまではお思いでなかろう」と推量されるのである。
母君の女御にも信じ切ったようにして院は女三の宮のことを仰せになった。とはいっても昔宮中にあった時代には、内親王の御母の女御は格別な御寵愛(ちょうあい)を得ていて、この方にとっては強力な競争者だったのであるから、その宮にまで憎悪(ぞうお)を持つわけはないが真心からお世話をする気にはなれなかったであろうと想像される。
1.2.8
朝夕(あさゆふ)に、この(おほん)ことを(おぼ)(なげ)く。
年暮(としく)れゆくままに御悩(おほんなや)みまことに(おも)くなりまさらせたまひて、御簾(みす)()にも()でさせたまはず。
(おほん)もののけにて、時々悩(ときどきなや)ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、(かぎ)りなり」と(おぼ)()したり。
朝な夕なに、この方の御事を御心配なさる。
年が暮れてゆくにつれて、御病気がほんとうに重くおなりあそばして、御簾の外にもお出ましにならない。
御物の怪で、時々お悩みになったことはあったが、とてもこのようにいつまでもお悪いことはあり続けなかったが、「今度は、やはり、最期だ」とお思いでいらっしゃった。
院は明けても暮れても女三の宮の将来についてばかり御心配をあそばされるせいもあって、年末が近づいてから御容態がいちじるしくお悪くなり、御簾(みす)の外へおいでになることもなくなった。これまでも妖気(もののけ)がもとでおりおりお(わずら)いになることはあっても、こんなに続いて(なが)く御容態のすぐれぬようなことはなかったのであるから、御自身では御命数の尽きる世が来たというように解釈をあそばすのであった。
1.2.9
御位(おほんくらゐ)()らせたまひつれど、なほその()(たの)みそめたてまつりたまへる(ひと)びとは、(いま)もなつかしくめでたき(おほん)ありさまを、(こころ)やりどころに(まゐ)(つか)うまつりたまふ(かぎ)りは、(こころ)()くして()しみきこえたまふ。
お位をお退きあそばしたが、やはりその当時にお頼り申し上げていらした方々は、今でもおやさしくご立派なお人柄を、心の慰め所にして参上しお仕えなさっている方々は、みな心の底からお悲しみ申し上げなさる。
御退位になってからも御在位時代に恩顧を受けた人たちは、今も優しく寛容な御性質をお慕い申し上げて、屈託なことのある時の慰安を賜わる所のようにして参候する(なら)いになっていて、その人たちは院の御悩(ごのう)の重いのを皆心から惜しみ悲しんでいた。

第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う

1.3.1
六条院(ろくでうのゐん)よりも、御訪(おほんとぶ)らひしばしばあり。
みづからも(まゐ)りたまふべきよし、()こし()して、(ゐん)はいといたく(よろこ)びきこえさせたまふ。
六条院からも、お見舞いが頻繁にある。
ご自身も参上なさる由、お聞きあそばして、院はとてもたいそうお喜び申し上げあそばす。
六条院からもお見舞いの使いが常に来た。そのうち御自身でもおいでになりたいという御通知のあった時、院は非常にお喜びになった。
1.3.2 中納言の君が参上なさったのを、御簾の中に招き入れて、お話を親密になさる。
六条院の御子の源中納言が参院した時に、御病室の御簾(みす)の中へお招きになり、朱雀(すざく)院はいろいろなお話をあそばされた。
1.3.3
故院(こゐん)(うへ)(いま)はのきざみに、あまたの御遺言(ごゆいごん)ありし(なか)に、この(ゐん)(おほん)こと、(いま)内裏(うち)(おほん)ことなむ、()()きてのたまひ()きしを、(おほや)けとなりて、こと(かぎ)りありければ、うちうちの御心寄(みこころよ)は、(かは)らずながら、はかなきことのあやまりに、(こころ)おかれたてまつることもありけむと(おも)ふを、(とし)ごろことに()れて、その(うら)(のこ)したまへるけしきをなむ()らしたまはぬ。
「故院の帝が、御臨終の際に、多くの御遺言があった中で、この院の御事と今上の帝の御事を、特別に仰せになったが、皇位に即くと、何かと自由にならないもので、心の中の好意は、変わらないものの、ちょっとした事の行き違いから、お恨まれ申されることもあっただろうと思うが、長年何かにつけて、その時の恨みが残っていらっしゃるご様子をお見せにならない。
「お(かく)れになった陛下が御終焉(しゅうえん)の前に私へいろいろな御遺言をなされたのだが、その中で特に六条院と今の陛下のことについては熱心に仰せられて私へお託しになったのだが、帝王というものになっては、自分の意志を単純に実行へ移すことのできない点があってね。個人としての愛は少しも変わらなかったが、しかも私の過失によって、あの方にとって私が恨めしかっただろうと思うこともしたのに、今日までそれに対する復讐的なことは何の端にもお見せにならない。
1.3.4
(さか)しき(ひと)といへど、()(うへ)になりぬれば、こと(たが)ひて、心動(こころうご)き、かならずその(むく)()え、ゆがめることなむ、いにしへだに(おほ)かりける
賢人と言っても、自分自身の事となると、話は違って、心が動揺し、必ずその報復をし、道を踏みはずす例は、昔でさえ多くあったのだ。
どんな賢人でも自身の問題になると恨むことも憎むことも凡人どおりにすることからいろいろな事件の起こるのは歴史の上にあることだからね。
1.3.5
いかならむ(をり)にか、その御心(みこころ)ばへほころぶべからむと、()(ひと)もおもむけ(うたが)ひけるをつひに(しの)()ぐしたまひて、春宮(とうぐう)などにも(こころ)()せきこえたまふ。
(いま)はた、またなく(した)しかるべき(なか)となり、(むつ)()はしたまへるも(かぎ)りなく(こころ)には(おも)ひながら、本性(ほんじゃう)(おろ)かなるに()へて、()(みち)(やみ)にたち()じりかたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに()こえ(はな)ちたるさまにてはべる
どのような時にか、お恨みの心が漏れ出ることだろうかと、世間の人々もその気で疑っていたが、とうとう辛抱なさって、東宮などにもご好意をお寄せ申されていらっしゃる。
今では、またとなく親しい姻戚関係になって交際していらっしゃるのも、この上なく有り難く心の中では思いながら、生来の愚かさに加えて、子を思う親心で目がくらみ、見苦しいことではないかと思って、かえってよそ事のようにお任せ申している有様でございます。
機会があれば私への復讐が姿になって現われることであろうと、世人も言うことだったし、私自身も罰を受ける気でいたのだが、あの方に見たのは絶対の愛だけだった。東宮などにも好意をお寄せになったり、また現在では婿舅(むこしゅうと)の関係までも作っていただいているのを私はどんなに感激しているかしれないが、愚かな上に盲目的な親の愛までも暴露してお目にかけることも恥ずかしくて、父である私が東宮に対してかえって冷淡なふうをしている。
1.3.6
内裏(うち)(おほん)ことは、かの御遺言違(ごゆいごんたが)へず(つか)うまつりおきてしかば、かく(すゑ)()(あき)らけき(きみ)として、()しかたの御面(おほんおもて)をも()こしたまふ。
本意(ほい)のごと、いとうれしくなむ。
帝の御事は、あの御遺言通りに致しましたので、このような末世の名君として、これまでの不面目を挽回して下さる。
願い通りで、まことに嬉しく思います。
陛下のことは院の御遺言どおりに万事計らって位をお譲り申し上げたから、この聖天子を国民がいただきうることになり、私の不名誉まで取り返していただいている。これだけは意志を強くして遂行なしえた善事だと信じて満足している。
1.3.7
この(あき)行幸(ぎゃうがう)(のち)いにしへのこととり()へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ
対面(たいめん)()こゆべきことどもはべり
かならずみづから(とぶ)らひものしたまふべきよし、もよほし(まう)したまへ」
この秋の行幸の後は、昔のことがあれこれと思い出されて、懐かしくお会いしたく存じます。
お目にかかって申し上げたいことどもがございます。
必ずご自身お訪ね下さるよう、お勧め申し上げて下さい」
六条院にこの秋の行幸の節にお目にかかった時から、私の心にはしきりに青春時代の兄弟間の愛が再燃してお目にかかりたくてならない。直接お目にかかってお話し申したいこともある。ぜひ御自身でおいでくださるようにあなたからもお勧めしてほしい」
1.3.8
など、うちしほたれつつのたまはす。
などと、涙ぐみながら仰せになる。
などとしおれたふうで院が仰せられたのである。

第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す

1.4.1 中納言の君は、

1.4.2
()ぎはべりにけむ(かた)ともかくも(おも)うたまへ()きがたくはべり。
(とし)まかり()りはべりて朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつりはべるあひだ、()(なか)のことを()たまへまかりありくほどには、大小(だいせう)のことにつけても、うちうちのさるべき物語(ものがたり)などのついでにも、いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ(まう)さるる(をり)ははべらずなむ
「過ぎ去りました昔の事は、何とも分りかねがたく存じます。
成人いたしまして、朝廷にもお仕え致す間に、世間の事をあれこれと経験してまいりますうちに、大小の公事につけても、私的な打ち解けた話し合いの中でも、『昔の辛い思いをしたことがあって』などと、ほのめかされることはございませんでした。
「御過失でございましたか、正当な御処置でございましたか、昔のことは今になって御批評の申し上げようもございません。私が大人になりまして一官吏の職を奉じますようになりましてから、私のために院がいろいろの注意を実例によってお与えくださいます際などにも、自分は冤罪(えんざい)によってどんなことが過去にあったというようなことを少しでも仰せになることはございません。
1.4.3
かく朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)(つか)うまつりさして(しづ)かなる(おも)ひをかなへむと、ひとへに()もりゐし(のち)は、(なに)ごとをも、()らぬやうにて、故院(こゐん)御遺言(ごゆいごん)のごとも(つか)うまつらず、御位(みくらゐ)におはしましし()には(よはひ)のほども、()のうつはものも(およ)ばず、かしこき(かみ)(ひと)びと(おほ)くて、その(こころ)ざしを()げて御覧(ごらん)ぜらるることもなかりき。
(いま)かく政事(まつりごと)()りて、(しづ)かにおはしますころほひ、(こころ)のうちをも(へだ)てなく、(まゐ)りうけたまはらまほしきを、さすがに(なに)となく所狭(ところせ)()よそほひにて、おのづから月日(つきひ)()ぐすこと』
『このように朝廷の御後見を中途でご辞退申して、静かな暮らしをしようと、すっかり籠居して後は、どのような事をも、関係ないようにして、故院の御遺言通りにもお仕え申すことができず、御在位時代には、年齢も器量も不十分で、すぐれた上位の方々が多くて、わたしの思いを十分に尽くして御覧いただくこともありませんでした。
今は、このように御退位なさって、静かにお暮らしになっていらっしゃるこの折に、思いのまま心おきなく、参上してお話を承りたいが、そうは言っても何やら大層な身分のために、ついつい月日を過ごしたていること』
一生を通じて陛下の御補佐をすべきであるのを、人生を静かに考えたい欲求から中途で閑散な地位に移らせていただいたために、故院の御遺言もお守りできぬことになり、またあなた様に対しては御在位の節には若輩であり、力もなく、上のかたがたが多くおいでにもなって、御自身の至誠をお尽くしする機会がなかったと申されまして、静かな御環境においでになります今日はせめてたびたび御訪問も申し上げてお話も承りたいのを、さすがに事の大仰(おおぎょう)になるのに遠慮されて御無沙汰(ごぶさた)を申し上げている
1.4.4
となむ、折々嘆(をりをりなげ)(まう)したまふ」
と、時々お嘆き申していらっしゃいます」
とこんなことをおりおり歎息(たんそく)しておいでになるのでございます」
1.4.5
など、(そう)したまふ。
などと、奏上なさる。
などと中納言は申し上げた。
1.4.6
二十(はたち)にもまだわづかなるほどなれどいとよくととのひ()ぐして容貌(かたち)(さか)りに(にほ)ひて、いみじくきよらなるを、御目(おほんめ)にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮(ひめみや)御後見(おほんうしろみ)に、これをやなど、人知(ひとし)れず(おぼ)()りけり
二十歳にもまだわずか足りない年齢であるが、まことに立派に年齢以上に成人して、器量も今を盛りに輝くばかりで、たいそう美しいので、お目に止めてじっと御覧あそばしながら、この御心中を悩ましていらっしゃる姫宮の御後見に、この人はどうかしらなどと、人知れずお考えよりになるのであった。
二十歳(はたち)に少し足らぬのであるが、すべてが整って美しいこの人に院の御目はとまって、じっと顔をおながめになりながら、どう処置すべきかと御煩悶(はんもん)あそばされる姫宮を、この中納言に(とつ)がせたならと人知れず思召(おぼしめ)された。
1.4.7
太政大臣(おほきおとど)のわたりに(いま)()みつかれにたりとな。
(とし)ごろ心得(こころえ)ぬさまに()きしが、いとほしかりしを、(みみ)やすきものから、さすがにねたく(おも)ふことこそあれ
「太政大臣の邸に、今は落ちつかれたそうですね。
長年わけの分からない話のように聞いたのは、気の毒に思ったが、ほっとしたものの、やはり残念に思うことがあります」
「太政大臣の家に行っているそうだね。長い間私なども大臣の態度を()に落ちなく思っていたところ、円満な結果を得てよいことと思っているが、またどうしたことか大臣がうらやまれもしてね」
1.4.8
とのたまはする(おほん)けしきを、いかにのたまはするにか」とあやしく(おも)ひめぐらすに、この姫宮(ひめみや)かく(おぼ)(あつか)ひて、さるべき(ひと)あらば、(あづ)けて、(こころ)やすく()をも(おも)(はな)ればや、となむ(おぼ)しのたまはする」と、おのづから()()きたまふ便(たよ)りありければ、さやうの(すぢ)にや」とは(おも)ひぬれど、ふと心得顔(こころえがほ)にも、(なに)かはいらへきこえさせむ
ただ、
と仰せになる御様子を、「何を仰せになろうとするのかしら」と、不思議に思って考えてみると、「こちらの姫宮をこのように御心配なさって、適当な人がいたら、頼んで、気楽に俗世を離れたい、とお思いになって仰せになるのだろう」と、自然と漏れ聞きなさる伝もあったので、「そのようなことではないか」とは思ったが、すぐさま分かったような顔をして、どうしてお答え申し上げられよう。
ただ、
との院の仰せを不思議に思って中納言は考えてみたが、それは女三の宮のお身の上をとやかくとお案じになって、相当な人があれば結婚をさせて安心して宗教の中へはいりたいという思召(おぼしめ)しが院におありになるということがほかから耳にもはいっていたことであったから、その問題に触れて仰せられることかと気がついたものの、()み込み顔なお返辞はできないことであった。ただ、
1.4.9
はかばかしくもはべらぬ()には、()るべもさぶらひがたくのみなむ」
「頼りにもならないわたしには、妻もなかなか得がたくございます」
「つまらない者でございますから、配偶者を得ますこともとかく困難でございまして」
1.4.10
とばかり(そう)して()みぬ。
とだけお答え申し上げるにとどまった。
と申し上げるのにとどめた。

第五段 朱雀院の夕霧評

1.5.1
女房(にょうばう)などは、(のぞ)きて()きこえて、
女房などは、覗き見申して、
のぞき見をしていた若い女房たちが、
1.5.2
いとありがたく()えたまふ容貌(かたち)用意(ようい)かな」
「本当に立派にお見えになる容貌や、態度ですこと」
「珍しい美男でいらっしゃる。御様子だってねえ、
1.5.3
「あな、めでた」
「ああ、素晴らしい」
なんというごりっぱさでしょう」
1.5.4
など、(あつま)りて()こゆるを、()いしらへるは、
などと、集まってお噂申し上げているのを、年輩の女房は、
集まってこんなことを言っているのを、聞いていた()けたほうに属する女房らが、
1.5.5
いで、さりともかの(ゐん)のかばかりにおはせし(おほん)ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。
いと()もあやにこそきよらにものしたまひしか」
「さあ、どうかしら、そうは言っても、あの院がこれぐらいお年でいらっしゃった時のご様子には、とてもお比べ申し上げることはおできになれません。
実に眩しいほどお美しくいらっしゃいました」
「それでも六条院様のあのお年ごろのおきれいさというものはそんなものではありませんでしたよ。比較には、まあなりませんね、それはね、目もくらんでしまうほどお美しかったものですよ」
1.5.6
など、()ひしろふを()こしめして、
などと、言い合うのをお耳にあそばして、
と言っても、若い人たちは承知をしない。こうした争いのお耳にはいった院が、
1.5.7
まことに、かれはいとさま(こと)なりし(ひと)ぞかし。
(いま)はまた、その()にもねびまさりて、(ひか)るとはこれを()ふべきにやと()ゆる(にほ)ひなむ、いとど(くは)はりにたる。
うるはしだちて、はかばかしき(かた)()ればいつくしくあざやかに、()(およ)ばぬ心地(ここち)するを、また、うちとけて、(たはぶ)れごとをも()(みだ)(あそ)べば、その(かた)につけては、()るものなく愛敬(あいぎゃう)づき、なつかしくうつくしきことの、(なら)びなきこそ、()にありがたけれ。
(なに)ごとにも(さき)世推(よお)(はか)られてめづらかなる(ひと)のありさまなり。
「本当に、あの方は特別の人であった。
今はまた、あの当時以上に立派になって、光り輝くとはこれを言うべきなのかと見える輝きが、一段と加わっている。
威儀を正して、公事に携わっているところを見ると、堂々として鮮やかで、目も眩ゆい気がするが、また一方に、うちくつろいで、冗談を言ってふざけるところは、その方面では、またとないほど愛嬌があって、親しみやすく愛らしいこと、この上ないのは、めったにいない人だ。
何事につけても前世の果報が思いやられて、類稀な人柄だ。
「そのとおりだよ。あの人の美は普通の美の標準にはあてはまらないものだった。近ごろはまたいっそうりっぱになられて光彩そのもののような気がする。正しくしていられれば端麗であるし、打ち解けて冗談(じょうだん)でも言われる時には愛嬌(あいきょう)があふれて、二人とないなつかしさが出てくる。何事にもどうした前生の大きな報いを得ておられる人かとすぐれた点から想像させられる人だ。
1.5.8
(みや)(うち)()()でて、帝王(ていわう)(かぎ)りなくかなしきものにしたまひ、さばかり()でかしづき、()()へて(おぼ)したりしかど、(こころ)のままにも(おご)らず、卑下(ひげ)して、二十(はたち)がうちには、納言(なふごん)にもならずなりにきかし。
(ひと)(あま)りてや、宰相(さいしゃう)にて大将(だいしゃう)かけたまへりけむ。
宮中で成長して、帝王がこの上なくおかわいがりなさり、あれほど大事にし、わが身以上に大切になさったが、いい気になって増長することもなく、謙虚にして、二十歳までは、中納言にもならずじまいだった。
一つ越してか、宰相で大将を兼官なさったろう。
宮廷で育って、帝王の愛を一身に集めるような幸福さがあって、まったくだよ。故院は御自身の命にも代えたいほど御大切にあそばしたものだが、それで慢心せず謙遜(けんそん)で、二十歳(はたち)までには納言にもならなかった。二十一になって参議で大将を兼ねたかと思う。
1.5.9
それに、これはいとこよなく(すす)みにためるは、次々(つぎつぎ)()()のおぼえのまさるなめりかし。
まことに(かしこ)(かた)(ざえ)(こころ)もちゐなどは、これもをさをさ(おと)るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと(こと)なめり」
それに比べて、こちらはこの上なく昇進しているのは、親から子へと次第に声望が高まっていくのであろう。
本当に公事に関する才能、心構えなどは、こちらも決して父親に劣らず、たとい間違っても、年々老成してきたという評判は、たいそう格別なようだ」
それに比べると中納言の官等の上がり方は早い。子になり孫になりして威福の盛んになる家らしい。実際中納言は秀才であり、確かな教養を受けている点で昔の光源氏にあまり劣るまい。父君の昔に越えて幸福な道を踏んでもそれが不当とも思えない偉さが(あれ)にある」
1.5.10
など、めでさせたまふ。
などと、お誉めあそばす。
と御(おい)をほめておいでになった。

第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦

1.6.1
姫宮(ひめみや)のいとうつくしげにて、(わか)何心(なにごころ)なき(おほん)ありさまなるを()たてまつりたまふにも、
姫宮がとてもかわいらしげで、幼く無邪気なご様子であるのを拝見なさるにつけても、
可憐(かれん)な姫宮の美しく無邪気な御様子を御覧になっては、
1.6.2
()はやしたてまつりかつはまた片生(かたお)ひならむことをば、見隠(みかく)(をし)へきこえつべからむ(ひと)の、うしろやすからむに(あづ)けきこえばや」
「はなやかにお世話して上げ、また一方では、至らないところは、見知らない体でそっと教えて上げるような人で、安心な方にお預け申したいものだ」
「十分愛してくれて、足りない所は(かげ)で教育してくれるような、そして安心して託せるような人を婿に選びたい気がする」
1.6.3 などとお申し上げになる。
などと仰せられた。
1.6.4
大人(おとな)しき御乳母(おほんめのと)ども()()でて御裳着(おほんもぎ)のほどのことなどのたまはするついでに、
年かさの御乳母たちを御前に召し出して、御裳着の時の事などを仰せになる折に、
乳母(めのと)の中でも上級な人たちをお呼び出しになって、裳着(もぎ)の式の用意についていろいろお命じになることのあったついでに、院は、
1.6.5
六条(ろくでう)大殿(おとど)の、式部卿親王(しきぶきゃうのみこ)(むすめお)ほし()てけむやうに、この(みや)(あづ)かりて(はぐく)まむ(ひと)もがな。
ただ(うど)(なか)にはありがたし。
内裏(うち)には中宮(ちゅうぐう)さぶらひたまふ。
次々(つぎつぎ)女御(にょうご)たちとても、いとやむごとなき(かぎ)りものせらるるにはかばかしき後見(うしろみ)なくて、さやうの()じらひ、いとなかなかならむ
「六条の大殿が、式部卿の親王の娘を育て上げたというように、この姫宮を引き取って育ててくれる人がいないものか。
臣下の中ではいそうにない。
主上には中宮がいらっしゃる。
それに次ぐ女御たちにしても、たいそう高貴な家柄の方ばかりが揃っていられるから、しっかりした御後見役がいなくて、そのような宮廷生活は、かえってしないほうがましだろう。
「六条院が式部卿(しきぶきょう)の宮の女王(にょおう)を育て上げられたようにして、この宮の世話をする男はないのだろうか。普通人の中に私が選び出すような人格者はまずないらしい。宮中には中宮(ちゅうぐう)がおいでになる。その下の女御(にょご)たちもよい後援者のついている人ばかりだからね。たいした後ろだてがなくて後宮の生活をするのは苦労の多いことに違いない。
1.6.6
この権中納言(ごんのちゅうなごん)朝臣(あそん)(ひと)りありつるほどに、うちかすめてこそ(こころ)みるべかりけれ。
(わか)けれど、いと警策(きゃうざく)に、()先頼(さきたの)もしげなる(ひと)にこそあめるを
この権中納言の朝臣が独身でいた時に、こっそり打診してみるべきであった。
若いけれど、たいそう有能で、将来有望な人と思えるから」
今日の権中納言が独身でいたころに話をしてみるのだった。若いがりっぱな秀才で将来の頼もしい人らしいのに」
1.6.7
とのたまはす。
と仰せになる。
こんなこともお言いになった。
1.6.8
中納言(ちゅうなごん)もとよりいとまめ(びと)にて、(とし)ごろもかのわたりに(こころ)をかけて、ほかざまに(おも)(うつ)ろふべくもはべらざりけるに、その(おも)(かな)ひては、いとど()るぐ(かた)はべらじ。
「中納言は、もともとたいそう生真面目な方で、長年、あの方に心を懸けて、他の女性には心を移そうともしなかったのでございますから、その願いが叶ってからは、ますますお心の動くはずがございますまい。
「中納言は初めからまじめ一方な方でございますから、今までも初恋のあの奥様のことばかりを思いつめて、失恋時代にもほかの話に耳をかさなかった人でございました。そのお姫様とごいっしょにおなりになったただ今では、第二の結婚のお話があの方を動かしうるものでもございますまい。
1.6.9
かの(ゐん)こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、(ひと)をゆかしく(おぼ)したる(こころ)()えずものせさせたまふなれ。
その(なか)にも、やむごとなき御願(おほんねが)(ふか)くて前斎院(さきのさいゐん)などをも、(いま)(わす)れがたくこそ、()こえたまふなれ」
あの院こそは、かえって、依然としてどのようなことにつけても、女性にご関心の心は、引き続きお持ちのようでいらっしゃると聞いております。
その中でも、高貴な女性を得たいとのお望みが深くて、前斎院などをも、今でも忘れることができずに、お便りを差し上げていらっしゃると聞いております」
私どもはかえって六条院様にその可能性がおありになるように存じ上げます。恋愛好きで女性に好奇心をお持ちになることは今も昔のままのようだと申すことでございます。その中でも最高の貴女に趣味をお持ちあそばして、前斎院様などを今になっても思っておいでになるそうでございます」
1.6.10
(まう)す。
と申し上げる。
と女宮の乳母の一人が申し上げた。
1.6.11 「いや、その変わらない好色心が、たいそう心配だ」
「その今でも恋愛好きである点はありがたくないことだね」
1.6.12
とはのたまはすれど、
とは仰せになるが、
院はこう仰せられたが、
1.6.13
げに、あまたの(なか)かかづらひて、めざましかるべき(おも)ひはありとも、なほやがて(おや)ざまに(さだ)めたるにて、さもや(ゆづ)りおききこえまし」
「なるほど、大勢の婦人方の中に混じって、不愉快な思いをすることがあったとしても、やはり親代わりと決めたことにして、そのようにお譲り申そうか」
乳母が言うように六条院には多くの夫人や愛人があって、唯一の妻と認めさせることはできないでも、やはりその人を親代わりの良人(おっと)に選ぶのが最善のことであるかもしれぬ
1.6.14
なども、(おぼ)()すべし。
などとも、
というお考えを院はあそばしたようである。
1.6.15
まことに、(すこ)しも()づきてあらせむと(おも)はむ女子持(をんなごも)たらば、(おな)じくは、かの(ひと)のあたりにこそ()ればはせまほしけれ。
いくばくならぬこの()のあひだは、さばかり(こころ)ゆくありさまにてこそ、()ぐさまほしけれ
「ほんとうに、少しでも結婚させようと思うような女の子を持っていたら、同じことなら、あの院の側に、添わせたいものだ。
長くもない人生では、あのように満ち足りた気持ちで、過ごしたいものだ。
「おまえの言うことはおもしろいよ。よい生き方をさせたいと思う女の子があって、配偶を求めるなら、あの院に愛されることを願うのがほんとうのようだ。人生は短いのだから、生きがいのあることをだれも願うべきだよ。
1.6.16
われ(をんな)ならば、(おな)じはらからなりとも、かならず(むつ)()りなまし
(わか)かりし(とき)など、さなむおぼえし。
まして、(をんな)(あざむ)かれむは、いと、ことわりぞや」
わたしが女だったら、同じ姉弟ではあっても、きっと睦まじい仲になっていただろう。
若かった時など、そのように思った。
ましてや、女がだまされたりするようなのは、まことに、もっともなことだ」
私が女であれば兄弟であっても兄弟以上の接近もすることだろう。真実若い時に私はそう思ったのだ。そうなのだから女が誘惑にかかるのは道理で、また自然なことなのだよ」
1.6.17
とのたまはせて、御心(みこころ)のうちに尚侍(かん)(きみ)(おほん)ことも、(おぼ)()でらるべし。
と仰せになって、御心中に、尚侍の君の御事も、自然とお思い出しになっているのであろう。
院は御心(みこころ)の中に尚侍(ないしのかみ)の事件を思い出しておいでになった。

第二章 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾


第一段 乳母と兄左中弁との相談

2.1.1
この御後見(おほんうしろみ)どもの(なか)重々(おもおも)しき御乳母(おほんめのと)(せうと)左中弁(さちゅうべん)なる、かの(ゐん)(した)しき(ひと)にて(とし)ごろ(つか)うまつるありけり。
この(みや)にも心寄(こころよ)せことにてさぶらへば、(まゐ)りたるにあひて、物語(ものがたり)するついでに、
姫宮のご後見たちの中で、重々しい御乳母の兄、左中弁でいる者で、あちらの院の近臣として、長年仕えている者がいたのであった。
こちらの宮にも特別の気持ちを持って仕えているので、参上した折に会って、話をした機会に、
この中の最も重立った一人の乳母(めのと)の兄で、左中弁の(なにがし)は六条院の恩顧を受けて、親しくお出入りしていたが、一方ではこの姫宮を尊敬する伺候者の一人であった。この人の来た時に妹である乳母が朱雀(すざく)院の御希望を語った。
2.1.2
主上(うへ)なむ、しかしか()けしきありて()こえたまひしを、かの(ゐん)に、(をり)あらば()らしきこえさせたまへ。
皇女(みこ)たちは、(ひと)りおはしますこそは(れい)のことなれど、さまざまにつけて心寄(こころよ)せたてまつり、(なに)ごとにつけても、御後見(おほんうしろみ)したまふ(ひと)あるは(たの)もしげなり。
「院の上が、これこれしかじかの御意向があってお洩らしになったが、あちらの院に、機会があったらそれとなくお耳にお入れ申し上げてください。
内親王たちは、独身でいらっしゃるのが通例ですが、いろいろなことにつけてご好意をお寄せ申し、どのような事柄につけても、ご後見なさる方がいることは頼もしいことです。
「この話をあなたから六条院様に機会(おり)がありましたら申し上げてみてください。内親王様は一生御独身が原則のようですが、婿君としてどんな場合にもお力の借りられる方をお持ちになるのは、御独身の宮様よりも頼もしく思われます。
2.1.3
主上(うへ)をおきたてまつりて、また真心(まごころ)(おも)ひきこえたまふべき(ひと)もなければ、おのらは、(つか)うまつるとても、(なに)ばかりの宮仕(みやづか)へにかあらむ。
わが心一(こころひと)つにしもあらで、おのづから(おも)ひの(ほか)のこともおはしまし、軽々(かるがる)しき()こえもあらむ(とき)には、いかさまにかは、わづらはしからむ
御覧(ごらん)ずる()ともかくも、この(おほん)こと(さだ)まりたらば、(つか)うまつりよくなむあるべき。
院の上をお置き申しては、また心底からご心配申し上げなさる方もいないので、自分たちは、お仕え申しているが、どれほどのお役に立てましょうか。
わたしの一存のままにもならず、自然と思いの他の事もおありになり、浮いた噂が立つような時には、どんなにか厄介なことでしょう。
御存命中には、どのような形にせよ、姫宮のお身の上が決まったならば、お仕えしやすいことでしょう。
院のほかに誠意のあるお世話をお受けになる方をお持ちあそばさない宮様ですからね。私がどんなにお愛し申し上げていましても、それは限りのあることしかできないのですもの。それに私一人がお付きしているのでなくておおぜいの人がいるのですから、だれがいつどんな不心得をして失礼な媒介役を勤めるかもしれません。そしてどんな御不幸なことになるかわかりません。院がおいでになりますうちにこの問題が決まりますれば私は安心ができてどんなに楽だろうと思います。
2.1.4
かしこき(すぢ)()こゆれど、(をんな)は、いと宿世定(すくせさだ)めがたくおはしますものなれば、よろづに(なげ)かしく、かくあまたの御中(おほんなか)に、()()ききこえさせたまふにつけても、(ひと)(そね)みあべかめるを、いかで(ちり)()ゑたてまつらじ
高貴なご身分と申しても、女は、本当に運命が不安定でいらっしゃいますから、いろいろと心配な上に、このような多くの皇女たちの中で、特別大切にお扱い申されるにつけても、人の妬みもあるでしょうし、何とか少しの瑕もおつけ申すまい」
尊貴な方でも女の運命は予想することができませんから不安で不安でなりません。幾人(いくたり)もおいでになる姫宮の中で特別に御秘蔵にあそばすことで、また嫉妬(しっと)をお受けになることにもなりますから、私は気が気でもありません」
2.1.5
(かた)らふに、(べん)
と相談をもちかけると、弁は、

2.1.6
いかなるべき(おほん)ことにかあらむ
(ゐん)は、あやしきまで御心長(みこころなが)く、(かり)にても()そめたまへる(ひと)は、御心(みこころ)とまりたるをも、またさしも(ふか)からざりけるをも、かたがたにつけて(たづ)()りたまひつつ、あまた(つど)へきこえたまへれど、やむごとなく(おぼ)したるは、(かぎ)りありて、一方(ひとかた)なめれば、それにことよりて、かひなげなる()まひしたまふ方々(かたがた)こそは(おほ)かめるを、御宿世(おほんすくせ)ありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじき(ひと)()こゆとも、()(なら)びておしたちたまふことは、えあらじとこそは()(はか)らるれどなほ、いかがと(はばか)らるることありてなむおぼゆる。
「どのような御事なのでしょうか。
院は、不思議なまでお心の変わらない方で、いったんご寵愛なさった女性は、お気に入った方も、またさほど深くなかった方をも、それぞれにつけてお引き取りになっては、大勢お集め申していらっしゃるが、大切にお思いなさる方は、限りがあって、お一方のようなので、そちらに片寄って、寂しい暮らしをしていらっしゃる方々が多いようですが、御宿縁があって、もし、そのようにあそばされるようなことがありましたら、どんなに大切な方と申しても、張り合って押して来られるようなことは、とてもできますまいと想像されますが、やはり、どのようなものかと案じられることがあるように存じられます。
「お話はしますがよい結果が得られることかどうか。院は御恋愛の上で飽きやすいとか、気がよく変わるとかいうことはない方で、珍しい篤実性を持っておられます。仮にも愛人になすった人は、お気に入った入らぬにかかわらず皆それ相応に居場所を作っておあげになって、幾人(いくたり)もの御夫人、愛姫というものを持っておいでになるというものの、(せん)じつめれば愛しておいでになる夫人はお一人だけということになる方がおいでになるのだから、そのために同じ院内においでになるというだけで寂しい思いをして暮らしておられる方も多いようですからね。もし御縁があって姫宮があちらへお移りになった場合には、紫の女王様がどんなにすぐれた奥様でも、これにお勝ちになることは不可能でしょうとは思いますが、あるいは必ずしもそういかない場合も想像されます。
2.1.7 とはいえ、『この世での栄誉は、末世には過ぎて、身の上に不足はないが、女性関係では、人の非難を受け、自分自身の意に満たないところもある』と、いつも内々の閑談にお気持ちを漏らされるそうです。
しかしまた院が、自分はすべての幸福に恵まれているが、熱愛では人の批難を受けもしているし、私自身にも不満足を感じる点もあると何かの場合にお()らしになるが、
2.1.8
げに、おのれらが()たてまつるにも、さなむおはします
かたがたにつけて、御蔭(みかげ)(かく)したまへる(ひと)(みな)その(ひと)ならず()(くだ)れる(きは)にはものしたまはねど、(かぎ)りあるただ(うど)どもにて(ゐん)(おほん)ありさまに(なら)ぶべきおぼえ()したるやはおはすめる
なるほど、わたくしどもが拝見致しても、そのようでいらっしゃいます。
それぞれの御縁で、お世話なさっている方は、みな素姓の分からぬような卑しい身分ではいらっしゃいませんが、たかだか知れた臣下の身分ばかりで、院のご様子に並び得る声望のある方はいらっしゃるだろうか。
私らとしてもそう思われる(ふし)がないでもない。夫人がたといっても今までの方はただの女性で、内親王がたが一人も混じっておいでになりませんからね。私らとしては院の御身分として姫宮様級の御夫人があってしかるべきだと思われますからね。
2.1.9
それに、(おな)じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる(おほん)あはひならむ
それに、同じ事なら、御意向通りに御降嫁あそばしたら、どんなにお似合いのご夫婦となることでしょう」
今度のことが実現されたらどんなにすばらしい御夫妻だろう」
2.1.10 と内情を話したのを、
と左中弁は言うのであった。

第二段 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上

2.2.1 乳母が、また別の機会に、
乳母(めのと)は何かのことを朱雀(すざく)院へ申し上げたついでに、自分が試みに前日兄の左中弁へした話を申し上げて、
2.2.2
しかしかなむ、なにがしの朝臣(あそん)ほのめかしはべしかば、かの(ゐん)には、かならずうけひき(まう)させたまひてむ。
(とし)ごろの御本意(おほんほい)かなひて(おぼ)しぬべきことなるを、こなたの御許(おほんゆる)しまことにありぬべくは、(つた)へきこえむ』となむ(なう)しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ
「これこれしかじかの事を、某朝臣にそれとなく話しましたところ、『あちらの院では、きっとご承諾申し上げなさるでしょう。
長年のご宿願が叶うとお思いになるはずのことですし、こちらの院の御許可が本当にあるのでしたらお伝え申し上げましょう』と申しておりましたが、どのように致しましょうか。
「兄が申しますのには院は必ず御承諾あそばされることと思う。六条院は年来の御希望がかなうことと思召(おぼしめ)すに違いない御縁談であるから、こちらのお許しさえあればお伝えいたしましょうと申しました。どういたしたらよろしゅうございましょう。
2.2.3
ほどほどにつけて、(ひと)際々思(きはぎはおぼ)しわきまへつつ、ありがたき御心(みこころ)ざまにものしたまふなれどただ(うど)だに、またかかづらひ(おも)人立(ひとた)(なら)びたることは、(ひと)()かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。
御後見望(おほんうしろみのぞ)みたまふ(ひと)びとは、あまたものしたまふめり。
身分身分に応じて、夫人それぞれの待遇をお考えになっては、めったにないお心づかいでいらっしゃるようですが、臣下の者でも、自分以外に寵愛を受ける女が横にいることは、誰でも不満に思うことでございますから、心外なことでございましょうかしら。
ご後見を希望なさる方は、大勢いらっしゃるようです。
御愛人にはそれぞれの御身分に応じた御待遇をあそばしまして、思いやりの深いお方様と承りますけれど、普通の女の方でもほかに愛妻のある方と結婚をすることを幸福とはいたさないのでございますから、御不快な思いをあそばすことがないとも思われません。姫宮様をいただきたいと望む人はほかにもたくさんあるのでございますから、
2.2.4
よく(おぼ)(さだ)めてこそよくはべらめ。
(かぎ)りなき(ひと)()こゆれど、(いま)()のやうとては、(みな)ほがらかに、あるべかしくて、()(なか)御心(みこころ)()ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを姫宮(ひめみや)は、あさましくおぼつかなく、(こころ)もとなくのみ()えさせたまふに、さぶらふ(ひと)びとは、(つか)うまつる(かぎ)りこそはべらめ。
よくお考えあそばしてお決めになるのがようございましょう。
この上ない身分の人と申しても、今の世の中では、みなわだかまりなく、立派に処理して、夫婦仲を考え通りにお過ごしになられる方もいらっしゃるようですが、姫宮は、驚くほど気がかりで、頼りなくお見えでいらっしゃるし、伺候している女房たちは、お仕え申すにも限界がございましょう。
よくお考えあそばしましてお決めなさいますのがよろしゅうございましょう。宮様は最も尊貴な御身分でいらっしゃいますが、ただ今の世の中ではりりしく独身生活をりっぱにしていく婦人がたもありますのに、三の宮様はどうもその点で御安心申し上げられない強さが欠けておいであそばすのですから、
2.2.5
おほかたの御心(みこころ)おきてに(したが)ひきこえて、(さか)しき下人(しもびと)もなびきさぶらふこそ、(たよ)りあることにはべらめ。
()()てたる御後見(おほんうしろみ)ものしたまはざらむは、なほ心細(こころぼそ)きわざになむはべるべき」
大抵ご主人のご意向にお従い申して、賢明な下々の者もそのお考え通りに従うのが、心丈夫なことでしょう。
特別のご後見がいらっしゃらないのは、やはり心細いことでございましょう」
私たち侍女どもは一所懸命の御奉仕をいたしましても、それはたいした宮様のお力になることでもございませんから、世間の女の例によって、変則な独身でお立ちになろうとあそばさないで、御結婚をあそばすほうが御安心のおできになることと存じます。特別な御後見をなさいます方のないのはお心細いことでないかと存じ上げます」
2.2.6
()こゆ。
と申し上げる。
と、自身の意見も述べた。

第三段 朱雀院、内親王の結婚を苦慮

2.3.1
しか(おも)ひたどるによりなむ
皇女(みこ)たちの()づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもありまた(たか)(きは)といへども、(をんな)(をとこ)()ゆるにつけてこそ、(くや)しげなることも、めざましき(おも)ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦(こころぐる)しく(おも)(みだ)るるを、また、さるべき(ひと)()ちおくれて(たの)(かげ)どもに(わか)れぬる(のち)(こころ)()てて()(なか)()ぐさむことも(むかし)は、(ひと)(こころ)たひらかにて()(ゆる)さるまじきほどのことをば(おも)(およ)ばぬものとならひたりけむ(いま)()には、()()きしく(みだ)りがはしきことも、(るい)()れて()こゆめりかし。
「そのように考えるからなのだ。
皇女たちが結婚している様子は、見苦しく軽薄なようでもあり、また高貴な身分といっても、女は男との結婚によって、悔やまれることも、しゃくに障る思いも、自然と生じるもののようだと、一方では不憫に思い悩むが、また一方で、頼りとする人に先立たれて、頼る人々に別れた後、自分の意志通りに世の中を生きて行くことも、昔は、人の心も穏やかで、世間から許されない身分違いのことは、考えもしないことであったろうが、今の世では、好色で淫らなことも、縁者を頼って聞こえてくるようだ。
「私も宮のことをいろいろと考えて、内親王は神聖なものとしておきたくも思うし、また高い身分の者も結婚したがために、内輪のことも世評に上るようになるし、しないでよいはずの煩悶(はんもん)で自身を苦しめることにもなるのだからと否定に傾きもするのだが、また親兄弟にも別れたあとで、女が独身でいては、昔の時代の人は神聖なものは神聖なものとしておいたが、近代の男はそれを無視して強要的な結婚を行なうのに躊躇(ちゅうちょ)しない悪徳を平気でするようになったために、いろんな(うわさ)の種もまくのだがね。
2.3.2 昨日まで高貴な親の家で大切にされて育てられていた姫が、今日は平凡な身分の低い好色者たちに浮名を立てられだまされて、亡き親の面目をつぶし、死後の名を辱めるような例が多く聞こえる。
詮じつめれば、
昨日(きのう)までは尊貴な親の娘として尊敬されていた人が、つまらぬ男にだまされて浮き名を立て、ある者は死んだ親の名誉をそこなうという(たぐい)の話は幾つもあるから、姫宮であっても女であれば同じことで、
2.3.3
ほどほどにつけて、宿世(すくせ)などいふなることは、()りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ。
すべて、()しくも()くも、さるべき(ひと)(こころ)(ゆる)しおきたるままにて()(なか)()ぐすは、宿世宿世(すくせすくせ)にて、(のち)()(おとろ)へある(とき)も、みづからの(あやま)ちにはならず。
身分身分に応じて、宿世などということは、知りがたいことなので、万事が不安である。
総じて、良くも悪くも、しかるべき人が指図しておいたようにして世の中を過ごして行くのは、それぞれの宿世であって、晩年に衰えることがあっても、自分自身の間違いにはならない。
宿命などということはことにわからぬものだから、私が配偶者を選ばずに捨てておくことは不安だとも一方では考えられる。良くなっても悪くなっても、それは自発的に決めたことでなくて親や兄が選んだ結婚をしておれば、悪いことがあとにあってもその人の責任にはならないで済むし、
2.3.4
あり()て、こよなき(さいは)ひあり、めやすきことになる(をり)は、かくても()しからざりけり()ゆれど、なほ、たちまちふとうち()きつけたるほどは、(おや)()られず、さるべき(ひと)(ゆる)さぬに、(こころ)づからの(しの)びわざし()でたるなむ、(をんな)()にはますことなき(きず)とおぼゆるわざなる。
後になって、この上ない幸福がきて、見苦しからぬことになった時には、それでもかまわなかったと見えるが、やはり、その当座いきなり耳にした時には、親にも内緒だし、しかるべき保護者も許さないのに、自分勝手の秘事をしでかしたのは、女の身の上にはこれ以上ない欠点だと思われることだ。
恋愛結婚のあとが良くなれば、ああしたことの結果も良くなるものであるとは見えても、その初めに噂の広まったころには、親の同意も得ず、家族も許さないのに恋愛をして良人(おっと)を持ったということは女の第一の恥と聞こえるからね。
2.3.5
直々(なほなほ)しきただ(うど)(なか)らひにてだに、あはつけく(こころ)づきなきことなり。
みづからの(こころ)より(はな)れてあるべきにもあらぬを、(おも)(こころ)よりほかに(ひと)にも()えず宿世(すくせ)のほど(さだ)められむなむいと軽々(かろがろ)しく、()のもてなし、ありさま()(はか)らるることなるを。
平凡な臣下の者同士でさえ、軽薄で良くないことである。
本人の意志と無関係に事が運ばれて良いはずのものでもないが、自分の意に反しては結婚せず、運命の程が決めらるのは、たいそう軽率で、日常の態度、様子が想像されることよ。
それは普通の家の娘の場合でも軽佻(けいちょう)に思われることに違いない。また自分は自分の身体(からだ)の持ち主であるのに、それを暴力で蹂躪(じゅうりん)された結果、意外な男の妻になるようなことも軽率で、その女を侮蔑(ぶべつ)したくなるが、
2.3.6
あやしくものはかなき(こころ)ざまにやと()ゆめる(おほん)さまなるを、これかれの(こころ)にまかせもてなしきこゆなさやうなることの()()()でむこと、いと()きことなり」
妙に頼りない性質ではないかと見えるようなご様子だから、お前たちの考えのままに、お取り計らい申し上げるというのは、そのようなことが世間に漏れ出るようなことは、まことに情けないことだ」
姫宮も元来弱い、(すき)の見える性質ではないかと私は心配しているのだから、侍女どもが勝手なことを宮に押しつけるようなことをさせてはならないよ。そんな噂が世間へ聞こえては恥ずかしいからね」
2.3.7
など、見捨(みす)てたてまつりたまはむ(のち)()を、うしろめたげに(おも)ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく(おも)ひあへり。
などと、お残し申されて御出家あそばされる後のことを、不安にお思い申し上げていらっしゃるので、ますます厄介なことと思い合っていた。
などとお別れになったあとのことまでもお案じになって仰せられることで、乳母たち、女房たちは責任の重さを苦労に思った。

第四段 朱雀院、婿候補者を批評

2.4.1
(いま)すこしものをも(おも)()りたまふほどまで見過(みす)ぐさむとこそは、(とし)ごろ(ねん)じつるを、(ふか)本意(ほい)()げずなりぬべき心地(ここち)のするに(おも)ひもよほされてなむ。
「もう少し分別がおできになるまで世話してあげようとは、長年辛抱してきたが、深い出家の本懐も遂げずになってしまいそうな気がするので、つい気が急かされるものだ。
「もう少し大人になられるまで私がついていたいと、今まで念じ続けてきたものだが、このごろの健康状態でそうしていては、信仰生活にはいることもできずに死んでしまうのではないかという気がされるので、やむをえず出家を断行することにした。
2.4.2
かの六条(ろくでう)大殿(おとど)は、げに、さりともものの心得(こころえ)て、うしろやすき(かた)こよなかりなむを、方々(かたがた)にあまたものせらるべき(ひと)びとを()るべきにもあらずかし
とてもかくても、(ひと)(こころ)からなり
のどかにおちゐて、おほかたの()のためしとも、うしろやすき(かた)(なら)びなくものせらるる(ひと)なり。
さらで()ろしかるべき(ひと)()ればかりかはあらむ
あの六条の大殿は、なるほど、そうはいっても万事心得ていて、安心な点ではこの上ないが、あちこちに大勢いらっしゃるご夫人たちを考慮する必要もあるまい。
何といっても、当人の心次第である。
ゆったりと落ち着いていて、広く世の模範であり、信頼できる点では並ぶ者がなくおいでになる方である。
この人以外で適当な人は誰がいようか。
六条院に託しておくのが、なんといってもいちばん安心のできることだと思う。幾人(いくたり)も侍している夫人はあってもそれをいちいち念頭に置いてゆかねばならぬことでもなし、ただ主観的にこちらさえ寛大な心を持って臨めばよいことなのだ。はなやかな時代も過ぎて平淡な心境におられるあの院に三の宮の良人(おっと)となっていただくことは最も安心なことだと私は認めている。そのほかに適当な候補者はないよ。
2.4.3
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)人柄(ひとがら)はめやすしかし。
(おな)じき(すぢ)にて、異人(ことびと)とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、(おも)(かた)おくれて、すこし(かろ)びたるおぼえや(すす)みにたらむ。
なほ、さる(ひと)はいと(たの)もしげなくなむある。
兵部卿宮、性質は好ましい。
同じ皇族で、他人扱いして軽んじるべきではないが、あまりにひどく弱々しく風流めいていて、重々しいところが足りなくて、少し軽薄な感じが過ぎていよう。
やはり、そのような人はたいそう頼りなさそうな気がする。
兵部卿(ひょうぶきょう)の宮は風采(ふうさい)も人物もひととおりはりっぱな人だがね、それに私としては兄弟のことだから他人のようにひどい批評はできないものの、とにかくあの人はあまりに柔弱で、芸術家に傾き過ぎて、世間の信望が少し薄いようだ。そんなふうな人は良人として頼もしくは思われない。
2.4.4
また、大納言(だいなごん)朝臣(あそん)家司望(いへづかさのぞ)むなるさる(かた)に、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや
さやうにおしなべたる(きは)は、なほめざましくなむあるべき。
また、大納言の朝臣が家司を望んでいるというのは、そうした点では、忠実に勤めるにちがいないだろうが、それでもどんなものか。
その程度の世間一般の身分の者では、やはりとんでもない不釣合であろう。
また大納言が臣礼をもって奉仕しようというのは親切な男というべきだが、さてそれに許してやる気にはちょっとなれない。やはり普通の男の妻には与えにくい気がする。
2.4.5
(むかし)も、かうやうなる(えら)びには何事(なにごと)(ひと)(こと)なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。
ただひとへに、またなく()ちゐむ(かた)ばかりをかしこきことに(おも)(さだ)めむは、いと()かず口惜(くちを)しかるべきわざになむ。
昔も、このような婿選びでは、万事につけ人より格別優れた評判のある者に、落ち着いたものだ。
ただ一途に、他の女には目もくれず大事にしてくれる点だけを、立派なことだと考えるのは、実に物足りなく残念なことだ。
昔の時代にも帝王の婿にはある一事の傑出した人物が選ばれたようだ。ただ都合のよいというようなことで人選をするのは恥ずかしいことだ。
2.4.6
右衛門督(ゑもんのかみ)(した)にわぶなるよし尚侍(ないしのかみ)のものせられしその(ひと)ばかりなむ、(くらゐ)など(いま)すこしものめかしきほどになりなば、などかは、とも(おも)()りぬべきを、まだ(とし)いと(わか)くてむげに(かろ)びたるほどなり。
右衛門督が内々希望していると、尚侍が話していたが、その人だけは、位などがもう少し一人前になったら、何の不釣合なことがあろう、と思いつくところだが、まだ年齢が若くて、あまりに軽い地位である。
右衛門督(うえもんのかみ)がやはりその希望を持っているということを尚侍(ないしのかみ)が言っていたが、あれだけはすぐれた人物だから、官位がもう少し進んでいたら私も大いに考慮するが、まだ今のところでは地位が不十分だ。
2.4.7
(たか)(こころ)ざし(ふか)くて、やもめにて()ぐしつつ、いたくしづまり(おも)()がれるけしき、(ひと)には()けて、(ざえ)などもこともなくつひには()のかためとなるべき(ひと)なれば、()(すゑ)(たの)もしけれど、なほまたこのためにと(おも)()てむには、(かぎ)りぞあるや
高貴な女性をという願いが強くて、独身で過ごしながら、たいそう沈着に理想を高く持している態度が、誰よりも抜群で、漢学なども難なく備わり、最後は世の重鎮となるはずの人なので、将来を期待できるが、やはり婿にと決めてしまうには、不十分ではないか」
理想が高くてだれとも結婚をせずにまだ独身でいて思い上がった精神が実によい。学問も相当なものだし、廟堂(びょうどう)に立って仕事のできる点で将来も有望だが、私には愛女の婿はそれでもないという心がある。相当に濃厚にある」
2.4.8
と、よろづに(おぼ)しわづらひたり。
と、いろいろとお考え悩んでいらっしゃった。
こんなふうに仰せられて院はお心を悩ませておいでになった。
2.4.9
かうやうにも(おぼ)()らぬ姉宮(あねみや)たちをば、かけても()こえ(なや)ましたまふ(ひと)もなし。
あやしく、うちうちにのたまはする(おほん)ささめき(ごと)どものおのづからひろごりて、(こころ)()くす(ひと)びと(おほ)かりけり。
これほどにはお考えでない姉宮たちには、一向にお心をお悩ませ申し上げる人もいない。
不思議と、内々に仰せになる内証事が、自然と広がって、気を揉む人々が多いのであった。
多い候補者の中の婿選びを困難に思召(おぼしめ)女三(にょさん)(みや)以外の姉宮がたに求婚をする人はさてないのである。院がどんなにその一方(ひとかた)をお愛しになって、よい配偶をお決めになることに専心しておいでになるかということが、院内から自然に外へ聞こえ、自身を候補に擬しているものが多いのである。

第五段 婿候補者たちの動静

2.5.1 太政大臣も、
太政大臣も
2.5.2
この衛門督(ゑもんのかみ)(いま)までひとりのみありて、皇女(みこ)たちならずは()じと(おも)へるを、かかる御定(おほんさだ)めども()()たなる(をり)に、さやうにもおもむけたてまつりて、()()せられたらむ(とき)いかばかりわがためにも面目(めんぼく)ありてうれしからむ」
「この右衛門督が、今まで独身でいて、内親王でなければ妻としないと思っているのを、このような御詮議が問題になっているという機会に、そのようにお願い申し上げて、召し寄せられたならば、どんなにか自分にとっても名誉なことで、嬉しいだろう」
長男の右衛門督がまだ独身でいて、妻は内親王でなければ結婚はせぬと思うふうであるから、御降嫁が決定してだれもがお許しを願って出た時に、院の御婿に長男が選ばれたなら、どんなに自身のためにも光栄であるかしれない
2.5.3
と、(おぼ)しのたまひて、尚侍(ないしのかん)(きみ)には、かの姉北(あねきた)(かた)して、(つた)(まう)したまふなりけり。
よろづ(かぎ)りなき(こと)()()くして(そう)せさせ、()けしき(たま)はらせたまふ。
と、お思いになりおっしゃりもなさって、尚侍の君には、その姉の北の方を通じて、お伝え申し上げるのであった。
あらん限りの言葉を尽くして奏上させて、御内意をお伺いになる。
と考え、院の御寵姫(ちょうき)の尚侍の所へは、その人の姉である夫人から言わせて運動もし、一方では直接お話も申し上げて懇請もしていた。
2.5.4
兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)は、左大将(さだいしゃう)(きた)(かた)()こえ(はづ)したまひて()きたまふらむところもあり、かたほならむことはと、()()ぐしたまふに、いかがは御心(みこころ)(うご)かざらむ
(かぎ)りなく(おぼ)()られたり。
兵部卿宮は、左大将の北の方を貰い受け損ねなさって、お聞きになっているだろうところもあって、欠点があってはと、選り好みしていらっしゃったが、どうしてお心が動かないことがあろうか。
この上なくやきもきしていらっしゃった。
兵部卿の宮は左大将の夫人に失恋をあそばされたのであるから、その夫婦に対してもりっぱでない結婚はできないようにお思いになって、夫人を選んでおいでになる場合であったから、お心の動かないわけはない。非常に熱心な求婚者で宮はおありになった。
2.5.5
藤大納言(とうだいなごん)(とし)ごろ(ゐん)別当(べたう)にて、(した)しく(つか)うまつりてさぶらひ()れにたるを、御山籠(みやまご)もりしたまひなむ(のち)()(どころ)なく心細(こころぼそ)かるべきに、この(みや)御後見(おほんうしろみ)にことよせて、(かへり)みさせたまふべく()けしき(せち)(たま)はりたまふなるべし
藤大納言は、長年院の別当として、親しくお仕え続けてきたが、御入山あそばして後、頼る所もなくきっと心細いだろうから、この宮の御後見を口実にして、お心にかけていただくよう、御内意を熱心に伺っていらっしゃるのであろう。
(とう)大納言は長い間院の別当をしていて、親しく奉仕して来た人であったから、院が御寺(みてら)へおはいりになれば有力な保護者を失いたてまつることになるのを、内親王と結婚をして今後も地位の保証を得たいという功利的な考えからしきりにお許しを()うているのであった。

第六段 夕霧の心中

2.6.1
権中納言(ごんのちゅうなごん)かかることどもを()きたまふに、
権中納言も、このような事柄をお聞きになって、
(げん)中納言も院の御婿の候補者が続出するのを見ては、
2.6.2
人伝(ひとづ)てにもあらずさばかりおもむけさせたまへりし()けしきを()たてまつりてしかば、おのづから便(たよ)りにつけて、()らし、()こし()さることもあらばよももて(はな)れてはあらじかし」
「人伝でもなく直接に、あれほど意中をお漏らしあそばした御様子を拝見したのだから、自然と何かの機会を待って、自分の意向をほのめかし、お耳にあそばすことがあったら、けっして外れることはあるまい」
この人には間接でなく、あれほどにも明瞭(めいりょう)に御意のあるところをお見せになったのであるから、中間によい人を得て姫宮をお望み申し上げた場合には冷淡な態度を院はおとりになるまい
2.6.3
と、(こころ)ときめきもしつべけれど、
と、心をときめかしたにちがいなかろうが、
という自信もあって、心がときめきもするのであるが、
2.6.4
女君(をんなぎみ)(いま)はとうちとけて(たの)みたまへるを、(とし)ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、(ほか)ざまの(こころ)もなくて()ぐしてしを、あやにくに、(いま)さらに()(かへ)り、にはかに(もの)をや(おも)はせきこえむ
なのめならずやむごとなき(かた)にかかづらひなば、(なに)ごとも(おも)ふままならで、左右(ひだりみぎ)(やす)からずは、わが()(くる)しくこそはあらめ」
「女君が、今はもう大丈夫と心から頼りにしていらっしゃるのを、長年、辛い仕打ちを口実に浮気しようと思えば出来た時でさえ、他の女への心変わりもなく過ごしてきたのに、無分別にも、今になって昔に戻って、急に心配をおかけできようか。
並々ならぬ高貴なお方に関係したならば、どのようなことも思うようにならず、左右に気を使っては、自分も苦しいことだろう」
自身を信頼している妻を見ては、過ぎ去ったあの苦しい境地に置かれて、もう絶縁をしてもよかった時代にさえなお自分はこの人以外の女を対象として考えようともせず通して来て、二度目の結婚を今さらすればにわかに妻は物思いをすることになろうし、一方が尊貴な人であれば自分の行動は束縛されて、思っていてもこちらを同じに扱うことができずに、左にも右にも不平があれば自分は苦しいことであろう
2.6.5
など、もとより()()きしからぬ(こころ)なれば、(おも)ひしづめつつうち()でねど、さすがに(ほか)ざまに(さだ)まり()てたまはむも、いかにぞやおぼえて、(みみ)はとまりけり。
などと、本来好色でない性格なので、心を抑えながら外には出さないが、やはり他人に決定してしまうのも、どんなことかと思わずにはいられず、聞き耳を立てるのであった。
という気になって、元来が多情な人ではないのであるから、動く心をしいておさえて何とも表面へは出さないのであるが、さすがに姫宮の婚約が他人と成り立つことは願われないで、この人のためには一つの心を離れぬ問題にはなった。

第七段 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす

2.7.1 東宮におかれても、このような事をお耳にあそばして、
東宮もこの婿選びのことをお聞きになって、
2.7.2
さし()たりたるただ(いま)のことよりも(のち)()(ためし)ともなるべきことなるを、よく(おぼ)()しめぐらすべきことなり
人柄(ひとがら)よろしとても、ただ(うど)(かぎ)りあるをなほ、しか(おぼ)()つことならば、かの六条院(ろくでうのゐん)にこそ、(おや)ざまに(ゆづ)りきこえさせたまはめ」
「差し当たっての現在のことよりも、後の世の例となるべきのことですから、よくよくお考えあそばさなければならないことです。
人柄がまあまあ良いといっても、臣下では限界があるので、やはり、そのようにお考えになられるならば、あの六条院にこそ、親代わりとしてお譲り申し上げあそばしませ」
「目前のことよりも、そうしたことは後世への手本にもなることですから、よくお考えになった上で人を選定あそばされるがよろしく思われます。どんなにりっぱな人物でも普通人は普通人なのですから、結局は六条院へお託しになるのが最善のことと考えます」
2.7.3
となむ、わざとの御消息(おほんせうそこ)とはあらねど、()けしきありけるを、()()かせたまひても、
と、特別のお手紙というのではないが、御内意があったのを、お待ち受けお聞きあそばしても、
とこれは表だった使いで進言されたのではないが、ある人をもって申された。
2.7.4 「なるほど、おっしゃる通りだ。
たいそうよく考えておっしゃったことだ」
「もっともな意見だ。非常によい忠告だ」
2.7.5
と、いよいよ御心立(みこころた)たせたまひて、まづ、かの(べん)してぞ、かつがつ案内伝(あないつた)へきこえさせたまひける。
と、ますます御決心をお固めあそばして、まずは、あの弁を使者として、とりあえず事情をお伝え申し上げさせあそばすのであった。
院はこうお言いになって、いよいよその心におなりになり、まず三の宮のお乳母(めのと)の兄である左中弁から六条院へあらましの話をおさせになった。

第八段 源氏、承諾の意向を示す

2.8.1
この(みや)(おほん)こと、かく(おぼ)しわづらふさまは、さきざきも皆聞(みなき)きおきたまへれば、
この姫宮の御事、このようにお悩みの様子は、以前からもみなお聞きになっていらっしゃったので、
女三の宮の結婚問題で院が御心痛をしておいでになることは以前から聞いておいでになったから、
2.8.2
心苦(こころぐる)しきことにもあなるかな
さはありとも、(ゐん)御世残(みよのこ)りすくなしとて、ここにはまた、いくばく()ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見(おほんうしろみ)(こと)をば()けとりきこえむ。
げに、次第(しだい)(あやま)たぬにて、(いま)しばしのほども(のこ)りとまる(かぎ)りあらばおほかたにつけては、いづれの皇女(みこ)たちをも、よそに()(はな)ちたてまつるべきにもあらねど、またかく()()きて()きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見(うしろみ)きこえめと(おも)ふを、それだにいと不定(ふぢゃう)なる()(さだ)めなさなりや」
「お気の毒なことですね。
そうはいっても、院の御寿命が短いといっても、わたしとてまた、どれほど生き残り申せると思ってか、姫の御後見のことをお引き受け申すことができようか。
なるほど、年の順を間違わずに、もう暫くの間長生きできたら、大体の関係からいって、どの内親王たちをも、他人扱い申すはずもないが、またこのように特別に御心配の旨をお伺いしてしまったような方を、特別に御後見致そうと思うが、それさえも無常な世の中の定めなさということだ」
「御同情する。お気の毒に存じ上げている。しかし院が御生命の不安をお感じになったとすれば、私だって同じことなのだからね。どれだけあとへお残りする自信をもって御後事がお引き受けできると思うかね。御兄が先で、弟があとというそれも決まっていもせぬことを仮にそうとして私が何年かでも生き残っている間は、どの宮だって血縁のある方なのだから私はできるだけの御保護はするつもりなのに、しかも特別お心がかりに思召(おぼしめ)す方にはまた特別のお世話もするが、しかしそれだって無常の人生なのだから、自分の生命(いのち)が受け合われない」
2.8.3 とおっしゃって
とお言いになって、また、
2.8.4
まして、ひとつに(たの)まれたてまつるべき(すぢ)むつび()れきこえむことは、いとなかなかに、うち(つづ)()()らむきざみ心苦(こころぐる)しく、みづからのためにも(あさ)からぬほだしになむあるべき。
「それにもまして、一途に頼みにして戴くような者として、お親しみ申すことは、とてもかえって、引き続いて世を去るような時がおいたわしくて、自分自身にとっても容易ならぬ障りとなるにちがいなかろう。
「まして私の妻にしておくことはどんなによくないことかしれない。私が院に続いて()くなる時に、どんなにまたそれが私の気がかりになることか。私だけのことを考えても執着の残ることで、なすべきことでないと思われる。
2.8.5
中納言(ちゅうなごん)などは、年若(としわか)軽々(かろがろ)しきやうなれど、()先遠(さきとほ)くて、人柄(ひとがら)も、つひに朝廷(おほやけ)御後見(おほんうしろみ)ともなりぬべき()(さき)なめれば、さも(おぼ)()らむに、などかこよなからむ。
中納言などは、年も若く身分も軽々しいようだが、将来性があって、人柄も、最後は朝廷のご後見をするにちがいない見込みのようなので、そちらにお考えなさって、どうして申し分ないことがあろう。
私の子の中納言などは年も若くて軽い身分であっても、将来のある人物だからね。国家の柱石となる可能性を持っているのだから、中納言などへ御降嫁になってもそれが調和のとれないこととは思われない。
2.8.6
されど、いといたくまめだちて、(おも)人定(ひとさだ)まりにてぞあめれば、それに(はばか)らせたまふにやあらむ
しかし、とてもたいそう生真面目で、思う人を妻にしたようなので、それに御遠慮あそばすのだろうか」
しかしあまりにまじめ過ぎる男で、一人の妻と円満に家庭を持っているということで院は御遠慮になるだろうか」
2.8.7
などのたまひて、みづからは(おぼ)(はな)れたるさまなるを、(べん)は、おぼろけの御定(おほんさだ)めにもあらぬを、かくのたまへばいとほしく、口惜(くちを)しくも(おも)ひてうちうちに(おぼ)()ちにたるさまなど、(くは)しく()こゆれば、さすがに、うち()みつつ、
などとおっしゃって、ご自身は思ってもいないというふうなので、弁は、並々な御決定でないことを、このようにおっしゃるので、お気の毒にも、残念にも思って、内々に御決意になった様子など、詳しく申し上げると、断ったとはいえ、やはりにっこりなさりながら、
こうもお言いになって、御自身の結婚問題としてお取り上げにならないのを弁は見て、朱雀(すざく)院のほうでは堅い御決意で申し入れをさせておいでになるのであるがと残念にも思い、朱雀院をお気の毒にも思って、あちらの院がこのことの成り立つのを熱望しておいでになる事情をくわしく申し上げると、さすがに院は微笑をされて、
2.8.8
いとかなしくしたてまつりたまふ皇女(みこ)なめればあながちにかく()方行(かたゆ)(さき)のたどりも(ふか)きなめりかしな
ただ、内裏(うち)にこそたてまつりたまはめ。
やむごとなきまづの(ひと)びとおはすといふことは、よしなきことなり。
それにさはるべきことにもあらず。
かならずさりとて、(すゑ)人疎(ひとおろ)かなるやうもなし。
「とても大切にかわいがっていらっしゃる内親王のようなので、ひとえに過去や将来のことを深く考えたのだろうな。
ただ、帝に差し上げなさるがよいであろう。
れっきとした前からの人々がいらっしゃるということは、理由のないことである。
そのことに支障の生じることではない。
必ず、後から入内するからといって、後の人が疎略にされるものでない。
「非常な御愛子なのだろうから、いろいろと将来を御心配になってのお考えだろう。宮中へお上げになればいいではないか。りっぱな後宮のかたがたがすでにおられるからといって、望みのないもののように思われるのは誤りだよ。
2.8.9
故院(こゐん)御時(おほんとき)に、大后(おほきさき)の、(ばう)(はじ)めの女御(にょうご)にて、いきまきたまひしかど、むげの(すゑ)(まゐ)りたまへりし入道宮(にふだうのみや)に、しばしは()されたまひにきかし。
故院の御時に、弘徽殿大后が、東宮の最初の女御として、威勢をふるっていらっしゃったが、はるか後に入内なさった入道宮に、暫くの間は圧倒されなさったのだ。
故院の時に皇太后が東宮時代からの最初の女御(にょご)で、たいした勢力を持っておいでになったが、それがずっとのちにお上がりになった入道の宮様にその当時はけおとされておしまいになった例もあるのだからね。
2.8.10
この皇女(みこ)御母女御(おほんははにょうご)こそは、かの(みや)(おほん)はらからにものしたまひけめ
容貌(かたち)も、さしつぎには、いとよしと()はれたまひし(ひと)なりしかば、いづ(かた)につけてもこの姫宮(ひめみや)おしなべての(きは)にはよもおはせじを」
この内親王の御母女御は、あの宮の御姉妹でいらっしゃったはず。
器量も、その次には、おきれいな方だと言われなさった方であったから、どちらから見ても、この姫宮は並大抵の方ではいらっしゃるまいが」
その宮の母君の女御は入道の宮のお妹さんだった。御容貌なども入道の宮に続いてお美しいという評判のあった方だから、御両親のどちらに似てもこの宮は平凡な美人ではおありになるまい」
2.8.11 などと、興味深くお思い申し上げていらっしゃるのであろう。
などと言っておいでになった。好奇心は持っておいでになるらしいのである。

第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家


第一段 歳末、女三の宮の裳着催す

3.1.1
(とし)()れぬ
朱雀院(しゅじゃくゐん)には、御心地(みここち)なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく(おぼ)()ちて、御裳着(おほんもぎ)のことは(おぼ)しいそぐさま、()方行(かたゆ)(さき)ありがたげなるまで、いつくしくののしる。
年も暮れた。
朱雀院におかれては、御気分もやはり快方に向かう御様子もないので、何かと気忙しく御決心なさって、御裳着の儀式は、その御準備なさる様子、過去にも将来にも例のないと思われるほど、盛大に大騷ぎである。
歳暮に近くなった。朱雀院では院の御病気がそのまま続いてお悪いために、姫宮の裳着(もぎ)の式をお急ぎになり、準備をいろいろとさせておいでになったが、過去にも未来にもないような華美なお儀式になる模様で、だれもだれも騒ぎ立っていた。
3.1.2
(おほん)しつらひは、柏殿(かへどの)西面(にしおもて)に、御帳(みちゃう)御几帳(みきちゃう)よりはじめて、ここの綾錦(あやにしきま)ぜさせたまはず、唐土(もろこし)(きさき)(かざ)りを(おぼ)しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調(ととの)へさせたまへり。
お部屋の飾り付けは、柏殿の西表に、御帳台、御几帳をはじめとして、この国の綾や錦はお加えあそばさず、唐国の皇后の装飾を想像して、端麗で豪華に、光眩しいほどに御準備あそばした。
式場は院の栢殿(かえどの)の西向きのお座敷で御帳(おんとばり)几帳(きちょう)その他に用いられた物も日本の織物はいっさいお使いにならず唐の(きさき)の居室の飾りを(うつ)して、派手(はで)で、りっぱで、輝くようにでき上がっていた。
3.1.3
御腰結(おほんこしゆひ)には、太政大臣(おほきおとど)をかねてより()こえさせたまへりければ、ことことしくおはする(ひと)にて(まゐ)りにくく(おぼ)しけれど、(ゐん)御言(おほんこと)(むかし)より(そむ)(まう)したまはねば、(まゐ)りたまふ。
御腰結の役には、太政大臣を前もってお願い申し上げていらっしゃったので、物事を大げさになさる方なので、参上しにくくお思いであったが、院のお言葉に昔から背きなさらないので、参上なさる。
御腰()いの役を太政大臣へ前から依頼しておありになったが、もったいぶったこの人は気は進まないままで、院のお言葉には昔からそむくことのなかったほど好意をお示しする用意は常に持って、御辞退ができずに参列したのであった。
3.1.4
今二所(いまふたところ)大臣(おとど)たちその(のこ)上達部(かんだちめ)などはわりなき(さは)りあるも、あながちにためらひ(たす)けつつ(まゐ)りたまふ
親王(みこ)たち八人(はちにん)殿上人(てんじゃうびと)はたさらにもいはず、内裏(うち)春宮(とうぐう)(のこ)らず(まゐ)(つど)ひて、いかめしき(おほん)いそぎの(ひび)きなり。
もう二方の大臣たち、その他の上達部などは、やむをえない支障がある者も、無理に何とかし都合をつけて参上なさる。
親王たち八人、殿上人は言うまでもなく、内裏、東宮の人々も残らず参集して、盛大な御儀式の騷ぎである。
そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わったものである。親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多かった。宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大なお儀式と見えた。
3.1.5
(ゐん)(おほん)こと、このたびこそとぢめなれと、(みかど)春宮(とうぐう)をはじめたてまつりて、心苦(こころぐる)しく()こし()しつつ、蔵人所(くらうどどころ)納殿(をさめどの)唐物(からもの)ども、(おほ)(たてまつ)らせたまへり
院の御催事も、今回が最後であろうと、帝、東宮をおはじめ申して、お気の毒にお思いあそばされて、蔵人所、納殿の舶来品を、数多く献上させなさった。
やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでになって、帝も東宮も御同情になり宮中の納殿(おさめどの)支那(しな)渡来の物を多く御寄贈になったのであった。
3.1.6
六条院(ろくでうのゐん)よりも、(おほん)とぶらひいとこちたし。
(おく)(もの)ども、(ひと)びとの(ろく)尊者(そんじゃ)大臣(おとど)御引出物(おほんひきいでもの)など、かの(ゐん)よりぞ(たてまつ)らせたまひける
六条院からも、御祝儀がたいそう盛大にある。
数々の贈り物や、人々の禄、尊者の大臣の御引出者など、あちらの院からご献上あそばしたものであった。
六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ纏頭(てんとう)に出される衣服類、主賓の大臣への贈り物の品々等である。

第二段 秋好中宮、櫛を贈る

3.2.1
中宮(ちゅうぐう)よりも御装束(おほんさうぞく)(くし)(はこ)(こころ)ことに調(てう)ぜさせたまひて、かの(むかし)御髪上(みぐしあげ)()ゆゑあるさまに(あらた)(くは)へて、さすがに(もと)(こころ)ばへも(うしな)はず、それと()せて、その()(ゆふ)(かた)(たてまつ)れさせたまふ
(みや)(ごん)(すけ)(ゐん)殿上(てんじゃう)にもさぶらふを御使(おほんつかひ)にて、姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)(まゐ)らすべくのたまはせつれど、かかる(こと)ぞ、(なか)にありける。
中宮からも、御装束、櫛の箱を、特別にお作らせになって、あの昔の御髪上の道具、趣のあるように手を加えて、それでいて元の感じも失わず、それと分かるようにして、その日の夕方、献上させなさった。
中宮の権亮で、院の殿上にも伺候している人を御使者として、姫宮の御方に献上させるべく仰せになったが、このような歌が中にあったのである。
中宮からも姫宮のお装束、(くし)の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内(じゅだい)の時お贈りになった髪上(くしあ)げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮権亮(ごんのすけ)は院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。
3.2.2 「挿したまま昔から今に至りましたので
玉の小櫛は古くなってしまいました」
さしながら昔を今につたふれば
玉の小櫛(をぐし)ぞ神さびにける
3.2.3
(ゐん)御覧(ごらん)じつけて、あはれに(おぼ)()でらるることもありけり。
あえ(もの)けしうはあらじと(ゆづ)りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき(かんざし)なれば、御返(おほんかへ)りも、(むかし)のあはれをばさしおきて、
院が、御覧になって、しみじみとお思い出されることがあるのであった。
あやかり物として悪くはないとお譲り申し上げなさるだが、なるほど、名誉な櫛なので、お返事も、昔の感情はさておいて、
これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、お(よろこ)びの意味だけをお返事にあそばされて、
3.2.4 「あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです
千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が古くなるまで」
さしつぎに見るものにもが万代(よろづよ)
つげの小櫛も神さぶるまで
3.2.5
とぞ(いは)ひきこえたまへる。
とお祝い申し上げなさった。
とお書きになった。

第三段 朱雀院、出家す

3.3.1
御心地(みここち)いと(くる)しきを(ねん)じつつ(おぼ)()こして、この(おほん)いそぎ()てぬれば、三日過(みかす)ぐして、つひに御髪下(みぐしお)ろしたまふ。
よろしきほどの(ひと)(うへ)にてだに、(いま)はとてさま()はるは(かな)しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々(おほんかたがた)(おぼ)(まど)ふ。
御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになって、この御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。
普通の身分の者でさえ、今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、まして、お気の毒な御様子に、御妃方もお悲しみに暮れる。
御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳着の式から三日目に院は御髪(みぐし)をお()ろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみ(なげ)く多くの後宮の人があった。
3.3.2
尚侍(ないしのかん)(きみ)は、つとさぶらひたまひて、いみじく(おぼ)()りたるを、こしらへかねたまひて、
尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらして、ひどく思いつめていらっしゃるのを、慰めかねなさって、
尚侍はじっとおそばを離れずに(なげ)きに沈んでいるのを、院はなだめかねておいでになった。
3.3.3
()(おも)(みち)(かぎ)りありけり。
かく(おも)ひしみたまへる(わか)れの()へがたくもあるかな」
「子を思う道には限度があるなあ。
このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」
「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えられなく苦しい心になる」
3.3.4
とて、御心乱(みこころみだ)れぬべけれど、あながちに御脇息(おほんけふそく)にかかりたまひて、(やま)座主(ざす)よりはじめて、御忌(おほんい)むことの阿闍梨三人(あざりみたり)さぶらひて、法服(ほふぶく)などたてまつるほど、この()(わか)れたまふ御作法(おほんさほふ)いみじく(かな)し。
といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式、堪らなく悲しい。
と仰せになって、御心(みこころ)は冷静でありえなくおなりになるのであろうが、じっと堪えて脇息(きょうそく)によりかかっておいでになった。延暦寺(えんりゃくじ)座主(ざす)のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。
3.3.5
今日(けふ)は、()(おも)()ましたる(そう)たちなどだに、(なみだ)もえとどめねば、まして女宮(をんなみや)たち、女御(にょうご)更衣(かうい)ここらの男女(をとこをんな)上下(かみしも)ゆすり()ちて()きとよむに、いと(こころ)あわたたしう、かからで、(しづ)やかなる(ところ)に、やがて()もるべく(おぼ)しまうけける本意違(ほいたが)ひて(おぼ)()さるるも「ただ、この(をさな)(みや)にひかされて」と(おぼ)しのたまはす
今日は、人の世を悟りきった僧たちなどでさえ、涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにでなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違って思われなさるのも、「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
すでに恩愛の感情から超越している僧たちでさえとどめがたい涙が流れたのであるから、まして姫宮たち、女御(にょご)更衣(こうい)、その他院内のあらゆる男女は上から下まで嗚咽(おえつ)の声をたてないでいられるものはない、こうした人間の声は聞いていずに、出家をすればすぐに寺へお移りになるはずの、以前の御計画をお変えになったことを院は残念に思召(おぼしめ)して、皆女三の宮へ引かれる心がこうさせたのであるとかたわらの者へ仰せられた。
3.3.6
内裏(うち)よりはじめたてまつりて、(おほん)とぶらひのしげさ、いとさらなり。
帝をおはじめ申して、お見舞いの多いこと、いまさら言うまでもない。
宮中をはじめとしてお見舞いの使いの多く参ったことは言うまでもない。

第四段 源氏、朱雀院を見舞う

3.4.1
六条院(ろくでうのゐん)も、すこし御心地(みここち)よろしくと()きたてまつらせたまひて(まゐ)りたまふ。
御賜(おほんたう)ばりの御封(みふ)などこそ、皆同(みなおな)じごと、()りゐの(みかど)(ひと)しく(さだ)まりたまへれど、まことの太上天皇(だいじゃうてんわう)儀式(ぎしき)にはうけばりたまはず。
()のもてなし(おも)ひきこえたるさまなどは、(こころ)ことなれど、ことさらに()ぎたまひて、(れい)の、ことことしからぬ御車(みくるま)にたてまつりて上達部(かんだちめ)など、さるべき(かぎ)り、(くるま)にてぞ(つか)うまつりたまへる
六条院も、少し御気分がよろしいとお耳に入れあそばして、参上なさる。
御下賜の御封など、みな同じように、退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の儀式には威勢をお張りにならない。
世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは、格別であるが、わざと簡略になさって、例によって、仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
六条院は朱雀(すざく)院の御病気が少しおよろしい(しら)せをお得になって御自身で訪問あそばされた。宮廷から封地(ほうち)をはじめとして太上(だいじょう)天皇と少しも変わりのない御待遇は受けておいでになるのであるが、正式の太上天皇として六条院は少しもおふるまいにならないのである。世人のささげている尊敬の意も信頼の心も並み並みではないのであるが、外出の儀式なども簡単にあそばして、たいそうでない車に召され、お供の高官などは車で従って参った。
3.4.2
(ゐん)には、いみじく()ちよろこびきこえさせたまひて、(くる)しき御心地(みここち)(おぼ)(つよ)りて、御対面(おほんたいめん)あり。
うるはしきさまならず、ただおはします(かた)に、御座(おまし)よそひ(くは)へて、()れたてまつりたまふ。
院におかれては、たいそうお待ちかねしてお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて我慢なさって御対面なさる。
格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席を設けて、お入れ申し上げなさる。
朱雀院法皇はこの御訪問を非常にお喜びになって、御病苦も忍ぶようにあそばされて御面会になった。形式にはかかわらずに御病室へ六条院の今一つの座をお設けになって招ぜられたのである。
3.4.3
()はりたまへる(おほん)ありさま()たてまつりたまふに、()方行(かたゆ)先暮(さきく)れて、(かな)しくとめがたく(おぼ)さるれば、とみにもえためらひたまはず。
お変わりになった御様子を拝見なさると、過去も未来も真暗になって、悲しく涙を止めがたく思わずにはいらっしゃれないので、すぐには気持ちをお静めになれない。
御髪(みぐし)をお()り捨てになった御兄の院を御覧になった時、すべての世界が暗くなったように思召されて、悲歎(ひたん)のとめようもない。ためらうことなくすぐにお言葉が出た。
3.4.4
故院(こゐん)におくれたてまつりしころほひより()(つね)なく(おも)うたまへられしかば、この(かた)本意深(ほいふか)(すす)みはべりにしを、心弱(こころよわ)(おも)うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく()たてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬる(こころ)のぬるさを、()づかしく(おも)うたまへらるるかな。
「故院に先立たれ申したころから、世の中が無常に存じられずにはいられませんでしたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すまで、遅れ申してしまいました心の怠慢を、恥ずかしく存ぜずにはいられませんなあ。
「故院がお(かく)れになりましたころから、人生の無常が深く私にも思われまして、出家の願いを起こしながらも心弱く何かのことに次々引きとめられておりまして、ついにあなた様が先にこの姿をあそばすまでになってしまいました。自分はなんというふがいなさであろうと恥ずかしくてなりません。
3.4.5
()にとりては、ことにもあるまじく(おも)うたまへたちはべる折々(をりをり)あるを、さらにいと(しの)びがたきこと(おほ)かりぬべきわざにこそはべりけれ
わたくし自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」
一身だけでは何でもなく出離(しゅつり)の決心はつくのでございますが、周囲を顧慮いたします点で実行はなかなかできないことでございます」
3.4.6
と、(なぐさ)めがたく(おぼ)したり。
と、心を静められないお思いでいらっしゃった。
と、お言いになって、慰めえないお悲しみを覚えておいでになるふうであった。

第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う

3.5.1
(ゐん)も、もの心細(こころぼそ)(おぼ)さるるに、心強(こころづよ)からず、うちしほれたまひつついにしへ、(いま)御物語(おほんものがたり)いと(よわ)げに()こえさせたまひて、
院も、何となく心細くお思いになられて、我慢おできになれず、涙をお流しになりながら、昔、今のお話、たいそう弱々そうにお話しあそばされて、
朱雀(すざく)院も御病気であって心細いお気持ちもあそばされる時であったから、冷静なふうなどはお作りになることができずにしおしおとした御様子をお見せになり、昔の話、今の話を弱々しい声であそばすのであったが、
3.5.2
今日(けふ)明日(あす)かとおぼえはべりつつさすがにほど()ぬるを、うちたゆみて、(ふか)本意(ほい)(はし)にても()げずなりなむこと、(おも)()こしてなむ。
「今日か明日かと思われながら、それでも年月を経てしまったが、つい油断して、心からの念願の一端も遂げずに終わってしまいそうなことだ、と思い立ったのです。
「今日か、明日かと思われるような重態でいて、しかも生き続けていることに油断をして、希望の出家も遂げないで()くなるようなことがあってはと奮発をして実行したのですよ。
3.5.3
かくても(のこ)りの(よはひ)なくは、(おこ)なひの(こころ)ざしも(かな)ふまじけれど、まづ(かり)にても、のどめおきて、念仏(ねんぶつ)をだにと(おも)ひはべる。
はかばかしからぬ()にても、()にながらふること、ただこの(こころ)ざしにひきとどめられたると、(おも)うたまへ()られぬにしもあらぬを、(いま)まで(つと)めなき(おこた)りをだに、(やす)からずなむ
こう出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにありませんが、まずは一時なりとも、命を延ばしておいて、せめて念仏だけでもと思っています。
何もできない身の上ですが、今まで生きながらえているのは、ただこの意志に引き留められていたと、存じられないわけではありませんが、今まで仏道に励まなかった怠慢だけでも、気にかかってなりません」
こうなっても生命(いのち)がなければしたい仏勤めもできないでしょうが、まず仮にも一つの線を出ておいて、はげしいお勤めはできないでも念仏だけでもしておきたいと思います。私のような者が今日生きているということはこの志だけは遂げたいという望みに燃えていたのを仏が(あわれ)んでくだすったのだと自分でもわかっているのに、まだお勤めらしいこともしていないのを仏に相済まなく思います」
3.5.4
とて、(おぼ)しおきてたるさまなど、(くは)しくのたまはするついでに、
とおっしゃって、考えていたことなどを、詳しく仰せになる機会に、
御出家についての感想をこうお述べあそばしたのに続いて、
3.5.5
女皇女(をんなみこ)たちをあまたうち()てはべるなむ心苦(こころぐる)しき。
(なか)にも、また(おも)(ゆづ)(ひと)なきをば、()()きうしろめたく()わづらひはべる」
「内親王たちを、大勢残して行きますのが気の毒です。
その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、格別に気がかりで、どうしたものかと苦にしております」
「女の子を幾人も残して行くことが気がかりです。その中で母も添っていない子で、だれに託しておけばよいかわからぬような子のために最も私は苦悶(くもん)しています」
3.5.6
とて、まほにはあらぬ()けしき心苦(こころぐる)しく()たてまつりたまふ。
とおっしゃって、はっきりとは仰せにならない御様子を、お気の毒と拝し上げなさる。
と、仰せになった。正面からその問題をお出しにもならない御様子をお気の毒に六条院は思召(おぼしめ)された。

第六段 内親王の結婚の必要性を説く

3.6.1 お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので、お聞き過ごし難く思って、
お心の中でもその宮についていささかの好奇心も動いているのであるから、冷ややかにこのお話を聞き流しておしまいになることができないのであった。
3.6.2
げに、ただ(うど)よりもかかる(すぢ)には(わたくし)ざまの御後見(おほんうしろみ)なきは、口惜(くちを)しげなるわざになむはべりける
春宮(とうぐう)かくておはしませば、いとかしこき(すゑ)()(まう)けの(きみ)と、(あめ)(した)(たの)みどころに(あふ)ぎきこえさするを。
「仰せのとおり、尋常の臣下の者以上に、こういうご身分の方には、内々のご後見役がいないのは、いかにも残念なことでございますね。
東宮がこうしてご立派にいらっしゃいますので、まことに末世には過ぎた畏れ多い儲けの君として、天下の頼り所として仰ぎ見申し上げておりますよ。
「ごもっともです。普通の家の娘以上に内親王のお後ろだてのないのは心細いものでございます。ごりっぱな儲君(ちょくん)として天下の輿望(よぼう)を負うておいでになる東宮もおいでになるのでございますから、
3.6.3
まして、このことと()こえ()かせたまはむことは一事(ひとこと)として(おろそ)かに(かろ)(まう)したまふべきにはべらねばさらに()(さき)のこと(おぼ)(なや)むべきにもはべらねど、げに、こと(かぎ)りあれば、(おほや)けとなりたまひ、()政事御心(まつりごとみこころ)にかなふべしとは()ひながら、(をんな)(おほん)ために、(なに)ばかりのけざやかなる御心寄(みこころよ)せあるべきにもはべらざりけり。
まして、これこれのことは是非にと仰せおきなさることは、一事としていい加減に軽んじ申し上げなさるはずのことはございませんので、全然将来のことをお悩みになることはございませんが、なるほど、物事には限りがあるので、即位なさり、世の中の政治もお心のままにお執りなるとは言っても、姫宮の御ためには、どれほどのはっきりとしたお力添えができるものでもございません。
あなた様から特にお心がかりに思召す方のことをお話にさえあそばされておけば、一事でもおろそかにあそばさないはずで、何も将来のことをそう御心配になることはなかろうと申しますものの、即位をなさいました場合にも天子は公の君ですから(まつりごと)はお心のままになりましても、個人として女の御兄弟に親身のお世話をなされ、
3.6.4
すべて、(をんな)(おほん)ためには、さまざま(まこと)御後見(おほんうしろみ)とすべきものは、なほさるべき(すぢ)(ちぎ)りを()はしえさらぬことに、(はぐく)みきこゆる御護(おほんまも)りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて(のち)()御疑(おほんうたが)(のこ)るべくは、よろしきに(おぼ)(えら)びて(しの)びて、さるべき御預(おほんあづ)かり(さだ)めおかせたまふべきになむはべなる」
総じて、内親王の御ためには、いろいろとほんとうのご後見に当たる者は、やはりしかるべき夫婦の契りを交わし、当然の役目として、お世話申し上げる御保護者のいますのが、安心なことでございましょうが、やはり、どうしても将来にご不安が残りそうでしたら、適当な人物をお選びになって、内々に、しかるべきお引き受け手をお決めおきあそばすのがよいことでしょう」
内親王が特別な御庇護をお受けになることはむずかしいでしょう。女の方のためにはやはり御結婚をなすって、離れることのできない関係による男の助力をお得になるのが安全な道と思われますが、御信仰にもさわるほどの御心配が残るのでございましたら、ひそかに婿君を御選定しておかれましてはと存じます」
3.6.5
と、(そう)したまふ。
と、奏上なさる。


第七段 源氏、結婚を承諾

3.7.1
さやうに(おも)()(こと)はべれどそれも(かた)きことになむありける。
いにしへの(ためし)()きはべるにも、()をたもつ(さか)りの皇女(みこ)にだに、(ひと)(えら)びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ(おほ)かりけり。
「そのように考えたこともありますが、それも難しいことなのです。
昔の例を聞きましても、在位中の帝の内親王でさえ、人を選んで、そのような婿選びをなさった例は多かったのです。
「私もそうは思うのですが、それもまたなかなか困難なことですよ。昔の例を思ってもその時の天子の内親王がたにも配偶者をお選びになって結婚をおさせになることも多かったのですから、
3.7.2
ましてかく、(いま)はとこの()(はな)るる(きは)にて、ことことしく(おも)ふべきにもあらねど、また、しか()つる(なか)にも、()てがたきことありて、さまざまに(おも)ひわづらひはべるほどに、(やまひ)(おも)りゆく。
また()(かへ)すべきにもあらぬ月日(つきひ)()ぎゆけば、(こころ)あわたたしくなむ。
ましてこのように、これが最後とこの世を離れる時になって、仰々しく思い悩むこともないのですが、また一方、世を捨てた中にも、捨て去り難いことがあって、いろいろと思い悩んでいましたうちに、病気は重くなってゆく。
再び取り戻すことのできない月日も過ぎて行くので、気が急いてなりません。
まして私のように出家までもする凋落(ちょうらく)に傾いた者の子の配偶者はむずかしい。資格をしいて言いませんが、またどうでもよいとすべてを言ってしまうこともできなくて煩悶(はんもん)ばかりを多くして、病気はいよいよ重るばかりだし、取り返せぬ月日もどんどんたっていくのですから気が気でもない。
3.7.3 恐縮なお譲りごとなのですが、この幼い内親王、一人、特別にお目にかけ育てくださって、適当な婿をも、あなたのお考え通りにお決めくださって、その人にお預けくださいと申し上げたいところですが。
お気の毒な頼みですが、幼い内親王を一人、特別な御好意で預かってくだすって、だれでもあなたの鑑識にかなった人と縁組みをさせていただきたいと私はそのことをお話ししたかったのです。
3.7.4
権中納言(ごんのちゅうなごん)などの(ひと)りものしつるほどに、(すす)()るべくこそありけれ。
大臣(おほいまうちぎみ)(せん)ぜられて、ねたくおぼえはべる」
権中納言などが独身でいた時に、こちらから申し出るべきであった。
太政大臣に先を越されて、残念に思っています」
権中納言などの独身時代にその話を持ち出せばよかったなどと思うのです。太政大臣に(せん)を越されてうらやましく思われます」
3.7.5
()こえたまふ。
と申し上げなさる。
朱雀(すざく)院は仰せられた。
3.7.6
中納言(ちゅうなごん)朝臣(あそん)まめやかなる(かた)は、いとよく(つか)うまつりぬべくはべるを、(なに)ごともまだ(あさ)くて、たどり(すく)なくこそはべらめ。
「中納言の朝臣は、誠実という点では、たいそうよくお仕え致しましょうが、何事もまだ経験が浅くて、分別が足りのうございましょう。
「中納言はまじめで忠良な良人(おっと)になりうるでしょうが、まだ位なども足りない若さですから、広く思いやりのある姫宮の御補佐としては役だちませんでしょう。
3.7.7
かたじけなくとも、(ふか)(こころ)にて後見(うしろみ)きこえさせはべらむにおはします御蔭(おほんかげ)(かは)りては(おぼ)されじを、ただ()先短(さきみじか)くて、(つか)うまつりさすことやはべらむと、(うたが)はしき(かた)のみなむ、心苦(こころぐる)しくはべるべき」
恐れ多いことですが、真心をこめてご後見させていただきましたら、御在俗中と違ってはお思いなされないでしょうが、ただ老い先が短くて、途中でお仕えできなくなることがございはしまいかと、懸念される点だけが、お気の毒でございます」
失礼でございますが、私が深く愛してお世話を申し上げますれば、あなた様のお手もとにおられますのとたいした変化もなく平和なお気持ちでお暮らしになることができるであろうと存じますが、ただそれはこの年齢の私でございますから、中途でお別れすることになろうという懸念が大きいのでございます」
3.7.8 と言って、お引き受け申し上げなさった。
こうお言いになって、六条院は女三(にょさん)(みや)との御結婚をお引き受けになったのであった。

第八段 朱雀院の饗宴

3.8.1
()()りぬれば主人(あるじ)院方(ゐんがた)も、客人(まらうと)上達部(かんだちめ)たちも皆御前(みなおまへ)にて、御饗(おほんあるじ)のこと、精進物(しゃうじもの)にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。
(ゐん)御前(おまへ)に、浅香(せんかう)懸盤(かけばん)御鉢(みはち)など、(むかし)()はりて(まゐ)るを、(ひと)びと、(なみだ)おし(のご)ひたまふ。
あはれなる(すぢ)のことどもあれど、うるさければ()かず
夜に入ったので、主人の院方も、お客の上達部たちも、皆御前において、御饗応の事があり、精進料理で、格式ばらずに、風情ある感じにおさせになっていた。
院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、在俗の時とは違って差し上げるのを、人々は、涙をお拭いになる。
しみじみとした和歌が詠まれたが、煩わしいので書かない。
夜になったので御主人の院付きの高官も六条院に供奉(ぐぶ)して参った高官たちにも御饗応(きょうおう)(ぜん)が出た。正式なものでなくお料理は精進物の風流な趣のあるもので、席にはお居間が用いられた。朱雀院のは塗り物でない浅香の懸盤(かけばん)の上で、(はち)へ御飯を盛る仏家の式のものであった。こうした昔に変わる光景に列席者は涙をこぼした。身にしむ気分の出た歌も人々によって()まれたのであったが省略しておく。
3.8.2
夜更(よふ)けて(かへ)りたまふ
(ろく)ども、次々(つぎつぎ)(たま)ふ。
別当大納言(べたうだいなごん)御送(おほんおく)りに(まゐ)りたまふ。
主人(あるじ)(ゐん)は、今日(けふ)(ゆき)にいとど御風邪加(おほんかぜくは)はりて、かき(みだ)(なや)ましく(おぼ)さるれど、この(みや)御事(おほんこと)()こえ(さだ)めつるを、(こころ)やすく(おぼ)しけり。
夜が更けてお帰りになる。
禄の品々を、次々と御下賜される。
別当の大納言もお送りに供奉申し上げなさる。
主の院は、今日の雪にますますお風邪まで召されて、御気分が悪く苦しくいらっしゃるが、この姫宮の御身の上を、御依頼し決定なさったので、御安心なさったのであった。
夜がふけてから六条院はお帰りになったのである。それぞれ等差のある纏頭(てんとう)を供奉の人々はいただいた。別当大納言はお送りをして六条院へまで来た。朱雀院は雪の降っていたこの日に起きておいでになったために、また風邪(かぜ)をお引き添えになったのであるが、女三の宮の婚約が成り立ったことで御安心をあそばされた。

第四章 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける


第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す

4.1.1 六条院は、何となく気が重くて、あれこれと思い悩みなさる。
六条院も新しい御婚約についての責任感と、紫夫人との夫婦生活の形式が改められねばならぬことをお思いになる苦痛とがお心でいっしょになって煩悶(はんもん)をしておいでになった。
4.1.2
(むらさき)(うへ)も、かかる御定(おほんさだ)めなむとかねてもほの()きたまひけれど、
紫の上も、このようなご決定があったと、以前からちらっとお聞きになっていたが、
朱雀院がそうした考えを持っておいでになるということは女王(にょおう)の耳にもはいっていたのであるが、
4.1.3
さしもあらじ
前斎院(さきのさいゐん)をも、ねむごろに()こえたまふやうなりしかど、わざとしも(おぼ)()げずなりにしを」
「決してそのようなことはあるまい。
前斎院を熱心に言い寄っていらっしゃるようだったが、ことさら思いを遂げようとはなさらなかったのだから」
そんなことにもなるまい、前斎院にあれほど恋はしておられたがしいて結婚も院はなさらなかったのであるから
4.1.4
など(おぼ)して、さることもやある」とも()ひきこえたまはず、何心(なにごころ)もなくておはするにいとほしく、
などとお思いになって、「そのようなことがあったのですか」ともお尋ね申し上げなさらず、平気な顔でいらっしゃるので、おいたわしくて、
などと思って、そうした問題のありなしも問わずにいて、疑っていないのを御覧になると、院は心苦しくて、
4.1.5
この(こと)をいかに(おぼ)さむ
わが(こころ)はつゆも()はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど(ふか)さこそまさらめ見定(みさだ)めたまはざらむほど、いかに(おも)(うたが)ひたまはむ」
「このことをどのようにお思いだろう。
自分の心は少しも変わるはずもなく、そのことがあった場合には、かえってますます愛情が深くなることだろうが、それがお分りいただけない間は、どんなにお思い疑いなさるだろう」
何と思うであろう、自分のこの人に対する愛は少しも変わらないばかりでなく、そういうことになればいよいよ深くなるであろうが、その見きわめがつくまでに、この人は疑って自分自身を苦しめることであろう
4.1.6
など(やす)からず(おぼ)さる。
などと、気がかりにお思いになる。
とお思いになると、お心が静かでありえない。
4.1.7
(いま)(とし)ごろとなりては、ましてかたみに(へだ)てきこえたまふことなく、あはれなる御仲(おほんなか)なれば、しばし(こころ)(へだ)(のこ)したることあらむもいぶせきを、その()はうち(やす)みて()かしたまひつ。
長の年月を経たこのごろでは、ましてお互いに心を隔て置き申し上げることもなく、しっくりしたご夫婦仲なので、一時でも心に隔てを残しているようなことがあるのも気が重いのだが、その晩はそのまま寝んで、夜を明かしなさった。
今日になってはもう二人の間に隔てというものは何一つ残さないことに()れた御夫妻であったから、この話をすぐに話さずにおいでになるのも院は苦痛にされながらその夜はお(やす)みになった。

第二段 源氏、紫の上に打ち明ける

4.2.1
またの()(ゆき)うち()り、(そら)のけしきもものあはれに()ぎにし方行(かたゆ)(さき)御物語聞(おほんものがたりき)こえ()はしたまふ。
翌日、雪がちょっと降って、空模様も物思いを催し、過去のこと将来のことをお話し合いなさる。
翌日はなお雪が降って空も身にしむ色をしていた。六条院は紫の女王と来し方のこと、未来のことをしみじみと話しておいでになった。
4.2.2
(ゐん)(たの)もしげなくなりたまひにたる、(おほん)とぶらひに(まゐ)りて、あはれなることどものありつるかな。
女三(をんなさん)(みや)(おほん)ことを、いと()てがたげに(おぼ)して、しかしかなむのたまはせつけしかば、心苦(こころぐる)しくて、()こえ(いな)びずなりにしを、ことことしくぞ(ひと)()ひなさむかし
「院がお弱りになりなさったが、お見舞いに参上して、ひどく胸を打たれることがありました。
女三の宮の御身の上の事を、実に放っておきがたく思し召されて、これこれしかじかのことを仰せになったので、お気の毒で、お断り申し上げることができなくなってしまったのを、大げさに人は言いなすだろう。
「院の御病気がお悪くて衰弱しておいでになるのをお見舞いに上がって、いろいろと身にしむことが多かった。女三の宮のことでいまだに御心配をしておられて、私へこんなことを仰せられた」院はその方を託したいと朱雀院の仰せられた話をくわしくあそばされた。「あまりにお気の毒なので御辞退ができなかったのだが、これをまた世間は大仰(おおぎょう)吹聴(ふいちょう)をするだろうね。
4.2.3
(いま)は、さやうのことも()()ひしくすさまじく(おも)ひなりにたれば、人伝(ひとづ)てにけしきばませたまひしにはとかく(のが)れきこえしを、対面(たいめん)のついでに、心深(こころふか)きさまなることどもを、のたまひ(つづ)けしにはえすくすくしくも(かへ)さひ(まう)さでなむ。
今は、そのようなことも気恥ずかしく、関心も持てなくなってきたので、人を通してそれとなく仰せになった時には、何とか逃げ申したが、対面した時に、あわれ深い親心をおっしゃり続けたのには、すげなくご辞退申し上げることができませんでした。
私はもう今はそうした若い人と新しく結婚するような興味はなくなっているのだから、最初人を介してのお話の時は口実を設けてお断わり申していたのだが、直接お目にかかった際に、御親心というものがあまりに濃厚に見えて、冷淡に辞退をしてしまうことができなかったのですよ。
4.2.4
(ふか)御山住(みやまず)みに(うつ)ろひたまはむほどにこそは、(わた)したてまつらめ。
あぢきなくや(おぼ)さるべき。
いみじきことありとも、(おほん)ため、あるより()はることはさらにあるまじきを、(こころ)なおきたまひそよ。
深い山住み生活にお移りになるころには、こちらにお迎え申し上げることになろう。
おもしろくなくお思いでしょうか。
たとえどんなことがあっても、あなたにとって、今までと変わることは決してありませんから、気にかけないでくださいよ。
郊外の寺へいよいよ院がおはいりになる時になってここへ迎えようと思う。味気ないこととあなたは思うでしょう。そのためにどんな苦しいことが一方に起こっても、私があなたを思うことは現在と少しも変わらないだろうから不快に思ってはいけませんよ。
4.2.5
かの(おほん)ためこそ、心苦(こころぐる)しからめ。
それもかたはならずもてなしてむ。
(たれ)(たれ)も、のどかにて()ぐしたまはば」
あちらの方にとってこそ、お気の毒でしょう。
その方も見苦しからずお世話しよう。
皆が皆、穏やかにお過ごしくださったなら」
宮のためにはかえって不幸なことだと私は知っているが、それも体面は作ってあげることを上手(じょうず)にしますよ。そして双方平和な心でいてもらえれば私はうれしいだろう」
4.2.6
など()こえたまふ。
などと申し上げなさる。
などと言われるのであった。
4.2.7 ちょっとしたお浮気でさえ、目障りなとお思いなさって、心穏やかでないご性分なので、「どうお思いかしら」とお思いになると、まったく平静で、
ちょっとした恋愛問題を起こしても自身が侮辱されたように思う女王であったから、どんな気がするだろうとあやぶみながら話されたのであったが、夫人は非常に冷静なふうでいて、
4.2.8
「あはれなる御譲(おほんゆづ)りにこそはあなれ。
ここには、いかなる(こころ)をおきたてまつるべきにか。
めざましく、かくてなど(とが)めらるまじくは、(こころ)やすくてもはべなむをかの母女御(ははにょうご)御方(おほんかた)ざまにても、(うと)からず(おぼ)(かず)まへてむや」
「ほんとうにお気の毒なご依頼ですこと。
わたしには、どのような快からぬ心をお抱き申しましょうか。
目障りな、こうしていてなどと、咎められないようでしたら、安心してここにいさせていただきましょうが、あちらの御母女御の御縁からいっても、仲好くしていただけるでしょうから」
「親としての御愛情から出ましたお頼みでございましょうね。私が不快になど思うわけはございません。あちらで私を失礼な女だとも、なぜ遠慮をしてどこへでも行ってしまわないかともおとがめにならなければ、私は安心しております。お母様の女御(にょご)は私の叔母(おば)様でいらっしゃるわけですから、その続き合いで私を大目に見てくださるでしょうか」
4.2.9
と、卑下(ひげ)したまふを、
と、謙遜なさるのを、
と卑下した。
4.2.10
あまり、かう、うちとけたまふ(おほん)ゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。
まことは、さだに(おぼ)しゆるいて、われも(ひと)心得(こころえ)て、なだらかにもてなし()ぐしたまはば、いよいよあはれになむ
「あまり、こんなに、快くお許しくださるのも、どうしてかと、不安に思われます。
ほんとうは、せめてそのように大目に見てくださって、自分もあちらの方も事情を分かりあって、穏やかに暮らしてくださるなら、一層ありがたいことです。
「あなたのそれほど寛大過ぎるのもなぜだろうとかえって私に不安の念が起こる。それはまあ冗談(じょうだん)だが。まあそんなふうにも見てあなたが許していてくれて、一方にもその心得でいてもらって、平和が得られれば私はいよいよあなたを尊敬するだろう。中傷する者があって何を言おうともほんとうと思ってはいけませんよ。
4.2.11
ひがこと()こえなどせむ(ひと)(こと)()()れたまふな。
すべて、()(ひと)(くち)といふものなむ、()()()づることともなく、おのづから(ひと)(なか)らひなど、うちほほゆがみ、(おも)はずなること()()るものなるを(こころ)ひとつにしづめて、ありさまに(したが)ふなむよき。
まだきに(さわ)ぎて、あいなきもの(うら)みしたまふな」
根も葉もない噂などをする人の話は、信じなさるな。
総じて、世間の人の口というものは、誰が言い出したということもなく、自然と他人の夫婦仲などを、事実とは違えて、意外な話が出て来るもののようですが、自分一人の心におさめて、成り行きに従うのが良い。
早まって騷ぎ出して、つまらない嫉妬をなさるな」
すべて(うわさ)というものは、だれがためにするところがあって言い出すというのでもなく、良いことは言わずに、悪いことを言うのがおもしろくて言いふらさせるものだが、そんなことから意外な悲劇がかもされもするのだから、人の言葉に動揺を受けないで、ただなるがままになっているのがいいのです。まだ実現されもせぬうちから物思いをして私をむやみに恨むようなことをしないでくださいね」
4.2.12
と、いとよく(をし)へきこえたまふ。
と、たいそう良くお教え申し上げなさる。
こう院はおさとしになった。

第三段 紫の上の心中

4.3.1
(こころ)のうちにも、
心の中でも、
女王は言葉だけでなく心の中でも、
4.3.2
かく(そら)より()()にたるやうなることにて(のが)れたまひがたきを(にく)げにも()こえなさじ。
わが(こころ)(はばか)りたまひいさむることに(したが)ひたまふべき、おのがどちの(こころ)より()これる懸想(けさう)にもあらず
せかるべき(かた)なきものから、をこがましく(おも)ひむすぼほるるさま、世人(よひと)()()こえじ。
「このように空から降って来たようなことなので、ご辞退できなかったのだから、恨み言は申し上げまい。
ご自身気が咎めなさり、他人の諌めに従いなさるような、当人同士の心から出た恋でない。
せき止めるすべもないものだから、馬鹿らしくうち沈んでいる様子、世間の人に漏れ見せまい。
こんなふうに天から降ってきたような話で、院としては御辞退のなされようもない問題に対して嫉妬(しっと)はすまい、言えばとてそのとおりになるものでもなく、成り立った話をお破りになることはないであろう、院のお心から発した恋でもないから、やめようもないのに、無益な物思いをしているような噂は立てられたくないと思った。
4.3.3
式部卿宮(しきぶきゃうのみや)大北(おほきた)(かた)(つね)にうけはしげなることどもをのたまひ()でつつ、あぢきなき大将(だいしゃう)(おほん)ことにてさへあやしく(うら)(そね)みたまふなるを、かやうに()きて、いかにいちじるく(おも)()はせたまはむ
式部卿宮の大北の方が、常に呪わしそうな言葉をおっしゃっては、どうにもならない大将の御身の上の事についてまで、変に恨んだり妬んだりなさるというが、このように聞いて、どんなにかそれ見たことかと思うことだろう」
継母(ままはは)である式部卿(しきぶきょう)の宮の夫人が始終自分を(のろ)うようなことを言っておいでになって、左大将の結婚についても自分のせいでもあるように、曲がった恨みをかけておいでになるのであるから、この話を聞いた時に、詛いが成就したように思うことであろう
4.3.4 などと、おっとりしたご性分とはいえ、どうしてこの程度の邪推をなさらないことがあろうか。
今はもう大丈夫とばかり、わが身の上を気位を高く持って、気兼ねなく過ごして来た夫婦仲が、物笑いになろうことを、心の中では思い続けなさるが、表面はとても穏やかにばかり振る舞っていらっしゃった。
などと、穏やかな性質の夫人もこれくらいのことは心の(かげ)では思われたのであった。今になってはもう幸福であることを疑わなかった自分であった。思い上がって暮らした自分が今後はどんな屈辱に甘んじる女にならねばならぬかしれぬと紫の女王は(うれ)いながらもおおようにしていた。

第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う


第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず

5.1.1
(とし)(かへ)りぬ
朱雀院(すじゃくゐん)には、姫宮(ひめみや)六条院(ろくでうゐん)(うつ)ろひたまはむ(おほん)いそぎをしたまふ。
()こえたまへる(ひと)びと、いと口惜(くちを)しく(おぼ)(なげ)く。
内裏(うち)にも御心(みこころ)ばへありて、()こえたまひけるほどにかかる御定(おほんさだ)めを()こし()して、(おぼ)()まりにけり。
年も改まった。
朱雀院におかれては、姫宮が、六条院にお移りになる御準備をなさる。
ご求婚申し上げなさっていた方々は、たいそう残念にお嘆きになる。
帝におかせられてもお気持ちがあって、お申し入れしていらっしゃるうちに、このような御決定をお耳にあそばして、お諦めになったのであった。
春になった。朱雀(すざく)院では姫宮の六条院へおはいりになる準備がととのった。今までの求婚者たちの失望したことは言うまでもない。(みかど)も後宮にお入れになりたい思召(おぼしめ)しを伝えようとしておいでになったが、いよいよ今度のお話の決定したことを聞こし召されておやめになった。
5.1.2
さるは今年(ことし)四十(よそぢ)になりたまひければ、御賀(おほんが)のこと、朝廷(おほやけ)にも()こし()()ぐさず、()(なか)(いとな)みにて、かねてより(ひび)くを、ことのわづらひ(おほ)くいかめしきことは、(むかし)より(この)みたまはぬ御心(みこころ)にて、(みな)かへさひ(まう)したまふ。
それはそれとして実は、今年四十歳におなりになったので、その御賀のこと、朝廷でもお聞き流しなさらず、世を挙げての行事として、早くから評判であったが、いろいろと煩わしいことが多い厳めしい儀式は、昔からお嫌いなご性分であるから、皆ご辞退申し上げなさる。
六条院はこの春で四十歳におなりになるのであったから、内廷からの賀宴を挙行させるべきであると、帝も春の初めから御心(みこころ)にかけさせられ、世間でも御賀を盛んにしたいと望む人の多いのを、院はお聞きになって、昔から御自身のことでたいそうな式などをすることのおきらいな方だったから話を片端から断わっておいでになった。
5.1.3
正月二十三日(しゃうがつにじふさんにち)()()なるに左大将殿(さだいしゃうどの)(きた)(かた)若菜参(わかなまゐ)りたまふ。
かねてけしきも()らしたまはで、いといたく(しの)びて(おぼ)しまうけたりければ、にはかにて、えいさめ(かへ)しきこえたまはず。
(しの)びたれど、さばかりの御勢(おほんいきほ)ひなれば、(わた)りたまふ御儀式(おほんぎしき)など、いと(ひび)きことなり。
正月二十三日は、子の日なので、左大将殿の北の方が、若菜を献上なさる。
前もってその様子も外に現しなさらず、とてもたいそう密かにご準備なさっていたので、急な事で、ご意見してご辞退申し上げることもできない。
内々にではあるが、あれほどのご威勢なので、ご訪問の作法など、たいそう騷ぎが格別である。
正月の二十三日は()の日であったが、左大将の夫人から若菜(わかな)の賀をささげたいという申し出があった。少し前まではまったく秘密にして用意されていたことで、六条院が御辞退をあそばされる間がなかったのであった。目だたせないようにはしていたが、左大将家をもってすることであったから、玉鬘(たまかずら)夫人の六条院へ出て来る際の従者の列などはたいしたものであった。
5.1.4
(みなみ)御殿(おとど)西(にし)放出(はなちいで)御座(おまし)よそふ。
屏風(びゃうぶ)壁代(かべしろ)よりはじめ、(あたら)しく(はら)ひしつらはれたり。
うるはしく倚子(いし)などは()てず御地敷四十枚(おほんぢしきしじふまい)御茵(おほんしとね)脇息(けふそく)など、すべてその御具(おほんぐ)ども、いときよらにせさせたまへり
南の御殿の西の放出に御座席を設ける。
屏風、壁代をはじめ、新しくすっかり取り替えられている。
儀式ばって椅子などは立てず、御地敷四十枚、御褥、脇息など、総じてその道具類は、たいそう美しく整えさせていらっしゃった。
南の御殿の西の離れ座敷に賀をお受けになる院のお席が作られたのである。屏風(びょうぶ)壁代(かべしろ)の幕も皆新しい物で(しつ)らわれた。形式をたいそうにせず院の御座に椅子(いす)は立てなかった。地敷きの織物が四十枚敷かれ、(しとね)脇息(きょうそく)など今日の式場の装飾は皆左大将家からもたらした物であって、趣味のよさできれいに整えられてあった。
5.1.5
螺鈿(らでん)御厨子二具(みづしふたよろひ)に、御衣筥四(おほんころもばこよ)()ゑて夏冬(なつふゆ)御装束(おほんさうぞく)
香壺(かうご)(くすり)(はこ)御硯(おほんすずり)ゆする(つき)掻上(かかげ)(はこ)などやうのもの、うちうちきよらを()くしたまへり
御插頭(おほんかざし)(だい)には、(ぢん)紫檀(したん)(つく)り、めづらしきあやめを()くし、(おな)じき(かね)をも色使(いろつか)ひなしたる、(こころ)ばへあり、(いま)めかしく。
螺鈿の御厨子二具に、御衣箱四つを置いて、夏冬の御装束。
香壷、薬の箱、御硯、ゆする坏、掻上の箱などのような物を、目立たない所に善美を尽くしていらっしゃった。
御插頭の台としては、沈や、紫檀で作り、珍しい紋様を凝らし、同じ金属製品でも、色を使いこなしているのは、趣があり、現代風で。
螺鈿(らでん)の置き(だな)二つへ院のお召し料の衣服箱四つを置いて、夏冬の装束、香壺(こうご)、薬の箱、お(すずり)洗髪器(ゆするつき)(くし)の具の箱なども皆美術的な作品ばかりが選んであった。御挿頭(かざし)の台は(じん)紫檀(したん)の最上品が用いられ、飾りの金属も持ち色をいろいろに使い分けてある上品な、そして派手(はで)なものであった。
5.1.6
尚侍(かん)(きみ)もののみやび(ふか)く、かどめきたまへる(ひと)にて目馴(めな)れぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。
尚侍の君は、風雅の心が深く、才気のある方なので、目新しい形に整えなさっていたが、儀式全般のこととしては、格別に仰々しくないようにしてある。
玉鬘夫人は芸術的な才能のある人で、工芸品を院のために新しく作りそろえたすぐれたものである。そのほかのことはきわだたせず質素に見せて実質のある賀宴をしたのであった。

第二段 源氏、玉鬘と対面

5.2.1 人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり、尚侍の君とご対面がある。
お心の中では、昔を思い出しなさることがさまざまとあったことであろう。
参列者を引見されるために客座敷へお出しになる時に玉鬘夫人と面会された。いろいろの過去の光景がお心に浮かんだことと思われる。
5.2.2
いと(わか)くきよらにて、かく御賀(おほんが)などいふことは、ひが(かぞ)へにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、(ひと)(おや)げなくおはしますを、めづらしくて年月隔(としつきへだ)てて()たてまつりたまふはいと()づかしけれど、なほけざやかなる(へだ)てもなくて御物語聞(おほんものがたりき)こえ()はしたまふ。
実に若々しく美しくて、このように御四十の賀などということは、数え違いではないかと、つい思われる様子で、優美で子を持つ親らしくなくいらっしゃるのを、珍しくて、歳月を経て拝見なさるのは、とても恥ずかしい思いがするが、やはり際立った隔てもなく、お話を交わしなさる。
院のお顔は若々しくおきれいで、四十の賀などは数え違いでないかと思われるほど(えん)で、賀を奉る夫人の養父でおありになるとも思われないのを見て、何年かを中に置いてお目にかかる玉鬘(たまかずら)尚侍(ないしのかみ)は恥ずかしく思いながらも以前どおりに親しいお話をした。
5.2.3
(をさな)(きみ)も、いとうつくしくてものしたまふ。
尚侍(かん)(きみ)は、うち(つづ)きても御覧(ごらん)ぜられじとのたまひけるを、大将(だいしゃう)かかるついでにだに御覧(ごらん)ぜさせむとて、二人同(ふたりおな)じやうに、振分髪(ふりわけがみ)何心(なにごころ)なき直衣姿(なほしすがた)どもにておはす。
幼い君も、とてもかわいらしくいらっしゃる。
尚侍の君は、続いて二人もお目にかけたくないとおっしゃったが、大将が、せめてこのような機会に御覧に入れようと言って、二人同じように、振り分け髪で、無邪気な童直衣姿でいらっしゃる。
尚侍の幼児がかわいい顔をしていた。玉鬘夫人は続いて生まれた子供などをお目にかけるのをはばかっていたが、良人(おっと)の左大将はこんな機会にでもお見せ申し上げておかねばお()わせすることもできないからと言って、兄弟はほとんど同じほどの大きさで振り分け髪に直衣(のうし)を着せられて来ていたのである。
5.2.4
()ぐる(よはひ)みづからの(こころ)にはことに(おも)ひとがめられず、ただ(むかし)ながらの若々(わかわか)しきありさまにて、(あらた)むることもなきを、かかる末々(すゑずゑ)のもよほしになむなまはしたなきまで(おも)()らるる(をり)もはべりける
「年を取ると、自分自身では特に気にもならず、ただ昔のままの若々しい様子で、変わることもないのだが、このような孫たちができたことで、きまりの悪いまでに年を取ったことを思い知られる時もあるのですね。
「過ぎた年月のことというものは、自身の心には長い気などはしないもので、やはり昔のままの若々しい心が改められないのですが、こうした孫たちを見せてもらうことでにわかに恥ずかしいまでに年齢(とし)を考えさせられます。
5.2.5
中納言(ちゅうなごん)のいつしかとまうけたなるをことことしく(おも)(へだ)てて、まだ()せずかし。
(ひと)よりことに、(かぞ)()りたまひける今日(けふ)()()こそ、なほうれたけれ。
しばしは(おい)(わす)れてもはべるべきを
中納言が早々と子をなしたというのに、仰々しく分け隔てして、まだ見せませんよ。
誰より先に、私の年を数えて祝ってくださった今日の子の日は、やはりつらく思われます。
しばらくは老いを忘れてもいられたでしょうに」
中納言にも子供ができているはずなのだが、うとい者に私をしているのかまだ見せませんよ。あなたがだれよりも先に数えてくだすって年齢(とし)の祝いをしてくださる()の日も、少し恨めしくないことはない。もう少し老いは忘れていたいのですがね」
5.2.6
()こえたまふ。
と申し上げなさる。
と、院は仰せられた。

第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和

5.3.1 尚侍の君も、すっかり立派に成熟して、貫祿まで加わって、素晴らしいご様子でいらっしゃった。
玉鬘もますますきれいになって、重味というようなものも添ってきてりっぱな貴婦人と見えた。
5.3.2 「若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて
育てて下さった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと」
若葉さす野辺(のべ)の小松をひきつれて
もとの岩根を祈る今日かな
5.3.3
と、せめておとなび()こえたまふ。
(ぢん)折敷四(をしきよ)つして、御若菜(おほんわかな)さまばかり(まゐ)れり。
御土器取(おほんかはらけと)りたまひて、
と、強いて母親らしく申し上げなさる。
沈の折敷を四つ用意して、御若菜を御祝儀ばかりに献上なさった。
御杯をお取りになって、
こう大人(おとな)びた御挨拶(あいさつ)をした。(じん)の木の四つの折敷(おしき)に若菜を形式的にだけ少し盛って出した。院は杯をお取りになって、
5.3.4 「小松原の将来のある齢にあやかって
野辺の若菜も長生きするでしょう」
小松原末のよはひに引かれてや
野辺の若菜も年をつむべき
5.3.5
など()こえ()はしたまひて、上達部(かんだちめ)あまた(みなみ)(ひさし)()きたまふ。
などと詠み交わしなさっているうちに、上達部が大勢南の廂の間にお着きになる。
などとお歌いになった。高官たちは南の外座敷の席に着いた。
5.3.6
式部卿宮(しきぶきゃうのみや)は、(まゐ)りにくく(おぼ)しけれど、御消息(おほんせうそこ)ありけるにかく(した)しき御仲(おほんなか)らひにて(こころ)あるやうならむも便(びん)なくて、()たけてぞ(わた)りたまへる。
式部卿宮は、参上しにくくお思いであったが、ご招待があったのに、このように親しい間柄で、わけがあるみたいに取られるのも具合が悪いので、日が高くなってからお渡りになった。
式部卿の宮は参りにくく思召(おぼしめ)したのであるが、院から御招待をお受けになって、御(しゅうと)でいらせられながら賀宴に出ないことは含むことでもあるようであるからとお思いになり、ずっと時間をおくらせておいでになった。
5.3.7
大将(だいしゃう)のしたり(がほ)にてかかる御仲(おほんなか)らひに、うけばりてものしたまふも、げに(こころ)やましげなるわざなめれど、御孫(おほんまご)(きみ)たちは、いづ(かた)につけてもおり()ちて雑役(ざふやく)したまふ。
籠物四十枝(こものよそえだ)折櫃物四十(をりびつものよそぢ)
中納言(ちゅうなごん)をはじめたてまつりて、さるべき(かぎ)()(つづ)きたまへり
御土器(おほんかはらけ)くだり、若菜(わかな)御羹参(おほんあつものまゐ)る。
御前(おまへ)には、(ぢん)懸盤四(かけばんよ)つ、御坏(おほんつき)どもなつかしく、(いま)めきたるほどにせられたり。
大将が得意顔で、このようなお間柄ゆえ、すべて取り仕切っていらっしゃるのも、いかにも癪に障ることのようであるが、御孫の君たちは、どちらからも縁続きゆえに、骨身を惜しまず、雑用をなさっている。
籠物四十枝、折櫃物四十。
中納言をおはじめ申して、相当な方々ばかりが、次々に受け取って献上なさっていた。
お杯が下されて、若菜の御羹をお召し上がりになる。
御前には、沈の懸盤四つ、御坏類も好ましく現代風に作られていた。
以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の(おい)としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。(かご)詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃(おりびつ)に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御親戚(しんせき)の若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には(じん)懸盤(かけばん)が四つ、優美な杯の台などがささげられた。

第四段 管弦の遊び催す

5.4.1
朱雀院(すじゃくゐん)御薬(おほんくすり)のこと、なほたひらぎ()てたまはぬにより、楽人(がくにん)などは()さず。
御笛(おほんふえ)など、太政大臣(おほきおとど)の、その(かた)(ととの)へたまひて、
朱雀院の御病気が、まだすっかり良くならないことによって、楽人などはお召しにならない。
管楽器などは、太政大臣が、そちらの方面はお整えになって、
朱雀(すざく)院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。
5.4.2 「世の中に、この御賀より他に立派で善美を尽くすような催しはまたとあるまい」
「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚(こうしょう)なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」
5.4.3
とのたまひて、すぐれたる()(かぎ)りを、かねてより(おぼ)しまうけたりければ、(しの)びやかに御遊(おほんあそ)びあり。
とおっしゃって、優れた楽器ばかりを、以前からご準備なさっていたので、内輪の方々で音楽のお遊びが催される。
と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。
5.4.4
とりどりにたてまつる(なか)に、和琴(わごん)は、かの大臣(おとど)第一(だいいち)()したまひける御琴(おほんこと)なり。
さるものの上手(じゃうず)(こころ)をとどめて()()らしたまへる()いと(なら)びなきを、異人(ことびと)()きたてにくくしたまへば、衛門督(ゑもんのかみ)(かた)(いな)ぶるを()めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ(おと)るまじく()
それぞれ演奏する楽器の中で、和琴は、あの太政大臣が第一にご秘蔵なさっていた御琴である。
このような名人が、日頃入念に弾き馴らしていらっしゃる音色、またとないほどなので、他の人は弾きにくくなさるので、衛門督が固く辞退しているのを催促なさると、なるほど実に見事に、少しも父親に負けないほどに弾く。
和琴(わごん)はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に()いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退していた右衛門督(うえもんのかみ)にぜひにと()くことを院がお求めになったが、予想以上に巧みに名手の長男は弾いた。
5.4.5
(なに)ごとも、上手(じゃうず)(つぎ)といひながらかくしもえ()がぬわざぞかし」と、(こころ)にくくあはれに(ひと)びと(おぼ)す。
調(しら)べに(したが)ひて、(あと)ある()ども、(さだ)まれる唐土(もろこし)(つた)へどもはなかなか(たづ)()るべき(かた)あらはなるを、(こころ)にまかせて、ただ()()はせたるすが()きに、よろづの(もの)音調(ねととの)へられたるは、(たへ)におもしろく、あやしきまで(ひび)く。
「どのようなことも、名人の後嗣と言っても、これほどにはとても継ぐことはできないものだ」と、奥ゆかしく感心なことに人々はお思いになる。
それぞれの調子に従って、楽譜の整っている弾き方や、決まった型のある中国伝来の曲目は、かえって習い方もはっきりしているが、気分にまかせて、ただ掻き合わせるすが掻きに、すべての楽器の音色が一つになっていくのは、見事に素晴らしく、不思議なまでに響き合う。
どう遺伝があるものとしても、こうまで父の芸を継ぐことは困難なものであるがとだれも感動を隠せずにいた。支那(しな)から伝わった弾き方をする楽器はかえって学びやすいが、和琴はただ清掻(すがが)きだけで他の楽器を統制していくものであるからむずかしい芸で、そしてまたおもしろいものなのである。右衛門督の爪音(つまおと)はよく響いた。
5.4.6
父大臣(ちちおとど)は、(こと)()もいと(ゆる)()りて、いたう(くだ)して調(しら)べ、(ひび)(おほ)()はせてぞ()()らしたまふ。
これは、いとわららかに(のぼ)()の、なつかしく愛敬(あいぎゃう)づきたるを、いとかうしもは()こえざりしを」と、親王(みこ)たちも(おどろ)きたまふ。
父大臣は、琴の緒をとても緩く張って、たいそう低い調子で調べ、余韻を多く響かせて掻き鳴らしなさる。
こちらは、たいそう明るく高い調子で、親しみのある朗らかなので、「とてもこんなにまでとは知らなかった」と、親王たちはびっくりなさる。
一つのほうの和琴は父の大臣が(いと)もゆるく、()も低くおろして、余韻を重くして、弾いていた。子息のははなやかに()がたって、甘美な愛嬌(あいきょう)があると聞こえた。これほど上手(じょうず)であるという評判はなかったのであるがと親王がたも驚いておいでになった。
5.4.7
(きん)は、兵部卿宮弾(ひゃうぶきゃうのみやひ)きたまふ。
この御琴(おほんこと)は、宜陽殿(ぎやうでん)御物(おほんもの)にて代々(だいだい)第一(だいいち)()ありし御琴(おほんこと)を、故院(こゐん)(すゑ)(かた)一品宮(いつぽんのみや)(この)みたまふことにて(たま)はりたまへりけるを、この(をり)のきよらを()くしたまはむとするため、大臣(おとど)(まう)(たま)はりたまへる御伝(おほんつた)(つた)(おぼ)すに、いとあはれに、(むかし)のことも(こひ)しく(おぼ)()でらる。
琴は、兵部卿宮がお弾きになる。
この御琴は、宜陽殿の御物で、代々に第一の評判のあった御琴を、故院の晩年に、一品宮がお嗜みがおありであったので、御下賜なさったのを、この御賀の善美を尽しなさろうとして、大臣が願い出て賜ったという次々の伝来をお思いになると、実にしみじみと、昔のことが恋しくお思い出さずにはいらっしゃれない。
琴は兵部卿(ひょうぶきょう)の宮があそばされた。この琴は宮中の宜陽殿(ぎようでん)に納めておかれた御物(ぎょぶつ)であって、どの時代にも第一の名のあった楽器であったが、故院の御代(みよ)の末ごろに御長皇女(おんちょうこうじょ)一品(いっぽん)の宮が琴を好んでお弾きになったので御下賜あそばされたのを、今日の賀宴のために太政大臣が拝借してきたのである。この楽器によって御父帝の御時のこと、また御姉宮に賜わった時のことが思召されて六条院はことさら身に()んで音色(ねいろ)に聞き入っておいでになった。
5.4.8
親王(みこ)も、()()きえとどめたまはず。
()けしきとりたまひて(きん)御前(おまへ)(ゆづ)りきこえさせたまふ。
もののあはれにえ()ぐしたまはでめづらしきもの(ひと)つばかり()きたまふに、ことことしからねど、(かぎ)りなくおもしろき()御遊(おほんあそ)びなり。
親王も、酔い泣きを抑えることがおできになれない。
ご心中をお察しになって、琴は御前にお譲り申し上げあそばす。
感興にじっとしていらっしゃれずに、珍しい曲目を一曲だけお弾きなさると、儀式ばった仰々しさはないけれども、この上なく素晴らしい夜のお遊びである。
兵部卿の宮も酔い泣きがとめられない御様子であった。そして院の御意をお伺いになった上琴を御前へ移された。今夜の御気分からお(いな)みになることはできずに院は珍しい曲を一つだけお弾きになった。そんなこともあって大がかりな演奏ではないがおもしろい音楽の夜になったのである。
5.4.9
唱歌(さうが)(ひと)びと御階(みはし)()してすぐれたる(こゑ)(かぎ)()だして、(かへ)(ごゑ)になる
()()()くままに、(もの)調(しら)べども、なつかしく()はりて、青柳(あをやぎ)(あそ)びたまふほどげに、ねぐらの(うぐひす)おどろきぬべく、いみじくおもしろし。
私事(わたくしごと)のさまにしなしたまひて、(ろく)など、いと警策(きゃうさく)にまうけられたりけり
唱歌の人々を御階に召して、美しい声ばかりで歌わせて、返り声に転じて行く。
夜が更けて行くにつれて、楽器の調子など、親しみやすく変わって、「青柳」を演奏なさるころに、なるほど、ねぐらの鴬が目を覚ますに違いないほど、大変に素晴らしい。
私的な催しの形式になさって、禄など、たいそう見事な物を用意なさっていた。
階段(きざはし)の所に声のよい若い殿上人たちの集められたのが、器楽のあとを歌曲に受け、「青柳」の歌われたころはもう(ねぐら)に帰っていた(うぐいす)も驚くほど派手(はで)なものになった。主催する人は別にあった宴会ではあるが、院のほうでも纏頭の御用意があって出された。

第五段 暁に玉鬘帰る

5.5.1 明け方に、尚侍の君はお帰りになる。
御贈り物などがあるのだった。
夜明けに尚侍は自邸へ帰るのであった。院からのお贈り物があった。
5.5.2
かう()()つるやうにて()かし()らすほどに、年月(としつき)行方(ゆくへ)()らず(がほ)なるを、かう(かぞ)()らせたまへるにつけては、心細(こころぼそ)くなむ。
「このように世を捨てたようにして毎日を送っていると、年月のたつのも気づかぬありさまだが、このように齢を数えて祝ってくださるにつけて、心細い気がする。
「私はもう世の中から離れた気にもなって、勝手な生活をしていますから、たって行く月日もわからないのだが、こんなに年を数えてきてくだすったことで、老いが急に来たような心細さが感ぜられます。
5.5.3
時々(ときどき)は、()いやまさると()たまひ(くら)べよかし。
かく(ふる)めかしき()所狭(ところせ)さに(おも)ふに(したが)ひて対面(たいめん)なきも、いと口惜(くちを)しくなむ」
時々は、前より年とったかどうか見比べにいらっしゃって下さいよ。
このように老人の身の窮屈さから、思うままにお会いできないのも、まことに残念だ」
おりおりはどんな老人になったかとその時その時を見比べに来てください。老人でいながら自由に行動のできない窮屈な身の上ということにともかくもなっているのですから、自分の思うとおりに御訪問などができず、お目にかかる機会の少ないのを残念に思います」
5.5.4
など()こえたまひて、あはれにもをかしくも、(おも)()できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく(いそ)(わた)りたまふを、いと()かず口惜(くちを)しくぞ(おぼ)されける。
などと申し上げなさって、しんみりとまた情趣深く、思い出しなさることがないでもないから、かえってちらっと顔を見せただけで、このように急いでお帰りになるのを、たいそう堪らなく残念に思わずにはいらっしゃれなかった。
などと院はお言いになって、身にしむことも、恋しい日のこともお思いにならないのではないのに、玉鬘(たまかずら)がたまたま来ても早く去って行こうとするのを物足らず思召すようであった。
5.5.5
尚侍(かん)(きみ)も、まことの(おや)をばさるべき(ちぎ)りばかりに(おも)ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心(みこころ)ばへを年月(としつき)()へて、かく()()()てたまふにつけても、おろかならず(おも)ひきこえたまひけり
尚侍の君も、実の親は親子の宿縁とお思い申し上げなさるだけで、世にも珍しく親切であったお気持ちの程を、年月とともに、このようにお身の上が落ち着きなさったにつけても、並々ならずありがたく感謝申し上げなさるのであった。
玉鬘の尚侍も実父には肉親としての愛は持っているが、院のこまやかだった御愛情に対しては、年月に添って感謝の心が深くなるばかりであった。今日の境遇の得られたのも院の恩恵であると思っていた。

第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁


第一段 女三の宮、六条院に降嫁

6.1.1
かくて、如月(きさらぎ)十余日(とをよか)朱雀院(すじゃくゐん)姫宮(ひめみや)六条院(ろくでうゐん)(わた)りたまふ。
この(ゐん)にも、御心(みこころ)まうけ()(つね)ならず。
若菜参(わかなまゐ)りし西(にし)放出(はなちいで)御帳立(みちゃうた)ててそなたの(いち)()(たい)渡殿(わたどの)かけて女房(にょうばう)局々(つぼねつぼね)まで、こまかにしつらひ(みが)かせたまへり。
内裏(うち)(まゐ)りたまふ(ひと)作法(さほふ)をまねびて、かの(ゐん)よりも御調度(みてうど)など(はこ)ばる。
(わた)りたまふ儀式(ぎしき)()へばさらなり。
こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮、六条院へお輿入れになる。
こちらの院におかれても、ご準備は並々でない。
若菜を召し上がった西の放出に御帳台を設けて、そちらの西の第一、第二の対、渡殿にかけて、女房の局々に至るまで、念入りに整え飾らせなさっていた。
宮中に入内なさる姫君の儀式に似せて、あちらの院からも御調度類が運ばれて来る。
お移りになる儀式の盛大さは、今さら言うまでもない。
二月の十幾日に朱雀(すざく)院の女三(にょさん)(みや)は六条院へおはいりになるのであった。六条院でもその準備がされて、若菜の賀に使用された寝殿の西の離れに帳台を立て、そこに属した一二の対の屋、渡殿(わたどの)へかけて女房の部屋(へや)も割り当てた華麗な設けができていた。宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。
6.1.2
御送(おほんおく)りに、上達部(かんだちめ)などあまた(まゐ)りたまふ。
かの家司望(けいしのぞ)みたまひし大納言(だいなごん)も、やすからず(おも)ひながらさぶらひたまふ。
御車寄(おほんくるまよ)せたる(ところ)に、院渡(ゐんわた)りたまひて()ろしたてまつりたまふなども、(れい)には(たが)ひたることどもなり
御供奉に、上達部などが大勢お供なさる。
あの家司をお望みになった大納言も、面白らかず思いながらも供奉なさっている。
お車を寄せた所に、院がお出になって、お下ろし申し上げなさるなども、例には無いことである。
供奉(ぐぶ)者には高官も多数に混じっていた。姫宮を主公として結婚をしたいと望んだ大納言も失敗した恨みの涙を飲みながらお付きして来た。お車の寄せられた所へ六条院が出てお行きになって、宮をお抱きおろしになったことなどは新例であった。
6.1.3 臣下でいらっしゃるので、何もかも制限があって、入内の儀式とも違うし、婿の大君と言うのとも事情が違って、珍しいご夫婦の関係である。
天子でおいでになるのではないから入内(じゅだい)の式とも違い、親王夫人の入輿(にゅうよ)とも違ったものである。

第二段 結婚の儀盛大に催さる

6.2.1
三日(みか)がほどかの(ゐん)よりも、主人(あるじ)院方(ゐんかた)よりも、いかめしくめづらしきみやびを()くしたまふ。
三日の間は、あちらの院からも、主人である院からも、盛大でまたとないほどの優雅な催しをお尽くしになる。
三日の間は御(しゅうと)の院のほうからも、また主人の院からも派手(はで)な伺候者へのおもてなしがあった。
6.2.2
(たい)(うへ)ことに()れてただにも(おぼ)されぬ()のありさまなり。
げに、かかるにつけてこよなく(ひと)(おと)()たるることもあるまじけれどまた(なら)(ひと)なくならひたまひてはなやかに()先遠(さきとほ)く、あなづりにくきけはひにて(うつ)ろひたまへるに、なまはしたなく(おぼ)さるれどつれなくのみもてなして、御渡(おほんわた)りのほども、もろ(こころ)にはかなきこともし()でたまひて、いとらうたげなる(おほん)ありさまをいとどありがたしと(おも)ひきこえたまふ。
対の上も何かにつけて、平静ではいらっしゃれないお身の回りである。
なるほど、このようなことになったからと言って、すっかりあちらに負けて影が薄くなってしまうこともあるまいけれど、また一方でこれまで揺ぎない地位にいらしたのに、華やかでお年も若く、侮りがたい勢いでお輿入れになったので、何となく居心地が悪くお思いになるが、何気ないふうにばかり装って、お輿入れの時も、ご一緒に細々とした事までお世話なさって、まことにかいがいしいご様子を、ますます得がたい人だとお思い申し上げなさる。
紫の女王(にょおう)もこうした雰囲気(ふんいき)の中にいては寂しい気のすることであろうと思われた。夫人は静かにながめていながらも、院との間柄が不安なものになろうとは思わないのであるが、だれよりも愛される妻として動きのない地位をこれまで持った人も、若くて将来の長い内親王が競争者におなりになったのであるから、次第に自分が自分をはずかしめていく気がしないでもない心を、おさえて、おおように姫宮の移っておいでになる前の仕度(したく)なども院とごいっしょになってしたような可憐(かれん)な態度に院は感激しておいでになった。
6.2.3
姫宮(ひめみや)は、げに、まだいと(ちひ)さく、(かた)なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに(わか)びたまへり。
姫宮は、なるほど、まだとても小さく、大人になっていらっしゃらないうえ、まことにあどけない様子で、まるきり子供でいらっしゃった。
女三の宮はかねて話のあったようにまだきわめて小さくて、幼い人といってもあまりにまでお子供らしいのである。
6.2.4 あの紫のゆかりを探し出しなさった時をお思い出しなさると、
紫の女王を二条の院へお迎えになった時と院は思い比べて御覧になっても、
6.2.5
「かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみ()えたまへば、よかめり。
(にく)げにおしたちたることなどはあるまじかめり
「あちらは気が利いていて手ごたえがあったが、こちらはまことに幼くだけお見えでいらっしゃるので、まあ、よかろう。
憎らしく強気に出ることなどもあるまい」
その時の女王は才気が見えて、相手にしていておもしろい少女(おとめ)であったのに、これは単に子供らしいというのに尽きる方であったから、これもいいであろう、自尊心の多過ぎず出過ぎたことのできない点だけが安心である
6.2.6
(おぼ)すものから、いとあまりものの(はえ)なき(おほん)さまかな」と()たてまつりたまふ。
とお思いになる一方で、「あまり張り合いのないご様子だ」と拝見なさる。
と、院はつとめて善意で見ようとされながらも、あまりに言いがいのない新婦であるとお(なげ)かれになった。

第三段 源氏、結婚を後悔

6.3.1 三日間は、毎晩お通いになるのを、今までにこのようなことは経験がおありでないので、堪えはするが、やはり胸が痛む。
お召し物などを、いっそう念入りに香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃる様子は、たいそういじらしく美しい。
三日の間は続いてそちらへおいでになるのを、今日までそうしたことに()れぬ女王であったから、忍ぼうとしても底から底から寂しさばかりが()いてきた。新婚時代の新郎の衣服として宮のほうへおいでになる院のお召し物へ女房に命じて薫香(たきもの)をたきしめさせながら、自身は物思いにとらわれている様子が非常に美しく感ぜられた。
6.3.2
などて、よろづのことありともまた(ひと)をば(なら)べて()るべきぞ。
あだあだしく、心弱(こころよわ)くなりおきにけるわがおこたりにかかることも()()るぞかし。
(わか)けれど、中納言(ちゅうなごん)をばえ(おぼ)しかけずなりぬめりしを
「どうして、どんな事情があるにもせよ、他に妻を迎える必要があったのだろうか。
浮気っぽく、気弱になっていた自分の失態から、このような事も出てきたのだ。
若いけれど、中納言をお考えに入れずじまいだったようなのに」
何事があっても自分はもう一人の妻を持つべきではなかったのである。この問題だけを謝絶しきれずに締まりがなく受け入れた自分の弱さからこんな悲しい思いをすることにもなったと、
6.3.3 と、自分ながら情けなくお思い続けられて、つい涙ぐんで、
院は御自身の心が恨めしくばかりおなりになって、涙ぐんで、
6.3.4
今宵(こよひ)ばかりはことわりと(ゆる)したまひてむな。
これより(のち)のとだえあらむこそ()ながらも(こころ)づきなかるべけれ。
また、さりとてかの(ゐん)()こし()さむことよ」
「今夜だけは、無理もないこととお許しくださいな。
これから後に来ない夜があったら、我ながら愛想が尽きるだろう。
だが、とは言っても、あちらの院には何とお聞きになろうやら」
「もう一晩だけは世間並みの義理を私に立てさせてやると思って、行くのを許してください。今日からあとに続けてあちらへばかり行くようなことをする私であったなら、私自身がまず自身を軽蔑(けいべつ)するでしょうね。しかしまた院がどうお思いになることだか」
6.3.5
と、(おも)(みだ)れたまへる御心(みこころ)のうち、(くる)しげなり。
すこしほほ()みて
と言って、思い悩んでいらっしゃるご心中、苦しそうである。
少しほほ笑んで、
と、お言いになりながら煩悶(はんもん)をされる様子がお気の毒であった。夫人は少し微笑をして、
6.3.6
みづからの御心(みこころ)ながらだに(さだ)めたまふまじかなるを、ましてことわりも(なに)も、いづこにとまるべきにか」
「ご自身のお考えでさえ、お決めになれないようですのに、ましてわたしは無理からぬことやら何やら、どちらに決められましょう」
「それ御覧なさいませ。御自身のお心だってお決まりにならないのでしょう。ですもの、道理のあるのが強味ともいっておられませんわ」
6.3.7
と、いふかひなげにとりなしたまへば、()づかしうさへおぼえたまひてつらづゑをつきたまひて、()()したまへれば、(すずり)()()せたまひて
と、取りつく島もないように話を逸らされるので、恥ずかしいまでに思われなさって、頬杖をおつきになって、寄り臥していらっしゃると、硯を引き寄せて、
絶望的にこう女王に言われては、恥ずかしくさえ院はお思われになって、頬杖(ほおづえ)を突きながらうっとりと横になっておいでになった。紫の女王は(すずり)を引き寄せて無駄(むだ)書きを始めていた。
6.3.8 「眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに
行く末長くとあてにしていましたとは」
目に近くうつれば変はる世の中を
行く末遠く頼みけるかな
6.3.9
古言(ふること)など()()ぜたまふを()りて()たまひて、はかなき(こと)なれど、げにと、ことわりにて、
古歌などを書き交えていらっしゃるのを、取って御覧になって、何でもない歌であるが、いかにもと、道理に思って、
と書き、またそうした意味の古歌なども書かれていく紙を、院は手に取ってお読みになり夫人の気持ちをお(あわれ)みになった。
6.3.10 「命は尽きることがあってもしかたのないことだが
無常なこの世とは違う変わらない二人の仲なのだ」
命こそ絶ゆとも絶えめ定めなき
世の常ならぬ中の契りを
6.3.11
とみにもえ(わた)りたまはぬを、
すぐにはお出かけになれないのを、
こんな歌を書いて、急に立って行こうともされないのを見て、夫人が、
6.3.12 「まこと不都合なことです」
「おそくなっては済みませんことですよ」
6.3.13
と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず(にほ)ひて(わた)りたまふを、見出(みい)だしたまふも、いとただにはあらずかし
と、お促し申し上げなさると、柔らかで優美なお召し物に、たいそうよい匂いをさせてお出かけになるのを、お見送りなさるのも、まことに平気ではいられないだろう。
と催促したのを機会に、柔らかな直衣(のうし)の、(えん)薫香(たきもの)の香をしませたものに着かえて院が出てお行きになるのを見ている女王の心は平静でありえまいと思われた。

第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす

6.4.1
(とし)ごろ、さもやあらむ(おも)ひしことどもも、(いま)はとのみもて(はな)れたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけゆく(すゑ)に、ありありて、かく()()(みみ)なのめならぬこと()()ぬるよ。
(おも)(さだ)むべき()のありさまにもあらざりければ、(いま)より(のち)もうしろめたくぞ(おぼ)しなりぬる。
長い間には、もしかしたらと思っていたいろいろな事も、今は終わりとすっかりお絶ちになって、ではこれで大丈夫と、安心なさるようになった今頃になって、とどのつまり、このような世間に外聞の悪い事が出て来るとは。
安心できる二人の仲ではなかったのだから、これから先も不安にお思いになるのであった。
これまでにさらに新婦を得ようとされるらしい()ぶりはあっても、いよいよことが進行しそうな時に反省しておしまいになる院でおありになったから、ただもう何でもなく順調に幸福が続いていくとばかり信じていた末に、世間のものにも自分の位置をあやぶませるようなことが()いてきた。永久に不変なものなどはないこうしたこの世ではまたどんな運命に自分は遭遇するかもしれないと女王は思うようになった。
6.4.2
さこそつれなく(まぎ)らはしたまへど、さぶらふ(ひと)びとも、
あのようにさりげなく装ってはいらっしゃるが、伺候している女房たちも、
表面にこの動揺した気持ちは見せないのであるが、女房たちも、
6.4.3
(おも)はずなる()なりや
あまたものしたまふやうなれど、いづ(かた)も、(みな)こなたの(おほん)けはひにはかたさり(はばか)るさまにて()ぐしたまへばこそことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに()たれてもえ()ぐしたまふまじ
「思いがけない事になりましたわね。
大勢いらっしゃるようですが、どの方も、皆こちらのご威勢には一歩譲って遠慮なさって来たからこそ、何事もなく平穏でしたのに、誰憚らないこのようなやり方に、負けておしまいになったままではお過ごしになれまい」
「意外なことになるものですね。ほかの奥様がたはおいでになってもこちらの奥様の競争者などという自信を持つ方もなくて、御遠慮をしていらっしゃるから無事だったのですが、こんなふうにこの奥様をすら眼中にお置きあそばさないような方が出ていらっしってはどうなることでしょう。だれよりも優越性のある方に劣等者の役はお勤まりにはならないでしょう。
6.4.4
「また、さりとて、はかなきことにつけても、(やす)からぬことのあらむ折々(をりをり)かならずわづらはしきことども()()なむかし」
「でも、それはそれとして、ちょっとした事でも、穏やかならぬことがいろいろと起こったら、きっと面倒な事が持ち上がって来ましょうよ」
そしてまたあちらから申せば、何でもないことに神経をおたかぶらせになるようなこともないとは言われませんから、そこで苦しい争闘が起こって奥様は御苦労をなさるでしょうね」
6.4.5
など、おのがじしうち(かた)らひ(なげ)かしげなるを、つゆも見知(みし)らぬやうにいとけはひをかしく物語(ものがたり)などしたまひつつ、夜更(よふ)くるまでおはす。
などと、朋輩同士話し合って嘆いているふうなのを、少しも知らないふうに、まことに感じも優雅にお話などをなさりながら、夜が更けるまで起きていらっしゃる。
などと語って(なげ)いているのであったが、少しも気にせぬふうで、機嫌(きげん)よく夫人は皆と話をして夜がふけるまで座敷に出ていたが、

第五段 六条院の女たち、紫の上に同情

6.5.1
かう(ひと)のただならず()(おも)ひたるも、()きにくしと(おぼ)して、
このように女房たちが容易ならぬことを言ったり思ったりしているのも、聞きにくいことだとお思いになって、
女房たちの中にあるそうした空気が外へ知れては醜いように思って言った。
6.5.2
かく、これかれあまたものしたまふめれど御心(みこころ)にかなひて(いま)めかしくすぐれたる(きは)にもあらずと、目馴(めな)れてさうざうしく(おぼ)したりつるに、この(みや)のかく(わた)りたまへるこそ、めやすけれ
「このように、だれかれと大勢いらっしゃるようですが、お気持ちにかなった、華やかな高い身分ではないと、目馴れて物足りなくお思いになっていたところに、この宮がこのようにお輿入れなさったことは、本当に結構なことです。
「院には何人もの女性が侍しておられるのだけれど、理想的な御配偶とお認めになるはなやかな身分の人はないとお思いになって、物足らず思召していらっしゃったのだから、宮様がおいでになってこれで完全になったのよ。
6.5.3
なほ、童心(わらはごころ)()せぬにやあらむ、われも(むつ)びきこえてあらまほしきを、あいなく(へだ)てあるさまに(ひと)びとやとりなさむとすらむ。
ひとしきほど、(おと)りざまなど(おも)(ひと)にこそ、ただならず(みみ)たつことも、おのづから()()るわざなれかたじけなく、心苦(こころぐる)しき(おほん)ことなめればいかで(こころ)おかれたてまつらじとなむ(おも)ふ」
まだ、子供心が抜けないのでしょうか、わたしもお親しくさせていただきたいのですが、困ったことにこちらに隔て心があるかのように皆が考えようとするのかしら。
同じ程度の人とか、劣っていると思う人に対しては、黙って聞き流すわけに行かないことも、ついつい起こるものですが、恐れ多く、お気の毒な御事情がおありらしいので、何とか親しくさせていただきたいと思っています」
私はまだ子供の気持ちがなくなっていないと見えて、いっしょに遊んで楽しく暮らしたくばかり思っているのに、皆が私の気持ちを忖度(そんたく)して面倒な関係にしてしまわないかと心配よ。自分と同じほどの人とか、もっと下の人とかには、あの人が自分より多く愛されることは不愉快だというような気持ちは自然起こるものだけれど、あちらは高貴な方で、お気の毒な事情でこうしておいでになったのだから、その方に悪くお思われしたくないと私は努めているのよ」
6.5.4
などのたまへば、中務(なかつかさ)中将(ちゅうじゃう)(きみ)などやうの(ひと)びと、()をくはせつつ、
などとおっしゃると、中務、中将の君などといった女房たちは、目くばせしながら、
中将とか中務(なかつかさ)とかいう女房は目を見合わせて、
6.5.5 「あまりなお心づかいですこと」
「あまりに思いやりがおありになり過ぎるようね」
6.5.6
など()ふべし
(むかし)は、ただならぬさまに使(つか)ひならしたまひし(ひと)どもなれど、(とし)ごろはこの御方(おほんかた)にさぶらひて、心寄(みなこころよ)せきこえたるなめり
などと、きっと言っているであろう。
昔は、普通の女房よりは親しく使っていらした女房たちであるが、ここ何年かはこちらの御方にお仕えして、皆お味方申しているようである。
ともひそかに言っていた。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨(すま)へおいでになった留守中から夫人付きになっていて、皆女王を愛していた。
6.5.7
異御方々(ことおほんかたがた)よりも、
他の御方々からも、
他の夫人の中には、
6.5.8 「どのようなお気持ちでしょう。
初めから諦めているわたしたちには、かえって平気ですが」
どんなお気持ちがなさることでしょう、愛されない者のあきらめが平生からできている自分らとは違っておいでになったのであるから
6.5.9
など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、
などと、こちらの気を引きながら、お慰め申される方もあるが、
という意味の慰問をする人もあるので、
6.5.10 「このように推量する人こそ、かえって厄介なこと。
世の中もまことに無常なものなのに、どうしてそんなにばかり思い悩んでいよう」
女王はそんな同情をされることがかえって自分には苦痛になる。無常のこの世にいてそう夫婦愛に執着している自分でもないもの
6.5.11
など(おぼ)す。
などとお思いになる。
と思っていた。
6.5.12
あまり(ひさ)しき宵居(よひゐ)も、(れい)ならず(ひと)やとがめむと、(こころ)(おに)(おぼ)して、()りたまひぬれば、御衾参(おほんふすままゐ)りぬれどげにかたはらさびしき()()()にけるもなほ、ただならぬ心地(ここち)すれど、かの須磨(すま)御別(おほんわか)れの(をり)などを(おぼ)()づれば、
あまり遅くまで起きているのも、いつにないことと、皆が変に思うだろうと気が咎めて、お入りになったので、御衾をお掛けしたが、なるほど独り寝の寂しい夜々を過ごしてきたのも、やはり、穏やかならぬ気持ちがするが、あの須磨のお別れの時などをお思い出しになると、
あまりに長く寝ずにいるのも人が異様に思うであろうと我と心にとがめられて、帳台へはいると、女房は夜着を掛けてくれた。人から(あわれ)まれているとおりに確かに自分は寂しい、自分の()めているものは(にが)いほかの味のあるものではないと夫人は思ったが、須磨(すま)へ源氏の君の行ったころを思い出して
6.5.13 「もう最後だと、お離れになっても、ただ同じこの世に無事でいらっしゃるとお聞き申すのであったらと、自分の身の上までのことはさておいて、惜しみ悲しく思ったことだわ。
あのまま、あの騷ぎの中に、自分も殿も死んでしまったならば、お話にもならない二人の仲であったろうに」
遠くに隔たっていようとも同じ世界に生きておいでになることで心を慰めようとそのころはした、自分がどんなにみじめであるかは心で問題にせず源氏の君のせめて健在でいることだけを喜んだではないか、その時の悲しみがもとで源氏の君なり自分なりが死んでいたとしたら、それからのち今日までの幸福は()けられなかったのである
6.5.14
(おぼ)(なほ)す。
とお思い直される。
ともまた思い直されもするのであった。
6.5.15
(かぜ)うち()きたる()のけはひ(ひや)やかにてふとも寝入(ねい)られたまはぬを(ちか)くさぶらふ(ひと)びと、あやしとや()かむと、うちも()じろきたまはぬも、なほいと(くる)しげなり。
夜深(よぶか)(とり)(こゑ)()こえたるもものあはれなり。
風が吹いている夜の様子が冷やかに感じられて、急には寝つかれなされないのを、近くに伺候している女房たち、変に思いはせぬかと、身動き一つなさらないのも、やはりまことにつらそうである。
夜深いころの鶏の声が聞こえるのも、しみじみと哀れを感じさせる。
外には風の吹いている夜の冷えで急には眠れない。近くに寝ている女房が寝返りの音を聞いて気をもむことがあるかもしれぬと思うことで、床の中でじっとしているのもまた女王に苦しいことであった。一番(どり)の声も身に()んで聞かれた。

第六段 源氏、夢に紫の上を見る

6.6.1
わざとつらしとにはあらねど、かやうに(おも)(みだ)れたまふけにやかの御夢(おほんゆめ)()えたまひければうちおどろきたまひて、いかにと心騒(こころさわ)がしたまふに、(とり)音待(ねま)()でたまへれば夜深(よぶか)きも()らず(がほ)に、(いそ)()でたまふ。
いといはけなき(おほん)ありさまなれば、乳母(めのと)たち(ちか)くさぶらひけり。
特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れなさったためであろうか、あちらの御夢に現れなさったので、ふと目をお覚ましになって、どうしたのかと胸騷ぎがなさるので、鶏の声をお待ちになっていたので、まだ夜の深いのも気づかないふりをして、急いでお帰りになる。
とても子供子供したご様子なので、乳母たちが近くに伺候していた。
恨んでばかりいるのでもなかったが、夫人のこんなに苦しんでいたことのあちらへ通じたのか、院は夫人の夢を御覧になった。目がさめて胸騒ぎのあそばされる院は鶏の鳴くのを聞いておいでになって、その声が終わるとすぐに宮の御殿をお出になるのであったが、お若い宮であるために乳母たちが近くにやすんでいて、
6.6.2
妻戸押(つまどお)()けて()でたまふを、()たてまつり(おく)る。
()けぐれの(そら)に、(ゆき)光見(ひかりみ)えておぼつかなし。
名残(なごり)までとまれる御匂(おほんにほ)ひ、
妻戸を押し開けてお出になるのを、お見送り申し上げる。
明け方の暗い空に、雪の光が見えてぼんやりとしている。
後に残っている御匂いに、
その人たちが院の妻戸をあけて外へ出られるのをお見送りした。夜明け前のしばらくだけことさらに暗くなる時間で、わずかな雪の光で院のお姿がその人たちに見えるのである。院のお服から発散された香気がまだあとに濃く漂っているのに乳母たちは気づいて
6.6.3 「闇はあやなし」
「春の夜の(やみ)はあやなし梅の花」
6.6.4
(ひと)りごたる。
とつい独り言が出る。
などとも古歌が思わず口に上りもした。
6.6.5
(ゆき)所々消(ところどころき)(のこ)りたるが、いと(しろ)(には)の、ふとけぢめ()えわかれぬほどなるに、
雪は所々に消え残っているのが、真白な庭と、すぐには見分けがつかぬほどなので、
院は所々にたまった雪の色も砂子の白さと差別のつきにくい庭をながめながら対のほうへ向いてお歩きになりながら
6.6.6 「今も残っている雪」
なお「残れる雪」
6.6.7
(しの)びやかに(くち)ずさびたまひつつ、御格子(みかうし)うち(たた)きたまふも、(ひさ)しくかかることなかりつるならひに、(ひと)びとも空寝(そらね)をしつつやや()たせたてまつりて、()()げたり。
とひっそりとお口ずさみなさりながら、御格子をお叩きなさるのも、長い間こうしたことがなかったのが常となって、女房たちも空寝をしては、ややお待たせ申してから、引き上げた。
と口ずさんでおいでになった。対の格子をおたたきになったが、久しく夜明けの帰りなどをあそばされなかったのであったから、女房たちはくやしい気になってしばらく寝入ったふうをしていてやっとあとに格子をお上げした。
6.6.8
こよなく(ひさ)しかりつるに()()えにけるは。
()ぢきこゆる(こころ)おろかならぬにこそあめれ。
さるは、(つみ)もなしや」
「ずいぶん長かったので、身もすっかり冷えてしまったよ。
お恐がり申す気持ちが並々でないからでしょう。
とは言っても、
「長く外に待たされて、身体(からだ)が冷え通る気がしたのも、それは私の心が済まぬとあなたを恐れる内部のせいで、女房に罪はなかったのかもしれない」
6.6.9 と言って、御衾を引きのけなどなさると、少し涙に濡れた御単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいものの、仲直りしようとはなさらないお気持ちなど、とてもこちらが恥ずかしくなるくらい立派である。
と、院はお言いになりながら、夫人の夜着を引きあけて御覧になると、少し涙で()れている下の単衣(ひとえ)(そで)を隠そうとする様子が美しく心へお受け取られになった。しかも打ち解けぬものが夫人の心にあって品よく(えん)な趣なのである。
6.6.10 「この上ない身分の人と申しても、これほどの人はいまい」
最高の貴女(きじょ)といっても完全にもののととのわぬ(うら)みがあるのに
6.6.11 と、ついお比べにならずにはいられない。
と院は新婦の宮と紫の女王を心にくらべておいでになった。
6.6.12
よろづいにしへのことを(おぼ)()でつつ、とけがたき()けしきを(うら)みきこえたまひて、その()()らしたまひつれば、(わた)りたまはで、寝殿(しんでん)には御消息(おほんせうそこ)()こえたまふ。
いろいろと昔のことをお思い出しになりながら、なかなか機嫌を直してくださらないのをお恨み申し上げなさって、その日はお過ごしになったので、お渡りになれず、寝殿にはお手紙を差し上げなさる。
二人が来た道を振り返ってお話しになりながら、恨みの解けぬふうな夫人をなだめて翌日はずっとそばを離れずにおいでになったあとでは、夜になっても宮のほうへお行きになれずに手紙だけをお送りになった。
6.6.13
今朝(けさ)(ゆき)心地(ここち)あやまりていと(なや)ましくはべれば、心安(こころやす)(かた)にためらひはべる」
「今朝の雪で気分を悪くして、とても苦しゅうございますので、気楽な所で休んでおります」
今暁(けさ)の雪に健康をそこねて苦しい気がしますから、気楽な所で養生をしようと思います。
6.6.14
とあり。
御乳母(おほんめのと)
とある。
御乳母は、
というのであった。乳母(めのと)の、
6.6.15 「さように申し上げました」
「そのとおりに申し上げました」
6.6.16 とだけ、口上で申し上げた。
という言葉を使いが聞いて来た。
6.6.17
(こと)なることなの御返(おほんかへ)りや」と(おぼ)す。
(ゐん)()こし()さむこともいとほし。
このころばかりつくろはむ」と(おぼ)せど、えさもあらぬを、さは(おも)ひしことぞかし。
あな(くる)」と、みづから(おも)(つづ)けたまふ。
「そっけないお返事だ」とお思いになる。
「院がお耳にあそばすこともおいたわしい。
しばらくの間は人前を取り繕う」とお思いになるが、そうもできないので、「それは思ったとおりだった。
ああ困ったことだ」と、ご自身お思い続けなさる。
平凡な返事であると院はお思いになった。朱雀(すざく)院がどうお思いになるかということが気がかりであるから、当分はあちらを立てるようにしておきたいと院はお思いになっても、実行に伴う苦痛が堪えがたく、なんということであろうと悲しんでおいでになった。
6.6.18
女君(をんなぎみ)も、(おも)ひやりなき御心(おほんこころ)かな」と、(くる)しがりたまふ。
女君も、「お察しのないお方だ」と、迷惑がりなさる。
夫人も、「あちらへ御同情心の欠けたことでございますよ」と言いつつ自分の立場を苦しんでいた。

第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答

6.7.1
今朝(けさ)は、(れい)のやうに大殿籠(おほとのご)もり()きさせたまひて(みや)御方(おほんかた)御文(おほんふみ)たてまつれたまふ。
ことに()づかしげもなき(おほん)さまなれど御筆(おほんふで)などひきつくろひて、(しろ)(かみ)
今朝は、いつものようにこちらでお目覚めになって、宮の御方にお手紙を差し上げなさる。
特別に気の張らないご様子であるが、お筆などを選んで、白い紙に、
次の日はこれまでのとおりに自室でお目ざめになって、宮の御殿へ手紙をお書きになるのであった。晴れがましくは少しもお思いにならぬ相手ではあったが、筆を選んで白い紙へ、
6.7.2 「わたしたちの仲を邪魔するほどではありませんが
降り乱れる今朝の淡雪にわたしの心も乱れています」
中道を隔つるほどはなけれども
心乱るる今朝(けさ)のあは雪
6.7.3
(むめ)()けたまへり。
人召(ひとめ)して、
梅の枝にお付けなさった。
人を呼び寄せて、
と書いて、梅の枝へお付けになった。侍をお呼びになって、
6.7.4 「西の渡殿から差し上げなさい」
「西の渡殿のほうから参って差し上げるように」
6.7.5
とのたまふ。
やがて見出(みい)だして、端近(はしちか)くおはします。
(しろ)御衣(おほんぞ)どもを()たまひて、(はな)をまさぐりたまひつつ、友待(ともま)(ゆき)」のほのかに(のこ)れる(うへ)うち()()(そら)(なが)めたまへり。
(うぐひす)(わか)やかに、(ちか)紅梅(こうばい)(すゑ)にうち()きたるを、
とおっしゃる。
そのまま外を見出して、端近くにいらっしゃる。
白い御衣類を何枚もお召しになって、花を玩びなさりながら、「友待つ雪」がほのかに残っている上に、雪の降りかかる空をながめていらっしゃった。
鴬が初々しい声で、軒近い紅梅の梢で鳴いているのを、
とお命じになった。そして院はそのまま縁に近い座敷で庭をながめておいでになった。白い服をお召しになって、梅の枝の残りを手にまさぐっておいでになるのである。仲間を待つ雪がほのかに白く残っている上に新しい雪も散っていた。若やかな声で(うぐいす)が近いところの紅梅の(こずえ)で鳴くのがお耳にはいって、
6.7.6 「袖が匂う」
(そで)こそ(にほ)へ」(折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鶯ぞ()く)
6.7.7
(はな)をひき(かく)して、御簾押(みすお)()げて(なが)めたまへるさま、(ゆめ)にも、かかる(ひと)(おや)にて、(おも)(くらゐ)()えたまはず(わか)うなまめかしき(おほん)さまなり。
と花を手で隠して、御簾を押し上げて眺めていらっしゃる様子は、少しも、このような人の親で重い地位のお方とはお見えでなく、若々しく優美なご様子である。
と口ずさんで、花をお持ちになった手を袖に引き入れながら、御簾(みす)を掲げて外を見ておいでになる姿は、ゆめにも院などという御位(みくらい)の方とは見えぬ若々しさである。
6.7.8
御返(おほんかへ)り、すこしほど()心地(ここち)すれば()りたまひて、女君(をんなぎみ)花見(はなみ)せたてまつりたまふ。
お返事が、少し暇どる感じなので、お入りになって、女君に花をお見せ申し上げなさる。
寝殿から来るお返事が手間どるふうであったから、院は居室(いま)のほうへおいでになって夫人に梅の花をお見せになった。
6.7.9
(はな)といはば、かくこそ(にほ)はまほしけれな
(さくら)(うつ)しては、また(ちり)ばかりも心分(こころわ)くる(かた)なくやあらまし」
「花と言ったら、このように匂いがあってよいものだな。
桜に移したら、少しも他の花を見る気はしないだろうね」
「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこの(かおり)があればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
6.7.10
などのたまふ。
などとおっしゃる。

6.7.11
これも、あまた(うつ)ろはぬほど、()とまるにやあらむ。
(はな)(さか)りに(なら)べて()ばや
「この花も、多くの花に目移りしないうちに咲くから、人目を引くのであろうか。
桜の花の盛りに比べてみたいものだ」
「この花もただ今でこそ唯一の花で、梅はよいものだと思われるのですよ。春の百花の盛りにほかのものと比較したらどうでしょうかしら」
6.7.12
などのたまふに、御返(おほんかへ)りあり。
(くれなゐ)薄様(うすやう)に、あざやかにおし(つつ)まれたるを、(むね)つぶれて、御手(おほんて)のいと(わか)きを、
などとおっしゃっているところに、お返事がある。
紅の薄様に、はっきりと包まれているので、どきりとして、ご筆跡のまことに幼稚なのを、
などと夫人が言っている時に、宮のお返事が来た。(あか)薄様(うすよう)に包まれたお(ふみ)が目にたつので院ははっとお思いになった。幼稚な宮の手跡は当分女王に隠しておきたい。
6.7.13
しばし()せたてまつらであらばや
(へだ)つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、(ひと)のほどかたじけなし」
「しばらくの間はお見せしないでおきたいものだ。
隠すというのではないが、軽々しく人に見せたら、身分柄恐れ多いことだ」
この人に隔て心はないがさげすむ思いをさせることがあっては宮の身分に対して済まない
6.7.14
(おぼ)すに、ひき(かく)したまはむも(こころ)おきたまふべければ、かたそば(ひろ)げたまへるを、しりめに()おこせて()()したまへり。
とお思いになると、お隠しになるというのもきっと気を悪くするだろうから、片端を広げていらっしゃるのを、横目で御覧になりながら、物に寄り臥していらっしゃった。
と院はお思いになるのであるが、隠しておしまいになることも夫人の不快がることであろうからと、半分は見せてもよいというようにお(ひろ)げになった(ふみ)を、女王は横目に見ながら横たわっていた。
6.7.15 「頼りなくて中空に消えてしまいそうです
風に漂う春の淡雪のように」
はかなくて(うは)の空にぞ消えぬべき
風に漂ふ春のあは雪
6.7.16
御手(おほんて)げにいと(わか)(をさな)げなり
さばかりのほどになりぬる(ひと)は、いとかくはおはせぬものを」と、()とまれど、()ぬやうに(まぎ)らはして、()みたまひぬ。
ご筆跡は、なるほどまことに未熟で幼稚である。
「これほどの年になった人は、とてもこんなではいらっしゃらないものを」と、目につくが、見ないふりをなさって、お止めになった。
文字は実際幼稚なふうであった。十五にもおなりになればこんなものではないはずであるがと目にとまらぬことでもなかったが、見ぬふりをしてしまった。
6.7.17
異人(ことひと)(うへ)ならばさこそあれ」などは、(しの)びて()こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、
他人のことならば、「こんなに下手な」などとは、こっそり申し上げなさるにちがいないのだが、気の毒で、ただ、
他の女性のことであれば批評的な言葉も院は口にせられたであろうが御身分に敬意をお払いになって、
6.7.18 「ご安心して、お思いなさい」
「あなたは安心していてよいとお思いなさいよ」
6.7.19
とのみ()こえたまふ。
とだけ申し上げなさる。
とだけ夫人に言っておいでになった。

第八段 源氏、昼に宮の方に出向く

6.8.1
今日(けふ)は、(みや)御方(おほんかた)昼渡(ひるわた)りたまふ
(こころ)ことにうち化粧(けさう)じたまへる(おほん)ありさま、今見(いまみ)たてまつる女房(にょうばう)などは、まして()るかひありと(おも)ひきこゆらむかし。
御乳母(おほんめのと)などやうの()いしらへる(ひと)びとぞ、
今日は、宮の御方に昼お渡りになる。
特別念入りにお化粧なさっているご様子、今初めて拝見する女房などは、宮以上に素晴らしいとお思い申し上げることであろう。
御乳母などの年とった女房たちは、
今日は昼間に宮のほうへおいでになった。特にきれいに化粧をお施しになった院のお美しさに、この日はじめて近づいた女房は興奮していた。老いた女房などの中には、
6.8.2
いでや。
この(おほん)ありさま一所(ひとところ)こそめでたけれめざましきことはありなむかし」
「さあ、どうでしょう。
このお一方はご立派ですが、癪にさわるようなことがきっと起こることでしょう」
なんといっても幸福な奥様はあちらのお一方だけで、宮は御不快な目にもおあいになるのであろう
6.8.3 と、嬉しいなかにも心配する者もいるのだった。
と、こんなことを思う者もあった。
6.8.4
女宮(をんなみや)は、いとらうたげに(をさな)きさまにて、(おほん)しつらひなどのことことしくよだけくうるはしきに、みづからは何心(なにごころ)もなく、ものはかなき(おほん)ほどにて、いと御衣(おほんぞ)がちに、()もなく、あえかなり。
ことに()ぢなどもしたまはず、ただ稚児(ちご)面嫌(おもぎら)ひせぬ心地(ここち)して、心安(こころやす)くうつくしきさましたまへり。
女宮は、たいそうかわいらしげに子供っぽい様子で、お部屋飾りなどが仰々しく、堂々と整然としているが、ご自身は無心に、頼りないご様子で、まったくお召し物に埋まって、身体もないかのように、か弱くいらっしゃる。
特に恥ずかしがりもなさらず、まるで子供が人見知りしないような感じがして、気の張らないかわいい感じでいらっしゃった。
姫宮は可憐(かれん)で、たいそうなお居間の装飾などとは調和のとれぬ何でもない無邪気な少女(おとめ)で、お召し物の中にうずもれておしまいになったような小柄な姿を持っておいでになるのである。格別恥ずかしがってもおいでにならない。人見知りをせぬ子供のようであつかいやすい気を院はお覚えになった。
6.8.5
(ゐん)(みかど)ををしくすくよかなる(かた)御才(おほんざえ)などこそ(こころ)もとなくおはしますと、世人思(よひとおも)ひためれ、をかしき(すぢ)なまめきゆゑゆゑしき(かた)は、(ひと)にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに()ほしたてたまひけむ。
さるは、いと御心(みこころ)とどめたまへる皇女(みこ)()きしを」
「院の帝は、男らしく理屈っぽい方面のご学問などは、しっかりしていらっしゃらないと、世間の人は思っていたようだが、趣味の方面では、優美で風雅なことでは、人一倍勝れていらっしゃったのに、どうして、このようにおっとりとお育てになったのだろう。
とはいえ、
朱雀(すざく)院は重い学問のほうは奥を(きわ)めておいでになると言われておいでにならないが、芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったか
6.8.6
(おも)ふも、なま口惜(くちを)しけれど、(にく)からず()たてまつりたまふ
と思うと、何やら残念な気がするが、それもかわいいと拝見なさる。
と院は残念な気もあそばされたのであるが、御愛情が起こらないのでもなかった。
6.8.7
ただ()こえたまふままになよなよとなびきたまひて、(おほん)いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ()でて、見放(みはな)たず()えたまふ
ただ申し上げるままに、柔らかくお従いになって、お返事なども、お心に浮かんだことは、何の考えもなくお口に出されて、とても見捨てられないご様子にお見えになる。
院のお言いになるままになってなよなよとおとなしい。お返辞なども習っておありになることだけは子供らしく皆言っておしまいになって、自発的には何もおできにならぬらしい。
6.8.8
(むかし)(こころ)ならましかばうたて心劣(こころおと)りせましを、(いま)は、()(なか)(みな)さまざまに(おも)ひなだらめて、
若いころの考えであったなら、嫌になってがっかりしたろうが、今では、世の中を人それぞれだと穏やかに考えて、
昔の自分であれば厭気(いやき)のさしてしまう相手であろうが、今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものに満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分であるから、
6.8.9
とあるもかかるも際離(きははな)るることは(かた)きものなりけり。
とりどりにこそ(おほ)うはありけれ、よその(おも)ひは、いとあらまほしきほどなりかし
「あれやこれやといろいろな女がいるが、飛び抜けて立派な女はいないものだなあ。
それぞれいろいろな特色があるものだが、はたから見れば、まったく申し分のない方なのだ」
これをすら妻の一人と見ることができる。第三者は自分のことを好適な配偶を得たと見ることであろう
6.8.10
(おぼ)すに、()(なら)目離(めか)れず()たてまつりたまへる(とし)ごろよりも、(たい)(うへ)(おほん)ありさまぞなほありがたく、われながらも()ほしたてけり」と(おぼ)す。
一夜(ひとよ)のほど、(あした)()も、(こひ)しくおぼつかなく、いとどしき御心(みこころ)ざしのまさるを、などかくおぼゆらむ」と、ゆゆしきまでなむ
とお思いになると、二人一緒にいつも離れずお暮らし申して来られた年月からも、対の上のご様子がやはり立派で、「自分ながらもよく教育したものだ」とお思いになる。
一晩の間、朝の間も、恋しく気にかかって、いっそうのご愛情が増すので、「どうしてこんなに思われるのだろう」と、不吉な予感までなさる。
とお考えになると、離れる日もなく見ておいでになった紫の女王(にょおう)の価値が今になってよくおわかりになる気がされて、御自身のお与えになった教育の成功したことをお認めにならずにはおられなかった。ただ一夜別れておいでになる翌朝の心はその人の恋しさに満たされ、しばらくして逢いうる時間がもどかしくお思われになって、院の愛はその人へばかり傾いていった。なぜこんなにまで思うのであろうかと院は御自身をお疑いになるほどであった。

第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る

6.9.1
(ゐん)(みかど)は、(つき)のうちに御寺(みてら)(うつ)ろひたまひぬ
この(ゐん)に、あはれなる御消息(おほんせうそこ)ども()こえたまふ。
姫宮(ひめみや)(おほん)ことはさらなり。
院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった。
こちらの院に、情のこもったお手紙を何度も差し上げなさる。
姫宮の御事は言うまでもない。
朱雀院はそのうちに御寺(みてら)へお移りになるのであって、このころは御親心のこもったお手紙をたびたび六条院へつかわされた。姫宮のことをお頼みになるお言葉とともに、
6.9.2
わづらはしく、いかに()くところやなど(はばか)りたまふことなくてともかくも、ただ御心(みこころ)にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび()こえたまひける。
されど、あはれにうしろめたく、(をさな)くおはするを(おも)ひきこえたまひけり。
気を遣って、どのように思うかなどと、遠慮なさることもなく、どうなりと、ただお心次第にお世話くださいますように、度々お申し上げなさるのであった。
けれども、身にしみて後ろ髪引かれる思いで、幼くていらっしゃるのを御心配申し上げなさるのでもあった。
自分がどう思うかと心にお置きになるようなことはないようにして、ともかくもお心にかけていてくださればよいという意味の仰せがあるのであった。そうは仰せられながらも御幼稚な宮がお気がかりでならぬ御様子が見えるお(ふみ)であった。
6.9.3
(むらさき)(うへ)にも、御消息(おほんせうそこ)ことにあり。
紫の上にも、お手紙が特別にあった。
紫夫人へもお手紙があった。
6.9.4
(をさな)(ひと)心地(ここち)なきさまにて(うつ)ろひものすらむを、(つみ)なく(おぼ)しゆるして、後見(うしろみ)たまへ。
(たづ)ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ
「幼い人が、何のわきまえもない有様でそちらへ参っておりますが、罪もないものと大目に見ていただき、お世話ください。
お心にかけてくださるはずの縁もあろうかと存じます。
幼い娘が、何を理解することもまだできぬままでそちらへ行っておりますが、邪気のないものとしてお許しになってお世話をおやきください。あなたには縁故がないわけでもないのですから。
6.9.5 捨て去ったこの世に残る子を思う心が
山に入るわたしの妨げなのです
そむきにしこの世に残る心こそ
入る山みちの(ほだし)なりけれ
6.9.6
(やみ)をえはるけで()こゆるも、をこがましくや」
親心の闇を晴らすことができずに申し上げるのも、愚かなことですが」
親の心の(やみ)を隠そうともしませんでこの手紙を差し上げるのもはばかり多く思われます。
6.9.7
とあり。
大殿(おとど)()たまひて、
とある。
殿も御覧になって、
というのであった。院も御覧になって、
6.9.8 「お気の毒なお手紙よ。
謹んでお承りした旨を差し上げなさい」
「御同情すべきお手紙ですから、あなたからも丁寧にお返事を書いておあげなさい」
6.9.9
とて、御使(おほんつかひ)にも、女房(にょうばう)して、土器(かはらけ)さし()でさせたまひて、しひさせたまふ。
御返(おほんかへ)りはいかが」など、()こえにくく(おぼ)したれど、ことことしくおもしろかるべき(をり)のことならねば、ただ(こころ)をのべて、
とおっしゃって、お使いにも、女房を通じて、杯をさし出させなさって、何杯もお勧めになる。
「お返事はどのように」などと、申し上げにくくお思いになったが、仰々しく風流めかすべき時のことでないので、ただ心のままを書いて、
こうお言いになって、そのお使いへは女房を出して酒をお勧めになった。「どう書いてよろしいのかわかりません。お返事がいたしにくうございます」と女王は言っていたが、言葉を飾る必要のある場合のお返事でもなかったから、ただ感じただけを、
6.9.10 「お捨て去りになったこの世が御心配ならば
離れがたいお方を無理に離れたりなさいますな」
そむく世のうしろめたくばさりがたき
(ほだし)()ひてかけなはなれそ
6.9.11 などというようにあったらしい。
こんな歌にして書いた。
6.9.12
(をんな)装束(さうぞく)に、細長添(ほそながそ)へてかづけたまふ。
御手(おほんて)などのいとめでたきを、院御覧(ゐんごらん)じて、(なに)ごともいと()づかしげなめるあたりにいはけなくて()えたまふらむこと、いと心苦(こころぐる)しう(おぼ)したり。
女の装束に、細長を添えてお与えになる。
ご筆跡などがとても立派なのを、院が御覧になって、万事気後れするほど立派なような所で、幼稚にお見えになるだろうこと、まことにお気の毒に、お思いになっていた。
女の装束に細長衣(ほそなが)を添えた纏頭(てんとう)をお使いへ出した。女王の書いたお返事の字のりっぱであるのを院は御覧になって、こんなにも物事の整った夫人もある六条院へ、一人の夫人となって幼稚な姫宮が行っておられることを心苦しく思召した。

第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋


第一段 源氏、朧月夜に今なお執心

7.1.1
(いま)はとて女御(にょうご)更衣(かうい)たちなど、おのがじし(わか)れたまふも、あはれなることなむ(おほ)かりける。
いよいよこれまでと、女御、更衣たちなど、それぞれお別れなさるのも、しみじみと悲しいことが多かった。
御出家の際に悲しがった女御(にょご)更衣(こうい)は院が御寺(みてら)へお移りになることによって、いよいよ散り散りにそれぞれの自邸へ帰るのであったが気の毒な人ばかりであった。
7.1.2
尚侍(ないしのかん)(きみ)は、故后(こきさい)(みや)のおはしましし二条(にでう)(みや)にぞ()みたまふ
姫宮(ひめみや)(おほん)ことをおきては、この(おほん)ことをなむかへりみがちに、(みかど)(おぼ)したりける。
(あま)になりなむと(おぼ)したれど、
尚侍の君は、故后の宮がいらっしゃった二条宮にお住まいになる。
姫宮の御事をおいては、この方の御事を気がかりに、院の帝もお思いになっていたのであった。
尼になってしまおうとお思いであったが、
尚侍(ないしのかみ)はお(かく)れになった皇太后がお住みになった二条の宮へはいって住むことになった。姫宮を心がかりに思召されたのに次いでは尚侍のことを院の帝は顧みがちにされた。尼になりたい希望を前尚侍は持っていたが、
7.1.3 「そのように競って出家したのでは、後を追うようで気ぜわしいから」
この際それを実行するのは、人を慕って出家をすることで、悟った人のすることでない
7.1.4
(いさ)めたまひて、やうやう(ほとけ)(おほん)ことなどいそがせたまふ
と、お止めになって、だんだんと仏道の御事などをご準備おさせになる。
と院は御忠告をあそばして、ひたすら御自身の御寺の仏像の製作を急がせておいでになった。
7.1.5
六条(ろくでう)大殿(おとど)は、あはれに()かずのみ(おぼ)してやみにし(おほん)あたりなれば、(とし)ごろも(わす)れがたく、
六条の大殿は、いとしく飽かぬ思いのままに別れてしまったお方の事なので、長年忘れがたく、
六条院はこの朧月夜(おぼろづきよ)の前尚侍と飽かぬ別れをあそばされたまま、今もその時に続いて長い恋をしておいでになり、
7.1.6
いかならむ(をり)対面(たいめん)あらむ
今一(いまひと)たびあひ()て、その()のことも()こえまほしく」のみ(おぼ)しわたるを、かたみに()()(みみ)(はばか)りたまふべき()のほどに、いとほしげなりし()(さわ)ぎなども(おぼ)()でらるれば、よろづにつつみ()ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて()(なか)(おも)ひしづまりたまふらむころほひの(おほん)ありさまいよいよゆかしく、(こころ)もとなければ、あるまじきこととは(おぼ)しながら、おほかたの(おほん)とぶらひにことつけて、あはれなるさまに(つね)()こえたまふ。
「どのような時に会えるだろう。
もう一度お会いして、その当時の事もお話申し上げたい」と、ばかりお思い続けていらっしゃったが、お互いに世間の噂も遠慮なさらねばならないご身分であるし、お気の毒に思った当時の騷動なども、お思い出さずにはいらっしゃれないので、何事も心に秘めてお過ごしになったが、このようにのんびりとしたお身になられて、世の中を静かに御覧になっていらっしゃるこのごろのご様子を、ますますお会いしたく、気になってならないので、あってはならないこととはお思いになりながら、通例のお見舞いにかこつけて、心をこめた書きぶりで始終お便りを差し上げなさる。
どんな機会にまた()うことができよう、今一度は逢って、その時の血のにじむほど苦しかった心をその人に告げたいと思召されるのであったが、双方とも世間の評のはばかられる身の上でもおありになって、女のためにも重い傷手(いたで)を負わせたあの騒動をお思いになると、積極的な御行動は取れないで院は忍んでおいでになったのであるが、朱雀(すざく)院ともお別れして閑散な独身生活にはいっているそのこと自身がお心を()いて、お逢いになりたくてならないのであった。あるまじいこととはお思いになりながら、ただ友情による手紙と見せて、忘れえぬ熱情をお()らしになることがたびたびになった。
7.1.7
若々(わかわか)しかるべき(おほん)あはひならねば、御返(おほんかへ)りも時々(ときどき)につけて()こえ()はしたまふ。
(むかし)よりもこよなくうち()し、ととのひ()てにたる(おほん)けはひを()たまふにも、なほ(しの)びがたくて、(むかし)中納言(ちゅうなごん)(きみ)のもとにも心深(こころふか)きことどもを(つね)にのたまふ。
若い者どうしの色恋めいた間柄でもないので、お返事も時に応じてやりとりなさっていらっしゃる。
若いころよりも格段に何もかもそなわって、すっかり円熟していらっしゃるご様子を御覧になるにつけても、やはり堪えがたくて、昔の中納言の君の許にも、切ない気持ちをいつもおっしゃる。
もう青春の男女のように、危険がる必要もないと思っては時々お返事も前尚侍は出した。昔に増してあらゆる点の完成されつつある跡の見える朧月夜の君の手紙がいっそうの魅力になって、昔の中納言の君の所へも、二人の逢う道を開かせようとする手紙を院は常に書いておいでになった。

第二段 和泉前司に手引きを依頼

7.2.1
かの(ひと)(せうと)なる和泉(いづみ)(さき)(かみ)()()せて若々(わかわか)しく、いにしへに(かへ)りて(かた)らひたまふ。
その人の兄に当たる和泉前司を招き寄せて、若々しく、昔に返って相談なさる。
その女の兄である前和泉守(いずみのかみ)をお呼び寄せになっては、若い日へお帰りになったような相談をされた。
7.2.2
人伝(ひとづ)てならで物越(ものご)しに()こえ()らすべきことなむある。
さりぬべく()こえなびかして、いみじく(しの)びて(まゐ)らむ。
「人を介してではなく、直接物越しに申し上げねばならないことがある。
しかるべく申し上げご承知いただいた上で、たいそうこっそりと参上したい。
「取り次ぎをもって話をするようなことでなく、そして直接といっても物越しでいいのだが話さねばならぬ用が私にあるのだ。尚侍の承諾を得るようにしてくれれば、私はそっと(たず)ねて行く。
7.2.3 今は、そのような忍び歩きも、窮屈な身分で、並々ならず秘密のことなので、そなたも他の人にはお漏らしなさるまいと思うゆえ、お互いに安心だ」
今はもう絶対にそんなこともできない身の上になっている私が、そうしようと思うのだから、あちらでも秘密にしていただけるだろうと安心はしている」
7.2.4
とのたまふ。
尚侍(かん)(きみ)
とおっしゃる。
尚侍の君は、
そのお話を中納言の君から聞いた時に、尚侍は、
7.2.5
いでや。
()(なか)(おも)()るにつけても、(むかし)よりつらき御心(みこころ)を、ここら(おも)ひつめつる(とし)ごろの()てに、あはれに(かな)しき(おほん)ことをさし()きていかなる昔語(むかしがた)りをか()こえむ。
「さてどうしたものだろう。
世間の事が分かって来たにつけても、昔から薄情なお心を、幾度も味わわされて来た長の年月の果てに、しみじみと悲しい御事をさしおいて、どのような昔話をお話し申し上げられようか。
「それは必要のない会見よ。私はもうあの時のような幼稚な心で人生を見ていない。昔から真実の欠けた愛しか私には持ってくださらなかった方の御誘惑などに今さらかからない。お気の毒な御生活に法皇様をお置きして、あの方とする昔の話など私にはない。
7.2.6
げに、(ひと)()()かぬやうありとも、(こころ)()はむこそいと()づかしかるべけれ
なるほど、他人は漏れ聞かないようにしたところで、良心に聞かれたら恥ずかしい気がするに違いない」
お言葉どおり秘密にはするとしても私自身の心に恥ずかしいことではないか」
7.2.7
とうち(なげ)きたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみ()こゆ。
と嘆息をなさりながら、やはり、会うことはできない旨だけを申し上げる。
歎息(たんそく)して、なおそういうことは思いもよらぬことであるというお返事ばかりをしていた。

第三段 紫の上に虚偽を言って出かける

7.3.1
いにしへ、わりなかりし()にだに心交(こころか)はしたまはぬことにもあらざりしを。
げに、(そむ)きたまひぬる(おほん)ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、(いま)しもけざやかにきよまはりて、()ちにしわが()(いま)さらに()(かへ)したまふべきにや
「昔、逢瀬も難しかった時でさえ、お心をお通わしなさらないでもなかったものを。
なるほど、ご出家なさったお方に対しては後ろ暗い気はするが、昔なかった事でもないのだから、今になって綺麗に潔白ぶっても、立ってしまった自分の浮名は、今さらお取り消しになることができるものでもあるまい」
すべてのものを無視して、苦しい中で愛し合った二人ではないか、出家をあそばされた院に対してやましいことではあるが、かつてなかったことではない関係なのだから、今になって清浄がっても昔の浮き名をあの人が取り返すことはできないのだ
7.3.2
(おぼ)()こして、この信太(しのだ)(もり)(みち)のしるべにて()うでたまふ。
女君(をんなぎみ)には
と、お思い起こして、この信太の森の和泉前司を道案内にしてお出かけになる。
女君には、
と、こう院はお思いになって、にわかにこの和泉守を案内役として朧月夜の尚侍の二条の宮を訪ねる決心を院はあそばされたのであった。夫人の女王へは、
7.3.3
(ひんがし)(ゐん)にものする常陸(ひたち)(きみ)の、()ごろわづらひて(ひさ)しくなりにけるを、もの(さわ)がしき(まぎ)れに(とぶ)らはねば、いとほしくてなむ。
(ひる)など、けざやかに(わた)らむも便(びん)なきを、()()(しの)びてとなむ、(おも)ひはべる。
(ひと)にもかくとも()らせじ」
「東の院にいらっしゃる常陸の君が、このところ久しく患っていましたのに、何かと忙しさに取り紛れて、お見舞いもしなかったので、お気の毒に思っております。
昼間など、人目に立って出かけるのも不都合なので、夜の間にこっそりと、思っております。
誰にもそうとは知らせまい」
「東の院にいる常陸(ひたち)の宮の女王がずっと病気をしておられるのですが、ここの取り込みに紛れて見舞ってあげなかったのがかわいそうなのだが、昼間は人目に立ってよろしくないから夜になってから出かけてみようと思います。だれにも知らせないことだからそのつもりにしておくのですよ」
7.3.4 と申し上げなさって、とてもたいそう改まった気持ちでいらっしゃるのを、いつもはそれほどまでにはお思いでない方を、妙だ、と御覧になって、お思い当たりなさることもあるが、姫宮の御事の後は、どのような事も、まったく昔のようにではなく、少し隔て心がついて、見知らないようにしていらっしゃる。
と、お言いになって、院は外出の化粧におかかりになったが、ただ事とは思われなかった。平生はそんなにしてお行きになる所ではないのであるから夫人は不審をいだいたが、思い合わされることもないではないのを、女三(にょさん)(みや)がおいでになってからは、以前のように思うことをすぐに言う習慣も女王は改めていて、素知らぬふうを作っているのであった。

第四段 源氏、朧月夜を訪問

7.4.1
その()は、寝殿(しんでん)へも(わた)りたまはで御文書(おほんふみか)()はしたまふ。
()(もの)などに(こころ)()れて()らしたまふ。
その日は、寝殿へもお渡りにならず、お手紙だけを書き交わしなさる。
薫物などを念入りになさって一日中お過ごしになる。
この日は寝殿へもお行きにならないでただ手紙をお書きかわしになっただけである。熱心に薫香(たきもの)の香を(そで)につけて、
7.4.2
宵過(よひす)ぐして、(むつ)ましき(ひと)(かぎ)り、()五人(ごにん)ばかり、網代車(あじろぐるま)の、(むかし)おぼえてやつれたるにて()でたまふ。
和泉守(いづみのかみ)して、御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。
かく(わた)りおはしましたるよし、ささめき()こゆれば、(おどろ)きたまひて、
宵が過ぎるのを待って、親しい者ばかり、四、五人ほどで、網代車の、昔を思い出させる粗末なふうで、お出かけになる。
和泉守を遣わして、ご挨拶を申し上げなさる。
このようにいらっしゃった旨、小声で申し上げると、驚きなさって、
院は日の暮れるのを待っておいでになった。そしてきわめて親しい人を四、五人だけおつれになり、昔の微行(しのびあるき)に用いられた簡単な網代車(あじろぐるま)でお出かけになった。六条院のおいでになったことが伝えられると、
7.4.3 「変だこと。
どのようにお返事申し上げたのだろうか」
「どうしてでしょう。私のお返事をどう聞き違えて申し上げたのだろう」
7.4.4
とむつかりたまへど、
とご機嫌が悪いが、
尚侍は機嫌(きげん)を悪くしたが、
7.4.5
をかしやかにて(かへ)したてまつらむに、いと便(びん)なうはべらむ」
「気を持たせるようにしてお帰し申すのは、たいそう不都合でございましょう」
「いいかげんな口実を作りましてお帰しいたすことなどはもったいないことでございましょう」
7.4.6
とて、あながちに(おも)ひめぐらして、()れたてまつる。
(おほん)とぶらひなど()こえたまひて、
と言って、無理に工夫をめぐらして、お入れ申し上げる。
お見舞いの言葉などを申し上げなさって、
と中納言の君は言って、無理な計らいまでして院を座敷へ御案内してしまった。院は見舞いの挨拶(あいさつ)などをお取り次がせになったあとで、
7.4.7
ただここもとに物越(ものご)しにても。
さらに(むかし)あるまじき(こころ)などは(のこ)らずなりにけるを」
「ただここまでお出ください、几帳越しにでも。
まったく昔のけしからぬ心などは、無くなったのですから」
「ただここに近い所へまで出てくだすって、物越しでもお話しくださいませんか。今日はもう昔のような不都合なことをする心を持っていませんから」
7.4.8
と、わりなく()こえたまへば、いたく(なげ)(なげ)くゐざり()でたまへり。
と、切々と訴え申し上げなさるので、ひどく溜息をつきながらいざり出ていらっしゃった。
こう切に仰せられるので、尚侍はひどく歎息(たんそく)をしながら膝行(いざっ)て出た。
7.4.9 「案の定だ。
やはり、すぐに靡くところは」
だからこの人は軽率なのである
7.4.10
と、かつ(おぼ)さる。
かたみに、おぼろけならぬ(おほん)みじろきなればあはれも(すく)なからず。
(ひんがし)(たい)なりけり
辰巳(たつみ)(かた)(ひさし)()ゑたてまつりて、御障子(みさうじ)のしりばかりは(かた)めたれば、
と、一方ではお思いになる。
お互いに、知らないではない相手の身動きなので、感慨も浅からぬものがある。
東の対だったのだ。
辰巳の方の廂の間にお座りいただいて、御障子の端だけは固くとめてあるので、
と、満足を感じながらも院は批評をしておいでになった。これは二人にとって絶えて久しい場面であった。遠い世の思い出が女の心によみがえらないことでもないのである。東の対であった。東南の端の座敷に院はおいでになって、隣室の尚侍のいる所との間の襖子(からかみ)には懸金(かねがね)がしてあった。
7.4.11 「とても若い者のような心地がしますね。
あれからの年月の数をも、間違いなく数えられるほど思い続けているのに、このように知らないふりをなさるのは、たいそう辛いことです」
「何だか若者としての御待遇を受けているようで、これでは心が落ち着かないではありませんか。あれからどれだけの年月、日は幾つたつということまでも忘れない私としては、あなたのこの冷たさが恨めしく思われてなりませんよ」
7.4.12
(うら)みきこえたまふ。
とお恨み申し上げなさる。
と、院はお恨みになった。

第五段 朧月夜と一夜を過ごす

7.5.1
()いたく()けゆく。
玉藻(たまも)(あそ)鴛鴦(をし)声々(こゑごゑ)などあはれに()こえて、しめじめと人目少(ひとめすく)なき(みや)(うち)のありさまも、さも(うつ)りゆく()かな」と(おぼ)(つづ)くるに、平中(へいちゅう)がまねならねどまことに(なみだ)もろになむ。
(むかし)()はりて、おとなおとなしくは()こえたまふものから、「これをかくてや」と、()(うご)かしたまふ。
夜はたいそう更けて行く。
玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが、しみじみと聞こえて、ひっそりと人の少ない宮邸の中の様子を、「こうも変わってしまう世の中だな」とお思い続けると、平中の真似ではないが、ほんとうに涙が出てしまう。
昔に変わって、落ち着いて申し上げなさる一方で、「この隔てをこのままでいられようか」と、引き動かしなさる。
夜はふけにふけてゆく。池の鴛鴦(おしどり)の声などが哀れに聞こえて、しめっぽく人けの少ない宮の中の空気が身にお感じられになり、人生はこんなに早く変わってしまうものかと昔の栄華の跡の(やしき)がお思われになると、女の心を動かそうとして(うそ)泣きをした平仲(へいちゅう)ではなくて真実の涙のこぼれるのをお覚えになった。昔に変わってあせらず老成なふうに恋を説きながら、「これはいつまでもこのままにしておくことになるのですか」と言って、襖子を引き動かしたまうのであった。
7.5.2 「長の年月を隔ててやっとお逢いできたのに
このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます」
年月を中に隔てて逢坂(あふさか)
さもせきがたく落つる涙か
7.5.3 女、
院がこうお言いになっても、
7.5.4 「涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても
お逢いする道はとっくに絶え果てました」
涙のみせきとめがたき清水(しみづ)にて
行き逢ふ道は早く絶えにき
7.5.5
などかけ(はな)れきこえたまへど、いにしへを(おぼ)()づるも、
などとまったくお受け付けにならないが、昔をお思い出しなさると、
というようなかけ離れた返辞を女はするにすぎなかったが、昔を思っては
7.5.6
()れにより(おほ)うはさるいみじきこともありし()(さわ)ぎぞは」と(おも)()でたまふに、げに、今一(いまひと)たびの対面(たいめん)はありもすべかりけり」
「誰のせいで、あのような大変なことが起こり世の騷ぎもあったのか、この自分のせいではなかったか」とお思い出しなさると、「なるほど、もう一度会ってもいい事だ」
だれが原因になってこの方は遠い国に漂泊(さすら)っておいでになったか、一人で罪をお負いになったこの方に、冷たい賢がった女にだけなって逢っていて済むだろうか
7.5.7
と、(おぼ)(よわ)るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし(ひと)の、(とし)ごろは、さまざまに()(なか)(おも)()り、()(かた)(くや)しく、公私(おほやけわたくし)のことに()れつつ、(かず)もなく(おぼ)(あつ)めて、いといたく()ぐしたまひにたれど、(むかし)おぼえたる御対面(おほんたいめん)その()のことも(とほ)からぬ心地(ここち)して、心強(こころづよ)くももてなしたまはず。
と、気弱におなりになるのも、もともと重々しい所がおありでなかった方で、この何年かは、あれこれと愛情の問題も分かるようになり、過去を悔やまれて、公事につけ私事につけ、数えきれないほど物思いが重なって、とてもたいそう自重してお過ごしなさって来たのだが、昔が思い出されるご対面に、その当時の事もそう遠くない心地がして、いつまでも気強い態度をおとりになれない。
朧月夜(おぼろづきよ)尚侍(ないしのかみ)の心は弱く傾いていった。もとから重厚な所の少ない性質のこの人は、源氏の君から離れていた年月の間昔の軽率を後悔していたし、清算のできた気にもなっていたのであるが、昔のとおりなような夜が眼前に現われてきて、その時と今の間にあった時がにわかに短縮された気のするままに、初めの態度は取り続けられなくなった。
7.5.8
なほ、らうらうじく、(わか)うなつかしくて一方(ひとかた)ならぬ()のつつましさをもあはれをも(おも)(みだ)れて、(なげ)きがちにてものしたまふけしきなど、今始(いまはじ)めたらむよりもめづらしくあはれにて、()けゆくもいと口惜(くちを)しくて、()でたまはむ(そら)もなし。
昔に変わらず、洗練されて、若々しく魅力的で、並々でない世間への遠慮も思慕も、思い乱れて、溜息がちでいらっしゃるご様子など、今初めて逢った以上に新鮮で心が動いて、夜が明けて行くのもまことに残念に思われて、お帰りになる気もしない。
やはり最も(えん)貴女(きじょ)としてなお若やかな尚侍を院は御覧になることができたのであった。世に対し、人に対してはばかる煩悶(はんもん)が見えて歎息(たんそく)をしがちな尚侍を、今初めて得た恋人よりも珍しくお思いになり、海のような愛の()くのを院はお覚えになった。夜の明けていくのが惜しまれて院は帰って行く気が起こらない。

第六段 源氏、和歌を詠み交して出る

7.6.1
(あさ)ぼらけのただならぬ(そら)百千鳥(ももちどり)(こゑ)もいとうららかなり
(はな)皆散(みなち)()ぎて、名残(なごり)かすめる(こずゑ)浅緑(あさみどり)なる木立(こだち)(むかし)(ふぢ)(えん)したまひし、このころのことなりけりかし」と(おぼ)()づる、年月(としつき)()もりにけるほども、その(をり)のこと、かき(つづ)けあはれに(おぼ)さる。
朝ぼらけの美しい空に、百千鳥の声がとてもうららかに囀っている。
花はみな散り終わって、その後に霞のかかった梢が浅緑の木立に、「昔、藤の宴をなさったのは、今頃の季節であったな」とお思い出される、あれからずいぶん歳月の過ぎ去った事も、その当時の事も、次から次へとしみじみと思い出される。
朝ぼらけの艶な空からは小鳥の声がうららかに聞こえてきた。花は皆散った春の暮れで、浅緑にかすんだ庭の木立ちをおながめになって、この家で昔藤花(とうか)の宴があったのはちょうどこのころのことであったと院はみずからお言いになったことから、昔と今の間の長いことも考えられ、青春の日が恋しく、現在のことが身に()んでお思われになった。
7.6.2
中納言(ちゅうなごん)(きみ)()たてまつり(おく)るとて、妻戸押(つまどお)()けたるに、()(かへ)りたまひて
中納言の君、お見送り申し上げるために、妻戸を押し開けたが、立ち戻りなさって、
中納言の君がお見送りをするために妻戸をあけてすわっている所へ、いったん外へおいでになった院が帰って来られて、
7.6.3
この(ふぢ)よ。
いかに()めけむ(いろ)にか
なほ、えならぬ心添(こころそ)(にほ)ひにこそ。
いかでか、この(かげ)をば()(はな)べき」
「この藤の花よ。
どうしてこのように美しく染め出して咲いているのか。
やはり、何とも言えない風情のある色あいだな。
どうして、この花蔭を離れることができようか」
「この(ふじ)と私は深い因縁のある気がする。どんなにこの花は私の心を()くか知っていますか。私はここを去って行くことができないよ」
7.6.4
と、わりなく()でがてに(おぼ)しやすらひたり。
と、どうしても帰りにくそうにためらっていらっしゃった。
こうお私語(ささやき)になったままで、なお花をながめて立ち去ろうとはなされないのであった。
7.6.5
山際(やまぎは)よりさし()づる()はなやかなるにさしあひ、()もかかやく心地(ここち)する(おほん)さまの、こよなくねび(くは)はりたまへる(おほん)けはひなどを、めづらしくほど()ても()たてまつるはまして()(つね)ならずおぼゆれば、
築山の端からさし昇ってくる朝日の明るい光に映えて、目も眩むように美しいお姿が、年とともにこの上なくご立派におなりになったご様子などを、久し振りに拝見するのは、いよいよ世の常の人とは思われない気がするので、
山から出た日のはなやかな光が院のお姿にさして目もくらむほどお美しい。この昔にもまさった御風采(ふうさい)を長く見ることのできなかった尚侍が見て、心の動いていかないわけはないのである。
7.6.6
さる(かた)にてもなどか()たてまつり()ぐしたまはざらむ。
御宮仕(おほんみやづか)へにも(かぎ)りありて、(きは)ことに(はな)れたまふこともなかりしを
故宮(こみや)の、よろづに(こころ)()くしたまひ、よからぬ()(さわ)ぎに、軽々(かろがろ)しき御名(おほんな)さへ(ひび)きてやみにしよ」
「ご一緒になって、どうしてお暮らしにならなかったのだろうか。
御宮仕えにも限度があって、特別のご身分になられることもなかったのに。
故宮が、万事にお心を尽くしなさって、けしからぬ世の騷ぎが起こって、軽々しいお噂まで立って、それきりになってしまったことだわ」
過失のあったあとでは後宮に侍してはいても、表だった(きさき)の位には上れない運命を負った自分のために、姉君の皇太后はどんなに御苦労をなすったことか、あの事件を起こして永久にぬぐえない悪名までも取るにいたった因縁の深い源氏の君である
7.6.7
など(おも)()でらる。
名残多(なごりおほ)(のこ)りぬらむ御物語(おほんものがたり)のとぢめには、げに(のこ)りあらせまほしきわざなめるを、御身(おほんみ)(こころ)にえまかせたまふまじくここらの人目(ひとめ)もいと(おそ)ろしくつつましければ、やうやうさし()がり()くに、(こころ)あわたたしくて(らう)()御車(みくるま)さし()せたる(ひと)びとも(しの)びて(こわ)づくりきこゆ
などと思い出される。
尽きない思いが多く残っているだろうお話の終わりは、なるほど後を続けたいものであろうが、御身を、お心のままにおできになれず、大勢の人目に触れることもたいそう恐ろしく遠慮もされるので、だんだん日が上って行くので、気がせかれて、廊の戸に御車をつけ寄せた供人たちも、そっと催促申し上げる。
などとも尚侍は思っていた。名残(なごり)の尽きぬ会見はこれきりのことにさせたくないことではあるが、今日の六条院が恋の微行(しのびあるき)などを続いて軽々しくあそばされるものでもないと思われた。院はこの(やしき)における人目も恐ろしく思召(おぼしめ)されたし、日が(のぼ)っていくのにせきたてられるお気持ちも覚えておいでになった。廊の戸口の下へ車が着けられて、供の人たちもひそかなお促し声もたてた。
7.6.8
人召(ひとめ)して、かの()きかかりたる(はな)一枝折(ひとえだを)らせたまへり。
人を呼んで、あの咲きかかっている藤の花、一枝折らさせなさった。
院は庭にいた者に長くしだれた藤の花を一枝お折らせになった。
7.6.9 「須磨に沈んで暮らしていたことを忘れないが
また懲りもせずにこの家の藤の花に、
沈みしも忘れぬものを懲りずまに
身も投げつべき宿の藤波
7.6.10
いといたく(おぼ)しわづらひて、()りゐたまへるを、心苦(こころぐる)しう()たてまつる
女君(をんなぎみ)も、(いま)さらにいとつつましく、さまざまに(おも)(みだ)れたまへるに、(はな)(かげ)は、なほなつかしくて
とてもひどく思い悩んでいらっしゃって、物に寄り掛かっていらっしゃるのを、お気の毒に拝し上げる。
女君も、今さらにとても遠慮されて、いろいろと思い乱れていらっしゃるが、藤の花は、やはり慕わしくて、
と歌いながら院はお悩ましいふうで戸口によりかかっておいでになるのを、中納言の君はお気の毒に思っていた。尚侍は再び作られた関係を恥じて思い乱れているのであったが、やはり恋しく思う心はどうすることもできないのである。
7.6.11 「身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから
性懲りもなくそんな偽りの波に誘われたりしません」
身を投げん(ふち)もまことの淵ならで
()けじやさらに懲りずまの波
7.6.12
いと(わか)やかなる御振(おほんふ)()ひを、(こころ)ながらもゆるさぬことに(おぼ)しながら、関守(せきもり)(かた)からぬたゆみにや、いとよく(かた)らひおきて()でたまふ。
とても若々しいお振る舞いを、ご自分ながらも良くないこととお思いになりながら、関守が固くないのに気を許してか、たいそうよく後の逢瀬を約束してお帰りになる。
と女は言った。青年がするような行動を院は御自身も肯定できなくお思いになるのであるが、女の情熱の冷却してはいないことがうれしくて、またの会合を遂げうるようによく語っておゆきになった。
7.6.13
そのかみも、(ひと)よりこよなく(こころ)とどめて(おも)うたまへりし御心(みこころ)ざしながら、はつかにてやみにし御仲(おほんなか)らひには、いかでかはあはれも(すく)なからむ
その昔も、誰にも勝ってご執心でいらっしゃったご愛情であるが、わずかの契りで終わってしまったお二人の仲なので、どうして愛情の浅いことがあろうか。
昔も多くの中のすぐれた志で愛しておいでになりながら、やむなくお別れになった仲に、この一夜があったあとのお心はその人へ強くお()かれにならぬわけもない。

第七段 源氏、自邸に帰る

7.7.1
いみじく(しの)()りたまへる御寝(おほんね)くたれのさまを()()けて、女君(をんなぎみ)さばかりならむ心得(こころえ)たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。
なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦(こころぐる)しくなど、かくしも見放(みはな)ちたまへらむ」と(おぼ)さるれば、ありしよりけに(ふか)(ちぎ)りをのみ、(なが)()をかけて()こえたまふ。
たいそう人目を忍んで入って来られたその寝乱れ髪の様子を待ち受けて、女君、そんなことだろうと、お悟りになっていたが、気づかないふりをしていらっしゃる。
なまじやきもちを焼いたりなどなさるよりも、お気の毒で、「どうして、このように見放していられるのだろうか」と思わずにはいらっしゃれないので、以前よりもいっそう強い愛情を、永遠に変わらないことをお誓い申し上げなさる。
院は非常に静かに忍んで自室へおはいりになった。こうした女の所からのお帰り姿を見て、相手は尚侍あたりであろうと、夫人には想像されるのであったが、気のつかぬふうをしていた。かえって(ねた)みを表へ出すことよりもこれを院は苦しくお思いになって、なぜこうまで妻を冷淡にあつかったのであろうと歎息がされ、以前にまさった熱情をもって永久に変わらぬ愛を語ろうとあそばされるのに言葉を尽くしておいでになった。
7.7.2
尚侍(かん)(きみ)(おほん)ことも、また()らすべきならねど、いにしへのことも()りたまへれば、まほにはあらねど、
尚侍の君の御事も、他に漏らしてよいことではないが、昔のこともご存知でいらっしゃるので、ありのままではないが、
尚侍との間に復活させた情事は()らすべき性質のものではないのであるが、昔のこともくわしく知っている女王(にょおう)であったから、今度のことも真実のことまではお言いにならなかったが、
7.7.3
物越(ものご)しに、はつかなりつる対面(たいめん)なむ(のこ)りある心地(ここち)する。
いかで人目咎(ひとめとが)めあるまじくもて(かく)しては今一(いまひと)たびも」
「物越しに、ほんのちょっとお会いしましたので、物足りない気が致しています。
何とか人に見咎められないように秘密にして、もう一度だけでも」
「物越しでやっと逢ってもらっただけでは心が残ってならない。人目を上手(じょうず)に繕ってもう一度だけは逢いたい人だ」
7.7.4
と、(かた)らひきこえたまふ
うち(わら)ひて、
と、打ち明けて申し上げなさる。
軽く笑って、
とくらいにお話しになった。女王は笑って、
7.7.5
(いま)めかしくもなり(かへ)(おほん)ありさまかな。
(むかし)(いま)(あらた)(くは)へたまふほど中空(なかぞら)なる()のため(くる)しく」
「ずいぶん若返ったご様子ですこと。
昔の恋を今さらむし返しなさるので、どっちつかずのよるべのないわたしには辛くて」
「お若返りにばかりなりますわね。昔を今にまた新しくお加えになっては、いよいよ私の影は薄くばかりなります」
7.7.6
とて、さすがに(なみだ)ぐみたまへるまみの、いとらうたげに()ゆるに
とおっしゃって、そうはいうものの涙ぐんでいらっしゃる目もとが、とてもおいたわしく見えるので、
と言いながらも、涙ぐんだ目をしているのが可憐(かれん)であった。
7.7.7
かう心安(こころやす)からぬ()けしきこそ(くる)しけれ。
ただおいらかに()()みなどして、(をし)へたまへ。
(へだ)てあるべくも、ならはしきこえぬを、(おも)はずにこそなりにける御心(みこころ)なれ」
「このようにご機嫌の悪いご様子が辛いことです。
いっそ素直に抓るなりなさって、叱ってください。
他人行儀に思うこともおっしゃらないふうには、今までお仕向けしてこなかったのに、心外なお気持ちになってしまわれたお心ですね」
「いつもそんなふうに、寂しそうにばかりあなたがするから、私はたまらなく苦しくなる。もっと荒削りに、私を打つとか(ひね)るとかして懲らしてくれたらどうですか。あなたにそうした水くさい態度をとらせるようには暮らして来なかったはずだが、妙にあなたは変わってしまいましたね」
7.7.8
とて、よろづに御心(みこころ)とりたまふほどに、(なに)ごとも(のこ)したまはずなりぬめり
とおっしゃって、いろいろとご機嫌をお取りになるうちに、何もかも残らず白状なさってしまったようである。
などとも言って、機嫌(きげん)をお取りになるうちには前夜の真相も打ちあけて話しておしまいになることになった。
7.7.9
(みや)御方(おほんかた)にも、とみにえ(わた)りたまはず、こしらへきこえつつおはします
姫宮(ひめみや)は、(なに)とも(おぼ)したらぬを、御後見(おほんうしろみ)どもぞ(やす)からず()こえける
わづらはしうなど()えたまふけしきならば、そなたもまして心苦(こころぐる)しかるべきを、おいらかにうつくしきもて(あそ)びぐさに(おも)ひきこえたまへり
宮の御方にも、すぐにはお行きになることができずに、あれこれとおなだめ申してお過ごしになる。
姫宮は、何ともお思いにならないが、ご後見人たちはご不満申し上げてるのであった。
うるさいお方と思われなさるようなことであったら、あちらもこちら以上にお気の毒なはずだが、おっとりとしてかわいらしいお相手のようにお思い申し上げていらっしゃった。
姫宮のほうへお出かけにならずに、夫人をなだめるのに終日かかっておいでになった。それを宮は何ともお思いにならないのであるが、乳母たちだけは不快がっていろいろと言っていた。嫉妬(しっと)をお持ちになる傾向が宮にもあれば院はまして苦しい立場になるのであるが、おっとりとした少女(おとめ)の宮を、人形のように気楽にお扱いになることはできるのであった。

第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感


第一段 明石姫君、懐妊して退出

8.1.1
桐壺(きりつぼ)御方(おほんかた)うちはへえまかでたまはず
御暇(おほんいとま)のありがたければ、心安(こころやす)くならひたまへる(わか)御心(みこころ)いと(くる)しくのみ(おぼ)したり。
桐壷の御方は、ずっと長いこと退出なさっていない。
御暇が出そうにもないので、今までお気楽に過ごして来られたお若い年頃の方ゆえ、とても辛くばかり思っていらっしゃった。
東宮へ上がっておいでになる桐壺(きりつぼ)の方は退出を長く東宮がお許しにならぬので、姫君時代の自由が恋しく思われる若い心にはこれを苦しくばかり思うのであった。
8.1.2
(なつ)ごろ、(なや)ましくしたまふをとみにも(ゆる)しきこえたまはねば、いとわりなしと(おぼ)す。
めづらしきさまの御心地(みここち)にぞありける
まだいとあえかなる(おほん)ほどにいとゆゆしくぞ、()れも()れも(おぼ)すらむかし
からうしてまかでたまへり。
夏のころ、ご気分がすぐれなくいらっしゃったのを、すぐにもお許し申し上げなさらないので、とても困ったこことお思いになる。
ご懐妊のご様子だったのである。
まだとても若すぎるご様子なので、たいそう恐ろしいことと、どなたもどなたもお思いのようである。
やっとのことでご退出なさった。
夏ごろになっては健康もすぐれなくなったのであるが、なおも帰るお許しがないので困っていた。これは妊娠であったのである。まだ十四、五の小さい人であったから、この徴候を見てだれもだれも危険がった。やっとのことでお許しが下がって帰邸することになった。
8.1.3
姫宮(ひめみや)のおはします御殿(おとど)東面(ひんがしおもて)に、御方(おほんかた)はしつらひたり
明石(あかし)御方(おほんかた)(いま)御身(おほんみ)()ひて、()()りたまふも、あらまほしき御宿世(おほんすくせ)なりかし。
姫宮がいらっしゃる寝殿の東側に、お部屋は設営してある。
明石の御方、今は女御の御方に付き添って、参内し退出なさるのも、申し分ないご運勢である。
女三の宮のおいでになる寝殿の東側になった座敷のほうに桐壺の方の一時の住居(すまい)が設けられたのである。明石(あかし)夫人も共に六条院へ帰った。光る未来のある桐壺の方の身に添って進退する実母夫人は幸運に恵まれた人と見えた。

第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る

8.2.1
(たい)(うへ)こなたに(わた)りて対面(たいめん)したまふついでに、
対の上が、こちらにおいでになって、お会いなさるついでに、
紫夫人はそちらへ行って桐壺の方に逢おうとして、
8.2.2
姫宮(ひめみや)にも、(なか)戸開(とあ)けて()こえむ。
かねてよりもさやうに(おも)ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる(をり)()こえ()れなば心安(こころやす)くなむあるべき」
「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し上げましょう。
前々からそのように思っていましたが、機会がなくては遠慮されますが、このような機会にご挨拶申し上げ、お近づきになれましたら、気が楽になるでしょう」
「このついでに中の戸を通りまして姫宮へ御挨拶(あいさつ)をいたしましょう。前からそう思っていたのですが機会がなかったのですもの。わざわざ伺うのもきまりが悪かったのですが、こんな時だと自然なことに見えていいと思います」
8.2.3
と、大殿(おとど)()こえたまへば、うち()みて、
と、大殿に申し上げると、ほほ笑んで、
と院へ御相談をした。院は微笑をされながら、
8.2.4
(おも)ふやうなるべき御語(おほんかた)らひにこそはあなれ。
いと(をさな)げにものしたまふめるを、うしろやすく(をし)へなしたまへかし」
「それは望みどおりのお付き合いというものだ。
とても子供子供していらっしゃるようだから、心配のないようにお教え上げてください」
「結構ですよ。まだ子供なのですから、よくいろんなことを教えておあげなさい」
8.2.5
と、(ゆる)しきこえたまふ。
(みや)よりも、明石(あかし)(きみ)()づかしげにて()じらむを(おぼ)せば、御髪(みぐし)すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと()えたまへり
と、お許し申し上げなさる。
姫宮よりも、明石の君が気の張る様子で控えているだろうことをお思いになると、御髪を洗い身づくろいしていらっしゃる、世にまたとあるまいとお見えになった。
と御同意をあそばされた。宮様よりも明石夫人という聡明(そうめい)な女に逢うことで夫人は晴れがましく思い、髪も洗い、(よそお)いに念を入れた女王の美はこれに準じてよい人もないであろうと思われた。
8.2.6
大殿(おとど)は、(みや)御方(おほんかた)(わた)りたまひて、
大殿は、宮の御方においでになって、
院は宮のほうへおいでになって、
8.2.7
夕方(ゆふかた)かの(たい)はべる(ひと)の、淑景舎(しげいさ)対面(たいめん)せむとて()()つ。
そのついでに、(ちか)づききこえさせまほしげにものすめるを、(ゆる)して(かた)らひたまへ。
(こころ)などはいとよき(ひと)なり。
まだ若々(わかわか)しくて、御遊(おほんあそ)びがたきにもつきなからずなむ」
「夕方、あちらの対にいます人が、淑景舎の御方にお目にかかろう出て参ります。
その機会に、お近づき申し上げたいように申しておりますようなので、お許しになって会ってください。
気立てなどはとてもよい方です。
まだ若々しくて、お遊び相手として不似合いでなく思われます」
「今日の夕方対のほうにいる人が淑景舎(しげいしゃ)(たず)ねに来るついでにここへも来て、あなたと御交際の道を開きたいように言っていましたから、お許しになって話してごらんなさい。善良な性質の人ですよ。まだ若々しくてあなたの遊び相手もできそうですよ」
8.2.8
など、()こえたまふ。
などと、申し上げなさる。
とお語りになった。
8.2.9 「さぞきまりの悪いことでしょうね。
何をお話し申し上げたらよいのでしょう」
「恥ずかしいでしょうね。どんなお話をすればいいのでしょうね」
8.2.10
と、おいらかにのたまふ。
と、おっとりとおっしゃる。
とおおように宮は言っておられる。
8.2.11
(ひと)のいらへはことにしたがひてこそは(おぼ)()でめ。
(へだ)()きてなもてなしたまひそ」
「お返事は、あちらの言うことに応じて考えつかれるのがよいでしょう。
他人行儀なおあしらいはなさいますな」
「人にする返辞は先方の話次第で出てくるものです。ただ好意を持ってお逢いにならないではいけませんよ」
8.2.12
と、こまかに(をし)へきこえたまふ。
御仲(おほんなか)うるはしくて()ぐしたまへ」と(おぼ)す。
と、こまごまとお教え申し上げなさる。
「二人が仲好くきちんとお暮らしになって欲しい」とお思いになる。
院はこまごまと御注意をされた。院は御両妻の間が平和であるように祈っておいでになるのである。
8.2.13
あまりに何心(なにごころ)もなき(おほん)ありさまを()あらはされむも、()づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、心隔(こころへだ)てむもあいなし」と、(おぼ)すなりけり。
あまりに無邪気なご様子を見られてしまっても、きまり悪く面白くないが、あのようにおっしゃるお気持ちを、「止めだてするのも感心しない」と、お思いになるのであった。
あまりにたあいのない子供らしさを紫の女王に発見されることは、御自身としても恥ずかしいことにお思いになるのであるが、夫人が望んでいることをとめるのもよろしくないとお考えになったのである。

第三段 紫の上の手習い歌

8.3.1
(たい)には、かく()()ちなどしたまふものから、
対の上におかれては、このようにご挨拶にお出向きなさるものの、
紫の女王は内親王である良人(おっと)の一人の妻の所へ伺候することになった
8.3.2 「自分より上の人があるだろうか。
わが身の頼りない身の上を、見出され申しただけのことなのだわ」
自分を(あわれ)んだ。二十年同棲(どうせい)した自分より上の夫人は六条院にあってはならないのであるが、少女時代から養われて来たために、自分は軽侮してよいものと見られて、良人は高貴な新妻をお迎えしたものであろう
8.3.3
など、(おも)(つづ)けられて、うち(なが)めたまふ。
手習(てならひ)などするにも、おのづから古言(ふること)も、もの(おも)はしき(すぢ)にのみ()かるるを、さらば、わが()には(おも)ふことありけり」と、()ながらぞ(おぼ)()らるる
などと、つい思い続けずにはいらっしゃれなくて、物思いに沈んでいらっしゃる。
手習いなどをするにも、自然と古歌も、物思いの歌だけが筆先に出てくるので、「それでは、わたしには思い悩むことがあったのだわ」と、自分ながら気づかされる。
と思うと寂しかった。手習いに字を書く時も、棄婦の歌、閨怨(けいえん)の歌が多く筆に上ることによって、自分はこうした物思いをしているのかとみずから驚く女王であった。
8.3.4
(ゐん)(わた)りたまひて、(みや)女御(にょうご)(きみ)などの(おほん)さまどもを、うつくしうもおはするかな」と、さまざま()たてまつりたまへる御目(おほんめ)うつしには(とし)ごろ目馴(めな)れたまへる(ひと)の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と()たまふ。
ありがたきことなりかし
院、お渡りになって、宮、女御の君などのご様子などを、「かわいらしくていらっしゃるものだ」と、それぞれを拝見なさったそのお目で御覧になると、長年連れ添っていらした人が、世間並の器量であったなら、とてもこうも驚くはずもないのに、「やはり、二人といない方だ」と御覧になる。
世間にありそうもないお美しさである。
院は自室のほうへお帰りになった。あちらで女三の宮、桐壺(きりつぼ)の方などを御覧になって、それぞれ異なった美貌(びぼう)に目を楽しませておいでになったあとで、始終見()れておいでになる夫人の美から受ける刺激は弱いはずで、それに比べてきわだつ感じをお受けになることもなかろうと思われるが、なお第一の嬋妍(せんけん)たる美人はこれであると院はこの時驚歎(きょうたん)しておいでになった。
8.3.5
あるべき(かぎ)り、気高(けだか)()づかしげにととのひたるに()ひて、はなやかに(いま)めかしく、にほひなまめきたるさまざまの(かを)りも、()りあつめ、めでたき(さか)りに()えたまふ
去年(こぞ)より今年(ことし)はまさり、昨日(きのふ)より今日(けふ)はめづらしく、(つね)目馴(めな)れぬさまのしたまへるを、いかでかくしもありけむ」と(おぼ)す。
どこからどこまでも、気品高く立派に整っていらっしゃる上に、はなやかに現代風で、照り映えるような美しさと優雅さとを、何もかも兼ね備え、素晴らしい女盛りにお見えになる。
去年より今年が素晴らしく、昨日よりは今日が目新しく、いつも新鮮なご様子でいらっしゃるのを、「どうしてこんなにも美しく生まれつかれたのか」とお思いになる。
気高(けだか)さ、貴女(きじょ)らしさが十分備わった上にはなやかで明るく愛嬌(あいきょう)があって、(えん)な姿の盛りと見えた。去年より今年は美しく昨日より今日が珍しく見えて、飽くことも見て()むことも知らぬ人であった。どうしてこんなに欠点なく生まれた人だろうかと院はお思いになった。
8.3.6
うちとけたりつる御手習(おほんてならひ)を、(すずり)(した)にさし()れたまへれど、()つけたまひて、()(かへ)()たまふ。
()などの、いとわざとも上手(じゃうず)()えで、らうらうじくうつくしげに()きたまへり。
気を許してお書きになった御手習いを、硯の下にさし隠しなさっていたが、見つけなさって、繰り返して御覧になる。
筆跡などの、特別に上手とも見えないが、行き届いてかわいらしい感じにお書きになっていた。
手習いに書いた紙を夫人が(すずり)の下へ隠したのを、院はお見つけになって引き出してお読みになった。字は専門家風に上手(じょうず)なのではなく、貴女らしい美しさを多く含んだものである。
8.3.7 「身近に秋が来たのかしら、
見ているうちに青葉の山のあなたも心の色が変わっ
身に近く秋や来ぬらん見るままに
青葉の山もうつろひにけり
8.3.8
とある(ところ)に、()とどめたまひて、
とある所に、目をお止めになって、
と書かれてある所へ院のお目はとまった。
8.3.9 「水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに
萩の下葉のあなたの様子は変わっています」
水鳥の青羽は色も変はらぬを
(はぎ)の下こそけしきことなれ
8.3.10
など()()へつつすさびたまふ
ことに()れて、心苦(こころぐる)しき()けしきの、(した)にはおのづから()りつつ()ゆるを、ことなく()ちたまへるも、ありがたくあはれに(おぼ)さる
などと書き加えながら手習いに心をやりなさる。
何かにつけて、おいたわしいご様子が、自然に漏れて見えるのを、何でもないふうに隠していらっしゃるのも、またと得がたい殊勝な方だと思わずにはいらっしゃれない。
など横へ書き添えておいでになった。何かの場合ごとに今日の夫人の懊悩(おうのう)する心の端は見えても、さりげなくおさえている心持ちに院は感謝しておいでになるのであった。
8.3.11 今夜は、どちらの方にも行かなくてよさそうなので、あの忍び所に、実にどうしようもなくて、お出かけになるのであった。
「とんでもないけしからぬ事」と、ひどく自制なさるのだが、どうすることもできないのであった。
今夜はどちらとも離れていてよい暇な時であったから、朧月夜(おぼろづきよ)の君の二条邸へ院は微行でお出かけになった。あるまじいことであるとお思い返しになろうとしても、おさえきれぬ気持ちがあったのである。

第四段 紫の上、女三の宮と対面

8.4.1
春宮(とうぐう)御方(おほんかた)は、(じち)母君(ははぎみ)よりも、この御方(おほんかた)をば(むつ)ましきものに(たの)みきこえたまへり。
いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、(おも)(へだ)てず、かなしと()たてまつりたまふ。
東宮の御方は、実の母君よりも、この御方を親しいお方と思ってお頼り申し上げていらっしゃった。
たいそうかわいらしげに一段と大人らしくおなりになったのを、実の子のように、いとしいとお思い申し上げなさる。
東宮の淑景舎(しげいしゃ)の方は実母よりも紫夫人を慕っていた。美しく成人した継娘(ままむすめ)を女王は真実の親に変わらぬ心で愛した。
8.4.2
御物語(おほんものがたり)など、いとなつかしく()こえ()はしたまひて、(なか)戸開(とあ)けて、(みや)にも対面(たいめん)したまへり。
お話などを、とてもうちとけてお互いに話し合われてから、中の戸を開けて、宮にもお会いになった。
なつかしく語り合ったあとで中の戸をあけて、宮のお座敷へ行き、はじめて女三(にょさん)(みや)に御面会した。
8.4.3
いと(をさな)げにのみ()えたまへば心安(こころやす)くて、おとなおとなしく(おや)めきたるさまに、(むかし)御筋(おほんすぢ)をも(たづ)ねきこえたまふ
中納言(ちゅうなごん)乳母(めのと)といふ()()でて、
ただもう子供っぽくばかりお見えになるので、気安く感じられて、年輩者らしく母親のような態度で、親たちのお血筋をお話し申し上げなさる。
中納言の乳母という人を召し出して、
ただ少女とお見えになるだけの宮様に女王は好感が持たれて、軽い気持ちにもなり年長の人らしく、保護者らしいふうにものを言って、宮の母君と自身の血の続きを語ろうとして、中納言の乳母(めのと)というのをそばへ呼んで言った。
8.4.4
(おな)じかざしを(たづ)ねきこゆればかたじけなけれど、()かぬさまに()こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、(いま)よりは(うと)からず、あなたなどにもものしたまひておこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」
「同じ血筋の繋がりをお尋ね申し上げてゆくと、恐れ多いことですが、切っても切れない御縁とは拝し上げながら、その機会もなく失礼致しておりましたが、今からはお心おきなく、あちらの方にもおいでくださって、行き届かない点がありましたら、ご注意くださるなどしていただけましたら、嬉しゅうございましょう」
「さかのぼって言いますとそうなのですね。私の父の宮とお母様は御兄弟なのです。ですからもったいないことですが親しく思召(おぼしめ)していただきたいと申し上げたかったのですが、機会がございませんでね。これからはお心安く思召して、私どもの住んでおりますほうへもお遊びにおいでくださいまして、気のつきませんことがございまして、御注意をいただけましたらうれしく存じます」
8.4.5
などのたまへば、
などとおっしゃると、
中納言の乳母が、
8.4.6
(たの)もしき御蔭(おほんかげ)どもにさまざまに(おく)れきこえたまひて、心細(こころぼそ)げにおはしますめるを、かかる(おほん)ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ(おも)うたまへられける。
(そむ)きたまひにし(うへ)御心向(おほんこころむ)けも、ただかくなむ御心隔(みこころへだ)てきこえたまはずまだいはけなき(おほん)ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。
うちうちにも、さなむ(たの)みきこえさせたまひし
「頼みとなさっていた方々に、それぞれお別れ申されて、心細そうでいらっしゃいますので、このようなお言葉を戴きますと、この上なくありがたく存じられます。
御出家あそばされた院の上の御意向も、ただこのように他人扱いなさらずに、まだ子供っぽいご様子を、お育て申し上げて戴きたくございましたようでした。
内々の話にも、そのようにお頼み申していらっしゃいました」
「お母様にもお死に別れになりますし、院の陛下は御出家をあそばしますし、お一人ぼっちのお心細い宮様ですから、御親切なお言葉をいただきますことは、この上なく幸福に思召すかと存ぜられます。法皇様も宮様があなた様を御信頼あそばして御保護の願えますようにとの思召しがおありあそばすらしく存じ上げました。私どももそのお言葉を承ってまいったのでございます」
8.4.7
など()こゆ。
などと申し上げる。
などと言った。
8.4.8
いとかたじけなかりし御消息(おほんせうそこ)(のち)は、いかでとのみ(おも)ひはべれど、(なに)ごとにつけても、(かず)ならぬ()なむ口惜(くちを)しかりける」
「まことに恐れ多いお手紙を頂戴してから後は、是非にお力になりたいとばかり存じておりましたが、何事につけても、人数に入らない我が身が残念に思われます」
「もったいないお手紙をあちらからくださいました時から、どうかしてお力にならなければと心がけてはいるのでございますが、何と申しても私が賢くなくて」
8.4.9
と、(やす)らかにおとなびたるけはひにて、(みや)にも、御心(みこころ)につきたまふべく、()などのこと、(ひひな)()てがたきさま、(わか)やかに()こえたまへば、げに、いと(わか)(こころ)よげなる(ひと)かな」と、(をさな)御心地(みここち)にはうちとけたまへり。
と、穏やかに大人びた様子で、宮にも、お気に入りなさるように、絵などのこと、お人形遊びの楽しいことを、若々しく申し上げなさるので、「なるほど、ほんとうに若々しく気立てのよい方だわ」と、子供心にうちとけなさった。
とあたたかい気持ちを女王は見せて、姉が年少の妹に対するふうで、宮のお気に入りそうな絵の話をしたり、(ひな)遊びはいつまでもやめられないものであるとかいうことを若やかに語っているのを、宮は御覧になって、院のお言葉のように、若々しい気立ての優しい人であると少女(おとめ)らしいお心にお思いになり、打ち解けておしまいになった。

第五段 世間の噂、静まる

8.5.1
さて(のち)は、(つね)御文通(おほんふみかよ)ひなどして、をかしき(あそ)びわざなどにつけても、(うと)からず()こえ()はしたまふ。
()(なか)(ひと)も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、()ひあつかふものなれば、(はじ)めつ(かた)は、
それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事がある折につけても、別け隔てせずお便りをやりとりなさる。
世の中の人も、おせっかいなことに、これほどの地位になった方々のことは、とかく噂したがるものなので、初めのうちは、
これ以来手紙が通うようになって、友情が二人の夫人の間に成長していった。書信でする遊び事もなされた。世間はこうした高貴な家庭の中のことを話題にしたがるもので、初めごろは、
8.5.2
(たい)(うへ)いかに(おぼ)すらむ
(おほん)おぼえ、いとこの(とし)ごろのやうにはおはせじ。
すこしは(おと)りなむ」
「対の上は、どのようにお思いだろう。
ご寵愛は、とても今までのようにはおありであるまい。
少しは落ちるだろう」
「対の奥様はなんといっても以前ほどの御寵愛(ちょうあい)にあっていられなくなるであろう。少しは院の御情が薄らぐはずだ」
8.5.3
など()ひけるを、(いま)すこし(ふか)御心(みこころ)ざし、かくてしも(まさ)るさまなるを、それにつけても、また(やす)からず()(ひと)びとあるに、かく(にく)げなくさへ()こえ()はしたまへば、こと(なほ)りて、目安(めやす)くなむありける。
などと言っていたが、以前よりも深い愛情、こうなってから一段と勝った様子なので、それにつけても、また事ありげに言う人々もいたが、このように仲睦まじいまでに交際なさっているので、噂も変わって、無難におさまっていたのである。
こんなふうにも言ったものであるが、実際は以前に増して院がお愛しになる様子の見えることで、またそれについて宮へ御同情を寄せるような口ぶりでなされる(うわさ)が伝えられたものであるが、こんなふうに寝殿の宮も対の夫人も(むつ)まじくなられたのであるからもう問題にしようがないのであった。

第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う


第一段 紫の上、薬師仏供養

9.1.1
神無月(かみなづき)に、(たい)(うへ)(ゐん)御賀(おほんが)嵯峨野(さがの)御堂(みだう)にて、薬師仏供養(やくしぼとけくやう)じたてまつりたまふ。
いかめしきことは、(せち)にいさめ(まう)したまへば、(しの)びやかにと(おぼ)しおきてたり。
神無月に、対の上は、院の四十の御賀のために、嵯峨野の御堂で、薬師仏をご供養申し上げなさる。
盛大になることは、切にご禁じ申されていたので、目立たないようにとお考えになっていた。
十月に紫夫人は院の四十の賀のために嵯峨(さが)御堂(みどう)で薬師仏の供養をすることになった。たいそうになることは院がとめておいでになったから、目だたせない準備をしたのであった。
9.1.2
(ほとけ)経箱(きゃうばこ)帙簀(ぢす)のととのへ、まことの極楽思(ごくらくおも)ひやらる。
最勝王経(さいそうわうきゃう)金剛般若(こんがうはんにゅ)寿命経(ずみゃうきゃう)など、いとゆたけき御祈(おほんいの)りなり。
上達部(かんだちめ)いと(おほ)(まゐ)りたまへり。
仏像、経箱、帙簀の整っていること、真の極楽のように思われる。
最勝王経、金剛般若経、寿命経など、たいそう盛大なお祈りである。
上達部がたいへん大勢参上なさった。
それでも仏像、経箱、経巻の包みなどのりっぱさは極楽も想像されるばかりである。そうした最勝王経、金剛、般若(はんにゃ)、寿命経などの読まれる頼もしい賀の営みであった。高官が多く参列した。
9.1.3 御堂の様子、素晴らしく何とも言いようがなく、紅葉の蔭を分けて行く野辺の辺りから始まって、見頃の景色なので、半ばはそれで競ってお集まりになったのであろう。
御堂のあたりの嵯峨野の秋のながめの美しさに半分は心が()かれて集まった人なのであろうが、
9.1.4
霜枯(しもが)れわたれる野原(のはら)のままに、馬車(むまくるま)()きちがふ(おと)しげく(ひび)きたり。
御誦経(みずきゃう)われもわれもと、御方々(おほんかたがた)いかめしくせさせたまふ。
一面に霜枯れしている野原のまにまに、馬や牛車が行き違う音がしきりに響いていた。
御誦経を、我も我もと御方々がご立派におさせになる。
その日は霜枯れの野原を通る馬や車を無数に見ることができた。盛んな誦経(ずきょう)の申し込みが各夫人からもあった。

第二段 精進落としの宴

9.2.1
二十三日(にじふさんにち)(おほん)としみの()にてこの(ゐん)は、かく隙間(すきま)なく(つど)ひたまへるうちに、わが御私(おほんわたくし)殿(との)(おぼ)二条(にでう)(ゐん)にて、その(おほん)まうけせさせたまふ
御装束(おほんさうぞく)をはじめ、おほかたのことどもも、(みな)こなたにのみしたまふ
御方々(おほんかたがた)も、さるべきことども()けつつ(のぞ)(つか)うまつりたまふ。
二十三日を御精進落しの日として、こちらの院は、このように隙間もなく大勢集っていらっしゃるので、ご自分の私的邸宅とお思いの二条院で、そのご用意をおさせになる。
ご装束をはじめとして、一般の事柄もすべてこちらでばかりなさる。
他の御方々も適当な事を分担しいしい、進んでお仕えなさる。
二十三日が仏事の最後の日で、六条院は狭いまでに夫人らが集まって住んでいるため、女王には自身だけの家のように思われる二条の院で賀の饗宴(きょうえん)を開くことにしてあった。賀の席上で奉る院のお服類をはじめとして当日用の仕度(したく)はすべて紫夫人の手でととのえられているのであったが、花散里(はなちるさと)夫人や、明石(あかし)夫人なども分担したいと言い出して手つだいをした。
9.2.2
(たい)どもは、(ひと)局々(つぼねつぼね)にしたるを(はら)ひて、殿上人(てんじゃうびと)諸大夫(しょたいふ)院司(ゐんじ)下人(しもびと)までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
東西の対は、女房たちの局にしていたのを片付けて、殿上人、諸大夫、院司、下人までの饗応の席を、盛大に設けさせなさっている。
二条の院の対の屋を今は女房らの部屋(へや)などにも使わせることにしていたのであるが、それを片づけて殿上役人、五位の官人、院付きの人々の接待所にあてた。
9.2.3
寝殿(そんでん)放出(はなちいで)を、(れい)のしつらひにて螺鈿(らでん)倚子立(いした)てたり。
寝殿の放出を例のように飾って、螺鈿の椅子を立ててある。
寝殿の離れ座敷を式場にして、螺鈿(らでん)椅子(いす)を院の御ために設けてあった。
9.2.4
御殿(おとど)西(にし)()に、御衣(おほんぞ)机十二立(つくゑじふにた)てて夏冬(なつふゆ)(おほん)よそひ、御衾(おほんふすま)など、(れい)のごとく、(むらさき)(あや)(おほひ)どもうるはしく()えわたりて、うちの(こころ)はあらはならず。
御殿の西の間に、ご衣装の机を十二立てて、夏冬のご衣装、御夜具など、しきたりによって、紫の綾の覆いの数々が整然と掛けられていて、中の様子ははっきりしない。
西の座敷に衣裳(いしょう)の卓を十二置き、夏冬の服、夜着などの積まれたそれらの上を紫の(あや)(おお)うてあるのも目に快かった。中の品物の見えないのも感じがいいのである。
9.2.5
御前(おまへ)置物(おきもの)机二(つくゑふた)つ、(から)()裾濃(すそご)(おほひ)したり。
插頭(かざし)(だい)は、(ぢん)花足(けそく)黄金(こがね)(とり)(しろがね)(えだ)にゐたる(こころ)ばへなど、淑景舎(しげいさ)(おほん)あづかりにて、明石(あかし)御方(おほんかた)のせさせたまへる、ゆゑ(ふか)(こころ)ことなり。
御前に置物の机を二脚、唐の地の裾濃の覆いをしてある。
挿頭の台は沈の花足、黄金の鳥が、銀の枝に止まっている工夫など、淑景舎のご担当で、明石の御方がお作らせになったものだが、趣味深くて格別である。
椅子の前には置き物の卓が二つあって、支那(しな)(うすもの)(すそ)ぼかしの(おお)いがしてある。挿頭(かざし)の台は(じん)の木の飾り(あし)の物で、蒔絵(まきえ)の金の鳥が銀の枝にとまっていた。これは東宮の桐壺の方が受け持ったので、明石夫人の手から調製させたものであるからきわめて高雅であった。
9.2.6
うしろの御屏風四帖(みびゃうぶしでふ)は、式部卿宮(しきぶきゃうのみや)なむせさせたまひける。
いみじく()くして、(れい)四季(しき)()なれど、めづらしき山水(せんずい)(たん)など目馴(めな)れずおもしろし。
(きた)(かべ)()へて、置物(おきもの)御厨子(みづし)二具立(ふたよろひた)てて、御調度(みてうど)ども(れい)のことなり。
背後の御屏風の四帖は、式部卿宮がお作らせになったものであった。
たいそう善美を尽くして、おきまりの四季の絵であるが、目新しい山水、潭など、見なれず興味深い。
北の壁に沿って、置物の御厨子、二具立てて、御調度類はしきたりどおりである。
御座(おまし)の後ろの四つの屏風(びょうぶ)式部卿(しきぶきょう)の宮がお受け持ちになったもので、非常にりっぱなものだった。絵は例の四季の風景であるが、泉や滝の()き方に新しい味があった。北側の壁に添って置き棚が二つ()えられ、小物の並べてあることは(きま)った形式である。
9.2.7
(みなみ)(ひさし)に、上達部(かんだちめ)左右(ひだりみぎ)大臣(おとど)式部卿宮(しきぶきゃうのみや)をはじめたてまつりて、次々(つぎつぎ)はまして(まゐ)りたまはぬ(ひと)なし。
舞台(ぶたい)左右(ひだりみぎ)に、楽人(がくにん)平張打(ひらばりう)ちて、西東(にしひんがし)屯食八十具(とんじきはちじふぐ)(ろく)唐櫃四十(からびつしじふ)づつ(つづ)けて()てたり。
南の廂の間に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をおはじめ申して、ましてそれ以下の人々で参上なさらない人はいない。
舞台の左右に、楽人の平張りを作り、東西に屯食を八十具、禄の唐櫃を四十ずつ続けて立ててある。
南側の座敷に高官、左右の大臣、式部卿の宮をはじめとして親王がたのお席があった。舞台の左右に奏楽者の天幕ができ、庭の西と東には料理の箱詰めが八十、纏頭(てんとう)用の品のはいった唐櫃(からびつ)を四十並べてあった。

第三段 舞楽を演奏す

9.3.1
(ひつじ)(とき)ばかりに楽人参(がくにんまゐ)る。
万歳楽(まんざいらく)」、皇麞(わうじゃう)」など()ひて日暮(ひく)れかかるほどに、高麗(こま)乱声(らんじゃう)して落蹲(らくそん)()()でたるほど、なほ(つね)目馴(めな)れぬ(まひ)のさまなれば、()()つるほどに、権中納言(ごんのちゅうなごん)衛門督(ゑもんのかみお)りて、入綾(いりあや)」をほのかに()ひて紅葉(もみぢ)(かげ)()りぬる名残(なごり)()かず(きょう)ありと(ひと)びと(おぼ)したり。
未の刻ごろに楽人が参る。
「万歳楽」、「皇じょう」などを舞って、日が暮れるころ、高麗楽の乱声をして、「落蹲」が舞い出たところは、やはり常には見ない舞の様子なので、舞い終わるころに、権中納言や、衛門督が庭に下りて、「入綾」を少し舞って、紅葉の蔭に入ったその後の気持ちは、いつまでも面白いとご一同お思いである。
午後二時に楽人たちが参入した。万歳楽、皇麞こうじょうなどが舞われ、日の暮れ時に高麗(こうらい)楽の乱声(らんじょう)があって、また続いて落蹲(らくそん)の舞われたのも目()れず珍らしい見物であったが、終わりに近づいた時に、権中納言と、右衛門督(うえもんのかみ)が出て短い舞をしたあとで紅葉(もみじ)の中へはいって行ったのを陪観者は興味深く思った。
9.3.2
いにしへの朱雀院(すじゃくゐん)行幸(みゆき)に、青海波(せいがいは)」のいみじかりし(ゆふ)(おも)()でたまふ(ひと)びとは、権中納言(ごんのちゅうなごん)衛門督(ゑもんのかみ)また(おと)らず()(つづ)きたまひにける、世々(よよ)のおぼえありさま、容貌(かたち)用意(ようい)などもをさをさ(おと)らず、官位(つかさくらゐ)はやや(すす)みてさへこそなど、(よはひ)のほどをも(かぞ)へて、なほ、さるべきにて(むかし)よりかく()(つづ)きたる御仲(おほんなか)らひなりけり」と、めでたく(おも)ふ。
昔の朱雀院の行幸に、「青海波」が見事であった夕べ、お思い出しになる方々は、権中納言と、衛門督とが、また負けず跡をお継ぎになっていらっしゃるのが、代々の世評や様子、器量、態度なども少しも負けず、官位は少し昇進さえしていらっしゃるなどと、年齢まで数えて、「やはり、前世の因縁で、昔からこのように代々並び合うご両家の間柄なのだ」と、素晴らしく思う。
昔の朱雀(すざく)院の行幸(みゆき)に青海波が絶妙の技であったのを覚えている人たちは、源氏の君と当時の(とうの)中将のようにこの若い二人の高官がすぐれた後継者として現われてきたことを言い、世間から尊敬されていることも、りっぱさも美しさも昔の二人の貴公子に劣らず、官位などはその時の父君たち以上にも進んでいることなどを年齢(とし)までも数えながら語って、やはり前生の善果がある家の子息たちであると両家を祝福した。
9.3.3
主人(あるじ)(ゐん)も、あはれに(なみだ)ぐましく、(おぼ)()でらるることども(おほ)かり。
主人の院も、しみじみと涙ぐんで、自然と思い出される事柄が多かった。
六条院も涙ぐまれるほど身にしむ追憶がおありになった。

第四段 宴の後の寂寥

9.4.1
()()りて、楽人(がくにん)どもまかり()づ。
(きた)政所(まんどころ)別当(べたう)ども、(ひと)びと(ひき)ゐて、(ろく)唐櫃(からびつ)()りて、(ひと)つづつ()りて、次々賜(つぎつぎたま)ふ。
(しろ)きものどもを品々(しなじな)かづきて、山際(やまぎは)より(いけ)堤過(つつみす)ぐるほどのよそ()は、千歳(ちとせ)をかねて(あそ)(つる)毛衣(けごろも)(おも)ひまがへらる。
夜に入って、楽人たちが退出する。
北の対の政所の別当連中は、下男どもを引き連れて、禄の唐櫃の側に立って、一つずつ取り出して、順々に与えなさる。
白い衣類をそれぞれが肩に懸けて、築山の側から池の堤を通り過ぎて行くのを横から眺めると、千歳の寿をもって遊ぶ鶴の白い毛衣に見間違えるほどである。
夜になって楽人たちの退散していく時に紫の夫人付きの家職の長が下役たちを従えて出て、纏頭品の箱から一つずつ出して皆へ(わか)った。白い纏頭の服を皆が肩にかけて山ぎわから池の岸を通って行くのをはるかに見ては(つる)の列かと思われた。
9.4.2
御遊(おほんあそ)(はじ)まりて、またいとおもしろし。
御琴(おほんこと)どもは、春宮(とうぐう)よりぞ調(ととの)へさせたまひける。
朱雀院(すじゃくゐん)よりわたり(まゐ)れる琵琶(びは)(きん)
内裏(うち)より(たま)はりたまへる(さう)御琴(おほんこと)など、皆昔(みなむかし)おぼえたるものの()どもにて、めづらしく()()はせたまへるに、(なに)(をり)にも、()ぎにし(かた)(おほん)ありさま、内裏(うち)わたりなど(おぼ)()でらる。
管弦の御遊びが始まって、これもまた素晴らしい。
御琴類は、東宮から御準備あそばしたものであった。
朱雀院からお譲りのあった琵琶、琴。
帝から頂戴なさった箏の御琴など、すべて昔を思い出させる音色で、久しぶりに合奏なさると、どの演奏の時にも、昔のご様子や、宮中あたりのことなどが自然とお思い出される。
席上での音楽が始まっておもしろい夜の宴になった。楽器は東宮の御手から皆呈供されたのである。朱雀(すざく)院からお譲られになった琵琶(びわ)(みかど)からお賜わりになった十三(げん)の琴などは六条院のためにお馴染(なじみ)の深い音色(ねいろ)を出して、何につけても昔の宮廷がお思われになる方であったから、またさまざまの恋しい昔の夢をお()かせした。
9.4.3
故入道(こにうだう)(みや)おはせましかばかかる御賀(おほんが)など、われこそ(すす)(つか)うまつらましか。
(なに)ごとにつけてかは(こころ)ざしも()えたてまつりけむ
「亡き入道の宮が生きていらっしゃったら、このような御賀など、自分が進んでお仕え申したであろうに。
何をすることによって、
入道の宮がおいでになったなら四十の御賀も自分が主催して行なったことであろう。今になっては何を志としてお見せすることができよう、
9.4.4
と、()かず口惜(くちを)しくのみ(おも)()できこえたまふ。
と、ただただ恨めしく残念にばかりお思い申し上げなさる。
すべて不可能なことになったと院は御歎息(たんそく)をあそばした。
9.4.5
内裏(うち)にも、故宮(こみや)のおはしまさぬことを、(なに)ごとにも(はえ)なくさうざうしく(おぼ)さるるに、この(ゐん)(おほん)ことをだに、(れい)(あと)をあるさまのかしこまりを()くしてもえ()せたてまつらぬを、()とともに()かぬ心地(ここち)したまふも、今年(ことし)はこの御賀(おほんが)にことつけて、行幸(みゆき)などもあるべく(おぼ)しおきてけれど、
帝におかせられても、亡き母宮のおいであそばさないことを、何事につけても張り合いがなく物足りなくお思いなされるので、せめてこの院の御賀の事だけでも、きまったとおりの礼儀を十分に尽くしてさし上げることができないのを、何かにつけ常に物足りないお気持ちでいらっしゃるので、今年はこの四十の御賀にかこつけて、行幸などもあるようにお考えでいらっしゃったが、
女院をお失いになったことは何の上にも添う特殊な光の消えたことであると帝も寂しく思召すのであって、せめて六条院だけを最高の地位に()えたいというお望みも実現されないことを始終残念に思召す帝であったが、今年は四十の賀に託して六条院へ行幸(みゆき)をあそばされたい思召しであった。
9.4.6 「世の中の迷惑になるようなことは、絶対になさらぬように」
しかしそれも冗費は国家のためお慎みになるように
9.4.7
(いな)(まう)したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜(くちを)しく(おぼ)しとまりぬ。
とご辞退申し上げなさること、再々になったので、残念ながらお思い止まりなさった。
と六条院からの御進言があっておできにならぬためにくやしく思召すばかりであった。

第五段 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷

9.5.1
師走(しはす)二十日余(はつかあま)りのほどに、中宮(ちゅうぐう)まかでさせたまひて、今年(ことし)(のこ)りの御祈(おほんいの)りに、奈良(なら)(きゃう)七大寺(しちだいじ)御誦経(みずきゃう)布四千反(ぬのよんせんたん)この(ちか)(みやこ)四十寺(しじふじ)に、絹四百疋(きぬよんひゃくひき)()かちてせさせたまふ。
十二月の二十日過ぎのころに、中宮が御退出あそばして、今年の残りの御祈祷に、奈良の京の七大寺に、御誦経のため、布を四千反、この平安京の四十寺に、絹を四百疋分けてお納めあそばす。
十二月の二十日過ぎに中宮(ちゅうぐう)が宮中から退出しておいでになって、六条院の四十歳の残りの日のための祈祷(きとう)に、奈良(なら)の七大寺へ布四千反を(わか)ってお納めになった。また京の四十寺へ絹四百(ぴき)を布施にあそばされた。
9.5.2
ありがたき(おほん)はぐくみを(おぼ)()りながら、(なに)ごとにつけてか(ふか)御心(みこころ)ざしをもあらはし御覧(ごらん)ぜさせたまはむとて、父宮(ちちみや)母御息所(ははみやすんどころ)のおはせまし(おほん)ための(こころ)ざしをも()()(おぼ)すに、かくあながちに、朝廷(おほやけ)にも()こえ(かへ)させたまへば、ことども(おほ)くとどめさせたまひつ。
ありがたいお世話をご存知でありながら、どのような機会にか、深い感謝の気持ちを表して御覧に入れようとお思いなさって、父宮と、母御息所とがご存命ならばきっとして差し上げただろう感謝の気持ちも添えてお思いになったのだが、このように無理に、帝に対してもご辞退申し上げていらっしゃっるので、ご計画の多くを中止なさった。
養父の院の深い愛を受けながら、お報いすることは何一つできなかった自分とともに、御父の前皇太子、母御息所(みやすどころ)の感謝しておられる志も、せめてこの際に現わしたいと中宮は思召したのであるが、宮中からの賀の御沙汰(ごさた)を院が御辞退されたあとであったから、大仰(おおぎょう)になることは皆おやめになった。
9.5.3 「四十の賀ということは、先例を聞きましても、残りの寿命が長い例が少なかったが、今回は、やはり、世間の騷ぎになることをお止めあそばして、ほんとうに後に寿命を保った時に祝ってください」
「四十の賀というものは、先例を考えますと、それがあったあとをなお長く生きていられる人は少ないのですから、今度は内輪のことにしてこの次の賀をしていただく場合にお志を受けましょう」
9.5.4
とありけれど、(おほやけ)ざまにて、なほいといかめしくなむありける。
とあったが、公的催しとなって、やはりたいそう盛大になったのであった。
と六条院は言っておいでになったのであるが、やはりこれは半公式の賀宴で派手(はで)になった。

第六段 中宮主催の饗宴

9.6.1
(みや)のおはします(まち)寝殿(しんでん)に、(おほん)しつらひなどして、さきざきにこと()はらず上達部(かんだちめ)(ろく)など、大饗(だいきゃう)になずらへて、親王(みこ)たちにはことに(をんな)装束(さうぞく)非参議(ひさんぎ)四位(しゐ)まうち君達(きんだち)など、ただの殿上人(てんじゃうびと)には、(しろ)細長一襲(ほそながひとかさね)腰差(こしざし)などまで、次々(つぎつぎ)(たま)ふ。
宮のいらっしゃる町の寝殿に、御準備などをして、前のと特に変わらず、上達部の禄など、大饗に準じて、親王たちには特に女装束、非参議の四位、廷臣たちなどの、普通の殿上人には、白い細長を一襲と、腰差などまで、次々とお与えになる。
六条院の中宮のお住居(すまい)の町の寝殿が式場になっていて、前にお受けになった幾つかの賀の式に変わらぬ行き届いた設けがされてあった。高官への纏頭(てんとう)はお(きさき)の大饗宴(きょうえん)の日の品々に準じて下された。親王がたには特に女の装束、非参議の四位、殿上役人などには白い細長衣(ほそなが)一領、それ以下へは巻いた絹を賜わった。
9.6.2
装束限(さうぞくかぎ)りなくきよらを()くして、名高(なだか)(おび)御佩刀(みはかし)など、故前坊(こぜんばう)御方(おほんかた)ざまにて(つた)はり(まゐ)りたるも、またあはれになむ。
(ふる)()(いち)(もの)()ある(かぎ)りは皆集(みなつど)(まゐ)御賀(おほんが)になむあめる
昔物語(むかしものがたり)にももの()させたるを、かしこきことには(かぞ)(つづ)けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲(おほんなか)らひのことどもはえぞ(かぞ)へあへはべらぬや
装束はこの上なく善美を尽くして、有名な帯や、御佩刀など、故前坊のお形見として御相続なさっているのも、また感慨に堪えないことである。
古来第一の宝物として有名な物は、すべて集まって参るような御賀のようである。
昔物語にも、引出物を与えることを、たいしたこととして一つ一つ数え上げているようであるが、これはとても煩わしいので、ご立派な方々のご贈答の数々は、とても数え上げることができない。
院のためにととのえられた御衣服は限りもなくみごとなもので、そのほかに国宝とされている石帯(せきたい)、御剣を奉らせたもうたのである。この二品などは宮の御父の前皇太子の御遺品で、歴史的なものだったから院のお喜びは深かった。古い時代の名器、美術品が皆集まったような賀宴になったのであった。昔の小説も贈り物をすることを最も善事のように書き立ててあるが、面倒で筆者にはいちいち書けない。

第七段 勅命による夕霧の饗宴

9.7.1
内裏(うち)には(おぼ)()めてしことどもを、むげにやはとて、中納言(ちゅうなごん)にぞつけさせたまひてける。
そのころの右大将(うだいしゃう)(やまひ)して()したまひけるをこの中納言(ちゅうなごん)に、御賀(おほんが)のほどよろこび(くは)へむと(おぼ)()して、にはかになさせたまひつ
帝におかせられては、お思い立ちあそばした事柄を、やすやすとは中止できまいとお思いになって、中納言に御依頼あそばした。
そのころの右大将が、病気になって職をお退きになったので、この中納言に、御賀に際して喜びを加えてやろうとお思いあそばして、急に右大将におさせあそばした。
帝は六条院へ好意をお見せになろうとした賀宴をやむをえず御中止になったかわりに、そのころ病気のため右大将を辞した人のあとへ、中納言をにわかに抜擢(ばってき)しておすえになった。
9.7.2
(ゐん)もよろこび()こえさせたまふものから、
院もお礼申し上げなさるものの、
院もお礼の御挨拶(あいさつ)をあそばされたが、それは、
9.7.3
いと、かく、にはかに(あま)(よろこ)びをなむ、いちはやき心地(ここち)しはべる」
「とても、このような、急に身に余る昇進は、早すぎる気が致します」
「突然の御恩命はあまりに過分なお取り扱いで、若い彼が職に堪えますかどうか疑問にいたしております」
9.7.4
卑下(ひげ)(まう)したまふ。
とご謙遜申し上げなさる。
こんな謙遜(けんそん)なお言葉であった。
9.7.5
丑寅(うしとら)(まち)に、(おほん)しつらひまうけたまひて、(かく)ろへたるやうにしなしたまへれど今日(けふ)は、なほかたことに儀式(ぎしき)まさりて、所々(ところどころ)(きゃう)なども内蔵寮(くらづかさ)穀倉院(こくさうゐん)より、(つか)うまつらせたまへり
丑寅の町に、ご準備を整えなさって、目立たないようになさったが、今日は、やはり儀式の様子も格別で、あちらこちらでの饗応なども、内蔵寮や、穀倉院から、ご奉仕させなさっていた。
(みかど)はこの右大将を表面の主催者として院の四十の賀の最後の宴を北東の町の花散里(はなちるさと)夫人の住居(すまい)に設けられた。派手(はで)になることを院は避けようとされたのであったが、宮中の御内命によって行なわれるこの賀宴は、すべて正式どおりに略したところのないすばらしいものになった。幾つかの宴席の料理の仕度(したく)などは内廷からされた。
9.7.6
屯食(とんじき)など、(おほや)けざまにて、頭中将宣旨(とうのちゅうじゃうせんじ)うけたまはりて親王(みこ)たち五人(ごにん)左右(ひだりみぎ)大臣(おとど)大納言二人(だいなごんふたり)中納言三人(ちゅうなごんさんにん)宰相五人(さいしゃうごにん)殿上人(てんじゃうびと)は、(れい)の、内裏(うち)春宮(とうぐう)(ゐん)(のこ)(すく)なし。
屯食などは、公式的な作り方で、頭中将が宣旨を承って、親王たち五人、左右の大臣、大納言が二人、中納言が三人、参議が五人で、殿上人は、例によって、内裏のも、東宮のも、院のも、残る人は少ない。
屯食(とんじき)の用意などはお指図(さしず)を受けて(とうの)中将が皆したのである。親王お五方(いつかた)、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、参議五人、これだけが参列して、御所の殿上役人、東宮、院の殿上人もほとんど皆集まって参っていた。
9.7.7
御座(おまし)御調度(みてうど)どもなどは、太政大臣詳(おほきおとどくは)しくうけたまはりて、(つか)うまつらせたまへり。
今日(けふ)は、(おほ)(ごと)ありて(わた)(まゐ)りたまへり。
(ゐん)も、いとかしこくおどろき(まう)したまひて、御座(おほんざ)()きたまひぬ。
お座席、ご調度類などは、太政大臣が詳細に勅旨を承って、ご準備なさっていた。
今日は、勅命があって、いらっしゃっていた。
院も、たいそう恐縮申されて、お座席にご着席になった。
院のお席の物、その室に備えられた道具類は太政大臣が聖旨を奉じて最高の技術者に製作させた物であった、そしてお言葉を受けてこの大臣もお式の場へ臨んだ。院はこれにもお驚きになって恐縮の意を表されながら式の座へお着きになった。
9.7.8
母屋(もや)御座(おほんざ)(むか)へて、大臣(おとど)御座(おほんざ)あり。
いときよらにものものしく(ふと)りて、この大臣(おとど)ぞ、今盛(いまさか)りの宿徳(しうとく)とは()えたまへる
母屋のお座席に向かい合って、大臣のお座席がある。
たいそう美々しく堂々と太って、この大臣は、今が盛りの威厳があるようにお見えである。
中央の室に南面された院のお席に向き合って太政大臣の座があった。きれいで、りっぱによく(ふと)っていて、位人臣をきわめた貫禄(かんろく)の見える男盛りと見えた。
9.7.9
主人(あるじ)(ゐん)は、なほいと(わか)源氏(げんじ)(きみ)()えたまふ。
御屏風四帖(みびゃうぶしでふ)に、内裏(うち)御手書(おほんてか)かせたまへる、(から)(あや)薄毯(うすだん)に、下絵(したゑ)のさまなどおろかならむやは
おもしろき春秋(しゅんじう)(つく)()などよりも、この御屏風(みびゃうぶ)(すみ)つきのかかやくさまは、()(およ)ばず、(おも)ひなしさへめでたくなむありける。
主人の院は、今もなお若々しい源氏の君とお見えである。
御屏風四帖に、帝が御自身でお書きあそばした唐の綾の薄毯の地に、下絵の様子など、尋常一様であるはずがない。
美しい春秋の作り絵などよりも、この御屏風のお筆の跡の輝く様子は、目も眩む思いがし、御宸筆と思うせいでいっそう素晴らしかったのであった。
院はまだ若い源氏の君とお見えになるのであった。四つの屏風(びょうぶ)には帝の御筆蹟(ひっせき)()られてあった。薄地の支那綾(しなあや)に高雅な下絵のあるものである。四季の彩色絵よりもこのお屏風はりっぱに見えた。帝の御字は輝くばかりおみごとで、目もくらむかと思いなしも添って思われた。
9.7.10
置物(おきもの)御厨子(みづし)()(もの)()(もの)など、蔵人所(くらうどどころ)より(たま)はりたまへり。
大将(だいしゃう)御勢(おほんいきほ)いといかめしくなりたまひにたれば、うち()へて、今日(けふ)作法(さほふ)いとことなり。
御馬四十疋(おほんむましじふひき)左右(ひだりみぎ)馬寮(むまづかさ)六衛府(ろくゑふ)官人(かんにん)(かみ)より次々(つぎつぎ)()きととのふるほど、日暮(ひく)()てぬ。
置物の御厨子、絃楽器、管楽器など、蔵人所から頂戴なさった。
右大将のご威勢も、たいそう堂々たる者におなりになったので、それも加わって、今日の儀式はまことに格別である。
御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人が、上の者から順々に馬を引き並べるうちに、日がすっかり暮れた。
置き物の台、()き物、吹き物の楽器は蔵人所(くろうどどころ)から給せられたのである。右大将の勢力も強大になっていたため今日の式のはなやかさはすぐれたものに思われた。四十匹の馬が左馬寮、右馬寮、六衛府(りくえふ)の官人らによって次々に引かれて出た。おそれ多いお贈り物である。そのうち夜になった。

第八段 舞楽を演奏す

9.8.1
(れい)の、万歳楽(まんざいらく)」、賀王恩(がわうおん)」などいふ(まひ)けしきばかり()ひて大臣(おとど)(わた)りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊(おほんあそ)びに、皆人(みなひと)(こころ)()れたまへり。
琵琶(びは)は、(れい)兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)(なに)ごとにも()(かた)きものの上手(じゃうず)におはして、いと()なし
御前(おまへ)(きん)御琴(おほんこと)
大臣(おとど)和琴弾(わごんひ)きたまふ。
例によって、「万歳楽」「賀皇恩」などという舞、形ばかり舞って、太政大臣がおいでになっているので、珍しく湧き立った管弦の御遊に、参会者一同、熱中して演奏していらっしゃった。
琵琶は、例によって兵部卿宮、どのような事でも世にも稀な名人でいらっしゃって、二人といない出来である。
院の御前に琴の御琴。
太政大臣、和琴をお弾きになる。
例の万歳楽、賀皇恩(がこうおん)などという舞を、形式的にだけ舞わせたあとで、お座敷の音楽のおもしろい場が開かれた。太政大臣という音楽の達者(たてもの)が臨場していることにだれもだれも興奮しているのである。琵琶(びわ)は例によって兵部卿(ひょうぶきょう)の宮、院は(きん)、太政大臣は和琴(わごん)であった。
9.8.2
(とし)ごろ()ひたまひにける御耳(おほんみみ)()きなしにやいと(いう)にあはれに(おぼ)さるれば、(きん)御手(おほんて)をさをさ(かく)したまはず、いみじき()ども()づ。
長年幾度となくお聞きになってきたお耳のせいか、まことに優美にしみじみと感慨深くお感じになって、ご自身の琴の秘術も少しもお隠しにならず、素晴らしい音色を奏でる。
久しくお聞きにならぬせいか和琴の調べを絶妙のものとしてお聞きになる院は、御自身も琴を熱心にお()きあそばされたのである。いかなる時にも聞きえなかった妙音も出た。
9.8.3
(むかし)御物語(おほんものがたり)どもなど()()て、(いま)はた、かかる御仲(おほんなか)らひにいづ(かた)につけても、()こえかよひたまふべき御睦(おほんむつ)びなど、(こころ)よく()こえたまひて、御酒(おほんみき)あまたたび(まゐ)りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔(おほんゑ)()きどもえとどめたまはず。
昔のお話なども出てきて、今は今で、このような親しいお間柄で、どちらからいっても、仲よくお付き合いなさるはずの親しいご交際などを、気持ちよくお話し申されて、お杯を幾度もお傾けになって、音楽の感興も増す一方で、酔いの余りの感涙を抑えかねていらっしゃる。
またも昔の話が出て、子息の縁組みその他のことで昔に増した濃い親戚(しんせき)関係を持つことにおなりになった二人は、(むつ)まじく酒杯をお重ねになった。おもしろさも頂天に達した気がされて、酔い泣きをされるのもこのかたがたであった。
9.8.4
御贈(おほんおく)(もの)すぐれたる和琴一(わごんひと)つ、(この)みたまふ高麗笛添(こまぶえそ)へて。
紫檀(したん)箱一具(はこひとよろひ)に、(から)(ほん)ども、ここの(さう)(ほん)など()れて。
御車(みくるま)()ひてたてまつれたまふ
御馬(おほんむま)ども(むか)()りて、右馬寮(みぎのつかさ)ども、高麗(こま)(がく)して、ののしる。
六衛府(ろくゑふ)官人(かんにん)(ろく)ども、大将賜(だいしゃうたま)ふ。
御贈り物として見事な和琴を一つ、お好きでいらっしゃる高麗笛を加えて。
紫檀の箱一具に、唐の手本とわが国の草仮名の手本などを入れて。
お車まで追いかけて差し上げなさる。
御馬を受け取って、右馬寮の官人たちが、高麗の楽を演奏して、大声を上げる。
六衛府の官人の禄など、大将がお与えになる。
お贈り物には、すぐれた名器の和琴を一つ、それに大臣の好む高麗笛(こまぶえ)を添え、また紫檀(したん)の箱一つには唐本と日本の草書の書かれた本などを入れて、院は帰ろうとする大臣の車へお積ませになった。馬を院方の人が受け取った時に右馬寮の人々は高麗楽を奏した。六衛府の官人たちへの纏頭(てんとう)は大将が出した。
9.8.5
御心(みこころ)()ぎたまひていかめしきことどもは、このたび(とど)めたまへれど、内裏(うち)春宮(とうぐう)一院(いちのゐん)(きさい)(みや)次々(つぎつぎ)(おほん)ゆかりいつくしきほど、いひ()らず()えにたることなれば、なほかかる(をり)には、めでたくなむおぼえける
ご意向から簡素になさって、仰々しいことは、今回はご中止なさったが、帝、東宮、一の院、后の宮、次から次へと御縁者の堂々たることは、筆舌に尽くしがたいことなので、やはりこのような晴れの賀宴の折には、素晴らしく思われるのであった。
質素に質素にとして目だつことはおやめになったのであるが、宮中、東宮、朱雀(すざく)院、(きさい)の宮、このかたがたとの関係が深くて、自然にはなやかさの作られる六条院は、こんな際に最も光る家と見えた。

第九段 饗宴の後の感懐

9.9.1
大将(だいしゃう)の、ただ一所(ひとところ)おはするを、さうざうしく(はえ)なき心地(ここち)せしかど、あまたの(ひと)にすぐれ、おぼえことに、人柄(ひとがら)もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北(ははきた)(かた)伊勢(いせ)御息所(みやすんどころ)との(うら)(ふか)く、(いど)みかはしたまひけむほどの御宿世(おほんすくせ)どもの()末見(すゑみ)えたるなむ、さまざまなりける
大将が、ただ一人りいらっしゃるのを、物足りなく張り合いのない感じがしたが、大勢の人々に抜きん出て、評判も格別で、人柄も並ぶ者がないように優れていらっしゃるにつけても、あの母北の方が、伊勢の御息所との確執が深く、互いに争いなさったご運命の結果が現れたのが、それぞれの違いだったのである。
院には大将だけがお一人息子で、ほかに男子のないことは寂しい気もされることであったが、その一人の子が万人にすぐれた器量を持ち、君主の御覚えがめでたく、幸運の人というにほかならぬことが(あか)しされていくにつけて、この人の母である夫人と、伊勢(いせ)御息所(みやすどころ)との双方の自尊心が強くて苦しく競い合った時代に次いで、中宮とこの大将が双方とも、院の大きい愛のもとでりっぱなかたがたになられたことが思わせられる。
9.9.2
その()御装束(おほんさうぞく)どもなど、こなたの(うへ)なむしたまひける
(ろく)どもおほかたのことをぞ、三条(さんでう)(きた)(かた)いそぎたまふめりし
折節(をりふし)につけたる(おほん)いとなみ、うちうちのもののきよらをも、こなたにはただよそのことにのみ()きわたりたまふを、何事(なにごと)につけてかはかかるものものしき(かず)にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将(だいしゃう)(きみ)(おほん)ゆかりに、いとよく(かず)まへられたまへり。
その当日のご装束類は、こちらの御方がご用意なさったのであった。
禄などの一通りのことは、三条の北の方がご準備なさったようであった。
何かの折節につけたお催し事、内輪の善美事をも、こちらはただ他所事とばかり聞き過していらっしゃるので、どのような事をして、このような堂々たる方々のお仲間入りなされようかと、お思いであったのだが、大将の君のご縁で、まことに立派に重んじられていらっしゃった。
この日大将から院へ奉った衣服類は花散里夫人が引き受けて作ったのである。纏頭の物は皆三条の若夫人の手でできたようであった。六条院のはなやかな催し事もよそのことに聞いていた花散里夫人には、こうした生きがいのある働きをする日はあることかと思われたものであるが、大将の母儀(ぼぎ)になっていることによって光栄が分かたれたのである。

第十章 明石の物語 男御子誕生


第一段 明石女御、産期近づく

10.1.1
年返(としかへ)りぬ
桐壺(きりつぼ)御方近(おほんかたちか)づきたまひぬるにより正月朔日(しゃうがつついたち)より御修法不断(みすほふふだん)にせさせたまふ
寺々(てらでら)社々(やしろやしろ)御祈(おほんいの)り、はた(かず)()らず。
大殿(おとど)(きみ)ゆゆしきことを()たまへてしかばかかるほどのこといと(おそ)ろしきものに(おぼ)ししみたるを、(たい)(うへ)などのさることしたまはぬは、口惜(くちを)しくさうざうしきものから、うれしく(おぼ)さるるに、まだいとあえかなる(おほん)ほどにいかにおはせむと、かねて(おぼ)(さわ)ぐに、二月(きさらぎ)ばかりより、あやしく()けしき()はりて(なや)みたまふに、御心(みこころ)ども(さわ)ぐべし
年が改まった。
桐壷の御方の御出産が近づきなさったことによって、正月上旬から、御修法を不断におさせになる。
多くの寺々、神社神社の御祈祷は、これまた数えきれないほどである。
大殿の君は、不吉なことをご経験なさったことがあるので、このような時のことは、たいそう恐ろしいものと心底から思っていらっしゃるので、対の上などがそのようなことがおありでなかったのは、残念に物足りなく思うものの、一方では嬉しく思わずにはいらっしゃれないので、まだとてもお小さいお年頃なので、どんなことにおなりかと、前々からご心配であったが、二月ごろから、妙にご容態が変わってお苦しみなさるので、どなたもご心痛のようである。
新年になった。六条院では淑景舎(しげいしゃ)(かた)の産期が近づいたために不断の読経(どきょう)が元日から始められていた。諸社、諸寺でも数知れぬ祈祷(きとう)をさせておいでになるのである。院は昔の(あおい)夫人が出産のあとで死んだことで懲りておいでになって、恐ろしいものと子を産むことを感じておいでになり、紫夫人に出産のなかったことは物足らぬお気持ちもしながらまたうれしくお思われにもなるのであったから、まだ少女といってよいほどの身体(からだ)で、その女の大厄(たいやく)を突破せねばならぬ御女(おんむすめ)のことを、早くから御心配になっていたが、二月ごろからは寝ついてしまうほどにも苦しくなったふうであるのを院も女王(にょおう)も不安がられないはずもない。
10.1.2
陰陽師(おみゃうじ)どもも、(ところ)()へてつつしみたまふべく(まう)しければ、(ほか)のさし(はな)れたらむはおぼつかなしとて、かの明石(あかし)御町(おほんまち)(なか)(たい)(わた)したてまつりたまふ。
こなたは、ただおほきなる対二(たいふた)つ、(らう)どもなむめぐりてありけるに御修法(みすほふ)壇隙(だんひま)なく()りて、いみじき験者(げんざ)ども(つど)ひて、ののしる。
陰陽師たちも、お住まいを変えてお大事になさるのがよいと申したので、他のかけ離れた所は気がかりであると思って、あの明石の御町の中の対にお移し申し上げなさる。
こちらは、ただ大きい対の屋が二棟だけあって、幾つもの渡廊などが周囲を廻っていたが、御修法の壇を隙間なく塗り固めて、たいそう霊験ある修験者たちが集まって、大声を上げて祈願する。
陰陽師(おんようじ)どもは場所を変えて謹慎をせねばならぬと進言するので、院外の離れた家へ移すのは気がかりに思召され、明石(あかし)夫人の北の町の一つの対の屋へ淑景舎の病室は移されることになった。こちらはただ大きい対の屋が二つと、そのほかは廊にして(めぐ)らせた座敷ばかりの建物であったから、廊座敷に祈祷の壇が幾つも築かれ、評判のよい祈祷僧は皆集められて祈っていた。
10.1.3 母君は、この時に自分の御運もはっきりするだろうことなので、たいそう気が気でない思いでいらっしゃる。
明石夫人は桐壺(きりつぼ)の方が平らかに出産されるか否かで自身の運命も決まることと信じていて、一所懸命な看護をしていた。

第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る

10.2.1 あの大尼君も、今ではすっかりもうろくした人になったのであろう。
このご様子を拝見するのは、夢のような心地がして、早速お側に上がり、親しくお付き添い申す。
明石入道の尼夫人はもうぼけた老婆になっているはずである。姫君に接近のできることを夢のような幸福と思って、移って間もなくこの人がそばへ出てくるようになった。
10.2.2
(とし)ごろ、母君(ははぎみ)かう()ひさぶらひたまへど、(むかし)のことなど、まほにしも()こえ()らせたまはざりけるを、この尼君(あまぎみ)(よろこ)びにえ()へで、(まゐ)りては、いと(なみだ)がちに、(ふる)めかしきことどもを、わななき()でつつ(かた)りきこゆ。
今まで、この母君はこのようにお付き添いなさっていたが、昔のことなどは、まともにお聞かせ申し上げなかったが、この尼君、喜びを抑えることができず、参上しては、たいそう涙っぽく、大昔のことどもを震え声を出しては度々お話し申し上げる。
もう幾年か明石夫人は姫君に付き添っているのであるが、桐壺の方の生まれてきた当時の事情などはまだ正確に話してなかった。それを老尼はうれしさのあまりに病室へ来ては涙まじりに、昔の話を身じまいをしながら姫君へ語るのであった。
10.2.3
(はじ)めつ(かた)は、あやしくむつかしき(ひと)かなと、うちまもりたまひしかど、かかる(ひと)ありとばかりは、ほの()きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
初めのころは、妙にうるさい人だと、じっと顔を見つめていらっしゃったが、このような人がいるという程度には、うすうす聞いていらっしゃったので、やさしくお相手なさっていた。
初めの間は無気味な老婆であると姫君は思って、顔ばかり見つめているのを常としたが、実母にそうした母親があるということは何かの時に聞いたこともあったのを思い出してからは好意を持つようになった。
10.2.4
()まれたまひしほどのこと、大殿(おとど)(きみ)のかの(うら)におはしましたりしありさま、
お生まれになったころのこと、大殿の君があの浦にいらっしゃった様子、
明石で生まれた時のこと、また院がその海岸へ移って来ておいでになったころの様子などを尼君は言う、
10.2.5
(いま)はとて(きゃう)(のぼ)りたまひしに、(たれ)(たれ)も、(こころ)(まど)はして、(いま)(かぎ)り、かばかりの(ちぎ)りにこそはありけれと(なげ)きしを、若君(わかぎみ)のかく()(たす)けたまへる御宿世(おほんすくせ)の、いみじくかなしきこと」
「もうお別れとばかり都へ上京なさった時、皆が皆、気が動転して、これが最後と、これだけの御縁であったのだと嘆いていましたが、若君がお生まれになってお助けくださった御運が、ほんとうに身にしみて感じられますこと」
「京へお帰りになりました時、一家の者はこれで御縁が切れてしまうのかとひどく悲しんだものでございますがね、お生まれになったお姫様が暗い運命から私たちを救い上げてくだすったのでございますから、ありがたいことと御恩を思っております」
10.2.6
と、ほろほろと()けば、
とぼろぼろと涙をこぼして泣くので、
はらはらと涙をこぼしている。
10.2.7
げに、あはれなりける(むかし)のことをかく()かせざらましかば、おぼつかなくても()ぎぬべかりけり」
「なるほど、大変であった当時のことを、このように聞かせてくださらなかったら、知らずに過ごしてしまったにちがいないことだわ」
そんな哀れな昔の話をこの尼さんが聞かせてくれなければ、自分はただ疑ってみるだけで、真相は何もわからずにしまったかもしれぬ
10.2.8
(おぼ)して、うち()きたまふ。
(こころ)のうちには、
とお思いになって、涙をお漏らしになる。
心の中では、
と思って桐壺の方は泣いた。心のうちでは、
10.2.9
わが()は、げにうけばりていみじかるべき(きは)にはあらざりけるを、(たい)(うへ)(おほん)もてなしに(みが)かれて、(ひと)(おも)へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。
(ひと)びとをばまたなきものに(おも)()こよなき(こころ)おごりをばしつれ。
世人(よひと)は、(した)()()づるやうもありつらむかし」
「わが身は、なるほど大きな顔をして栄華をきわめるような身分ではなかったのに、対の上のご養育のお蔭で立派になって、世間の人の思惑なども、悪くはなかったのだわ。
傍輩の女御更衣たちをまったく問題にもせず、すっかり思い上がっていたものだわ。
世間の人は、蔭で噂することもあったであろうよ」
自分の身の上は決して欠け目ないものとは言えなかったのを、養母の夫人の愛にみがかれて十分な尊敬も受ける院の御女(おんむすめ)ともなりえたのである、思い上がった心で東宮の後宮に侍していても、他の人たちを自分に劣ったもののように見たりしてきたのは過失(あやまり)である、表面に出して言わないでも、世間の人は自分のその態度を(そし)ったことであろう
10.2.10
など(おぼ)()()てぬ。
などと、すっかりお分りになった。
と反省もされるようになった。
10.2.11
母君(ははぎみ)をば、もとよりかくすこしおぼえ(くだ)れる(すぢ)()りながら、()まれたまひけむほどなどをば、さる世離(よばな)れたる(さかひ)にてなども()りたまはざりけり。
いとあまりおほどきたまへるけにこそは。
あやしくおぼおぼしかりけることなりや
母君を、もともとこのように少し身分が低い家柄とは知っていたが、お生まれになったときの状況などを、あのような都から遠く離れた田舎だなどとはご存知なかったのである。
実にあまりにおっとりし過ぎていらっしゃるせいであろう。
変に頼りないお話であったこと。
実母は少し劣った家の出であるとは知っていても、生まれたのはそうした遠い田舎(いなか)の家であったなどとは思いも寄らぬことだったのである。おおように育てられ過ぎたせいだったかもしれぬが、自身の今まで知らぬとは不思議なことのように思われるのであった。
10.2.12
かの入道(にふだう)の、(いま)仙人(せんにん)の、()にも()まぬやうにてゐたなるを()きたまふも、心苦(こころぐる)しくなど、かたがたに(おも)(みだ)れたまひぬ。
あの入道が、今では仙人のように、とてもこの世ではないような暮らしぶりでいるとの話をお聞きになるにつけても、お気の毒ななどと、あれやこれやとお心をお痛めになった。
祖父である入道が現在では人間離れのした仙人(せんにん)のような生活をしているということも若い心には悲しかった。

第三段 明石御方、母尼君をたしなめる

10.3.1
いとものあはれに(なが)めておはするに、御方参(おほんかたまゐ)りたまひて、日中(にちう)御加持(おほんかぢ)こなたかなたより(まゐ)(つど)ひ、もの(さわ)がしくののしるに、御前(おまへ)にこと(びと)もさぶらはず尼君(あまぎみ)所得(ところえ)ていと(ちか)くさぶらひたまふ。
たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方がお上がりになって、日中の御加持に、あちらこちらから参まって来て、大声を立てて祈祷していたが、御前に特に女房たちも伺候していず、尼君、得意顔にたいそう身近にお付きしていらっしゃる。
姫君がにわかにいろいろな物思いを胸に持って、寂しい顔をしている時に明石夫人が出て来た。昼の加持にあちらこちらから手つだいの者や僧が来て騒いでいるのを、この人は今まで監督していたのであるが、来てみると姫君のそばには他の者がいずに尼君だけが得意な気分を見せて近くにすわっていた。
10.3.2
あな、見苦(みぐる)しや
(みじか)御几帳引(みきちゃうひ)()せてこそ、さぶらひたまはめ。
(かぜ)など(さわ)がしくて、おのづからほころびの(ひま)もあらむに。
医師(くすし)などやうのさまして
いと(さか)()ぎたまへりや
「まあ、見苦しいこと。
短い御几帳をお側に置いてこそ、お付きなさいませ。
風などが強くて、自然と隙間もできましょうに。
医師のようにして。
ほんとうに盛りを過ぎていらっしゃること」
「体裁が悪うございますよ。短い几帳(きちょう)身体(からだ)をお隠しになってお付きしていらっしゃればいいのに、風が吹いていますからお座敷の外から人がのぞけば、あなたはお医者のような恰好(かっこう)でおそばに出ているのですから恥ずかしい。こんなふうにしておいでになってはね」
10.3.3
など、なまかたはらいたく(おも)ひたまへり。
よしめきそして()()ふとおぼゆめれども、もうもうに(みみ)もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、(かたぶ)きてゐたり。
などと、はらはらしていらっしゃった。
十分気を付けて振る舞っていると、思っているらしいけれども、老いぼれて耳もよく聞こえなかったので、「ああ」と、首をかしげていた。
などと明石は片腹痛がっていた。品のよいとりなしでこうしているのであると尼君自身は信じているのであるが、もう耳もあまり聞こえなくて、娘の言葉も、「ああよろしいよ」などと言っていいかげんに聞いているのである。
10.3.4
さるは、いとさ()ふばかりにもあらずかし
六十五(ろくじふご)(ろく)のほどなり。
尼姿(あますがた)いとかはらかに、あてなるさまして、目艶(めつや)やかに()()れたるけしきの、あやしく昔思(むかしおも)()でたるさまなれば、(むね)うちつぶれて、
実際、
そう言うほどの年齢でもない
。六十五、六歳ぐらいである。尼姿、たいそうこざっぱりと、気品がある様子で、目がきらきらと涙で泣きはらした様子が、妙に昔を思い出しているよ
六十五、六である。しゃんとした尼姿で上品ではあるが、目を赤く泣きはらしているのを見ては、古い時代、つまり源氏の君の明石の浜を去ったころによくこうであったことが思い出されて夫人ははっとした。
10.3.5
古代(こだい)のひが(こと)どもやはべりつらむ。
よく、この()のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり()ぜつつ、あやしき(むかし)のことどもも()でまうで()つらむはや。
(ゆめ)心地(ここち)こそしはべれ」
「古めかしいわけのわからないお話でも、ございましたのでしょう。
よく、この世にはありそうもない記憶違いのことを交えては、妙な昔話もあれこれとお話し申し上げたことでしょうよ。
夢のような心地がします」
「間違いの多い昔話などを申していたのでしょう。怪しくなりました記憶から取り出します話には荒唐無稽(こうとうむけい)な夢のようなこともあるのでございますよ」
10.3.6
と、うちほほ()みて()たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、(れい)よりもいたくしづまり、もの(おぼ)したるさまに()えたまふ。
わが()ともおぼえたまはず、かたじけなきに
と、ちょっと苦笑して拝見なさると、たいそう優雅でお美しくて、いつもよりひどく落ち着いていらして、物思いに沈んでいるようにお見えになる。
自分が生んだ子ともお見えにならないほど、恐れ多い方なので、
と、微笑を作りながら夫人のながめる姫君は、(えん)にきれいな顔をしていて、しかも平生よりはめいったふうが見えた。自身の子ながらももったいなく思われるこの人の心を、
10.3.7
いとほしきことどもを()こえたまひて、(おぼ)(みだ)るるにや。
(いま)はかばかりと御位(みくらゐ)(きは)めたまはむ()()こえも()らせむとこそ(おも)へ、口惜(くちを)しく(おぼ)()つべきにはあらねどいといとほしく心劣(こころおと)りしたまふらむ」
「お気の毒なことを申し上げなさったので、お悩みになっていらっしゃるのだろうか。
もうこれ以上ない最高のお地位におつきになった時に、お話し申し上げようと思っていたのに、残念にも自信をおなくしになる程のことではないが、さぞやお気の毒にがっかりしていられることだろう」
傷つけるような話を自身の母がして煩悶(はんもん)をしているのではないか、お(きさき)の位にもこの人の上る時を待って過去の真実を知らせようとしていたのであるが、現在はまだ若いこの人でも、昔話から母の自分をうとましく思うことはあるまいが、この人自身の悲観することにはなろう
10.3.8
とおぼゆ。
とご心配なさる。
と明石夫人は(あわれ)んだ。

第四段 明石女三代の和歌唱和

10.4.1
御加持果(おほんかぢは)ててまかでぬるに、(おほん)くだものなど(ちか)くまかなひなし、こればかりをだに」と、いと心苦(こころぐる)しげに(おも)ひて()こえたまふ。
御加持が終わって退出したので、果物など近くにさし上げ、「せめてこれだけでもお召し上がりください」と、たいそうおいたわしく思い申し上げなさる。
加持が済んで僧たちの去ったあとで、夫人は近く寄って菓子などを勧め、「少しでも召し上がれ」と心苦しいふうに姫君を扱っていた。
10.4.2
尼君(あまぎみ)は、いとめでたううつくしう()たてまつるままにも、(なみだ)はえとどめず。
(かほ)()みて、(くち)つきなどは見苦(みぐる)しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
尼君は、とても立派でかわいらしいと拝見するにつけても、涙を止めることができない。
顔は笑って、口もとなどはみっともなく広がっているが、目のあたりは涙に濡れて、泣き顔していた。
尼君はりっぱな美しい桐壺(きりつぼ)の方に視線をやっては感激の涙を流していた。顔全体に()みを作って、口は見苦しく大きくなっているが、目は流れ出す涙で悲しい相になっていた。
10.4.3 「まあ、みっともない」
困る
10.4.4
と、()くはすれど、()きも()れず。
と、目くばせするが、かまいつけない。
というように明石は目くばせをするが、気のつかないふうをしている。
10.4.5 「長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って
誰が出家した老人のわたしを咎めたりしましょうか
「老いの波かひある浦に立ちいでて
しほたるるあまをたれか(とが)めん
10.4.6
(むかし)()にもかやうなる古人(ふるびと)は、罪許(つみゆる)されてなむはべりける」
昔の時代にも、このような老人は、大目に見てもらえるものでございます」
昔の聖代にも老齢者は罪されないことになっていたのでございますよ」
10.4.7 と申し上げる。
御硯箱にある紙に、
と尼君は言った。硯箱(すずりばこ)に入れてあった紙に、
10.4.8 「泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて
訪ねてみたいものです、
しほたるるあまを波路のしるべにて
尋ねも見ばや浜の苫屋(とまや)
10.4.9
御方(おほんかた)もえ(しの)びたまはで、うち()きたまひぬ。
御方も我慢なされずに、つい泣いておしまいになった。
こんな歌を姫君は書いた。明石も堪えがたくなって泣いた。
10.4.10 「出家して明石の浦に住んでいる父入道も
子を思う心の闇は晴れることもないでしょう」
世を捨てて明石の浦に住む人も
心の(やみ)は晴るけしもせじ
10.4.11
など()こえ、(まぎ)らはしたまふ。
(わか)れけむ(あかつき)ことも、(ゆめ)(なか)(おぼ)()でられぬを、口惜(くちを)しくもありけるかな」と(おぼ)す。
などと申し上げて、涙をお隠しになる。
別れたという暁のことを、少しも覚えていらっしゃらないのを、「残念なことだった」とお思いになる。
などと言って、この場の悲しい空気の密度をより濃くすまいとした。姫君は祖父に別れた朝のことなどを、心には忘れていても、夢の中だけにも見たいのが見えぬのは残念であると思った。

第五段 三月十日過ぎに男御子誕生

10.5.1
弥生(やよひ)十余日(とをよか)のほどに、(たひ)らかに()まれたまひぬ
かねてはおどろおどろしく(おぼ)(さわ)ぎしかど、いたく(なや)みたまふことなくて男御子(をとこみこ)にさへおはすれば、(かぎ)りなく(おぼ)すさまにて、大殿(おとど)御心落(みこころお)ちゐたまひぬ。
三月の十何日のころに、無事にお生まれになった。
前々は仰々しく大騒ぎしていたのだが、ひどくお苦しみになることもなくて、男の御子でさえいらっしゃったので、際限もなく望みどおりだったので、大殿もご安心なさった。
三月の十幾日に桐壺の方は安産した。その時まではあぶないことのようにして、多くの祈祷が神仏にささげられていたのであるが、たいした苦しみもなく、しかも男宮をお生みしたのであったから、この上の幸福もないようで院のお心も落ち着いた。
10.5.2
こなたは(かく)れの(かた)にてただ気近(けぢか)きほどなるに、いかめしき御産養(おほんうぶやしなひ)などのうちしきり、(ひび)きよそほしきありさま、げに「かひある(うら)」と、尼君(あまぎみ)のためには()えたれど儀式(ぎしき)なきやうなれば(わた)りたまひなむとす
こちらは裏側に当たっていて、端近な所であるが、盛大な御産養などがひき続き、騷ぎの仰々しい様子は、なるほど「価値ある浦」と、尼君のためには見えたが、威儀も整わないようなので、お移りになることになる。
こちらは(かげ)の場所のようになっていた所で、ただ風流な座敷が幾つも作られてある建物では、いかめしい今後続いてあるはずの産養(うぶやしない)の式などに不便であって、老尼君のためにだけはうれしいことと見えても、外見へは不都合であるために、南の町へ産屋(うぶや)を移す計画ができていた。
10.5.3
(たい)(うへ)(わた)りたまへり
(しろ)御装束(おほんさうぞく)したまひて、(ひと)(おや)めきて、若宮(わかみや)をつと(いだ)きてゐたまへるさま、いとをかし。
みづからかかること()りたまはず、(ひと)(うへ)にても()ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと(おも)ひきこえたまへり。
むつかしげにおはするほどを、()えず(いだ)きとりたまへば、まことの祖母君(おばぎみ)は、ただ(まか)せたてまつりて、御湯殿(おほんゆどの)(あつか)ひなどを(つか)うまつりたまふ。
対の上もいらっしゃった。
白い御装束をお着けになって、まるで親のようにして、若宮をしっかりと抱いていらっしゃる様子、たいそう素晴らしい。
ご自身ではこのようなことはご経験もないし、他人のことでも御覧になったことがないので、とても珍しくかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。
まだお扱いにくそうでいらっしゃる時なのを、しじゅうお抱きになっていらっしゃるので、実の祖母君は、ただお任せ申して、お湯殿のお世話などをなさる。
紫の女王(にょおう)も出て来た。白い服装をして母らしく若宮をお抱きしている姫君はかわいく見えた。紫夫人は自身に経験のないことであったし、他の人の場合にもこうした産屋などに立ち合ったことはなかったから、幼い宮を珍しくおかわいく思うふうが見えた。まだあぶないように思われるほどの小さい方を女王は始終手に抱いているので、ほんとうの祖母である明石(あかし)夫人は、養祖母に任せきりにして、産湯(うぶゆ)仕度(したく)などにばかりかかっていた。
10.5.4
春宮(とうぐう)宣旨(せんじ)なる典侍(ないしのすけ)(つか)うまつる
御迎湯(おほんむかへゆ)に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの()りたるに、
東宮の宣旨である典侍がお湯殿に奉仕する。
御迎湯の役を、ご自身がなさるのも大変に胸をうつことで、内々の事情も少しは知っているので、
東宮宣下(せんげ)の際の宣旨拝受の役を勤めた典侍(ないしのすけ)がお湯をお使わせするのであった。迎え湯を(たらい)()ぎ入れる役を明石の勤めるのも気の毒で淑景舎(しげいしゃ)の方の生母がこの人であることは知らないこともない東宮がたの女房たちは目をとめて、
10.5.5
すこしかたほならばいとほしからましをあさましく気高(けだか)く、げに、かかる(ちぎ)りことにものしたまひける(ひと)かな」
「少しでも欠点があれば、お気の毒であったろうに、驚くほど気品があり、なるほど、このような前世からの約束事があったお方なのだわ」
どこかに欠点でもある人なら当然のこととも思っておられようが、あまりに気高(けだか)い明石の姿はこの人たちに畏敬(いけい)の念を起こさせて、未来の天子の御外祖母たる因縁を身に備えて生まれた人に違いない
10.5.6
()きこゆ。
このほどの儀式(ぎしき)などもまねびたてむに、いとさらなりや。
と拝見する。
この時の儀式の様子などを、そっくりそのまま語り伝えるのも、まったく今さららしく思われるよ。
というようなことも思わせた。お湯殿の式のくわしい記事は省略する。

第六段 帝の七夜の産養

10.6.1
六日(むいか)といふに、(れい)御殿(おとど)(わた)りたまひぬ。
七日(なぬか)()内裏(うち)よりも御産養(おほんうぶやしなひ)のことあり
六日目という日に、いつもの御殿にお移りになった。
七日の夜に、内裏からも御産養がある。
六日めに以前の南の町の御殿へ桐壺の方は移った。七日の夜には宮中からのお産養(うぶやしない)があった。
10.6.2
朱雀院(すざくゐん)の、かく()()ておはします御代(おほんか)はりにや蔵人所(くらうどどころ)より、頭弁(とうのべん)宣旨(せんじ)うけたまはりて、めづらかなるさまに(つか)うまつれり。
(ろく)(きぬ)など、また中宮(ちゅうぐう)御方(おほんかた)よりも、公事(おほやけごと)にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。
次々(つぎつぎ)親王(みこ)たち、大臣(おとど)家々(いへいへ)そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを()くして(つか)うまつりたまふ。
朱雀院が、このように御出家あそばされいるお代わりであろうか、蔵人所から、頭弁が、宣旨を承って、例のないほど立派にご奉仕した。
禄の衣装など、また中宮の御方からも、公事のきまり以上に、盛大におさせあそばす。
次々の親王方、大臣の家々、その当時のもっぱらの仕事にして、われもわれもと、善美を尽くしてご奉仕なさる。
朱雀(すざく)院が世捨て人の御境遇へおはいりになったために、そのお代わりにあそばされたことであったらしい。宮中から頭の弁が宣旨で来て、この日の派手(はで)な祝宴を管理した。纏頭(てんとう)の品々は中宮のお志で慣例以上の物が出された。親王がた、諸大臣家からもわれもわれもとはなやかな御祝い品の来るお産屋(うぶや)であった。
10.6.3
大殿(おとど)(きみ)も、このほどのことどもは、(れい)のやうにもこと()がせたまはで、()になく(ひび)きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねび(つた)ふべき(ふし)は、()()まらずなりにけり
大殿(おとど)(きみ)も、若宮(わかみや)をほどなく(いだ)きたてまつりたまひて、
大殿の君も、この時の儀式はいつものように簡略になさらずに、世に例のないほど大仰な騷ぎで、内輪の優美で繊細な優雅さの、そのままお伝えしなければならない点は、目も止まらずに終わってしまったのであった。
大殿の君も、若宮をすぐにお抱き申し上げなさって、
この際の祝宴については、いつも華奢(かしゃ)に流れることは遠慮したいとお言いになる院も、あまりお止めにはならなかったために、目もくらむほどのお産養の日が続き、ぼんやりとしていた筆者にその際の洗練された細かな物好みで製作されたおのおのの式の賀品などのことによく気がつかなかった。院は若宮をお抱きになって、
10.6.4
大将(だいしゃう)のあまたまうけたなるを(いま)まで()せぬがうらめしきに、かくらうたき(ひと)をぞ()たてまつりたる」
「大将が大勢子供を儲けているそうだが、今まで見せないのが恨めしいが、このようにかわいらしい子をお授かり申したことよ」
「大将が幾人も持った子を今まで見せないのを恨めしく思っていたが、こんなかわいい方が授かった」
10.6.5
と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや
と、おかわいがり申し上げなさるのは、無理もないことであるよ。
と愛しておいでになるのはごもっともなことである。
10.6.6
日々(ひび)に、ものを()()ぶるやうにおよすけたまふ。
御乳母(おほんめのと)など、心知(こころし)らぬはとみに()さで、さぶらふ(なか)に、(しな)(こころ)すぐれたる(かぎ)りを()りて、(つか)うまつらせたまふ。
日に日に、物を引き伸ばすようご成長なさっていく。
御乳母など、気心の知れないのは急いでお召しにならず、伺候している者の中から、家柄、嗜みのある人ばかりを選んで、お仕えさせなさる。
毎日物が引き伸ばされるように若宮は大きくおなりになるのであった。乳母(めのと)などは新しい人をお見つけになることは当分されずに、これまでの六条院の女房の中から、身柄も性質もよい人ばかりを選んでお付けになった。

第七段 紫の上と明石御方の仲

10.7.1
御方(おほんかた)御心(みこころ)おきての、らうらうじく気高(けだか)く、おほどかなるものの、さるべき(かた)には卑下(ひげ)して、(にく)らかにもうけばらぬなどを、()めぬ(ひと)なし。
御方のお心構えが、気が利いていて気品があって、おっとりしているものの、しかるべき時には謙遜して、小憎らしくわがもの顔に振る舞ったりしないことなどを、誉めない人はいない。
明石夫人が聡明(そうめい)で、気高(けだか)い、おおような心を持っていながら、ある場合に卑下することを忘れずに、自身が表に出ようとすることのない態度のとれることについてはほめない人はなかった。
10.7.2
(たい)(うへ)は、まほならねど、()()はしたまひて、さばかり(ゆる)しなく(おぼ)したりしかど(いま)は、(みや)御徳(おほんとく)に、いと(むつ)ましく、やむごとなく(おぼ)しなりにたり。
稚児(ちご)うつくしみたまふ御心(みこころ)にて、天児(あまがつ)など、御手(おほんて)づから(つく)りそそくりおはするも、いと若々(わかわか)し。
()()れこの(おほん)かしづきにて()ぐしたまふ。
対の上は、改まった形というのではないが、時々お会いなさって、あれほど許せないと思っていらっしゃったが、今では、若宮のお蔭で、たいそう仲好く、大切な方と思うようにおなりになっていた。
子供をおかわいがりになるご性格で、天児などを、ご自身でお作りになり忙しそうにしていらっしゃるのも、たいそう若々しい。
毎日このお世話で日を暮していらっしゃる。
紫夫人は顔をあらわに見せて話すようなことは今までこの人となかったのであるが、今度はよく(むつ)まじく話して、過去においては長く僭越(せんえつ)な競争者であると見ていた人に好意を持ちうるようになり、若宮を愛する気持ちの交流があたたかい友情までも覚えさすことになった。女王(にょおう)は子供好きであったから、天児(あまがつ)の人形などを自身で縫ったりしている時はことさら若々しく見えた。日夜を若宮のために心をつかう紫夫人であった。
10.7.3
かの古代(こだい)尼君(あまぎみ)は、若宮(わかみや)をえ(こころ)のどかに()たてまつらぬなむ、()かずおぼえける。
なかなか()たてまつり()めて、()ひきこゆるにぞ、(いのち)もえ()ふまじかめる
あの年寄の尼君は、若君をゆっくりと拝見できないことを、残念に思っているのであった。
なまじ拝見したために、またお目にかかりたく思って、死ぬほど切ない思いをしているようである。
明石の老尼は、若宮を満足できるほど拝見することのできないのを残念に思っていた。しかしそれがかえって幸いであったかもしれぬ、なおしばらくでもそばでお愛し申し上げるような時間が許されたものであれば、あとの恋しい思いで尼は死んだかもしれないから。

第十一章 明石の物語 入道の手紙


第一段 明石入道、手紙を贈る

11.1.1
かの明石(あかし)にもかかる(おほん)こと(つた)()きて、さる聖心地(ひじりごこち)にも、いとうれしくおぼえければ、
あの明石でも、このようなお話を伝え聞いて、そうした出家心にも、たいそう嬉しく思われたので、
明石の入道も姫君の出産の報を得て、人間離れのした心にも非常にうれしく思われて、
11.1.2 「今は、この世から心安らかな気持ちで離れて行くことができよう」
「もうこれでこの世と別な境地へ自分の心を置くことができる」
11.1.3
弟子(でし)どもに()ひて、この(いへ)をば(てら)になし、あたりの()などやうのものは、(みな)その(てら)のことにしおきて、この(くに)(おく)(こほり)に、(ひと)(かよ)ひがたく(ふか)(やま)あるを、(とし)ごろも()めおきながら、あしこに()もりなむ(のち)また(ひと)には()()らるべきにもあらず(おも)ひて、ただすこしのおぼつかなきこと(のこ)りければ(いま)までながらへけるを、(いま)はさりともと、仏神(ほとけかみ)(たの)(まう)してなむ(うつ)ろひける。
と弟子たちに言って、この家を寺にして、周辺の田などといったものは、みなその寺の所領にすることにして、この国の奥の郡で、人も行かないような深い山があるのを、かねてより所有していたのを、あそこに籠もった後は、再び人に見られることもあるまいと考えて、ほんの少し気がかりなことが残っていたので、今までとどまっていたが、今はもう大丈夫と、仏神をお頼み申して移ったのであった。
弟子(でし)どもに言い、明石の邸宅を寺にし、近くの領地は寺領に付けて以前から播磨(はりま)の奥の(こおり)に人も通いがたい深い山のある所を選定して、最後のこもり場所としてあったものの、少しまだ不安な点が残していく世にあって、なおそこへは移らなかった山の草庵(そうあん)へ、もう今後の子孫の運は仏神にお頼みするばかりであるとして入道は行ってしまうのであった。
11.1.4
この(ちか)(とし)ごろとなりては、(きゃう)(こと)なることならで、(ひと)(かよ)はしたてまつらざりつ。
これより(くだ)したまふ(ひと)ばかりにつけてなむ、一行(ひとくだり)にても、尼君(あまぎみ)さるべき折節(をりふし)ことも(かよ)ひける。
(おも)(はな)るる()のとぢめに、文書(ふみか)きて、御方(おほんかた)にたてまつれたまへり。
最近の数年間は、都に特別の事でなくては、使いを差し上げることもしなかった。
都からお下しになる使者ぐらいには言づけて、ほんの一行の便りなりと、尼君はしかるべき折のお返事をするのであった。
俗世を離れる最後に、手紙を書いて、御方に差し上げなさった。
近年はもう京の家族も順調に行っていることに安心して、使いを出してみることもなかったのである。京から使いが送られた時にだけ短いたよりを尼君へ書いて来た。入道はいよいよ明石を立つ時に、娘の明石夫人へ手紙を書いた。

第二段 入道の手紙

11.2.1
この(とし)ごろは(おな)()(なか)のうちにめぐらひはべりつれど、(なに)かは、かくながら()()へたるやうに(おも)うたまへなしつつさせることなき(かぎ)りは、()こえうけたまはらず。
「ここ数年というものは、同じこの世に生きておりましたが、何のかのと、生きながら別世界に生まれ変わったように考えることに致しまして、格別変わった事がない限りは、お手紙を差し上げたり戴いたりしないでおります。
この幾年間はあなたと同じ世界にいながらすでに他界で生存するもののような気持ちでたいしたことのない限りはおたよりを聞こうともしませんでした。
11.2.2
仮名文見(かなぶみみ)たまふるは、()(いとま)いりて、念仏(ねんぶつ)懈台(けたい)するやうに、(やく)なうてなむ、御消息(おほんせうそこ)もたてまつらぬを、()てにうけたまはれば、若君(わかぎみ)春宮(とうぐう)(まゐ)りたまひて、男宮生(をとこみやむ)まれたまへるよしをなむ、(ふか)(よろこ)(まう)しはべる。
仮名の手紙を拝見するのは、時間がかかって、念仏も怠けるようで、無益と考えて、お手紙を差し上げませんでしたが、人伝てに承りますと、若君は東宮に御入内なさって、男宮がご誕生なさったとのこと、心からお喜び申し上げております。
仮名書きの物を読むのは目に時間がかかり、念仏を怠ることになり、無益(むやく)であるとしたのです。またこちらのたよりもあげませんでしたが、承ると姫君が東宮の後宮へはいられ、そして男宮をお生み申されたそうで、私は深くおよろこびを申し上げる。
11.2.3
そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏(やまぶし)()に、(いま)さらにこの()(さか)えを(おも)ふにもはべらず。
()ぎにし(かた)(とし)ごろ、(こころ)ぎたなく、六時(ろくじ)(つと)めにも、ただ(おほん)ことを(こころ)にかけて、(はちす)(うへ)(つゆ)(ねが)をばさし()きてなむ(ねん)じたてまつりし。
そのわけは、わたし自身このような取るに足りない山伏の身で、今さらこの世での栄達を願うのではございません。
過ぎ去った昔の何年かの間、未練がましく、六時の勤めにも、ただあなたの御事を心にかけ続けて、自分の極楽往生の願いはさしおいて願ってきました。
その理由はみじめな僧の身で今さら名利を思うのではありません。過去の私は恩愛の念から離れることができず、六時の勤行をいたしながらも、仏に願うことはただあなたに関することで、自身の浄土往生の願いは第二にしていましたが、初めから言えば、
11.2.4
わがおもと()まれたまはむとせし、その(とし)二月(にがつ)のその()(ゆめ)()しやう、
あなたがお生まれになろうとした、その年の二月の某日の夜の夢に見たことは、
あなたが生まれてくる年の二月の某日の夜の夢に、こんなことを見たのです、
11.2.5 『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。
その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。
自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。
山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』
私自身は須弥山(しゅみせん)を右の手にささげているのです。その山の左右から月と日の光がさしてあたりを照らしています。私には山の陰影(かげ)が落ちて光のさしてくることはないのです。私はその山を広い海の上に浮かべて置いて、自身は小さい船に乗って西のほうをさして行く
11.2.6
となむ()はべし。
と見ました。
ので終わったのです。
11.2.7
夢覚(ゆめさ)めて、(あした)より(かず)ならぬ()(たの)むところ()()ながら、(なに)ごとにつけてかさるいかめしきことをば()()でむ』と、(こころ)のうちに(おも)ひはべしを、そのころより(はら)まれたまひにしこなた、(ぞく)(かた)(ふみ)()はべしにも、また内教(ないけう)(こころ)(たづ)ぬる(なか)にも、(ゆめ)(しん)ずべきこと(おほ)くはべしかば、(いや)しき(ふところ)のうちにも、かたじけなく(おも)ひいたづきたてまつりしかど、力及(ちからおよ)ばぬ()(おも)うたまへかねてなむ、かかる(みち)(おもむ)きはべりにし
夢から覚めて、その朝から物の数でもないわが身にも期待する所が出て来ましたが、どのようなことにつけてか、そのような大変な幸運を待ち受けることができようかと、心中に思っておりましたが、そのころからあなたが孕まれなさって以来今まで、仏典以外の書物を見ましても、また仏典の真意を求めました中にも、夢を信じるべきことが多くございましたので、賎しい身ながらも、恐れ多く大切にお育て申し上げましたが、力の及ばない身に思案にあまって、このような田舎に下ったでした。
その夢のさめた朝から私の心にはある自信ができたのですが、何によってそうした夢に象徴されたような幸福に近づきうるかという見当がつかなかったところ、ちょうどそのころから母の胎に(はら)まれたのがあなたです。普通の書物にも仏典にも夢を信じてよいことが多く書かれてありますから、無力な親でいてあなたをたいせつなものにして育てていましたが、そのために物質的に不足なことのないようにと京の生活をやめて地方官の中へはいったのです。
11.2.8
また、この(くに)のことに(しづ)みはべりて、(おい)(なみ)にさらに()(かへ)らじと(おも)ひとぢめて、この(うら)(とし)ごろはべしほども、わが(きみ)(たの)むことに(おも)ひきこえはべしかばなむ、心一(こころひと)つに(おほ)くの(がん)()てはべし。
その(かへ)(まう)し、(たひ)らかに(おも)ひのごと(とき)にあひたまふ
するとまた、この国で沈淪しまして、老の身で都に二度と帰るまいと諦めをつけて、この浦に何年もおりましたその間も、あなたに期待をおかけ申していましたので、自分一人で数多くの願を立てました。
そのお礼参りが、無事にできるような願いどおりの運勢に巡り合われたのです。
ここでまた私の身の上に悪いことが起こり、しまいに土着して出家の人になり、あなたは姫君をお生みになったそのころのことは知っておいでになるとおりです。その時代に私は多くの願を立てていましたが、皆神仏のお()れになることになり、あなたは幸福な人になられました。
11.2.9
若君(わかぎみ)(くに)(はは)となりたまひて、(ねが)()ちたまはむ()に、住吉(すみよし)御社(みやしろ)をはじめ、()たし(まう)したまへ。
さらに(なに)ごとをかは(うたが)ひはべらむ。
若君が、国母とおなりになって、願いが叶いなさったあかつきには、住吉の御社をはじめとして、お礼参りをなさい。
まったく何を疑うことがありましょうか。
姫君が国の母の御位(みくらい)をお占めになった暁には住吉(すみよし)の神をはじめとして仏様への願果たしをなさるようにと申しておきます。
11.2.10
この(ひと)つの(おも)(ちか)()にかなひはべりぬれば、はるかに西(にし)(かた)十万億(じふまんおく)国隔(くにへだ)てたる、九品(くほん)(うへ)(のぞ)(うたが)ひなくなりはべりぬれば、(いま)はただ(むか)ふる(はちす)()ちはべるほど、その(ゆふ)べまで、水草清(みづくさきよ)(やま)(すゑ)にて(つと)めはべらむとてなむ、まかり()りぬる。
この一つの願いが、近い将来に叶うことになったので、遥か西方の、十万億土を隔てた極楽の九品の蓮台の上の往生の願いも確実になりましたので、今はただ阿彌陀の来迎を待っておりますだけで、その夕べまで、水も草も清らかな山の奥で勤行しましょうと思って、入山致しました。
私の大願がかなった今では、はるかに西方の十万億の道を隔てた世界の、九階級の中の上の仏の座が得られることも信じられます。今から蓮華(れんげ)をお持ちになる迎えの仏にお()いする夕べまでを私は水草の清い山にはいってお勤めをしています。
11.2.11 日の出近い暁となったことよ
今初めて昔見た夢の話をするのです」
光いでん暁近くなりにけり
今ぞ見しよの夢語りする
11.2.12 とあって、
そして日づけがある。またあとへ、

第三段 手紙の追伸

11.3.1
命終(いのちおは)らむ月日(つきひ)さらにな()ろしめしそ。
いにしへより(ひと)()めおきける藤衣(ふぢごろも)にも、(なに)かやつれたまふ
ただわが()変化(へんげ)のものと(おぼ)しなして老法師(おいほふし)のためには功徳(くどく)をつくりたまへ。
この()(たの)しみに()へても、(のち)()(わす)れたまふな。
「寿命の尽きる月日を、決してお心にかけてなさいますな。
昔から皆が染めておいた喪服なども、お召しなさるな。
ただ自分は神仏の権化とお思いになって、この老僧のためには冥福をお祈り下さい。
現世の楽しみを味わうにつけても、来世をお忘れなさるな。
私の命の終わる月日もお知りになる必要はありません。人が古い習慣で親のために着る喪服などもあなたはお着けにならないでお置きなさい。人間の私の子ではなく、別な生命(いのち)を受けているものとお思いになって、私のためにはただ人の功徳(くどく)になることをなさればよろしい。
11.3.2
(ねが)ひはべる(ところ)にだに(いた)りはべりなば、かならずまた対面(たいめん)ははべりなむ。
娑婆(さば)(ほか)(きし)(いた)りて、()くあひ()むとを(おぼ)せ」
願っております極楽にさえ行きつけましたら、きっと再びお会いすることがございましょう。
この世以外の世界に行き着いて、早く会おうとお考え下さい」
この世の愉楽をわが物としておいでになる時にも後世(ごせ)のことを忘れぬようになさい。私の志す世界へ行っておれば必ずまた逢うことができるのです。娑婆(しゃば)のかなたの岸も再会の得られる期の現われてくることを思っておいでなさい。
11.3.3
さて、かの(やしろ)()(あつ)めたる願文(がんぶみ)どもを、(おほ)きなる(ぢん)文箱(ふばこ)に、(ふん)()めてたてまつりたまへり。
そして、あの社に立てた多くの願文類を、大きな沈の文箱に、しっかり封をして差し上げなさっていた。
こう書いて終わってあった。また入道が住吉の(やしろ)へ奉った多くの願文を集めて入れた(じん)の木の箱の封じものも添えてあった。
11.3.4
尼君(あまぎみ)には、ことごとにも()かずただ、
尼君には、別に改めて書いてなく、ただ、
尼君への手紙は細かなことは言わずに、ただ、
11.3.5
この(つき)十四日(じふよにち)になむ(くさ)(いほり)まかり(はな)れて、(ふか)(やま)()りはべりぬる。
かひなき()をば、熊狼(くまおほかみ)にも()しはべりなむ
そこには、なほ(おも)ひしやうなる御世(みよ)()()でたまへ
(あき)らかなる(ところ)にてまた対面(たいめん)はありなむ」
「今月の十四日に、草の庵を出て、深い山に入ります。
役にも立たない身は、熊や狼に施しましょう。
あなたは、やはり望みどおりの御代になるのをお見届け下さい。
極楽浄土で、再びお会いすることがありましょう」
この月の十四日に今までの家を離れて深山(みやま)へはいります。つまらぬわが身を(くま)(おおかみ)に施します。あなたはなお生きていて幸いの花の美しく咲く日におあいなさい。光明の中の世界でまた逢いましょう。
11.3.6
とのみあり。
とだけある。
と書かれただけのものであった。

第四段 使者の話

11.4.1
尼君(あまぎみ)この(ふみ)()て、かの使(つか)ひの大徳(だいとこ)()へば、
尼君、この手紙を見て、その使いの大徳に尋ねると、
読んだあとで尼君は使いの僧に入道のことを聞いた。
11.4.2
この御文書(おほんふみか)きたまひて三日(みか)といふになむ、かの()えたる(みね)(うつ)ろひたまひにし。
なにがしらも、かの御送(おほんおく)りに、(ふもと)まではさぶらひしかど、皆返(みなかへ)したまひて、僧一人(そうひとり)童二人(わらはふたり)なむ、御供(おほんとも)にさぶらはせたまふ。
(いま)はと()(そむ)きたまひし(をり)を、(かな)しきとぢめと(おも)うたまへしかど、(のこ)りはべりけり
「このお手紙をお書きになって、三日目という日に、あの人跡絶えた山奥にお移りになりました。
拙僧らも、そのお見送りに、麓までは参りましたが、皆お帰しになって、僧一人と、童二人をお供にお連れなさいました。
今は最後とご出家なさった時に、悲しみの極みと存じましたが、さらに悲しいことが残っておりました。
「お手紙をお書きになりましてから三日めに(いおり)を結んでおかれました奥山へお移りになったのでございます。私どもはお見送りに山の(ふもと)へまで参ったのですが、そこから皆をお帰しになりまして、あちらへは僧を一人と少年を一人だけお供にしてお行きになりました。御出家をなさいました時を悲しみの終わりかと思いましたが、悲しいことはそれで済まなかったのでございます。
11.4.3
(とし)ごろ(おこ)なひの隙々(ひまひま)に、()()しながら()()らしたまひし(きん)御琴(おほんこと)琵琶(びわ)とり()せたまひて、()調(しら)べたまひつつ、(ほとけ)にまかり(まう)したまひてなむ、御堂(みだう)施入(せにふ)したまひし。
さらぬものどもも、(おほ)くはたてまつりたまひて、その(のこ)りをなむ、御弟子(みでし)ども六十余人(ろくじふよにん)なむ、(した)しき(かぎ)りさぶらひける、ほどにつけて皆処分(みなそうぶん)したまひて、なほし(のこ)りをなむ、(きゃう)御料(ごりゃう)とて(おく)りたてまつりたまへる。
長年勤行の合間合間に寄りかかりながら、掻き鳴らしていらした琴の御琴、琵琶を取り寄せなさって、少しお弾きなさっては、仏にお別れ申されて、御堂に施入なさいました。
その他の物も、大抵は寄進なさって、その残りを、御弟子たち六十何人の、親しい者たちだけのお仕えしてきた者に、身分に応じて全て処分なさって、その上で残っているのを、都の方々の分としてお送り申し上げたのです。
以前から仏勤めをなさいますひまひまに、お身体(からだ)を楽になさいましてはお()きになりました(きん)琵琶(びわ)を持ってよこさせになりまして、仏前でお暇乞(いとまご)いにお弾きになりましたあとで、楽器を御堂(みどう)へ寄進されました。そのほかのいろいろな物も御堂へ御寄付なさいまして、余りの分をお弟子(でし)の六十幾人、それは親しくお仕えした人数ですが、それへお分けになり、なお残りました分を京の御財産へおつけになりました。
11.4.4
(いま)はとてかき()もり、さるはるけき(やま)雲霞(くもかすみ)()じりたまひにし、むなしき御跡(おほんあと)にとまりて、(かな)しび(おも)(ひと)びとなむ(おほ)くはべる」
今は最後と引き籠もり、あの遥かな山の雲霞の中にお入りになってしまわれたので、空っぽのお跡に残されて悲しく思う人々は多くございます」
いっさいをこんなふうに清算なさいまして深山(みやま)雲霞(くもかすみ)の中に紛れておはいりになりましたあとのわれわれ弟子どもはどんなに悲しんでいるかしれません」
11.4.5
など、この大徳(だいとこ)も、(わらは)にて(きゃう)より(くだ)りし(ひと)の、老法師(おいほふし)になりてとまれる、いとあはれに心細(こころぼそ)しと(おも)へり。
(ほとけ)御弟子(みでし)のさかしき(ひじり)だに、(わし)(みね)をばたどたどしからず(たの)みきこえながら、なほ薪尽(たきぎつ)きける()(まど)(ふか)かりけるを、まして尼君(あまぎみ)(かな)しと(おも)ひたまへること(かぎ)りなし。
などと、この大徳も、子供の時に都から下った人で、老僧となって残っているのだが、まことにしみじみと心細く思っていた。
仏の御弟子の偉い聖僧でさえ、霊鷲山を十分に信じていながら、それでもやはり釈迦入滅の時の悲しみは深いものであったが、まして尼君の悲しいと思っていらっしゃることは際限がない。
播磨(はりま)の僧は言った。これも少年侍として京からついて行った者で、今は老法師で主に取り残された悲哀を顔に見せている。仏の御弟子で堅い信仰を持ちながらこの人さえ主を失った(なげ)きから脱しうることができないのであるから、まして尼君の歎きは並み並みのことでなかった。

第五段 明石御方、手紙を見る

11.5.1
御方(おほんかた)は、(みなみ)御殿(おとど)におはするを「かかる御消息(おほんせうそこ)なむある」とありければ、(しの)びて(わた)りたまへり。
重々(おもおも)しく()をもてなしておぼろけならでは、(かよ)ひあひたまふこともかたきを「あはれなることなむ」と()きて、おぼつかなければ、うち(しの)びてものしたまへるに、いといみじく(かな)しげなるけしきにてゐたまへり
明石御方は、南の御殿にいらっしゃったが、「このようなお手紙がありました」と、伝えて来たので、人目に立たないようにしてお越しになった。
重々しく振る舞って、さしたる用件がなければ、行き来しあいなさることは難しいのだが、「悲しいことがある」と聞いて、気がかりなので、こっそりといらっしゃったところ、とてもたいそう悲しそうな様子で座っていらっしゃった。
明石(あかし)夫人はたいてい南の町のほうへばかり行っていたが、明石の使いが入道の手紙をもたらしたことを尼君が報らせて来たため、そっと北の町へ帰って来た。この人は自重していて少しのことによって軽々しく往来(ゆきき)することはしないのであるが、悲しいたよりがあったというので忍びやかに出て来たのである。見ると尼君は非常に悲しいふうをしてすわっていた。
11.5.2
火近(ひちか)()()せて、この(ふみ)()たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。
よその(ひと)は、(なに)とも()とどむまじきことの、まづ、昔来(むかしき)(かた)のこと(おも)()で、(こひ)しと(おも)ひわたりたまふ(こころ)には、あひ()()()てぬるにこそは」と、()たまふに、いみじくいふかひなし。
灯火を近くに引き寄せて、この手紙を御覧になると、なるほど涙を堰き止めることができなかった。
他人ならば、何とも感じないことが、まず、昔から今までのことを思い出して、恋しいとお思い続けていなさるお心には、「二度と会えずに終わってしまうのだ」と、思って御覧になると、ひどく何とも言いようがない。
(ともしび)を近くへ寄せさせて夫人は手紙を読んでみると、自身からもとどめがたい涙が流れた。他人にとっては何でもないことも子としては忘れがたい思い出になる昔のことが多くて、常に恋しくばかり思われた父は、こうして自分たちから永久に去ったのかと思うと、どうしようもない深い悲しみに落ちるばかりであった。
11.5.3
(なみだ)をえせきとめず、この夢語(ゆめがた)りを、かつは()先頼(さきたの)もしく、
涙をお止めになることもできない。この夢物語を一方では将来頼もしく思われ、
この夢の話によって、自分に不相応な未来を期待して、
11.5.4
さらば、ひが(こころ)にてわが()をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、(なか)ごろ(おも)ひただよはれしことはかくはかなき(ゆめ)(たの)みをかけて、心高(こころたか)くものしたまふなりけり」
「それでは、偏屈な考えで、わたしをあんなにもとんでもない身にして不安にさまよわせなさると、一時は気持ちが迷ったこともあるが、それは、このような当てにならない夢に望みをかけて、高い理想を持っていらしたのだ」
人並みの幸福を受けさせずに苦しめる父であるようにある時代の自分が恨んだのも、一つの夢を頼みにした父であったからであると、
11.5.5
と、かつがつ(おも)()はせたまふ。
と、やっとお分りになる。
はじめて理解のできた気もした。

第六段 尼君と御方の感懐

11.6.1
尼君(あまぎみ)(ひさ)しくためらひて、
尼君は、長い間涙を抑えて、
少したって尼君は、
11.6.2
(きみ)御徳(おほんとく)にはうれしくおもだたしきことをも、()にあまりて(なら)びなく(おも)ひはべり。
あはれにいぶせき(おも)ひもすぐれてこそはべりけれ
「あなたのお蔭で、嬉しく光栄なことも、身に余るほどに又とない運勢だと思っております。
でも、悲しく胸の晴れない思いも、
「あなたがあったために輝かしい光栄にも私は浴していますが、またあなたのためにどれほどの苦労を心でしたことか。
11.6.3
(かず)ならぬ(かた)にてもながらへし(みやこ)()てて、かしこに(しづ)みゐしをだに、世人(よひと)(たが)ひたる宿世(すくせ)にもあるかな、と(おも)ひはべしかど、()ける()にゆき(はな)れ、(へだて)たるべき(なか)(ちぎ)りとは(おも)ひかけず、(おな)(はちす)()むべき(のち)()(たの)をさへかけて年月(としつき)()ぐし()て、にはかにかくおぼえぬ(おほん)こと()()(そむ)きにし()()(かへ)りてはべる、かひある(おほん)ことを()たてまつりよろこぶものから、(かた)つかたには、おぼつかなく(かな)しきことのうち()ひて()えぬをつひにかくあひ()(へだ)てながらこの()(わか)れぬるなむ、口惜(くちを)しくおぼえはべる。
物の数にも入らない身分ながらも、住み馴れた都を捨てて、あの国に沈淪していたのでさえ、普通の人と違った運命であると思っておりましたが、生きている間に別れ別れになり、離れて住まなければならない夫婦の縁とは思っておりませんで、同じ蓮の花の上に住むことができることに望みを託して歳月を送って来て、急にあのような思いもかけない御事が出てきて、捨てた都に帰って来ましたが、その甲斐あった御事を拝見して喜ぶものの、もう一方には、気がかりで悲しいことが付きまとって離れないのを、とうとうこのように再び会うことなく離れたまま、一生の別れとなってしまったのが残念に思われます。
たいしたことのない家の子ではあっても、生まれた京を捨てて田舎(いなか)へ行ったころも不運な私だと思われましたがね。あとになって生きながら別れなければならぬとは予想せずに、同じ蓮華(れんげ)の上へ生まれて行く時まで変わらぬ夫婦でいようとも互いに思って、愛の生活には満足して年月を送ったのですが、にわかにあなたの境遇が変わって、私もそれといっしょに捨てた世の中へ帰り、あなたがたが幸福に恵まれるのを目に見ては喜びながらも、一方では別れ別れになっている寂しさ、たよりなさを常に思って悲しんでいましたが、とうとう遠く隔たったままでお別れしてしまったのが残念に思われます。
11.6.4
()()(とき)だに(ひと)()(こころ)ばへにより、()をもてひがむるやうなりしを、(わか)きどち(たの)みならひて、おのおのはまたなく(ちぎ)りおきてければ、かたみにいと(ふか)くこそ(たの)みはべしか。
いかなれば、かく(みみ)(ちか)きほどながらかくて(わか)れぬらむ」
在俗の時でさえ、普通の人と違った性質のため、世をすねているようでしたが、まだ若かった私たちは頼りにし合って、それぞれまたとなく深く約束し合っていたので、お互いに本当に心から頼りにしていましたのに。
どのようなわけで、このような便りの通じる近い所でありながら、こうして別れてしまったのでしょう」
若い時代のあの方も人並みな処世法はおとりにならずに、風変わりな人だったが、縁あって若い時から愛し合った二人の中には深い信頼があったものですよ。どうしてこの世の中でいながら()うことのできない所へあの方は行っておしまいなすったのだろう」
11.6.5
()(つづ)けて、いとあはれにうちひそみたまふ。
御方(おほんかた)もいみじく()きて、
と言い続けて、たいそう悲しげに泣き顔をしていらっしゃる。
御方もひどく泣いて、
と言って泣いた。夫人も非常に泣いた。
11.6.6 「人より優れた将来のことなど、嬉しくありません。
物の数にも入らない身には、どのようなことにつけても、晴れがましく生きがいのあるはずもないとはいうものの、悲しい行き別れの恰好で、生死の様子も分からずに終わってしまったことだけが残念です。
「こうお言いになっても、すばらしい将来などというものが私にあるものですか。価値(ねうち)のない私がどうなりうるものでもないのですから、私を愛してくだすったお父様にお目にかかることもできずにいるこの悲しみにそれは代えられるほどのものと思われませんが、
11.6.7
よろづのこと、さるべき(ひと)(おほん)ためとこそおぼえはべれ、さて()()もりたまひなば、()(なか)(さだ)めなきにやがて()えたまひなば、かひなくなむ」
すべてのこと、そうした因縁がおありだった方のためと思われますが、そうして山奥に入ってしまわれたなら、人の命ははかないものですから、そのままお亡くなりになったら、何にもなりません」
私たちは幸福な姫君をこの世にあらしめるために、悲しい思いも科せられているものと思うよりほかはありません。そんなふうにして山へおはいりになっては、無常のこの世ですもの、知らぬまにおかくれになるようなことになっては悲しゅうございますね」
11.6.8
とて、()もすがら、あはれなることどもを()ひつつ()かしたまふ。
と言って、一晩中、しみじみとしたお話をし合って夜を明かしなさる。
とも言い、夜通し尼君と入道の話をしていた。

第七段 御方、部屋に戻る

11.7.1
昨日(きのふ)も、大殿(おとど)(きみ)あなたにありと見置(みお)きたまひてしを、にはかにはひ(かく)れたらむも軽々(かろがろ)しきやうなるべし。
()ひとつは、(なに)ばかりも(おも)(はばか)りはべらず。
かく()ひたまふ(おほん)ためなどのいとほしきになむ、(こころ)にまかせて()をももてなしにくかるべき」
「昨日も、大殿の君が、あちらにいると御覧になっていらっしゃったが、急に人目を避けて隠れたようなのも、軽率に見えましょう。
わが身一つは、何も遠慮することはないのです。
このように若宮にお付きなさっている姫君のためにお気の毒で、思いのままに身を振る舞いにくいのです」
「昨日は私のあちらにいますのを院が見ていらっしゃったのですから、にわかに消えたようにこちらへ来ていましては、軽率に思召(おぼしめ)すでしょう。私自身のためにはどうでもよろしゅうございますが、姫君に累を及ぼすのがおかわいそうで自由な行動ができませんから」
11.7.2 と言って、暗いうちにお帰りになった。
こう言って夫人は夜明けに南の町へ行くのであった。
11.7.3
若宮(わかみや)いかがおはします。
いかでか()たてまつるべき」
「若宮はどうしていらっしゃいますか。
何とかしてお目にかかれないのでしょうか」
「若宮はいかがでいらっしゃいますか。お目にかかることはできないものですかね」
11.7.4
とても()きぬ。
と言ってまたも泣いた。
このことでも尼君は泣いた。
11.7.5
今見(いまみ)たてまつりたまひてむ
女御(にょうご)(きみ)も、いとあはれになむ(おぼ)()でつつ、()こえさせたまふめる。
(ゐん)も、ことのついでに、もし()中思(なかおも)ふやうならばゆゆしきかね(ごと)なれど尼君(あまぎみ)そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。
いかに(おぼ)すことにかあらむ」
「すぐにお目にかかれましょう。
女御の君も、とても懐かしくお思い出しになっては、お口にあそばすようです。
院も、話のついでに、もし世の中が思うとおりに行ったならば、縁起でもないことを言うようだが、尼君がその時まで生き永らえていらして欲しいと、おっしゃっているようでした。
どのようにお考えになってのことなのでしょうか」
「そのうち拝見ができますよ。姫君もあなたを愛しておいでになって、時々あなたのことをお話しになりますよ。院もよく何かの時に、自分らの希望が実現されていくものなら、そんなことを不安に思っては済まないが、なるべくは尼君を生きさせておいてみせたいと仰せになりますよ。御希望とはどんなことでしょう」
11.7.6
とのたまへば、またうち()みて、
とおっしゃると、再び笑い顔になって、
と夫人が言うと、尼君は急に笑顔(えがお)になって、
11.7.7
いでや、さればこそさまざま(ためし)なき宿世(すくせ)にこそはべれ」
「さあ、それだからこそ、喜びも悲しみもまたと例のない運命なのです」
「だから私達の運命というものは常識で考えられない珍しいものなのですよ」
11.7.8 と言って喜ぶ。
この文箱を持たせて女御の方の許に参上なさった。
とよろこぶ。手紙の箱を女房に持たせて明石は淑景舎(しげいしゃ)(かた)の所へ帰った。

第十二章 明石の物語 一族の宿世


第一段 東宮からのお召しの催促

12.1.1 東宮から、早く参内なさるようにとのお召しが始終あるので、
東宮から早く参るようにという御催促のしきりにあるのを、
12.1.2
かく(おぼ)したることわりなり。
めづらしきことさへ()ひていかに(こころ)もとなく(おぼ)さるらむ」
「そのようにお思いあそばすのも、無理のないことです。
おめでたいことまで加わって、どんなにか待ち遠しがっていらっしゃることでしょう」
「ごもっともですわね。若宮様もいらっしゃるのですもの、どんなに早くお()いあそばしたいでしょう」
12.1.3
と、(むらさき)(うへ)ものたまひて、若宮忍(わかみやしの)びて(まゐ)らせたてまつらむ御心(みこころ)づかひしたまふ。
と、紫の上もおっしゃって、若宮をこっそりと参上させようとご準備なさる。
と紫夫人も言って、院は若宮を東宮へお(のぼ)らせする用意をしておいでになった。
12.1.4
御息所(みやすんどころ)御暇(おほんいとま)(こころ)やすからぬに()りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく(おぼ)したり。
ほどなき御身(おほんみ)に、さる(おそ)ろしきことをしたまへれば、すこし面痩(おもや)(ほそ)りて、いみじくなまめかしき(おほん)さましたまへり。
御息所は、なかなかお暇が出ないのにお懲りになって、このような機会に、暫くお里にいたいと思っていらっしゃった。
年端も行かないお身体で、あのような恐ろしいご出産をなさったので、少しお顔がお痩せになって、たいそう優美なご様子をしていらっしゃった。
桐壺の方は退出のお許しが容易に得られなかったのに懲りて、この機会に今しばらく実家の人になっていたい気持ちでいるのである。小さい身体(からだ)で女の大難を経てきたのであったから、少し顔が()せ細って非常に(えん)な姿になっていた。
12.1.5 「このような、まだおやつれになっていらっしゃるのですから、もう少し静養なさってからでは」
「はっきりとなさいませんから、もう少しこちらで御養生をなさいますほうがいいと思います」
12.1.6
など、御方(おほんかた)などは心苦(こころくる)しがりきこえたまふを、大殿(おとど)は、
などと、御方などはお気の毒にお思い申し上げなさるが、大殿は、
と言うのは明石夫人の意見であった。
12.1.7
かやうに面痩(おもや)せて()えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」
「このように面痩せしてお目通りなさるのも、かえって魅力が増すものですよ」
「少し細られたこの姿をお目にかけるのはかえってまたよい結果のあるものなのだ」
12.1.8
などのたまふ。
などとおっしゃる。
などと院は言っておいでになるのである。

第二段 明石女御、手紙を見る

12.2.1
(たい)(うへ)などの(わた)りたまひぬる(ゆふ)(かた)しめやかなるに、御方(おほんかた)御前(おまへ)(まゐ)りたまひて、この文箱聞(ふばこき)こえ()らせたまふ。
対の上などがお帰りになった夕方、ひっそりした時に、御方は、御前に参上なさって、あの文箱のことをお聞かせ申し上げなさる。
明石は紫の女王(にょおう)などが対へ帰ったあとの静かな夕方に、姫君のそばへ来て、文書のはいった(じん)の木箱を見せ、入道のことを語るのであった。
12.2.2
(おも)ふさまにかなひ()てさせたまふまでは、()(かく)して()きてはべるべけれど、()中定(なかさだ)めがたければ、うしろめたさになむ。
(なに)ごとをも御心(みこころ)(おぼ)(かず)まへざらむこなたともかくも、はかなくなりはべりなばかならずしも(いま)はのとぢめを、御覧(ごらん)ぜらるべき()にもはべらねばなほ、うつし心失(ごころう)せずはべる()になむ、はかなきことをも、()こえさせ()くべくはべりける、(おも)ひはべりて。
「望み通りにおなりあそばすまでは、隠して置くべきことでございますが、この世は無常ですので、気がかりに思いまして。
何事もご自分のお考えで一つ一つご判断のおできになります前に、何にせよ、わたしが亡くなるようなことがございましたら、必ずしも臨終の際に、お見取りいただける身分ではございませんので、やはり、しっかりしているうちに、ちょっとした事柄でも、お耳に入れて置いたほうがよい、と存じまして。
「すべてのことが成り終わりますまでは、こんな物をお目にかけないほうがいいのかもしれませんが、人の命は無常なものでございますからね。何も御承知にならぬうちに私が()くなりますことがありましても、必ずしも臨終にあなた様のおいでがいただける身の上でもございませんから、とにかく健在なうちにこうしたこともお聞かせしておくほうがよいと存じまして、それに字が悪くて読みにくいものでございますがこの手紙もお見せすることにいたしましたから、御覧なさいませ。
12.2.3
むつかしくあやしき(あと)なれど、これも御覧(ごらん)ぜよ。
この願文(がんぶみ)(ちか)御厨子(みづし)などに()かせたまひて、かならずさるべからむ(をり)御覧(ごらん)じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
分りにくい変な筆跡ですが、これも御覧くださいませ。
この御願文は、身近な御厨子などにお置きあそばして、きっとしかるべき機会に御覧になって、この中の事柄をお果たしください。
この箱の中の願文(がんもん)はお居間の置き(だな)などへしまってお置きになりまして、何をなさることも可能な時がまいりましたら、これに書かれてございます神様などへ入道がいたしました願のお(むく)いをなすってくださいませ。
12.2.4
(うと)(ひと)には、()らさせたまひそ。
かばかりと()たてまつりおきつればみづからも()(そむ)きはべなむと(おも)うたまへなりゆけば、よろづ(こころ)のどかにもおぼえはべらず。
気心の知れない人には、お話しあそばしてはなりません。
将来も確かだと拝察致しましたので、自分自身も出家しましょうと思うようになってまいりましたので、何かにつけゆっくり構えるわけにも行きません。
他人にはお話をなさらないほうがよろしゅうございます。私はもうあなたのお身の上で何が不安ということもなくなったのでございますから、尼になりたい気がしきりにいたすのでございまして、長くお世話を申し上げることはできないでございましょう。
12.2.5
(たい)(うへ)御心(みこころ)おろかに(おも)ひきこえさせたまふな
いとありがたくものしたまふ、(ふか)()けしきを()はべれば、()にはこよなくまさりて(なが)御世(みよ)にもあらなむとぞ(おも)ひはべる。
もとより、御身(おほんみ)()ひきこえさせむにつけても、つつましき()のほどにはべれば、(ゆづ)りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、(とし)ごろは、なほ()(つね)(おも)うたまへわたりはべりつる。
対の上のお心、いい加減にはお思い申されますな。
実にめったにないほどでいらっしゃる、深いご親切のほどを拝見しますと、わたしよりはこの上なく、長生きして戴きたいと存じております。
もともと、お側にお付き申し上げるのも、遠慮される身分でございますので、最初からお譲り申し上げていたのでしたが、とてもこうまでも、してくださるまいと、長い間、やはり世間並に考えていたのでございました。
あなたは対のお母様の御恩をお忘れになってはいけませんよ。ありがたい方でございます。拝見いたしまして、ああしたりっぱな人格の方は必ず命も長くお恵まれになるだろうと思っております。あなたとごいっしょにおりますことはあなたの幸福でないと私が思いまして、はじめて女王様にあなたをお譲り申し上げました時には、これほどまでの愛をあなたにお持ちになることは想像できませんで、それ以後もただ世間並みのよいといわれる継母(ままはは)ぐらいのことと思いましたが、
12.2.6
(いま)は、()方行(かたゆ)(さき)うしろやすく(おも)ひなりにてはべり」
が今では、過去も将来も、安心できる気持ちになりました」
あの方の御愛情はそんなものではありませんでした。あの方にお任せいたしますほど安心なことはないとよく私はわかったのでございます」
12.2.7
など、いと(おほ)()こえたまふ。
(なみだ)ぐみて()きおはす。
かくむつましかるべき御前(おまへ)にも、(つね)にうちとけぬさましたまひてわりなくものづつみしたるさまなり。
この(ふみ)言葉(ことば)いとうたてこはく、(にく)げなるさまを、陸奥国紙(みちのくにがみ)にて、年経(としへ)にければ、()ばみ厚肥(あつご)えたる()六枚(ろくまい)さすがに(かう)にいと(ふか)くしみたるに()きたまへり。
などと、とても数多く申し上げなさる。
涙ぐんで聞いていらっしゃる。
このように親しくしてもよい御前でも、いつも礼儀正しい態度をなさって、無闇に遠慮している様子である。
この手紙の文句、たいそう固苦しく無愛想な感じであるが、陸奥国紙で年数が経っているので、黄ばんで厚くなった五、六枚に、そうは言っても香をたいそう深く染み込ませたのにお書きになっていた。
などと明石は淑景舎(しげいしゃ)に言った。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふうができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。入道の手紙は若い心に無気味なこわい気のされるようなことが、古檀紙の分厚い黄色がかった、それでも薫物(たきもの)の香の()んだのへ五、六枚に書かれてあるのを、姫君は身にしむふうで
12.2.8
いとあはれと(おぼ)して、御額髪(おほんひたひがみ)のやうやう()れゆく、御側目(おほんそばめ)あてになまめかし。
たいそう感動なさって、御額髪がだんだん涙に濡れて行く、御横顔、上品で優美である。
読んでいて額髪が涙にぬれていく様子が(えん)であった。

第三段 源氏、女御の部屋に来る

12.3.1
(ゐん)は、姫宮(ひめみや)御方(おほんかた)におはしけるを(なか)御障子(みさうじ)よりふと(わた)りたまへれば、えしも()(かく)さで、御几帳(みきちゃう)をすこし()()せて、みづからははた(かく)れたまへり。
院は、姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御障子から不意にお越しになったので、手紙を引き隠すことができず、御几帳を少し引き寄せて、ご自身はやはり隠れなさった。
院は女三(にょさん)(みや)のお座敷のほうにおいでになったのであるが、中の戸をあけてにわかにこちらへお見えになったのを知って、明石夫人は急なことで姫君の前に出された文書類を隠すことができず、几帳(きちょう)を少し前のほうへ引き寄せ、自身もその(かげ)へ姿を隠してしまった。
12.3.2
若宮(わかみや)おどろきたまへりや。
(とき)()(こひ)しきわざなりけり」
「若宮は、お目覚めでいらっしゃいますか。
ちょっとの間も恋しいものですよ」
「若宮が私の足音でお目ざめになりませんでしたか。しばらくでも見ずにいては恋しいものだから」
12.3.3
()こえたまへば、御息所(みやすんどころ)はいらへも()こえたまはねば、御方(おほんかた)
と申し上げなさると、御息所はお答えも申し上げなさらないので、御方が、
と院がお言いになっても姫君は黙っているのを見て、明石が、
12.3.4 「対の上にお渡し申し上げなさいました」
「対へおつれになったのでございます」
12.3.5
()こえたまふ。
と申し上げなさる。
と言った。
12.3.6
いとあやしや
あなたにこの(みや)(らう)じたてまつりて、(ふところ)をさらに(はな)たずもて(あつか)ひつつ、(ひと)やりならず(きぬ)皆濡(みなぬ)らして()ぎかへがちなめる。
軽々(かろがろ)しく、などかく(わた)したてまつりたまふ。
こなたに(わた)りてこそ()たてまつりたまはめ」
「実に不都合な。
あちらではこの宮を独り占め申されて、懐から少しも放さずお世話なさっては、好き好んで着物もすっかり濡らして、しきりに脱ぎ替えているようです。
かるがると、どうしてお渡し申しなさるのか。
こちらに来てお世話申し上げなさればよいものを」
「けしからんね、若宮をわが物顔にして懐中(ふところ)からお放ししないのだから。始終自身の着物をぬらして脱ぎかえているのですよ。軽々しく宮様をあちらへおやりするようなことはよろしくない。こちらへ拝見に来ればいいではないか」
12.3.7
とのたまへば、
とおっしゃると、

12.3.8
いと、うたて
(おも)ひぐまなき(おほん)ことかな。
(をんな)におはしまさむにだに、あなたにて()たてまつりたまはむこそよくはべらめ。
まして(をとこ)は、(かぎ)りなしと()こえさすれど、(こころ)やすくおぼえたまふを。
(たはぶ)れにても、かやうに(へだ)てがましきこと、なさかしがり()こえさせたまひそ
「まあ、いやな。
思いやりのないお言葉ですこと。
女宮でいらっしゃっても、あちらでお育て申し上げなさるのがよいことでございましょう。
まして男宮は、どれほど尊いご身分と申し上げても、ご自由と存じ上げておりますのに。
ご冗談にも、そのような分け隔てをするようなことを、変に知ったふうに申されなさいますな」
「思いやりのないことを仰せになります。内親王様であってもあの女王様に御養育おされになるのがふさわしいことと存じられますのに、まして男宮様は、そんなに尊貴でおありあそばしても、あちこちおつれ申すほどのことが何でございましょう。御冗談(ごじょうだん)にでも女王様のことをそんなふうにおっしゃってはよろしくございません」
12.3.9
()こえたまふ。
うち(わら)ひて、
とお答え申し上げなさる。
ほほ笑んで、
明石夫人はこう抗弁した。院はお笑いになって、
12.3.10
御仲(おほんなか)どもにまかせて見放(みはな)ちきこゆべきななりな
(へだ)てて、(いま)は、(たれ)(たれ)もさし(はな)ち、さかしらなどのたまふこそ(をさな)けれ。
まづは、かやうにはひ(かく)れて、つれなく()()としたまふめりかし」
「お二人にお任せして、お構い申さないのがよいというのですね。
分け隔てをして、このごろは、誰も彼もが除け者にして、でしゃばりだなどとおっしゃるのは、考えが足りないことです。
第一、そのようにこそこそ隠れて、冷たくこき下ろしなさるようだ」
「ではもうあなたがたにお任せきりにすべきだね。このごろはだれからも私は冷淡に扱われる。今のようなたしなめを言ったりする人もある。そうじゃありませんか、こんなに顔を隠していて、私を悪くばかり」
12.3.11
とて、御几帳(みきちゃう)()きやりたまへれば、母屋(もや)(はしら)()りかかりていときよげに、心恥(こころは)づかしげなるさましてものしたまふ。
と言って、御几帳を引きのけなさると、母屋の柱に寄り掛かって、たいそう綺麗に、気が引けるほど立派な様子をしていらっしゃる。
と、お言いになって、几帳を横へお引きになると、明石は清い顔をして中の柱に品よくよりかかっているのであった。

第四段 源氏、手紙を見る

12.4.1
ありつる(はこ)も、(まど)(かく)さむもさま()しければ、さておはするを、
さきほどの文箱も、慌てて隠すのも体裁が悪いので、そのままにしておかれたのを、
先刻(さっき)の箱もあわてて隠すのが恥ずかしく思われてそのままにしてあった。
12.4.2
なぞの(かこ)
(ふか)(こころ)あらむ。
懸想人(けさうびと)長歌詠(ながうたよ)みて(ふん)じこめたる心地(ここち)こそすれ」
「何の箱ですか。
深い子細があるのでしょう。
懸想人が長歌を詠んで大事に封じ込めてあるような気がしますね」
「何の箱ですか。恋する男が長い歌を()んで封じて来たもののような気がする」
12.4.3
とのたまへば、
とおっしゃるので、
院がこうお言いになると、
12.4.4
あな、うたてや
(いま)めかしくなり(かへ)らせたまふめる御心(みこころ)ならひに、()()らぬやうなる(おほん)すさび(ごと)どもこそ、時々出(ときどきい)()れ」
「まあ、いやですわ。
今風に若返りなさったようなお癖で、合点のゆかないようなご冗談が、時々出て来ますこと」
「いやな御想像でございますね。御自身がお若返りになりましたので、私どもさえまで承ったこともないような御冗談をこのごろは伺います」
12.4.5
とて、ほほ()みたまへれど、ものあはれなりける()けしきどもしるければ、あやしとうち(かたぶ)きたまへるさまなればわづらはしくて、
と言って、ほほ笑んでいらっしゃるが、しみじみとしたご様子がはっきりと感じられるので、妙だと首を傾けていらっしゃる様子なので、厄介に思って、
と明石は言って微笑を見せていたが、悲しそうな様子は瞭然(りょうぜん)とわかるのであったから、不思議にお思いになるふうのあるのに困って、明石が言った。
12.4.6
かの明石(あかし)岩屋(いはや)より(しの)びてはべし御祈(おほんいの)りの巻数(かんじゅ)また、まだしき(がん)などのはべりけるを、御心(みこころ)にも()らせたてまつるべき(をり)あらば御覧(ごらん)じおくべくやとてはべるを、ただ(いま)は、ついでなくて、(なに)かは()けさせたまはむ」
「あの明石の岩屋から、内々で致しましたご祈祷の巻数、また、まだ願解きをしていないのがございましたのを、殿にもお知らせ申し上げるべき適当な機会があったら、御覧になって戴いたほうがよいのではないかと送って来たのでございますが、只今は、その時でもございませんので、何のお開けあそばすこともございますまい」
「あの明石の岩窟(いわや)から、そっとよこしました経巻とか、まだお(むく)いのできておりません願文の残りとかなのでございますが、姫君にも昔のことをお話しする時があれば、これもお目にかけたらどうかと申してもまいっているのでございますが、ただ今はまだそうしたものを御覧なさいます時期でもないのでございますから、お手をおつけになりません」
12.4.7
()こえたまふに、げに、あはれなるべきありさまぞかし」と(おぼ)して、
と申し上げなさると、「なるほど、泣くのも無理はない」とお思いになって、
お聞きになって、娘と母に悲しい表情の見えるのももっともであるとお思いになった。
12.4.8
いかに(おこ)なひまして()みたまひにたらむ。
命長(いのちなが)くて、ここらの(とし)ごろ(つと)むる(つみ)も、こよなからむかし
()(なか)に、よしあり、(さか)しき方々(かたがた)の、(ひと)とて()るにも、この()()みたるほどの(にご)(ふか)きにやあらむ、(かしこ)(かた)こそあれいと(かぎ)りありつつ(およ)ばざりけりや。
「どんなに修業を積んでお暮らしになったことだろう。
長生きをして、長年の勤行の功徳の積み重ねによって消滅した罪障も、数知れぬことだろう。
世の中で、教養があり、賢明であるという方々を、それと見ても、現世の名利に執着した煩悩が深いのだろうか、学問は優れていても、実に限度があって及ばないな。
「あれ以後ますます深い信仰の道を歩んでおいでになることであろう。長命をされて長い間のお勤めが仏にできたのだから結構だね。世間で有名になっている高僧という者もよく観察してみると、俗臭のない者は少なくて、賢い点には尊敬の念も払われるが、私には飽き足らず思われる所がある、
12.4.9
さもいたり(ふか)く、さすがに、けしきありし(ひと)のありさまかな。
(ひじり)だち、この世離(よばな)(がほ)にもあらぬものから、(した)(こころ)は、(みな)あらぬ()(かよ)()みにたるとこそ、()えしか
実に悟りは深く、それでいて、風情のあった人だな。
聖僧のように、現世から離れている顔つきでもないのに、本心は、すっかり極楽浄土に行き来しているように、見えました。
あの人だけはりっぱな僧だと私にも思われる。僧がらずにいながら、心持ちはこの世界以上の世界と交渉しているふうに見えた人ですよ。
12.4.10
まして、(いま)心苦(こころぐる)しきほだしもなく、(おも)(はな)れにたらむをや。
かやすき()ならば、(しの)びて、いと()はまほしくこそ」
まして、今では気にかかる係累もなく、解脱しきっているだろう。
気楽に動ける身ならば、こっそりと行って、ぜひにも会いたいものだが」
今ではまして係累もなくなって、超然としておられるだろうあの人が想像される。手軽な身分であればそっと行って()いたい人だ」
12.4.11
とのたまふ。
とおっしゃる。
院はこうお言いになった。
12.4.12 「今は、あの住んでいた所も捨てて、鳥の音も聞こえない奥山にと聞いております」
ただ今はもうあの家も捨てまして、鳥の声もせぬ山へはいったそうでございます」
12.4.13
()こゆれば、
と申し上げると、

12.4.14
さらば、その遺言(ゆいごん)ななりな
消息(せうそこ)(かよ)はしたまふや。
尼君(あまぎみ)いかに(おも)ひたまふらむ。
親子(おやこ)(なか)よりも、またさるさまの(ちぎ)りは、ことにこそ()ふべけれ」
「それでは、その遺言なのですね。
お手紙はやりとりなさっていますか。
尼君、どんなにお思いだろうか。
親子の仲よりも、また夫婦の仲は、格別に悲しみも深かろう」
「ではその際に書き残されたものなのだね。あなたからもたよりはしていますか。尼さんはどんなに悲しんでおいでになるだろう。親子の仲とはまた違った深い愛情が夫婦の仲にはあるものだからね」
12.4.15
とて、うち(なみだ)ぐみたまへり。
とおっしゃって、涙ぐみなさっていた。
院も涙ぐんでおいでになった。

第五段 源氏の感想

12.5.1
(とし)()もりに()(なか)のありさまを、とかく(おも)()りゆくままに、あやしく(こひ)しく(おも)()でらるる(ひと)()ありさまなれば、(ふか)(ちぎ)りの(なか)らひは、いかにあはれならむ」
「年を取って、世の中の様子を、あれこれと分かってくるにつれて、妙に恋しく思い出されるご様子の方なので、深い契りの夫婦では、どんなにか感慨も深いことであろう」
「あれからのちいろいろな経験をし、いろいろな種類の人にも()ったが、昔のあの人ほど心を()く人物はなくて、私にも恋しく思われる人なのだから、そんなことがあれば夫婦であった尼君の心はいたむことだろう」
12.5.2
などのたまふついでに、この夢語(ゆめがた)りも(おぼ)()はすることもや」と(おも)ひて、
などとおっしゃっている機会に、「あの夢物語もお思い当たりなさることがあるかも知れない」と思って、
ともお言いになる院に、入道の夢の話をお思い合わせになることがあろうもしれぬと明石夫人はその手紙を取り出した。
12.5.3
いとあやしき梵字(ぼんじ)とかいふやうなる(あと)にはべめれど、御覧(ごらん)じとどむべき(ふし)もや()じりはべるとてなむ。
(いま)はとて(わか)れはべりにしかど、なほこそ、あはれは(のこ)りはべるものなりけれ
「たいそう変な梵字とか言うような筆跡ではございますが、お目に止まるようなこともございましょうかと存じまして。
これが最後と思って別れたのでしたが、やはり、愛着は残るものでございました」
「変わった梵字(ぼんじ)とか申すような字はこれに似ておりますが読みにくい字で書かれましたものでも御参考になることが混じっているようでございますからお目にかけます。昔の別れにももう今日のあることを申しておりまして、あきらめたつもりでおりましても、やはりまた悲しゅうございます」
12.5.4 と言って、見苦しからぬ体でお泣きになる。
側に寄りなさって、
と言い、感じの悪くない程度に泣いた。院は手にお取りになって、
12.5.5
いとかしこくなほほれぼれしからずこそあるべけれ。
()なども、すべて(なに)ごとも、わざと有職(いうそく)にしつべかりける(ひと)ただこの世経(よふ)(かた)(こころ)おきてこそ(すく)なかりけれ。
「実にしっかりしていて、まだまだ耄碌していませんな。
筆跡なども、総じて何につけても、ことさら有職と言ってもよい方で、ただ世渡りの心得だけが上手でなかったな。
「りっぱじゃありませんか。老いぼけてなどいないいい字だ。どんな芸にも達しておられて、尊敬さるべき人なのだが、処世の術だけはうまくゆかなかった人だね。
12.5.6
かの先祖(せんぞ)大臣(おとど)いとかしこくありがたき(こころ)ざしを()くして、朝廷(おほやけ)(つか)うまつりたまひけるほどに、ものの(たが)ひめありてその(むく)いにかく(すゑ)はなきなりなど、人言(ひとい)ふめりしを、女子(をんなご)(かた)につけたれど、かくていと(つぎ)なしといふべきにはあらぬも、そこらの(おこ)なひのしるしにこそはあらめ」
あの先祖の大臣は、たいそう賢明で世にも稀な忠誠を尽くして、朝廷にお仕え申していらっしゃった間に、何かの行き違いがあって、その報いでそのような子孫が絶えたのだと、人々が噂したようだが、女子の系統であるが、このように決して子孫がいないというわけでないのも、長年の勤行の甲斐があってなのだろう」
あの人の祖父の大臣は賢明な政治家だったのが、ある一つのことで失敗をされたために、その報いで子孫が栄えないなどと言う人もあったが、女系をもってすれば繁栄でないとは言われなくなったのも、あの人の信仰が御仏(みほとけ)を動かしたといってよいことですね」
12.5.7
など、(なみだ)おし(のご)ひたまひつつ、この(ゆめ)のわたりに()とどめたまふ。
などと、涙をお拭いになりながら、あの夢物語のあたりにお目を止めなさる。
などと言い、涙をぬぐいながら読んでおいでになったが、夢の話の所はことに院の御注意を()いた。
12.5.8
あやしくひがひがしくすずろに(たか)(こころ)ざしありと(ひと)(とが)め、また(われ)ながらも、さるまじき()()ひを、(かり)にてもするかな(おも)ひしことは、この(きみ)()まれたまひし(とき)(ちぎ)(ふか)(おも)()りにしかど、()(まへ)()えぬあなたのことはおぼつかなくこそ(おも)ひわたりつれ、さらば、かかる(たの)みありてあながちには(のぞ)みしなりけり。
「変に偏屈者で、無闇に大それた望みを持っていると人も非難し、また自分ながらも、よろしからぬ結婚をかりそめにもしたことよ、と思ったのは、この姫君がお生まれになった時に、前世からの宿縁だと深く理解したが、目の前に見えない遠い先のことは、どういうものかよく分からぬとずっと思い続けていたのだが、それでは、このような期待があって、無理やり婿に望んだのだったな。
常人の行ないができずに、むやみに思い上がった望みを持つ男であると人の批難を受け、自分なども非常識に狂気じみて結婚を強要する人だと疑って思っていたことも、姫君が生まれてきたことで、前生の因縁がかくあった間柄であると認めたのであるが、なおそれ以外の未来にどんな望みを入道が持っているかは知らずにいたが、これで見れば初めから君王の母がその家から出る確信があったらしい。
12.5.9
(よこ)さまに、いみじき()()ただよひしも、この人一人(ひとひとり)のためにこそありけれ
いかなる(がん)をか(こころ)()こしけむ」
無実の罪によって、酷い目に遭い、流浪したのも、この人一人の祈願成就のためであったのだな。
どのような祈願を思い立ったのだろうか」
冤罪(えんざい)(こうむ)って漂泊してまわる運命を自分が負ったことも、この姫君が明石で生まれるためなのであった。神仏にかけた願はどんなものであったのであろう
12.5.10
とゆかしければ、(こころ)のうちに(おが)みて()りたまひつ。
と知りたいので、心の中で拝んでお取りになった。
と、心で拝をなされながらその箱を院はお取りになった。

第六段 源氏、紫の上の恩を説く

12.6.1
これは、また()してたてまつるべきものはべり。
(いま)また()こえ()らせはべらむ」
「この願文には、
また一緒に差し上げねばなら
「これといっしょにあなたに見せておきたいものもありますから、またそのうち私からもお話しすることにしよう」
12.6.2
と、女御(にょうご)には()こえたまふ。
そのついでに、
と、女御には申し上げなさる。
その折に、
と院は姫君へお言いになった。そのついでに、
12.6.3
(いま)は、かく、いにしへのことをもたどり()りたまひぬれど、あなたの御心(みこころ)ばへを、おろかに(おぼ)しなすな。
もとよりさるべき(なか)えさらぬ(むつ)びよりも(よこ)さまの(ひと)のなげのあはれをもかけ、一言(ひとこと)心寄(こころよ)せあるは、おぼろけのことにもあらず。
「今は、このように、昔のことをだいぶお分りになったのだが、あちらのご好意を、いい加減にはお思いなさいますな。
もともと親しいはずの夫婦仲や、切っても切れない親兄弟の親しみよりも、血の繋がらない他人がかりそめの情けをかけ、一言の好意でも寄せてくれるのは、並大抵のことではありません。
「もうあなたは自分の生まれてきた事情を明らかに知ることができたでしょうが、あちらのお母様の好意をおろそかに思ってはなりませんよ。真実の親子、肉身の仲でなくて、他人が少しでも愛してくれ、親切にしてくれるのはありがたいことだと思わなければならない。
12.6.4
まして、ここになどさぶらひ()れたまふを()()るも、(はじ)めの(こころ)ざし()はらず(ふか)くねむごろに(おも)ひきこえたるを。
まして、ここに始終お付きしていらっしゃるのを見ながら、最初の気持ちも変わらず、深くご好意をお寄せ申しているのですから。
まして実母があなたのそばへ来たあとまでも初めどおりにあなたを愛することが変わらずに、あなたに幸福があるようにとばかりあの人は願っています。
12.6.5
いにしへの()のたとへにも、さこそはうはべには(はぐく)みけれとらうらうじきたどりあらむも、(かしこ)きやうなれど、なほあやまりても、わがため(した)(こころの)ゆがみたらむ(ひと)を、さも(おも)()らずうらなからむためは、()(かへ)しあはれに、いかでかかるにはと、罪得(つみえ)がましきにも、(おも)(なほ)ることもあるべし。
昔の世の例にも、いかにも表面だけはかわいがっているようだがと、賢そうに推量するのも、利口なようだが、やはり間違っても、自分にとって内心悪意を抱いているような継母を、そうとは思わず、素直に慕っていったならば、思い返してかわいがり、どうしてこんなかわいい子にはと、罰が当たることだと、改心することもきっとあるでしょう。
昔からある継母(ままはは)話のように、表面だけを賢そうにして継子(ままこ)の世話をする、それはまあよいと見られている母親も、また曲がった心で娘を苦しめている母親も、娘のほうで善意にばかりものを解釈して信頼してやれば、こんな人を憎んでは罪になるという気がして反省するのがありますし、
12.6.6
おぼろけの(むかし)()のあだならぬ(ひと)(たが)節々(ふしぶし)あれど、ひとりひとり(つみ)なき(とき)には、おのづからもてなす(ためし)どもあるべかめり。
さしもあるまじきことに、かどかどしく(くせ)をつけ、愛敬(あいぎゃう)なく、(ひと)をもて(はな)るる(こころ)あるは、いとうちとけがたく、(おも)ひぐまなきわざになむあるべき。
並々ならぬ昔からの仇敵でない人は、いろいろ行き違いがあっても、お互いに欠点のない場合には、自然と仲好くなる例はたくさんあるようです。
それほどでもないことに、とげとげしく難癖をつけ、かわいげなく、人を疎んじる心のある人は、とてもうちとけにくく、考えの至らない者と言うべきでしょう。
またよい性格の人であれば、継娘(ままこ)に気に入らぬ所はあっても、母として信頼される立場になっては、いつとなく最初の態度を変えるのもあるでしょう。何でもないことに難くせをつけ、愛の皆無な思いやりのない継母でとうてい娘のほうから近づけないのもあるでしょう。
12.6.7
(おほ)くはあらねど(ひと)(こころ)の、とあるさまかかるおもむきを()るに、ゆゑよしといひさまざまに口惜(くちを)しからぬ(きは)(こころ)ばせあるべかめり。
(みな)おのおの()たる(かた)ありて、()るところなくもあらねど、また、()()てて、わが後見(うしろみ)(おも)ひ、まめまめしく(えら)(おも)はむには、ありがたきわざになむ。
多くはありませんが、人の心の、あれこれとある様子を見ると、嗜み教養といい、それぞれにしっかりした程度の心得は持っているようです。
皆それぞれ長所があって、取柄がないでもないが、かと言って、特別に、わが妻にと思って、真剣に選ぼうとすれば、なかなか見当たらないものです。
私はそうたくさん女の人を知っているのではないが、とにかく私の知っている人で、生まれもよく、婦人としての見識も備わった人で、またそれぞれの長所を持った人でも、自分の娘を託しうる人をその中から選び出すのは困難です。
12.6.8
ただまことに(こころ)(くせ)なくよきことは、この(たい)をのみなむ、これをぞおいらかなる(ひと)といふべかりける、となむ(おも)ひはべる。
よしとて、またあまりひたたけて(たの)もしげなきも、いと口惜(くちを)しや
ただ本当に素直で良い人は、この対の上だけで、この人を穏やかな人と言うべきだ、と思います。
身分の高い人と言っても、またあまりに締まりがなくて頼りなさそうなのも、まことに残念なことですよ」
真に心の癖のないよい女性は対のお母様以外にありません。これこそ善良な女性というべきだと私は信じている。善良といっても単にお人よしの締まりのない人は頼みになりません」
12.6.9 とだけおっしゃったが、もうお一方のことがきっと想像されたことだろう。
(おし)えておいでになるのを聞いていて、紫夫人の偉さが明石にうなずかれた。

第七段 明石御方、卑下す

12.7.1
そこにこそすこしものの心得(こころえ)てものしたまふめるを、いとよし、(むつ)()はして、この御後見(おほんうしろみ)をも、(おな)(こころ)にてものしたまへ」
「あなたこそは、少し物の道理が分かっていらっしゃるようだから、ほんとうに結構なことで、仲好くし合って、この姫君のご後見を、心を合わせてなさって下さい」
「あなただけはその訳もわかる人なのだから、仲よくしてこの方のお世話もいっしょにしてください」
12.7.2
など、(しの)びやかにのたまふ。
などと、声をひそめておっしゃる。
とまた小声で明石へお言いになった。
12.7.3
のたまはせねどいとありがたき()けしきを()たてまつるままに、()()れの言種(ことぐさ)()こえはべる。
めざましきものになど(おぼ)しゆるさざらむに、かうまで御覧(ごらん)()るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで(かず)まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
「仰せはなくとも、まことに有り難いご好意を拝見しておりまして、朝夕の口癖に感謝申し上げております。
目障りな者だとお許しがなかったら、こんなにまでお見知りおき下さるはずもございませんのに、身の置き所もない程に人並みにお言葉をかけて下さるので、かえって面映ゆいくらいです。
「ただ今まで仰せにはなりませんが女王様の御好意がよくわかるものでございますから、毎度そのことをお話しいたしております。私を失礼な女と思召(おぼしめ)すのでございましたら、この方をこれほどにお愛しにもならないでございましょうが、自分で片腹痛く存じますまでに私を御同等な人のようにお扱いくださいますから、私は恐縮いたすばかりでございます。
12.7.4
(かず)ならぬ()の、さすがに()えぬは、()()(みみ)も、いと(くる)しく、つつましく(おも)うたまへらるるを、(つみ)なきさまに、もて(かく)されたてまつりつつのみこそ」
人数にも入らないわたしが、それでも生き永らえていますのは、世間の評判もいかがと、まことに苦しく、遠慮される思いが致しますが、お咎めもない様子に、いつもお庇いいただいているのでございます」
何の価値もない私などが()くなりもしませずいつまでも姫君のおそばにおりますのは、世間の聞こえもよろしくないことと御遠慮がされますのを、女王様の御好意でどうやら邪魔者らしくなくしていられます」
12.7.5
()こえたまへば、
と申し上げなさると、
と明石が言うと、
12.7.6
その(おほん)ためには(なに)(こころ)ざしかはあらむ。
ただ、この(おほん)ありさまを、うち()ひてもえ()たてまつらぬおぼつかなさに、(ゆづ)りきこえらるるなめり
それもまた、とりもちて、掲焉(けちえん)などあらぬ(おほん)もてなしどもに、よろづのことなのめに()やすくなれば、いとなむ(おも)ひなくうれしき。
「あなたのためには、特にご好意があるのではないでしょう。
ただ、この姫君のご様子を始終付き添ってお世話申し上げられないのが心配で、お任せ申されるのでしょう。
それもまた、一人で取り仕切って、特に目立つようにお振る舞いにならないので、何事も穏やかで体裁よく運ぶので、まことに嬉しく思っています。
「あなたに尽くす心などはないだろうが、姫君を母として愛する心を今になって分けてもらいたいために譲るところがあるのでしょう。あなたもまた実母の権利を主張なさらないから双方の間が円満にいって、私はこれほど安心のできることはない。
12.7.7
はかなきことにて、ものの心得(こころえ)ひがひがしき(ひと)は、()()じらふにつけて、(ひと)のためさへからきことありかし。
(なほ)しどころなく、(たれ)もものしたまふめれば、(こころ)やすくなむ」
ちょとしたことにつけても、物の道理の分からずひねくれた者は、人と交際するにつけて、相手まで迷惑を被ることがあるものです。
そのような直さなければならない所が、どちらにもなくいらっしゃるようなので、安心です」
ちょっとしたことにもあさはかな邪推などする人が一人でもあれば周囲の人は迷惑するものですからね。あなたがたには欠点がないから私は苦心をすることもない」
12.7.8
とのたまふにつけても、
とおっしゃるにつけても、
この院のお言葉を聞いて、
12.7.9 「やっぱりだわ。よくここまで謙遜して来たこと」
明石は謙遜(けんそん)をしてよかったと思った。
12.7.10
など、(おも)(つづ)けたまふ。
(たい)(わた)りたまひぬ。
などと思い続けなさる。
対の屋へお渡りになった。
院は対のほうへお帰りになった。

第八段 明石御方、宿世を思う

12.8.1
さも、いとやむごとなき御心(みこころ)ざしのみまさるめるかな。
げにはた、(ひと)よりことに、かくしも()したまへるありさまの、ことわりと()えたまへるこそめでたけれ。
「ああして、
たいそう大事になさるお気持ちが深まるばかりのようだこと。なるほどほんとに、人並み勝れて、こんなに何もかも揃っていら
「ますます女王(にょおう)様に御愛情が傾くようですね。実際だれよりもすぐれた、あらゆるものを具足した方なのですから、ごもっともだとわれわれでさえ思うというのは幸福な方ですね。
12.8.2
(みや)御方(おほんかた)うはべの(おほん)かしづきのみめでたくて、(わた)りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。
(おな)(すぢ)にはおはすれど今一際(いまひときは)心苦(こころぐる)しく」
宮の御方は、表向きのお扱いだけはご立派で、お渡りになるのも、そう十分でないらしいのは、恐れ多いことのようですわ。
同じお血筋でいらっしゃるが、もう一段御身分が高いことだけにお気の毒で」
宮様を表面だけりっぱなお扱いをなすっても、あちらにおいでになることが多いのですもの、もったいないことともいわれます。御身分から申しても宮様が一段上の方なのですもの」
12.8.3
としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世(すくせ)は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
と陰口を申し上げなさるにつけても、自分の運命は、まことに大したものだと、思われなさるのであった。
などと姫君に語りながらも、明石(あかし)はいささか自信を持つことができるのであった。それは姫君を持っていることにおいてである。
12.8.4
やむごとなきだに(おぼ)すさまにもあらざめる()に、まして()ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて(いま)は、(うら)めしき(ふし)もなし。
ただ、かの()()もりにたる山住(やまず)みを(おも)ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
「高貴な方でさえ、思い通りにならないらしいご夫婦仲なのに、ましてお仲間入りできるような身分でもないのだから、何もかも今は、恨めしく思うことはない。
ただ、あの世を捨てて籠もった深山生活を思いやるだけが悲しく心配だわ」
高貴な方でさえ飽き足らぬ待遇を受けておいでになる夫人の中の一人で、薄い院の御愛情などをとやかく自分などは思うべきでないと、そのことではあきらめができていて、明石の心に悲しく思われるのは深い山へはいった父の入道のことだけであった。
12.8.5
尼君(あまぎみ)も、ただ、「福地(ふくぢ)(その)(たね)まきて」とやうなりし一言(ひとこと)をうち(たの)みて、(のち)()(おも)ひやりつつ(なが)めゐたまへり。
尼君も、ただ、「福地の園に種を蒔いて」といったような一言を頼みにして、後世の事を考え考え物思いに耽っていらっしゃった。
尼君も終わりの(ふみ)に書かれた良人(おっと)の一言を頼みにして、未来の世を考えながらも物思わしくしていた。

第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る


第一段 夕霧の女三の宮への思い

13.1.1
大将(だいしゃう)(きみ)この姫宮(ひめみや)(おほん)ことを、(おも)(およ)ばぬにしもあらざりしかば、()(ちか)くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの(おほん)かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々(をりをり)(まゐ)()れ、おのづから(おほん)けはひ、ありさまも見聞(みき)きたまふに、いと(わか)くおほどきたまへる一筋(ひとすぢ)にて、(うへ)儀式(ぎしき)いかめしく、()(ためし)にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの(ふか)くは()えず。
大将の君は、この姫宮の御事を、考えなかったわけでもないので、身近においであそばしますのを、とても平気ではいられず、普通のお世話にかこつけて、こちらには何か御用がある時にはいつも参上して、自然と雰囲気や、様子を見聞きなさると、とても若くおっとりしていらっしゃるばかりで、表向きの格式だけは堂々として、世の前例にもなりそうなくらい大事に申し上げなさっているが、実際はそう大して際立って奥ゆかしくは思われない。
源大将は女三の宮をあるいは得られたかもしれぬ立場にいた人であったから、六条院に来ておいでになるのを無関心でいることもできなかった。院の御子としてその御殿へ近づく機会もあって、それとなく観察しているのであったが、ただ若々しくおおようなという点だけのよさがある方のようで、壮麗な六条院の本殿へお住ませになって、今後の例になるまで派手(はで)な御待遇をしておいでになっても、それだけの貴女たる価値のありなしをこの人には疑われた。
13.1.2
女房(にょうばう)なども、おとなおとなしきは(すく)なく、(わか)やかなる容貌人(かたちびと)の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと(おほ)く、数知(かずし)らぬまで(つど)ひさぶらひつつ、もの(おも)ひなげなる(おほん)あたりとはいひながら、(なに)ごとものどやかに(こころ)しづめたるは、(こころ)のうちのあらはにしも()えぬわざなれば、()人知(ひとし)れぬ(おも)()ひたらむも、またまことに心地(ここち)ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち()じれば、かたへの(ひと)にひかれつつ、(おな)じけはひもてなしになだらかなるを、ただ()()れは、いはけたる(あそ)(たはぶ)れに心入(こころい)れたる童女(わらはべ)のありさまなど、(ゐん)いと()につかず()たまふことどもあれど、(ひと)つさまに()(なか)(おぼ)しのたまはぬ御本性(ごほんじゃう)なれば、かかる(かた)をもまかせて、さこそはあらまほしからめ御覧(ごらん)じゆるしつつ、(いまし)めととのへさせたまはず。
女房なども、しっかりした年輩の者たちは少なく、若くて美人で、ただもう華やかに振る舞って、気取っている者がとても多く、数えきれないほど多く集まり集まって、何の苦労もないお住まいとはいえ、どのような事でも騒がず落ち着いている女房は、心の中がはっきりと見えないものであるから、わが身に人知れない悩みを持っていても、また真実楽しげに、万事思い通りに行っているらしい人たちの中にいると、はたの人に引かれて、同じ気分や態度に調子を合わせるものであるから、ただ一日中、子供じみた遊びや戯れ事に熱中している童女の様子など、院は、まことに感心しないと御覧になることもあるが、一律に世間の事を断じたりなさらないご性格なので、このような事も勝手にさせて、そのようなこともしたいのだろうと、大目に御覧になって、叱って改めさせることはなさらない。
女房なども落ち着いた年齢の人は少なく、若い美人風、派手な騒ぎをするようなのが数も知れぬほどお付きしていて、歓楽的な空気の横溢(おういつ)しているお住居(すまい)であったから、そんな中に内気なおとなしい人が混じって物思いをしていても軽佻(けいちょう)に騒ぐ仲間に引かれて、それも同じように朗らかなふうをしていたり、毎日幼稚なお遊びの相手ばかりをしている童女の教養なさなどを院は気持ちよくは思召(おぼしめ)さなかったが、一つの趣味の目でものを見ようとされぬ方であったから、それはそれとして許して見ておいでになって、御干渉もあそばさなかった。
13.1.3
正身(さうじみ)(おほん)ありさまばかりをば、いとよく(をし)へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
ご本人のお振る舞いだけは、十分よくお教え申し上げなさるので、少しは取り繕っていらっしゃった。
夫人になられた宮に対してだけはよくお教えになるのであったから、以前よりは少しごりっぱな方らしくおなりになった。

第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較

13.2.1
かやうのことを、大将(だいしゃう)(きみ)も、
このようなことを、大将の君も、
そんなことが外聞にも知れてくるのを大将は見て、
13.2.2
げにこそ、ありがたき()なりけれ。
(むらさき)御用意(おほんようい)けしきの、ここらの年経(としへ)ぬれど、ともかくも()()()()こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、(こころ)うつくしう、(ひと)をも()たず、()をもやむごとなく、(こころ)にくくもてなし()へたまへること」
「なるほど、立派な方はなかなかいないものだな。
紫の上のお心がけ、態度は、長年たったけれども、何かと噂に出て見えたり聞こえたりするところはなく、もの静かな点を第一として、何と言っても、心やさしく、人をないがしろにせず、自分自身も気品高く、奥ゆかしくしていらっしゃることよ」
すぐれた人の少ない世だ、紫の女王がこんなに長い間ごいっしょにおられても、だれにもどんなふうな、どんな女性であるという想像もさせない重々しさがあって、静かに深みのある女であることを願って、またさすがに明朗な態度をとり、他を軽侮せず自身の自尊心を傷つけない用意がある
13.2.3
と、()面影(おもかげ)(わす)れがたくのみなむ(おも)()でられける。
と、垣間見した面影を忘れ難くばかり思い出されるのであった。
と思い、何年かの前に野分(のわき)の夕べに見た面影が忘れがたかった。
13.2.4
わが御北(おほんきた)(かた)あはれと(おぼ)(かた)こそ(ふか)けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ(ひと)なり。
おだしきものに、(いま)はと目馴(めな)るるに、(こころ)ゆるびて、なほかくさまざまに、(つど)ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、(こころ)ひとつに(おも)(はな)れがたきを、ましてこの(みや)は、(ひと)(おほん)ほどを(おも)ふにも、(かぎ)りなく(こころ)ことなる(おほん)ほどに()()きたる()けしきしもあらず人目(ひとめ)(かざ)りばかりにこそ」
「自分の北の方も、かわいいとお思いになることは強いのであるが、取り上げるほどの、人に勝れた才覚などは、お持ちでない方だ。
安心していられる人と、もう今は安心だと見慣れているために、気が緩んで、やはりこのように、いろいろな方がお集まりになっていらっしゃる様子が、それぞれにご立派でいらっしゃるのを、内心密かに関心を捨て切れないでいるところに、ましてこの宮は、ご身分を考えるにつけても、この上なく格別のお生まれなのに、特別のご寵愛でもなく、世間体を飾っているだけのことだ」
自身の夫人を愛する心は変わらなかったが、その人は相手にしがいのある優越した女性でなかった。恋人を妻にしたあとの安心した気持ちと、その人ばかりを見ている目の倦怠(けんたい)さで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の生活がうらやましくて、だれも皆自分の妻よりも相手にしておもしろい人のように思われてならないのである。その中で姫宮は御身分からいっても最も若い思い上がった大将などには興味の()かれる御存在ではあったが、表面をお飾りになるだけの愛情以外の何ものもないような院の御待遇が
13.2.5
()たてまつり()る。
わざとおほけなき(こころ)にしもあらねど、()たてまつる(をり)ありなむや」と、ゆかしく(おも)ひきこえたまひけり。
とお見受けする。
特に大それた考えではないが、「拝見する機会があるだろうか」と、関心をお寄せになっていらっしゃった。
この人によくわかっていて、あるまじい心を起こしたというでもなしに、お顔の見られる時があればよいとは願っていた。

第三段 柏木、女三の宮に執心

13.3.1
衛門督(ゑもんのかん)(きみ)(ゐん)(つね)(まゐ)り、(した)しくさぶらひ()れたまひし(ひと)なれば、この(みや)父帝(ちちみかど)のかしづきあがめたてまつりたまひし御心(みこころ)おきてなど、(くは)しく()たてまつりおきて、さまざまの御定(おほんさだ)めありしころほひより()こえ()(ゐん)にも、めざましとは(おぼ)し、のたまはせず」と()きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜(くちを)しく、(むね)いたき心地(ここち)すれば、なほえ(おも)(はな)れず。
衛門督の君も、朱雀院に常に参上し、常日頃親しく伺候していらっしゃった方なので、この宮を父帝が大切になさっていらっしゃったご意向など、詳細に拝見していて、いろいろなご縁談があったころから申し出で、院におかせられても、「出過ぎた者とはお思いでなく、おっしゃりもしなかった」と聞いていたが、このようにご降嫁になったのは、大変に残念で、胸の痛む心地がするので、やはり諦めることができない。
右衛門督(うえもんのかみ)も始終六条院へ参っている人であった。この宮を山の(みかど)がどんなにお愛しあそばしたかもくわしく知っていて、御婿選びの時以来この宮に好意を持ち、この求婚者には院の帝も決してもってのほかのこととは仰せられなかったという報は得たのでありながら、宮は六条院へ入嫁されたのを残念に思い、心も傷つけられたほどに苦しんで、今でも衛門督は恋を捨てていなかった。
13.3.2
その(をり)より(かた)らひつきにける女房(にょうばう)のたよりに、(おほん)ありさまなども()(つた)ふるを(なぐさ)めに(おも)ふぞ、はかなかりける
そのころから親しくなっていた女房の口から、ご様子なども伝え聞きくのを慰めにしているのは、はかないことであった。
そのころから心安くなった女房によって、宮の御様子を聞くのをはかない慰めにしていたのである。
13.3.3 「対の上のご寵愛には、やはり圧倒されていらっしゃる」と、世間の人が噂しているのを聞いては、
「やはり対の夫人とは御競争がおできにならないようだ」と世間の人の(うわさ)するのが耳にはいる時、
13.3.4
かたじけなくともさるものは(おも)はせたてまつらざらまし
げに、たぐひなき御身(おほんみ)にこそ、あたらざらめ」
「恐れ多いことだが、そのような辛い思いはおさせ申さなかったろうに。
いかにも、そのような高いご身分の相手には、相応しくないだろうが」
もったいなくても自分の妻に得ておれば、そうした物思いはおさせしなかったはずである。二人とない六条院のようなりっぱな男で自分はないのであるが
13.3.5
と、(つね)にこの小侍従(こじじゅう)といふ御乳主(おほんちぬし)()ひはげまして、
と、いつもこの小侍従という御乳母子を責めたてて、
と、こんなことを言って、始終心安くなっている小侍従という宮の女房を煽動(せんどう)するようなことを言い、
13.3.6
()中定(なかさだ)めなきを大殿(おとど)(きみ)もとより本意(ほい)ありて(おぼ)しおきてたる(かた)(おもむ)きたまはば」
「世の中は無常なものだから、大殿の君が、もともと抱いていらしたご出家をお遂げなさったら」
無常の世であるから、御出家のお志の深い院が御遁世(とんせい)になる場合もあったなら、自分は女三の宮を得たい
13.3.7 と、怠りなく思い続けていらっしゃるのであった。
と絶えず思っている右衛門督(うえもんのかみ)であった。

第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ

13.4.1
弥生(やよひ)ばかりの(そら)うららかなる()六条(ろくでう)(ゐん)に、兵部卿宮(ひゃうぶきゃうのみや)衛門督(ゑもんのかみ)など(まゐ)りたまへり。
大殿出(おとどい)でたまひて、御物語(おほんものがたり)などしたまふ。
三月ころの空がうららかに晴れた日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上なさった。
大殿がお出ましになって、お話などなさる。
三月ごろの空のうららかな日に、六条院へ兵部卿(ひょうぶきょう)の宮がおいでになり、衛門督もお(たず)ねして来た。院はすぐに出てお()いになった。
13.4.2
(しづ)かなる()まひは、このごろこそいとつれづれに(まぎ)るることなかりけれ。
公私(おほやけわたくし)にことなしや。
(なに)わざしてかは()らすべき」
「静かな生活は、このごろ大変に退屈で気の紛れることがないね。
公私とも平穏無事だ。
何をして今日一日を暮らせばよかろう」
「ひまな私の所などはこの時節などが最も退屈で、気を紛らすことができずに困っていましたよ。どこも皆無事平穏なのですね。今日はどうして暮らしたらいいだろう」
13.4.3
などのたまひて、
などとおっしゃって、
などと院はお言いになって、また、
13.4.4
今朝(けさ)大将(だいしゃう)のものしつるはいづ(かた)にぞ。
いとさうざうしきを、(れい)の、小弓射(こゆみい)させて()るべかりけり。
(この)むめる若人(わかうど)どもも()えつるを、ねたう()でやしぬる」
「今朝、大将が来ていたが、どこに行ったか。
何とももの寂しいから、いつものように、小弓を射させて見物すればよかった。
愛好者らしい若い人たちが見えていたが、惜しいことに帰ってしまったかな」
今朝(けさ)大将が来ていたのだがどこにいるだろう。慰めに小弓でも射させたく思っている時にちょうどそれのできる人たちもまた来ていたようだったが、もう皆出て行ったのだろうか」
13.4.5 と、お尋ねさせなさる。
近侍にこうお聞きになった。
13.4.6
大将(だいしゃう)(きみ)丑寅(うしとら)(まち)に、(ひと)びとあまたして、(まり)もて(あそ)ばして()たまふ」と()こしめして、
「大将の君は、丑寅の町で、人々と大勢して、蹴鞠をさせて御覧になっていらっしゃる」とお聞きになって、
大将は東の町の庭で蹴鞠(けまり)をさせて見ているという報告をお聞きになって、
13.4.7
(みだ)りがはしきことのさすがに目覚(めさ)めてかどかどしきぞかし。
いづら、こなたに」
「無作法な遊びだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。
どれ、こちらで」
「乱暴な遊びのようだけれど、見た目に爽快(そうかい)なものでおもしろい」
13.4.8
とて、御消息(おほんせうそこ)あれば、(まゐ)りたまへり。
若君達(わかきんだち)めく(ひと)びと(おほ)かりけり。
といって、お手紙があったので、参上なさった。
若い公達らしい人々が多くいたのであった。
とお言いになり、「こちらへ来るように」と、院が大将を呼びにおやりになると、すぐに庭で蹴鞠をしていた人たちはこちらへ来た。若い公達(きんだち)が多かった。
13.4.9 「鞠をお持たせになったか。
誰々が来たか」
「鞠もこちらへ持って来ましたか。だれとだれがあちらへ来ているのか」
13.4.10
とのたまふ。
とお尋ねになる。

13.4.11 「誰それがおります」
大将の所にいた官人たちの名があげられ、
13.4.12 「こちらへ来ませんか」
「それもこちらへ来させましょうか」
13.4.13
とのたまひて、寝殿(しんでん)東面(ひんがしおもて)桐壺(きりつぼ)若宮具(わかみやぐ)したてまつりて、(まゐ)りたまひにしころなればこなた(かく)ろへたりけり
遣水(やりみづ)などのゆきあひはれてよしあるかかりのほど(たづ)ねて()()づ。
太政大臣殿(おほきおほいどの)君達(きみたち)頭弁(とうのべん)兵衛佐(ひゃうゑのすけ)大夫(たいふ)(きみ)など()ぐしたるも、まだ(かた)なりなるも、さまざまに、(ひと)よりまさりてのみものしたまふ。
とおっしゃって、寝殿の東面は、桐壷の女御は若宮をお連れ申し上げていらっしゃっている折なので、こちらはひっそりしていた。
遣水などの合流する所が広々としていて、趣のある場所を探しに出て行く。
太政大臣の公達の、頭弁、兵衛佐、大夫の君などの、年輩者も、また若い者も、それぞれに、他の人より立派な方ばかりでいらっしゃる。
と大将は父君へ申した。寝殿の東側になった座敷には桐壺(きりつぼ)(かた)がいたのであるが、若宮をお伴いして東宮へ参ったあとで、そこは()き間になっていて静かだった。蹴鞠の人たちは流水を避けて競技によい場所を求めて皆庭へ出た。太政大臣家の公達は頭弁(とうのべん)などという成年者も兵衛佐(ひょうえのすけ)太夫(たゆう)の君などという少年上がりの人も混じって来ているが、他に比べて皆風采(ふうさい)がきれいであった。

第五段 南町で蹴鞠を催す

13.5.1
やうやう()れかかるに、風吹(かぜふ)かず、かしこき()なり」と(きょう)じて、弁君(べんのきみ)もえしづめず()ちまじれば、大殿(おとど)
だんだん日が暮れかかって行き、「風が吹かず、絶好の日だ」と興じて、弁君も我慢できずに仲間に入ったので、大殿が、
時間がたち日暮れになるまで、この競技に適して風も出ないよい日だと皆言って庭上の遊びは続いていたが、頭弁も闘志がおさえられなくなったらしくその中へ出て行った。
13.5.2
弁官(べんかん)もえをさめあへざめるを上達部(かんだちめ)なりとも、(わか)衛府司(ゑふづかさ)たちは、などか(みだ)れたまはざらむ
かばかりの(よはひ)にてはあやしく見過(みす)ぐす、口惜(くちを)しくおぼえしわざなり。
さるは、いと軽々(きゃうぎゃう)なりや。
このことのさまよ」
「弁官までが落ち着いていられないようだから、上達部であっても、若い近衛府司たちは、どうして飛び出して行かないのか。
それくらいの年では、不思議にも見ているのは、残念に思われたことだ。
とはいえ、
とても騒々しいな。この
「文官の誇りにする弁さえ傍観していられないのだから、高官になっていても若い衛府(えふ)の人などはおとなしくしている必要もない。私の青春時代にもそうしたことの仲間にはいりえないのが残念に思われたものだ。しかし軽々しく人を見せるね、この遊びは」
13.5.3
などのたまふに、大将(だいしゃう)督君(かんのきみ)も、皆下(みなお)りたまひて、えならぬ(はな)(かげ)にさまよひたまふ(ゆふ)ばえ、いときよげなり。
をさをささまよく(しづ)かならぬ、(みだ)れごとなめれど、(ところ)から(ひと)からなりけり
などとおっしゃると、大将も督君も、みなお下りになって、何ともいえない美しい桜の花の蔭で、あちこち動きなさる夕映えの姿、たいそう美しい。
決して体裁よくなく、騒々しく落ち着きのない遊びのようだが、場所柄により人柄によるものであった。
院がお勧めになるので、大将も衛門督も皆出て、美しい桜の(かげ)を行き歩いていたこの夕方の庭のながめはおもしろかった。あまり静かでないこの遊戯であるが、乱暴な運動とは見えないのも所がら人柄によるものなのであろう。
13.5.4
ゆゑある(には)木立(こだち)のいたく(かす)みこめたるに、色々紐(いろいろひも)ときわたる(はな)()どもわづかなる萌黄(もえぎ)(かげ)かくはかなきことなれど、()()しきけぢめあるを(いど)みつつ、われも(おと)らじと(おも)(がほ)なる(なか)に、衛門督(ゑもんのかみ)のかりそめに()()じりたまへる(あし)もとに、(なら)(ひと)なかりけり。
趣のある庭の木立がたいそう霞に包まれたところに、何本もの色とりどりに蕾の開いて行く花の木が、わずかに芽のふいた木の蔭で、このようにつまらない遊びだが、上手下手の違いがあるのを競い合っては、自分も負けまいと思っている顔つきの中で、衛門督がほんのお付き合いの顔で参加なさった蹴り方に、並ぶ人がいなかった。
趣のある庭の木立ちのかすんだ中に花の木が多く、若葉の(こずえ)はまだ少ない。遊び気分の多いものであって、鞠の上げようのよし悪しを競って、われ劣らじとする人ばかりであったが、本気でもなく出て混じった衛門督(えもんのかみ)の足もとに及ぶ者はなかった。
13.5.5
容貌(かたち)いときよげに、なまめきたるさましたる(ひと)の、用意(ようい)いたくして、さすがに(みだ)りがはしき、をかしく()ゆ。
器量もたいそう美しく優雅な物腰の人が、心づかいを十分して、それでいて活発なのは見事である。
顔がきれいで風采の(えん)なこの人は十分身の取りなしに注意して鞠を蹴り出すのであったが、自然にその姿の乱れるのも美しかった。
13.5.6
御階(みはし)()にあたれる(さくら)(かげ)()りて、(ひと)びと、(はな)(うへ)(わす)れて(こころ)()れたるを、大殿(おとど)(みや)も、(すみ)高欄(かうらん)()でて御覧(ごらん)ず。
御階の柱間に面した桜の木蔭に移って、人々が、花のことも忘れて熱中しているのを、大殿も兵部卿宮も隅の高欄に出て御覧になる。
正面の階段(きざはし)の前にあたった桜の木蔭で、だれも花のことなどは忘れて競技に熱中しているのを、院も兵部卿の宮も(すみ)の所の欄干によりかかって見ておいでになった。

第六段 女三の宮たちも見物す

13.6.1
いと(らう)ある(こころ)ばへども()えて、数多(かずおほ)くなりゆくに上臈(じゃうらふ)(みだ)れて、(かうぶり)(ひたひ)すこしくつろぎたり。
大将(だいしゃう)(きみ)も、御位(おほんくらゐ)のほど(おも)ふこそ、(れい)ならぬ(みだ)りがはしさかなとおぼゆれ、()()は、(ひと)よりけに(わか)くをかしげにて、(さくら)直衣(なほし)のやや()えたるに、指貫(さしぬき)(すそ)(かた)すこしふくみて、けしきばかり()()げたまへり。
たいそう稽古を積んだ技の数々が見えて、回が進んで行くにつれて、身分の高い人も無礼講となって、冠の額際が少し弛んで来た。
大将の君も、ご身分の高さを考えれば、いつにない羽目の外しようだと思われるが、見た目には、人よりことに若く美しくて、桜の直衣の少し柔らかくなっているのを召して、指貫の裾の方が、少し膨らんで、心もち引き上げていらっしゃった。
それぞれ特長のある巧みさを見せて勝負はなお進んでいったから、高官たちまでも今日はたしなみを正しくしてはおられぬように、冠の額を少し上へ押し上げたりなどしていた。大将も官位の上でいえば軽率なふるまいをすることになるが、目で見た感じはだれよりも若く美しくて、桜の色の直衣(のうし)の少し柔らかに着()らされたのをつけて、指貫(さしぬき)(すそ)のふくらんだのを少し引き上げた姿は軽々しい形態でなかった。
13.6.2
軽々(かるがる)しうも()えず、ものきよげなるうちとけ姿(すがた)に、(はな)(ゆき)のやうに()りかかれば、うち見上(みあ)げて、しをれたる(えだ)すこし()()りて、御階(みはし)(なか)のしなのほどにゐたまひぬ。
(かん)君続(きみつづ)きて、
軽率には見えず、さっぱりとした寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、撓んだ枝を少し折って、御階の中段辺りにお座りになった。
督の君も続いて、
雪のような落花が散りかかるのを見上げて、(しお)れた枝を少し手に折った大将は、階段(きざはし)の中ほどへすわって休息をした。衛門督が続いて休みに来ながら、
13.6.3 「花びらが、しきりに散るようですね。
桜は避けて吹いてくれればよいに」
「桜があまり散り過ぎますよ。桜だけは避けたらいいでしょうね」
13.6.4
などのたまひつつ、(みや)御前(おまへ)(かた)後目(しりめ)()れば、(れい)の、ことにをさまらぬけはひどもして色々(いろいろ)こぼれ()でたる御簾(みす)のつま透影(すきかげ)など、(はる)手向(たむ)けの幣袋(ぬさぶくろ)にやとおぼゆ。
などとおっしゃりながら、宮の御前の方角を横目に見やると、いつものように、格別慎みのない女房たちがいる様子で、色とりどりの袖口がこぼれ出ている御簾の端々から、透影などが、春に供える幣袋かと思われて見える。
などと言って歩いているこの人は姫宮のお座敷を見ぬように見ていると、そこには落ち着きのない若い女房たちが、あちらこちらの御簾(みす)のきわによって、透き影に見えるのも、端のほうから見えるのも皆その人たちの派手(はで)な色の褄袖口(つまそでぐち)ばかりであった。暮れゆく春への手向けの(ぬさ)の袋かと見える。

第七段 唐猫、御簾を引き開ける

13.7.1
御几帳(みきちゃう)どもしどけなく()きやりつつ人気近(ひとけちか)()づきてぞ()ゆるに唐猫(からねこ)のいと(ちひ)さくをかしげなるを、すこし(おほ)きなる猫追(ねこお)(つづ)きて、にはかに御簾(みす)のつまより(はし)()づるに、(ひと)びとおびえ(さわ)ぎて、そよそよと()じろきさまよふけはひども、(きぬ)(おと)なひ、(みみ)かしかましき心地(ここち)す。
御几帳類をだらしなく方寄せ方寄せして、女房がすぐ側にいて世間ずれしているように思われるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きめの猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちは恐がって騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎし、動き回る様子や、衣ずれの音がやかましいほどに思われる。
几帳(きちょう)などは横へ引きやられて、締まりなく人のいる気配(けはい)があまりにもよく外へ知れるのである。支那(しな)産の(ねこ)の小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾(みす)の下から出ようとする時、猫の勢いに(おそ)れて横へ寄り、後ろへ退()こうとする女房の(きぬ)ずれの音がやかましいほど外へ聞こえた。
13.7.2
(ねこ)は、まだよく(ひと)にもなつかぬにや、(つな)いと(なが)()きたりけるを、(もの)にひきかけまつはれにけるを、()げむとひこしろふほどに、御簾(みす)(そば)いとあらはに()()けられたるをとみにひき(なほ)(ひと)もなし。
この(はしら)のもとにありつる(ひと)びとも、(こころ)あわたたしげにて、もの()ぢしたるけはひどもなり。
猫は、まだよく人に馴れていないのであろうか、綱がたいそう長く付けてあったが、物に引っかけまつわりついてしまったので、逃げようとして引っぱるうちに、御簾の端がたいそうはっきりと中が見えるほど引き開けられたのを、すぐに直す女房もいない。
この柱の側にいた人々も慌てているらしい様子で、誰も手が出ないでいるのである。
この猫はまだあまり人になつかないのであったのか、長い綱につながれていて、その綱が几帳の(すそ)などにもつれるのを、一所懸命に引いて逃げようとするために、御簾の横があらわに(はす)に上がったのを、すぐに直そうとする人がない。そこの柱の所にいた女房などもただあわてるだけでおじけ上がっている。

第八段 柏木、女三の宮を垣間見る

13.8.1 几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で立っていらっしゃる方がいる。
階から西の二間の東の端なので、隠れようもなくすっかり見通すことができる。
几帳より少し奥の所に袿姿(うちぎすがた)で立っている人があった。階段のある正面から一つ西になった()の東の端であったから、あらわにその人の姿は外から見られた。
13.8.2
紅梅(こうばい)にやあらむ()(うす)き、すぎすぎに、あまた(かさ)なりたるけぢめ、はなやかに、草子(そうし)のつまのやうに()えて、(さくら)織物(おりもの)細長(ほそなが)なるべし
御髪(みぐし)のすそまでけざやかに()ゆるは、(いと)をよりかけたるやうになびきて、(すそ)のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、(しち)八寸(はちすん)ばかりぞ(あま)りたまへる
御衣(おほんぞ)(すそ)がちに、いと(ほそ)くささやかにて、姿(すがた)つき、(かみ)のかかりたまへる側目(そばめ)()()らずあてにらうたげなり。
夕影(ゆふかげ)なれば、さやかならず、奥暗(おくくら)心地(ここち)するも、いと()かず口惜(くちを)
紅梅襲であろうか、濃い色薄い色を、次々と、何枚も重ねた色の変化、派手で、草子の小口のように見えて、桜襲の織物の細長なのであろう。
お髪が裾までくっきりと見えるところは、糸を縒りかけたように靡いて、裾がふさふさと切り揃えられているのは、とてもかわいい感じで、七、八寸ほど身丈に余っていらっしゃる。
お召し物の裾が長く余って、とても細く小柄で、姿つき、髪のふりかかっていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど気高くかわいらしげである。
夕日の光なので、はっきり見えず、奥暗い感じがするのも、とても物足りなく残念である。
紅梅(がさね)なのか、濃い色と(うす)い色をたくさん重ねて着たのがはなやかで、着物の裾は草紙の重なった端のように見えた。桜の色の厚織物の細長らしいものを表着(うわぎ)にしていた。裾まであざやかに黒い髪の毛は糸をよって掛けたようになびいて、その裾のきれいに切りそろえられてあるのが美しい。身丈に七、八寸余った長さである。着物の裾の重なりばかりが(かさ)高くて、その人は小柄なほっそりとした人らしい。この姿も髪のかかった横顔も非常に上品な美人であった。夕明りで見るのであるからこまごまとした所はわからなくて、後ろにはもう(やみ)が続いているようなのが飽き足らず思われた。
13.8.3
(まり)()()ぐる若君達(わかきんだち)の、(はな)()るを()しみもあへぬけしきどもを()るとて(ひと)びと、あらはをふともえ()つけぬなるべし
(ねこ)のいたく()けば、見返(みかへ)りたまへる(おも)もち、もてなしなど、いとおいらかにて、(わか)くうつくしの(ひと)と、ふと()えたり。
蹴鞠に夢中になっている若公達の、花の散るのを惜しんでもいられないといった様子を見ようとして、女房たちは、まる見えとなっているのを直ぐには気がつかないのであろう。
猫がひどく鳴くので、振り返りなさった顔つき、態度などは、とてもおっとりとして、若くかわいい方だと、直観された。
(まり)に夢中でいる若公達(わかきんだち)が桜の散るのにも頓着(とんちゃく)していぬふうな庭を見ることに身が入って、女房たちはまだ端の上がった御簾に気がつかないらしい。猫のあまりに鳴く声を聞いて、その人の見返った顔に余裕のある気持ちの見える佳人であるのを、衛門督は庭にいて発見したのである。

第九段 夕霧、事態を憂慮す

13.9.1
大将(だいしゃう)いとかたはらいたけれど、はひ()らむもなかなかいと軽々(かるがる)しければ、ただ(こころ)()させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき()りたまふ。
さるは、わが心地(ここち)にもいと()かぬ心地(ここち)したまへど、(ねこ)(つな)ゆるしつれば、(こころ)にもあらずうち(なげ)かる
大将は、たいそうはらはらしていたが、近寄るのもかえって身分に相応しくないので、ただ気づかせようと、咳ばらいなさったので、すっとお入りになる。
実の所、自分ながらも、とても残念な気持ちがなさったが、猫の綱を放したので、溜息をもらさずにはいられない。
大将は(すだれ)が上がって中の見えるのを片腹痛く思ったが、自身が直しに寄って行くのも軽率らしく思われることであったから、注意を与えるために(せき)払いをすると、立っていた人は静かに奥へはいった。そうはさせながら大将自身も美しい人の隠れてしまったのは物足らなかったのであるが、そのうち猫の綱は直されて御簾も()りたのを見て、大将は思わず歎息(たんそく)の声を()らした。
13.9.2
まして、さばかり(こころ)をしめたる衛門督(ゑもんのかみ)は、(むね)ふとふたがりて、()ればかりにかはあらむここらの(なか)にしるき袿姿(うちきすがた)よりも、(ひと)(まぎ)るべくもあらざりつる(おほん)けはひなど、(こころ)にかかりておぼゆ。
それ以上に、あれほど夢中になっていた衛門督は、胸がいっぱいになって、他の誰でもない、大勢の中ではっきりと目立つ袿姿からも、他人と間違いようもなかったご様子など、心に忘れられなく思われる。
ましてその人に見入っていた衛門督の胸は何かでふさがれた気がして、あれはだれであろう、女房姿でない袿であったのによって思うのでなくて、人と混同すべくもない容姿から見当のほぼつく人を、なおだれであろうか確かに知りたく思った。
13.9.3
さらぬ(かほ)にもてなしたれど、まさに()とどめじや」と、大将(だいしゃう)はいとほしく(おぼ)さる。
わりなき心地(ここち)(なぐさ)めに、(ねこ)(まね)()せてかき(いだ)きたれば、いと(かう)ばしくて、らうたげにうち()くも、なつかしく(おも)ひよそへらるるぞ、()()きしきや
何気ない顔を装っていたが、「当然見ていたにちがいない」と、大将は困った事になったと思わずにはいられない。
たまらない気持ちの慰めに、猫を招き寄せて抱き上げてみると、とてもよい匂いがして、かわいらしく鳴くのが、慕わしい方に思いなぞらえられるとは、好色がましいことであるよ。
素知らぬ顔を大将は作っていたが、自分の見た人を衛門督の目にも見ぬはずはないと思って、その貴女をお気の毒に思った。何ともしがたい恋しく苦しい心の慰めに、大将は猫を招き寄せて、抱き上げるとこの猫にはよい薫香(たきもの)の香が()んでいて、かわいい声で鳴くのにもなんとなく見た人に似た感じがするというのも多情多感というものであろう。

第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴


第一段 蹴鞠の後の酒宴

14.1.1
大殿御覧(おとどごらん)じおこせて、
大殿がこちらを御覧になって、
院がこの若い二人の高官のいるほうを御覧になって、
14.1.2 「上達部の座席には、あまりに軽々しいな。
こちらに」
「高官たちの席があまりに軽々しい。こちらへおいでなさい」
14.1.3
とて、(たい)南面(みなみおもて)()りたまへれば、みなそなたに(まゐ)りたまひぬ。
(みや)もゐ(なほ)りたまひて、御物語(おほんものがたり)したまふ。
とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。
兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。
とお言いになって、対のほうの南の座敷へおはいりになったので人々も皆従って行った。兵部卿の宮はまた(へや)の中へ院とごいっしょに席を移してお落ち着きになった。高官らもごいっしょである。
14.1.4
次々(つぎつぎ)殿上人(てんじゃうびと)は、簀子(すのこ)円座召(わらふだめ)して、わざとなく、椿餅(つばいもちひ)(なし)柑子(かうじ)やうのものどもさまざまに(はこ)(ふた)どもにとり()ぜつつあるを、(わか)(ひと)びとそぼれ()()ふ。
さるべき乾物(からもの)ばかりして、御土器参(おほんかはらけまゐ)る。
それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。
適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
殿上役人たちは敷き物を得て縁側の座に着いた。饗応(きょうおう)というふうでなく椿餠(つばきもち)(なし)蜜柑(みかん)などが箱の(ふた)に載せて出されてあったのを、若い人たちは戯れながら食べていた。乾物類の(さかな)でお座敷の人々へは酒杯が勧められた。
14.1.5
衛門督(ゑもんのかみ)は、いといたく(おも)ひしめりて、ややもすれば、(はな)()()をつけて(なが)めやる。
大将(だいしゃう)は、心知(こころし)りにあやしかりつる御簾(みす)透影思(すきかげおも)()づることやあらむ」と(おも)ひたまふ。
衛門督は、たいそうひどく沈みこんで、ややもすれば、花の木に目をやってぼんやりと物思いに耽っている。
大将は、事情を知っているので、「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
衛門督はじっと思い入ったふうをしていて、ともすれば庭の桜へ目をやった。大将はあの場を共に見た人であったから、衛門督が作っている幻の何であるかがわかる気もするのであった。
14.1.6
いと端近(はしぢか)なりつるありさまを、かつは軽々(かろがろ)しと(おも)ふらむかし
いでや。
こなたの(おほん)ありさまの、さはあるまじかめるものを」と(おも)ふに、かかればこそ()のおぼえのほどよりは、うちうちの御心(みこころ)ざしぬるきやうにはありけれ」
「とても端近にいた様子を、一方では軽率だと思っているだろう。
いやはや。
こちらのご様子は、あのようなことは決してありますまいものを」と思うと、「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」
軽々しくあまりな端近へ出ておられたものであると大将は姫宮をお思いした。あれだけの方がなされることでもないのであるがと思われてくるにしたがって、今まで不可解であったこと
14.1.7
(おも)()はせて、
と合点されて、
に合点のゆく気もした。
14.1.8
なほ、内外(うちと)用意(よういおほ)からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」
「やはり、他人に対しても自分に対しても、不用心で、幼いのは、かわいらしいようだが不安なものだ」
そんな欠点がおありになるために、世間でたいした方のようにいう割合に院の御愛情が薄いという理由が発見されたのである。貴女らしいお慎みが足らず、無邪気であることは可憐(かれん)なものだが、その人の良人(おっと)になっては安心のできないことであろう
14.1.9
と、(おも)()とさる。
と、軽んじられる。
と軽侮する念も起こった。
14.1.10
宰相(さいしゃう)(きみ)よろづの(つみ)をもをさをさたどられずおぼえぬものの(ひま)より、ほのかにもそれと()たてまつりつるにも、わが(むかし)よりの(こころ)ざしのしるしあるべきにや」と、(ちぎ)りうれしき心地(ここち)して、()かずのみおぼゆ
宰相の君は、いろんな欠点をもなかなか気づかず、思いがけない御簾の隙間から、ちらっとその方と拝見したのも、「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束も嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。
衛門督は道義も何も思わぬ盲目的な情熱に燃えていた。思いも寄らぬ物の間からほのかながらも確かにその方を見ることができたのも、自分の長い間の恋の祈りが神仏に受け入れられた結果であろうと、こんな解釈をしながらも、ただそれが瞬間のことであったのを残念がった。

第二段 源氏の昔語り

14.2.1
(ゐん)は、昔物語(むかしものがたり)()でたまひて、
院は、昔話を始めなさって、
院は座中の人に昔の話をいろいろあそばして、
14.2.2
太政大臣(おほきおとど)の、よろづのことにたち(なら)びて、()()けの(さだ)めしたまひし(なか)に、(まり)なむえ(およ)ばずなりにし。
はかなきことは、(つた)へあるまじけれど、ものの(すぢ)はなほこよなかりけり。
いと()(およ)ばず、かしこうこそ()えつれ
「太政大臣が、どのような事でも、わたしを相手にして勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。
ちょっとした遊び事には、別に伝授があるはずもないが、名人の血統はやはり特別であったよ。
たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」
「太政大臣は私の相手で勝負をよく争われたものだが、蹴鞠(けまり)の技術だけはとうてい自分が敵することのできぬ巧さがおありになった。親のすべてが子に現われてくるものではなかろうが、やはり芸の道だけは不思議によく伝わるものだね。あなたの今日のできばえはたいしたものだった」
14.2.3
とのたまへば、うちほほ()みて
とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
と衛門督へお言いになると、微笑を見せて
14.2.4
はかばかしき(かた)にはぬるくはべる(いへ)(かぜ)さしも()(つた)へはべらむに、(のち)()のため、(こと)なることなくこそはべりぬべけれ」
「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては、大したことはございませんでしょう」
「他の点では父祖を恥ずかしめるような私でございますが、遺伝の蹴鞠の芸だけで後世へ名を残すことになりましたらそれで無事かもしれません」
14.2.5
(まう)したまへば、
とお答え申されると、
と言った。
14.2.6
いかでか
(なに)ごとも(ひと)(こと)なるけぢめをば、(しる)(つた)ふべきなり。
(いへ)(つた)へなどに()(とど)()れたらむこそ、(きょう)はあらめ」
「どうしてそんなことが。
何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。
家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」
「何も悪くはない。どんなことでも人に出抜けたことは書いておいて後世へ伝うべきだから」
14.2.7
など、(たはぶ)れたまふ(おほん)さまの、(にほ)ひやかにきよらなるを()たてまつるにも
などと、おからかいになるご様子が、つやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
などと冗談(じょうだん)をお言いになる院の御様子の若々しくて、またお美しいのを衛門督は見て、
14.2.8
かかる(ひと)にならひていかばかりのことにか(こころ)(うつ)(ひと)はものしたまはむ。
(なに)ごとにつけてか、あはれと()ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき」
「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。
いったい、どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」
自分は何によってこの方をおいて宮のお心を自分へ向けることができよう
14.2.9
と、(おも)ひめぐらすに、いとどこよなく、(おほん)あたりはるかなるべき()のほども(おも)()らるれば、(むね)のみふたがりてまかでたまひぬ
と、あれこれ思案すると、ますますこの上なく、お側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。
と院と自身を比較してもみたが、何からも優越したものを見いだされないのをついに知り、衛門督は寂しい心になって六条院を退出した。

第三段 柏木と夕霧、同車して帰る

14.3.1 大将の君と同車して、途中お話なさる。
大将も帰りを共にして衛門督と車中で話し合った。
14.3.2
なほ、このころのつれづれには、この(ゐん)(まゐ)りて、(まぎ)らはすべきなりけり」
「やはり、今ごろの退屈な時には、こちらの院に参上して、気晴らしすべきだ」
「春の日の退屈を紛らわすのには六条院へ伺うのがいちばんよいことですね。
14.3.3
今日(けふ)のやうならむ(いとま)隙待(ひまま)ちつけて、(はな)折過(をりす)ぐさず(まゐ)れ、とのたまひつるを、春惜(はるを)しみがてら、(つき)のうちに、小弓持(こゆみも)たせて(まゐ)りたまへ」
「今日のような暇な日を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」
また今日のようなひまの出来た時分、桜の散らぬ間にもう一度来るようにおっしゃっていましたから、春を惜しみがてらにこの月のうちにもう一度、その時は小弓をお供にお持たせになっていらっしゃい」
14.3.4
(かた)らひ(ちぎ)る。
おのおの(わか)るる(みち)のほど物語(ものがたり)したまうて、(みや)御事(おほんこと)のなほ()はまほしければ、
と約束し合う。
お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
と大将は言うのであった。道の別れ目までこうして同車して行くのであったが、衛門督は女三(にょさん)(みや)のお(うわさ)ばかりがしたくて、
14.3.5
(ゐん)には、なほこの(たい)にのみものせさせたまふなめりな。
かの(おほん)おぼえ(こと)なるなめりかし。
この(みや)いかに(おぼ)すらむ。
(みかど)(なら)びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで()したまひにたらむこそ、心苦(こころぐる)しけれ」
「院におかれては、やはり東の対の御方にばかりいらっしゃるようですね。
あちらの方へのご愛情が格別勝るからでしょう。
こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。
院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようなのは、お気の毒なことです」
「院は今でも平生のお住居(すまい)は対のほうに決めていらっしゃるようですね。宮様はどんな気持ちでいられるだろう。朱雀(すざく)院様が御秘蔵になすった方が、第一の(ちょう)を他の夫人に譲って、しかも同じ家におられるかと思うとお気の毒ですね」
14.3.6 と、よけいな事を言うので、
こんな無遠慮なことを言い出すと、
14.3.7
たいだいしきこと
いかでかさはあらむ。
こなたは、さま()はりて()ほしたてたまへる(むつ)びのけぢめばかりにこそあべかめれ
(みや)をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく(おも)ひきこえたまへるものを」
「とんでもないことです。
どうしてそんなことがありましょう。
こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさったお親しさの違いがおありなのでしょう。
宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」
「そんな失礼なことを院はなさいませんよ。対の夫人は普通にお(めと)りになったのでなく、御自身でお育てになった方だという事実から、少し違った親しみがおありになるだけでしょう。宮様を何事の上にでも第一夫人として立てておられますよ」
14.3.8
(かた)りたまへば、
とお話しになると、
と大将は否定した。
14.3.9
いで、あなかま。たまへ
皆聞(みなき)きてはべり。
いといとほしげなる折々(をりをり)あなるをや。
さるは、()におしなべたらぬ(ひと)(おほん)おぼえを
ありがたきわざなりや」
「いや、黙って下さい。
すっかり聞いております。
とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。
実のところ、
並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えら
「そんなことはまあ言わないでお置きなさい。私は皆聞いて知っていますよ。とてもお気の毒な御様子でおられる時があるのだと言いますよ。光輝ある院の姫君がそれですよ。もったいない気のするのが当然じゃありませんか。
14.3.10
と、いとほしがる。
と、お気の毒がる。

14.3.11 「どうして、花から花へと飛び移る鴬は
桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう
いかなれば花に()伝ふ(うぐひす)
桜を分きてねぐらとはせぬ
14.3.12 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。
不思議に思われることですよ」
春の鳥でいながらねえ。私には合点のいかないことですよ」
14.3.13
と、(くち)ずさびに()へば、
と、口ずさみに言うので、
とも言う。
14.3.14 「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
穏当でないたとえをこの人はする、こんな乱暴なことを言うようになったのは、自分が想像したとおりに姫君を見た友が恋を覚えたものに違いないと大将は思った。
14.3.15 「深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も
どうして美しい花の色を嫌がりましょうか
深山木(みやまぎ)(ねぐら)定むるはこ鳥も
いかでか花の色に飽くべき
14.3.16 理屈に合わない話です。
そう一方的におっしゃってよいものですか」
あなたは誤解の上に立脚してお言いになるのだ」
14.3.17
といらへて、わづらはしければ、ことに()はせずなりぬ
異事(ことごと)()(まぎ)らはして、おのおの(わか)れぬ。
と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。
他に話をそらせて、それぞれ別れた。
と反対して言ったが、興奮している右衛門督とこの問題を語ることは避くべきであると思い、あとはほかの話に紛らして別れた。

第四段 柏木、小侍従に手紙を送る

14.4.1
(かん)(きみ)は、なほ大殿(おほいどの)(ひんがし)(たい)に、(ひと)()みにてぞものしたまひける。
(おも)(こころ)ありて(とし)ごろかかる()まひをするに、(ひと)やりならずさうざうしく心細(こころぼそ)折々(をりをり)あれど、
督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。
考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、
衛門督はまだ太政大臣家の東の対に独身で暮らしているのである。結婚にある理想を持っていて長くこうして来たのであるが、時には非常に寂しく心細く思うこともあるものの、
14.4.2
わが()かばかりにてなどか(おも)ふことかなはざらむ」
「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」
自分ほどの者に思うことのかなわないことはない
14.4.3
とのみ、(こころ)おごりをするに、この(ゆふ)べより()しいたく、もの(おも)はしくて、
と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
という自信を多分に持って、そうした寂寥(せきりょう)感は心から追っているのであった。それがこの日の夕べからは頭が痛み出し、堪えがたい煩悶(はんもん)をいだくようになった。
14.4.4
いかならむ(をり)またさばかりにても、ほのかなる(おほん)ありさまをだに()む。
ともかくもかき(まぎ)れたる(きは)(ひと)こそかりそめにもたはやすき物忌(ものいみ)方違(かたたが)への(うつ)ろひも軽々(かるがる)しきに、おのづからともかくものの(ひま)をうかがひつくるやうもあれ」
「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。
何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」
どんな時にまたあれだけの機会がつかめるであろう、どんなことも目だたずに済む階級の恋人であれば、その人の謹慎日とか、自分の方角()けとか、巧みな策略を作って、居所へうかがい寄ることもできるのである
14.4.5
など(おも)ひやる(かた)なく、
などと、思いを晴らすすべもなく、
が、これは言葉にも言われぬほどの
14.4.6
(ふか)(まど)のうちに(なに)ばかりのことにつけてか、かく(ふか)(こころ)ありけりとだに、()らせたてまつるべき」
「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」
深窓に隠れた貴女(きじょ)なのであるから、どんな手段でも自分はこれほど愛する心をその人に告げるだけのこともできよう
14.4.7
胸痛(むねいた)くいぶせければ、小侍従(こじじゅう)がり、(れい)(ふみ)やりたまふ。
と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。
とは思われないと衛門督は思うと胸が痛く苦しくなるあまりに、いつも書く小侍従への手紙を書いて送った。
14.4.8 「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。
その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」
この間は春風に浮かされまして御園(みその)のうちへ参りましたが、どんなにその時の私がまた御心証を悪くしたことかと悲しまれます。その夕方から私は病気になりまして、続いて今も病床にぼんやりと物思いをしております。
14.4.9
など()きて、
などと書いて、
などと書かれてあって、
14.4.10 「よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども
あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます」
よそに見て折らぬ(なげ)きはしげれども
なごり恋しき花の夕かげ
14.4.11
とあれど、侍従(じじう)一日(ひとひ)(こころ)()らねばただ()(つね)(なが)めにこそはと(おも)ふ。
とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。
という歌も添っていた。宮のお姿を衛門督が見たことなどは知らない小侍従であったから、ただいつもの物思いという言葉と同じ意味に解した。

第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る

14.5.1
御前(おまへ)(ひと)しげからぬほどなれば、かの(ふみ)()(まゐ)りて
御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、
宮のお居間に女房たちもあまり出ていないのを見て、小侍従は衛門督の手紙を持って参った。
14.5.2
この(ひと)の、かくのみ(わす)れぬものに、言問(ことと)ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。
心苦(こころぐる)しげなるありさまも()たまへあまる(こころ)もや()ひはべらむとみづからの(こころ)ながら()りがたくなむ」
「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。
お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」
「この人がこの手紙にもございますように、今日までもまだあなた様をお思いすることばかりを書いてまいりますので困ります。あまりに気の毒な様子を見せられますと、私まで頭がどうかしてしまいそうで、どんな間違った手引きなどをいたすかしれません」
14.5.3
と、うち(わら)ひて()こゆれば、
と、にっこりして申し上げると、
小侍従は笑いながらこう言うのであった。
14.5.4 「とても嫌なことを言うのね」
「いやなことを言う人ね、おまえは」
14.5.5
と、何心(なにごころ)もなげにのたまひて、文広(ふみひろ)げたるを御覧(ごらん)
と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。
無心なふうにそうお言いになって、宮は小侍従の(ひろ)げた手紙をお読みになった。
14.5.6
()もせぬ」と()ひたるところをあさましかりし御簾(みす)のつまを(おぼ)()はせらるるに、御面赤(おほんおもてあか)みて、大殿(おとど)の、さばかりことのついでごとに、
「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、
「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくてひねもす今日はながめ暮らしつ」という古歌を引いて書いてある所を御覧になった時に、蹴鞠(けまり)の日の御簾(みす)の端の上がっていたことを思い出すことがおできになり、お顔が赤くなった。院が何度も、
14.5.7
大将(だいしゃう)()えたまふな
いはけなき(おほん)ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、()たてまつるやうもありなむ」
「大将に見られたりなさらないように。
子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」
「大将に見られないようになさい。あまりにあなたは幼稚にできていらっしゃるから、うっかりとしていてのぞかれることもあるでしょうから」
14.5.8
と、(いまし)めきこえたまふを(おぼ)()づるに、
と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
こうお(いまし)めになったのをお思い出しになり、
14.5.9
大将(だいしゃう)の、さることのありしと(かた)りきこえたらむ(とき)いかにあはめたまはむ
「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」
大将からあの時のことが言われた時、院から自分はどんなにお(しか)りを受けることであろう
14.5.10 と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。
と、手紙の主が見たことなどは問題にもあそばさずに、それを心配あそばしたのは幼いお心の宮様である。
14.5.11
(つね)よりも(おほん)さしらへなければすさまじく、しひて()こゆべきことにもあらねばひき(しの)びて、(れい)()く。
いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。
平生よりもものをお言いにならず黙っておしまいになったのを見て、小侍従はつぎほのない気がしたし、この上しいて申し上げてよいことでもなかったから、そっと手紙を持って行った。そして忍んで返事を書いた。
14.5.12
一日(ひとひ)は、つれなし(がほ)なむ。
めざましうと(ゆる)しきこえざりしを()ずもあらぬ』やいかに。
あな、かけかけし」
「先日は、知らない顔をなさっていましたね。
失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。
まあ、嫌らしい」
この間はあまりに澄ましておいでになったものですから、軽蔑(けいべつ)をしていらっしゃると思っていたのですが「見ずもあらず」とはどういうことなのでしょう。もったいないことですね。
14.5.13
と、はやりかに(はし)()きて、
と、さらさらと走り書きして、

14.5.14 「今さらお顔の色にお出しなさいますな
手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと
今さらに色にな()でそ
山桜及ばぬ枝に思ひかけきと
14.5.15 無駄なことですよ」
むだなことはおよしなさいませ。
14.5.16
とあり。
とある。
こんな手紙である。
著作権
底本 明融臨模本
校訂 Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
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挿絵
(ローマ字版から)
'Eiri Genji Monogatari'
(1650 1st edition)
Last updated 12/29/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
オリジナル  修正版  比較
現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
門田裕志、小林繁雄(青空文庫)
2004年3月9日
渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経
2005年9月4日

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