設定 | 番号 | 本文 | 渋谷栄一訳 | 与謝野晶子訳 | 注釈 | 挿絵 | ルビ | 罫線 | 登場人物 | 帖見出し | 章見出し | 段見出し | 列見出し | |
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この帖の主な登場人物 | |||
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登場人物 | 読み | 呼称 | 備考 |
光る源氏 | ひかるげんじ | 殿 |
二十九歳 |
空蝉 | うつせみ | 帚木 女君 |
伊予介の後妻 |
伊予介 | いよのすけ | 常陸 常陸守 |
空蝉の夫 |
紀伊守 | きいのかみ | 河内守 守 |
伊予介の子 |
小君 | こぎみ | 右衛門佐 佐 |
空蝉の弟 |
第十五帖 蓬生 光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語 |
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本文 |
渋谷栄一訳 |
与謝野晶子訳 |
注釈 |
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第一章 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代 |
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第一段 末摘花の孤独 |
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1.1.1 | 須磨の浦で涙に暮れながら過ごしていらっしゃったころ、都でも、あれこれとお嘆きになっていらっしゃる方々が多かったが、そうはいっても、ご自身の生活のよりどころのある方は、ただお一方をお慕いする思いだけは辛そうであったが、二条の上なども、平穏なお暮らしで、旅のお暮らしをご心配申し、お手紙をやりとりなさっては、位をお退きになってからの仮りのご装束をも、この世の辛い生活をも、季節ごとにご調進申し上げなさることによって、心を慰めなさったであろうが、かえって、その妻妾の一人として世の人にも認められず、ご離京なさった時のご様子にも、他人事のように聞いて思いやった人々で、内心をお痛めになった人も多かった。 |
源氏が |
【藻塩垂れつつわびたまひしころほひ、都にも、さまざまに思し嘆く人多かりしを】- 大島本は「さま/\に」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さまざま」と「に」を削除する。源氏が須磨明石に謫去していた間の都の女性たちの動向。「藻塩垂れつつ」は「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」(古今集雑下、九六二、在原行平)にもとづく表現。 【一方の思ひこそ苦しげなりしか】- 「一方」は源氏をさす。「こそ」係助詞。「しか」過去の助動詞、已然形。係結び。読点で逆接の文脈。 【旅の御住みかをも】- 「聞こえ通ひたまひつつ」に係り、「仮の御よそひをも--時々につけてあつかひきこえたまふに」と並ぶ並列の構文。 【竹の子の世の憂き節を】- 「今さらに何生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや」(古今集雑下、九五七、凡河内躬恒)を踏まえる。 |
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1.1.2 | その |
常陸宮の姫君は、父の親王がお亡くなりになってから、他には誰もお世話する人もないお身の上で、ひどく心細い有様であったが、思いがけないお通いが始まって、お気をつけてくださることは絶えなかっが、大変なご威勢には、大したこともない、お情け程度とお思いであったが、それを待ち受けていらっしゃる貧しい生活には、大空の星の光を盥の水に映したような気持ちがして、お過ごしになっていたところ、あのような世の中の騒動が起こって、おしなべて世の中が嫌なことに思い悩まれた折に、格別に深い関係でない方への愛情は、何となく忘れたようになって、遠く旅立ちなさった後は、わざわざお訪ね申し上げることもおできになれない。 かつてのご庇護のお蔭で、しばらくの間は、泣きながらもお過ごしになっていらっしゃったが、歳月が過ぎるにしたがって、実にお寂しいご様子である。 |
【常陸宮の君は、父親王の亡せたまひにし名残に】- 末摘花の生活窮乏し、その邸も荒廃する。 【思ひかけぬ御ことの出で来て、訪らひきこえたまふこと絶えざりしを】- 源氏との関係が生じたこと。「訪らひきこえたまふこと」は、源氏本人が直接通って来ることではなく手紙などで間接的に見舞ってやることであろう。 【大空の星の光を盥の水に映したる心地して】- 『完訳』は「さほどでもない源氏の援助も困窮の末摘花には無上の恵みと思われる気持を、大空の無数の星も水面には目だって映るのにたとえた。また盥の水に星影を映すのが七夕行事の一つだという。その七夕の甘美な恋物語のような夢見心地も重なっていよう」と注す。 【かかる世の騷ぎ出で来て】- 源氏の須磨明石流謫事件をさす。 |
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1.1.3 | 昔からの女房などは、 |
古くからいた女房たちなどは、 |
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1.1.4 | 「いでや、いと おぼえず |
「いやはや、まったく情けないご運であった。 思いがけない神仏がご出現なさったようであったお心寄せを受けて、このような頼りになることも出ていらっしゃるのだと、ありがたく拝見しておりましたが、世間一般のこととはいいながらも、また他には誰をも頼りにできないお身の上は、悲しいことです」 |
「ほんとうに運の悪い方ですよ。思いがけなく神か仏の出現なすったような親切をお見せになる方ができて、人というものはどこに幸運があるかわからないなどと、私たちはありがたく思ったのですがね、人生というものは移り変わりがあるものだといっても、またまたこんな頼りない御身分になっておしまいになるって、悲しゅうございますね、世の中は」 |
【いでや、いと口惜しき御宿世なりけり】- 以下「悲しけれ」まで、女房の詞。 【おほかたの世の事といひながら】- 『集成』は「(源氏の訪れなくなったのは)ご政治向きのことのためとはいいながら。「おほかたの世のこと」は、ここでは末摘花との個人的な関係に対して、世間一般にかかわる事件。須磨退去をさす」。『完訳』は「移り変わるのは世間の習いとは申すものの」と注す。 |
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1.1.5 | と、つぶやき さる すこしも、さてありぬべき |
と、ぶつぶつ言って嘆く。 あのような生活に馴れていた昔の長い年月は、何とも言いようもない寂しさに目なれてお過ごしになっていたが、なまじっか少し世間並みの生活になった年月を送ったばかりに、かえってとても堪え難く嘆くのであろう。 少しでも、女房としてふさわしい者たちは、自然と参集して来たが、みな次々と後を追って離散して行ってしまった。 女房たちの中には亡くなった者もいて、月日の過ぎるにしたがって、上下の女房の数が少なくなって行く。 |
と |
【さる方にありつきたりしあなたの年ごろ】- 昔の貧しい生活に慣れていた時代をさす。 【さてありぬべき】- 女房としてふさわしいの意。 【月日に従ひては、上下人数少なくなりゆく】- 大島本は「月日にしたかひてハかみしも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「従ひて上下の」と「は」を削除し「の」を補訂する。 |
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第二段 常陸宮邸の窮乏 |
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1.2.1 | もとより |
もともと荒れていた宮の邸の中、ますます狐の棲みかとなって、気味悪く、人気のない木立に、梟の声を毎日耳にして、人気のあるによって、そのような物どもも阻まれて姿を隠していたが、木霊などの怪異の物どもが、我がもの顔になって、だんだんと姿を現し、何ともやりきれないことばかりが数知らず増えて行くので、たまたま残っていてお仕えしている女房は、 |
もとから荒廃していた |
【もとより荒れたりし宮の内】- 末摘花、荒廃した邸を守りながら生き抜く。 【狐の棲みかになりて】- 以下の文章は、「梟は松桂の枝に鳴き狐は蘭菊の叢に蔵る」(白氏文集、諷諭詩、「凶宅詩」)を踏まえた表現。同様の荒廃した邸の描写に「凶宅詩」を踏まえた表現は「夕顔」巻にも見られる。 【人気にこそ】- 以下「隠しけれ」まで、挿入句。係り結び。逆接の文脈。 【所得て】- 大島本は「ところえて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「所を得て」と「を」を補訂する。 |
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1.2.2 | 「なほ、いとわりなし。 この |
「やはり、まこと困ったことです。 最近の受領どもで、風流な家造りを好む者が、この宮の木立に心をかけて、お手放しにならないかと、伝を求めて、ご意向を伺わせていますが、そのようにあそばして、とてもこう、恐ろしくないお住まいに、ご転居をお考えになってください。 今も残って仕えている者も、とても我慢できません」 |
「これではしようがございません。近ごろは地方官などがよい邸を自慢に造りますが、こちらのお庭の木などに目をつけて、お売りになりませんかなどと近所の者から言わせてまいりますが、そうあそばして、こんな |
【なほ、いとわりなし】- 以下「いと堪へがたし」まで、女房の詞。姫君に邸を手放し、他の恐しくない邸に移るよう進言する。 |
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1.2.3 | など |
などと申し上げるが、 |
などと女主人に勧めるのであったが、 |
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1.2.4 | 「まあ、とんでもありません。 世間の外聞もあります。 生きているうちに、そのようなお形見を何もかも無くしてしまうなんて、どうしてできましょう。 このように恐ろしそうにすっかり荒れてしまったが、親の面影がとどまっている心地がする懐かしい住まいだと思うから、慰められるのです」 |
「そんなことをしてはたいへんよ。世間体もあります。私が生きている間は邸を人手に渡すなどということはできるものでない。こんなに |
【あな、いみじや】- 以下「慰みてこそあれ」まで末摘花の返答。 【しか名残なきわざ、いかがせむ】- 大島本は「わさ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『新大系』は諸本に従って「わざは」と「は」を補訂する。反語表現。父親の形見を何もかも失うことはできない。 |
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1.2.5 | と、うち |
と、泣く泣くおっしゃって、お考えにも入れない。 |
女王は泣きながらこう言って、女房たちの進言を思いも寄らぬことにしていた。 |
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1.2.6 | お道具類も、たいそう古風で使い馴れているのが、昔風で立派なのを、なまはんかに由緒を尋ねようとする者、そのような物を欲しがって、特別にあの人この人にお作らせになったのだと聞き出して、お伺いを立てるのも、自然とこのような貧しいあたりと侮って言って来るのを、いつもの女房、 |
手道具なども昔の品の使い慣らしたりっぱな物のあるのを、 |
【御調度どもを】- 大島本は「御てうとゝも越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御調度どもも」と校訂する。 |
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1.2.7 | 「しかたがございません。 そうすることが世間一般のこと」 |
「しかたのないことでございますよ。困れば道具をお手放しになるのは」 |
【いかがはせむ。そこそは世の常のこと】- 女房の心中。『集成』は「もはや仕方がない。それこそ、世間の習いよ」と訳す。 |
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1.2.8 | とて、 |
と思って、目立たぬように取り計らって、眼前の今日明日の生活の不自由を繕う時もあるのを、きつくお叱りになって、 |
と言って、それを金にかえて目前の窮迫から救われようとする時があると、末摘花は |
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1.2.9 | 「わたしのためにとお考えになって、お作らせになったのでしょう。 どうして、賤しい人の家の飾り物にさせましょうか。 亡きお父上のご遺志に背くのが、たまりません」 |
「私が見るようにと思って作らせておいてくだすったに違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心持ちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」 |
【見よと思ひたまひて】- 以下「あはれなること」まで、末摘花の詞。家財道具を売り払うことをきつく諌める。自分の家の家財道具が賎しい家の物になることを不本意と思う。 |
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1.2.10 | とのたまひて、さるわざはせさせたまはず。 |
とおっしゃって、そのようなことはおさせにならない。 |
ただ少しの助力でもしようとする人をも持たない女王であった。 |
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第三段 常陸宮邸の荒廃 |
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1.3.1 | はかなきことにても、 ただ、 |
ちょっとした用件でも、お訪ね申す人はないお身の上である。 ただ、ご兄弟の禅師の君だけが、たまに京にお出になる時には、お立ち寄りになるが、その方も、世にもまれな古風な方で、同じ法師という中でも、処世の道を知らない、この世離れした僧でいらっしゃって、生い茂った草、蓬をさえ、かき払うものともお考えつきにならない。 |
兄の |
【見訪らひ】- 大島本は「見とふらひ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とぶらひ」と「見」を削除する。 【御兄の禅師の君】- 末摘花の兄君。後の「初音」巻に「醍醐の阿闍梨の君」と呼称される。今、「まれにも京に出でたまふ時は」とあるのも、山科の醍醐寺あたりを想定してよい。 【たづきなく、この世を離れたる聖にものしたまひて】- 『集成』は「処世のすべを知らず、現世とは縁のない聖のようなお暮しぶりで」と訳す。 |
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1.3.2 | かかるままに、 |
このような状態で、浅茅は庭の表面も見えず、生い茂った蓬生は軒と争って成長している。 葎は西と東の御門を鎖し固めているのは心強いが、崩れかかった周囲の土築を馬、牛などが踏みならした道にして、春夏ともなると、放ち飼いする子どもの料簡も、けしからぬことである。 |
【葎は西東の御門を閉ぢこめたるぞ頼もしけれど】- 『集成』は「今さらにとふべき人も思ほえず八重葎して門鎖せりてへ」(古今集雑下、九七五、読人しらず)を指摘。 |
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1.3.3 | 八月、野分の激しかった年、渡廊類が倒れふし、幾棟もの下屋の、粗末な板葺きであったのなどは、骨組みだけがわずかに残って、居残る下衆さえいない。 炊事の煙も上らなくなって、お気の毒なことが多かった。 |
八月に |
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1.3.4 | 盗人などという情け容赦のない連中も、想像するだけで貧乏と思ってか、この邸を無用のものと通り過ぎて、寄りつきもしなかったので、このようにひどい野原、薮原であるが、それでも寝殿の中だけは、昔の装飾と変わらないが、ぴかぴかに掃いたり拭いたりする人もいない。 塵は積もっても、れっきとした荘厳なお住まいで、お過ごしになっている。 |
盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに |
【寄り来ざりければ】- この句の直接係る語句はなく、文脈が別に流れている。 |
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第四段 末摘花の気紛らし |
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1.4.1 | たわいもない古歌、物語などみたいな物を慰み事にして、無聊を紛らわし、このような生活でも慰める方法なのであろうが、そのような方面にも関心が鈍くいらっしゃる。 特に風流ぶらずとも、自然と急ぐ用事もない時には、気の合う者どうしで手紙の書き交わしなど気軽にし合って、若い人は木や草につけて心をお慰めになるはずなのだが、父宮が大事にお育てになったお考えどおりに、世間を用心すべきものとお思いになって、たまには文通なさってもよさそうなご関係の家にも、まったくお親しみにならず、古くなった御厨子を開けて、『唐守』『藐姑射の刀自』『かぐや姫の物語』などの絵に描いてあるのを、時々のもて遊び物にしていらっしゃる。 |
古い歌集を読んだり、小説を見たりすることでつれづれが慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んで行けるのであるが、末摘花はそんな趣味も持っていない。それは必ずしもよいことではないが、暇な女性の間で友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮が大事にお扱いになった時と同じ心持ちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人を持っていないのである。親戚関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬ所にうかがわれもするのである。 |
【すさびごとにてこそ】- 「こそ」は「なめれ」に係る。読点で、逆接の文脈。 【唐守】- 散逸した物語。内容未詳。『宇津保物語』「国譲上」「楼上下」に見える。 【藐姑射の刀自】- 散逸した物語。内容未詳。平安時代から鎌倉時代初期までの物語作品中の和歌を集めた『風葉和歌集』(文永八年撰進)に見える。 【かぐや姫の物語】- 『竹取物語』の別名。 |
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1.4.2 | かやうにうるはしくぞものしたまひける。 |
古歌といっても、優雅な趣向で選び出して、題詞や読人をはっきりさせて鑑賞するのは見所もあるが、きちんとした紙屋紙、陸奥紙などの厚ぼったいのに、古歌のありふれた歌が書かれているのなどは、実に興醒めな感じがするが、つとめて物思いに耽りなさるような時々には、お広げになっている。 今の時代の人が好んでするような、読経をちょっとしたり、勤行などということは、とてもきまり悪いものとお考えになって、拝見する人もいないのだが、数珠などをお取り寄せにならない。 このように万事きちんとしていらっしゃるのであった。 |
古くさい書物 |
【をかしきやうに選り出で、題をも読人をもあらはし心得たるこそ見所もありけれ】- 『集成』は「おもしろい趣向で選択編集し、詞書(歌の成立事情)や作者をもはっきりさせて、歌の気持のよく分るのが興をそそるのだが」「歌物語風のものであろう」。『完訳』「味わい深い趣向で選び出し、題詞や詠み人がはっきり書いてあって、その意味のよく分るのは見ごたえもあるのだが」「歌を、題詞・作者など作歌事情とともに観賞。当時の観賞法」と注す。 【うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめる】- 『新大系』は「紙屋(製紙所)で漉いた紙の意で、陸奥紙とともに、撰集の清書、女の手紙などには用いない。「うるはしき」は、色気のないの意」「陸奥紙の厚くて毛ばだった状態をいう」と注す。 |
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第五段 乳母子の侍従と叔母 |
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1.5.1 | 侍従などと言った御乳母子だけが、長年お暇も取ろうともしない者としてお仕えしていたが、お出入りしていた斎院がお亡くなりなったりなどして、まことに生活が苦しく心細い気がしていたところ、この姫君の母北の方の姉妹で、落ちぶれて受領の北の方におなりになっていた人がいた。 |
侍従という |
【侍従などいひし御乳母子のみこそ】- 「末摘花」巻に既出の人物。 |
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1.5.2 | 娘たちを大切にしていて、見苦しくない若い女房たちも、「全然知らない家よりは、親たちが出入りしていた所を」と思って、時々出入りしている。 この姫君は、このように人見知りするご性格なので、親しくお付き合いなさらない。 |
娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていた所であるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、 |
【よろしき若人ども】- 「よろし」は「よし」よりも一段劣った意味。 |
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1.5.3 | 「わたしを軽蔑なさって、不名誉にお思いであったから、姫君のご生活が困窮しているようなのも、お見舞い申し上げられないのです」 |
「お姉様は私を |
【おのれをばおとしめたまひて】- 以下「え訪らひきこえず」まで、叔母の詞。末摘花の母親が受領と結婚したことを軽蔑し、一門の不名誉に思っていたという。侍従を前にして述べているので、敬語を使っている。 |
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1.5.4 | など、なま |
などと、こ憎らしい言葉を言って聞かせては、時々手紙を差し上げた。 |
などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙を持たせてよこした。 |
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1.5.5 | もとよりありつきたるさやうの |
もともと生まれついたそのような並みの人は、かえって高貴な人の真似をすることに神経をつかって、お高くとまっている人も多くいるが、高貴なお血筋ながらも、こうまで落ちぶれる運命だったからであろうか、心が少し卑しい叔母だったのであった。 |
初めから地方官級の家に生まれた人は、貴族をまねて、思想的にも思い上がった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいって行く運命を生まれながらに持っていたものか、卑しい性格の叔母君であった。 |
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1.5.6 | 「わたしがこのように落ちぶれたさまを、軽蔑されていたのだから、何とかして、このような宮家の衰退した折に、この姫君を、自分の娘たちの召し使いにしたいものだ。 考え方の古風なところがあるが、それはいかにも安心できる世話役といえよう」と思って、 |
自身が、家門の顔汚しのように思われていた昔の腹いせに、 |
【わがかく劣りのさまにて】- 以下「後見ならむ」まで、叔母の心中。末摘花を自分の娘たちの使用人にして復讐してやろう、末摘花の古風なところはあるが、かえって安心だ、と考える。 【いかで】- 大島本は「いかて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかでか」と「か」を補訂する。 |
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1.5.7 | 「時々こちらにお出あそばして。 お琴の音を聴きたがっている人がおります」 |
時々私の宅へもおいでくだすったらいかがですか。あなたのお琴の |
【時々ここに渡らせたまひて】- 以下「人なむはべる」まで、叔母の詞。末摘花を叔母の家に誘い出す。 |
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1.5.8 | と この |
と申し上げた。 この侍従も、いつもお勧めするが、人に張り合う気持ちからではないが、ただ大変なお引っ込み思案なので、そのように親しくなさらないのを、憎らしく思うのであった。 |
と言って来た。これを実現させようと叔母は侍従にも促すのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただ恥ずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母のほうではくやしく思っていた。 |
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1.5.9 | こうしているうちに、あの叔母の夫が、大宰大弍になった。 娘たちをしかるべく縁づけて、筑紫に下向しようとする。 この姫君を、なおも誘おうという執念が深くて、 |
そのうちに叔母の |
【かかるほどに、かの家主人、大弐になりぬ】- 叔母の夫が大宰大弍になったので、末摘花を筑紫に連れて行こうとする。娘たちは都の人に縁づけて、今度は自分の使用人にするつもりである。 |
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1.5.10 | 「遥か遠方に、このように赴任することになりましたが、心細いご様子が、つねにお見舞い申し上げていたわけではありませんでしたが、近くにいるという安心感があった間はともかく、とても気の毒で心配でなりません」 |
「遠方へ行くことになりますと、あなたが心細い暮らしをしておいでになるのを捨てておくことが気になってなりません。ただ今までもお構いはしませんでしたが、近い所にいるうちはいつでもお力になれる自信がありましたので」 |
【はるかに、かく】- 以下「うしろめたくなむ」まで、叔母の詞。末摘花を筑紫に連れて行こうとする言葉巧みな誘い。 【まかりなむとするに】- 大島本は「ま△(△#)か(か$)りなむ」とある。すなわち二文字を抹消とミセケチにしたために、語形が壊れてしまっている。おそらく原文「まかかりなむ」とあったところを、初め後出の「か」をミセケチにしたのだが、後人がその小さなミセケチ符号を見落とし、その前の「か(可)」をまで抹消してしまったのであろう。その結果、語形が壊れてしまったものであろう。 |
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1.5.11 | など、 |
などと、言葉巧みに言うが、まったくご承知なさらないので、 |
と体裁よく |
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1.5.12 | 「まあ、憎らしい。 ご大層なこと。 自分一人お高くとまっていても、あのような薮原に過ごしていらっしゃる人を、大将殿も、大事にお思い申し上げないでしょう」 |
「まあ憎らしい。いばっていらっしゃる。自分だけはえらいつもりでも、あの |
【あな、憎。ことことしや】- 以下「思ひきこえたまはじ」まで、叔母の詞。『完訳』は「末摘花にではなく、第三者に漏らした発言であろう」と注す。 |
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1.5.13 | など、 |
などと、恨んだり呪ったりしているのであった。 |
と言ってののしった。 |
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第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後 |
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第一段 顧みられない末摘花 |
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2.1.1 | さるほどに、げに かやうに、あわたたしきほどに、さらに |
そうこうしているうちに、はたして天下に赦免されなさって、都にお帰りになるというので、世の中の慶事として大騷ぎする。 自分も何とか、人より先に、深い誠意をご理解いただこうとばかりに、競い合っている男、女につけても、身分の貴い人も賤しい人も、人の心の動きを御覧になるにつけ、しみじみと考えさせられること、さまざまである。 このように、あわただしいうちに、まったくお思い出しになる様子もなく月日が過ぎた。 |
そのうちに源氏 |
【人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり】- 『完訳』は「源氏は、不遇の時期の世人の向背のさまを見てきたが、それと比べて人間の本性を思う」と注し、「人の心の動きをお察しになり、胸中しみじみとお悟りになることがさまざまである」と訳す。 |
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2.1.2 | 「 |
「今はもうお終いだ。 長い年月、ご不運な生活を、悲しくお気の毒なことと思いながらも、万物の蘇る春にめぐりあっていただきたいと願っていたが、とるにたらない下賤な者までが喜んでいるという、ご昇進などするのを、他人事として聞かねばならないのだった。 悲しかった時の嘆かしさは、ただ自分ひとりのために起こったのだと思ったが、嘆いても甲斐のない仲だわ」とがっかりして、辛く悲しいので、人知れず声を立ててお泣きになるばかりである。 |
もう何の望みもかけられない。長い間不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮らしたものであるのに、 |
【今は限りなりけり】- 以下「かひなき世かな」まで、末摘花の心中。源氏の無事帰京を祈りながらも、帰京の後、まったく顧みられないことに絶望していく。 【萌え出づる春に逢ひたまはなむ】- 「岩そそくたるひの上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかな」(古今六帖、一月、志貴皇子)を踏まえる。 【わが身一つのために】- 「世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つのためになれるか」(古今集雑下、九四八、読人しらず)の言葉によったもの。 |
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2.1.3 | 大弍の北の方、 |
大弐の夫人は、 |
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2.1.4 | 「それ見たことか。 いったい、このように不如意で、体裁の悪い人のご様子を、一人前にお扱いになる方がありましょうか。 仏、聖も、罪の軽い人をよくお導きもなさるというものだが、このようなご様子で、偉そうに世間を見下しなさって、宮、上などが生きていらした時のままと同じようでいらっしゃる、ご高慢が、不憫なこと」 |
私の言ったとおりじゃないか。どうしてあんな見る影もない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃった時と同じように思い上がっているのだから始末が悪いなどと思っていっそう |
【さればよ】- 以下「いとほしきこと」まで、叔母の心中。侮蔑と憐愍。 【いとほしきこと】- 『集成』は「困ったものだ」。『完訳』は「じつに不憫なこと」と訳す。 |
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2.1.5 | と、いとどをこがましげに |
と、ますます馬鹿らしく思って、 |
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2.1.6 | 「やはり、ご決心なさい。 何かとうまく行かない時は、何も見なくてすむ山奥へ入りこむというものですよ。 地方などは、むさ苦しい所とお思いでしょうが、むやみに体裁の悪いもてなしは、けっして、致しません」 |
「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなる時には、人は進んでも旅へ出るではありませんか。 |
【なほ、思ほし立ちね】- 以下「もてなしきこえじ」まで、叔母の詞。言葉巧みに筑紫へ誘う。 【世の憂き時は、見えぬ山路をこそは尋ぬなれ】- 「み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れ家にせむ」(古今集雑下、九五〇、読人しらず)「世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を踏まえた表現。古歌の文句を引用して説得する。 |
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2.1.7 | など、いとよく |
などと、とても言葉巧みに言うと、すっかり元気をなくしている女房たちは、 |
口前よく熱心に同行を促すと、貧乏に飽いた女房などは、 |
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2.1.8 | 「そのようにご承知なさってほしい。 たいしたこともなさそうなお身の上を、どうお考えになって、このように意地をお張りになるのだろう」 |
「そうなればいいのに、何のたのむ所もない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」 |
【さもなびきたまはなむ】- 以下「御心ならむ」まで、女房たちのつぶやき。「なむ」終助詞、他に対する願望の意。 |
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2.1.9 | と、もどきつぶやく。 |
と、ぶつぶつと非難する。 |
と言って、末摘花を批難した。 |
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2.1.10 | 侍従も、あの大弍の甥に当たる人に、契りを結んで、残して行くはずもなかったので、不本意ながら出発することになって、 |
侍従も大弐の |
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2.1.11 | 「お残し申したままで出立するのが、とても心残りです」 |
「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんからいらっしゃいませ」 |
【見たてまつり置かむが、いと心苦しきを】- 侍従の詞。 |
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2.1.12 | と言って、お誘い申し上げるが、やはり、このように離れてしばらくになってしまった方に期待をかけなさっている。 お心の中では、「いくら何でも、時のたつうちには、お思い出しくださる機会のないことがあろうか。 しみじみと深いお約束をなさったのだから、わが身の上はつらくて、このように忘れられているようであるが、風の便りにでも、わたしのこのようにひどい暮らしをお耳になさったら、きっとお訪ねになってくださるにちがいない」と、長年お思いになっていたので、おおよそのお住まいも以前より実に荒廃してひどいが、ご自分のお考えで、ちょっとした御調度類なども失くさないようにさせなさって、辛抱強く同じように堪え忍んでてお過ごしになっているのであった。 |
と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏を頼みにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変わっていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう、風の |
【さりとも】- 以下「訪らひ出でたまひてむ」まで、末摘花の心中。源氏がいつの日にか思い出してくれるだろうという期待。 【あらじやは】- 「じ」打消推量の助動詞。「やは」係助詞、反語。ないことがあろうか、きっとあろう。強い期待がこめられている。 【したまひしに】- 「に」接続助詞。『集成』は「して下さったのに」。『完訳』は「なさったのだから」と訳す。 【取り失はせたまはず】- 「せ」使役の助動詞。女房らに失わさせなさらずの意。 |
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2.1.13 | いとほしう、もの |
声を立てて泣き暮らしながら、ますます悲嘆に暮れていらっしゃるのは、まるで山人が赤い木の実一つを顔から放さないようにお見えになる、その横顔などは、普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌である。 詳しくお話し申し上げられない。 お気の毒で、あまりに口が悪いようであるから。 |
気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている |
【詳しくは】- 以下「なきやうなり」まで、語り手の文章。『集成』は「草子地」。『完訳』は「気の毒で語れぬとする語り手の省筆」と注す。 |
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第二段 法華御八講 |
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2.2.1 | 冬になってゆくにつれて、ますます、すがりつくべきてだてもなく、悲しそうに物思いに沈んでお過ごしになる。 あの殿におかれては、故院の御追善の御八講を、世間でも大騷ぎとなって盛大に催しなさる。 特に僧侶などは、普通の僧はお召しにならず、学問の優れ修行を積んだ、高徳の僧だけをお選びあそばしたので、この禅師の君も参上なさっていた。 |
冬にはいればはいるほど頼りなさはひどくなって、悲しく物思いばかりして暮らす女王だった。源氏のほうでは故院のための盛んな八講を催して、世間がそれに |
【冬になりゆくままに】- 季節は冬に推移。冬、神無月、源氏御八講を催し、末摘花の兄の禅師招かれる。叔母、侍従を連れて筑紫に下る。末摘花の孤独、一層深まる。 【選らせたまひければ】- 「せ」尊敬の助動詞。源氏の動作を二重敬語で表現。 |
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2.2.2 | 帰りがけにお立ち寄りになって、 |
女王の兄の禅師も出た帰りに妹君を |
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2.2.3 | 「これこれでした。 権大納言殿の御八講に参上しておったのです。 たいそう立派で、この世の極楽浄土の装飾に負けず、荘厳で興趣のぜいをお尽くしになっていた。 仏か菩薩の化身でいらっしゃるのだろう。 五濁に深く染まっているこの世に、どうしてお生まれになったのだろう」 |
「源大納言さんの八講に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の |
【しかしか】- 以下「生まれたまひけむ」まで、禅師の詞。御八講の日の源氏の素晴らしさを礼讃する。「この形は江戸時代以後シカジカと濁音化した」(岩波古語辞典)。 【参りてはべるなり】- 大島本は「まいりて侍へるなり」とある。『新大系』は底本のまま「侍へるなり」とする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はべりつるなり」と校訂する。 |
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2.2.4 | と |
と言って、そのまますぐにお帰りになってしまった。 |
こんな話をして禅師はすぐに帰った。 |
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2.2.5 | 「さても、かばかりつたなき |
言葉少なで、世間の人と違ったご兄妹どうしであって、ちょっとした世間話でさえお交わしなされない。 「それにしても、このように不甲斐ない身の上を、悲しく不安なままに放ってお過ごしになるとは、辛い仏菩薩様だわ」と、辛く思われるが、「いかにも、これきりの縁なのだろう」と、だんだんお考えになっているところに、大弐の北の方が、急に来た。 |
普通の |
【さても、かばかりつたなき身の】- 以下「心憂の仏菩薩や」まで、末摘花の心中。源氏を仏菩薩に喩えるも訪れてくれないことを恨めしく思う。 【げに、限りなめり】- 末摘花の心中。「げに」は叔母の言葉を受けて、なるほど、の意。絶望的に思う。 |
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第三段 叔母、末摘花を誘う |
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2.3.1 | いづれか、この |
いつもはそんなに親しくしないのに、お誘い申そうとの考えで、お召しになるご装束など準備して、よい車に乗って、顔つき、態度も、得意に物思いのない様子で、予告もなくやって来て、門を開けさせるや、見苦しく寂しい様子、この上もない。 左右の戸もみな傾き倒れてしまっていたので、男どもが手助けして、あれこれと大騷ぎして開ける。 どれがそれか、この寂しい宿にも必ず踏み分けた跡があるという三つの道はと、探し当てて行く。 |
平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の |
【ゆくりもなく走り来て】- 『集成』は「都合も聞かずに」。『完訳』は「不意に車を走らせてきて」と訳す。 【限りもなし】- 大島本は「かきりもなし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「限りなし」と「も」を削除する。 【跡あなる三つの径】- 「なる」伝聞推定の助動詞。漢蒋*(言+羽)が庭に三逕を作り松・菊・竹を植えたという故事(蒙求)。「三径ハ荒ニ就ケドモ、松菊猶存セリ」(文選、帰去来の辞・陶淵明)の隠遁者の住まいをいう。日本では「門へ行く道、井へ行く道、厠へ行く道」(紫明抄)という説がある。 |
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2.3.2 | わづかに |
かろうじて南面の格子を上げている一間に車を寄せたので、ますますどうしてよいか分からなくお思いになったが、あきれるくらい煤けた几帳を差し出して、侍従が出て来た。 容貌など、衰えてしまっていた。 長年のうちにひどくやせ細っているが、やはりどことなく品のある感じで、恐れ多いことであるが、姫君と取り替えたいくらいに見える。 |
そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。 |
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2.3.3 | 「 などかうあはれげなるさまには」 |
「旅立とうと思いながらも、お気の毒な様子がお見捨て申し上げにくくて。 侍従の迎えに参上しました。 お嫌いになりよそよそしくして、ご自身ではちょっとでもお越しあそばされませんが、せめてこの人だけはお許しいただきたく思いまして。 どうしてこのような寂しいさまで」 |
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお |
【出で立ちなむことを】- 以下「さまには」まで、叔母の詞。侍従を迎えに来た旨を告げる。 |
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2.3.4 | と言って、つい泣き出してしまうはずのところだ。 けれども旅先に思いを馳せて、とても気分よさそうである。 |
こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。 |
【うちも泣くべきぞかし】- 『集成』は「(世の常の人なら)ここで思わず泣きもするところだ。叔母を皮肉った草子地」と注す。 |
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2.3.5 | 「 やむごとなきさまに |
「故宮がご存命でいらした時、わたしを不名誉な者とお思い捨てになっていらしたので、疎遠なようになってしまいましたが、今までにも、どうしてそう思ったでしょうか。 高貴なお身の上に気位い高くお持ちになり、大将殿などがお通いになるご運勢のほどを、もったいなくも存ぜずにはいられませんでしたので、親しく交際させていただきますのも、遠慮いたすことが多くて、ご無沙汰いたしておりましたが、世の中がこのように定めないものなので、人数にも入らない身の上は、かえって気安いものでございました。 及びもつかなく拝見いたしましたご様子が、実に悲しく気の毒なのを、近くにいますうちは御無沙汰いたしていた折も、そのうちにと呑気に思っておりましたが、このように遥か遠くに下ってしまうことになると、気がかりで悲しく存じられます」 |
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお |
【故宮おはせしとき】- 以下「おぼえたまふ」まで、叔母の詞。御無沙汰を謝し、末摘花を筑紫に誘う。 |
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2.3.6 | など |
などと話を持ち掛けるが、心を許してお返事もなさらない。 |
と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。 |
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2.3.7 | 「とても嬉しいことですが、世間離れしたわたしなどには、どうして一緒に行けましょうか。 こうしたまま朽ち果てようと存じております」 |
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」 |
【いとうれしきことなれど】- 以下「なむ思ひはべる」まで、末摘花の返事。誘いに感謝しながらも拒絶する。『完訳』は「世間離れを自認」と注す。 |
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2.3.8 | とのみのたまへば、 |
とだけおっしゃるので、 |
とだけ末摘花は言う。 |
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2.3.9 | 「げに、しかなむ まして、かうものはかなきさまにて、 |
「なるほど、そのようにお思いになるのもごもっともですが、せっかく生きている身をだいなしにして、このように気味の悪い所に暮らしている例はございませんでしょう。 大将殿がお手入れしてくだされば、うって変わって元の美しい御殿にもなり変わろうと、頼もしうございますが、ただ今のところは、式部卿宮の姫君より他には、心をお分けになる方もないということです。 昔から浮気なお心で、かりそめにお通いになった人々は、みなすっかりお心が離れておしまいになったということです。 ましてや、このようにみすぼらしい様子で、薮原にお過ごしになっていらっしゃる人を、貞淑に自分を頼っていらっしゃる様子だと、お訪ね申されることは、とても難しいことです」 |
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の |
【げに、しかなむ】- 以下「かたくなむあるべき」まで、叔母の詞。説得を諦める。 【生ける身を捨て】- 大島本は「すて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「捨てて」と「て」を補訂する。 【式部卿宮の】- 紫の上の父宮。「澪標」「絵合」巻では「兵部卿宮」とあり、式部卿宮に転じるのは「少女」巻である。本文上問題のある箇所。 【心分けたまふ方もなかなり】- 「なかるなり」の「る」が撥音便化し、さらに無表記の形。「なり」伝聞推定の助動詞。 【皆思し離れにたなり】- 「に」完了の助動詞。「たなり」は「たるなり」の「る」が撥音便化し、さらに無表記化された形。 |
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2.3.10 | など |
などと説得するが、本当にそのとおりだとお思いになるのも、実に悲しくて、しみじみとお泣きになる。 |
こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。 |
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第四段 侍従、叔母に従って離京 |
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2.4.1 | されど、 |
けれども、動きそうにもないので、一日中いろいろと説得したものの困りはてて、 |
しかも九州行きを |
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2.4.2 | 「それでは、侍従だけでも」 |
「では侍従だけでも」 |
【さらば、侍従をだに】- 叔母の詞。侍従を連れて行くことを言う。 |
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2.4.3 | と、 |
と、日が暮れるままに急ぎ立てるので、気がせいて、泣く泣く、 |
と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は |
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2.4.4 | 「それでは、ともかく今日のところは。 このようにお勧めになるお見送りだけでも参りましょう。 あのように申されることもごもっともなことです。 また一方、お迷いになることもごもっともなことですので、間に立って拝見するのも辛くて」 |
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく |
【さらば、まづ今日は】- 以下「心苦しくなむ」まで、侍従の詞。末摘花にこっそりと言う。 【かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ】- 「見送り」は目的地あるいは国境まで送っていくこと。侍従はそのまま筑紫国に住み着いてしまう。『完訳』は「こんなにお勧めになるので、せめて、叔母君をお見送りするつもりで参ろう、の意。下向の決意のゆらぐ気持であろう」と注す。 |
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2.4.5 | と、 |
と、小声で申し上げる。 |
と言う。 |
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2.4.6 | この |
この人までが自分を見捨てて行ってしまおうとするのが、恨めしくも悲しくもお思いになるが、引き止めるすべもないので、ますます声を立てて泣くことばかりでいらっしゃる。 |
この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。 |
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2.4.7 | 形見にお与えになるべき着用の衣も垢じみているので、長年の奉公に報いるべき物がなくて、ご自分のお髪の抜け落ちたのを集めて、鬘になさっていたのが、九尺余りの長さで、たいそうみごとなのを、風流な箱に入れて、昔の薫衣香のたいそう香ばしいのを、一壷添えてお与えになる。 |
形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に |
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2.4.8 | 「あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが 思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね |
「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら 思ひのほかにかけ離れぬる |
【絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら--思ひのほかにかけ離れぬる】- 末摘花から侍従への贈歌。「絶ゆ」「筋」「掛け」は「かづら」の縁語。離別を惜しみ恨むような気持ちの表出。『完訳』は「身分の劣る者からの贈歌が普通。ここは逆」と指摘。 |
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2.4.9 | 亡くなった乳母が、遺言なさったこともありましたから、不甲斐ない我が身であっても、最後までお世話してくれるものと思っていましたのに。 見捨てられるのももっともなことですが、この後誰に世話を頼むのかと、恨めしくて」 |
死んだ |
【故ままの】- 以下「恨めしうなむ」まで、末摘花の歌に続けた詞。乳母子にまで見捨てられた絶望的気持ち。『新大系』は「乳母を親しんで呼ぶ語。ここは侍従の亡母」と注す。 |
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2.4.10 | とて、いみじう この |
と言って、ひどくお泣きになる。 この人も、何も申し上げることができない。 |
と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。 |
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2.4.11 | 「乳母の遺言は、もとより申し上げるまでもなく、長年の堪えがたい生活を堪えて参りましたのに、このように思いがけない旅路に誘われて、遥か遠くに彷徨い行くことになるとは」と言って、 |
「 |
【ままの遺言は】- 以下「あくがるること」まで、侍従の詞。感情に溺れて思慮を失ったしゃべり出し。 |
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2.4.12 | 「お別れしましてもお見捨て申しません 行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう |
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の たむけの神もかけて誓はん |
【玉かづら絶えてもやまじ行く道の--手向の神もかけて誓はむ】- 侍従の玉鬘の贈歌に対する返歌。「絶ゆ」「玉かづら」「掛け」の語句を受けて、「玉かづら」「絶えても止まじ」「掛けて誓はむ」と切り返す。手向けの神に誓って決してお見捨て申しません、という気持ち。 |
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2.4.13 | 寿命だけは分りませんが」 |
命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」 |
【命こそ知りはべらね】- 侍従の返歌に添えた詞。「こそ---ね」係結び。寿命、運命の意。 |
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2.4.14 | など |
などと言うと、 |
などとも言う。 |
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2.4.15 | 「どこにいますか。 暗くなってしまいます」 |
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」 |
【いづら。暗うなりぬ】- 叔母の詞。侍従を急かせる。 |
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2.4.16 | と、ぶつぶつ言われて、心も上の空のまま引き出したので、振り返りばかりせずにはいられないのであった。 |
と |
【かへり見のみ】- 君が住む宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへり見しはや(拾遺集別-三五一 菅原道真)(text15.html 出典7から転載) |
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2.4.17 | 長年辛い思いをしながらも、お側を離れなかった人が、このように離れて行ってしまったことを、たいそう心細くお思いになると、世間では役に立ちそうにもない老女房までが、 |
困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、 |
【年ごろわびつつも行き離れざりつる人の】- 『集成』は「今まで長年の間、迷惑がりながらもお側を離れなかった人(侍従)が」と訳す。 |
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2.4.18 | 「いやはや、無理もないことです。 どうしてお残りになることがありましょうか。 わたしたちも、とても我慢できそうにありませんわ」 |
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」 |
【いでや、ことわりぞ】- 以下「念じ果つまじけれ」まで、老女房の詞。侍従に対して敬語を使うのは、姫君の側近であるから。 |
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2.4.19 | と、おのが |
と、それぞれに関係ある縁故を思い出して、残っていられないと思っているのを、体裁の悪いことだと聞いていらっしゃる。 |
こんなことを言って、ほかへ勤める |
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第五段 常陸宮邸の寂寥 |
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2.5.1 | はかなきことを |
霜月ころになると、雪、霰の降る日が多くなって、他では消える間もあるが、朝日、夕日をさえぎる雑草や葎の蔭に深く積もって、越の白山が思いやられる雪の中で、出入りする下人さえもいなくて、所在なく物思いに沈んでいらっしゃる。 とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らした人さえいなくなって、夜も塵の積った御帳台の中も、寄り添う人もなく、何となく悲しく思わずにはいらっしゃれない。 |
十一月になると雪や |
【霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて】- 源氏、帰京の年の十一月、雪や霰の降ることの多い日々、末摘花は独り邸で寂しく暮らす。『完訳』は「末摘花の巻でも、雪が重要な景物。生活の辛苦を寒冷さで象徴」と注す。 【越の白山思ひやらるる雪のうちに】- 「越の白山」は歌枕。『集成』は「消え果つる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける」(古今集羈旅、四一四、躬恒)。『新大系』では「音に聞く越の白山白雪の降り積もりての事にぞありける」(公任集)を指摘する。 【泣きみ笑ひみ紛らはしつる人】- 侍従をさす。 【塵がましき御帳のうちも】- 『集成』は「男の訪れが絶えて久しく、整えることを怠った帳台をいう」と注す。 |
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2.5.2 | かの まして、「その |
あちらの殿では、久々に再会した方に、ますます夢中なご様子で、たいして重要にお思いでない方々には、特別ご訪問もおできになれない。 まして、「あの人はまだ生きていらっしゃるだろうか」という程度にお思い出しになる時もあるが、お訪ねになろうというお気持ちも急に起こらずにいるうちに、年も変わった。 |
源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、 |
【年変はりぬ】- 帰京の翌年、源氏二十九歳の年となる。 |
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第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語 |
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第一段 花散里訪問途上 |
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3.1.1 | 卯月ころに、花散里をお思い出し申されて、こっそりと対の上にお暇乞い申し上げてお出かけになる。 数日来降り続いていた雨の名残、まだ少しぱらついて、風情ある折に、月が差し出ていた。 昔のお忍び歩きが自然と思い出されて、優艷な感じの夕月夜に、途上、あれこれの事柄が思い出されていらっしゃるうちに、見るかたもなく荒れた邸で、木立が鬱蒼とした森のような所をお通り過ぎになる。 |
四月ごろに |
【卯月ばかりに、花散里を思ひ出できこえたまひて】- 春三か月が過ぎ去って、夏四月となる。源氏が花散里を訪問する途上、たまたま末摘花邸に立ち寄るという語り方。 【いますこしそそきて】- 大島本は「いますこし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「すこし」とし「いま」を削除する。 【をかしきほどに、月さし出でたり】- 『集成』は「風情を添えるように」。『完訳』は「風情のある空に月がさし出ている」と訳す。 |
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3.1.2 | 大きな松の木に藤が咲きかかって、月の光に揺れているのが、風に乗ってさっと匂うのが慕わしく、どれがそれからともない香りである。 橘のとは違って風趣があるので、のり出して御覧になると、柳もたいそう長く垂れて、築地も邪魔しないから、乱れ臥していた。 |
高い松に |
【松に藤の咲きかかりて】- 松と藤という取り合わせの構図。当時の和歌や源氏物語中に多く見られる。 【月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく】- 【月影になよびたる風につきて】-『集成』は「月の光に揺れているのが、風に乗って」。『完訳』は「月光のなかになよなよ揺れている、それが吹く風とともにさっと匂ってくるのが」。「たる」と「風」の間に読点が入る。連体中止で、下文の主格となる。 【風につきてさと匂ふがなつかしく】-『完訳』は「人もなき宿ににほへる藤の花風にのみこそ乱るべらなれ」(貫之集)を指摘。 【橘に変はりて】- 大島本は「たちはなに」とある。『新大系』『集成』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「橘には」とし「は」を補訂する。 |
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3.1.3 | 「かつて見た感じのする木立だなあ」とお思いになると、それもそのはず、この宮邸なのであった。 ひどく胸を打たれて、お車を止めさせなさる。 例によって、惟光はこのようなお忍び歩きに外れることはないので、お供していたのであった。 お召しになって、 |
見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の |
【早う、この宮なりけり】- 『集成』は「それもそのはず、例の常陸の宮だったのだ。「早う」は、「もともと」「すでに」の原義から転じた用法」。『完訳』は「もともとそのはず、の語感」「それもそのはず、常陸の宮のお邸なのだった」と注す。 |
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3.1.4 | 「ここは常陸宮であったな」 |
「ここは常陸の宮だったね」 |
【ここは、常陸の宮ぞかしな】- 源氏の詞。問いかけ。終助詞「な」は質問の意。 |
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3.1.5 | 「しかはべる」 |
「さようでございます」 |
「さようでございます」 |
【しかはべる】- 惟光の詞。返答。源氏の問いかけに間髪を入れず答える。 |
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3.1.6 | と |
と申し上げる。 |
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3.1.7 | 「ここにいた人は、今も物思いに沈んでいるのだろうか。 お見舞いすべきであるが、わざわざ訪ねるのも大げさである。 このような機会に、入って便りをしてみよ。 よく調べてから、言い出しなさい。 人違いをしては馬鹿らしいから」 |
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」 |
【ここにありし人は】- 以下「をこならむ」まで、源氏の詞。惟光に邸の中を尋ねさせる。 【尋ね入りてを】- 大島本は「たつね入てを」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たづね寄りてを」と校訂する。「を」について、『集成』は「驚意の助詞」。『完訳』は「感嘆の助詞」と解す。 |
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3.1.8 | とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
と源氏は言った。 |
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3.1.9 | ここには、いとど |
こちらでは、ひとしお物思いのまさるころで、つくづくと物思いに沈んでいらっしゃると、昼寝の夢に故宮がお見えになったので、目が覚めて、実に名残が悲しくお思いになって、雨漏りがして濡れている廂の端の方を拭かせて、あちらこちらの御座所を取り繕わせてなどしながら、いつになく人並みになられて、 |
末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも |
【ここには、いとど眺めまさるころにて】- 常陸宮邸の中。末摘花、昼寝の夢から覚めて物思いに耽っている。 |
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3.1.10 | 「亡き父上を恋い慕って泣く涙で袂の乾く間もないのに 荒れた軒の雨水までが降りかかる」 |
荒れたる軒の |
【亡き人を恋ふる袂のひまなきに--荒れたる軒のしづくさへ添ふ】- 末摘花の独詠歌。「亡き人」は父常陸宮。この和歌の末尾が地の文に続く。 |
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3.1.11 | も、 |
というのも、 |
こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。 |
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第二段 惟光、邸内を探る |
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3.2.1 | 「さればこそ、 わづかに |
惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと探すが、すこしも人影が見えない。 「やはりそうだ、今までに行き帰りに覗いたことがあるが、人は住んでいないのだ」と思って、戻って参る時に、月が明るく照らし出したので、見ると、格子が二間ほど上がっていて、簾の動く気配である。 やっと見つけた感じ、恐ろしくさえ思われるが、近寄って、訪問の合図をすると、ひどく老いぼれた声で、まずは咳払いしてから、 |
惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分は |
【惟光入りて、めぐるめぐる】- 惟光、邸内を探り、案内を乞う。 【いささかの人気もせず】- 大島本は「いさゝかの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いささか」とし「の」を削除する。 【さればこそ】- 以下「なきものを」まで、惟光の心中。 |
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3.2.2 | 「そこにいる人は誰ですか。 どのような方ですか」 |
「いらっしゃったのはどなたですか」 |
【かれは誰れぞ。何人ぞ】- 老女房の声。外の人に向かって問う。 |
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3.2.3 | と |
と聞く。 名乗りをして、 |
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3.2.4 | 「侍従の君と申した方に、面会させていただきたい」 |
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」 |
【侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ】- 惟光の詞。案内を乞う。惟光は侍従を通じて常陸宮邸に出入りしていた。 |
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3.2.5 | と |
と言う。 |
と言った。 |
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3.2.6 | 「その人は、 他へ行って |
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」 |
【それは、ほかになむ】- 以下「女なむはべる」まで、老女房の詞。侍従は既に筑紫国へ下っていた。 |
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3.2.7 | と |
と言う声は、ひどく年とっているが、聞いたことのある老人だと聞きつけた。 |
と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。 |
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3.2.8 | 室内では、思いも寄らない、狩衣姿の男性が、ひっそりと振る舞い、物腰も柔らかなので、見馴れなくなってしまった目には、「もしや、狐などの変化のものではないか」と思われるが、近く寄って、 |
家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。 |
【もし、狐などの変化にや】- 女房の心中。狐の化物かと疑う。 【近う寄りて】- 惟光の動作。前の「おぼゆれど」の主語は、女房たち。ここで、主語が変わる。 |
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3.2.9 | 「たしかになむ、うけたまはらまほしき。 うしろやすくを」 |
「はっきりと、お話を承りたい。 昔と変わらないお暮らしならば、お訪ね申し上げなさるべきお気持ちも、今も変わらずにおありのようです。 今宵も素通りしがたくて、お止まりあそばしたのだが、どのようにお返事申し上げましょう。 どうぞご安心を」 |
「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」 |
【たしかになむ】- 以下「うしろやすくを」まで、惟光の詞。 【尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも】- 「きこえさせ」(「きこゆ」より一段と謙譲の度合の高い動詞、末摘花に対する敬意)「たまふ」(尊敬の補助動詞、源氏に対する敬意)「べき」(推量の助動詞、当然の意)。 |
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3.2.10 | と |
と言うと、女房たちは笑って、 |
と言うと、女たちは笑い出した。 |
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3.2.11 | 「 ただ |
「お変わりあそばす御身の上ならば、このような浅茅が原をお移りにならずにおりましょうか。 ただご推察申されてお伝えください。 年老いた女房にとっても、またとあるまいと思われるほどの、珍しい身の上を拝見しながら過ごしてまいったのです」 |
「変わっていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。御推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申し上げてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて今日までお待ちになったのでございますよ」 |
【変はらせたまふ御ありさまならば】- 以下「すこしはべれ」まで、老女房の返事。 【はべりなむや】- 「はべり」丁寧の動詞、「なむ」複合語(「な」完了の助動詞、確述+「む」推量の助動詞、推量)強調、「や」係助詞、反語。 |
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3.2.12 | と、ややくづし |
と、ぽつりぽつりと話し出して、問わず語りもし出しそうなのが、厄介なので、 |
女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、 |
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3.2.13 | 「よいよい、 分かった。まずは、そのように、申し上げま |
「いやわかりました。ともかくそう申し上げます」 |
【よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ】- 惟光の詞。 |
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3.2.14 | とて |
と言って帰参した。 |
と言い残して出て来た。 |
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第三段 源氏、邸内に入る |
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3.3.1 | 「どうしてひどく長くかかったのだ。 どうであったか。 昔の面影も見えないほど雑草の茂っていることよ」 |
「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔の |
【などかいと久しかりつる】- 以下「しけさかな」まで源氏の詞。 |
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3.3.2 | とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
源氏に問われて惟光は初めからの報告をするのであった。 |
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3.3.3 | 「これこれの次第で、ようやく分かりました。 侍従の叔母で少将と言いました老女が、昔と変わらない様子でおりました」 |
「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の |
【しかしかなむ】- 以下「声にてはべりける」まで、惟光の詞。 |
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3.3.4 | と、ありさま |
と、その様子を申し上げる。 |
惟光はなお目に見た邸内の様子をくわしく言う。 |
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3.3.5 | いみじうあはれに、 |
ひどく不憫な気持ちになって、 |
源氏は非常に哀れに思った。 |
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3.3.6 | 「このような蓬生の茂った中に、どのようなお気持ちでお過ごしになっていられたのだろう。 今までお訪ねしなかったとは」 |
この廃邸じみた家に、どんな気持ちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、 |
【かかるしげき中に】- 以下「訪はざりけるよ」まで、源氏の心中。『完訳』は「荒廃の中で自分を待ち続けた末摘花への感動から、自らの冷淡な仕打ちへの反省へと、反転していく」と注す。 |
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3.3.7 | と、わが |
と、ご自分の薄情さを思わずにはいらっしゃれない。 |
源氏は自分ながらも冷酷であったと省みられるのであった。 |
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3.3.8 | 「どうしたらよいものだろう。 このような忍び歩きも難しいであろうから、このような機会でなかったら、立ち寄ることもできまい。 昔と変わっていない様子ならば、なるほどそのようであろうと、推量されるお人柄である」 |
「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることも近ごろは容易でないのだから、この機会でなくては訪ねられないだろう。すべてのことを |
【いかがすべき】- 以下「人ざまになむ」まで、源氏の詞。『完訳』は「形式的には惟光への発言ながら、心語に続く自問自答」と注す。 【忍びあるき】- 大島本は「しのひあるき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「忍びありき」と校訂する。 |
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3.3.9 | とはのたまひながら、ふと ゆゑある |
とはおっしゃるものの、すぐにお入りになること、やはり躊躇される。 趣き深いご消息も差し上げたくお思いになるが、かつてご経験された返歌の遅いのも、まだ変わっていなかったなら、お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった。 惟光も、 |
と源氏は言いながらも、この邸へはいって行くことにはなお |
【ゆゑある御消息もいと聞こえまほしけれど】- 『集成』は「きちんとしたお歌などさし上げたいのは山々だが」。『完訳』は「じっさい何か気のきいた御消息も申し上げたいけれども」と訳す。 |
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3.3.10 | 「とてもお踏み分けになれそうにない、ひどい蓬生の露けさでございます。 露を少し払わせて、お入りあそばすよう」 |
「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。 |
【さらにえ分けさせたまふまじき】- 以下「入らせたまふべき」まで、惟光の詞。 |
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3.3.11 | と |
と申し上げるので、 |
この |
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3.3.12 | 「誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう 道もないくらい深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を」 |
尋ねてもわれこそ 深き蓬のもとの心を |
【尋ねても我こそ訪はめ道もなく--深き蓬のもとの心を】- 源氏の独詠歌。貞淑な末摘花の真意を理解し訪問しようという意。 |
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3.3.13 | と独り言をいって、やはりお車からお下りになると、御前の露を、馬の鞭で払いながらお入れ申し上げる。 |
と口ずさんだが、やはり車からすぐに |
【なほ下りたまへば】- 前に「なほつつましう」を受けて、躊躇しながらもやはり下車した、の意。 【馬の鞭して】- 大島本は「むち」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ぶち」と校訂する。「鞭 夫知」(新撰字鏡)。 |
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3.3.14 | 雨の雫も、やはり秋の時雨のように降りかかるので、 |
木の枝から散る |
【雨そそきも、なほ秋の時雨めきて】- 「東屋の真屋のあまりのその雨そそき我立ち濡れぬ殿戸開かせかすがひもとざしもあらばこそその殿戸我鎖さめ押し開いて来ませ我や人妻」(催馬楽「東屋」)による描写。雨に茅屋の女を訪ねる類型。 |
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3.3.15 | 「お傘がございます。 なるほど、木の下露は雨にまさって」 |
「木の下露は雨にまされり(みさぶらひ |
【御傘さぶらふ。げに、木の下露は、雨にまさりて】- 惟光の詞。「みさぶらひみかさと申せ宮城野の木の下露は雨にまさりて」(古今集東歌、一〇九一)を踏まえる。傘を差し出す。 |
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3.3.16 | と |
と申し上げる。 御指貫の裾は、ひどく濡れてしまったようである。 昔でさえあるかないかであった中門など、昔以上に跡形もなくなって、お入りになるにつけても、何の役に立たないのであるが、その場にいて見ている人がないのも気楽であった。 |
と言う。源氏の |
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第四段 末摘花と再会 |
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3.4.1 | 姫君は、いくら何でもとお待ち暮らしになっていた期待どおりで、嬉しいけれど、とても恥ずかしいご様子で面会するのも、たいそうきまり悪くお思いであった。 大弐の北の方が差し上げておいたお召し物類も、不愉快にお思いであった人からの物ゆえに、見向きもなさらなかったが、この女房たちが、香の唐櫃に入れておいたのが、とても懐かしい香りが付いているのを差し上げたので、どうにも仕方がなく、お着替えになって、あの煤けた御几帳を引き寄せてお座りになる。 |
【姫君は、さりともと】- 常陸宮邸の室内。 |
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3.4.2 | お入りになって、 |
源氏は座に着いてから言った。 |
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3.4.3 | 「長年のご無沙汰にも、心だけは変わらずに、お思い申し上げていましたが、何ともおっしゃってこないのが恨めしくて、今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしの杉ではないが、その木立がはっきりと目につきましたので、通り過ぎることもできず、根くらべにお負け致しました」 |
「長くお逢いしないでも、私の心だけは変わらずにあなたを思っていたのですが、何ともあなたが言ってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡を装っていたのですよ。しかし、 |
【年ごろの隔てにも】- 以下「負けきこえにける」まで、源氏の詞。冗談を交えながら長年の無沙汰を詫びる。 【杉ならぬ木立のしるさに】- 「我が庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」(古今集雑下、九八二、読人しらず)を引く。 |
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3.4.4 | とて、 かくばかり |
とおっしゃって、帷子を少しかきやりなさると、例によって、たいそうきまり悪そうにすぐにも、お返事申し上げなさらない。 こうまでして草深い中をお訪ねになったお心の浅くないことに、勇気を奮い起こして、かすかにお返事申し上げるのであった。 |
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3.4.5 | 「このような草深い中にひっそりとお過ごしになっていらした年月のおいたわしさも、一通りではございませんが、また昔と心変わりしない性癖なので、あなたのお心中も知らないままに、分け入って参りました露けさなどを、どのようにお思いでしょうか。 長年のご無沙汰は、それはまた、どなたからもお許しいただけることでしょう。 今から後のお心に適わないようなことがあったら、言ったことに違うという罪も負いましょう」 |
「こんな草原の中で、ほかの望みも起こさずに待っていてくだすったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたの近ごろの心持ちもよく聞かないままで、自分の愛から推して、愛を持っていてくださると信じて訪ねて来た私を何と思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、その時は世の中の事情が悪かったのだと思って許してくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、その時は私が十分に責任を負いますよ」 |
【かかる草隠れに】- 以下「罪も負ふべき」まで、源氏の詞。 【あはれも、おろかならず】- 末摘花を不憫と思う気持ちが並々でないという。 【また変はらぬ心ならひに】- 末摘花同様に自分を心変わりしない性格だという。 【露けさ】- 景情一致の表現。自分の気持ちを露に象徴する。 【言ひしに違ふ罪】- 「いとどこそまさりにまされ忘れじと言ひしに違ふことのつらさは」(奥入所引、出典未詳)を踏まえる。 |
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3.4.6 | などと、それほどにもお思いにならないことでも、深く愛しているふうに申し上げなさることも、いろいろあるようだ。 |
などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏は言った。 |
【さしも思されぬことも、情け情けしう聞こえなしたまふことども、あむめり】- 『完訳』は「以下、語り手の評。源氏の口説の抜群な巧みさをいう」と注す。「聞こえなす」という言い方に注意。 【あむめり】-大島本は「あへめり」とある。『新大系』は底本のままとし、「へ」は「ん」の誤写から生じた形か、と注する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あめり」と校訂する。今、『新大系』の説に従う。 |
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3.4.7 | お泊まりになるのも、あたりの様子をはじめとして、目を背けたいご様子なので、体よく言い逃れなさって、お帰りになろうとする。 ひき植えた松ではないが、松の木が高くなった長い歳月の程がしみじみと、夢のようであったお身の上の様子も自然とお思い続けられる。 |
泊まって行くこともこの家の様子と自身とが調和の取れないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔に比べて高くなった木を見ても、年月の長い隔たりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思い比べられもした。 |
【引き植ゑしならねど】- 「引き植ゑし人はうべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな」(後撰集雑一、一一〇七、凡河内躬恒)を踏まえる。 |
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3.4.8 | 「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね |
「 まつこそ宿のしるしなりけれ |
【藤波のうち過ぎがたく見えつるは--松こそ宿のしるしなりけれ】- 源氏の末摘花への贈歌。「松」に「待つ」を掛ける。『完訳』は「偶然の再会と認めつつ、末摘花の誠実さへの感動を歌った」と注す。 |
|||||||||||||||||||||||
3.4.9 | 数えてみると、すっかり月日が積もってしまったようだね。 都で変わったことが多かったのも、あれこれと胸が痛みます。 そのうち、のんびりと田舎に離別して下ったという苦労話もすべて申し上げましょう。 長年過ごして来られた折節のお暮らしの辛かったことなども、わたし以外の誰に訴えることがおできになれようかと、衷心より思われますのも、一方では、不思議なくらいに思われます」 |
数えてみればずいぶん長い月日になることでしょうね。物哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったかという辛苦の跡も、私でなくては聞かせる人がないでしょう。とまちがいかもしれぬが私は信じているのですよ」 |
【数ふれば】- 以下「あやしうなむ」まで、歌に続く源氏の詞。 【鄙の別れに衰へし】- 「思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは」(古今集雑下、九六一、小野篁)。 |
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3.4.10 | など |
などとお申し上げになると、 |
などと源氏が言うと、 |
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3.4.11 | 「長年待っていた甲斐のなかったわたしの宿を あなたはただ藤の花を御覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね」 |
年を経て待つしるしなきわが宿は 花のたよりに過ぎぬばかりか |
【年を経て待つしるしなきわが宿を--花のたよりに過ぎぬばかりか】- 末摘花の返歌。「藤波」「過ぎ」「松」「宿」「しるし」の語句を受けて、「待つ」「しるしなき」「我が宿を」「花(藤)のたよりに」「過ぎぬばかりか」と切り返す。藤の花を愛でるついでに立ち寄っただけなのですね、という意。 |
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3.4.12 | と |
とひっそりと身動きなさった気配も、袖の香りも、「昔よりは成長なされたか」とお思いになる。 |
と低い声で女王は言った。身じろぎに知れる姿も、 |
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3.4.13 | ひたぶるにものづつみしたるけはひの、さすがにあてやかなるも、 |
月は入り方になって、西の妻戸の開いている所から、さえぎるはずの渡殿のような建物もなく、軒先も残っていないので、たいそう明るく差し込んでいるため、ここかしこが見えるが、昔と変わらないお道具類の様子などが、忍ぶ草に荒れているというよりも、雅やかに見えるので、昔物語に塔を壊したという人があったのをお考え併せになると、それと同じような状態で歳月を経て来たことも胸を打たれる。 ひたすら遠慮している態度が、そうはいっても上品なのも、奥ゆかしく思わずにはいらっしゃれなくて、それを取柄と思って忘れまいと気の毒に思っていたが、ここ数年のさまざまな悩み事に、うっかり疎遠になってしまった間、さぞ薄情者だと思わずにはいられなかっただろうと、不憫にお思いになる。 |
落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさしてきて、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、 |
【月入り方になりて】- 「艶なるほどの夕月夜に」外出した。上弦の月の入りは夜半ごろ。 【忍草にやつれたる上の見るめよりは】- 「君忍ぶ草にやつるる故里は松虫の音ぞ悲しかりける」(古今集秋上、二〇〇、読人しらず)を踏まえる。 【昔物語に塔こぼちたる人もありけるを】- 『集成』は「未詳。『奥入』に、昔、顔叔子という婦人が、夫の留守中、夫の疑いを避けるために、塔の壁を壊し、夜通し明りをつけていたという、貞淑な女の話をあげる」。『完訳』は「未詳。親が建てた供養塔を親不孝の子が壊す物語とも。また散佚の『桂中納言物語』の、貧女が几帳の帷子を衣に仕立てた話とも」。「塔」の語句、青表紙本異同ナシ。河内本は二本(七大)が「堂」、四本(宮尾鳳曼)が「丁」とある。別本(陽)は「丁」とある。定家は「塔」の意に解したが、「堂」「丁」の意に解釈する説もあった。 【さる方にて忘れじと心苦しく思ひしを】- 『集成』は「末摘花をそういう人として(恋人としてではなく、庇護すべき人として)忘れずにお世話しようと、おいたわしく思っていたのに」と注す。 |
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3.4.14 | かの |
あの花散里も、人目に立つ当世風になどはなやかになさらない所なので、比較しても大差はないので、欠点も多く隠れるのであった。 |
ここを出てから源氏の訪ねて行った花散里も、美しい |
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第四章 末摘花の物語 その後の物語 |
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第一段 末摘花への生活援助 |
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4.1.1 | かう |
賀茂祭、御禊などのころ、ご準備などにかこつけて、人々が献上した物がいろいろと多くあったので、しかるべき夫人方にお心づけなさる。 中でもこの宮には細々とお心をかけなさって、親しい人々にご命令をお下しになって、下べ連中などを遣わして、雑草を払わせ、周囲が見苦しいので、板垣というもので、しっかりと修繕させなさる。 このようにお訪ねになったと、噂するにつけても、ご自分にとって不名誉なので、お渡りになることはない。 お手紙をたいそう情愛こまやかにお認めになって、二条院近くの所をご建築なさっているので、 |
賀茂祭り、斎院の |
【祭、御禊などのほど】- 四月の賀茂祭のころとなる。 【板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ】- 二条東院に迎え入れるまでの一時的な修理という意味である。 【二条院近き所を】- 大島本は「ちかきところ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いと近き」と、副詞「いと」を補訂する。 |
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4.1.2 | 「そこにお移し申し上げましょう。 適当な童女など、お探しになって仕えさせなさい」 |
そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んで |
【そこになむ渡したてまつるべき】- 以下「さぶらはせたまへ」まで、源氏の手紙文。その一部分。 |
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4.1.3 | など、 |
などと、女房たちのことまでお気を配りになって、お世話申し上げなさるので、このようにみすぼらしい蓬生の宿では、身の置きどころのないまで、女房たちも空を仰いで、そちらの方角を向いてお礼申し上げるのであった。 |
ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条の院のほうを向いて拝んでいた。 |
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4.1.4 | なげの これも |
かりそめのお戯れにしても、ありふれた普通の女性には、目を止めたり聞き耳を立てたりはなさらず、世間で少しでもこの人はと噂されたり、心に止まる点のある女性をお求めなさるものと、皆思っていたが、このように予想を裏切って、どのような点においても人並みでない方を、ひとかどの人物としてお扱いなさるのは、どのようなお心からであったのであろうか。 これも前世からのお約束なのであろうよ。 |
一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色の備わった女性には興味を持って熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれた所のない末摘花をなぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのであろう。これも前生の因縁ごとであるに違いない。 |
【いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし】- 『集成』は「草子地」と注す。 |
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第二段 常陸宮邸に活気戻る |
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4.2.1 | もうこれまでだと、馬鹿にしきって、それぞれさまよい離散して行った上下の女房たち、我も我もとお仕えし直そうと、争って願い出て来る者もいる。 気立てなど、それはそれはで、引っ込み思案なまでによくていらっしゃるご様子ゆえに、気楽な宮仕えに慣れて、これといったところのないつまらない受領などのような家にいる女房は、今までに経験したこともないきまりの悪い思いをするのもいて、げんきんな心をあけすけにして帰って参り、源氏の君は、以前にも勝るご権勢となって、何かにつけて物事の思いやりもさらにお加わりになったので、細々と指図して置かれているので、明るく活気づいて、宮邸の中がだんだんと人の姿も多くなり、木や草の葉もただすさまじくいたわしく見えたのを、遣水を掃除し、前栽の根元をさっぱりなどさせて、大して目をかけていただけない下家司で、格別にお仕えしたいと思う者は、このようにご寵愛になるらしいと見てとって、ご機嫌を伺いながら、追従してお仕え申し上げている。 |
もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使が、われもわれもと再勤を願って来た。善良さは |
【さまざまに迷ひ散りあかれし】- 大島本は「まよひちり」とある。諸本は「きをひちり」(御横為榊池肖三)とある。書陵部本が大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は「きほひ散り」と校訂する。『完訳』は「源氏の庇護で豊になると、戻って来る者もいる。「競ひ散り」「あらそい出づる」とあり、離散も帰参も、先を競う軽薄さ」と注す。 【うちつけの心みえに参り帰り】- 大島本は「まいりかへり」とある。『新大系』は底本のままとし、文を続ける。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「参り帰る」と校訂し、文を結ぶ。『集成』は「てきめんに変る心をあけすけに」と注す。 【追従し仕うまつる】- 下家司の態度も女房と同様にげんきんな心の変わりようである。 |
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第三段 末摘花のその後 |
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4.3.1 | 二年ほどこの古いお邸に寂しくお過ごしになって、東の院という所に、後はお移し申し上げたのであった。 お逢いになることなどは、とても難しいことであるが、近い敷地内なので、普通にお渡りになった時、お立ち寄りなどなさっては、そう軽々しくお扱い申し上げなさらない。 |
末摘花は二年ほどこの家にいて、のちには東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮らすようなことはめったになかったのであるが、近い所であったから、ほかの用で来た時に話して行くようなことくらいはよくして、 |
【二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける】- 二年後、末摘花は二条東院に移り住むことになる。 【眺めたまひて】-『集成』は「さびしくお暮しになって」。『完訳』は「無聊の日々をお過しになるが」と訳す。 |
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4.3.2 | あの大弐の北の方が、上京して来て驚いた様子や、侍従が、嬉しく思う一方で、もう少しお待ち申さなかった思慮の浅さを、恥ずかしく思っていたところなどを、もう少し問わず語りもしたいが、ひどく頭が痛く、厄介で、億劫に思われるので。 今後また機会のある折に思い出してお話し申し上げよう、ということである。 |
大弐の夫人が帰京した時に、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ち切れずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。 |
【かの大弐の北の方、上りて】- 『集成』は「「かの大弍の北の方」以下「聞こゆべき」まで、物語の語り手の言葉。実際に、末摘花の身の上を見聞したことのある者が語る体」。『完訳』は「以下、語り手の言辞。省筆しながらも、叔母・侍従の複雑な反応を暗示して、物語をしめくくる」と注す。 【せまほしけれど】- 大島本は「せましけれと」とある。「せまほしけれと」の「ほ」脱字であろう。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せまほしけれど」と補訂する。 【思ひ出でて】- 大島本は「思いてゝ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひ出でてなむ」と、副詞「なむ」を補訂する。 【とぞ】- 『集成』「--ということです。最初の語り手の話を聞き伝えた者が付け加えた体の言葉」と注す。 |
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